今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

恥ずかしく悲しく腹が立つ・追加あります

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向かって右端におられる王太子妃。

隣りの男性と同じく、腕組みしておられる写真もあります。

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この、もれなく侮蔑カラー、の空気を読めず気づいていないのは、ナルさんだけ。カラーがあからさまでびっくりします。

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彼を知る多くの人が  おそれていた  楽しみにしていた、いや  こころ傷めていた  いやあの、待ちわびていたシーンが。

デンマークで遂に見られ。

ヤフオクのあの容疑者? のカメラの構え方?? はあ、それもありますが。

風にいたぶられる、風に明かされる、日本の皇太子殿下の、おつむ事情。中身はとっくにバレている。

ハムレットのモデルのお城にも行ったらしいです。

「生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ」

根暗な王子、ハムレットのつぶやき、ナルに当てはめてみたら・・・そりゃ、それは・・。


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帰って来てしまわれました。


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貴賤結婚のあげくに生まれたのは、女の子一人。

内親王は一人のはずなのに、こういう具合にとりどりに揃えて連れまわして平然、なことだって、ヨーロッパの王族たちは、日本人より確かに詳しく知っています。

おつむの内外に問題ありというだけでは、あそこまで侮蔑的な態度で、日本の皇太子を遇さないでしょう。

あり得ないことが平然とまかり通っている皇室。リスペクト望むのは、無理と、わかってしまうのが悔しい。腹が立つ。かなしい。

こうたいし・なるひとしんのう。

バカにされるために出かけて、きっちり、つとめを果たして帰って来た。のかしら。嗚呼。

もう出て行かなくていい、わたしの国を、今以上に貶めるな。

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あちこちへのご案内。

6月21日の記事のコメント欄に、イッサさんが、懇切丁寧細やかに、教えて下さっています。

よろしければどうぞ、参考にさせてもらって下さい。

イッサさん、気ィ使いつつして下さって、何と申しましょう。

ありがとうございます。これです。ありがとう!。


今の思い

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理屈ではない。

清浄なものが欲しい。

私は国民の一人です。

「民草」ではありません。

まっすぐに立って生きていたい国民の一人です。

官庁や宮内庁やほか、そこやここや。

秋篠宮邸の住所まであきらかになっています。

〒107-0051,
東京都港区元赤坂2丁目1-4

官邸
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

宮内庁
http://www.kunaicho.go.jp/mobile/v/info/index.html

自民党
https://ssl.jimin.jp/m/contact-m?_ga=2.14686710.1330592134.1498025958-1758752326.1496234232


メールや電話やはがきや封書や。おそらく。

おそらく受け取る側は、うっとうしく思うでしょう。

面倒くさいでしょう。いいかげんにしてくれと眉をしかめているか。

何せ、人々は「民草」なのでしょう、あちら側の感覚では。

お人よしで騙され易くて流され易くて信じやすくて。真面目に働き人の不幸に涙し人の小さな不幸を指さして笑い、神を畏れ仏に親しみ、清らかなものを見ては目を閉じ首を垂れて尊んだ。

天皇は多くの日本人にとって自然な崇敬の対象であった。


どこの役所がうとんじようと。忙し過ぎて大変な思いをされようと。

まっすぐに受けて仕事をしなさい。ご自分たちの仕事を。

国民は思いを伝えようとしていい。ただ一つ生活者である国民の品位というものを意識しながら。

今まで無かったこと、国民が自らの思いを届けようとするなど。方法を持たなかった、そんな意識も無かった、方法や意識はあっても、日本人としての面映ゆさが、そこまで至らせなかった・・・のだと思う。

遠い昔、遠い国の主婦たちは。

わが子に食べさせるパンが無い。昨日もパンが無かった、明日のパンも無いだろう。そのせつなさが怒りに変わって。

女性たちは向かった、バスティーユへ。何ができるとは思っていなかっただろう、具体的な案は無かっただろう、ただ。

子どもたちにパンを。そんな思いだけが膨らみ切っていた、そんな行進だった。

パンが無いならケーキをお食べ。そう言い放った女は、空腹の辛さを知らなかった、子を飢えさせる苦しみを知らずにいた。仕方が無い、そんな生まれ育ちだから。

・・・もう、そんなソンタクなどする余裕は無い。

バスティーユへ向かった女たちの体中が、膨れ上がっていたのだ、あの年、あの月、遠く離れた国で、あの日。


・・・わたしやあなたには今、方法がある。パソコンがある紙があるペンがある、黙ってはいられない膨れ上がった思いがある。

祭祀をしない天皇に。

天皇である夫を引きずり回す、思い上がって気のふれているその妻に。

いうまでも無い先天的後天的に不出来不遜そのものの次代に。

治外法権を決め込んで出て来もしないで特権のみを貪っている次代の妻に。

これでもかと事実証拠を積み上げてもどうにもならないその周辺の組織の悪辣さに。

日本が、壊されてしまう。

見過ごしていられない思いは、抑圧されて来た歳月に鍛えられて強靭になり、いささかの挫折にはすでに、折れたりはしない。

無力なる民草、ではない、私たちは国民です。私は国民です。

できることをします。

さあ、みんなでしましょう、とは申しません、誘いません、煽りません。でも・・・

黙っていられますか?

