服喪の時期に自分の首を
皇后さま“頸椎症”による痛み強まる
2016年10月28日 22時36分
日テレNEWS24
宮内庁は、皇后さまの持病の「頸椎症性神経根症」による痛みが、今月25日から強くなっていることを明らかにした。
宮内庁によると、皇后さまは京都滞在中だった今月25日の夕方ごろから、持病の頸椎症性神経根症による肩の辺りの痛みが強まり、26日に帰京してから侍医による治療を受けられているという。
痛みは今も続くものの、今のところ、三笠宮さまの逝去に伴う弔問や公務への出席は予定通り行うという。ただ宮内庁は今後、強い痛みが出るようであれば、予定の変更などの対応も検討したいとしている。
皇后さまは2005年に「頸椎症性神経根症」と診断されていて、その後も、しばしば左の首筋から腕にかけて痛みなどが出ることがあり、公務を休まれたこともあった。
さっき帰宅して、パソくん開けましたら、まああ大変、なニュースが。まあ大変。おいたわしい。~~~わたしのこころは留守模様。
よくぞこんな時に、自分の首の痛みなんぞ、おっしゃいますことよ。
ご自分的には三笠の宮家は「身内」でなくても、美智子さんは、皇室の長の夫人ではありませんか。いま、自分のこと、言うか~?。
100歳のご夫君を亡くされた妃殿下の、胸の内やお疲れをおもんぱかれば(そんな気は無いでしょうが、いっつも、人の気持ちに寄り添うとか痛みがどうとか、言うてはるもん、そうだと思ってしまっていましたのよKUON)、とりあえずの痛みは除けられるでしょう,、その「痛み」を、公表させるか~?。
ご慈愛のこーごーさま、表立っては控えられつつ、例のあの
「愛のスープ」
を、差し入れてさしあげたり、今回も、なさればよろしいのに。
自分で作るわけでなし、人に命じて届けさせればいいだけのこと。
あちらさまが、要らないわと、思われるかどうかは、気を、いっそう悪くされるかどうかは、今までのお付き合いのなさりようによる、かもしれません。
自分の実家関連は別ですが、婚家先「皇室」での親戚付き合い、ほとんど無いのです、あの方。日本一の旧家と言われてそれです、お気楽でいいですね。
・・・皮肉ばっかり言っていますねワタシ、だって、言いたいんですもん。噴き上がって来るんです。
まあココロ鎮めましょう、よしんば(古い言葉・笑)。
スープ差し入れ無しでも、這って行ってでもの慈愛のお言葉かけ、をされなくても。
ともかくご葬儀一切、天皇夫婦は表に出ないでいいお立場なのですから、ご自身は望むがままに最高の治療を受けながら、静かに無言で黙って引っ込んでおられれば、この場は「済む」であろうのに。
私KUONは不遜な申しようながら、逝去された三笠の殿下に大きな思い入れはありませんのですが(どっちかと言えば、あの宮家の方々は、お一人を除いて、まったく好きでは無い)、美智子さん、長男のヨメ、ですやんか。
んなこと、望む方が、と、今ではわかってはいます・・・人より自分、のお方ですもの。
でも。でもでもで~も。
「アタクシの、皇后の、首の痛い」事なんか、報道させなくてよろしいのに。宮内庁が勝手にしたと仰せか?
ミテコさんの首のことより、学習院の文化祭に「出た」という、金魚すくいを「した」という、東宮家の娘さんが、どの愛子さんなのか、そちらの方を、真相を。私は、知りたいと、思います。
黙ってろ、引っ込んでろ。私がやんちゃな年齢半分くらいのオトコなら、そう言いたい。
服喪の時期ならなおのこと、黙ってお家においでなさいませ。
2016年10月28日 22時36分
日テレNEWS24
宮内庁は、皇后さまの持病の「頸椎症性神経根症」による痛みが、今月25日から強くなっていることを明らかにした。
宮内庁によると、皇后さまは京都滞在中だった今月25日の夕方ごろから、持病の頸椎症性神経根症による肩の辺りの痛みが強まり、26日に帰京してから侍医による治療を受けられているという。
痛みは今も続くものの、今のところ、三笠宮さまの逝去に伴う弔問や公務への出席は予定通り行うという。ただ宮内庁は今後、強い痛みが出るようであれば、予定の変更などの対応も検討したいとしている。
皇后さまは2005年に「頸椎症性神経根症」と診断されていて、その後も、しばしば左の首筋から腕にかけて痛みなどが出ることがあり、公務を休まれたこともあった。
さっき帰宅して、パソくん開けましたら、まああ大変、なニュースが。まあ大変。おいたわしい。~~~わたしのこころは留守模様。
よくぞこんな時に、自分の首の痛みなんぞ、おっしゃいますことよ。
ご自分的には三笠の宮家は「身内」でなくても、美智子さんは、皇室の長の夫人ではありませんか。いま、自分のこと、言うか~?。
100歳のご夫君を亡くされた妃殿下の、胸の内やお疲れをおもんぱかれば(そんな気は無いでしょうが、いっつも、人の気持ちに寄り添うとか痛みがどうとか、言うてはるもん、そうだと思ってしまっていましたのよKUON)、とりあえずの痛みは除けられるでしょう,、その「痛み」を、公表させるか~?。
ご慈愛のこーごーさま、表立っては控えられつつ、例のあの
「愛のスープ」
を、差し入れてさしあげたり、今回も、なさればよろしいのに。
自分で作るわけでなし、人に命じて届けさせればいいだけのこと。
あちらさまが、要らないわと、思われるかどうかは、気を、いっそう悪くされるかどうかは、今までのお付き合いのなさりようによる、かもしれません。
自分の実家関連は別ですが、婚家先「皇室」での親戚付き合い、ほとんど無いのです、あの方。日本一の旧家と言われてそれです、お気楽でいいですね。
・・・皮肉ばっかり言っていますねワタシ、だって、言いたいんですもん。噴き上がって来るんです。
まあココロ鎮めましょう、よしんば(古い言葉・笑)。
スープ差し入れ無しでも、這って行ってでもの慈愛のお言葉かけ、をされなくても。
ともかくご葬儀一切、天皇夫婦は表に出ないでいいお立場なのですから、ご自身は望むがままに最高の治療を受けながら、静かに無言で黙って引っ込んでおられれば、この場は「済む」であろうのに。
私KUONは不遜な申しようながら、逝去された三笠の殿下に大きな思い入れはありませんのですが(どっちかと言えば、あの宮家の方々は、お一人を除いて、まったく好きでは無い)、美智子さん、長男のヨメ、ですやんか。
んなこと、望む方が、と、今ではわかってはいます・・・人より自分、のお方ですもの。
でも。でもでもで~も。
「アタクシの、皇后の、首の痛い」事なんか、報道させなくてよろしいのに。宮内庁が勝手にしたと仰せか?
ミテコさんの首のことより、学習院の文化祭に「出た」という、金魚すくいを「した」という、東宮家の娘さんが、どの愛子さんなのか、そちらの方を、真相を。私は、知りたいと、思います。
黙ってろ、引っ込んでろ。私がやんちゃな年齢半分くらいのオトコなら、そう言いたい。
服喪の時期ならなおのこと、黙ってお家においでなさいませ。
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不遜なのか?
三笠宮さまご逝去:皇室典範制定時 「生前退位」規定主張
今朝の毎日新聞で読んでいたことを、さきほどネットでも読みました。
亡くなられたばかりの方を、どうこう云うのは避けたい気持ちは、ふつうに持っております。
・・記事は、以下の内容でした。
三笠宮さまご逝去:皇室典範制定時 「生前退位」規定主張
終戦直後 当時の政府認めず
三笠宮さまは1946年、「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」と題する意見書を作成し、新憲法のもとで制定される新しい皇室典範に天皇の「譲位(生前退位)」を認める規定を盛り込むよう主張されていた。
吉田茂内閣は46年7月、諮問機関「臨時法制調査会」を設置。調査会は皇室典範について、明治期に制定された旧皇室典範を踏襲し、天皇の生前退位を規定しない要綱を答申した。三笠宮さまの意見書はこの答申に異論を唱えたものとされる。
三笠宮さまは意見書で、天皇が亡くなった場合のみ皇位継承が行われることについて「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」と疑問を呈した。内閣と天皇で「重大問題」について意見が異なった場合、「譲位といふ最後の道」は天皇に残しておく必要があると述べ、譲位が認められないならば「天皇は鉄鎖(てっさ)につながれた内閣の奴隷と化す」と指摘した。
だが当時の政府はこうした立場をとらなかった。退位を認めない理由について政府は、天皇の地位を安定させるためと説明したが、戦争責任を問う声も上がっていた昭和天皇の退位を回避しようとした事情もあったとされる。国会審議で金森徳次郎国務大臣(当時)は「天皇一人の考えによって、その位を動くことは、国民の信念と結びつけると調和せざる点があるのではないか」と答弁している。
皇室典範は衆議院と貴族院(当時)で可決され、新憲法と同じ47年5月3日に施行された。【高島博之、山田奈緒】
以上です。
云われていたように、三笠宮さまは、
おつむの、およろしい、皇族
のお一人の、お気持ちで、仰ったのでしょうか。
こんな風に、こんなことを主張できる土台が、まだ、あったのですね、そうなのでしたね。。
皇族であること、は、言うまでも無い特権的なことであって。
食も無く家も無く家族は死んだり離散したり、の国民は、終戦の翌年の、戦争が終わったばかりの年の、こういった話を。
まさか、ネットで読み得たなんてことは、無かった時代。
でしたよね。
新憲法の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」
とは殿下、この「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない」って、何人って、奴隷のように暮らすことを受け入れざるを得ないで生き、死んで行った方々のことですよ、特権的階級は滅びようとしていた折も折、精神、なんて言葉を使って、何の寝言をこねられたか。
天皇とは何か。わかっちゃおられなかったのですよね? 祭祀をする人、それが天皇、という認識は無く。
なんで天皇やからって、止めたいときに止められないんや、奴隷のように生きろと強いられなあかんのや、と。
やっぱり、真っ赤なお方でした。
赤の全てをいけないとは、私には言いきれません、でも、皇族の特権の中で生きながら、赤いなんて、初手からおかしいです。
ええとこ取りはいけません。そういうタイプ、皇室に多いので、がっくりなのですが。
・天皇が亡くなった場合のみ皇位継承が行われることについて「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」と疑問を呈した。
・「譲位といふ最後の道」は天皇に残しておく必要があると述べ、譲位が認められないならば「天皇は鉄鎖(てっさ)につながれた内閣の奴隷と化す」と指摘した。
私には、難しくはわかりません。
が。おつむのおよろしいご皇族は、つまり皇族という地位、身分(この言い方でいいでしょうか)の特別なお方であって、何にもわかっちゃいなかった、とは、このたび強く思いました。
言うのもアホなことですが。
この方は、ご自身が後に、正義の味方然として批判したあの戦争で。
命を落とすことなく。
家族の誰をも失うことなく。
世が落ち着いて来れば、思うさま学問に打ち込まれ。
学者の宮さまと仰がれ。
ダンスにスケートに、あと、さまざまな楽しそうな写真を山ほど遺され。
三人のご子息のご生前には、ご息女の嫁ぎ先にも恵まれ、次々にお孫さんにも恵まれ。
ご夫婦仲も睦まじく。下賤の言葉で申しますれば、怖れながら忖度させていただきますれば、
自分のトコは、ご本家よりも弥栄。
「わが世の春」
を、謳歌なさっていらしたのではないかと。
最後は、当然のごとく当たり前のごとく、大病院の特別室(美智子さまの大「親友」の爺さん医師の病院でしたね、聖路加病院)で、これ以上は望めないような高度の治療を施され。
タイミングよく「検査入院」なさっていたと報じられる奥方様に見守られて、天寿を全うされた。
没後まもない方について、どうこう云わないといいながら、書いてしまいました。
三笠宮さまは、
「奴隷」のごとき「天皇」の、弟君でいらっしゃり、「叔父上」でいらっしゃいました。
そうなのかなあ? 、と、思うKUONは、今朝、不遜のヒト、ですかしら。
奴隷だって。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で。自分だけが不遜、不敬って見られるのイヤだわ、と、わたしKUON、わがまま親父さんのご意見を、頂戴して参りました。
事後承諾で貼ってしまいますが、親父さん、お怒りにはならんわ、と、確信しております(笑)。
>この三笠宮、昭和天皇の末弟ではあったが、生きてきた間での評価は色々と分かれる、保守主義、やや右系の人々の間では赤い皇族と呼ばれていた、軍人、参謀上がり、軍人時代はクーデターまがいの企みもあったようだが、その姿勢は一貫として日本は間違った戦争をやった、日本以外のアジアの国に悲惨な惨禍を与えた、このような自虐史観思想を持ち続けてきた宮であった。
ならば、皇族の席を離脱して一般人として好きなだけ反省と悔悟をし悔い改めていればいいと思うが、ところが実際にはそうはしなかった。
皇族、三笠宮家として美味いもの喰い、立派な住居、御殿に住み、どうでもいいような研究をし、どうでもいいようなリクレーション団体総裁とか、好きなように暮らしてきた、戦後の日本人がどんな暮らしをしてきたのか、喰うものもなく、住む家もなく、着る物もない時代、のうのうと暮らしてきたその癖に支那の反日日本嫌いの江沢民が皇族晩餐会で日本悪玉論を言いたい放題言っているのに、追従、正に仰る通りでございますだ、まったく、何を言っているのか、あきれるが、
こんな事もあって昭和天皇とは仲が悪かったらしい。
さて、タイトルにタイミングとつけた、それはこの三笠宮殿下の死で皇族方7日間の喪に服すそうである。この結果、来日中だったフィリピンのドゥテルテ大統領と今上陛下夫妻との面会もキャンセル、続いて予定されていた秋の園遊会も取りやめとある。
美知子皇后のお誕生日行事はちょうど上手いタイミングでずれてくれた(偶然か?)
