KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 今の思い
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慰霊。



リアルタイムで、ペリリュー島で慰霊の献花をなさる両陛下のお姿を、拝見しました。

バスが着いて、青い空青い海、平和すぎて美しすぎて胸の痛むような風景、その場所へ、両陛下は、降り立たれました。

お疲れのご様子はみかけられません。。

陛下は、白いシャツを開襟、ノータイでお召しでした。アイランド・フォーマルだと、テレビの中の声が説明しました。

皇后さまは、白に鈍色の差し色の、袖がシンプルでないスーツ、けっこう装飾的な帽子、真珠のネックレスにブローチにイヤリング。美智子さまフォーマル、といったお姿。

厚生労働省の村木厚子さんが、説明などなさっていました。陛下も皇后さまも、うんうんと静かに熱心にうなずいておられました。

本当に青い空。青い海。

素朴な献花台が設けられており、両陛下は、テレビの中の声が

「日本から持参された白菊」

と告げた花束を、静かに捧げられました。

静かに拝をされました。

青い空、青い海、すべてが静寂のなか。

私だって胸は詰まりました。

長く長く願っておられたという「慰霊」。その場に、いま、立っておられる。両陛下の表情は敬虔なままでしたが、お気持ちと、もしかしてまだ、そこに留まったままの御魂にとって、どんな瞬間なのか、と。

やがて、西太平洋戦没者の碑の、右側に向きを変えられ、その島でも多くの人々が命を落とされたというアンガウル島の方角へも、両陛下は、慰霊の拝をなさいました。


周辺には、パラオ方面の関係者に混じって、この時のために訪問されたという遺族の方々が並み立っておられました。

両陛下は、息がかかるような近さで、その方々と言葉を交わしておいででした。

テレビのカメラは両陛下の姿を淡々と追っていました。

そのうち、再びバスに乗りこまれる時間となり、窓越しに両陛下は、お立ちになったまま、外に残る人びとに手を振りながら、慰霊碑の前から去って行かれました。


すべての、御魂の、慰霊をなさると。

テレビの中の声が、何度か言いました。

バスが去ってカメラが写さなくなった、あれから以後、どこかの御魂に慰霊の拝をなさるのかなと思いました。

今の時点では、私に、わかるすべはありません。


気が済まれたでしょうか。

私の中には、幾つかの思いがたゆたっています。

歴史は勝者のもの。常に。強者の側のもの。

そんな言い方があります。

歴史は常に勝者の側から語られ、残される。

・・・きょう、両陛下に慰霊の拝をしていただいて、それを、自分の目で見て確かめ、喜ばれた方々がおられる。

そうでない方々もおられる。

大切な人が、果てたと伝わる地へ、行きたい、行ってあげたい。花の一輪、手向けたい。ペットボトルの水なりと、おそらく乾ききっていたであろう末期の口にそそぐがごとく、そそいでやりたい・・・目には見えなくとも。

そんな思いや。

行きたい。でもお金が無い、体が動かない、行けない。そんな方は多いだろう。

私は、叱られながら本ばかり読んで育ってきた人間で、その後遺症か、ものごとの裏の方から見た、いわば「敗者の側からの目」が気になります。

そっちの方に、どうしても、目が向く。心は寄る。きれいなだけの言葉に拒否反応が起こります。ここ数日のメディアの、このパラオご訪問のことも。

戦争で、異国に散った命の中にも、表や裏があって。

こころ尽くしてもらえる一人があれば、祖国の身内も絶え果てて、存在したことさえ忘れられている一人もある。

平等などではない、当たり前。

だから、と、思う。

どの御魂も、すべてを、すべてのために、祈る。それって、それこそが「天皇」のなせることではないか。


それと。

サイパン、パラオと、ご慰霊の旅にご出立になるのも、それが、天皇のなさることとして胸に納まり・・・行って下さるんだ、あそこへも、あの場へも、と、ものみなが感じられる「行幸」が、続く。と、思うなら。

