FC2ブログ

KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 未分類
  2. tb: 0
  3. cm: 2
  4. [ edit ]

走り書き

こんばんは。
一番後ろに、もう少し書かせてもらいました。
よんろしければ、読んでいただくと嬉しいです。


こんにちは。
コメントたくさん、お返事したくてうずうずしてますが、今からまた出かけます。
今日、そうだったのかやっぱりな、と、震えるような気持ちで読ませていただいたものを、貼り付けさせてもらいます。
夜更けにお会いしましょお!。


福島から他の地へ移っておられるお父さんのようです。
報道統制が思われて、その酷さに戦慄します。
・・・そうだったんだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

震災直後は騒然としていました。
放射能については、誰も危ないといってはくれませんでした。
震災のあと数日後にの12日~15日ころなどは、スーパーなども青空市場となって再開していました。
あとになって、一番放射能が高い時期だとわかったのですが、
誰もそのような危険性を知らせてくれなかったので、
自分と娘はその青空市場にかなりの時間並んでしまいました。

福島市内には放射能の多いホットスポットが点在しています。
ホットスポットといっても、公園がロープで囲われていて入るなと紙が貼ってあるだけです。
自分の娘の通う学校が放射線量が高いホットスポットだと知ったのは、
娘の学校が何度もTVに映されたかからです。
娘は面白がっていますが、親は気がきではありません。

自宅の放射線値をガイガーカウンターを借りて計ってみたところ、
自宅前で2.9、玄関で0.9 屋内で0.5。
3.9でホットスポットといわれるので、かなり高い数字でした。
テレビのアナウンサーは、この値はレントゲンのエックス線と同じ値だといいますが、
レントゲンは一日中あびません。
この値の放射線をずっと浴びつづけたら大変なことになると、
7月になって気がつきました。
それでも多くの人が避難していません。
その理由は情報がないからです。
放射線量が高いのいので子供は集団非難したほうがよいという記事は、
こちらの新聞には乗っていますが、フクシマの新聞には掲載されていません。
テレビなどで流されているのは「ガンバロウ福島」というかんじのものばかりです。
フクシマの人たちの間には大丈夫ムードがあります。
こちらに避難してから、テレビで放射能特集の番組をやっていたので、
まだフクシマにいる知り合いに電話したところ
同じ時間にお笑い番組をやっていた、ということがありました。
情報管制がしかれているのではないかと疑うほど情報がありません。
フクシマの知事も当初はフクシマからの避難の受け入れは必要ないといっていたので、
周辺の県でも避難の受け入れがはじまりませんでした。
隣の山形での避難受け入れがやっとで7月に始まりましたが、申し込みが殺到してすぐに一杯になりました。

私の住んでいた地域では、学校の校庭は除洗したけれども、
通学路は除洗していません。放射線量も高いままです。
そのような状態なのにテレビでは除洗モデル地区として通学路の映像が流されています。

そのような地区で、娘は暑いのにマスクをして通学して、
避難するまでの4ヶ月の間、外で遊んでいました。

娘の学校に授業参観にいったのですが、学校内ではマスクはしていませんでしたが、
教室の校庭側の窓がすべて閉められていました。
廊下の窓はあいていましたが、汗ダラダラの暑さでした。
扇風機が4機あって動いていましたが、暑い空気を循環させるだけなのでより暑い感じがしました。

テレビ番組で、その学校のプールサイドで放射能測定機の針が振り切れるということがありました。
学校側はプールの水を抜いて除洗しましたが、保護者の猛反対にあって、プールの授業は
市内の室内プールで行うことになりました。
その室内プールは、いろいろな学校がつかっているので、プールは週に1日だけです。
プールも水を足でバチャバチャしただけで終わってつまらないと娘が言っていました。

放射能は目に見えません。
避難する前に庭いじりをしていたときに、自分と妻の手の指がただれるということがありました。
これが放射能のぜいかどうかは分かりませんが、とても気になります。

チェルノブイリのかけはし」というチェルノブイリの子どもを北海道に避難する支援をしているNPO法人の代表の方の講演会を聞きにいく機会がありました。
避難してきたチェルノブイリから避難してきた子供の写真は、目の下にクマがあり不健康そうでしたが、
おなじ子供の避難後一ヶ月の写真では、イキイキしていて健康そうな顔になっており、まったく人相が変わっていました。
放射能は目に見えないけれど、実際にあるんだと痛感しました。
これを機会に避難することにしました。

