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KUONのブログへようこそ。

返事の中までKUONです。

  1. 今の思い
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2017年。ありがとうございました。

今年も残すところあと二時間あまり。

トホホにへたれながらも、ブログを続けて来られたことが嬉しいです。

感謝です。

新しい年は、元旦から短歌ではじめようと思っております。本来はこういうの、二日から、とかするのですけれどね。

よろしければ皆さま、お正月の言葉のたのしみ、うたのあそび、コメント欄にお寄せくださいませ。

来ん年も月半ばには「みんなのうた」をお呼びかけさせていただきますけれど、それと別に、お正月に、うたの華やぎを。

勝手を申しますが、お一人の時間の戻られた頃と思われる、五日までとさせていただきます。


2017年、本当に、ありがとうございました。





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  1. おそれながら、なこと
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たんたんと刑場に消えていった。追記あります。

引用ばかりですが。

1948年(昭和23年)12月23日。敗戦の3年後、当時の皇太子・明仁の、15歳の誕生日のできごとでした。

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  東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行

>彼らの何が罪なのか、彼らだけの罪なのか。 歴史こそが最後の審判を下すはず。 <

           
1945/07/26   連合国、ポツダム宣言発表
1945/08/14   御前会議、ポツダム宣言受諾を決定
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵、梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1945/09/11   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令① (東條・東郷ら39人)
1945/09/11   東條英機自殺未遂
1945/09/12   杉山元、ピストル自殺
1945/11/19   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令② (小磯・松岡ら11人)
1945/12/02   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令③ (平沼・広田ら59人)
1945/12/06   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令④ (近衛・木戸ら9人)
1945/12/16   近衛文麿、服毒自殺
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1948/12/23   東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行
    東條英機、広田弘毅、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎、武藤章
1948/12/24   GHQ、岸信介らA級戦犯容疑者19人を釈放と発表

引用

花山は、東條につづいて板垣、木村、土肥原と面会を終えた。 そのあと彼は、モーニングの上に法衣をまとい、第一棟の一階一号室に駈けつけた。そこが仮りの仏間だった。

花山が水を入れたコップ七つとブドウ酒のコップ七つを準備してまもなく、 土肥原、松井、武藤、東條が二階から降りてきた。 午後十一時四十分だった。四人の姿を見た花山は絶句した。 彼らの姿はあまりにも異様だったからだ。 両手に手錠がかけられ、その手錠は両股と結ばれ固定してあった。 正装して死にたいという彼らの望みはかなえられず、アメリカ軍の作業衣のままで、 背中と肩のところにはプリズンの「P」の字が刷りこんである。 それが彼らの最後の衣裳だった。 靴はアメリカ陸軍の兵隊たちが履いている編みあげ靴、両足には鎖がついていた。 彼らの誇りは一顧だにされていない。

両側に立つ将校は、いつもとちがって身体の大きな者にかわっていた。 連合軍の警戒が厳重なのは、ニュールンベルクの教訓のためである。 処刑場にカメラマンをいれて処刑の様子を撮影させたため、被告は興奮状態になり、 あばれる姿がそのまま世界に報じられた。 これは死者への冒涜であるとして花山は総司令部に訴えていたが、巣鴨ではカメラマンは入れないことになった。 しかし七人が錯乱状態になって暴れることを想定し、がんじがらめにすることだけは忘れていなかった。 四人には暴れる徴候はなかった。

仮りの仏間での最後の儀式が行なわれた。 花山が線香に火をつけ四人に渡し、四人はそれを香炉にいれた。 辞世の句を書いてもらおうと用意していた筆と硯をさしだし、せめて名前だけでもと花山が言うと、 四人は動かぬ右手に筆を握り、土肥原、松井、東條、武藤の順で署名した。

つぎに花山はブドウ酒のコップを手にして、四人の口にあてた。 アメリカ人将校の差し入れのブドウ酒だった。 彼らはぐいぐい飲んだ。「うまいなあ」東條だけが声を発した。花山が『三誓偈』の一部を読経した。

護衛の将校が処刑場にむかうよう促した。 そのとき誰いうともなく、「萬歳を・・・・・・」ということになり、武藤が「東條さんに」と名ざしした。 すると東條は「松井さんに」と答えた。松井は彼の先輩にあたる。 松井が音頭をとり「天皇陛下萬歳」を三唱した。 ついで「大日本帝国萬歳」を三唱した。両手を下げたままの萬歳だった。

このころ「萬歳」は、アメリカ人が嫌うというので、あまり聞かれることばではない。 しかし四人の将軍は、アメリカ人のまえで三唱できたことに充足を覚えたようであった。 大日本帝国の「大」も「帝国」も消滅したのに、彼らは死の瞬間まで大日本帝国でしかものを考えられないことに、 花山はいささかの異和感をもった。

萬歳三唱のあと四人は、両隣りの兵士に「ご苦労さん、ありがとう」と言った。 それから花山の手を握り、期せずして同じことばを吐いた。

「先生、いろいろお世話になりました。 どうか国民の皆さんによろしく。家族もよろしく導いてください。先生もお身体をお大事に・・・・・・」

入口の扉が開いた。将校が先導し、そのあとを花山とアメリカ人教戒師が並び、 土肥原、松井、東條、武藤とつづいた。 そしてその後ろにさらに数人の将校がつづいた。 「南無阿弥陀仏」と花山が唱えると、四人は唱和した。花山は空を見た。 星が無数に散っている夜で、それはいかにも彼らの葬送にふさわしく思えた。

処刑場の窓からは電灯の光が洩れていた。 が、厚手のカーテンがかかっていて内部は窺えなかった。 ドアが開いたが、花山と教戒師の入場は許されない。 だが室内には明るいライトがあり、四つの階段が中央にできあがっているのが垣間みえた。 四人はもういちど花山の手を握った。 東條は数珠をはずし、花山に渡した。 そして身をかがめるようにして処刑場にはいっていった。

そのあと花山と教戒師は、いま来た道を戻った。 つぎの組の準備をしなければならなかったからだ。 三、四メートルほど歩きかけて星空をみた。 そのとき処刑場からガタンという音がきこえた。反射的に時計を見た。午前零時一分だった。

板垣、広田、木村も同じような儀式を終え、たんたんと刑場に消えていった。

総司令部の発表では、四人の死亡時間は午前零時七分から十三分までと分かれているが、 それは六分間から十分間、彼らが仮死状態にあったことを意味している。

そのあと花山は、処刑場内部へ招じられた。 七人は七つの寝棺に横たわっていた。 彼はひとりずつに念仏をとなえ、回向をつづけたが、どの顔にも苦痛はなかった。 平常心そのままに死に就いた七人に、花山自身は感銘にも似た気持を味わった。

保阪正康 「東條英機と天皇の時代(下)」


引用

新聞もラジオも七人の処刑を伝えたが、 そのことによって軍国主義が一掃されたかのようなとりあげ方であった。 憎悪と侮蔑で七人を謗れば自己証明ができるかのような無節操な論もあった。 彼ら七人を謗ることが一切を免罪するかのような意図的論調は、無反省で無自覚な国民心理を培養するだけであった。 やがて七人のなかの東條だけが〈普通名詞〉に転化していったのは、その培養の結果といえた。

