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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

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  1. ことばのたのしみ
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さくら満開です。

さくら、満開です。

桜をうたったうたはたくさんあります。

今日はこのうたをご紹介したいと思います。


  さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

          さくらばな いくはるかけて おいゆかん みにすいりゅうの おとひびくなり  

                                       馬場あき子



はじめの「さくら花」と「いくはるかけて」と「おいゆかん」とは、どうつながるのか、とか。

「みにすいりゅうの おとひびく」って、どういう意味なのか。とか。

気にしないで、なんとなく、いいな~、と。そう読まれたら、いいな~、と、思います。軽いうたでは、決してないのですけどね。

もう一首。


  桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり

          さくらばな いのちいっぱいに さくからに いのちをかけて わがながめたり

                                      岡本 かの子


さまざまな感想はあるのでしょうね。おおげさだ、とか。

私はこの、いのちいっぱいなうたが好きなのです。大正13年、関東大震災のあった次の年の桜の季節、震災のおよそ半年後に、詠まれているうたです。

この時かの子は、一気にさくらのうたを139首、発表しています。

どれもぜんぶいいかと言えば、そういうことではないです。中に、以下の一首もあって、なにごとにも過剰な、溢れかえるような岡本かの子らしいな、と、読むたび、頬がゆるんでしまうのでした。愛情も特濃。のどかな春の光景のなかの親豚子豚が、いとしくてかわいらしくてたまらなかったのでしょう。

溺愛していた一人息子の太郎・・・あの岡本太郎・・・を、創作の興のっているときは、柱にくくりつけて書いていた、とも逸話の残るひとでありますが。


  丘の上の桜さく家の日あたりに啼きむつみ居る親豚子豚

          おかのへの さくらさくいへの ひあたりに なきむつみをる をやぶたこぶた
 


……コメントへのお返事は、あす、お昼過ぎに、させていただきます。



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  1. ゆれ・ふら・とーく
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なんということもない一日。

今日はいちにち部屋にいました。早朝から数時間集中して仕事をしました。テレビで高校野球の試合を見ました。優勝候補に挙げられている大阪のあの学校は、あきれるくらいスキが無い。

21世紀枠とやらで初出場、初の甲子園であの学校とぶつかってしまった高校、初回からたったかたったか打たれ走られ点を取られ、見ていて胸苦しいものがありましたが、最終的には2点とって。対戦相手であるあの学校は14点だったから、勝ち負けはともかく、ボコボコにやられたというより、何か、その2点の喜びがあったような気がして、後味はわるくはなかったです。

第一試合で負けて帰る初出場校の皆にとって、今日の甲子園は、おそらく生涯こころに残る一日だったのではないかと思います。

桐蔭高校にとっては、また違う試合だったのでしょう。たくさんこなす、たくさん勝ってゆく中の、その、一つ。でも、そうは言っても、初めて出してもらって次には他の誰かが自分の代わりに晴れの舞台へ・・・100名を超える部員数だそうで・・・という、地味な部員には、今日の試合はやはり、生涯の思い出になるのですね、きっと。

お昼にはチャーハンを作って食べました。だいたいはオリーブオイルとごま油、こめ油の他は使わないでいるのですけど、残りごはん利用の炒飯、ラードを使って作るとおいしい。高菜とたまごの、シンプルなチャーハン。

食べながら考えていたこと。

けっこう前の回になりますか、はじめワルクチを言いまくった朝の連続ドラマ。ひっこしがあって途中見なかったのでしたが、なんだかおもしろくなっていて。

先週のことでした、この住まいに「えぬえいちけー」の人が二人、訪ねて来られて。私は、嘘をつくのも逃げるのもドアをバタンと締めちゃうことも、よしとせず。作り笑いも大変だな疲れそうだなとなるべく見ないようにしながら、言われるままにけいやくを済ませたのでした。

絶対に払わない、とか、よう言わんのです、私、ヘタレなのか。ひどく偏向しているのは事実でも、目の前の相手に言ってどうなる、など、つまり思ってしまうし。実際、台風の時は見ますし。

で、タダのもの苦手なわたし、以後はゆうゆうとテレビを見ていました。(笑)。

伊能栞、という名の登場人物が、失意の中で、おうどんをすすっていました。関西で言う「ええしのボン」で、でもお母さんは正式のひとでなくて、という役回り。いつもいい服を着ていて、それが自然に身についているような。私、数か月前に親しい友人に、彼のことを、痩せたヤギみたいで~、と、ワルクチ言ったことがあります。友人は私の性格の悪さを知っているので、怒りもせず(多分、彼女は彼をいいと思っていた・・俳優を見るセンスのとても冴えている女性なのです)少し何か、その高橋一生の演技は「いい」ということを、穏やかに口にしたのみであったのですが。

見ているうちにだんだん、その俳優が、単なる「痩せたヤギ」でないことが明白になってきたのでした。

いろんなもの、何もかもを失うことを受け入れて、何を恨むでなく。

斜め後ろから撮られるシーンで、その役者は、うどんを、ずぅっとすすったのでした。寂しい姿で、うどんも素うどんっぽい、でも、何というか非常に、そのひとの表に出さない気持ちのリアルに見えるシーンで。

うわぁあ、と、ほんの短いそのシーンを見て、ごめん、高橋一生。あなた凄いです。そんな風にこころの中で謝っていたのでした。

…昨日は日曜日。あのカフェの前を、バスで通りました。日曜は休みの店ですので、窓のカーテンはびっしり引かれていて、暗くて、生気の無い顔つきの店に、昨日は、見えました。

求人の紙は、バスの中からは内容は見えませんが、剥がされずに貼られたままのようでした。




  1. 書いてみる
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ふしぎなカフェ 2

で。

今日も行って来ました、あのカフェへ。ヒマなのね~などというお声は無用です、ヒマとお小遣いの使い道は自分で決めますの。

ランチ・タイムに行きました。前回しなかったことを、したいと思いました。

パンを買って帰って来たシモーヌに、私は、メニューの「定食」一覧のなかの、ある行を示して、これを、と。上目遣いに依頼したのです。何日か前、はじめて行った時に。パンと卵とコーヒーを、もう一回食べるのもなあ、と、思いが巡り、それなら!。

引っ越して以来一度もありついていない、大好物であるところの「とんかつ」。ちゃあんとこの、ログ・キャビンを模したお洒落なカフェの、メニューにありますもの、どうせ何かをいただくなら、ここで、これ、食べちゃったら素敵ではないか。。そう思っても思考回路は破綻していないはず。いや。単に。

とんかつが食べたかった。少し恥ずかしいですが、ここ、正直に書きました。

シモーヌは、え、え、と、動揺を見せた。ああ、ねえ、と、注文を取るお店の人でないような全身の雰囲気になり、いきなり。

「お姉さん、Aセットにしたら」

大胆な提案をして来たのでした。Aセット? 何それ、もしやおそらく、あちらの方で談笑していたスーツ・ネクタイ二人組が・・やはりそうでした、とまどいながら私の目は、メニューのいちばん上のあたりの、朝ならこれをどうぞ、の、そこへ、たどり着いており、あ、やっぱり、の得心に至っており。

朝だもの。まだ朝だから、頼むならモーニング・サービスだよなあ、そうだ、ふつう人は、この提案を受け入れるよね、だってシモーヌは(呼び名、完全に定着しております)さっき、カフェの隣にあるコンビニで、日本全国どこででもお買い求めいただけます、の、大手メーカー作の食パン超・熟を、買ってきていたし、ね。

シモーヌと私の間に流れた、しばしの沈黙のとき。私は、運命とその場の空気に、喜んで身をゆだねるこころになっておりました。

「Aセット。お願いします」

静かに申しました。シモーヌは、即時には反応せず、思いつめた顔にすらなっており、

「うう、それ、作りましょかぁ?」

意外な言葉を返して来たのでした。あ、いいえ、そんな、イヤ。私は右手を「ぱー」の形に出して、ひらひらと振りました。そんな、無体なことをお願いするつもりは無かったのです。ふと、それならいっそとんかつ、と、なっただけであって。

