「邪魔をするな、祈れ」と
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・BBさんのブログよりいただきました。
読者さんが寄せられたコメントということです。
被災しました。まだライフラインが通じていません。
天皇がこちらに来たいとのこと。
けっこうです。
できるだけ早い復興をしている最中です。
電気、ガスも水もまだ通じていない地域が多く、道を掘って復旧中です。
大名行列などを接待する暇はありません。
人員も食べ物も場所も割かれます。
来るとしてもどこに来るのでしょう?
阿蘇ですか?
南阿蘇は橋もトンネルも落ちました。
ヘリでも出しますか?
いくら税金を使いますか?
自衛隊のヘリを使わないでください。
今も上空を自衛隊機が飛んでくれています。
そうだ、オスプレイに乗ればいいです。
そうすれば左翼たちが黙ることでしょう。
益城に行きますか?
大事な我々の生活道路を封鎖しますか?
空港から益城への道路を渋滞させますか?
復旧の工事中を中断させますか?
やめてください。
みんな命がけなのです。
勘弁してください。
秋篠宮両殿下は昨年、来熊され我々が熱烈歓迎しました。
秋篠宮両殿下こそ来られてください。
フットワークが軽く大げさにならないお二人ならばきっと地元民も喜びます。
今日は、園遊会とのこと。
それはそれでしっかり勤めてください。
国に貢献した人々をしっかりと接待してください。
誰かバカ女のリハビリにしないでほしいです。
ホスト側が招待客を置いてトンズラなどしないでほしいです。
いい加減、国民を馬鹿にするな、と言いたいです。
官邸へ抗議メールします。
天皇は御所で祈れ、と。
来るな、祈るだけでいい、と。
今回の震災は天皇の祈りが少なかったからだ、という根拠の無い事は言いません。
ですが、そうだと思ってしまう我々の中にある疑念こそが問題だと思います。
我々の復興の邪魔をするな、と。
祈れ、と。
今はみんな気が張っています。
ここで気を緩めたとたん涙が溢れるので気合で止めています。
泣いたら負け。
負けません。
全国からの応援ありがとうございます。
酷いマスコミ、左翼。売国議員。
熊本は絶対にこいつらを忘れません。
ここまで

昨年、熊本をご訪問なさった、秋篠宮同妃両殿下に打ち振られた、皆さまの、歓迎の国旗。
BBさま、ありがとうございました。
コメント主さま。お気持ちいただきました。
どうでもいい話。
こんにちは。
ご無沙汰しております(笑)。
かつて友達が、忙しいという字は、心が亡くなる(死ぬ)と書くのよ、私は、だから、忙しいとは言いたくないの。
と言っていて。なるほど私も真似しよう、と思った。(笑)。
でも、たまには、あ~忙しかった、、と言ってみようか、とも。
ここ一週間、実は忙しかったです。ものすっごく多忙でした。
息切れました、ぜい、ぜい。
今日は仕事の事務方面では月末で、一段落ついたなあ、だけど疲れたなあ、と、さっき帰宅して、パソ開いたら、コメント頂いている中に、以下のごときが。けっこうあるパターン。即物的な思考が顕著に露見しているケースです。
いつもなら無視ですけどね。雨も降ってることですし、さらして差し上げましょう。
・それにしても秋篠宮女性陣、随分高価そうな、でもダサいスーツですね。雅子さまの引き立て役にしか見えないです。
【2016/04/28 09:36】 | 正直な感想 #- | [edit]
返事は無しです、次回はサクッと削除します、世の中にはいろんなお方がいらっしゃるとはいえ。
ふうん。
ふううううん。
皆さまは、どう、お考えなのかしら、など思った。
退出 ちゃうちゃう 逃走です
この動画を探せました。
逃げる直前のまさこ、追い抜かれてニタニタ笑いの皇太子、けっこうな形相でまさこを誘導、逃走させんとする青いスーツの女性、見られます。
面白い、とかではない。
現・皇室の現状です。
・・・・・・・・
東京の赤坂御苑では、女優の黒柳徹子さんらおよそ2000人が出席し、恒例の春の園遊会が開かれています。
東京・元赤坂の赤坂御苑では、午後2時すぎから、春の園遊会が始まっています。天皇・皇后両陛下が各界で国民や社会のために力を尽くした人々を招かれる園遊会。女優の黒柳徹子さんや宇宙飛行士の油井亀美也さん、元プロサッカー選手の澤穂希さんなど、各界の功労者およそ2000人が出席しています。

トットちゃんは見た。
療養生活が続く皇太子妃・雅子さまも、12年ぶりの出席となった去年秋の園遊会に続きご出席。前回と同様に冒頭の式典の後、招待客の前で一人一人に会釈され、退出しました。(27日14:31)

(馬之助さま勝手に画像をいただきました)
退出、ではなく。
ひでんか逃走、と。
きちんと報じましょう。
とにかく。一刻の猶予もありません!ご様子で、青いスーツの係員(?)=せっぱつまった、早く早く案内しなければ、と悲壮なお顔の=女性に導かれたまたこたま。
皇太子殿下の後にいたのが、コウタイシを追い抜き。気にせず足早に急いで、あと、どこへ行ったのか?
周囲の方々の驚きの表情も、歴史の中では語り草に、なりますかしら。

今年はへーかにご挨拶もできたもの。♪
へこへこ十回もっと沢山、アタマ下げたもの。完璧、かな(註:まさこ比)。
後ろに、逃走用車両も準備済みよ、うふふ、ばっちり。

白いスーツで。皆さま洋装。
平成皇室は、もう、〇〇〇。

何のためのこの催しでしょうか。
常陸宮殿下は、車椅子でお出ましでした。

ご招待客の前を、まさこを誘導、逃走させる役割の女性が・・・本来この人は、この場にいるはずでない人です。それが、お客様の前をアタフタと横切り、腐っても皇太子、の前を、腐りきってもここでは妃殿下であるまさこが付いて走って、用意させていt車で、今年も、逃げた?。
客より先に、逃げ帰った?。その前に。
招待客に向いていた、腐っても天皇の前で、お辞儀とは呼べない、無様なぺこぺことアタマ下げていたあれは、何の冗談か。。
ナルは為すすべなく呆然と、早くその場を去りたいだけのツマを、見送り。
天皇は、目の前で何やらやらかしているまさこに対して、やはり為すすべお持ちでない有様で。
こんな茶番もう不要。
園遊会だけでない、内廷皇族、全員。
明日のご体調は
皇室のスケジュール表があります。宮内庁が出して来る情報を、朝日新聞が、というもの。
天皇家、皇太子家(こう書いてあります)、秋篠宮家から、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家までの、皇族方の「公務」が一覧表になっています。
皇太子家に公務が無い、と言われているのは、ここに「予定」がほぼ書きこまれていないことに拠るのでしょう。
スキー行き、なんぞは書いて無いです。
5月初めまでの現在のこの表の、皇太子家の欄は空白です。
前後の皇族はすべて、27日の園遊会にお出ましと記述あるなか、皇太子家は空白。
空白だから、明日、あの夫婦、もしくはナルさんが出て来ない。とは言い切れない。
空白でも、出て来るかも知れない。ナルさんが一人で、というのは、ほぼずっとそうだった、状態で。
ナルさん無しでまさこだけ、は、あり得ない。今までありませんでした。妃殿下個体としては何もできない、して来なかった。
では夫婦で、しゃら~~っと、ニタニタと、出ておいでか。
週刊誌が書きたてていました、雅子さま園遊会連続のご出席、着物も新調して、とか。
アホみたいなことを、多分、記者さん自身、わかっていて、これも飯のタネ、浮世の義理、いざ、ひっくり返ったら、はじめっから真実をお伝えしたかった、とか、そんな感じでゴンゴン行くと思われる。
昔の岡林 信康の歌にもありました。
犬ーが飼い主に噛みつきゃーえらいこーったー今年の5月は、水俣病が公式確認をされてから、60年になります。
私は、いつもいつもあのことやそのことを考えている訳ではない。言うまでも無く。
自分自身の身の回りの、いろんなことに振り回されて、アタフタと日を送っているのが現状です。
そうであっても、現在の皇室の、内廷さんがたとやらの、あまりにもな惨状、醜状には、とらわれ過ぎている自覚の中にいます。
いっさい信用できません。
明日も出かける用があります、お招きにあずかって、黒柳てつこさんは、どんな思いで、目の前に現れるそのひとたちを、観察されるかなあ、など、考えたりしています。
・・・・・おととし書いた記事ですが、再度、以下に。
「銭は1銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、42人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に69人、水俣病になってもらう。あと100人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか(注)」

