KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

あきのひの

わすれなぐさ


        ヰルヘルム・アレント
        上田 敏 訳


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  ながれのきしのひともとは、
  みそらのいろのみづあさぎ、
  なみ、ことごとく、くちづけし
  はた、ことごとく、わすれゆく。

       

   落葉


              ポオル・ヴェルレエヌ
              上田 敏 訳

  秋の日の
  ヴィオロンの
  ためいきの
  身にしみて
  ひたぶるに
  うら悲し。

  鐘のおとに
  胸ふたぎ
  色かへて
  涙ぐむ
  過ぎし日の
  おもひでや。

  げにわれは
  うらぶれて
  こゝかしこ
  さだめなく
  とび散らふ
  落葉かな。


                 「海潮音」より



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八月も無事に  みんなのうた

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八月もみなさま、うたをお寄せ下さり、ありがとうございました。

いろんなことがありましたが、今もまだ続いていることもありますが、私のおめでたい幸せの一つは、ほとんどの時間、ほとんどの事象に対して、ボーっと暮らしていられることかとおもっています。

こうして、これからもボーっといられたら、はた目にはどうでも、自分としてはいいよなあ、と。

呑気に考えております。

また来月。ここで、言葉の愉しみを分かち合えたら、と願っております。

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     おてもやん の詠める

・・八月のうた

〇仏壇のひい爺じぃに手を合わせお供えの桃孫が持ち来る


     きく かおる の詠める


「遠方で 生前偲びて 手を合わせ初盆の棚に 思い寄せつつ」

「飛び込めば 水底に透く 陽の色淡し このときのため 皆泳ぎたる」



     黒猫アビ の詠める


・おだやかな 暮らしを願い 手にいれし
  残りの余生 おくる居場所

・おだやかな 心もとめて 万葉の
  歌のせかいに 身をおきしずめ

・靖国の 絵馬にたくした 願いごと
  叶えてほしい 日本の未来

・定位置で いつも寝そべり 傍にいた
  猫の視線を いまだに感じ


     おてもやん の詠める


〇草むらにサボテンの鉢捨て置かれ愛の渇きに枯れそうになる



     KUON の詠める


・今年またこの日来たれり 舌の奥の鉄錆色に匂ふ八月

・たっぷりと水をまいらす身じろぎもならず灼けゐる父祖の墓標に

・墓参了へやや豪華なるランチ了へ姉たち帰途に就くなり われも



     過保護な今出川 の詠める


・「さよなら」の替わりにいつも「また来るわ」
 言い忘れたと駆け上がる階段

・月初め よくきてくれたと義理母笑う
 供えた羊羹 両親と食す

・ひらがなで「かった」だけのラインあり
 今日も勝つよ 頑張れ息子

・大学のフェイスブックを見る夫
 息子の笑顔に「いいね」押す      (コラッ夫!)



     かりそめ の詠める


・どこだつて住めば都といふけれど病院食は喉を通らじ

・わが前にいつも無防備この背中たまには尖れ若きに戻り

・本当はとどまりたきが去ぬシェーン恋の行く末読めるがゆゑに

・・(原爆の日に健康診断に赴く天皇夫婦。この人たちのことはもう口にもしたくないと思ひしが......)

・水を欲る被爆者の声聞けよかし己が健康憂ふる前に



     KUON の詠める


・終日を雨降り続く止まざりて何処も昏し 人の心も

・ひもじさにまんままんまと逝きし子と詠み続けたる人のいま亡し

・逝きし子を黄河に投げてあと二人を守りしと詠みしかの人も亡し

・背にゐる子死ぬると知りつつ三日間降ろさず顔見ず逃げしと詠みぬ

・やうやくに乗り込み得たる引き揚げ船に子の死なば海へ投げるほか無く

・祖国日本見え来たる朝に果てし子を負ひて雨中に下船したりと

・あさましく人を罵る顔ばかり映る平和の日本の朝を

・大袈裟なる笑ひ誰れ彼れの噂話は消して四角くテーブルを拭く



     イッサ の詠める


・・8月15日に


★靖国の御霊仰いで合わす手に入道雲と蝉セミ時雨

★鎮魂の心は見えぬ幸いに亀首下げて大根演技

★水の害多きこの夏いかならむ祭祀忘れし帝咎有り



     さやかの詠める


・・KUON さまに刺激を受け、拙いながらも初めて作ってみました。


まどろみて小さな寝息頬に受け熱の下がりし額に安らぐ

紫に染まる浜辺独り占めさざなみ寄せる夏の夕暮れ

君来ぬと知りつつ視線を投げ掛けた窓の向こうは激しい夕立



     かげろう の詠める


・・亡き父の青春の地をたづねて

  父が戦中戦後に学んだ地を訪ねました。



亡き父の残しし爪と髪の毛を携えて今立つ筑紫の大学の門

戦よりもどりし父は筑紫の地学びの舍ではげみをりしか


・・父の学んだ大学が移転してしまうそうで、行ってきました。

  戦前の建物はいくつか保存されるようでほっとしました。



     Nちゃん の詠める


・・終戦記念日に

  終戦記念日に日本最大の陸軍墓地を歩く



●淋しげな陸軍墓地に金髪二人
  この日ばかりは来るなと思う

●人の無き陸軍墓地に横たわる
  終戦の日の黒とハチ割れ (猫)

