KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

夢みたものは

 夢みたものは… 
  
                                     立原道造                                                           


夢みたものは ひとつの幸福(しあはせ))

ねがつたものは ひとつの愛

山なみのあちらにも しづかな村がある

明るい日曜日の 青い空がある



日傘をさした 田舎の娘らが

着かざつて 唄をうたつてゐる

大きなまるい輪をかいて

田舎の娘らが 踊りををどつてゐる



告げて うたつてゐるのは

青い翼の一羽の 小鳥

低い枝で うたつてゐる



夢みたものは ひとつの愛

ねがつたものは ひとつの幸福

それらはすべてここに ある と


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・b020900020110213120251.jpg



なんやかやと経験して来て、いつしかに汚れっちまった悲しみに、ふともエエンと泣きたい時だってありまする昭和仕様の二人でした。

今日、ぴいちくぱあちくと午後いっぱい、喋っておりましたのは。

上に掲げましたのは、話題の一つであった詩人、立原道造のソネット。

ソネットとは、そうですね、十四行詩のことです。

この詩の場合、上から4行、4行、3行、3行。合わせて14行です。

立原は大正3年生まれ。13歳の頃に北原白秋の教えを受けることになり、東京帝国大学を卒業して、建築技師として仕事に就いた。

洋々たる前途に恵まれた青年だったはずなのでしたが。

肺尖カタルを患い、入院生活を余儀なくされるなかでも、献身的な恋人の看取りを受けられたのでしたが。

あの時代に詩集「優しき歌Ⅱ」だって出版されたのでしたが。

当時、肺の病は、多くの若い人々の命も未来も容赦なく奪って行ったものでした。

この詩人も、病に勝てず、夭折してしまいました。

この「夢みたものは」は、安静にしているしか無い病身を横たえる病院の窓から見た、健康的な牧歌的な光景だったのです。

たった24歳で、立原道造の一生は、終わってしまったのでした。






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ただありあけの

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万葉集に限定せず、で。夏のうたをまた少し、味わわせていただきます。



夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

   なつのよは まだよひながら あけぬるを くものいづこに つきやどるらむ

                   清原深養父  「古今和歌集」 「百人一首」36番


清原深養父は、「枕草子」の清少納言の曾祖父にあたる人です。養父は「やぶ」と読みます。

「古今和歌集」「後撰和歌集」に多くのうたが選ばれており、琴の名手としても名高く、芸術愛好のひとであったと。いずれこのヘタレブログにも登場なさると思いますが(敬語(笑))、紀貫之(きのつらゆき)と親交が深かったそうなのでした。

忘れてしまいそうですので記しておきますが、この「紀」の文字ひともじの姓は今に続いていて「きぃ」さんと呼ぶ。その流れのお一人の「紀」さんも、今はもうおられませんが、うたをたのしまれていました。

夏の夜は、まだ宵かと思っていたのにもう明けてしまったようだ。と、夏の夜の短さが表現されている。

空の雲のどこに、月は宿っている…眠っているのだろうね、と思いを馳せているこの月は、中天に、鮮やかに美しく照っていた月だったのでしょうね。

この一首も、月に女性の面影をからめて「恋のうた」とも読めます。夏の短か夜は、もの思いの深さのゆえかとも。




風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける

   かぜそよぐ ならのおがわの ゆふぐれは みそぎぞなつの しるしなりけり

                   藤原家隆(従二位家隆) 「新勅撰和歌集」「百人一首」98番


京都の上賀茂神社を流れる「ならの」小川、夕暮れとなっているいまは、風がそよいで既に秋めく感じもあるけれど。

この「夏越しの祓(なごしのはらい)」をしていることが、まだ夏である証拠なのですね、とうたっています。

季節の先取り(先感じ?)、現代ではモードの世界もそうですが、言葉あそびを楽しんだこの方々の特徴のひとつでもあるようです。

夏越の祓は、全国あちらこちらの神社で今も受け継がれている行事です。上賀茂のそれは、毎年、モノクロではありますが写真入りで新聞が伝えます。祓い=はらい、を、はらえ、とも言うようです。

作者の藤原家隆は、「新古今和歌集」の選者の1人であり、あのあまりにも 名高い藤原定家とは、従兄弟であり友人でもありました。

定家については、これもまた、いずれミジンコブログにもお出まし下さるでしょう(敬語。(笑))。




ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる

   ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる

                   藤原実定(後徳大寺左大臣) 「千載和歌集」「百人一首」81番


ほととぎすは、時鳥とも杜鵑とも不如帰とも表記されます。

万葉集から古今和歌集にかけてホトトギスを詠んだ歌は沢山あり、特に古今和歌集には多くが選ばれています。

夏を知らせる鳥だというだけでなく、抒情的な鳴き声が(聞いていただけなくて残念ですが)ひとの、思慕の情をかき立てるなどされていました。

ホトトギスの最初の声を聴くために、何人かで夜通し待ったとの解説もされる、風流なうたです。一人で待ったと読めばまた、感じ方が違うのでないかと思います。


ホトトギスが鳴いたと思ってそちらを眺めてみると、そこに鳥の姿はなくて、ただ有明の月が残っているだけでしたよ。


「ほととぎす」が、単に鳥のホトトギスであっても、どなたか髪の長い姿の人であっても。

さほどの強い思い込みは無く、どこかとぼけた味わいがあると、私は感じるのですが。

作者の藤原実定は、詩歌のみならず今様・神楽・管絃の名手であり、蔵書家としても知られる才能豊かな人でした。叱られるの承知で書きますと、完璧な貴族の一パターンを極めた人というか。極めたところは凄いです。