三笠宮、聖路加病院で亡くなったとある、まず、この病院はキリスト教系病院、昔でいえば耶蘇の病院、神道系天皇皇位継承者でもあった三笠宮が何故、耶蘇系病院なのか、そしてもっといえばこの聖路加病院、目の玉が飛び出る位お高い病院として有名である、国民の税金で払う皇族特権だろうがとは思うが、
宮内庁発表では肺炎から最後は心不全らしいが、いずれにしてもある程度の生命維持装置は付けていたと思っている、この装置、死後に外したのか、外したから御臨終になったのか、それは分からない。
これはうがった見方として、こういう見方もあるとして書いておく、我がまま親父の独り事として、、、、<
ありがとうございました。
私も同じ考えです。
今朝の毎日新聞で読んでいたことを、さきほどネットでも読みました。
亡くなられたばかりの方を、どうこう云うのは避けたい気持ちは、ふつうに持っております。
・・記事は、以下の内容でした。
三笠宮さまご逝去:皇室典範制定時 「生前退位」規定主張
終戦直後 当時の政府認めず
三笠宮さまは1946年、「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」と題する意見書を作成し、新憲法のもとで制定される新しい皇室典範に天皇の「譲位(生前退位)」を認める規定を盛り込むよう主張されていた。
吉田茂内閣は46年7月、諮問機関「臨時法制調査会」を設置。調査会は皇室典範について、明治期に制定された旧皇室典範を踏襲し、天皇の生前退位を規定しない要綱を答申した。三笠宮さまの意見書はこの答申に異論を唱えたものとされる。
三笠宮さまは意見書で、天皇が亡くなった場合のみ皇位継承が行われることについて「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」と疑問を呈した。内閣と天皇で「重大問題」について意見が異なった場合、「譲位といふ最後の道」は天皇に残しておく必要があると述べ、譲位が認められないならば「天皇は鉄鎖(てっさ)につながれた内閣の奴隷と化す」と指摘した。
だが当時の政府はこうした立場をとらなかった。退位を認めない理由について政府は、天皇の地位を安定させるためと説明したが、戦争責任を問う声も上がっていた昭和天皇の退位を回避しようとした事情もあったとされる。国会審議で金森徳次郎国務大臣(当時)は「天皇一人の考えによって、その位を動くことは、国民の信念と結びつけると調和せざる点があるのではないか」と答弁している。
皇室典範は衆議院と貴族院(当時)で可決され、新憲法と同じ47年5月3日に施行された。【高島博之、山田奈緒】
以上です。
云われていたように、三笠宮さまは、
おつむの、およろしい、皇族
のお一人の、お気持ちで、仰ったのでしょうか。
こんな風に、こんなことを主張できる土台が、まだ、あったのですね、そうなのでしたね。。
皇族であること、は、言うまでも無い特権的なことであって。
食も無く家も無く家族は死んだり離散したり、の国民は、終戦の翌年の、戦争が終わったばかりの年の、こういった話を。
まさか、ネットで読み得たなんてことは、無かった時代。
でしたよね。
新憲法の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」
とは殿下、この「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない」って、何人って、奴隷のように暮らすことを受け入れざるを得ないで生き、死んで行った方々のことですよ、特権的階級は滅びようとしていた折も折、精神、なんて言葉を使って、何の寝言をこねられたか。
天皇とは何か。わかっちゃおられなかったのですよね? 祭祀をする人、それが天皇、という認識は無く。
なんで天皇やからって、止めたいときに止められないんや、奴隷のように生きろと強いられなあかんのや、と。
やっぱり、真っ赤なお方でした。
赤の全てをいけないとは、私には言いきれません、でも、皇族の特権の中で生きながら、赤いなんて、初手からおかしいです。
ええとこ取りはいけません。そういうタイプ、皇室に多いので、がっくりなのですが。
・天皇が亡くなった場合のみ皇位継承が行われることについて「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」と疑問を呈した。
・「譲位といふ最後の道」は天皇に残しておく必要があると述べ、譲位が認められないならば「天皇は鉄鎖(てっさ)につながれた内閣の奴隷と化す」と指摘した。
私には、難しくはわかりません。
が。おつむのおよろしいご皇族は、つまり皇族という地位、身分(この言い方でいいでしょうか)の特別なお方であって、何にもわかっちゃいなかった、とは、このたび強く思いました。
言うのもアホなことですが。
この方は、ご自身が後に、正義の味方然として批判したあの戦争で。
命を落とすことなく。
家族の誰をも失うことなく。
世が落ち着いて来れば、思うさま学問に打ち込まれ。
学者の宮さまと仰がれ。
ダンスにスケートに、あと、さまざまな楽しそうな写真を山ほど遺され。
三人のご子息のご生前には、ご息女の嫁ぎ先にも恵まれ、次々にお孫さんにも恵まれ。
ご夫婦仲も睦まじく。下賤の言葉で申しますれば、怖れながら忖度させていただきますれば、
自分のトコは、ご本家よりも弥栄。
「わが世の春」
を、謳歌なさっていらしたのではないかと。
最後は、当然のごとく当たり前のごとく、大病院の特別室(美智子さまの大「親友」の爺さん医師の病院でしたね、聖路加病院)で、これ以上は望めないような高度の治療を施され。
タイミングよく「検査入院」なさっていたと報じられる奥方様に見守られて、天寿を全うされた。
没後まもない方について、どうこう云わないといいながら、書いてしまいました。
三笠宮さまは、
「奴隷」のごとき「天皇」の、弟君でいらっしゃり、「叔父上」でいらっしゃいました。
そうなのかなあ? 、と、思うKUONは、今朝、不遜のヒト、ですかしら。
奴隷だって。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で。自分だけが不遜、不敬って見られるのイヤだわ、と、わたしKUON、わがまま親父さんのご意見を、頂戴して参りました。
事後承諾で貼ってしまいますが、親父さん、お怒りにはならんわ、と、確信しております(笑)。
>この三笠宮、昭和天皇の末弟ではあったが、生きてきた間での評価は色々と分かれる、保守主義、やや右系の人々の間では赤い皇族と呼ばれていた、軍人、参謀上がり、軍人時代はクーデターまがいの企みもあったようだが、その姿勢は一貫として日本は間違った戦争をやった、日本以外のアジアの国に悲惨な惨禍を与えた、このような自虐史観思想を持ち続けてきた宮であった。
ならば、皇族の席を離脱して一般人として好きなだけ反省と悔悟をし悔い改めていればいいと思うが、ところが実際にはそうはしなかった。
皇族、三笠宮家として美味いもの喰い、立派な住居、御殿に住み、どうでもいいような研究をし、どうでもいいようなリクレーション団体総裁とか、好きなように暮らしてきた、戦後の日本人がどんな暮らしをしてきたのか、喰うものもなく、住む家もなく、着る物もない時代、のうのうと暮らしてきたその癖に支那の反日日本嫌いの江沢民が皇族晩餐会で日本悪玉論を言いたい放題言っているのに、追従、正に仰る通りでございますだ、まったく、何を言っているのか、あきれるが、
こんな事もあって昭和天皇とは仲が悪かったらしい。
さて、タイトルにタイミングとつけた、それはこの三笠宮殿下の死で皇族方7日間の喪に服すそうである。この結果、来日中だったフィリピンのドゥテルテ大統領と今上陛下夫妻との面会もキャンセル、続いて予定されていた秋の園遊会も取りやめとある。
美知子皇后のお誕生日行事はちょうど上手いタイミングでずれてくれた(偶然か?)
三笠宮、聖路加病院で亡くなったとある、まず、この病院はキリスト教系病院、昔でいえば耶蘇の病院、神道系天皇皇位継承者でもあった三笠宮が何故、耶蘇系病院なのか、そしてもっといえばこの聖路加病院、目の玉が飛び出る位お高い病院として有名である、国民の税金で払う皇族特権だろうがとは思うが、
宮内庁発表では肺炎から最後は心不全らしいが、いずれにしてもある程度の生命維持装置は付けていたと思っている、この装置、死後に外したのか、外したから御臨終になったのか、それは分からない。
これはうがった見方として、こういう見方もあるとして書いておく、我がまま親父の独り事として、、、、<
ありがとうございました。
私も同じ考えです。
自粛。
三笠宮さまがお亡くなりになられました。
100歳。
100年は、長い歳月でいらしたでしょう。・・・中途半端なお悔やみは、控えさせていただきます。
今日の午後に予定されていた、天皇とフィリピン大統領との対面は、無くなりました。
11月の1日に催されるはずだった秋の園遊会は、取りやめに。
私感を記します。
陛下と爆弾発言大統領がお会いになるのは、とってもげひんな好奇心から、楽しみでした。
でも。
園遊会を取り止められるのは、どんなものかしら、と。過剰反応ではないか、と。
疑問を抑えられません。
初めて招かれた方に、もう次は無い。素直に、一生の栄誉と待っておられた方も多いのではないかしら。
まさこにはラッキー、な展開だと、知って即座に思いました。
人前に出にくいまさこは、着物だ洋服だ歩くのが15メートルだ20メートルだ、言われなくていい。
言われずに済んだ。
車を待たせておく必要も無い、ただ
ただ、
ジンギスカン用のお肉を、テイクアウトすることは、できない・・・ま
ま、それくらい、いいじゃん。
と、イヤミ言いながら実は、実は、腹がたっています。
愛子さんの看病で(何をするの?)岩手県へはドタキャン。待っていた方がおられたか否かは、別の話。
園遊会へ出て来たら何やかや、話題のタネになるは必至でした。確定でした。
出て来なければ、また、あれやこれや「ふさわしくない」方面の話題が盛り上がってしまうし。
出ても出なくても、まさこさんは大変。
園遊会そのものが無くなるなど、まあああ、なんてラッキー、ですよね、まさこさん。
宮さまはずっと、チューブだらけでいらしたのだとか。
今朝の、八時ごろに、心停止が、訪れた。
タイミングが、よろしかったのですね、と、言いかけて 自粛。
100歳。
100年は、長い歳月でいらしたでしょう。・・・中途半端なお悔やみは、控えさせていただきます。
今日の午後に予定されていた、天皇とフィリピン大統領との対面は、無くなりました。
11月の1日に催されるはずだった秋の園遊会は、取りやめに。
私感を記します。
陛下と爆弾発言大統領がお会いになるのは、とってもげひんな好奇心から、楽しみでした。
でも。
園遊会を取り止められるのは、どんなものかしら、と。過剰反応ではないか、と。
疑問を抑えられません。
初めて招かれた方に、もう次は無い。素直に、一生の栄誉と待っておられた方も多いのではないかしら。
まさこにはラッキー、な展開だと、知って即座に思いました。
人前に出にくいまさこは、着物だ洋服だ歩くのが15メートルだ20メートルだ、言われなくていい。
言われずに済んだ。
車を待たせておく必要も無い、ただ
ただ、
ジンギスカン用のお肉を、テイクアウトすることは、できない・・・ま
ま、それくらい、いいじゃん。
と、イヤミ言いながら実は、実は、腹がたっています。
愛子さんの看病で(何をするの?)岩手県へはドタキャン。待っていた方がおられたか否かは、別の話。
園遊会へ出て来たら何やかや、話題のタネになるは必至でした。確定でした。
出て来なければ、また、あれやこれや「ふさわしくない」方面の話題が盛り上がってしまうし。
出ても出なくても、まさこさんは大変。
園遊会そのものが無くなるなど、まあああ、なんてラッキー、ですよね、まさこさん。
宮さまはずっと、チューブだらけでいらしたのだとか。
今朝の、八時ごろに、心停止が、訪れた。
タイミングが、よろしかったのですね、と、言いかけて 自粛。
つつがなく・・・ない!。
時事通信
宮内庁の小田野展丈東宮大夫は25日の定例記者会見で、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(14)=学習院女子中等科3年=の欠席が続いていることを明らかにした。体調不良による欠席は先月26日からで、1カ月が経過した。
愛子さまは24日、久しぶりに東宮御所の外に出て庭を短時間散歩されるなど、少しずつ快方に向かっているが、回復にはもう少し時間が必要という。
愛子さま 体調不良続き、欠席1か月に
日テレニュース 2016年10月25日 18:14
体調不良が続く皇太子ご夫妻の長女・愛子さまが、学校を休まれてちょうど1か月になる。
宮内庁の小田野東宮大夫は会見で、体調不良が続く皇太子ご夫妻の長女・愛子さまが25日も学校を休まれていることを明らかにした。
愛子さまは「疲れ」から「ふらつき」や胃腸が弱るなどの症状が見られたため、先月26日から医師の指示で学習院女子中等科を休まれていて、25日でちょうど1か月となる。少しずつ食欲も戻り快方に向かっていて、24日は東宮御所の庭を散策されたということだが、依然として多少のふらつきがあり、回復にはもう少し時間がかかるという。
愛子さまは「早く学校に行って友達と会いたい」と話し、今週末、学校で行われる文化祭への参加にも意欲を見せられているという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛子さんの欠席が一か月を過ぎたことを、、宮内庁の東宮大夫が明らかにしています。
何が起きているのか、いわゆる「影子」との関係について、私たちには想像もつかない何らかの方向付けが行われているのでしょうか。
なかなか触れられなかったこと。先日のベルギー国王ご夫妻の来日の折りの、写真だけでもとどめておきたいです。
来日に際して、日本の「和」のものを、あれこれご覧になりたいのが、ご夫妻のご希望だったとか。
神社に詣で、鳥居をくぐり、大阪まで脚を伸ばして能をご鑑賞(「羽衣」)になられました。
私はこういうこと、とても嬉しいです。誇らしくも思います、日本に日本独自のものがあることを、そしてそれに、外国の方々が目と心を向けて下さることが。
機会を設けられれば、王妃様は楽しんで、お茶を召し上がって下さったでしょう、晩餐会にお薄をお出ししてもいいのに。と、思います。