●誘いみた陸軍墓地を断られ
  皇室などを憂うオトコに



アルジェリマン の詠める


・・お盆の15日がなぜ終戦の日なのだろう、

  お盆だから終戦の日なのかしら、と、

  小学生の頃、いつも不思議に思っておりました。

  偶然の一致だったのでしょうか。それとも。



風を呼ぶ迎え火高くきゃあきゃあと母と寄り添い背で壁作る

黒犬が枝から落とすコガネムシ 死んだ振りして命拾いす

もうすぐに雨は止むよとスズメ啼く 送り火見たいと黒犬が鳴く

霧雨の集まり落ちて叩く石 ピクンピクンと黒犬の耳



     おてもやん の詠める


・・八月十六日に生まれて


〇盆明けの実家の居間で産気づき我を産む母助産師の祖母

〇我に問う誰かの生まれ変わりならこの日生まれの意味はあるかと

〇前世に何があったか知らねども今は平和に生きております



     KUON の詠める


・ひとごとに愚帝「反省」とまたも言ふ英霊たちを踏みにじるがに

・ええかっこしいの愚帝さかしげに「反省」とどちらを向きておほざきあそばす

・息子らは静養中とや蝉さえがうつむきて鳴く葉月十五日



     おてもやん の詠める


〇反省と言うなら今の内廷の愚行の極み省み籠れ



     かりそめ の詠める


・・(思い出・シアトル)


・市場にてポンドで買ひし桜んぼふたりには多すぎる嵩

・海沿ひの市場への道下り行くひと足ごとに濃くなる魚臭

・御真影二世の店にありし頃やや甘すぎるカツ丼を食ぶ

・日本を遠く離れて仰ぐ山たれ名付けしかタコマ富士とふ


・・(思い出・パリ)


・早朝の巴里に降り立ち入るカフェにまづはひとくちクロワッサンを

・十年後ウェイトレスの皺ふえて同じ仕草でカフェオレを注ぐ

・おそらくは二度と行かざる巴里の街少女期ひたに憧れゐしが



     たまき の詠める


山の上
廃遊園地に
ただふたり
そらは秋いろ
ただ果てしなく

今度こそ
最後のメールと
うつ指は
震え震えて
意味をなさず

扇風機
の音キィと鳴る
盆過ぎの
誰もいない
畳の部屋に

おかあさん
夢にて叫ぶ
一夜あり
あんなに嫌って
いたはずなのに

誰にでも
懐かない猫
四年経て
憐れでもあり
愛しくもあり

・・きたーーー

深い反省
言うならば
だれがだれにか
説明よろしこ



     KUON の詠める


・床しもよ老舗旅館は廃業の知らせに浅葱の和紙を張りをり

・ゆかた着て幼な児のゆく紺屋町茶町綿町ながき夕ぐれ

・遊郭の名残りの路地に首細き少年ひとり花火してゐる

・真っ白き足裏二まいひらひらと潜りゆきたる児を見失ふ



     わすれんぼ の詠める


代替わりへ激しく動くこの一年余
なりふり構わぬ動きに驚く

“天皇は権威はあれど権力なく
たみくに思いて祈る“はマヤカシ

権力者が良識モラル踏み潰し
国壊しゆくさま目撃す 

数年前は東宮批判できていた
言論界が今沈黙す

満を持して批判のブログを攻撃す
後ろにいるはあの連中か

攻撃に負けてはいないという人たちの
おられることに希望見出す

戦わずに得られるものなどないという
若き日の教訓今思い出す

戦うには日ごろの準備こころがけ
弱さを剋す生き方持たねば



     ROM の詠める


・・和歌なんて私には無理だなあと思いつつ、数日前、飼い猫が近所の野良猫(たぶん)との喧嘩に負けて帰宅。外傷が見つからないまま、興奮状態が続いた後ぐったりした翌日から医者に診てもらうまで、喪うかもしれない不安と悲しみとの闘いの数日の気持ちを、勇気を出して駆け込みで書いてみました。


どうしたの?声をかけてもふりむかず引きこもる背中に戦いのあと 

寝付かれぬ傷負いし猫のただじっと私をみている真夏の夜更け

一夜明け医師の注射に生き返る見返すまなざしチカラが宿る



     きく かおる の詠める


・公平に 出来れば誰も 引かぬもの 貧乏くじの 当たりの紐を

・権力を 持たせて判る 地頭の 弱き者達 鈍い判断

・身を削り 額に汗して 働けど 伝わることなき このマンパワー


・・近頃の我が国、我が職場を詠みました

ながれきにけり

京の五山の送り火を、テレビに眺めて。今年は奈良の万灯籠にも行きませんでした。

ばたばたと自分なりに忙しかったお盆の行事も済ませることができました。

豆腐や冬瓜や茶がゆや揚げさんや。病人食みたいな和のごはん、びっくりするようなお値段ですが、お盆休みの終わりの日に、落ち着けるその店でいただくのが、習慣のようになっています。若いころはまるで物足りなくて、その「禅ご飯(笑)」解散後に、肉を食べに行ったりもしました。

