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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 残念なこと
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無責任だよ~。

先日の女性7の表紙は、天皇陛下を真ん中に、皇后陛下と雅子さんが両脇に、舞台上の皇太子の演奏を・・・独奏会では無かったんですけどね。ソロの部分も無かったんですけどね。東宮様に恥をかかせるわけに行かないでしょ。つまりはエア・ビオラ。日々の研鑽なくしてなんっちゃら。

・・・楽しんでおられる「ほほえましいありさま」の写真が飾っておりました。

やっぱり違和感あります。

これで、ずっと、やって行くの? それでいいの? 約束守れない、するべきことしない、しようともしない人間を、叱りも諭しもせず(もうすぐ50歳)お元気そうならよしだわ、仲良くしているならよしだわ、ゆっくり温かく見守ってさしあげましょう、って、すっごい疑問あり、あと、何年くらい?。

How many road must a man walk down(byボブ・ディラン「風に吹かれて」)

スペル間違っているかも知れません、とにかく、どこまで行ったら、どれだけ待ったら、という感じなんですね。

怠惰で愚鈍で無神経な息子夫婦の「たすけ」になる、とか庇ってやる、とか、頑張る姿を見せて悟らせたい、とか。そういうの、違うんじゃないかと。オロカな私が、勝手にイキって思うだけなんですけど。

御身をご大切に、任せるべきはお任せになり、平成の今の天皇ご夫妻として、ゆったり安心の姿を、お見せになっていていただけないものかしら、と。仲がよろしかろうが悪かろうが、知ったことではないです。あの二人を、いつまで、どこまで甘やかして。

皇太子妃の勤めの最重要は

・世継ぎを産むこと

・皇后としての祭祀を行うこと

この2点。お子さまのことは、どなたに限らず人間なる身の思い通りには行かないこと。幸いというか、雅子さんの育てた男の子が皇太子になることは無く、今上のお孫様にあたられる方に男児がおられます。皇統はつながる。

もう一点、祭祀云々のことを、どこもあまり言わないが、このことに触れずして東宮問題は無い。

お二方とも、無理でしょう。私なぞのシモジモの目から見ても、100パーセント、無理。

では、あの方たちは、何のために「東宮」ですか。

立場、というものに対するきっぱりした態度が無いのに、仲良し風って、どうかと思う。

法律がどうであろうが皇室の決まりがどうだろうが、無理なものは無理、ダメなものはダメ、として、何とかして道を探す方法があると、私は思う。

2600年余り。一つの確固たる法に守られて来たわけではない。そんな甘く続いたものではないはず。最終的には、一つの断、ではないかと、私は信じます。

失せろ、東宮夫婦。害でしか無い、今は。

・・・・と、ちょっと気張ってエラソーに書きました。本気です。

以前読んだ記事で、美智子様が浩宮のことを

「普通ではない美しいものを感じる」

とか仰っていたのが気になり、探して読んでいたら、まあ、いろんなことが。

あほらしさのつれづれに、少しコピーしてみます。青い文字はいつものごとく、私の個人的なニクマレ口です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


河原敏明著『美智子さまのおことば 愛の喜び・苦悩の日々』講談社文庫(1997年)

客観的に満足かということではなく、わたくしの感じで言えば、浩宮の人柄のなかに、わたくしでも習いたいような美しいものを見いだしています。浩宮を大切に思っているとしか申し上げようがございません。(昭和49年10月お誕生日記者会見)

美智子様、という存在が特別な感じであられたので通った話でしょうが。いま読むと、ふつーの親には言えないこのセリフ。甲斐の無い悲しみというもの、当たり前に賢いお方に理解できない愚かさ、というもの、も、あるよなあ、の感慨。。ナル、この時中等科三年生。

>>>浩宮様が学習院初等科へ入学されたころの話。

たまたま美智子妃も参加された授業参観の日、なんのはずみか宮様に順番が当たり、教科書を読まれるはめになった。しかし、なかなかすんなりと読めず、四苦八苦される彼を見て、だんだん美智子妃の顔色が変っていった。
 とどめは先生の、
「お家でもう少し勉強してきなさい」
の一言であった。美智子妃は、がっくりと首うなだれ、すごすごと帰途につかれたのである。<<<

>>>うちの叔母は大阪万博の時に浩宮様と一緒に自動車に乗るイベントで選ばれたんだ
でもはれがましくて拒んだら、浩宮様が絶対この子でないと嫌だっておっしゃられて、
場内放送で探されて強制的に乗せられたんだよ