私は、する。私の意志で、気持ちで、メールをします、ほか、できることをします。


以前にお願いしたメールのあて先は、記事の進むに従って、後ろの方にながれてしまいました。

再びお願いします。

国民の思いを向けるための宛先を、コメント欄に貼って下さいお願いします。

NHKの犯罪だって看過できません。現在のNHKは、何をしていますか。

多くの方々が、すがるように感じたことを書いておられます、

宮内庁のHPに無いとか。情報が出されていないとか。

逆方向から考えてみれば、それは、国民の知りたい気持ちを、疎んじてのことではないのか。

知らせてやることでもない、とのやり方でないのか。

平成の天皇の(いまも)妻である女は、

「国民の声は雑音だ」と思っているのです。

あのオランダ国王の戴冠式の前に、皇太子なるひと氏の妻である女に向かって

「後のことは気にしないで行っていらっしゃい」

と背中を押して送り出した、結果は酷いものだった、その責任だってとっていない、責任など考えていないのです。後のこととは、国民の怒りです。何度繰り返されているか。自分たち、そして次代だという暗愚の夫婦がしでかして来た国辱行為。

過去に限らない、もうすぐ帰国するナルヒト氏の、デンマークでの惨状も気にしていないでしょう、そういう感性です。

あのひとだけの感性だとも考えられません。

ひろめさせたいことだけをセレクトできる力が、あちらには、ある。


国民の声は、ただ、うるさいのでしょう。

このたびの報道が、もしも、本当でなかったら。

タダでは済まないと、わかっているのでしょうか。黙ってはいられませんよ。それやこれ、考えますと。


秋篠宮家に関しては、さまざま思いもあります。

今のこの話が事実だとしたら。認めたくない云々の感情論でなく。

本人と親が認めている事実であるとするなら。実は何を言うこともできないのではないか、との思いも、強くありました。

多方面から考えました。その思いようだけでも、言葉でつづれば膨大になる気はします。

・・・・おそらく両殿下は、国民からのアプローチを、進んでお受けにはならないのではないか・・・このあたり微妙です・・・

親しい人に、カンペキにj軽蔑されたような気がすること一つ・・・辛い軽蔑をされたんだからと言い訳をして、書くことを自分に許します。

あのお嬢さんのあの日の口元に「恋するくちびる」を感じました。とてもソフトな言い方です。また軽蔑されるのかな、わたし(笑)。

恋は、するものでなく落ちるものである面もありますし、実態よりも大きくふくらませてしまう厄介な面も持っている・・・でも、

黄門さまの印籠みたいに問答無用のもので、あっていい場合、それではいけない場合、が、ありますよね、など、考え込んで堂々巡り。

眞子さまは、(ご本人には)幸か不幸か、公人でいらっしゃるので。

この、あの方(一応ていねいに言っておく)との話は、絶体に、全方向から、ダメです。

ここを起点としてなど、あれこれさまざま、思いを巡らせて後の、いま。

こちらから何か言わせてもらってもいいのではないか、と、結論しました。

受け取られる側の思いをあえてソンタクすることなく。

内親王の結婚ということに対する、国民の側からの気持ちを。

上から降ろされて納得する、といううだけの形でない、実は実際に何をどうすることもできないのである「民草・・自虐を込めて・・」たちの思いを、送ったっていいじゃないか。と。

どんな風にお受け取りになるか、どう処理なさるのか。そんなこと考えないで、だから、心をこめて、叶うならば下品になりませんように。

大切に大切に思うからこその、思いを。

いいじゃないのと、わたしKUONは、考えています。





テレビで。

いま流れていたテレビで、来月8日、内定、記者会見、相手の仕事都合で土曜日に、とか。
後付けで言えば、香淳さまの霊祭へ向かわれる車中の眞子さまの口元にふと、感じておりました。本当なんだ、と。本当なんだと。
ヒンシュクかうかもだけど。そうなんだ、ダメなんだ、本当なんだ、と思い知った。私に理解納得祝福できなくてもね。