この後徳大寺左大臣・藤原実定は、平家が隆盛を誇る時代の左大臣でした。その当時の高級官吏。平家にあらずんば人にあらずとされた時代の、左大臣。

「源平の合戦」の後、鎌倉幕府が開かれる直前まで生きた人です。平家の隆盛から滅亡までも見たひとです。

諸行無情。

諸行無常。

そんな念も、胸ふところにほとほとと抱きながらの晩年だったのでしょうか。



啄木のうた




詩の言葉をじゃぶじゃぶ浴びて、ぼおっとした、たら~んとした(これはこれで問題ありですが)わたしに、帰ろうと思うのです。

                            

石川 啄木のうた

1.1 秋立つは 水にかも似る洗はれて 思ひことごと新しくなる

1.2 浅草の 夜のにぎはひにまぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心

1.3 浅草の 凌雲閣のいただきに 腕組みし日の長き日記(にき)かな

1.4 朝はやく 婚期を過ぎし妹の 恋文めける文(ふみ)を読めりけり

1.5 新しき インクのにほひ栓抜けば 餓ゑたる腹に沁(し)むがかなしも

1.6 新しき 本を買ひ来て読む夜半(よは)の そのたのしさも長くわすれぬ

1.7 あたらしき 心もとめて名も知らぬ 街など今日(けふ)もさまよひて来ぬ

1.8 あまりある 才を抱(いだ)きて妻のため おもひわづらふ友をかなしむ

1.9 あめつちに わが悲しみと月光と あまねき秋の夜となれりけり

1.10 雨降れば わが家の人誰も誰も 沈める顔す雨霽(は)れよかし

1.11 あらそひて いたく憎みて別れたる 友をなつかしく思ふ日も来ぬ

1.12 石をもて 追はるるごとくふるさとを 出でしかなしみ消ゆる時なし

1.13 いつか是非、出さんと思ふ本のこと、表紙のことなど、妻に語れる。

1.14 何処(いづく)やらむ かすかに虫のなくごとき こころ細さを今日もおぼゆる

1.15 いつしかに夏となれりけり。やみあがりの目にこころよき雨の明るさ

1.16 一隊の 兵を見送りてかなしかり 何ぞ彼等のうれひ無げなる

1.17 いつなりけむ 夢にふと聴きてうれしかりし その声もあはれ長く聴かざり

1.18 いのちなき 砂のかなしさよさらさらと 握れば指のあひだより落つ

1.19 今は亡き 姉の恋人のおとうとと なかよくせしをかなしと思ふ

1.20 薄れゆく 障子の日影そを見つつ こころいつしか暗くなりゆく

1.21 うっとりと本の挿絵(さしゑ)に眺め入り、煙草(たばこ)の煙吹きかけてみる。

1.22 縁先にまくら出させて、ひさしぶりに、ゆふべの空にしたしめるかな。

1.23 おそらくは 生涯妻をむかへじと わらひし友よ今もめとらず

1.24 己(おの)が名を ほのかに呼びて涙せし 十四の春にかへる術(すべ)なし

1.25 親と子と はなればなれの心もて 静かに対(むか)ふ気まづきや何(な)ぞ

1.26 鏡屋の 前に来てふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも

1.27 かくばかり 熱き涙は初恋の 日にもありきと泣く日またなし

1.28 かなしきは かの白玉(しらたま)のごとくなる 腕に残せしキスの痕(あと)かな

1.29 かなしきは 喉(のど)のかわきをこらへつつ 夜寒の夜具にちぢこまる時

1.30 かにかくに 渋民村は恋しかり おもひでの山おもひでの川

1.31 かの時に 言ひそびれたる大切の 言葉は今も胸にのこれど

1.32 君に似し 姿を街に見る時の こころ躍りをあはれと思へ

1.33 今日もまた胸に痛みあり。死ぬならば、ふるさとに行(ゆ)きて死なむと思ふ。

1.34 薬のむことを忘れて、ひさしぶりに、母に叱られしをうれしと思へる。

1.35 こころよき 疲れなるかな息もつかず 仕事をしたる後(のち)のこの疲れ

1.36 こころよく 春のねむりをむさぼれる 目にやはらかき庭の草かな

1.37 こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ

1.38 古文書(こもんじよ)の なかに見いでしよごれたる 吸取紙(すひとりがみ)をなつかしむかな

1.39 児を叱れば、泣いて、寝入りぬ。口すこしあけし寝顔にさはりてみるかな。

1.40 先んじて 恋のあまさとかなしさを 知りし我なり先んじて老ゆ

1.41 さりげなく 言ひし言葉はさりげなく 君も聴きつらむそれだけのこと

