KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

今年に感謝。

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天皇誕生日に「両親」にはさまれて「陛下に挨拶に」行かれる[愛子さま」とのことです。

いいんですか、この方を放置しておいて。

周囲の大人みな、大丈夫なんでしょうか。

大丈夫で「今までで一番おきれい・by・渡辺みどり」で「完璧主義のゆえに痩せられてしまわれた・by・友納尚子」愛子さま、って。

美智子さんは「励ましの抱擁」をされたとのことですが。このお子さんを見て、それだけですか。

さすが名代の偽善者。

偽善者。

大ばか者の「両親」を、どうすることもできない・・・しないで。

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で。この方がその「偽善者」である皇后陛下、らしいです。

ときどき口の中が真っ黒な写真を見かけました。

いまどき「お歯黒」でもありますまい。でも、どうなっているんでしょう。

歯はどうなっているのでしょう。帽子も帽子のゴムも表情もおかしい、おかしいおかしいおかしい、おかしいです。

ご高齢であることを揶揄はしません。バカにもしません。そんなこと、できるものではありません。が。

おかしいです。


おおつごもりの一日の始まった夜更けにこんなこと書いているわたし、の方が、おかしいのかも知れません。

見えているのに見ていない、で、通そうとしておられるものを、変だ変だと騒いでいるなんて。KUONがおかしいかな。自虐的になる感覚が、おかげさまで(笑)蘇ってきた昨今です。


王さまは裸だ~~~


やけくそで叫んでみました。(笑)。


今年いちねん、多くの方々にブログを読んでいだき、多くのコメントをいただき、幸せな一年でした。

来年もきっと、とてもいい年になるでしょう。

24時間以内に新しい年は来て、自分の部屋の自分の机に座っていながら、遠く除夜の鐘を聞けることでしょう。

禅寺の鐘の音が、耳の底に届いてくれるのです。

そのさなかに、新年のご挨拶をさせていただくつもりです。

若水を含んだ後の、いささかはキレーな私として。

来年もまた、よろしくお願い申し上げます。


プロフィール欄の「なまずのてんし30」てぬぐいのご紹介は、いったんひかせてていただきますが、今後もどうぞよろしくと、紹介者、賛同者として、末尾ではありますが、お願い申し上げます。

では。

しばしの後に。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


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阿蘇神社から寄付のお礼状が届いたとのことです。

手拭の売り上げの一部を寄付されたのです。

ありがとうございました。


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鉄塊錆びて

30年近く前にハワイへ行きました。

タクシーをチャーターして、いちばん行きたかったところ、真珠湾へ行きました。

ドライバーはサワイさんという日系人の男性で、はじめ黙りがちだったのですが、そのうち戦争中の話などして下さり、大きなカップのコーヒーを前に話し込んだりし(ご馳走になりました(笑))、ずいぶん親切なガイドをして下さいました。

あれこれ思い出しますが。

その後に詠んだうた。幾つもありましたが、忘れてしまいました。


   真珠湾の海底に戦艦アリゾナが透けて見ゆるなり錆びし鉄塊

   トムやジョン太郎次郎も戦ひに散らせしいのちはおのおの一つ



わたしは難しいことはわかりませんが、今朝、テレビで安倍首相の姿を拝見していて、安倍さんでよかったと思っていました。

安倍首相、お体に気をつけて下さいと、心に念じていました。


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   日本の首相の撒ける花びらがパールハーバーの海面に朱き




今朝の思い

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天皇陛下
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年頭所感を取りやめ 高齢に伴い負担軽減 

毎日新聞2016年12月26日 21時38分(最終更新 12月26日 21時38分)



 宮内庁は26日、天皇陛下が毎年元日に公表してこられた、新年にあたっての「ご感想」(年頭所感)を取りやめると発表した。83歳と高齢になった陛下の負担軽減が目的という。


 年頭所感は、前年を振り返り、人々の幸せを祈ることば。元日に公表することが1990年から公務として続いていた。だが、年末年始は祝賀行事や宮中祭祀(さいし)などで多忙になるため、この時期の公務の軽減が検討課題だった。

 陛下は例年、12月23日の誕生日にあわせて記者会見を行い、その年にあった出来事の感想などを語る。また1月2日の新年一般参賀でも、おことばを述べる。年頭所感はこれらと日程が近接し、内容が類似する。このため宮内庁は、年頭所感の取りやめは比較的影響が小さいと判断した。

 新年にあわせた天皇、皇后両陛下の歌や、天皇ご一家の写真や映像は、これまで通り元日に公表される予定。一般参賀や歌会始も例年通り行われる。

 宮内庁の西村泰彦次長は26日の定例記者会見で「ご年齢を考えた結果。ご理解をお願いしたい」と話した。【山田奈緒、高島博之】

天皇陛下の公務の削減、段階的に

 宮内庁は、天皇陛下が70歳を過ぎたころから年齢や健康状態を踏まえた負担の軽減を図ってきた。恒例だった各界功労者らとの面会や、式典でのおことばを廃止するなど、公務の削減を段階的に進めている。

 前立腺がんの手術を受けた翌年の2004年、陛下は面会5件を取りやめ、2件を皇太子ご夫妻に譲った。胃腸炎などを患った翌年の09年には国体開会式などの式典で述べる「おことば」を原則廃止した。今年も面会8件を取りやめ、4件を皇太子ご夫妻に譲っている。

 ただ陛下は「象徴としての地位と活動は一体不離」との考えがあり、退位の意向がにじむおことばを公表した後も、公務に対する考えに変わりはないという。宮内庁幹部は「公務の大幅削減は検討していない」と繰り返し述べており、今回の年頭所感の取りやめも「陛下の考えの枠内の調整」との位置づけだ。 陛下は12年の誕生日にあわせた記者会見で「負担の軽減は、公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません。今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています」と語った。翌年も「今のところしばらくはこのままで」と述べている。【山田奈緒、高島博之】



時事通信 12/26(月) 14:38配信

宮内庁の西村泰彦次長は26日の定例記者会見で、23日に83歳の誕生日を迎えられた天皇陛下の負担軽減のため、新年に当たっての感想の発表を、来年から取りやめると発表した。

 陛下は即位以降毎年、年頭に当たっての感想を宮内庁を通じて文書で発表していた。西村次長によると、年末年始は天皇誕生日や新年の祝賀など恒例の行事が多く、新年の感想以外に記者会見や一般参賀のあいさつの原稿なども準備する必要があるため、高齢の陛下には負担が大きいと判断。陛下の了解を得た上で取りやめを決めたという。

 天皇、皇后両陛下が昨年詠んだ和歌の発表や、1月2日の一般参賀など恒例の行事は例年通り行う。西村次長は「宮内庁としては陛下のご年齢に応じた公務のあり方を常に検討しており、今回もその一環」としている。 

