FC2ブログ

KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 虚しいこと
  2. tb: 0
  3. cm: 4
  4. [ edit ]

二人いる?。

すでに少し古くなった12月13日号の週刊朝日。朝のお日さまは好きだが朝日関係の出版物は嫌い、でも読んでみました。

「雅子さま20年の皇室生活をたどるお歌20」

がタイトルです。「祝50歳」らしい。

「皇太子さまの歌、愛子さまの歌、そしてご病気の時の歌」

とも書かれております。記事のはじまりは

「皇室と歌とは、車の両輪のように歩みをともにしてきた。天皇や上皇の指示で古今和歌集などが編集され、今日でも、皇室では毎月、歌を詠む「月次歌会(つきなみのうたかい)」が開催されている。

このうち、毎年1月に行われるのが「歌会始の儀(うたかいはじめのぎ)」だ。(略)記録上最も古くは鎌倉時代中期、亀山天皇の文永4(1267)年に開かれている(略)」


この歌会始の儀に雅子さんは、結婚後最初の正月から参加されています。琵琶湖を詠んだ。皇太子も琵琶湖を詠んでいる。

短歌は、先達のような方が、素材をなるべく生かすよう心掛けながら「添削」を行って発表されることの多い文芸です。独学の方もおられるが、何かのグループに入って始めた方の歌は、多かれ少なかれ、手が入っていると考えられます。

詠んだ人の気持ち、情景や言いたいこと、どこがポイントか、を、おさえて、何度も言いますが「思い」を大切にしながら形を整えるのが一般的なやり方で、添削する人と作者の感性に通うものがあると、

「そう、先生そうなんです、こう言いたかったの! 」という感じで、詠み人にも幸せな歌になりますが、反対の場合もあるし、時には、素材は魚です、魚であることを確認して、このように「魚のうた」にしあげてみました。と、料理人の腕まかせの作品にもなる・・・

   君と見る波しづかなる琵琶の湖さやけき月は水面おし照る

     きみとみる なみしづかなる びはのうみ さやけきつきは みのもおしてる

堂々として格調の高いうた、と、私も読ませていただきました。

 
これについて栗木京子さん、という歌人が、記事中でほめあげている。栗木さんは

    観覧車回れよ回れ想い出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)

                                    「水惑星」


という、印象深い名歌を持つ方です。その方が

「素直でまっすぐな表現をされていて、ゆるやかな調べが続いている」

と評価。さらに最後の「水面おし照る」という表現は「万葉集の中にある格調高い言葉です」とも。

海外生活が長く、ご結婚まで本格的に歌に触れられる機会がほとんどなかった雅子さまだが「持って生まれた感性の豊かさ、聡明さを感じさせます」

ですと。なるほど。

 七年をみちびきたまふ我が君と語らひの時重ねつつ来ぬ

      ななとせを みちびきたまふ わがきみと かたらひのとき かさねつつきぬ

これが2000年の雅子さまのうた。

東宮妃らしい穏やかに優しい匂いのうたで、これが実像だったらばどんなに・・と思います。両陛下のご心痛も無く、私ごとき者が、このごときことを書き続ける事態も無かったでしょう。

私が知っているあの方のうたとは、考えにくいのですが、しかし、雅子さまのうただと、記録が残されている。

この年にはこの後、江頭豊死亡、雅子さんは香淳皇后陛下の葬儀を欠席。以降、体調不良を理由とした公務や祭祀への欠席が目立ち始める・・・と、朝日誌の註釈にある。

わが脳内に、改めて読み返しての???が飛び回ろうとも、うた、そのものは、とても素晴らしいものが残っているんです。

雄大で骨太。うたとして胸にしみて来る大らかで豊かなうたがあります。


   夕映えの砂漠の町にひびきくる祈りの時をつぐる歌声            1995年

   大地震(おほなゐ)のかなしみ耐へて立ちなほりはげむ人らの姿あかるし   1997年

   ルワンダへ長く連なる土の道あゆむ人らに幸多くあれ            1998年

   摩文仁なる礎(いしじ)の丘に見はるかす空よりあをくなぎわたる海     1999年


本当に、このようなうたを詠まれ、皇太子殿下や人々の気持ちに大きく寄り添って下さる妃殿下であって下さったら、と、うたの素晴らしさについ、無いモノねだりの思いがよぎります。