アレの息子のコレ。

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まさこは玄関までの見送りだけ。

独りでデンマークへ到着したナルさんを、熱烈歓迎して下さったフレデリック王太子殿下。スーツはくしゃんこ。ね。

この王子さまは、東日本大震災の後に訪日された時、子どもたちの小学校を訪れて、一緒に遊んで下さった方です。

ハンサムで気さくで、優しい感じの方です。でもこのすーつはくしゃくしゃ。

王太子妃は、桜の模様のドレスをお召しで、美しかったです。

ホスト(?)役をつとめたのは、高円宮妃と長女の承子さんでした。

王位継承順位一位の王子さまですから、釣り合いとしてはナル夫婦がお相手するはず・・ではあったのでしたが。

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ナルさんは「皇太子」なのですが。

儀仗礼(ではない?)を受けるのに、ナルたん、赤い絨毯、敷いてもらえなかった・・・。

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「公式訪問」のはずのナルさん。

女王陛下とは、昼餐を共に。



晩餐会ではなかった意味は、はて、なんでしょ。

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デンマークの女王さまとは。

何年か前、ベルギーの元王妃の葬儀に、政府専用機で一人でぶっ飛んで行った美智子さん、その時に。

大変おかしな行動であった日本の皇后さんだったのでした、鼻の下の長いタイプの美智子さんですが、。

写真、向かって右、カラス天狗ヘンテコミテコさんを、何とも言えない表情で眺めている、この。

このお方が、確か、デンマークの女王さま。マルグレーテ女王陛下。

まさか。

「アレの息子のアレが、一人で来てるんだわ」

・・・なんてぇことでは、ありませんよね?



飛天

きのう6月16日(金)は香淳皇后さまが平成12年6月16日に亡くなられた日でした。

霊祭の儀が皇居皇霊殿で行われ、眞子さまがご参列、他には高円宮久子さま、承子さま、絢子さまが参列されました。常陸宮家、三笠宮家は参列せず。

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同日、同時に秋篠宮両殿下は八王子武蔵野東陵をご参拝。

皇太子はいま、単身でデンマークに行っています。一応カップルとして存在するのに、カップルで行動できない現状です。

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かの地でのナルさん。

まさこさんは何もかも欠席です。相撲見物に出て来て以来、どこにも現れていません。



以下 の二人は、その16日、二時間のテニスをお楽しみでした。

夫君の方は、公務にはノージャケットでも、思い出の地でのテニスには、上着をお召し。

暑いやろうに。

夫人の方は、八十歳過ぎてテニス2時間の体力気力。




奈良県の知事が、退位後は奈良に離宮をつくってごゆっくり・・・とか、意味不明のことを口走っておられましたが。

まこと意味不明。来ないでいtだきたい。道路の渋滞もひどいので、来ないで欲しいのが、奈良県民の一、KUONの断固たる拒否の気持ちです。

あそび倒すつもりですかしら。

不動産売買は、最後の契約のハンコを実際につくまでは、安心できないといいます、や~めた、となれば、それで、パー。

あの夫人も、いまどんな気持ちかどうか、ほんとにその時が来なければ一転、奈落かもしれませんね。

天皇と皇后は、皇族の霊祭には参加しないとはいえ。

昭和天皇の皇后様の命日に、テニスはせんやろ、ふつーは。

フツーでないヒトですし、その日だからこそ、今ではいちばんの権力者であるワタクシは、遊んであげるのよ、ざまー、ごらんあそばせ、の気持ちなのかしらん。

おそろしいこと。もう、何もこわいものはない? いや。そこからですよきっと。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

15日に西ノ京の薬師寺に行啓なさった秋篠宮殿下と妃殿下。

仰々しい警備も無く、ひとびとの背後からそっと、法話をお聞きになられて。

来合わせた修学旅行のお子さんたちと、にこやかにお話して下さいました。

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秋篠宮ご夫妻は、奈良市の薬師寺を訪れ、先月完成した「食堂」と呼ばれる建物などを参拝されました。
薬師寺の「食堂」は、奈良時代に、僧侶の食事や仏教儀礼に使われた建物で、中世の戦火などで失われていましたが、当時の伽藍を復興させようと、およそ500年ぶりに先月、再建されました。
15日午後、薬師寺を訪れた秋篠宮さまと紀子さまは、村上太胤管主らの案内で「食堂」を参拝されました。
「食堂」の中には、日本画家の田渕俊夫さんが描いた6メートル四方の「阿弥陀三尊浄土図」が本尊として据えられ、周囲の壁にも仏教伝来などをテーマにした壁画が描かれています。
秋篠宮さまと紀子さまは、「食堂」の完成を祝う落慶法要の写真を見たり、説明を受けたりしながら、仏画をじっくりとご覧になっていました。
秋篠宮ご夫妻は、およそ110年ぶりとなる解体修理が進められている東塔の現場なども視察されたということで、村上管主は、「薬師寺の姿を通して日本の歴史や文化の礎を体感していただくことができたと心から喜んでいます」とコメントしています。