>陛下の了解を得た上で取りやめを決めたという。

時事通信には ↑ の一行がありました。


陛下が口を封じられたか。

ミテコさんのペンが封じられたか。

宮内庁は、押し寄せる非難・批判メールや電話にアタマ抱えて、要らんこと言い(関西弁でのものの言い方。しょーもないこと言い、とも言います。黙ってやんなあきません、というヒトに向けるコトバです)の陛下を、

高齢によるナンタラ。つまり老害認定してしまおう、の「苦慮熟慮の末の判断」か。

政府が、なんとか少しくらいは、なんとかあれを、そうしてそうした、のか(日本語・遠まわし言語法)


ご高齢を配慮するなら、鑑賞、私的旅行の方面を、と、誰しも考えることでしょう。

少しくらいなら目をそらしている、静かに目立たずお遊びになれば、民の方でも「外野はうるさい」なんて、皇后に言われたくなどない。のですから「鑑賞は公務では無い!」なんて、書きません。

遊んでばっかりに見えるから。それで「疲れる」って何の冗談よ、と、なるだけのこと。

ツマがねちゃくちゃ書いたモン読まされていないで。

天皇は、

「世界の平和と国家の安泰と国民の幸せを願います」

と。それのみを、仰って下されば十分と。

今朝の思いでした。


新年の皇室ご一家の画像が楽しみです。

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こーゆーの、撮られるのも、とりやめて下せえまし。



天皇誕生日 画像追加しました。

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追記を冒頭に書かせていただきます。

天皇誕生日。今日。

戦争が負けて終わって。裁判と言うには一方的に過ぎた、東京裁判なるものがあって。

戦犯と。戦勝国の裁断を受けたご英霊がたが、この日、絞首刑に処されたのでした。

わざわざに、敗戦国の皇太子の、誕生日を期して。待って、であったのでしょうか。

12月23日。この日に。一人ずつ。

皇太子は震えあがったでしょう。英霊方のことでなく、身の不安に震えられたでしょう。

中学生でいらっしゃいました。家庭教師につけられたのは、ヴァイニング夫人。クェーカー教徒の厳格な女性でいらした。

娶らされたのは正田美智子さん。

クリスチャンの家庭に育ち、洗礼は受けていない、をはじめ、さまざまの疑惑はをり抜け、以来五十余年。

日本の皇室はガッタガタになりました。

悲しいことですが、今日、私のなかに祝意はありません。

夫人に肘をつかまれて、あちらへこちらへ慰霊という名のパフォーマンスを続けておられましょうとも。

どなたかを宮中晩さん会にお招きになり、

「先の大戦の折に貴国の・・」

と、謝り放題の言葉を紡がれようとも。

今朝のテレビが流していた、あの島で、またあの島で、政府専用機で異国へ渡り・・・大勢の撮影部隊を引き連れて・・・花を捧げ頭を垂れて「慰霊」に励む天皇夫婦の姿を。

・・・あの年の今日、絞首台に命を散らされた方々を、皇后はお呼びになられます「戦犯」と。

ただ一度の沙汰ではない。再度、その過ちを犯しておられます。

自国の英霊様方に対して、痛みも悼みも感じておられないようにしか見えない天皇を、なんで、誕生日を、お祝い出来得るか。

健やかにお迎えの八十三歳、おめでたく存じますと。

日ごろの天皇に対し、得心行っているなら、お祝い申し上げてもよろしかろうと。不遜な思いを抱えております。

夫人に対して強い態度にお出になれない陛下であるとは、みな、わかっていて。わかっていても、陛下がそれでは、鼻白んで済むということでないのが、公人でいらっしゃるお方の、何と申しますか。

しめしがつかないのという言葉は、こういう感じの際に使うのです。

三軒隣の、いつもにこにこしておられるオジサン、ではいらっしゃらないのです。


いま現在の天皇のおんありさま。

今日発表のお言葉の中にも、嘘、偽りがあります。

あのお言葉を出されたのは、内閣と相談して、或いは、承認されて、の含みをも、もたせたい思惑がおありだったのかどうか。

違います、陛下。

宮内庁さえ知らなかった。内閣が知っていたわけはなかった。知らないものを、相談も何も無いはず。

NHKが、突然、ばん、と出したのでした。

姑息です。

これで済むと、お思いなのでしょうか、今日、これを発表させたあたりは。

天皇の嘘。天皇の逃げ。

見えてしまいました。


あってはならないことが、さまざまに存在している。

あれだけ大騒ぎされた八月の「お言葉」。その、

結果は結局、いかがなものなのですか。

うまいこと行ったら、やっちゃえ。だったのか。

陛下。ものぐるおしいほどに、情けないものに、なり果てておられるのですね。

陛下を、天皇として、ゆるやかに、拝していたかったのは、過ぎた願いでしたか。

おそらく陛下は、ご自身では何も、しておられない。

企んだり何かを潰したり。

しかし、だからいい、というものではありません。

陛下は、天皇にてあらせられるのですから。



天皇陛下は八十三歳の誕生日を迎えられました。

初めに目についた記事から順次。

下の方に全文(記者会見)あります。

写真まではまだ手が届いていません。



天皇陛下:83歳 退位「親身に考えてくれ、深く感謝」

毎日新聞     2 時間前

 天皇陛下は23日、83歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち皇居・宮殿で記者会見し、8月8日に公表した退位の意向がにじむおことばに関して「内閣とも相談しながら表明」したと述べたうえで、「多くの人々が耳を傾け、親身に考えてくれていることに、深く感謝しています」と語った。陛下がおことばについて公の場で言及するのは公表後、初めて。

 陛下は会見で、おことばについて「天皇としての自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました」と述べた。


 憲法は、天皇は国政に関する権能を有しないと規定している。一方、現行制度は退位を想定しておらず、実現には法的措置が必要となる。陛下はおことばの中で憲法を尊重する姿勢を示し、制度変更を促す表現は避けた。今回の会見でも、内閣と相談したことに言及し、憲法尊重の立場を改めて示した。

 そのうえで陛下は、「多くの人々が耳を傾け、各々(おのおの)の立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています」と述べた。

 8月の陛下のおことばは、用意した原稿を読み上げる姿を収録したビデオメッセージの形で公表された。高齢になるのに伴い、象徴として取り組んできた公務を「全身全霊」で果たすことが難しくなるとの懸念を示すなど、退位の意向がにじむ内容。各メディアで報じられ、世論調査では退位に賛成する意見が高い割合を占めた。政府は安倍晋三首相の私的諮問機関として有識者会議を設置。専門家のヒアリングを経て論点整理をするなど退位の実現に向けた議論を進めている。

