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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。






・つづまりはふた切れほどを用ゐむに固く締まれるレモン購ふ

 ・つづまりは ふたきれほどを もちゐむに かたくしまれる レモンあがのふ  




・過去のこと話したがらぬ人のゐて向き合ひ林檎をさくさくと食む

 ・かこのこと かたりたがらぬ ひとのゐて むきあひりんごを さくさくとはむ




・かの道を行きたかりけり雪の日の厨に米の磨ぎ汁流す

 ・かのみちを ゆきたかりけり ゆきのひの くりやにこめの とぎじるながす




・ものを書く集中力のへたりゐて回転寿司屋のチラシ見てをり

 ・ものをかく しゅうちゅうりょくの へたりゐて かいてんすしやの チラシみてをり 




・久に抱く仔猫 小指の爪ほどの小さき舌を見せて眠れる

 ・ひさにいだく こねここゆびの つめほどの ちいさきしたを みせてねむれる




・新雪によろよろとわが足跡をつなげ来て冬の日本海見る

 ・しんせつに よろよろとわが あしあとを つなげきてふゆの にほんかいみる




・沖暗き海を覆ひて黒雲の果て無き遠さ冬の日本海

 ・おきくらき うみをおほひて くろくもの はてなきとおさ ふゆのにほんかい




・横なぐりに雪降り募り海黑しこの荒涼を見まく欲り来つ

 ・よこなぐりに ゆきふりつのり うみくろし このかうりゃうを みまくほりきつ




・寒げなるビルの肩のへつつむさまにさりげなく浮く白き三日月

 ・さむげなる びるのかたのへ つつむさまに さりげなくうく しろきみかづき





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・埋み火のごとく遥けき思ひ出の胸にある日よ北はまた雪

 ・うずみびの ごとくはるけき おもひでの むねにあるひよ きたはまたゆき




・山茶花のもう若からぬ花びらが降る白雪に揺れつつ赤し

 ・さざんくぁの もうわかからぬ はなびらが ふるしらゆきに ゆれつつあかし




・昏れてゆく空と海とを見てゐたり波の音にわが撫でられながら

 ・くれてゆく そらとうみとを みてゐたり なみのねにわが なでられながら




・いか刺しの甘きを噛めば優しかりし半白の髭の漁師偲ばる

 ・いかさしの あまきをかめば やさしかりし はんじろのひげの りゃうししのばる




・奥能登にしみじみ雨の降りそめていか釣り舟の灯りも滲む

 ・おくのとに しみじみあめの ふりそめて いかつりぶねの あかりもにじむ




・波のおと風の鳴るおと漁火のもはや見えざる海茫々と

 ・なみのおと かぜのなるおと いさりびの もはやみえざる うみばうばうと




車窓より指に辿りし水平線ふっつりと消ゆ能登よさよなら

 ・しゃそうより ゆびにたどりし すいへいせん ふっつりときゆ のとよさよなら













記事のタイトルが

小和田家VS.天皇家

天皇「家」も堕ちたもの。そもそも。「天皇家」。というものが、、あるのか?。

ウンザリだ、この下品さはどうなんだ。の思いが、師走の胸に去来した。カーカーと、空にカラスも鳴いていた。

今上陛下と皇后は、長いあいだ、東宮夫婦がどんな状況にあろうと、

「ウチと息子んとこは「別」の家なので、口出しはできません、とーぐーんとこと、ウチは、別。何も求めないでね、何をいうことなんかできないのよ」

と、いなして来られたように思う。まさこのことも「妃は妃の(つごうの良いように」とか、言うてはりました。叱らないのか注意しないのか、陛下、ご聖断を、の思いが、耐え難さ満開になっている人々の胸に(一部的に)溢れても、両陛下は沈黙されておられたように見えました。

