今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

今の思い



万葉集を読んでいると、こころが安らぎます。

14~13世紀も以前に詠まれた歌、天皇や皇子、役人から防人、そして「名も無き人々・・・そんな人がいたわけはなく、よさく、とか、たみ、とか、とりあえずの呼び名はあったと思われるのですが)」のうたが、4500首以上もまとめられ、残されているすごさ。

どの一首も、人間の思い、なのであって、よさくやたみ、の思いが、万葉集のうたとして1300年も1400年も経った今も、読む者の胸に迫って来る。

編者は大伴家持、といわれています。

でも。

今日は、その、万葉集の話でなく。少し違うことを書き始めています。


うた、と私は自分の好きな言い方で呼んでいます、長歌、短歌とある、主に短歌のことを。

和歌。

和歌は、歴代天皇の伝統の一つです。万葉集の中にも、さまざまな天皇のうた(御製・ぎょせい)、皇后のうた(御歌・みうた)があって、読んでいると時を忘れます。

明治天皇さま。

明治天皇は、生涯におよそ10万首。93032首の御製をお残しです。

膨大な御製の量です。ここで私が申し上げる「明治天皇」は、普通にいう「明治天皇」と設定して、話を続けます。

   わが国のためをつくせるひとびとの

   名も武蔵野にとむる玉垣       


「東京招魂社」は、勤皇の志士や戊申(ぼしん)戦争の新政府(官軍)側の戦死者を祀るために、明治二年に創建された、とのことです(参考・「天皇皇后両陛下慰霊と祈りの御製と御歌」)。

そこへ、明治天皇が初めて参拝された時の御製が上記。明治七年の御製です。

明治十二年(1897年)に、東京招魂社は、「靖国神社」に改称されました。

明治帝の御製を、続けます。


   年へなば国のちからとなりぬべき人をおほくも失ひにけり

                    明治37年


   国のためとふれし人を惜むにも思ふはおやのこころなりけり

                    明治37年


   寝ざめしてまづこそ思へつはもののたむろの寒さいかがあらむと

                    明治37年


   たたかひに身をすつる人多きかな老いたる親を家にのこして

                    明治37年


生涯に10万首に近く詠まれながら。

明治天皇は、

歌会始などでの新聞公表を除き、公にすべからず、のお気持ちでした(前出・割田剛雄・小林隆・著より)。

慣例を破ったのは、宮中御歌所の初代所長。高崎正風氏。御製のすばらしさに感激して、明治30年ころからひそかに漏洩され、そえが新聞などに掲載された(前出より)。これは、天皇よりのお咎めがあれば切腹ものの所業、覚悟の上であられたと。


明治天皇ご自身は、漏洩を黙認するほどの信頼をお寄せであった、

「当時の日本人にとって、御製は天皇の生の声が唯一表に伝わってくるものであったから、大いに関心を呼んだ。(前出)

この「漏洩」は、明治45年の高崎正風氏の逝去により、中止された、とのことでした。


明治の皇后、昭憲皇太后の御歌も、幾つか。

   うづもれし人ををしみて青森の雪をいかにといはぬ日ぞなき

                    明治35年


   ふりつづく雨のしぶきに窓とぢてみいくさびとをおもひやるかな

                    明治28年


   たたかひの友のかばねをふみこえてすすむ心やくるしかるらむ

                    明治37年



現代にも受け継がれる宮中の歌会始儀。

年の始まりに、皇族や貴族が集まって、和歌を披露しあう、いわば「遊びの場」でした。

明治維新後に明治天皇は、華族や官員にも詠進を許されました。

明治2年(1869正月24日に、第一回歌御会(うたごかい)が行われた。そして、東京に遷都の後、明治7年に勅題(お題)を公表して、一般国民からの詠進も広くみとめられるようになりました(前出)。

御題が「あけぼの」と平易になったのは、昭和22年以降から。

12年からは、一般の臣民(こう書いてあります(笑))からの詠進中、選歌を歌会始の御前の(天皇の前での)披講のうちい加えられることになりました。

あの、テレビでも放映される、独特の節回しでの読み上げ。あれが「披講」です。

選ばれた方々には、身の引き締まる名誉なことと察しられます。



今日は、明治の御製。御歌を、読ませていただきました。

次回はおそらく、大正の御代の両陛下のみうたを読ませていただくと思います。

そのうち、待ちわびている、今上夫婦の「共著」が、ようやく、届くのでしょう。

おそらく今上には、たくさんのうた(天皇のうた・御製)を、ツマの趣味的なうた愛好癖、それに巻き込まれて出版する意志は、そんなに強くはおありにならなかったように思っています。