1.42 しっとりと なみだを吸へる砂の玉 なみだは重きものにしあるかな

1.43 死ぬまでに 一度会はむと言ひやらば 君もかすかにうなづくらむか

1.44 しらしらと 氷かがやき千鳥なく 釧路の海の冬の月かな

1.45 水晶の 玉をよろこびもてあそぶ わがこの心何(なに)の心ぞ

1.46 すこやかに、背丈のびゆく子を見つつ、われの日毎にさびしきは何(な)ぞ。

1.47 すずしげに 飾り立てたる硝子屋(ガラスや)の 前にながめし夏の夜の月

1.48 砂山の 砂に腹這ひ初恋の いたみを遠くおもひ出づる日

1.49 寂莫(せきばく)を 敵とし友とし雪のなかに 長き一生を送る人もあり

1.50 そのかみの 愛読の書よ大方は 今は流行(はや)らずなりにけるかな

1.51 大海に むかひて一人七八日 泣きなむとすと家を出でにき

1.52 大という 字を百あまり砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり

1.53 ダイナモの 重き唸(うな)りのここちよさよ あはれこのごとく物を言はまし

1.54 高きより 飛びおりるごとき心もて この一生を終るすべなきか

1.55 ただひとり 泣かまほしさに来て寝たる 宿屋の夜具のこころよさかな

1.56 ただ一人のをとこの子なる我はかく育てり。父母もかなしかるらむ。

1.57 たはむれに 母を背負ひてそのあまり 軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず

1.58 茶まで断ちて、わが平復を祈りたまふ母の今日また何か怒れる。

1.59 ぢりぢりと、蝋燭(らふそく)の燃えつくるごとく、夜となりたる大晦日かな。

1.60 つくづくと 手をながめつつおもひ出でぬ キスが上手の女なりしが

1.61 東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる

1.62 遠くより 笛の音きこゆうなだれて ある故やらむなみだ流るる

1.63 時ありて 子供のやうにたはむれす 恋ある人のなさぬ業(わざ)かな

1.64 何処(どこ)やらに 若き女の死ぬごとき 悩ましさあり春の霙(みぞれ)降る

1.65 友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ

1.66 何もかも 行末の事みゆるごとき このかなしみは拭(ぬぐ)ひあへずも

1.67 寝つつ読む本の重さにつかれたる手を休めては、物を思へり。

1.68 はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし) 楽にならざりぢっと手を見る

1.69 放たれし 女のごときかなしみを よわき男の感ずる日なり

1.70 春の街 見よげに書ける女名(をんなな)の 門札(かどふだ)などを読みありくかな

1.71 春の雪みだれて降るを熱のある目にかなしくも眺め入りたる。

1.72 ひでり雨 さらさら落ちて前栽(せんざい)の 萩のすこしく乱れたるかな

1.73 ひと塊(くれ)の 土に涎し泣く母の 肖顔(にがほ)つくりぬかなしくもあるか

1.74 病院に来て、妻や子をいつくしむまことの我にかへりけるかな。

1.75 二三(ふたみ)こゑ いまはのきはに微かにも 泣きしといふになみだ誘はる

1.76 ふるさとの 空遠みかも高き屋(や)に ひとりのぼりて愁(うれ)ひて下くだる

1.77 ふるさとの 父の咳する度たびに斯(か)く 咳の出づるや病めばはかなし

1.78 ふるさとの 訛(なまり)なつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく

1.79 ふるさとの 麦のかをりを懐かしむ 女の眉にこころひかれき

1.80 ふるさとの 山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

1.81 ふるさとを出いでて五年(いつとせ)、病をえて、かの閑古鳥を夢にきけるかな。

1.82 燈影(ほかげ)なき 室(しつ)に我あり父と母 壁のなかより杖つきて出いづ

1.83 ほとばしる 喞筒(ポンプ)の水の心地よさよ しばしは若きこころもて見る

1.84 頬につたふ なみだのごはず一握の 砂を示しし人を忘れず

1.85 まくら辺に子を坐らせて、まじまじとその顔を見れば、逃げてゆきしかな。

1.86 水潦(みづたまり) 暮れゆく空とくれなゐの 紐を浮べぬ秋雨の後(のち)

