今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

貴族の若い兄ちゃん

前回の記事の終わりでは、愛妾を若くして失った大伴家持の、悲傷のうたである長歌をご紹介しました。

短歌は五七五七七の調べで詠まれます。基本的に三十一文字。

長歌とは、文字通り長い歌。五音 七音の句を三回以上繰り返し(昨日のうたはそうなっています)、最後に七音の句を添える形式の、これも短歌と同じく、和歌です。

今日いまから記す「反歌」と呼ばれるものは、反対の反でなく、長歌の後に詠み添える短歌をいいます。

かえしうた。以下です。


  時はしもいつもあらむを心痛くい去(ゆ)く我妹(わぎも)か若き子置きて(467)

  出で行かす道知らませば予め妹を留めむ塞(せき)も置かましを(468)

  妹が見し屋戸に花咲く時は経ぬ吾(あ)が泣く涙いまだ干なくに(469)


どんな状況でか、死んで行った我妹=わぎも=家持のカノジョだって、心残りで辛かったんです、「若き子」置きて。

幼い子を残しての死だったのです。

あなたが出て行く・・行ってしまう道を、知っていたなら、あらかじめあなたをとどめ置く=行かせたりしないための=塞を、作っておいたものを。

あなたが眺めた(元気だったころにその花を植えた)屋戸=住まい=に、花が咲いた。時が経過した。私の涙は今も乾かないでいるのに。

・・・家持、かなしく詠んでいます。

もっと詠みました。以下です。

―悲緒(かなしみ)息(や)まずてまたよめる歌五首

  かくのみにありけるものを妹も吾(あれ)も千歳のごとく恃みたりけり(470)

  家離りいます我妹を留みかね山隠つれ心神(こころど)もなし(471)

  世間し常かくのみとかつ知れど痛き心は忍(しぬ)ひかねつも(472)

  佐保山に棚引く霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし(473)

  昔こそ外(よそ)にも見しか我妹子が奥津城と思(も)へば愛(は)しき佐保山(474)



数だけを言うなら、慣れていればうたはつくれます。家持もそうだったでしょう。

うたを詠む、気持ちを形にするって、ちょっと、デトックスみたいな効果もあると思う。

いきなり私事ですが。娘夫婦が、少し前、ドラゴン アッシュのライブに出かけ、喜んでよれよれになって帰宅しました。

古谷 一行の息子、と言う言い方は失礼かな、ケンジさんはもう長くの大スターさん、その方たちのステージを観に行って、一緒にうたうわ席のまま踊るわ、久しぶりの大興奮、明日仕事できるやろかと言いつつニタついている二人でした。二人ともがファン。

二十年くらいむかしに、初めてラップという音楽を聞いた時。

これ、和歌の長歌だよね、どんどん積み重ねて行く言葉、リズム、韻を踏みながら。

・・・と感じたのでした。

家持は沢山うたをつくれる人だった。

幼い子を置いて逝かねばならなかった自分の女を、愛しんで悲しんで詠んだ。

その子のその後は、全く知られていません。子を持った気分にはなれなかったのか。

愛妾だった女の奥津城・・墓は、佐保山につくったようです。

自宅に近い、いつでも詣りに行けるあたりだったでしょうか。


でも、家持は、けっこうほどなく、死んだ女の前に通っていた「坂上大嬢」との関わりを取り戻そうとうごき始めたのであり。

大嬢は、家持のカノジョのことを知らなかった訳もなく。

すぐにはハイハイと寄り添えなかったと思います。と、今夜は、このあたりまで。


貴族の若い兄ちゃん。何をするにも心脅えは無かったのかも。

うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒く偲ひつるかも(465)

そうはいっても、この一首はすばらしいと思います。世の無常を底の方で知っている、感じている。そんなあたりが。




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家持は悲しかった

大伴家持。

うたに入る前に、基本な知識のあれこれ、書きたいのは山々なのですが、早くうたに入りたい。少しだけ、予備知識。

いきなり死後の話になりますが、名門貴族の跡取りとして(妾腹の子であったにかかわらず)家持が、宮廷周辺のうたの資料の数々・・記録や個人の歌集や、作っていた自分自身の作歌帳など持っていた、大切なものたち・・・それらが、彼の死後、朝廷に没収されたのでした。

同族のからんだ事件に連座したとされて名誉を奪われ、家財のすべてを取り上げられる憂き目に遭った、その折りに。

それが万葉集として伝わることになったのでした。

全20巻、4516首の、最期の一首となっているのは、この大伴家持のうた。

八月になったら触れようと考えていますが、「海行かば」として知られているうたの、元は、この家持の万葉集中の作です。

おまけに書きますと。

土用の丑の日にウナギを食べるようになっていますね。そうしようよと、遠い昔に、夏痩せしないようにウナギ食べようとうたを詠んだのも、この家持でした。


前々記事の最後においた一首。

  ふりさけて三日月見れば

は、家持16歳のときのうた。

うた詠みなどに多く見られる、早熟な男の子だったのでしょう。

家持といえば、初めにうたの手ほどきをした叔母の大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の存在を抜きに語れないのですが。

万葉集の女流大歌人であるその叔母様のことも、脇へおいておいて。

叔母上のおススメであった、娘の大嬢(実は三日月の眉のひとでもある)のもとへ、十代の家持、通うようになっていたことも、後で語るとして。

周囲の認めやすい相手であった大嬢との仲が、中断したのは、家持がめかけを迎えたからなのでした。

妾、という表現があてはまるようですけど、私はこの文字も音も好きでないのです。女性としてどこかが痛むのです。

だから勝手に、ハナ、と呼んで書くことにします。

そのハナは、家持が二十二歳の時に、死んでしまったのでした。(彼女自身、まだ十代かせいぜい二十代はじめの年だったと思われます。

・・・以下「万葉集を読む」からいただいています。季節が「いま」でないのはお許しください、無計画に始めた記事です・・。

今よりは秋風寒く吹きなむを如何でか独り長き夜を寝む(462)

秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑし屋戸の石竹(なでしこ)咲きにけるかも(464)

うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒く偲ひつるかも(465)

  >我が屋戸に 花ぞ咲きたる そを見れど 心もゆかず
  愛(は)しきやし 妹がありせば 御鴨(みかも)なす 二人並び居
  手折りても 見せましものを
  うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消(け)ぬるがごとく 
  足引の 山道をさして 入日なす 隠りにしかば 
  そこ思(も)ふに 胸こそ痛め 言ひもかね 名づけも知らに 
  跡も無き 世間(よのなか)なれば 為むすべもなし(466)

このうた466は>から始まって為むすべもなし、までが、一つの「うた」です。

妹と記されているのは「いも」と読みます。いもうと、でなく、いとしい女という感じで使っています。

花が咲いたね、美しい花だ、しかしそれを見ても心が晴れないよ。

愛おしい君がいさえすれば、あの仲よしで知られる鴨のつがいのように、二人、並んで眺めて。

手折っても、見せてあげようものを。

この身は空蝉か。うつせみのように、ただひととき、借りているだけのこの身か、そうならば。

いとしい君、露霜の融けるがごとく、消えてしまうがごとく。

あしひきの山道をさして入日の向こう、隠れてしまうように・・・もう戻れないのだね

そんな風に思い 胸痛み

けれど

言ったところで 嘆いて泣いて、したところで

あちらの世界に行ってしまえば  消えてしまったなら。

それが当たり前のこの世、もう誰も気にしないならば 忘れて行くのみならば

どうしようもない 詮無いことだね
 


・・このような嘆きのうたです。

これに対して「反歌」というものがあるのですが、今日はここまでとさせていただきます。

家持は、悲しかった。

蝉時雨

暑い日が続きます。

わが家の裏庭の一部には、そのころ、蝉の幼虫がどっさり眠っていました。それを知らずキュウリの苗を3本、植えつけようとして、丸まっている幼虫群を発見。大げさではありません、いっぱいいたのです。

あらゴメンごめんと謝って、土を戻して覆いかぶせ、キュウリは、離れたあたりに植えました。

あの蝉たちなのでしょうか。

庭で、ぎゃんぎゃん鳴いています。蝉がぎゃんぎゃん鳴くわけが無いのですが、とにかく。

いっときも休まず鳴いています。

のど、乾かないのかなあ、など、今日はヒマなので、呑気なことを考えています。

婚活中なのですよね、今年生まれの蝉たち。


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万葉集に、犬をうたったうたは数首しかありません(私が知る限りは)。猫のうたは無いようです。

蝉のうたは、見つけることができました。


  石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ

     いわはしる たきもとどろに なくせみの こゑをしきけば みやこしおもほゆ

                                3617 大石蓑麻呂


作者は遣新羅使の一員。安芸の長門(現・呉市)で、久しぶりに陸地にあがって。

山中での宴のひととき、豊富な水量の瀧、蝉しぐれ、したたる緑の中で、不意に郷愁を覚えたのでしょうか。

離れて来た奈良の都。懐かしい寧楽の都に、思いを馳せたのでしょう。

帰れるかどうかさえ分からない、当時の新羅への旅の途次で。

うたとしては特徴の無い、ありがちなうたですが、だからこそ、誰の気持ちにも添いやすい思いの一首と思います。


もう一首。

これは万葉集でなく、数百年くだった鎌倉時代のうたです。


  降るほどはしばしとだえてむら雨のすぐる梢の蝉のもる声

     ふるほどは しばしとだえて むらさめの すぐるこずゑの せみのもるこゑ

                                   藤原為守娘


藤原為守は、冷泉家の祖。いちばんはじめのひとです。このうたの作者は、その為守の娘。そのままの呼ばれ方で、1000年後の今に一首のうたを残しています。

いっとき激しく降って止み、また降って止む、村雨。

雨の間は声は途絶えているが、止めばたちまち今度は、いずれの木からも、わんわんと蝉しぐれ。

蝉時雨。日本の夏の情景、今も変わりません。

・・・日本人のこころは、大きく変わったのか。

変わったような、そうでもないような。

険しい言葉の大量シャワーに触れてしまうと、気持ちが沈みます。


どんな女性だったのか、どんな気持ちで詠まれた一首だったのか、まったくわからないけれど、うたは残り。

冷泉家もいま、うたの家として残っておられます。


小松が下に立ち嘆くかも


君に恋ひいたもすべなみ 楢山の小松が下に立ち嘆くかも

  きみにこひ いたもすべなみ ならやまの こまつがしたに たちなげくかも

                                          539



昨日に続き、笠郎女のうた。

大伴家持の邸宅跡は、今では春になると桜並木がみごとに美しい佐保川あたり。平城宮跡の外側。長屋王の邸宅跡もこのあたりです。

長屋王の邸宅跡には「そごう」ができ、そのそごうはいけなくなってイトーヨーカドーが後に入り、そのヨーカドーも、もうすぐなくなるとか。

地図の読めないワタシが書くとどうしようもない(すみません)、そこからすこし離れて佐保姫伝説のある狭岡神社の参道に、上記のうたの歌碑が建っています。

・・・あなたが恋しくてどうしようもなくて、ならやまの、小松の下に、立って、わたしは嘆いています。

そういううたです。

楢山は奈良山であるとして・・奈良の、北の方の山、ですね。楢の木がうたにする時に目についたのかな。そして「小松の下」というのは、そういう名前の松や地名があるのでなく。木の下に立って、待つ。