ノーを仰るのは今上には苦難の道でおありなのか、結果的には出ているのは、常のこと、ではあります。

追いかけて読んでいると、今上の御製は、すべてとはもちろん申しません、が、天皇のよませたまううた、とは、考えられないものが…散見、と、言っておきます。

これはどういうことなのかと。

呆然としております。

美智子さんへの、なんとも言えないダークな思いが増えまさって。



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銀ちゃんのイビキ


季節のせいか気圧のせいなのか、やる気な~し、のわたくしです。

な~んにもしたくない。でも、そうも言っておられず、めんどくさい書類を揃えて出して、そんなことはしていました。

あ~、だるいよお。アタマの中も体もだるい。

簡単に言えば「ウツ風味」なのか。この感じについて受診したことも無いので、明らかにはわかりません。

5月にいただいた薔薇の寄せ植えの、白とピンクの花が、思いがけずたくさん蕾をつけてくれ、それは嬉しい。

ピンクだったはずの薔薇は、植え替えた土のかげんか、赤い薔薇に変身しています。

私は、赤い薔薇が好きかな。なので、この変身は歓迎します。


あ~あ、だりいよ~~。

ともかくも仕事に行って済ませて早めに帰宅して。


家へ入ったら犬がわんわん鳴くので、自分の部屋へ連れて来て、よいしょとおいて、机に向かって日報の整理をしていた。

後ろの方で、

なんだか不思議な音が始まって、???と見たら。

太らせ過ぎだとイエローカード切られている、実際ぽこんぽこんに肉の詰まっているトイ・プードルが、お気に入りのクッションにもたれていた態勢が崩れて、あおむけに転がってしまっていて、バンザイ状態で眠り込んでいる。

そして。イビキをかいている。

けっこう明確な、グー、グー、の由緒正しいイビキ、ってな感じの、イビキである。

おまけにヨダレ垂らしています。大丈夫か、銀蔵、銀ちゃん、まだ三歳、若衆犬ですが。

あまりにも可愛らしいので、椅子から身をよじった姿勢でしばし眺めておったのです。

色はアーモンド、焦げ茶色に近いです。

ピンク色の、ぱっつぱつに張っているお腹が、ふ~う、ふ~う、と、上下している。早いうちに去勢を行ったので、食べると散歩だけが楽しみになった銀ちゃん、顔はあおむけに、ぶえ~え、ぶえ~え、と、これは・・イビキなのか、もしや、脳梗塞でも起きていて、病的なイビキなのか。

不安になって椅子から降りたら、気配を察して目を開けた、飛び起きた、寄って来た。

私の膝に手をかけて背伸びする、抱きあげて、うにゃうにゃうにゃ~っと、顔を擦りつける。

温かい、柔らかい、鼻息が嬉しい。

子どものころに飼って可愛かった犬とは、悲しい別れになった。

結婚してから猫を飼った、三匹、順に一緒に暮らした、自分は猫が好きなのだと思っていた。

いま一緒に暮らしている銀蔵は、娘婿の犬であります。

Kクンの、大事な犬。でも、私にも大事な犬。

犬も、猫も、大好きなのだと、わかりました。


春も終わりのころ。

庭の隅に、大きな鉢に、カボチャの苗を一本、植えました。

大きな葉がいっぱいついて、鮮やかな黄色い花が派手に沢山咲いて、かわいそうなことに、鉢が小さかったのでしょう、花が咲いて、小さな実はちゃあんとついて、だったのに、カボチャの形に膨らんで来たのは、たったの、一つ。