すてきなご夫妻でした

日本の皇太子の妃は、和服も身に付けず、見苦しいカティシーどころでない、バッグを持ったままの左手まで王妃にしがみついて。
王妃さまは、4人のお子様をお育ての底力(失礼! 敬意は向けております)、ぐっと踏ん張って、もっと無様な姿をさらしそうだったまさこさんを、支えてくれはりました。
ナルさんはますすべもなく、ニタニタ。
この画像で王さまの表情が見えていないのは、いわば「救い」だと思います。
ほんとに。

このご夫妻には4人のお子様がおありになり、次期国王には第一子の王女さまが、と、すでに決まっています。
蛇足ですが、王室と皇室とは、基本、全く異なるものです。
どれだけリベラルだったりオープンだったりではあっても、ヨーロッパの王家のメンバーは、自分たちの義務として、ほぼ、貴賤結婚は行いません。
そこに人権云々は介在しない世界です。ベルギーの現・王妃も、出身は貴族階級。次代が男の子でも女の子でも、ですから、生まれた順に、王位の継承は成ります。
次が王子、もう一人王子さま、この第二王子が、発達障害を持って生まれておられることは、よく知られています。
そのことはご両親が早くに発表され、国民は淡々と受け止め(当然のことなのですが)、王子にふさわしい療育がほどこされていて、末っ子王女ともども、とても仲のいい4人きょうだいさんたちで・・・ミテコさんが一人で政府専用機を飛ばして飛んで行った、この国の元・元王妃の葬儀の場で、仲が良くお行儀のいい姿が、たくさん配信されていました。
日本の東宮家の一人娘さんが、どんな状態なのか、どんな風に育てられているか、国王ご夫妻は、普通にご存じでしょう。
どんな風に、感じておられたのでしょうか。
フィリップ王とナルさんは、同い年。
お子さんの年も、同じ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
びゅんびゅん飛ばして書きました。
愛子さんは、どんな具合なのでしょうか。
一か月も学校休むって、一般的には大変なことです。と、思います。
内親王さん、受験のしんどさには縁が無いでしょうが(わたしKUONの同居の孫は、ただいま中三、受験生にてございます、呑気な我が家ですが、でも、ちこっと、神経は使っております)、義務教育の期間は、毎日ガッコへ通う、そのこと自体が大切・・・とか、ミジンコの立場からモノを言うてもせんの無いこと。