「小松」と「待つ」とをかけてあって、とにかく待った、待っていたのよ、ということでしょう。

思い詰めて。期待して期待破れて、待つ。ただ、ただ、待っていたのか。

電話もスマホも無い時代、(おそらく)人目を忍ぶ、人目はばかる乞いであったから、誰かに伝言をたのむのも難しく。

それでも恋のさなかでもあって、男の方にも同じ程度の「気」がある時期や状況なら。

いついつどこで、と、約束をして、それを違えずに行けば会える、ともなるのですが。

女性の気持ちは逸っていても。この場合、相手はそうでないので。

郎女の方が、約束も何もしていなくて、でも会いたい一心で、ただ、待ち続けることだってあったのでしょう。

今日はきっとあの人は中へあがるはず、このあたりを通るはず、で、ここにいれば会えるはず。

そんな思いで待ったかも知れず。

対して男は、通りがかろうとして、そこに、一途な目をした女が立ち尽くしていれば。

うわあ嬉しい、たったと走ってぎゅううう、ハグ、とかなってくれればいいけれど。

うひゃ。いる。どんだけ待っているのだろう、約束していないし、この頃は、会うと、気持ちが離れたのかとかもっとこちらを見て、とかの押し問答ばかりで。コワイ顔するしすねるし膨れるしイヤミ言うし。。

正直、楽しくないんだよね~。

などの思いが駆け巡って、その場をそーっと離れて、違う道から。とか。

気が削がれたから、あっちのあのコのとこへ行っちゃお、とか。

そんな風な具合だったのかも知れません。男の身は、やはり、自由です。


笠郎女は、そんなに身分の高くない家の娘、からだを使ってキリキリと働いていた女性だったような。

家持は名家の息子で。少納言だったりして、いわゆるエリートでした。政治的には苦しい立場でもあった・・ごめんなさい、こっちの観点からは詳しくないのです、家持に関してはただ、ただ、和歌の血筋の良さの方から見てしまっています私。

二十歳は越えていたのでしょうか、互いに。

ふたり。

どういうことでか知り合って、付き合いが始まって、女性の方からの思いが勝って多くのうたが生まれて。

男の方はそんな、積極的でもなかった、としか考えられないのです、こういったことのバランスは、絶体と言えるくらい、片側に傾くものであって。

思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我は死に還らまし

   おもふにし しにするものに あらませば ちたびぞわれは しにかへらまし

                                       603


恋が苦しくて死んでしまうようなことがあるなら。恋で死ぬようなことがあるならば。

わたしは、千度でも死ぬでしょう、この叶わぬ恋の苦しさに。何度でも、千度でも。

・・・

家持の付き合った女性にはうたの才能のある女性も何人もいました、その中で最も才能のあったのは、この笠郎女、というのが定説になっています。家持自身がそれをわかっていて、彼女のうたを二十九首も万葉集に入れているのです、才能は認めていた・・・別れて後のことではありますが。

歌才に恵まれた笠郎女は、とうぜん、自分のうたの演出もしたと考えます。しようと思わなくてもしてしまう、それも、表現する人間の特質だと思っています。数年間のことだった家持とのことが、本当に、終わってしまって。

前回の「餓鬼の後に・・・」の一首で爆発した郎女。

恋しい男の気持ちは、どう激しく詠んでみても、郎女の方には来てくれなかった。つれなかった男は、つれない二首を、贈ってはくれました(今はそれを引きません)。で。

私感ですが。郎女の気持ちは案外、最後は、すっきりさっぱりではなかったか、と。

あ~あ、終わった、しんどかったぁ。恋なんぞすると疲れ果てるわ、消耗するわ、眠れなかったからお肌も荒れてしまった、あの男は通ってくれなかったし。あ~あ、淋しくない訳ではないけど。さびしいけど。胸、痛いけど。

もう。もうもう、どきどきハラハラ、朝も夜もあの人のことばかり、考えて暮らすことも無くなったんだわぁ。

思いは痛みになって残っても。やり切りました郎女さん。

新しい何かに、向かって行けたのではないか…など思うのは、すでに恋するに現役でない今のKUONだから、なのかもしれません(笑)。

・・・

すこし郎女から離れて、若い日の、みずみずしい若者・家持のうたを、一首。

   ふりさけて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも

       ふりさけて みかづきみれば ひとめみし ひとのまよびき おもほゆるかも

                                     994


ふりあおいで空に光る三日月を見れば。

一目、あの時に見た。あの人のあの。

ほっそりと美しかった眉が思われます。美しいひとでした。

・・・おおどかな、清廉ないろけのある一首と思います。


相思はぬ人を思ふは


相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づくがごと

   あいおもはぬ ひとをおもふは おほでらの がきのしりへに ぬかづくがごと

                                608  笠郎女 (かさのいらつめ)

思ってもくれないひとを思うなんて、大寺の餓鬼像を後ろから拝むようなものだわ。

こういううたです。うたの前には「こんなにも私があなたを思っているのに」という思いがあり、ああそれなのに、思いを返してくれないあなたを思い続けるなんてアホらし、もう腹立った、それってつまり、どうでもいいような意味フメーなあんな、餓鬼の像を、しかも後ろから、きったないおシリの方から拝むみたいなものよ、きーっ。

