KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

殿下、おめでとうございます。






昨日は「なまず柄の肩掛けカバン」に、先日、京都の妙心寺で買っちゃったなまずストラップまで付けて、電車に乗って神戸まで。

遅く帰宅して、今朝、パソコンをひらいて、ご一家お揃いの写真の下の

秋篠宮さま、50歳に

11月30日5時8分配信

読売新聞


とあるところを、押してみました。記事を読みたかったのです。

すると、画面にあらわれたのは

指定されたページを表示できませんでした。

記事がありません。すでに削除された可能性があります。

Yahoo!ニュースのトップページへ5秒後に移動します。
Yahoo!ニューストップへ


という画面でした。

結局、以下の、記事全文を読むことができましたので、あ~よかった、と胸を撫で下ろし。

メカオンチなので、なんでこーゆーことになるのか、わかりません。一時間以上たった今も同じなのですが、

もしかして、私のパソが悪いのか???。

・・・コメントのお返事、遅れていますが、ゆっくり、今日あとで、書かせていただきたいです。


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秋篠宮さま:誕生日記者会見全文

2015年11月30日

 秋篠宮さまが50歳の誕生日に際し、紀子さまと行われた記者会見の全文は次の通り。<記者会見は2015年11月19日>

 記者 殿下にお伺いします。この1年を振り返り、印象に残っている出来事とご感想をお聞かせください。50歳を迎えられる心境や今後の抱負についてもお聞かせください。

 秋篠宮さま この1年もいろいろなことがありました。その中でいくつか私自身の印象に残ったことを取り上げてみますと、今年も非常に自然災害が多かったという感じがいたします。例えば9月でしたでしょうか、台風の後、温帯低気圧に変わったところに温かい空気が入り、非常な大雨を降らせたことがあって、広い地域で被害が出ました。特に鬼怒川の堤防が決壊するなどして、大変大きな被害があったわけです。こういう、特に局地的な大雨が以前よりも多くなっているように思います。そのことは大変私も気になっています。そして、これは昨年でしたが、広島市で土砂災害があり、この4月に私もその場所に実際に行ってきました。映像などで見るよりも急峻(きゅうしゅん)な場所になっていて、これは実際に行かないとやっぱり分からなかったと思うのですけれども、日本はそういう所にも住宅が建っている場所がかなりあり、今後の防災についてしっかりと考えていかなければいけないなということを思いました。また、大雨でいうと、今日になるのでしょうか、八丈島でも50年に1度の大雨があったと聞いています。雨は収まっているようですけれども、土砂崩れとかがないことを願っているところです。

 また、つい先日はパリで大変痛ましい事件があり、多くの人が犠牲になりました。そのことも含めて尊い人命が失われていることや、その国が誇る文化的な遺産が破壊されたりしていることも、大変残念に思っております。

 一方、今年もノーベル賞の受賞という大変うれしい知らせが先月ありました。もちろん、ノーベル賞の領域に入らない分野ですばらしい業績を上げている人も多々おられますので、一つだけ取り上げるのはよくないのかもしれませんけれども、それでもやはり、私たちにとって誠にうれしいニュースでありました。しかも、地道な研究が評価されているということを感じました。ただ、その一方で、今学術の世界でだんだん短期的な成果を求められるようになってきています。例えば論文数ですとか、インパクトファクターの高いところに掲載されるかどうかなどですね。それは非常に大事なことではあっても、それのみで学術・学問が判断されることになると、地道に長い年月かけて行われて、良い成果が出るということがだんだんに無くなってくるのではないかなと、気にかかるときもあります。

 それ以外に、先日、日本とブラジルの外交関係樹立120周年の年に当たって、私にとっては27年ぶりでしょうか、ブラジルを訪問いたしましたけれども、この2週間弱の訪問も、私にとって大変印象深いものでありました。そのときの印象につきましては、今、宮内庁のホームページに私の印象をつづったものが掲載されていますので、ここでは省くことにいたします。以上がこの1年の印象に残った出来事ということになります。

 その次は50歳の(感想と抱負)ですか。年齢というものは非連続的なものではなくて、連続的なものですね。ですから、私自身、50という響きについてはちょっと年を取った感じがありますけれども、それについての何か感想があるということではありません。また、抱負についても抱負自体が突然出てくるということではなく、今までどおり、以前にもお話ししたように、例えば公的な仕事の面ですと頂いたものを一つ一つ大切に務めていきたいと思っております。私的には、以前から50の手習いで何かしてみたいなと思うことがないわけではないのですけれども、それはまだ実行に移す予定もないものですから、ここではお話ししません。

 記者 殿下にお伺いします。戦後70年にあたり、殿下は玉音放送の原盤の音声をお聞きになり、御文庫付属庫を視察されました。両殿下では佳子さま、悠仁さまをお連れになり戦争関連の企画展などに足を運ばれました。また、この1年は両陛下のパラオご訪問をはじめ、皇室全体として戦後70年の節目に当たってのご活動を重ねられています。これらを通じて戦争についてご自身が改めてお考えになったことや、お子さま方がどう受け止められたかをお聞かせください。

 秋篠宮さま 今年は戦後70年ということで、いろいろな展示があったり、それから新聞などでもさまざまな戦争に関する記事が掲載されたりいたしました。私も、今お話があったように玉音放送の原盤を聞く機会があり、また、御文庫付属庫も見学をいたしました。ただ、私としては、確かに70年というのはそのことをふり返る一つのきっかけになるとは思いますけれども、そうでなくても、常に、戦争があったということを記憶に残しておくことが必要だと思います。私自身は戦後20年たって生まれました。ですから、物心付いた頃に、何かその痕跡みたいなものを感じるということはほとんどなかったわけです。戦争のことをきちんと理解するためには、当時のことを知っている人から話を聞いたり、書籍で読んだりとか、そういうことを自分で意識しながら行っていくことが大事なのではないか、と考えております。

 また、子どもたちでしたか。これは娘とも話したことがあるのですが、やはり娘たちの世代というのは、非常に戦争のことを知らない。そのことを彼女たちは意識しているようで、この70年という年を一つの契機として戦争のことについて知る努力をしていかなければいけない、ということを話しておりました。また、息子はまだ小さいですけれども、今年(行きました)いくつかの戦争に関連する展示、それから催し等を通じて、だんだんと理解をしていってくれればよいかと思っております。

 記者 両殿下にお伺いします。3人のお子さま方の近況やご成長ぶりについてお聞かせください。中でも、成年皇族となられた佳子さまのご活動は幅広い世代から高い注目を集め、さまざまなメディアでも大きく取り上げられています。佳子さまに対するこうした注目のされ方について、どのように受け止めていらっしゃいますか。

 秋篠宮さま まず長女についてですが、長女は昨年から今年の9月までイギリスで大学院の生活を送りました。そして、その課程を修了して戻ってきたわけですけれども、いわゆる専攻は博物館学で、取り上げたテーマが自然史とアートの両方にまたがる分野でした。それを論文にまとめたのですが、そういう自然史とアート両方の要素を含んだテーマというのが私自身にとっても興味深いところがありますので、そのことについて話をしたりすることがあります。どうでしょうか。