毎日、がんばれ~とカツを入れて、眺めて楽しんで。

楽しませてくれていました。

もう、これ以上は、大きくなりそうにないようです。

カッコはカボチャですが、味が甘いカボチャかどうかは、不明です。

しかし。

たった一個、育ったカボチャです。良い子のかぼちゃん。

Nさんちの、おばあちゃんに、食べてもらおうと考えています。97歳。

初モノですから。

持って行きますから、美味しく味をつけて、食べてもらって下さいね。

と、思っています。





父の墓標はわれより低し



激しい雷雨の夜でした。庭の椅子も転んでいたし、ゴーヤのための支柱がのけぞったりしていて、風も大暴れだったようですが。

いっさい気にせず眠っておりました。

寺山修司の、うたが、読みたい・・・。


   海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり


   ころがりしカンカン帽を追ふごとくふるさとの道駈けて帰らむ


   日あたりて遠く蝉とる少年が駈けおりわれは何を忘れし


   少年のわが夏逝けりあこがれしゆえに怖れし海を見ぬまに


   やがて海へ出る夏の川あかるくてわれは映されながら沿いゆく


   漂いてゆくときにみなわれを呼ぶ空の魚と言葉と風と


   わが寝台樫の木よりもたかくとべ夏美のなかにわが帰る夜を


   パン焦げるまでのみじかきわが夢は夏美と夜のヨットを馳らす


   肩よせて朝の地平に湧きあがる小鳥見ており納屋の戸口より


   空を呼ぶ夏美のこだまわが胸を過ぎゆくときの生を記憶す


   向日葵(ひまわり)は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し


   父の遺産のなかに数えむ夕焼はさむざむとどの窓よりも見ゆ


   勝つことを怖るるわれか夕焼けし大地の蟻(あり)をまたぎ帰れば


   胸冷えてくもる冬沼のぞきおり何に渇きてここまで来しや


   朝の渚より拾いきし流木を削りておりぬ愛に渇けば


   さむきわが射程のなかにさだまりし屋根の雀は母かもしれぬ


   胸の上這わしむ蟹(かに)のざらざらに目をつむりおり愛に渇けば


   夏蝶の屍(かばね)をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず


   群衆のなかに故郷を捨ててきしわれを夕陽のさす壁が待つ


   胸にひらく海の花火を見てかえりひとりの鍵を音立てて挿す


   愛なじるはげしき受話器はずしおきダリアの蟻を手に這わせおり


   わが撃ちし鳥は拾わで帰るなりもはや飛ばざるものは妬まぬ


   遠き火山に日あたりおればわが椅子にひっそりとわが父性覚めいき


   マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや




        寺山修司のうたは、新仮名・旧仮名、混在したまま残されています。ので、そのまま。


   




惧れも畏れも、そんなもの、ですか


まだはっきりと判り切っていなくて、これおかしいぞ、うにゃ、うにゃ、など、突っ込んで行けないもどかしさの中にいます。

前回の記事の「ともしびのともる~」うた、御製(ぎょせい・天皇のうた)なのか御歌(みうた・こうごうのうた)なのか、どちらにせよ、強い違和感を覚えて書いた記事でしたが。

感想をいただいたなか、同じことを思って下さったのね、と、なんだか安堵の深かった辺りを、以下に、勝手に引かせていただきます。


>「この様なところに行ってぇ〜
この様な事をしましたぁ〜♡」

厳かな神殿に入る時、きっと、美智子さんは虚栄心をくすぐられたのでしょう。

伊勢神宮にも、
天皇家、次期天皇家とされている皇太子両殿下のみが入れる区域、

(秋篠宮両殿下は入れない区域) があると聞いたことがあります。

虚栄心をくすぐられて、
浮ついた気持ちが、
なんとも、、、ヘンテコリンな、違和感有りな表現となったのでしょう。

異教徒?美智子さんにとっては、
神殿も舞台。

まさに、「 薪能 」の舞台にいるような、、、舞い上がった気持ちになったのでしょう。

炎の表現は、その時の心情を表す気がします。<


Hさんに、こう頂いて、そうそう、こうよね~と。そして


>まさに開いた口がなんとやら

大正天皇さまの御幼少のみぎりに詠まれた《砂糖は甘くて美味しくて牛乳なんぞに入れて飲む》というのがあるそうで、なかなか子供らしくて良いではないかと。
そもそも皇族さまなら、神嘉殿に於ける祭祀についてあれこれ言うかなと。禁中での事は秘かに執り行わなくてはなりませぬ。琴は多分、六弦琴を弾き御神楽を奏していたのではと。外にバラすかなぁ。
雅子さんの歌が、文法や言葉がアレだと批判されてますが、考えたらそれに近いレベルかもですね。
不安なのは、老人特有の御様子が見え初めた陛下を更に悪用(不敬ですが、ボキャ貧につき、これしか表現がみつかりませんでした。)しそうて怖いです。<


Kさんのこの仰りようにも、そうねそうねと頷いたKUON。

>そもそも皇族さまなら、神嘉殿に於ける祭祀についてあれこれ言うかなと。禁中での事は秘かに執り行わなくてはなりませぬ。琴は多分、六弦琴を弾き御神楽を奏していたのではと。外にバラすかなぁ。<