こういう感じでしょうか。ブチ切れています、郎女(いらつめ)さん。


・・・今日は、但馬皇女、穂積皇子の後ですので、歳の離れた異母弟にツマの一人をさらわれてしまった(初めからそんなつもりもあったがあれこれあって単に取られちゃった感じになった)、但馬皇女の夫、穂積皇子の長兄であった「高市皇子」について書くのかなワタシ、という雰囲気だったのですが。

急遽変更。

万葉集の中でもファンが多く、共感する女性も多いこの一首、1300年も前の恨み節を取り上げることになりました。

郎女を怒らせた・・・あまりにも悲しみの大きかった恋が激怒に至ってしまった、この相手の男性は、大伴家持。

万葉集の編纂者、大歌人でもある、家持です。

家持には十数人のおんながいた。うたがのこっていたりうたに詠まれたりしただけでこの数(多分)。表に現れていない女性たちは、別の話になります。よね。

この郎女は、その中の一人です。一人で、一気に24首ものうたを取り上げてもらっている女流歌人でもあります。そんな例は実は、他にありません。

集全体では29首も取り上げられている、有数の万葉歌人なのです、彼女は。

ひとりのひとを、恋しい恋しいとひたすらに思い詰め、すぐれたうたに詠みあげていった若い女性。


なんで今回、いきなりこの「餓鬼のしりへに」について書いているのか。

成り行きです、言ってみれば。

私の住まいにほど近く、タクシーなら1000円でお釣りの来るあたりに、京都や橿原神宮方面へ出かける時に利用する小さな駅があります。

その小さな駅に、昨日か一昨日だったか、京都から帰って来た私は出迎えを頼んでおり、早めについた迎えの者は、駐車場に車を停めて、店の中に入って小物を買っていた(やたらリアルですが)。私は、待つ間そうだと思いついて、まさしく「そこ」にある、万葉歌人の歌碑を、久しぶりに眺めたのでした。

フツーにそこに存在していて、近所の人や通勤通学に駅を諒する人々は、見向きもしない。観光客のうちでも、興味のある少数の人以外は気づきもしない、笠郎女の歌碑。自然石にうたが彫られています。

相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づくがごと

   あいおもはぬ ひとをおもふは おほでらの がきのしりへに ぬかづくがごと


以前に書いたように、当時は今のように漢字ひらがなを混ぜての表記でなく。独特の万葉文字でうたは書かれ、それが読み解かれて、現在読めるうたになっている。簡単に言うとそうです。ですから、この一首も、

「。。。の後にぬかづくがごと」

になっていたり

「・・・のしりへに ぬかづくごとし」

になっていたり、します。

奈良には歌碑が多い。ものすごく多いです。

この郎女の父である? とされる「笠金村」の歌碑も奈良公園に近い方にありますし。

今日は激しい怒りのうたに触れました。

彼女は、苦しい辛い恋のさいごに、叩きつけるようにこの一首を詠み、この地を離れた。恋しい男の傍から遠ざかった、と言われています。

明日は、この郎女の、せつない、心のふるえるようなうたについて。まったく違ううたの作者でもあった彼女について、書きたいと、いま、考えました。

眠くなりました。

されば今宵は。いざ、さらば。

七月、文月の「みんなのうた」です

七月もおうたを寄せて下さった方々、ありがとうございました。

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今回は、詞書、と申しますか、おうたに付随していただいた「つぶやき」も、すべてではありませんが、そのままにしました。

いろんなことがあり、いろんな思いがある。この豪雨により離れ離れになった愛犬を探しに行かれたまま、お帰りになれない方、その方を案じる方。

みなさま。お体おいといになって、来月もまた、お会いしましょうね。必ず。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     KUONの詠める