 会見での「深く感謝しています」との発言は、こうしたことへの思いを表したものとみられる。【高島博之、山田奈緒】

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 天皇陛下の誕生日会見 時代映し高まる関心 年齢考慮、質問減らす

毎日新聞2016年12月23日 東京朝刊

天皇陛下「生前退位」

83歳の誕生日にあわせて記者会見をされる天皇陛下=皇居・宮殿で(代表撮影)


 天皇陛下が23日、83歳の誕生日を迎えられた。1989年に即位した陛下は、ほぼ毎年、誕生日にあわせて記者会見を行っている。その年の出来事を振り返り、悲しみや喜びの思いを語ることが恒例だ。会見での陛下の言葉は、国民に寄り添い、苦楽を共にするという象徴の在り方を映し出している。


 天皇陛下の記者会見は、原則として誕生日にあわせて行われ、その内容が当日の12月23日に公表される。宮内記者会に所属する報道機関が事前に質問内容をまとめ、宮内庁を通じて陛下に伝達する。記者会見では、これに答える形で陛下が発言する。

 陛下は会見の発言を吟味し、読み上げるメモを推敲(すいこう)している。会見にはお一人で臨んでいるが、誕生日会見としては初めてだった90年は宮内記者会の要望に応え皇后さまが同席された。

 以前は25分程度が会見時間の目安だったが、2005年からは約20分に短縮された。10問近くの質問に応じたこともあったが、徐々に質問数が減らされ14年には2問、15年には1問に制限された。時間が余った時の「関連質問」も14年からなくなっている。高齢になるにつれ、回答内容を考える負担が重くなったことが理由だ。

 ただ、一つの質問の中には複数のテーマが盛り込まれ、それぞれについて陛下が答えるという形式が定着している。このため、質問数は少なくなっても、陛下はさまざまな事柄に言及している。15年の会見では、一つの質問に答える形で、豪雨などの自然災害▽日本人のノーベル賞受賞▽国産ジェット旅客機の完成▽戦後70年に際しての感想--

 70歳の節目を迎えた03年の会見では、半生を振り返り、「最も悲しい出来事」として「300万人以上の日本人の命が失われた先の大戦」を挙げた。戦後、度重なる自然災害で多くの人々が犠牲になったことにも触れ、「誠に悲しいことです」と述べた。

 誕生日会見がなかった年は、8月に即位にあたっての会見が行われた1989年のほか5回ある。「即位10年」「20年」の節目の年には別の時期に会見が行われ、誕生日では文書が公表された。おばの高松宮妃喜久子さまが亡くなって喪に服していた04年や、不整脈などで体調を崩した08年も会見は行われなかった。

 ◆子育てについて(1999年)

「恵まれた機会持てた」


 私と皇后は、子供を手元で育てるという、前の時代には考えられなかった恵まれた機会を持つことができました。(1999年、66歳)

 昭和天皇の時代までは、しきたりとして天皇と皇后が子を直接養育することはなかった。陛下は3歳のころに親元を離れられ、側近たちと過ごした。戦後に疎開先から帰京した後も東京都小金井市や渋谷区の専用の住まいで、ご両親とは離れて暮らした。

 陛下は結婚までを振り返り「私は家庭生活をしてこなかった」と述べたことがある。皇室の伝統と異なる手元での子育てを実践したのは、家族の気持ちを理解することで、国民の気持ちも理解できるとの考えがあったためだ。背景に、家族のあり方を含めた社会の変化もあった。お子さまの入学式に出席したり、ご一家での登山を楽しんだりした。

 皇后さまは94年の誕生日の文書回答で「三人の子供たちが育った日々のことは、私の大切な思い出となっています。公務のなかで子供を育てることも、人々の協力なしには出来ないことでした」とつづられている。

 ◆障害者スポーツについて(2000年)

「理解深まりうれしい」

 この度のパラリンピックに対して多くの日本の人々が深い関心を示し、障害者に対して理解を深めたことをうれしく思っています。かつて、身体障害者のスポーツは、リハビリテーションの一環として考えられていたことを考えると、この度のパラリンピックを見る人がスポーツとして見ていることに深い感慨を覚えます。(2000年、67歳) この年開かれたシドニー・パラリンピックの感想。1964年11月、皇太子だった陛下は、東京五輪の後に開かれたパラリンピック東京大会の名誉総裁を務められた。障害者スポーツへの関心が現在ほど高くなかった時代。陛下は連日のように競技を観戦し、選手らと交流した。

 感銘を受けた陛下は「このような大会を国内で毎年行うことができないか」と提案。翌65年に岐阜で第1回全国身体障害者スポーツ大会が開かれた。陛下は開会式に出席。大会は毎年開かれるようになり、開会式への参加を定例の公務とした。90年から皇太子ご夫妻に引き継いだが、車椅子バスケットボールの試合観戦など関わりを持ち続けている。

 ◆隣国との信頼について(2001年)

「正確に知ること大切」

 ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。(2001年、68歳)

 翌02年に日韓共催で開かれるサッカー・ワールドカップ(W杯)に言及した。会見で陛下は、朝鮮半島と日本の交流が日本書紀に記されているという友好の歴史に触れ、「(韓国とは)このような交流ばかりではありませんでした」と発言。戦中戦後の厳しい2国間の歴史をふまえ、隣国との信頼が深まる期待を示した。

 陛下は1994年、韓国の金泳三(キムヨンサム)大統領を招いた宮中晩さん会で「我が国が朝鮮半島の人々に多大の苦難を与えた一時期がありました」と、深い反省とともに信頼づくりに努めてきたことを振り返っている。03年、盧武鉉(ノムヒョン)大統領を招いた宮中晩さん会では友好関係に資する共催となったことへの喜びを表明した。


  ◆今年の記者会見全文

 天皇陛下の83歳の誕生日にあわせて行われた記者会見での質問と発言は次の通り。

 <質問>

 今年は五輪・パラリンピックが開催され、天皇陛下にはフィリピンや東日本大震災、熊本地震の被災地などを訪問される一方、三笠宮さまやタイのプミポン国王とのお別れもあり、8月には「象徴としての務め」についてお気持ちを表明されました。この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。

 <回答>

 今年1年を振り返ると、まず挙げられるのが、1月末、国交正常化60周年に当たり、皇后と共にフィリピンを訪問したことです。アキノ大統領の心のこもった接遇を受け、また、訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。私が昭和天皇の名代として、初めてフィリピンを訪問してから、54年近くの歳月が経(た)っていました。この前回の訪問の折には、まだ、対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが、空港に到着した私どもを、タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが、懐かしく思い出されました。

 今回の滞在中に、近年訪日したフィリピン人留学生や研修生と会う機会を持ち、また、やがて日本で看護師・介護福祉士になることを目指して、日本語研修に取り組んでいるフィリピンの人たちの様子に触れながら、この54年の間に、両国関係が大きく進展してきたことを、うれしく感じました。

