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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

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いっそすがすがしいばか。

  わが国は神のすゑなり神祀る昔の手ぶり忘るなよゆめ

                                  明治天皇御製

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今朝も一番で買って来た週刊文春。なかなかセマっています。

本日発売の内容を引用する失礼を、今日も、お許しいただくことにします。

この色の部分が文春の記事そのままか、略した引用部分です。ルビはKUONが足しました。陛下や殿下でなく・・・さま、との呼称は、誌面のままに。


「・6月16日。宮中皇霊殿で「皇淳皇后例祭の儀」が行われた。

衣擦れの音のみが響く静謐な雰囲気の中、天皇は玉串を持ち(略)立ったり座ったりの動作を繰り返される。拝礼を終えて退出されると、入れ替わりに小袿(こうちぎ)、長袴(ながばかま)を召された皇后が御拝される。通常であれば、引き続き装束をお召しになった皇太子と雅子さまが拝礼される。」


しかし二人の姿はそこになかった。

スペインより帰国の皇太子を、雅子さんは、東宮御所の玄関で出迎えていた。(しつこく加筆。皇室ご一家のお集まりの夜の翌朝、額にコブ様の傷跡をお飾りになって殿下お一人、出立されたスペイン行きのことです)。

「この祭祀は、美智子さまが、体調を心配し欠席をお勧めした進言がある中で、あえて臨んだ宮中祭祀でした。」

その一週間前から頸椎症性神経根症の痛みから公務をお休みだった、車での移動が首の痛みにさわるから葉山へのご静養も取りやめておられた、そのような状態であったが

「「宮中祭祀の女性側の礼法が途絶えてしまうことを心配され、お出ましになったのです」。

「ぜひ雅子さまにも、宮中祭祀の次代の担い手であるという自覚を持ってお出ましに」


なって頂きたかった、と「宮内庁関係者」が、泣きごと(とは書いていません)めいたそうでして。

・皇后、皇太子妃がお出ましの宮中祭祀は年間13回。それに式年祭が加わる。式年祭とは、天皇ご崩御の後の節目の命日に行われる祭祀。

・美智子さまは昨年は7回、宮中祭祀に臨まれた。最近は、医師の助言で限定的にされている。

・今年の10月17日の神嘗祭も欠席された。

・おすべらかしのかつらは大変重く首を動かすのも難しい。


そうなのです。

雅子さんはこの10年で回、祭祀に出ている。

・2009年1月7日の「昭和天皇20年式年祭の儀・皇霊祭の儀。

・その時は武蔵野陵(むさしののみささぎ)にいらした両陛下の代拝をした。

・それは2003年9月の「秋季皇霊祭の儀・秋季神殿祭の儀」以来、約5年4ケ月ぶりの祭祀への参加であった。

それで、おしまい。10年に2回。


2003年から長期療養、ということになった雅子さん。

ある職員(誰かは知らねど)が心配して、このままでいいのでしょうかと尋ねた。

皇太子殿下の答えは

「参加しなくていい」であったと。その職員、ご落胆。思わず「ご」をつけてしまいました。

この↑話自体は「~そうだ、~らしい、」の範疇ではあります。けれど皇太子は確かに、2006年の誕生日会見で、

宮中で行われている祭祀については、私たちは大切なものと考えていますが、雅子が携わるのは、通常の公務が行われるようになってからということになると思います」

と述べています。

は~。一言ずつ検証したい。私たちは大切なものと考えている」。この「たち」は、ボクとマサコ、ではないですよね。ね?。

通常の公務が行われるようになってからということになる、というここは、誰が喋っているの?。ナルさん、あなたどなた?、で、「思います」とは、そこだけあなたの言葉?、ボクは、こう、言われてるから、うん、あまり追求されると困るんだよね、ってか? 」