愛子さん、どうしておられるか。

左が愛子さん、右は、これ、どこのお子。
このとき愛子さんは、このような笑顔でした。小学生から中学生への過渡期。

これは、愛子さんでしょう。
十代の女の子の表情の真っ暗なことに、ミテコさんではないが、
衝撃
驚き
痛み
を覚えました。ふざけているのではありません。
このような重大な「犯罪」が、そのままになっている、わが国。こんなことしていて、
「身内は全員、つつがなく」
と言い放つ皇后。
とにもかくにも。
愛子さんのご両親、祖父母さんがた。
愛子さんをどうされるのですか。
どう、されたのですか。
明日は、明日こそは(笑)、いただいているコメントの一つ一つに、一行ずつでも、お返事、書きます!。
宮内庁の小田野展丈東宮大夫は25日の定例記者会見で、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(14)=学習院女子中等科3年=の欠席が続いていることを明らかにした。体調不良による欠席は先月26日からで、1カ月が経過した。
愛子さまは24日、久しぶりに東宮御所の外に出て庭を短時間散歩されるなど、少しずつ快方に向かっているが、回復にはもう少し時間が必要という。
愛子さま 体調不良続き、欠席1か月に
日テレニュース 2016年10月25日 18:14
体調不良が続く皇太子ご夫妻の長女・愛子さまが、学校を休まれてちょうど1か月になる。
宮内庁の小田野東宮大夫は会見で、体調不良が続く皇太子ご夫妻の長女・愛子さまが25日も学校を休まれていることを明らかにした。
愛子さまは「疲れ」から「ふらつき」や胃腸が弱るなどの症状が見られたため、先月26日から医師の指示で学習院女子中等科を休まれていて、25日でちょうど1か月となる。少しずつ食欲も戻り快方に向かっていて、24日は東宮御所の庭を散策されたということだが、依然として多少のふらつきがあり、回復にはもう少し時間がかかるという。
愛子さまは「早く学校に行って友達と会いたい」と話し、今週末、学校で行われる文化祭への参加にも意欲を見せられているという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛子さんの欠席が一か月を過ぎたことを、、宮内庁の東宮大夫が明らかにしています。
何が起きているのか、いわゆる「影子」との関係について、私たちには想像もつかない何らかの方向付けが行われているのでしょうか。
なかなか触れられなかったこと。先日のベルギー国王ご夫妻の来日の折りの、写真だけでもとどめておきたいです。
来日に際して、日本の「和」のものを、あれこれご覧になりたいのが、ご夫妻のご希望だったとか。
神社に詣で、鳥居をくぐり、大阪まで脚を伸ばして能をご鑑賞(「羽衣」)になられました。
私はこういうこと、とても嬉しいです。誇らしくも思います、日本に日本独自のものがあることを、そしてそれに、外国の方々が目と心を向けて下さることが。
機会を設けられれば、王妃様は楽しんで、お茶を召し上がって下さったでしょう、晩餐会にお薄をお出ししてもいいのに。と、思います。



すてきなご夫妻でした

日本の皇太子の妃は、和服も身に付けず、見苦しいカティシーどころでない、バッグを持ったままの左手まで王妃にしがみついて。
王妃さまは、4人のお子様をお育ての底力(失礼! 敬意は向けております)、ぐっと踏ん張って、もっと無様な姿をさらしそうだったまさこさんを、支えてくれはりました。
ナルさんはますすべもなく、ニタニタ。
この画像で王さまの表情が見えていないのは、いわば「救い」だと思います。
ほんとに。

このご夫妻には4人のお子様がおありになり、次期国王には第一子の王女さまが、と、すでに決まっています。
蛇足ですが、王室と皇室とは、基本、全く異なるものです。
どれだけリベラルだったりオープンだったりではあっても、ヨーロッパの王家のメンバーは、自分たちの義務として、ほぼ、貴賤結婚は行いません。
そこに人権云々は介在しない世界です。ベルギーの現・王妃も、出身は貴族階級。次代が男の子でも女の子でも、ですから、生まれた順に、王位の継承は成ります。
次が王子、もう一人王子さま、この第二王子が、発達障害を持って生まれておられることは、よく知られています。
そのことはご両親が早くに発表され、国民は淡々と受け止め(当然のことなのですが)、王子にふさわしい療育がほどこされていて、末っ子王女ともども、とても仲のいい4人きょうだいさんたちで・・・ミテコさんが一人で政府専用機を飛ばして飛んで行った、この国の元・元王妃の葬儀の場で、仲が良くお行儀のいい姿が、たくさん配信されていました。
日本の東宮家の一人娘さんが、どんな状態なのか、どんな風に育てられているか、国王ご夫妻は、普通にご存じでしょう。
どんな風に、感じておられたのでしょうか。
フィリップ王とナルさんは、同い年。
お子さんの年も、同じ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
びゅんびゅん飛ばして書きました。
愛子さんは、どんな具合なのでしょうか。
一か月も学校休むって、一般的には大変なことです。と、思います。
内親王さん、受験のしんどさには縁が無いでしょうが(わたしKUONの同居の孫は、ただいま中三、受験生にてございます、呑気な我が家ですが、でも、ちこっと、神経は使っております)、義務教育の期間は、毎日ガッコへ通う、そのこと自体が大切・・・とか、ミジンコの立場からモノを言うてもせんの無いこと。