・昏れてゆく空と海とをみてをりぬ薄墨われら肩をならべて


・波音の届いては来ぬ窓の辺に何かを聴きゐるごとくに われら


・夏椿ほのと浮かべり 部屋隅にいと穏しかる寝息聞きゐる


・遠花火は山の向かうに盛りなり目つむりて今爆くるを聞く


     かりそめ の詠める    


・・・万葉集も楽しいですが、「みんなのうた」にも心おどります。KUONさんの後に「やっちゃってみます」。


・車にて三日走りてなほ大地日本旅券の赤が目にしむ


・ぴかぴかに林檎磨きて積む市場我が母国語はたれも知らざる


・我ながら恋ではないと知りつつも離れられないやつぱり恋か


・父母愛し姉と睦みし日々なれど月の迎へを待つ心あり


・群れ咲きてなんと静かなかきつばた高貴な色のほかは許さず


     かげろう の詠める


・・・維納の旅を思い出す

  思い出に残る旅です。




白き息熱き葡萄酒喫しつつ維納の市は降誕祭へと


息弾みゆるき傾きのぼりきぬグロリエッテの珈琲美味し


・・・楽しみな歌会です。 


     大和屋の詠める


・・・Kuonさま おはようございます。

  過日はコメントにお返事ありがとうございました。

  熱田神宮はいつか行ってみたい場所です。



☆眩しくて ただ黙り込む腕に触れ
ほら その角にセブンあったよ

☆共謀の咎(とが)何ゆえに怯えたり
我は只人 汝ぞや只人

☆先帝の威徳を慕い武蔵野に
雹の嘆き言祝の虹

☆筆名に浮かぶ幼子(おさなご)笑み湛え
ナルト支那竹海苔ゆでたまご


・・・来月またお邪魔します。

   お疲れの出ませんように。


     わすれんぼ の詠める


謎多き結婚話降って湧き
秋篠家に寄す信頼も揺らぐ

秋篠家もWGIPの患者かも
Zainichiに嫁ぐ選択するとは

KKの背景に潜むいかがわしさを
読むことのできぬ深窓の姫

シナリオは全て皿婆が書いており
やり放題の独裁の舞台

存在自体詐欺そのものの皿婆が
皇后だという日本の悲劇

皿婆の顔見るたびに腹が立つ
一枚二枚と皿割ってやりたし

皿婆はしきたり伝統ぶち壊し
やりたい放題止めるものなし

皿婆の横暴独裁通る理由(わけ)
背後にうごめくいくつもの組織

その末はアントワネットかチャウシェスク
庶民の怒り受けて果ててね

秋田にて公務もどきにドタ出する
鼻先のニンジン皇后位欲しくて

あれら来てありがたくもなんともない上に
カネはかかるし邪魔にはなるし
おまけに災害引き連れてくる
(すみません。一人連歌にしてみました。いや都都逸かな?) ・・・・・

おまけ
平成の皇后の仇名はエロ河童
座布団10枚よくぞ言ったり

・・・kuon様、皆様
   暑いですね。お体大切に。



     白萩の詠める


・・・待っておりました!

   kuon様、皆様 ますます暑さが厳しくなりますが、どうぞご自愛(正しい意味で…笑)下さいませ。



空梅雨と思えば豪雨民草の嘆きもアレラは雑音と言うか


夏空に洗濯物のすがすがし真白に心も浄めゆくかな


梔子の香のごと甘き睦言を交わす夏夜はかくも短し


日の本も民も灼熱の夏を耐え来たる美しき秋を迎えん


     ラピスラズリ の詠める


・・・七夕伝説


七夕の 切なき恋に憧れる

年に一度の逢瀬にも


・・・なんか今の世の中ロマンが失せましたね。

   メールでは直筆の思いは籠められないし伝わりもしないでしょう。
   
   世の中がアナログからデジタルに変わってから潤いがなくなったように思えます。

   万年筆から使い捨てのボールペンになった時が端緒でしたかね。


     へなちょこ一年生の詠める


・・・嬉しくも無く腹の立つ顔写真


・宗教が人への恨みふやすのか 白き根が這う土中深く


・迂闊にも発してしまう言霊に 絡み捕られた闘争の人


・足らぬゆえ上へ上へと登りゆく 地上はるかな人無き虚飾


・空蝉が高き梢にしがみ付き ちりちり聞こゆ疳高き声 


・からす鳴き鳥居につづく石畳 神の社の清らかな朝


     KUONの詠める


・燃ゆるがの思ひ遠くして短冊に知りびとたちの平穏をしるす



     イッサの詠める


・・・厳暑の候 ご自愛下さいませ


   *皇族のみがあの豪雨惨事の真の理由を知らない・・・   

★九州に行かんでよろし祭祀せよ神の怒りを民のみぞ知る


   *掲示板に皇室制度維持約174億円とありました・・・・

★特売の卵片手に列つくる民の暮らしが雲上支える


   *皇族が間違いするわけないというおおらかな無関心が今を生んだ・・・・

★火アリの巣御所にもありて幾とせぞ民よ目覚めよ闇をはらえよ


     ラピスラズリの詠める


・・・夜空のムコウ


天の川 渡る舟人 我一人
その先に待つ 人は見ず


   思えば人生は行方定めぬ長い船旅のようなものかも。


     とおりすがり の詠める


廃太子
ああ廃太子
廃太子
ああ廃太子
ああ廃太子


     KUONの詠める


・・・亡母を憶ふ


・気を張りて帰り来たりて飯台の五目飯食ぶ母が作りし


・油揚げがよれてしっとり味吸へる人参飯母の十八番なる


・もほもほと五目飯食べ汁を吸ふ夕餉のわれの傍に母あり


・母と子の縁ほそぼそと生ひ立てどこの肉じゃがはおふくろの味


・味噌汁に二種も三種も具を入れて母の好みに仕立てり今朝は


・食卓に今日ものりゐる壬生菜漬け滞在中のわが母のため


・わが量の半分ほどを食ぶる母と同時に了へて朝のドラマ見る


・今年また朝顔を植うる季となり母が取り置きし種取り出だす


・「アサガホの種」と大きく書かれあり去年の秋にも母は来てゐし


・共に住まぬわれと母にて年老いて耳遠きことさへが愛しも


・二上の連なりを母に示しつつ揺られをりたり またなき事か


・わが母よ母よ別れし夜の更けに老いて小さき人を思へり


(連日テレビから「あさくら」「あさくら」と聞こえ、13年前に死んだ母・あさくらすゑこを、思い出してしまっていました)。


このような場からではありますが、被災された皆さまに、慎んで、同国民としての思いを捧げさせていただきます。



     黒猫アビ の詠める


・・・今晩は。

   「みんなのうた」大好きです!

