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誰もむかしに還れない。




ウグイスが鳴いています。まだヘタッピで、可愛い。

系統だった勉強に縁なく来ました。皇室とキリスト教との関わりもよくわからなくて「ぼんやりした不安」の中にいた気がします。皇室は、神道の長の家である。・・・のよね?。


<<ただし、神様といっても大きく分けて幾つか

に分類できる

皇室が行う「皇室神道」

鎌倉時代に興った「伊勢神道」

出雲大社を中心とする「出雲神道」

八百万の神を奉る「地方神道」

(道祖神や地主神など)

無念の死を遂げた人の「御霊神道」

(菅原道真、平将門など・・)

そしてそのどちらにも分類できない「近代神道」

英雄=神 が典型的

(あくまでも長屋の爺の暴論ですけど・・・)

                   ブログ「不必要な善意」より。>>


そうらしいと新たに知ったワタシ。それにしても、と思うワタシ。

あの例のカルト集団の皇室への関わり云々は問題外、言うまでも無し、基地の外。がしかし。

そういうものでは無い宗教が皇室と関わる話になれば疑問マーク???幾つも点滅する、なんぼ日本神道が、大きくさまざまなものを包容し得る存在だとしても、一神教=神はたくさんなんかいません、神はお一人(一神?)であるというしかも、その神様も外国の方であられるというその存在と、どんな風に、と、惑っていたのでした。

最近、昭和天皇についての本を、何冊かよちよちと読んでいた中に、

昭和天皇が 「押し返そうと」なさって 、との記述があり。

え。何を?。

実は私には難しい本であるのですが、何度かそのあたり、理解したくて読んでみました。

ある一人の方の記述の内容です。「畏るべき昭和天皇」 著者は松本健一氏。膨大にあるのだろう関連書の、一冊ではありましょう。

付箋をつけておいたその箇所を、ここに書き写そうとして付箋の森をさまよっていたら、その以前のあたりにの付箋部分に目が留まり、

あ、これを、先に書いておきたい、と、思ってしまったのでした。

そこを引用させて頂きますが、今日は、キリスト教のことまでとうてい行けない気がします。

少しずつ、たぶん、行く気がします。

戦争に敗けた直後、当時の良子皇后が、中学生だった今上にあてて書かれた手紙の中の

「B29は残念ながらりつぱです」

の一文を、私は、何度読んでも、虚を衝かれた感じで目に映します。はえ~、ともいう感じ・・・

ここを、著者は以下のように記しておられる。(以下、この色の文字が本から写した部分です)。



>>天皇家はいま「占領軍」の下にある。良子皇后は敗戦を受け入れているばかりか、「B29は残念ながらりつぱです」といって憚らない。それはやや露骨にいえば、B29を新たな文明として受け入れた態度であり、さきの天皇の「各国が航空機によって親善を進めればいい」という発言に、ぴたりと重なっている。
夫唱婦随というのではない。皇室そのものがそのように外の文明を受け入れつつ、文化をすこしずつ変容させて歴史を生き延びてきた、ということである。日本文化の永続性こそが皇室の存在意義である、といってもいい。<<


ここには、日本文化の永続性こそが皇室の存在意義である、といってもいい、とあります。


>>敗戦のとき、貞明皇太后は皇室の存続を心配する側近にむかって、

   皇室が明治維新の前に戻るだけのことでしょう。

貞明皇太后は五摂家(ごせっけ…摂政と関白に任ぜられる、五つの古い家柄)・・・の一つである九条侯爵家の出であったから、天皇家がどのように歴史を生き延びて来たかを熟知していた。皇室が日本文化の永続性を象徴する役割を果たすためには、その時代その時代の外の文明を受け入れつつ、時代が要求する天皇制の態様を引き受けていけばいいのだ、ということである。としたら、天皇が統治大権さえ掌握した明治体勢が終われば、皇室は明治維新の前に戻るだけのことだ、そう、貞明皇太后はいっていたのである。<<


フウ。ふつうの日本史さえオボロだった自分が、わかりたいと思いながら読んで行く。なるほどそうなのか、状態で、丸ごと写さなければなりません。そんなことは不可能。

>>しかし占領軍=戦後民主主義が天皇に要求したのは、皇室が明治維新の前に戻って日本文化の永続性を象徴することにとどまらなかった。天皇は戦後日本にあって、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴で」(「日本国憲法」第一条)あることを求められてゆくのである。それは端的にいえば、「玉座」に坐って臣下を謁見するすめらぎ(皇)という存在ではない。三島由紀夫が「美の原理」と考え(KUON:註:三島についてはいずれ何かで触れたいです)、雅(みやび)を象徴するような天皇ではないのである。そして、昭和天皇はその天皇および皇室像の変換を、一身において背負ったのである。<<

>昭和天皇はその天皇および皇室像の変換を、一身において背負ったのである。

そう読めば、それが、どんな大変なことであったのか、大変でいらしたのだろう、くらいのことは、想像がつきます。

天皇の子として生まれ、若くして天皇になられ、戦後「現人神」でなく、人になられた、でもやはり天皇であった。

お母さまはがんがんと叱咤激励される皇太后陛下でいらしたと伝わりますが、過去の皇室像についてのご理解はおありだったでしょうが、敗戦国の皇太后、という立場は、理解不能だったんじゃないかと、普通に思います。それも、でっかい外国の連合軍に、負けてしまった、そういう国になったことは、無かった。かつてなかった事態に陥った国の、天皇に、なってしまったのが、昭和天皇だった。

・・・きょうはここまでとさせて頂きま

拍手欄のコメントに、返事をさせてもらってなくて、ごめんなさい。しっかり読ませて頂きました、、ありがとうございます。よろしければ、HNの世界です、頭文字だけでもけっこうですので、表へ頂けたら、返事もし易いかと思います。








                                      
                             
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  1. 2015.03.15 (日) 19:48
  2. URL
  3. hortencia
  4. [ edit ]

お疲れのところ更新ありがとうございます。

本のお話は、かなり難しくて、私には理解が出来ないところも多々あるのですが、
「B29は残念ながらりつぱです」
の一語、頭を殴られたような衝撃を覚えました。

どんな衝撃かは、私は言葉に出来ず申し訳ないのですが、この「衝撃」を忘れずに生きていくことが、これからを生きる私たちの務めだと思います。

稚拙な文章で申し訳ありません。

お身体お大事に、KUON様の紡ぐ文章を楽しみにしています。
  1. 2015.03.15 (日) 23:17
  2. [ edit ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2015.03.18 (水) 13:59
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

hortencaさん。

コメントありがとうございます。

知ることは大切と思います。それと、すべてを、自分だけを基準、はかりにして、考えてはあかんのと違うかなあ。と。

色々、知って行きたいです。理解や批判を、まっすぐにして行きたいです、そう思います。

ご一緒に。遠い道のりでも・・・ちょっと、ええかっこ。(笑)。



ヒミツのJさん。

そうなんです。そこへ、行きついてしまったようです。

奇妙な安らかさもあります。中途半端に疑問だったものが、ほどけて行く安心というか。

大変ですが、ユックリと行きます。お力、ひそかにお貸しくださいませ。

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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