皇太子って、それくらいの感じで、祭祀ということにあたっておられるのかな、へえ、ほお、力抜けます。

絶体、自分の代になったら、まっさきに、たり~、やめよ~、になるよね。なりますよね。

それも、自分では決めないよね。

「祭祀は、まあむにゃむにゃで、行わないということになって行くということになって行くと思います」

その時、あなたの前にいてあなたにマイクを向ける者。どこのどなたでしょうやら。

売国の徒、コウタイシナルヒト。早く早く退いてくれないと、いいかげん、耐えられない。


・・・雅子さんは宮中の「潔斎」がお厭なのだとも書いてある。

装束にお召し代えの前には、湯殿で掛け湯をして身を清める、女官の前で裸に近い恰好になる、それが「お嫌いだ」とか。

洋の東西を問わずそういったことは付き物。

マリー・アントワネットは、フランスへ嫁ぐにあたって、国境に於いて、すべての身に着けている物を取り換えた。ひそかめいてすることは、できない。

出産も、取り違えをさせないため、貴族たちの見守る部屋だった。

日本にもそういったことは沢山あった。遥か昔の姫君たちには、世俗的な意味での羞恥という感覚が養われていなかった。

着替えも何も、すべて人の手をもって行われたから。周囲にいて、体を拭いたり着替えをさせたりする人の手は「人」ではなかった。

何をも疑わず何をも自分のアタマの中で決済することの無い人間を、要したのでした。素直に、置かれた場所で、置かれたままでいることを。その要があった。

生理中は宮中祭祀には出られない。穢れ、と考えられていたから。女性蔑視、母性蔑視と声をあげる者はたとえいても、それが習わし。その期間にはさまざま用具も専用のものを用いた。

清潔の観念も実際も現代とは異なるので、生理中の女性を区別するのは逆に、ある種の「保護」だったと、私などは考えます。

雅子さんは、基礎体温表をつけるよう進言した東宮侍医長を更迭した実績をお持ちです。

プライバシーの侵害であると。

それこそ心外。

特殊な場所である皇室へ、その小さな一点をもっても、入るべきでなかった人です。

なぜ。どうして。それは多くの場合大切な「なぜ」であって、尊重されれば、いずれの方向へ羽ばたいて行く可能性を秘める「なぜ」。多くの場合には。

しかし本来、宮中祭祀とは非科学的で、非合理的なものです。

{(皇居にあがった)当時、上の方には、‘神さまのことは研究してはいけない。ただ素直に御用をさせていただくように。研究をすると神さまにご縁がなくなるのですよ‘と教えていただきました」
内掌典という宮中のご用を57年間つとめられた、高谷朝子さん、という方が、インタビューを受けて仰られたことだそうです。

これを、そうなのか、と受け入れるか、ワタクシには納得できませんと、されるか。

平民の身に、どう言うこともできないことではあります。

しかし、そういうもの、なのです。

例えば雅子妃が、ご自身の「意味」を求める生き方を、なさり続けるおつもりなら、いまおられるその場は、あまりにもふさわない所。雅子妃の、もしかして在るかもしれない美点を、全く生かすことの不可能な、旧弊かつ窮屈な場所。

退かれるがいい。のではありますまいか。

宮中祭祀は、口伝でのみ伝えられるものであるとも、今週はすっごく頑張っているこの週刊誌には書いてあります。

所作を伝えるだけなら映像や資料を残せばいいわけですが、それは違う。マニュアルで伝えるものではないのです。いわば宮中祭祀の作法そのものが‘無形文化財‘と言える。身体が所作を覚えることで、心もそういう気持ちになる。神様の前なので自分勝手な所作は許されず、女官が装束の裾を払うとか足元をかがり火で照らすなど一つ一つ決められている。それらは継続していないと次につながらないので、皇后さまは無理をしても祭祀に臨んでいるのです。それが今回の文書に<次の時代まで運ぶ者でありたい>と綴られたご真意なのではないでしょうか。

すっごく偉そうに述べますが、しっかりと取材をされての記事だと読みました。偏りが感じられないのがこころよかった。

って、まだ終わりではありません。

ありませんが、時間無くなりました。もうすぐ出かけなければなりません。

この続きは次回とさせて頂きたいです。夜、帰って、可能なら続きを書きたい。

コメント下さっている皆様にも、手を取ってじゃんじゃん振って振りまくって、泣きたい気持ちで「そうそう、うんうん、ありがとう、そうだよね~、と、申し上げたいです。

それは少し後の楽しみにさせていただきます。


ちょこっと。

以下のあたりには、さすが、の視線(今は「まざござま」より、国民寄りに気持ち向いてますよワタシラ、ハイ、の方針)が見て取れて、わたし笑いそうになった・・・てか、笑いました。

「週明けの21日、愛子さまの初等科参観日には、朝一番にご一家は3人で車で登校され、皇太子ご夫妻は1時間目から4時間目まで全ての授業をご覧になった」。

「10月31日に予定されている秋の園遊会に10年ぶりにご出席される可能性もあると言われています。その日はハロウィンですから、妹の池田礼子さんのお宅で恒例のパーテイをなさるかもしれませんね」。


うはははははは。

行ってきます。







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  1. 2013.10.24 (木) 20:39
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  3. 瓶子
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きつね と 言霊