ユージン・スミスが撮った「智子」さん。
思春期の若い女性である。手は拘縮、硬直している。
お母さんは智子さんを大切に育てたが、水俣の象徴のようにとらえられることに、複雑な思いも洩らされたようです。
さもありなんと、思います。

お父さんも愛情を注がれました。
現在も熊本市在住である石牟礼道子さんの「苦界浄土」の未発表部分が見つかったという。400字詰め原稿用紙20枚ほどであると。
昨日か、おとといの新聞に出ていた。
・・・・・
「う、うち、は、く、口が、良う、も、もとら、ん。案じ、加え、て聴いて、はいよ。う、海の上、は、ほ、ほん、に、よかった。」
(第三章「ゆき女きき書き」
「嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。…(ほ、ほん、に、じ、じい、ちゃん、しよの、な、か、おおな、ご、に、なった、な、あ。)うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい。親さまに、働いて食えといただいた体じゃもね。」
「うちは情けなか。箸も握れん、茶碗もかかえられん、口もがくがく震えのくる。付添いさんが食べさしてくらすが、そりゃ大ごとばい・・・ 」
「苦界浄土」は、水俣病を描いた作品である。阿部公彦氏のブログから一部、引用させていただく。
たとえば「舟を焼く仕事」。舟を焼くというのは、漁師が舟の底にくっつく牡蠣殻や、藤壺の虫をとりのけるためにすることである。陸にひきあげた船体を斜めに倒し、舟底に薪をくべ、舟火事にならぬようにこれらを焼き落とす。なかなか面倒な作業である。
その手間をはぶくために、わざわざ百間の港まで、持ち舟を連れて来て、置き放すというのだった。きれいさっぱり、虫や、牡蠣殻が落ちるというのだ。百間の港の「会社」の排水口の水門近くにつなぎ放してさえおけば、いつも舟の底は、軽々となっている、というのであった。
そのうちに漁獲高が目に見えて減ってくる。水に魚が浮くようになる。それから猫がやられた。「猫が舞って死ぬ」との噂が流れる。「舞う」のは、神経の異常のためである。次は人間だった。海沿いの部落で病人が出始め、工場が排水口の向きをかえると、こんどはそちら側で病人が多発する。
はじめて病人が出た頃、この原因不明の奇病は伝染病と誤解されがちであった。当然、余計な恐怖心を持つ者もいた。
この頃、看護婦さんが、手が先生しびれます、といいだした。看護部さんたちが大勢で来て、先生うつりませんかという。よく消毒して、隔離病院にうつすようにするというと、うつらない証明をしてくれという。このとき手がしびれるといった湯堂部落出[水俣病の多発地帯のひとつ]の看護婦さんは、あとになって胎児性[水俣病]の子どもを産むことになった。まさかそこまではそのとき思いおよばなかった。
水俣病は伝染病ではない。しかし、この病気の出発点は、まさに「手が先生しびれます」という感覚なのだ。現在絶版だが、吉田司『下下戦記』(白水社)には次のような一節がある。
ところが今度ぁ、あたしが身体中痺れっきたったい。手とか指とか、足ン痺れひどうなって、なんじゃ手袋はめて物ば触っとる気色で、富子と清治に飯食する匙ばポロポロ落とすわけたい。茶碗まで落として割ってしまうわけたい。『あれーッ、こりゃいかん。まさか富子ン病気が伝染ったわけじゃなかろうねえ』もう居ても立っても居られんわけ。夜中他ン患者が寝てしもうてから、こっそり病院の炊事場さ行ったったい。なんとかこン痺れ取ってやれッち思て、指先ばゴシゴシ軽石でこすってみた。ゴシゴシゴシゴシ、取れんとたい、痺れが。今度ぁコンクリートの壁にこすりつけて、ゴシゴシゴシゴシ。
水俣病は何よりも「わからない病気」だった。何であれ、わからないということ自体、人間にとっては不気味なのである。コンクリートに指をこすりつけてでも取り去りたい、得体の知れない痺れは、原初的な恐怖を呼び起こした。
著者石牟礼はとにかく水俣病のすべてを見ようとしてきた。東京から視察に訪れたチッソ社長の車をタクシーで追うこともあれば、大学病院に頼んで患者の解剖に立ち会うこともあった。この本の力づくの文体には、力づくの視線が感じられる。
彼女のすんなりとしている両肢は少しひらきぎみに、その番い目ははらりと白いガーゼでおおわれているのである。にぎるともなく指をかろく握って、彼女は底しれぬ放意を、その執刀医たちにゆだねていた。内臓をとりだしてゆく腹腔の洞にいつの間にか沁み出すようにひっそりと血がたまり、白い上衣を着た執刀医のひとりはときどきそれを、とっ手のついた小さな白いコップでしずかにすくい出すのだった。
わたしKUONは、今までに数度、この本について書いた。知って欲しいことがあります、と、叫び出すみたいに、書いた。
発症前、元気だった娘を思い、
「木にも草にも、魂はあるとうちは思うとに。魚にもめずにも魂はあると思うとに。うちげのゆりにはそれがなかとはどういうことな」
と納得できない母親のことを、書いた。
健康な人が水俣病になることが多かったが、母親は無事でも生まれてきた子供が水俣病におかされていたというケースもあった。どんどん増えた。
生まれ出た日が、発症の日。「苦界浄土」の中にこんな部分がある。
山本富士夫・十三歳、胎児性水俣病。生まれてこの方、一語も発せず、一語もききわけぬ十三歳なのだ。両方の手の親指を同時に口に含み、絶えまなくおしゃぶりし、のこりの指と掌を、ひらひら、ひらひら、魚のひれのように動かすだけが、この少年の、すべての生存表現である。
中村千鶴・十三歳、胎児性水俣病。炎のような怜悧さに生まれつきながら、水俣病によって、人間の属性を、言葉を発する機能も身動きする機能も、全部溶かし去られ(略)。
・・・水俣病の裁判は今も続いている。そこには今は触れない。
江頭豊が、チッソの社長として現実に 関わりを持ち始めた頃には、初めは猫が踊り漁獲量が減ったことで不思議がられたこの海の異変が、企業の犯した深い犯罪によるものであるということが、既に認識されていた。認識はされていた。
〇チッソの補償(見舞金)を受けると、生活保護が受けられなくなった。
「水俣病がそのようにまで羨ましかかいなぁあんたたちは。今すぐ替わってよ。すぐなるるばい、会社の廃液で。百トンあるちゅうよ、茶ワンで呑みやんすぐならるるよ。汲んできてやろか、会社から。替わってよ、すぐ。うちはそげんいうぞ。なれなれみんな、水俣病に」
「あんたも水俣病を病んどるかな? どのくらい病んどるな? こげんきつか病気はなかばい。まぁだ他に、世界でいちばん重か病気の他にあると思うかな。その病(びょう)、病(や)んでおらぬなら、水俣病ばいうまいぞ」
(第一部「苦海浄土」170ページ)
わたしゃ、恥も業もいっちょもなかぞ。よかですか、川村さん。
おらぁな、会社ゆきとは違うとぞ。自分家(げ)で使うとる会社ゆきと同じような人間が、もの言いよると思うなぞ。
千円で働けといえば千円で、二千円で働けといえば二千円で働く人間とはわけがちがうぞ。人に使われとる人間とちがうとぞ、漁師は。
おる家(げ)の海、おる家の田畠に水銀たれ流しておいて、誠意をつくしますちゅう言葉だけで足ると思うか。言葉だけで。いうな! 言葉だけば!
(第二部「神々の村」431ページ)
「病んでみろ、病みきれんぞこの病(びょう)は。一生かかっても、二生かかっても」
(第二部「神々の村」465ページ)
川本 よし、わかった。そんなら……
あば、もう、あなたは会社の社長ばやめて、十日、いや一週間なり、一ヶ月なり、その、患者の苦しみば、いっしょに味おうてもろうて、ああた方ぜんぶ、患者の家に一ヶ月なり来てもらいまっしょ
川本 社長……わからんじゃろう、……俺が鬼か……なんいいよるかわかるか、……親父は母屋にひとり寝えとった……おら、小屋から行って、朝昼晩、めしゃあ食(か)せた。買うて食う米もなかった。なんもかんも持っとるもんな、背広でもなんでも、ぜんぶ、質に入れた。そげな暮しが、わかるか、明日食う米もなかこつも、何べんもあった。着て寝る蒲団もなかったよ。敷布団もなく寒さに凍えて泣いとったぞ、そんな暮しがわかるか。
親父の舟も売ってしもうたぞ、
うちん親父は、六十九で死んだ。六十九で……。精神病院の保護室で死んだぞ保護室で。水俣病で……。格子戸の、牢屋んごたる部屋で、死んだぞ。精神病院ば……見たこつがあるか、行ったことがあるかおまや。保護室の格子戸のごたるところで、……おまやしあわせぞ……誰もみとらんところで、ひとりで死んだぞ、おやじは。こげんこたぁおら、今まで……誰にもいまんじゃったぞ。
そげんした苦しみがわかるか……。
(第三部「天の魚」586-587ページ)
当時も。
近いあたりに住んでいる人々が、チッソに勤めてチッソから収入を得ている人々と、チッソを「敵」と戦う人々と、分かれて。
そういう問題は、現在も、福島の原発事故の後のことを多少、見知っても、軽々にものの言えないことであると、感じてしまう、わたしKUONは意気地なしの、どっちつかずのコウモリ人間だと、常に、そんな気はある。
でも。この本のことを、何度も書いてしまうのは。
チッソの社長であった江頭豊が、現在の皇太子妃・雅子妃殿下の母方の祖父であること。
会社の社長であれば、会社の利益のために、が、最優先の思考になることは、責められないことなのかもしれないが…少なくとも、その程度の前提を置いて語りたいが・・・
江頭豊は、やくざを使ってデモ隊を鎮圧させようとした、多くのけが人を生んだ、水俣についてカメラを武器に、この企業犯罪を世界に発信しようとした(今はあえて、このように言い切ることにする)写真家の、ユージン・スミス氏をも襲わせて大けがをさせ、片目を失明させ、いずれの早死にを呼び寄せた、などということもした。
それ以前に、患者たちに対して、
「貧乏人が腐った魚を食べて病気になった」(それをチッソのせいにする)
「金はやるから文句を言うな」
と暴言を吐いている。
大阪の厚生年金会館で開催されたチッソの株主総会、一株株主になった患者たちの訴えの声が大きく大荒れになったその場では、両手に位牌を握りしめた患が、江頭に詰め寄った、叫び声が轟いた。
江頭個人の罪、ではないのかも知れない。
しかし。しかししかし。
江頭豊は、結局、チッソと言う会社の、終生の名誉会長の座にあった。
余生をどう過ごしたか。
一人娘である「優美子」の夫となった小和田恒とは、仲のいい・・話の合う関係を保ち、後ろ盾の無かった娘婿を擁して、ある時期に大きな家を建てて同じ敷地内に暮らした。
初孫である雅子に入内の話が出て、昭和天皇は、その縁談に反対された。
世界最大ともいわれる公害病の原因会社、世界に知られた企業犯罪の責任者であった男の孫娘と皇孫の結婚は、国民の総意にそむくであろうと。当時の後藤田長官は、この話が成れば、皇居の前にむしろ旗が林立すると発言した。
しかし、昭和帝の崩御の後に、皇太子の強い希望(という物語が、長い間、信じられてきた)によって、まずアメリカのメディアがすっぱ抜くと言うやり方でもって、皇太子妃は小和田雅子、と、決定した(ことになってしまった)。
雅子嬢は、お妃教育を半ばで放棄した。ブライダルチェックを拒否した。家系調査には妨害が入って実行されなかった、嬢の結婚前の芳しくない写真は秘匿された、それでもとにかく、強引に皇太子は遅めの結婚を果たした。
結婚の儀にも披露の宴にも、江頭豊と妻は出席している。
晩年を迎えた江頭は、おとなしい孫娘の夫(皇太子)に迎えられ、たびたび御所を訪問し、そればかりでなく、莫大な費用を投じて御所はバリアフリー化され、車いす用のスロープも設けられた。
江頭豊は、御所の庭を眺めるのが何よりの楽しみであると言い言いし、死んだときには皇太子は、通夜にも葬儀にも出ている。そういったことは、それまで無い、異例のことだった。似た時期に雅子妃は、皇太子の祖母君である香淳皇后の葬儀に「夏バテのようなもの」を理由に出ていない。
・・・…苦界浄土からかなり外れたあたりまで話が飛んでしまった。
その、水俣病を生んだ地へ、海へ、去年、天皇皇后両陛下は行啓された。

