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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

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なるほど・・。

[日の本」というサイトで、現在の妃殿下や内親王殿下、昭和天皇の第一皇女の照宮内親王殿下の書かれたものを読みました。

一部あるいは全文を、うつさせていただきます。コピーできなかったので書き写しました。誤字脱字の無いよう、今日は念を入れて確かめました。平仮名を漢字に変換したりしないように。

皇室のひとであられた、また、なられた順にさせていただきます。


照宮成子内親王殿下。

私はどういうめぐり合わせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。
いつどこにおいてもわたしは優れていなければならない。私は皇室を背負っている。
私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。どうして安閑としていられよう。
高い木には風が当たり易い。
それなのに高きにありながら多くの弱点をもつ自分をみるときこの地位にいる資格があるか
どうか恐ろしくなる。自分の能力は誰よりも自分で一番よくわかっている。
ともかく私は自分で自分を育て築きあげていかなければならない。
この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られそして人知れず
死に行く運命をもった人々の前に立った時、護衛の警官やおおぜいのお供をひきつれている
自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。



川嶋紀子さん(オーストリー在)、小学校卒業時。

(略)私達が八幡平に訪ねている間ずっとよいお天気にめぐまれ、翌日は松尾校舎にさよならをしなければならない三日目の朝も、青い空は、大きく広がっていました。
(略)私はペッタン、ペッタンとおもちのつかれる音を、空を見上げながら聞きました。
(略)お手伝いをして下さるおば様が、タライの水を手の上にのせ
うすの中のおもちにつけて下さいました。きねを持ち上げると思ったより重く、前についていた友達が軽そうに持ち上げていたきねと違う気がしました。
(略)私にとっては生まれて初めてのおもちつきで、それまでいただいた中で最高のおもちでした。



秋篠宮眞子内親王殿下。初等科卒業作文。

五年生の春休みに、家族と一緒に奈良県と京都府を訪れました。
(略)また、奈良鳥類研究所では上村淳之先生からいろいろな鳥についての楽しい説明を受けました。
先生は鳥を描くためにはその生態をよく知り、自分の心の中で鳥の様子を想像できるようにすることが大事であるとお話し下さいました。
(略)そしていつか、今にも飛び立ちそうな鳥の絵を描きたいと思います。



小和田雅子さん。小学校卒業文集。

(略)私たちは「コジュウケイ」のはくせいをつくることにしました。
その鳥は学校の窓ガラスにぶつかって死んだのだと先生はおっしゃいました。
肛門からはさみをいれておなかの皮をさきます。その後肉を切らないようにして
中の肉を取り出します。
そのためには、足とつばさを適当なところから切らなければなりません。
足はうまくいきました。(略)
残るは翼一個となりました。そこは先生がなさいました。ところが何という失敗!。
先生がつばさを切り落としてしまったのです!。
あと、頭のところの肉を取れば肉が取れたのに。
そして、かわかしたあと、中身を入れてはくせいができたのに・・・・・とても残念!。



敬宮愛子内親王殿下 詩。

「本当の喜び」  敬宮愛子

おおなわをした

でもうまく飛べない

みんなはできているのに

私だけできない

すごく心細かった

みんなに申し訳ないような気がする

次の日もおおなわをした

最初はできなかった

でもこつをつかんだのかとべた

とべた!

これが本当の喜びの気がした

達成感があった

明日も

これからも

この喜びを絶対に

忘れたくないな

(初等科文集「小ざくら」より女性自身2012年4月10日号掲載)


照宮さまは、ご結婚後に皇族であられたご夫君と共に皇籍を離脱されて、内職されたり遠くまで安い食べ物を求めて行かれたりの生活も経験されました。作文は17歳のころのものだとのことです。

5人のお子さまを残して、36歳で癌死されたそうです。子どもの頃、母が、ヒガシクニシゲコさん、お気の毒に、とか話していた記憶があります。亡くなった頃だったのでしょうか。

「達成感」は、子どもの使うコトバでない気が、わたしには、します。大人の浅知恵がぷんぷんにおいます。

文は人なり。って、確かにそうかもしれません。

わが子の詩さえ創作してしまった(かどうか、あくまでKUONの私見ですが)方は、当然、学歴もお偽りでした。

BB様のブログよりお借りして来ました。



秋葉様へとレティ様へ (雅子卑と同学年のおばちゃん)