車に子供を乗せて、日本海側を通って岐阜に避難しました。
子供が行きたくないと泣きました。
東北からかなり離れた途中の休憩所で、娘が
「ここは放射能ないの、この石触っていい?」と聞きました。
なんてことはない、どこにでもある石ですが、いまは娘のリュックに大事そうに入っています。
放射能があるから触るな、と言いつづけることは、親にも負担です。
外でごく普通に遊べるといことは、本当にすばらしいことです。

フクシマの公園では誰も遊んでいません。
子供の健康のことを考えると、もどりたくありません。
中日新聞にはフクシマの子供の4割に甲状腺以上が見つかったという記事がありました。
一緒に避難したお母さんも涙目になって話をしていました。

自分たちはこちらに移転することを考えていますが、
子供が放射線のことでイジメられないかが心配です。
被爆したことのある人が、婚約を破棄された例もあると聞いています。

こちらにやってきてホテルに宿泊するときも、
宿泊拒否されるんじゃないか、ということが心配でした。
手続きをしている間もずと心配で、実際に部屋に案内されて、部屋に入ってしまうまで、
宿泊拒否されるんじゃないかと心配をしていました。

Q:避難に際して仕事以外での障害はなんでしょうか?
A:コミュニティの問題があります。
移住した先では子供にも友達がいないので新しい友達ができるか不安です。
母親たちにもママ友がいません。
知っている人も周囲にいないので不安です。
地域の地理などもわかりません。
同じ地域の人たちが集団で移住すれば安心です。
もともとすんでいた地域での人間関係が壊れることが心配です。
フクシマから離れることを「逃げる」といわれるのではないかと心配です。
自分たちも近所には移住することを話していません。
とても言える雰囲気ではありません。
フクシマでは放射能のことは話題にならないのです。

Q:コミュニティごとに移住する話はありませんか
A:高山にそのようなことをしている古民家があります。
有志のかたがやっているものです。
本当はそのようなことは行政がしなければいけません。
各市で100づつ受け入れなどをすればなんとかなるような気もしますが、
行政が動くには協定を結んで利面倒くさい手続きが多いです。
先日話をした年配の方は、むかしの戦争のときなどは集団疎開をしていたのだから、
いまもそうやって避難させればいいと言っていました。

Q:何十年かたって放射能が薄まったらフクシマに戻る気はありますか?
A:たとえば30年たったあとにフクシマに戻るかと言われても難しいと思います。
娘もこちらで30年たてばこちらでの生活があるでしょうからできないと思います。
政府は当初100ミリシーベルトまで大丈夫と行っていましたが、
あとで数値を見直しました。
パニックを避けるためにそのような値を発表したと言っていますが、
知らずに子供を外であそばせた人もいます。

こちらにやってきても、フクシマ産の野菜などは怖くて買えません。
でも子供は知らないので買い物カゴにいれてしまうのを、
母親カゴから戻したりしています。

こちらでは毎日放射能のニュースが流れています。
こっちの人は、現場にも情報が伝わっているとおもっていますが、
実際には伝わっていません。
マスコミや議員にも原発関連でお金が流れていると聞きます。

関連リンク:
Restaurant+Cafe FORUM(会場となったお店)
http://www.forum-jp.com/
佐藤瑛気さんのブログとHP

ここで「始めまして」のソナチネさん、ようこそいらして下さいました。ずっと読んでくださってるなんて、KUON、嬉し~い、です。あ。アタマ、後ろから。ゴツン、された・・真面目に嬉しいです。

記事をご紹介、ありがとうございました。
これについて、知り得たことを、書かせてもらいますね。
ひょっとしてガッカリ、して頂くようなことかも知らんが・・やっぱり書く、それは解って下さると信じて。

あくまで、私が今、知りうること、の範囲です。。。

プルシァン・ブルー。うっとりするような美しい名前、実際にも、本当に美しい、濃いブルー。

画材屋などで見たら、絵を描く予定無くても、一本買いたいような色です。

私の知識だから数字方面はやや、かなり、あやふやになりますが、数百年くらい前に、人間が初めて、人工の力で作り出した「色」だとか。それまでは、岩石を砕いてすり潰したり、樹や野菜の皮、花や葉っぱの色を、いただいてたそうです。