ここが特に、わが違和感の元だったのでございます。

あの一首に、ものすっごく驚きました。

異教徒。なるほど。その視点でなら、自分の目の前に繰り広げられている、皇居・神嘉殿での祭祀の模様も、こんな感じで見てしまうのかなあ、とも感じましたし、いわれているように、一神教の徒であるならば、他のタイプの「かみさま」に対して畏敬の念を持つはずも無し、儀式のあれこれもなんか変わったこと、とはいえ、自分は特別に関われること(その事実には大いなるプライドを持つにやぶさかではない)、微妙な感じ・・・しかし、このうた、よく、世の中に出て来たなあ、出されて来たなあ、など、!も複数形でございます。

ふつうに日本人の感覚なら、こんな目を持てたでしょうか。

しかも(今日はこればっかり)、うた自体が軽い軽い、惧れだの畏れだのそんな風味なんか、どこにもありません。

おそるべし自己・全力肯定人間、みてこさま。



>宮中祭祀を無私の心、国の安寧のみを願って行われれば、別の歌が詠まれるように思います。
そもそも、歌をお読みになる意識が
おありなのかと。
トランス状態になられたり、しないのかしらと、思いました。<


Bさんの疑問。

そうなのです。

宮中祭祀を、国家の安寧、国民の幸せ、世界平和、のためにつとめられるもの、と限定すれば。

・・・おかしな書き方をしましたが、そうなのでしょう?、そう、信じていますけど。

この際、祭官である今上(当時は皇太子)は、みてこさんの「夫」ではない。唯一無二、神事を行い得る立場、身位の、人でありながら、たんなる人、ではないお方。

ここが、ふつう程度に理解できていれば、こんなねちゃくちゃ、のうたは成らんのではないか。

と。

みてこさんには、すべて全部、私事。わたくしごと。わたし、が、すべて。

皇太子の時も天皇になってる今も。ハズはハズ、自分の夫。立場もへったくれも。わたくしのために存在し、わたくしを羅針盤に動いて、ヒジ、つかませていればよろしいのよ、よろしいの。ええ。って感じで。

>トランス状態になられたり、しないのかしら

ここ。恐ろしゅうございますわ。

失語症ヒステリー症状自己陶酔作文あれこれ。

つまり、それでは。

私見ですが。(笑)。

数日後に続きが書けますように。

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生ハム工場での両陛下。

両陛下でいらっしゃいます。

上衣もマスクもエプロンも頭巾も、なんにも無しで、両陛下。ご皇嗣夫婦の過去の味噌工場での「こと」みたいに、わぁわぁ、言われないのでしょうね。


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雨に咲く花

正体見たり、美智子さん



美智子さんのして来たことへの疑問は増すばかり、あの「したり顔」への嫌悪感も同様。

天皇という身位の夫さんを、いいように操って、発言、言動、つまり「陛下の強いご意志」なる文言を錦の御旗に、やりたい放題して来たのが、美智子さんというひと。

今日は、偶然(という名の必然か)、美智子さんという人間の、ある大きな一面に突き当たった。

見てしまいました。

まだ結論は出ていません。いま、取り寄せている一冊の本が、私に、もっと明確に教えてくれるだろうと、その本を待ちつつ。


   ともしびの静かにもゆる神嘉殿

   箏はじき歌ふ声ひくく響く


この一首は、今上のうただという。

一読、まことに全身の血が逆流するのを覚えました。

歌としては「へたくそ」なうた。

はっきり書けば、今上の御製(天皇のうた)は、特別に個性的でも技巧的でも無い、天皇の御製と聞けば、なるほどと、拝見するような、普通のうた。

平和な時代の天皇さんの御製なら通る、素直な(ひねりのない)、おうた。私見です。

美智子さんのうたは、そうではない、と云われている。歌人としても優秀な皇后さま、というのが、定着した評価でもある。

何度も申しますが、すばらしい御歌は、たくさん。あるのですが、ここ数年の私の思い。

皇族の歌は、ふつうでいい、普通がいいのではないか。

絢爛な歌人である必要って、あるのか。私見です。

世に出されている美智子さんのうたに、どの時代のどの先生の手が、どう入っているか。そこまではわかりません。

けれど、いかに皇后に召された(名誉ですよね、それって)名高い歌人といえども。

この一首には、手がでなかったのではないか。出させなかった、以前に、これに関しては、そう考える。



上にあげた一首。

へたくそなうた、と、思い切って書きました。いや、下手でもいい、と、私は、うたに対して思っていますが、このうたは、わざと、あえて、ヘタに作ってあるのが、卑しい。それとも、どなたかの手が入らない状態は、こんな程度か、とも、疑う余地はあります。