(ここへ来てさえ、このナリ)。
秋篠宮殿下同妃殿下は、そのもっと前に訪れられて、殿下は、首を折るごとき悲しみの姿勢で、今は亡き方々を悼まれた。

皇太子夫婦は行っていない。
結婚の後、早い時期に、水俣の方々の声として、以下の思いが流れた。
「おふたりで、おいでになっていただければ、ありがたいことです」
あの夫婦は、そんな声、きっと、聞こえもしないだろう。
妃殿下は、他人が自分の祖父についてイヤな風に言うことを、快く思わない。おじい様を悪く言われた、と、口を歪めるのだそうだ。口は歪み続けているが。
婚約発表の折の動画でも。皇太子が、婚約までの時間がかかったことにからめて、ミナマタの文字を口から出した、皇太子は少なくとも嘘のつけない人物ではあるようだ、隣席の女性をはばかる感じで・・・逃げられたくない、或いは、すでに「コワい」人になっていた・・・言葉を発した瞬間の、雅子サンの表情は、なかなかに微妙なものだった。
止まらない汽車が出発してしまっていたのか。
水俣病。
チッソの会社が海へ垂れ流した有機水銀の毒によって発症する病気。神経がやられてしまう。
ひどい症状の現れるその病気では、指が、あり得ない方向に曲がってしまうという形が多く見られる。
後天性のものでも、先天性のそれでも。指の拘縮は見られる。
食べるために、動けない子を荒ムシロの上へ転がしておいて、親たちはしごとに出る。その親たちを、日がな一日、待つしか無かった胎児性の水俣病の子どもたちの、指は、ぐにゃぐにゃに曲がっていた。伸びなかった。
足も。知能も遅れた、学校へ行くどころか、挨拶もできなかった。
ありがとう、とも、言えなかった。
楽しみです、と笑えるようなことも、おそらく、無かっただろう。
生まれたときから
気ちがいでございました
(第二部「神々の村」246-247ページ)
◇ 参考までに。
皇太子は結婚後、数十億円かけた東宮御所に住み、その後、雅子さん祖父の元チッソ社長のためにスロープをつけた。
・ 1997年 東宮御所改修工事 5億8000万円 /バリアフリー化、公室棟改修(耐震補強工事・車椅子用リフト設置等))
・3000万円近くかけて子供部屋関係改修(紀宮さま御使用だった部屋の床を耐熱性のあるコルクタイルに、壁にはリノリウム使用、壁と床はクリーム色に塗られた。
・部屋を仕切って看護婦控えを設ける。
最終的には、たび重なる改修費用に 23億円 の拠出。
2001年には小和田氏は、軽井沢に別荘を購入している。
愛子さんが生まれた年にあたる。
もう一件。
秋篠宮ご夫妻が結婚した当初は赤坂御用地内の4LDKの職員住宅があてがわれた。
その後二人の内親王が誕生、が、小規模の増改築のみで住まわれてきた。
秩父宮妃殿下がご自分の宮邸を秋篠宮ご一家にお譲りになると遺言され、ようやく宮邸に引っ越された。
秋篠宮邸は,改修した旧秩父宮邸を平成9年3月からご使用になっており、その、
秩父宮邸改築費用は 1680万円 。
ケタの間違いは無し。
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もう一件。平成22年に閣議決定されたこと。
療養費
関係県は、一時金等対象者に水俣病被害者手帳を交付します。水俣病被害者手帳の交付を受けた方が、通常起こり得る程度を超えるメチル水銀のばく露を受けたことによって発症すると考えられる症状(以下、「特定症状」といいます。)に関連して、社会保険各法の規定による療養を受けたときは、社会保険の医療費の自己負担分を支給します。
また、関係県は、水俣病被害者手帳の交付を受けた方が特定症状の軽減を図るために、はり師又はきゅう師から、はり又はきゅうの施術を受けたときや、温泉療養を行ったときは、
月7,500円を上限として、要した費用を支給します。
③ 療養手当
関係県は、一時金等対象者が特定症状に関連して社会保険各法の規定による療養を受けたときは、療養手当として次の金額を支給します。
入院による療養を受けた方 1月につき1万7,700円
通院による療養を受けた日数が1日以上の70歳以上の方
1月につき1万5,900円
通院による療養を受けた日数が1日以上の70歳未満の方
1月につき1万2,900円。

