FC2ブログ

KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. わははなこと
  2. tb: 0
  3. cm: 1
  4. [ edit ]

手当は打ち切る。

小学校時代は鍵っ子で、本ばかり読んでいました。

母が買ってくれる本も貸本屋のあれこれも。当時の「少女フレンド」に毎月ついていた世界の王室の記事や、写真ページを、わくわく追っていました。

英王室のアン王女はほぼ同年代。同じ年頃でもあちらは王女様、自分は・・とかいった感じは無く、まったくよその世界のこととして楽しんでいました。

英王室で一番きれいなのは、女王の妹のマーガレット王女、と、思い込んでいました。

いっときはスキャンダルの主であられたその王女様の、ご主人が、スノードン伯。

内部告発とかの件で今まだどこかに留め置かれていると聞くスノーデン氏。すぐに、名前似ているな、とか思い出しました。

そして子ども心に、そんなことがあるんだ~、と「へええ」と興味をひかれたのが「王冠を賭けた恋、ウインザー公とシンプソン夫人の物語でした。おませでした。

・・・再びご夫妻について読み進んで、昔は知りも判りもしなかったであろうことの幾つかを、思います。

・エドワード王子(のちのウインザー公)は、乳母の虐待を受けて育った。つねられたり罵倒されたりの王子様時代があった。

・数学が苦手だった、他の様々なことが得手でなかった、級友に「いじめ」を受けていた。

・身体的な訓練を受ける場でも積極的になれず惨めな思いをした。が、素知らぬふりで通した。

・祖父である国王が崩御し、父が王位につき、皇太子となった。

・美男であり、プレイボーイとしてならした。

・ウォリスと出会い、魅かれたが前へ進まず、ウォリスは他の男性と結婚、二児を得た。

・やはりこの人しかいないと思い詰めた。

・紆余曲折を経て以下の有名な声明を出した。ウィキより。1936年。

>>>「私が次に述べることを信じてほしい。愛する女性の助けと支え無しには、自分が望むように重責を担い、国王としての義務を果たすことが出来ないということを。(But you must believe me when I tell you that I have found it impossible to carry the heavy burden of responsibility and to discharge my duties as King as I would wish to do without the help and support of the woman I love.)」

という言葉で名高い退位文書を読み上げた。在位日数はわずか325日で、1483年のエドワード5世以来453年振りに未戴冠のまま退位した国王となった。この一連の出来事を「王冠を捨てた」または「王冠を賭けた恋」とも言う。<<<

なんともロマンティックな話ですが、国がひっくり返る騒ぎだったのも事実だったでしょう。

放送終了後に、王族達と最後の食事を摂った「元国王」のエドワードは、日付が変わった12月12日深夜にポーツマスの軍港から出航し、イギリスを去ったそうです。。

退位後は、弟のヨーク公が「ジョージ6世」として即位しました。現・女王陛下の父上です。

エドワードはオーストリアへ渡り、退位後の行動を嗅ぎ回るパパラッチから身を守るために、イギリス政府が用意したスイスのチューリッヒにあるホテルではなく、祖父の代から親密な関係にあったロスチャイルド家によって準備された、ウィーン郊外の住まいに仮住まい。ウォリスと結婚。

フランスで1、2年間「亡命生活」を過ごした後、再度イギリスで生活することを仮定していたが、メアリー王太后(母)とエリザベス王妃(妻)を味方につけたジョージ6世が

「許可を得ずに帰国するようなことがあれば、王室からの手当を打ち切る」と強硬な態度に出たため、実現には至らなかった。

>>>1937年10月、ウィンザー公夫妻はイギリス政府の忠告に反してヒトラーの招待を受けてドイツを訪問し、ヒトラーの山荘であるベルヒテスガーデンに滞在した。夫妻の訪独はドイツのメディアで大々的に報道され、滞在中の挨拶はナチス式敬礼で通していた。<<<