   やっちゃってみて下さい!の言葉にあまえて(笑)


・かくしたらなおさら目立頭髪の髪のうすさと中身のうすさ


・恥を知れこれが次代の天皇かカメラ片手にニラニラ笑う


・皇室の伝統破壊先頭に立つは天皇そして皇后


・婚約の記者会見が皇室の終わりの始まり心が沈む


・蒸し暑い工事現場をふと見れば高齢者の働く姿


・愛猫を日々だいていたぬくもりが忘れられなく
 この胸さびし


   毎日、熱風が吹いて外に出るのが嫌になります

   水分補給しっかりと取っています。



     おてもやん の詠める


・・・七月のうた


○この夏は天守閣もマンションも養生シートに覆われてをり


○ベランダに洗濯物も干せぬ夏庭付き実家に仮住まいする


○半世紀地震も耐えた木造の縁側の壁少し剥げたり



     かりそめ の詠める


もう海は大八洲国(おおやしまぐに)守らざり大和心で国守らんか


国民を虚仮(こけ)にするのはもうやめよ怒りマグマのごとく溜まれり


時かけて林檎腐らせ続けきし正田美智子よ罪を贖へ


我よりも心卑しき人なるに陛下なんぞと呼ばれてをりぬ


たれよりも出自下賎の后ありこを革命と言はずして何


本人がいいって言えばいいたってやっぱり変よ河童みたいで



     たまき の詠める


家クルマ
流れていった
目の前を
明るく話す
避難所のいとこ


七メートルの
石を見たこと
あるか問う
屋敷の跡に
そいつがいたと


やはり犬が
捨てておけぬと
戻りしひと
黒き流れに
呑まれそのまま


祭祀王
日本に一人の
祭祀王
この大雨に
何ぞ思わん



     温泉郷の詠める


・・・くおんさま、こんにちは。


文字色ウォーギルト・インフォメーション・プログラム
日本人なら知っておきたい

ウォーギルト・インフォメーション・プログラム
眞子様すでにご存じかしら

ウォーギルト・インフォメーション・プログラム
この夏子らに教えましょう

ウォーギルト・インフォメーション・プログラム
この呪縛から解き放たれよ



     らむ酒の詠める


愛犬の 水とたわむる 幼き日

姿しのびて ひとり水打つ

・・・

   この春、我が家の飼っていた犬が亡くなりました。

   水撒きをしていると、じゃれに来ていました。

   日常の、ふっとした瞬間に「あぁ、もう居ないんだなぁ」と感じます。

   生きて居た時は、幼い頃をあまり、思い出さなかったのに。。。。。

   生まれて初めて短歌を詠みました。

   kuon様のダメ出し覚悟で投稿させて頂きます。



     KUONの詠める


・招かれて年にいちどの祇園なりうたの話もぽつぽつとする


・瑠璃玻璃(るりはり)の花器にひともとの鷺草はわが訪ふときを計り活くとや


・いっぷくの茶を供せらる朝顔の青みずみずし夏の茶碗の


・女将来てしばしを話すうす甘き「二人静」を互みに食みつつ


・変わらざる女将の美貌こころばへ三十余年の付き合ひにして


・痛む足を投げてぞ短歌(うた)の話する聴きたまふ人ら膝を締むるを



     アルジェリマン「の詠める


・・・来い、鯉、故意・・・

   KUON様、「こい」で「来い、鯉、故意」と予測変換の私のPC・・・。


恋?違う あれは妄執 黒い過去 時が流れて 灰に変じて


   何のこっちゃら、でへへへ。


リンの音を分かっているよなわが犬は 座って待ちおり首かしげつつ


空鼻を利かすわが犬一心に いまだ会えない父を探して


百日を越えて半月 その窓に父の匂いが残っているのか



     赤いリボン の詠める


・・・初めまして。まだ受け入れて下さるそうで、ありがとうございます。


・男より凛々しい女性に魅かれますこのこと初めて短歌にします


   kuonさま頑張って下さいませ



     とんこ の詠める



国民が
災害遭おうと
我関せず、
今日も出歩く
祭祀王もどき


鬘付け
今日もお出かけ
皿ババア
邪悪のこころ
隠しようもなく、


・・・字余り、字足らず、すみません



七月。文月の「「みんなのうた」

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「たった一人のお願い」聞かせていただきましょう。

17日は祝日。この日までお待ちします、どーぞお寄せください。(7月16日・夜)



七月。文月。ふづき、ふみづき。

今月も皆さまおうたをどうぞと呼びかけさせていただきます。

五七五七七、三十一文字の短歌に限らせていただきます。

お一人、幾首でも何度でも。そのままのかたちでいただきます。多少の字余り字足らずは気にしない、ということで。

今日から、あさって十六日の夜までお受けします。コメント欄へお寄せください。裏からはご遠慮下さいね。

やっちゃってみて下さい!(笑)。

恋の奴のつかみかかりて

穂積皇子(ほづみのみこ)。

673年くらいの生まれとされる。天武天皇の皇子。5番目。

母親の名や出自などを書いていると、この時代のこと大変ややこしいので(書く時には書きます!)今は、前記事の但馬皇女との関わりだけを追って行きます。

穂積皇子は、二十代の頃に、天武の第一皇子である高市皇子(たけちのみこ)の妻である但馬皇女と恋に落ち・・・歴史の上では「密通」とされた・・・その同じころに、勅命によって、近江志賀寺に派遣されました。

勅命とは、天皇の命令。逆らうことはできません。

二人の仲は堰かれてしまいました。但馬皇女のその後はどうだったのか、708年に亡くなったことだけが知られています。三十代での死だったでしょうか。

穂積皇子の方は、順調に出世を重ねました。

万葉集中の女流歌人としていちばん沢山の長歌、短歌、旋頭歌を詠み=計84首、編纂者の大伴家持の叔母でもあって実力もあった、とてもユニークなうたも遺している「大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の、初めの結婚相手でもありました。