 紀子さま 長女は、昨年の秋から今年の9月の末まで英国の大学院に修学していましたが、1年余りの修士課程の短い期間の中で博物館学の講義を受け、博物館実習に参加するなどし、また、修士論文もまとめ、充実した日々を過ごしたようです。また、私たちが10月下旬から11月上旬にかけてブラジルを訪問した際、私たちの代わりに宮中行事や地方の式典に出席しました。一つ一つを丁寧に深く考えて務めていると感じました。一方で、留守の間、自分の弟の世話をよくしてくれ大変助かりました。

 秋篠宮さま 次に次女についてですけれども、次女は今年の春から大学1年生をしているところになります。結構忙しい日々を送っているようで、大学からの課題などもかなりあるみたいで、それに夜遅くまで一所懸命取り組む日々を過ごしております。少なくとも父親が学生だったときよりは、かなりまじめな学生生活を送っているようです。

 紀子さま そうでございますか。次女は昨年の12月の誕生日に成年を迎え、いくつかの公的活動に携わる一方で、今年の4月から大学生としての新たな生活が始まりました。学業に励みつつ、公的な活動では、初めて式典で挨拶し、また一人で地方の行事に出席し、手話で挨拶するなど、慣れないことや緊張することもあったと思いますが、頂いた務めを大事に果たそうとするけなげさが伝わってきました。

 秋篠宮さま 次に長男のことですけれども、昆虫好きは相変わらず続いています。ただ少し昨年までと違うのかなと思うのは、虫そのものもそうなのですが、それが生息している環境に興味を持つようになってきています。例えば、どういう環境のところで、自分の関心がある種類が生息しているのかとか、そういう環境を、自宅の庭で再現できないかとかですね、これはビオトープ的なことだと思うのですが、そういうことを考えるようになったりしています。長男は自分の水槽を持っていまして、これは虫ではありませんけれども、そこに川とか池で捕った魚を入れているのですが、それがすんでいる雰囲気、水の中の様子を再現しようといろいろと試みているようです。そういうところは少し去年から変化してきたかなと思います。

 紀子さま 1年をふり返りますと、長男は以前からの興味が更に広がり、また新たな興味も加わってきました。田んぼの生き物などにも興味を持つようになり、そのほかでは、今まで興味を持っていました昆虫の採集や飼育をするだけではなく、今、宮様が話されましたように、生き物が暮らす環境にも関心を向けています。例えば、トンボやホタルなどがすみやすい場所、好む環境を作りたいと、自分の家の庭や御用地内を歩いて植生などを確かめ、また小川のところでは、水の流れを止めないように枯れ葉や小さな枝を取り除いています。

 ほかに興味を持っているものの一つに文字があります。旅行先などで地図を見るのが好きで、書かれている漢字の地名や、調べ学習で使う漢字辞書に載っている旧漢字を覚えることもあります。また、世界の文字の絵本を見ながら、まねて書いたりもします。このように長男は、知らない文字が分かるようになり、書けるようになることが面白いようです。

 また、学校のことについてですが、3年生になりましてからもさまざまな活動に参加しています。今年の春は遠足があり、また、公園探検や学校での宿泊もありました。そこでは子どもたちがグループに分かれて、自分たちで計画を立て、係を決め、協力して行動していますが、その後に、達成できたことや計画どおりいかなかったことなど活動の内容をふり返り、次の活動へつなげていく大切さを、友達と一緒に学んだようです。

 なかなかすぐにできるようになるのは難しいことですが、友達と一緒に長男は、早めに行動するよう心がけることに取り組んだようです。これは学校でのお話ですが、家庭でも見られることがありまして、それは朝学校に出かける時間を、余裕を持って守ろうとする様子が見られ、こういう意識を持つことによって、日ごろの生活の中でできるようになることの大切さをつくづくと感じました。

 明日は小学校の音楽会が開かれる予定で、3年生のミュージカル劇をはじめ、各学年が練習に励んでいるようで、子どもたちの発表を楽しみにしています。

 記者 佳子さまの注目のされ方についてはどのように受け止めていらっしゃいますか。

 秋篠宮さま メディア等で写真や記事等が頻繁に掲載されていることは承知しています。実際にどれくらい注目をされているのかということは、私は知りませんけれども、どのように受け止めているかといえば、メディア等に掲載される機会が多いということをそのまま私としては受け止めております。

 紀子さま 私もそのように思っております。次女を含めて子どもたちの公的な活動の報道が、その分野の大事な事柄に対して理解を深めていただく機会になればと思っております。

 記者 両殿下にお伺いします。両陛下は傘寿を迎えられて以降も積極的に公務に臨まれ、お忙しい日々を送られています。このような状況の中、皇后さまに心筋虚血の症状が確認されました。要因の一つとして宮内庁は「強いストレス」を挙げていますが、このことについてどうお考えでしょうか。「敬老の日」にちなんだ施設訪問を、高齢を理由に両陛下から引き継がれたご感想も併せて教えてください。

 秋篠宮さま ストレスについて、普段、例えば御所等で一緒に話をしている時に、話題になったことはほとんどありません。ですから、私として推測できるのは、例えばこの何年かで天皇陛下が2回大きな手術をされています。前立腺がんと心臓の冠動脈のバイパス手術ですね。特に後者については、その後の回復がそれほど早くなかったということもあると思いますが、恐らくそれらの陛下のご病気というのが、ストレスの要因の一つにあるのではないかと思います。もちろん非常に重い立場で日々過ごされていますので、その他のストレスに関わることもいくつもあるとは思いますけれども、それを今私がそんたくをしてお話しするのは控えることにいたします。

 ただ、普段非常に制約の多い中で生活をされているわけですけれども、不思議なほど自由、そして、豊かな心というか精神の領域を持っておられるのではないか、と私には見受けられます。これからそういう領域の中でより多くご自身が過ごせる、若しくはその中で自分自身を遊ばせるという言い方がいいのでしょうか、そういう機会が増えていったらいいのではないかと思います。

 紀子さま 皇后さまが心臓の検査を受けられることを伺い、私たちも大分心配いたしましたが、検査の結果、様子がお分かりになり皇后さまもかえって安心されたようで、私たちも安堵(あんど)いたしました。両陛下には、どうぞおからだを大切に遊ばされますよう、お健やかな日々をお過ごしになりますよう、心から願っております。

 秋篠宮さま もう一つは。

 記者 「敬老の日」にちなんだ施設訪問に行かれたご感想について。

 秋篠宮さま 「敬老の日」の施設訪問、これは「こどもの日」の施設訪問と共に、両陛下が非常に大切にされてきた活動だと私は考えております。今年は私たちが「敬老の日」にちなんだ施設の訪問をしました。来年も「敬老の日」にちなんだ施設になるのか、それとも「こどもの日」にちなんだ施設に行くことになるのか、これはまた皇太子殿下とも話し合いをしながら決めていきたいと思います。

