KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. ゆれ・ふら・とーく
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薔薇子さん。



昨日電話をかけて来てくれた一人は、薔薇子さん(仮名)です。

私の電話ニガテを知っていて下さるのですが、昨日は「晩がた家にいるよね」と、すてきなものを届けてくれました。

キンカンのジャム。ずっと咳が止まらずにいる私に、手作り。去年も。

保育園帰りの小薔薇ちゃん(仮名)も一緒で、大きくなっていて、可愛さもアップしていました。


災害から4年目ということで、メディアは特集組んでいるようですし、あの女優さんは朗読の会を東京で行って、と報じられている。

薔薇子さんとの20分ほどの慌ただしい話で、その話題は出ませんでした。

3年半ほど前に、自宅を出て関西へ、まだ幼い子を二人連れて、移って来た女性です。別に書いていいよと言われるので、少し書きます。

震災後、原発事故後。いささか関わりを持った中のお一人でした。、「そういう話を広めないで」、と、猛反発を受けた「放射能の恐ろしさ」の話、反発などというものでない、憎悪ですらある感情を、まともに向けられればたじろぐしかなかった。しかし、当時、言い続けていたのです。

私の夫は大雑把に言えば「水のプロ」。各種物質に汚染された水のことばかり考えてなんとかしようとしている科学者です。放射性物質についての知識もそれなりにありました。

原発事故が起こった夜には、「気の毒だがあの近辺の方々はもう故郷へはお帰りになれない」と発言し、私は、なんとひどいことを、と、夫に反発しました。

テレビで見るコンパスで丸く描いた「地帯」は大嘘で、あんな円形で描いてはいけない、円でなら少なくともあの十倍の大きさでなければ、とか子どもや妊婦をただちに逃がさなけれいけない、風の向きも伝えなければ、と、とにかく「誰も本当のことをわかってはいない」のに、「今のところ大丈夫」をくり返す(厳密な意味ではそれは偽りでは無い、あくまで「今のところは」、だったのだから)政府のドタバタぶりを、変化の無い平静な顔で批判しておりました。確かに当時は、ひたすら利権のみしか無い御用学者たちが、文系の多い民主党の政治屋さんたちをリードしていたのでした。だと思います。国民を、思い切り危険な目に遭わせていました。

と、少しずつ解りました。

反発しつつ、どうにかならないのかと我流でジタバタして、自分なりに「しないよりはマシ」ではないかと考えるに至ったことを、猛烈に始めました。その方法を取りやすい環境にあったので、これをしなければ、と、心が急いたのでした。詳しくはここでは述べません。

そんな中で知り合って、私の言うことを信じて下さった方の一人が、薔薇子さんでした。

結果的に、先に書いたように、幼いお子を二人連れて、関西へ来られました。

職場を離れられない・・・家族のためにも・・・夫さんと、何代にもわたってその地で生きて来られた夫さんのご両親を置いて、その反対を押し切って、ほとんど着の身着のままで、来られたのです。私自身は何もできず、そういった活動を始めておられた方々に、薔薇子さんを紹介したでけでした。

今のこの国は、その気になれば、布団から収納家具、食器やタオルやテレビ冷蔵庫、洗濯機に至るまで、見知らぬ地へ、子どもの健康だけを思って移り住んで来た若い母親のために、揃ってしまう国です。

薔薇子さんは、住まいに落ち着いた夜から、お風呂に入ってお子たちに絵本を読み聞かせて安心して眠れる暮らしに、入られました。私は、彼女がその住まいを得るために必要だった「保証人」には、ならせてもらいました。他になる方がおられなかったのです。

固定電話をひかなくても、携帯電話があれば事足りる時代でもあります。薔薇子さんのもとには、いつまで逃げているんだ、帰って来い、自分はいいだろうが家をどうするんだ、自分勝手もいいかげんにしろ、と、電話が鳴り続けるようになりました。それもよく解ります。