そんなことより、もっと根源的なこと。

恐ろしい疑惑。


神嘉殿とは、天皇が宮中祭祀を行う場所。

神嘉殿におわします時、天皇は、無のこころでもって、天皇しかつとめられない神事に、向かっておられる。はず。

その時に、このごときうたを、詠まれますか、天皇陛下(当時は昭和、未だ皇太子でいらした今上)。


これ。なよなよの女うた。

女のうたったうた、と思われる。それ以外に思えない。

うわっつらだけ撫でているうた。

なんだ??

ともしびの、静かにもゆる、神嘉殿??????。

ともしびは、揺れるもんだ。

静かに燃えていても、まあ、いいとしても。

神嘉殿の・・・宮中祭祀を行う場所の・・・特別な場所の・・・その、さなかの、ともしびって。

どこにいて、何を見ながら、このごとき俗な発想をしているのか、一首の作者は。

作者は、今上ではあるまい。今上の、夫人だろう。

うたの詠みぶりにも個性が出る、あきらかに出る(でにくい時だってあります)、しかし、神嘉殿なる場所での、この通俗な言葉選び(精神がまんま、通俗であるからと断言しよう)、これは。

「箏はじき歌ふ声低く響く」

花見のうたか、歌舞伎の舞台か。

呆れ果てて、呆然としました。

なんという俗なうた。

こんなものを、今上のうただと言われるか、それで通されたか。

美智子さんが、皇太子に成り代わって、しかも、祭祀の場の模様を、これ以上ないくらいに俗な視線、思考、言葉選びで、詠んでいるのです。

正体見たり、の気がします。


また。

昭和45年には(入内後9年)、

「新嘗祭八首を連作」しているという。

知りませんでした。今上は、あらゆる意味で、それはなさっていないと思います。私見です。

そのような能力をお持ちでないことと、やはり、今上は、祭祀の場に於いてはと、私の中の何かが囁く。

したり顔で、「祭祀のうた」「新嘗祭」のうたを、作ってみましたのでしょう、美智子さん。

もう数日で本は届く。

どれだけ悪辣な、思い上がった雌鶏であったか、美智子さん、考えさせていただきます。

祭祀中の天皇に、成り代わったうたを、誰も咎めず来たのか。

小さなエピソードですが。

阪神の被災の地に手向けた、あの、水仙の花束。

美智子さんアゲアゲの最たるものひとつだったあの、時の、うたが、美智子さんの歌集に、無い。

ちゃあんとあります。

紀宮さまのおうたの一つとして。

お嬢さまに成り代わって、慈愛のこうごうさんを、さりげなく(と見せかけて)うたっておいたのね


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大辞林 第三版の解説


しんかでん【神嘉殿】


平安京大内裏の中和院の正殿。天皇が国家や土地の神をまつったところ。




皇居皇霊殿の西に南面する殿舎。新嘗祭・神嘗祭をここで行う。また,南庭では,元旦に四方拝を行う。





みたま に。

6月の靖国神社社務所の「拝殿・社頭掲示」文。


すめら御國を 永久に守らむ

                    海軍一等飛行兵曹  辻 始 命


     昭和十八年七月二十四日
     本州東海海面にて戦死
     徳島県那賀郡富岡町出身  二十一歳


生者必滅会者定離(しょうしゃひつめつえしゃじょうり)の譬(たとえ)は、常に掌中に在り。

日出る皇國に大和男子として生をうけ聖恩に報い

奉り祖國を永遠に護らむと海軍航空兵として軍籍に

身を投ぜり。

幼十歳にして荒鷲を望みし身とて、殉職はもとより

期せし処。

されどわが本懐は、太平洋上紺碧の空に聖の万歳

を寿ぎつつ散華するにあり。

我が日頃神仏に祈りし処は「皇國日本の為尽くし得る

立派な人間とならさせ給へ」とのみ申せしにあり。

(中略)


