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お姉ちゃんのこと。

二人の姉がいる。11歳上の長姉、8歳上の次姉。歳が離れているのは、次姉と私の間に、父母にとっては初めての男の子であった「ユキオちゃん」が生まれていて、3日目にはもう、亡くなってしまったから。真っ白な顔で生まれたユキオちゃんの、初めて撮った写真。遺影ともなったたった一枚の写真を、母は、死ぬまで秘め持っていた。

死んだ子をいつまでも思うのはどうとやら、その気持ちを他の子に向けてどうとやら。あれこれ、言われたようだ。母を思っての忠告だっただろうが、母は、小さなスタンドに入れて朝夕眺めたりせず、大切なものを集めてあった文箱の中に、写真をしまいこんでいた。

どれだけの回数、眺めて時に涙したか、写真の縁は擦り切れて丸くなり、白い百合の花に囲まれて薄目を開けている死んだ赤ん坊の顔の周囲には、薄く濃く、シミができていた。

小さな赤ん坊の顔を包むような百合の花が、巨大で、子どもの頃の私は、百合の花が怖かった。


長姉は、とても頭のいい子であったと、本人が言い母も言い、実際、今もその片鱗は残す人である。高校生の頃に父親の死を迎えたが、進学は果たした。その学校を途中で辞めて、いきなり結婚を宣言してしまった。相手は、ロブンノチュウタイモノであった。露文の中退者。普通の親御さんなら、できるだけ遠ざけたいタイプ、らしかった。ハンサムで。アラン・ドロンに似てい・・・と、長姉に洗脳されたワタシ・・・。面食いの血筋は露骨である。

二人とも、結婚することになったので中退、の仕儀だったわけだが、当然親は認めない、そんなの。でも反対させないため、今で言うデキ婚態勢をとってしまっていた。母にとってはフシダラ、頼りにしていた長女なのに、と、かんかんになった、怒りくるった。

母が、ささやかな父の遺産をすべて「教会」に渡して住み込んでしまったことに、長姉も怒りを抱いていたから、親子の仲は決裂。帰れる家を失くした、自分の相談事を母は受け付けてくれなかった、と、長姉には長姉のリクツがあった。

教会に入って母は、母親であるより別のものになってしまった、とは、次姉の嘆きでもあり。

私たち姉妹は、叔母夫婦の庇護に救われて、大きくなったとはっきり言える。神だか仏だかより、生身の親身の手が欲しかった。

長姉は、式も挙げず親類縁者への挨拶もせず、山陰の小さな美しい町へ、去ってしまった。

私にとっては義兄にあたる偽ドロンのご両親は、古くて大きな家に突然来てしまった長姉を、扱うに、困ったのではないだろうか。舅さんは汗して働いたことの無い人で、姑さんは、教師を退いていた人。偽ドロンの妹さんは、優しい人で、転がり込んだ兄のオヨメサンに、懇切な口をきいてくれたらしい。

幼い頃は甘やかされて可愛がられて育った長姉は、苦労だったと思う。意地っ張りなので、そういう話はあまりしない。が、身重であり、慣れない土地、環境、固い硬い義理の両親。近所の人々も、接し方に迷われたのではないだろうか。ようやく母によこしたハガキに、

「こちらの鶏はトマトを産みません」

と書いて来て、さすがの母も仰天し、アタマを下げに膝を折りに、飛んで行った。私は小学生だった。

長姉はそこで女の子を産み、男の子を産んだ。そして、偽ドロンと二人の子と共に山陰の美しい町を出て来た。

あれこれあったが、亡父の妹である叔母(この叔母に今回会って来た、施設に入っていて、清潔な個室で一人であおむいて横たわっていた。100歳近い。ちゃんとした年齢も知らない薄情な私のことを「わかる」と言ってくれた。きりょうがようなったなあ、とも言ってくれた(恥ずかしいがそのまま記します)。大恩あるオバである。泣けた。手を取ってさすったら、皮膚が弱っていてむけてしまうので、放すよう言われた。何とも言えなかった。別れを告げると、きゅっと真ん中に萎まった悲しそうな顔になった。笑って辞して来たが、きっと一生、あの顔を忘れない)に、世話になって、小さなアパートから暮らしを立てはじめた。

やがて世相の風に味方され、偽ドロンに協力して小さな会社を興し、女の子と男の子が増えて子どもは4人になり、安定した風に見えていたが、そうなると偽ドロンの何かの虫が蠢きはじめ。

一番下の子が生後6ケ月。偽ドロンは、癇性なところのある長姉に、オレは疲れるんだ~、とかなんとか酒くらってはグダっていた中、会社の事務員だった、いつもユルユルにソックスをはいて1時間かけてお弁当を食べていた女性を、買ったばかりの車の助手席に乗せて、そのまま遁走してしまった。

貯金通帳もすべて持って、ランナウェイだ。

長姉は考えた。一人でも、仕事は続けて行けるかも知れない。が、実家はアテにできない(母との仲の雪は解けていたけど)し、4人産んだ子の、末の子はまだ、赤ん坊である。

必死で仕事を続けながら考えていたら、逃げた偽ドロンの父君から、帰って来てほしいと便りが届いた。

息子がバカで申し訳ない(文面がこうだったかは知らない、きっとこんな感じ?)、孫たちも小さくて大変だ、うちの跡取りでもある、こちらで、バカ息子(これも想像のコトバ)を待ってやっていただきたい、すぐに目は覚めるはず、住む、食べるくらいはなんとかなる」

