KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. ゆれ・ふら・とーく
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大きなビイドロのこっぷに。





桜の話を。

生前の父に大変に世話になった、と言って下さった方が、つまり養父で。私は、中学生になるのを期に、母と離れて養父の家の子になった。

大きな家だった。広い中庭があった。築山が築かれていて、その足元に桜の木が一本、あった。

桜は、天に近いような上方から、花びらを散らした。

ほの暗い家の中から、明るい陽のさす中庭を眺めていると、風の形に舞い流れる花びらの果ての無さに、からだの中に花びらの積もって行く幻覚に、身じろぎもならないのだった。

体を動かすと、体内に積もった花びらは、小さく跳ね上がったあと、嵩をひくくして行ってやがて、しずもった。

花の季が終わると、膨大な量の毛虫たちがもぞもぞと動き回って、樹、そのものが、ゆさゆさ揺らめいた。私や養父の子どもたちが退治を試みたが、油を浸した布を振り回してもどうにもならなかった。からだじゅうがムズムズして一番幼い子がパニックを起こしたり一人は刺されて発熱したり、で、養父は、それまで頼んでいた業者に電話をさせた。

男の人が二人来て、黙々と仕事をした。

毛虫は樹の下に山になって蠢いており、夕方までにすべて処理された。

高校は寮に入っていたし、卒業後は東京へ出たりして一人で暮らしたが、結婚する時は養父の家から出た。出してもらった。

中庭の桜は、咲き出そうとする直前で、樹ごと膨らんで盛りあがっていた。

私が初めての子を産んだあと、区画整理の話を受け入れて養家は、家を移した。

家まるごとを某所へ運んだが、桜の樹は伐られてしまった。

あの家は好きだった。



母の実家にも桜の樹があった。

通りに面した表側はかつて薬屋を営んでいた名残、壁一面を薬箪笥が埋め、さまざまな道具が、置かれた日のままに置かれた異空間だった。忘れられた部屋、広くて古くて黒光りしていた。埃が、湿ってまた乾いて、何層にも重なった匂いがした。

荷物を提げて走り込むように一歩入ると、滲みついた薬草の匂いが襲いかかる感じと共に、わたしの知らない「ごせんぞさま」たちが、街から来た小さいのを、押し合い、へし合いして、見物に群がってくる・・・ような気がした。子どもの増えひろがらなかった家だったのだ。

目に見えたわけではない。けれど、その家では私は、受け入れられている感覚があった。

奥に長い家の中央を貫く、長い通路を抜けて裏へ出ると、石灯籠の庭や隠居小屋や道具小屋が陽光のなかに散らばっており、畑との境界みたいに桜の樹があった。あの樹が桜だったのだろう。

母は、小学生の私を、長い休みのたびに、どこかへ預ける人だった。

亡父の妹宅、弟宅へ、遠慮なく私を送り届けた。夏休みのほとんどは、自分の次兄である伯父の守る実家へ、私を預けた。

伯父は若い頃「赤」で、京都での学生時代につかまってどうやらで、体を壊して、とかいう人で、定職に就いていなかった。

私が子どもの頃は、その家には山も田んぼも茶畑もあったようだが、少しずつ消えて行っていた、家が滅んで行く時期に、私は、夏の客になっていたということだろう。伯父は大酒のみだった。

川遊び、蛍狩り、すべて、伯父がさせてくれた。

伯母は毎朝、私にだけ、生みたての卵を目玉焼きにして、食べさせてくれた。白身の縁の焦げた目玉焼き。白いホーローの皿に乗せて。

そこにはそして、祖母もいた。いろんなことを。大切なことを。いっぱい、教えてくれた、祖母がいた。

・・・その、田舎の家に、桜の樹があるなど、知らなかったのだ、けれど。

桜、さくら、と、思いを飛ばしていて、ふと、思い出した。

田舎のあの家の、裏庭に、井戸があった。近寄ってはいけないと、きつく言い聞かされていた。

想像力が強烈で怖がりだった私は、落ちたら終わりだよと、祖母から、井戸に落ちて助けてもらえなくて、溶けてしまって云々、の話を念押されて、近くへ行かなかったのだったが。