少女そのまま、13歳で嫁いで来た彼女を、穂積皇子は大切にしたのです。

何人もの子をなし(正妃が誰であったかは不明)、孫の広河女王も万葉集に歌を載せている、社会的には、元日朝賀に「一品」に叙せられる、そんな人生を、穂積は歩んだ。

この穂積が。但馬の死して後に、その年の暮れ、冬の日に(いま書いているのと季節が合わなくて辛いですが)、昔の恋人の墓のある方をうち眺めて詠んだうた。

「悲傷流涕(ひしょうりゅうてい)して作らす歌一首、とあります。

悲傷流涕。身悶えて悲しみ、涙を流して。うたを詠んだ。

降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに

  ふるゆきは あはになふりそ よなばりの ゐかひのおかの さむからまくに


雪が、しんしんと降って降り積もって、見ているに堪えがたかったのか。

思わず心情が溢れ出たのか。

そんなたくさん降らないでくれ、雪、たくさん降らないでやってくれ、積もらないでくれ、吉隠の岡の墓の下に眠るあの人が、寒いだろうから。寒くてたまらないだろうから。

このときの穂積は、どっしりとした中年。出世の道に影もささない実力者です。

はじめて但馬皇女とまみえた時には、若く、皇子といえども周囲の目を気にし、気遣って生きる若者だった。

年を経ていま、その頬の顎の髭は硬くなり、眉間にもきびしい縦じわがある。。

・・・但馬を、一人で死なせてしまった。

まだ柔らかかった自分の頬に、ふるふると指を伸ばして来て触れた、嬉しそうに眉をひらいて笑った、あの、但馬を。

供さえ連れず。ひたに自分に会うために、経験したことの無い朝川を渡るということをなした女だった。必死だった一途だった、いっしょけんめいに、まっすぐにがむしゃらに、つんのめるように自分に向かって来た女だった、眩しかった愛おしかった、あの時。自分だってそうだった、あの日のことは忘れない、そして忘れないまま死んだのであろう、あの。いとしい但馬。

穂積皇子はまた、

家にありし櫃に鑠さし蔵めてし恋の奴のつかみかかりて

  いえにありし ひつにかぎさし をさめてし こひのやっこの つかみかかりて


このようなうたも詠んでいます。

四十二歳で薨じた穂積皇子が、晩年、宴の席で酔うと口ずさんだうた。 必ず口ずさんだといわれます。

家にあった櫃。頑丈な櫃に、押し込めて鍵をかけて抑え込んだのに。

その恋の奴が、呼びもしないのに現れ出て来て。

つかみかかるのだ、私に、この穂積に、どうしようもない恋の、奴というやつが、さ。

・・・・・・他の説もありますが。

私は、穂積を苦しめた(のか?)この、恋の奴の本体は、但馬皇女と思いたい、思っています。




朝川わたる

万葉集とは、7世紀後半から8世紀後半にわたっての長歌、短歌ほかをまとめられた、わが国最古の歌集です。天皇・貴族から農民、防人などのうた、およそ4500首。全20巻。大伴家持(おおとものやかもち)の編纂になるといわれています。

難しいことはボチボチ行くとして、今日はまず、恋のために我を忘れた、恋に突っ走った皇女のうたに触れてみます。


人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る

  ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかわわたる     0116


但馬皇女(たじまのひめみこ)のうたです。

天武天皇の皇女の一人。彼女が恋したのは穂積皇子(ほづみのみこ)、この皇子も天武天皇の子です。母親は違います。当時は、母親が違えば問題はなかった。

但馬皇女は人妻でした。相手はかなり年上だったとされる高市皇子(たけちのみこ)。この皇子も天皇天武の息子です。

千数百年も昔の、天皇周辺のひとびと。

大方のおひめさんは、眠ったような生活の中で、大きく心を揺さぶられることも少ないのではなかったか。名前さえとりあえずの呼び方、女性はつまりは道具、あっちからこっちへ動かされたりとつぜん尼寺へ入ることになったり。

花を愛で月を愛で、の宴が、時に催されました。日をかけて手間をかけてわくわくと周囲は用意を整えて行く、着物に香を焚きしめる、総出で一夜を愉しむための手管を尽くし・・・たって、余韻はつまり、ほどなくして色あせる。

だからこそ、カチーンと何かがはじけた時の衝撃、余波は大きくとどめようのないものではなかったか。

何をすることも無い皇女の暮らしです。

髪を梳くのも食事を口に運ぶのも人任せ。用足しですら身の周囲で済ませてしまう暮らし。

楽器に触れたりうたなどを書きちらしたり・・・だって、それに関心が向いた性格でなければ、たださらうのみ。気持ちから打ち込むものも無ければ。

そんな中で、

何より「来る」ものは、

恋でしょう。

但馬皇女は恋に落ちました。恋の思いの熱さをしりました。

会いたい、会いたい、ただあのひとに会いたい。

思い立って車のキーひっつかんで、どこ行くのどうするのと背後からのママの声なども吹っ切って、夜の街を走る、飛ばす、あの人のところへ、あの人の窓へ。

灯りが見えたら心がくがくです、膝もガクガクですが、階段なんぞは駈けあがってしまう・・・なんてのはアナログの「恋」、相思相愛だったら今なら、ぜんぶ打ち合わせて、無駄なく効率よく合理的に、会えるのかな。

ひめみこの時代の恋・・・乞い、は、そうではありませなんだ。

会う事さえままならなかった。ひめみこは、住まいの外へ出ることさえ、めったに無かったのでした。

が。

思うだけは自由、心を放つだけは自在です。実際にはどんな「逢い」を紡ぎ得たのか、一度の会いへの思いを、引き伸ばして、つないで、いっしんに但馬皇女は恋をしたのでした。