今はもう、お腹と気持ちをじんわりとぬくめてくれる茶がゆの美味しさを、夏の終わり近くの味の記憶として(大層ですが)家に持ち帰るようになりました。


このごろ、美味しいかき氷を出してくれる店が増えたように思います。

もう、今はむかし、の話になりますか。

奈良の三条通(JR奈良駅から春日大社までまっすぐな道)に、客が三人も入ればいっぱいの、小さな小さな甘味処がありました。

ご夫婦で、かなりのお歳になられるまで営んでおられたその店の、かき氷が、なんともふんわりと美味しかった。

いつも小倉抹茶を頼んでいました。卓は、かき氷とスプンを載せた小さなお盆のほかは何も置けないサイズ。年代物の四角い椅子は、私には窮屈なものでしたが、時々、通りかかった時にふらりと入って、注文をして、透明な氷の塊りが、シャッシャッシャッと削られて行く音を楽しみ、明治のガラスみたいな古風な花びら型の容器が、濃い抹茶色のシロップをかけられ、奥さまが炊かれると聞いた小豆を戴いて、運んで来られるのを、ひそかにわくわくと待ったものでした。

下戸ですが、そんなに甘いものが欲しくてたまらない、というのでもない。その店のかき氷が、好きでした。

自分の店を閉じてそのあたりを歩かなくなり、通っても車で走り過ぎるくらい、十五年が経った今では、あの甘味処はありません。


時々モーニングサービスを食べに行く珈琲店の小倉抹茶を、先日つれあいが頼んだら、ふんわりほわほわのかき氷が運ばれて来て。

先に奪ってわたしが一口食べた、美味し!。キカイのええのが出来たのか。

それから、これも時々サンドイッチを食べに行くコメダでも、頼んでみました。ここのも美味しかった。

この夏、五回くらい、かき氷に吸い寄せられました。

お伊勢参りの帰りに食べた、焙じ茶のかき氷も忘れ難し。


いまごろのうたを探していたら。


すてきな一首が見つかりました。



  ただひとつ 風にうかびてわが庭に 秋の蜻蛉のながれ来にけり

     ただひとつ かぜにうかびて わがにわに あきのとんぼの ながれきにけり

                                      若山 牧水


それと。芥川龍之介の俳句一句。


  初秋の蝗つかめば柔らかき

     はつあきの いなごつかめば やはらかき


まだ稚(わか)い、からだの固くなっていない蝗だったのですね。触感の句、さすがとうなります。

自死の少し前の句とのことです。



海行かば

「海ゆかば」のもとは、万葉集にあります。作は大伴家持(おおとものやかもち)。

聖武天皇、内乱の危機をはらむ時代を憂いたまいての宣明。その一部。

―大伴佐伯の宿禰(すくね)は常もいふごとく天皇朝守り仕へ奉ること顧みなき人どもにあれば汝たちの祖どもいひ来らく、海行かば水浸(みづ)く屍(かばね)山行かば草生(む)す屍王の辺にこそ死なめのどには死なじ、といひ来る人どもとなも聞召す、ここをもて遠天皇の御世を始めて今朕が御世に当りても内の兵と心の中のことはなも遣はす(続日本紀)

このとき家持は越中にありしかど使者を通し宣命を知り贈位を賜り奮いたつ思いのままに一遍の長歌を編み天皇の期待に応えぬ。

・・・・・・・・・・・・

―陸奥国より金を出だせる詔書を賀く歌一首、また短歌

長歌

  葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける
  すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と
  知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方(よも)の国には
  山河を 広み厚みと たてまつる 御調(みつき)宝は
  数へ得ず 尽くしもかねつ 然れども 我が大王の
  諸人(もろひと)を 誘ひ賜ひ 善きことを 始め賜ひて
  金(くがね)かも たのしけくあらむ と思ほして 下悩ますに
  鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に
  金ありと 奏(まう)し賜へれ 御心を 明らめ賜ひ
  天地の 神相うづなひ 皇御祖(すめろき)の 御霊助けて
  遠き代に かかりしことを 朕(あ)が御代に 顕はしてあれば
  食(を)す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして
  もののふの 八十伴の雄を まつろへの むけのまにまに
  老人(おいひと)も 女童児(めのわらはこ)も しが願ふ 心足(だ)らひに
  撫で賜ひ 治(をさ)め賜へば ここをしも あやに貴(たふと)み
  嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖(かむおや)の
  その名をば 大来目主(おほくめぬし)と 負ひ持ちて 仕へし職(つかさ)
  海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(む)す屍
  大王の 辺(へ)にこそ死なめ かへり見は せじと異立(ことだ)て
  大夫の 清きその名を 古よ 今の現(をつつ)に
  流さへる 祖(おや)の子どもそ 大伴と 佐伯の氏は
  人の祖(おや)の 立つる異立て 人の子は 祖の名絶たず
  大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官(つかさ)そ
  梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き
  朝守り 夕の守りに 大王の 御門の守り
  我をおきて また人はあらじ といや立て 思ひし増さる
  大王の 御言の幸(さき)の 聞けば貴み(4094)