1.87 胸いたむ日のかなしみも、かをりよき煙草の如(ごと)く、棄てがたきかな。

1.88 目になれし 山にはあれど秋来れば 神や住まむとかしこみて見る

1.89 ものなべて うらはかなげに暮れゆきぬ とりあつめたる悲しみの日は

1.90 やはらかに 積れる雪に熱てる頬を 埋づむるごとき恋してみたし

1.91 やはらかに 柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

1.92 山の子の 山を思ふがごとくにも かなしき時は君を思へり

1.93 夢さめて ふっと悲しむわが眠り 昔のごとく安からぬかな

1.94 よりそひて 深夜の雪の中に立つ 女の右手(めて)のあたたかさかな

1.95 わが恋を はじめて友にうち明けし 夜のことなど思ひ出づる日

1.96 わがこころ けふもひそかに泣かむとす 友みな己(おの)が道をあゆめり

1.97 わが妻の むかしの願ひ音楽の ことにかかりき今はうたはず

1.98 わが庭の 白き躑躅(つつじ)を薄月の 夜に折りゆきしことな忘れそ

1.99 わかれ来て 年を重ねて年ごとに 恋しくなれる君にしあるかな

1.100 わかれ来て ふと瞬(またた)けばゆくりなく つめたきものの頬をつたへり

1.101 わかれをれば 妹(いもと)いとしも赤き緒(を)の 下駄など欲しとわめく子なりし





都を遠み

采女の袖吹きかえす明日香風都を遠みいたづらに吹く

   うねめの そでふきかえす あすかかぜ みやこをとおみ いたづらにふく

                                    志貴皇子   51


広い一面の野原です。

はるかに見渡せるのは、山、なだらかなやさしい起伏の山ばかり。

采女の袖はゆったりとしている、采女の裾もゆったりしている、向こうの方から一直線に、さああっと。

さああああっと、吹き渡って来る風に。

采女の裳裾がひらひらとなびく、采女の袖が風にひるがえって流れる。

采女のふくよかなうりざね顔がしばし、舞い上がり翻った袖に、隠れます、また、まみえます。

明日香。ひろい広い野の、そのただなかで。



志貴皇子は、天智天皇の七番目の皇子。

うたの情景は、すでに都が移ってからっぽになってしまった明日香の地へ、戻った折りの皇子が、過ぎ去った日の、あいしていた采女の姿を想い、今は何も無いそこへ彼女を立たしめて、詠まれたものとされています。

この一首のなかの采女は、実在でないもの。幻の女性。そして、うたの情景が鮮やかゆえにそうであるゆえに、まことそのような女性が在るごとく、在ったごとくに思わせる、想像させるのではないかと。

さやさやと草原のなびく一面の野原。

太古のむかしからそこにあり続ける稜線のやわらかな山々。

風をはらんでひらはらと揺れる若い采女の衣裳、采女の目は遠い青い空の上の、どこを何を見ているか。


有名な一首で、大好きなうたのひとつです。

志貴皇子については過去に書いたこともありますが、ここにもう少し、書いてみたいです。

少し用が出来たので、後に新たな記事となるかもしれません。





勝手に持ち出さないでね、ミジンコの文章。

古い友人などが、一度書いておけと勧めてくれますし、私が書かなければ自分が何度でもこのブログに来て書くよ。と申します。

家族や友人にブログに出て来られるのは本意でなく(過去に一度だけありました)、わたしはもの申すべき立場でないと思っているのですが、あまりに心配してくれているので、すこしだけ書かせてもらいます。知っていること、心外と感じていることなどを。

何についてかと言うと、まず、あの掲示板にいっとき書き込まれていた「KUONさん」のことを。

私も(も、です。お気に召さないと、誰でもそう言われるようです)どなたかの勝手に仰る〇〇人でなく、普通に日本人です。何百年も前から日本人です。

これ、「わたしはちょうせんじんでない」と言うことは、言うこと自体が差別だと自分で感じているので、あまり使いたくない言葉です。でも仕方ない、今は、本当のこととして、わたしは日本人だと申します。

この〇〇人という言い方と、今はセットになっている感のある「そうか」という言葉。

わたしKUONもそうかである、と。これは明らかに違うと明言せざるを得ないです。私は自分の意識では「日本教」としかいいようの無い、樹にも虫にも月にも神を感じてしまう感性で神さまを 信じている・・というより、その自然の大きさの中で、日々を生かしていただいている人間の一人であると思い、形式としては、朝毎に神棚にお供え物を捧げ、手を合わせ、毎月婚家の墓に詣で、帰途は、ここ数十年ずっと、春日大社へお詣りして返る。そういう人間です。他の宗教である訳がないのです。

ただ。娘が手術を受けた際に、クリスチャンである女性が、彼女のために祈っていいかと申し出て下さったお気持ちは嬉しく、自分はそちらを向く意志は無いがと口に出して後、祈って下さる背後から手を合わせていたことはあります。たいへんありがたかったです。

自分と思想信条は異なっても、やみくもに違うものを攻撃するというのは私には受け入れられないことで、これは「きれいごと」ではないと思っています。

私は、過去に自分のオフ会(こう記しておきます)で、現在ひどい誹謗中傷にさらされておられる女性ブロガーさんとそのお仲間さんの二人の女性に、お会いしました。ぜひ加わらせて欲しいとのことで、あの時はお受入れしたのでした。

お二人とも仕事や家庭やブログ活動を、大事になさっている方々なのだと思います。

ブログも読ませていただいています。私よりずいぶん先輩のようです。正直、気持ちの重なりはあまり感じませんが、学ばせてもらうこともたくさんあります。実名を挙げてご迷惑をおかけするかも知りませんが、それは違う、ということが暴力的な激しさで流布されています、仕方が無い、思うこと書きます。

ふぶきさんは(意味不明のここの読者さんもおいででしょうが)、わがまま親父さんとは一切、何の関わりも無い。ブログの訪問などされているかどうかまでは、知りません。ブログ読みに行くくらい、何の問題でも無い。

ふぶきさんは、親父さんに会ったことは無いと私は断言できます。

ジュゴンさんとおっしゃる方も、無茶苦茶な目にあっておられると感じています。

ご自分のブログに、ご自分の活動や私的なあれこれを書いておられるだけ。私は熱心な読者ではありませんでしたが、お会いしたこともある方ですので、今回のあまりにもな晒され方は酷いの一言に尽きると。政治的な何ものも、あの方には無いと思う。