東條英機の名誉も基本的人権も踏みつけであった。

ひとつの例をあげれば、ある有力な新聞が二十四日の朝刊に、 「幼児の心持つ東條――満足し死の旅に、夜通し祈った勝子夫人」と題して センセーショナルに報じた記事が指摘できる。 それは「この日勝子夫人は一切の面会をさけ独り静かに冥福を祈っていたが、 特に本社記者に次のような談話を発表した」と前書きして、東條はすでに幼児の心境になっていたとか、 これからの時代に東條の遺族として負けずに生きていこうとか書かれていたが、 この記事を書いた婦人記者松田某は、その日の夕方、この新聞をもって謝罪にかけつけたという。 また彼女は、判決宣告の翌日にも東條夫人の手記として、 「主人の精神的な命は敗戦と同時に終りました。 今は肉体的生命の有無は問題ではありません。 主人として死は願うところでしょうし、私共家族といたしましても主人の願うところはつまり家族の願うところであり・・・・・・」 といったような記事を捏造していた。 その日も訂正を求める家族に、「男性と伍していくには、こういうことでスクープする以外にないんです」と 得手勝手をいいつつ、問題を大きくしないように懇願して帰っていったという。

この種の記事がいたるところで見られた。 東條と舞踊家某との情事、連日の豪遊といった根拠もない話が氾濫し、 外地のある捕虜収容所では、思想改造の手っとりばやい方法として、 東條が酒色と金銭を目的に日本人民を欺いていたと、彼を卑劣な無頼漢にしたてあげた。

保阪正康 「東條英機と天皇の時代(下)」  


引用

かくしてもう十一時半にもなったので、私は大急ぎで一階にかけ降りて、 再び仏間の用意をし、コップにブドー酒をつぎ、水を入れたりして七人の到来を待った。 まもなく三階から処刑第一組として土肥原、松井、東条、武藤の四人の順で、列をつくって降りて来られた。 それぞれ二人の看視につきそわれていた。 両手には手錠がかけられ、さらにその手錠は、褌バンドで股に引っかけられていた。 極めて不自由な姿である。 着物はいつも着ていられた米軍の作業衣であった。しかしシャツは見えた。 クツは編み上げの日本クツであった。 係官から時間が七分しかないということをいわれたので、取敢えず仏間のローソクの火を線香につけて、 一本ずつ手渡し、私が香炉を下げて手もとに近づけて立てていただき、それから仏前に重ねておいた奉書に署名をしてもらった。 不自由な手ながらインクを含ませた筆をとって、土肥原さんから順に筆を揮った。 それからコップに一ぱいのブドー酒を口につけてあげて飲んでもらう。 さらに水のコップを私が少しずつ飲んでは、みなさんに飲んでいただいた。 東条さんの「一ぱいやりたい」も、どうやらこれで果され、大変な御機嫌であった。

その後、まだ二分あるというので、『三誓偈』の初めの三頌を声高らかに私は読んだ。 四人は頭を下げて、静かに瞑目して聞いておられ、終った時、

「非常に有難うございました」

とお礼をいわれた。それから誰いうとなく「万歳」という声が出て、たぶん東条さんと思うが、

「松井さんに」

というので、松井さんが音頭をとって「天皇陛下万歳」を三唱、 さらに「大日本帝国万歳」三唱を共に叫ばれた。

ブドー酒のあとで「お菓子はどうですか」といったが、みな入れ歯を取っていられたので、 歯がないからと遠慮されたが、松井さんに、やわらかいビスケットを一つ口の中に入れてあげたら、 もぐもぐたべられた。

以上の行事は、仏間ではせまくて、すべて廊下に立ったまま行われた。 この時、東条さんから、約束通り念珠を受取った。 松井さんも、手にかけておられたので、

「これを、奥さんに差上げましょうか」

といったら、

「そうして下さい」

といわれ、受取った。他の二人は、部屋(独房)の袋に残して来られたという。 やがてチャプレン・ウォルシュ師及び二、三人の将校にあいさつをして、それぞれしっかりと握手を交わされた。 私も、いちいちみなの手を握って、最後のあいさつをかわした。 いずれの方も非常に喜んで、長い間の労苦を感謝され、また、

「あとの家族のことをよろしく」

と頼まれた。時間は、刻々と迫ってきた。

出口の鉄の扉が開いた。当番将校先導で、その後にチャプレンと私がつづき、そのうしろに 土肥原、松井、東条、武藤の順で並び、両脇には看視、あとに将校が二、三名つづいて、 静かに中庭を歩んでゆく。その間、約二分ぐらいかかったが、念仏の声が絶えなかった。 とくに東条さんの声が・・・・・・。

刑場の入口(コンクリート塀)で、私は隊列を離れ、さらに四人と、 また一人一人手を握って最後の「御機嫌よろしゅう」をいったところ、

「いろいろ御世話になって、有難う。どうか、また家族をよろしく願います」と、 みなにこにこ微笑みながら、刑場に消えられた。 あとで聞いたところ、台上では四人とも、最後の南無阿弥陀仏を称えていられたということだ。 急いで仏間に帰る途中、ガタンという音をうしろに聞いた。時計をみると、午前零時一分だった。

仏間に戻って、再び用意して待っているところへ、第二組の三人、 板垣、広田、木村さんが降りて来られた。 顔を合せると、すぐ広田さんが真面目な顔で、

「今、マンザイをやってたんでしょう」といわれた。

「マンザイ? いやそんなものはやりませんよ。どこか、隣りの棟からでも、聞えたのではありませんか」

私も真面目に、こうこたえた。

「いや、そんなことはないが・・・・・・」

とにかく、今度は三人とも仏間の中に入ってもらって、お線香を一人ずつに、 前のように渡して立ててもらい、署名をされたあとで、今度は時間があったので『三誓偈』を全部読んだ。 木村さんだけは、眼鏡をかけて降りて来られ『意訳聖典』も持って来られたため、 私の読経中それを開けて読み、私の読経に合せておられた。お経の終ったあとで、広田さんが、

「このお経のあとで、マンザイをやったんじゃないか」といわれた。 私も、やっと気がついて、

「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」といった。 それでやっと、マンザイがバンザイだとわかって、

「それでは、ここでどうぞ」

というと、広田さんが板垣さんに、

「あなた、おやりなさい」

とすすめられ、板垣さんの音頭で、大きな、 まるで割れるような声で一同は「天皇陛下万歳」を三唱された。もちろん、手はあげられない。 それから、仏間の入口に並んで、みなにブドー酒を飲んでもらった。 このときは、米兵の助けをかりず、私がコップを持って、一人一人全部に飲ませてあげた。 広田さんも、おいしそうに最後の一滴まで飲まれたし、 板垣さんの如きは、グッと元気よく一気に飲みほされた。 よほど好きらしかった。 木村さんだけは、半分以上残された。 余り、酒の好きな人でないと見えた。 次に、水を飲みかわして、しっかりと握手をした。 みな、にこにことあいさつをされて、

「いろいろお世話になりました。どうぞお大事に、また家族たちをよろしく」

たいへんに、感謝された。

それから、前のような列になって刑場の入口へすすみ、私はここで、前と同じように、別れた。 最後に、木村さんは頭を幾度も下げ、にこにこ笑って、私に、

「どうか、家内たちをよろしくお願いいたします。お世話になりました」

と、長いあいさつをして刑場に入られた。 中庭はそうでもなかったが、刑場の中はあかあかと照明に照らされていた。 この時も、また途中でガタンを聞いた。零時二十分だった。

花山信勝 「巣鴨の生と死」

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この、最後に7名にお会いになられた教誨師の花山信勝さんのお孫さんが、金沢市の宗林寺というお寺を継いでおられ、2年前の夏に、以下のようなことがあったと。当時の読売新聞が伝えていたそうです。