「まだ、お昼でないから、でも、よかったら」

とんかつ揚げようか、と、シモーヌは言うのです。

もちろん真摯に辞退の態度を示して、私は、朝らしいカフェのメニューを、もぐもぐといただいたのでした。

食べながら考えていました。

…目玉焼きは好物だし、おいしい。いちにちに二回食べてもぜんぜんおーけー。超塾のトースト(六枚切りの厚さ)も、バターたっぷりで美味しい。こーひーも可。

んが。

沢山の朝の客に対しての提供なら、いっこずつ焼く目玉焼きより、ゆで卵の方が、一度にたくさんできるし作り置き可能だし、便利なのではないか。合理的、とかではないか。常日頃思うに、喫茶店等で食べるうで卵って、家で作る茹で卵より。貴重で味もよろしい気がする。この店は、もしや、あまり客が来ないのではないか。流行っていないのでは。壁も天井も薄茶色に変色しているし、いまどきのイケてるカップルなら、もう少し先にあるあの、お客様をお迎えするときはこの角度に口角上げて、の従業員教育届いちゃっているあの、あっちへ。行くかも。ここ、もしかしたら、そのうちに、つぶ・・

レジで、お釣りを渡してくれながらシモーヌは、また来てくださいね~、と言いました。

下さいね、でなく、くださいね~、と。ゆるく、やわらかく。私も答えました。

「また来ますよ~」

あの日は、そんな経過をたどったのでありました。

そして今日。

今日は、朝カフェでなく、ランチいってみよう。

その、ピカピカしていない建物も内装も中身(ヒト)もだら~っとしていると言って過言でないカフェに、たいへん魅かれる気持ちがあって、バスに乗らずに歩いて行ったのでした。

中には電気がついていて、やってるやってる、嬉しくなって、ドアに手をかけた。

「あ、いらっしゃいませ」

おどろくべきことに(前回もドアのあたりで驚いた)、ものすごく背の高い、ものすごくハンサムな、タイプで言えば出て来た頃の大相撲の大鵬。野球方面で例えればおおたこうじ。そういった雰囲気の、白い肌の頬のピンク色の、若い男性が、確かに重くて厚いドアをからだで支えて「どーぞ」と招き入れてくれるのでした。

驚きはしたが、その程度ではドギマギはしません、もはやできないワタシでございます(しゅん)。前回座った同じ席に就きました。

シモーヌの姿が見えない。ふと不安。

注文を取りに来たのは、ごく普通にお昼どきのご飯やさんあたりでよくよく見かけること多い(多そうな)、髪を後ろでくくり、セーターにジーパン、エプロン、お化粧控えめ子どもは二人、幼稚園から小学生くらい、そんな感じの女のひと。

・・・ワンダーランドではないのね。なんとなく当てが外れた思い、いや違う。

ええ?。

見ていると店内での動きの何もかもがよくよくモノ慣れていない風の二児の母風の女性。この人が、あの求人貼り紙で(シモーヌが)見つけたヒトか。

・・・今日は、何人かの男性が、みな同じプレートの食べ物を食べていた。フライ類を食べている。ごはんにお味噌汁、どうやら小鉢は冷ややっこ、柴漬けたっぷり目。わたし食いしん坊だから、一瞥でそれわかる(威張ってはおりません)。これが大きな天井扇のあるカフェの日替わりランチメニューなのね、本日の。お客は、私が入った時点で七人いた。よし、けっこう人が来ている、大丈夫そうだ。でもシモーヌがいない。

話は元に少し戻ります、初めてここを訪れて、モーニングサービス食べて、帰ろうと店を出たところで、びっくりしたこと。まで戻ります。

求人の貼り紙自体は珍しくもなんともない。どこにもいくらでもある。内容もだいたい同じようなもの。そういったものが、店の外壁面に、風で飛ばされないようにガムテープで(!)ぐるりびっしりとめられて、貼り付けてあったのを見たのでした。

このカフェの貼り紙の、どこにべっくらしたか。

年齢。なんとか歳から(ここは覚えていない)75歳まで。と、あったのでした。

75歳まで??ひぇぇぇ、と。心臓に巨大びっくりを撃ち込まれた気分で、帰ったのでした、前回。


・・・・・今日もやりたいように書きました。今日は少しフツー風なのでしょうか。

これはエッセイなのか創作なのか、あまり考えていません。

書いていると楽しいです。

あ。とんかつ定食は、注文しませんでした。できなかった、というか。

メニューの中に、こんなことが書き込まれている店でもあります。

卵焼き、とありまして。それは印刷された文字。そこに矢印つけて、手書きの文字が。

「忙しい時はできません」

ですって。わはは。お店に恋するって、あるのですね。びっくり。



  1. みんなのうた
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弥生、三月、みんなのうた。

弥生、三月、別れの月か。

大きなもののずっぽりと、抜け落ちた身に、早すぎる、パステル色の薄物の、上着はおりて、出で立てば。

すれちがう顔、どの顔も、知らぬ顔ならそれもよし、切ないことなど何ひとつ、知らない顔を、われもまた。

貼り付けて行く、ゆらゆらと、用ある風に歩みます。

薄情そうな三月の、風ふく街を、歩みます。

・・・今月もうた、まとめさせていただきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       KUON の詠める