何より。

彼女は、一個人、私人です。その私人が、アップしている写真のことなどで笑われこきおろされ、あのサイトに於いて

「そんな写真があるのなら誰か貼ってくれ」

などとやられている。

私人です。そこまでやられていいと私には思えません。

私自身、皇室のことにもう触れたくない、と思いを定めるまでは、国民に対して不敬傲岸不遜な皇族たちの写真の、ひどいものも臆さず貼って。こんなことでいいのだろうか、認められますか、と、さんざんやって来た人間です。

とはいえ、替え歌(これは一度ある)、コラの自分で嫌悪を感じものには意識的に触れませんでした。ウソ捏造を自分でしかけた覚えもありません。

なので、そのお前が、と言われる筋合いはありません。してはいけないことが為されている、と。そう言いたい。

言ってみれば皇室のメンバーは、公人です。公人には公人としてのあらまほしい生き方がある。それがなされていない。私は、皇族を、素直に仰ぎたかった。単なる愚かなセレブだと。知りたくなかった。私感ですからどうこう言われたくないです、ここ。

・・・私人にしてはひどい誹謗中傷、あざ嗤われおちょくられ、大切な記念であろう個人のブログへのアップ写真まで引き下げなければいられないようなやられ方。されなくてはいけない理由が無いはずです。それこそ「人権」の言葉が、ここにはまって来るはず。

ふぶきさんもジュゴンさんも、前述したように私のオフ会に来られはしましたが、ぼーっとしていた主催者の私とはほとんど話すことも無いまま別れて以来そのまま。もうお会いすることも無い方々ですが、云われているような方々では無い、ごく普通に普通の日本女性だと確信していますし、カルトの一員の匂いも感じませんでした、断言します。これだけは、お節介でも申し上げたかった。どんな気持ちでおられるかと、平気ではいられませんでした。

カナダのわがまま親父さんも、ひどい目に遭っておられます。

これはどうだろう、と思う事だけ書いても。

毎週教会へ通っている、と何度も書いておられますのにね。なんでそうかなんだか。

親父さんも私人です。カナダ国籍を取得されて・・・つまり、犯罪歴があっては不可能なこと。若い頃のヤンチャぶりを、自身書いておられた、そういうことが爆発的に誇張されたのか、信じられない嘘がばらまかれ、おそらく面白半分にはやされ。写真の顔の部分にコラされ・・・どんな失礼なことかもわかっていないのでしょう、やった方は。自分自身を泥靴で踏みにじられると同じ事です。

私人である親父さんの写真を引っ張り出して勝手なことを言い散らしている。

イジメで死んでしまう子って、こういう風に追い詰められるのかな、と。本気でそう思いました。

今のたとえば親父さんに対するあれは。年齢に対する、実際に年を重ねて皺も出来ている人間に対する、身長だの体型だのに対する、無神経でおそれ知らずのイジメだなあと思っています。

男にも女にも中間の人にも偏見の無い、経験と年齢に洗われ,いぶされた魅力的な人間なのに。

言いたいことはいっぱいあります。が。このへんで辞めておこうと思う気持ちの裏側には、まともな神経と言葉の選択では太刀打ちできないだろうと言う、私自身の、ああまで人のことを無茶苦茶にできる人(たち?中枢部分は単数にも私には思えるのですが)への、本能的な恐怖と・・・恐怖以外には何かな・・・恐怖ですよ、こちら向いて来られたらイヤだなあ、こわいなあ、という、原初的な思い・・・他の言葉は、身を守るため自粛します。

少しだけ、書いてみました。

ここのところ、妙に肩に力の入ったお方から「ddさま読んで下さい」など言って来られないので、気が楽です。読みたければ自分で行って読ませてもらう。あたりまえでしょ。


私は、頑固で意地が強く、誰かにいまさら今の時点で洗脳されたり、ブログの内容をコロッと変えたりするような、素直で扱いやすい人間ではありません。残念やなあ。

喧嘩もキライ。攻撃されるのもするのもイヤ。けど、長い間生きて来て、時にそういうことに巻きこまれたりするかも、の危機管理意識くらいは備えていて。

今日のこの文章ぜんぶ。勝手に持ち出すの禁止します。

小さなへたれブログの主が何を云うかと、笑うやつは笑いなさい。わかったか、〇スども。

ですわ。おほほ。



夏のうた

近代の夏の歌をすこし。

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ときすてし絽の夏帯の水あさぎなまめくままに夏や往にけり

  ときすてし ろのなつおびの みずあさぎ なまめくままに なつや いにけり

                              芥川龍之介



飛ぶ蛍ひかりさびしく見ゆるまでなつはふかくもなりにけるかな

   とぶほたる ひかりさびしく みゆるまで なつはふかくもなりにけるかな

                              樋口一葉



恋するや遠き国をば思へるやこのたそがれの睡蓮の花

   こひするや とほきくにをば おもへるや このたそがれの すゐれんのはな

                              与謝野晶子



蒼玉のしだれ花火のちりかかり消ゆる途上を君よいそがむ

   あをだまの しだれはなびの ちりかかり きゆるとじゃうを きみよいそがむ

                              北原白秋




憧れて君が求めし絽のきもの今日泥まみれ踏みにじられて

   あくがれて きみがもとめし ろのきもの けふどろまみれ ふみにじられて

                               白燁







貴族の若い兄ちゃん

前回の記事の終わりでは、愛妾を若くして失った大伴家持の、悲傷のうたである長歌をご紹介しました。

短歌は五七五七七の調べで詠まれます。基本的に三十一文字。

長歌とは、文字通り長い歌。五音 七音の句を三回以上繰り返し(昨日のうたはそうなっています)、最後に七音の句を添える形式の、これも短歌と同じく、和歌です。

今日いまから記す「反歌」と呼ばれるものは、反対の反でなく、長歌の後に詠み添える短歌をいいます。

かえしうた。以下です。


  時はしもいつもあらむを心痛くい去(ゆ)く我妹(わぎも)か若き子置きて(467)

