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返事の中までKUONです。

  1. 今の思い
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引き取りに行ってあげる。


    捜索は打ち切られたり この世にて会ひししあわせをその妻の云ふ


世界で初めてマッキンリーへの冬季単独登頂を果たした後に連絡が取れなくなって。

冒険家・植村直己さんの命日は、登頂成功の翌日・1984年2月13日頃。となっています。

2度行われた捜索活動が打ち切られたことも、テレビで知りました。

男の偉業も気になるが、そのうしろにいる女の気持ちも私は気になります。

植村さんの奥さまは、幾つか年上の方で、自宅で書道を教えながら、夫を待っておられた。お子さんはありませんでした。

地味で小柄な、柔らかい微笑の女性だったと記憶します。

捜索がもう終わり、となった時だったと思いますが、奥さまは、お世話をかけた皆様に感謝します、との挨拶と共に、

「この世で、あの人に会えて幸せでした。」

のようなことを仰ったのでした。

果てしない氷の大地を一人で走破して。生肉をかじって、凍傷だらけになって。

激しい日々の中から帰国して、奥さまのところへ帰って植村さんは、大きな図体して、

「公ちゃん、公ちゃん」

と、甘えておられたそうです。公ちゃん=キミちゃん。公子さんというお名前でいらした。

二人にしか解らない「しあわせ」がおありだったのでしょう。・・・つい、うたに詠んだのが冒頭の一首です。

思い出したので掲げてみました。


もうお一人、ここ数日に思い出していた女性のこと。

2004年5月、イラクで、誤射だったと言われますが日本人ジャーナリストが、同行の甥御さんもろとも銃撃を受けて亡くなった。

橋田信介さん。62歳でした。

ちょうどその頃、橋田さんの著書を何冊も、読んでいた時期でした。

「戦場の黄色いタンポポ」「戦場特派員」エトセテラ。

大好きな漫画家・西原理恵子の、戦場カメラマンだった夫=途中で元・夫に降格(笑)=との迫力共著「アジアパー伝」シリーズにも、橋田さんがちょくちょく現れる。いわく「民青あがりのおっちゃん」「回転寿司屋でにこにこ、資本主義的気遣いで、お会計は沢山カセギのある当方で、と申し出るのに、共産主義的対応でハシダさん、ああそうですかと即答。にこにこ」、こんな感じ。一番稼げていた分のおカネは日本〇〇ニュース社にダマサレて巻き上げられて、と、酔うたびに泣く・・・とか。面白かった。

西原・元・夫の鴨ちゃんは、橋田氏の弟子だったのでした。弟子だった当時に鴨ちゃん、ポルポト軍に拘束されたりしていた。

前置きが長くなりましたが、とにかく橋田さん銃撃死はショックでした。

夫人の幸子さんがカメラの前に出て来られて

「覚悟していたから」

遺体を引き取りに行く、と毅然と言い放たれたのは、鮮烈でした。

ぱきっと美しい女性で、泣きもわめきもせず、笑顔ですらあって、夫を引き取りに行く、と。

「あなたはそうしたいのだから、戦場へでもどこへでも行けばいい。

わたしは、あなたが死んだら、どこへでも引き取りに行ってあげるから」


夫君とはそんな約束をしていたのだと、実際に行かれたし、頭部を撃ち抜かれて亡くなった橋田さんの血痕の残る帽子が遺されていたのを、示して、可愛いでしょ。つぶやいていた。

日本人はおそらく(私の感覚ですが)こういったタイプの女性に慣れておらず、どう扱っていいか戸惑いがあった様子で、やはり、

「夫が死んだのに笑顔だ、誇らしそうでもある、全く悲しんだ様子ではない」方面の叩き方も試みていた覚えがあります。

夫人はその後、橋田さんが約束していた、戦傷で失明しかかっていた男の子を意志を継いで日本へ招き、手術は成功した・・・のだったと思います。

詳しいことや、その後の夫人についてはともかく。

橋田さんは、手元に残った自分の著書の、表紙をめくってすぐの白紙の部分に「遺書」を書き残しておられた。

当時、その全文を読んだのですが、今は資料も無く記憶も朧になっています。

覚えているのは、妻・幸子といて、自分の人生は幸せであった、と記されていたこと。

はじめてのきすのこと(いいオッサンの年齢になっていてのこと・彼には再婚で得た奥様でした)や、妻が息子を産んでくれてその子が、カーテンの揺らぎの下ですやすやと眠り・・・のごとき、優しい静かな情景の描写のあったこと。

「あなたはしたいことをすればいい、どこで死んでも、私が、引き取りに行ってあげる」

・・・そう言ってくれる妻に、どんな深い思いを抱いておられたかなあ、と。


「共白髪」は叶わなくても。どちらのカップルも十分・・・、と、考えていました。



・・・今の段階では、凶暴な集団にとらわれていると言う日本人のお二人がどうなったか、わかってはおりません。

わたしはお二人に、初めから共感、共鳴の思いを抱けないでいるのですが、耳に入るどんな話も、なんだかなあ。

植村さんや橋田さんを、むやみに崇め奉る気も、無いのですが。








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  1. 2015.01.24 (土) 17:20
  2. URL
  3. ハシビロコウ・ウナ
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全快祝い