A級戦犯7人、最期の肉筆…遺書など一般公開<

 東条英機ら「A級戦犯」7人の処刑に、日本人でただ一人立ち会った教誨(きょうかい)師花山信勝(しんしょう)(1898~1995)の生家で、7人が最期に残した署名などを保管している金沢市の宗林寺が、戦後70年を機に遺品を一般公開している。

 信勝の孫で住職の勝澄(まさずみ)さん(59)は「戦後の始まりを振り返り、平和を考えるきっかけにしてほしい」と話している。

 公開されているのは、A級戦犯として絞首刑となった7人の署名や遺書の写しのほか、処刑直前に飲んだワインの瓶や、戦犯が拝んだ仏像など。これまで檀家(だんか)や研究者、報道機関など以外に公開されていなかった。

 東条の遺書は、処刑の約1か月前に信勝に託したもので「刑罰は私に関する限りは当然である」「ただ戦禍を受けた同胞のことを思う時、私の死刑によっても責任は果(た)されない。全く相済まぬと思っている」などと記されている。

 金沢市武蔵町の浄土真宗本願寺派・宗林寺で生まれた信勝は東京帝大教授を務めた仏教学者。1946年2月、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の教誨師に任命されて戦犯らと交流し、極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた戦犯の処刑に立ち会った。

 巣鴨拘置所で東条英機(元首相)、広田弘毅(同)、板垣征四郎(元陸相)、木村兵太郎(元ビルマ方面軍司令官)、土肥原賢二(元奉天特務機関長)、松井石根(元中支那方面軍司令官)、武藤章(元陸軍省軍務局長)の7人の処刑が執行されたのは、48年12月23日未明。信勝の著書「平和の発見」によると最期の酒としてワインが出され「悲しみも動揺もなく、平常心そのまま、『念仏』とともに死についた」とある。信勝は執行の間際に署名を求め、7人は手錠をかけられたまま揮毫(きごう)した。その絶筆は、同寺の石碑に刻まれている。

 勝澄さんは「歴史として冷静に振り返ってもらうには長い時間が必要で、一般公開は戦後70年を節目と考えた」と話す。

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「教誨師花山信勝氏のご子息花山初音陸将補は学習院で天皇陛下と交流があり、後に陸上自衛隊に一般大学卒(学習院)の幹部候補生として入隊されました。 第1空挺団勤務や富士教導団長等を歴任され退官後の講演を2度程拝聴させていただきました。 花山初音氏も鬼籍に入り数星霜… 教誨師の子が国防に生涯を捧げたエピソードも知っていただきたく、書き込みました。」

コメント欄にいただいた「鉄」さんの書き込みです。教えて下さいました。

ありがとうございました。

以上、引用ばかりではありますが。

いただいているコメントへのお返事は、明日、ゆっくり書かせてもらいたいです。





  1. 今の思い
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「君よ、その胸に半旗を掲げよ」。

「君よ、その胸に半旗を掲げよ、今日は皇后陛下が「A級戦犯」と切り捨てた英霊がたの処刑日だ。」

今夜は時間の都合で少ししか書けません、が、BBさんの今夜の記事の冒頭の上記。胸に来ました。

天皇誕生日だそうです。

一般参賀だの多くの人がお祝いだの。それはまあ、なんでも「珍しいもの」「最後らしいもの」には反応敏感、ラーメン店の開店に行列作っちゃう民族性を有する(らしい)ヒトビトには、パンダの抽選待っているより気軽に行けた場所ですか、あのバルコニーの下は。

あの年の12月23日、早朝より、次々に吊るされて行かれた方々。愚痴言わずわめかず雄々しい辞世を遺して、日本の英霊がたは。

  我ゆくも またこの土地に かへり来ん 國に酬(むく)ゆる ことの足らねば

                              東条英機      辞世



この日を狙って、皇太子の誕生日を期して、あちらは、絞首刑を執行して行ったのです。

今上さんは、恐かった、ビビりあがったのですね。分からなくはないですけどね。。そして「ジミー」と皇太子を呼ぶ家庭教師を、あてがわれて。「粉屋の娘」とのことを企まれて、あっさりはまって。

旗日には、自室の外の濡れ縁に設けた細い柱に、ずっと、小さな日の丸を掲げて来ました。

今日はしませんでした。かなり以前から日の丸を揚げておりません。今上の誕生日に、国旗を掲げる気持ちは、いっさい失せ果てました。

眞子さんも新しいドレスでバルコニーで手を振っておられたようです。今年で、まこと、最後ですものね。いや、おそらく。

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天皇はこのたび「孫の眞子が小室圭さんと結婚する、幸せになってもらいたい」と、明言されました。↓。

『私たちの初孫である、秋篠宮家の長女眞子と

小室圭さんとの婚約が9月に内定し、来年11月に

結婚いたします。大変喜ばしく、二人の幸せを願っています』。




  1. みんなのうた
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十二月の「みんなのうた」。

12月のうた、まとめさせていただきます。

休むなく続けられて、とても嬉しいことでした。

来ん年もまた、皆さまと、ごいっしょに、おうたを。激しく、やわらかく、うたを。


うた1gyosei2

   昭和天皇御製

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   KUONの詠める

・あひし日も別れし日にも高く澄む青空ありき遠き水無月

・黄昏の師走の街に手を振りて別るる友よ次の在るがに

・もの想ふこころに倦(う)みて雨を見る雨に煙れる生駒嶺を見る

・深く沈む色にはあらぬセザンヌの青の誘(いざ)なふひとつ思ひ出

・長き尾の純白の猫ひいらりと師走たそがれの街に消えたり

   おてもやん の詠める

   「師走のうた」

〇マンションの工事ネットもはずされてツリーの光窓に溢るる

   わすれんぼ の詠める

赤々と炎もゆるごとき紅葉葉の一瞬の秋心に刻む

山奥に宝石のごとき湖水あり心奪われる美しき青

山の神がサファイアの巨石投げ込んで溶かしたような湖の色

温泉旅館の迷路のような長廊下 休みに行って疲れて帰る


母犬の乳房の記憶忘られず毛布吸う子は夢見心地で

久しぶりママと寝るのがうれしくて盛大なウレションする子叱れず

かちゃかちゃと餌鉢ひっかき夕飯の催促するは元気のしるし

愛犬のねこっ毛ピンとはねあがりアーティスティックなり静電気の技

   白萩の詠める

   「春待月に」

・雪降らぬこの地も既に息白し冬は等しく訪れにけり

・残り1枚となりたるカレンダー訪う新年いかなる年か

・ほのぼのとともる灯りのあたたかきいろに心もぬくむ冬の夜

・一人ではわびしき夕餉君居れば鍋をつつきてたわいない会話

   ラプスラズリの詠める

   「師走のうたと想い」

一年(ひととせ)は 早も巡りて
われのみぞ 置き去りにして
時は過ぎ行く

ゆく春を 共に惜しみし 人いずこ 花いかだの果て われを待つらむ

墓場には この世の秘密 静まれり 陽がさんさんと降り注ぐなか

   パールの詠める

   「師走のおうた」

☆師も走り私も走る街角に
 ポインセチアはいとも鮮やか

☆ノンアルで乾杯をする忘年会
 写真の貴女に話しかけるよ

☆電車内まわりの皆の目はスマホ
 活字を読むは私とも一人

☆あと何度あなたに会えると問う母の
 言葉に詰まり受話器を握る

☆夜も更けて子の奏でいるギターの音(ね)
 ふっと脱力やすらぎの音(おと)

