今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

空に吸われし



月の最後の日は、銀行回りをします。

4月5月は、震災関連で、わがミジンコ会社の売り上げにもいささかの影響がありました。大きな会社の工場のラインが止まってしまっていましたし。影響は、波のようにたゆたゆたゆと、伝わって来るのです。

でも、おかげさまで、取引先への支払いも、働いて下さる方々のお給料の振り込みも、つつがなくできました。本当に困っておられる方が沢山いらっしゃるので、どうしようかと思いましたが、書きました。

何軒か銀行を回ると、足が痛くなります。そして、

パソコンの前で簡単に入金の確認も支払いも出来るらしいのに、未だにバスで出かけて、アナログな月末行事を続けています。

すべてを済ませたあと、本を買って、お気に入りの店で、コーヒーを楽しむ。そのひとときが、月末の私の幸せ・・・。


  実務には 役に立たざるうた人(びと)と
    我を見る人に 金借りにけり


石川啄木のうたです。

昨日とり上げた源実朝。時代も立場も作風も、まるで異なっている啄木ですが、実朝とほぼ同年輩、20代後半で死んでいます。

・・実務には役に立たない。・・・なんだ、仕事しくじってばっかりの、あの石川。

うたびと、らしいぜ、あの男は。短歌とやらいうもんが、えらく上手だというんだが。

何がうまくたって、金が稼げないんじゃ仕方ない、人に金借りてるようじゃな、うたびとだって、先生さまだって、な、と。

(笑)。

こういった感じに、見られていると、プライドの高い、自分自身に対しては繊細で感じやすい啄木は、わかっていた。

わかっていて、この一首が、単なる自虐でないところが、なんとも。

金、貸して下さいと、アタマ下げて。冷ややかな視線を、目を伏せてやり過ごして、お金を手にしたらもう、何でもどうでもいい、啄木は快楽主義者でした、お酒吞みに行っちゃう、女性だって買ってしまう。自分をさげすんで見た目など、忘れられる。

どのみち、あのひとたちは、何もわかっちゃいない、金くらいは稼げるだろうが、と、自分の方を上に置いてみていた・・から、おそらく、本当には傷ついていなかったと思われる。

おれさま啄木。そのように私は、お腹のなかで呼んでいます(笑)。

お金を出さないで快楽を得られれば、もっと楽しかったでしょう。

年老いた父や母や、若くして結婚した妻や、十分な庇護を必要とする幼子や。

面と向かえば愛しい者、こころ痛む者、その人々の生活が、ずずんと重く肩にのしかかっていて、そんな家族を、苦しめたくはなかった、でも啄木は、お金をなんとか工面できたら、パッパカと使ってしまった。


とてもいい人、が、こういうタイプの人間に、誠意の限りを尽くしたりすることがあります。

啄木にもいました、生前も死後に及んでも、啄木に関わり続けた人。

野口雨情や宮崎郁雨など、勝手なことをされたり被害と言えるようなことをされたり。でも啄木を悪くは書いていません。

誰より、金田一京助は、自分だって裕福では決してない中、啄木に、気持ちもお金も寄せ続けました。

(金田一京助は、横溝正史の「金田一耕助」の名前のモデル。息子さん、お孫さんと繋がる高名な国語学者)。

常識的な観点からは乖離した、いいかげんな啄木の姿も随分見たでしょうが。啄木の「才能」を、早々と知り、愛し、守りたかった友人だったのですね。

石川啄木は、初めての男の子を、生まれてすぐに亡くしていて。

葬儀の日に、啄木の乗った車から、ひとすじの煙が漂い出るのを見て、

「石川は殊勝にも、香を献じているのか」

みたいなことを書いた人は誰だったか・・・

実際には啄木は、タバコを喫っていたのでしたが。

それを、少し醒めた感じで書いていたのは、誰だったか・・・。

金田一京助は、離れなかった。


おそ秋の空気を
三尺四方ばかり
吸ひてわが児(こ)の死にゆきしかな

                           石川啄木

どう悲しいか、どう悲しむか。

本人以外にはわかりません。


はじめは、美智子さんのうたについて書くつもりだったのです、それが、啄木の方に、いま、行っていますね、そう言えば、初めから話題は啄木なのですね・・・わからないものですね・・・何、言ってるんだか。

突然、二人で小金井公園を散策、と、時事通信が伝えているのを見て。

このトートツさ何なんだ、と、疑問符が脳裏とびかい。

ピンクのお洋服のこーごーさんは、陛下の肘、しっかとつかんで。

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・ニュースです。

・ニュースだそうです。

ええ、私が書きたかったのは、歌集の中で、お気取りまくりあそばして、陛下を

「聖上」「大君」「君」

と。やたら

「み手」「み衣」「み車」

と丁寧風に。

書いておられるこの方が、肘つかんだり先に立って歩いたり、侍従のごとく従えたり。

している、あの方かと。同人物かと。

ものすっごく疑問符まみれになっていまして。結びつかんぞ、とか。

やはり自分で「見る」感じを、信じる者ですから。

ミテさん第何号とか、そういうことではない、うた、などは、なんぼでも綺麗に仕上げられるものだよね、そりゃあそうよ、の観点から。

どうも、歌のほうのミテコさんが、上等そうである。よくできておられる風である。長年の膨大な写真が語る「ミテコさん」とは、濃さが違うようである。

上品さの「濃さ」、とか。

なんか、それが、納得ゆきがたいと言うか・・・

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(これは過去の画像です)

