KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

りべらる?。



若いご夫婦のお宅へ、ちょろっとお邪魔しました。昨日。

玄関先で用だけ済ませたい旨、お伝えしていて、そのように配慮して下さったので、嬉しかったのですが。

もう一つ嬉しかったのは、玄関の靴箱の上に、綺麗な色の敷物が敷かれて、ガラスのケースが置かれていて。

ケースの中に、小さな赤ちゃんの靴が、飾られていたのです。

初めての赤ちゃんが生まれた時に、私がプレゼントした靴でした。

好きなブランドは聞いていたから、そこの、水色を主体の、ファースト・シューズ。

サイズはどれくらいでしたか、とにかく小さくて可愛い靴、選びながらワクワクしたものでした。

もう今は、だんだか歩いて、室内のいろんなものをなぎ倒す勢いで動き回っているそこの嬢ちゃんの足を、初めてくるんだその靴を、飾って下さっていた。

胸がふわっと浮き上がって、半日、幸せな気持ちが続いていました。

こんな気持ちを、ありがとう、と、言葉には しないで、心の中で温めていましょう。(笑)。


ファーストシューズといえば。

紀子さまが悠仁さまを無事にお産み下さった時。

満面笑み、全身笑み、の天皇陛下と、手の上に何やら乗せた皇后さまが、病院を訪れられた。

皇后さまの手の上にあったのは、こじんまりした花のアレンジメントと、小さな可愛いベビーシューズでした。

白いふわふわした感じの靴は、とても可愛く、幸せそうに見えました。

どうして、あの靴がラッピングされていないむき出しで、片方だけだったのか。

靴もお箸も、普通は一対で「ひとつ」。

ふと思い出して、今もやはり不思議です。もちろん、両脚分そろったお靴であったとは、わかってはいるのですが。

むき出しの靴、片方。私には不思議な感覚です。


この話題はさておき。

これも、初読の時、頭の中に???が飛び回った記事。

皇后さまのご実家、正田家の、お母さま「ふみ」「あるいは「富美子」さんが、どこやらの雑誌の記者に語った、という話でした。

上品なお方だな、とずっと見ていました。でも、いつも、うつむくか、目を逸らしておられるか、の方の印象でした。

これも後になって、天皇家からの「美智子嬢のご入内を望む」お話に対して、

・しっかりと言わせて頂きました。こういう話(結婚にかかる)は、闘争の意味もありますからね。

・しっかり言わせてもらった、あちら様が、よく聞かれたと思うくらい。


などと発言しておられると知った時、けっこう大きな驚きで「へえええ」と、感じた記憶があります。

すごいな~、という感覚だった気がします。お母さまは、長女さんを、入内させたくなかったと言われていますね。

・・・・・・ということも↑冒頭に置きました。以下、引用をさせていただきます。途中の行替えはKUONがした部分もあります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


:2009/09/28(月) 20:33:52 ID:HBrdDJHo0母・正田富美子さんが本誌の語った衝撃の回想録①

「私たちとしては思ってもいなかったことで、どなたにもご相談申し上げることもできない問題で
ございました。
それだけに、本気で考えねばならなくなった後は、ほかの子供たちにもよく話して、じっくり
話し合いました。ですから、ただいまは、まったく悔いのない気持ちでございます」

美智子さまの母・正田富美子さんがそんな胸中を話していたのは昭和34年の晴れのご成婚(4月
10日)の直後だった。

「(娘は)皇族に差し上げたもので、もう正田のものではございません」

そういって、母と娘の越えてしまった一線を、距離をおいて見守り続けてきた富美子さん。
そこにはいつも、毅然とした明治生まれの気丈な母の姿があった。
だが、5年前、本誌の取材に"あの日"からを振り返る富美子さんの話しぶりはかなり様子が違っていた。

「それは妃殿下は本当にお幸せでいらっしゃると思います。皇太子殿下にはお優しくしていただき、
また、いろいろな方々から、いつも助けられておいででしょうし……。
でも、私にとっては大変な歳月でした。あのときから、私の人生はガラッと変わってしまいましたー」

昭和60年3月4日のことだった。
その日の午後、本誌は東京・品田区東五反田のご自宅で富美子さんにお目にかかった。天皇陛下と
美智子さまのご結婚記念日に合わせた特集記事に、富美子さんの時々の思いを寄稿していただこうと、
お願いに伺ったものだった。

