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こふのとり  舞ふ

皇居の歌会始は1月15日。

歴史は長く、連綿と続けられてきた行事ですが、皇居・松の間で行われるこのことは、戦後になって、国籍人種老若男女の区別無く、英語や点字での応募も受けられるようになりました。

天皇陛下の御製(ぎょせい)、皇后陛下の御歌(みうた)、東宮をはじめ皇族方の歌から召人がたのうた、入選歌までが、独特の調子でよみあげられる。招かれた人々は一堂に会して朗詠を聴く。

今年のお題は「静」です。せい。

どこかで読んで噴き出してしまったのですが、うたは何とか出しても本人の姿無し、なんてこともある、東宮妃雅子妃殿下。プロ静養家って書いてあって、つい大笑い。

今はお休み可、でも、この行事も、いざ皇后位につかれて先のまさこさん、欠席ではかっこつかん、具合悪いわけなのですが、どうなのでしょう。

プロ静養家の在り方、貫かれるなら、鎌倉時代から守り受け継がれてきたこのことも、どもならんことになるのだそうですが。

その代で壊れると予想予測される、多くの大切なもののうちの、一つに、なり果てるのか、歌会始も。



もっと沢山引用させていただきたいなか、平成18年のあたりからの、両陛下の御製、御歌を、味あわせていただきました。



平成24年 「岸 」

天皇陛下御製

津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる

皇后陛下御歌

帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず

平成23年 「葉」

天皇陛下御製

五十年の祝ひの年に共に蒔きし白樺の葉に暑き日の射す

皇后陛下御歌

おほかたの枯葉は枝に残りつつ今日まんさくの花ひとつ咲く

平成22年 「光」

天皇陛下御製

木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中(まなか)草青みたり

皇后陛下御歌

君とゆく道の果たての遠白(とほしろ)く夕暮れてなほ光あるらし

平成21年 「生」

天皇陛下御製

生きものの織りなして生くる様(さま)見つつ皇居に住みて十五年経(へ)ぬ

皇后陛下御歌

生命(いのち)あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り蚊(ユスリカ)の舞ふ

平成20年 「火」

天皇陛下御製

炬火台に火は燃え盛り彼方なる林は秋の色を帯び初む

皇后陛下御歌

灯火(ひ)を振れば彼方の明かり共に揺れ旅行(ゆ)くひと日夜(よる)に入りゆく

平成19年 「月 」

天皇陛下御製

務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり

皇后陛下御歌

年ごとに月の在(あ)りどを確かむる歳旦祭(さいたんさい)に君を送りて

平成18年 「笑み」

天皇陛下御製

トロンハイムの運河を行けば家々の窓より人ら笑みて手を振る

皇后陛下御歌

笑み交(か)はしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ

平成17年 「歩み」

天皇陛下御製

戦(いくさ)なき世を歩みきて思ひ出づかの難(かた)き日を生きし人々

皇后陛下御歌

風通ふあしたの小径(こみち)歩みゆく癒えざるも君清(すが)しくまして



・・・秋篠宮家に悠仁親王殿下がご誕生になったのが、平成18年の9月のことでした。

当時は今のように皇室をのことを強く考えていたのではなかったですが、ものすごく嬉しかった記憶はあります。

目の前が拓けたような気持ち。はあ、よかったなあ、と。

大阪へ仕事に向かっていた日で、どこやらのピーコックストアの前で信号待ちしていた時。

はっきり覚えています。あの時の私は、もの知らずにもお人よしにも、

「雅子サンもホッとされただろうなあ」

なんて感慨さえ抱いていた。自分に無理なら、弟さんチにお世継ぎの男の子が生まれて、安心されるのでないかな、と。

大甘でしたね、当時のKUON。本当に、せめて皇統の続くのを喜べる(とりあえず内心は問わない)、東宮妃としての気概を持ちうる、そんな雅子サンなら良かったのにね、と、今もちょっと思った、ちょっと笑おう。ははは。

笑いが乾きます、あかんですわ。

それはともかく。

悠仁さまがお生まれの年の歌会始のお題が「笑」であり、うたをお詠みになられたのは、17年のうちのことのはずなので、秋篠宮両殿下は、悠仁さまがもうすぐ来られることなど、ご存じない頃だったと考えます・・・もしかして、両殿下のお気持ちの中には世人の知らぬ何かがおありだったのかも知れませんが詮索は無し。