その頃には美智子さんも「耐えてあげてるひと」「「お優しさの限界に挑んでしまわれるひと」として、ふるまっておられた、そのように思いこませて来た。

妃(ひ)は、わたしたち家族にとって大切なひと」とも云うておられた皇后さん。

わたしたち家族ってつまり、それが「天皇家」か?。

それはつまり、家族のなかの、うちうちのこと、の意味ですか? うちうちのことに庶民が口、はさむな。とか。

庶民と、自分で称してはおりますが、美智子さんに「下がりなさい」と言われる筋合いはございませんよ、と、はっきり言いたくなる。

うちうちのことで、ごたごたを見せられるの迷惑です。

仮病もサボりも公私混同も何もかも、やりたい放題、見えてしまうこと沢山、放置して来られたのでした。

とはいえ、都合のいい時には「干渉しないで」であっても、「東宮たちに何を言う気もする気も無い」、でもあっても、そんな中でも、秋篠宮妃殿下には、随分な専横ぶりを発揮した。秋篠宮の両殿下を、軽んじて抑えたばかりでなく、宮家に対して産児制限を強制した。恐ろしい所業です。正気とは思えません。重罪です。本人は知らない顔です。

勝手なのです、仰ることが。

なさることも。

勝手。好き放題。皇統破壊。それが、美智子さんだと、わかってしまいました。・・つい、夢中になってしまうのですが。初めに戻ります。


現東宮妃の出身が小和田という姓の家だからと言って、基本的に国民にはそこは、何の関係も無い。小和田家がどうのこうのは、全く関係が無い。あまりにもものすごい家なので、そういうモノに対する関心は、正直に言います、ある。あった。最近では胸やけが慢性化しています。でも見届けたい。思うようになるものか。


サブタイトルには、こうある。

雅子さまの‘叱らない子育て‘に美智子さまが動いた

(笑)。傍から見ている(見させられている)側から言えば、これも、今更何を、でしか無い。

いろいろ書いてある。

「愛子さまが一般の人に対し好ましい様子で接されたのを拝見したのは初めてです!」

これは「学習院関係者」さん。(笑)。なんか、どなたかに「手を振ってあげた」らしいです、愛子さんが。

14年頃から不規則登校が続いている愛子さん、定期テストは欠席するが東宮御所では勉強に打ち込んでいることをお知りになって、

>このままでは駄目、愛子は中学に入り、もう子供ではないのだから

とか。中学に入るまでは、駄目でなかったという意味ですか。

さまざまなお子さん方に、さまざまに「お心をお寄せになって」いらした慈愛の皇后さまが、なぜ、内孫である愛子さんを、どうもされないかが不思議でした。陛下がお嘆きになられたように、会いに連れて行かれること少なかった愛子さんでも、気にはなったのではないかと。冷たいお方と。

東宮家とは「別」だからか、と。

記事中から。

(略)ご心配には深い理由があった。

それは、雅子さまの強い影響を感じ取られたからだと拝察いたします。皇后陛下は

『私を先んじる自分中心主義』と雅子妃のことを評されたことがあるのです。

つまり、勉学を手段にして立身出世を目指す小和田家の『官僚的価値観』を指しているのだと思います。対照的に、天皇家の内親王が身に付けなければならないのは、見返りを求めない教養と、『無私』や『受け身』を美徳とし、他者への気遣いを第一とする心の在り様です。皇后陛下は、愛子さまが‘自分中心主義者‘へと流されつつあるとお気づきになり、引き戻さなくては、と気を揉んでいらっしゃるようでした。

明記しておきますが、この文章の周辺には、

「美智子さま、雅子さまに対して、ついに『決意の反旗を翻されて』とか

美智子さま、雅子さまとの愛の絆を断ち切られるときかとか

そういった表現は、皆無なのでございます。わはは。いちびってしまいました。

えええ。

美智子さん、突然に、そんなこと、気を揉まれますか。

文春誌〈申し遅れました、合併最新号です)、まだ書いてます。以下です。

。愛子さまは『日本は古代からどのような歴史を辿って来たかということに大変興味を持っています』と話され、伊勢神宮の参拝には『とても長い日本の歴史を実感しました』と答えられたそうです。

皇后陛下が見据えられているのは、内親王としてのビヘイビアを愛子さまがしっかりと身につけられることです

だそうなのですが。

ビヘイビアって、何のことだべ?。

ピュリファイとか、そんな文言を発せられたこともおありだった美智子さん。

ビヘイビアってもしかして、どういう意味ですかの?