 両国の今日の友好関係は、先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人、日本人の犠牲の上に、長い年月を経て築かれてきました。この度の訪問において、こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね、冥福を祈る機会を得たことは、有り難いことでした。また、戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも、私どもにとり非常に感慨深いことでした。

 今後とも両国の友好関係が更に深まることを祈っています。

 東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には、福島県、宮城県の被災地、そして9月には岩手県の被災地を訪問し、復興へ向けた努力の歩みとともに、未(いま)だ困難な状況が残されている実情を見ました。その中で岩手県大槌町では、19年前に滞在した宿に泊まりましたが、当時、はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が、地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り、自然の力の大きさ、怖さをしみじみと思いました。

 この5年間、皆が協力して復興の努力を積み重ね、多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に、今なお多くの人が困難をしのんでおり、この人々が、1日も早く日常を取り戻せるよう、国民皆が寄り添い、協力していくことが必要と感じます。

 4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で、多くの被害が出ましたが、16日未明に本震が発生し、更に大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き、人々の不安はいかばかりであったかと思います。

 5月に現地を訪れましたが、被害の大きさに胸を痛めるとともに、皆が協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に、心を打たれました。

 今年はさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い、その中で高齢者グループホームの人たちを含め、多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。

 このような災害に当たり、近年、個人や様々な団体と共に、各地の県や市町村などの自治体が、被災地への支援の手を差し伸べ、さらにそれを契機として、全国で様々な地域間の交流が行われるようになってきていることを、うれしく思っています。

 8月には、天皇としての自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け、各々(おのおの)の立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています。

 8月から9月にかけて、リオデジャネイロでオリンピックとパラリンピックが開催されました。時差があったこともあり、毎朝テレビで、日本人選手の活躍する姿が見られたことは、楽しいことでした。オリンピックと同様に、パラリンピックにも多くの人々の関心が寄せられていることをうれしく思いました。

 10月中旬にタイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり、その翌年に、昭和天皇の名代として、皇后と共にタイを訪問し、国王王妃両陛下に温かく迎えていただき、チェンマイなど、タイの地方にも御案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことを始め、親しく交流を重ねてきた日々のことが、懐かしく思い出されます。

 10月下旬には、三笠宮崇仁親王が薨去(こうきょ)になりました。今年の一般参賀の時には、手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり、そのお話を伺えたことは意義深いことでした。

 11月中旬には、私的旅行として長野県阿智村に行き、満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では、旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き、満蒙開拓に携わった人々の、厳しい経験への理解を深めることができました。

 また、その際訪れた飯田市では、昭和22年の大火で、市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興に当たり、延焼を防ぐよう区画整理をし、広い防火帯道路を造り、その道路には復興のシンボルとして、当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に、災害復興を機に、前より更に良いものを作るという、近年で言う「ビルド・バック・ベター」が既に実行されていたことを知りました。

 12月には、長年にわたるオートファジーの研究で、大隅博士がノーベル賞を受賞されました。冬のスウェーデンで、忙しい1週間を過ごされた博士が、今は十分な休養をとられ、再び自らが望まれているような、静かな研究生活に戻ることができることを願っています。

 年の瀬が近づき、この1年を振り返るとともに、来年が人々にとって良い年となるよう願っています。


 (この特集は山田奈緒、高島博之が担当しました)


>8月8日に公表した退位の意向がにじむおことばに関して「内閣とも相談しながら表明」したと述べたうえで 、「多くの人々が耳を傾け・・・・・・・.

・・・え? そうでしたっけ?   

今はひとつだけ「?」。


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悠仁さまを和舟にお乗せになって、お手ずからお漕ぎになられた日の陛下。

悠仁親王殿下は、男系男子でつながる皇室に於いて。

ただしく日嗣の皇子でいらっしゃいます。

なにごとに依らず蔭なるお子さまのごときあしらい、お扱い。


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そして陛下。

愛子内親王の、この。

小学生の御身にくわえられた、この無惨。

むろんこれのみにはとどまりません。継続しておられます。



自分賛美のM子さま。(笑)。

推理小説も好きなKUON(笑)ですが、おうたは、どなたのお作にしても、勝手な推測をしないでまっすぐに読み、感じ、味わわせていただきたいと願っています。


八です。


紀宮さまの本から、紀宮さまらしいとKUONの感じるおうたを、幾首か。


     ざんざんと屋根うちて降る寒しぐれ熱さがりたる枕辺(まくらべ)にきく


     この冬も果てなき空を渡りきて庭の木末(こずゑ)につぐみ降りたつ


     雪つみし竹むら深く身をおきて時は静かに流れゆくなり


     投げあぐる高みの空は青ひといろみかん冬陽(ふゆび)に照りかがやけり


     待ちかねし本をひらきぬ冬の夜のふけゆくままに冷ゆる指先


     落ち葉わくるかそけき音の近づきて息をひそむる鳥を待つ朝


     ひとごみに姿もとめてゐるならむ失せしに似たる白き犬すぐ



まだまだあります。冬の匂いのするおうたを選びました。

紀宮さまに対して、過剰な思い入れは無いつもりです。

伊勢の遷宮の折に、斎宮の代理を一部つとめられたお姿に、驚きましたし感嘆しました。

天皇を父としてお生まれになり、内親王としての自覚のもとに自分自身をお育てになられたとは、こういうことかと。

おうたに、甘えが無いと感じます。

しぜんに現実に向き合われ、一人であることを怖れず、一人であることを単に孤独ととらえず、小さな生き物たちへの視線が温かい。

いちばん最後のおうた。さりげない一首ではあります。



     ひとごみに姿もとめてゐるならむ失せしに似たる白き犬すぐ


あの犬。ひとごみの中に何か探しているのか。飼い主の懐かしい姿だろうか、それは。

こころもとない一人(いっぴき)でいる犬の姿を見かけて、それは、自分が失った・・そばから失せてしまった犬、に似ている。

白い犬だった。なついてくれていた。可愛がっていた。

・・・人を探していると見える犬と、姿を消してしまった犬の面影を、とおりすがりの迷い犬に重ねてしまった自分と。

犬が、単に探しているのでなく「もとめて」いると切実さを感じて詠んでおられるところ、詠み人の優しさと思われます。

自分の淋しさより犬の淋しさの方に、重きを置かれているあたりが。

あるいは、今は身近にいなくなってしまっている白い犬、あの犬は、ちょっと似ているこの犬のように、知らないヒトばかりの雑踏の中に(わたしを)探し求めているのだろうか、と。胸を痛めておられる、とも。



