KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

うた は 訴え。



亡き子来て袖ひるがへしこぐと想ふ 月白き夜の庭のブランコ

                                         五島美代子
 
珍しくどこか気持ちがさみしくて。美しいうたなど読もうと探しておりました。

先に挙げた一首、歌人の五島美代子さんが、自死された娘さんの死後、一年ほどたったころに詠まれたと聞いております。東大在学中だった「ひとみ」さんが、若い恋に傷ついての死だったようです。1950年のうた。

死の前に「ひとみよい子でしょう」と語りかけられたのに、何かに気をとられていて、よい子よ、と応えてやれなかったと、自分を責めているうたもあります。

棺に釘を打つ音が「痛かった」と人は言うが、自分は悲しみにとりまぎれていて、その音を聞いていないという一首も、あります。

この後の1959年から五島さんは、ご成婚なったばかりの皇后陛下美智子さまの歌の先生となられました。

美智子さまには素晴らしいおうたが沢山あります。

昭和35年

浩宮誕生

>含(ふふ)む乳(ち)の真白(ましろ)きにごり溢れいづ子の紅(くれない)の唇生きて

昭和41年

歌会始御題 声

>少年の声にものいふ子となりてほのかに土の香も持ちかえる

これも徳仁さんをうたわれています。美智子さまには大切な大切なお子さまでいらっしゃいました。

平成七年

陽炎

>彼方なる浅き緑の揺らぎ見ゆ我もあらむか陽炎(かげろう)の中

この2年ほど前から、当時の週刊文春編集長花田某を旗頭に、美智子さまバッシングが始まっていました。花田氏は現在、月間「Will」の編集をなさっていますが。Willは読み応えのある雑誌だと思いますが、当時は、そうでした。

たとえば「夜中にインスタントラーメンを作らせたとかいう」話であったり。

今聞けば、例のあちらのやり方。皇后陛下がそんなことをするはずのないことを、いわゆる「スライド」して。紀子さまにも同じことを、もっと酷さを増してやっている、それ。このことが原因で(か)花田氏は辞任しています。背後に巨大な邪力が存在した。

夜中にインスタントラーメン。デリバリーのピザ。ラーメン出前、たったかた。誰の顔が浮かぶか、という話です。

あほらしいほど根拠の無いものだった。のに。

大喪の礼、即位の礼、そして二人の子どもの結婚と・・・ん。雅子さんの入内がその頃なのでした。

皇后陛下は、声を失ってしまわれました。

平成六年

硫黄島

>慰霊地は今安らかに水をたたふ如何(いか)ばかり君ら水を欲りけむ

50年前、この地で命を落とした人々。どんなにか、水を、欲しがられたことでしょうと、この旅の折にようやく、皇后さまは声をお取り戻しになられました。

遡って昭和37年には。まだお若いお子さまを何人も遺してお亡くなりになった、東久邇茂子さま・・・今上のお姉さま・・・の、 お舟入の儀に際して

>新しき貴(たか)きいのちの歩みここにはじめまさむか御靴まいらす

棺に靴をお納めしますよ、新しいおいのちをお始めあそばすのですね、と。

うたっておられます。成子さまの行かれる黄泉に、せめて希望を託されたのでしょうか。

東日本大震災の被災地を訪れられて

……手紙

「生きてるといいねママお元気ですか」文(ふみ)に項傾(うなかぶ)し幼な児眠る

ママの生死のわかりがたい幼児の手紙をそのまま取り入れて、無垢な眠りの中のその顔を見守っておられる。この子にもう、ママは、と、知っておられる。

……海

何事もあらざりしごと海のあり かの大波は何にてありし

……この年の春

草むらに白き十字の花咲きて罪なく人の死にし春逝(ゆ)く


まとまりなく上げて参りましたが、このような皇后陛下の深い切ないお心を、理解することなど先にももう永遠に無く、傷つけ続けるだけであろう、罪の深い業の深いあの夫婦が、にくくさえ、なってしまいました。




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コメント

涙が・・・

KUON様
綺麗な綺麗なおうたです
五藤美代子さん、お名前くらいしか存じ上げず・・・
そうですか、そんな形でお子さんを亡くされたんですね
ひたひたと静かな哀しみが伝わってくるようなおうた