毎度おおきに
植村さんとは二度呑みました
雪原には『色』がまったくないと話されました
寝る前に週刊誌などのカラーページを見て
『色』を補充して眠るそうです
白一色の世界を生き延びるには
雑多な色は刺激となり精神の平衡を保つものだと云われました
とりわけ一番の色は
日の丸の赤だそうです
(記憶はあやふやですが)
握手をした彼の掌は柔らかく大きかった。でしゅ。
  1. 2015.01.24 (土) 21:48
  2. URL
  3. KUON
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ハシビロコウ・ウナさん。

ウナといえば「ウナセラディ東京」ザ・ピーナッツの名曲でした。失礼しました。

全快祝。ありがとうございます。もう何でも食べられます。食欲がすべてのバロメーターのごときわが身にございます。

いろけが抜けると。生きていることが、すべてがまことに軽快。らんららら~でございます。(笑)。でもまだ、極私的にいささかは残っておりますね。埋み火。それさえ消えてしまったら、世界は砂漠のごとしとなるでしょう。極私的、が、ミソ。埋み火。美しい言葉ではあります。言葉遊びは楽しいものです。

・・・ウナさんのペースで、なんぼでも行ってしまいますやんか。

植村直己さんと、2回も、ご酒を楽しまれた。羨ましいですね。飲めない人間は、そういう機会も無いまま、です。飲めるからと言って、誰もが植村さんと一緒に呑めるわけでもない、これも真理ですが。楽しくお酒を飲む方だった気がします。

世界のすべてが白。ただ白、白一色。イヌイットの言葉に「白」をあらわすものが、かなり多いと聞いたのも、そういうことなのでしょうか。記憶違いか、アザラシのお腹をざあっと開いた時の色彩について書かれたものを読んだ気が・・・ものすごく、そこは、美しい世界だったと。湯気もほやほやで。

・・・植村さんの掌が柔らかかったとは、ちょっと驚きです、犬ぞりを引いている姿のイメージがあり。でも、素手で引いているのではないですものね。

日の丸は、まこと美しい気高い国旗と思います。

  1. 2015.01.25 (日) 00:24
  2. URL
  3. アビ
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KUON様 今晩は。

冒険家 植村直己さん
ジャーナリスト 橋田信介さん
お二人とも、その方らしい人生の終え方ですね。

年明け早々嫌なニュースが多いです
マスコミの報道もどこまでが真実なのか・・・。
昨年末で新聞購読をやめました。読むたびにイライラするので・・・
活字を読むのが好きで、毎朝朝刊を読んでからの習慣が無くなりましたが不便は感じません。

神社の初詣で
生命の言葉 平成27年1月
 しきしまの 大和心のをおしさは ことある時ぞ あらはれにける

明治天皇の御製の短冊がおいてあり頂いて帰りました。
明治37年、日露戦争の折に詠まれた御製。苦難のときこそ日本国民の
雄々しさはあらわれる。一致団結し凛としてみんなで乗り越えよという
励ましの御心が込められている。
東京都神社庁
と裏に記されておりました。

今年はいろいろ起りそうな感じがしドキッとし
あらゆる面からも次代に繋げる為に日本を大切に守らなければと再認識しました。
  1. 2015.01.25 (日) 19:46
  2. URL
  3. KUON
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アビさん。

新聞購読お辞めになられましたか。

私はまだ諦めきれず・・・朝、お気に入りの椅子にだらっとして新聞読むことを止めるのを・・・とっていますが、つくづく阿呆な記事ばかりです。

気が狂っている以前の???なあのGとやらいう男性の母親の言ったことが、あんなにまで滅茶苦茶な編集されて。新聞自体が正気の沙汰と思えません。が。まだ、毎日新聞とってます。何十年間。

>しきしまの 大和心のをおしさは ことある時ぞ あらはれにける

明治天皇の御製は、ある意味「紋切型」で、そのゆえに「天皇の御製」らしさに満ちていますね。

自分で勝手に行って、捕まったら首相を呼び捨てに助けろと当たり前に要求をする。生まれたばかりの赤ん坊を置いて行って、つかまったら「会いたい」と言う。エラそうなこと。

同士だったか仲間だか、アグネスチャン氏はこういう時こそ立ち上がり、ではなく、ショックでブログ閉鎖です。本当に下らない人間。大嫌い。日本ユニセフ協会は、救出に関係ないって。お里が知れます。

沢山の寄付金をプールしているのだから、仲間のために喜んで出すと思いました。(笑)。

まともな人間が一人もいなくて、ニュースも聞く気がせず。お腹の上に乗せられた「はるか」氏の頭部も、あまりにも巨大過ぎ。ニュースに取り上げず、放っておくのが最良と考えますが、メディアは、グロな映像を狙っているのでしょう。浅ましいばかりです。

・・・と、つい、書いてしまいました。

心を平らかに、じっくり生きねばとは、思うのですが。



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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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