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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 旅のこと、とか
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神のみぞ、知る。

朝の時間のできるだけ早いうちに、お参りしたかった。

脚の調子がよくない。外宮から順序を踏んでの参詣を断念して、はじめから内宮を目指した。

九時、少し前に到着。おかげ横丁の入り口向かい側に車を入れる。「神宮会館」の駐車場。すでに満車に近い状態で、ぐるぐる屋上までのぼった。

ノルディック・ウォーキングと称される用の、細く軽い杖・・杖と言いたくないな、ストックを両手に、横町を進んで行く。

赤福本店の前を右に折れて、おはらい町というのか、往年のええじゃないか、の頃の賑わいを今に残す店店の前を、まっすぐに行く。右も左もさまざまな食べ物が溢れかえっている、自分の嗅覚が失われていることに感謝(笑)。においを感じることのできる鼻の所有者なら、どこかの店の誘惑に負けていること必然。伊賀牛の串焼き、とかコロッケとか。私はB級イーター。伊勢うどんの店からだって、おだしのいい匂いが流れ出ているのだろう。コーヒーだって。

な~んにも匂わないから、ストックで人様を突っつかないよう注意しながら、前進のみ。

宇治橋が見えて来た。

手前の手洗い所で、用意の白い上衣に着替える。旅行にリュックは必需品。

鳥居の手前中央に立って、拝礼。後から来てそのままくぐろうとしていた若いカップルが、立ち止まって慌ててちょこんと礼をする。顔が合ったので笑いかけたら、ニコッと返してくれた。

川の水は少ない。干上がっている。以前参った時は・・・と、たっぷりした流れだったのを思い出す。

川は好きだ。

次の鳥居まで橋を来て、空を見上げた。

けっこう分厚い雲が空を覆っていたのが、偶然なのか頭上の雲にきっぱり隙間があいて、太陽の光が、見上げる私の目を射た。

ありがとうございます。なんだか胸が震えた。

鳥居の奥はもう、神域だそう。

道の端をゆっくり歩く。濃い深い木々の緑が美しい。形を整えられた樹の多い中に、伸び伸びと・・・という以上に、好き放題な感じに枝を伸ばしている、あの樹は、何、なのかしら。梅、とか、背後から聞こえる。

人がどんどん増えて来る。

追いこされる。マイペースでゆっくり、行く。

私の住まう奈良の大社の神苑には鹿がいるが、ここには鶏がいる。

尾の長い白い鶏が、写真を撮られるにも慣れた様子で、とことこ、参拝者の前を横切ったりしている。

そういえば石上神宮にも、鶏がいるな・・・。

歩いて行く道にも樹が立っている。

巨大な樹の幹に、耳を寄せている人がいる。

抱っこした赤ちゃんのてのひらを、幹に触れさせている人がいる。

大きな樹の傍らで人は、素直になるのかな。

人は沢山歩いているのに、そして黙りこくっているでもない、話しかけたり笑い声を立てたりもしているのに、五月蠅い、猥雑な空気は無い。

入場料が要るでもなく関所のごときがあるでもなく、明るく自然に解放された伊勢の神宮。

人を制する人の姿も見かけない。勝手にみんな、行儀がいい。

思い思いに足を踏み入れて、人々は、前へ前へと進んでいる。

和みに満ちていながら奇妙に静かで、空気の吸いやすい感じ。

神様は、引き寄せられてここにいる人々を、無限に迎え入れ、それと感じさせない大きさで、抱きかかえて下さっているのか。

おんぶされた子ども、車椅子の上の人、若いカップルや何人もの子連れの両親。

落ち着いた夫婦連れ、何かのグループ、外国の方々。一人で左右を見回しながらの人もいる。

手水舎が見えた。

まず左手から、とばかりに、幼い坊やに教えながら洗ってやっている父親。母親は、もう少し小さい子の手に、水をかけてやっている。優しくも厳粛な親の気持ちを受け止めてか、生真面目に表情を引き締めている兄妹。かわいい姿。

私も寄って行ってふと見ると、さっき鳥居のあたりで笑顔を返してくれたカップルの彼の方が、彼女に、柄杓の傾け方を教えている。自分が今、目の前で知った通りのそのことを。

じわんと目が潤んだ。今風の、見かけ、おやんちゃ風の若いこの人たち、この素直な気持ちで、ずっと仲良くしていて欲しい。そしていつか、お父さんとお母さんになる日が来るなら再び、ここを訪れて、次の世代の幼い心に、伝えてあげて欲しい。

なんだか気恥ずかしいような純な(・・)思いが込み上げて、首にぐるんと巻き付けたタオルの端で、目を拭った・・・はは。


二十年ごとの遷宮、詳しいことは私は知らないのです、まだほとんど知らない、けれど、二十年という歳月の区切りには、きちんと意味があって。

幼い子どもが次の世代の親になり得る歳月。

若く細い樹が、年輪を重ねて太くなって、次の普請の役に立ちうる歳月。

檜皮葺の屋根のそこが、どっしりと育ちあがる、熟成される年月。

そんなことを、考えていた。


左側に、新しいお社が、見え隠れに、新しい色で見えて来て。

右側に、かりそめのものなのか、新しい板張りの舞台のような場所が見える。神様にお移りいただく時に、なにせ狭いところなので、必要なあれこれの置き場所にされるのかも・・・後で調べてみよう。