愛子さん、どうしておられるか。

左が愛子さん、右は、これ、どこのお子。
このとき愛子さんは、このような笑顔でした。小学生から中学生への過渡期。

これは、愛子さんでしょう。
十代の女の子の表情の真っ暗なことに、ミテコさんではないが、
衝撃
驚き
痛み
を覚えました。ふざけているのではありません。
このような重大な「犯罪」が、そのままになっている、わが国。こんなことしていて、
「身内は全員、つつがなく」
と言い放つ皇后。
とにもかくにも。
愛子さんのご両親、祖父母さんがた。
愛子さんをどうされるのですか。
どう、されたのですか。
明日は、明日こそは(笑)、いただいているコメントの一つ一つに、一行ずつでも、お返事、書きます!。
衝撃。痛み。・・・hahaha
こんばんは。
やっといくらか落ち着いて、パソコンの前に座ることができました。たいへん違和感を覚えた天皇家の美智子夫人の、誕生日によせたとやらの「全文」に向かえます。
美智子さんはいわば、公人中の公人でいらっしゃいますので、仰られたことへの突っ込みを、いきなり書いて行ってもいいよね、と、自分に許すことにしました。この色の文字がKUONの「ケ、何を仰って、」の気持ちです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皇后さまは、20日に82歳の誕生日を迎えられました。誕生日にあたり、記者の質問に対して、皇后さまが寄せられた回答の全文です。(NHK)
(問)この1年も自然災害や五輪・パラリンピックなど様々な出来事がありました。8月には、天皇陛下が「象徴としての務め」についてのお気持ちを表明されました。この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。
皇后さま)
昨年の誕生日以降、この1年も熊本の地震を始め各地における大雨、洪水等、自然災害は後を絶たず、これを記している今朝も、早朝のニュースで阿蘇山の噴火が報じられており、被害の規模を心配しています。
8月末には、台風10号がこれまでにない進路をとり、東北と北海道を襲いました。この地方を始め、これから降灰の続くであろう阿蘇周辺の人々―とりわけ今収穫期を迎えている農家の人々の悲しみを深く察しています。
さすがウリは「慈愛」のお方。
悲しみを深く察する。か。
自然の歴史の中には、ある周期で平穏期と活性期が交互に来るといわれますが、今私どもは疑いもなくその活性期に生きており、誰もが災害に遭遇する可能性を持って生活していると思われます。
皆が防災の意識を共有すると共に、皆してその時々に被災した人々を支え、決して孤独の中に取り残したり、置き去りにすることのない社会を作っていかなければならないと感じています。
まるでヒトゴト、感覚は慈善活動に余暇の一部を割いてさしあげている、慈悲深い(オットはエライのよ)ワタクシ、その域を越えていない。
地球が何かする時期に来ているんですもの、仕方ないわね・・・って。
祭祀王の奥さんは、こんなにも冷静、天皇の「つとめ」の第一である「祭祀」「神事」に、何の意味も感じておられないことが、すがすがしいくらいに露見してしまっているご発言。
「~社会を作っていかなければならない」とか、こういう言い方、皇后のものとしていかがなものか、と、ええと、どういったメンバーと日ごろ触れ合っておられると、こういう言い方が身につかれるのか。
誰に向かってモノ言うてはるのか。
今年1月にはフィリピンの公式訪問がありました。アキノ大統領の手厚いおもてなしを受け、この機会に先の大戦におけるフィリピン、日本両国の戦没者の慰霊が出来たことを、心から感謝しています。
公式訪問にあなた様。日本の天皇が公式に訪問する場に、上衣も着せずネクタイもさせず。
ご自分は必要以上のフル・アクセサリー。政府専用機を勝手に使い、今回も国を守るために存在する大きな舩を、自分たち用に引き連れて行った。
思うことはあるかもしれないと譲って。
「マニラ湾の夕陽を楽しみにしていました」とか仰いましたこと、私は忘れていません。
あの時の御歌も。海の上を飛ぶ鳥を、帰れない兵たちの魂かと、しゃあしゃあとお詠みあそばした。
出征して行かれる方々は、当時
「靖国で会おう」
と約してゆかれた。御魂は、肉体から離れれば即、懐かしい祖国へ、靖国へ、人々の待つ故郷へ、瞬時に飛ばれたであろう。
靖国のことなど、いっさい気にしていない美智子さんらしい言いぶり。
数日前に話をした女性も、
「私の伯父の死は犬死だったですかね」
と、涙ぐんでおられた。
それに、フィリピンの当時の大統領閣下は、天皇に対してこそ礼を尽くして接しておられたが、あからさまに、出よう出ようと出しゃばってくる夫人を排除しようの意志、強固でいらしたと、見ています。国と国の付き合いのありさまとしては「普通」を越えたなさり方だったと感じます。
感じられなかったですか。美智子さんご本人は。
天皇は「公式な訪問」として「公式な天皇の署名」をなさる時、はっきりと「混乱」しておられました。混乱とは、認知の歪みが表に出たときに現れる「状態」です。そして、自分でなく「あなたが署名なさいよ」の様子で、しきりにツマを招いておられました。
あの時のことだけでも、随分、国家としてはどうなのか、と思われる要素が沢山ありました。
戦時、小学生であった私にも、モンテンルパという言葉は強く印象に残るものでしたが、この度の訪問を機に、戦後キリノ大統領が、筆舌に尽くし難い戦時中の自身の経験にもかかわらず、憎しみの連鎖を断ち切るためにと、当時モンテンルパに収容されていた日本人戦犯105名を釈放し、家族のもとに帰した行為に、改めて思いを致しました。
こういうう風に堂々と行ってしまうあなたさまに、言葉を失います。
事実として間違っているし、ここでまた「日本人戦犯」の言葉を使うにひるまれない感性。
夏にはリオで、ブラジルらしい明るさと楽しさをもってオリンピック、パラリンピックが開催され、大勢の日本選手が、強い心で戦い、スポーツのもつ好ましい面を様々に見せてくれました。
競技中の選手を写した写真が折々に新聞の紙面を飾りましたが、健常者、障害者を問わず、優れた運動選手が会心の瞬間に見せる姿の美しさには胸を打つものがあり、そうした写真の幾つもを切り抜いて持っています。
新聞記事の切り抜きなども、なさるのですね。
新聞には、週刊誌の記事中の写真なども、粗い画像ではありますが見られる、その中に、お孫さんでないどこぞの女の子の、鼻の長い写真なども散見される、そういったものは、
切り抜いたりは、なさらないのでしょうか。
目にも、留まらない? 不思議な方ですね、とっても不思議。
前回の東京オリンピックに続き、小規模ながら織田フィールドで開かれた世界で2回目のパラリンピックの終了後、陛下は、リハビリテーションとしてのスポーツの重要性は勿論のことながら、パラリンピックがより深く社会との接点を持つためには、障害者スポーツが、健常者のスポーツと同様、真にスポーツとして、する人と共に観る人をも引きつけるものとして育ってほしいとの願いを関係者に述べられました。
今回のリオパラリンピックは、そうした夢の実現であったように思います。
・・・寡聞にしてわたしKUONは、陛下が、そんなに熱っぽい「願い」を持たれ、関係者に述べられた、なんてことを、全く知りませんでした。
陛下の役割って、そういうのもある?
宮家の中には、そういったことに熱心に関わっている方々もおられる、互いにうまいこと、そこにはもちろん、利権も生じたり、ね、
大丈夫ですか、みちこさま。
今年の嬉しいニュースの1つに、日本の研究者により、新しい元素が発見され、ニホニウムと名付けられたことがありました。
また、この10月には、大隅良典博士がオートファジーの優れたご研究により生理学・医学部門でノーベル賞を受けられました。
50年以上にわたり世界の発展途上国で地道な社会貢献を続けて来た日本の青年海外協力隊が、本年フィリピンでマグサイサイ賞を受けたことも嬉しいことでした。この運動は、今ではシニア海外ボランティア、日系社会青年ボランティア及び日系社会シニアボランティアと、更にその活動の幅を広げています。
誇らしいことに対しては、その国の皇后であること、それは、嬉しいでしょうね。
ごく個人的なことですが、いつか一度川の源流から河口までを歩いてみたいと思っていました。今年の7月、その夢がかない、陛下と御一緒に神奈川県小網代の森で、浦の川のほぼ源流から海までを歩くことが出来ました。
流域の植物の変化、昆虫の食草等の説明を受け、大層暑い日でしたが、よい思い出になりました。
・・・これね。
後付けのアリバイみたいに囁かれていること、ご存じで、あえて、仰っておられるんですよね。
ごく個人的なこと、って。
これ以外は、個人的なことではないみたいな仰りようですね。
ものすごくお元気、健脚でいらっしゃいますね、たぶん間違ってはいないと思う、3キロ以上、歩かれた。
お元気ですね~。いや、すばらしいことです。よね?。
最近心にかかることの1つに、視覚障害者の駅での転落事故が引き続き多い事があります。目が不自由なため、過去に駅から転落した人の統計は信じられぬ程多く、今年8月にも残念な事故死が報じられました。
ホーム・ドアの設置が各駅に及ぶ事が理想ですが、同時に事故の原因をホーム・ドアの有無のみに帰せず、更に様々な観点から考察し、これ以上悲しい事例の増えぬよう、皆して努力していくことも大切に思われます。
全く同感です、仰っておられること、いささかの疑問もありません、でも、
個人的にですが(ワタシは個人以外の何でもないです~(笑))
ものすっごく、とってつけた感が。否めないのです。
この1年間にも、長年皇室を支えてくれた藤森昭一元宮内庁長官や金澤一郎元皇室医務主管、「名もなく貧しく美しく」をはじめ数々の懐かしい映画を撮られた松山善三氏等、沢山の人々との別れがありました。
国外では、この9日、文化の力でポーランドの民主化に計り知れぬ貢献をされたアンジェイ・ワイダ氏が亡くなりました。長年にわたり、日本のよき友であり、この恵まれた友情の記憶を大切にしたいと思います。
「その人を知るには付き合う相手を見よ」
と、言われますね。松山善三。ワイダ。成金趣味の左よりの、文化人と呼ばれるのが憧れの(皇后だから、文化人、とは、呼んでもらえない)ホントのビンボーはとってもイヤで、でも、ビンボーぽいのは素晴らしいわ、とか中途半端にプッシュしてみたりしたい、、言ってみれば日本一の「せれぶ」なマダムらしい天皇の夫人に似つかわしい・・・と思えない発言。
アンジェイ・ワイダを「いい」と思っているところが、この方らしいな、と。
日本のみならず、世界の各地でも自然災害が多く、温暖化の問題も年毎に深刻さを増しています。
各地でのテロに加え、内戦の結果発生した多くの難民の集団的移動とその受け入れも、世界が真向かわねばならぬ大きな課題になっています。
これは、天皇の夫人が言うことではないですよ。言い方が薄っぺらい、しかも。
そのような中で、この夏のリオ五輪では難民による一チームが編成され、注目を集めました。
4年後の東京では、この中の1人でも多くが、母国の選手として出場出来ることを願わずにはいられません。
世界の少なからぬ地域で対立が続く中、長年にわたり国内の和平に勇気と忍耐をもって取り組んで来られたコロンビアのサントス大統領が、今年のノーベル平和賞を授与された事は感慨深いことでした。
そういえばサントス大統領氏は、ノーベル賞の賞金を、ご自分のものにしないで吐き出されるとか。
そんな点にも、感慨、お深い? みちこさま。
目だって派手な話題が、ホントに好きな方。ミーハーなミテコさん。
8月に陛下の御放送があり、現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。
私は以前より、皇室の重大な決断が行われる場合、これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり、その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので、皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も、謹んでこれを承りました。
この部分に関しては、数行で片付くことでないとの思いを持ち続けております、ミテコさま。
あんたが口出しすることではない、今はこれだけ書いておきましょう。
「謹んでこれを承りました」
意味不明。これだけでも意味不明。
ただ、新聞の1面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。
・・・衝撃。
痛み。
・・・かもしれません。
あの方らしい言いぶりです。
もっとここは書きたいです。
この1年、身内の全員がつつがなく過ごせたことは幸いなことでした。
1月には、秋篠宮の長女の眞子が、無事留学生活を終え、本格的に成年皇族としての働きを始めました。真面目に、謙虚に、1つ1つの仕事に当たっており、愛おしく思います。
ここでの「身内」という言葉の使い方に嫌悪感。
これは、皇后の文書であって、個人の(美智子さん」の気持ちや事情を聞きたいのではありません。
眞子さまを「秋篠宮の長女の眞子」と呼ぶのも、イヤらしい。
眞子さまは、天皇の皇子さまの内親王。
美智子さんの「孫」の位置で、こんな場合に語るなと申し上げたい。
真面目に、謙虚に、ですと。
そんな言葉も状態も、ご存じなのですか、へええええええ。
軽々しく「眞子」と呼ばないでいただきたい。
愛おしい、などと、断れない相手に無理やりハグして頬を擦りつけるような距離感で、語らないで欲しい。
わたしKUONは一国民、個人的な思いではございます。
もっと言わせてもらいます。
身内の全員、つつがなくって、何の冗談でいらっしゃいますか。
東宮家の三人、つつがなくないです。
ナルさんまさこ愛子さん。みなさま、まったく、つつがなくないです。
身内なんぞと仰いますな。
美智子さんの「身内話」を聞きたいのではない、これ書くの二度目ですが。
あなた一体、何ですか、どんな方ですか。
皇后? そうだったんですか?
もう、そうは、思っていないです。わたし。そしておそらく、多くの皆さまが。
この回答を書き終えた13日夜、タイ国国王陛下の崩御という悲しい報せを受けました。私より6つ7つ程お上で、20代の若い頃より兄のような優しさで接して下さっており、御病気と伺いながらも、今一度お会いできる機会をと望んでおりました。王妃陛下、王室の皆様方、タイ国民の悲しみに思いを致しております。
本当にバカな人ですね、天皇の妻だとか妾だとか、このところ明確になって来つつある、この方。
タイの王様は、ご立派な方でいらしたでしょう。
ご立派でなくても、王さまは王さま。
「兄のような優しさで」と。
こういうべたっとした物言いは、この女性のやり方、公衆の面前で、公人中の公人であるご夫君に、ベッチョリくっついたり腕掴んだりしてその世を渡って来た、このひとの。
タイの王さまは、王であるから、日本の皇太子の妃に、王として接しられたのです。
自分は勝手に「兄のように」とか言ってるが、王さまは、殊に、王として接する時は、王以外のなにでもないでしょ。
逆に。
先日来日されて、まさことかいう下賤のおんなに、おそらく経験したことの無いきしょくのよろしくない「こうしつがいこう」をされてしまわれた、ベルギー国王ご夫妻。
あの方々だって、精いっぱい王さまと王妃さまらしく、日本で、振舞っておられた。
王さまだから。
あんな悲惨な息子夫婦を、平気で出して来てしたいよううにさせて恥じない、懲りない、へいちゃらな「皇后陛下」、わからないんでしょうね。
喜んでお帰りになられた、とか、思っているのかな。
あ~。
タイ国民の悲しみに思いをいたす、ですか。
日本国民の、あなたみたいな(上の息子もね、妻もね)皇室メンバーを抱えさせられていることへの「悲しみ」は、いいんですね。
「衝撃」。「痛み」。
お気楽で、およろしいですわね。
「~かもしれません」とか、繰り返して使う、お上手でいらっしゃいます。
謙虚に見せつつ、ワタクシにこんな思いをさせるモノに怒りつつ、まあ、許して差し上げますけどね、と、あべのハルカスの最上階から投げ下ろすがごとく、赦しを与えてあげる「ワタクシ=皇后美智子」。
イヤだイヤだ、大嫌いこいつ。と。
ブログの終わりに、つい思いそのまま。
いや、大嫌いとかそーゆーことでなく。
皇后と、呼ばれているんですよね、この基地の外のお方。
ごめんなさい。
予定外の外出があり、今日は記事もお返事も書けそうにありません。
自分で「明日」と書きましたのに・・・と思いますが、ご容赦いただきたいです。
お立ちより下さった方々に、ごめんなさい、と、申し上げます。
ごめんなさい、また今度。
自分で「明日」と書きましたのに・・・と思いますが、ご容赦いただきたいです。
お立ちより下さった方々に、ごめんなさい、と、申し上げます。
ごめんなさい、また今度。
あ~あ、よく言うよ~、って感じ~不遜な美智子さん
国民の前に出る時には・・・被災地をご訪問、とやらの、思ひ出つくり旅ですよ・・・ネクタイ無しジャケット着用せずのご夫君、奥方の誕生日用の写真では、ポケットチーフまで。