解る。放射性物質は目に見えず匂いも無く、現実の生活には女手が要る。

ときどき、薔薇子さんの都合のいい時をはかって気晴らしと称して誘う駅前のスタバの隅っこの席で、薔薇子さんは、ぽつぽつと話してくれるのでした。

わかるんだよ、私。あの人は何もできない人だもの。働いて帰って、子ども膝に乗せて機嫌よく呑んで、そうしてたんだもの、それでよかったんだもの、洗濯やらは祖母ちゃんがしてくれて、魚は祖父ちゃんがさばいた、祖父ちゃんも祖母ちゃんもいい人、優しかった私にも、でも怒ってるんだよね、今、私だけ逃げた、ダンナも年寄りも放って行ってる、って、

私、自分だけだったらこっちへ来なかったものね、子どもが心配だった、あっちの医者も信用できんかった、子どもをあそこから離してやりたかったんだよ。

それだけなんだよね。

薔薇子さんは、真っ赤になった目を私に向けて、でも、絶体に泣かないのでした。夫や義父母には「申し訳ない」と言うのでした、必要以上に済まながっていました、でも子どもが、と。

やがて彼女にかかって来る電話の数は減って行き、途絶えました。薔薇子さんの夫は、新しい生活に入って行ったのだそうです。

仕方ないよね。そう、薔薇子さんは言い。

あの人だって淋しいんだよね、それはそうなんだよ。

そう言いました。相手の女性を、薔薇子さんは知っているようで、納得行きかねていそうな様子は感じましたが、詳しくは語らなかったし。私も聞きません。

淋しい同士がね、ひっつくって仕方ないよね、私はそばにいないんだから仕方がないよ。あの人だって仕事疲れて帰ってね。

どうにも淋しい時はあるよね、仕方ないもんね。

・・・そんな話を聞いたのは、一年ほど前の、春の頃。

薔薇子さんは張り切って働いて暮らしています、そして、長女の小薔薇ちゃんは、今年、小学校一年生。

〇っちゃんおばちゃん(わたしのこと。はじめは〇っちゃんばあちゃんだったのを、厳重注意して、おばちゃん、に、とどめた)も、何か可愛いものを、小薔薇ちゃんにプレゼントしようと計画しています。楽しい♪。

・・・・・薔薇子さんは、こういう風に書かれたとは、知らないままだと思います。

夫さんを、好きで好きで結婚した人だったよ、と、今も言う優しい女性です。さりげなく聞いてみた「皇族について」は、どうでもよく、ぜんぜん関係ない人たち、とのことです。

去年は三度、薔薇子さんと小薔薇ちゃんと大将(仮名・4歳)に会いました。






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  1. 2015.03.11 (水) 10:47
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  3. そら
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KUON様
薔薇子さんは、勇気あるおかあさんだと思います。
私が出産したのは東日本大震災の年。当時東京にいた幼なじみからはしょっちゅう連絡があり、あのメーカーのジュースは危険だから飲まないで、何処のあれはちゃんと検査してないから…等々、様々な情報をくれました。何ヶ月かの後、彼女は奈良に帰ってきました。震災関連のことを口にできない状況に心身共に疲れ果て、高校卒業からずっと居た東京をあとにしました。
おっしゃるとおり、放射能は見えず、におわず、触れず、全く感じることはできません。でも危険だということは、原爆やチェルノブイリの事故でわかっているはずなのに。
お子さんのことを案じて、こちらに来られた薔薇子さんとお子さん方が、どうか安穏でお暮らしになれるよう、私も微力ですがお祈りいたします。
  1. 2015.03.11 (水) 12:39
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  1. 2015.03.11 (水) 12:57
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コメント削除しました
  1. 2015.03.11 (水) 15:46
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  3. KUON
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@そら さん。


薔薇子さんのこと、私は、立派な方を紹介します、の意図でなく。

原発の事故で、こういう壊れ方をしてしまった夫婦関係もあります、と、いとも冷静に書いてみたかっただけなのです。

お優しいお気持ちをいただいてありがとうございます、でも、これは私が戴いて置いて、薔薇子さんには告げないし、彼女が私のブログを読むことも無いでしょう。

ただ、一組の夫婦が、好き合って結婚して子どもも授かった夫婦が、破たんした、こういうこともあってね、と、今日は少ししみじみ、感じたかっただけでした。


@ヒミツのHさん。

初めまして、コメントありがとうございます。何と返事していいやら。

Hさんのような苦しみの方にも何人もお会いして、本当に懸命に励まして・・・でも、己の無力を思い知りましたね。私は、当事者でない、という意味で。

言っていいなら。そんなに謝らないで、と、思います。謝らなくていいんじゃないですか、あなた様が悪いことは、一つも無いです。薔薇子さんのように、皆が出来るのでもするのでもない・・・ごめんなさいね、その気はないのに、傷つけてしまったなら、ごめんなさいね。