友達にお子さんを亡くした人が幾人かいます
いずれも子供さんは若くて痛ましいばかりでした 中でも特に親しい人は会うたび泣いていましたがやがてお墓の前でゆっくりお子について話せるようになりました
霊園で春は桜が見事なもので気晴らしにと一緒に父の眠る墓所に行ったら彼女も同じ区画に「ここにする」って買ったんです びっくり!
でもよかったです 「いつでも会いに来られるから」っていつの間にか笑顔まででてきて 最近亡くされた方もいつか笑顔で語れるようになったらいいなあ・・・そんなに親しくない人ですが少しずつ癒されればと願います
五島さんも身をちぎられるような哀しみ、苦しみをおうたに昇華していったんでしょうね

皇后陛下もそれはそれは見事なおうたをお詠みですね
この上ない精神の高みで詠まれたおうたの数々
お生みになってからではないけれど流産なさった時もありましたね
さぞお辛い思いもなさったでしょうに
香淳皇后だってそうですね 戦後の物不足に充分な医療を施してあげられなかったり、東久邇さんは降嫁なさったお家でたいそう気苦労の多い生活だったとか あ、伊勢の宮司の鷹司さんの義理のお母様も香淳皇后の内親王さまでしたね 今上陛下をお生みになるまでの御心うちは常人には計り知れないものがあったでしょうし
歴代の皇后陛下は歌人として多くのおうたを残しておられますよね
皆様 過酷な人生をなんとか乗り切ろうと生きてこられたんですね

え? あれ?まさこさんも流産したなー
男の子だったって専らの評判ですが・・・思い出すことあるんでしょうかね
わかりませんよ見たことないから でもなんかあんまり応えてないような印象があるのは見ている私の目がゆがんでるからですかね(笑)
やれやれ東宮さんの話になった途端卑俗になってしまいました、残念




うさのうさみみ さん。

五島美代子さんの名をご存じなだけで今の方としてはすごいと思いますよ。

千の風になって、と言う歌を、私は、有名な秋川さんの朗々とした唄い方でなく、作者の荒井満さんの淡々とした歌い方で唄います、カラオケで。その方が、煌めくような歌詞の良さが滲みる気がします。好みの問題ですが。

うさみみさんが元気になられてよかったです。ホッとしました。よかったです。

初めまして

初めてコメントさせていただきます。嫌韓に目覚めて1年。日本に巣食う在日、創価に覚醒しました。
以前から漠然とした違和感を皇室、特に、皇太子ご夫妻に感じておりました。こちらで、みなさまのコメントに、大きく納得、頷く日々です。
皇室は日本の縮図だとよく言われています。勤勉に誠実に日々、国民の安寧を願って過ごして下さる、天皇、皇后両陛下、及び秋篠宮ご一家に感謝と尊崇の念にたえません。
今回、美智子皇后陛下のお歌のご紹介ありがとうございます。深く切ないお歌の数々、素晴らしいですね。浩宮様が御生まれになった時、美智子皇后陛下はまだ20代だったはず。お若い頃から、素晴らしい方だったのだなあ、さすが日本の国母になられる方だったのだなあと感動いたしました。これからも、素敵なご紹介楽しみしております。

雪よ林檎の香のごとく さん。

始めてお越し下さり、そして素敵なHN、ありがとうございます。

白秋ですね。この瑞々しいうた、大好きなのです。ぱっと拝見して嬉しかったです、とても。

いきなり自分本位な事を書かせて頂きます、お許しを。

今年の歌会始の儀の、秋篠宮内親王・眞子さまの一首。


 >新雪の降りし英国の朝の道静けさ響くごとくありけり

素晴らしいと私は、読ませていただいたのです。静けさが、響くようであったと。平凡な感性ではないと、思わせていただきましたのです。

 >君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ

白秋に匹敵する鮮烈、清冽なおうたと、わくわくしました。

うたが好きなのです。定型ゆえに、削って削って、大切なものを残す。饒舌を排して、寡黙に豊かに、思いを、言いつくさないで言葉の奥を想像してもらう。

美智子皇后陛下のおうたにも、本当にうっとりするおうたが沢山ありますね。

・・・つい夢中になりました。

覚醒されたとのお言葉。力強い。皇太子夫婦への違和感、もっともだぜ。

御一緒に、日本の、まさしいご皇室の姿に戻っていただきたい願いを、持ち続けて行きましょうと、申し上げていいですよね!。


本当に‼︎

秋篠宮眞子内親王殿下のおうた、私も、白秋に通じるなあと思っておりました。眞子内親王殿下の瑞々しい感性、お若さ、細やかなお心遣いが、おうたから滲み出ていて、素晴らしいと思っておりました。きっと、これから更に成長されたら、どんな素敵なおうたを詠んで下さるのか、楽しみにしておりました。なんだか、とても嬉しいです。ありがとうございます。それにつけても、東宮妃のおうたには、なんだかなあというガッカリ感。せっかく、雅なお名前なのに。雅でいらっしゃらない。残念ですね。