上の方から、トンテンカンと槌打つ音が聞こえる。十月を目前に、未だ工事は進行中。

着いた。

両手に握りしめたストックの助けを借りて石段を昇り、本宮の前で私も、祈りを捧げることが叶った。

感謝を述べることができた、知る限りの善き人々のことを、頭を垂れて胸に念じた、善き人々に善きことあれかし、と、願った。・・・後がぎっしりつかえているので、遠慮しながら。

おそらく今だけの通路だろう、裏口を通って、往路の途中に合流した。


伊勢の神宮。本宮は、とても小さい。私がお参りした場所の、奥は、もちろん広々とあるのだけれど、それにしても豪壮な、とか広壮な、とかいうものではない。そして二十年ごとに新しくされてしまう。

すごいことだなあ、と、子どものように感じた。

1300年の歴史。

いたずらに大きく豪勢に作りこまず。こけおどしにせず権威ばらず。

馴染んで来たら壊す、壊したものは、神域内の土に返す。いつだって次に向かって動いている、長い信仰は、いつだって新鮮に蘇り、生きている。

どなたかに叱られるかもしれない勝手な解釈、私は、こう、感じた。

伊勢の神宮は、過去の信仰のミイラではない、今も脈々と日々新しい信仰が生まれ、通っているんだ、と。

指先だけ触れた五十鈴川の水のように、流れ続けていて、淀まず。


満ち足りたあたたかい思いで、来た時のルートを戻った。

おかげ横丁の、一番出口(入口)に近い店で、珍しいものをいただいた。

「浪曲茶屋」というお店。余所は昼時もあってむんむんしていたし、参拝が済むまで飲食は待とうと、なんとなく考えていたので、最後の店へ。

ほうじ茶かき氷、なるものを、いただいた。底にほうじ茶ゼリーが敷いてある、ゼリーもあっさりした味で、かき氷のきめの細かさが素敵で、そういえばそれが、昨日初めて口にしたものでした。


あの神宮が、おかしな言い方だが「自分の家」のものであり、参詣の思いがあれば幾度でもお参り可能な立場でありながら、足を向けない一家がいる。

立場は立場でもそのお心向きが・・・などとクダクダ言うより、すべては、神のみぞ知る、それに尽きるのでしょう。


コメントをありがとうございます。

・鍵コメさん。

なんとも虚しいものです。でも、お伊勢詣でをして浮かれている今は、すこ~し、負けるもんか、の思いも。

・achabiさん。

フランス人は、以前もやらかしてくれていましたね。皮肉屋も多いのでしょう。しかし、本当にそれどころでない、どう言いようも無い、ごく近い国の暴言暴挙。自分の首を絞めることもいとわない、なんて上級のことでなく、自分の首絞めてるのが自分と気づかない・・・さ。

自縛。自爆。持つわけないです。何というか・・・やさいさんのブログへ行ってみて下さい。一緒に怒れます。同士の方多いです。ぜひ、行ってみてください。

・ソナチネさん。

ご無沙汰しております。なかなか出かけずいましたが、やっと。ストックは生協で購入しました、とても歩きやすくなります。

ご子息によろしくお伝えください、こちら、持続していますが、なかなか。なかなか。

・うさのうさみみさん。

私も、以前何度もお参りした時は、のんびり、呑気でした。このたび初めて、みたいな感慨があったりしまして。

行かれたのは皇太子ご夫妻のご成婚、少し前でしたか。あのご夫婦、今回なにか、哀れに感じてしまいました・・・。

お祈りさせていただいて来ましたよ。

・藍色さん。

内宮だけ参拝して、他どこへも行かず、帰り、用事をしに回りました。

車で三時間足らずで行けるのを幸い、機会あればまた近く、参りたいです。

家にいるのが基本的に好きなのですが、出癖をつけたいです。笑。

・やさいさ~ん。

私もやっと、参って来ました。いろんなこと感じたので、もう少し気持ちをまとめたいです。

今後もぜったいに引っ込まない、パワーは、あの大きな場所から、いただいた気がしまっす。

・アラ50さん。

ここでお返事させてもらいますこと、お許し下さい!。

黙っている人に心添って行くところが、自分にはあるようです。

口を、いったん開けば過激にもなる自分の、反対方向に憧れるのかも。

黙って察するという文化があったはずの日本、しかし、かしましい近隣の国に引きずられるように、言うが上にも針小棒大に言い立てて、どうしても「勝つ」ことにこだわって行く、みたいな風潮がはばきかす中、沈黙し続ける人の強さを、感じたりするのです。

信子妃殿下の八年の沈黙は、自分のためだけでなく、やはりお嬢様がたのことをもお考えになって、と、自分は考えるのでした。

皇族ではないが、それ以上にそれらしいお方と思い。

現在の東宮妃など、どんな意味でも比較の対象にもなりません。

昨日、伊勢へお参りをして、雅子さんは参らないのでなく、大きな力に、あそこへ体をお運びになることすら、許されて・・望まれていないのではないか、と、思いました。

以前、申し訳ないが冗談で書いたごとく、あの、神域への結界を、超えることは、おできにならないのだ、と。

無理って。あんた来なくていい、って。

また要らんこと言いました・・・。








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  1. 2013.09.15 (日) 17:54
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  3. やさい
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おかえりなさい

足は大丈夫ですか?