・海の見ゆる高層の部屋に耳遠き夫(つま)とふたりの暮らし始むる

・幾年をここに暮らしてその後はと思はぬやうに焼く目玉焼き

・老いて病む実感を抱き難ければわがままに家を捨つると見るらし

・大松明駆けゐるころか二月堂に火の粉浴びしも今は思ひ出

・火の色のふとも恋しき煮炊きにも火を使はざる日々に慣れ来て


       温泉郷 の詠める

古代から引き継がれたる修二会かな
鎮護国家をわれ祈るなり

民草が天下太平祈るまに
天皇夫婦ほっつき歩く

西暦で年号語る皇族に
ありがたみなしアホらしくなる

窓辺には啓翁桜ほころびて
優しく告げる春の訪れ

シナからの有害物質にかすむ空
アザレアの赤鮮やかに咲く


       へなちょこ一年生 の詠める

・人も消え猫も街から消え去りて餌の小皿に沈丁花の香


       白萩 の詠める

   〈嵐〉

早咲きの桜うちたる夜の嵐
人の心もものかは荒るる

真夜中におどろおどろと雷鳴し
二人居る心強さを思う

貴(あて)なるも卑しきも皆雨風で
浄めよ嵐この日の本を

   〈花〉

こでまりを飾りてしのぶ祖母の庭
丹精せし木も人手に渡り

花屋にて迷うも楽し今日買うは
黄のチューリップに桃の花なり

園庭にいま満開の山桜
子らを見守り青空に立つ

香(こう)のみで姿は見えず沈丁花
あちらこちらと香(か)を辿りゆく


       パール の詠める

☆出逢いより別れ多くのこの春は
 幸多かれと祈る日々あり

☆「すぐ会える 地球だもの」と言いし子の
 飛行機雲を追う目が潤む

☆遠い夏共に旅したカナダの地
 思い出残し友は風にと

☆春告げる淡き香りの紅(あか)と白
 風の友へと届け飛梅

☆陽(ひ)が落ちて春呼ぶ修二会厳かに
 松明の火に願い込めつつ

★親子とも目に邪が宿る小室とは
 身の程知らず恥も知らずや


       まめはな の詠める

・したたかに酔いて尿を撒き散らししれしれ笑う夫に激怒す


       KUON の詠める

・「愛されてをられませんよ」かく酷き思ひ含みて見ねばならぬとは

・不実なる男の安っぽき手管 われらに見ゆる外から見ゆるを

・思ふまじ言ふまじと黙すしかれども猿芝居の幕を誰も降ろさぬ


       Nちゃん の詠める

貴志駅の
二代目“タマ”に
会いたくて
“たま”にはいいね
春列車旅

めちゃ期待
どんな駅やろ
来てみたが
なーんにもないで
梅の木いっぽん

タマ列車
あっあっあーと
鉄男爺
どですかでんは
ガタゴトの音

ヒーフーと
必死のパッチ
瘋癲と
まるで登攀(≧∇≦)
賀名生梅林

目に映る
小山がすべて
梅開花
香り漂う
白桃紅の

もうあかん
脚が上がらん
やっとこさ
眼下に梅の
東雲の口

大阪城
母校碑の前
カメラ持つ
梅花が繋ぐ
OBとの縁

瘋癲と
我も啓蟄
ブラブラと
花を眺めに
手つなぎ城へ


Nちゃんでした


       ROM の詠める

・保護施設 見送る猫(こ)らを振り切りし 帰路の寒さやこの猫(こ)の重さ

・友と自由 奪いし我れにすり寄りて 皿鳴らしつつ餌を食む猫(こ)

・くるりこにゃあ 50センチ四方の新体操 芸術点は毎回満点

・呼べば来る お返事つきで走り来る 可愛さ余って顔面食べる

・今日もまた 鳴いて一日まといつく うとましくもありエサ皿洗う


   <従姉・ワタシ>

・久方の 従姉の電話長話 しづ心なく猫撫でまわす

・久方の 従姉の電話長話 「絆」は「我慢」でできているなり

・あの笑顔 想えばだいたいチャラになる ズルいスペック ナチュラル菩薩

・こしかたを 振りかえりなば恥ずかしく 自責の夜をじっと耐えぬく

   <雨>

・枝々に ビーズの玉の残れるは 雨が仕掛けた真昼のイルミ

・雨音は 地球の音だねみな違う サバンナの音TOKYOの音


       黒猫アビ の詠める

 ・春待ちて厳しい寒さ乗り越えた
  我が体に少し安堵す

 ・ベランダにムスカリの花咲きだした
  春を感じる暖かな朝

 ・問題児 我が家族には二人いる
  夫と娘は似た者同士
  

       おてもやん の詠める

   <家族旅行の記録>

〇父親の背丈を少し追い越した息子と周る台北の旅

〇線香の匂ひ漂う龍山寺(ロンシャンスゥ)屋根の装飾豪華絢爛

〇足裏の痛い所も一緒だとマッサージ後の父子が笑ふ

〇雨の中パンダに会いに木柵の動物園へ孫を連れ行く

〇小走りの孫をカメラで追いかけて自由廣場を自由に歩く

〇蟹おこわ・からすみ炒飯・小籠包・北京ダックと杏仁豆腐


       アルジェリマン の詠める

耳揺れて黒犬駆けるあぜ道の土筆尽くしで大いに愉快

黒犬が何度も見やるその先は高速道路音が洩れ来る

さっそうと降りる陣地は給水塔 われてっぺんなり正午のカラス

月隠れふと肌寒く落涙す 弥生に別れ積み重なりて


       しだれもも の詠める


梅まつりにぎはふ湯島天神に池の子亀も首のばしをり

雅叙園の雛の衣装は花浅葱(はなあさぎ)おとなのにほひにわれ立ちすくむ

   〈厳島神社〉

海に浮かぶやしろに入らば潮騒の合間合間に祝詞は聞こゆ

浜のさきの清盛神社へ波ぬれた砂踏みてゆく子鹿とともに

   〈広島にて〉

闊歩するブロンドたちにわが胸の破片痛み出す原爆ドーム


       たまき の詠める

それでいい
記憶の海に沈むより
イヤな女で
覚えていてよ

あの人の
今際の際の
エンドロール
わたしの名前
流れるかしら

寒きふゆ
涙にくれた
一月を
労わるように
春の雨ふる


       かりそめ の詠める

*三月のなかば夏日の予報あり国狂ひなば四季も乱るる

*七年の風雪仮設住宅に片や倉庫に四億円を

*自らを綺麗すぎると言ふ后美形に遠き顔を晒しつ

*腹這うて主(あるじ)見上げる小犬の眼黒曜石の濡れたるに似て

*ただひとり春の波涛に向かひ合ふその孕みたる力畏れつ

*咲きそめて薄くれなゐの靄めきぬ信濃生まれの杏の林

*咲き満ちてなほ慎ましき土佐水木住みふりし地の径(こみち)ふちどる

*欄干に二羽の椋鳥向き合へり一羽いきなり囀りはじむ


       こぶ の詠める

*保健室出て恐々と入場す
皆と歌うは『仰げば尊し』


       わすれんぼ の詠める

いと寒き冬駆け足で去りゆきて春の訪れ早きに戸惑う

満を持し蓄えしもの放出す 春の息吹の力強さよ

わずかなる花の盛りを無残にも食い散らかせりひよどりめらが


年老いてやり残ししこと山積す 逃げてもつけを払う日は来る

年老いて忘れ忘れの毎日に心休まる時とてもなし


たくましく雑草のごと育てとの 願い空しく箱入りの我子

柵開けて真っ先に行くおもちゃ箱 遊びをせんと生まれし君は


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

四月もまた。みんなのうた、ご一緒に。



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ふしぎなカフェ(仮)。


ふしぎなカフェを見つけました。

今日は洗濯をしない日と決めて実行、ぢいさんがオベント持って仕事に出て行った後の朝の時間を、ソファにどってんと転がって新聞読んで過ごし、どれだけ細かく読んでも、飽きる。

空が青い、海がまぶしい。お天気がいい、気持ちいい。

お天気の良さに誘われてふらふらとドアの外へさまよい出て、エレベーターで地上まで下る。海からの、けっこう強い風に逆らわないでタタタと流され、目の前に来たバスについ乗って、バスストップの名前にんん?と魅かれて降りて、そこに、見つけた。

すすけたような大きな窓、船のキャビン風の外観にまったくそぐわない「日替わりランチ」ののぼり旗、何度も塗りなおした感のある赤い自転車が入り口の半分を占拠していて、あらら、風に殴られて自転車、転びました、中から、あたまくっちゃくちゃの・・・もしかしてそういうヘアスタイル?、 黒っぽいセーターにずり落ちかけたデニム、というスタイルの、お姉さん? おばさん? が出て来て、えいやっと自転車をつかまえ、ぼーっと立ちすくんでいる私を見て、え、何? みたいな顔を、無防備にさらしたと思えば突然にっこり笑顔になって、

「いらっしゃいませ」

と言い、

「ですか?」

と付け加えた。私は、いっしゅん「え?」とはなったが、「ですか?」に応じるには、はいはい以外のタイドしか無いだろう、はいはいそうそう、いらっしゃいました、ですよ、とおなかの中でお返事して、店内に入りました。

おどろくべきことに・・でもないか、ここ、カフェなのですし・・カフェって書いてある、看板に。

ふつうにスーツにネクタイといった姿の中年の男性二人、モーニング・サービスのセットらしいお皿を前に、しきりに言葉をやり取りしながら煙草を吸っている。

煙草オーケーの店なのか。

今は、喫煙者受難の時代。タバコ好きのあの人やらあの人やらと、ゆっくり話をしたくても、昔みたいに、い続けさせてくれる場所が無い。どこも、妙に店内明るくて、清潔そうで、挨拶や笑顔の作り方は丁寧風でカーテンはとても白くても。

落ち着かせてくれない店ばかり。これって私の私感ですか、私感ですね、私感そのものです。

煙草はノー、の店がどんどん増殖している。タバコは「悪」なのだ。私はとうに、もう10年以上も前に、たばこ、やめました、だから辛くない。苦しくない、切なくもない、喫いたいときに煙草を吸うことができないなんての悲しみからは、遠くなっております。