恨、ではありません。
「怨」です。
すさまじい「怨」を、皇室に入れてしまいました。
東宮家の一人娘さんにも、手の硬直、拘縮があります。
愛子さんのせいではありません。
けれどこの娘さんの親は、これも含めた、わが子の存在そのものを否定する所業に出ました。
指のまっすぐに伸びる、目の前にいる人間に、媚びをうることもできる、違う子を。
この「怨」の字は、届いていないと断じます。
こと改めては申しませんが。
どこまでもエゴイスティックな、自分たちの、我欲、妄欲のために。
体調だの、連続ご出席すばらしいだの。
ふざけるな。と、申し上げたい。
ふざけるな。
あの腐り果てた、腐臭をはなつ、皇族どころか人ですらない、アレらが、とことんまで、もう、行かずばならないどん詰まるまで、機を待って、落ちるのを待つだけ、なのでしょうか。
もうしばらくなら、待ちます。
お返事ゆっくり書きたいので、お待ちくだせい。
もういくつ寝ると園遊会

長期にわたりご病気療養中の雅子妃殿下が、ありがたくもかしこくも、病身をおしてご出席あそばすという、この27日の園遊会。
記事全文を、以下にご紹介させていただきます。
例のごとくのネコナデ声の、大人がまともに読む内容と思えません、が、ぜんぶ。
雅子さまの園遊会参加を勇気づける美智子さまの「ドレスコード変更」
週刊女性PRIME 4月21日(木)11時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160421-00026393-jprime-soci
『春の園遊会』が4月27日に東京・赤坂御苑で開かれる。
毎年、春と秋に天皇・皇后両陛下主催で、三権の要人や各界の功労者が招待され、両陛下をはじめ皇族方が労をねぎらわれる恒例の行事である。昨年11月の『秋の園遊会』では、皇太子妃雅子さまが12年ぶりに出席したことも注目を浴びた。
そんな雅子さまについて、美智子さまは園遊会における「ドレス・コード」の心配りをされていた─。
「園遊会での女性皇族の服装は、以前は和装か洋装かをその都度、皇后陛下がお決めになり、ほかの皇族方はそれに従われることになっていました。
当日の天候や気温の問題もあるでしょうから、最終的にご服装が決定するのは、かなり近づいてからになったと思われます」
そう解説するのは、宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん。
「皇太子妃殿下(雅子さま)や各宮家の女性皇族は、皇后陛下のご決定を待って、ご服装の準備をなさると思いますが、女性皇族の場合はヘアスタイルやアクセサリーのこともあるので、大変だったでしょう。
そういった理由からか、私も最近知りましたが、今は和装・洋装を春・秋で交互にしているそうです」(山下さん)
つまり、'14年の秋と'15年の春が「和装」と続いたので、
'15年の秋と今年の春は「洋装」になるローテーションなのだ。
「このように前もって決まっていれば、女性皇族方の準備はそれぞれのご都合でできますし、ご負担は軽減されます」(山下さん)
一部報道では今回の園遊会は「和装」で、雅子さまはすでに着物を新調されているとも伝えられたが……。
ご服装の順序化の経緯について、'09年の春か、'11年の秋が“転機”になったかもしれないと指摘するのは、別の宮内庁関係者。
「'09年は3月に皇后さまがテニスの際に左ひざを打ち、靭帯を損傷されたことがありました。
それが原因でヒールを避けることから和装にされたのだと思いますが、ほかの女性皇族方は洋装でした。
同じく'11年の10月には、右ふくらはぎが下腿筋膜炎と診断されたからなのか、皇后さまだけ着物でほかのみなさまは洋装だったことがあります。
特に、園遊会の直前に不測の事態が起きると、混乱を招きかねないので、皇后さまはローテーションにされたのではないでしょうか」
古くは乳人制度の取りやめや親子同居など伝統やしきたりにとらわれない行動を、陛下とともにされてきた美智子さま。皇室に新しい風が吹いたともいわれた。
「美智子さまが以前、国賓の歓迎行事のときの女性皇族の服装を和服から洋装に簡素化され、皇族方がお喜びになったという話を側近からうかがったことがあります」
そう話してくれたのは、皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。
「園遊会の服装を順序化されたのも簡素化の一環で、病気療養で長年、参列できなかった雅子さまへのご配慮もあったのかもしれません。
前もって和服か洋装かがわかれば、和服が苦手とされる雅子さまも予定が立てやすく、洋装が続くときに復帰しやすいからです」(渡辺さん)
>園遊会 とは。wikiによれば。
「園遊会(えんゆうかい)は、天皇・皇后が主催する野外での社交会(宴会)である。
皇太子をはじめ各皇族も列席する催しであり、招待客に内閣総理大臣、国務大臣、衆議院議長・参議院議長及び副議長、主な国会議員、統合幕僚長(旧統合幕僚会議議長)、最高裁判所長官、裁判官、その他に認証官など三権各機関の要人、都道府県の知事・都道府県議会の議長、市町村の首長・議会の議長、各界の著名人(芸能人、著者など)、功績者(勲章の受賞者:メダリストなど)と、その配偶者を含めた約2,000名が招かれる。
近代、天皇が主催する戸外での宴会としては、1880年開始の「観菊会」、1881年開始の「観桜会」があった。しかし日中戦争に伴い、「観菊会」が1937年に[1]、「観桜会」が1938年に[2]それぞれ中止された。
「園遊会」の名称で行われる行事は、1953年から始まる。当初は秋に限り行われていたが、1965年から春にも行われるようになり、現在に至る。それぞれ“秋の園遊会”、“春の園遊会”と呼ばれ、赤坂御苑で催されることが通例である。また招待者の名簿は、当初から公表をされており、春の園遊会に各国の外交使節団の団長以下の外交官や、各国領事館の館長と、その配偶者、令嬢も招待される。
昭和天皇の病気・崩御により1988年秋と1989年春秋の園遊会が、1995年1月の阪神・淡路大震災により1995年春の園遊会が、香淳皇后崩御により2000年秋の園遊会が、2011年3月の東日本大震災により2011年春の園遊会が、それぞれ中止になった。
第二次世界大戦前の「観桜会」「観菊会」は、現在ではそれぞれ、内閣総理大臣が主催する「桜を見る会」と、環境大臣が主催する「菊を観る会」に受け継がれている。
60年もっと、続いている行事なのですね。
去年の秋には、まさこが「出席」したことで、「驚愕」されていた。
去年の「NEWSポストセブン」より。 アンダーラインはKUONが引きました。 文字色の変わっている部分もKUONの仕業です。
>皇太子妃雅子さまの12年ぶりの園遊会ご出席に、驚きの声があがっている。園遊会は、数あるご公務のなかでも雅子さまにとっていちばんご負担が大きいのではないかといわれてきたからだ。その高い壁を超えられた理由とは――。
春には新緑、秋には紅葉が、傍らにある池の水面に映える東京・元赤坂の赤坂御苑には、そんな四季折々の変化を楽しめる「三笠山」と呼ばれる小高い丘がある。
11月12日、この場所での天皇皇后両陛下主催の秋の園遊会に、漫画家の水島新司さん(76才)や、iPS細胞を世界で初めて臨床応用した、理化学研究所プロジェクトリーダーの高橋政代さん(54才)など約2400人が招待された。
園遊会は毎年春と秋の2回催されるが、両陛下をはじめ、皇族方が一堂に会され招待客と懇談されるという皇室にとって大切な会。だが これまで12年にわたって、その場に皇太子妃雅子さまのお姿はなかった 。
「ところが今回、11月6日になって小町恭士東宮大夫は園遊会冒頭の式典に雅子さまが出席されることを発表したのです。 招待者との懇談はなさらない ということでしたが、雅子さまにとって実に12年ぶりの園遊会へのお出ましとなるわけですから、大変驚かされました」(皇室記者)
このところはご体調も安定し、公務へお出ましになる回数も増えていた雅子さま。それでも、とりわけ園遊会への道のりには、いくつもの高いハードルがあった。
「園遊会というと楽しげにお話しされているお姿が印象的ですが、皇族方はあくまで会のホスト役に徹しなければなりません。特に皇太子さまと雅子さまは、両陛下がお声をかけられなかった招待客へのフォローをしながら、状況に応じた会話をなさるなど重要なお役目でもいらっしゃいます。
言葉選びにも、細心の注意を払わなければなりませんし、先頭を歩かれる両陛下と、後に続かれる秋篠宮ご夫妻とのつかず離れずの距離を保たなければならないなど、一瞬として気を抜く余裕はありません。公務や皇室の行事の中でも、極めて“空気を読む”ことが強く求められる催しなのです」(前出・皇室記者)
“苦い記憶”も残る。療養前最後の園遊会での雅子さまのご様子を、当時を知るベテラン記者はこう振り返る。
「雅子さまは、2003年の秋の園遊会に出席された2か月後に帯状疱疹を患われ、『適応障害』の療養生活に入られました。
この時は、何度か足を揃えようとされてもお力が入らない様子で、表情も苦しそうにお見受けしました。それ以降、園遊会も欠席を続けられてきたのです。このことがきっかけで、雅子さまにとって園遊会はトラウマのように感じられてきたのではないでしょうか」
実は今年の春にも、雅子さまの園遊会へのご出席が一部で報じられていた。
「結局お姿を見せられませんでしたが、雅子さまご本人は出席を強く望まれていたそうです。医師と相談した上で欠席を決められた際には、大変落ち込まれていたようですから…。今年に入って例年になく園遊会への強いお気持ちが感じられていました」(東宮職関係者)
皇太子ご一家のお住まいである東宮御所と、園遊会が行われる三笠山のある赤坂御苑は同じ赤坂御用地内にあり、距離にしておよそ150m。歩けば2~3分の距離だが、その三笠山に、12年の歳月をかけて雅子さまはたどり着かれた。