  出で行かす道知らませば予め妹を留めむ塞(せき)も置かましを(468)

  妹が見し屋戸に花咲く時は経ぬ吾(あ)が泣く涙いまだ干なくに(469)


どんな状況でか、死んで行った我妹=わぎも=家持のカノジョだって、心残りで辛かったんです、「若き子」置きて。

幼い子を残しての死だったのです。

あなたが出て行く・・行ってしまう道を、知っていたなら、あらかじめあなたをとどめ置く=行かせたりしないための=塞を、作っておいたものを。

あなたが眺めた(元気だったころにその花を植えた)屋戸=住まい=に、花が咲いた。時が経過した。私の涙は今も乾かないでいるのに。

・・・家持、かなしく詠んでいます。

もっと詠みました。以下です。

―悲緒(かなしみ)息(や)まずてまたよめる歌五首

  かくのみにありけるものを妹も吾(あれ)も千歳のごとく恃みたりけり(470)

  家離りいます我妹を留みかね山隠つれ心神(こころど)もなし(471)

  世間し常かくのみとかつ知れど痛き心は忍(しぬ)ひかねつも(472)

  佐保山に棚引く霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし(473)

  昔こそ外(よそ)にも見しか我妹子が奥津城と思(も)へば愛(は)しき佐保山(474)



数だけを言うなら、慣れていればうたはつくれます。家持もそうだったでしょう。

うたを詠む、気持ちを形にするって、ちょっと、デトックスみたいな効果もあると思う。

いきなり私事ですが。娘夫婦が、少し前、ドラゴン アッシュのライブに出かけ、喜んでよれよれになって帰宅しました。

古谷 一行の息子、と言う言い方は失礼かな、ケンジさんはもう長くの大スターさん、その方たちのステージを観に行って、一緒にうたうわ席のまま踊るわ、久しぶりの大興奮、明日仕事できるやろかと言いつつニタついている二人でした。二人ともがファン。

二十年くらいむかしに、初めてラップという音楽を聞いた時。

これ、和歌の長歌だよね、どんどん積み重ねて行く言葉、リズム、韻を踏みながら。

・・・と感じたのでした。

家持は沢山うたをつくれる人だった。

幼い子を置いて逝かねばならなかった自分の女を、愛しんで悲しんで詠んだ。

その子のその後は、全く知られていません。子を持った気分にはなれなかったのか。

愛妾だった女の奥津城・・墓は、佐保山につくったようです。

自宅に近い、いつでも詣りに行けるあたりだったでしょうか。


でも、家持は、けっこうほどなく、死んだ女の前に通っていた「坂上大嬢」との関わりを取り戻そうとうごき始めたのであり。

大嬢は、家持のカノジョのことを知らなかった訳もなく。

すぐにはハイハイと寄り添えなかったと思います。と、今夜は、このあたりまで。


貴族の若い兄ちゃん。何をするにも心脅えは無かったのかも。

うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒く偲ひつるかも(465)

そうはいっても、この一首はすばらしいと思います。世の無常を底の方で知っている、感じている。そんなあたりが。




蝉時雨

暑い日が続きます。

わが家の裏庭の一部には、そのころ、蝉の幼虫がどっさり眠っていました。それを知らずキュウリの苗を3本、植えつけようとして、丸まっている幼虫群を発見。大げさではありません、いっぱいいたのです。