ふうん、ここ、煙草オーケーなんだ。

珍しいことに行き当たった感じ、お姉さんだかおばさんなのだか未だに見当がつかないシモーヌが、そこ、座ったらいいですよ、とおっしゃる席につきました。シモーヌ、というのは、思いついただけの名前で。

たとえば昔の仏蘭西映画、ジャン・ギャバンか何かが(失礼な言い方ですがこのまま)くわえたばこで、国道沿いのモーテルか何かに入って来る、乗ってきたトラックは埃だらけ、ロックなんかされていません、停めただけ。その、ジャン・ギャバンが入って来たモーテルに、いたのが、シモーヌ・シニョレで・・とか、どんどん脱線しておりますが、この話はどこへ行き着くのか、だいたい、この店の主なのか何なのか、女の人は、シモーヌ・シニョレとは、完璧に、まったく、似ていません、似ていないが・・・あれれ、私にメニューを渡しておいて、さっき、さささあ、と店を出て行ったのではありましたが、いま、食パンを一斤、むき出しに持って帰って来ました。

パン、買いに行ったのか、シモーヌ(じゃないって)。

私は、注文するものを決めなければなりません。

妥当なところでは、トーストとコーヒーと目玉焼き、らしい、モーニング・サービスを、とお願いするのが、世の中的には妥当な・・・でもしかし私は、朝、トーストとコーヒーと目玉焼き、という朝ごはんを、すでに、いただいていたのでした。

自分チで。いつものように(茶粥を食べる朝もあります、念のため)。どうしてだか入り込んでしまったかふぇで、もう一度、朝ご飯を、食べるのか。私は。


・・・・・とうとつに書き始めましたが、いま、まだ23時10分ではありますが、たいへん眠くなりましたので、今夜はここで終わります。
続きは、おそらく、あると思います。
タイトルは、仮のものになります(でしょう)。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
おやすみなさいませ。







  1. うたのおべんきょ。
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弥生三月、うたのおべんきょ

今月もたくさんのおうたをお寄せいただき、とても嬉しいです。

お一人ずつ、しっかり読ませていただきました。

感想やら、ここはこうするテもあるような・・・・など、つづらせていただきます。この色が作品、この色が詠み人さんのお気持ちやことば書き、この色がKUONが書いている部分です。

……

       KUON

・海の見ゆる高層の部屋に耳遠き夫(つま)とふたりの暮らし始むる

・幾年をここに暮らしてその後はと思はぬように焼く目玉焼き

この「ように」は「やうに」が正しいです、間違ってしまいました。

・老いて病む実感を抱き難ければわがままに家を捨つると見るらし

・大松明駆けゐるころか二月堂に火の粉浴びしも今は思ひ出

・火の色のふと恋しかり煮炊きにも火を使はざる日々に慣れ来て



       温泉郷

    3月のうた
   くおんさま、おはようございます。


古代から引き継がれたる修二会かな
鎮護国家をわれ祈るなり

東大寺・二月堂の修二会・・お水取りは、1200余年、途切れずに続けられている行事です。戦争中も灯りが漏れないように息をつめてつとめられたそう。命がけでした。厳しい行、出征して行かれた方以外は皆様で守り切られたのでした。

民草が天下太平祈るまに
天皇夫婦ほっつき歩く

西暦で年号語る皇族に
ありがたみなしアホらしくなる

うーむ。お若いお嬢ちゃんのみでなく、親世代にもおられましたね。しっかりおつとめの宮様、と拝しておりましたが、実際「お仕事」でいらしたのですね・・表向きなさる単なる「おシゴト」だった・・

窓辺には啓翁桜ほころびて
優しく告げる春の訪れ

シナからの有害物質にかすむ空
アザレアの赤鮮やかに咲く

ここは「アザレアの赤」がびしっと効いています。


       へなちょこ一年生

    おはようございます。3月はお別れの季節で寂しいです。


・人も消え猫も街から消え去りて餌の小皿に沈丁花の香

なんだかシュールな感のある近代絵画的な一首。このままで充分よろしいですが、どうして猫も街から消えてしまったのかな? という感じが残ります、もっと言うと、餌の小皿に、でなく、小皿のまわりに、沈丁花の香りが、ということですね。。たとえば

   人の消え餌皿を残し猫も消え街に著けし沈丁花の香は

   人の消え猫も消えたる街なかに沈丁花は強き香りを放つ




       白萩

   桜月のうた
   今月もどうぞよろしくお願い致します。

    〈嵐〉

早咲きの桜うちたる夜の嵐
人の心もものかは荒るる

この「ものかわ」少し考えこませて下さいね。


真夜中におどろおどろと雷鳴し
二人居る心強さを思う

貴(あて)なるも卑しきも皆雨風で
浄めよ嵐この日の本を

        <花>

こでまりを飾りてしのぶ祖母の庭
丹精せし木も人手に渡り

イメージの美しい一首。このままで充分ですが、最後の

「丹精せし木も人手に渡り」この「り」が惜しいと思います。「る」で終わった方がいい。

こでまりを飾りてしのぶ祖母の庭

丹精せし木も人手に渡る

「り」の哀愁含む余韻も捨てがたいのですが、その余韻を生かすために「る」がいいよなあ、と。

いったん書いたのでしたが、やはり元のまま「渡り」がいいと思いなおしました。迷走してごめんなさいでした。


花屋にて迷うも楽し今日買うは
黄のチューリップに桃の花なり

こういう何気ないようなうたも、いいです。声に出して読むとリズムがとても楽しい。色彩も美しい。

園庭にいま満開の山桜
子らを見守り青空に立つ

香(こう)のみで姿は見えず沈丁花
あちらこちらと香(か)を辿りゆく

・・むむ。この「香(こう)のみで」で、立ち止まりました。私も少し勉強してみます。よくわかりますけどね、後の(香)と関連させたかったのであろうことも。


       パール

   弥生のおうた

    新しい生活を楽しんでいらっしゃる御様子
    何よりでございます。
    今日は、穏やかな海 春霞でしょうか。


☆出逢いより別れ多くのこの春は
 幸多かれと祈る日々あり

☆「すぐ会える 地球だもの」と言いし子の
 飛行機雲を追う目が潤む

すぐ会える、地球だもの、ですか。若い方はまぶしいですね。それはそうだ、その通りだわ、と肯いつつも、親世代の胸は、そんなにも飛翔できなくて。「追う目が潤む」は、よくぞ「潤む」になさいました。ここでびーびー泣いては詩になりません。

☆遠い夏共に旅したカナダの地
 思い出残し友は風にと

☆春告げる淡き香りの紅(あか)と白
 風の友へと届け飛梅

ラストの「友へと届け飛梅・・・ともへと、とどけ、とびうめ」と、「と」が生きています。うたの文字は、見た目も大切、音にしたひびきも大切。

☆陽(ひ)が落ちて春呼ぶ修二会厳かに
 松明の火に願い込めつつ

★親子とも目に邪が宿る小室とは
 身の程知らず恥も知らずや

恥も知らずや。・・では、個人的にすみませんが、言い足りない気もしますが。なにせヒトではないもののようにも思えて。


       まめはな

    kuonさま、参ります!


・したたかに酔いて尿を撒き散らししれしれ笑う夫に怒れり

きちゃなくて、ごめんなさい。ホントに、酔っ払いってイヤです。

いやいや。きちゃないのは大丈夫ですよ、うたになっていればきちゃないのも情けないのも、おーけーですよ。でも、そうなのかー。

「夫に怒れり」は、まあ、妥当な詠みぶりではありましょうが。こういうのはいっそ、怒りに任せて(だれも傷つけないし・ご亭主は読まないでしょ?)