こういうコメントを出したのは、初めてで緊張しております。失礼がありましたらご容赦下さい。これからも、楽しみに拝見させていただきますね。よろしくお願いいたします。

雪よ林檎の香のごとく さん。

ここ数日は、桂宮さまへの弔意を勝手に胸に抱いておりまして、日頃よりやや、おすましで言葉なども綺麗風の(あくまで「風」でございますよ)、慎んでいる風の私です。

実は思いっきりがさつなタチで、そのうちびっくりなさるかと思う次第でございますが。

祈・東宮夫婦退位。

この念はわすれません。

その日のまことの訪れるまで、ああだこうだと真面目に楽しく、過ごして参りたい所存です。

その日来たらば。

このブログにお集いの有志の皆様と、歓喜の提灯行列を、と。ひそかに決しております。全く密かでなくなりましたけど。

お赤飯も炊きます。

喜びの涙にむせびつつの大願成就のお赤飯を、いただきとう存じます。

おやすみなさいませ。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

私も

歓喜の提灯行列に参加出来る日を祈念して参ります。清らかで正しい皇室に戻っていただく事。誠の心で公務を粛々と行われる、秋篠宮両殿下こそ皇統を継ぐに相応しいと思います。遅くに失礼しました。お休みなさいませ。

心に残るもの

眞子さまといえば、
学習院初等科の卒業文集に、「日本画の創作、保存や修復の仕事、そして広く美術の研究にも関心を持っています。いつか、今にも飛び立ちそうな鳥の絵を描きたい」と書いたとのこと。
この「今にも飛び立ちそうな」という感性が小学生の年齢ですでに。
なんてすばらしい、と印象に残っています。

「かの時に 我がとらざりし 分去れの(わかされの) 片への道は いづこ行きけむ」
皇后さまの、最近知ったお歌で印象深かったものです。

海外に行ったとき、足が不自由な少年に、赤ちゃんの愛子ちゃんの写真を見せて、
「この子もあなたと同じように歩けないの」
というような意味の言葉を言ったという夫婦のこのエピソードも忘れられません、悪寒とともに。

皇后さまと眞子さまと、「あのザマ」の夫婦を並べてしまって、お二方には申し訳ないことでした。

でも、受け継がれてほしい感性が、受け継ぐにふさわしい人にしっかりと受け継がれている。
そう思えるのは幸せなことです^^。

こんばんは。

美智子皇后陛下の御歌、しみじみと読ませて頂きました。
それぞれの折りに、それそれの思いがあられたのだろうと
詠まれた対象が後にどんな格好になろうとも、それは御歌に関係ない、
そのときの思いは真実で、美しいものであったのだなと思います。

母親の、このような純粋な思いを踏みにじった対象に、ムカつく思いもしますが。

美智子皇后陛下は、お若い頃から短歌をよくなさる方で、そういう意味でも皇室にしっくり馴染む素養がアリアリの方だったのだなと今更ながら思います。
だから、病気になるほど「皇室に適応できない」と、自分で言ってる女には、最初から素養は無かったことが、このセリフで明らかになったと思うのです。
民間人なら、素養が無くても別にいい。だから。
そういう女性には皇室から退いてもらおう、素養がある女性に皇室へ入ってもらおう。
という話のどこに無理があるかと、いつも思います。

駄詠(笑)

母の声 君に聞こえし耳なくも 吾は応えるまことの愛を

…詠(うた)って難しい!
あ、これ、子供目線で「おかあちゃん、ホントは感謝してるんだよ」って意味を込めて詠ってみたものです。

かなり、即興…(だからこんなに練れてないヘタな詠が詠めたんだな)。

御詠歌、かなり考えてるんですよ。お題は「本」でしたよね。ううん。楽しみ。

PS。アタマから真面目に、五島美代子さんのことを読んでみました。
お嬢様を自死で亡くされたと…胸が締め付けられました。
私、離婚して出戻りになって、子供も産めないカラダになって、自殺未遂したことあるんですよ。21のときでした。
医者に怒られました。「今まで育ててくれたご両親を何だと思ってるんだ」って。
ロビーにあったピアノ、弾いてたら、たくさんのお年寄りが涙を流して聴いてくれた。
…という訳で、今生きてます。

あー、追伸が長くなってすみませんm(__)m

もうっ!!