2013-10-12 15:34:05

>2田園双葉の入試に3回落ちて、双子が受かった事で、落ちた3回目に優美子が「雅子の教育に悪い」と泣いて懇願して前代未聞のお情けで編入させてもらう。
⇒これは、本当。「魚の尾びれって何のこと?」という雅子の無知無教養ぶりで落ちるの当たり前
帰国子女の学力が低い事は、昔からのこと。親が教育熱心か否かで、大きく分かれるのが帰国子女の学力

おばちゃんの父親も商社マンで海外転勤多かったので、おばちゃんも帰国子女です。
南米から日本に帰国したのは雅子卑と同じ小1のときですが、都心の区立小学校ではレベルが合わないということで私立小学校の帰国子女枠で某女子校に入りました。

雅子卑のwikiを読むと「1971年(昭和46年)3月、目黒区立原町小学校第1学年に編入して、同年5月に、新宿区立富久小学校第2学年に編入する。」

これが本当に不思議でたまらないのです。

何故かというと目黒の原町小の方が明らかにレベル高い学校だからです。

富久小学校は花園神社から抜弁天に抜けるところにある区立ですが、当時荒れていて学校崩壊していたようなところなんです。同時代だからよく解るのだけれど。

もし小和田父が引っ越しをして、富久町の学区に移ったと仮定しても、
まともな親なら原町小に通学させ続けるのでは無いかと・・・。
田園調布雙葉学園は世田谷にあるのだし、目黒の原町小の方が
編入にも通学にも便利なんですよね。

そしてもっと不思議だったのは当時の田園調布雙葉学園は
いわゆる「ブランド校」でした。

九品仏から通い中学では一切募集しない。
(いわゆる全員小学校から無条件で中学へ行ける)
それで雅子卑は田園調布雙葉学園の高等部に進学出来たのに、
小和田父に着いてアメリカの公立高校へ転校。これも時代性を知っているとあり得ないのです。

あの時代、ちょうど昭和56年くらいでしょうか?まともな子弟教育するのなら
「女子寮」などに入れて、日本の大学受験を選択するはずなのです。

こう申し上げては失礼ですけれど、アメリカの公立高校はレベル低いし、
学年も一年ずれてしまうのですから。

雅子卑と同じ年令のおばちゃんの同級生もご両親が転勤で海外に行きましたが、
その同級生はついていきませんでした。小学校低学年の妹さんのみご両親が連れて。

あとwikiでおばちゃんが不思議に思うところ。
昭和56年にアメリカの公立高校を卒業しているところ。

おばちゃんは昭和39年3月生まれで、高校卒業は昭和57年3月なんです。
大学と違い高校の場合単位などございませんから、通常1学年卒業がずれるのです。
おばちゃんの高校時代の同級生が高2の時1年間アメリカの高校に留学して、
卒業は昭和58年3月でしたから。

雅子卑ご優秀伝説には本当に首をかしげます。
妹さんの経歴には高校のときアメリカにという記述もございませんし、
「1988年(昭和63年)3月に慶應義塾大学法学部を卒業」という事は
昭和59年4月に入学なさっている訳です。
生年月日が1966年7月ならおばちゃんより2歳下でぴったり合うのです。
と考えると・・・雅子卑だけ連れてアメリカ勤務だったのでしょうか?
そもそもあり得ない設定なのですけれど。

ご存知のようにアメリカの学校の進学時期は9月なので、妹さんが同行していたら、
慶応の法学部に入学できる訳が無いのです。

雅子卑の学歴は本当に変なんですよね。

同級生のおばちゃんからすると「本当に田園雙葉の高校に行って
アメリカの公立高校卒業したの?」なんです。

卒業の年代が飛び級出来るほどの頭脳の持ち主以外合わないんです。
もしおばちゃんの仮説が正しいのであればマスゴミが
「雅子さまは飛び級で高校を卒業しと喧伝するはずなんです。
本当に雅子卑はハーバードを卒業しているのでしょうか????
レティさまは雅子卑に詳しそうなのでお答えいただけますか?
卒業年度のズレがなぜ起こったのか?