今上両陛下の「慰霊への強い願い」が、継続するものと考えられるなら。それは、それで、私のようなジト目のひねくれ者の、思いにも、なだらかな感触となるのではないか。

税金がどうのと。そんなこと、言わないのではないか。

現・皇太子夫婦への、拭うこと叶わぬ不信感があるから。

あの人たちは、そんなこと、絶体に考えない、しない、と、思い定めているから。



理屈をこねるつもりは無い。けれど、この度のことにしても、行きやすいところ、行き得る島にしか、生身の両陛下が足を踏み入れることはお出来にならないのです。目に見えているという、アンガウル島なるところへさえ、お渡りになれない。

でも兵たちは、どこででも、どんなところででも、生きて戦うことを…食べ物も無く呑む水にも事欠き、兵器さえまともにない環境で、戦い、死んだ。戦っての死なら、あるいは「兵」としては本望だったかもしれません。が、餓えたり渇いたり、戦病死の数が、多いのです、実際は。戦う事すら叶わなかった兵隊さんたちでした。

すべての御魂に等しく拝をされることは不可能。

すべての遺族の思いに、声に、お答えになることも、不可能。

等しき祈りを、ただ捧げられるのは、天皇陛下に於かれては、神事、祭祀の、そのことによって、ではないのか。

靖国で会おう。そう約束をして出征され、おそらく当時の日本人たち、身から放たれた御魂は、約束の地へ還られたであろう。

であれば、その靖国へ。お詣でになる。

・・・などと、やはり、考えてしまうし、書いてしまいます。


そして。

カメラの無いところで、かの国の慰霊碑にも、拝をされる?・・・あらかじめ予定された「予定外のこと」として。

・・・日本人の命にもアメリカ人の命にも、他の国の方の命にも、命としての重さに違いは無かろう。

どの一人も、人の子であり、夫であり父であり、優しい兄であり、善良な国民であり、恋人であったことでしょう。

慰撫なさりたいお気持ちは、人としてはわかる。

けれど。

単なる人ではあらせられません両陛下。

もしも、そこの垣をお越えになりはしないかと、危惧しております。

サイパンでは、とにかく「やってしまわれた過去をお持ちです。

ならぬことは、ならぬと。

今日のNHKテレビの中継の中の声が、耳の奥に残っています。

「すべての方のご慰霊を、願っておられます」

御身にて。触れてはならないものがあります。両陛下。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

パラオの国会議事堂の前に、韓国人は慰霊碑を建てました。

ここには、パラオへ発たれる際の天皇陛下のお言葉に全く反する言葉の羅列があります。

前回、10年前に行かれたサイパンの碑よりも内容は強烈です。

<相当数の韓国人が、大日本帝国に主権を奪われ、パラオに連行され、日本軍のために重労働に従事した。韓国人女性はエンターテイナーとして日本兵のために働く事を強いられた。当時、韓国人は隔離され奴隷とされた 2000人にものぼる韓国人が、飢餓、病気、日本人による虐待・暴行、事故、米国機による空爆のため悲痛な死を遂げたとされる>

・・・ここに、拝は、なさっておられないでしょうね?。









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  1. 2015.04.09 (木) 14:26
  2. URL
  3. りかねこ
  4. [ edit ]