天平2年(730)に建立されたと伝えられる国宝の薬師寺東塔は、約110年ぶりの解体修理が平成21年から進められているのです。解体修理では、瓦、木部、基壇などを全て解体し、地下の発掘調査を実施した後に、傷んだ部分の修繕を行いながら再び組み上げ、平成31年の春に修理が完了する予定。

いまは「覆屋」に覆われて、いっさい見ることのできない東塔。

そのてっぺん、水煙、と呼ばれる部分には、飛天のお姿があるのです。

飛天。飛ぶ、天女。

平成31年の春に修理は完成の予定。となれば、私はもう、薬師寺の水煙の飛天を拝することはできません。んにゃ、まだガッツリ、生きているかなぁ、わかりませんねそれは。

拝せなくなる前に、見せてもらいに行った、行っておいてよかった、と、今も思っています。


凍れる音楽、と、フェノロサの形容した、東塔の水煙。飛天。

でも。

薬師寺での紀子さまの微笑は天女のようだな、と、思います。


雨が来ないね

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この月もおうたをお寄せいただき、ありがとうございました。

自分のブログの行く途について、なにやら思うことあるこの頃ですが。

「みんなのうた」は続けたいなと願っています。

うたは、作り続けていれば形になって来ます。自分はこんなことを思っていたのか、など、びっくりするようなことも。

気持ちの輪郭が見えてくるような。

お金もかかりません。

自分。わたし。それだけあれば。それだけでいい。ちょっと嬉しい。(笑)。

今日はしんきくさいKUONに、すこし、なりましたかしら。


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     KUON の詠める


・紫陽花の木陰に泣いてゐたりし子 泣きたくないと唇(くち)噛みにつつ


     へなちょこ一年生 の詠める


・・・お天気はいいけど、なぜか不快指数が増す日々なので・・  


・涼しげに一人発表する人は 何かのタガが外れて見ゆる

・紫陽花の日に日に青く凛々しくも 雨に打たれる姿美し 
                    
                    (眞子様を想って)