以上は、紀宮さまらしいと私が感じるお作を、並べてみました。

この方のおうたの世界に、うたの中に「お母さま」が入って来ると。

うたの匂いも色も、変化する気がします。私感です。



     床(とこ)のへの母がつくりし雪うさぎに触れつつ思ふ白き御苑生(みそのふ) 


ざんざんと降る冬の雨の音を、ようやく熱の下がったからだを横たえたまま、聞いている。

そんな風にうたを詠む(上記)娘さんの、おそらく病んでおられる床に、お母さまは、雪うさぎを置いて行かれて。

溶けかかって冷たい雪のうさぎに「触れつつ」、母上のおわします御所のお庭の白いことを思う、と。

私はひねくれたところのある人間で、こういう風に手放しでこういうことを言葉にできにくい。そういう人間なので、ご自分の「優しさ」をこうアピールしてしまえる、ええと、ああ、ミテコさまの作ではないのでしたね、お嬢さんの作。

紀宮さまの本の中のおうた、ですよね。

・・・そうは素直に思えないのですけれどね。

紀宮さまは、もっとしゃっきりと背を立てている女性ではないか、と、KUONは思いますね。。もちろん成人女性です。


お母さまのお気に召すように詠んだ、もっと言えば、お母さまがやりたいようにされたことに、何もおっしゃらないでおられた、とか。

そういう無道には慣れておられたでしょう。



ミテコさま、娘さんになり代わってご自分を絶賛賛美のニオイが、プンプンするうた、幾つか。以下に。


     平和といふみ声さやけし大君のとこの願ひにみのりあらまほし


     道長くひたに来ませり母君のみ背なやさしきあさかげの中


     小望月のあかりさやけし大君にそひ立ちたまふ白き御顔(おんかお)


     星おちて吾子とはなりぬと幼な日の子守歌口に出でて恋しき

          :「おもひご」という子守歌。皇后さまご作曲、と注釈されています

     わたつみのはるかに君はいますらむ波のせてゆけ祈る心を

          :両陛下、タイ・マレーシア・インドネシアの旅路をおもひて 、と注釈

はじめの一首、語り出すと長くなるのですが、美智子さんが天皇の代わりに「平和」という言葉を使う時、これ、内容はとても特殊な気がします。

天皇の身位にある方が、押し出すのはいかがか、と思われる臭みがある。そんな「平和」。それをここで、大上段にふりかぶって、内親王の立場で、天皇のそんな思いの、とこに・・・永遠に、とこしえに、実りのありますように、と。

清子さんのおうたでしょうか。ホンマか。

次、ひたすらに(皇后)道を歩んで来られて、ご苦労多く大変でいらしたであろうに、母君の「み背な」はあくまでやさしく、あさかげ・・・朝の光のなかに、と。

小望月の清けきあかりのなか「大君」。他の誰でもない、天皇だよ、いちばんエラいダンナさんなの、その大君に寄り添って立たれる、そのお顔の白さ。この際、白い御顔、は、最高のお顔って意味を含むでしょう。ミテ子さま最高、なんです。

この「おもひご」という歌、ごく最近、ポーランドの大統領と一緒に聞かれたコンサートで、特別に演奏された歌だったとか。

客席、スタンディング・オベーションで、とか、伝わっております。よほど思い入れのある自信のあるお歌で。でも、ミテコさんのためのコンサートでは無かったのだとも、伝わって・・・御本人は気分よかったでしょね。

もちろん、浩宮さんのために作られた歌ですね。紀宮さまも、口に出でて恋しき、と仰るくらい、うたっておもらいになったのか。

思い入れがあるのは、美智子さんと思います。

最後の一首。

本当に親孝行、すばらしいお嬢さまですね~など、感想を述べればいいのでしょうか。

感性的には、どストライクで美智子さんです。


・・・・・・KUONの私感です。確信を持って書いています。どう思われるかはご自由ですが、まともに読みもしないで「非国民」と書いて来られても、無駄です。国母さまに向かって無礼だと書いて来ても無駄です。

私は非国民でなく国を大切に思っています。日本の国を愛しています。

美智子さんを国母だとも思っていません。

無礼なのは、内廷どもです。国民と国家に対して不敬です。




本歌取りおーけー

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お若いころから一番下の笑顔まで。

この画像の主のこの口元は、一部に於いて「ショベル口」((ショベルカー口?}と称されているようです。


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こういうバージョンの横顔もお持ち。


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奥行きのある横顔の、お美しい美智子さまも。


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昭和の皇太子妃として、平成の女帝として。六十年近い皇室暮らしのなかに、あれこれいろいろ、おやらかしあそばされて。

受け口で バカ 爆笑いされていたお方、都合悪しきことにお口をつぐんでおられるうちに(か)、時に「ショベル」ではなくなっておられます。

眉毛も一本化されておられるようです。

上二枚のミテコさまには、お口はもとより、お目の具合に不安を感じまする。


・・・七です。


平成十五年、年初のおうた二首。

前年に今上陛下は大病によって難しい手術を受けられ、無事、癒えられて、御所へお帰りになられました。


    癒えましし君が片へに若菜つむ幸おほけなく春を迎ふる


       いえましし きみがかたへに わかなつむ さちおほけなく はるをむかふる


この「若菜つむ」は、古今集に入っている、百人一首にもある、


     君がため春の野にいでて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ

を念頭に詠まれたうたとわかります。こういうことをして、愉しむのです。本歌取り。


もう一首。平成十五年、病癒えられた今上に向けて詠まれた一首。


     かたかりし去年の年の瀬思ひ出でて師走の苑をみともしてゆく


       かたかりし こぞのとしのせ おもひいでて しはすのそのを みともしてゆく



難かりし、というのは、ご病状のこと、周囲の思いの保ちよう、など、さまざまな心模様を云われていると思います。

あんなこんな大変で心配だったことを思い出しながら、師走の苑・・・お庭を「みともして」ゆく=お供をしてまいります、お供しています、と。

お元気になられた陛下と、現実に父子で広い広いお庭を歩まれたのかどうかは、わかりません。そんなこともおありだったのなら、陛下には嬉しい事でしょう。

こうごうさん以外のお身内と共に歩かれている今上を、もう長い間、拝見していないし、思い描きにくいです。



この ↑ うたは、一首ずつ、美智子さんの歌集からと紀宮さまの本からと、とりました。

初めの、平安朝のうたを意識しつつ詠まれているのが、美智子さんのうた。

もう心配云々は抜けて、このうたに関して言えば、本歌取りしてそれがうまくいって、ご自身、ご満足のうたのようです。

ご夫君の大病は、うたの材の一部。

おみごと、さすがこーごーさま、と、もてはやし易いうたになっています。うたの中心にいるのは、当然ながら「わたくし」です。


二首目の作者は、紀宮さまです。

たぶん、紀宮さまのおうたと思います。紀宮さまの本の中にありますから。

詠まれる対象に(ここでは陛下。お父上)対して、体温を感じさせる雰囲気があると思います。

術後の陛下の、脚をさすって差し上げたり小さくした果物を口に運んで差し上げたりは、奥方でなく、降嫁された後も実家へ通ってあれこれされて、の清子さまではなかったかと、私は、感じています。