「皇族が日本の歴史を学ぶのは、テストの成績を上げるためではありません。悠久の日本史の中にご自身も連なっているのだということを感じ、その大きな視野から国民に心を寄せるという将来の下地作りなのです。皇后陛下は今後も天皇陛下のお話を愛子さまが直接聞くことができる機会を(略)

『そういう風にして東宮を支えていきたい』

とか、仰っているのだそうです。みちこさまが。

ここで言わせていただいときますが。

上から餌やるみたいに「心を寄せて」など、要りませんよ、わたしは。

心を寄せて欲しがっていると思われるのは心外、まっとうな皇族様になら、何かの折に微笑みをいただけば、いや、真摯におつとめ下さっておられると思うだけで、胸が熱くなってしまうシンプルなタイプのものですが。

わあわあとあざとく思い入れたっぷりに、心なんか寄せて要りませんからね。みちこさま。

なんか。

言うてることがバラバラなのですね。

東宮夫婦が何をしようが、しなかろうが、自分たちが口や手を出すことでは無い、と放置。放置どころか擁護、支援、庇いだてをし、まっとうな皇族のご一家を抑圧し、まっとうな皇統につながる親王殿下を大切にされている様子は無い。

今になって、今まで庇って来たまさこを、自分は本意でなかった、と言ってのける。

自分は悪くなかったと、今になって、仰りたいですか。

自分だって犠牲者。そういう被害者意識は簡単にお持ちになられる。自分は慈愛のひとだから。

愛子さんは、内親王でありながら、捨て育ちのお子さん。今更、美智子さんが何を言ってもしても、遅い。としか、考えません。

いまさら何を言っておられるんですか、と、びっくり。


この記事の「あおり」部分と申しましょうか。記事はまだ続くのですが、そのあおりのとこ。一部ですが。

(略)思い出されるのはハンチントンの論文「文明の衝突」だ。小和田家の立身栄達の教えと天皇家の泰平の願いはどちらも正道だが、異質。愛子さまの教育に影響力を持つ源流を追った。


これですね。

記事中にもあるように、まさこさんの実家の父上、小和田恆氏が、秀才であったのは事実だろうし、その頭脳を糧に出世した人物なのは、否定のしようの無い気がします。

しかし、もう一度書きたい。

皇太子妃の実家について、日本国民にはいっさい、関係は無い。皇室と並べて比較するべきことは何も無い。失礼な言い方をすれば、小和田家の名が現・皇室に絡んで出されることには違和感しか無い。

仰々しく出て来る立場か。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


美智子さんが、ここへ来て何をお考えなのか、察することなどできず、する来も無い。ただ、

今日も私は、「でれでれ草」さんのブログを訪問して、愛子さんのお顔の幾つを、凝視して来ました。

愛子さんとされ写真。宮内庁が出したり、両陛下に挨拶に行く、と、車の窓から見える公的な写真。

でれでれ草さんは、実に実に細かく丁寧に、検証をしておられます。

アタマが下がります。

うずらちゃんや皇太子に手を引かれて沖縄こども汽車の前に現れた写真や、ハープばんばんの行儀の悪い写真(行儀はいつも悪い、おいたわしい)、子どもの城での笑顔、他にも。
とても可愛らしいと感じたあの写真、とても無惨だと感じたあの写真、あれもこれも、じんじん眺めて。

耳の。耳介の形。耳殻。目との距離、位置関係。歯並び。愛子さんの前歯の永久歯の数が、どうも足りないのではないか、しっかり磨けていなくて、いわゆる溶けたみたいになっている、その歯も写真によって「違う」、やはり違っていたのか。