東宮妃のうたは「たしなみ」であって構わないのでしょう。妃の本分は他にあります。

入内を前のお妃教育の一つとして、岡野弘彦氏が雅子さんの和歌の相談役をつとめられたようです。先日、皆さま和服の中で、着物は苦手だと洋装で出られた天皇陛下のお茶会の卓に、雅子さんと共につかれた方。現在89歳。

雅子さまは「頭がよく感性の鋭い方で質問がとても鋭くセンスが良く、作られる歌も初めてとは思えないほどお上手だった」と仰っています。最初の歌会始の琵琶湖の歌がいちばん心に鮮明に残っていると。

お妃教育が終了しても月一回、御所で皇太子さま、雅子さまそれぞれに抗議をされた、二人の仲睦まじさに何度も温かい気持ちにさせていただいた、と。

岡野氏は、2007年に(うたの)御用掛を辞されたのでしたが、その後どなたかが指南されたのか、雅子さんが教えを受けておられたか、その後の妃の歌は、変わられました。

うまいとかどうだとか・・・そういうものでなく、理論立てては私には言えません、あくまで感想。ただ、変わったと思う。

岡野氏は雅子さんにとって、良き師であられたのでしょう。おそらく。

うたの弟子に対して理解する力、造形する力、を、大きくお持ちだったのでしょう。

愛子さんが生まれて、雅子さんのうたも、お子さんを詠んだものが増えました。

   寝入る前かたらひすごすひと時の吾子の笑顔は幸ひに満つ

2004年のうた。この5月に皇太子は記者会見で「人格否定発言」をする。

7月には適応障害で療養中と公表されました。

日常的にうたを詠む人・・どんなこともうたにする人、しなくてはいられない人・・でないと、こういう頃に歌会用の歌を用意する、作る、ということは、難しいと考えます。雅子さんの「現実」と「うた柄」が結びつき難くて、困惑します。

雅子さまという方は、ご自身の感情には、大変素直と言うか、こらえ性の無いご性質と、常々思う所あり・・・。

有名歌人の俵万智さんも文中で、雅子さますばらしい、それはそれは輝いていた、と、書いておられます。

2001年の暮れに愛子さんをご出産後、愛子さんのうたオンリーになった雅子さんを、自分も出産後は

「読む歌の八割が息子のことになりました」と理解を示しています。、

    どこまでも歩けそうなる皮の靴いるけどいないパパから届く

                                  「プーさんの鼻」

自分の意思で結婚しないで子を生み、その子を自分の力で育てる俵万智は、歌をつくることを生業としている。何をどれだけ詠んでも、それを望む人がいる限り「俵万智」は成り立つわけ。

うたが面白ければ実生活の不倫も可、かんけーない、なる価値観の人間もいる。きょとんとした顔して、よその夫であり父である男の子どもを、けろっとして生んで、才能は本当にすっごくある人だから、コメントもこうして出す。

「お子さまが大きな支えだったことは間違いありません。それは私も同じ。愛子さまを通して、教育、環境などを詠まれるとよいのでは」

と記し、

「おこがましいけれど『お互い頑張りましょう』という気持ちです」

だそうです。はは。エール送ってるわ。

俵万智は、皇太子妃という立場の女性のすべきことの内容を、多くの方々のように、ご存じないんだろうな、と思いました。

少し上に岡野弘彦氏について触れさせてもらいましたが、もう少し、記事中から引きます。


「10月、文化功労者の顕彰を受け、約6年ぶりに皇居で雅子さまにお会いしました。お顔色が非常に良く、表情もいきいきとされていて、本当にお元気になられていました。大変、ほっとしました」

