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返事の中までKUONです。

  1. おそろしいこと。
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誰にしても土下座の姿は見たくないし。




少しだけ書かせてもらいます。

私は政治に疎く経済関係も疎く、誰の言うこともわからんし、誰のいうこともそうか、と思っていた時代が長かったです。判断する能力に欠けておりました。別に困りもしなかった。

政治家の人も評論の人もみんな、もっともらしい顔してぜんぜん逆のことを言うので、どっちがどうかわからんこと多かったのでした。


2008年のことです。

この年の8月、当時の韓国大統領イ ミョンパク=李明博=が、日本のものである「竹島」に上陸した、と聞いて、奇妙な感覚に襲われました。初めて? 今までは、できなかったこと? ダメだったこと、だめなこと? 。勝手に、よそんチへ?。あかんやろ、それ。

あかんことをした明博・・・かつて日本では「あきひろ」、韓国の大統領になって「みょんぱく」。は、よそんチへ文字通り土足で踏み込んでそしてこんなことまで言うた。

うまく言えないので、ウィキペディアを頼ります。以下。原文のまま。

8月14日
李明博韓国大統領は日王(天皇)について「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」[3]「(日王が)『痛惜の念』などという良く分からない単語を持ってくるだけなら、来る必要はない。韓国に来たいのであれば、独立運動家を回って跪(ひざまづ)いて謝るべきだ」と謝罪を要求する発言を行った[8][9][10]。

「痛惜の念」とは、今上天皇が1990年5月24日に訪日した盧泰愚大統領を迎える宮中晩餐でのおことばにある表現である。

「このような朝鮮半島と我が国との長く豊かな交流の歴史を振り返るとき,昭和天皇が「今世紀の一時期において,両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり,再び繰り返されてはならない」と述べられたことを思い起こします。我が国によってもたらされたこの不幸な時期に,貴国の人々が味わわれた苦しみを思い,私は痛惜の念を禁じえません。

— 今上天皇、国賓 大韓民国大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐 平成2年5月24日(木)[11]



同日付の『ソウル新聞』は、以下のように報じた[12](日本語訳は西村幸祐による[10]。西村は『やまと新聞』のインタビューで、李大統領が「足をしばって、ひざまづいて謝罪するなら」と発言したことを伝えた[13])。


李大統領は現場で日王が「ひざまずいて」謝らなければならないという表現を使ったことが分かったが、その後、大統領府が公開した発言録からは抜けていたことが確認された。李大統領は日本の植民地問題については容赦できるが、忘れることはできず、追求すべきことは追求すべきだと声を高めた。「静かな外交」と言われた対日外交政策が強硬モードに変わったことが示唆される[10]。

「跪いて謝罪する」について西村は、「儒教の因習が色濃く残る韓国では、罪人が謝罪するときに跪かせるのが一般的で、足を縛って跪かせ、土下座させる刑罰も朝鮮半島にあった。つまり、李明博大統領の発言は「日王」が足を縛って跪いて謝罪する姿までを連想させてしまうのである」と述べている[10]。その後、『ソウル新聞』はWEBサイトの記事から「跪いて謝罪」という言葉を削除した。西村は、「面白いことに、日本人に最初に天皇謝罪発言の真実を伝えてくれたソウル新聞はその後、WEBサイトの記事を改竄(かいざん)してしまう。現在、当該ページ(『ソウル新聞』2012年8月15日)を読むと、見出しをも含め、「跪いて謝罪」という言葉は一切、なくなっている」と述べている[14]。一方、インターネット・アーカイブ・サイトには以下のように最初の記事が残されている[15]。

李明博は、2008年の韓国大統領就任以前から日本には「謝罪や反省は求めない」と発言しており[3]、大統領就任後の2008年4月に訪日すると、天皇、皇后との会見時に韓国訪問を招請した[3]。

私のへたれ部屋にしては固そうなコトバが並んでしまいました。

よお言うてくれたなあ。温厚な(と見えるらしい)私が、腹を立てた。煮えくり返りました。

あの時に私はほのかに覚醒した・・・と言えば、かっこよすぎますか。この前後にも、なんだか大事な文書をどうこうしたとか、読めば「なんじゃこりゃあ」なことがさまざまあって、ワールドカップの件「地震お祝ます」の件。

で、現在に至るのですが。



なぜ。今、こんなことを言っているかと申せば。おそらく、昨日の皇太子の腹話術ショーに於ける・・・三流以下のショーではありました・・・中の。

 ――関連質問1

 4月に、韓国大邱(テグ)市で、世界水フォーラムが開催されます。国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁でいらっしゃる殿下は、これまでに京都、メキシコ、トルコでの会議に出席されました。今回の出欠に関しては政府が対応しているとのことですが、韓国で開かれる大会について、殿下御自身のお気持ちをお聞かせいただけるでしょうか。