したたかに酔っ払い尿まき散らししれしれ笑う夫に激怒す

たまには「夫(あんた)は馬鹿か」、と」やってしまうとか。

「したたかに酔いておしっこ撒き散らししれしれ笑う夫(あんた)は馬鹿か]・・勇気要りますか?

元うたとの「しれしれ」がいいです。



       Nちゃん

梅まみれの春です(笑)


貴志駅の
二代目“タマ”に
会いたくて
“たま”にはいいね
春列車旅

めちゃ期待
どんな駅やろ
来てみたが
なーんにもないで
梅の木ひとつ

貴志とか、あちらの方はけっこう歴史的なにおいもある場所なのですが、電車に乗る方は少ないようですね。猫の手も借りたいお気持ちもむべなるかな(笑)。

最後、梅の木ひとつ、は「春列車旅」ののどかな感じにも合いますが。やはり「梅の木いっぽん」にして欲しいな~、と思います。ひらがなでね。


タマ列車
あっあっあーと
鉄男爺
どですかでんは
ガタゴトの音

ヒーフーと
必死のパッチ
瘋癲と
まるで登攀(≧∇≦)
賀名生梅林

目に映る
小山がすべて
梅開花
香り漂う
白桃紅の

もうあかん
脚が上がらん
やっとこさ
眼下に梅の
東雲の口

大阪城
母校碑の前
カメラ持つ
梅花が繋ぐ
OBとの縁

瘋癲と
我も啓蟄
ブラブラと
花を眺めに
手つなぎ城へ

今月のおうたは、歌材もいいですが、うたの形、リズムがとても整って来ておられて、独特の個性も生きて来てる感じ・・・とか。エラそうに言ってみました(笑)。


       ROM

    <野良猫と暮らす>

・保護施設 見送る猫(こ)らを振り切りし 帰路の寒さやこの猫(こ)の重さ

「帰路の寒さや、の「や」が生きています、「寒さやこの猫(こ)の」、と続いて行くところも。

私事ですが、猫たちのいろんな猫生(じんせい)の動画を、つい次々と見てしまっていることがあります。犬ももちろんですが、つらい悲しい寂しい顔を見たくないと強く思います、でも一匹の猫を、犬を、どうしてあげることもできないでいるのが現実です。


・友と自由 奪いし我れにすり寄りて 皿を鳴らしつ餌を食む猫(こ)

よく間違うところですが「皿を鳴らしつ」ですと、皿を鳴らした、という意味。ここはおそらく「皿を鳴らしつつ…鳴らしながら、ではないか、と。そうならば「皿鳴らしつつ」と「を」を取ってしまってもオーケーです。最後の猫(こ)は、音の数としては「ねこ」のままの方が収まりがいい、「こ」と呼びたいならば、「餌(え)を食むこの猫(こ)」とするテもあります。

・くるりこにゃあ 50センチ四方の新体操 芸術点は毎回満点

なんか可愛くていいですね。

・呼べば来る お返事つきで走り来る 可愛さ余って顔面食べる

ここはいっそ、顔面「かじる」でいかがでしょ。

・今日もまた 鳴いて一日まといつく うとましくもありエサ皿洗う


    <従姉・ワタシ>

・久方の 従姉の電話長話 しづ心なく猫撫でまわす

・久方の 従姉の電話長話 「絆」は「我慢」でできている

(笑)。わたしは電話苦手なので、わかる・・絆は我慢でできている、なるほど。しっぽに「なり」を加えませんか。声に出して読むと、その意味わかっていただけるかと。絆は我慢でできているなり。と。「かも」でもいいです。

久方の、と、遊んでみられたのですね。


・あの笑顔 想えばだいたいチャラになる ズルいスペック ナチュラル菩薩

言葉、自在です。

・こしかたを 振りかえおれば恥ずかしく 自責の夜をじっと耐えぬく

こういう夜を、持つ人と持たない人がいる。「振りかえおれば」は少し言葉がナニなので「振りかえりなば」とか、このままを生かすなら「振りかえりみれば」と、音は多くなりますが、タダしくなります。

    雨

・枝々に ビーズの玉の残れるは 雨が仕掛けた真昼のイルミ

・雨音は 地球の音だねみな違う サバンナの音TOKYOの音

あらら。すてきな二首が。

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※従姉70歳、私64歳(笑)(私はKUON様と同世代?水野英子、夢中になりました。あと西谷祥子(*´ω`*))
まだなんにもわかりませんが、なんだかちょっと短歌をつくるのって面白いなー、と思えるようになりました。


ワタシは五黄の寅です。西谷祥子も夢中で読みました。大好きでした。もう少し時代移って、岡田あーみんの漫画にもシビレれ、もちろんベルばらも、上村一夫も。

短歌はいいです。紙とペンと自分があれば、世界は自分のものや(笑)。



     黒猫アビ

    3月のうた


 ・春待ちて厳しい寒さ乗り越えた
  我が体に少し安堵す

このままで充分気持ちは表せていますが、「己が体に少し安堵す」ではいかがでしょうか。

春待ちて厳しい寒さ乗り越えた

己がからだに少し安堵す

我のからだに、でも、もちろんいいです。


 ・ベランダにムスカリの花咲きだした
  春を感じる暖かな朝

 ・問題児 我が家族には二人いる
  夫と娘は似た者同士

う~ん。父親と娘って、ベストマッチ。でも。なんか、わかるのですよね、これ。


       おてもやん

    三月のうた

    家族旅行の記録


〇父親の背丈を少し追い越した息子と周る台北の旅

お父さん、この負けは嬉しい負けですね。

〇線香の匂ひ漂う龍山寺(ロンシャンスゥ)屋根の装飾豪華絢爛

〇足裏の痛い所も一緒だとマッサージ後の父子が笑ふ

〇雨の中パンダに会いに木柵の動物園へ孫を連れ行く

〇小走りの孫をカメラで追いかけて自由廣場を自由に歩く

※食べた物(うたではありません(笑))
蟹おこわ・からすみ炒飯・小籠包・北京ダックと杏仁豆腐

いやいや、このまま「うた」になっていますが(笑)。このように、なんでも七五調になって来ると、どんどんうたの世界も広がってきます。気をつけるのは、でき過ぎるので、飛ばし過ぎないように、時にオノレを顧みる、とか。

どんどんお詠みになって下さい。古典的仮名遣いも視野に??。難しいけど、これも楽しいですよ。


帰国したら息子に書留届きました。卒業式の1週間後は入社式です。

〇赴任地と所属が決まり引越しの準備始める

ちょっと言葉の数が足りません。来月への宿題にさせて下さい。めでたい春のうたになさって下さい。

おかあさん、よく、頑張られましたね。おめでとうございます。心から。



       アルジェリマン

    三月のうたもよろしくお願いします


耳揺れて黒犬駆けるあぜ道の土筆尽くしで大いに愉快

犬の耳が走って揺れているのを見ていると、それだけで涙が滲んでくることがあります。

犬ってなんと、愛おしいものでしょう。


黒犬が何度も見やるその先は高速道路音が洩れ来る

さっそうと降りる陣地は給水塔 われてっぺんなり正午のカラス

月隠れふと肌寒く落涙す 弥生に別れ積み重なりて

・・別れの積み重なった弥生だったのですか。

泣きたいときは泣きましょう。わたしはもう、対・にんげんで泣くこと難しくなりました。ココロが、ギプスはめられたみたいな感じ。でも犬や猫の動画を見ながら、遠慮なく泣いたり笑ったりはしています。