   散りてのち なほ白雪と とどまりて

     すめら御國を 永久に守らむ

 昭和十七年 元旦記之


                 始


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一点の曇りも無い若い精神の書かせた一文。

そういう時代だった、とか。

これもいわゆる洗脳、だとか。

とっこーたいには麻薬が投与されたとか。

自己陶酔による「死」の美化、だとか。

はたからは何とでも言える。後からでは、もっと言える。

・・・わたしは、この文面に、あっという間に涙がこぼれました。

知覧でも泣いた。

どこでもいつでも、泣けます。

↓ の方たちは、いかがなんでしょうか。

おもうのも無駄、だと、確信しつつ。

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あらま。どうなさったのかしら、またこたま。

ナルたまのネクタイは、以前もお見かけした素敵なお品。

むか~し見た時は「すてきなネクタイ」と思った。

いまはもう[doudemoii]です。

ひでんか、どこの誰よと、一瞬。


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ナルたまのおつむのてっぺん。斜めに突き立っている片腕、この手は、どなたの腕なの?

とか、あるサイトで見ました。

もちろん、どなたかの腕と、手、に、決まっていますよね?

それ以外の「何か」などでは、ないですよね?

それはそうとして。

ぜえんぜん似合わない「天使の歌声」、ウィーン少年合唱団、聴きに現れたこの夫婦。

お嬢ちゃんに、こういったものこそ触れさせてやいたい、が。ふつう一般的な「親の気持ち」かと拝察されます。

どの子を選ぼうか、決めかねられたのかしら?。


・・その前の日の、香淳皇太后さまの例祭には、二人ともお出まし無し。それこそが、皇族として出るべき場所、機会のように思われたりは、しないのね。

このナル氏。

千葉県柏市へ二人で行って、スコップ構えて写真撮らせた、あの、白だかアイボリーだとかの上衣の裾がものすごく不自然だった、あの日のナルさんと、むくみようが大変、異なっておられます。

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すまじきものは宮仕え

うしろ姿のしぐれているな


顔色は、この日は、うまいぐあいに(?)(!)ドス黒い皇太子さん。

なんで最近、二人で出歩いてるの?柏では、お昼ご飯の時はまさこは欠席していて、皇太子はひとりごはん。その後また戻って(カメラの前に)一緒にいた。

開始から45分ほども遅く、行事が始まった、とか・・・遅刻しやがったらしいです。

気、くるってるの? ねえ。ねえ。


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このごとき者たちを、皇室の長としていただくために。


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天皇。と。皇后と長い間、呼ばせてきた、その夫人。

あられもないとはこんなこと。


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このごとき茶番のまかり通る国

こんな風になってしまった国です。

申し訳ない思いです、何もできません。こんな皇室になろうはずとは。

こんなために、

ただ一つの、気高い命を、散華させられたのでしょうか。

英文ではこう記されています。

Hajime Tsuji Mikoto


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安らかなお眠りを。もしやさまたげるやと申し訳なく存じつつ。

どうぞ、まっとうなる皇位の継承者お二人を、そしてお二人をお支えの真摯なる気高い方々を、どうぞ、お守り下さい。


・・・…・お返事は、明日、させていただきます。

しげしげ眺めました


>最近東宮とかあっちの話題が無い、皇室ブロガーのくせに、短歌とか好きなことばかり書いていていいのですか。

と、叱咤か激励か、コメントをいただきました。


では、なのか?(笑)、この一枚を貼らせていただきます。

日本の皇位継承順位第一位。皇太子ナルヒト氏と。その夫人、まさこ氏のようです。

どっか東京から近いとこへ行ってあげて、公務をしてあげて来た時の、写真のようです。


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ちょっとしげしげ見たいような写真なので、失礼してじろじろ、眺めました。

なになのでしょう、これは。

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私の大好きな、細川ガラシャ夫人のうたを、やはり、引きたくなります。