ご回答

 私も、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁をやっておりますので、今回の世界水フォーラムが、水問題を考える上で良い大会となることを心より願っております。

私の出席については、これは政府の方で検討されることですので、私からはコメントは控えたいと思います。


この部分。実際には皇太子の訪韓は無くなったと、憶測でなく現実のこととして読み、やはり「やったね」「ざまあみろ」の気分が濃厚だった、のでした。

水のフォーラムだの名誉総裁だの。身位に対してくっついた立場名称であるとはいえ、茶番に過ぎること。

こういうことは三か月前には「決定していること」と聞き及びます、今の時点でのこの返答では、確実に「無くなった」ことですね。行ったって何ができるわけではない。

何もしなくて、スイスの時のように誰かについてもらって遠足して来るくらいのことなら、恥ずかしくはあっても大した実害は無い(のか?
 まあ、そうしておきましょう)、が、韓国へ行ってちやほやされたら、何がどうなるかわかりません。

外へは出せない、出してはならないお方です、皇太子・なるひと氏。ツマに付き合ってずっと受けていない健康診断でも、その時期にはお受けになればよろしいのでは・・・大きなお世話です、これも。大爆笑。つい、バカにしてしまいました。

皇太子ナルちゃんは、とにかく4月の訪韓は無くなった、と、思われる。慶祝。

で。

この2008年という年は、8月に上記のことがあって、今から書くこともあって。

・・・何を書くか。

上記、韓国のイが、とことん日本をいたぶって来た後に、わが両陛下がお取り遊ばされた態度および、発せられたと記憶される「おことば」について、です。

2012年9月19日 7時0分
女性自身

「(天皇が)韓国を訪問したいなら、独立運動をして亡くなった方たちを訪ねて、心から謝罪すればいい」

8月14日、韓国の李明博大統領が発したこの暴言により、日本国民の反韓国感情は一気に高まり、その余波は1カ月たったいまでも両国で続いている。日韓関係が冷え込むなか、そのことをいちばん憂慮されていたのが天皇陛下と美智子さまだった。


↑ これは、女性誌が報じたこと。・・・「天皇陛下と美智子さま」って・・・(笑)。



・9月4日、両陛下は御所で、外務省の鶴岡公二総合外交政策局長からご進講を受けられた。局長からのご進講は両陛下が定期的に受けられているもの。

・「テーマは中国との尖閣諸島問題、韓国との竹島問題などについて。

・局長は、日本政府の対応についてご説明し、両陛下からもいろいろご質問があった。

・鶴岡局長を驚かせたのは、天皇陛下の

「いつ私たちが、かの地を訪れることができるようになればよいのですが。これからも日本と韓国が友好な関係を保てるよう願っています……」。


再び、自身誌より。


「天皇皇后両陛下は、かねて”日韓の友好のためなら”と、韓国ご訪問の希望を持たれていました。しかし外務省としては、現状の日韓関係で両陛下の訪韓が実現するという想定はしていませんでした。さらに先日の李大統領の発言もあり、省内には”訪韓は10年どころか100年は遠のいた”という職員もいます。それにもかかわらず、ほかならぬ陛下が訪韓を諦めてはいらっしゃらなかったのです。あくまでも国際平和を願われる陛下のお気持ちに心を打たれました……」

陛下と韓国問題についてお話しした、ある国会議員がこう打ち明ける。

「陛下は”政府が望むなら、もちろん訪韓したい”とおっしゃっていました。さらに”私は両国の友好のためなら現地で謝罪を述べることも、やぶさかではない”とまでおっしゃられていたのです」

“ご自身への反感を露わにする韓国での謝罪も辞さず”、陛下はそんな悲壮な覚悟も決めていらした。両陛下の願いとはうらはらに、はるかに遠い国になってしまった韓国。天皇陛下と美智子さまの日韓友好を願う魂の叫びを韓国国民には知ってもらいたい。


いや。三年たった今、これを読んで素直な感情は

「「天皇陛下と美智子さまの日韓友好を願う魂の叫びを韓国国民には知ってもらいたい。」」

いやいやいやいや、そうは思えませ~ん。なのですが。

どこの国のどなたの話なのか。よくわからない。

話題にのぼっても、土下座の話は私は好きでない、あの姿を見たくない。

なんだか、とてつもなく奇妙な感覚にフラフラします(うそ)。

殿下はともかく陛下について書くと、びっくりするような反感を買ってしまうようですが。奇妙な感じがします~と、思っているのは本当のことですし。陛下は土下座しろ、と恩知らずの国の大統領に言い放たれて、私の胸にも傷がつきました。