ぢゃあ。

昭和天皇、皇后陛下を、丁寧風に詠んでる、これも、ぢつは・・と。

ココロが指図して感じてしまいましたのでした。

で、実際は、啄木・・・きょうは啄木気分だったとは、思いますのですが。

うた、好きなのです。



啄木の、煙草のうたを引きます。

煙草が買えなくて、もらい煙草を重ねていたり。人のタバコ、勝手に喫って、ニコニコわらっていたり。

金田一氏とは、火鉢の灰をかきまわして、いわゆる「シケモク」探し出して、なんとか煙にありついた、・・・楽しかったのでしょうね、そんな時、二人は。


   空家に入り 煙草のみたることありき あはれただ一人居たきばかりに


   忘れ来し煙草を思ふ ゆけどゆけど 山なほ遠き雪の野の汽車


   胸いたむ日のかなしみも、かをりよき煙草の如く、棄てがたきかな。


うたと本人の距離感が、独特。

人として、など考えるのはむだなことなのでしょね・・。




魅かれてしまううたが、いっぱい、たくさん、ありまして。

↓ この一首など。これだけで、降参します(なんで、何が、降参? (笑))。



   不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心




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うすねず色に



    おほ海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも


鎌倉幕府三代将軍  源実朝 のうた。

大好きなうたの一つです。

われて 砕けて 裂けて と。て、て、て、の追い込みように迫力があり、海の大きな構図、だだーん、どどーん、の波の音が、気持ちいいのです。

数え28歳の若さで実朝は、命を落としました。

鎌倉・鶴岡八幡宮の大銀杏のもとで、甥の公暁に狙われて。

太宰治の「右大臣実朝」も読みました。

その中にある「実朝のうた」


   老イヌレバ年ノ暮(くれ)ユクタビゴトニ我身ヒトツト思ホユル哉(かな)


夭折の天才と、言ってしまえば軽すぎます、見えてしまっていた人間の一人、だったのでしょうか、実朝。


雰囲気の違う、この↓ の一首にも魅かれています。


   物いはぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかな親の子を思ふ


実朝に子はありませんでした。

いるようになったかも知れない自分の子、という存在、に出会うまでに、はやばやと、いのち終わってしまったひと。

母親との仲はさびしいものだったといいます、温(ぬく)くて柔らかいものを、恋うる部分を、持ち続けたのでしょうか。



この項の最後に、自分のうたを、記してしまいます、あと二日、待てばいいのに待てない・・・


     六月は吾が生まれ月 薔薇の月 うすねず色に鬱の来る月

        ろくがつは あがうまれづき ばらのつき うすねずいろに うつのくるつき





似ておられる


きのう、おとといと、仕事関連のお客さまを奈良へお迎えしていました。

奈良駅のコインロッカーはすべて、伊勢志摩サミットのせいでしょう封鎖されていて、わが社のお客人もそうでしたが、あちこち、大きなカートを引いたり巨大なリュックを背負ったりの方が沢山で、エレベーターもぎゅうぎゅう詰め。

夕方帰ってパソコンを開き、あるサイトで以下のコトバに出会いました。

「悠仁さまは与勇輝の人形の男の子に似ておられる」

ああそうだ、そう言われればそうだ。

少し遠ざかっていたけれど、とても好きだった与勇輝(あたえ ゆうき)さんのお人形たち。

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こころを撫でてくれるようなお人形たちです。

この「男の子」は、衣裳は季節違いですが、ほんとうに、かわいらしい。


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「白い少女」

いちばん初めに知ったのは、このお人形。

幸いなことに、当時はあった奈良そごうデパートの催しで、このお人形を見ることができました。小さなお人形ではありますが、品よく美しく。

その夜、営んでいた小店に店番していると、作者の与勇輝さんが、数人の方と一緒に入って来られました。

心臓が脳のてっぺんまで飛び上がる気がしました。

うつむきかげんに、店内をご覧になるのを待っていて、お買い上げはないまま(この時は残念でもなんでもなかったです(笑))、出て行こうとされるのに、声をかけてしまいました。

与せんせいですね、と。

振り向いて、ほのかに笑って下さったので、今日おひるま、見せてもらって来ました、と申し上げた。できるだけ冷静に。

ああそうですか、ありがとう、と、側にいた方に何やらもにょもにょ仰って、カードを2枚、下さいました。

私はとっさに、レジの近くに置いていたトンボ玉の、小さい一つを、ぽとんと袋に入れて、差し出していました。

お金を払ってあげて、とうながされるのに、いいえいいえとばかり手を振って、カードのお礼をもう一度、今度は、必殺のニカニカ笑いで(笑)。

ありがとう、と、出て行かれました。

知る人ぞ知る、人気爆発中でいらした人形師・与勇輝さんは、優しい方で、おごった気分のかけらも見えない方でした。周囲を取り巻く三人くらいの方の方が、肩がばりんと突っ張っていて、気やすく呼ぶな、笑うな、の気配が強かったです。