☆情けない好き勝手する隣国に
 我が身護れるすべのない国

☆恥知らぬ家にぞ嫁ぐ姫君の
 暗き未来は日本の姿か

   ワ・タ・シ熟女Nの詠める

   「また アホなうたです」

瘋癲と
接吻するは
愉快なり
きな粉に醤油
ソースの味す

イチゴ食べ
胡麻を喰んでは
呻くパパ
歯肉に刺さる
ツブツブ旨し

噛み切れぬ
フランスパンを
噛み切って
口ちから口へ
渡すはエロか

入れ歯抜き
打ち鳴らしては
俄役者
我は春『狂』鏡獅子なり

妾はな
罪、恥、お馬鹿
振り返り
こでれいいのか
これでいいのだ

歌詠めば
呆けぬと言う
はなと瘋癲
俄一茶に
俄芭蕉

   かりそめ の詠める

<ベトナム1994年>

・案内すレジスタンスのトンネルをそのころ彼は少年だつた

・密林に展示されたる拷問具空耳ならぬ呻き絶叫

・しなやかな笑みを浮かべて少女行く白きアオザイなびかせながら

・安宿のこよなく旨き朝ご飯さすがベトナム食の国なり

・ホー・チ・ミンわが青春に逝きし人街の名とての位置さだまりて

   黒猫アビの詠める

・皇室を敬う心無くなりて 
 映像みるやすぐ消すテレビ

・皇室に思いえがいた清さうせ 
 語るに落ちてたんなるセレブ

・早師走今年も残りわずかなり
 来年もまた増税ばかり

・冬の街散歩しながら猫みかけ
 我猫の名をそっとつぶやく 

しだれもも の詠める

<運慶展>

・運慶展 奈良の都のみほとけは和紙にくるまれお江戸へ出張

・やはらかき和紙をとかれて東博に立つ神々の伽羅の香りよ

       (東博・・・トーハク。東京国立博物館の略称。)

<12月のうた>

・この夏の夢のつづきを見るつもり冬の蛍のあわき光に

・落ちるのは一瞬だったあきらめる道は遠くて長く苦しい

・線路上つめたい月に照らされた鹿よおまえも群れとはぐれて

・ひとり寝の夜行列車で目醒めれば誰を狩るのか光るオリオン

   イッサの詠める

   「やれやれの師走なり、です」

*我が家より眺むる山峰綿帽子天地の浄め年毎なるに

*小狡くて中抜け公務男好き眼らんらん幾年月ぞ

*鞄持ち京のお宝運び出し長の年月仕置きはまだか

   かりそめ の詠める

   「もう一度参加させてください」

・インベーダーゲームはしたことなけれども放射線にて癌攻撃す

・目標は平均寿命でもすこし欲張りすぎかと密かに思ふ

・ひとつとて癌細胞を残すまじわが肉体を戦場として

・人に癖癌細胞に個性あり我が物ゆゑの癌の憎さよ

   へなちょこ一年生<の詠める

・日没の風吹き荒れる寒空に溝の深くに猫寄り添いて

・野良ちゃんはどこにいるのと聞いたらばあっちと仲間が目で知らせおり

・餌食って腹いっぱいのうれしさをコロンコロンとして見せる野良

・階段を小鳥咥えて駆け上がり半ノラにやる純情な野良

・半ノラは連れ戻されてまた家出今日も聞こえる雄叫びの声

・膝に乗り顔を見上げて目をつむる涙のあとの汚れた半ノラ

   アルジェリマン の詠める

晴れ晴れと笑み父は言う明日死ぬと じいとおふくろ迎えに来たと

犬たちに姿を変える雲見上げ 黒犬と行く冬枯れの道

朝は銀昼は金色農道で 黒犬弾み枯れ草を食う

午後2時の透きとおる赤ヤマボウシ 残る葉一枚風に震える

鮮やかに落ち葉散り敷く冬の庭 ほうき放ってカメラ構える

人と犬ものともせずに一斉に田んぼに群れるスズメよムクよ

   KUONの詠める

・癌をしも歌材にさるる読みながらわが身の奥がちりちり軋む

・強くませ確と詠まなと人に言ひ今日もへたれのわたくしでした

・子は子にて幸せとなれよまたの世は会ふことも無き縁と聞けど

・此処よりは見えぬ砂丘の波打ち際見たく素足に砂踏みてゆく

・ぽったりと置きてふくふく焼けるまでお好み焼きを女孫(めまご)と見つむ

・十代の腕に刻まれしナイフの跡いじめのありてと簡素に聞けど

・学校は休めクラブもしなくていい傷つける孫に祖母の診断

・祖父に似て母に似て根っこ真面目の孫(こ)独り泣きゐし10日余を想ふ

   わすれんぼ の詠める

   「運慶展を見て」

仏を守り邪鬼踏みつける鬼神たち荒々しきさま今は異質に

そのすべて完成されて破綻なく生けるがごとき姿に驚く(無著・世親像)

我々と運慶を結ぶ何ものかが確かにあるとわからぬもやもや

魂を抜いたとはいえ御仏を人の集りて眺むる不遜


ラスボスは白鵬なりと見つけたり言うこと聞かぬ若手へのリンチ

「勝てばいい」の汚い相撲見たくなし優勝数もむなしきあだ花

横綱の暴行もどき似非相撲 一線を越え許せぬ域に

興業を優先させて白鵬の増長許す協会の不明


人々が願いを込めた賽銭は宮司一家の贅沢に消ゆ

なぜ父母が許すか怪しきこの結婚皇室の闇深くて見えず

   たまき の詠める

さみしいと
いう感情の
おもてうら
矯めつ眇めつ
見てる冬の午後

分度器で
恋の熱量
計りましょ
あなたは鋭角
鋭い鋭角

   ひろし の詠める

よんひゃくまん あれは贈与と シラをきる 詐欺師母子を マスコミスルー

君は月 僕は太陽 レットイットビー どうでもなるさ 皇族だもの

キムコロが 牛蛙なら 眞子さまは メス丸出しの 殿様蛙


我が膝で 逝きし愛猫の その瞳 その声、仕草 五年後の今も


2018年も、一月、半ばごろにお呼びかけいたします。





  1. 残念なこと
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天皇家とやらのおカネの話

2017.12.22 10:51更新   産経がさらりと報じるおカネの話。

【平成30年度予算案】
譲位関連で35億円計上 お住まい、バリアフリー化に向けた設計も 宮内庁

 宮内庁は22日に閣議決定した平成30年度政府予算案に、天皇陛下の譲位に関する経費として35・6億円を計上した。内訳は譲位後のお住まいの工事費などに17・3億円、一連の儀式に必要な用具、装束などの調達に16・5億円。譲位に伴う組織改編を見据え、前倒しで職員の増員も図る。

 両陛下が皇居・御所を出た後に仮住まいされる高輪皇族邸は総事業費8・4億円をかけ、30年度中に改修。最終的に移られる東宮御所には4・1億円で倉庫を新築する。エレベーターの設置などバリアフリー化に向けた設計も行う。

 皇太子ご一家が入られる御所は、改修工事に必要な設計費のみを計上。秋篠宮邸を増改築するため、秋篠宮ご一家が仮住まいされる建物や職員の事務棟も5・8億円で整備する。

 新天皇となる皇太子さまが「即位礼正殿の儀」で着用される「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を新調するのに加え、他の儀式で使う装束も調達に時間がかかるため、30年度から準備を進める。皇族方や職員の装束分も盛り込んだ。