 私たち自身この秋に施設を訪問して感じたのは、例えば地方で何かの行事が行われるときに、その地域の特別養護老人ホームなどに行く機会は今までもかなり多かったです。ところが、私たちが住んでいるこの東京都内でそのような施設を訪れたことは、あまりなかったように思うのですね。そこでふと各地のそういう施設、特別養護老人ホーム等に行ってはいたけれども、すぐ自分の身近な所のことがちょっとおろそかになっていたのかな、と思いました。

 紀子さま 両陛下が長く大切に遊ばされてきました施設訪問を、私たちも心をこめて引き継いでまいりたいと考えております。

 記者 殿下にお伺いします。イルカの追い込み漁問題で注目された5月の日本動物園水族館協会の通常総会で、殿下が総裁としてなさったあいさつは、賛否が分かれる話題に言及したもので、驚きを持って受け止められました。また、銀婚式の際に公表された文書は、両殿下の対談形式という異例の試みでした。殿下は皇族の発言や情報発信のあり方についてどのようなお考えをお持ちでしょうか。

 秋篠宮さま 皇族の発言について言えば、一つは政治的なことの発言をしない。これは、私は基本にあることだと思っています。今質問にありましたイルカの追い込み漁について、私は本年の日本動物園水族館協会の総会の折に言及したわけです。これは、あくまでも日本動物園水族館協会は世界の動物園水族館協会に加盟している一つの組織であり、日本動物園水族館協会に加盟している動物園、水族館が行っていく、若しくは果たしていく使命の一つである種の保存活動を世界動物園水族館協会の一員として果たしていくことが私は大事であると考えたわけです。したがって、イルカの追い込み漁それ自体について、私は何か言ったつもりはなく、あくまでも、文化の問題と組織の問題を分けて考えるべきではないかと、そう思って話をしました。

 また、皇族の情報発信といった場合、構成しているそれぞれの人たちによって考え方が異なると私は思います。私自身、ブログもツイッターもしていません。私は、自分のことを自分から発信していくというタイプの人間でもありませんし、恐らく今後も自分から例えばSNSを利用して、何か情報発信をするということは、しないだろうと思います。ただ、情報発信というのは、やはり大事なことでもありますし、それからもう一つは、皇族の情報発信と皇室全体としての情報発信とはまた別のことですので、どういう形が一番好ましいのかということについて、これからよく考えていく必要があると思います。

 記者 先ほど戦後70年のことで質問でも玉音盤の原盤のことと、御文庫付属室の質問をさせていただきましたが、殿下は実際に両陛下、皇太子殿下と共に玉音盤を聞かれ、また、御文庫付属室にも足を踏み入れられたと伺っておりますけれども、改めてその時のご感想を、それから実際に、特に御文庫附属室は私たちも映像でしか見ておりませんが、そこで感じられた、見て感じられたことを改めてお教えいただければと思います。

 秋篠宮さま 玉音盤、私も聞かせていただきました。今までよく映像で流れてきた玉音放送とは時間、長さなども少し異なるわけです。今回この機会に貴重な玉音盤の再生ができたというのは、大変価値があると私は考えています。そして、玉音盤と共に御文庫付属庫の方も映像が公開されたということは、やはり、昭和の歴史の一端を知る一つの機会であると思います。私自身、玉音盤と御文庫付属庫の見学を通して感じたのは、感じたという表現は適切かどうか分かりませんけれども、その時の昭和天皇がどのような気持ちでマイクの前に立たれ、若しくは終戦を決める時にどのような気持ちで話をしたのか、そのことに思いをはせていました。

 記者 先ほどの質問との関連なんですけれども、常に、戦争があったことを記憶に残しておくことが必要だというふうにおっしゃいましたけれども、その関係で、両陛下のパラオ訪問がありましたが、戦没者慰霊の姿をどのように受け止めていらっしゃいますでしょうか。

 秋篠宮さま 両陛下は、相当以前から戦没者への慰霊を、強く常に念頭に置かれていました。今回戦後70年の機会にパラオの慰霊をされたわけです。ずっとさかのぼると沖縄、一番最初は多分海洋博のときですから1975年、私はまだ小学生の子どもでしたけれども、沖縄戦のことと共に、戦没者を慰霊することについての話を折々に伺いました。そういう中で私も私の兄妹も育ちましたので、そのことの大事さ、これからも慰霊していくことの大切さは常に頭の中に入れていますし、そういう機会に、私自身も実際に慰霊祭とかですることがありますけれども、慰霊する行為と共に戦争で亡くなった人たちのことに思いをはせる、そのことの大切さを感じています。よろしいでしょうか。

 記者 来月には眞子さまがホンジュラスとエルサルバドルをご訪問されますけれども、両殿下としてはどのようなことを経験され、期待されているのか、教えていただけるでしょうか。

 秋篠宮さま 彼女にとって初めての海外の公式訪問になるわけですけれども、私の最初の海外公式訪問がブラジルだったのです。当時22歳ぐらいで、もうちょっと若かったですね。海外の公式訪問を通して、私自身もさまざまなことを学ぶことができました。私自身はエルサルバドルもホンジュラスも行ったことがないので、どういう感じなのかは分かりませんけれども、やはり公式訪問を通して得ることは非常に大きいと思いますので、さまざまな経験をしてきてくれたらいいな、と思います。あなたは。

 紀子さま はい。12月の外国訪問は宮様がお話しされましたように、長女にとりまして初めての公式訪問となります。今まで国内で、都内そして地方の公的行事に出席する経験をしていますが、今回は初めて日本を離れて遠く海外でのお務めをさせていただきます。私たちはこの前ブラジルから帰国しましたが、その留守中にも関係者から話を聞き、自分でも本を読んでいたようです。そのような準備をしながら、訪問の日を迎えることになると思いますが、体調を整えて、訪問先でも元気に務めることができるようにと願っております。



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焼けた炭火の上で。






「国連演説の皇太子さま 雅子さまから英語レッスン受けられた」

女性セブンがやってます。ことここにいたって(舌かんじゃいましたわ)、まだやってます。

すごいわー。よくやるわー。

どなたかは忘れましたが、戦後、世の中が一変して、奥の方のことなども雑誌があれこれ書きたてていた頃。

基本は皇族はそういったものに応戦はなさらない、どんな意味でも、いわゆるスルー。なのですが、かつて、中のお一人が

「あの人たちも書かなければ暮らしができないのであろう」

と仰せでありました。


20世紀の、ある異常な時代については知らず。

いつの世にもこの国の市井のひとびとは、表で口に出すと捕まっちゃうようなことでも、壁に耳の無いあたりでは、天子さまやお公家さん方のこと、ひそひそと、隠語も用いて、思うことは言ってもいたのですけどね。言いたい人はね。笑ってもいた。

もっと多くの人々は、天皇さまのことなど、意識の隅にも置かないで暮らしていたでしょう。懸命に働いて生きて死んで行った、ふつうのひとびとは。


基本、皇族は世人が騒ぎ立てることには応戦せず、と上に書きましたが、いちいち気になって、言い訳本は重ねてお書かせになる、週刊誌にはこれはそうではない、と命じて糺させる、どういう方もおられます。皇室の人となられて幾星霜なれど、中身、本質は未だ、のお方なのだと推測します。不安神経症の一種かとも。