高名な作家の先生を、守らなければ、の、使命感に燃えていたのかな・・半分本気、あとの半分は皮肉。

おおむね、そういうものです、本物は、気さくで自由で気取っておられない。これは、まことと信じていますKUONは。


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膝をきちっと締めた、日本の少女です。

ああ素敵・・。


若い頃はまず、四谷シモンの世界に魅かれ。

辻村ジュサブローの人形の、妖しの気配のトリコとなり。

今も、その作家さん方の人形の画集は、しっかりと秘め持っています。


それとは別に。


秋篠宮家の悠仁親王さまは、与勇輝のお人形に、似ておられます・・・。



コメントへのお返事は、今日、帰宅してからゆっくり、させていただきたいです。


・・・ブログの画面が、いささかおかしい感じです。引いていないのに下線、そして、色も変わっちゃう。

申し訳ないですが、お見過ごし下さいますようお願いします。




頬のさやけき少年の


今日25日にアップした、悠仁さまの運動会の記事のまわりが、おかしいです。

少し様子を見ます。

不具合のこと、ここからお詫びしております。

・・・・・・・

上のこと。

残していた記事を使ってなんとかなりました。

先に拍手やコメントなどを、いただいていたなら、いったん初めのアップは削除してのやり直しですので、お気持ちを無にして、申し訳ないことでしたと、お詫びとお礼を申し上げます。
・・・
また下さい(笑)。


秋篠宮家の悠仁親王さまの運動会の記事が、当日5月21日の夕刊(M新聞)に小さくあるのを、積んであった新聞の中から、やっと見つけました。

秋篠宮殿下はご公務、とあり、紀子妃殿下と眞子内親王殿下が応援の拍手を送られた、とのこと。

とみに小さな文字です。

悠仁さまは、じじつ、秋篠宮同妃両殿下の「ご長男」でいらっしゃいますが、それより先に、
皇室に於ける皇統、皇位継承順位第三位の、親王さまであることを、あまり、どこも、言わないなあ、書かないなあ。

けじめも何もない国になって、いいのかなあ、私はイヤだわ。

もう、なっている? いいえ、認めません。諦めたら終わりです。


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みずみずしい少年となられて。

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お母さまもお姉さまも自然体、爽やか。

公人としては高貴な特別の花でいらっしゃる紀子さま、私人としては・・・やはり高貴な(笑)、かつ、さりげない存在感が、快いです。

眞子さまももちろん。

敷物を敷いて、皆さまに交じって、お弁当を召し上がったそうです。

近代の皇室の、プロのご皇族と思います。いつも思っています。









あなたはだあれ、愛子さん



人は時と共に変化するもの、ですかしら。

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これからご出勤の、銀座の・・・いや〇橋あたりの・・・ママ、では、ないと思うのです。

ママと呼ばれたいヒトだとは、わかりますが。

玉の輿とやらに乗ったつもりが、上昇志向の過剰なわりに才も努力も不足し、何より思い上がりが強く。

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テアラはずり落ちているわ、ドレスの胸もずり下がってるわ手袋もダルダルだわ。

これを「すばらしい」とノセまくったひとびとがいたし、ノセられた本人も、一時期は鼻の下 伸ばし 縮まっていたりして。

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現在のおんありさまは、こう。

世界に類を見ない(と云われている)旧家の、跡継ぎであったご夫君を、ご自身と同じレベルまで引き下げることに成功。

ご夫君のズボンのシワ、これ、驚異的。

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優秀なお子さまもおられるなれど、どうも、そうは認めたくない。

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はるばると遠くより自宅(御所と呼ばれる)へおいで下さった外国の賓客。

このお方は、ブータン国の前・王妃さまと王女さまにあらせられます。

ブータン国といえば、東北の大震災の折に、新婚の国王ご夫妻が、大勢の僧侶を同道されてご来日、人々のためにお祈り下さった国。

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そこからのお客人を「ご夫妻でお迎え」と報じさせながら、出て来たのは、皇太子とか未だに呼ばせているこの男性一人。

お客さまに、ボクのいるべき場所を示され、思考能力完全にどこかへ置き忘れて来たがありありわかる空白のご顔貌、ボクは何するのかなあ、と、固まっている一枚。

これが、日本の皇嗣。

このお子だけが、愛おしいらしい、おたたさま。

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こおんなユニークな「皇太子妃」も、このままに置かれて幾星霜。

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いろんなワタシがおりまして~

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きれいと云われた日もあった

左端の黄色いお写真はどなた、

右端の宮妃のティアラはいずこ



まあ、そんな些細なことよりも。

東宮家に ただ一人ありましき内親王

愛子と名付けられ今日まで生い立ちしはずの内親王

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日替わり、場替わりにて、耳の耳殻の形が違う

顎が違う指が違う目つきが違う

なにそれ、いみてーしょん・愛子さん、などと。

かまびすしい日ごろの果てのこの一枚

修学旅行に撮られしと

発表されしこの画像

さて面妖な。

このお子さんは、どこの、どの、どうして、愛子さん?。



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あなたはだあれ? 「愛子」さん

周囲は問わず。一人だけ、夏服の少女。

なんにも言えない。



何か書きたいのですが。

わたしは元気なのですが、なんなのだろう、これ。


町内会の旅行に行くよりカジュアルな身支度のおふたり。

飛行機は貸切、です。天皇と皇后です。

・・・としか。




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こういうことは、なさらなかった。今回。

見ると腹のたつ写真です。


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言いようのない写真です。


TBS系(JNN) 5月18日(水)23時10分配信

 天皇・皇后両陛下が来日中のガーナの大統領夫妻と会見されました。両陛下の負担軽減のため昼食会は行われず、会見のみとなりました。

 両陛下は18日午前、皇居・御所で公式実務訪問賓客として来日中のガーナのマハマ大統領夫妻をにこやかに出迎えられました。

 宮内庁は今月9日に両陛下の負担を減らすため公務の見直しを行いました。これまで公式実務訪問賓客の場合、会見と昼食会をセットで行ってきましたが、今回から会見のみとなりました。