反歌三首

  大夫の心思ほゆ大王の御言の幸(さき)の聞けば貴み(4095)

  大伴の遠つ神祖の奥つ城は著(しる)く標(しめ)立て人の知るべく(4096)

  すめろきの御代栄えむと東なる陸奥山に金(くがね)花咲く(4097)

・・・・・・・・

漢字が苦手だったりすると、見てひるんでしまいそうでもありますが、この長歌とは、五、七、五、七、五、七の、基本的には繰り返し。コトバ自体も昔のコトバですから、わかんない感じもあると思いますが、

  葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける

     あしはらの みずほのくにを あまくだり しらしめしける

  すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と

     すめろき(天皇)の かみのいのちの みよかさね あまのひつぎと


こういう感じで読んで行くと、日本語の定型のリズムの快さに、むにゅむにゅと嬉しさがこみあげて来る・・・と思うのです。

まず「音」があったのです。その音に、文字が添えられていった、添って行った。

音のもとは、気持ち。ですよね。

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i以下は「万葉集を読む」から拝借してまいりました。

大伴家持の生きた時代は、人麻呂の時代とは異なって、常に内乱の危機をはらんだ政治的動揺の時代であった。737年に流行した大疫によって、藤原武智麻呂はじめ、藤原氏の実力者が次々と死に、政治的な空白ができたのがその原因である。藤原氏にとってかわって、橘諸兄が一時的に権力を握ったが、安定したものとはいいがたかった。740年には、藤原博継による大規模な内乱がおきている。

聖武天皇は、こうした事態を憂え、救いを仏教に求めた。そして、仏教布教のシンボルとして東大寺大仏の建立を始める。そのさなかに、奥州で金が発見され、大仏建立のために寄進されるということがおきた。

喜んだ聖武天皇は、東大寺に赴いて、宣命を発した。その中で、黄金の発見が皇祖の恵であることを述べ、人民にその恵を分かち与えるとともに、臣下の労をねぎらった。その際に、大伴、佐伯の二氏に対して、天皇への忠誠をあらためて訴えた。

大伴、佐伯の両氏は、古くから皇室の「内の兵」として、特別な家柄であった。物部氏が国軍を統括するものであるのに対し、この両氏は天皇の近衛兵のような役柄を勤めてきたのである。天皇は、この内乱の危機をはらんだ時代を憂えて、あらためてことさらに、両氏へ忠誠を求めたのである。

この歌の中には、大伴氏の伝統を背負った家持の、伴造意識が鮮やかに表れている。我々はそれを読むことによって、古代における氏族の意識の一端に触れることができる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

家持は、付き合っていた女性から

「あんたなんかを(甲斐なく)思っているのは、どうでもいいような餓鬼の像を後ろから拝んでるみたいなもの、いえいっそ、その方がマシだわ」

とタンカきられるような面を持った男性でもありました、そして、もうすぐ来る本物の秋になれば、ぜったいにこの一首をご紹介したい。と息の弾むようなうたを残した大歌人でもありました。

激しい武家のプライドを秘めたひとでした。


八月 はづきのみんなのうた どうぞ

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八月の「みんなのうた」です。

暑さは未だ厳しいですが、朝夕の風に、秋を感じる今日このごろ。

お一人何首でも何度でも、お寄せください。ここでは三十一文字、短歌のみをお願いします。

基本的にそのままいただきます、HNの世界です。ごいっしょに、ことば遊びをたのしみましょ。

今日から十七日の夜まで門は開いておりますよ。



主役は、秋の、風



君待つと 我が恋をれば わが屋戸の 簾動かし 秋の風吹く

   きみまつと わがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく

        額田王(ぬかたのおほきみ)    巻4の448



額田王は、天智・天武の二人の天皇に愛された=乞われた、あの時代の=壬申の乱前後の、大スターです。万葉集にも多くのうたが取り上げられています。

とても興深い逸話がたくさんある女性です、うたも素晴らしいものがたくさん。徐々に、書けるように書いて行けたら、と思います。

今日は、この額田王が天武天皇との間にもうけた娘が、十市皇女(といちのひめみこ)であること。

兄と弟である天智と天武の間で、この額田王と天智の二人の娘が(もう数人いたとも)、失礼な言い方になるかしれませんが、プロ野球のフェア・トレードみたいに交換された。という説をもあるのですが、本当のことは判りようも無い。ともかく、その天智の娘の一人が、これもスーパースターの持統天皇(じとうてんのう)であること。くらいは、書いておかなくてはならない気がしました。