皇后陛下の御歌の素晴らしさはよ~く存じ上げております。限られた三十一文字の中に視覚から入る風景、心象風景、お心を全て完璧にお詠みになられています。
ここにKUONさまが載せられた御歌を拝読して朝からしゃくりあげてしまったぢゃないですかっ!!
皇后陛下の指導にあたられた方に、そのような事があったとは…。
紀子妃殿下も熱心に和歌を学ばれ、お妃教育の時に「私が至らない…」とお泣きになった事も度々と聞いております。
日本人としての教養を退け伝統をいみきらう女は「赤く刺す~」だの「十年前~」だの恥さらしてますが、皇后陛下や紀子妃殿下に半島文化のスライドはやめろ!

涙が出ますね...。

素晴らしいお歌に 文字通り「心が洗われました。」
そして、思う...。
「ああ..私の心は汚れていたのだな。汚れていたからこそ、“ 洗った ”後の
スッキリ感があるのかしら?」..と。
『白珪尚磨』(はっけい なお みがくべし)
宝物の『白珪』も毎日 磨かないとくすんでしまうのに、ましてや 道端の
石ころの様な 庶民の私...、磨いても 磨いても 「これで終わり」はない。
「死の最期の瞬間」まで 磨き続けなければ...と思いました。

五島美代子さん。
どちらの本で読んだのか忘れてしまいましたが、
皇后陛下のお若い頃、「お妃教育」で 『古今和歌集』などの古典から
毎日、一首づつ暗記する事。
毎日、一首は詠むこと。
虚栄の心は捨てて「神様の前に立つつもりで」ありのままの自分の心を
詠むこと。
...を課題になさったとか。

皇后様は、五島先生にとって最高の生徒さんでいらっしゃいました。

身に沁みる言葉です。「神様の前に立つつもりで、ありのままの自分で」
KUON様に お借りしているこちらの「コメント欄」でも、
人と人とのお付き合いでも、なるべく まっすぐな 虚栄のない自分でいたいと
思います。(一生懸命 磨きながら...)

お上品な感じの、新しい「提灯行列 仲間」さんのご参加 うれしいですね💖
お歌の世界は 不勉強で...💧いろいろ教えて頂きたいです。

雪よ林檎の香のごとく さん。

秋篠宮さまに皇統を継いでいただき、安心したいです。

sarahさん。

>「かのときに 我がとらざりし 分か去れの 片への道は いづこ行きけむ」

平成7年の歌会始の儀、お題は「道」。この折の御歌ですね。

いろいろな解釈が出回っており、皇后陛下の御歌であるので、明るい方への無理やりな解釈を試みている方もおられます。それもそうだろうとは思いますが、雅子さんが入内して、天皇陛下に口答えしたり、三年間は子どもを作らない宣言をしたり、美智子さまとしては、このような人が本当にいあるのかと、驚愕の日々だったのではないか・・・と、私は考える時期の、一首ですね。しかし皇后さまは、あくまであくまで「妃)ひ)のよろしいように」のごとき庇い方を、なさっていた記憶があります。

お優しさや慈愛や、東宮妃である現実や。陛下と言えども、東宮家とは全く別の存在、口も手も出せない、今もですが、当時はまだ雅子さんへの「トシとって皇室へ入って・・入らされて」や「優秀なきゃりあうーまんが、皇室でぎゅうぎゅうに絞られて」みたいな、小和田方面が国民に信じ込ませようとした向きに、傾いていた時期だったとも推察します。

皇后陛下も紀子妃殿下も、滅茶苦茶な貶められ方をしておられた。

皇后陛下のお気持ちを忖度はし兼ねますが、迷いや苦しみを沢山お抱えになっての時期のうた。

今、あれこれ知って読ませていただきますと、何とも言えない気持ちになります。

仰るように、苦しみの中を通られて、いま、孫の世代に、たとえば眞子さまという清浄の花を得ておられます。それだけは本当に、そう思います。涙が出ます。

藍色さん。

皇后陛下の御歌は、皇室の方と言う枠を跳び越えての素晴らしいうた、との評価が定まっていますね。つるんとした事実の羅列でなく、感情をぶちまけるような(そういう作品もまれには「あり」とは自分的に考えますが)ものでなく、果てしなく美しく、思いは深く・・・わたしなどが申し上げるものでない、最高レベルのものと、評価を受けておられます。