浮世絵が今なお、もてはやされているのは、このブルーの力による。という説もあるとか。

いろんな富士の、背景の空ね。役者の衣裳とか、ね。

ブルーという色が好きなあまりに、前置き長し。

その、プルシアン・ブルー。

大きな特徴が二つあるとか。

顔料として使われている限りは、何の毒性も持たない。

毒になる色って、けっこうあるのですが。脱線。

@酸やアルカリと出会うと、この美しい顔料は、分裂します。

プルシアン・ブルーというもので、なくなる。だから色は失せるそうです。この実験は実際見ました、本当に青が消えうせるんです。

そして、うまくゆかないと、シアンというものになる。

@もう一つ。熱による・・・熱分裂を起こすと・・・どの程度の分量で、熱で、と、詳しく書くのは私には無理ですが(脳内で数字が分裂を起こして、結果、すべての数字が消失するという化学変化が起きる)、実際に、高濃度の放射性物質、特にセシウムは、集まると熱を発し始めるのですね、だから、プルシアン・ブルーとセシウムを、簡単に言えば合わせると、どんどん、高熱になって来る、とは、考えやすいことですね。

硝酸のことには今は触れないとして。

プルシアン・ブルー、別名フェロシアン化鉄。これは、熱をくらうとガスを出します。シアンガス。青酸ガス。致死量、けっこう僅かです。死なないまでも、神経系統にイヤなおまけを残します。

セシウム。これは、集まると、熱くなって来る性質があります。現在も現場で、むき出しの炉心に注水を続けているのは、熱くなって来させないためなんです。
膨大な汚染水を作り続けているのは、ウランでの発電には、常時、冷やし続けるということが絶対必要だから。

熱くなるとまた、爆発するんです、一言で言ってしまうと、そうなんです。

で。そーすると、ですね。

考えとしては、ますます危ないのと違うか、と。
セシウムを除けられた、として、それを、高濃度になった(セシウム含みの水でぼたぼたのスポンジを、ぎゅうっと絞った、スポンジそのものは無くならない、という感じ。このスポンジをどう処分するか、どこへやるか。熱を、もし持って来ないにしても、その、、高濃度のスポンジ(たとえです)を、どうするか。

その答が、出ていないんです。

セシウムを、色んな方法で、除けて、集めて、までは、さまざまな人が、必死で真摯に考えておられるでしょう。

セシウム牛、なんて呼ばれてしまった沢山の牛、あやしいお米、なんて、神経の無いやつに揶揄されてしまった米が、どこで、どう処分されたか、どこにも出ていません。

燃やしてしまった・・・その灰の中に、セシウムは残っています。

少しだけ書かせてもらいます、私の周囲の有志も、関西の某大学と共同研究、タッグを組んで、なんとかならないものかと、地道にあれこれやってます。

福島の現場は、利権でがちがちになっていて例えどこかの誰かが、今の状況を解決できる素晴らしいことを考えあげたとしても、聞く耳持ちません。

これは、私が、相手にされないから悔しくて言っているのではない、ホントの、本当のことです。

どんな発見も技術も、自分たちの外部から沸いたものは、見る目を持ちません。

それが、今のこの国だと断言したい・・・していいですよね。

まず、現場の収束を図らなければ、何も、どうにもならない。

はからない。コンクリートと鉛で固める。それしか無いのにしない。

事故直後、その話も出たのです。誰でも、本当は、そう考えている。

でも、しなかった。

東電は、まだ、炉を、使いたかったのです。

地下ダムの話も、出ていた。

東電はそれもしたくなかった。自分の会社の都合で。







スポンサーサイト





  1. 2011.09.07 (水) 21:50
  2. URL
  3. yuuta
  4. [ edit ]

KUONさん

お話読んで 何か言いたいのに何を言ったらいいのか、、、

福島の方たち本当に大変だと思います
自己防衛などというレベルじゃないでしょう
個人のすることなどたかがしれてますもの

政府 自治体 マスコミ 知らん顔しないで!
早く早くなんとかしてあげてください!
  1. 2011.09.08 (木) 11:27
  2. URL
  3. ソナチネ
  4. [ edit ]

ありがとう !

KUONさん

ありがとうございます。

プルシアンブルー材は、問題ありなのですね。


いま わたしがチェックしているのは、3つあります。

その1 原発をコンクリートと鉛で固めて放射能を出さないようにしろ・・・と。。。誰かが言いだしてくれないか。。。

その2 汚染された廃棄物を、あっち、こっちに移動するのではなく、なんとか体積が減らせないものか。。。

その3 海を壁で囲う。。。
    (これは、工程表がでましたね。)


自分では何もできないけれど、どなたかが発信して下されば・・・・ついて行けるものなら~ 自分に出来ることがあれば~と、おもう毎日です。



KUONさん
プルシアンブルー と ゼオライト
まぎゃくに、、、、いるように、、、おもいました。

これからも よろしくおねがいします。


 管理者にだけ表示を許可する
 

trackback


ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・