ホクロは消すこと可能、など、読みつつ眺めつつ。

慣れられない。

親が、身内が、していること。

はじめからその気で、使命を帯びて、入内から出産までを目論んだ。と確信されるあの「家」。それももの凄い話ではある。

そこに、犠牲者どころか、どころか。知らぬ存ぜぬで、あるところまでを通そうとなされたか。黙視したどころでない、加担されておられたか。そうとしか今では、思えない。

替え玉を、気づかなかったとは仰らないでいただきたいです。

おそらく陛下は噛んではおられない。気付かれるほど接しておられないように考える。愛子さんに関しては、陛下もだまされた方ではないか。観察眼も人により異なる。

・・愛子さんの影子ちゃんの存在を、それも複数の影子ちゃんを、疑いようもなく、震撼して感じて、

「引き戻さなくては、と気を揉んでいらっしゃるようでした。

どの口が、それを言う。人ではないです。











・夕闇はひとくべごとに濃さを増し肩冷ゑてきぬ焚火終はらむ

 ・ゆふやみは ひとくべごとに こさをまし かたひゑてきぬ たきびおはらむ



・幻聴のごとく響りゐる佐渡おけさ瞼ひらけば常の部屋なり

 ・げんちゃうのごとくなりゐる さどおけさ まぶたひらけば つねのへやなり



・耳底にうねり止まざり盲ひたる津軽三味線の太棹の音

 ・みみそこに ひびきやまざり めしひたる つがるしゃみせんの ふとざをのおと




・深き霧に閉ざされてなほ赤い橋ゆらゆら歩むひとりにあゆむ

 ・ふかききりに とざされてなほ あかいはし ゆらゆらあゆむ ひとりにあゆむ



・佐渡情話うたふひばりの背後より日本海の波の香の来る

 ・さどじゃうは うたふひばりの はいごより にっぽんかいのなみのかのくる



いつの日もひばりの歌が流れゐき鍵っ子われが母を待つ夜夜

 ・いつのひも ひばりのうたが ながれゐき かぎっこわれが ははをまつよよ



・吾が前に人の泣きをり年の瀬の部屋をふるふる風通るなか

 ・わがまへに ひとのなきをり としのせの へやをふるふる かぜとほるなか
 




・泣くひとをながめてをればしんしんと心のなかに雪の降り積む

 ・なくひとを ながめてをれば しんしんと こころのなかに ゆきのふりつむ



・わがことをわれより深く知るごとく語れるひとを醒めて見てゐる

 ・わがことを われよりふかく しるごとく かたれるひとを さめてみてゐる





・凄まじき羽音ひびかせ鳩の群は憑かれしものの姿して翔ぶ

 ・すさまじき はおとひびかせ はとのむれは つかれしものの すがたしてとぶ




・街路樹のさまに信号の赤が延び師走たそがれの街うつくしき

 ・がいろじゅの さまにしんがうの あかがのび しはすたそがれの まちうつくしき









・ポケットに封切りしままのひと箱の煙草を残し父は逝きたり

 ・ポケットに ふうきりしままの ひとはこの たばこをのこし ちちはゆきたり



・頬のあたり稚さのこれり着流しにソフト帽これわれの父親

 ・ほほのあたり わかさのこれり きながしに ソフトばうこれ われのちちをや 



・兄よ兄よと深夜の道をわれを背にひた呼ばひつつ叔母は駆けたり

 ・あによあによと しんやのみちを われをせに ひたよばひつつ をばはかけたり




・背負はれて着きし深夜の病室のただ白かりきそれのみの記憶

 ・せおはれて つきししんやの びゃうしつの ただしろかりき それのみのきお<





・薪割りてをりて脾臓の破裂して三日後の死を 知りしや 父よ


 ・まきわりて をりてひざうの はれつして みっかごのしを しりしや ちちよ 






・家にてはしずけき夫重症の肝硬変は外に育てぬ

 ・うちにては しづけきおっと じゅうしゃうの かんこうへんは そとにそだてぬ




・片方のカフス匂ひの濃きパイプ記憶茫たる父の遺品に

 ・かたっぽのカフス におひのこきパイプ きをくばうたる ちちのゐひんに




・汽車ぽっぽをわれに見せむと遠出せし父はほどなく病みて死にたり

 ・きしゃぽっぽを われにみせむと とおでせし ちちはほどなく やみてしにたり








     去年今年貫く棒のごときもの

          こぞことし つらぬくぼうの ごときもの

                                     高浜虚子


歳末の句としてしられた一句です。

最新号の週刊文春の表紙を見て、この句を思いました。

なんとな~く、そういう感じわかるなあ、みたいな。

表紙には12月31日・1月7日   新年特大号   とあったのです。

今年と来年をつなぐ号。2週分の特大号、記者さん方も、お忙しかったでしょうね。

中の記事の以下の部分を読んで、なんともかとも。

>近年、雅子さまの母・優美子氏はある皇室ジャーナリストにこう語ったという。

>親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田が悪い』と言われるけれど・・・・・・・・・。日本も皇室も変わらなければ


うへえ。

ものすっごいセリフ、聞いてしもた。

この方の人生観がすべてみごとに出ております。

親馬鹿・・・。

親 馬鹿・・・。

順序がちょいと、違うような。




    いつもご訪問ありがとうございます。

    優しいお気持ちもありがとうございます。

    しばらく今のままでいたいと思います。

    よろしくお願いします。

             KUON.