あらゴメンごめんと謝って、土を戻して覆いかぶせ、キュウリは、離れたあたりに植えました。

あの蝉たちなのでしょうか。

庭で、ぎゃんぎゃん鳴いています。蝉がぎゃんぎゃん鳴くわけが無いのですが、とにかく。

いっときも休まず鳴いています。

のど、乾かないのかなあ、など、今日はヒマなので、呑気なことを考えています。

婚活中なのですよね、今年生まれの蝉たち。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


万葉集に、犬をうたったうたは数首しかありません(私が知る限りは)。猫のうたは無いようです。

蝉のうたは、見つけることができました。


  石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ

     いわはしる たきもとどろに なくせみの こゑをしきけば みやこしおもほゆ

                                3617 大石蓑麻呂


作者は遣新羅使の一員。安芸の長門(現・呉市)で、久しぶりに陸地にあがって。

山中での宴のひととき、豊富な水量の瀧、蝉しぐれ、したたる緑の中で、不意に郷愁を覚えたのでしょうか。

離れて来た奈良の都。懐かしい寧楽の都に、思いを馳せたのでしょう。

帰れるかどうかさえ分からない、当時の新羅への旅の途次で。

うたとしては特徴の無い、ありがちなうたですが、だからこそ、誰の気持ちにも添いやすい思いの一首と思います。


もう一首。

これは万葉集でなく、数百年くだった鎌倉時代のうたです。


  降るほどはしばしとだえてむら雨のすぐる梢の蝉のもる声

     ふるほどは しばしとだえて むらさめの すぐるこずゑの せみのもるこゑ

                                   藤原為守娘


藤原為守は、冷泉家の祖。いちばんはじめのひとです。このうたの作者は、その為守の娘。そのままの呼ばれ方で、1000年後の今に一首のうたを残しています。

いっとき激しく降って止み、また降って止む、村雨。

雨の間は声は途絶えているが、止めばたちまち今度は、いずれの木からも、わんわんと蝉しぐれ。

蝉時雨。日本の夏の情景、今も変わりません。

・・・日本人のこころは、大きく変わったのか。

変わったような、そうでもないような。

険しい言葉の大量シャワーに触れてしまうと、気持ちが沈みます。


どんな女性だったのか、どんな気持ちで詠まれた一首だったのか、まったくわからないけれど、うたは残り。

冷泉家もいま、うたの家として残っておられます。


小松が下に立ち嘆くかも


君に恋ひいたもすべなみ 楢山の小松が下に立ち嘆くかも

  きみにこひ いたもすべなみ ならやまの こまつがしたに たちなげくかも

                                          539



昨日に続き、笠郎女のうた。

大伴家持の邸宅跡は、今では春になると桜並木がみごとに美しい佐保川あたり。平城宮跡の外側。長屋王の邸宅跡もこのあたりです。

長屋王の邸宅跡には「そごう」ができ、そのそごうはいけなくなってイトーヨーカドーが後に入り、そのヨーカドーも、もうすぐなくなるとか。

地図の読めないワタシが書くとどうしようもない(すみません)、そこからすこし離れて佐保姫伝説のある狭岡神社の参道に、上記のうたの歌碑が建っています。

・・・あなたが恋しくてどうしようもなくて、ならやまの、小松の下に、立って、わたしは嘆いています。

そういううたです。

楢山は奈良山であるとして・・奈良の、北の方の山、ですね。楢の木がうたにする時に目についたのかな。そして「小松の下」というのは、そういう名前の松や地名があるのでなく。木の下に立って、待つ。

「小松」と「待つ」とをかけてあって、とにかく待った、待っていたのよ、ということでしょう。

思い詰めて。期待して期待破れて、待つ。ただ、ただ、待っていたのか。

電話もスマホも無い時代、(おそらく)人目を忍ぶ、人目はばかる乞いであったから、誰かに伝言をたのむのも難しく。

それでも恋のさなかでもあって、男の方にも同じ程度の「気」がある時期や状況なら。

いついつどこで、と、約束をして、それを違えずに行けば会える、ともなるのですが。

女性の気持ちは逸っていても。この場合、相手はそうでないので。

郎女の方が、約束も何もしていなくて、でも会いたい一心で、ただ、待ち続けることだってあったのでしょう。

今日はきっとあの人は中へあがるはず、このあたりを通るはず、で、ここにいれば会えるはず。

そんな思いで待ったかも知れず。

対して男は、通りがかろうとして、そこに、一途な目をした女が立ち尽くしていれば。

うわあ嬉しい、たったと走ってぎゅううう、ハグ、とかなってくれればいいけれど。

うひゃ。いる。どんだけ待っているのだろう、約束していないし、この頃は、会うと、気持ちが離れたのかとかもっとこちらを見て、とかの押し問答ばかりで。コワイ顔するしすねるし膨れるしイヤミ言うし。。

正直、楽しくないんだよね~。

などの思いが駆け巡って、その場をそーっと離れて、違う道から。とか。

気が削がれたから、あっちのあのコのとこへ行っちゃお、とか。

そんな風な具合だったのかも知れません。男の身は、やはり、自由です。


笠郎女は、そんなに身分の高くない家の娘、からだを使ってキリキリと働いていた女性だったような。

家持は名家の息子で。少納言だったりして、いわゆるエリートでした。政治的には苦しい立場でもあった・・ごめんなさい、こっちの観点からは詳しくないのです、家持に関してはただ、ただ、和歌の血筋の良さの方から見てしまっています私。

二十歳は越えていたのでしょうか、互いに。

ふたり。

どういうことでか知り合って、付き合いが始まって、女性の方からの思いが勝って多くのうたが生まれて。

男の方はそんな、積極的でもなかった、としか考えられないのです、こういったことのバランスは、絶体と言えるくらい、片側に傾くものであって。

思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我は死に還らまし

   おもふにし しにするものに あらませば ちたびぞわれは しにかへらまし

                                       603


恋が苦しくて死んでしまうようなことがあるなら。恋で死ぬようなことがあるならば。

わたしは、千度でも死ぬでしょう、この叶わぬ恋の苦しさに。何度でも、千度でも。

・・・

家持の付き合った女性にはうたの才能のある女性も何人もいました、その中で最も才能のあったのは、この笠郎女、というのが定説になっています。家持自身がそれをわかっていて、彼女のうたを二十九首も万葉集に入れているのです、才能は認めていた・・・別れて後のことではありますが。

歌才に恵まれた笠郎女は、とうぜん、自分のうたの演出もしたと考えます。しようと思わなくてもしてしまう、それも、表現する人間の特質だと思っています。数年間のことだった家持とのことが、本当に、終わってしまって。