ミテコさま、お喋りの過ぎる文章内容と、この写真の「実効的支配の図」の様子、みごとなコラボレーションですこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皇后さまの文書回答 全文
NHKNews 10月20日 5時30分
皇后さまは、20日に82歳の誕生日を迎えられました。誕生日にあたり、記者の質問に対して、皇后さまが寄せられた回答の全文です。
(問)この1年も自然災害や五輪・パラリンピックなど様々な出来事がありました。8月には、天皇陛下が「象徴としての務め」についてのお気持ちを表明されました。この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。
(皇后さま)
昨年の誕生日以降、この1年も熊本の地震を始め各地における大雨、洪水等、自然災害は後を絶たず、これを記している今朝も、早朝のニュースで阿蘇山の噴火が報じられており、被害の規模を心配しています。
8月末には、台風10号がこれまでにない進路をとり、東北と北海道を襲いました。この地方を始め、これから降灰の続くであろう阿蘇周辺の人々―とりわけ今収穫期を迎えている農家の人々の悲しみを深く察しています。
自然の歴史の中には、ある周期で平穏期と活性期が交互に来るといわれますが、今私どもは疑いもなくその活性期に生きており、誰もが災害に遭遇する可能性を持って生活していると思われます。
皆が防災の意識を共有すると共に、皆してその時々に被災した人々を支え、決して孤独の中に取り残したり、置き去りにすることのない社会を作っていかなければならないと感じています。
今年1月にはフィリピンの公式訪問がありました。アキノ大統領の手厚いおもてなしを受け、この機会に先の大戦におけるフィリピン、日本両国の戦没者の慰霊が出来たことを、心から感謝しています。
戦時、小学生であった私にも、モンテンルパという言葉は強く印象に残るものでしたが、この度の訪問を機に、戦後キリノ大統領が、筆舌に尽くし難い戦時中の自身の経験にもかかわらず、憎しみの連鎖を断ち切るためにと、当時モンテンルパに収容されていた日本人戦犯105名を釈放し、家族のもとに帰した行為に、改めて思いを致しました。
夏にはリオで、ブラジルらしい明るさと楽しさをもってオリンピック、パラリンピックが開催され、大勢の日本選手が、強い心で戦い、スポーツのもつ好ましい面を様々に見せてくれました。
競技中の選手を写した写真が折々に新聞の紙面を飾りましたが、健常者、障害者を問わず、優れた運動選手が会心の瞬間に見せる姿の美しさには胸を打つものがあり、そうした写真の幾つもを切り抜いて持っています。
前回の東京オリンピックに続き、小規模ながら織田フィールドで開かれた世界で2回目のパラリンピックの終了後、陛下は、リハビリテーションとしてのスポーツの重要性は勿論のことながら、パラリンピックがより深く社会との接点を持つためには、障害者スポーツが、健常者のスポーツと同様、真にスポーツとして、する人と共に観る人をも引きつけるものとして育ってほしいとの願いを関係者に述べられました。
今回のリオパラリンピックは、そうした夢の実現であったように思います。
今年の嬉しいニュースの1つに、日本の研究者により、新しい元素が発見され、ニホニウムと名付けられたことがありました。
また、この10月には、大隅良典博士がオートファジーの優れたご研究により生理学・医学部門でノーベル賞を受けられました。
50年以上にわたり世界の発展途上国で地道な社会貢献を続けて来た日本の青年海外協力隊が、本年フィリピンでマグサイサイ賞を受けたことも嬉しいことでした。この運動は、今ではシニア海外ボランティア、日系社会青年ボランティア及び日系社会シニアボランティアと、更にその活動の幅を広げています。
ごく個人的なことですが、いつか一度川の源流から河口までを歩いてみたいと思っていました。今年の7月、その夢がかない、陛下と御一緒に神奈川県小網代の森で、浦の川のほぼ源流から海までを歩くことが出来ました。
流域の植物の変化、昆虫の食草等の説明を受け、大層暑い日でしたが、よい思い出になりました。
最近心にかかることの1つに、視覚障害者の駅での転落事故が引き続き多い事があります。目が不自由なため、過去に駅から転落した人の統計は信じられぬ程多く、今年8月にも残念な事故死が報じられました。
ホーム・ドアの設置が各駅に及ぶ事が理想ですが、同時に事故の原因をホーム・ドアの有無のみに帰せず、更に様々な観点から考察し、これ以上悲しい事例の増えぬよう、皆して努力していくことも大切に思われます。
この1年間にも、長年皇室を支えてくれた藤森昭一元宮内庁長官や金澤一郎元皇室医務主管、「名もなく貧しく美しく」をはじめ数々の懐かしい映画を撮られた松山善三氏等、沢山の人々との別れがありました。
国外では、この9日、文化の力でポーランドの民主化に計り知れぬ貢献をされたアンジェイ・ワイダ氏が亡くなりました。長年にわたり、日本のよき友であり、この恵まれた友情の記憶を大切にしたいと思います。
日本のみならず、世界の各地でも自然災害が多く、温暖化の問題も年毎に深刻さを増しています。
各地でのテロに加え、内戦の結果発生した多くの難民の集団的移動とその受け入れも、世界が真向かわねばならぬ大きな課題になっています。
そのような中で、この夏のリオ五輪では難民による一チームが編成され、注目を集めました。
4年後の東京では、この中の1人でも多くが、母国の選手として出場出来ることを願わずにはいられません。
世界の少なからぬ地域で対立が続く中、長年にわたり国内の和平に勇気と忍耐をもって取り組んで来られたコロンビアのサントス大統領が、今年のノーベル平和賞を授与された事は感慨深いことでした。
8月に陛下の御放送があり、現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。
私は以前より、皇室の重大な決断が行われる場合、これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり、その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので、皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も、謹んでこれを承りました。
ただ、新聞の1面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。
この1年、身内の全員がつつがなく過ごせたことは幸いなことでした。
1月には、秋篠宮の長女の眞子が、無事留学生活を終え、本格的に成年皇族としての働きを始めました。真面目に、謙虚に、1つ1つの仕事に当たっており、愛おしく思います。
この回答を書き終えた13日夜、タイ国国王陛下の崩御という悲しい報せを受けました。私より6つ7つ程お上で、20代の若い頃より兄のような優しさで接して下さっており、御病気と伺いながらも、今一度お会いできる機会をと望んでおりました。王妃陛下、王室の皆様方、タイ国民の悲しみに思いを致しております。
・・・・・かんそうぶんは、あしたのよるです。
くおん・・・・・