おぐしを丁寧に撫でつけられ、この日は上着をお召しだった。

82歳のお誕生日だとて、何やら文書を読み上げられた。

上品でいらっしゃる。この方が天皇だと言われれば、ああそうでしたねと肯うこともできてしまう。

穏やかそうではあるが、しかし威厳を感じない。

温厚そうであることと、威厳に満ちていることは相反しない。

一人の人間の中にその両方を備えておられることは、高位にある人間に望んでもいいことであろう。

備えておられると疑わなかった過去も、私にはあった。


文書の内容は、あれは、何だったのだろう。

天皇は「先の戦争のことを考え続けた一年」であったとのたまった。

70年前に負けて終わった戦争が、現在に及ぼし続けているものについて(のみ)語った。

そう、書いてあったのであろう文書を、長く天皇職にある日々につちかった、抑制の効いた話ぶりで読んで行かれた。

大いなる惰性も、その身位の特徴ではあろう。

そのはずであったが、乱れた。

天皇の口調が、このたび一貫してなめらかであったと言えば、偽りになる。

お労しくも今上陛下は、幾度か、朗読の流れをつっかえさせられた。

それ自体は、責められるべきでない。ご自身で言葉にされた今年の幾つかのことと同じく、驚きではあっても、責められることでは無い。

こういった範囲の「ミスは」、云われなくていいと思う。

仕方のないこと、もっと言えば、後でご自身がお悔やみになられるかと、いたわしい思いが先立つ。

後でどなたかに責められないといいのに、とも、思う、そのようなことは無かろうけれど。

と、思うことにしておく。

とはいえ、天皇の談話としては異様だった。


陛下は、感情が溢れて、言葉も呼吸も乱された。

「あの戦争」に於けるあらゆる犠牲について、過ぎたことと通り過ぎることがお出来にならない。

当たり前だ。

戦争の惨禍を、通り過ぎることは、いけないこと。

忘れることも、いけないこと。

通り過ぎることも忘れることも、推奨してはいけないこと、悪いこと、人でなしなこと。

それは、大・正論なので、口から出したらあかん、こと。

でも正論を押しつけられると、こういうとき、辟易・・へきえき、という感情が沸く。



正論を、真正面からぶつけられて抵抗するのは、難しいこと。

それがしかも天皇というあたりから、なんと涙ぐむような激情のなかで発せられてしまうと。

白けるしかない。いや、黙りこむしか、できることは無いのです。

今上陛下は、ご高齢の方としては、まことにご立派でいらっしゃる。

「先の戦争」を考え続けておられることも、おそらくご立派なことだ。否定してはいけない。

否定することはできない。      にんげんだもの。


天皇としてはどうか。

あえて強いて、貶めるのは本意でない。

どう言えばいいのか。

ご自身の言葉を失っておられる。


初めからお持ちであったや否やは別として

感情が激して、天皇ともあろう方が、公人が、高齢のゆえもあるとはいえ・・・としとると涙もろくなる、天皇も庶民も、おんなじ、と言っていいのかな・・・声涙くだるおんありさまで、あれこれと悼まれた。