以下はBB

そのアメリカの高校での成績はBマイナスかC。
通常ではハーバードに入れないところ、ラドクリフ女子校に
入学、それがハーバードに合併吸収されるときに、
当時ハーバードの名誉教授であった小和田恒氏の師弟枠と
マイノリティ枠を使って入学、卒論は代筆。

東大はその経歴を用いて海外子女枠を用いた、学士入学。教室にはほとんど出ないまま、
つまり、入学も卒業もせぬままフェイドアウト。

外務省には当時VIPの師弟枠が5人分あり(現在はない)、それを用いて入省するも、
職場で父親を「お父様」呼ばわり。父親の駐車場を用いてマイカー通勤するも、
そのかたわら外務省から電車通勤としての交通費をガメ続ける。
写真週刊誌で画像と共に暴露される。

通訳を頼まれると立ち往生で、泣いて帰る。
オックスフォードに外務省から送り込まれるが
1人だけ修士号をもらえぬまま帰国。
(この頃、自民党の越智隆雄氏と結婚を意識した深い交際あり)

学歴のみに絞って言えば、要するに父親である小和田恒氏の
権力が及ばない所、田園双葉に入学できず、オックスフォードでは
学位取れず、と如実。

英語力は断片ながら、動画でチェック出来るが少なくとも流暢とは言いがたい。

以上記憶のままに流し打ち。詳しい方からの情報、あるいは指摘を待ちます。

雅子妃に否定的な某夫人のブログによると、外務省の試験では2位に大差をつけての
入省とされていて、こちらで入手した情報とは異なるのですが、その情報の
出元は外務省官僚であり、その官僚(公使)が表向きの「現象」のみ信じこんだ発言ではないかと思われます。つまり点数に大幅に下駄がはかされたのではないか、という。
小和田恒氏はそれだけの権力者です。
会見時におけるご発言の言葉の整理のなさ、
表現のくだくだしさ、語ってはならぬこと、たとえば「海外に出られない暮らしに、適応するのに
大変だった」に見られる、不用意さなどから、喧伝される「ご優秀さ」には
首を傾げざるを得ないのです。皇室に入った身で「自分らしさ」などと口走る頭の悪さ。普通の頭脳の持ち主なら言わないです。

頭に載せてる葉っぱが落ちた。葉っぱは学歴、ティアラなどでしょうか。ティアラを見かけませんが、どうなさったのでしょうね。

某夫人のブログ話題のついでに・・・・・
(この夫人の話を引き合いに出すと、がっかりしましたなどとお叱りを
受けるので困るのですが、お話を引き合いに出すからといって、その方を
全肯定しているわけではありません。「言葉の引用部分に関しては、
是とする」ということです。正論の多い方、とりわけ皇室関連は正しい意見が
多いのですが、こと北朝鮮になると、首を傾げます。

その夫人がデザイナーの君島一郎氏と個人的に接触があり、
君島氏談として、小和田優美子氏からどんどんドレスの注文があり(優美子氏の
ものも含めてというニュアンス)君島氏が払いを心配して、夫人に不安を漏らした
そうなのですが、優美子氏の答えは「(娘が)皇室に入りさえすれば、大丈夫}と
いうものだったそうで、これは後の小和田家の公私混同ぶりが如実に
解るエピソードですね。
東南アジアの貧しい国々は、一家の誰かが出世すると、一族郎党がどさどさ、
娘の嫁ぎ先に寄生する慣習がありますが、小和田家はいちおうアッパークラスの
日本人ではないのでしょうか。
チッソ水俣の、雅子妃にとっては母方祖父にあたる江頭豊氏のために
東宮をお金をかけてバリアフリーにされ、祖父祖母は東宮の庭園を散策するのを
楽しみにしていた、などと聞くと、国民としては萎えるばかりです。
皇室というものへの敬意も畏れもない一族のようで、今でも雅子妃の両親、
妹さんが入り浸り、宿泊すらなさっているようですね。

さて、皇太子ご夫妻のオランダご静養に関して、天皇皇后両陛下から
大変厳しいご批判の言葉が浴びせられているので、ご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=qCRYGMHDmas&feature=endscreen&NR=1



久能などという、友納尚子などと並んで、皇室をネタに食っている御用評論家が
甘く言いくるめようとしていますが、誰が聞いても天皇陛下は東宮夫妻の
有り様に厳しい苦言を呈していらっしゃるし、皇后陛下はご公務について
穏やかな優しい口調ながら、大変厳しい批判をなさっています。
天皇陛下は明瞭に、オランダに静養ごときで行くべきではない、
甘ったれるな、と言外(以上)に、おっしゃっています。
マスコミも、対応に困って「あたたかいアドバイス」などと逃げていますが、
アドバイスではなくはっきりと、糾弾です。いいかげんにせよと。
ご自身が若いころ昭和天皇の名代で、大変苦しい思いで海外を回られた
事に触れられ、皇室の海外行きはそれほど甘いものではないのだぞ、
とはっきり、おっしゃっているではないですか。
公務に関しては、皇后陛下も同じくです。