もーすぐこんなとこから出て行けるのよ、嬉しくてモジモジ、だんながおしっこ洩らしてる?
わたくしにはカンケーございませんから。

もうすぐ消えます またこたま

逃走用車両まであと一歩。
やったぜ、ヒデンカご出席してやったぜ、当分これで、「ご静養中」でいけちゃうぜ。
シュールな画像です。

がはは、やったぜ、RUN AWAY

この画像中には、ひでんか、なんてものは、いっさい、存在しておりません。
雅子さまが園遊会の冒頭にしかお出ましにならないことに対して、「果たしてこれを出席と言っていいものなのか」といった声も囁かれているが、前出の東宮職関係者がこう指摘する。
「今の雅子さまにとっては、できることからひとつずつ、一歩ずつ前進していくことが重要なのです。そうして成功体験を重ねていけば、完全復帰につながる、と雅子さまも皇太子さまもお考えなのだと思います」

※女性セブン2015年11月26日号
いま、改めて読み返すと、なかなかに凝った部分のある記事で。
まさこさん、アゲられているばかりではありませんよね、これ?。
周到に、意地の悪さの見え隠れ(丸見え、とも・笑)している記事でっせ。
あははは。情けない記事でもあります、もちろん。
上記の、帽子のお方が何やらおっしゃっている「こーごーさまのお気遣い」だかなんだかは、まあ、様式美(美、ではないですね)とも云うべきか・
思うことを、素直に申せば、これも猿芝居、茶番、ご慈愛だか何だかごっこ、阿呆らしきこと限りなし。
天皇皇后が、ひとを招かれる。
皇族方も、招く側におられる、ホストの役である。
一世一代の名誉としてご出席の皆さまが、主に、もっとも前列に並んで、晴れのひとときを過ごされる。
それが皇居の園遊会。
皇后が、皇太子の妻をのみ、あれ一人を慮って、ドレスコードだ何やらとか。
まさこ一人に遠慮してなのかコワいのか、おつむがどうかなっておられるのか(それにしては、情状酌量の猶予期間が長すぎる)、
まさこ一人を気遣って、2000人もの人々に、どれだけの失礼、無礼をはたらくものか。
皇太子と共に出て来て姿を見せるのが「大切なこと」だと仰せとか、こーごーさん、あなたもまさこも、どんだけおエラいのか。
どれだけ、思い上がっておられるか。
どれだけ失礼か、言葉になりません。
東宮の妃なる位置にいながらの、あの体たらく。もう不要です。
とりつくろって済ませる時期は過ぎました。
こうごうさんとやら、あなたさまも既に、不要です。
国のひとびとが思い描く「皇室」を。
時々あおいでは、安心してまた、個々のなすべきことに取り組んで行かれるような。
目に見えぬ支柱のような。
幻想でもいい、日本人の思う「皇室」を、返していただきたく存じます。
皇太子ご一家のお住まいである東宮御所と、園遊会が行われる三笠山のある赤坂御苑は同じ赤坂御用地内にあり、距離にしておよそ150m。歩けば2~3分の距離だが、その三笠山に、12年の歳月をかけて雅子さまはたどり着かれた。
27日まであと三日。
新しい和服をご新調。
わたしたちの望むものは、そんなものではない。
まさこが、和装で現れて、どう歩くのか。
和装でなければどうなのか。
前回と同じコースですと。20メートルだか30メートルだか。先日の「雅子様の古装束での祭祀」を、廊下に幕を張って渡られた、とか報じさせていたけれど。
幕がお好きなのか、笑います。
どんな幕を今回は張らせておいて、どんなタイミングで、その奥へ逃げ込んで、用意させておく逃走用車両に、逃げこむおつもりか。
いつまでこんなこと、続けるつもりか。
ご夫君はツマの逃走をとどめようともせず、礼服の股間を尿で濡らし。
制し得る唯一の立場の老人は、われ関せずと見苦しくくっつき歩いて、振り向きもせず。
いっそ楽しみです、まさこさま、出ておいで、大笑いしてさしあげましょう。
二週間以上、姿をお見せでないと云われる、まさこ夫は、出ておいでなのですよね?
皇太子殿下なのですからね。
・・・いっしょけんめい書きましたが、入れたい画像を入れるまでに至らず。
いったん文字ばかりの記事をアップさせていただきます。
コメント感謝です、お返事、ゆっくり書きたいので、お待ちくださいませ。
ナルさんはいま、いずこに??。
お詫びします 冒頭に追記しました。
(4月24日朝・追記です。
remmikkiさんは、こころよくお許し下さいました。
早々と「気になさらないで」と言っていただき、感謝です。嬉しいです。ありがとうございました。
今後も訪問を続けて、うなずいたり教えて頂いたり元気をもらったりしたいです。
読者さんから、おっちょこちょいKUONに優しいお言葉を賜ったことにも、感謝しております。
みてこさんまさこさん。
あなたたち、虚像の特権受諾者の思い上がった毎日、くだらんアゲアゲの世界にいて、こういうせかいを知らないでしょう。
KUON認定では「にんげんみまん」、腐った果実は早く早くぼったり、落ちなさい。
墜ちた腐敗物の処理をしなくちゃならないのは、どちらにしても、人です。あなたたちより人間らしいその係の方に、深く謝ってから、腐って、その場から、落ちなさいよ!。
朝から、言わないでいられないKUONでした。
・・・・・・4月23日の、本来のアップは以下でした。
でも、
この機に、見た瞬間びっくりした画像、貼っちゃうわ。
公人の画像ですから。