 宮内庁によりますと、マハマ大統領は陛下に対し、日本の医療分野などの支援について感謝の言葉を述べると、陛下は「両国の関係が進展しているのをうれしく思います」などと述べられたということです。(18日16:38)


・・・もうニュースではありませんが・・・。



惜別のうた




惜別の歌

【作詞】島崎 藤村
【作曲】藤江 英輔


1.遠き別れに 耐えかねて
  この高殿に 登るかな
  悲しむなかれ 我が友よ
  旅の衣を ととのえよ

2.別れと言えば 昔より
  この人の世の 常なるを
  流るる水を 眺むれば
  夢はずかしき 涙かな

3.君がさやけき 目の色も
  君くれないの くちびるも
  君がみどりの 黒髪も
  またいつか見ん この別れ

4.君がやさしき なぐさめも
  君が楽しき 歌声も
  君が心の 琴の音も
  またいつか聞かん この別れ


ひと夜、いくたり集ひて、ささやかなる邂逅の宴をもちぬ

かりそめの名をもてしばし、振り返らむとする

かく記しつつ尽きぬ名残に

吾が胸の奥処  しとど  湿り帯ぶるを覚ゆ



無言の人びとが行き交う大阪の街で。大阪は40年ぶりという海外在住の日本男児K氏と待ち合わせ。わたしは50年・熟成モノの関西人であるが「上本町」と「上六」が同じ場所にあるとわからず。上本町から上六へタクシーで行こうとして、ドライバーに、
「降りてあっちへ、ちょこおおっと、歩かはったらよろしねで」

もう乗り込んでいたのを、優しく送り出されて、数分あるきました。一分。運転手さんありがとうございました。ごめんなさいでした。

「あらあ」

「いやあ」

なんとか再会叶い、意味不明の挨拶してニコニコ。

お洒落、ダンディなKさん。ソフト帽の完璧にお似合いの外見はむろん恰好いい、が、

含羞という、現代日本では滅亡の危機に瀕する言葉の身についたカナダ国籍人。とお呼びしたい、そこが何より素敵な方です。

仕事途中でパソコン脇にかかえた、おんないっぴき大地にがっしと足つけて、のきゃりあうーまん、歌舞伎風ファッション板についてる昭和オンナ・Sちゃんとも合流。

まずは顔見合わせて、なんとなく皆、あははは~と笑う。しかしてまずはホテルに旅装を解く。

茶ぁしばいて、わははは~と笑い合って。

鶴橋コリアン・タウンに赤い灯、青い灯、みんなみんな一つ一つの灯の下で生きてるんだよね~、懐かしいような灯のともる頃。

鶴橋といえば焼肉。ここで足踏み外したらシャレにならん、天国(人によっては地獄・笑)へまっしぐらの急階段、登り詰め。

焼酎やビールや、でかんぱ~い。

後は、吞んで食べて喋っての流れ。肉もキムチも美味しくて私はひたすら食う。

肉も小鉢も取り分けてもらって、・・・ごめんよ、お姉さんなのに。

話題は沢山でした。

皇太子夫婦と、いゆわる「成田離婚」の関連性についての考察。

北の基地外王子、キムなんとやらのお母さんは誰だ、とか。初耳でびっくり。

東西南北古今東西、話の向きはさまざま、おもろうて、やがて悲しきなんとやら。

消息話も出たけれど。

イヤな話はいっこも無かった。ワルクチも出ない。あえて、ではない、自然にそう。

四捨五入すれば70さい。に近いのが2人、後から加わって下さったお一人は、ジーパンしゃっきりかっこいい八十路さん。いちばん若い彼女も、ほかのシルバー派(笑)と変わりは無い、持病抱えてる、医者に会うのがこわいのは同じ。で、

理屈ではない。ヒトは何のために生きるか、の、お話。

身は痛んでいるけど、こころはますます柔らかくなって。

きつい厳しい激しい風に、感じやすくなっている、耐えるのが難しくなっている、世の中、安穏じゃないから、あんなことこんなこと、あれこれあって。

これが満ちていればこっちが足りない、ひもじい、つかみようのない「安心」ってものが、この世には、たくさんあって、欲しい欲しいと泣いてみても、どうしようもないことだらけ。

でも、親しく膝を交える場では。

弱って痛んでしばし使えません歯、を抱えている時のように。

歯を痛ませてしまった本体を責めないでいてくれる、お年寄りの歯医者の先生みたいに。

そんな先生の待合室にいるひとときのように。

くいしばって生きて来た歯、を、いっとき、和ませて。

あはは、うふふ、と、やわこい時間を楽しんだ。

そういう、一夜だった。気がします。

自業自得の言葉の意味をわかってる、あまり賢くも立派でもないのがメンツのひと夜でございました。

急階段、もしや踏み外して行く先は。

「わたしだったら地獄です。」

そういうメンバーが集まった気がします。

過去の、いろんなこと、あのこと、このこと。

悪かったのは。

傷つけてしまったのは。

相手ではない、自分。そうでなくても、そうでいいやん。

地獄へ行くのは、自分やろ。

そういう、おめでたトッポい、というか。。

私もそうです。



またね、とか言っても、またね、の保障の無いことは、今度こうして揃うことは、無いかもしれないと、心の内で知っている。

まこと、一期一会の晩餐、昼餐。(その間に、ふつうに朝ごはんがあったわけで。私は朝めしブッフェで、

玉ねぎとブロッコリのサラダと、ベーコンとソーセージを格複数と、バゲットひときれと(抑えたつもりのひときれ)、ミルクと、コーヒーを2杯。

いただきました。それくらいなら、ふつうですねきっと。お皿には、スクランブルドエッグも少し、載せました。

美味しかったので、どうしようかと悩んだ末(悩み時間は常にいかなる場合も短い)もう一度、黄色い綺麗な、バターの風味豊かなたまご料理のある場所に戻りました。ホヤホヤ湯気の立っている方でなく、おかわりなので、残っている方を取ることにして、残ってる方なんだからと、心置きなく、たっぷり取りました。