私は、普通の日本人だからだと思います。

さんざん、さんざん、謝らされてお金のタネにされて嘘つかれて、まだ謝罪しろと言い募る国にを、訪問して謝るにやぶさかではないと、読んで私は肯えません。

何を仰るかとギクリとします。自分の国を、まだ、貶められますか。おそらくお気持ちは変わっておられないと思えば、いわゆる「日本は悪い国」「謝らなければならない国」が、ご自覚の核なのでしょうか。そういう考えを「自虐史観」というのではないかと考えます。

何もかも集約して、おかしいのではないですか。


2008年、この年、直後の秋には「ヤフオク事件」が起こり、懸命の火消しがなされました。景気がどんどん悪化していった時期でもありますね。



・・・当分、コメントのお返事は控えさせていただいています、裏コメもメールもすべて、読ませて頂いております。

今日もご訪問、この箇所までのお付き合い、どうも本当にありがとうございます!。









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  1. 2015.02.24 (火) 19:05
  2. URL
  3. まりりん
  4. [ edit ]

2012年9月は、民主党政権ですね。
ある国会議員て誰なんでしょうね。
本当におしゃったのかはわかりませんが・・・

最近の発言を思うと、両陛下が戦後の自虐史観にどっぷりとはまっていらっしゃるのは判ります。
あの頃、アキヒロは土下座発言だけでなく、日本乗っ取り完了宣言までしていたんです。

このままでは、実際に中韓朝から、戦争を仕掛けられなければ目が覚めないのではないでしょうか。
9条信奉者と同様に。
それとも、それでも戦争はよくないとおっしゃるのでしょうか。
  1. 2015.02.24 (火) 21:37
  2. URL
  3. アビ
  4. [ edit ]

KUON様 今晩は。
ブログの更新ありがとうございます。^^

私も政治経済はまるで分らず過ごしてきました。
只、一生懸命に働いて家族を守ることだけに専念しておりましたから。
竹島も韓国大統領が上陸して占領されていたんだ・・・と知りえた位に疎かった。
天皇陛下に対して侮辱発言が、私の中に眠っていた日本人魂を揺り起しました。
韓国、中国が嫌いな国となりました。
韓国には1度だけ行きましたが、海外旅行に何回か行って唯一コンダクターと喧嘩して
帰って来たのは韓国だけです。二度と行きたくない国になりました。

17日に64才のお誕生日を迎えました。
今年のお誕生日は体が動く、歩ける、目が見える・・・
まだ、やりたいことができる自分でいれることがとて嬉しかった。^^
東京大神宮と靖国神社にお参りしたのですが
それぞれの神社の「気」がまるで違うのにも驚きました。
縁結びの神社で有名な東京大神宮は何だかあたたかな「気」がし
靖国神社は張りつめたような「気」を感じました。

自分語りになり申し訳ありません。(-_-;)

  1. 2015.02.28 (土) 14:42
  2. URL
  3. KUON
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コメントを頂きありがとうございます。

@マリリンさん。

中学生の時に敗戦で、生命の危険を感じながら日をやり過ごし、英語圏の家庭教師に感じやすい年頃の4~5年間、教育された。それが今上。

そして、多くは申しませんが、表へは出ないまま来た皇后さまの入内までの日々。

一つ一つのお言葉云々でなく、まとめて今、改めて冷静に考えてみると。

敗戦とともに失われたもの、のこと、今の感覚で語り切れないとはいえ、突きつけられる「おそろしさ」、夢目にもうなされそうです。

拘っていないで「捨てて」しまえばどうってこと無い、と、答えの中の一つは、そうなんですが。どっぷり日本人なんですよ私。



@アビさん。

小学校の時は毎朝、校庭で、国旗掲揚していました。当番の時は、国歌に合わせて旗を揚げられるかどうか、けっこう真剣になっていました。旗日に掲げていた町中の国旗も、猛スピードで見られなくなり。

どんどんいろんなもの捨てて行って、新しい華やかなものに目を奪われて、団塊世代の尻尾の尻尾。

いま、気づいてみると、戦後70年、日本の現状はこう、とか思ってびっくりしますが。

自分の中身は逆行して行っていて、むかしフンっと聞いていた「古い」人たちの言っていたことなど、たまゆらに思い出して愕然、と申しますか。あんなこと、あの頃、言うてはったなあ、と。

いきなり皇室に、こともあろうに人もあろうに「雅子さん」が出現したわけも、ないんだよなあ、と。

数年前から、「その日」にはmy国旗を掲げています。三角屋根の窓のある白い家の玄関に似合わないと若いモンに不評なので、それもそうであろうと、自分の部屋の濡れ縁のところに。

皇室がどうであろうと、私は、昔っからの日本人。日本の国旗は日の丸ですもん。














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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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