おはようございます
今日は 少し長い書き込みになるかもしれません
御免なすって・・

と 途中まで下書きして 置いていたコメントの続きです
今回は 「今晩は」 に なってしまいましたが・・

先月は 出雲の大社,今月は遷御のあとの伊勢神宮のお参りに行ってきました

日頃の不信心の所為か 大社では折角 巫女さんの舞と祝詞でお払いを受けながら 神様を感じることが出来ず おおやしろと日本一の日の丸を見上げて帰ってきました

地方の神社の名も無い神主さんなどのオームや石笛(いわぶえ)で神さんが降りてきたと感じたことがあったので 大社では少し残念

お伊勢さんでは それなりに厳かな雰囲気でしたが 五十鈴川で B5 のノートパソコンほどもある 藻屑蟹が二匹も のそのそ這っているのを見つけて はしゃいだり 罰当たりなお参りでした
一つには 高千穂の近くで育ちましたので 天照大神というと 岩戸に隠れて だまされて誘い出された神さんという神楽の影響で 親しみが先にたつのかもしれません

そうそう お伊勢さんでは 中でお神酒を一瓶お土産にいただいて 帰りました
まさに 平家物語のように 伊勢の瓶子でしたが すがめでは無く つるつるの瓶子でした


ところで 最近 節目の時が訪れたのか ナルト マサコヒや その眷属に対する風当たりが随分と強くなったように思います
またその人々の資質も散々な書かれようを されています

実は 遠い昔のこと
ものを良く見ることが出来る 私の敬愛する神道系の先生が 皇太子がまだ幼い頃に 日本を救う光を持った皇子に成長されるというようなことを言われました

当時 その言葉に期待もし また 政治的活動の出来ない戦後の皇室で どうしてそのような人になれるのだろうか と疑問にも思いながら また戦争でも起きるのだろうか思ったり・・・
そんなこんなで 30年 40年と 経ってしまいました

その先生は 早くになくなってしまいましたが 最近では 今の皇太子の様を拝見するにつけ はて 一体どのようにして 日本を救う光になるのだろうかと 首をかしげております

師が言ったことが 間違いなのか 秋篠宮様との混同だったのか それとも 最後の最後に どんでん返しで 皇太子が自分で自分の不始末のけりをつけ 周りの不浄の物を道連れに皇室や日本の清浄化が一気に進むということになるのだろうかと 思ったりしていました

そんな中 先ほど その答えかも知れないと思えるような書き込みを読みました
でも 縁が無かったのか その記事をコピーしようと思っても そこに戻れません

例の「べべ着て帰ろう」の唄が一体何処から来たものか探していて ツナ缶さんの記事がまとめてあるところで見たような・・

つづめて言うと 人間の温もりを味わうことのない 姫宮の御父にあたられるナル皇太子は諸刃の剣
それが 巫女となるべき妃の代わりに 邪悪なあれを妃としてしまったために 聖剣となるべき身が魔剣となってしまったというようなことが 書いてありました
そういうことかなと 少し納得

改めて 昭和大帝の正しさを 感じます


ところで マサコヒまたは雑子(どちらも 瓶子という字に 似ていてちょっと残念)または ドス子 マタ子のことを 狐にたとえて かかれるようですが 少し 狐がかわいそう


平成の始めの頃 家の都合で 国道176を通って 阪神から 綾部や宮津に 高速道路の建設で通っていました

秋口の朝早くに 篠山の近くを通過すると 作り直したばかりの 176 の上で 狐が よく轢かれていました
ようやく 国道の路体に獣用の通り道を 作るなどの思いやりが 話題になりかけたころでした

朝晩 行き来するたびに ずっと同じ場所で 狐の死骸が増えていきます
同じ 道路工事をするものとして 狐にすまない気持ちでした
きっと 家族を探しに来て その度に はねられていたのでしょう

一秋で 狐の家族が いなくなるほどの 数でした
でも また 次の秋に 同じくらいの狐が 犠牲になりました
三年か四年は 少しずつ数が減りながら そのような状況が続いたでしょうか

そのうち 狐の犠牲は見なくなりましたが 狐が学習して迂回路を見つけたのか 付近の狐が 根絶やしになったのかは 分かりません

そこの国道は 冬の前になると 予算の消化のためか いつも 視覚障害者用のブロック見たいなポッチの盛り上がりがつづく道路のセンターラインを 作っていましたが 冬になって雪が積もると 雪かきで 出来たばかりのそのポッチを根こそぎ削ってしまう 馬鹿なことを毎年繰り返していました(あ 余計な話でした)

そのように 狐の家族愛を 見てきたので 狐が いかにもずるがしこく 食っちゃ寝を繰り返し ぼさぼさ頭で豚のように丸くなった人間の代名詞にされるのが 気の毒に思えました

狐も 必死で生きているのだよ~
家族を大事に しているのだよ~

そういえば 小学校の頃から いまでも 愛読書の一つの シートンの「スプリングフィールドの狐」の話も 狐が好きな理由の一つかな?