自分への評価が、気になって、なって、なって、いても立ってもいられない。お気の毒なご老境。

焼けた炭火の上で、永遠に踊り続けなくてはならない罰を受けておられるような御ありさまかと。

誰が命ずる罰ではないように思うのですが。



セブン誌の以下の記事(セブン・ポストより)。

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約35分間にわたるスピーチの後、会場は大きな拍手と歓声に包まれた──。

 11月17~21日、皇太子さまは米・ニューヨークを訪問された。18日には国連本部の総会議場での『水と災害に関する国際会議』に出席され、英語で基調講演を行われた。

 水災害の歴史や衛星技術を活用した最新の防災対策などを紹介し、講演の終盤には“急速に進歩する科学技術の恩恵が、世界の、特に貧困に苦しむ人々に隅々まで行きわたるよう、国際社会の一層の連携協働を期待します”と熱く語りかけられた。

「今回のスピーチはいつにも増してお気持ちがこもっていらっしゃったと評判になっていました。皇太子さまはもともと英語の発音がきれいだといわれていますが、さらに、間の置き方や目線の投げ方などブラッシュアップされた印象がありました。各国の有識者たちも熱心に聞き入っていましたし、終了後には、皇太子さまの周囲に賞賛の人だかりができていました」(皇室記者)

 23才から2年間、イギリスのオックスフォード大学へ留学されていた皇太子さまは、英語が堪能なことで知られる。

「もちろん日常会話などまったく苦労はされないでしょう。ただ、数多くの海外ご公務をこなされるなかで、より品格のある、説得力のある英語をお話しになりたいという思いをお持ちになっていたようです。今回、皇太子さまの英語力向上の陰には、雅子さまのバックアップがあったようです」(東宮職関係者)

 幼少期を旧ソ連とスイス、アメリカで過ごされた雅子さまは高校時代に再び渡米し、名門ハーバード大学を卒業。外務省に入省後は、通訳としても力を発揮された。

「雅子さまの英会話の格調の高さと美しい発音は省内でも飛び抜けており、当時大変話題になりました。読み書きも“英語の方が表現しやすい”とおっしゃっていたそうです」(ベテラン皇室記者)

 現在でもその英語力は健在。今年6月にフィリピンのアキノ大統領が来日した際も、英語のスピーチを、手元の日本語訳に一度も目を落とさずにお聞きになっていた。

「ニューヨーク訪問直前の7日間、雅子さまは側近や関係者などを入室禁止にして、皇太子さまにマンツーマンで“スペシャル英語レッスン”をされたそうです。原稿の読み方や英語のイントネーション、テンポなどについて、ご自身の経験にもとづいて細やかにレクチャーされたそうですよ」(前出・東宮職関係者)

※女性セブン2015年12月10日号

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ふうん、そうだったんだ~。

そうだったんだ~。

ナルたまは、英語の発音がもともときれい、と。

聞いた方にはわかることです。そして聞いた方は、そんな風には感じなかった・・・のではないでせうか。ちなみに。

わたしのおっとは、水の専門家の一人です。

ど変人。山奥の実験室で、ああしてこうして、どんな風に何をしたら、汚れた水を再利用できるか。

だけを考えている、作業着姿の仙人みたいな人です。その人が、人が苦手ゆえに唯一の「トモダチ」である私にむかって。このたびも言うてた。ナルさんが行った、国連の何たらという会合のことを。

「何の意味も無い会合。何も言っていないスピーチ。要するに、あの人にアタマ下げさせられに行きはってんやろ」

同感です。

この記事も、そういう感じ。

皇太子さんやまさこさんをどう上げようと雑誌の自由、とは、言えないと思う。もう、言えないと思います。





母なき子らの




密かにリクエストをいただき、自身、 関心もありましたので、皇后美智子さまのうたの中から、愛児を詠んだ幾首かをひろってみました。

愛児とは、長男の浩宮さん、後の皇太子さんのことです。

あの方に、他にお子はあれども「愛児」と呼べるのは、ナルたんだけでそ。

イヤミはこれくらいにして、皇太子のうた、探してみます。

以前紹介した、お産みになった直後の、絶賛された「あづかれる宝にも似て」は割愛、ここで私感を述べます。

・あずかれる宝にも似てあるときは吾子(わこ)ながらかひな畏れつつ抱(いだ)く

当時のうたの師、五島美代子氏の優れておられたことをひしひしと思わせる一首です。

「わこながらかひな」と、八音。一音の字余り。そこから「おそれつつ」と繋がってゆくあたりが、入内後にうたを始めたお方のものとは考え難く。お上手なのです、ものすごく。

別に、そんな尖らなくても、先生がいささか手を入れて、あるいは入内直後(もちろん今に至るまで)のまさこさんのうたのように、ほとんどが・・・ってことも、解っていて口をつぐんで成り立っている「世間」もあるのに、と、己を嗤う思いもあるのですが、今の気持ちで美智子さんを思うと、本当のところを突っ込まないでいられません。

KUONも阿呆な、アサハカな人間と、つくづく、思いつつ。思いつつ、やる。(笑)。

うたを詠むには、詠みたい、訴えたい思いと、ほんの最小限の技術。きまりごと、さえ、あればいい。

人の胸に入って来るうたと、技術的に巧みなうたとは、違う。

そう、考えるものですが、おそらく自分自身に対する感受性には鋭いものもあった美智子さんを、大ウチワで煽いで(あおいで)、

「歌人としても素晴らしい美智子さま」と、当時、持ち上げた、世の中の「風」のようなものが、あった。ということであり、あまり本当には賢くない、自分を大好きな文学少女くずれのヒデンカが、そこに、気持ちよく乗った。

そういうことではなかったか、と、推察します。

それまでではない妃殿下像。それまでの日本の皇室ではない皇室を、つくってゆくために、美智子さんは入られた。

ふと想う、ハープの先生はどうお思いだったか。豪華なハープの傍らでドレスアップしてポージングしていた、あの美智子さんの、盛り上げたアタマの中には、どんな思いが詰まっていたか。あのハープはいずこへ。

すべて、見えてくる。

おそろしいことに。実感しています。


・・・・・・・・・・・「皇后美智子さま 全御歌」より


・若菜つみし香にそむわが手さし伸べぬ空にあぎとひ吾子はすこやか

 ・わかなつみし かにそむわがて さしのべぬ そらにあぎとひ わこはすこやか

                             昭和36年


KUONはこのうたの「わこはすこやか」に、後のまさこさんの、愛子さんについての「ウチの子は元気で嬉しい、だって世間には」という後の発言の中の「・・・そうでない子も」という、皇室の人として「ダメ」な匂いを感じます。まさこさんの有頂天な顔を見た後で、そう、感じたと言うのが正確です。