   ちりぬべき時しりてこそ世の中の

   花は花なれひともひとなれ

                    細川ガラシャ  辞世  享年三十八歳



あてつけがましいですか。

あてつけになるまで100万光年くらいある気もしますが。

お二人に悪い? (笑)。







相聞 お市さま



また、うたの世界に入っていました。


柴田勝家は、織田信長に見いだされ、忠義の人だった、と云われますが。

本能寺の変の後。秀吉との対立が深まり、賤ヶ岳のたたかいで敗れて、越前北の庄にたてこもった。

覚悟を決めて、妻に、城から逃れるように説得しました。

勝家の妻は、信長の妹、市。

戦国一の美女と呼ばれた女性です。

お市の方は、けれど、逃げないと言う。

お市の方にとって柴田勝家は、最後の夫。

戦国の女の常として、それまでの彼女は、夫を殺され、娘たちのために城を後にし、言われるままに再婚し。

一人息子は串刺しにされて殺されました。さんざんな目に遭っていました。

勝家は、市に優しい夫で、大切にしてくれました。娘たちは成長して、もう、母親である自分を、どうしても必要とするということでもない。

かつてのように、城を後に落ちたとして、命は助かるとしても、そこにいるのは、あの、さるというより兄はハゲネズミと呼んだ、秀吉。

秀吉が、何をどうしても自分を欲しがっていることは、とうに判り切っていたこと。

今度こそあの男は、自分に向かって来るに違いない。

初めの夫をあやめ、息子を処刑し、兄の跡をそっくり抱え込んで、今では、権勢の限りを・・・

あの、ハゲネズミ。指いっぽん、触れるどころか、半径10メートルにも近寄らせてやらんわ。

交換条件いっぱいつけて、来るんだろう、あのげせんは。


いやなこった。

こうなってしまえばバカバカしい。

そんなとろくしゃあこと、なんで私がしないかんの。

たあけらしいわ、のれんわ、そんなこと、あいつの顔なんかもう、見るのもケガラワシイでかんわ。

正直わたしも疲れてまった、いろんなこと、いっぴゃあ、あったんだも。

娘んたらあは、なんとか、やってくだろ。

私だってもう、自分のためにものごと決めたって、ええはずだないかね。

やりてゃあように、やらしてもらってええわね、まあ、そゆことだと思うんだわ、許してもりゃあてゃあ、おとっさんもおっかさんも、兄さまだって、そう、思やあすはずだも。

まあいっぺん、出てって、なんか、やり直す、むりむり、疲れてまった、無理です、それと、まっと他になんでかしゃん、言うなら、よう。

この夫と一緒に、行くんだったら、落ち着いて逝ける気が、する・・私が、苦しまんでもええように、うみゃあこと、してくだしゃあす気が、する、それが、いちばんええことみてゃあに、思えるもんで、こうせなもう、しょうがにゃあんだわ、な。

・・・なんでここへ来て、名古屋弁しゃべっとるか、わからんだども。

この人は、ええダンナさんでいてくれやあた。

一緒に行かいてくだしゃあ、て、さっき、言ってまった、そんだら、そおか、と、にこおっと笑って、言ってくれやあたで。

やっさしい目で、言ってくれやあた、もう私、気がすんだだわ。

気持ちが、すううっと楽んなって。

もう、生きとりてゃあ欲もにゃあ。

男の人んたらあは、国が欲しい名が欲しい、欲しい欲しいでジタバタ、生きとりゃあす。

女が欲しいモンは、そんなもんと違うんだわ。

まあ、いちぎゃあに女、言っても、いろんな人がいらすけど・・

私は、このヒトのとこへ来て、ほっこら、包まれたみてゃあで、初めて、ゆっとりと、ダンナさまのそばにおった気がする、そんでよかったんだ、私も、わきゃあことは無かったんだも、ゆっくり、そゆのが、続かんかったけど、それはまあ、ええね。

ここで、この人と、死んでくんだ。

それが、わたしの、最後の道だ、思うんだ、

一本の、まっすぐな、きれえな道だと、思うんですわ・・・



とか、お市の方が、考えられたかどうか。

あくまで即興、ジャズみたいなもんです(かっこ良すぎるか・恥)


今日こそ城は落ちる。落城。というその日。

気持ちを定めて、しずかなこころで夫婦は、天守閣から外の様子を、眺めたか。

ほととぎすの季節だったのですね。

ホトトギスは、終焉の直前の静寂の中で。鳴いたか。


   さらぬだにうちぬるほども夏の夜の

   わかれをさそふほととぎすかな

                    お市の方 辞世


勝家の思いは、どうだったでしょう。

主家筋の美しい女を、思いがけなく妻として。

その妻は、意外にも、自分に寄り添って、やわらかい妻でいてくれた。

しあわせ、というものだったのだろう、この女と過ごした月日は。

そして今。最後の時を、共に迎えるという。

わが名をそそぐのは、後の世の、こころある誰か。そんな者が、いるとすれば。

市は、のがれぬと言う。

そう聞けば、この女の命が惜しい。

もっと生かしておいてやりたい。

そんな気持ちはある。あるけれど、

・・・もう何も望むことは無い。

これでいい。充分である。

(とか、勝家氏が思ったかどうかはわかりません、そうじゃないかな、そうだったらよかったなあ、の、くおんちっくな妄想で。

妄想です。)


   夏の夜の夢路はかなき跡の名を

   雲居にあげよ山ほととぎす


                    柴田勝家 辞世




いっときの後。

柴田勝家は城に火を放ちました。

お市さまの胸をつきました。

自身は腹を召した・・・十文字に腹を切っての自害だった。

と、いわれています。
 




 

ワタシも「どす」子?