       しだれもも

    今月もよろしくお願いいたします。

     〈三月のうた〉


梅まつりにぎはふ湯島天神に池の子亀も首のばしをり

湯島天神という固有名詞、梅まつり、にぎはふ。環境整っていますね、そして、子亀も、水面に出て来て、首を伸ばして。古典的仮名遣いの妙が映えますね。

雅叙園の雛の衣装は花浅葱(はなあさぎ)おとなのにほひにわれ立ちすくむ

花浅葱の雛の衣装。雛は「ひひな・・ひいな」とも読みます。いかにも雛の感じがしますよね。

華やかな豪奢な、圧倒的なお衣装だったのでしょうか。雅叙園の、雛。


    〈厳島神社〉

海に浮かぶやしろに入らば潮騒の合間合間に祝詞は聞こゆ

浜のさきの清盛神社へ波ぬれた砂踏みてゆく子鹿とともに

こういう風に「波ぬれた」などの写生的、具体的な言葉を用いるのは「とてもいい」です。

    <広島>

闊歩するブロンドたちにわが胸の破片痛み出す原爆ドーム

私の亡母は被爆者です。たまたまその日、あの場にいて。広島へ嫁いでいたいとこに、自分がもらったお芋やお米を分けてあげたくて入市していて。戦後、一人だけ授かった男の子は、生まれて三日目に亡くなりました(知らない兄です)。真っ白な赤ちゃんだったそうです。その兄のこと以外、母は一生何も口に出しませんでした。

先日、アカデミー賞、特殊メイクで受賞された日本人男性が「肌の色を考え始めたら何もかも話にならない」みたいなことをおっしゃっていました。全く違う意味でしょうが、なるほどなあ、と、感心しました。ごめんなさい、要らないこと書きました。/span>



       たまき

それでいい
記憶の海へ
沈むより
イヤな女で
覚えていてよ

女のこういう気持ちを、女はわかる。けど、イヤな男になりたくない、なれないオトコには、きっと、わかんない。

あの人の
今際の際の
エンドロール
わたしの名前
流れるかしら

寒きふゆ
涙にくれた
一月を
労わるように
春の雨ふる

ほらね。泣いてるのに。



       かりそめ       

    みんなのうた


*三月のなかば夏日の予報あり国狂ひなば四季も乱るる

40億円にも達しそうな老害夫婦の隠居後の住まい費用のうち、なんとかとかんとかを作るのをカットして、何千万円浮かせたと。質素節約のミテコサマの美談のように書かれておりましたな。あざとい、というのも、もはやダリいです。俗を脱して隠居なさる気はさらさらござらず。みぐるしい。みぐるしいのみ。

*自らを綺麗すぎると言ふ后美形に遠き顔を晒しつ

*腹這うて主(あるじ)見上げる小犬の眼黒曜石の濡れたるに似て

*ただひとり春の波涛に向かひ合ふその孕みたる力畏れつ

細かい事情はわからないながら、一読、荘厳な思いに打たれました。

*豊かなるこの春潮を実朝は袖なびかせつ眺めゐりけむ

実朝。

「眺めゐりけむ」これはいささか無理がある・・けむ、を生かしたいなら、どうしましょう。豊かな春潮、それを眺めていたであろう実朝。歌材は揃っています、もう一歩、推敲を望みます・・・で、いいですか。宿題。
「ゐし」なら「けむ」で終われますよね。


*咲きそめて薄くれなゐの靄めきぬ信濃生まれの杏の林

*咲き満ちてなほ慎ましき土佐水木住みふりし地の径(こみち)ふちどる

春らしく女性らしい一首。声に出して味わってもすてきです。

*欄干に二羽の椋鳥向き合へり一羽いきなり囀りはじむ

意外性が魅力。どうした椋鳥、何があった、何が言いたかった? 

みんなみんな、いっしょけんめい、生きている。

のに。



       こぶ

    やっと一首

    1月から1首ずつ、マタコ否殿下ばりに我が子の事ばかりでしたが、無事に中学校卒業式を迎え、
    来月からは違うことにも目を向けて挑戦したいです。



*保健室出て恐々と入場す
皆と歌うは『仰げば尊し』

こぶ さん。
まさこのことはともかく。
お子さんのことばかりでいいではないですか。
お子のことを、しっかり見ていていとおしんで詠んであげられるのは、親の特権です。楽しみです。いいではないですか。すてきな記録、記憶になりますよ。

と同時に、おっしゃるように、違うことにも目を向ける・・これも大賛成です。毎月、詠む。それを目標に、また、おうた、お寄せ下さいね。

「皆と歌うは」とあります。皆、と、歌う、ことが、とても大切なことだったのですね。

ご卒業、おめでとうございます。



       わすれんぼ

   いろいろとございますね、人生。
   私もいろいろで、疲れております。


いと寒き冬駆け足で去りゆきて春の訪れ早きに戸惑う

満を持し蓄えしもの放出す 春の息吹の力強さよ

わずかなる花の盛りを無残にも食い散らかせりひよどりめらが


年老いてやり残しこと山積す 逃げてもつけを払う日は来る

年老いて忘れ忘れの毎日に心休まる時とてもなし


たくましく雑草のごと育てとの 願い空しく箱入りの我子

柵開けて真っ先に行くおもちゃ箱 遊びをせんと生まれし君は


満開の白木蓮は風やら雨やら、そして鳥に食べられてあっという間に散ってしまいます。
秋から長い間大きい蕾を付けて、早春に咲いて、
優雅かつ豪華なのですが・・・
今月は忙しすぎて歌を詠む気分にはなれませんでしたが、
お休みするのも・・・
なので、詠み流しです。


お疲れでお忙しいのに、おうた、ありがとうございます。

ホントにお疲れの感じ、いろんなこと、ありますよね。

私にもそれなりにありまする。でもね。

白木蓮はいいですね。白木蓮をうたったうたもありましたっけ。

記憶力だけは自慢できそうでしたが、このころ、あきまへん。出て来ません(笑)。でも、ま、いいことにしましょう。
来月も、おうた、お寄せ下さいね。



       黒猫アビ

    今晩は。
    あまりに腹が立つので追加


 ・アホズラで水の総裁ブラジルへ
  民の税金 湯水のごとく

黒猫アビさん、ごめんなさい、せっかくの怒りの一首、こぼしてしまっておりました。

まともな話をすれば・・(まともか?)あのアホズラのお方は、今回は「水の総裁」関係なく、なんだか私的な個人的な勝手な旅行らしいです。何しに行ったやら、いちばんわかっていないのは、あの・・ズラのお方。

腹立てると心臓及び血管系にわるいですから、冷ややか~な目で、見てやるくらいにする方が、と思います。腹立てる値打ちの無いものです、あれが即位だかなんだかするなら、ね。

阿保に権力持たせたらあきません、の見本、しかも代々・・・






  1. みんなのうた
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弥生の「みんなのうた」どんじゃか、どうぞ。

三月。弥生の「みんなのうた」、詠草をお寄せ下さい。

奈良、二月堂のお水取りも終わったようです。お水取りがすんだら春が来る、と、かの地の方々はおっしゃいます。

各地で梅が盛りのようです。梅はあの、清楚でほのかな香りがいい・・・などと言いつつ、まったく嗅覚を失ってしまっている身は、かつて感じた香りの記憶を、思い起こし、胸うちに招きよせて、懐かしむのみ。

記憶というものはいいものです。濾されて、極められて、清められて。ほんとうよりもずっと、かぐわしいものにもなってくれる。

悲しいことだって切ないことだって、そういうものに変化してくれればいいですね。思いを言葉にしようとする懸命さが、時に、昇華のような変化を遂げてくれることだって、ある気がします。

あります。

一緒におうたを楽しみましょう。基本的に短歌のみ。五七五七七の定型。いささかの字余り、字足らずは、それはそれ。触れてほしくな~い、と思し召しの方は、ドントタッチ・ミー、と、お伝えください。たとえばKUONが手を入れて、お気に召さない時は、それもお伝えくださいね。

作品は、つまり、詠みびと、お一人お一人のものですから。

3月の14日から、17日の土曜日の夜まで。お待ち申し上げております。コメント欄へ、どうぞ。

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  1. ゆれ・ふら・とーく
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たあいない話