おのが子の健やかなことは、どの母にとっても自然な願望。強固な願い。考え過ぎなのでしょう。ただ思う。

自分の子にのみ、かまけ、捉えられないために、高貴なる方々は、煩悩と同じ意味を持つことの多い「子への愛」に、縛りをかけられたのではないか、と。手元から離し、専門の養育係の手に、特別の家の子、公としての子、として生い立たせるために。

感想はあくまで、KUONの実感に尽きます。



・長き夜の学び進むは楽しとぞ宣りし子の言葉抱きて眠る

 ながきよの まなびすすむは たのしとぞ のりしこのことば いだきてねむる

                              昭和55年


秋の夜長に、夜が長いから勉強が進むと、子は言う。嬉しさに、その言葉を胸に抱いて眠る、といううた。

このお子さんが、学びには難しい面をお持ちとは、当然わかっておられての一首でしょうか。

それでも真面目に学ぶ子が愛しくあられたか、吾子はこんなにも真摯な若者ですよ、と(外に向けて)詠んでおかれたかったのか。ナルさま二十歳。「宣る」の言葉は、息子にでなく、いずれの東宮殿下への敬意をこめて選ばれています。

お勉強はどうでも、浩宮は、どうでも天皇になる息子である、と。揺るがない母の気持ち。確かに、そうではある。

勉強が得意でない、だけならば。それだけなら。問題は無かった。皇后に、不向きな子ならば公人として判断をする。という、まともさがあれば。今のようにはなっていなかった



・この月は吾子の生れ月夜もすがら聞きし木枯の音を忘れず

 ・このつきは わこのあれづき よもすがら ききしこがらしの おとをわすれず 

                            昭和57年 


またこうして、追憶の中におられる美智子さん。

夜をこめて吹きすさぶ木枯しの音の中に、不安や希望や・・・しかし凩を聞きながら希望はうたわないか・・・何がそんなに、不安だったのでしょう。初産への恐れは、ままあること。でも、会うさえ難しいと報じられたのは偽りであって、実家のお母さまの励ましもたっぷり、医師団も最高のチームが完璧に用意されていて。

たとえば防空壕の中で、いつ爆撃されるかの恐怖の中で、人のひしめく暗闇の中で、苦しむ妊婦から無事に子をとりあげ、自身は命を使い果たした助産婦さんを、うたった「生ましめんかな」の詩など、好んでお読みになるような方の気がします、美智子さん。そういうの大好きなような。

ご結婚たちまちにして、妃のつとめの何より優先事項。大事のお子を、みごもっておられるの御身。

何をそこまで、思いつめておられたのでしょう。



・外国に吾子離れ住むこの年の夜のしづけさ長く思はむ

 とつくにに わこはなれすむ このとしの よるのしづけさ ながくおもはむ

                         昭和58年。


浩宮、英国へ留学中。オックスフォード大学。弟君の礼宮親王殿下は、「兄は留学などしないで早く結婚なさって何人かお子をあげられたらいいのに」の趣旨の発言をしておられたそうで。お若いのに、よくわかっておられた。

まこと、その通りだったような。イギリスでは、いとこの長女さん(Tちゃん)のようなやばくてイケナイこといっぱい、は、されなかった(ようせんかった)けれど、パブで酒呑むことは覚えた。庶民的な日本のプリンス、と、持ち上げられていた。

お母さまのこうごうさまは、

「浩宮はわたくしのお酒の先生です」

と笑顔で語る、陶酔ママ。

この翌年、3月、ママは留学中の息子さんの様子を知りたくて渡英されていますが、年表には「視察」となっています。こういうの、公人の特権ですよね。(笑)。

この構図は他にも多く撮られていますが、突っ立って無表情のナルさまに、おもねるごとき美智子さまは、下からご尊顔を見上げる風に、愛しい息子の表情の自分に向かうことを、切望しておられるのです。

びっくりするような「こっち見て顔」でいらっしゃいます。

最後の7文字「長く思はむ」になっています。

長く思おう、あるいは、長く思うだろう、と。

今はこんなに淋しいが、これはいっときのこと、

あの子が帰ってくればまた、ワタシの傍にいてくれる、母子の蜜月の時も戻るはず、と。

たとえ住む家は違ってしまっても、ママのところへ日参してくれる息子さん。で、ありましたか。


・吾子遠く置き来し旅の母の日に母なき子らの歌ひくれし歌

 ・わことほく おきこしたびの ははのひに ははなきこらの うたひくれしうた

                    昭和37年「熊本県慈愛園子供ホーム


この時、ナルさんは二歳。あの子はどうしているかと、思うだけで胸の締め付けられる愛し子。

訪問先で、お母さんの無い子たちが、妃殿下のために、いっしょうけんめい練習した歌を、歌ってくれた。

母の無き子とはいえ、生まれた時にはその子の母は、いたのです。

どんな事情でか、子を手離した母がいて、母から離された子がいる。

よそ見していれば先生は注意したでしょう。ふざけたりしても、気持ちをわかってくれる前に「ダメよ」と制したかも。

きれいな優しそうな、みちこさまという方は、いっしょうけんめい歌を聴いて下さって、拍手もしてくれて、みんなの顔をぐるりと見て下さって、先生方に、どうぞよろしく、みたいに言って、手を振って笑いながら、待っていた大きな車に乗って、帰って行った。

お家には、美智子さまという人の、子どもが、待っているんだって。美智子さんは、きっと、その子がいちばん、好きだよね。

ぎゅうう、して、ちゅっとして、いつまでも、アタマを撫でてあげるんだよね。

そういう、えらい優しいひとたちが、来て、お菓子など下さって帰る。

そういう日が、後が、母のいない子どもたちには、いちばん、淋しい。

って、美智子さんという人は、知っているのかしら。

言っても仕方がない。

仕方がなくは、あるのですが。

ご慈愛に満ちたおうたのようであって、自分の感情を中心に据えたうただと思います。

母なき子ら、は、歌材。とまで、読んでしまう自分に、疲れます。(笑)。



まだまだありますが、今夜はここまでとさせていただきます。

・・・・・幼い頃の紀宮さまをうたったうたも、幾らかはあります。

アーヤさまは「おやんちゃ」で、おたたさまには詠み辛いお子さまだったのかな。うにゃああ、と抱きしめてポーズとったら、もがいて逃げて行きそうな。

礼宮さまのうたが、無い。




メメント モリ - 死を忘れるな




いまにありせば卒寿なる

三島由紀夫の祥月命日とや けふ

四十五歳を一期となし

国を思ひ国を憂ひし日本男児

みずから命をたちたまひぬ

野次と怒号のなかにして

世に訣れけり


われはしも

右翼にあらずさりとて左翼にてもあらざり

ただ憂ふ 惜しむかな

うるはしき

大和言葉の あれ すさみゆくを

言葉もてかよふ世界の

渇きゆくことを


日本は日本人のものなり

目のいろ肌のいろはいかにせむ

日本の人のこころにて生きたまふ

ひとびとのものなり


ブログ「不必要な善意」で三島由紀夫、市ケ谷駐屯地での檄文全文を読み、三島由紀夫について書きたくなりました。

ブログ主さまのお気持ちとは、ろんぱり、な(この言葉おわかりになりますか?)な方向からの感慨とは承知しておりますが、書きたくなりました。


平岡公威(三島由紀夫) 8歳の詩


「冬の夜」

火鉢のそばで猫が眠つてゐる。
電灯が一室をすみからすみまでてらしてゐる。
けいおう病院から犬の吠えるのがよくきこえる。
おぢいさまが、
「けふはどうも寒くてならんわ」
とおつしやつた。
冬至の空はすみのやうにくろい。
今は七時だといふのにこんなにくらい。
弟が、
「こんなに暗らくつちやつまんないや」
といつた。