     lavinia の詠める


・・・先日、伊勢神宮を参拝し、京都をぶらぶらしてきました。
あちこちで日本の明るい未来を祈念してきました。

初夏にしては肌寒い京都でしたが、建仁寺の塔頭両足院の、特別公開のお庭は素敵でした。
綺麗なものも見ないと、心がささくれますね。


・双頭の龍描かれし両足院 半夏生の庭に梔子のかほり


     KUON の詠める


・「退位後は奈良に離宮を」ほうら来た利権屋どもが舌先赤く


・あれら来て何をなすらむ「上皇ら関連税」をまず整ふか


・上皇と思はず呼ばず転びても病みても死すもわれには無縁


・天皇とわれは呼ばざりかのナルをこの後も恥をお重ねあそばせ


・陽のもとに見れば浅ましきばかりなり日の本の長と称(よ)ばるる者ら


・かかるがに流され行くか民とふは発表あり実行あり 戦も退位も


・明らかに皇室とやらが消しにける少女あり名を愛子といへり


     イッサ の詠める


・・・夜半ヒーター入れる水無月です


★梅雨も来ぬ夜寒の月見ネコにいうテンノーさんが祭祀せぬから

★ヒータ-を入れてぬくもる水無月の我の祈りは五穀豊穣

★ブータンの浄光浴びて眞子様の姿美し花も盛りに


     白萩 の詠める


・・・先日、日本最強のパワースポットと言われる「みそぎの池」へ参りました。

かの伊弉諾尊が黄泉の国から戻った際に禊をし、天照大神、月読命、素盞嗚尊の三貴子をうんだと言われている場所とのことです。

皇室、日本が正しい姿になるようお祈り致しました。



木道は花菖蒲にぞ埋もれけり
白ワンピースを紫に染む

流水に照り返す陽はキラキラと
我にささやく夏の訪れ

ファインダー越しに捉わるる我が心
何色にか映ゆ君の深き眼に

さっと手を我に差し伸べ足元を
気遣う君のいる有難さ

常ならぬみそぎの池の睡蓮花
高天原の言伝なるか

共に観れば結ばるるらし夏の月
君と並んで観る嬉しさよ


     おてもやん の詠める


・・・六月のうた


〇梅雨明けを待たずに南の島に来て ホテルに籠る雷雨うらめし

〇雷にうたれてしまえ内廷よ 祭祀せぬ者天皇にあらず


     三日月 の詠める


・・・雨好きな子供


幼子の 長靴ピョンピョン 懐かしく
傘と紫陽花 鮮やかなり


     大和屋 の詠める


・・・初めまして。ROM専でしたが参加させて下さい。


⚪︎紫陽花の折り紙探す学童の
いと容易きにマウスあやつる

⚪︎情けなき次代の帝かえりみつ
背筋伸ばして顧客迎えり


     パール の詠める


・・・長く読ませていただいております。

活字中毒でございいますが、文才はございません。
お恥ずかしいうたでございますが、参加させて下さいませ。



⭐水無月に 誕生(うま)れし二人の妃殿下は
 紀は光に 雅は闇に


・・・秋篠宮家弥栄。


     かりそめ(白樺ギライ改め) の詠める


・・・みんなのうた


・ついでよと言いつつくれし守り札紫陽花色の袋も美(は)しく

・たかだかと泰山木は花かかぐ空には雲のひとつだになく

・少年のまなこは翳りやすきかな花嫁薔薇のアーチくぐれり

・海岸に犬の足跡続きをりいきなり海へ入るひとところ

・ブータンの花のベンチに美女ふたり面影ほのと似通いにけり


     momoyuri の詠める


・・・この日をお待ちしていました。


・小麦粉を米粉に替えて一年余日清不買つつがなく履行

・許し得ぬを許せし人を踏みつけて  憲法違反心に刻む

          (本歌・許し得ぬを許せし人の名と共にモンテンルパを心に刻む byお皿)

・伝統を壊しに壊す妻妾に一ミリの知あらば諫めしものを

・民草の批判受ければ女性誌に「吾関与せず」言ったもん勝ち

・異国の空に気品溢るる花の咲く眼福ここに極まれり

・よろこびと言うにあらざる姫様のご婚約リークやはりあの人が?

・偽りの報道数多流るるも怒り悲しみ面にも出さず

・粛々と為すべき事を為さらるるこれぞ無私の御心と思いけり

・一点の明かり灯れるご一家を貶めんとする輩許すまじ

・いつの日か日の本一の姫様の相応しき婚を切に祈り参らす


     アルジェリマン の詠める


・・・空梅雨気味


・君たちが駆けているから飛行機雲 見上げて走るぼくは黒犬

・黒犬はしきりに空の匂い嗅ぐ 何を見ている?何を聞いてる?

・なでられて黒犬の目にキラキラと青空映る私も映る


     わすれんぼ の詠める


・・・先月はパソコンの調子が悪く、更に体調も崩してしまい、
歌会は欠席・・・

なので、下の方に先月分も入っております。



美しき姫ブータンに舞い降りて
我らに見せり皇室外交

小室なるいかがわしき者との縁組を
企む鬼畜御所の妖怪


東宮は口を開けば嘘ばかり
きれいごとならべ実体はなし

父のまね“全身全霊”安っぽく
腹話術師の木偶のごとし


旅先でアキミチ接待の食器見る
豪勢なことこの上もなし

豪勢なあれらの暮らし垣間見て
日頃の思い怒り噴き出す


あそこまでの別人をみな愛子だという
嘘まかりとおる日本恐ろし

内廷が陰謀の巣と化した今
皇室があるその意味を問う

皇室が国民の敵になった日も
万歳叫ぶ愚民は絶えず

おとなしく権威に弱い民だから
偽皇室もご安泰なり


     黒猫アビ の詠める


・・・ここに集う皆様の楽しさにつられ
苦手な歌にまた挑戦^^



・今上のウソの上塗り重ねつつ民草の声聞く耳持たず

・退位して上皇となり血税を湯水のごとく使う目的

・天皇のつとめは祈り指摘され友を使いし不満をかたる

・我儘を貫き通す天皇の神を畏れぬ姿おののく


     KUON の詠める


・秋篠宮両殿下けふ訪ひたまふ薬師寺の前 礼(ゐや)深く過ぐ(15日)

・紫陽花の花抜けて風の来る里を殿下妃殿下まして清けし

・唐招提寺越え薬師寺の前を過ぎ遠回りの道をけふは帰りし

・現実の如何ならむともうた思ひうたに淫して来たる気のする

・約束の一つ秘めをりその日まで今のわれにてありたしと思ふ


     かりそめ の詠める


・暁に目覚めし耳の冴え冴えと遠(をち)に啼き飛ぶほととぎす聴く

・あんなにも緑豊かに暮らせしになどてかこころ腐臭放てり

・憐れやななんと醜き顔こころ皇后よりも上を目指せど

・嘘に嘘上塗りばかり重ねきし醜女なんぞは捨てつちまおう

・皇后になる気まんまん汚きがゴキブリよりも黒き顔して


     たまき の詠める


膿を出せ
民草たちが
今日もまた
わらわらわらわら
日課のメール

名をミテコ
またの名皿婆婆
思うとき
マグマのように
怒(ど)の奔流が

無能とは
皇室にいて
24年
体調の波で
サーフィンすること



来月もお会いしましょうね。

初めての方も、かつて初めてだった方も・・・



水無月 紫陽花 みんなのうた

六月。水無月の「みんなのうた」です。

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三十一文字、みそひともじの、短歌。うたに限らせていただきます。今日十四日からあさって十六日の夜まで.おひとり何首でも何度でも、お寄せください。この記事のコメント欄へどうぞ。