ひめみこは万葉集に、四首のうたを残しています。


秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛かりとも

  あきのたの ほむきのよれる かたよりに きみによりなな こちたかりとも

                                                     0088


秋の田んぼに稲穂が風のまにまに傾くように。あなたに寄り添っていたい、どんなに人が噂しようとも。人の言葉が痛かろうとも。あなたのそばにいたい。

この「寄りなな」の、後の「な」は、寄り添っていたい気持ちを強調する「な」です。もとのうたは「万葉仮名」と呼ばれる、すべて漢字のような形で書かれており、漢字ばかりのそれを、後世読みやすい形にしてあるのです。

だから、同じ作者の同じうたでも、微妙に違ううたになっていることも多いです。

多いですが、前述の「な」のごとく。ただ一文字で、強い気持ちを感じさせることの可能なのが、この世界なんです・・・わたし演説していますね・・・。

「寄りたし」でも同じようなものですが・・・いや、違うのです。あくまで、君に寄りな「な」寄っていたいのよ、あなたに、愛しいあなたに。こうでないと。

この頃のひめみこは、二十歳代の若い女性だったと思われます。

まっすぐに、恋する男性の方に心を吸い込まれてしまいました。

とうぜん、ひそやかに囁き交わされるようになり、声は大きくなって、二人を離さんとばかりに、穂積皇子の方が、遠くへ遣られたりのこととなり。

そうなれば募るばかりの恋心。

残されて思いふけっているばかりなのはイヤです、追いかけたい、あなたに追いついて行きたい、そんな私のために、道の辺にそちこちに、目印をつけておいて欲しい、離されてしまっているのは、苦しい辛い、どうぞ道しるべを、と切々たる一首も、ひめみこは詠んでいます。

そして。

冒頭のうたに戻ります。

人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る

  ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかわわたる     0116


私たちに向けられる人たちの言葉。いろんな人がいろんなことを言います。そんな言葉が。声が、痛くても辛いものでも、いいえそれだからこそ諦められない、あなたに会いたい、わたし決めました、会いに行きます待っていて下さい。

ひとりで。素のままの足で、朝の川を渡ります。会いたいから行きます。

・・・但馬の皇女の、

「私の生の中でしたことの無いこと、朝の川を渡って。越えて。あなたに会いに行きます。」

こういう思いのうたなのです。

もう一つの解釈として、会いに行って、その後、帰らなければならない身、急いで「朝川渡る」であった、という感じ方もあるようです。

帰りであれば、気持ちもからだの状態も、とうぜん、違うことになりますね。

どちらだったのでしょう。

川は水の流れている場所であり、水は浸かれば濡れるものであり、そこを「渡った」というのは、大人の関係を示しているという考え方もあります。

私は、走って行って恋しい人と夜を共にして、朝日のなか、堂々と晴れやかに臆さず顔を上げて川を渡る・・・この「川」は、本来ならば仲を堰く働きをするもの、の、譬なのかもしれませんが、もうどう言われてもいいわ、のひめみこだったと考えます。

ともあれ。天武天皇の娘として生まれ育った、藤原の鎌足の孫娘でもある皇女の、恋の話。

周囲の忠告など、恋する彼女にとっては、どんな言葉も「繁み言痛み」のものでしかなかった、とも知れます。ダンナさんの立場・・・はあ、まあ、それも、はあ。

但馬皇女の夫は、この当時、太政大臣の座にあった人なのでした。

相手である穂積皇子の気持ちなどに、今日はまったく触れていませんが、ひめみこが突っ込んで行っただけでなかったことが。

彼の方にも、辛いだけの恋の果てに隠遁させ、一人ぽっちで死なしめてしまった皇女のことを、つよく思っていたことを偲ばせるうたがあります。

それも私の好きな一首で、胸を締め付けられるような男のうた、次回に書かせていただくことにします。





・・・・・。

前記事の最後近くにいただいたコメントの中、今上の御製について触れられた部分があり、それに関連してわたし、秋篠宮殿下の今年初頭の歌会始の儀の詠草も読みなおしたのでした。


山腹(さんぷく)の野に放たれし野鶏(やけい)らは新たな暮らしを求め飛び行く

どんな思いのもとに詠まれたおうたなのでしょうね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


以下の新築工事の件、これが何なのかが私にはわかっていませんので、どうしようか迷ったのですが。

一応、取り上げておこうと考えました。

赤坂御用地秋篠宮邸付属棟

http://www.kensetsu-databank.co.jp/osirase/detail.php?id=41063

届出日

2016/11/25

件名

赤坂御用地秋篠宮邸付属棟


地名地番

東京都港区元赤坂2

住居表示

東京都港区元赤坂2

主要用途

その他(住宅)

工事種別

増築

構造

鉄筋コンクリート造

基礎

直接基礎

階数(地上)

3 階

階数(地下)



延床面積

1352.42 ㎡

建築面積

554.99 ㎡

敷地面積

501794.9 ㎡

建築主

宮内庁

建築主住所

東京都千代田区千代田1-1

設計者

株式会社日建設計一級建築士事務所

設計者住所

東京都千代田区飯田橋2-18-3

施工者

未定

施工者住所

着工

2017/02/01

完成

2018/04/30

備考

住宅

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今年2月に着工、来年4月に完成予定。


・・・次回からしばらく、万葉集のうたの中から好きなものを取り上げて、書いてみたいと考えております。

妖怪変化魑魅魍魎。嘘つきやドロボーなどの写真とかは、もうたくさん。ゲップ(失礼)という感じになってしまっておりまして。

よろしければKUONといっしょに、おたのしみ下さい。と、申しあげます。




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Author:KUONの久遠
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しんしんと肺碧きまで海の旅

             篠原鳳作


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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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