いつの春のことだったのだろう。

私は、父方の叔母の家でなく叔父の家でもなく。

母が、終生を恋い続けた、あの田舎の家にいた・・・そうだったのだ、きっと。

見たから。それを見た日の、記憶が、水の底から浮かび上がるみたいに。


空は青かった。記憶の中の春の空は、いつも青い。

いつものように、とても静かだった。

家の前を通るバスは、一日に数本。さっき通って行ったばかり、だったような。

トンビが、空の上を、ぐうるぐうると回っていた。

風が吹いた。

すうっと風が吹いて、祖母が、私の名を呼んで。

私がかけていた、農機具小屋の外の、座り石、と呼んでいた大きな石のそばへ来て。

分厚くて大きなビイドロのこっぷに、なみなみと満たした、牛乳を。

いま、牛乳屋が来た、呑め、と。

手渡してくれた。

その、村の外れから来る牛飼いの家の、お祖父さんが、とどけに来る、濃い、乳の匂いのきつい、じつはあまり好きでなかった牛乳の、表面に。

桜の花びらが、浮かんでいた。

ふたひら。

思い出した。

あの家も、もう、無い。誰もいなくなった。




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  1. 2015.04.03 (金) 13:09
  2. URL
  3. 焼酎のお湯割り
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自分は くおんさん の事は よく知らないのですが ブログを拝見していると 皇室関連の話はもちろん このような ご自身の生い立ちの お話が とても 興味深く 私小説を読んでいる 感覚になります。

映像や匂いとか 勝手な想像で 申し訳ありませんが 五感で 感じられる…不思議です(^^)

自分も 桜は好きですが その前の時期の 沈丁花の香りが漂う頃が 大好きです。自分が春を感じる 最初の香りです。そのあとにハクモクレン が 満開になると 桜の出番です。街中が ほわっと 薄い桃色に染まる…別れと始まりの 季節ですね。

  1. 2015.04.03 (金) 22:00
  2. URL
  3. ワッ・タ・シ熟女N〜
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みんな優しい

今晩は
いつも有り難うございます。

もう花見何回できるんやろ・・・と思うと
どうしても花見に行きたく
『どっか行こう〜』と言ったら『淡路島の夢さじきだ』と
雨の中行ってきました。

春の嵐になるかもと予報出た通り
風ビュンビュン、明石大橋 飛ばされそうでした(笑)
霧の湾岸、五里霧中 Σ(゚д゚lll)
晴天だったらさぞかし、車窓からの桜
菜の花満開、きれいだっただろうに (*>_<*)ノ

この桜の時期に、近鉄線『新大宮』
佐保川沿い(船橋商店街〜大安寺周辺)の桜見に行きたかったんです。
まだ一週間は間に合うかな・・・・

去年、元会社上司の御見舞に行ったときに
平日だったからか人も少なく
桜並木を延々と川沿に歩いて、
ここも良いところだなぁ〜と
翌日またパパリン連れて行きました。

帰りは、『志津香』で釜飯です
そっちかよ!*<(。≧∀≦)ノノ


KUONさんの回りの方々
みんな優しい人だったんですね。
養父さんも分け隔てなく見守ってくれはったみたいだし
預かってくれはった、叔父さん叔母さん達も
よく面倒みてくれたみたいで

でも、淋しい思いや自分の居場所はどこのなの?と
悩んだ事もあったんだろうに
KUONさんもめちゃ優しい (ㆁᴗㆁ✿)

何か一言KUONさんに言ってもらうと
学校の先生に褒められたような気がします(*'∀'人)♥*+
  1. 2015.04.04 (土) 00:28
  2. [ edit ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2015.04.04 (土) 01:21
  2. URL
  3. momo
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桜には くおん様 深い思い出が あるのですね。養父母さんも お優しい方達だったのですね。
私は、実の両親から、肉体的にも、精神的にも 虐待を受け、逃げる様に 家を出て結婚しましたが、今 夫から、DVを受けています。居場所が無い私ですが、時々 辛いながらも庭一面に 梅の花で、埋め尽くされる実家を思い出す時…まだ 親に虐待され続けた日々の方が 幸せ だった気がします。
  1. 2015.04.04 (土) 22:11
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