もう一度、これで終わりにしようと心に言い訳をして、お皿に卵を。いったいたまご何個分、私は。

前夜、焼き肉の店を出てから行ったバーで、つまんだ何種類のチーズとクラッカー数枚、戻ったホテルで朝の三時過ぎまで、がんがんばりばり、喋りまくって瞼が塞がってしまいそうになり、ついにやがて、お風呂にも入らず(!)くたばった後の、朝の8時に、ケロンとして、お腹に納めたのでしょうか。

当分、ドクタの顔見ないでいられるように、受診を済ませ4週分の薬をもらってから出かけたのではありますが。

体重を落とすなど、どこの世界の誰の話だ。おーけー。まだ4週間ある、大丈夫だ調整できる(ホントか?)。

朝からもお喋りは続いていた。自称アル中のK氏は、前夜、ものすごくいっぱい喋っていた、絶好調だったヤッホーだった、酒が入ると舌も滑らかになると言うのであった、私は飲むのをお停めしなかった、一年に一回、親しく楽しく話をするために一事帰国なさるのである、止めない私は鬼でもいい、私は止めません、漢方薬を持参して、ヘ??なお顔なのを騙すがごとく、服用を強いて押しつけて、それを免罪符として、今はいいんだ、本人がそうしたいんだ、酒無くて、なんで親父の楽しみか。

でも、言うほど大量の飲酒では無かったのです。そして吞むのは夜だけです。本物のアルコホル中毒者は、時を盗んで吞む。

心配していたのは事実ですが。内心、

親父の血管、詰まらないで。この旅の間、こうして、楽しく、お酒を飲ませていてさしあげて下さい、と。ムシのいい願いを。

血管が詰まるのが、いちばん、怖いのですわたしは。

ふだん、ほぼ、祈りというものをどこへも捧げない不肖ワタクシ、その時は祈りながら、ご機嫌よろしいお姿を眺めておりました。

この先ずっと、私の、知る限りの人びとの血管、詰まったらあかん。誰の血管も詰まるな。


Sちゃんの大切なお方、文字通りのベターハーフのPさんの車で、通天閣へ連れて行ってもろた。

どんだけぶりの通天閣。ここもやっぱり、観光客仕様の部分が猛追していると聞きますが。

どこ見ても串カツ屋がある。すれ違ったオジサンが、背後で、別嬪や、と大きな声で言わはったので、どこや、どんなベッピンや、と、キョロキョロしたら、あんたのことや、と言わはった。は?。

がっびいいいん。わたしベッピンか。オジサンのベッピン、わたしか。

むにゃははは、と、笑いが込み上げた、やあ、ありがとう、と、大阪のイントネーションで礼を述べました。

右手に肉の塊の詰まったビニール袋下げてオジサンは、礼言うかやあ、と、いい顔して笑った。

そのまますれ違ったが。

その朝、気合入れてメイクして、定番のシャねルのルージュ、これでもかああ、と、濃く濃ゆく、紅筆しっかり使って引きました、口紅塗るとき、わたし、幸せなんです(誰もそんなこと、聞いてない?)。メイク仕上げたら、塞がっていたまぶたも、シャッキーンと開いていました。

肉下げた見知らぬおっちゃんに、ベッピン云われて嬉しかったか? もし聞かれたら答えましょう、はい、嬉しかったです、と。

この話は、昨日一緒だったどなたにも言うていません。ここで初めて書きました。笑って下さってけっこうです。

オジサンありがとう、と、届かないけど、ここでお礼を申し上げます。


その後、やはり車で、飛田新地のぐるりを回って下さったです。

独特の街並み。私は、大正から昭和の建築というか、家や店や街並みに魅かれるココロがあって、ありがたかったです。

タイルで貼られた塀や。元は妓楼だった料亭のたたずまいや。むかし、お店の姉さんを連れ出して・・・とかいう話の、つい、出てきたK氏、どこの店だったかなあ、と、首をかしげておいででした。わからんやろなあ。

目の横に現れた一軒、間口あけっぱなしでいかにもそれらしいしもた屋風、見たら正面に、マネキンみたいな若い女性が座っているのが見えました。

若くてきれいな水色のドレスを着た。

今は、親に売られた、ではない。

男はんに惚れて入れあげた挙句、でもない。

自分が作った借金のために、が多いみたいですよ。

慰安婦の話や、朝日のばかやろうの話が出たりしました。

これについては、大急ぎで後でメモしたものがありますが、ここでは割愛します。

お昼ご飯は「美々卯」で。

残さずいただきました。

Kさん親父は、きつねうどんと季節の炊き込みご飯(あさり)を、召し上がりました。私は、厚かましいことに(いうのも厚かましいわ)、ずううっと、ご馳走になっておりました。