パラオ

はじめまして、私は30数年前にコロール島とトラック島を中学2年、3年生の2回、一週間位ずつ、サマースクールの様に行きました。パラオからも、同じ様な小中学生が日本に来て、当時の皇太子、天皇陛下ご夫妻とも面談したと記憶しています。読売新聞社と日本パラオ協会との提携の元、小4〜中3までの、100人位の子供達が毎年同じ様に参加して、私が高校生になった後も島を変えて続いていました。日本に来た子供たちは、道路を走る車の多さや初めて見る電車や高層ビルなどに、驚嘆し、また自分たちの島の豊かさを誇りにし、でも、もう一度勉強しに日本へと強く思ったようでした。そして島に行った私達は、大歓待を受けました。お年寄りが昔の記憶を楽しそうに掘り出して日本語で話しかけてくださり、彼方は大家族なので、習ったよと同級生くらいの子供たちが、赤とんぼやふるさとなどの童謡をうたってくれたり。当時の中学生英語の私の言葉を一生懸命聞いてくださいました。日本の統治時代は道路や公共設備など何時も綺麗にしていて、義務教育もしっかりしてくれた、日本の時代が懐かしいと、当時はまだアメリカのの統治下でしたから、お年寄りはくちを揃えていっていました。島や海の中の彼方此方に戦時中の忘れ形見の様な戦車などがガジュマルの樹の影に顔を見せたりしていてもです。
彼方は大家族なので、小さい子供の世話はお年寄りやその兄姉がみて、大人は漁や畑仕事などをしていました。ですから、子供たちもお年寄りから日本の統治時代の話や歌を聞いてそだっているのです。名前も太郎や花子などの、日本名前を付けられた島民が沢山いました。
警備なんて要らないよと言いたくなるくらい、当時はノンビリした夢の島でしたが。
天皇陛下がおいでになるのは、島としては大歓迎、お懐かしいと、言っている方もたくさんいるとおもいます。私も伯父をサイパンで無くしています。ですから南の海で伯父に再会する、母の代わりにと思ったりもしました。でもチョット思うのは、歓待してくれそうな所にいらしてないか?と思う時があります。ニューギニアとか、東南アジアの国々で、戦争が終わった後も留まって、独立に貢献して果てた方、極寒のシベリアの地で果てた方、満州からの脱出逃走中に果てた方など、行って鎮魂しなければと思うが、難しい所も沢山有ります。政治がもし許す様になっても、今の皇太子夫妻では何それ、笑えるというだけで、大好きなヨーロッパの決まった国にしか行かないでしょう。平等、公正なはずの天皇陛下がなさることとしては、どうなのだろうとおもいます。
雅子妃は闘病中なら、信子様の様に、回復されるまで一切表に出てこなければいいのに、なぜかカメラが嫌いと言いつつ、カメラ目線でおて降り、だから、いい加減にして欲しいと思ってしまいます。
なにが書きたかったのかわけわからない長文になりました。彼方は本当に親日なんですよとお伝えしたかったのです。私が彼方に行ったのは1976年と77年の8月です。読売新聞の過去記事にあると思います。長々失礼しました。
  1. 2015.04.09 (木) 19:27
  2. URL
  3. ふくちゃん
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KUON様

更新記事を読ませていただいて目頭が熱くなりました。
KUON様のお気持ち・思いが
岩に水が染み込むごとく、ゆっくりと
私の胸に広がってまいりました
やはり神道の、お血筋だからなのでしょうか?
こういう系統のお話は特に心に堪え
そして、その後、とても落ち着いた心持ちになります。
自分の汚れたものを綺麗にしていただいた
そんな感覚です。
うまくご説明出来ず申し訳ございません
奥深いところに語りかけていただいている気持ちです。

なにを言っているのやら・・・・(汗💦)

これからも宜しくお願いいたします。
  1. 2015.04.09 (木) 19:53
  2. URL
  3. 定年親父
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お帰りになられての

「お言葉」にとてもとても注目している親父です。

「強いご希望であった」とのこと........

メディアも好意的に内容を構成して伝えています。
それはまあいいでしょう。

親父が注目しているのは、
「パラオの皆様に温かく迎えていただいて...」などというお言葉ではなく
その「強いご希望」を叶えるためにご苦労された方々に対する「感謝」若くは「労い」のお言葉が一言でもあるかどうかという「その一点」です。

「朕は言ったのにメディアは報道しなかったぞよ。」では済まされない事を果たして御理解しておられるや否や。

親父は「税金ガ〜」という立場をとりません。
しかし、「象徴」というお立場をそれこそ「身命を賭して」
支えている人々に対して、その場では「ありがとう」と仰るかどうか我々に知る由もないわけですが、その事を国民に向けて伝える必要性を強く感じます。

だって、「盗愚鵜」と呼称される「病んごと亡き」お宅では
「奉仕作業をしてもありがとうの意思表示はない」し、
「強いご希望による、眼の玉が飛び出る位の税金を使った」
「通勤客で混雑する時間帯の電車利用」や「高速道路を封鎖してのお遊びのための移動」などを見るにつけ、
此奴等、「ワテクシ達は皇族なのよ!『国民は皇族の為にあるのよ!』分かった?」という.....トホホホホホホホホ。
50も過ぎてから「躾」でもないでしょうが、これをやらない限り
「両陛下も同じ感覚で御座いますか?」「で、あれば...」
あとはムニャムニャ.........