 即位礼正殿の儀で、新天皇が即位を宣言する舞台の「高御座(たかみくら)」と、新皇后が登壇する「御帳台(みちょうだい)」が30年度中に京都御所から東京都内に移送、修理されることになり、輸送費や修理費に約5億円を見込んでいる。

 皇太子ご一家を支える「東宮職」が「侍従職」に移行することを想定し、側近の東宮侍従と東宮女官をそれぞれ2人など東宮職を計5人増員。「皇嗣職」が新設されるのを前に、秋篠宮ご一家の世話をする職員も計13人増やす。

 一方、秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまが来年11月に結婚する見通しとなり、皇室を離れられる際に国から支出される一時金として上限額の1・5億円を計上。正式な金額は、皇室経済会議で決められる。

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鼻がもげそうに生臭い話。

下卑た話になりましょうが、この一連の「引っ越し」やら「新調」やらで、消える品物消えるお金抜かれるおカネ回るおカネ、いかほどになるのざますかしら。目に見えず、どこからも指摘されないあたりで。

また、とおの昔に死んだ、田舎のばあちゃんのことを思い出します。

徳を取り過ぎたらあかん、こわいで、わが身の器以上のものは取りこまれへんで、お返しせんならんのやで。それがどんな形で来るやらわからへんのやで。・・・こういう感じのことを始終、口にしておりました。

ばあちゃん、無学なあなたはエラかった。






  1. うたのおべんきょ。
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12月 おべんきょ ラストです

遅くなりました、今月のおうたです。

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   わすれんぼ

   運慶展を見て

仏を守り邪鬼踏みつける鬼神たち荒々しきさま今は異質に

そのすべて完成されて破綻なく生けるがごとき姿に驚く(無著・世親像)

我々と運慶を結ぶ何ものかが確かにあるとわからぬもやもや

運慶展は、大々的なものだったようですね。知らなかった自分がいささか恥ずかしいです。

わすれんぼさんのおうたは、スピードが魅力です。歌材を、ためらうことなく詠まれるのもいいことと思います。
二首目の「その姿・・」の一首は、これで完成されています。申し上げるとすれば、三首目「我々と」。例えばこのひとこと。
「我々」とは、あなたと誰ですか。書くと長くなります、こうう時は「わたくしと」と、自分のことに詠むのが謙虚さというものでは、と。
我々、とひとくくりには本来はできないのでは、と、私は考えています。「私」が。「我」が、何を感じてもよく、どう書いてもいい。しかし、よく考えて下さい、
「我々と運慶を結ぶ」この詠み方での「我々」とは何なのか。
どんな激しく強く言い切ってもいい、でも、それはすべて「自分のこと」として詠めばいい、本当はわかっていない「自分以外」を、何となくかき集めたりはしない。そういうクセをつけて置かれると、あなた自身のうたとして深みが出ると思うのです。


魂を抜いたとはいえ御仏を人の集りて眺むる不遜

イジワルな目で読んではいません、私は。ここは理解していただきたい。ただ、こうして「不遜」と言い捨てる時、あなたの周囲の人びとも、その思いにあるのか。少し考えてみてもいいのでは。事実が不遜かどうか、でなく、不遜、と感じている人(当人)のうたですね、これ。しかし、率直に「ありがたい」と見ているヒトだっているだろう、という「ふくらみ」を、心に置いて、そして自分の思いを「詠む」。柔らかさも加わって来ると思う。

ラスボスは白鵬なりと見つけたり言うこと聞かぬ若手へのリンチ

「勝てばいい」の汚い相撲見たくなし優勝数もむなしきあだ花

横綱の暴行もどき似非相撲 一線を越え許せぬ域に

興業を優先させて白鵬の増長許す協会の不明

とはいえ、こういった題材のうたは、溢れる思いをぶつけて、こういう形になりがちだとは思います。

人々が願いを込めた賽銭は宮司一家の贅沢に消ゆ

この通りではありますし。でも何度も書きますが、歌は、単なる「スローガン」ではない。と。わたしKUINは、頑固に願っているのであります。

なぜ父母が許すか怪しきこの結婚皇室の闇深くて見えず

直すところと言っては、無いのです。すべてご自身で言っておられる。形もリズムもきちんとそうなっている。

今年もあと半月になりました。歌会ももう1年になるのですね。
短歌とは全く縁のないところから始まって、今年は粗製濫造、思うことを片端から歌にしてみました。沢山できすぎて、投稿したのは半分ほどでしょうか。
素敵な歌を拝見すると、ああいいなと思うのですが
忙しかったせいもありお勉強はろくにせず、
批判しているミテコさんみたいに、我流で来てしまいました。
来年は少し勉強しなくてはと思っております。
歌に親しむ機会を作って頂いて有難うございました。
お直しお願いいたします。

無縁だったという短歌を始めたばかりでここまで来られたことは素晴らしいです。粗製乱造でも、作って作り倒していれば、身に添って来てくれるものが必ずあります。ひとりでに分かって来るのです。たくさんたくさん詠んで下さい。

来年に向け、ひとことアドバイスさせていただきますと。

一首の中に全部、詰め込まなくていい。どこかホワンと、読む側に想像させるゆとりを与えられるようになられると、うんと、どんと、いいんじゃないかな、と、期待を込めて。


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   たまき

さみしいと
いう感情の
おもてうら
矯めつ眇めつ
見てる冬の午後

分度器で
恋の熱量
計りましょ
あなたは鋭角
鋭い鋭角

たまきさんの世界で、ひと恋いのうたを詠みつづけて下さい。



今日、お寄せ下さった「ひろしさん」。

実は私自身が、今月の呼び掛けに、いつものように「○日から〇日の夜まで」という文言を記していなかったのでした。締切日を設定していませんでした。私のミスです。

上記のこともふまえて、いただいたものを、末尾ではありますが、残させてもらうことにしました。

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遅くなりましたが。

よんひゃくまん あれは贈与と シラをきる 詐欺師母子を マスコミスルー

君は月 僕は太陽 レットイットビー どうでもなるさ 皇族だもの

キムコロが 牛蛙なら 眞子さまは メス丸出しの 殿様蛙

破談を期待される方も多かろうと思いますが、もう眞子さんは霊性、オーラの
剥げ落ちた、単なるダメ男、チャラ男好き女ですよ。破談になっても事故物件扱い、まともな縁談はないでしょう。来秋といわず、さっさと降嫁してフェードアウトしてください。

最後に私的に一句。

我が膝で 逝きし愛猫の その瞳 その声、仕草 五年後の今も

言葉扱いには慣れておられるようです。
ひとこと、短歌は一句でなく、一首と呼びますよ~と、お節介を。






  1. うたのおべんきょ。
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おべんきょ 第四夜

続けて参ります。

障子を張り替えに出すのに大掃除をしましたので(笑)、今日はひろびろとしてさっぱりした部屋におります。預かりに来られた業者さん(奈良の西〇京界隈で「男前の襖屋」と自称されて有名な(!)方、外した障子を、ひょいと抱えるにあたり、破れていなかったとこにバリッと手を突っ込んで手を入れてバランスよく抱えて、たんたかと足取り軽く持って行かれました。