ということです。

あの日の雅子妃殿下が、公式の場であるから持っておられた白い手袋を、椅子の背もたれの下に置いて・・・お尻の下に敷いておられて、表マスコミは絶対に言わないことを言われ、どれだけ多くの人に笑われているか・・・は、ご存じないのですものね。

栗木さんも俵さんも、完成された雅子さんの作品を読んでの感想。うたは、ご立派と思います。

皇族のうたらしく、つくってもらわれています。それでいいのだと思います。


雅子さんがご自分の言葉で話されたそのままを引用して、もう一人、全く異なる雅子サマがおられるんか、と、クラクラする思いに、自分なりの納得を、したい、しようと、考える次第です。


 それと,今年の夏に,クワガタ,昆虫のクワガタですけれども,クワガタがここの御所の窓の
外の所で弱っているのを見付けました。私自身,ここにクワガタがいるということ自体驚きだったんでございますけれども,皇太子殿下がお小さいころには,クワガタや,カブトムシもここにたくさんいたとかということで,殿下も大変久しぶりにご覧になられたということでしたけれども,そのクワガタが弱っておりましたので,保護いたしまして飼育いたしました。そして,その後,雌を加えて一緒に飼育してみましたところ,繁殖いたしまして,卵を産んで,今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは取り掛かってみて分かったのですけれども,クワガタの場合,成虫になるまでは3年ぐらい掛かるということで,割と長い3年掛かりの仕事になるかしらと思っております。子供のころに親しんだ昆虫に,また触れることができて,そのことによって,いろいろな,例えば虫ですとか,そういった小さな命一つ一つが大変いとおしく思えてくるものでございまして,そのようなことから,現代の子供たちにもそういう体験をすることというのはとても大切なことなんではないかしらと感じております

                     1998年、雅子妃35歳。



ちなみに、皇居の歌会始の儀の、2014年のお題は「静」。

「さて新春、雅子さまはどんな歌を詠まれるのだろうか」

と、週刊朝日の記者さん(女性)も、最後に言葉を置いておられます。


申し訳ないですがバタバタしていてお返事遅れています。

明日は少しゆっくりできます、楽しみにお返事させて頂こうと思います。


蛇足ながら「二人いる?」は冗談です。
スポンサーサイト





  1. 2013.12.06 (金) 08:31
  2. URL
  3. メゾピアノ
  4. [ edit ]

添削

KUON様、
初めてコメント書かせていただきます。メゾピアノと申します。
こちらのブログは1ヶ月ほど前から読ませていただいております。
私、ナルさんとは同じ学年になります。(年がバレますね。)
母が皇室好きで、とりわけ当時皇太子妃だった美智子様の大ファン。
小さい頃はテレビの皇室アルバムなんぞよく見ておりました。
あの頃のナルさん、アーヤを知るものとしては今のお二人、どこでどうして何でこうなったんだ?って思います。
あの頃のお二人、テレビを拝見する限りでは
ナルさんはいつもお行儀良くハメを外さない。
方や、アーヤはちょっとやんちゃな次男坊てなイメージでしたが
でも、今いろいろな東宮ご夫婦について書かれたものを読むと
そう言えば、ナルさんって子供の時からご家族の中で何となく家族の輪の中から少し浮いていたような場面もあったような気がします。
ナルさん自身にもなにか障害があるのではと言われておりますが
でも、当時(昭和40年代)はそういう方面の情報は今と比べればあまりに少なく、あまり関心もなく
ちょっと変?と思うことがあってもさほど深刻に受け止めることはなかったのでしょうね。

それで、今日のお歌の件を読み、個人的にちょっと懐かしくなってしまって。
実は私の父が小さな短歌の結社の主宰者をしておりました。
確かに、KUONさんが書かれているように
父もよくお弟子さんの歌を添削しておりました。
毎月発行の同人誌はもちろんのこと
お弟子さんが歌集を出すーもちろん自費出版ですがーともなれば
膨大な量の歌に手を加えていました。
記事を読みながら、そんな父の姿を思い出してしまいました。
子供の頃は、何やってるんだかとあまり興味ももたなかったのですが。