それはつまり、人が感じないことを感じ、見えないことも見えてしまうということで、小さなことが、どんなにヒリヒリした痛みをもたらすか、ということでもある。

生きているなら、多少鈍かったり鈍感だったり、客観視などない人格だったりの方が「楽なのは、確かなようです。

そういう人ではしかし、美智子さまのような生き方はお出来にならない。

>だから、病気になるほど「皇室に適応できない」と、自分で言ってる女には、最初から素養は無かったことが、このセリフで明らかになったと思うのです。
民間人なら、素養が無くても別にいい。だから。
そういう女性には皇室から退いてもらおう、素養がある女性に皇室へ入ってもらおう。
という話のどこに無理があるかと、いつも思います。<

いや。藍色さんさいこー。

どこにも無理はござらんよ。退いてもらおう。それが言い、それしか無い、私、言いたい言葉があるのですよ。

退いて、楽になりなさいよ、ばざござん。もうええやんか~、って。

pastoraさん。

駄詠? 笑。いや。初めからカンパネラ弾ける人はいませんから。初めはみんな、、コトバの初心者。

テレビでマリア・カラスの歌声を聴いて痺れて、その映画を追いかける日々でもあります。「ある晴れた日」と「カルメン」が。カラスの、全身震えの来る声に、参っております・・・今更。

   給いたる母の言葉にうそぶけどまことの愛に応へたしわれは

pastoraさんの真詠、こういう意味ですか? うたって、変に触らない方がいいとおもうけど、かたちを少し整えることは、ありますね、私が触ると平凡になり、元歌の「吾は応じえるまことの愛を」の、このストレートな言い切りの良さが、へってしまいますね。ごめんなさいね。

・・・20,21歳は、大変な時だったのですね・・・落とされて、壊れてしまったものは、あまりにも、大き過ぎた・・・。でも。

楽器を演奏できる人。何か書ける人。歩みを支えられる人。美味しいものを作れる人。自分でない方向へ向かって動けることは、自分を救ってくれるのですね。

ピアノがあってよかった。よかったですね。私が言うまでもないけど、続けて下さいね。

>ロビーにあったピアノ、弾いてたら、たくさんのお年寄りが涙を流して聴いてくれた。
…という訳で、今生きてます。<

人が涙を流してくれる何かを、持っているって、素晴らしいこと。他の方で何かを失くすことも、そういう人には、まま、あること・・・。ディスティニー?。あるもん生かさなね。大阪のおばちゃんか、わたし。

来年の歌会始は「本」。和紙に毛筆で、ですぞ。頑張って下され。

衣通媛さん。

来てはりますなあ~。笑。

私、うたを探してあちこちしておりますと、顔が涙でぐっちゃぐちゃになっていることが、よく、あります。今はネットで何でも探せるので、いい時代だなあと、いまさら頓珍漢な感想を。