昼間は一人でいます。

4時までは主に事務的な仕事をしている、というかっこうです。時によって土曜日や日曜日に、引っ越して来て近くになった工場へ行って現場仕事や後片付けなどすることもありますし、シンプルに何時から何時までが勤務時間、と言い切れないワタシの立場。

なんでこんなことを書いているかと申しますと。

昼間、デスクの前でオシゴトしているはずの時間に、いろんなこともやっています、の言い訳でしょうか(笑)。
いろんなこと、のなかの小さな一つは、ここへ来て始めたことで。

ベランダに遊びに来るスズメたちの、観察。

そんなには見た目、違いの無さそうなふつうのスズメが、三羽くらい、常連になっています。

太ちゃん、細ちゃん、全体の色彩の薄めのアワちゃん。

みんな揃って来ることはなく、一羽ずつ、飛んで来ます。

ベランダは南向きで日当たりが良く、そこへ、日によって順番はさまざまですが、一羽ずつのスズメが、すううっと降り立つ。

何も置いていないと、ちょ、ちょ、と飛び歩きして探して、へえ、何もないんだ、ふうん。みたいな感じで、行ってしまう。それが何だか気になって。

朝ごはんはトーストにしている、その、パンの端っこをちぎってよけておいて、洗濯物を干す前に、三等分にして撒いておいてやるようになりました。

よく見ていると、一番さきは細ちゃんが来ているようです。撒いてあるパンを、大きな(スズメにしては)形のままくわえて、くちばしでつついて、食べています。けっこうな量を食べています。

次のコのために、また、撒いておく。太ちゃんはパッパと大胆に食べ終えて、窓ガラスの向こうから、部屋の中をのぞき込むような風情でいることもあります。首をかしげて、かわいい。部屋に来てくれるのかな、と、ドキドキしますが。

あえては招き入れることなく、パンのささげ人としての立場を順守しております。

アワちゃんは淡々としたスズメで。欠かさず来る、というのでもありません。来てくれると、来た来た、という感じで、食べろ食べろいっぱい、ぜんぶ食べてね、という気持ちで、ずううっと眺めていてしまいます。

部屋の外では、そんなことが起きています。

部屋の中では、奈良から一緒に越して来たハムスターが、日中はほとんど、おがくずに埋もれて眠っています。

この子も少し、パンを食べます。必ず手の上にのせて食べ物を与えることにしています。ケージのふたを開けると、さーっと寄って来て、差し出した手のひらに載って来て、パンやヒマワリの種や乾燥させたニンジンなどを食べます。ハムスターには頬袋があって、どれだけでも、口に入るだけもらったものを食べて、頬袋に詰め込んでいます。体のカタチが変形しているようなこともあり、感心して眺めていることも、しばしばです。

バナナやイチゴなども食べます。自分でここ、と決めたところへ走って行って、せっせと頬の袋から出して、食物をため込んでいるのです。その、大切な貯蔵物を、ニンゲンはひどいもので、週に一度の全体掃除の際に、取り上げてしまうことをしています・・おがくずなど全て取り換えてしまいますので、掃除の後、ケージに戻されてからのいっとき、ハムスターは、必死で、隠しておいたはずの食べ物を探し回るのです。

ごめんね、ハムちゃん。

あと、いるものといえば。

ソファの上に、おなかぺったりの姿勢か、いわゆる「へそ天」の姿勢の、トイプードルのぬいぐるみの、小銀。

生きているトイプーの銀蔵とは、別れてきてしまいました。銀蔵クンは、娘婿の大事な大事な家族でした。私は、いろんな都合のあって、とはいえ、家を出てくるのだから、銀ちゃんとは別れるしかなかったのです。

最期の朝、銀蔵に挨拶をして、銀蔵の目を見つめながら、

また会えるけど当分は会えない、銀ちゃん元気でいてね、ありがとうだったね、ばあちゃんは銀ちゃんのこと、大好きです。

そう言葉をかけると、何も言わずに、じいいっと、濡れた綺麗な目で見上げていてくれました。

今度いつ、会えるか、実はわからないのです。でも、あの家に、かわいがられて、元気でいてくれます。

小銀は、ほんもの銀蔵と、アーモンド色の体の色と、触れても全く抵抗しないお任せの感じが・・その感じだけ、似ています。








  1. 今の思い
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赤い鳥居がありました。

朝から「街」へ行って、疲れて帰って来ました。

欲しいものが幾つかあり、神戸・三宮のロフトへ行ったのです。越してきたときに、車は奈良へ置いてきました。ほとんど乗らない車を寝かしておくために駐車場をかりたくない。夫は歩いて工場へ通っています。それをするために越して来たのです。歩いての通勤がリハビリになっていると信じています。

必要な時はレンタカーを借りる。一度借りました。月初めの墓参、姑との寿司屋行き。車でないとなかなか、な用は、まとめて済ませるアタマも使います。私は脚が痛いし、言えば電車で済ませられる用ばかりではない・・。

今日はバスと電車で出ました。三宮のそごうデパート。地下の市場街を通って目的地まで行きますが、海鮮類が豊富で安くて目移りして、まっすぐに歩けないくらいです。魚もタコもわかめも、新鮮でたっぷり盛られていて、海なし県の奈良に住み慣れた目には、気絶しそうなくらい、魅力的で、安い。あれも買いたいこれも食いたい(東海林さだおさんの絶品グルメ本の数々の大ファンなのです私)。帰りに買おうと自分に言い聞かせますが、おそらく無理だろうともわかっています。お刺身、リュックに入れて帰れません。

ロフトと本屋で買い物をして、もっと買いたいもののある夫を待って、などしながら、鍼治療の予約の時間まで過ごしました。店内も外も人でいっぱい。ホワイト・デーの前ということもあるのでしょう、モノがバンバン売れていて、華やかで,にぎやか。どこかからジャズ・バンドの演奏も聞こえてきていました。

リュックに収まるくらいのモノをささやかに私は買い、夫は、苦手なはずの街なかをあちこち巡ったけれど欲しいモノを見つけられず・・品物が豊富過ぎて新し過ぎて、基本的に「山奥の実験だけ大好き仙人」である夫の目はチカチカしてしまったのでしょう。

ひとごみを抜け出して、にしむら珈琲店でフレッシュ・ジュースと野菜サンドにありついた頃には、ヘッタヘタのクッタクタになっていたのでした。

鍼治療は、夫には合っているようです。脳梗塞を起こしてもうすぐ二か月、ロレツもかなり回るようになり、食べ物を飲み込むこともしやすくなっている様子です。にしむら珈琲店の、お気に入りのサンドウィッチ・・きゅうりとトマトとホワイトアスパラガスの・・を、ゆっくりいただいて、もうウロウロしないで帰りの電車に乗り込みました。

帰宅すると、リビングの窓の向こうの海はすでに、夜の色に包まれていました。

朝、出て行く時は、朝の光を受けてキラキラ光っていたのです。

七年前の早春。

震災の後、しばらくの後に訪れた時、かの地の海は、大きく広々と、まばゆく光っていました。

何も知らぬげに光っていました。

私が、つれて行ってもらって立っていたその場所は、黄土色に乾いて広がっていました。

赤い鳥居がありました。表札の残ったままの片側の門柱。登り切ったところに何もない、唐突にある石の階段。

何もかもが、黄土色の大地から突然はえたように、脈絡なく「在る」のでしたが。

それらは、生えたのでなく、取り残されたものだったのです。

そこにあったものは、そのすべてといっていいくらい、海がさらっていったのでした。

家も暮らしも・・・いま、午前零時になりました。

三月十一日になりました。

・・何もかもを津波がさらっていった町の、向こうに見える海は、きらきらと光っていました。

何も知らないような、穏やかで静かな海でした。

私が、どうしようもなくただ涙を流したって、なにも、どうにもならない海なのでした。




  1. ことばのたのしみ
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吹きわたる風の中に

「嵐が丘」という作品を初めて知ったのは、中学生の頃でした。

小学生の時から大好きだった漫画家の水野英子さんが描いていた激しい漫画で知りました。水野英子は「星のたてごと」から読み始め、やがて私が「ヒッピー」風のでろでろファッションに目覚めていった時代(笑)、一世を風靡した「ファイアー」に夢中になり・・当時は「峰岸ひろみ」という漫画家も大好きだった・・漫画の話はキリがないのでここまで・・