医療従事者や女官さんではない部分、ご家族としての看取りは主に、紀宮さまがなさっていたのではないかと。

あくまで私感です。

当たっているんじゃないか、とは、思っています、だからこうして書いています。

美智子さんは、何かしてる風な感じを作るのは、とってもお上手。でも。じっさいには何もしないヒトだと思う。


大病の際にも、フリばっかり上手くて使えないツマと、地味に控えめに実行される娘さんと。

そんな感じなのだろうなあ、と。

もしかしてもしかすると、二首目もミテコさんのうたかな???の疑念も、持ちました。

「みともしてゆく」

ここが、父親であろうとも「天皇」として対するべき娘さんに許される言葉の選びようとして・・・お母さんが・・・など、少しだけ考えました。

美智子さんにとって、天皇に対して平等(もしくはそれ以上)なのは「わたくし」だけなのだ。ということくらいは、明白なのですから。

それにしては、結婚そうそう天皇に口答えした長男のよめさんは野放しですけれど。


娘さんは、控えていなさい、なのでしょうね。ご次男さまのご一家の方々も。



大辞林 第三版の解説


ほんかどり【本歌取り】



和歌で、古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法。新古今時代に盛んに行われた。「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」を本歌として、「面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしの袖の涙に」と詠む類。



連歌・俳諧の付合方法の一。和歌の本歌取りの手法を付け合いに用いたもの。



とってもあやしい。



六です。

紀宮さまはご降嫁以前、秋篠宮家の幼いお子さまがたを、愛おしげに詠んでおられます。

幾首かご紹介します。


     幼手に霜柱の塔ささげもちて風さえわたる庭をかけゆく

     小さき子がさらにかがみて隠れゐる木の下かげに赤きくつ見ゆ

これら二首は、詠まれた年から、眞子さまのおうたでしょう。

幼い、指えくぼのあるような可愛らしい手に、霜柱の塔をささげ持って・・・壊れないように大切に持って。懸命のお子さんがかけて行く先には、優しいお父さまかお母さまがおられるのでしょう。

どうしても見てもらいたい立派な霜柱、一心にかけるおさなご。きらきらと情景の見える一首。

そして二首目。小さなお子が、さらに屈みこんで隠れている、その木の下に、赤いくつが見えてしまっている。

隠れたって、見えているのよ。この「赤いくつ」が効いている。

優しい叔母さまの笑顔、隠れている幼い女の子が、息をひそめておられる様子が、鮮やかに見えます。


     頬よする幼二人の寝息してをぐらきあかしのもとに本閉づ 


ご多忙なご両親のお留守に、姪ごさん二人のお世話をされ、本を読んで眠りの中に誘ってさしあげる。

「をぐらきあかり」とあります。そのほのかなあかりの中の眞子さまと佳子さまの眠りが、満ち足りておられると感じます。

お母さまはもちろん、時に多忙な宮家の子育ての手にも加わられた、このような叔母さまのこころ尽くしも背景に、成人された眞子さま佳子さまの歌会始儀の、以下のようなうたが生まれたのでしょうか。


 眞子さま(秋篠宮家)

     呼びかける声に気づかず一心に本を読みたる幼きわが日

 佳子さま(秋篠宮家)

     弟に本読み聞かせゐたる夜は旅する母を思ひてねむる

去年。平成二十七年の歌会始儀のおうたです。


紀宮さまのおうたに戻ります。

     吹く風さへうつりゐるらむみどり児はひとみつぶらに空にみひらく 


この一首は、平成十四年の作。であるなら、愛子さんをお詠みだったか。

頬っぺたぷくぷくの赤ちゃんだった愛子さんの目が、(おそらく)冬の風が見えているかのように、つぶらに空に向かってみひらいている。と。

紀宮さまはこの時、愛子さんのお幸せを、心に念じておられたと思います。まっすぐに、やはり姪ごさんでいらっしゃるみどり児の愛子さんの幸せを。


もっといっぱいおうたをたのしみたいですが、この下 ↓ のうた、よくよく読むと、言葉を失うようなあやしいもの。


     小さき手に早苗を植ゑしふみしむる六月の土ひにぬるむ田に


               文仁親王殿下ご結婚奉祝歌御題 早苗



次兄であられる秋篠宮殿下の、ご結婚の折の奉祝歌、とされています。


不思議なうたです。これは、妹君の紀宮さまが詠まれたうたです。そのはずです。紀宮さまの本に掲載されているのですから。

うたの意は、(うたわれている本人=文仁親王)が、

「小さな手に早苗を植えた、踏みしめる六月の土」、

「ひにぬるむ田に」。

・・ひにぬるむ・・・体感的な表現、と、言えるのでしょうが。

そこはともかくいちばん???疑問なのは「小さき手に」なのです。

詠み手の紀宮さまは、妹君。文仁親王より四年も後に生まれておられて、ものごころついた頃に、お兄さまがまだ「小さき手」の持ち主であったにしても。なにせ自分の方のが小さいのだから。

小さき手、と感じ、詠むのは、歳が上のヒトだと、フツウは解釈されませんか。

お母さんとか叔母さまとか。

年上の、どなたか。姉くらいでは、こうは見ないし詠まないのではないか。実際には見てはいたにしても。

うたからは、とても小さい手で、の雰囲気を感じます。えらかったのよねえ、あの時は、みたいな。ただ、上の方にあげた紀宮さまのおうたにまつわっている、抑えているけど強い愛情、のような匂いは、どうでしょうか。あまり私には届いてくれません。

田植えは皇室にとって大切なことですし、それをさせていたうたでもあり。

でも。

妹の詠んだうたではないだろう。

「小さき手に早苗を植ゑしふみしむる六月の土ひにぬるむ田に」

この一首「ふみしむる」と言葉を置いて、おそらくこれは、文仁さまの「ふみ」に、かけているのだと考えるのですが。

小さな手で早苗を植えたなあ、六月の土が、陽に・・・日に・・・ぬるむ田んぼに、という意味ですか。

田植えする土が、日に、すこうし温められていた、となりますか。

それ、(ご本人の宮さまに)きもちよかったのか、そうでなく?。

まあ。うたの言葉をどう選ぶかは、他者があれこれ言うべきものではないでしょう。

「文」と「ふみ」をかけて、そういった技巧を用いて作者はご満悦だったかもしれないのです。たとえば美智子さんなら、そういう方向に気持ちが行く・・かも、しれませんね。


 しかし。

この一首、お兄ちゃんの「小さき手の時代の田植え」を知っている妹、の、うたでしょうか、そうなのでしょうか。

身近な女性の詠んだうた、とするなら。

お母さんが、息子さんの結婚を奉祝するとして、あんな時代もあったわね、と。


詠まれたというなら、それなら、よくわかります。

でも、妹さんが著者である本の中に、納められたうたなんですよ。



しつこいKUONがもっと言いますと、このうたは、聞いた情景を想像して詠んだうた・・紀宮さまが母上に、お兄さまのこんな姿を・・・といったことを「聞いて」うたったのでないと思われるのです。