今も日本は迷惑をかけつづけている、大変なことである、もうしわけないことである。

胸が痛む、そう、嘆かれた。

陛下。

戦争の話を、もう、なさいますな。

陛下は、戦争に言及なさいますな。

言っても言ってもたどり着けない道です。


祭祀一途に、おつとめ下さい。

祭祀をされることが、唯一、天皇の道ではありますまいか。

世にただお一人の最高位の神官として、神事のみを、静かにお執り行いいただきたく存じます。

とつくにの民は、その国に於いて慰霊されておられるでしょう。

不遜ながら失礼ながら、そこ、足りないことのあろうとも。陛下が踏み込んで行かれることではありません。

この国の、慰霊をされるべき方々は、靖国におられます。

身を離れた刹那に、みたまは、肉体を離れて一心に、一途に、瞬時に、帰って来ておられます。

靖国で会おう、と、誓い合った方々は、早くとも遅くとも、契りを果たされた。

へそまがりで、そんなこと信じなかった方にだって、望郷の思いは、肉体を滅することで叶ったはず。

故国など恋わない人間だっている。その一人一人を論ずると、ことの焦点が大きくずれて行く結果をまねくこともある。

皇后と呼ばれるお方が、こざかしく、せせこましく、あくまで自分にわかり易い範囲の人間たちと「お心を通わせ合っておられる」、その、底浅い猿芝居のようになる。<皇后には大局という概念がおありにならない。

すくなくとも、このようなことを書きちらしているKUONよりは、解っておられない。「自分立派」なヒトにはわからない。

そのごとき者に、おつむを乗っ取られてしまわれての、あのありさまです、陛下。

美智子さんは、日本人の魂の問題について、ご自分の中に、確たる思いをお持ちでいられるかどうか。

それすら不明です。

たましいは自由です。そう考えています。

肉体は種々の制約に絡まれていても、がんじがらめでも、魂だけは自分のもの。自由です。

自分のものであり、自分を欲してくれる誰かのものでもあります。

苦しみ傷んだ肉体を脱ぎ捨てて、彼方こなたに飢えて渇いた兵の皆さま、

帰りたかった故郷へ、帰った方々がほとんどでしょう。

そこにようやく安らいでおられるでしょう。

国のため。と、教え込まれて。その御こころで。

後に続く国の人々のため、後の世につながる命のため、と。

薄っぺらいうす桃色の紙片に召集されて征かれた方々の、水漬く屍、草生す屍は、もうそこにはおられません。

靖国へお帰りになられました。

慰霊を、の強い(とおっしゃる)お気持ちは、陛下と奥方が靖国をスルーしておられるかぎり、宙に浮いたものでしかないと考えます。

そして

帰る故郷も傷ついた身を安らげる場所もお持ちにならなかった方々を、千鳥ヶ淵へお祀りされているのではないですか。

さまざまな方々、団体が、千鳥ヶ淵を大切にしておられます。

秋篠宮両殿下が。お若い眞子内親王様が、絶やさず、千鳥ヶ淵の慰霊碑に、深々とこうべを垂れて下さっておられます。

陛下は、祭祀を第一におつとめ下さいと。不遜ながら申し上げたい。


何より。

次代について、このたびもやはり何をもおっしゃりません。

なぜ、そんなことがお出来になられますか。

世界の平和も、国家の安寧も、国民の幸福も、お触れになられませんでした。

世界の平和は、自分たちの「慰霊」でまかなわれますか。

国家の安寧は、天変地異を嘆き犠牲となった方々を悼む思いの吐露でお済ましですか。申し訳ない言い方ですが、被災の地の皆さま、お察し下さい。

被災してしまわれた方々の生活がいまだ元通りに戻っていないのが悲しいと仰せですが、皇室の今がダダ漏れにしているのが目に見えてしまう、くだらないお金の使い方。

皇室費など取るに足りない金額である、という言い方は、皇室が、そういった「些細な」問題を凌駕する、他のものとは取り替えようの無い「値打ちある」存在であるとしたうえの、理屈です。