平岡公威(三島由紀夫)、9歳の作文


「大内先生を想ふ」


ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。
どうなさッたのか?とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。
その次の図画の時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。
まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。それには大内先生のお亡くなりになつた事が書いてあつた。
むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。
そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。
僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみがついてゐるやうに思はれた。


「夕ぐれ」


鴉が向うの方へとんで行く。
まるで火のやうなお日様が西の方にある丸いお山の下に沈んで行く。
――夕やけ、小やけ、ああした天気になあれ――
と歌をうたひながら、子供たちがお手々をつないで家へかへる。
おとうふ屋のラッパが――ピーポー。ピーポー ――とお山中にひびきわたる。
町役場のとなりの製紙工場のえんとつからかすかに煙がでてゐる。
これからお家へかへつて皆で、たのしくゆめのお国へいつてこよう。


メメント モリ  とは

「死を忘れるな」という意味の、ラテン語だと聞いています。

いま生きている自分は、いつか必ず死にゆくものである。

それを、忘れるな。と。

知った時に衝撃を受けた言葉の一つです。

どう言えばいいかうまく言葉を掴めませんが。

その日まで、自分として生きて行くんだ、生き抜きたいものだ、と。

届いたばかりのサイバラ漫画を楽しみに脇に置いて(西原 理恵子はすごい人物です!)、のほほ~んとコーヒー楽しみながら。

朝から、思いを飛ばしておりました。

さあ仕事しよ。





白木華子さん。




ウィキペディアを眺めていました。

なんだか不思議なおかしみを与えてくれる、ひそかなお気に入りの記事たちなのです。

皇后美智子さまの項の「発言」を、読んでみました。読んだら突っ込みをいれたくなるのは、私の悲しい(え?)サガです。

ふと気づくと、パソ打つ指が勝手に動いて、緑色で突っ込んでしまっていたのでした。。


発言[編集]

「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました」 - 1958年(昭和33年)11月27日、婚約決定記者会見での明仁親王評

「魅力を感じ致しました」っておかしい。と、思っていたのは自分だけでない。と、強く実感した時、とても嬉しかったKUONでした。。

「難しいこともたくさんありましたし、辛いこともあります。いつになったら慣れるのか見当がつきません。(中略)時には八方ふさがりのような気持ちになることもあります」 - 1960年(昭和35年)4月11日、結婚一周年の記者会見で

堂々とこれ言ったのね、と、びっくりして同時に、このひとは大丈夫なのか? と、強く実感したのが自分だけでない・・以下、略。

これ、言うか。わからなくはない、幾むかし前の女性たち、規模は小さくもそうであった。でも。皇太子妃が、記者会見で言う言葉か。

難しい、辛い、と。アタシのどこがいけないの、と。いじめがひどいのですわ、と?。実家のハハは、ふつう、こんな暴挙に走るムスメさんを叱ると思ひます。


「わたくしも差し上げるのならお点ではなく、感謝状を」 - 1984年(昭和59年)4月10日、銀婚記者会見にて。明仁親王の「点数を付けることは出来ないが努力賞ということで」をふまえ

にこにこ、を跳び越えて、いちゃいちゃのカップル。あられもない、と表現されるかな。

「平成初めての大会に当たり、昭和22年以来、42年の長い年月にわたって名誉総裁の責務をお果たしになった皇太后陛下に、わたくしどもの深い感謝をお奉げしたいと思います」 - 1989年(平成元年)5月31日、平成元年全国赤十字大会にて

思い過ごしかもしれぬ。知れぬが、アゲているようで、思いっきりご自身が上位におられる気がします、KUON.。なんか、言い過ぎなんですミテコさん。いつも。

「変化の尺度を測れるのは皇位の継承に連なる方であり、配偶者や家族であってはならないと考えています」
「どの時代にも新しい風があり、またどの時代の新しい風も、それに先立つ時代なしには生まれ得なかったのではないかと感じています」 - 以上1994年(平成6年)10月20日、還暦文書回答にて、皇后美智子が天皇とともに皇室に新風を吹き込んだという指摘に対して

重い発言でっせ。ゆっくり考えようと、いま、思いました。

「国民の叡智がよき判断を下し、国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていることが、皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます」 - 1995年(平成7年)10月20日、誕生日の文書回答にて

これも重たい。重いでなく、重たい。

これ、皇后が発する言葉か。ここでも言い過ぎている。美智子さんは皇后であって。なんぼ、天皇さまがよお言わんからと言うて。

いまさらですが、止める人もいないのですね。


「常に国民の関心の対象となっているというよりも、国の大切な折々に、この国に皇室があって良かった、と、国民が心から安堵し喜ぶことの出来る皇室でありたいと思っています」 - 1996年(平成8年)10月20日、誕生日の文書回答にて

皇嗣があれで、皇嗣のツマがあれで、いま、国の大切な折りですが。

安堵はできず、喜んで見られる皇室ぢゃあ、ないんです。

言い過ぎ美智子さん。


「不思議な波が、私たちの少し前で何回かとまり、左手の子供たちが、心配そうにこちらを見ておりましたので、どうかしてこれをつなげなければと思い、陛下のお許しを頂いて加わりました」 - 1998年(平成10年)10月20日、誕生日の文書回答にて、長野パラリンピックでのウェーブ参加に関して[25]

お茶目で可愛くてノリのいいアタクシ。を、陛下が、嬉しそうに眺めておられました。

いけなくはないとは思います。皆さまおヨロコビでいらしたようで。どこのお妃さんもたぶん、なさらないことですしね。

で。お茶目で可愛いアタクシをやっちゃって、満足されたのですよね。アタクシ完璧、こんな気さくな面もあって・・・うふ。


「どの時代にも皇后様方のお上に、歴代初めての体験がおありになり(中略)先の時代を歩まれた皇后様方のお上を思いつつ、私にも時の変化に耐える力と、変化の中で判断を誤らぬ力が与えられるよう、いつも祈っています。これからの女性皇族に何を望むかという質問ですが、人は皆個性を持っていることであり、どなたに対しても類型的な皇族像を求めるべきではないと思います」 -
2002年(平成14年)10月20日、誕生日の文書回答にて[15]

断固として言う。

私人の部分では個性もいろいろとお持ちであろう。

公人である時には、類型的な皇族像で、おられることを望みます。

美智子さんの一番愚かなところ、そして、肌身に貼りついて除けようのない、根本的な「公人失格」の面です。


「清子は、私が何か失敗したり、思いがけないことが起こってがっかりしている時に、まずそばに来てドンマーインと、のどかに言ってくれる子どもでした」 - 2005年(平成17年)10月20日、誕生日文書回答にて、数日後に控えた清子内親王の降嫁を前に[26]