ので、書きました。

十市皇女は、わたしが万葉集に触れかかった初めのころに登場した、恋しさゆえに皇女の身で朝川を渡ってしまった但馬皇女や、その皇女を喪って悲傷慟哭した穂積皇子(ほづみのみこ)あたりにからまって来る皇女さんなのです。

もっと言えば、私がもっとも魅かれている大津皇子(おおつのみこ)、その姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の名も、このあたりにある。

ややこしくてアタマこんぐらがるのは確かですが、一つひとつの話は魅力があります。みなさま嘘つきでなくて。今に伝わる名前の一つ一つは、さまざまな思いを胸に生きた人々の存在を、思わせてくれるのです。

名は、記号でないと感じます。


きょう、取り上げた一首は、額田王が大津宮で天智天皇を思って詠んだ歌です。

天皇を待っている、思って恋焦がれて待っている。

少しの音にもはっとして、もしや、と、からだじゅうが反応します。

もしや君か、と、耳も心臓も緊張マックスになる。

でも、しかし実は、簾がカサリと身じろぎしただけ。

風が、すうっとと吹き過ぎて行っただけ。

ただ待つ人はいない、来ない。

風が無言で吹き過ぎて、あとは静寂あるのみ、待って待って日を送るわたしが、ここにいるのみ。

何度も実感します。女性は、待つことしかできなかったのだと。

・・・とはいえ、この額田王という女性は、


熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな 

   にきたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな

                                  1-8 額田王
 

場所は現在の愛媛県松山市あたり。詳しい説明はまた後に、ぜひ書きたいと思いますが、

>660年、唐は新羅と連合し百済を攻撃。
>滅亡した百済の遺臣たちは日本に救いを求めてきました。
>そこで斉明女帝は決断を下されます。
>「百済は古くからのわが国の同盟国です。
> 見捨てるわけにはいきません。すぐさま船団を組織し、
> 朝鮮へ向かいましょう」

↑ のようなことだったと云われています。

大和朝廷が大移動したような男女合わせて27000名にも及ぶ戦隊の中心にいて、堂々と朗々と、このような大きなうたを詠んでいる女性でもあります。

すだれうごかし秋風の吹く、は、名歌と評の定まったうたではありますが、額田王は、これくらいの「恋心」は、なんぼでも生み出せるお方だったのだろうな。と。腹黒KUONは、ジト目で考えたりも、するのであります。

うた自体が超・完成型なので、このようなことは、口に出すがヤボ、というものではあります。もちろん。


主役は秋の風。そして、思って待って、今日も会えないひと・・・は、この際、脇役(わー、ごめんなさい)。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