ミテコさま、お喋りの過ぎる文章内容と、この写真の「実効的支配の図」の様子、みごとなコラボレーションですこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皇后さまの文書回答 全文
NHKNews 10月20日 5時30分
皇后さまは、20日に82歳の誕生日を迎えられました。誕生日にあたり、記者の質問に対して、皇后さまが寄せられた回答の全文です。
(問)この1年も自然災害や五輪・パラリンピックなど様々な出来事がありました。8月には、天皇陛下が「象徴としての務め」についてのお気持ちを表明されました。この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。
(皇后さま)
昨年の誕生日以降、この1年も熊本の地震を始め各地における大雨、洪水等、自然災害は後を絶たず、これを記している今朝も、早朝のニュースで阿蘇山の噴火が報じられており、被害の規模を心配しています。
8月末には、台風10号がこれまでにない進路をとり、東北と北海道を襲いました。この地方を始め、これから降灰の続くであろう阿蘇周辺の人々―とりわけ今収穫期を迎えている農家の人々の悲しみを深く察しています。
自然の歴史の中には、ある周期で平穏期と活性期が交互に来るといわれますが、今私どもは疑いもなくその活性期に生きており、誰もが災害に遭遇する可能性を持って生活していると思われます。
皆が防災の意識を共有すると共に、皆してその時々に被災した人々を支え、決して孤独の中に取り残したり、置き去りにすることのない社会を作っていかなければならないと感じています。
今年1月にはフィリピンの公式訪問がありました。アキノ大統領の手厚いおもてなしを受け、この機会に先の大戦におけるフィリピン、日本両国の戦没者の慰霊が出来たことを、心から感謝しています。
戦時、小学生であった私にも、モンテンルパという言葉は強く印象に残るものでしたが、この度の訪問を機に、戦後キリノ大統領が、筆舌に尽くし難い戦時中の自身の経験にもかかわらず、憎しみの連鎖を断ち切るためにと、当時モンテンルパに収容されていた日本人戦犯105名を釈放し、家族のもとに帰した行為に、改めて思いを致しました。
夏にはリオで、ブラジルらしい明るさと楽しさをもってオリンピック、パラリンピックが開催され、大勢の日本選手が、強い心で戦い、スポーツのもつ好ましい面を様々に見せてくれました。
競技中の選手を写した写真が折々に新聞の紙面を飾りましたが、健常者、障害者を問わず、優れた運動選手が会心の瞬間に見せる姿の美しさには胸を打つものがあり、そうした写真の幾つもを切り抜いて持っています。
前回の東京オリンピックに続き、小規模ながら織田フィールドで開かれた世界で2回目のパラリンピックの終了後、陛下は、リハビリテーションとしてのスポーツの重要性は勿論のことながら、パラリンピックがより深く社会との接点を持つためには、障害者スポーツが、健常者のスポーツと同様、真にスポーツとして、する人と共に観る人をも引きつけるものとして育ってほしいとの願いを関係者に述べられました。
今回のリオパラリンピックは、そうした夢の実現であったように思います。
今年の嬉しいニュースの1つに、日本の研究者により、新しい元素が発見され、ニホニウムと名付けられたことがありました。
また、この10月には、大隅良典博士がオートファジーの優れたご研究により生理学・医学部門でノーベル賞を受けられました。
50年以上にわたり世界の発展途上国で地道な社会貢献を続けて来た日本の青年海外協力隊が、本年フィリピンでマグサイサイ賞を受けたことも嬉しいことでした。この運動は、今ではシニア海外ボランティア、日系社会青年ボランティア及び日系社会シニアボランティアと、更にその活動の幅を広げています。
ごく個人的なことですが、いつか一度川の源流から河口までを歩いてみたいと思っていました。今年の7月、その夢がかない、陛下と御一緒に神奈川県小網代の森で、浦の川のほぼ源流から海までを歩くことが出来ました。
流域の植物の変化、昆虫の食草等の説明を受け、大層暑い日でしたが、よい思い出になりました。
最近心にかかることの1つに、視覚障害者の駅での転落事故が引き続き多い事があります。目が不自由なため、過去に駅から転落した人の統計は信じられぬ程多く、今年8月にも残念な事故死が報じられました。
ホーム・ドアの設置が各駅に及ぶ事が理想ですが、同時に事故の原因をホーム・ドアの有無のみに帰せず、更に様々な観点から考察し、これ以上悲しい事例の増えぬよう、皆して努力していくことも大切に思われます。
この1年間にも、長年皇室を支えてくれた藤森昭一元宮内庁長官や金澤一郎元皇室医務主管、「名もなく貧しく美しく」をはじめ数々の懐かしい映画を撮られた松山善三氏等、沢山の人々との別れがありました。
国外では、この9日、文化の力でポーランドの民主化に計り知れぬ貢献をされたアンジェイ・ワイダ氏が亡くなりました。長年にわたり、日本のよき友であり、この恵まれた友情の記憶を大切にしたいと思います。
日本のみならず、世界の各地でも自然災害が多く、温暖化の問題も年毎に深刻さを増しています。
各地でのテロに加え、内戦の結果発生した多くの難民の集団的移動とその受け入れも、世界が真向かわねばならぬ大きな課題になっています。
そのような中で、この夏のリオ五輪では難民による一チームが編成され、注目を集めました。
4年後の東京では、この中の1人でも多くが、母国の選手として出場出来ることを願わずにはいられません。
世界の少なからぬ地域で対立が続く中、長年にわたり国内の和平に勇気と忍耐をもって取り組んで来られたコロンビアのサントス大統領が、今年のノーベル平和賞を授与された事は感慨深いことでした。
8月に陛下の御放送があり、現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。
私は以前より、皇室の重大な決断が行われる場合、これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり、その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので、皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も、謹んでこれを承りました。
ただ、新聞の1面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。
この1年、身内の全員がつつがなく過ごせたことは幸いなことでした。
1月には、秋篠宮の長女の眞子が、無事留学生活を終え、本格的に成年皇族としての働きを始めました。真面目に、謙虚に、1つ1つの仕事に当たっており、愛おしく思います。
この回答を書き終えた13日夜、タイ国国王陛下の崩御という悲しい報せを受けました。私より6つ7つ程お上で、20代の若い頃より兄のような優しさで接して下さっており、御病気と伺いながらも、今一度お会いできる機会をと望んでおりました。王妃陛下、王室の皆様方、タイ国民の悲しみに思いを致しております。
・・・・・かんそうぶんは、あしたのよるです。
くおん・・・・・
帰って来ました
早朝、家を出る時には雨が降っていた。
西へと走る新幹線の車窓から見る空が、だんだん明るくなって行って、熊本に着いた時は、暑いと感じるほどのいいお天気だった。熊本を訪れるのは私には初めてのこと。
迎えに来て下さっていたTBさんが、地震の後で買い替えることになってしまったという車をスタートさせて、正面に見えるのが熊本城だと教えて下さる。
青い空の下、堂々たるお城・・・と見えつつ、てっぺん、天守閣の屋根が、妙に白っぽい。
瓦の多くが落ちてしまい、しゃちほこも、地震の折りに、落ちて粉々に割れてしまったのだった。
ランチは市役所の中のレストランでと言われて、へええ、とびっくりしつつ、ついて行く。
市役所の中にはたくさんの方がいた、さまざまな相談に訪れておられるのだろう、あの大地震から、まだ半年。
エレベーターで14階まで昇る。
窓際の席を取って下さっていた、大きなよく磨かれた窓の、まっすぐ向こうに、熊本城が見える。
てっぺんの屋根が、やはり白い、埃が積もっているように白い。あの大きなお城が揺さぶられて、瓦が落ち続けるって、どんな感じだったのだろう。
緑色の養生シートがかぶされているあたりは、崩れてしまった長塀か。
遠目には見えにくいが、随分なダメージを受けて、しかしある部分は、土台が崩れてしまったのに、建造物が落ちないで保たれている。
ランチを口に運びながら、青空と真っ白な雲のなかの、美しいかたち、悠然たる熊本城を、眺めていた。
加藤清正公が築城したという・・銀杏城とも呼ばれる・・日本三大名城の、一。
城を仰ぎ見られるあたりは、あまりひどい被害は無かったように思う、と、TBさんが、静かな声で言う。
「お城が守ってくれたみたいに思っている人は多いんとちがうかしら」
と、言われる。生まれも育ちも、この方は熊本。
早めにいったんホテルに入って、さまざまな話をうかがう。
地震のこと。
TBさんは、夫さんが公務員であの時は自分の家や家族のことどころでなく、激務に就いておられた、たまたま実家であるTBさん宅に来ておられた娘さんとその夫さん、生まれて2か月にもならない初孫ちゃん、地震が起きて固まってしまい、固まりがほどけたら逆にどこへ走っていってしまうか判らない愛犬と共に、一人暮らしのお母さんとまずは合流、お姉さん家族とも合流、2度目の大きな揺れ(これが本震)やその後の頻繁過ぎた余震のなか、力を合わせて乗り切られたのだった。
あの時は、周囲、どなたもどこも、知らない同士も助け合った、コンビニエンスストアも、来られる方にはどんどん買ってもらってくれ自分たち用になど残さないで、と店長は檄を飛ばし、店員は必死にモノを出し、客は行列を作って買い物をした、と。
通りいっぽん隔てて、水、出る、水、出ない、と分かれてしまった地区では、お水どうぞと水を提供しておられた、TBさんは、自分のところは大人の男が(娘ムコさんと息子さん。夫さんは、死ぬんじゃないかと危ぶむほどに外で業務を遂行しておられた)複数人いて、車のガソリンも初めの地震後満タンにできたし、孫のミルクやオムツも備蓄できていた、それは心強いことだった、と、感謝の言葉を何度も口にされた。
「~でよかった」
「~だから助かった」
と、ネガティブな方向へは決して行かない言葉たち、皆が無事だったこと、今はともかく(自分たちは)平穏が戻っている幸せ、普通にお風呂に入れるありがたさ、などを、淡々と話された。
まつ毛の長い目のぱっちりした、お洒落な女性。
自分の「大変」を言いたてようとしない彼女の話を、ゆったりと聞いた。
自分も言ってみれば「被災者の一人」なのであるが、と笑う彼女は、自分としてできること、何か、という思いが、外に向かって、ぱっちり、開いておられる。
熊本には津波は来ず(1~2メートルくらい、来るかもしれないと避難された地区もあったそうだが)、あの地のように大津波も電力会社の大事故も無かった。それは本当のこと、でも、私自身、それはラッキーなことであろうと考えつつ、第三者が言うてはならない言葉であるなあと、自戒の思いを深くした。
たとえば、揺れた後に壁に走った筋いっぽん。
当事者にとっては大変なことなのだ、と、行って改めて感じた。その「たった」一本の亀裂の今後を想えば、当事者でない者が、
「この程度で済んでよかったよね~」
とは、言えない、言ってはいけないのだと感じた。
TBさんは、そして、見せて下さった。
揺れ続け、家具やら何やら倒れかかり、外は暗い、ただただ恐ろしかったであろう中での、一枚の写真。
がっしりした木製の座卓。画面を左右に横切っていた。
その下に、走り出して迷子にならない用心に、いつもは外しているリードをつけられている、小型犬。
腹ばいにぺたんと伏して、顎を床について、眠っている。前足を投げして。
その横に、お食い初めの赤飯などを業者に頼んだところだった、という時期の、まだ首も坐っていない赤ちゃん。初孫さん、そのお子が、仰向けになっている。
少しカールした前髪がおでこにかかっていて、色の白い男の子。
全身の力が抜けているのは写真からわかる、目を閉じて口元は微笑んで、不気味に揺れ続けている大地のその上で、完全に安らいでいる乳児。
そんな写真。
この、生まれて間もない赤ん坊と、地震の意味などわかりようのない小さな犬の、安心しきった様子。
この安逸を守るために、どれだけの気持ちが集まっているかを、感じて、私は、へええ、可愛いねえ、と、ニタニタしながら、その前にしていた、天皇夫婦の来県の話を、アタマの中で蒸し返していた。
TBさんは、多くの日本人と同じく、皇室に対しては崇敬の念を抱いていた、陛下が水俣へ行かれた時のお言葉には、ありがたい、という感じを持っておられた方。
その方が、もう、天皇さんたちは、被災地へ来てくれなくていい、と言う。
皇太子も雅子も要らない、来るな、と言う。
膨大なお金を使ってチョロチョロしなくていい、皇居で祈っていればいいのではないか、それが自分には、いちばん、腑に落ちるなさり方だと・・・私と同意見になる。
世界の平和と国家の繁栄と、国民の幸せ。そのことだけ考えていればいい、来なくていい、うろちょろしないで欲しい。
押さえた言い方ながら、思いの強い、TBさんの言葉だった。
・・・この一人と一匹の平和の写真を撮ってほどなく、この場所・・ご自宅をを出て、人と荷物でぎゅうぎゅう詰めの車で余震の激しい市内を避難、広大な駐車場で夜を過ごし、いちばん被害の少なそうないっときの宿り場を求め、を、始められたのだった。
いろんな話をお聞きしたが、今はうまくすんなりと出て来ない。
順序がバラバラになるが、おひるどきの話、
市役所レストランの、ギャルソンエプロンとてもお似合いのウェイターさん、ずっと笑顔だったレジの女性、とても感じのいい方々だった。
窓の向こうのお城を背景に、写真を撮るのに、ウェイター氏、思い切り体を反らしたり伸ばしたり、奮闘してくださったのだった。
ありがとうございました。
夜は、これもTBさんが予約を入れて下さっていて。二人ではなかった。
熊本名物の太平燕(タイピェイエン)という=春雨を、ツバメの巣に見立てて鳥のスープで煮込んで、海鮮物や野菜がどっさり使われている=料理をメインに、古老肉、唐揚げ、海老のチリソース、炒飯など、私はポットごと持ってきてもらって烏龍茶で、他の方々は黒生ビールから次は杏露酒とかいう、美味しそうなお酒を、お変わりして。〆は、甘さのほどよい杏仁豆腐だった。私は酢豚が大好きで、なんとも美味な酢豚だったので、嬉しかった。太平燕は優しい味で、癖になりそうな。
入って来るとき、通りから店までのアプローチ、前庭に幾つも卓が並べられ、卓の上に炎が揺れていて、店内はほの暗くしてあった、広い、天上の高めの店であまり明るくなく、ゆっくり食事ができるというのは、私の好み、で、よかった。
ここ「紅蘭亭」は、少し離れてもう一軒あり、そこは、最近ようやく、再開できたのだと、そういう話が、ここでも普通に出ているのだった。
ホテルは日航だった。
すべてバリアフリーで、足の悪い私にはよかった。このホテルの前のデパートが「turuya」、おつかい物にはここ(の包装紙)で、という老舗らしい。
部屋へ戻る前にしばらく一人にしてもらい、バス停のゆったりしたベンチにかけて、さまざまな種類のバスが、さまざまな方へ行くらしい、それを乗り降りする、熊本の方々の様子を、ぼんやりと眺めていた。市内でもっとも賑やかなあたりという、ベンチは悠々と座りごこちよく、2時間くらいは黙って座っていられそうだった。
11階のホテルの部屋から、熊本城が見えた。
ライトアップされていた。随分遅くまで、城は照らされていた。瓦は落ちてもあちこちガタが来てしまっても、残ってくれてよかった、と、思った。
ひそかに手を合わせて、頑張って熊本城、と、心の中で願った。
翌日も車を出していただいて、益城の方へ向かった。
途中、健軍神社の前も通りかかる。
一帯では、お宮参りも七五三もここへ、という、神社だとか。
国家「君が代」にある「さざれ石」
脚の具合がよろしくなく、降りて参拝したい気は重々あったが、ゆっくりと通り過ぎていただいたのみ。
・・・TBさんのお孫さんを、どうか、お見守り下さい。
「ここのスーパーの天井が落ちてしまったんです」
「ここはひどく傾いているけど」
「通りいっぽん違うと、被害のひどさも違うみたいで」
前を向いて運転中のTBさんの言葉を、黙って聞いていた。
無人の店舗が並んでいる。白昼の、人気の無い店舗群は、ぞわぞわと不安な感覚を引っ張り出す。
完全にぺしゃんこになっている、旧かったであろう、人家。
一部に斜めにブルーシートがかぶされていたり、
おそらくあの日以来、人が近づいていない、家。
大きく⇒マークを記して、建物の端っこで診療していると示しておられる医院、窓もドアもどうしようもなく壊れてしまっている医院もあった。
上から、ぐしゃっと力を加えられたように潰れている民家。中におられた方は。
壊れた家も、むき出しの壁の名残、折れた柱、家具も埃をかぶり、雨に打たれた姿で。
「片付けようのない、ということが、まだまだたくさん、あるんですよね・・・」
TBさんの声は静か、私にも、見ればわかる、駅の周囲や郵便局や銀行、どうしても必要なところは、復興も復元も、進んでいるようだ、が、私が案内していただいたあたりは。
益城は空港のある地区なのだそうで、そのあたりのことも、うまく説明できないが、教えてもらった。
ともあれ。
一人暮らしの、おじいさん、おばあさん。父祖の代からの土地、自然に受け継いだ家に、暮らしておられただろうが。
恐ろしい思いをされたのだろうな、一人では、どうすることもできなかっただろうな、いま、どうして。
いま、どうしておられるだろう、などと、つまり私のように、旅人としてひょこっと来て、思ってみるさえ傲岸な気がする。
地震後半年。
仮設住宅に、入っておられるのか。
私は、熊本の「仮設住宅」を、一軒も目にしないで、帰って来てしまった。
天皇が来るのなら、そのお金を、別の方に回して欲しい。
来てくれて嬉しいような天皇ではない、来てくれるな、来るな。
熊本で耳にした言葉。
淡くつながっている東北の方々からも、同じ言葉を聞く。
失望させている。
たぶん、絶望も、させている、天皇、という、存在。
復興にはお金が要る。
瓦礫を片付けないと、次へ進めようの無い現実がある。
お金が必要なんだ・・・。
と言いながら。
駅へ行く前に、観光もしました。
水前寺公園へ連れて行ってもらった。
桃山様式を代表する優美な回遊式庭園、だそうだ。
美しいお庭だった。向こうの方に出水神社が、と、遥かに(私の脚にはそうだった)打ち眺めながら、ここでも胸中に拝をした。
「古今伝授の間」を拝見できたのは、幸せだった。
現在は移築された場所にあるのだが、見事な茅葺の屋根、400年を経た建物、襖の模様が「五七の桐」、この襖を拝見できたのは嬉しかった、何よりここで、その昔、「古今和歌集の解釈の奥義を智仁親王に伝授した」と・・・説明書にある。
そうか、ここで、古今和歌集の奥義が、など、わかったつもりで、透き通った風の吹きぬけるお座敷、窓、などに、見とれていた。
赤い毛氈をテーブルクロスにした外の卓で、お薄をいただいた。
空は青く雲は白く、陽光に風はきらめきながら吹き通り。そこでいただく一服のお茶の、美味しかったこと。
この古今伝授の間の、維持管理を任されているのが、お菓子とお薄のセットを出して下さった「香梅」さんという、老舗の和菓子舗であるとも、ここで聞いた。
お世話になったTBさんのお宅でも、ここのお菓子を贔屓になさっているらしく、地震で大きなダメージを受けたお店が、復興されたことを、とても喜んでおられた。
お土産に買いたかったが、荷物を増やしたり大きくするのを避けたくて、後でネットで注文することにする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思いが先走ってうまくまとまらなかったが、一泊の旅の、ご報告です。
私はスマホを持たない昔人間で、外にいる間、自分のブログを読んでいませんでした。
連絡を、と申し出て下さっていた〇さん、申し訳のないことでした。
旅の間、かかわって下さったお方、十分にご一緒できなくて、申し訳のないことでした。
また、ぼつぼつ、いただいているコメントへのお返事も、させていただきます。
ミテコさんの呆れた「お言葉」についても、書きたくてうずうずしますが。
そんなさっさと出来なくなっているワタシなのね、と、自覚は深まっています。
できるように、いろんなことに対して行きたいと願っています。
・・・・・・・絶句。追加あります。