いいなあ、と、なぜか羨ましかった(笑)。

そういえば子どもの頃、障子を張り替える前に(だけ)、思いきり破ってもいいことになっていましたっけ。

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   かりそめ

もう一度参加させてください。

前回kuonさんが言及なさった中城ふみ子読みました。激しいはげしいハゲシイ。
性格も才能のひとつなんですね。私はおちゃらけです。

・インベーダーゲームはしたことなきが放射線にて癌を攻撃

私も癌が憎いので、少しタッチさせて下さい。調べを整えつつ攻撃を激しくしたく。

「インベーダーゲームは(を)したことなけれども放射線にて癌攻撃す」


・目標は平均寿命でもすこし欲張りすぎかと密かに思ふ

平均寿命、いま、女性は90何歳? いや、楽勝。欲張り過ぎなどではありません。黎老(れいろう・KUONの造語(笑))にてまいりましょう。一首は「密かに」がポイントですね。ほのかなユーモアをさえ感じます。

・ひとつとて癌細胞を残すまじわが肉体を戦場として

・人に癖癌細胞に個性あり我が物ゆゑの癌の憎さよ

こういった凛々しい「闘っちゃうわよ」のおうた、どんどん読ませて下さい。表現は、湿っているのもいいけれど、渇いているのが私は好きだ。

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   へなちょこ一年生

・日没の風吹き荒れる寒空に溝の深くに猫寄り添いて

景色の見えるうたです。言ってみますと、読んでみて
「寒空に 溝の深くに」この、二つ続く「に」あえてこういう風にすることはよくあるのです。が、初め「寒空の」とした方が、このうたの場合スムースでないかと。そして「猫寄り添いて」で、このままでいいのですが、もっと納まりの良さを狙って
「猫の寄り添う」と言い切るやり方もあります。
同じ歌材で幾つも詠む、こういうものを「連作」と呼びます、連作もどんどんなさって下さい、その場合も、一首一首は、独立していることが望ましいのです。


・野良ちゃんはどこにいるのと聞いたらばあっちと仲間が目で知らせおり

・餌食って腹いっぱいのうれしさをコロンコロンとして見せる野良

「あっち」と目で教えてくれるコ。作家の群ようこさんは猫好きとして知られる方ですが、群さんの対・猫の視線に通うものを感じます。愛は深いが溺れない。
お腹の空くのがつらい野良ちゃん、満腹が嬉しくて、のコロンコロンが愛おしいです。


・階段を小鳥咥えて駆け上がり半ノラにやる純情な野良

擬人化されている猫が、自然な感じで詠まれて、いやみが無いです。

・半ノラは連れ戻されてまた家出今日も聞こえる雄叫びの声

・膝に乗り顔を見上げて目をつむる涙のあとの汚れた半ノラ

猫や犬の虐待、ネグレストのニュースが私は恐ろしいです。涙のあとの残る半ノラ、愛おしい。「半ノラ」を連れ戻すのは飼い主、でしょう。自分ちの生き物とおっしゃるなら、存分に愛して、猫の気持ちをわかってやって欲しいと、僭越と知りつつ、願う。


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   アルジェリマンさん

>KUON様、歳時記なんか入手しちゃおうかなぁ、と思う今日この頃です。

晴れ晴れと笑み父は言う明日死ぬと じいとおふくろ迎えに来たと

悠然たるお父さまですね。実際に「明日死ぬ」と言ってその通りになる方もおられるようですが。お迎えのメンバーも分かっていてね、いい関係でいらしたのでしょう、いいですね。

犬たちに姿を変える雲見上げ 黒犬と行く冬枯れの道

朝は銀昼は金色農道で 黒犬弾み枯れ草を食う

「犬たちに姿変えゆく雲」でいかがでしょうか。雲の動きを見ながら、冬枯れの道を。尻尾をピンとあげた黒犬と。朝に昼に色彩を変える能動。豊かな景色ですね。黒犬さんは、ちゃんとわかっていて心弾んで、枯れ草を食う・・と見えるまで、はしゃいでいるのですね。

午後2時の透きとおる赤ヤマボウシ 残る葉一枚風に震える

この「透きとおる赤ヤマボウシ」。この繋がり方を「句またがり」などといいます。五、七のリズムが自分のものになっていないと、けっこうムズカシイ。わかっていても、実際にしようとすると、難しかったりするのです。声に出して読むと、きっもちいいですね~。

鮮やかに落ち葉散り敷く冬の庭 ほうき放ってカメラ構える

人と犬ものともせずに一斉に田んぼに群れるスズメよムクよ

人と犬は光景に紛れている、あるいはまた、界隈のスズメやムクには見知りの存在? あたたかなものを感じさせます。
ムクは
椋鳥・・「椋」ですね。わかりますよ。数十年ほど前までは、動物や植物の名前は漢字で、という不文律があったようですが、今はそうでもないみたい。ここも「ムク」の方が身に添いますよね。

「歳時記」は、中身の詰まった面白い「本」だと思います。ヒマな時、ぱらっとめくると、引きこまれます。なるほど、の目ウロコも多い。。ただ。しかし。
歳時記にはまると、さらりと自然に出ていた「うた」が、なんだか理屈っぽく「うまさ」を目指すものになったりする時期が訪れる気がします。うた(や、俳句をされる方も同じ症状が出るとも聞きますが)言葉の多彩さに目醒めて、それが、願うほどには使いこなせない、というか。停まることがある。
そこから、少し離れてみてリセットした自分になれたら、あ、あら、実力ついたみたいワタシ、になっていることも、ありますなあ。




さて。一気には走れません、ごめんなさい。自分のうたを詠むより、人さまのおうたに触れる方が、何倍ものエネルギーを要するのです。愚痴ではありません。嬉しく楽しいんです。自分としての精一杯を目指しますので。もう少しだから行ってしまえ、という気分になれません、すみません、今夜はここにて、おいとまさせていただきます。

明日は終い弘法の日。昔はよく行きました。京都の東寺の弘法さん。ずっしりと重い鯖寿司、棒だらなど、買って、回って、楽しんで。あの頃にたくさん行ったからもういいかな、温かい部屋で、今年の紙ゴミなど集めましょ。






  1. うたのおべんきょ。
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おべんきょ 第三夜

こんばんは。今夜もしっかり寒いです。この色の部分が、KUONが皆さまに「たっち」してしまっている部分ですだ。

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   かりそめ

<ベトナム1994年>

・案内すレジスタンスのトンネルをそのころ彼は少年だつた

当時の「少年」は、観光客(と(一概には呼べないかも)に、レジスタントたちが命を懸けていたトンネルなどを、案内して生計を立てているのかな。凄まじい少年期のベトナム、生き延びていま在るベトナム。生き残ったことは「是」なんです。

・密林に展示されたる拷問具空耳ならぬ呻き絶叫

わたし、ここの写真をたくさん見ました。カンボジアのもアウシュビッツも「終わった後」の写真はいっぱい見ました。写真では臭いも呻き声もわかりません。多分しっかりと見て感じて、されたのだろうと思います。本当のことは、どんなことも、後にならないとわかって来ないのですね。

・しなやかな笑みを浮かべて少女行く白きアオザイなびかせながら

ベトナムの若い女性のアオザイ姿は、本当に美しい。「しなやかな笑み」がリアルです。

・安宿のこよなく旨き朝ご飯さすがベトナム食の国なり

・ホー・チ・ミンわが青春に逝きし人街の名とての位置さだまりて

>「サイゴン」だったのですよね。日本では「ドイモイ」は難しいかな・・・ううん。

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   黒猫アビ

・・・先週の初めにパソコンがネットに繋がらなくて、いろいろ
調べたあげく無線ランに問題が・・・
私の手におえず息子の休みを待って直してもらいました。
今月のおうた間に合って良かった~
まだまだ、だけど楽しんでおります。