アクセサリーはすべておつけです。
なんで、どうして、こういった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
またKUONがやらかしました。
ミスです。
今日、出かける前に、remmikkiさまのブログを読ませていただき、参考にさせて頂きたいと、コピーしてでかけたつもりが。
いま(23時)帰宅して、パソ開いたら、remmikkiさんの御記事そのまま、わがへたれブログに、公開されているのでした!。
さっそく御訪問、お詫びを記して参りましたが、既にここでお読みいただき、拍手まで沢山ちょうだいしております。
ここから削除するのはしのびがたく。
このまま、公開のまま、自分のうかつさを後悔していようと思います。
本当に、もうしわけないことでございました。
ここから、この色の部分はすべて、remmikkiさまのブログ内容です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今度は何メートル歩いて引っ込むの?BBさんのブログには犬のおしっこのような「マーキング出席」と書かれているがよく表現したものだ。
スキーに何時間も滑る彼女が「体調への負担を考慮し、前回と同じルートを歩く見通し」ですと!
ふざけた話だ。
Reuters Domestic | 2016年 04月 22日 17:01 JST
春の園遊会も雅子さま出席
宮内庁は22日、東京・元赤坂の赤坂御苑で27日に催される春の園遊会の一部に、長期療養中の皇太子妃雅子さまが参加される方向で調整していると発表した。同庁の小町恭士東宮大夫は「当日の体調がよろしければ」としているが、実現すれば、12年ぶりだった昨年秋に続き2回連続となる。
昨年11月の秋の園遊会では当初、雅子さまは冒頭の式典のみに姿を見せる予定だったが、天皇、皇后両陛下からの勧めもあり、招待者の一部に歩み寄ってあいさつを交わすなどしてから、途中退出した。
小町大夫によると、雅子さまの体調への負担などを考慮し、今回も前回と同じルートを歩く見通しだという。
【共同通信】
なんでこんなに気遣うのかわけわからん。
出せば出すほどふたりとも墓穴掘っているのに。
そしてまた美智子さんが雅子さんを気遣う記事が女性誌に掲載。
雅子さまの園遊会参加を勇気づける美智子さまの「ドレスコード変更」
週刊女性PRIME 4月21日(木)11時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160421-00026393-jprime-soci
『春の園遊会』が4月27日に東京・赤坂御苑で開かれる。
しかも今、読みなおしてみれば、お借りしているのは一部であって、remmikkiさんには不本意な「一部持って行かれ」かも知れません。
このことも併せて、お詫び申し上げます。
今夜はこのまま、もう休み、明日、また考え直したいと思います。
この母の、この声
なかなか書けずにいましたが、楼門の倒壊してしまった、阿蘇神社のこと。
テレビで、ちらりと見ただけで、調べてもわからないでいるのですが、神主さまが、あの楼門の前にしつらえをされて、月次祭を執り行われたということでした。
通常なら、お米や鯛や、酒、塩、などをお供えされて、祝詞をあげられて、と思うのですが、どこまでお供え物がそろったかも、一瞬の映像でわからず。ただ、その中でも月次祭をされた、ということに、胸を衝かれたのでした。
白装束の方も見えました。神主さまにとっては、どんな状況であろうと(だからこそでしょうか)、神さまのことは当たり前にさせてもらう、だったのかもしれません。でも、何というか・・何と申しましょう、胸がいっぱいです。
と、目ぇ吊り上げて書きましたが、実は大きな誤りであったことをしりました。
阿蘇神社でなく、熊本城の石垣の下に位置する、熊本大神宮だそうです。
熊本城の石垣落花で、壊れた部分大きいけれど、17日の月次祭はおつとめになった、と。
以上のことで、初めアップの記事に誤りがあったこと、事実は以上であったこと、と、訂正とお詫びを申し上げます。
どちらにしても、大変なこと。
私事ですが、わたし、名古屋市にあった(今はどうなのか・・)「清正幼稚園」に通っていました。
父が亡くなって中退したのですが、何年か後に園庭に入ってしまったことがあり、その時、覚えて下さっていた先生が、名を呼んで声をかけて下さったこと、今もありがたく記憶しています。清正公の名はだから、親しいものでした。
気にかかること恐ろしいことは、いろいろありますが、日本の神道の長、祭祀王の立場にあるお方の、この国に頻発する災害に対しての神経の「鈍」にすぎること、そして、
今更とはいえ、このたびは本当に恐ろしくて身も震えるような、東宮夫婦の「祭祀やったなんて真っ赤な嘘でしょう疑惑」・宮内庁報道・全まきこみ全グルだよね、の、皇室関係者とかいう嘘つきどもが「見た」だの(久能某)、渡り廊下に幕を張ってまさこは歩いたの(なぜ?)。
幕の内側を運ばれるのは、この国では、神さま。まさこは神なのか。言うまでもない単なる下賤の者です、なぜそんな嘘をつく。
なんで、まさこを。あの廊下、幕張って、歩かせる? そこまでバカバカしい嘘に発展するか?
嘘は、一つつけば重ねて行くことになるのは誰でも知っていること。
まさこが「古装束をまとって祭祀に臨んだ=拝礼した」ここから、今回は(も)果てしない嘘が始まる羽目になって。
簡略化した装束、なんてのも聞いた。
簡略化した十二単って。
珍しいそんなシロモノ、存在するなら、国のみんなに見せて欲しいものです。いつの間にお作りか。
勝手に簡略化するな。そんなシロモノは、何の意味もありません。
守ってこその「道」です。
・・・あのあたりが、どこまでも嘘ついて「その日」を待ってるぜ、やっほう、のヤカラだとしても。
それが、国の根幹を揺るがすことになるのなら、勝手にしてろ、ではすみません。
責任とってもらいます。
まさこが、何をしてもしなくても、既にどうでもいいこと。勝手に食ってサボって内部から腐っていればいい、さぞ順調な腐敗が進んでいるのだろう、でも、まつわる、もろもろの大嘘は、神事祭祀にかかわること。
しつこい、ではない。ものすごく大きなことです。
してはならないことを、して、嘘で丸め込もうとしているのです、まだ収束していません。
他に、
愛子さんが、少なくとも三人はいること、若い人々は当然、当たり前に知っています。
ミテコさんがどうしようもない売国女帝であるとも、知っていた。昨日の時点でも。こうやって、パソコンぱかぱか、打っているばあちゃんなどより、もっと深く多く、スマホだのラインだの(この書き方でよろしいですか?)で、拡がっている、検証もしている、細かく詳しく知っていることに、驚くばかりです。
皇室を潰してほしくない、とも。こちらがびっくりするようなことも、言います。言っていました。
ありがとう、と、これも、心の中で言いました。
次代、次々代、この国を大切にしてね。
とも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
BBさんのブログ4月22日 から、以下、お借りして来ました。
BBさんのブログに、読者さんがコメントで寄せられたもののようです。
(画像の大きさや貼らせてもらうものの違いなどは、お許しいただきたく思います)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからBBさんです。
左翼市民運動家の、自衛隊嫌いは定番です。
彼らは中国が侵攻してきた時、誰に身を守ってもらうのでしょう。
また、災害時に自衛隊のヘリは拒否するのでしょうね。