結果からいえば、この依頼は受けていただけなかった。けれども富美子さんは、
「私たちのこれまでを、少しでも理解していただける参考になれば……」
と、約2時間、胸の内をお話しくださった。

:2009/09/28(月) 20:36:07 ID:HBrdDJHo0
母・正田富美子さんが本誌の語った衝撃の回想録②

「そう、いつの日からだったでしょうか。朝、起きて窓を開けると、庭の塀の外からもうカメラマンが
カメラを構えているんです。ええ、四六時中です。私はあのときから、カメラが大嫌いになりました」
正田邸の玄関を入ってすぐ右にある応接室。富美子さんはソファに腰かけながらも、ピンと背筋を
伸ばしてこう続けた。

「私は、もともと大がつくくらいにカメラが好きでした。子供たちのスナップを撮ってきたのも昔から
私でしたし、8ミリだって撮影機が出たばかりのものをすぐに買って、私が撮っていたんです。性分なん
ですよ。子供たちにきちっとしたものを残してやりたかったんです。

でも、それがカメラに追われる立場になると、もういやでいやで、見るのもいやになってしまいました。
漠然とですが、2人の息子と、2人の娘が成長して孫が生まれたら、8ミリを回すようなおばあちゃんで
いたいと思っていました。でも、私はあの日からカメラを捨ててしまったんです」

細い身体、すっかり白くなった髪。ときおり見せる笑顔と白い歯ののぞく口元に気品が漂う。だが、
口調は意外なほどに早口だった。

「私の描いていた老後の楽しみも、ある意味では奪われてしまいました。
たいしたことじゃないけど、私は焼き物(陶芸)が好きだったんです。美智子も焼き物は好きでした。
だから、いつの日か"焼き物を教えて"っていわれるようなおばあちゃんになりたかったんです。
こういうことは理屈じゃないんです。できないこととはわかっていても、年をとるにつれて自分の夢
だったことへの思いが強くなって……。

もし、美智子のことがなかったら、私はいまも趣味の中にカメラと焼き物があったと思うわ。ふたつ
ばかり楽しみを奪われたということかしら」
応接室の暖炉の上には高さ3センチほどの小さなお雛さまが飾られていた。お雛と、め雛に背を向けて
座る富美子さん。

「最奥の縁組と、最適の縁組とは違うんですよ」

と、富美子さんはポツリとつぶやいた。
「いろいろなことで苦しみました。ひどいこともされました。どうして、私たちが……と、あのころは
そう思い続ける毎日でした」
富美子さんがはじめて視線をそらした。

:2009/09/28(月) 20:39:03 ID:HBrdDJHo0母・正田富美子さんが本誌の語った衝撃の回想録③

"ひどいこと"と富美子さんがいうのはどんな出来事だったのだろう。
「それはお話したくありません。ごめんなさい。その当時の日記だって、もう読み返したくないんです……」
富美子さんはずっと以前から日記をつけてきたという。長男の巌さん(現・日本銀行監事)が生まれ、
また、美智子さまが成長されていく過程では、それは育児の記録でもあったそうだ。

「いまもちゃんと残してありますよ。ええ、あのころのものでもね。そんな話をどこからかお聞きになって、
私の体験したことを本にしないかという依頼は何回もありました。でも、それはごめんだわ。あんなにつらい
思いは絶対に人さまに知っていただきたくありません。

でも、もし、私が当時のことをありのままに書きしるしたり、また、話したりしたら……そこに出てくる
人たちはみな、こうおっしゃるでしょうね。"正田のばあさんは気が狂った"とね。それほどのことをされて
きたということかしら……。

日記を公表すれば、少なくとも100人以上の方にご迷惑がかかると思います。そのうち50人近くの方は、
すでにお亡くなりになりました。でも、ご健在な方は、きっと、お困りになるでしょう……」

妙に富美子さんの言葉が乾いて聞こえた。応接室にはしばらくの沈黙が流れた。
「もちろん、いちばんご迷惑がかかるのは皇太子殿下で、そして妃殿下でいらっしゃいます。だから、これまで
のことは私が静かに胸の中にしまっておけばいいことです。美智子も、親子ですから、そういう私の気持ちは
知っていると思います」