「植ゑし」

と、明確に書かれている、これは「植えた。」と、過去形なのですが、紀宮さまが、聞いた情景を詠まれたのなら、正確に言えば「植ゑしとふ」・・・植えたという、こういう感じのうたいぶりになります。一般的な話をしています。例外はありますが。

植ゑし、は、この記憶の持ち主が、そういう事実があった、と、書く言葉と考えられます。

紀宮さまには、この言い切り方は、おできにならない、とも、考えています。

完成したご立派なおうたであろうとも、この一首が「紀宮さまのうた」にされているのが、何とも言えない私。

ぼったくった・・・

少しやっぱり書いておきたいので書きます。楽しかった日のこと。

会社の決算やボーナス支給やらの時期で、じたばたしていた中、お友達と神戸で待ち合わせて夕方まで、とても楽しかったです。

遠くから新幹線で来てくれて。予約もして下さっていた(いつも丸投げで、予約などもしてもらう・・ありがとう、ごめんなさい)北野ホテルでランチ。デザートが美味しかったです。超・人気で、この日も玄関やロビーに団体客の多かったこのホテルについての感想は、これだけ。(笑)。来たの初めてでしたので、来られてよかったな~、と。重厚なお洒落なホテルです。

正面にいる彼女の笑顔が素敵でした。よく喋りながら食べているのに、とても優雅なのです。ものすごく忙しいヒトなのに、せかせかしていないのが好きです。

そこを出て、以前も粘ったにしむら珈琲店を探したのに、二人とも「ド」のつく方向音痴で。北野坂の店を探せないで、道行く人に尋ねて教わったのは。本店の方でした、ここへも昔、このお友達と一緒に来た・・・。

店員さんのマナーと笑顔が素晴らしいお店、そして珈琲が、もちろん美味しい。

一応コースでランチ食べて来たのに、もうちょっと何か、で、パストラミなんちゃらサンドイッチを一皿頼みました。

切り口スパッと美しく、ボリュームも惜しげの無い、大満足のサンドウィッチ。つまみながら喋るわ喋るわ。

窓の外に黄昏色が迫りくるまで、喋り倒しておりました。

私は主に、聞き役。ホント。私はいつも聞き役なんです。静かにうなずきながら聞くに徹する。あのねあのねとぎゃあぎゃあ、わめかない。ホントですから。でも、少しはぎゃあぎゃあ、息切らして、ヒトのワルクチも言いました。女同士でのワルクチ合戦は楽しい。

サンドは、半分このはずが、ひときれ多く私が食べちゃった気がします。素直に認めます、これは。

で。もちろん、旅費を使って遠方から来てくれた彼女とも、飲食は割り勘です、私が計算しました。

1150円受け取ってわが財布に入れ、5000円札を出して、お願い支払しておいて下され、と、化粧室へ行き、レジのところにいた彼女に、レシートとお釣りをもらってそれもそのまま財布に突っ込み、神戸はもうすっかり夜の街の色、ウロウロしないでタクシーを止め、先に乗って行ってと勧められるまま乗り込んでバイバイと手を振って、帰って来ました。

二年ぶりくらいかなあ、会うの。気持ちにひっかかるところが何も無い、楽しくて懐かしいお友達。

帰って気づきました、その大好きな友達から、わたし、1150円、受け取った。

支払いの合計は1700円だったようです。おつりは3300円だったそうです(レシートを見ての推理)。

さて問題。わたしは、どんな勘違いをしでかして、大切なお友達から、どれだけ余分に、おかね、もらっちゃったのでしょうか。

今度また会えた時に、.お返ししますと連絡しました。また会って返してもらわなあかんなあ、と、文字で笑って下さいました。

・・・で。いくら、わたしは、返したらいいのでしょうか・・・ぼったくりの(笑)KUONでした。



鶴。

五です。

去年11月の6日にもわたしは、この紀宮さまの文書の中の「君が代問題」・・・こういう言い方は好まないのですが、そのまま使います、について書いています。

週刊文春誌の1993年6月10日号の記事にあったことを、BBさんが細かく書いておられ、それに触発されて 私も、ということだった記憶があります。もう一度ご紹介したいのです。箇条書きにしたりで読んでいただきにくいかも知れませんが。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・皇太子の結婚式に「君が代」演奏をしない決定がなされた。

・宮内庁幹部からも

「え、何を勘違いしているんでしょうね。国家行事で国歌が演奏されないなんてありえないこと。外国に知れたら物笑いのタネですよ」

・不可解な話だが、今回の決定は儀式を担当する式部職など一部の関係者によって。

「しかし、式部職だけで、こんな重大問題を決定できるわけがない。少なくとも天皇皇后は了解されていたと思います。」というよりむしろ。

・式部職の説明会に出席した記者の一人はこんなことも

・「大体、‘しっくりしない‘とか‘即位の礼の時の雅楽調の君が代はちょっと‘なんて理由をあげるくらいですから。宮内庁の担当者は、この問題の重大さの認識なんて無いんです。(略)」

・宮内庁楽部の関係者の一人は憤然とした面持ちで

・「雅楽の演奏がしっくりしないというが、我々は洋楽演奏だってできるんです。大体、君が代の作曲者といわれる林広守は雅楽のヒト。君が代はもともと雅楽の曲なんですからね」。

・「四年前の天皇即位のときは、パレードも君が代を演奏し、祝典行進曲に送られて出発したんです。今回はパレード出発時も君が代演奏はありません」。

・が、パレードはともかく、皇居での「饗宴の儀」に招かれた客、殊に外国大公使などは、当然耳にすべき「君が代」が演奏されないことには、やはり違和感を感じるにちがいない。と。

・たとえば正式の宮中晩餐会があれば、そこでは来賓の国の国家と君が代が演奏される、その形が当然、ずっとそれで来ている。

・「儀式というのは型どおりにおこなってこそ儀式なんです」。

・最近の宮内庁はやることに一貫性が無い、矛盾しています(女性誌記者)。

・‘今や宮内庁は機能停止状態(元宮内庁関係者)