うたを詠むとき限定の名前を設定するのも楽しいですよね。そのたび変えられるのはいかがかと思いますが、違う世界を生きる自分になるみたいで、楽しいかも・・・

基本的にすべて、そのまま、いただきます。

どうぞ、どーぞ!。


てんのう、変わるんだってよ

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ぜんしんぜんれい

ぜんしんぜんれい

全身全零・・・・・





ご立派でいらっしゃいましたよ。ってか。

1460103265988.jpg6月16日は、昭和の皇后、香淳さまの命日。平成12年(2000年)、97歳でご逝去。

その日はわたし予定があって書けないみたい、で、いま少し、取り上げさせていただきます。

その折りの今上の追悼の辞。


崩御を受け、今上天皇は以下の御誄(おんるい:追悼の辞)を述べた。


「明仁」謹んで御母皇太后の御霊に申し上げます。

在りし日のお姿や明るいお声は今もよみがえって日夜心を離れず、思い出は尽きることがありません。哀慕の情はいよいよ胸にせまるものがあります。
ここに、霊柩を殯宮にお遷しして、心からお祭り申し上げます。

   今上天皇   2000年(平成12年)6月29日、殯宮移御後一日祭の儀において



「明仁」謹んで御母香淳皇后の御霊に申し上げます。

昭和天皇の崩御あそばされてより十一年、吹上大宮御所にお過ごしの日々が穏やかにして一日も長からんことを願い、お側近く過ごしてまいりましたが、この夏の始め、むなしく幽明界を異にするにいたりました。
在りしの日のお姿を偲びつつ、櫬殿に、また殯宮におまつり申し上げること四十日、ここに斂葬(れんそう)の日を迎え、葬列をととのえ、昭和天皇のお側にお送り申し上げます。お慈しみの下にあった去りし日々を思い、寂寥は深く、追慕の念は止まるところを知りません。誠に悲しみの極みであります。

    今上天皇   2000年(平成12年)7月25日、斂葬の儀 葬場殿の儀において

こういうものは「ご挨拶」ですので、追慕とか悲しみの極みとか、今上が使っているそういった言葉にも、特に不思議な感じはありません。書かれたのもご本人ではなく。

ただ。知らないことだったからか、「明仁」と名乗っての挨拶であることが、斬新な驚きではありました。

忘れないうちに書いておきます。

まさこは、このご葬儀に「夏バテのようなもの」で、出ませんでした。


晩年の長いあいだ、香淳皇太后は表に出ておいでになりませんでした。

昭和天皇が崩御されてから12年、吹上の大宮御所に、ひっそりと身を養っておられた。報道に際しては「老齢特有の状態」とされたのは、つまり、認知症のこと。それはけっこう早くから患っておられたようです。

実際、加齢に添って現れて来ることであって、隠すことも恥じることでも無いと、私は、思います。

何をどうしてもなさらなければと言うお立場でもない。花を愛で空飛ぶ鳥を愛で、とお過ごしでいらっしゃればよかっただけのこと。日本画、組み紐、書をたしなまれた皇太后さま。

言い方はなんですが、お暮らしに何の不安も無い。そばに何人もの人もおられて、静かな老後をお過ごしであった、と、なればよかったのですが。

いや、事実はそうだったと思います。

腰を圧迫骨折されて歩行が難しくなり・・・どっしりしたお体でしたから、外科的な処置が効いたかどうか・・・自戒をこめて・・・。。

寝たきりのお暮らしでも、すでに周囲への関心も薄れてのことなら、ご本人にお辛い自覚のおありだったかどうか。

介護の手は足りていた。手の足りていない高齢者は大勢おられます。


美智子さんへの反撥から、香淳さまへの過度な持ち上げ方をされる向きがあるように思われ、私は、それに、馴染めない。

激動の生涯でいらした昭和天皇の皇后として、大きなかけがいの無い存在でいらしたのは事実でしょうが。

でも。ごくふつうの「皇后陛下」だったのでは、と、思ってしまうのです。

美智子さんのことは大嫌い、大大大嫌い、そんな呑気なものでなく、捨て置いていいものなのかどうか、歯噛みするような思いを向けていますが、でも少し違うな、ということに、触れたいだけのことです。