次の予定地らしいリッツ・カールトンの前で、K氏と別れました。

今度、は、あるかも知れないし、無いかも知れません。

楽しい二日間でした。

どう書こうかと考えていて、冒頭のうたが浮かびました。

  花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ

また会えますように。4回目がありますように。食も控えてまいりましょう。

・・・つまり波長が合う。そういうことなのだそうです。

そういうことだと思います。人と人は不思議です。

Sさん、Pさん、最後になりましたが、本当にありがとうございました。おんぶにだっこで楽しませていただきました。遠方の方にターゲット絞って書いてしまいましたが、お会いできて嬉しかったし、いっぱい話せて楽しかったです。

親身な優しさが、身に沁みました。





ひとのこころの温度をおもう:追記あります

[照宮成子の作文]

[私はどういうめぐり合わせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。いつどこにおいてもわたしは優れていなければならない。私は皇室を背負っている。私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。どうして安閑としていられよう。

高い木には風が当たり易い。それなのに高きにありながら多くの弱点をもつ自分をみるときこの地位にいる資格があるかどうか恐ろしくなる。自分の能力は誰よりも自分で一番よくわかっている。ともかく私は自分で自分を育て築きあげていかなければならない。

この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られそして人知れず死に行く運命をもった人々の前に立った時、護衛の警官やおおぜいのお供をひきつれている自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。]

                                 女子学習院中等科5年生 1942年

この作文を書かれたのは、昭和天皇と皇后の第一皇女、照宮さま。17歳のもの。

戦中は食べ物にもこと欠かれ、第一子ご長男は、防空壕の中でお産みになった。

戦後、降嫁された東久邇家も皇籍離脱。それまでは皇族の一員だったけれど。5人のお子さんをお育てになる中、内職もされ、特売の行列にも顔を伏せて並ばれた。

恥ずかしいと言うより、騒ぎになるのを控えられたのだろう。

少し前のM新聞に、学友でいらした方の文章が載っていたが(切り抜きを無くした~)わきまえの深い、皇族のありようのよくわかった方でいらしたと偲んでおられた。

作文からも、そういう感じは読み取れる。

昭和36年(1961年)7月、没された。35歳。

闘病中は母上である皇后陛下が、毎日のようにお見舞いされた。

いま、テレビドラマで連続中の「とと姉ちゃん」のモデルの女性が創刊された雑誌「暮らしの手帳」。

その一冊の中に、

「やりくりの記」

として、お粉とお芋ばかりの食べ物のこと、親のものを作り直してお子さまの服に、など、さまざまな戦後の元・内親王の暮らしのさまが、掲載されている。

「東久邇成子・やりくりの記」で検索すれば、けっこう長い魅力的なこの文章を読むことができます。

いずれは、書き起こしをさせていただきます。

「暮らしの手帖」大橋鎮子と照宮さま、直談判の末に、の一部です。

>昭和天皇の第一皇女であった照宮さまが嫁がれて後、臣籍降下して、東久邇成子さんになり、麻布に住んでいることが分かりました。そして、勇を鼓して、麻布の東久邇家に突撃したのです。成子さんに直接お目にかかり、日常の暮しをありのままに書いていただけないでしょうか、とお願いしたのです。(この辺のことについては、大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』に詳しく書かれています。)そして、みごと原稿を書いていただいたのです。それが5号に掲載された「やりくりの記」でした。

押入れもないところに、家族4人が暮している。食べるものは、配給と焼跡を耕して作った畑の野菜だけ。ひもじい毎日。着るものは、お古をつくろって着せている…。なんと、天皇の第一皇女の一家が、まさにわれわれ庶民と同じように、やりくりに明け暮れる毎日だということが、綴られていました。国民はおどろきました。そして、成子さんが最後に書いている

「日本中みんな苦しいのだから、此の苦しさにたえてゆけば、きつと道はひらけると思うと、やりくり暮しのこの苦労のかげに、はじめて人間らしいしみじみとした、喜びを味う事が出来るのである」という文章に、多くの国民が元気づけられたのでした。この東久邇成子さんの「やりくりの記」は大きな反響を呼び、部数も伸びて、『暮しの手帖』を元気づけ、大きく発展していくきっかけをつくってくれたのでした。鎭子さんの大功績でした。


・・・・・・・。

深く愛され、思い入れの深かったであろう、この第一皇女の若い死は、昭和の両陛下には痛手だったでしょう。

第二皇女の久宮祐子さまは一歳で夭折しておられる。


・・成子さま亡きあとすぐの、喪の明けないどころか、7月23日に逝去された、その夏の、美智子さん率いる皇太子一家の夏の静養への写真が、

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これです。

今日、BBさんのブログを読ませてもろてたら、読者さんからのコメントを、表出しておられました。

転載をお許し下さっているので、以下、いただいて来ました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

咲耶

BBさま みなさま はじめまして。

こちらのブログを最近知り、ビックリしたり納得したりの日々です。

美智子皇后や正田家がここまでとは思いませんでしたが、私の祖母の話で

香淳皇后の美智子妃いじめはマスコミのでっあげだと言うのをここで申し上げておきたいと思います。

私の大叔母からの伝聞を祖母から伝え聞いた話ですので証拠等はありませんが真実だと思います。

私の大叔母は香淳皇后の学友として選ばれ、女子学習院時代から親しくさせて頂いておりましたが、入内され皇室に入られてからも何かとお付き合いがあったようです。

皇后陛下は日本画と書道に優れた才能をお持ちで、常に研鑽に励まれておられたそうです。大叔母も書道に優れた人でしたので皇后陛下が書道の先生を招かれた折は自分一人でご指導を受けるのはもったいないからと皇居にお招き頂き一緒に書の練習をされたそうです。練習の後には招かれた数人とお茶を頂き学生時代を思い出しながらお話が弾んだそうです。