よろしければまた、つぶやきにでもいいから、いらして下さいね。



@コメントを下さって、すぐに削除されてしまわれた方。

あなた様のおっしゃることも理解できました。それは本当。ちょっとムカついたのも本当。どなたの大ファンである云々は、私は勘弁していただきたいと思うのは本当。そして。

お涙ちょうだいとでも偽善だとでも思って下さってけっこうですが、そのような人生の中、よくぞ今日までいらっしゃいましたね、頑張られたのですね、と、おそらく同年代、感じ入ったのも、本当の事でした。お体大切になさって下さいね。



@ヒミツのSさん。

あなたの仰ることもよおく、解る気はします。私も、神社仏閣手を合わせ、クリスマスも祝えば除夜の鐘を突きに並ぼうとする「日本教」の一人です。

ただ。

何度も何度も申し上げて来ましたが、私の考えでは、皇室は、こういう考えとは全く別のところにある存在です。皇室は他のものと違う、美智子さまだって、他の女性、ツマ、母親とひとからげにはならない存在と思い、それでなければ「皇室」の意味や意義を、考え直さなければいけないのです、わたしの思いでは。

これは私の考え方。同じになれとは言いません。

私が、自分の判断でどなたかのコメントを削除したのは、はっきり記憶している5回だけです。不適切なら削除してくださいと言うひとことは、私には悲しいフレーズです。ヒミツのコメントをいただいて不適切ならと仰る意味がわかりません。

私は、バカみたいにおおぴらに、自分の未熟も未完成さもさらけ出して。自分なりに、接したいとねがっている者です。自己満足でも。未熟でも。偽善者にだけはなりたくないです。





  1. 2015.03.11 (水) 22:17
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  3. そら
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KUON様
こちらこそ感情にまかせてで失礼いたしました。震災のことを気軽に口にできないということが私に引っかかったためだと思います。
今夜はゆっくりとお休み下さいね。
  1. 2015.03.12 (木) 00:18
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  3. KUON
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そら さん。

四年前にお子さんをお産みになったとのことですから、私の娘よりきっと、お若いのですね。

それなのに、大人の対応、なんという優しいお心遣い。

嬉しかったです、ありがとう。本当に。大人げないのです、わたし。とほほ。

あれからあれこれしていまして。

言葉や、心になだめて頂いて、今夜はゆっくり休めそうです。

どうもありがとう、また、いらして下さいね。

気軽に口に出来ないこと・・・大きなことが起きてしまったのですね・・・。

  1. 2015.03.12 (木) 21:48
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2015.03.12 (木) 23:09
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  3. KUON
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ヒミツのSさん。

私は、母親と三回り年の違う同じ干支の子です。五黄の寅です。

あなた様と同じ年頃、わたしもほぼ、母子3人での暮らしでした。経験と称しておフランス料理を食べたり、コロッケとスープだけの晩ごはんだったりしていました。私は実際に母子家庭の子どもでしたので、ふだんはいないが実は「いる」、父だの夫だのの存在の大きさは感じていましたね。

何が不足な訳でもないのに、どこか「ひもじい」日はありますね。しっかり生活をしている方には無いのでしょうか、私にはあります。

もっと大変な方々のことを考えろ、とかになっちゃうのですが。自分が落ち込んでいる時は、自分のことで精一杯です。(笑)・・・笑っていいのかな?