長男夫婦が何をしたと喧伝されようと、ひとの胸に響く、とどくものは、いまや既に何もない。

日本人は本来、うそ偽りを嫌う民族ではありませんでしたか。

ありがたさももったいない感じも無い、ただ珍妙で滑稽で浅ましいあの皇后とやらの服飾費の浪費を、この国に生きるみな、見せつけられている現状。

陛下の胸のお痛みに共鳴できる胸を持てないでおります。

しらじらしいということです。

そしてまだある、

「国民の幸福」。

国の民の幸福は?。

次代とされる機能不全の皇嗣の夫婦の、あの惨状。こうなってもなお、皇族らしく黙っておつとめをお続け下さる宮家のご一家がおわしまして。

ここに至ってな、皇室のこの先に光を見出したくている国民の、安心や得心や、それを思うことは、

ご自分たちの考えてあげることではない、

ですか。

次代は次代のやり方で。とは。

天地もひっくり返るような無鉄砲、無責任な思考方向
ではないかと。

それは実は、奥方の仰せのことであるとしても。

もう既に、奥方をお抑えになるさえ叶わぬ。

・・・奥方を抑えられるご主人が、この世においでかどうかは別として。


何をどう仰せになりましても、ありがたい、嬉しい心地の持てなくなっているお方の多いこと。


雨のせいにされましょうか。皇居における一般参賀の情景、見れば無常。

祝意を持って集まるはずの人びとの数が、あまりにも少なかった。

湧き上がるがごとき「天皇陛下ばんざい」の気配が、感じられなかったと言うもはなはだしく。

あのバルコニーのご様子の、なんとも貧相な輝きのないものであったこと。

多くは申しますまい。

秋篠宮殿下の、重厚感に満ちたまなざし存在感が救いと感じられました。

なるひと氏は、いま、もう、70パーセント。60パーセント、な感じ。そのツマには言うべきこともなし。

出て来て、ニタニタ、手を振っていた。何なのかあれは。場違い大賞。

紀子さまをもっと、皇族の 妃殿下らしい扱いを。と、思った。いくら豊かなお方でも、擦り減らしては申し訳がたちません。

優れた資質をお持ちの内親王さまを、圧迫して萎えさせてはならないと思う、心底、思います。叫びたいくらい、そう思う。

ほんとうに貧相な。美智子さんのことでもあります。

貧相だけなら仕方が無い。

仇をなすものです。害です。

好きとか嫌いで言うではない。

皇室に、皇室としてあっていただきたいのみです。

「先の戦争」で有形無形の悲惨を蒙った日本人、すでに亡き方々、その血縁、陛下の(美智子さんの?)お言葉で言わずとも、もう終わって、済んで、消え去ったものではない。

何を言うこともできず、平和のもたらすさまざまな愉しみにも縁なく生きて死んで行った、ミチコサンの話を喜んで受け入れていた、無邪気で知らされざるひとびとであって、わが子の不始末に対しては自分そのものの罪とがのように、身を小さく厳しく接した、人のもの自分のものを当たり前に分けて暮らした、贅沢を慎んで人の痛みに出来得るかぎり寄り添おうとした。

時にずるくもあったが、時に小さく間違えて知らん顔もしたが、恥の思いを身に付けていた、私の知っている数少ない、普通の人びと。

その人々への痛みも、おありでしかるべきでは。

公平、無私が、皇室を皇室たらしめるものと、ここまで来てもなお、思っていたい。
































透明の月の光に照らされてポスターの海蒼くうねれる

 ・とうめいの つきのひかりにてらされて ポスターのうみ あをくうねれる 


・撃たれたるかもめのやうに身じろがず闇のなかなる白きスカーフ

 ・うたれたる かもめのやうに みじろがず やみのなかなる しろきスカーフ


・思ひ幾つ置き去り来たるTOKYOのイヴの夜景よ今日の画像の

 ・おもひいくつ をきざりきたるTOKYOのいヴのやけいよ けふのがぞうの 


・身は懈くこころはさむく街ゆくに耳に押し入るイヴの祝歌

 ・みはたゆく こころはさむく まちゆくに みみにおしゐる イヴのほぎうた


・磔刑のキリストを目に仰ぎつつ善きひとびとや何を祈らす

 ・たっけいの キリストを目に あふぎつつ よきひとびとや なにをいのらす


・疑はず祈るこころを捨てし身のときに苦しも子の母なれば

 ・うたがはず いのるこころを すてしみの ときにくるしも このははなれば



・純白の芯までしろきシクラメンけふ切実に購ひたく候

 ・じゅんぱくの しんまでしろき シクラメン けふせつじつに かひたくさうらう





.
天皇陛下 82歳の誕生日 記者会見の全文







. .
<天皇陛下82歳に>戦後70年「先の戦争を考えた1年」 .