宮家出身の香淳皇后でさえ、当時の姑に当たる貞明皇后から何かと厳しいご指導があり、貞明皇后が亡くなられるまでパーマをおかけになられなかったと祖母が言っておりました。(宮家ご出身でなかった貞明皇后が非常に厳しく宮中作法を遵守なさったので当時の良子妃は素直に従われたようです。)

美智子妃は宮中のありとあらゆる事の簡素化を推進されすべてに今風を押し通されたようです。乳母制度の廃止は時流だから仕方ないと周囲は考えておりましたが、御所言葉や古式にのっとったご挨拶等も美智子妃の代でほとんど廃止され、美智子妃の伝統つぶしはまず成功したようです。(年長の女性皇族方も皇太子妃が宮中言葉をお話にならないので自然にひかえられるようになったそうです)

美智子妃いじめとマスコミが書き立てていましたが、お育ちや教養の基礎が違いすぎてコミュニケーションが皆様方とはまったくかみ合わなかったようです。それを虐めと言われるのはおかしいと祖母が憤っておりました。(現在は存じ上げませんが、当時の宮内庁の方々はほとんどが旧華族の方でした)

祖母や大叔母が言うには「日本一の旧家に嫁がれたのだから、大変なのは当たり前。頭脳明晰で優れた方ならば民間初であっても皇太子妃として粛々と御勤めになられるはずなのに、嫁姑問題として書き立てるマスコミやそれをリークする美智子妃はやはり問題だ」と言っておりました。

「香淳皇后も皇太子妃時代は姑にあたる貞明皇后さまといろいろとおありになったけれどしっかり受け止めて耐えていらしたのに、美智子妃のような方が嫁に来られて御可哀想だ」といつも言っておりました。

美智子皇后は雅子妃よりはましかもしれませんが、祖母や大叔母たちから言わせると、有職故実の教養が一切ないので祭祀に関してもこれまで通りにはいかないだろうと非常に心配しておりました。(大叔母の実家は有職故実の家元でしたので)

また、これは私の危惧している事ですが、高松宮家が引き継いだ有栖川宮家の財産を喜久子様がお亡くなりなる前に秋篠宮にとおっしゃっていたそうですが、どうも秋篠宮家は相続されていないのではないかと思います。美智子皇后や雅子妃が横領していない事を祈ります。

有栖川流の書道を喜久子妃殿下から引き継がれている秋篠宮殿下は皇室の伝統を大切になさり、次代の天皇陛下にふさわしい方だと応援しております。

何だか、思いつくままに書き散らしてしまいました。美智子皇后の真実が少しでも世間に広まり、香淳皇后の名誉回復がなり、秋篠宮ご一家が正しい皇室の道を開いてくださることを切に希望いたします。

・・・・・・・・・・・・・転載はここまで

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ありがとうございました。このコメントについてBBさんが記されているのが、

コメ欄に貴重なコメントを頂戴したので、転載させていただきます。

数々皇室を検証する記事をアップするにつれ、巷間囁かれている
「香淳皇后による美智子妃いじめ」とやらに、疑問を持つようになりました。
事実は逆ではなかったのか?と。 晩年の香淳皇后へのお仕打ちなど。
降嫁したお子様に先立たれ悲しみに暮れていた香淳皇后を
皇太子(当時)と共に那須の御用邸に訪れ、不満を
ぶちまける、など「いじめられている嫁」が出来ることでしょうか。

我が子を亡くして間もない時期に、御用邸にひっそりと
閉じこもられた姑のところに、夫を引き連れ、何が気に食わぬのか、
文句を言いに乗り込むなど、民間の妻でも普通は出来なくないでしょうか。
橋田ドラマの鬼嫁さながら。相手は我が子を亡くして間もない方なのですよ?

せめて喪が明けきり、家に戻ったところを訪問しませんか?
その非常識ぶりは侍従が記録しています。

時にはサングラスをかけ、奇橋なあのファッションも、いじめられている
嫁ができることですか?

やたら多かったお里帰りも許されてますが?
香淳皇后とお揃いのショール等なさってますが?
(いじめ、いじめられの嫁姑でペアルックってありなんですか?)
その他、たくさん過去記事で検証しています。


ありがとうございました。

成子さまが逝かれたのが、前述のごとく昭和36年。

その5年後の41年(1966年)、昭和両陛下の三番目の内親王、鷹司家に降嫁された和子さまの、ご夫君が、奇妙な亡くなり方をされています。

交際のあった女性宅での不慮の死を遂げられたのでした。


上の写真が、美智子さんというひとを、端的に表しているように思います。

和子さまのご夫君の心中(とも云われた)事件があった昭和41年。

浩宮は、小学校に入学しています。

神さまから預かった子、将来は天皇になる子、特別な子、と、自ら口に出して勇んでお育てになった浩宮さん。


>もしわたしたちの育児や教育がうまくいかなかったら
>「これまでのしきたりを無視したからだ」
>と言われるのではないでしょうか。
>(親子同居と乳人制度の廃止について)