スレッドでは無いのですが、あるところへコメント下さった方に(ほかにもご心配戴いていますので)こういう形で遠まわしにですが、お返事させていただきます。

・ヒミツのKJさんに。

   ほかの方がたに。


ご心配下さり、ありがとうございます。

私は兼業ばあちゃんで、雑用も多く、のぞかせていただくブログも多くはないです。

どこのどこやらで、何がどうなっているかはさっぱりわかりませんが。

ご心配下さる件。「危ない」とか、の。


こちらが望んでも、丸腰、素手で向かえる相手と、無理な相手とがあります。

日本は法治国家ということになっていますので、その中で、自分が雇ったたとえば〇〇士、〇〇〇団その他、とにかくプロの方などは、少なくとも、こちら向きにそれなりの仕事はしてくれるよね、と(笑)。そういう理解の上で、いなくてはならないことも、ある。

その安心の上でないと、動けないこともあるのが、面倒なこともありますね、実感。

それと、どなたかさん・・・〇氏との、連携で、どうだとか???

これは私には理解不能、そのような連携は、どなたともとっておりません。好きなブログの主さまがたに、勝手に親近感抱いて、うふうふさせていただいていますが。

KJさん、あの「○」さんとは、連携も関係も親交も、ございませんと、明記しておきますよ~。



ありがとうございます、心配して下さって。

これからも、よくわからないままでいます。

身内は、守らなければなりませんね、よくわかっています。ありがとう。




ひとり居りたし



戦争をテーマの短歌を、読みなおしていました。


  飯盒の氷りし飯(いひ)に箸さして言葉なく坐(ざ)す川のほとりに


  おほかたは言(こと)}挙ぐるなくひたぶるに戦ひ死にき幾人(いくたり)の友


  装甲車に肉薄し来(きた)る敵兵の叫びの中に若き声あり


  帯剣の手入(ていれ)をなしつ血の曇(くもり)落ちねど告ぐべきことにもあらず

                    宮 柊二


  教壇に説きし感傷は今にして夢のごとしも北支那の山に


  照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に


  突撃直前の吾が意識にふと浮びしはアネモネの紅きひとひらなりき


  数々の思ひも今はなし敵弾に身を伏せて行く麦畑ひろし

                    渡辺 直己   (三十一歳・天津にて戦死)


  うつそみの骨身(ほねみ)を打ちて雨寒しこの世にし遭ふ最後の雨か


  磧(かはら)より夜をまぎれ来(こ)し敵兵の三人(みたり)迄も迎へて刺せり


  ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくずをれて伏す


  胸元に銃剣受けし捕虜二人青深峪(あをふかだに)に姿を呑まる


  限りなき悲しみといふも戦(たたかひ)に起き伏し経れば次第にうすし


  目の下につらなる部落の幾つかが我に就き敵に就き遂に謀りき


                    宮 柊二



  あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ


  子らみたり召されて征きしたたかひを敗れよとしも祈るべかりしか


  かくなれば勝つよりほかはなかりしを戦ひつつ知りぬ勝ちがたきことを

                    土岐 善麿


  たたかひを終りたる身を遊ばせて石群(いわむらが)れる谷川を越ゆ


  廿五名の運命をききし日の夕べ暫く静かにひとり居りたし

          (昭和二十三年十一月十二日「A級戦犯」二十五名に対し判決下る)


                    宮 柊二



  山なかの荒れし河床(かしゃう)を徒歩(かち)渉るこころあやしも戦(いくさ)思ひて


  咽乾き銃抱へつつ駈けてゐき六十一歳の夢の中にて


  中国に兵たりし日の五ヶ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ


  足病みて歩けずなりぬ山西を馳駆(ちく)せし兵もかくは衰ふ

                    宮 柊二 (昭和六十一年死去。七十四歳)










  

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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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