長文失礼しました。
  1. 2015.04.09 (木) 21:07
  2. URL
  3. 鬱で~す嘘で~す・ウナ
  4. [ edit ]

本音は言わぬホトトギス・・?

求めよ
さらば
与えられん!
お師匠様お晩でやんす
「皇室に『靖国においで下さい』
話はそれからです」とは誰もいいません
日本は(お国は)歴史を遡れば
戦の中ににも『隣人愛』はありました
敗残兵を丁寧に埋葬したと
関ヶ原の『話』にもあります
忠臣蔵とて『討ち入り』の場面だけを捉えれば
押し込み強盗(テロ)に過ぎません


聊か酔いました
わたくしは貴方の
>心使いに感謝です・・・・
この一言で


当分持ちます
ありがとうございました。・・・・かしこ。
  1. 2015.04.09 (木) 23:50
  2. URL
  3. orenge
  4. [ edit ]

こんばんは。

心の中を見透かされたような言葉の力を感じます。
その通りですね。

パラオは美しい国、きっと昔の日本も同じような国柄だったのでしょうね。

KUON様の心中が痛いほど伝わってきました。
ありがとうございます。
  1. 2015.04.10 (金) 21:55
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

お返事遅くなりました。


@りかねこ さん。

思いのいっぱい詰まったコメントを、ありがとうございます。

パラオの方々が、日本を大好きでいて下さるのは、もちろん嬉しいことですし、あの沢山の小さな島々、青い海、テレビで見ても、ときめくような素晴らしいところだと思います。

私がこのたび、ぶつくさと言うているのは、パラオがどうとか、という話でないのです。

なんで、そこなのか、と・・どなたにもきっと、解らない辺りではないか、とも思いつつ。

慰霊されるのが悪いはずもない、あちらの方々はもちろん、歓迎して下さるでしょう、そういうことでなく・・・

りかねこさんも、感じておられるのですね、他にも沢山、水漬く屍、草生す屍の地の在ったことを。

餓死の島と呼ばれたところ。シベリアでは、凍りついたご遺体を、うずめて差し上げることさえ叶わなかった。ニューギニアのジャングルは、青い海も無く高湿度の、虫だらけの。そして、私の舅が行っていたビルマ〈ミャンマー)では、そこここに日本兵の遺体が折り重なって放置されていたことは、映画「ビルマの竪琴」にも描写されていたし。私の短歌の先輩の方は、職業軍人だった夫君と別行動で、引き揚げの最中に遭った「ひどい目」について、黙り通されていました。女性だけが遭うひどい目に遭われたのだと思います。その時に同行されていた娘さんは、帰国後、思春期の頃に自死しておられます。そのことも黙り通されました。短いエッセイで知り得たのみ。戦争は、軍人や兵隊さんだけでしたことではありません。

   逃るるさ 牡丹江に投げし幼な児の
   溺るるさまを君泣きて云ふ

幾人もの子を連れての逃避行、元気な子を救うため、高熱を出している子を、引き揚げ途中に大河に投げた。やむを得ずだった。その子が、目の下で溺れていた様子を、生涯忘れ得ない母親が、泣いて語った話を、詠まれたもの。

確かに両陛下は国内でもあちこちへ行っておられますが。このたびのことは、ご長男夫婦のことに絡まった思惑が、強く感じられて、初めから疑問がありました。終わってみれば、陛下は白いシャツ姿、美智子さんはお洋服を、とっかえひっかえ。何なのよあれ、と、些細なことにも、どこか違和感が。

慰霊に行って拝をされても、遺骨も戦車の残骸もそのまま、です。観光の対象にも。

これは、私の思いです。

すばらしい思い出をお持ちで、お幸せですね。教えて下さり、どうもありがとうございました。

今の皇太子夫婦は、慰霊には行かないでしょうし、これから大好きな白人の国へ、一緒に行くことも無いと、確信しています。それだけは、けっこうですね~と、思っています。(笑)。