そんな素晴らしい一人娘さんを、。以下、紀宮さまに申し訳なく、自粛します。

「東宮妃の公務復帰については、専門医の診断を仰ぎながら、妃自身が一番安心できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく、しかし、その日が必ず来ることに希望をもって、東宮妃も、また東宮も、それまでの日々、自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています」 - 2006年(平成18年)10月20日、誕生日の文書回答にて[27]

「希望を持って」の部分に、何か、感じてしまいました。まだ雅子さん、初まって数年後ですね。どんどん悪化しています。

「(かくれみのを用いて)混雑する駅の構内をスイスイと歩く練習をし、その後、学生のころよく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もう一度長い時間をかけて本の立ち読みをしてみたいと思います」 - 2007年(平成19年)5月14日、欧州諸国歴訪前の記者会見にて、身分を隠し好きな所で一日を過ごすとしたらという問いに対し[28]

まあ、わからなくもないですが。

本屋は立ち読み客は迷惑です。まあ、これはマジメぶった「正論」。ホントではありますよ。

立ち読みできる人は、強引に豪邸建てさせたり、その他あれもこれも、不可能な人なわけで。

お茶目で可愛くて気さくなこーごーさまを、ここでも演じることができましたね。ぱちぱち。何かの折に、広いお庭に、古本の屋台をしつらえさせて、心行くまで立ち読み。することだって、あなた様にならお茶の子さいさいよ、こーごーさま。


「皇太子妃の健康についての質問ですが(中略)妃は皇太子にとり、また、私ども家族にとり、大切な人であり、「妃の快復を祈り、見守り、支えていきたい」という、私の以前の言葉に変わりはありません」

「私ども家族にとり」って。どこからどこまで線引きでの「家族」ですかしら。

国民にとっては、私が思うだけなのですが、いらじらしいかも、なのですが、その「妃」さん、困った存在になってしまっておられます。

家族として、内内のヒトとして、そおっと手厚く面倒見て差し上げてくだせえよ。放し飼いは禁じられている国ですよ、ここ。


「この頃愛子と一緒にいて、もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります。周囲の人の一寸した言葉の表現や、話している語の響きなど、「これは面白がっているな」と思ってそっと見ると、あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて、そのような時、とても幸せな気持ちになります。思い出して見ると、眞子や佳子が小さかった頃にも、同じようなことが、度々ありました」 - 2008年(平成20年)10月20日、誕生日の文書回答にて[29]

そのようなお孫さんでいらしたら、どんなにか、よろしかったでしょうね。

眞子さま佳子さまとは、常におっしゃるお言葉「それぞれの「個性」が、異なっておられるように、傍からは感じられるのでございます。

と申しますか。

そんなに、美智子さん流の言い方で「お可愛い?」お孫さんがた。


「この度も私はやはり感謝状を、何かこれだけでは足りないような気持ちがいたしますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます」 - 2009年(平成21年)4月8日、結婚50周年記者会見にて。先の25周年記者会見での発言をふまえ[30]

よくできまちた。おしやわせそうでなによりです。

跡継ぎさんを何とかして下さいな~


「東宮も秋篠宮も孫として昭和天皇のおそばで過ごす機会を度々に頂き、また成人となってからは、陛下をお助けする中でそのお考えに触れ、日々のお過ごしようをつぶさに拝見し、それぞれの立場への自覚を深めてきたことと思います。これからも二人がお互いを尊重しつつ、補い合って道を歩み、家族も心を合わせてそれを支えていってくれることを信じ、皇室の将来を、これからの世代の人々の手にゆだねたいと思います」 - 2009年(平成21年)11月11日、天皇即位20年に際する記者会見にて[31]

途中から、こうごうさんでなく、天皇さんの言葉だと、つい、聞いてしまいました。てへ。

それぞれの立場の自覚ってどんなんですか。秋篠宮さまは慎んでしんどいことは引き受けなさい、家族一同、当然そう、目立たないでいなさいよ。ですか。

皇太子は、何かを自覚出来る方なんですか。そこから、話は、始めましょうよ。


「これがミクちゃんですか」 - 2013年(平成25年)8月20日、六本木ヒルズ・森美術館でのLOVE展にて[32]

出たぁ!。いつまでたってもかわいいあたくし。

「80年前,私に生を与えてくれた両親は既に世を去り,私は母の生きた齢としを越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思い出と共に,同じ朝『陛下と殿下の御心に添って生きるように』と諭してくれた父の言葉は,私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います。」 - 2014年(平成26年)10月20日、皇后誕生日に際し、80年の傘寿を迎えて[33]

小さい声で言います。

お父さまとのエピソード、ほとんど聞いたことがありません。長女なのに。そして、

お父さまの言って下さったこと、まったく、全然、ちっとも、見事に聞かなかった。

完璧にスルーしたったんですね、み・ち・こ・さま。


子女[編集]

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それと。

たまげた話も記載されておりましたわ。

これ、するか~??? の話。それ書いて、寝ます。

宮内庁職員組合文化祭には白木華子(=白樺子→シラカバ)の名前でひそかに手芸作品を出品したことがある。その時、紀宮清子内親王も「川瀬美子(かわせ・みこ→カワセミ)」の名前で出品した。



白木華子

川瀬美子

はじめたまげて、いま、腹が立っています。ものすごく。




BBさまありがとう。




いま、仕事のあいまのいっぷくどきです。

BBさんがしばらくブログをお休みなさるとのこと。

ひとことで申し上げれば

「すごいひと」

でした。すごい方です、BBさんは。

時に当然のことに、考え方、感じ方に相違のあることもありましたが、崇敬の念には変わりはありません。

すごい方です。

学ばせていただきました。

残しておかれるというサイトを、読み返しに、今後ものぞきに通うと思います。

徹底的に「~らしい」「~だそうだ」を排して、真摯に事実を積み上げて行こうとなさった方。

BBさんがしばらくとはいえ、去られた後に、いたずらなセンセーショナリズムの嵐が吹きませんように。

いたずらに人格そのものまで否定し、踏みつけにするような風が吹いて来ませんように。

などと、思ってせんないことを、ふと思い。

BBさん、お疲れ様でございました。ゆっくりお休みに・・・と、きいた風な口はきかないようにしましょう。笑。

自分のこの場で、今までのお礼を申し上げました。

ありがとうございました。



更新の間を今までよりあけられるだけで、

談話室「なまずちゃんの部屋」としておいておかれるとのこと。


私の手元にも、ナマズの図柄の肩かけバッグが届きました。カジュアルな服装の時、アジアンな感じにも似合いそうです。紬などの着物にこういうの使って違和感のないお洒落さんだといいな。とも感じました。