その話し聞かされてそこまで執着するって意外だと思った。<<<

いや、意外、でなかったような

>>>皇太子と秋篠宮の性格の違いを物語るエピソードで、思い出されるのが昭和40年代にご家族で浜名湖に行かれたときのことです。

養殖されているウナギの桶を覗きこんでいた浩宮は、自分では手を出さず、東宮侍従の浜尾実さんに「つかんでみたら」とおっしゃった。一方の礼宮は桶にひょいと手を入れ、ウナギをつかんで振り回したんです。
いま皇室のなかで、秋篠宮の存在感がだんだんと大きくなっているように感じられますが、あのときのお二人の様子は、鮮明な記憶として残っています。<<<

何でも浜尾さんに「やってみたら」と仰り、長男気質でもあるのか、自信持てずにカッコ悪くなりそうなことはしなかった。答えの判らない答案には、チャレンジすることせず白紙で出された。

>>>渡辺みどり(皇室やマナーの評論をするひと。いつも皇室風お帽子)さんの言い。

「・・前略・・皇族としてのマナーやお気遣いは、やはり小さいころからしつけをしないと身につかないと思います。
 皇太子さまが子ども時代、ロイヤルボックスでひじをついてサーカスを鑑賞されていたことがありました。それを当時の浜尾実侍従が何度も注意して最後には、ひじを強く払ったこともありました。
時にはそういう強いしつけというものが必要なのです。・・後略・・」
 
※後に娘愛子を連れて一家で神宮球場野球観戦をすることになるが、その折の愛子肘つきを父親としても全く窘めないというオチがついている。<<<

相撲観戦の時も内親王は肘掛にもたれ、ぐにゃぐにゃしておられました。誰も何も言わない。愛子さんに「浜尾さん」はおられない。実際より賢い風に皇太子像を捏造したとも言われるが、雅子さんとの結婚、人格否定発言にも、はっきりと疑問を投げかけた方でした。そういう方についてもらえない愛子さんは、一種の皇室内ネグレスト

>>>いつのことだったか、浩宮が浜尾さんの官舎へ遊びに来られたとき、とつぜん、
「浜尾さんの家は地震になったらつぶれるネ。ぼくの所は鉄筋だから大丈夫だよネ」
 と言われたことがあったそうだ。それは子供らしいとっさの感じを親しみの中で言葉にされたのだろうが――正直のところ雨漏りのする官舎である。<<<

ご自分のお子さんに時間が割けないほど渾身のご養育にあたられた浜尾さんのお葬式に、ナルちゃんは行ってません。もちろん成人して、結婚もして、ツマの人格否定がどうちゃらと発言できるくらい、大きくなっておられましたが。

浜尾氏は2006年10月26日逝去、同月30日東京都千代田区麹町にある「聖イグナチオ教会」で敬虔なカトリック信者であった氏の葬儀が行われたが、徳仁は葬儀に顔も出さず白菊の花籠を贈っただけと、『週刊現代』2006年11月18日号記事に書かれている。なお別の元東宮侍従葬儀やローマ法王ヨハネ・パウロ2世追悼ミサに徳仁が出席していることから、葬儀出席慣例が無いとか宗教が違うからといったものでは欠席理由がつかないことは明らかである。

>>>この学年の相(原文ママ)主管の佐藤茂人教諭が、浩宮の中等科時代に数学の家庭教師を引き受けていたことは先に述べた。

 冬の東宮御所での勉強中、部屋の暖房が利きすぎているので
「窓をすこしあけた方がいいね」と言うと、全部開放し、しばらくして
「もうすこし閉めて」と言うと、ぴたっと閉めてしまった。
 ――「浩宮には、窓をちょうどよく開けたり閉めたりするってことが出来ないんだ。自分で窓をしめたりあけたりする習慣が、小さい時からなかったんだろうね」と佐藤さんは言い「だから家庭教師に行った時には、なるたけ自分の部屋の窓のあけしめをやらせたんですよ」と語ってくれた。
 きちんと決められたことはできるが、きわめて日常的な、小さい時からわれわれが日々の生活の中で自然に身につけるもの、生活の知恵ともいえないような文字通り「瑣事」にうとい点が浩宮にあるのは、やはり否めなかった。
 美智子妃の母親としての細かい心づかいがあったとしても、あの東宮御所で多くの側仕えの人々に付き添われた生活では、そこまではカバーできなかったということだろう<<<

>>>ごく稀にではあったが、浩宮も高等科食堂を利用することがあった。浩宮自身が食堂の昼食に興味を持ったためかもしれない。
 カレーライスを注文して、食堂の賄いの女性に
「お肉をたくさん入れてください」と頼んだが「高等科のカレーライスは安いでしょう、だからお肉はあまり入っていないのよ」と言われて
「そうですか」と納得していた。そんなこともあった。
 生徒は普通、食堂のカレーライスがどの程度のものか、よく知っていたから「お肉をたくさん……」などという場違いな注文を口にすることもなかったが、そんなところにも世間知らずという意味での浩宮らしさが覗いていた。<<<