愛娘ではあっても、敬語を使い、"妃殿下"とお呼びになる富美子さん。
それが、あの日からの母と娘のけじめかもしれない。だが、何かの拍子にポツリと出る"美智子"という名前。
その呼び方の違いに、母としての複雑な思いが凝縮されていたのかもしれない。

:2009/09/28(月) 20:41:23 ID:HBrdDJHo0母・正田富美子さんが本誌の語った衝撃の回想録④

ある年、美智子さまは妹の安西恵美子さん(昭和電工常務取締役・安西孝之氏夫人)の自宅でのホームコンサート
にお出かけになった。父・正田英三郎さんも、富美子さんも一緒だったひとときに美智子さまは、「暖炉のそばで、
いつも母と一緒に音楽を聴きたいものですね」と、おっしゃられたという。それは美智子さまと富美子さんのかな
わぬ望みでもあったー。

「私ども、みんなそれぞれに忙しくしておりますでしょう。そのせいか、昔から夕食後は家中がなんとなしに
食堂から居間に移って、冬は暖炉を囲みながら、夏は軽井沢で夜遅くまで話し合う習慣ができておりました。
それで子供たちがいろんな心配事に直面しても、親子でその都度話し合えましたから、母親としては幸せで
ございました」

いまから20年ほど前、富美子さんは母としての自分をそんなふうに語っていたことがある。
ちょうど末っ子の修さん(現・日清製粉社長)が大原泰子さん(元倉敷レーヨン社長・故大原総一郎氏次女)と結婚
したころのこと。2男2女の母が、4人の子供たちを夢中で育て上げ、独立させ、ようやく自分の時間ができたときで
もあった。

「でも、こんなおばあちゃんになっても出かけていく用事はちっとも減らないんですよ……」
そう話していたのは5年前のこと。
本誌の記者に富美子さんはふと、こうつぶやいた。

「でも、忙しくしてるほうがいいのかもしれないと思ったりもいたします。自分の時間があり余って感傷に浸る暇
のないほうが……」

美智子さまを、常に一定の距離をおいて見守り続けてきた富美子さん。そのころへのもどかしさはなかっただろうか。
「いいえ、それはございません。不自由なことが多いんでしょうって、尋ねられる方もありますが、皇太子殿下
には心苦しく思うばかりに、いろいろお気遣いをいただいてまいりました。主人(正田英三郎さん)の還暦のとき
などには、おそろいでこちらまでおいでくださったこともございました。

もちろん、世間の親子のようにはまいりませんこともあります。でも、それ自体は窮屈とは感じません。
それよりも、人さまから私たちに向けられる目や、声のほうが、よっぽどつらかったわ」
 富美子さんは、そう唇をかみしめた。

:2009/09/28(月) 20:43:31 ID:HBrdDJHo0母・正田富美子さんが本誌の語った衝撃の回想録⑤

 "それは、たとえば……"と、尋ねようとしたとき、富美子さんはちょっぴり表情を和らげて、こう続けた。
「私たちの言葉が足らなかったのかもしれませんが、私たちのひと言がずいぶん誤解されたことはありました。
それでも私たちは何をいわれてもいいと思っていました。でも、振り返れば、どうしてと思うぐらいにつらいこと
はありました。

とにかく、あらかじめ話し合っていたことでも約束が違いすぎました。こんな思いで苦しむのはもうたくさんです」
妃殿下の母としての30年近い歳月。

「いまの私のいちばんの願いは、そっとしておいてほしいということかしら……。おばあちゃんは静かに死んでいけば
いいんですよー」
正田富美子さん、75歳のときの言葉だ。

(「週刊女性」昭和63年6月14日号~7月12日号に連載したものを再構成しました)

『美智子さま愛と激動の32年 民間初の妃殿下から皇后までの全軌跡』


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


云ってみれば、週刊誌に掲載された記事ではあります。が。

こんなことは言っていない、というクレームその他は無かったようで。

・・・思うことはありますが。

まあ。ご苦労をおかけしたのですねえ。という感じ?。国民としては、申し訳なかったですねえ、とか、いわなアカン?。

一般の家でも、娘を嫁がせた母親が、ここまで何か含みのあることを外へ向かって言ってしまうとは、信じ難い気がします。

少なくとも、私の母親は言わなかったし、私も、娘の婚家に対しては言わなかった。私も娘も「出来の悪い」ヨメだったし、とてもじゃないが畏れ多くて、言えなかった。というのが、本当のところかなア。(笑)。