美智子擁護、とか、まさか、言われないですよね。いいですけどね。(笑)。あのひと(美智子さん)に、あの頃はそんな力は無かったはず。今は別。

で。その香淳さまが書かれたあるもの、について。


今城誼子に賜る

 苦労をかけて気の毒でした。
大宮様より伺つて居りました通り誠実な人でした事を証明します。
お上の御身を思ひよくお仕へ申し私の為にも蔭になり日向になりよく尽してくれました。
この度御上にざんげんする者あり残念なことですが、
退職させる様な事になりましたが良き時期に再任します。
外に居ても気持は今まで通り頼みます。
大変勝手なことですがよろしく頼みます。

  昭和四十六年六月三十日
        良子(拇印)

手紙には次の二首の御歌も添えられていた。とのこと。

感想を許されれば、この「拇印」に違和感がありました。


 神々も守りますらむ大君につくしし人に幸多かれと

 己が身を忘れて我につくしたる人の身の上幸あれかしと


やんごとないお方、疑うことを知らず育った方が、信じて頼っていた女官を、天皇までが辞めさせよと仰せられた。

香淳さまとしてはお辛く悲しく、御歌も、その思いがほとばしったものだったか。

これ、入江侍従は、天皇までも巻きこんでいた。神がかりの魔女がいなくなれば、宮中のごたごたにも決着がつく平和になるなど、吹き込んだと言われています。

入江相政日記に「魔女騒動」として出て来る、五年間にもわたる「事件」といいますか。

・入江相政は、(昭和)天皇の祭祀を簡略化・・・宮中祭祀の廃絶を目論んだ人物。クリスチャンでもありました、と、書いておきます。

・今城女官とは、貞明皇后(大正)に傾倒したひと、貞明さま没後に香淳さまに出仕して大変信頼が厚かった。

・貞明さまは祭祀第一の方でしたが、それは大宮御殿流、といわば言えるものであり、それを今城女官は皇居に持ち込もうとしたことで、不穏な空気も。

細かいことがいっぱいあるのですが、飛んで。

入江相政日記14、から。また引きです。

《昨日、一昨日と相次いで魔女から電話。大晦日にだれが剣璽の間にはひつた、なぜ無断ではひつた、とえらい剣幕でやられたといふことだつた。一戦を交へる積りのところ何の音沙汰もないのはどうしたものか。》(昭和四十一年一月三日)

《魔女のこと次長が申し上げた。そしたら魔女が田中さん(直・侍従)に怒つてきた。皇后さまがおつしやつた為だらう。剣璽のことも申し上げられた由。》(昭和四十一年一月十日)

《保科さんから聞かされた所によると魔女の行くのは「誠[真]の道」といふ宗団の由。堺の鷹司さんから話があつた由。》(昭和四十一年二月四日)

《皇后さま七度八分。お歯がもとらしいが魔女の一言で侍医にお見せにならない由。》(昭和四十一年四月二十一日)

《午前中は侍従長の部屋で長官、侍従次長等と会議。女官長の後任のこと並に魔女の件。》(昭和四十一年十一月十五日)


また飛ばします。

香淳さまは、昭和34年の皇太子・明仁の結婚に反対でいらした。

周囲の宮妃、旧皇族華族の女性たちも一斉に、異を唱えたけど、美智子さんは入って来てしまった。

反対された結婚ほどムニュムニュするものも、そんなには無いでしょう。翌年35年には浩宮が生まれ、美智子さんの立場は確固たるものになりました。

世の中も平民からあがった東宮妃に熱狂し(当時は)この妃がまた、うまかったもので、香淳さまは、嫁いびりをするワルモノ扱いされる羽目になってしまわれた。

美智子さんの居心地がよろしくなかったのは、事実でしょう。

日本一の旧家。お姉さんの沢山いる長男坊。親類縁戚も山盛りいます、お辞儀の仕方もものの言い方も実家とまったく違う環境(違い過ぎましたね)の、居心地が、いいはずがない。当たり前ですね。我の強いひとなら、かつんかつんと、どこでもどちらへでも、当たり放題にぶつかったでしょう。