・皇室を敬う心無くなりて 
 映像みるやすぐ消すテレビ

・皇室に思いえがいた清さうせ 
 語るに落ちてたんなるセレブ

・・・言ってよければ、セレブなんぞとはちゃんちゃらおかしいわ。と、感じてしまいました。清さが失せた、のは、まことにまこと、何と言いましょうね。

・早師走今年も残りわずかなり
 来年もまた増税ばかり

・冬の街散歩しながら猫みかけ
 我猫の名をそっとつぶやく 

このままで十分と思います、けど、ひとつポイント。「わが」という言葉を使いたいとき。
「我が」は間違いではありませんが、好みもあるでしょうが、「わが」とひらがなで書くと、やわらかい感じになります。「吾が」ですと「わが」でなく「あが」という音になる。これは、「あ」という響きが「わ」より美しいから、という感じ。女性らしい感じも出ます。猫、猫と、二度出て来るので、

「~猫見かけゆきて戻らぬ名をそっと呼ぶ」あたりにされると、恋しいわが猫は「もういない猫」と、事実を知らない読者にも、よくわかります。


エラソーな言い方と自覚しつつ申します。先月のうたと比べると、とてもまとまりがよくなっておられます。調べもなめらかに。ご自分で、書いて、読んで、アタマ傾げて直して、と、うたに向かっておられるのだと思います。

短歌は、病床ででも詠め、紙とペンがあればいいのでお金もかからず、人には見えない空想が大きくふくらむ、いいことばっかりの(笑)世界ですね。


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   しだれもも

はずかしながら(といいつつしっかり提出)12月のうたよろしくお願いいたします。

<運慶展>

・運慶展 奈良の都のみほとけは和紙にくるまれお江戸へ出張

・やはらかき和紙をとかれて東博に立つ神々の伽羅の香りよ

お江戸へ出張となった、運慶作のみほとけ。みほとけなれどマッチョであります。和紙にくるんで運ぶ床しさ、その和紙を、いざとかれて、あの東博に立たれる。「立たす」という言葉は「立つ」を丁寧に言う言葉です、「伽羅」と読んで、ああいいなあ、と、ずきんと。いまではもう、あまり沢山は無い香木、少しずつ、大切に、惜しんで惜しんで・・・つかって。伽羅や沈香の香りは、「パヒューム」ではないのです。そこが何とも。

       (東博・・・トーハク。東京国立博物館の略称。)

<12月のうた>

・この夏の夢のつづきを見るつもり冬の蛍のあわき光に

・落ちるのは一瞬だったあきらめる道は遠くて長く苦しい

なんだか分からないけれど、とても共感性のある、なんだか一緒にかなしいような一首です。夏の蛍はもちろんいいが、冬の蛍、となると、もう、あれこれ、想いたい放題です。
夢の続き。みられたら、いいなあ・・・


・線路上つめたい月に照らされた鹿よおまえも群れとはぐれて

・ひとり寝の夜行列車で目醒めれば誰を狩るのか光るオリオン

感性のまぶしい二首です。奈良に住んでいるからか、線路上の鹿、とあるところに、新鮮な驚きを覚えました。

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   イッサ

やれやれの師走なり、です

  
  つかってみました・・・眺むる
  雪が降りました。寒い師走です。
  あやつらの即位だけは勘弁して欲しいです。

*我が家より眺むる山峰綿帽子天地の浄め年毎なるに

*小狡くて中抜け公務男好き眼らんらん幾年月ぞ

*鞄持ち京のお宝運び出し長の年月仕置きはまだか

イッサさん。KUONのタッチ、気に入って下さって嬉しいです。一首目の「眺むる」完璧な使い方です。
二首目は、まさかの「次期こーごー」とやらの、あれですか。人として最低ランク。嘘に塗れた幾星霜。虚しい惨めな人生と思うは周囲のみ、何年振りだのどうだのと「ぶりぶり」言わせてニタニタと。あ~たまらん。

「即位だけは勘弁」。そうなんだが。イヤだ。。



もっともっと今夜も書きたいですが、今夜も、申し訳ないですが、ここにて失礼させていただきます。

明日は、障子の張り替えを頼んでいる業者さんを待って、持ち帰ってもらうだけで外には出ない予定ですので、明日は(明日も・笑)しっかり、書かせていただきたいです。






  1. うたのおべんきょ。
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12月のおべんきょ 第二夜

こんばんは。今夜も潔く寒いです・・・言葉の選択間違っていますかしら(笑)。

夜も更けてしまいましたが、ひととき、いっしょにおべんきょ、いたしましょ。この色の部分が、KUON

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   ラピスラズリ

一年(ひととせ)は 早も巡りて
われのみぞ 置き去りにして
時は過ぎ行く

ここ、という欠点のあるうたではないように思えます。ただ、この「ぞ」という一音は、なかなかの一音です。

「瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の
   われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ」

             崇徳院(77番) 『詞花集』恋・228

ご覧になっているかどうか、今の「ものすっごう凡作の朝ドラ」の中にも使われていたこの一首。私このうた大好き(自分のことはいいのですが)ここに「ぞ」があるのです。

崇徳院といえば、あれやそれ。天皇の第一子と生まれながら、生涯は波乱に満ちておりました。ついには怨霊になったとさえ云われる。激しい人では事実、あったのでしょう、当然、恋に於いても。ここの「ぞ」は、何があってもどう裂かれても、必ずや逢う。再会してみせる、との激烈な情をあらわしております。

強い重い一音だと言えるでしょう。

ラピスラズリさん、使い方は誤っているとは言えません。通常ですと普通に「われのみを」とすることが多いとは感じます。でも、この「ぞ」を使いたかったのね、とも、思います。それこそがワタシ、だったのかも、とも。「~時は過ぎゆく」と余韻のある終わり方はすてきです。


・・・お言葉に甘えてもし宜しかったら今年詠んだ過去の二首も添削を頂けましたら光栄です。
再び巡り会うことはない今年のかけがえのない大切な思い出として。
厚かましい申し出で恐縮ですがどうぞ宜しくお願いいたします。

ゆく春を 共に惜しみし 人いずこ 花いかだの果て われを待つらむ

これ「待つらむ」は、待っているであろう、と、確信のある言い方。いずこにある人か、わからないのですから「待てるや」くらいに(淋しいけど)ぼやかしておく方が、このうたとしては形になるかも。

墓場には この世の秘密 静まれり 地下劇場の サスペンスかな

一番はじめに下さった一首でしたね。言いたいことはよくわかります。「地下劇場のサスペンスかな」こう思われたのでしょうから、このまましておかれたら、と、思います。

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   パール

「師走のおうた」

☆師も走り私も走る街角に
 目に鮮やかなポインセチア

情景の見える一首です、字余りの反対の、足らずでの詰り感がもったいないな、と。
「目に鮮やかにポインセチアが」とか
「師も走り私も走る街角のポインセチアはいとも鮮やか」
となると、アタシのやり方はちょっと違うわ、という感じになりますかしら。お好みですね。字足らずも、やりようによってはとても生きることもあります。