>紀子妃殿下も熱心に和歌を学ばれ、お妃教育の時に「私が至らない…」とお泣きになった事も度々と聞いております。<

僭越ながら感じますに、この「私が至らない」と泣かれる所、そのお気持ちが、現在の紀子妃殿下を作り上げられた元なのだろうなあ、と。

素晴らしい。書もお上手ですね。日本画も、手話も。手編みのセーターも。やる気があれば、どんなことでも身に着けるに、立派な指導者を得られるお立場。

って、ここまで書けば、そうですね。

>日本人としての教養を退け伝統をいみきらう女は「赤く刺す~」だの「十年前~」だの恥さらしてますが、皇后陛下や紀子妃殿下に半島文化のスライドはやめろ!<

だいたい、わが子愛しくその生まれ出た日を思い出すに。

赤い月はなかろう。不吉な時に使うんだよ、普通は、赤い月を。

もちろん、手を入れて出して来られるうたではありましょうが。元は変えないと思う。

十一年前~と始まって、立待月は赤く照りたり~と。。きっとこの「立待月」は、気取って探した言葉と思うが。残念ですが、この十年間して来たことと同じ。

ちゃらんぽらんで~す。愛子さんがお気の毒。月の赤い日に生まれたって。不吉で。日本人じゃないからわからんのですね、きっと。


>言の葉となりて我よりいでざりしあまたの思ひ今いとほしむ

皇后陛下の、深い思いを感じます。

激しい思いもおありになり、言の葉として出すのは堪えたけれど・・・そんな思いを、今いとほしむ、と。

浄化されておられるのですね・・・。

追記です。

~月はあかくてりたり。

この「あかく」を「明るく・・あかく」と解釈することも出来ます。

しかしbut。雅子さんの場合「赤く」しか思いつかない。あの方の存在の在り方が、そうさせる。

あかん。

こより さん。

 1971年・昭和46年の自選歌集「そらなり」より。五島美代子。

>自(し)が子らを養ふと人の子を屠(ほふ)りし鬼子母神のこころ時にわが持つ

わが子を飢えさせぬために人の子を屠った・・あやめた・・・鬼子母神のこころを、時に、私は持つ。と。一般的には、自分はそんな酷い女ではないとして生きて行くのですが、歌人は、こんな風に自分の心の奥底まで突き詰めて、晒してしまうようなこともするのですね。

>この向きにて初(うひ)におかれしみどり児の日もかくのごと子は物言はざりし(長女ひとみ急逝)
>花に埋もるる子が死に顔の冷めたさを一生(ひとよ)たもちて生きなむ吾か

自死された方は長女さん。生まれ出て来て、初めてこの向きに置かれた時も・・・まだ、信じられないくらい小さくてほの赤かったあの日も、あなたはこうして今のように、物を言わなかった、と。

冷たくなって横たわる娘さんを前に、呆然自失の母でいらしたのでしょう。

>棺の釘打つ音いたきを人はいふ泣きまどゐて吾はきこえざりき
>わが胎(たい)にはぐくみし日の組織などこの骨片には残らざるべし
>冥路(よみぢ)まで追ひすがりゆく母われの妄執を子はいとへるならむ
>亡き子来て袖ひるがへしこぐとおもふ月白き夜の庭のブランコ
>元素となりしのみにはあらざらむ亡き子はわれに今もはたらく

瞑路まで追いすがって行けば、あなたは、そんな母なる私の妄執を、いとうであろうと。自分を突き放しているし、母から遠くなった娘を、甘くない視線で見ている。自分を置いて逝ってしまった子を、既に許している視線でもある。

こんな苦しい悲しい中にも、うたを詠む人間の心は「その場」をしっかりと見ていて、すぐにではなくても、やがて形となって思いは表出して来る。おそろしいとも言えますが、こうなのだから仕方がないのですね、きっと。自分を狂わせなかったのは、うたのお蔭だとも仰っています。

こういったことを考えていると。ものを書きたくてどうしようもなかった十代の私に、ものを書くなど外道のすること、本など読むな、大根の煮方でも教えてもらえ、と言い放った養父の、嫌いで難かった顔が、ホーフツとします。

おとうさんごめんなさい。

私、やっぱり、書かずにはいられません。世の中の片隅で、でもしっかりと。

こよりさん、関係の無いことをごめんなさいでした。

私も、すぐに曇ったり埃をかぶったりしてしまうこころ、なんてものを、拭いて拭いて、行きたいと思います。

>『白珪尚磨』(はっけい なお みがくべし)

始めは読むことも出来なかったこの言葉、覚えていたいと思います。ありがとうございました。

歌は、読むことも詠むこともできない不勉強ながら、言葉の美しさを感じます。
それにしても、、、
「あずかれる宝…」が、今のように残念なことになるなんて、想像も出来なかったと思います。

白珪尚磨(はっけい なお みがくべし)
初めて知りました。勉強になります。

今さらながら、友人の琢磨(たくま)くん、琢(みがく)くんの親御さんたちの、わが子への思いが伝わります。

KUONさま

皇后陛下は抑えていらっしゃいますが御気性は堅磐な方と伺っております。
大東亜の戦の時に疎開先の児童に疎開組の仲間が苛められて掴み合いの立回りをされたと…。
だからこそ史上初めての民間妃となられても順応されて立派にお務めを果たされているのでしょう。
紀子妃殿下も幼稚園や初等科時代から自分に厳しい方だったと。
己を棚に上げて他罰的で助言を恨むような方では畏き辺りでは務まらない方なのでは…。
20年進歩なし…ってか基地度アップです。