・・・そんな手紙。長姉は考えた。で、返事をしたためた。申し訳ないことです、よろしくお願いします、と。

会社を整理し、売れるモノは処分し、4人の子を連れて夫の実家へ戻った。

その冬、歩きはじめていた末の子が囲炉裏に落ちて頭に大火傷を負った。すんでのところで目は助かった。

他の子どもたちの情緒も、ぐらつき始めていた。偽ドロンの母君は、当然、父親はバカと呼ばわる息子でも、わが子が可愛い。お気に入りの息子だった。子どもがごろごろいて、賢いで評判だった息子は不在で嫁だけ帰ってるでは、世間体も悪い。


やがて偽ドロンが、自分が不在の家で子を育てている長姉と知っていながら。彼女を連れて帰るので、荷物になる子どもを置いてあなた(長姉)は実家へ帰ってくれていい、縁は無かったようで残念だ、子どもは彼女が可愛がって育てると言っている、と。

任せろ、と。

自慢の顔面、ヤスリかけて尖らせた爪で引っ掻いてぎざぎざにしたって気の済まないアホ手紙を送ってよこし、自分(あほドロン)の幸せを、心の広いあなた(長姉)は祈ってくれるよね、とか、チェホフはそんなセリフ書かんぞ、みたいな。さすがロブンチュ-タイ、な、浮世ばなれした文をば、よこした。

再び長姉は考えた。結論。

子どもを、半分こ。跡取りになる男の子と、愛想のいい顔も可愛い女の子は、残して。他の2人(自分たちは捨てられたのだと理解していて可愛げの無い一番上の女の子と、やけどの瘢痕の無惨な末の子)は、連れて行けと。

それでどうだと伺い立てる義父に、初めて真っ向から「NO」を。

野たれ死んでも子どもらを半分こになど分けんわ、と。子ども4人ぜんぶ、いただいて帰ります、と。

持ち込んだ家具家電類、ぜんぶ置いて、離婚届も書いて置いて、そこを出て来た。

母子5人である。働けなかったから現金など持っていない。亡母は実家の援助を厚く受けた人だったが、もう田舎は絶えてしまっている。伯父に子は無かった。もう一人の伯父の方は、京都で続いているが。

叔母がへそくりを出してくれて(長姉の結婚には大反対したのだったが)、次姉も出して、私も出した。私はその時、けっこう現金を持っていた。親も家も持たぬ娘だったが、稼いでいたんだ。

住まいを確保して、頼める最低限のことを役所に頼んで、子どもたちのことは次姉と次姉の夫の援助を受けて、叔父叔母にも世話になって長姉は、朝から夜まで働いた。そのうち調理師免許を取った。女子寮に住み込んで、それなりに落ち着いた。勝手によそへ住み込んだと、かつて宗教に走って自分たちが帰る家を家を失くしたと母親をなじった娘、長姉は、以後ずいぶんたって、同じ言葉で責めを受けることを、当時は予想しなかっただろう。

偽ドロンは、上の男の子、長姉の長男が20歳になった時、会いたいと、人づてに申し入れて来た。長姉は息子にどうするかと聞いた。息子は、お父さんに会ってみたいと言った。

父子は会った。父親は、息子と腕相撲をして負けたらしい。負けて、何か口走ったその言葉が、大きくなる過程でずっと父性なるものに憧れを抱いていた息子には、悲しいくらい卑屈で、言い訳がましいものにうつったようだ。

黙って戻って来て、気が済んだ、と言った。それから何も言わなくなった。この甥は介護の仕事に就いている。結婚相手が連れていた二人の子どもを、相手が急死してしまった今も、大切に面倒みて、これが俺の生きがいだと言っている。

長姉の長女は、自分も4人産んだ最後の子が、いま、大学の2回生。あと3人も自分たち夫婦の力で大学を出した。住宅ローンも抱えている。だんなさんの実家は義姉夫婦が継いでいる、親はもういない。ばりばり働いて、いつもかちんかちんに肩を凝らしている。着物が好きで、このたびの年忌にも和装だった。長姉を引き取って、凄まじいバトルを繰り広げながら、気の強いお姉ちゃん役をつとめている。あまり突っ張らかっているのが哀れだが、どうしようもない。グチの聞き役になってやるには遠すぎる町にいる。

海の見える町である。よく、海を見に行くと言っていた。

次女は、いわゆる玉の輿と言われた子。可愛くて賢くて我慢強い。今度会ったら、それがはじけてしまったようで、離婚ほやほや、湯気が出ていた。子は3人。この姪も、こどもだけ全部もらった、と。みんな無鉄砲だ、仕方が無い。

生後半年で父親と生き別れた末っ子は、30歳過ぎて司法試験に合格した。個室など望むべくもない環境で、驚異の集中力を見せて励んでいたが、やっと望みを果たした。学生時代から付き合っていた女性が、自分も目指した法曹の道への思いを甥に振り向けて、アルバイトをして支えてくれた。で、試験に受かった甥と、結婚した。

引き出物に、ゴディバのチョコレートが添えられていた。

バカラのグラス、なんてものも、あった。

父親が早くにいなくなって。

長姉にも私にも、さまざまあった歳月だったが。

ゴディバか。バカラか。新しい世代はこうなんだと、その時、妙におかしかった。甥夫婦に子は授かっていないが、睦まじく暮らしている様子が見てとれる。。

こんどの母の年祭に、その甥の妻もきてくれていた。

心の籠った挨拶を皆にしていた。わが「がはは」の血族とは、いささか型が違うかな。

あれこれ、まだまだあるが、亡母も嬉しいだろうと、素直に思った。

さあっと書いてこれだけ、いっぱい他にもエピソードはあるけど、綺麗メに今日は、パソ打ちを止めます。
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

 海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
 夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

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