初めは自信たっぷりに発せられたこの言葉、しかし、この時期の美智子さんは、うつむいて撮られている写真が、実に多いです。

わかって来ておられた?。

夫君の姉上の若い死に対してのなさり方、された方は、黙していても、忘れられないと思います。

悪気でない?  平気、ですか。

明日は熊本へ行かれるそうで。

チャーター機で飛び、自衛隊のヘリコプターに乗り換えをなさるようです。

何しに行くのかな、と、皮肉な思いがたっぷり湧き上がって来るのを、抑えません。




お背中。追記あります。


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「ヴィーナスの誕生」です。わくわくわく。

思い出しました、紀子さまよりオエラいという皇太子の妃は。

大騒ぎして行った、オランダ国王の戴冠式の折の晩餐会に、出て来ませんでした。

そーゆー約束で、行ってやったらしかったです。

晩餐会場の、まさこが本来なら就くべき席の背後には。

レンブラントの巨大な絵画が飾られておりました。



まあもったいない、この絵を見るチャンスを生かさなかったのね、まさこさん。

当時の私はまだ、十分に甘ちゃんでした。

たまに出て来て「絵画のご鑑賞」なんぞ、してんじゃねえよ、まさこ。とか。ガラ悪いKUON.。

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イタリアの皆さま、日本の未来の天皇皇后両陛下を、温かくお迎えくださり、ありがとうございました。

おかげさまで。

無事にご帰国なさいました。


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現代の諸国の王家の方々は、むかしのように、パーティーやラブ・アフェアのみに時を浪費させるお立場ではないでしょう。

あからさまな国盗り合戦も。

外国を訪問される王や妃や王太子夫妻は、自国のセールスマン、の役割を帯びておられる。

皇室の親善外交もまた、その匂いを同じくする部分もあると考えます。王室と皇室は基本が違うとしても。

秋篠宮妃殿下の紀子妃殿下は、さまざまな意味で、プロの皇族であると、わたしKUONは考えています。

時にビジネススーツと紛うお召し物も、紀子さまらしい。時間にゆとりが無いのです。

聞くところによれば、他の面にも。ゆとりは無い。

日本におられる時も、着物をまとって生活をなさるゆとりは、紀子妃殿下にはおありにならないと思います。

誠実に、公人として一つ一つの決まりごとをつとめて行かれ、かつ、家庭内に於いては、妻であり母である御身、お立場をゆるるがせになさらない。

紀子さまは、「紀子さまのプロ」。でいらっしゃると、常々、感じています。

どんな日も時もおありでしょうに、いつも紀子さまは、紀子さまでおられる。

笑顔でいらっしゃいます。

着物の衿は、詰まっていても「いい」のではないか。少しだけ、おもうことを書きました。




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大好きな一枚。

なにもかもが背中に出る、といいますね。

初々しくていらっしゃるのが、なんとも。

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さて。記事のはじめに、皇太子夫婦のオランダ行きの折のことに触れました。

あの時でしたか、美智子さんが愛子さんに「花束とスープ」を届けさせられた、と報じられたのは。

別の時だったかな?

とにかく、両親が不在中のお孫さんに、花とスープを届けられた。

あのお方らしいプレゼント。(笑)。

愛子さんが喜ばれたかどうかは存じませんが。


悠仁さまに、そのようなことをなさった報は、寡聞にして存じ上げません。

今回も、ご自分たちは、今日もサントリーホールへ? 何のご鑑賞? どうでもいいようなものですが。


追記です。

皇后さまは17日、東京都新宿区の東京オペラシティコンサートホールで開かれた第18回別府アルゲリッチ音楽祭「アルゲリッチ ベートーヴェンを弾く」を鑑賞した。音楽祭は、世界的ピアニストのマルタ・アルゲリッチ氏が総監督を務めている。

 皇后さまは鑑賞後、大分県の広瀬勝貞知事らと懇談。知事が「大分県も(地震の)被害があったが、熊本県に比べると限定的だったと思います」と説明すると、「それでも本当に大変でしたね。頑張って下さいね」と声をかけたという。同県では16日の段階で避難所から被災者がいなくなったことを聞くと、「それは良かったですね」と述べたという。


「それは良かったですね」・・・。


悠仁さまには、花もスープも贈ったと報じられず。

その方がいいと思いますし。絶対、付きで(笑)。

今更、とりつくろうご意志も、失せたかと思われて、うふふ、であります。

お姉さま方がしっかりと、守っておられるでしょう。

秋篠宮殿下、紀子妃殿下、日本の国の代表、どうも、ありがとうございました。


   お返事は明日、させていただいます。




イタリアでの両殿下

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小さい声でナイショで申し上げます。

この写真、青年向け一部のまんがみたいに「吹き出し」つけるとしたら。

「オレのスケ、マブイだろ」

あら違うかしら、

「オイラのコレだよ、ハクいだろ」

どちらにしても、神官さんの息子さんには見えませんで、のう。カシコそうにも、なあ。

>強く美しく皇室を導く、

ですって。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・うわあああ


大汗。小汗。

伊太利での両殿下の画像を取り入れていたらまちがえて上の写真をアップしてしまいました。

秋篠宮両殿下の画像は、以下です。




順不同ですこしだけ、画像をいただきました。

1463272999552.jpg

後ろの女官さん(?)いつも両殿下の背後でにこやかにしておられます。


互いの、人間同士の体温のようなものが感じられます。


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大好きな一枚。

この画像も好きです。

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両殿下とみなさまの距離が近いです。


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紀子さまのやさしい明るいお顔。

殿下の温かい笑み。

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穏やかなお顔、すてきです。


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・・・・・言うすべなし。。わん。

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わたしはこちらのご夫妻のありようが好きです。

殿下は妃殿下にうやまわれ、愛おしまれ大切にされ、そして、いただく以上に深い思いを、静かに返しておられると思うのです。


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美しい一枚。エレガンスっていいものね、と、改めて。


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・・・・・


三好達治『乳母車』

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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