関係のない第三者であるBBが、思わず背筋が伸びる厳しさで、これを
感じ取れぬ時点で、東宮夫妻はダメですね。

過去記事から東宮夫妻に関しては、膨大にあれこれ書いてきました。
今感じるのは憤りではなく、むしろ悲しみです。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
雅子妃にも怒りではなく、憐れみというのは不遜ですので言葉を変えますが、
やはり悲しみの感情を抱きます。したい放題の、浅ましいお暮らしだとは
思いますが、ご本人がお幸せではなく、日々苦しいのが解るので。

暗愚の夫妻を暗愚のまま黙って受け入れ、天皇陛下陛下皇后陛下として
仰げ、という言い分が理解出来ぬではないのです。皇室というものは古来、
無条件受け入れ、批判対象の埒外に置かれて存在してきました。
時に不埒な人物も登場しましたが、それは皇室の器(うつわ)内で排除、自浄を
行いつつ、現在に至ります。しかし・・・・今現在が異常事態、前代未聞な
状況であることを、夥しい過去の累積記事の中で、いろいろな角度、
語り口で、想定読者ターゲットをそのつど変えながら、綴って参りました。

今上天皇陛下も、若い頃は色々批判があったと、皇太子擁護のために
言われますが、欺瞞です。一部批判は、必ず言われます。
あの昭和大帝でさえ「汝ら臣民飢えて死ね、朕はたらふく食っておる」と
罵られたのです。
しかし・・・・お二方が、公務と祭祀をなおざりになさったことはありません。
批判は一部の、いつの世も必ず一握りいる反皇室の輩であり、
現在の東宮夫妻のように相当数の国民とメディアが、危惧と怨嗟の
声を上げている状態は前代未聞です。

皇太子が自らの意志で、天皇訪韓謝罪を推進する韓国のハン・スンスや、パン・ギムンと
親しく接触したり、宮内庁の反対を押し切り、外務省にも無断で中共のVIP工作員に近づき、訪中を約束なさるなど、これまでの皇室の経験則など、何の役にも立たない、紅い皇太子と皇太子妃の誕生です。国民としてこれを阻止するのか、それでも皇室にはいっさいモノ申すべきでないと原理原則論を遵守するのか、その選択の仕方で東宮擁護と排除論者の
価値観が分かれるところです。

…引用ここまでです。





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  1. 2013.10.14 (月) 16:21
  2. URL
  3. さぶた
  4. [ edit ]

その人らしさ

KUON様、こんにちは。

家事と愛犬の散歩を午前中に済ませ、まったり過ごしております。

>文は人なり。

私も、そう思います。
照宮さまは、内親王としての凛とした中にも謙虚なお姿が思い浮かびます。
紀子さまは、当時から丁寧な言葉使いでお育ちだったのでしょう、眞子内親王殿下も似ていらして、素直で明るい作文です。

雅子さん、、、この題材を選ぶ時点で、???
感覚が違うのでしょう、、、、

愛子さんも、
作文や詩を書くときには、「!」は、あまり使いませんが、まるで、
同じ人物が書いたかのように
使ってありますね。
KUON様ご指摘の「達成感」も、
「本当の喜び」も「申し訳ないような」も、
なんだか
うそっぽい感じがします。


まだ1~2歳だった愛子さんをテレビで見た時、
当時小学生の息子が「この子、病気なの?」
と言っていました。
時々、鋭い指摘をする息子ですが、
悠仁親王殿下を一目見て、
「オーラ、はんぱない。まぶしすぎる。そして、かわいい。」と、言ってました。
我が子ながら、人を見る目は間違ってない、かと。
  1. 2013.10.15 (火) 18:23
  2. URL
  3. sarah
  4. [ edit ]

人柄が

文章には人柄が表れる・・・、ほんとうにそうですね。

照宮さま、今、知りました。
ほんとうに無知で、汗&涙。
17歳ときに書かれたとは~。
ノブレス・オブリージュとはこういうことかと、改めて知らされた思いです。
36歳で亡くなられるなんて・・・、もっともっと生きて皇室を見守っていただきたかった。

紀子ちゃんの文章は、とっても素直で雄大で、真っすぐなものを感じます。
母性も父性も、理性も感性も感じます。

「そしていつか、今にも飛び立ちそうな鳥の絵を描きたいと思います」
眞子ちゃんの表現、すばらしいですね~。
家族と一緒に・・・、幸せな思い出がいっぱいあることでしょう。

雅子さんの作文は、死んだ鳥を悼むこともなく、先生を非難するような部分もあって。読んだあとに不快感しか残りません。

愛子ちゃんのゴーストライター?は、お父さん?、というよりもお母さん?

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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