☆ノンアルで乾杯をする忘年会
 写真の貴女に話しかけるよ

☆電車内まわりの皆の目はスマホ
 活字を読むは私とも一人

☆あと何度あなたに会えると問う母に
 言葉に詰まり受話器を握る

今年はお友達を亡くされ、淋しい忘年会。電車の中の光景は現代の漫画。私も本を読んで来ましたが、最近では目の疲れもあり、窓外を眺めているか、もしくは、とんまな人々ウォッチングの意地悪ばあたんになってます。ホントにスマホに全身、侵略されてますよ、子連れのママも。恐いです。
そして、お母さまの生なお声に、言葉に詰まってしまう。
全体の流れ、調べを思うと「問う母に」を「問う母の」とされたらいかがかと思いました。


☆夜も更けて子の奏でたるギターの音(ね)
 ふっと脱力やすらぎの音(おと)

いい夜更けですね。「奏でたる」は「奏でいる」、いま現在の「奏で」が、いいのでないかなあ、です。

☆情けない好き勝手する隣国に
 我が身護りしすべのない国

「護りしの「し」は過去形になります。今も実際そうなのですし
「わが身を護る」と現在形にされてもいいかと。「我が身護れる」でも。


☆恥知らぬ家に嫁ぎし姫君の
 暗き未来は日本の姿か

ここも「嫁ぎし」ですと過去になる、多くの方が間違うところです。ここは、こういう時こそ「ぞ」を使っちゃおか。
「恥知らぬ家にぞ嫁ぐ姫君の」と。


おうたを詠みますのは、高校生以来です。
おうた詠みの場がありますので
日々の中、喜怒哀楽もおうたのネタ!?と
思えましたら頑張れます(笑)

そうです。それがうたを詠む醍醐味です。物事を客観視できるようになるので、些細なことなら「小せえ、小せえ」と、腹立てずに済むようになる・・・とは限りませんが(笑)。

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   ワ・タ・シ熟女N

「また アホなうたです」

瘋癲と
接吻せしは
愉快なり
きな粉に醤油
ソースの味す

ウェルカムやでぇ。
接吻、って、どう読むか忘れてたわ、あまり大昔のことで(笑)。でも一番初めのときのは、覚えてます、バーボンのにほひがしました、いや、ドイツの葉巻、ゲルベゾルデの・・んな訳は無いのでありました。

冷静にうたを読みましょう。
「接吻せしは」は過去形。過去ちゃうやろ、今の、さっきのことやろ、と、関西ですから突っ込んでおいて。
「接吻するは」するのは、愉快なり、と、されるのがこの場合よろしいかと。


イチゴ食べ
胡麻を喰んでは
呻くパパ
歯肉に刺さる
ツブツブ旨し

噛み切れぬ
フランスパンを
噛み切って
口ちから口へ
渡すはエロか

いやあ。私が言うでない、いつものあなた様の言い方で言いますと。

「エロか介護か」と違いますやろか。ここ笑ってね、マジに読まれるとシャレになりません。


入れ歯抜き
打ち鳴らしては
俄役者
我は春『狂』鏡獅子

ここも冷静にうたを見つめる。
「我は春『狂』鏡獅子なり」とバランス取って言い切って、大見得切って下さい。


妾はな
罪、恥、お馬鹿
振り返り
これでいいのか
これでいいのだ

歌詠めば
呆けぬと言う
はなと瘋癲
俄一茶に
俄芭蕉

そうです、うたは呆け防止にもなるのであります。最後「俄か一茶に俄か芭蕉よ」か、「芭蕉か」と、されるといかがかと。「さ」でもいいな。


もう少しうたを通して向き合っていたかったけど、ものすっごくねむくなってしまって参りました。

勝手ですが、己の欲望大事に生きをる身(でもないのよ、ぢつは、そーゆーの言ってみたいおとしごろ(笑)。

残念ですが、また、あした。




  1. うたのおべんきょ。
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おべんきょ 12月 前半

12月も、みっしりと思いの詰まったおうたをお寄せ下さり、とても嬉しいです。

確実にお上手になっておられます。びっくりするほどです。

ここもう少し、と感じる点を、書かせてもらおうと思います。

この色の文字の部分が、こういう風にするのもどうかな、の部分です。

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   KUON

・あひし日も別れし日にも高く澄む青空ありき遠き水無月

・黄昏の師走の街に手を振りて別るる友よ次の在るがに

「別るる友よ」は、現実の友との別れのシーンを詠んだものなのでこのままで構わないとは思います。が。「別るる」の次、友よ、と呼び掛けるのをやめて、別るる、確たる(かくたる)次のあるがに、とすると、相手の姿はぼやけますけれど、人と人の縁の「哀しみ」のようなものが浮かび上がって来る・・のだと、言いたい部分です。

「黄昏の師走の街に手を振りて別るる確たる次の在るがに」


・もの想ふこころに倦(う)みて雨を見る雨に煙れる生駒嶺を見る

・深く沈む色にはあらぬセザンヌの青の誘なふひとつ思ひ出

・長き尾の純白の猫ひいらりと師走たそがれの街に消えたり

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   おてもやん

「師走のうた」

〇マンションの工事ネットもはずされてツリーの光窓に溢るる

熊本の大地震で被害を蒙ったご自宅マンション。工事のネットもはずされて、と、具体的に詠まれてよく伝わります。窓に溢れるツリーの光も、そう。感情を排して具体的に詠んで、隠されている詠み人の思いが浮かび上がって来ます。一首では淋しいよぉ(笑)。

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   わすれんぼ

赤々と炎もゆるごとき紅葉葉の一瞬の秋心に刻む

山奥に宝石のごとき湖水あり心奪われる美しき青

山の神がサファイアの巨石投げ込んで溶かしたような湖の色

温泉旅館の迷路のような廊下長く休みに行って疲れて帰る

このままで十分と思います。が、少しすっきりしますとね。

「温泉宿の迷路のような長廊下休みに行って疲れて帰る」

こう整理してリズムを整えると、後半の「休みに行って疲れて帰る」のトホホな感じがしっかり浮き出るように思います。もっと言えば「温泉旅館」は「湯の宿」でもいいでしょうか。字余りに、わざとすることもあり、それで微妙な魅力の増すことも多くありますが、定型のリズムは、やはり独特のものなので、声に出して読む時、定型の良さが感じられるのではないかな、と思います。


母犬の乳房の記憶忘られず毛布吸う子は夢見心地で

久しぶりママと寝るのがうれしくて盛大なウレションする子叱れず

かちゃかちゃと餌鉢ひっかき夕飯の催促するは元気のしるし

愛犬のねこっ毛ピンとはねあがりアーティスティックなり静電気の技

もう。愛おしい、いじらしいです。ウルウル来ます。本当に。ウレション、という言葉がうたになったの、あまり知りません。でも、ここでは生き生きと生きていますね。

サファイアの湖は美しいです。


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  白萩

「春待月に」

・雪降らぬこの地も既に息白し冬は等しく訪れにけり

・残り1枚となりたるカレンダー訪う新年いかなる年か

・ほのぼのとともる灯りのあたたかきいろに心もぬくむ冬の夜

ここまで3首、和歌のリズムが決まっていて快いです。殊に三つ目のおうた。

・一人ではわびしき夕餉君居れば鍋をつつきてたわいない会話

で。端正な詠み人と知りつつ、邪魔は成らぬと知りつつ、この歌、勝手にこんな風に。

「一人ではわびしき夕餉君居ればたあいなき会話鍋に溶かすを」

いささか飛び過ぎましたか。ご容赦を。ほのぼのと、むふふふと。


今宵はこのあたりにて。続きは明日、おやすみなさいませ。





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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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