↑このようなことは、子どもの頃にはわからず、今、改めて知った部分です。

ウインザー公夫妻は、ヒトラーやゲーリングに近い、と見られる振る舞いが多く、祖国イギリスでは困った存在であり批判もされ、しかし公は、ますます「取り込まれ」る感じになって行った。

よく判る構図です。

対独強硬派のチャーチル首相が

「ウィンザー公の欧州戦争に対する影響力を最小限に止めたい」と主張して、ヨーロッパの戦場から遠く離れたバハマにおける総督と駐在イギリス軍の総司令官に任命したりしました。

名誉職、閑職ではありましたが、英独関係が悪化の一途をたどる中、しばしばドイツを訪問して大歓迎を受けたりする「国王の兄」は、大迷惑以上の存在だった。その地では夫人と共に、人種差別的な言動が多かったと言われています。

ヒトラーはイギリスを降伏させたあとの傀儡政権のトップとしてウィンザー公を利用する計画だったと解っています。

また、公ご自身が、ヘルマン・ゲーリングとの間に、ドイツが勝利した後に自身をイギリス国王へ返り咲かせる、という密約を結んだうえで、連合国の情報をドイツにリークしていた、という疑惑が挙がったこともあります。

戦争終結後は、おとなしくしておられた、という次第。


つまり、英王室のウインザー公の話は、よその国の「王冠を賭けた恋」のロマンティックを、飛び越えた話として、いま現在の私の胸の何かに、触れました。


弟の方の出来のいいことが歴然としていた少年時代。

心身ともにコンプレックスの強かった学生時代。

あまたの縁談を振り払って自分が決めた女性への執着。これ自体は、仕方のないこと、の範囲でしょうか、王位継承権第一位の王族の立場でなければ。英王室の認めにくいアメリカ人で、相手が無ければ。

相手を離婚させて結婚することを選び、彼女と一緒でなければ何もできないと宣言し、それが許されなかったので、王冠を捨てて、その場を去った。一人の男として生きようとした・・・のだったか。

それなら、それに徹して過ごされれば、だったのですが、隠居を決め込むには公はまだお若く、自分が捨てたはずなのに執着を断ち切れない大きなものもあり。

国を追われても前王の第一王子。群がって来る者は多い。放っておかない。

まず頼ったのが、国が用意した場所でなく、ロスチャイルド家。欧州でのユダヤ系資産家への視線を、ご存じなかったはずは・・・あるか無いかはわかりませんが。祖父の代から親密だったと言うロスチャイルド家。祖父の代には祖父は、絞る物は絞っていたのでしょう、見下げながら、大富豪である相手から。大貴族にはお茶の子さいさい、のこと王族にあらずんば人にあらず。。ひ弱な孫はきっと、そこまではできない「王子様育ち」。

それから、ヒトラーに利用されゲーリングに甘い言葉を囁かれ。



・・・わたしは、たった11か月で王位を放り投げた兄の後始末に翻弄させられたはずの弟君、ジョージ六世が、放置しておけないので授けることにした「ウインザー公」の称号と、元・王である威厳を保つために与えることとした「扶持」つまり生活費、で、おとなしく「愛の暮らし」を営むのでなく、敵対するヒトラーやゲーリング、などにちやほやされてヤニ下がっているさまを、どんな思いで眺めておられたかと、このたび、じりじりと感じておりました。

要らないことばかりする。まずければ国家の威信を大きく損ねる馬鹿者である。

どういうつもり、どうしてくれるねん(あ、大阪弁ではないですね)あの大バカ兄貴は。

遅れずに生活費は振り込む、惨めな思いはおさせしない、そこのところはきちんと、こちらは、手当てするから。あのツマの分も、出してあげるから。

おとなしく、静かに、黙って、にへら~と暮らしていて・・・あら、何か違って来ましたか。

ま、そういう感じで。



やさいさん。

あほなこと連ねました。

名前は違っても元・殿下と、元・殿下が利用されたりするイヤな国家(嫌われているのは当時のドイツ帝国も現在の中韓も同じだわ)とのすり寄り。貼り付き・吸血具合は、あら、劇似じゃないの~と、調べながら書きながら、胸がどきどきしました。