ぷつぷつ、感情の泡が水面に噴いている時は、底の方では大騒ぎかも。

私は突如怒る、とか思われているかも知れませんが。怒るにも自分なりの何か理由があるんではなかろうか、と、思っています。単に「わがまま」なだけの時も。それが多いか。

また、吐きたくなったらいらして下さい。吐けば楽になる、というのは、刑事ものドラマの刑事さんだけのセリフでは無い気もします。(笑)。

コメントをありがとう。しみじみ嬉しかったです。ありがとう。
  1. 2015.03.12 (木) 23:10
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  3. きく
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夫の上司が

お子さん全員が巣立ったのを機に、リタイア後を見据えて、千葉の海寄りに転居したのが、大震災の3年前でした。原発の事故があってから、
ガイガーカウンターを購入して自宅や生活圏内であちこちで測定したら、意外に放射線量が高かったそうです。雨上がりの日が特に高いとか。

そんなご夫妻は自分達の余命はせいぜい10~20年、多少被爆しても今の生活が良いと、そのまま住み続けています。ただ孫たちには来ないようにと、来訪を拒絶しているそうです。

千葉でもそんなに線量が高いなら、福島はもっとですね。東京も決して低くはないのですよ。

東京の多摩地区にある私の職場では、自主避難と称して翌日から二人が関西と沖縄へ行ってしまい、勤務シフトも一切無視して電話一本で退職しました。
元々仕事上も責任感が薄い人達でありましたが、今思えば仕事より優先したいものがあったのでしょうね。

他の場所での知人も震災が原因で転居の後別居し、結局は5人家族が離散して、今は一人暮らしになりました。

子供のための別居や単身赴任は、その家庭ごとの事情によりけりで、選択した結果を誰も責めることはできないと思います。

ただ大震災がなかったら、そんなことにもならなかっただろうと思えば、運命のいたずらと呼ぶしかないのかも知れません。切ないですね。
  1. 2015.03.12 (木) 23:38
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  3. KUON
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きく さん。

>そんなご夫妻は自分達の余命はせいぜい10~20年、多少被爆しても今の生活が良いと、
>そのまま住み続けています。ただ孫たちには来ないようにと、来訪を拒絶している
>そうです。

この方々のお気持ちはわかる気がします。自分もそうするだろうと思うし。チェルノブイリの行政側が「仕方の無いひとたち」「受け入れない人たち」という呼び方をしている高齢者の方々も、そういうことと思います。元の地に戻ってきた、または動かなかった方々です。

子や孫はよそへ出す。よその地方から贈られる食べ物などは、子や孫に送って、自分たちは森のキノコなどを相変わらず食べている。

・・・この問題は、触れると本当に、いろんな方を傷つけてしまうと、思い知って、へたれな私は、言うことを止めてしまったのでした。完全な答えは無いし。理想論など役に立たないし。利権がごっちゃごちゃに絡んでしまっているし。

放射性物質の危険性だって一概には言えない。蓄積であってタイミングの問題であって。ただ、かの地の医大は、信用してはならないと、初めから考えています、でも、そこを受診しろとお達しが出ているし。こう書いていても、きっとどなたかの心を傷めているのかも、と、思ってしまう。

。仕事より優先したいものがあった・・・難しい話ですね。そうだろう、という答えと、では社会人としての責任とは、とかなって。

アメリカは、自国人を、いち早く帰国させました。あの夜に既に、レインコートとマスクの姿で、帰国する、家財道具は処理を頼むと慌ただしかったエリートや。東京のKの国屋の客が、国外脱出で激減したのも。かと思えば、震災・事故後に行った20㌔県内の境界当たりでは、若い女性がマスクも帽子も無しで旗振りをしておられた。その向こうでは、全身白の防護服のひとたちが作業していた。

厳密に言えば、宇宙服に準ずるくらいのものでないと、シャットアウトは出来ないとも云われますが。使い捨てにするのにそれは不可能。私、回数だけは結構、行っているのです。私の会社の関連でも、ずううっと、ある程度の方々を、あちらへ行ってもらっています。

思うことは沢山あります。中絶された赤ちゃんもたくさんいます。生まれて元気なお子にもたくさん会いました。


>他の場所での知人も震災が原因で転居の後別居し、結局は5人家族が離散して、
>今は一人暮らしになりました。

>子供のための別居や単身赴任は、その家庭ごとの事情によりけりで、選択した結果を
>誰も責めることはできないと思います。

>ただ大震災がなかったら、そんなことにもならなかっただろうと思えば、
>運命のいたずらと呼ぶしかないのかも知れません。切ないですね。

そうですね。

本当に、本当に切ないです、切ないばっかりです。

・・・一斉に黙とうして、何かを済ませた気持ちには、私はなれない。誤解を呼ぶ発言ですか・・・。

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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