 記者 今年は自然災害などいたましい出来事があった一方、日本人2人がノーベル賞を受賞するなど、明るい話題もありました。天皇陛下は戦後70年の節目に当たり、新年のご感想で「満州事変に始まる戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えることが極めて大切」と述べられ、パラオをはじめ、国内外で慰霊の旅を重ねられました。また、全国戦没者追悼式では「さきの大戦に対する深い反省」という表現を新たに用いてお言葉を述べられたほか、玉音盤の原盤や、御文庫附属庫の公開もありました。年明けには、フィリピンへの公式訪問が予定されています。

 戦争や平和への思いに触れながら、この1年を振り返るとともに、来年へのお考えをお聞かせください。



 天皇陛下 今年の自然災害としては、まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳が噴火して、海岸まで達する火砕流が発生し、全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが、海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。島民は幸い皆無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。

 9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫し、8人が亡くなる大きな災害となりました。氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ、どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により、人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので、多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。後日、常総市の被災地をお見舞いしましたが、泥水につかった田畑が広がり、苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。

 今年の喜ばしい出来事としては、まず二人の日本人がノーベル賞を受賞されたことが挙げられます。大村博士の生理学・医学賞は、アフリカや南米で、人に感染すると盲目になる危険をもたらすオンコセルカ症を治す薬を地中の菌から作り出されたことなどの業績によるものです。私は以前、オンコセルカ症を患って盲目になった人々が連なって歩いている痛ましい映像を見ていましたので、この病気を治す薬が出来たということを本当にうれしく思いました。一方、梶田博士の物理学賞は、神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデにおけるニュートリノの研究で、ニュートリノに質量があることを見出されたことに対する授賞でした。11年前、スーパーカミオカンデを訪問したことが思い起こされました。お二人の長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います。

 また、日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が行われたこともうれしいことでした。かつて日本で戦後初めてつくられたプロペラの旅客機YS11の試験飛行を、羽田の空港で関係者と共に見守ったことが懐かしく思い起こされました。それから50年以上がたったわけです。

 今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます。

 軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が、民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き、敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ、海運国として発展していました。私も小さい時、船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが、それらの船は、病院船として残った氷川丸以外は、ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ、亡くなった船員のことを思い、供花しました。

 この節目の年に当たり、かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し、ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。パラオ共和国大統領御夫妻、マーシャル諸島共和国大統領御夫妻、ミクロネシア連邦大統領御夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり、そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。アンガウル島は、今、激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。空から見たパラオ共和国は珊瑚礁(さんごしょう)に囲まれた美しい島々からなっています。しかし、この海には無数の不発弾が沈んでおり、今日、技術を持った元海上自衛隊員がその処理に従事しています。危険を伴う作業であり、この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。先の戦争が、島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います。

 パラオ訪問の後、夏には宮城県の北原尾、栃木県の千振、長野県の大日向と戦後の引揚者が入植した開拓の地を訪ねました。外地での開拓で多大な努力を払った人々が、引き揚げの困難を経、不毛に近い土地を必死に耕し、家畜を飼い、生活を立てた苦労がしのばれました。北原尾は、北のパラオという意味で、パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。

 この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

 私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。

 今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。






・次の逢ひを云はず訣れぬただ一つ約束をせぬが約束なりき

 ・つぎのあひを いはずわかれぬ ただひとつ やくそくをせぬが やくそくなりき



・卓上に組まれゐる指をとこのゆび見知らぬものを見るごとく見る

 ・たくじゃうに くまれゐるゆび をとこのゆび みしらぬものを みるごとくみる



・たばこの煙われにも届きつつ方形の黒き卓が隔つる

 ・たばこのけむり われにも とどきつつ ほうけいのくろき たくがへだつる


・向き合ひてチーズケーキを食べしのみ夜の茶房のその一隅に

 ・むきあひて チーズケーキを たべしのみ よるのさばうの そのひとすみに


・揺らぎつつ坐しをりひとの肩の向かふ冬庭の闇深く動かず

 ・ゆらぎつつ ざしをりひとの かたのむかふ ふゆにわのやみ ふかくうごかず



・鈍いろにフォークの光る空の皿二枚をウェイターが引きてゆくなり

 ・にびいろに ふぉーくのひかる からのさら にまいをウェイターがひきてゆくなり



・スポーツジム花屋の灯り走り過ぎ信号を三つ越ゆれば別る

 ・スポーツジム はなやのあかり はしりすぎ しんごうをみっつ こゆればわかる 




 

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