とにかく、親と離れて養家から中学に通っていた私、夏休み、冬休みに実家に帰ってもやはり鍵っ子であるのは変わらず、寂しいというよりはそれは自分には好都合、お小遣いのほとんどを本を買うのにつぎ込んで、小さな部屋にこもって、ひとりうっとりの世界に溺れこんでいた、そんな時代に知ったのでした、「嵐が丘」。

すぐに原作も読みました。鬱々とした小説。狭い限られた世界の中で起こる、ひとかたまりの人間たちの愛や憎やの数十年のものがたり。

嵐が丘の作者のエミリー・ブロンテの姉、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」も、ほぼ同時に読んでいました。この二冊の本は、結局、何度も読み返すことになりました。私は、童話やメルヘンの嫌いな子どもでした。

映画は、ローレンス・オリヴィエがヒースクリフを演じた昔の映画も観ています。最近の(と言っていいのか、すでにかなり以前の映画化でしたね)、レイフ・ファインズがヒースクリフを演っているものは、ここ半年以内にも二度、観ている。ありがたい時代です、テレビの画面で。

私にとって「嵐が丘」は、ただにヒースクリフの物語なのです。キャサリン・・キャシーは重要ではない。存在としては重要なのですけれど、、彼女には気持ちが寄って行かないのです。

ヒースクリフといえば、松田優作が演じた、日本版のそれも、観たことがあります。タイトルは同じだったか。相手役の女優の名前も顔も思い出せない。(いま調べたら田中裕子です)。松田優作が強烈だったこと、画面の中でデカかったことが今も鮮明です。

愛した女、今でも愛している女の、墓をあばく男。荒涼たる風景の中で。演技とはいえ、その男の気持ちの、胸の、思いの痛さが、突き刺さってくるようでした。痛みながらしかし、思いを遂げて恍惚としているのでもある凄さ。忘れられないシーン。

残酷な話です、「嵐が丘」は。当時20代前半の若さだった作者・エミリーの、人間を描く目に容赦はない。

キャシー以外に関心のない男・ヒースクリフに、ヒースクリフの復讐の一つの手段、一つのコマとして恋を仕掛けられ、簡単に墜ちて、兄の制止も聞かず家を飛び出てしまった娘、イザベラ。兄の妻となったキャシーに恋い焦がれる男の妻となって、すぐに、殴られた跡の残る顔を、実家からの使いにさらして、ひきずられて使いの者の前から去るイザベラの不幸は、結婚のその瞬間から始まったのでした。

兄は止めた、わかっていたから。でも、イザベラの思いも行動も止まらなかった。

恋だと信じたから。若い世間知らずの身と心が、恋だと信じたから。

世間知らず。書いていておかしなこと、世間など知りようのない世界の話ではあります。

一年中、広大なヒースの原を吹きわたり続ける風の中に建つ、二軒の家。いわばA家とB家。その他に何も描かれていない。そこがどんな村であるのか他に人家はあるのか、食料などはどうしているのか、そういったことを、作家は何も描写していない。長い小説なのですが。イザベラの実家の方では、何かパーティのごときものが催されていたりする描写もあるのですが。

エミリーは、二軒の家に存在する人間たちのことしか、書いていません。キャシーやイザベラが世間知らずだなどと、言いようもない。世間の無い小説なのです。

キャシーへの思いしかないヒースクリフ。その思いは、熱くて強くてそして、重い。現実には温厚で優しい夫・・イザベラの兄の妻となっているキャシーの、実際の生活を大切に思ってひそかに見守って、などという現代人的な配慮もへったくれもない。夫の子を宿しているキャシーに対しても、お前が好きだ君が好きだお前は俺のものだ君だけが生きる糧だすべてだ、キャシー。どうして俺だけを見ないのだ、と。遠慮も何もない。

キャシーは。実に困ったりしながらも。キャシーも同じなのです、ヒースクリフのことが、本当は好きで。本心を聞かないで行ってしまったのはあなたじゃないの、私の本当はあなただけなのに、なんです。

キャシーの夫の善良なエドガー。エドガーの妹でヒースクリフにからめとられてしまった、不幸なイザベラ。何の罪科の無いこの兄妹に対する作家、エミリーの眼の冷たさといったら。同情心のかけらもない。と言えます。仕方がないのです、エミリーにとって大切なのは、自分自身の思い。それだけ。

地の果てのような、年中風の吹き荒れる荒野の中の牧師館で。姉と妹と父と兄と。母は早世、召使はいたのでしたか。毎日同じことの繰り返し。美味しいものにも縁がなく、楽しいことにも縁が無く。本を読んだりきょうだいで話をつくって披露しあったりが楽しみだった。。

町へ出て行った姉には、どうやら、恋愛らしきこともあったような。ただ一人の男兄弟である弟は、出来が悪かった。姉は小説を書いた、出版もできた、妹も、さして評判にはならなかったが本を出した。次女であるエミリーも、本を書いたのでした、それが、「嵐が丘」。ただ一冊の著書といっていい。エミリーも町へ出たり学校へ入ったりした時期はあっても、結局、荒野の牧師館へ戻っていた。

重い暗い厚い雲に覆われた牧師館。ヒースの原を吹きわたる激しい風の音。つまりそれだけが、エミリーの生きた世界でした。

病を得て、エミリーは、終日、お気に入りの椅子に座っていたといいます。

発散しようの無い思いを、エミリーは、ペンに託して、ぎゅうぎゅう詰めに書いた。誰がどう読もうが感じようが、そんなことはどうでもいい。書きたいことを、書きたいように書いた。ヒースクリフとキャシーの物語を。

死んで、二人は魂になって、ヒースの原をさまよい歩く・・それが、この異様な恋の終章。エミリーの描き出した「ハッピー・エンド」。

他の人間の運命や気持ちがどうあったって、関係ない。連れて来られて虐待されて、そんな中でも子を産んで。若く死んでいったイザベラのことなど、エミリーは、知ったことではなかった。最後まで自分の方を見てくれはしなかった妻の残した娘を、大切に育てたエドガーのことも。

ただ皮肉なことに、小説の終わりには・・映画の終わりにも・・そうして生み出された次世代の子供たちに、何やらほのかな、人らしい人生が、ほの見えているのですけれど。


今では記憶もさだかではありません。

初めて読んで引き付けられた、水野英子の漫画の「嵐が丘」。

かすかな記憶に間違いなければ、ラストでは、椅子に座ったまま憔悴しているエミリー・ブロンテが。

医師の診察も受け入れず、周囲の意見にも耳を貸さず。髪も乱れてやせこけた顔の中の両眼を,カッと見開いて。

「放っておいてちょうだい、私にかまわないで、何をしてくれなくていい、私はもうすぐ立ち上がるのよ、この椅子から立ち上がる、そして。

ヒースの原を吹き渡る風の中に立つのよ、ワザリング・ハイツ、私の風。あの風の中に立つのだから」

とか、独白が書かれていた気がします。そしてエミリーは、たかだか三十歳で死ぬのです。

中学生の私は、知らなかったその世界に、まこと全身で引き付けられました。

こんな風に。と感じたのかもしれません。

こんな風に、強く生きたい、こころ自由に生きたい、こんな風に生きられたら、と。








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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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