なんぼ、政治にも何にも関わりを持たれないお立場の方といえど、影響力は大きく強い。

日教組を疑わず育ちつつある、新聞なんか読まない子、でも何だか、こういう風に言うのがいいかな、とか思ってしまう程度のお子、みたいな不用意な発言は、いかがなものか。

いきなり後を継いだ弟君の、

「許可を得ずに帰国するようなことがあれば、王室からの手当ては打ち切る」。

これくらいきっぱりと、わけのわかっておられない方に仰っていただければ、と、遠い昔のよその国のお話しながら、胸が、晴れますのに



追加します。

以前にもひきましたが「新潮45」3月号の中の記事の一部です。

>>>山折哲雄氏の「皇太子殿下ご退位なさいませ」より。

「いま、皇室のあり方が揺れている」

山折氏の論文は、こんな1文から始まる。「心が痛む」のが、

「憂愁の度を深める皇太子・皇太子妃の沈んだ表情」というのだ。

皇太子妃雅子さまが「適応障害」と発表され、治療に入ってから10年目。2013年6月にはご成婚20年目となるが、その約半分の時間を療養に当てていることになる。これを踏まえて山折氏は、皇太子ご一家のあり方に対して国民やメディアが「かならずしも暖かい眼差しをむけているわけではない」と指摘、「冷たい非寛容な視線へと転じていくかもしれない」と危惧する。そこで皇太子さまはご一家で「いわば第2の人生を選ばれてもいい時期」にきているのではないか」とし、これを「皇太子さまによる『退位宣言』」と表現。大胆な案を提示したのだ。

過去にも、「週刊朝日」2012年11月23日号で同様の発言をしていた。朝日新聞元編集委員の岩井克己氏との対談で、皇太子さまの「退位宣言」に言及。「結婚のために王位と祖国を捨ててフランスに移り住んだ英国のウィンザー公という例があります」と補足している。

皇室典範第3条は、
「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる」と定められている。だが皇太子さまはこれに該当せず、ほかに皇太子さまが地位を退くための法的な根拠は見当たらない。「一方的にやめる」というわけにはいかないようだ。

それでも山折氏は、皇太子さまが秋篠宮さまに「譲位」され、ご自身は天皇家ゆかりの地である京都を「第2の人生の場」にされてはどうかと「進言」する。これで雅子さまの病状も回復に向かうだろうというのだ。同氏は「週刊現代」(3月9日号)の取材に「私があの論文(編注:「新潮45」に掲載された文章)を一番届けたいのは、皇太子さまです」と語っている。<<<

・・・重大な事故って・・・。あのヤフオクの一件、相当重大と思いますが。アンタッチャブルか。

スポンサーサイト





  1. 2013.07.25 (木) 13:39
  2. URL
  3. すけみち
  4. [ edit ]

要らぬお人

山折さんのご提言<皇太子は京都にでも静かに暮らすのがいい.....>
このあいだの行幸啓、地元の京都人が会話したのを聞きましたよ。
「さすがに天皇・皇后陛下は違うわ。東宮あたりとは出てるもんが。まあ、東宮あたりよりは秋篠宮さんのほうがはるかにええな」 これが現実。
「そりゃ、あんた、いちいち道路塞がれて。学会員言うたって、東京に比べたらほんま少ないし旗振りちんどんできしまへんやろ」 「まあ、京都は世界の京都やし、あんなカツラのバカ宮様と嫁やらに日本文化の粋が集まっているとこ似合わへんは。あの嫁さん、外国のひとみたいやし。着物着たの見たことないしなあ、ようかなわんとちゃうの。お茶もしはらへんやろし。東京におったらいいよし」
京都のすれっからしおばちゃんはこんな感じ。バカはそこらのオバちゃんでもわかるんやからな。(笑)

 管理者にだけ表示を許可する
 

trackback


ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・