・「皇室のあり方についての定見など、まったくない‘イエスマン‘ばかりが天皇家の周囲に群がっている。それが今の宮内庁の実情です」。



・「昭和天皇の時代と違って、今は天皇家から、特に皇后あたりから、ああしたい、こうしたい、という注文が実に多いそうです」



・{それは悪いことではないけれども、宮内庁はいい意味でそれをコントロールするのが役目。一般の家庭とは違うんですから。そういう機能を宮内庁はまったく果たしていない」。

・・・などと書かれています。

アルマーニを着た右翼、などと呼ばれた、自死された野村秋介さんの

・「天皇は日本の伝統文化の継承者。文化はフォルム(形)です。今回のことは、それを崩すこと。信じがたい、由々しき問題です」。

・・・とにかく事実として。

皇太子の結婚式に、君が代演奏はなされず。

その代わり、かどうか、 皇太子の偉大さをたたえたい企てか(完全にアチラの将軍さま絶賛モード) 、饗宴の儀、の冒頭には、なんと。

皇太子殿下・ナルちゃんの、その年1993年・平成五年の宮中歌会始の儀、のおりの「皇太子のうた」が、使われることになっていて。

雅楽伴奏で。以下のうたです。

 ・大空に舞ひ立つ鶴の群眺む幼な日よりのわが夢かなふ 

 ・おほぞらに まひたつつるの むれながむ をさなびよりの わがゆめかなふ

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まあ。原型をとどめない「なるひとさまのうた」でしょうから、感想は避けます。型通りのおめでたいうたで。

ナルさんは、幼い頃から、結婚するのが夢、でいらしたのでしょうか。

そうなのか。ふうううううううううううううううん。

で。

文春さんあっぱれ、な、22年前の記事の中に、こういった部分もありますね。

(新郎のうたを披歴して、それが中心となるとして、日本の国の東宮。皇嗣。第一皇子。そのヒトの結婚式に、国歌の演奏をカットする、という意味だと考えるのですが)

(そんなの、どこの国から来賓を招いたところで、という意味を込めて)

(ナルさんが欲しかったおよめさんをもらうための、わあい、わあいの大盤振る舞い、の意味を含めて)

 私的な結婚式ではないか。なぜに、それに対して、税金を注入する? 

というもっともな疑問も、呈されていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で。これを書いた時には私には、ピンと来ていませんでした。

今回、これを書いている今。

 「鶴」 

ですと。鶴。この言葉に反応しています。

先日、明らかに内親王でない娘さんと、親子ごっこしていた皇太子ナルヒト。

自分で折っていない鶴を、二人ともが、てのひらに載せていた。

白い鶴です。

「君が代」演奏を取りやめて「鶴」を詠んだうたを、皇太子の結婚式に披瀝した、平成の皇室。

ナルが詠んだ、ということにして、場のために用意されたうた・・・

「ナルを取りこんで、さあこれから」。

総毛だつとはこの感覚でしょう。

白い鶴とは、あの三色旗の方々への、メッセージ。

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ここでも娘さんを利用してる。

四です。


うたについてもっと書きたいですが、はざまに少し、以下のようなことも。

紀宮さまの著書「ひと日を重ねて」より。


   平成六年  お誕生日文書回答(p、083~)


「皇太子様のご婚約が決定する前には、マスコミによって騒がれた多くの人々の生活が乱され傷つきました。今、私のことについて同じような状況が繰り返されているのをとても心苦しく残念に思います。

実際とまったく違うことが事実として報道され、その真偽が問われないまま、その上に批判が加えられるということは、大変危険なことだと思います。

昨年の皇室報道の中で、皇太子ご成婚の折の「君が代問題」のような大きな事柄までもが、そうした扱いを受けたのは恐いことでしたが、私自身にとっては、もの心ついた時からお側で拝見している両陛下のご生活自体が、まったく違う伝えられ方をしたことが一番悲しく思われました。



       *皇太子ご結婚委員会の決定による饗宴の儀における

       「君が代」演奏の取り止めについて

       両陛下や皇后様の意向によるものとした記事が報道された。(p,84)



ま、そのう。皇室の次代。皇太子の結婚式に、国歌「君が代」の演奏が取りやめられたのは、事実でした。

紀宮さまが、あの方と思い難いようなお怒りの言葉を発しられていますように、他の誰ならぬ皇太子の結婚式に、君が代を、取りやめたことについて、取沙汰されたのでした。

なにゆえか。と、思いますよね?。

過去に記事にした記憶がありますが、今は探し出せません。整理整頓まったくできていない身の不徳・・・。

「皇太子ご結婚委員会」とは何なのか。

ナルさんとまさこの結婚を、会費制でやりましょう、最小限の予算で、最大限に盛り上がるヤツを、何せ人気者のカップルだからぁ、国民にメーワクかけないように、会費制で、とか ?? まさか。← ひどいジョークです。

そしてそこが、どうして、君が代の演奏を・・・初めは「あり」で決まっていたということですね、取り止め、の言葉は。。止めるって木決めた??。

ナルさんには、どちらにせよ何かを「決定」するチカラは無い。断言。

またこたまは、君が代、好きかキライか、どちらであらせられたか??。

天皇家の後嗣の結婚式。国の行事でもある。その中でのことを、決めるのは、それは、美智子さま。でしか、ありませんでしょう。

天皇の夫人は、

日の丸も。自衛隊も。おそらく神道も、ゆえによって、国家「君が代」も。

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お嫌い。


・・・・・紀宮さまはここで(83ページ)、険しく怒っておられるのですね。

違和感たっぷり。

同じようなこと、ミテコさんも幾度も、言うてはりましたわ。

ミテコの方向は解っています、が、この内容。

どなたから発せられたか、脳内にイメージしてみますと。

ラスボスと今では云われる、あのお方でしかない。ミテコさん、腹が立っておられたのですね。それを、

清子さまがお怒りのごとく、出させたのですね。

すごいお母さまですのね。

<もの心ついた時からお側で拝見している両陛下のご生活自体が、まったく違う伝えられ方をしたことが

一番悲しい、と。


紀宮さまは、そのお家にお生まれの内親王。もの心ついた時から、どころか。生まれてからずっと、お側におられたお子さんのような気がします、わたしには。

そうなのですよね? 言葉のアヤ? 何かがつい、こぼれた? 考え過ぎ?。

>両陛下や皇后様の意向によるものとした記事が報道された。

この部分、KUONの書き写し間違いではありません。原文通りです。

「両陛下や皇后様」って。きょーれつです。



「実際とまったく違うことが事実として報道され」

ここは、ある意味、逆向きに、そうですね。

力で押して来たことが、その「本当」が、ばらばらとバラされかけて来ている、今。






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・・・・・


としどしに わがかなしみは ふかくして 

いよよはなやぐ いのちなりけり


      岡本かの子

             


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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