この、食堂の賄いの女性を立派だ、と思った。愛子さんのご養育係にも、こういう方を、と、思わず望んでしまいました。

そうですか、と言うナルさんも、この頃はまだ可愛らしい。ん、高等科?。

世間知らずは仕方ない、悪気のない方なのだろう、とは、非道のKUONも思いますですよ。



•まだ学生の時、テレビに映って本人が「子供の頃に、僕の家には国道が走っているって言ったら、級友に驚かれまして...(笑)」と無邪気に言っていた事件

•学習院時代の皇太子は人の噂になるほどの存在感がなかったらしい。担任の先生も「身分がなければ記憶に残らない生徒だった」といわれてる事件

•学生時代に教室の掃除をした時に、皇太子の机を動かそうとして机が倒れ中から寒い点数の答案用紙(本来なら親に見せるもの)がいくつも出てきて、皇太子は「エヘヘヘヘ…」と笑ってごまかした事件

•同級生がトイレでタバコを吸ってる間見張りに立たされてた、断るでもなく注意するでもなく、ただただ利用される事件↓

>>>『週刊現代』1993年1月23日号 
 一方、皇太子は学習院高等科3年のころ、殿下の悪友仲間が学校のトイレの中でタバコを吸った。そのとき、たまたま居合わせた殿下に、「先生が通りかかったら教えてくれ」と、廊下での見張りを頼んだ。頼まれた殿下は抵抗するでもなく、
「あ、そう」
 と数分間の見張り役をお引き受けになったそうです。<<<

>>>友人を集めて御所のプールで泳ぐ会を開催、そのとき余りの広さに迷子になってしまった友人の「あまり広いので……」に対し、「そうだね、これもみんなのおかげですよ」<<<

イギリスに留学中、同じ時期にそこにいた日本人の留学生は
ご学友になるためのご指導を宮内庁関係者から受けました。
接し方、言葉遣い、話す内容。
「中学生と思ってお話ください」
実話よ、これ。


特定の個人を馬鹿にしたりあげつらったり、に思われるかもしれませんが、そんな気持ちは少ししか無く(本当です、多分・・・)、正直なところ、はあああ、です。

邪(よこしま)な気持ちは無く、どんな意味でも素直で、というこの方は、このままでも、皇太子として行くことはお出来になれたと思います。

ご自分のお立場をしっかり解られ、愚直なまでにお努めを果たし切るお心がおありなら、周囲が何とかしてもってゆけたのではないかと思います。ご皇室と言うところには、そんな力があるのではないか。

申し訳ないことを申しますが、陛下の弟君の常陸宮さまのお妃は、旧華族である津軽家からおいでの方。皇族の妃として務め続けられ、御夫君の事情でお子さまも無いながら、ご夫妻としてにこやかに存在しておられます。慕われてもおいでです。

皇太子、というお立場とは異なるとは言え、お妃が立てて通れば、それなりで通る。男尊女卑、という話でないつもり。夫業、妻業、の話だと、自分では思います。説教臭くてすっごくイヤになって来たけど、消さないで書いてしまおう。

残念なことに、大層残念なことに、よりによって、あのお妃と組み合わさったことで化学反応が起きて、皇太子殿下の美点であったのだろう部分が、潰えてしまったのではないか。贔屓目に見れば、それくらいは言える。引っ張られてしまっているナル氏の姿がよおく見えるので。まさこさんだって、なんとかにも三分の理、言いたいこともあるかも知んない。夫婦のことは、どっちでもいいです。

・・・無理です。即位されたらその瞬間から、今のあのひとたちには不可能なアタマ、からだ、気配り、あらゆることが、待ったなしで降りかかる。世界中の目も、見る。

遠い先の話でないのが、なんとも。


achabiさん。

コメントありがとうございます。本当に、走って行ってあのうすら頬っぺたを、と、思いますよね。ガルルルル。

悠仁さまを心配される声も高いですが、私は、幼い宮様を未来の天皇にふさわしい人間に、と厳しく、偏った特権意識を持たせないでお育てになっておられる秋篠宮殿下と、宮様ご自身の「徳」にゆだねるしかないんじゃないかとも感じています。