しっかりしたお母さまだったとは定説ですが。母親と娘はやはり、似るモノかと。改めて思いました。

黙っちゃいないのですね、りべらる、でもおあり?。






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コメント

私は・・・、
洩れ伺っておりますので。

そういうお気持ちだったんだなあと、
富美さんには、肩をなぜて差し上げたい気がいたします。
誰にも、
確かに誰にも言えないことですから。

ほんとに、あれはあんまりなことでした。
娘を持つ母親なら、みな、身を引き裂かれる思いがすると思います。

ファースト シューズのお話し、素敵ですね!


悠仁様の時ね 。。。
なんか、気持ち悪さが残ってしまった。

海外には、生まれて片方、歩き始めて片方で一足の贈り方もあります。
とコメで、読みましたが、

日本の皇后陛下が、宮家の親王様、誕生のお祝い。
マスコミも沢山きていました。

多くの、お年を召された方も、テレビを見るでしょう。

先ずは、花だけとか、、、

そんなに、靴を贈りたければ、退院されてから、
お祖母様から、というふうに贈ればよろしいのにと、思いました。

やはり、靴でも、
ファースト シューズは、特別ですね。
ラッピングは、真っ新ですよ。の意味も、ありますし。。。

出産祝い、、、やはり、万が一、
昔は赤ちゃんの死亡とか、赤ちゃんの物を贈るのは、産後退院してから、と聞いたことあります。

KUON様
新年の挨拶以来、御無沙汰致しました。

記事はずっと拝見しながら、私的事情で投稿出来ず、枕カバーを噛みしめていました。

最近の美智子様への皆様の評価が随分変わって来ましたね。
幾重もの美しいベールが一気に剥がされてしまったような…。
やはり、オランダ国王夫妻お見送りの時の「あの1枚」が決定的だったのでしょうか。
そう言えばあの時もあんな事もこんな事もって、出てくる出てくる、わらわらと。
私自身は幼い頃からのイメージと現状をリンクしつつ、出来るだけ平らかな思考を心がけていますが。

もっと書きたいのですがスイッチが切れそうですので失礼します。
乱文お許し下さい。

KUON様、
いつも拝読しておりますが、初めてコメントさせて頂きます。
私も美智子様には、自分でも信じられないほど落胆しております。裏切られた感じです。
その決定打は昨年の会見で「A級戦犯」という言葉を使われたことでした。
戦犯とされた方々の名誉はとうに回復され、日本に戦犯という人は存在しません。
それにも関わらず、皇后様が公式会見で私達のご先祖を戦犯呼ばわり・・・・
悲しいですが、美智子様の延長線上に雅子さんの存在があるのでしょう。

ららら♪さん。

お返事遅くなり申し訳ござ・・・とか言ってるより。

お書きになられてる内容が、なんなのこれ何のこと、ああ知りたい、痒いところに手が届かないようでございますわぁああああと、うにゃうにゃしてしまったKUONです。

・・・やはり。あのことでせうか。あのこと? それとも、あの・・・。

富美子さまを「撫でて差し上げたい」そうなのですか・・・。

とにかく「どうしても正田美智子さんでなければ」だったかのごときことでして。

戦後10余年。日本は復興の勢いを増していて、「もはや戦後では無い」とか、しかし敗戦によって壊れた男たちは、アルコールの亡者になっていた頃、子どもがどんどん生まれ出て育って行く過渡、つまり、食べ物はどれだけでも要った頃、小麦で作ったパンの給食が落ち着いて行っていた頃。

今あらためて拝見すると、長女ご入内の頃の富美子さんは、まだ、50歳にならない(?)ご年齢の方でいらしたのですね。

太宰の作品に出て来る、何でも知っていて口の堅い、紬の着物の襟もとをきっちり詰めて着こなしているのが常の、束髪の女性のような語り口で・・・

プリンさん。

>やはり、靴でも、
>ファースト シューズは、特別ですね。
>ラッピングは、真っ新ですよ。の意味も、ありますし。。。

同じこと思いましたね。

あえてラッピングに拘らず、ざっくばらんな感じでお渡ししたいプレゼントってのもありますが。

私の気持ちを書かせていただきますと。

中身が「どんなん」であろうと「東宮」の身位に対して、あの 夫婦にアタマを下げるお方のなさりようとして、あれ。

悠仁親王のご誕生は、心ある日本人みなの、慶びであり希望の源になる大きなことでした。のはずでした。

紀子妃殿下は、ご出産の前にご家族揃っての写真を撮られた・・・もしも、の時を想定されて・・・母子の危険のある時は、母体でなくお子さまの方を救っていただけるよう、医師に願いを託されて、ご出産のことにあたられたと聞き及びます。