雅子さんのお歌も当然、皇太子妃に相応しいものにということで
先生の手が入っていることと思います。
そして、岡野先生が去られた後は、誰かに丸投げ?ゴーストライターがいるとか?
そういうことも充分にあり得そうな気がしてきました。
  1. 2013.12.06 (金) 12:25
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

メゾピアノさん。

初めていらして下さり、ありがとうございます。

読んで頂いていて嬉しいです。恥ずかしい、とか書かないのがワタシらしい・・・でへ。

お父様が短歌結社の主催者でいらしたのですか。私も、姑の自宅の一部が小さな結社の本部になっていましたので、お父様は勿論、支えられたお母さまの大変でいらしたこと、わかる気がします。姑は主催者でなく、場所をお使いいただいていただけでしたが。
通って来られる主催者の方、編集の方々を、お手伝いさせていただいてました。

損得では出来得ないことですね。

日本人のDNAに染みついた五七五のリズム、削って削って残すしてゆく、芯の言葉。

メゾピアノさんにも、知らず移った芳香のようなリズムが、秘められているのではないですか?。

雅子妃のおうたに、どうこう、いちゃもんつける気はさすがのワタシにも無いのです、伝統の世界には、ともかく形をつくりあげることが大切、という不文律の部分もあるとくらいは自覚していまして。笑。

ただ、雅子さんに関しては、どんな方向から見ても、あまりにも本当でないことが造り上げられ過ぎている、との感じを拭えませんし、それが、情報を与えられる側の方々に、正しい目を持たせない方向に行ってしまうことに、不安と恐怖を覚えます。

お立場にある方として、ふさわしくなさ過ぎる方が、このまま進んで行かれることが、コワいです。

そんなに熱く国だのなんだの、考えて生きて来ているのでもないですが、短歌のこと一つとっても、代が代わればどうなるか、と、もしも、ではない恐怖があるんです。

即位したら皇居をつぶすとか、神社を壊すとか、噂にしても根強く囁かれ続けている東宮夫婦を、と、ぐいぐい、考えてしまうんですね~。

…初めておいで下さったお方に、言いたい放題、ごめんなさいとお詫びします、どうぞドン引きされず、また、いらして下さいね!。
  1. 2013.12.06 (金) 21:50
  2. URL
  3. ぽちゃこ
  4. [ edit ]

やだ…

タイトル見て『(アノ)二人要る?』って脳内変換しちゃいました(笑)御歌の変遷史、感嘆しつつ読みました。ご自身もブログでお詠みになるKUONさんならではの視点ですね『妃の歌はお子様ばかり』と何かで読んで、さて以前は?と思っていたので疑問が解けてスッキリです。しかしこうも変わるもんなんでしょか??ライターさんも(居れば)大変だなぁ…。
  1. 2013.12.09 (月) 21:20
  2. URL
  3. KUON
  4. [ edit ]

ぽちゃこ さん。
「十一年前吾子の生まれたる師走の夜立待月はあかく照りたり」
という歌がありますね、雅子さんの去年の。あちこちで字余りだ何だと言われていた一首。
あれも、わたし思うに、たとえば雅子さんは「十一年前わが子が生まれたあの師走の夜に立待月が明るく(あるいは赤く)照っていた、と、そのままを呈されたのだと思うんです。それを、必ず皇室にはおられる係の方が、こうしたらどうかとアドバイスされたのではないかと。師走と言うには12月1日はちゅっと、だし、立待月はもう少し秋の匂いだし、とか。
「あかく」には「明るく」と「赤く」ち両方の意味がある、明るくと言うには立待月はスペースが狭い月(私の解釈)、赤く、だとすると、赤い月、という言葉は、どちらかと言うとめでたさより、不吉方向・・・と、教えても、聞く耳無かったのかなと思う。で、形だけ整えた、ということだったのだと、こういうこと、コテコテ考えるの、趣味で・・・笑。
生まれたる、の部分も、考えようがあると思う・・・。聞いて下さってありがとう!。

 管理者にだけ表示を許可する
 

trackback


ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・