ご夫妻の「こうのとり」の御歌と、実際の親王殿下ご誕生のことが、ハタ、と手を打つ感じに合致して、清々しかったのでした。

秋篠宮同妃両殿下、歌会始のおうた。

平成18年「笑」

文仁親王殿下

人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく

文仁親王妃紀子殿下

飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる

平成19年 「月」

文仁親王殿下

モンゴルを走る列車の車窓より見えし満月大地照らせり

文仁親王妃紀子殿下

月てらす夜半の病舎にいとけなき子らの命を人らまもれり

平成20年 「火」

文仁親王殿下

囲炉裏の火見つつ話を聞くときに心ときめく古老らの智に

文仁親王妃紀子殿下

夕闇にかがり火あかくてらしたる鵜匠は手縄かろらかにひく

平成21年「生」

文仁親王殿下

大空に放たれし朱鷺新たなる生活求めて野へと飛びゆく

文仁親王妃紀子殿下

地震(なゐ)うけし地域の人らの支へあひ生きる姿に励まされたり

平成22年 「光」

文仁親王殿下

イグアスの蛍は数多光りつつ散り交ふ影は星の如くに

文仁親王妃紀子殿下

早春の光さやけく木々の間に咲きそめにけるかたかごの花

平成23年「葉」

文仁親王殿下

山峡に直に立ちたる青松の嫋やかなる葉に清けさ覚ゆ

文仁親王妃紀子殿下

天蚕(やままゆ)はまてばしひの葉につつまれてうすき緑の繭をつむげり

平成24年「岸」

文仁親王殿下

湧水の戻りし川の岸辺より魚影を見つつ人ら嬉しむ

文仁親王妃紀子殿下

難き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる

平成25年 「立」

文仁親王殿下

立山にて姿を見たる雷鳥の穏やかな様に心和めり

文仁親王妃紀子殿下

凜として立つ園児らの歌ごゑは冬日の部屋にあかるくひびく


不遜ながら感想めいたことを書かせていただきます、秋篠宮さまのお心のおおらかさ、広さの、心地のよさ。

紀子さまの芯の強さお気持ちの深さ柔らかさ、養蚕のことも、皇室の女性としてきちんと受け継がれておられる紀子さまらしく、さりげなくうたに詠まれておられる。

そして、この項を書くためにさまざまなお歌を探して読ませていただくうちに、見つけて、胸を打たれた一首。

昨年はじめの歌会始の、三笠宮妃殿下の百合子さまの、おうた。

崇仁親王妃百合子殿下

「俄かにも雲立ち渡る山なみのをちに光れりつよき稻妻」

三笠宮両殿下は今年、皇居の参賀にも揃ってお出ましでした。

殿下はご高齢での手術を乗り越えて99歳。妃殿下は去年、脚を骨折されましたが立ってのお出ましでした。

皇族、華族として生い立ち、お育ちになった方のお気持ちを忖度する愚を侵すこころを持ちません。が、三男、長男と逆縁で喪われ、二男殿下は車椅子の身。皇室にお残りのお孫さん5人は未だ未婚。(ここ、補足させていただきます。この5人の女王さまがたの今後のお役割等には、ここでは触れません。あくまで、百合子さまの、まだまだ、の気迫に関してのみの感想とさせて頂きたいです。)

これ以上の失礼は申しません。ただ、百合子妃殿下のうたの、強さ、激しさに、驚愕しました。皇族のうたにこういったものは珍しい気がして。

迸り出た一首と感じました。

雅子さんがプロの静養家なら、並べて語るもおそれおおいが百合子妃殿下は「プロの皇族」。

その迫力、気概、なにやかやかまびすしいことも言われておりますが、一首に込められた、まだまだ負けてはいませんよ、の思い、頭を垂れる思いで、感じ入った私でした。

静かな気概の圧力で、あのどうしようもない静養家とやらを、吹き飛ばしていただきたい、などと、夢見てしまいました。



こうのとりの御歌は、歌碑にもなっております。兵庫県豊岡市。





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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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