それ自体は、ことさらな美談にされてしまうようなことを、躊躇なさる妃殿下と思いますが。

とにかく、皇位継承にかかわる(国民にとっては)奇跡のような恩寵そのものの大切な男のお子さまが産まれておいでになり、そこへ、両陛下が見舞いに行かれた。

ううう、ごちゃごちゃ遠慮しいしいモノ言うとなかなか言えません。

あそこまでカジュアルに行かれたってどういうこと。

美智子さまの4人目のお孫さんが生まれた。それだけのことでしたか、それだけのこと、みたいに、なさりたかった? だって、東宮のお子をその次の皇太子に、とお考えなら、単に、次男宮家の3人目、というだけのことになりますからね。

ナルの次がナルのお子さん、なら。男の孫も授かっちゃった、だけのことですものね。雅子さんの気持ちを忖度されれば、東宮夫婦が〇わ〇そう、になります。

まさか美智子さまにしても嬉しくないはずはない、ご夫君はお喜びですし。

でも、長男とこに気を遣っちゃって。遣ってあげなければいけないし、ですから、ここはひとつ、思い切りカジュアルに、喜びを表現しておきましょう。

おめでとうきこちゃん、ってなもんで。

・・・こんな深読みも、意地悪な感情も、好きでは無いですが。

どうしても皇太子は皇太子であり、次代はその子どもに、なのなら、悠仁さまは、弟宮家の三人目の子、男の子も欲しかったみたいだし、よかったわあ、と。

皇后さまは絶体に、意味の無いポーズをおとりにならない賢いお方ですから、こんな感じでお祝いしますわ、で、ああなったのかな。と。

こんなこと、考えなくてはならないのって、実はイヤですが。そんなに外れていないと考えています。

深読み。。。
うーん、納得。

「皇后様は賢い方。意味の無いポーズはなさらない」

そう。
この一言。

昔、多くのマスコミ陣の前で、皇太子の肩に、顔をうずめたのも。
沖縄で、陛下の胸の前に手を差し出したのも。。。(爆発だったかな)



ぶんこ さん。

枕カバーを噛みしめて、って・・・具合を悪くしておられました?…多くはお訊ねしませんが、でも少しでも書いて来て下さり、ありがとうございます。

>私自身は幼い頃からのイメージと現状をリンクしつつ、出来るだけ平らかな思考を心がけていますが。

・・・わたしも、言うまでも無く、過度にどうこうしたい考えはないのです。ただ、あれこれ、自分の中で、抑えておきにくい疑問が湧いて来て、美智子さまを攻撃する、というのではなく、ゆっくり考えながら、自分なりの疑問に、触れて行きたいなと思っています。「皇室」から離れることのおそらく出来ない、普通の日本人の一人として。

     窓外の今日は明るし病みませる君よ すぐそこに春は来てをり

レオさん。

初めまして。お読み下さりコメントを下さり、ありがとうございます。

>悲しいですが、美智子様の延長線上に雅子さんの存在があるのでしょう。

これですね・・・そんな風に考えられもせず=当然に=来ましたので、あれこれ、今、モーレツに「過去」を辿りながら、あらま、と。

こんなん言うてはるやん。

こんなこと言うてはったんやん。

と。グラグラしています。自分で、今の状態は今、見えていますので、過去のおんありようと繋がってしまっていることが、衝撃というか・・・。

雅子さんが「おかしい」と書いて「そうよ」と応じて下さった方が、今後、どんな反応をお見せになるか、わからないのですが。

私は、私の感じるように、でも心しながら(雅ドンと皇后さまは、これは絶対、同レベルではありませんので)疑問をまとめて行くのかな、と、考えています。

プリンさん。

でしょ。

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としどしに わがかなしみは ふかくして 

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