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返事の中までKUONです。

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古い町の、古いお家の、今の方々。

非公開で、としてお寄せ下さったコメントの一部を、紹介させていただきます。

コメント主さんにご迷惑がかからないよう(「非公開で」、ですので)、少し略したり続けたりになると思いますが、私は、ささくれがちだった気持ちに、柔らかいコーティングを施してもらった気分になりました。

「甘い」「ヌルい」といった解釈からのご感想は、今回は御無用に願います。

地元のお一人から私に下さった一つの思い、いまは楽しませて欲しいな、と。

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少し前の記事で、KUONさんが北島さんに触れておられましたので、私の知っていることを少し…。
実は私、北島家の当主、北島建孝氏とは知り合いなんです。

出雲大社のすぐ近くにある大社高校という学校、県立高校なので宗教色はありません。ただ、歴史が古く、前身は旧制中学で、地元の名門高校…という印象だったようです。そんな地元の高校を応援する…ということで、千家さんからは毎年「出雲大社奨学金」を3人の生徒に。

国麿さんのお祖父さんが一時期、大社高校同窓会の会長で(略)私自身、大社高校の卒業生。国麿さんは後輩にあたります。

千家さんのお祖父さんが病気と高齢のため同窓会長を辞めると決意され、「次は北島さんにおねがいするよ」とにこにこしながらおっしゃいました。北島さんは、その時50才ちょっと。初対面でしたが、本当に気さくで暖かい紳士でした。その印象は今も全く変わりません。人に対して奢ることなく、でしゃばることなく、ものすごい包容力です。でも、言うべきことはきちんと言う信念の人でもあります。私のような肩書きもない者にも、真摯に接してくださる方です。何度となくお会いしたり、電話をかけたりしますが、そのたびに癒されるような励まされるようなしあわせな気持ちになります。本当の神職さんだと思ってます。

だから、出雲大社は絶対に大丈夫!! 安全!! と妙な自信を持ってるんです(笑)。

若い頃は、伊勢神宮で修行を積まれたそうです。ユーモアたっぷりに、以前話してくださいました。伊勢神宮での最初の修行は、敷き詰められた白い玉砂利を、1つ1つ 磨くことだったんだよ、とか、色々と面白くそして含蓄のあるお話をたくさんしてくださいました。今も宝物のように思ってます。

確か、北島さんの奥さんも皇室ゆかりの方です。
何が言いたいのかわからないコメントでスミマセン…。北島さんのお名前が出たので、北島さんについて話したくて話したくてたまらなくなったんです♪
KUONさん、ごめんなさい。


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以上です。私は嬉しかったです、ありがとうございました。

出雲の「北島家」。残念ながらそこに触れる見識も知識も時間も体力も私にはありません。

一人の方のお気持ちを、素直にいただいた次第です。



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  1. 2014.10.20 (月) 14:18
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  3. 佐藤
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素敵なお話しでございました。
ありがとうございました。
出雲大社が、いつまでも清い空気で包まれますように。

BBブログさんで、遍路にまでハングルの懸念を読み、心配しています。ハングル文字が、韓国人が、と嫌っているわけではありませんが、
彼らは、日本人が大切にしてきた物にまで、平気で落書きをするので危惧しているのです。
  1. 2014.10.20 (月) 22:24
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  3. みなも
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出雲大社の宮司を継ぐ家系が、ある時代から二つに分かれて、今に続いている、ということを最近知り驚いています。一方の家系である北島さんがおられる会館? 神社?が大社の隣にあり、そこを訪れた人によると、とても強い神気を感じる場所であると聞きます。地元の方々にも、とても愛されている様子ですね。
非公開さまのコメントを読ませていただき、心が和み、不思議な安心感を抱きました。 「出雲」は大丈夫ですね。

  1. 2014.10.22 (水) 18:38
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  3. KUON
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佐藤さん。

お遍路の道だけでなく、靖国の絵馬にも溢れているようです。内容が絵馬本来の祈りや感謝なら、文字はまあ問わなくても、とも考えますが。内容が毀損、侮辱、汚い言葉。それは許し難いです。

守らないといけないのは守らんと。出雲も、あの久子さんの娘さんが入られたならむしろ、疑いをかけられないように、とか、余計にそちら方面への目をきりっとせねばと思ったり。

あの言語がはびこったら、やっぱりね、おお危ないって言われますよ。って。どこかを覚えていないですが、某神社では、神域にふさわしくないそういうモノは、撤去しておられるとか。そうする手もあるのではないか。

撤去して、火 病のアノ「オドロなやり方でなく。太陽の下で焼却処分。」すっきり。文句は受け付けませんよ~って。そんなこと考えています。

今月末に、春日大社の今の感じを見て来るつもりです。
  1. 2014.10.22 (水) 21:52
  2. URL
  3. KUON
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みなも さん。

長姉がかつて島根県の少し古い家へ嫁いでいまして(その後、子ども4人全員を引き取って離婚)、出雲では無かったのですが、道の傍の溝に鯉が泳いでいるような町へ少女の頃に行ったことがあり、あちらの方面に、何か静かないい印象を抱いていたのでした。でも、詳しいことは何も知りませんでした。このたび少しあちこち読んだりして、千家家と北島家について、知りはじめた程度の私でした。