前回の「餓鬼の後に・・・」の一首で爆発した郎女。

恋しい男の気持ちは、どう激しく詠んでみても、郎女の方には来てくれなかった。つれなかった男は、つれない二首を、贈ってはくれました(今はそれを引きません)。で。

私感ですが。郎女の気持ちは案外、最後は、すっきりさっぱりではなかったか、と。

あ~あ、終わった、しんどかったぁ。恋なんぞすると疲れ果てるわ、消耗するわ、眠れなかったからお肌も荒れてしまった、あの男は通ってくれなかったし。あ~あ、淋しくない訳ではないけど。さびしいけど。胸、痛いけど。

もう。もうもう、どきどきハラハラ、朝も夜もあの人のことばかり、考えて暮らすことも無くなったんだわぁ。

思いは痛みになって残っても。やり切りました郎女さん。

新しい何かに、向かって行けたのではないか…など思うのは、すでに恋するに現役でない今のKUONだから、なのかもしれません(笑)。

・・・

すこし郎女から離れて、若い日の、みずみずしい若者・家持のうたを、一首。

   ふりさけて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも

       ふりさけて みかづきみれば ひとめみし ひとのまよびき おもほゆるかも

                                     994


ふりあおいで空に光る三日月を見れば。

一目、あの時に見た。あの人のあの。

ほっそりと美しかった眉が思われます。美しいひとでした。

・・・おおどかな、清廉ないろけのある一首と思います。


相思はぬ人を思ふは


相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づくがごと

   あいおもはぬ ひとをおもふは おほでらの がきのしりへに ぬかづくがごと

                                608  笠郎女 (かさのいらつめ)

思ってもくれないひとを思うなんて、大寺の餓鬼像を後ろから拝むようなものだわ。

こういううたです。うたの前には「こんなにも私があなたを思っているのに」という思いがあり、ああそれなのに、思いを返してくれないあなたを思い続けるなんてアホらし、もう腹立った、それってつまり、どうでもいいような意味フメーなあんな、餓鬼の像を、しかも後ろから、きったないおシリの方から拝むみたいなものよ、きーっ。

こういう感じでしょうか。ブチ切れています、郎女(いらつめ)さん。


・・・今日は、但馬皇女、穂積皇子の後ですので、歳の離れた異母弟にツマの一人をさらわれてしまった(初めからそんなつもりもあったがあれこれあって単に取られちゃった感じになった)、但馬皇女の夫、穂積皇子の長兄であった「高市皇子」について書くのかなワタシ、という雰囲気だったのですが。

急遽変更。

万葉集の中でもファンが多く、共感する女性も多いこの一首、1300年も前の恨み節を取り上げることになりました。

郎女を怒らせた・・・あまりにも悲しみの大きかった恋が激怒に至ってしまった、この相手の男性は、大伴家持。

万葉集の編纂者、大歌人でもある、家持です。

家持には十数人のおんながいた。うたがのこっていたりうたに詠まれたりしただけでこの数(多分)。表に現れていない女性たちは、別の話になります。よね。

この郎女は、その中の一人です。一人で、一気に24首ものうたを取り上げてもらっている女流歌人でもあります。そんな例は実は、他にありません。

集全体では29首も取り上げられている、有数の万葉歌人なのです、彼女は。

ひとりのひとを、恋しい恋しいとひたすらに思い詰め、すぐれたうたに詠みあげていった若い女性。


なんで今回、いきなりこの「餓鬼のしりへに」について書いているのか。

成り行きです、言ってみれば。

私の住まいにほど近く、タクシーなら1000円でお釣りの来るあたりに、京都や橿原神宮方面へ出かける時に利用する小さな駅があります。

その小さな駅に、昨日か一昨日だったか、京都から帰って来た私は出迎えを頼んでおり、早めについた迎えの者は、駐車場に車を停めて、店の中に入って小物を買っていた(やたらリアルですが)。私は、待つ間そうだと思いついて、まさしく「そこ」にある、万葉歌人の歌碑を、久しぶりに眺めたのでした。

フツーにそこに存在していて、近所の人や通勤通学に駅を諒する人々は、見向きもしない。観光客のうちでも、興味のある少数の人以外は気づきもしない、笠郎女の歌碑。自然石にうたが彫られています。

相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づくがごと

   あいおもはぬ ひとをおもふは おほでらの がきのしりへに ぬかづくがごと


以前に書いたように、当時は今のように漢字ひらがなを混ぜての表記でなく。独特の万葉文字でうたは書かれ、それが読み解かれて、現在読めるうたになっている。簡単に言うとそうです。ですから、この一首も、

「。。。の後にぬかづくがごと」

になっていたり

「・・・のしりへに ぬかづくごとし」

になっていたり、します。

奈良には歌碑が多い。ものすごく多いです。

この郎女の父である? とされる「笠金村」の歌碑も奈良公園に近い方にありますし。

今日は激しい怒りのうたに触れました。

彼女は、苦しい辛い恋のさいごに、叩きつけるようにこの一首を詠み、この地を離れた。恋しい男の傍から遠ざかった、と言われています。

明日は、この郎女の、せつない、心のふるえるようなうたについて。まったく違ううたの作者でもあった彼女について、書きたいと、いま、考えました。

眠くなりました。

されば今宵は。いざ、さらば。

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としどしに わがかなしみは ふかくして 

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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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