@ふくちゃん さん。

初めまして。

私こそ、こんなにもお気持ちのこもったお言葉を戴いて、恐縮・・・とても、嬉しいです。嬉しいです。

私は、心の中、まわしたばかりのミキサーみたいに、あれこれ材料、ぐっちゃぐちゃの、整理整頓ついていない状態の人間なのですが。

書いて、書いてしておりますと、自分にもわからない自分の姿が、輪郭が、見えて来るような気もします。

おかしいことは、おかしい。綺麗な、透き通ったものばかり見ていられたら、とも思いますが。私は祖母でもあり、孫たちが生きて行く世が、現・東宮をいただく世であるなんて、絶体にいや。

そんな気持ちが大きいです。

これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。あるがとうございます。



@定年親父さん。

独創的な漢字使いをなさいますね。(笑)。

私は、比較されることでイヤな思いをする人間、の気持ちなど、考えることも多いタイプなので、かどうか、昭和天皇と今上を、比較など、してはいけないくらい、知っております。

が。

昭和天皇さまが、ひとこと「ありがとう」と。

独特のイントネーションで声に出される感じが、好きでたまりません。本当に「ありがとう」と思っていらっしゃるのが、まっすぐに、胸に届いた気がします。後に、動画などを見ての感想ですが。

このたびの今上の「お言葉」も、場合によって趣旨が異なっていたり、を感じます、今は申しません。

皇后さまは・・・自粛。違う方向へ歩いて行こうとされて、今上が弾いて戻された画像に、目が点。

盗愚鵜・・・あれ、人でなく人モドキなので。ありがとう、なんて高度な人間語は、はなから無理。卑でんかは育ちが悪いので「ありがとう」と「ごめんなさい」は、脳内に組み込まれていません。

アレラは、問題外です、基地の外でもあります。と、思う次第です。



@鬱で~す嘘で~すウナさん。

(笑)。鬱になりかかったら。ウナ鬱の処方は、無いでもない気がいたします。

バッチ来い、ですやん。(笑)。ぜひ、お申し出くださいませ、びしばし、やってあげますやん。

美味しいお茶も、差し上げますゆえ。タケノコご飯は、翌朝、土鍋の中で冷めたおこげを、ヨイショヨイショとお結びにして、ほーじ茶でいただくと、なんとも美味しいです。鬱は早く抜けるべし。

知人の、心根の善き方は、鬱の発症率、高し。です。

関ヶ原には、陣羽織や刀や槍や、いろいろ集めた「秘宝館」みたいなところがあります。真面目な内容のとこです。

そこで、見学中、背後からうわっとおぶさって来られたことがあります。父方の「紋」のついた羽織を、意外にに小さいのね~とか、思いながら見ていたら、ずしっと重くなって。初めてで最後の経験、

うへえ、連れて帰りたくないよお、ととっさに感じ、心の中で、離れろ、あっち行って、と、ものすごく強く念じていました。ほぼ無意識。

で、階段ほうほうのていで降りて、お天気のいい外へ出て、ペットボトル一本、一気飲み。

あれ、何だったのでしょう。あの場所など、感じる人なら、うようよ感じるのでしょうね。

人は、一度死んだら、その人は終わり。切ないです。

新婚旅行には、鹿児島の知覧へ行きました。いい考えだったと思っています。

めちゃくちゃな返事になりましたが。今日はこういう感じで。

過分なお言葉をいただき、ありがとうございました。これは正気の部分で申しております。もったいないお言葉ですがもらっておいて差し上げます。

これからも私に、ひざまずいて下さいね。(笑)。

でも、どうして私は「お師匠さま?」。




@orengeさん。


・・そんな風に言っていただきますと、心の底から嬉しくて。

付け上がりますよ~!。(笑)。

あれこれ、過去記事も読ませていただいています。

いっしょうけんめい、書いて行きましょうね、お互いに。

ありがとうございました。




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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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