コメントをありがとうございます。

明日、ゆっくり、返事を書かせていただきます。





ジャムのかなしみ

書きたいことはいっぱいあるのですが、今日は時間が足りませんでした。

また読んでみたいと仰って下さる方があり・・・以前の記事です、二度目の再掲です。

・・・・・・・


         ジャムのかなしみ


朝ごはん食べられない

きのうの夜のごはんが まだどっかへ行っていない

ジュースだけ飲む

ジュースを飲んだからそれで おわりになった

ママは寝ている

パパは起きている

ろうかであの人たちに会った

おじいさんはちらっと見た

おばあさんはうつむいた

おばあさんはわたしをみたくない

庭にでる

すごい音がしている

気がついたときに聞いた  あれは何なの

セミだそうだ

セミ

大きなこえだ

落ちている虫がいたので聞いたら

セミだと言った

セミ

おちていて死んでいた セミ

もう鳴かないと思ったら また鳴いている

たくさんいるんだ セミ

好きな石のところへ行く

座るのに好きな石

だれにも言わない この石

さくら がさいていたころに

すわって桜をみていた

きもちよかった さくら

いつまでもふっていた 雨みたいにつめたくなくて

なんにも言わないでふっていた

口にもきた

まゆげにも来た

さくらはやさしい

さくらが来ても びくっとならない

ずっと見ていた

あとでパパが何をしていたのって聞いた

きょうは何をしていたの

「さくら見ていた」

パパはわらった

ママはフンって言った よこ目でみた

わたしは変わったこなの



石があつい

でもだいじょうぶ 座れる

この前きたとき石はもっとあつかった

足のうしろがあつくてびっくりして

スカートを引っぱって座ったけど

やっぱりあつかった

きょうはだいじょうぶ

ずぼんをはいているからビクッとならない

耳のあっちからも

こっちからも   

セミが聞こえる

あたまのうしろの方にもいる

上からも声はくる

あたらしいのが鳴きはじめるとしずかになって

またわんわんみんなで鳴いている

わたしにはきょうだいいない

セミにはいる


静かです

セミはいるけどしずかです

だれかがわたしをよんでいる

呼んで へやに入れて  いなくなるのに 

へやに入れるために呼ぶの  いつもそう


立って 声の方へ行く

セミがおちている

死んでいる

ふまないように 行く


思い出した

パパはセミをよけて歩く  あるいた  いつだったか

ママはセミをふんだ

おちてパタパタしていたセミを

ふんで ふりむいて わたしを呼んだ

はやく来なさいよ

わたしはとってもイヤ

あのママの「よ」が

わたしのことを きらいみたいな「よ」です

いつかふむ かな ママを





ほととぎす   辞世二首

名古屋のいとこから珍しく電話がかって、瞬時に切り替わった名古屋弁を駆使して話していたら、味噌カツが食べたくなりました。

味噌煮込みうどんも。駅前ビルのあの店の、めっちゃくちゃ美味しいでっかい海老ふりゃあも。

現実には、いま目の前に並べられても、せいぜい、きしめんにしか手が延びないかもしれませんが。

昔の食欲、いまいずこ。名古屋恋しやホーヤレホ。で(強引な「で」ですね)、どれだけか前の、この記事を再掲させてもらいます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


柴田勝家は、織田信長に見いだされ、忠義の人だった、と云われます。

本能寺の変の後に秀吉との対立が深まり、賤ヶ岳のたたかいで敗れて、越前北の庄にたてこもった。

覚悟を決めて、妻に、城から逃れるように説得しました。

勝家の妻は、信長の妹、市。

戦国一の美女と呼ばれた女性です。

お市の方は、けれど、逃げないと言う。

お市の方にとって柴田勝家は、最後の夫。

戦国の女の常として、それまでの彼女は、夫を殺され、娘たちのために城を後にし、言われるままに再婚し。

一人息子は串刺しにされて殺されました。さんざんな目に遭っていました。

勝家は、市に優しい夫で、大切にしてくれました。娘たちは成長して、もう、母親である自分を、どうしても必要とするということでもない。

かつてのように、城を後に落ちたとして、命は助かるとしても、そこにいるのは、あの、さるというより兄はハゲネズミと呼んだ、秀吉。

秀吉が、何をどうしても自分を欲しがっていることは、とうに判り切っていたこと。

今度こそあの男は、自分に向かって来るに違いない。

初めの夫をあやめ、息子を処刑し、兄の跡をそっくり抱え込んで、今では、権勢の限りを・・・

あの、ハゲネズミ。指いっぽん、触れるどころか、半径10メートルにも近寄らせてやらんわ。

交換条件いっぱいつけて、来るんだろう、あのげせんは。


いやなこった。

こうなってまったら、言うこと聞いたらんなんことも無いわな。たあけらしなってまってどんならんわ。

そんなとろくしゃあこと、なんで私がしないかんの。

たあけらしいわ、のれんわ、そんなこと、あいつの顔なんかもう、見るのもケガラワシイでかんわ。

正直わたしも疲れてまった、いろんなこと、いっぴゃあ、あったんだも。

娘んたらあは、なんとか、やってくだろ。

私だってもう、自分のためにものごと決めたって、ええはずだないかね。

やりてゃあように、やらしてもらってええわね、まあ、そゆことだと思うんだわ、許してもりゃあてゃあ、おとっさんもおっかさんも、兄さまだって、そう、思やあすはずだも。

まあいっぺん、出てって、なんか、やり直す、むりむり、疲れてまった、無理です、それと、まっと他になんでかしゃん、言うなら、よう。

この夫と一緒に、行くんだったら、落ち着いて逝ける気が、する・・私が、苦しまんでもええように、うみゃあこと、してくだしゃあす気が、する、それが、いちばんええことみてゃあに、思えるもんで、こうせなもう、しょうがにゃあんだわ、な。

・・・なんでここへ来て、名古屋弁しゃべっとるか、わからんだども。

この人は、ええダンナさんでいてくれやあた。

一緒に行かいてくだしゃあ、て、さっき、言ってまった、そんだら、そおか、と、にこおっと笑って、言ってくれやあたで。

やっさしい目で、言ってくれやあた、もう私、気がすんだだわ。

気持ちが、すううっと楽んなって。

もう、生きとりてゃあ欲もにゃあ。

男の人んたらあは、国が欲しい名が欲しい、欲しい欲しいでジタバタ、生きとりゃあす。

女が欲しいモンは、そんなもんと違うんだわ。

まあ、いちぎゃあに女、言っても、いろんな人がおらすけど・・

私は、このヒトのとこへ来て、ほっこら、包まれたみてゃあで、初めて、ゆっとりと、ダンナさまのそばにおった気がする、そんでよかったんだ、私も、もう、わきゃあことは無かったんだも、ゆっくり、ジタバタせんでええ、そゆのがよかった、続かんかったけど、それはまあ、ええね。

ここで、この人と、死んでくんだ。

それが、わたしの、最後の道だ、思うんだ、

一本の、まっすぐな、きれえな道だと、思うんですわ・・・


とか、お市の方が、考えられたかどうか。

あくまで即興、ジャズみたいなもんです(かっこ良すぎるか・恥)