五十鈴川には精霊さんたちがいたでしょう?

五十鈴川のへりに降りて清流に手を浸せば、
日頃の疲れや憂さが流されるような感じ。
ヒーリングスポットね。

疲れや憂さを流して空になった体に
お伊勢さんのパワーがぐいぐいと入ってくるような感じ。
パワースポットね。


この清々しさを一生涯感じることができない(と、思う)トウグウさんたちは、
お気の毒なのか、けがらわしいのか・・

そうとうヤバイですよ。
  1. 2013.09.15 (日) 19:48
  2. URL
  3. すけみち
  4. [ edit ]

お帰りなさい

ご苦労様でございました。
感慨深い伊勢の神さまであったことと拝察します。入った瞬間に「気が流れている」のも不思議な場所です。かつてお参りに行ったときに私も詠ませていただきました。
 御裳すその川辺に寄りて禊する 夏の葉かけに水の清しき
神さまはすべて観ているのだと感じるのです。卑しき皇族、卑しき有名人、卑しき政治家。みんな「顔」に出ているじゃないですか。それがわかるKUONさまもコメントされている方々も「気高い」のです。
そのような方々にだけ、神前では「風が吹いている」はずですよ。それが判らない擁護派やお花畑保守の人たちこそ哀れだと思うのです。知らないから、幸せかっ?カクっ。
  1. 2013.09.15 (日) 21:05
  2. URL
  3. 藍色
  4. [ edit ]

お帰りなさいませ

伊勢神宮は、清浄な空気が流れる、端正な場所なんですね。
KUONさんの文章から、そう感じます。

“何事のおわしますか分からねど、かたじけなさに涙こぼるる”
記憶だけで書き込んでいるので細部が違ってると思いますが、伊勢神宮に参拝した歴史上の誰かが、こう言う意味の和歌を詠まれていたのを思い出しました。

今日のKUONさんや、この和歌の作者と同じ“感じ”を、千年前に伊勢神宮へ行った日本人も、受けとめていたのだろうなと思います。
これって凄いこと、有難いことですね。

しかし、私が気になったのは、底にほうじ茶ゼリーが敷いてある「ほうじ茶かき氷」でして、このかき氷に興味を惹かれ、伊勢神宮へ行ってみようか、と一瞬、その気になりました。
この不信心モノめ、と叱ってください。

“2020年には今回の五輪招致に関わった者はいなくなっている”という話は
6月のシャンプーさんとこの「皇室の行方~招致のブーメラン」で、シャンプーさんが
そう書いておられただけなのですが、こちらのブログ、言霊が宿っているといいますか、真実を突いているような気がしますので、私の頭に強くインプットされたのです。

具体的な根拠がある話ではなくて、申し訳なかったです。
ただ本当に、皆が同じことを考えればそれが現実になるのではないかと、そこに一縷の望みをかけて、こういう話は言いまくろう周囲にも、と思ってそうしてます。

M子が神域から拒否されてるって、きっと当たりだと思います。
余りにも、あの女性の雰囲気が伊勢神宮にそぐいませんやね。
第一、あの巨体では広い伊勢神宮の境内を歩けないでしょう。
  1. 2013.09.16 (月) 09:47
  2. URL
  3. どんぐり
  4. [ edit ]

お帰りなさい!

台風は大丈夫でしたか?蒸し暑く大変だったのではないでしょうか。
御足が運びにくい砂利道も結構ありますし、ストックも使いずらい所もあったのでは、と配します。

伊勢神宮、毎年お正月に参拝していましたが、やっかいな病に罹りここ数年行けずにいます。本当なら式年遷宮ダブルの年、出雲大社も行きたいのに行けない辛さ。日頃の行いと不信心のせいでしょうか(笑)

KUON様の文から蘇ってきました。本当に空気が変わるのが分かりますよね。あぁ、神的な場所なのだと実感します。不浄な心が洗われるような澄みきった空気。
今年は式年遷宮。専ら本で「行ったつもり」になっています(笑)

本題とは関係ありませんが、仕事の関係で昔奈良に住んでいました。職場は西大寺の近く。
秋篠宮殿下は「秋篠寺」からつけたのだと聞いて一度訪れようかしら、と思ったまま結局行かず。
20年も前です。皇室にほとんど興味も関心もなかった頃。
行っておくべきだったなぁ・・・と今になって思います。

いつか行ける時がきたら、私もお菓子300円を守って行こうと思います!

どうぞ、お疲れを癒して下さいませ。

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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