皇后陛下の御歌は素晴らしい。
歌心のない私でも、数々の皇后陛下の御歌の素晴らしさ、このような御歌を詠まれ続けておられるのが日本の皇后陛下と誇らしく思います。

私は
「彼岸花 咲ける間の 道をゆく。 行き極まれば 母に 会うらし」
を最初に目にしたとたん、雷にうたれたようになりました。

皇后陛下の御歌には、一瞬にして、人を別次元に放り込む力があると思っています。
それも、私もそうですが、もどかしくて上手く表現出来ない情景を鮮やかに切り取って下さりながら。
皇后陛下の御歌から、言霊の持つ力とはこういうことでもあるのかなと思う時があります。

じゅういちねんまえ~とかありえないです。



さぶた さん。

まず「感じる」こころ。これでいいのではないですか。

私は若いころ、美しい花を見れば綺麗とは感じ、青い空の日には綺麗だと思い、でも、今、歳をとって来て、本当にさまざまな美しいものやことや心を、しみじみと、染み入るように「いいなあ」と感じたり、深い感謝の念をオーバーなほど抑えきれなかったり、・・えらいこと、句読点の無いセンテンスの長い文を書いておりますなあ・・、することができませんでした。

心はいつもざわざわして、落ち着いて素晴らしいものを愛でることが出来なかった気がします。

若い私の関心事は、長い指だったり鎖骨の窪みの陰翳だったり。自分と異なる性の生き物の、あっち向いた、こっち向いた、だけだった気がします。

そういうものを、見たり感じたりして、その時にはその時の感情や言葉の溢れ方がありました、ただそれは、主に、太陽よりは月を、日向よりは黄昏時の樹木の蒼い翳、みたいな方向を、目指していたように思います。

それはそれで、よかった。

いま、昔より猛烈な泣き虫になっていて、しかも、まっすぐで清冽で透明で、などという、若い私が「。。。明るすぎてしんどいわ」のごとく、意識の外へ追いやろうとした方向へ、行きたくて行きたくて、焦がれるようにクリアなものが欲しい。そういう自分になっている。

このことが、恥ずかしくなくなっていて、自分で嬉しいので、長々書いたわりには結論はあっさり。

生きていてよかったな、歳とるのも、すっごくいいな、と、シンプルに。

さぶた さん。日本語は美しいですね。この世界をずっと、守って行きたいな、と、思います。言葉の、美しい森のような世界は、ネットの中にも沢山あります。望めばいくらでも得られる時代と、この便利な機械を授かったこと、そして、いま、書かせてもらったような「思い」も、他のことも、共感、共有できる方々と知り合えた幸せを、感じています。

皇后陛下には歌集もあります。「瀬音」という本です。うたに感じられる方が幸せなことに多いので、僭越ながらこれからも、素晴らしいうたを、ご紹介して行こうと思います。

七夕祭り。晴れるといいです。


「あい」 谷川俊太郎

あい 口で言うのはかんたんだ

愛 文字で書くのもむずかしくない

あい 気持ちはだれでも知っている

愛 悲しいくらい好きになること

あい いつでもそばにいたいこと

愛 いつまでも生きていてほしいと願うこと

あい それは愛ということばじゃない

愛 それは気持ちだけでもない

あい はるかな過去をわすれないこと

愛 見えない未来を信じること

あい くりかえしくりかえし考えること

愛 いのちをかけて生きること




衣通媛さん。

小学校の頃に、なぜなのか(雑誌もあれこれ読む鍵っ子でした)皇后陛下についての記事を沢山読んでいました。私が三年生の時に、近所の家の板塀に美智子さまのお写真が貼りだされたのです。

母は嬉しそうに「しおだみちこさん」と、塀の写真を見ておいでと言いました。はじめは「しおだみちこさん」と記憶したのです。

写真の前で近所のオバサマたちが綺麗だ、とかミンカンから、とか、興奮して言い合っていました。私にはよく解らず、正直申し上げますと…そんな、綺麗かなあ、と、疑問符があったのでした。

まん丸のお顔がいっとき(御饅頭」とあだ名されたとは、その後すぐに雑誌で知りました。当時の私の「きれいなおんなのひと」は、たとえばフランス映画の、猫のような肢体の女優だったんです。そういう子どもでした。笑。

たてばやし、という地名や、じゅうばこよみ、という言葉を、知りました。疎開先でお腹が空いて、のエピソードでは、社長の子どもでも(日清製粉と言う会社の名も知りました、ミンク、という毛皮の名も)お腹がすくんだなあと、不思議でした。