今日こそ城は落ちる。落城。というその日。

気持ちを定めて、しずかなこころで夫婦は、天守閣から外の様子を、眺めたようです。

ほととぎすの季節だったのですね。

ホトトギスは、ひとくみの夫婦の終焉の直前の静寂の中で。どんな声で、鳴いたか。



   さらぬだにうちぬるほども夏の夜の

   わかれをさそふほととぎすかな

                    お市の方 辞世


勝家の思いは、どうだったでしょう。

主家筋の美しい女を、思いがけなく妻として。

その妻は、意外にも、自分に寄り添って、やわらかい妻でいてくれた。

しあわせ、というものだったのだろう、この女と過ごした月日は。

そして今。最後の時を、共に迎えるという。

わが名をそそぐのは、後の世の、こころある誰か。そんな者が、いるとすれば。

市は、のがれぬと言う。

そう聞けば、この女の命が惜しい。

もっと生かしておいてやりたい。

そんな気持ちはある。あるけれど、

・・・もう何も望むことは無い。

これでいい。充分である。

(とか、勝家氏が思ったかどうかはわかりません、そうじゃないかな、そうだったらよかったなあ、の、くおんちっくな妄想で。

妄想です。)



   夏の夜の夢路はかなき跡の名を

   雲居にあげよ山ほととぎす


                    柴田勝家 辞世




いっときの後。

柴田勝家は城に火を放ちました。

お市さまの胸をつきました。

ご自身は武士らしく腹を召された・・・十文字に腹を切っての自害だった。

と、いわれています。


 

目にはさやかに

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

  あききぬと めにはさやかに みえねども かぜのおとにぞ おどろかれぬる

                      秋立つ日詠める        藤原敏行


きょう八月七日は、暦の上では「立秋」です。

秋がもう、立ったらしいのです。

とはいえ現実はなかなか。台風5号がいま、アタマの上を通過中だとかで、雨の音風の音、すごいです。

いつもどんなこともそうですが、後にならないと大変なことははっきり見えて来ません。この雨や風の影響で、どんな被害が起きているやら、今の段階ではわかりません。

できるならば大きな被害が発生していませんように、と、願うばかりです。、


うたの話を少し。


秋が来たということは、さやかに・・はっきりとは・・見えないが。今日の風の音に、はっと気がついた…といううた。

まだ実際には、疲れ果てるほど暑い日々が続いています。秋? ウソでしょ、という感じ。そうではありますけれど。

立秋の頃を「涼風至(りょうふういたる)」といいます。

季節を先へ先へと追ってゆくのも、うたの世界の習わしなのですね。

台風が去った明日は、どんな朝が来てくれるのでしょうか。

窓を開けるとき。

庭に洗濯物を干しに出たとき。

暑くなる前に犬を庭に放って遊ばせてやる時間、ふと、かすかにも、秋の気配を感じられたらいいなあと。

今はいささか雨音、風の音もおとなしくなって来ている気のする夜半に、思っています。



叩き割られた窓を

わたしは黙っていた方がいい、と判断し、ふつうに過ごしていようと心がけていたのです。

こんなことを言えるのも、私の「巻き込まれ」は、そんなにひどいものでなかったし、私を守って下さろうとする無言の力のあることを、感じていたからです。

信じられないくらい酷い目に遭わされてしまわれた、何人ものブロガーさんが、あらわれてしまいました。

トド子さんと仰るブロガーさんが、8月はじめにご自分のブログで、法的な動きを始めると明かされました。裁判への途につかれると。心配するしか出来なかった私は、文字通りからだが震えるような感動を覚えました。そのトド子さんの記事へのコメントとして、わがまま親父さんが、カナダからは難しいらしいことも含め、日本でのトド子さんの動きに、お願いしますと(見えませんが)頭を深く下げておいででした。

今までのことは、やはり私は黙っていようと思います。思うこと言いたいこと自分なりにありますが、黙っています。

ただ、どうしても胸に詰まって動きようのない怒りの思いを、吐き出させていただきたいと思います。

まず。

伏見さんという方は、過去に私に、ごく丁寧な態度で不思議な質問をして来られたことがあり、私の、その質問への答えは「ノーだ」と明確だったにかかわらず、私の「ノー」を無視して自分流の流れで勝手なことを書いていたことがありました。それ以外には、私に対しては無茶苦茶なことはしておられません。私の名前を出されていても、そんなには無茶はされていなかった、それは実感です。

でれでれ草さんという方も、かつて私にコメントを下さったことがあります。はっきりとは覚えていませんが、私の記事の何かを借りていいですかという、しごく丁重なお申し出であり、私は何かの条件付きで、どうぞとお返事したような気がします。その条件とは、うたのことについては、わたしKUONのところの記事からと明記を願います、だったような気がします。

それ以後も以前も、私は、伏見さんもでれでれ草さんのところも、ごく稀にしか訪問しませんでした。他意は無く、単に、考え方も感性も異なる方々ですので、ということで。でれでれ草さんの、なるほどそうか、という・・愛子さんの顔のことや・・の記事で、自分のブログに画像をお借りしたことはありました。細かいことをよくされるなあと、自分にはできないことですので、感心していました。