たいへんエラソーな言い方ですね。わかっちゃいるんです・・・。

一緒にいたって、寄り添っていたって、絶対に庇いきってやれる保証はありません。

私欲でないところからのなされ方を、信じているしかない気がします。

あんなに嘘やよいしょで塗り固めたって、お気の毒なことに愛子さんの本当のところは、覆いようなく見えてしまう。

一緒に、悠仁さまに邪悪な力が寄って来ないように、じいいいいいっと、見ていようではありませんか。

目に見える力より、見えない思い、そっちが強いのでは、と、思ってしまうワタクシです。そうしか出来ませんしね。

暑いので、お互い、自愛もしてしまいましょうね。へたらないように。またおいで下さいね!。ありがとう!。

やさいさん。

やさいさん。やさいさん。あ。うん。  

親ばか、子はバカ。これ、すごいです。面白いです、冷え冷え座布団さしあげたいです。

あの親ばか・・・順序逆にしても可・・・どうされるおつもりなのかしら。一般社会ではあり得ない茶番劇の、幕は、延々、降りない・・・で、どうするつもりなんでしょう。

無責任だよ~って、言っていい? やさいさんにだけ。あ。皆さまにも、聞こえちゃう・・・ばか親。わあああ。

sarahさん。

はい。書いてしまいました。

>>>彼へ注がれた限りない両陛下の慈愛を思うと、
畏れながら、その慈愛の深さが今の災いを招いたのではないかと思っています。<<<

これが実は、その通りであろうとしか考えられないのが、切ないですね。

美智子様のごときお方でも、こういうことになってしまう。愛って、恐ろしい面を持っています。

・・・そして、パリでは14日がパリ祭でした。

パンが無いならお菓子を食べればいいじゃないの。このセリフはマリー・アントワネットのものと言われています。雅子さんでなく、ナルさんにこれが感じられます。逸話の一つに

「どうやって食事が出来て来るのかわかっていないようなので、厨房の様子を浩宮に見せた」というものもあります。

体温の低い感じ、というのは、そうなんだろうなあ、と感じました。

政治に関心なく、美貌の妻に興味なく、錠前を作るのが一番好きなことだったと言われるルイ16世。

民衆の怒りも飢えも絶望にも無関心、暴動と革命の意味もわかっていたか否か。

それでも彼は、とらえられて断頭台に上るまでの短い間は、フランスの王らしい態度だったとか。

いざ、の時に「らしい」って、すごいことだと思います。

わが国の尊いあたりに、せめて高貴のお方らしく、と、ずっとずっと願う気持ちがあります。





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  1. 2013.07.17 (水) 10:08
  2. URL
  3. すけみち
  4. [ edit ]

あの時に似ているのでは?

KUONさま。お暑うございます。
一日2Lの水分補給されていますか?必要です。尋常じゃない「暑さ」で、尋常じゃない状況で「熱さ」ですから、私も血圧上げぬよう水分補給につとめております。
さて、いつも思うことがあります。(少々、横道へ逸れる事ご容赦下さい)、あの明治維新とは何だったのかなあと。つまり、王政復古といった岩倉に皆が騙され、天皇を降りて来れないほど持ち上げて、最後まで天皇と京都を守った会津を朝敵にすることで官軍とやらの欺瞞の辻褄合わせをしましたよね。たしかに徳川の平和な世も澱みが積もって外国の脅威にさらされても政府(幕府)が腐っていましたから原点回帰したかったのもわかります。しかし、それまでの不満分子や場外に置かれた下級公家たちの鬱憤晴らしが「ご維新」の実態でしょ。外国の貿易商と称する武器商人たちにうまく乗ったのか・乗せられたのか、みごとに自分たちの思い通りの世の中にできたのが明治時代。なんか今の状況に似ているように感じています。本来なら何の関係も由縁もない連中が(OWD・反日・G会・D和)天皇を担いで、いかにも平等で開かれた世の中を作るんだなどとのぼせ上がっている。それが世界のスタンダードなのだとまで言わんばかりの「オオバカ」ぶりです。あの維新で宮中も衆庶も薩長も「西洋」に近づいたと錯覚しただけなのではないかと。だからこそ、2000年も続く祭祀や神事による祈りを忘れた。いや、忘れたことすら忘れている。そんなお粗末な世の中にしたのがあの「ご維新」とやらではないかと、ずっと思っています。本来、意味があって変えてはならぬものもまでをいとも簡単に変えてしまった。和歌による言霊を現代短歌などという「つぶやき」にしてしまい、神事を新事にし、そして皇室をどこかの国の王室にしようとまで図っている。宮中の周辺にうごめく旧華族(本当に爵位を得るべきはほんの一握りです。あとはどさくさに紛れた薩長の怪しい連中)には残念ながら判断する能力はあまりありません。純粋に国を思う人々が祭祀の頂に皇室を仰ぐのがあるべき姿でしょうね。そこには名誉欲とか権力欲はありませんから。「まっすぐ」だけが届くと信じています。(ちなみに当家は当時、爵位を返上しました。金銭にまみれた俗物ばかりで辟易したためと聞いています。私もご先祖に拍手していますよ)
  1. 2013.07.17 (水) 17:33
  2. URL
  3. やさい
  4. [ edit ]

似ていますね。

KUONさん、すけみちさん、

確かに、そのようで・・・時代のターニングポイントでしょうか。


<<「まっすぐ」だけが届くと信じています。>>

「まっすぐ」だけが届くように、まっすぐに祈ろうと思います。
ありがとうございます。

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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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