皇后陛下も紀子妃殿下も、柔和でお優しい中に、もちろん、揺るがぬ強いものをお持ちだと思います。それでなければ、自分自身を見失わないで、信じる力を失わないでは行けないとも思います。

なにひとつ。なにひとつ、成し遂げられないで。自分の家族だけ良ければいいと言うエゴイズムさえ中途半端。言うのも脱力のあのひとの、20年間は、何なのだろうと、想像の行き着き得ない脱力感。

本当に、あの存在が、信じがたいです。う~~~~って、なります。

モッコクさん。

皇后陛下の御歌は、うまく言えませんが「深い」のだと思います。

ということは、思いが「深い」のでしょうね。

高円久子さんのうた・・歌会始の儀に、ぽん、と出して来てるうたを、幾首か探して読んでみましたが、見た目のまんま。みごとに滋味も奥行きも感じさえないもので、逆に納得ゆきました。うたを、深い心で思う感性では、皇族の身で利権獲得にやっきとなり、しかもそれを、テンも恥じない態度ではいられないでしょう。

モッコクさんが挙げられた一首。私も、あ、と思った一首でした。

>「彼岸花 咲ける間の 道をゆく。 行き極まれば 母に 会うらし」

このうたは・・・安易に解釈できないうたと思う・・・。

彼岸花。曼珠沙華。彼岸の時期にのみ咲く花。決して明るいイメージの花でなく。

咲ける間の「道をゆく」これは、大量の彼岸花と、その中の、夢やら現やら定かでない世界・・・あの色の世界を連想させます、あやういものを感じる・・・そして、

行き極まれば。彼岸花の道を、振り替えらっずにどんどんと進み、そこを、行き極まれば・・・そこはどこの細道か・・・母に会うらし。

言い切っておられる。会うのだ、という意志の表現とも読み得ます。

会いたい、でなく会えるだろう、でもない。会うらし。会うのだ。

・・・・・・皇后陛下のお気持ちを忖度するのはいかがか、私はねモッコクさん。

皇后陛下の孤独とお苦しみと、この世への。この先は控えます。

激しいお苦しみ、どなたとも分かち合えない苦しみ。

東宮夫婦が憎いです。こんなところまで皇后さまを、おいつめて。




皇后陛下の御歌は、白い花を両手でそっと愛でる様に、花を折らない様に優しく包む絵がいつも浮かぶのです。命の喜び、人の哀しみ全てを三十一文字に言葉を昇華させて凝縮して。『夜中にラーメン』とか『林檎を剥いて』とかそんな事言うわけないやん、あの人やったら十分ありえるけど。歌にしろ何にしろ『上達したい』と思えば、最高の師が訪ねてくれる立場にいながらそうしなかったのだから。もう退いてください、画面で見る度どよ~んとしますし周りも来るパターン来ないパターンを考える余計な手間がかかりますから。W杯で睡眠がグダグダで駄文の長文失礼しました…と言い訳して退場(笑)

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キリスト教の両親を持つ同士

五島美千代さんは、歌のご指導をしていたと同時に、熱心なキリスト教の両親を持つ者同士として美智子皇后様と心を寄せられていたのではないでしょうか?
皇后様の初産の入院直前まで美智子さまを励まされていたそうです。
知らなかった異教に嫁入りされた皇后様の近くにキリスト教を理解している方々がいて良かったと思います。

歌人五島美代子
明治31年、東京生まれ。両親はキリスト教
プロレタリア歌人同盟に加盟

夫 五島茂  歌人。経済学者
始めマルクス主義に近づくが、のちロバート・オウエン(社会主義者)を研究

とおりすがり さん。

この名で書いて来られる方が多いので、どの通りすがりさん、とおりすがりさんか存じませんが。

五島美代子さんの

    亡き子来て袖ひるがへしこぐと想ふ 

    月白き夜の庭のブランコ

やはり胸迫るうたと、今ももちろん、思います。それとは別に。


>知らなかった異教に嫁入りされた皇后様の近くに
>キリスト教を理解している方々がいて良かったと思います。

どんなお考えの下に、私のブログにかかるコメントをなさるか、わかりません。

知らなかった異教。

皇室は神道の長の家、天皇は祭祀を仕るお立場の特別なお方。その妃殿下となるべく入内された方にとって、神道が「異教」だと。

ものの考え方の基地が異なるので、話になりません。

もう、こういうことを書いて来られるのはおやめください。

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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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