晩餐会に招かれた返礼に、ベルギー国王ご夫妻が、音楽会を催してくださったとのこと。
まさこは着物は着ていません。シット。いや。
他にも、彬子女王などは、ぼやかし効果を担ってか(違うかも・・・でも、お母上の信子妃殿下は、お着物。
もう、ここまでシッチャカになっている皇室だしね、とか言ったら、どこかの思うつぼにはまります。

アタマの中身が驚異的にお軽いので(ふしょうふずいですわね)、なんぼでもフンゾリ気分で、エラソーに歩いてしまえる、坊ちゃんたち。
恥を意識しなければ、気軽に生きられるもの、の、見本。
愚民ども、みならいなさい、の、マタコの笑み。
透徹したアホ。

救いは、日本の皇室には、このご一家がいて下さること。
真摯でまっとうな、皇族らしいご皇室メンバーが、いて下さること、
と、
こうして、ご夫妻にわかっていただけたのね、ということ。

内親王さまの、カティシー。
なんと清やか、気品に満ちて、自然な笑顔、すばらしい




佳子さまのご挨拶の、一シーン。
明るく、かっりと、さわやかです。

で・・・
ここまでひどい、こういうものを、見せられてしまうとは・・・↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まさこ、下がれ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

絶句。
まさこさん、「皇室外交」の一翼を、になって、いる、おつもりか?????
フィリップ国王陛下に、日本の国民の一、ミジンコのごとき存在にはあれど。
心から、お詫びを申し上げます。
・・・文字の色は後で変更するかもしれません。
今は、ここまで・・・
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プロフィール
Author:KUONの久遠
・・・・・・・・・・・・・・
四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。
海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる
明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。
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