ちなみに私は、愛子さんは替え玉がいると信じています。

・・私のブログに、あの方がたの記事を読んで下さいと言って来られる方が何人かおられましたが、行く時もあり、そのままだった時もあり。


今日、お二人のブログを訪問したら、伏見さんのところは随分様子が変わっていました。

映画「陰陽師」の萬斎さんの姿だったプロフィール写真が、幼い可愛いお子さんの写真になっていました。穢れをしらない時代の、ご本人でしょうか。

室町から続く薩摩武士の家にお育ちになったお方なのだと、初めて知りました。武士道の方だったのですね。

記事もずいぶん変わっていました。先日読んでびっくりした、激しく攻撃的な、あのブロガーさんや他のブロガーさんへの、なんというか世界の終りのように私には感じられた悪口雑言のごとき数々が、無くなっていたように思いました。初め読んだ時は、ひどい誹謗中傷のように感じられた文言が、私の探し忘れなのか、無いように思い、あらどうしちゃったのかしらと、ボーゼンとなりました。

(付け加えます。いま・夜の10時前、伏見さんはまた萬斎・陰陽師のお姿でした。凛々しいですわ)。

私が、よう見つけなかっただけかもしれません。

でれでれ草さんは、ブログの管理人さんがお変わりになったとか。親戚筋の方が新たな方らしいですが、ご自分の方でも法的なたたかいをされる、と、読んだような気がするのは、私の思い違いでしょうか。

つい先日、多分私のことかと読んだのでしたが(それまでにも最近もKUONのことを「和歌の師匠」などと書いて。ブロガーさんを庇ったつもりが大外れ、のような言い方しておられましたので)、

「歌詠み師匠、養父の親戚が公家とか言って(書いて?)いたけど、危ない」とかあやしい」とか。

書いておられたのは、前のでれでれ草さんだったか、今のでれでれ草さんだったのか。アブナイだったかアヤシイだったか、いったい、何がアブナイやらアヤシイ、なのか、私には理解し難しいです。私はその言葉で語ったことは無いですが、身内を何やら言われるのは心外なのは確かで。

ブログの管理人が変わるって、具体的に想像できませんが、引継ぎとか大変ではないのかな、と。

猛暑の折り、おからだおいといになって、など、余計なことを思ったりもいたします。

・・・・・・このあたりで、私の「まず」は終わります。


いま、悲しいと感じていることを書きます。

わがまま親父さんのことです。

今は、鬱の時期に入っておられるのでしょう。今回のことで傷ついて馬鹿な男と自虐し、鬱だと無防備にバラシしておられるそのことまで、揶揄されている。

カナダへ国籍を移したのは、とうぜん親父さんご夫妻の意志でいらした。それを前置きに、何か書きたい。

周囲は移民して来られた方ばかり。買い物に行っても日本語でない。

パソコンに向かって何かを書いたり、他の方のサイトを訪問したりが、親父さんの「日本語の世界」だったと思います。

パソコンの中に、もう70歳近くなり「欲しいものといって、もうほとんど無い」と感じておられる親父さんの世界があったのだと思います。

大切な世界だったと思います。

最新の記事で、

「すべてを削除して消える」

とか書いておられますが、どうしてここまで追い詰められてしまわなければならなかったか。

もう、無茶苦茶に親父さんはじめ何人かのブロガーさんたちを叩き、踏みつけ、やりたい放題した伏見さん、でれでれ草さん、そしてあの掲示板でそれに乗って好き放題の言葉の暴力、乱暴狼藉をはたらいた多くのこころない人たち。

面白かったか、加虐的なヨロコビに震えられたか。おおっぴらに匿名で人をいじめるって、楽しいことですか。

こんなこと書いたら、わたしに、何か言って来られるのでしょうか。私の知らないところで、何かいわれるのか。

トド子さんは

「肉を斬らせて骨を断つ」

と書いておられます。それは、私の処世訓でもあります。同じ。あの方と同じ土俵には乗りようもありませんが。

わがまま親父さんは、自業自得、自分もと、自分を責める言葉を、騒動のはじめに書いておられます。

何があったのか無かったのか、わからないことをここでどうこうは言えません。

が。

ブログを閉ざすときは死んだ後。そのことは依頼してある、とも書いておられました。

ともかく。いま。こういうことで、あのブログを失うと思うと、辛いです。自分の意志でなく暴力的に閉ざされるのだとしたら、それはダメです。

ずっと先ででも、また、書いていただきたい。

パソコンは、ブログは、カナダにいる親父さんにとって、祖国日本とつながる、大切な窓です。

その窓を、ぐっちゃぐちゃに潰してしまっていいのでしょうか。

平気でいますか、あの人たちは。あの人たちに、いったい、いま傷ついているあの方やあの方が、いったい、何をしたというのか。

うまく言えたかどうかわかりませんが、勢いのまま、このまま、アップします。






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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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