しかし、自衛隊忌避は左翼市民運動家ばかりではありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆国防を担う自衛隊を無視、軽侮する天皇陛下
「拝啓 天皇陛下さま皇后陛下さま」防人を志願した息子の母より 《転載ご自由に》
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/202b7613ee934ae61b39e48068c5863d
Unknown 2016-04-18 13:04:56 ソマリ
自衛隊は来るなというなら、何があっても自衛他の救助救援あてにしないでください!
息子が68期航空学生として入隊いたしました。山口県小月におりますので、震度4くらいなら慣れた、というほど余震が続いているそうです。
山口でさえそんな状態で、九州の方たちの恐怖とご苦労を思えば、たとえ在日朝鮮人に対してでも「ざまあ」などとは思いません。
息子たちは海上自衛隊の学生なので何もお役に立つ事は出来ませんが、陸自の方は素晴らしいと思います。
辛抱氏が「日本人でよかった」とのたまいましたが、自衛隊排除の方々は決して自衛隊など頼らないでください。
自衛隊の方々は、罵られ違憲だと踏みつけにされてもその人たちも守るのです。助けるのです。
正直息子には自衛隊入ってほしくありませんでした。
中朝のきな臭さや国内の左翼の強力化が怖いですし、天皇皇后にさえ(陛下とお呼びするのも嫌になりました)否定され忌避される存在なのですから。
でも国を守るという選択をした息子達を誇りに思います。
すみません、ついむきになって長々と。
被災した方々の一日も早い救出を願います。
桜調べ様 2016-04-18 21:29:47 ソマリ
ありがとうございます。
私は心が狭い、と思わせられるような息子たちの言動があります。
自分達は今認められなくても、国の為尽くせばきっと違憲だとか言われない日が来ると信じてるそうです。
罵られても助けられる命は助けたいのだと。
私は反日在日なんて見捨ててしまえばいいと思ってしまうし、反日在日助ける為に危機に瀕するような事になったら、と思うと自衛隊やめちゃえ!と思ってしまいます。
情けない母親です。
でもだからこそ息子たちを誇りに思います。
だからこそ天皇皇后には自衛隊に対して敬意をもって接してほしいと切望致します。
Unknown 2016-04-18 22:09:32 ソマリ
ありがとうございます。私はBB様のような文章力はございませんので,あらためて思いの丈を、といわれても戸惑います。
これまでの私のコメントは、転載は勿論全てBB様にゆだねます。
ただ息子は自衛隊員といっても4月3日入隊の、それも隊員としての仕事は免除で航空学生として学業だけに励めばよい恵まれた環境にいる立場です。
でも母として、入隊前に靖国神社に参拝し、遊就館で先輩たちの遺書に涙しながら護国を誓った息子を誇りに思います。
だからこそ天皇皇后のあたかも左翼のような言動には憤りを感じますし、また自衛隊を否定しながら援助は当然と国会でのたまっている左翼政治家の方々にも。
黙々と任務を果たしている自衛隊員の心情を慮っていただきたいです。
2016-04-19 11:01:31 ソマリ
2016-04-18 22:59:27
BB様の精力的な記事UP感謝しつつ拝読しております。
防人の母だなんて烏滸がましいです。
でもまさか自分が天皇皇后に陛下とお呼びするのを躊躇する日がこようとは・・・
そして皮肉なことに4月3日の入隊式を終えて山口で一泊してたまたま立ち寄った京都駅で神武天皇二千六百年大祭を終えた天皇皇后に遭遇致しました。相変わらず腕を組み慈愛?の微笑みを浮かべ。
秋篠宮様はおられないかと一瞬期待したのですが、別行動だったみたいです。
少し前の私なら、入隊式の帰りに天皇皇后「両陛下」にお会いできるなんて、なんという僥倖・と思ったものでしょうが・・・
愚痴が延々と出てきてしまいます。申訳ないです。
◆天皇皇后は国歌と国旗、自衛隊がお嫌い。その1 《転載ご自由に》
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/6e94711331cf807a3da6c1799cd3cbc1
◆天皇皇后両陛下は、国歌と国旗、自衛隊がお嫌い その2 《拡散ご自由に》
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/0341ab5887cfb1b12acb13360943028c
◆天皇陛下が海保の巡視船を私用に改造されるのは無問題か? 《転載ご自由に》
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/39643587e675130b7f19b52a8a633b8b
■週刊文春、平成5年9月30日号「宮内庁VS防衛庁に発展か 天皇・皇后両陛下は『自衛官の制服』お嫌い」
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1455850816282.jpg
記事末文の識者のコメント。
「天皇のご意向なんてことを役人が持ち出すのは、これこそ天皇の政治利用の最たるもの。事実とすれば由々しきことです。
天皇は権威であって権力ではないんです。天皇が個人的にどんな好き嫌いがあろうと政治行政に持ち出すなど言語道断。象徴天皇制を否定するが如きだ。まるで戦前の皇室写真をネガで白黒反対に見ている思いがします。」
鬼怒川の氾濫時、命を賭けて国民の救出にあたったのは自衛隊。