お返事遅れました。


@焼酎のお湯割りさん。


>映像や匂いとか 勝手な想像で 申し訳ありませんが
>五感で 感じられる…不思議です(^^)

私もあなたを存じませんが。

↑のような感想をいただくことは、私の、ものすごい歓びです。

ブログの特殊性もありますじぇれど、時々「わたし」の話を書く時は、五感で感じられる文章を、書きたいと願っています。私小説、というか、自分だけの物語を紡ぎたくて、ひっそりと続けていますね。

どんな形で人様の目に触れるかは、今はまだわかりませんが。進んでいる。ふたかたまり目に入っています。

ストーリーでなく、文章そのものに凝りたく、多くの方々には、めんどくさくて偏執じみた、そういう世界だと思っています。

はくれんも木蓮も沈丁花も、みんな好き。

一首、上げさせてもらっておきますね。

   白木蓮咲けると友の電話来て
   夕暮れ来るを待ちて見にゆく


@熟女Nsん。

桜の木の下には屍体が埋まっている。

なんぞと書いたのは、坂口安吾。私はそうや~っと思ったので、人に言ったら、なんてイヤなことを、と、叱られたことがありました。

桜って特別な花で・・・あと何回、と、思うんですよね。。。淡路島、残念だったけど、次回も、って暗示かも。

私は明日、佐保川の桜を愛でに行くつもりです。

咲き始めでまだ強い子だから、雨にも負けません!。

私の記憶は、たとえば、家で作る果実酒のようなものかな。

しーんと静かにおすまししている瓶の、欲しい上澄みだけをすくって描けば、ひとは皆やさしく、自分も素直なおこちゃま。

瓶を揺らして、いろんな、底に沈んでいるものの目を覚ませば、その混沌の中に、人間の違う面も現れてくる・・・

私は決して優しい人間ではないのですが、Nたんには「優しい人」なのかな。それって、ありがたく嬉しいことです。ありがとう。



@ヒミツのSさん。

・・・なんと言いましょう。

常識的にいえば、そんなにお父さまのことが「好きだった」と感じられるのは、ある意味、でない、実際、幸せなことだったと思う。

親には・・・さまざまな思いを抱くけど、死なれてみれば一気に浄化されてしまうところもあって・・・ごめんね、と、たぶん自分の終わりの時まで、言い続けているみたいな気持ちもあって。

何とも言えないのですが、どうしようもなく苦しかった時、私は、時に、安いカラオケボックスへ一人で入って、思い出の歌などセレクトして、唄ったり歌詞を読みながら、いっしょうけんめい泣いたり、しました。1000円あれば、まずい珈琲でも飲めるしお茶もあるし、どんなデカイ声でも泣けるし。

そう言うタイプでは、ないですか、Sさん。

何も言ってさしあげられないけど、ヒミツコメントで、気が済むなら、書いていらして下さい。心の中の重いものは、少しでも出した方がいい、かも・・・。



@momoさん。

実の両親から虐待された。

ここにもおられる、と思うと、何もまともなことは言えないけど、辛いです。

私も7歳ころから19歳頃まで、多様な種類の虐待を受けましたが、実の親で無かっただけ、救いがあるのかもしれません。

養父母が、優しかったともそうでなかったとも、言えないです。人の子を育てるのは大変なことですし、自分に三人の子がいるとして、私が加わって、四つのお菓子があれば、もちろん私にもくれたい人でも、ぎりぎり三つしか無ければ、「いい人」でいることは難しい。そういうことを、学ばせてもらってたし。

夫さんのDVは。何もわからない状況で聞けば。

その状態を断ち切ることは不可能ですか?。お尋ねしてどうもならないとは思いますが。

DV男と暮らすのは・・・ごめんなさい、言う言葉が無いですね・でも、言ってまぎれるなら、ヒミツのコメでも、書いていらしたら。

何も言えませんが、読むくらいは、できます。

お体に気をつけて下さい、くれぐれも。




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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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