非公開のコメント主さんの一部を公開させていただいたのは(お許しもらえたようで安心しています・笑)、北島家のご当主様のお人柄やその方へのコメ主さんの信頼の強さや、伊勢での修行でなさったことなど、珍しい話を知らせて下さったことが、ありがたく嬉しい気分だったのです。高名な方のお知り合いのお知り合いとここで知り合って私が喜んでいる、とか、そーゆー訳ではありません。(笑)。美しいものや清らかなものの話は心地よい。それを感じたので、お裾分けさせてもらいたかったのでした。

「神々のふるさと」出雲山陰、というサイトで読んだレポートを、下記にそのまま引かせていただきますね。

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◆ REPORT

「毎年、正月に出雲大社へ初詣に行く。本殿の西にある大駐車場から手水舎へ向かい手を清めてから銅鳥居をくぐる。松並木の参道を通らないのがいつも残念なので、銅鳥居をくぐると後ろを振り返り立派な松並木に見とれながら拝殿へ、そして本殿へ向かう。いつもは本殿の八足門は閉められているが、正月は門が開かれ参拝することができる。本殿の近くへ行けるだけでも正月早々、縁起が良い。しかし、自分の場合、本殿だけで初詣は終わらない。必ず東にある出雲国造北島家の出雲教へ参る。

出雲国造は初代・天穂日命(あめのほひのみこと)から始まり、409年、17代のときに出雲の姓を受けてから55代まで出雲氏が受け継いできた。56代のときに後継者問題があり、「千家」と「北島」に分かれ平等に職務を分担した。しかし、明治15年の神官教導職兼帯が禁じられ北島家は「出雲北島教会」を設立。その後、明治18年に「神道出雲教」と改め、昭和27年に宗教法人「出雲教」を設立した。

~もう一つの出雲国造~
実は自分がここ出雲教で結婚式を挙げた…という理由もあるが、それだけで毎年参拝する訳ではない。出雲大社本殿の初詣といえば、人が多くて賑やかで活気があふれている。しかし、ここは静かで凛とした空気が新年の匂いに合い、新鮮で身が引き締まる。本殿とは違った趣があることが何よりの理由だ。

神殿を参拝したら庭園にある心地池へ向かう。庭園は芝生になっているため子どもが走り回り、時にはゴロゴロしていて楽しそうだ。そんな開放的な庭園の奥には天満宮と天神社が別々に池の中の小島にあり、そこへ行くのには少し勇気がいる。木陰にあるので湿った空気が漂い、社の裏には亀の尾の滝があり、その水しぶきの音が恐怖心をかきたてる。天満宮は造りこそ小さな社ではあるが、どこか人を寄せ付けないような威厳を放っており、そこへは小さな橋を渡る。そしてドキドキしながら橋を渡り、お参りして無事(・・・・まで)戻って来られるとなぜかホッとする。橋を渡る、結界を超える・・・と言うことの意味を、いつもここで胸元に突きつけられる気がする。こうして神域を強く意識することで、古より人は自ら生きる意味を問うてきたのに違いない。

一番奥には御三社(荒神社、天穂日命社、稲荷社)があり、そこから正門へ行く参道は大木が立ち並び地面は苔むしている。これぞ日本の美!と一歩一歩踏みしめながら参拝する。これで出雲教を一周した訳であるが、ここで終わらない。最後は、出雲教の大門まで戻り一歩外の道へ出る。ここは神事に使われる「真名井の清水」のある「社家通り」と言い、神官の住宅がある。見るからに立派な屋敷が並んでいまはひっそりとしている。観光客向けではない、知る人ぞ知る道で、大社に来たのならここまで来なければ意味がない。社家通りを歩きながら思う。大社の本当の歴史は賑やかなツアールートで語られるのではなく、静寂なるこの道こそが物語っているのだと。.
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長くなりましたが、私は、確かに「気」というものを実感して、信じているんです・・・。













ひっそりとしている。観光客向けではない、知る人ぞ知る道で、大社に来たのならここまで来なければ意味がない。社家通りを歩きながら思う。大社の本当の歴史は賑やかなツアールートで語られるのではなく、静寂なるこの道こそが物語っているのだと。.

  1. 2014.10.23 (木) 15:33
  2. URL
  3. みなも
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ありがとうございます

KUONさま、貴重なレポートありがとうございました。
神域というものは、立派な神殿や、由緒ある歴史を持つからだけではなく、そこに、凛とした「気」の存在があり、畏れをも感じる場所であるかどうか、であると思います。 また、深呼吸をしたくなるようなすがすがしさをも。
出雲にそういう場所があり、ふさわしい方により守られているということに安堵いたしました。 
有難うございました。 
  1. 2014.10.27 (月) 16:39
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  3. KUON
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みなも さん。

私も勉強させていただきました。ありがとうございます。

大切なものを残して頂きたいですね!。

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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