あの話は 最後に巣穴が見つかって 狐の子供が一匹を残して殺されてしまいました
残った子は おとりとして 鎖につながれていました
母狐が 毎晩 狩をした獲物を子供のところに持ってきて 子供が食べている間 鎖を噛み切ろうと 無駄な努力をしますが 子供を解放しきれないと あきらめたとき 本当は食べてはいけないと教えるはずだった 毒入りの餌をもってきて与えます
それが 子供を鎖からの解放する唯一の道だったのですね

親の愛・・

愛子さんは どのように解放されるのでしょうか
  1. 2013.10.24 (木) 20:39
  2. URL
  3. 瓶子
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きつね と 言霊(続き)

それから 同じところあたりに 言霊のことが 書いてありました

いま 怨嗟の声が 東宮(皇太子)や東宮妃(皇太子妃)に上がっているけど 固有名を使わずに代名詞でそういうことを 行っていると 次の皇太子や皇太子妃にも影響がでるというようなことでした
ある意味 納得できる話かとも・・
コピーしておきます

言霊について
----------------------------------------------------------------[711]本当にあった怖い名無し<sage>
2008/11/18(火) 20:58:26 ID:5wz7FgGD0
ずっと前にも書き込みしたことがあるんですが、言霊の件で気になる点があります。

例えば
「皇太子はダメだ」とか
「東宮はいなくなれ」
という主旨の発言が、このスレにもあると思います。
しかし、その表現には注意を払う必要があるのではないか、と思えてなりません。

皇太子や東宮は個人名ではありません。
秋篠宮殿下が立太子すれば、殿下が「皇太子」であり「東宮」です。
秋篠宮殿下が天皇に即位すれば、直ちに悠仁さまが立太子され、「東宮」となり「皇太子」となります。

皇室が連綿と未来へ続いてゆくためには、「皇太子」「東宮」は安定して繁栄せねばなりません。
「皇太子がダメ」であったり「東宮がいなく」なれば、天皇の跡継ぎがそんな状態では、皇室は安定しません。
言葉には実現性がある、という観点から言霊を捉えますと、これは実は大変おそろしいことかもしれません。

どうすればよいか、否定的なレスでは「皇太子」や「東宮」などの言葉を使わなければ良いのではないか、と考えます。
徳仁殿、浩宮と記せば良いのです。

同じことが「皇太子妃」にも言えます。

賛同していただける方が一人でもおられれば、と思い書き込みしました。
あとは皆様のご判断にゆだねます。
ありがとうございました。
----------------------------------------------------------------
  1. 2013.10.24 (木) 22:48
  2. URL
  3. モッコク
  4. [ edit ]

皇后陛下の片想いが続く。

やる気も無く、出ても来ない雅子さんは皇后さまのなさりようを見ていないのだから、せっせと皇后さまが祭祀に励まれ、体で覚えたことを伝えたいとおっしゃるその伝えたい相手は、紀子さまなり眞子さまなんじゃないか?とも思うようになりました。
文春を読んでないのでKUONさんの記事を頼りに私が勝手に思ったことです。
甘い態度しか示すことが出来ない現在ーーーお立場ゆえであっても、自論を貫くというお考えゆえであってもーーー許されるのは自分に厳しくすることだけ。今の両陛下のとれる態度はこれだけ。
世紀の御成婚、皇室に新しい風、マイホームが大切の両陛下の歩まれてきた結果がこれ、これしか出来ないと思うと両陛下もお気の毒だと思います。

祭祀において、女性は女性ならではの配慮があり、それは保護の意味があるというご意見、全く同感です。

プライバシー!言ってみました。!
今になってはこの程度の受け取られ方しかない。
プライバシーを持ち出す雅子さん自身がプライベートがあってないような、どころか、プライベートだだ漏れだし。

私、両陛下の水俣ご訪問の映像をワクワクしながら待っています。

  1. 2013.10.25 (金) 01:27
  2. URL
  3. やまのこ
  4. [ edit ]

ボクとマサコちゃん

宮中で行われている祭祀については、私たちは大切なものと考えていますが、雅子が携わるのは、通常の公務が行われるようになってからということになると思います」

私たち=ボクとマサコちゃん
大切なものと考えてるダケ~
最も大切ではなく「普通」
通常の公務(顔見世)ってお手振りだけですよね。

考える・思う
ナルさんは使い分けされてるような
意味無くなのか・・・うーん
「馬鹿の考える事は馬鹿しかわからない」
らしいです・・・頭が痛くなります。。。
KUONさんもお気を付けて下さいませ。

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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