二度目の妊娠がよろしくなくて流して、そんな時に

「親王さまのお子を流すなんて」

と言い放ってしまう宮妃もいたり。・・・自分は何人ものお子をなして、当時は自信たっぷりでいたお方が、その言葉を吐いたんだろうなぁ。

脱線しています。

とにかく。

とにかくじゃなかった、話は続く、36年には、香淳さまは、第一皇女でいらした東久邇成子さんを亡くされました。

降嫁後、戦中戦後の苦労もさせた長女さん。30半ばのお歳で、幼いお子さんを5人も残して。

お辛かったでしょう。その香淳さまのところへ、美智子さんは、ご亭主と長男ナルちゃんを引き連れて、何やら文句を言いに行った。

打ちひしがれておられる方に、自分らの不満をぶつけに言った・・・姑さまは、黙っておられたと。

この話も、入江日記には書かれていますが飛ばします。


息子は、ヨメのお尻に敷かれてしまっている・・・そんな気持ちの中で、香淳さまは、昭和40年代に入って行かれたのかも知れません。

新興宗教に、こころ寄せられたのも、そんなあたりから・・

世の中は、そのころ、右肩あがりの時代に入って行っていました。

皇太子の一家のニュースの溢れかえった時代でもあった。

そんな中で、頼っていた女官を引きはがされた香淳さまの精神的打撃はいかほどのものだったか。

今城女官がこの間、香淳皇后はもちろん高松宮妃喜久子妃までをも動かし、入江側についた北白川祥子女官長の更迭などを画策したが、昭和天皇が入江を支持したため、今城の画策は失敗に終わった、と(も)入江は日記の中で述べている。

今城は皇后から当初の退官予定日だった1971年6月30日に、前掲の

「この度御上にざんげんする者あり残念なことですが退職させる様な事になりましたが良き時期に再任します 昭和四十六年六月三十日 良子」という拇印入りの手紙を拝受したり、

退官後の新居が完成する迄の間、赤坂御用地内に仮住まいを許されていた今城氏。

香淳皇后がこの仮住まいに電話をかけていることが知られると、宮内庁から電話を撤去されてしまった。

この、電話が取り上げられてしまった件は有名ですね。

再任は空手形に終わったが、御用地からの引っ越しの朝、三笠宮妃百合子御手づからのおにぎりが届けられるなど香淳皇后を始めとする一部の皇族は、今城を皇室に忠誠を尽くす者と捉えていたようである。


・・・とあったのが、どこだったかどなたのサイトだったか、いまわからなくなっています。失礼でしたらお詫びします。


老齢者に特有の症状は進行しました。

落ち込んだ香淳さまは、以後、、宮中の問題について意見を述べられることは無くなられた。

日常生活もままならないような状況にさえ陥られました。人前に出られる時には、笑顔ではおられた。

そう言うお育ちでいらしたから。

東宮御所に招かれて、紀宮さまが手を引かれたりしての写真が残っていますが、認知症は、言われているより随分早く、訪れていたようです。

とても楽しかったと述懐されたアメリカ訪問の時にも、

「楽しかった」

とだけ仰せ下さいとの手引きがあった、とも。

侍従長、入江は、昭和47年には

「皇后さま、このごろはひどいことになつておしまいになつたらしい」

と、しゃらっと述べてもいます。この方にも背後に、霊能者が控えていたとの説もあるやに聞きます。

お公家さんて冷酷なもの、のパターンだったかも。

日本一の旧家に蠢く犇めく魑魅魍魎。

ヒステリー起こしてはぶっ倒れていた美智子さんなど、こんな頃に、何の力があったやら。

あのいたわしい拇印つきの文書は、あれは美智子さんが主犯のものでないと、私は考えています。あの時は。


が。

ずっと胸の底にあって、腹に据えかねている美智子さんの言葉。態度。

これも以前一度、触れましたが、もう一度。

紀宮さまの著書(ということになっている・・・もう信じられないようになっています、部分的にのみ、清子さまかな)。

「ひと日を重ねて」の中に(p.213)

「・・・この百日というものは、あっという間でもあったような、またそれだけの時を経たような不思議な期間でした。陛下が、駆け寄られるように皇太后さまのおそばにお寄りになって、じっとその御最期をお見守りになり、そのお後で皇后様が、丁寧にお掛け布団などをお直しになりながら、「ご立派でいらっしゃいましたよ。」とささやかくようにおっしゃったその時に、周りの人びとの悲しみがふっとあふれるように感じられました(略)」

私はこれがずっと胸に納まりきれません。

言っていい? いいですか?

ささやくように「ご立派でいらっしゃいましたよ」だとぉ!。

お前なんかにそんなこと言われたくない!。


私が(申し訳ないながら)そこで亡くなったばかりの人なら。

何をぉおおとばかり跳ね起きて、

効いた風な口を利くなあぁあ、とか。そして今度こそ、アタマの血管切れて・・・に、なる気がします。

いややなあ、この人の、この「振り」。いややなあああ。


………取り乱して失礼いたしました。

何を訴えることもおできにならず、どうするすべも持たない香淳さまに、美智子さんは、随分なことだったと、書いておかないといけませんね。



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淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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