そしてその自衛隊を邪魔者扱いするお方たちは、国民の
ご遺体が今なお、濁流の底にまた泥土に埋もれてあるときに、
美術展にお出ましでした。


こちらも、被災地の瓦礫を前にニヤニヤ。

神武天皇式年祭、皇霊殿での祭祀はなさったやら、なさらぬやら
疑惑の藪の中。
そして天皇陛下は祭祀を簡略化、ご体調により欠席。
掌典長は小和田恒経由の外務省から来た
神事を知らぬ男。
神武天皇に最もゆかりの深い熊本での大地震。
BBさまのブログ、ここまでです。ありがとうございました。
(抜粋させていただきました)
>自衛隊排除の方々は決して自衛隊など頼らないでください。
自衛隊の方々は、罵られ違憲だと踏みつけにされてもその人たちも守るのです。助けるのです。
天皇皇后にさえ(陛下とお呼びするのも嫌になりました)否定され忌避される存在なのですから。
でも国を守るという選択をした息子達を誇りに思います。
自分達は今認められなくても、国の為尽くせばきっと違憲だとか言われない日が来ると信じてるそうです。
罵られても助けられる命は助けたいのだと。
私は反日在日なんて見捨ててしまえばいいと思ってしまうし、反日在日助ける為に危機に瀕するような事になったら、と思うと自衛隊やめちゃえ!と思ってしまいます。
情けない母親です。
でもだからこそ息子たちを誇りに思います。
だからこそ天皇皇后には自衛隊に対して敬意をもって接してほしいと切望致します。
でも母として、入隊前に靖国神社に参拝し、遊就館で先輩たちの遺書に涙しながら護国を誓った息子を誇りに思います。
だからこそ天皇皇后のあたかも左翼のような言動には憤りを感じますし、また自衛隊を否定しながら援助は当然と国会でのたまっている左翼政治家の方々にも。
黙々と任務を果たしている自衛隊員の心情を慮っていただきたいです。
防人の母だなんて烏滸がましいです。
でもまさか自分が天皇皇后に陛下とお呼びするのを躊躇する日がこようとは・・・
数日前にお伝えした、被災の地にお住いの方は、無事で、自宅へ帰れず避難は続いているものの、水道も復旧して、助け合ってお暮らしと連絡をいただいています。
まだ気が張っておられるでしょう。何と言えばいいかわからず、内心であれこれ、思うのみです。
宮内庁もタイヘン 棒
4月19日、秋篠宮両殿下は、第4回地球環境大賞授賞式にご臨席になられました。
今年も、と書くべきでしょうか。
その折りのお言葉全文を(申し訳ないことですが)記事の一番あとに置かせていただきます。
↓ は、皇室全般掲示板よりいただきました。
秋篠宮両殿下、地球環境大賞授賞式に御出席 Name 名無し 16/04/19(火)11:13 ID:oN4P6Nqk No.1607562
>朝日新聞社会部記者の方のツイート(原文のままです。)
「秋篠宮さまは本日出席した式典で「この震災によって亡くなられた方をお悼みいたします。そして被災し、避難されている多くの方々に対し、心からお見舞いを申し上げます」と述べられ、出席者と黙祷をささげたそうです」
話かわって宮内庁は、以下のごとくお知らせしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宮内庁・発。
災害等へのお見舞い等(宮内庁のHPに、両陛下の動きを伝えるこういう項目があるのです。)
天皇皇后両陛下の「四月大歌舞伎」及び「春季雅楽演奏会」のご鑑賞のお取りやめについて
平成28年 4月19日 (火)
天皇皇后両陛下には, 4月21日 に歌舞伎座にて「四月大歌舞伎」をご鑑賞になるご予定でしたが,その後も熊本県を中心に余震が相次いで発生し,被害が拡大する一方で,なお多くの人々が停電や断水等が続く中で厳しい避難生活を送っている状況に鑑み,華やかな催しのご鑑賞はお取りやめなさることになりました。お招きいただきながらお出ましになれないことを大変心苦しく思われながらも,次の機会があることをお待ちすることにされました。
なお, 同22日 には宮内庁楽部にて「春季雅楽演奏会」をご鑑賞になるご予定でしたが,同様にお取りやめになります。
ご多忙過ぎる、と心配される(させる)日常の内容は、こういったものでした。
>お招きいただきながらお出ましになれないことを大変心苦しく思われながらも,次の機会があることをお待ちすることにされました。
なんですと。
天皇皇后両陛下の「仙台フィルハーモニー管弦楽団東京特別演奏会」のご鑑賞のお取りやめについて
平成28年 4月17日 (日)
本日,天皇皇后両陛下には,東日本大震災後500回を超える復興支援コンサートを開催して被災者を支えてきた仙台フィルハーモニー管弦楽団が,震災後5周年の節目に開催する被災地支援に感謝する演奏会にお招かれであったところ,今回の熊本県を震源地とする大地震の発生に鑑み,これをお取り止めになります。
両陛下には,14日に発生した大地震により被害を受けた熊本県が,その後も引き続き地震に見舞われ,県民生活が厳しい状況におかれていることから,この度,この演奏会にお出ましにならないことを心苦しく思われつつも,今しばらく地震災害の推移をお見守りになるべく,17日は終日御所におとどまりになります。
平成28年熊本地震による災害についてのお見舞い
平成28年 4月15日 (金)
天皇皇后両陛下には,昨夜の熊本県を震源地とする最大震度7を観測する大地震により大きな被害が発生している熊本県の蒲島郁夫(かばしま・いくお)知事に対して,本日,侍従長を通じて,次のとおり,被害についてのお見舞いのお気持ちと災害対策に従事している関係者に対するおねぎらいのお気持ちをお伝えになりました。
「天皇皇后両陛下には,昨夜の熊本県を震源とする大地震により,多数の死傷者,避難者が発生するなど県民生活に大きな被害が生じていることに大変お心を痛められ,犠牲者に対するお悼みと被害を被った人々へのお見舞いのお気持ち,並びに災害対策に従事している関係者に対するおねぎらいのお気持ちを知事にお伝えするようにとの御意向でした。まだまだ,朝夕寒い季節であるので被災者をはじめ人々の健康を祈っておられます。以上,謹んでお伝えします。」
静岡県への行幸啓のお取りやめについて
平成28年 4月15日 (金)
天皇皇后両陛下には,本日,静岡県に行幸啓になるご予定でしたが,昨夜の熊本県を震源地とする最大震度7を観測する大地震により,熊本県等に大きな被害が発生し,多数の被災者が避難している状況にあることから,お取りやめになりました。
なお,侍従長から川勝平太(かわかつ・へいた)静岡県知事に対し,次のとおり,天皇皇后両陛下のお気持ちをお伝えになりました。
「天皇皇后両陛下には,スペイン国国王及び王妃両陛下の静岡県ご訪問が中止されましたが,そのための行事を準備してきた人々の気持ちをお考えになり、せめてその折に御同行の予定であった静岡県を訪問され,準備していた行事にお加わりになることをお考えに なっておられた。
昨晩,熊本県を震源とする大地震があり,余震も続き,現時点では未だ現場の状況が不明確であることから,両陛下としては少なくとも今日一杯は御所で状況を見守ることが必要とお考えになり,本日の静岡県での行事への参加をお取りやめになるとのお申し出があった。誠に心苦しいことであるが,今回の訪問,行事の準備に当たってきた関係者,御参拝予定であった神社,演技の関係者にも知事からその旨よろしくお伝えいただきたいとの御意向であり,ここに謹んで伝達します。」
なんとまあ。
這ってでも行ってさしあげなければ、と、お優しいさすがご慈愛のみてこさま、あっちこっちに気を遣い〈警備費も使い)、浄瑠璃やフラメンコや歌舞伎やコンサートや、みてこさまに見て頂ければ恐悦至極(?)なご鑑賞への「ご行啓」、ご老体にムチ打って、こなしてあげなきゃ、と、お思いでしたでしょうに。
行けなくなってしまわれましたのね。
トイレにも行きがたい環境で、飲んだ方がいいのに水も不足していて、血栓ができてしまって不意に倒れる、といった状況は、皇后さまには縁のないモノで。
豪壮な御所で、(退屈しながら、になりますか)お慎みの日々をおくっておられたらよろしいかと。
しかし。
宮内庁、こういったお知らせの仕方も珍しい。
壮大な言い訳劇場。これ、せんな、しゃあないのでしょうか、ね。
この項の最後の、以下のものは如何に。
大雪等による被害についてのお見舞い
平成28年 4月14日 (木)
天皇皇后両陛下は,今冬期の大雪等により甚大な被害を受けた北海道に対し,金一封を賜りました。
この一行の「とってつけた感」「やっつけ報告」感、ハンパないです。
どの時点でのことか、これもしておかないと、の焦りからか。
北海道の方々に失礼なこと。
ここ当分、などと言わず、当分、天皇とその夫人は、御所にすっこんでおられたら、と考えます。
でも、パナマの大統領夫妻と、お会いなのですね。
パナマの大統領夫妻の来日は、日本では報じられないあの、パナマ文書とやらが、流出した後で=要人のこういうことは、通常は三か月くらい前に決まっているもののようですが=急遽、お決まりなんて。

聞けば、あら何かしら、と???点滅するのは、おそらく、ふつーの反応かと思われます。
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先にお伝えした、美容外科医の高須克也氏は、以下のごとく実行されました。
佐賀空港に物資を集め、チャーターしたヘリコプターで、救援要請を受けていた病院へ物資を届けてとんぼ返り、再び、の、自ら乗り込んでの大活躍。ここが、あの方らしいです、高血圧持ちなのに。
熊本市の消防局防災航空ヘリポートへも支援物資を運ぶそうで、
「その後は自衛隊がしてくれる」と。
物資は、予想以上に集まったそうでした。今後もあれこれ、されるでしょうね。
こういう派手なお金使います人がいたっていいでないですか。緊急時、理屈より実行の時に。
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【地球環境大賞】
秋篠宮さま お言葉(全文)
「第24回地球環境大賞」 秋篠宮ご夫妻をお迎えして授賞式が開かれた。
本日、「第24回地球環境大賞」の授賞式にあたり、皆様とお会いできましたことを大変うれしく思います。また、このたび各賞を受賞される方々に心からお祝いを申し上げます。
近年、気候変動や生物多様性の保全を始めとする環境諸問題についての人々の意識は非常に高くなっております。
そして気候変動とも関係すると考えられる局地的大雨や台風そして、土砂災害など地域に多大な被害をもたらす事例も増え、災害の視点からの環境を考える機会も多くなってまいりました。
本年は3月に仙台市において第3回国連防災世界会議が開催されましたが、その中で気候変動と防災に関することが話し合われ、また森林やサンゴ礁を始めとする生態系保全の強化が、人類に環境と気候の回復力の基盤を与えていることなどが紹介されたと聞き及んでおります。
このように私たちが地球環境を考えるとき、その保全とともに災害についての意識を高めつつ、人が自然と共存していくことの重要性を強く感じます。その上でこの緑豊かな水の惑星に多くの貴重な生命を末永く育んでいくことができるよう、環境問題への対処に積極的に取り組んでいくことが大切であるといえましょう。
平成4年に創設された「地球環境大賞」は、地球環境と共存する産業の発展、持続可能な循環型社会の実現に寄与する製品、そのための技術の開発、地球環境に対する社会の意識向上、ならびに自然環境の保全を通じて社会への貢献を図ることを目的としております
今年で24回を数えるこの賞は、産業界に始まり、自治体、学校、そして市民活動へと表彰対象を広げながら、環境活動に熱心に取り組む人々の姿勢を広く顕彰し、環境に対する意識を高めることに貢献してきました。今後とも、日本の優れた技術や知識が地球環境の保全に貢献し、世界の発展に寄与していくことは、誠に大切なことと考えます。
終わりに、受賞者を始めとする皆様が、今後とも地球環境の保全に積極的に取り組んでいかれることを期待するとともに、その活動がより一層広がっていくことを願い、私の挨拶と致します。
この後で、皆さまと黙祷を捧げられたのだそうです。
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プロフィール
Author:KUONの久遠
・・・・・・・・・・・・・・
四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。
海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる
明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。
・・・・・・・・・・
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