もうすぐ京都に行くので、秋篠宮さま・なまずグッズ、大人買いを目論んでおります。






目立ちたいの。だと!。




前記事を書いている途中、少し休もうといったんやめて、あちこちのブログを読ませていただいて、BBさんのところを訪問しました。

皇后美智子さんが、普段のへんてこな服で目立って喜んでおられるくらいは(本人的には)どうとして。

対・よその国での衣装選びが、間違っていて失礼で、それも並の失礼ぶりでは無かったとの検証を読ませていただいて。

どうしても、書きたくなったことがあります。

過去の美智子さんの「名言」中にある本人の言葉です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

気を使うというより、

今でも迷い迷い着ている

こともあるのです。

                      昭和60年(1985)、51歳の誕生日を前に


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

学生時代はずっと制服でしたので、

(中略)今は、明るく澄んだ色で

着てみたい色がたくさんあります。

                      昭和57年(1982)、記者会見で


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

帽子は服によって

決まります。

淡い色の服を着た時、

黑い髪が少し強く

感じられることがあって、

そんな時、帽子で

髪の一部がおおわれると

安心します。

                        昭和57年(1982)、記者会見で


・・・・・・・・・・・・・・・・・

美智子さんは昭和9年(1934)のお生まれですから、この発言は50歳前後のものです。



ただお一人の内親王、紀宮さまがご降嫁になったのは、平成17年(2005)、これらの発言の20年ほど後。紀宮さまは、慎み深いご性格のゆえもあってか、目立たない地味な装いでいらっしゃいました。

お母さまはずっとずっと、自分のための装いばかりを考えておられたのが本当だったと推察されます。

皇后さまって。世の中は使い捨て着捨ての風潮のあろうとも、上質なものを、品よくお召しのご存在と、考えてしまいがちなのですが。そうであれば安心なのですが。

ぜいきんぜいきんと、言い立てない・・・たぶん。

まだまだいろんな色を着てみたい。そうだったのですか。


                            

チャールズ英王子とレディ・ダイアナの結婚式に出席したのは、この発言の頃、昭和56年(1981)ですね。

結婚式列席に白い衣装、帽子の後ろにヴェールまで曳いて。この時に、ヨーロッパのそういった世界でのプロトコルを無視していたばかりか、変な帽子のデザイナーに「目立ってよかった」と言っていたことを、当のデザイナー氏が語っています。

過去にも貼りましたが、その時の動画をここに。





美智子さんが、だ~い好きな(軽薄とわかって言ってます)ローマ法王さまに対しても、縷々、激しいやらかしであったこと、BBさまの記事で(すでにご存じでしょうが)読まれると。

恥と怒りと表現しようの無いダークな感情に、血管がぶちきれそうになりました。KUONは。




もういいから、とものーさん。




週刊誌ネタです。

友納尚子が、また書いております。雑誌の紙面を買い取っての絶賛誉め上げ、PRの数ページ。週刊文春。

依頼されてうまいように書く係が、雅子妃に関しては、この(元風俗)ライターなのです。

盗撮の夜、どこへカメラを潜ませてとか、脱衣所撮影では自分もマッパで、とはここには当然、書かれておりません。風俗記事から皇室記事へ。


友納女史の記事とはおそらく関係なく、同誌は、モノクロームのグラビアの写真、見開きの`CATHE UP‘ページに、あの記念的な一枚を掲載しています。

雅子さま、12年ぶりの園遊会で見せられた

           ‘ワインレッドの洋装‘と‘笑顔‘


タイトルはそれらしくそれですが、紫芋、布団袋、もっと言えば「尊師色」のスーツの色は黒白ページなので判らず、です。

左端に、私が気になった、陛下について歩いておられた真面目そうな紳士、指先は礼儀正しく伸び、顔は、現れた雅子からとっさにそむけて、わたくしはアレを見てない、見てません、の。うつむかれた表情。

どんな風にまさこが思われているかよく解る。皇室に近いあたりに職を得て、こんなトンチキチンの現場にいるご自分、を、何と思っておられるか・・・すまじきものは宮仕え。でしょうか。皇太子よりはるかに上品そう。ご先祖様に申し訳ない、とか思われるか。

その右隣に横顔のナルたん。おしっこの漏れた、けっこう大きな広がりもそのまま写っています、両手をお股の前にぱっとして、その手は隠したいのか、漏れた自覚がおありだったのか。隠しても、におい立ったかもしれません。

ナルさまだけを貶めはしません、奥さまもきっと。匂いって慣れるものです。

不潔にも。洗髪意欲の喪失にも、ウソも盗みも、すぐに慣れます。・・そうなのでしょうか?。


その隣に、両脚ひらいて前で手を組んで、手袋しっかと握りしめて。

逃げたい逃げたい早く逃げたい、なんでこんなとこにアタシが、アタシがいるとこなんかないきゃない、の笑顔もどきを顔面に貼りつけて、まさこ、己のことでいっぱいいっぱい、元より、亭主の困っていることなど意にも介しておりませんまさこさん。

不幸な結婚のサンプルケースかも。国民がすっげぇ、不幸です

ナルとまさこの間に、白髪の和服の婦人の頭部がかすかに見えています。小柄なこの女性は、激しい侮蔑を隠そうともせず、睨みつけておいででした、あの内閣参与の夫人でいらっしゃるか。そのご夫君の、ナルの向こうにおられるはずの、特徴あるおつむは、この場面には見ることができません。

そういった人物模様と関わりなきがのご様子で、右のページには天皇と皇后が、ニコニコと。不必要なくっつきようと思われるザマにて。接客しておられます。皆さま、さぞやお喜び・・・一世一代の名誉と思召され・・・

両陛下が向いておられる方向の、招待客の皆さまの表情は、全く見えません。皆さま、ほぼ全員、後頭部をのみ、カメラに撮られておられます。どこをご覧なのか?。

写真のことはここまで。

ナルさんの股間のシミが消されていないのに、少し感慨を抱きました。・・カメラマンもチェックを入れる係の方も、事情を全く知らなかっただけで?、だから?、皇太子殿下の股間のシミを?、消すこともなかった?

どうなのでしょうね。


友納の記事は、いつもの様式美。美、という文字は使いたくないが、

「ワインレッドのスーツに秘められた決意」

がタイトル。まさこさまとみちこさまには多くの共通項がありますが、この、決意ばっかりしている、ここも同じです。

涙の決意。誓いの決意。愛の決意。もう決意はいい。 

そして決意の後、ラスト、〆は、

これも盤石の定番・キメセリフ様式。

>ご回復へ向けて大きな一歩を刻まれた雅子妃。復帰への期待はより高まるだろうが、静かに見守り続けることを忘れてはならない。

こうです。エラそうです。誰に向かってもの言うか、友納。雇い主が誰であろうと、その雇い主がそもそも下賤のヤカラ。

>復帰への期待はより高まるだろうが、静かに見守り続けることを忘れてはならない。

いや。期待はしていないし。高まらないし。高まるのは、廃妃への機運だけですが。

見守らない。


内容的には目新しい感じは無く。

[ご出席を果たされた」「急遽お出ましになったり」「異例ずくめ」「自信につながった」「駆けつけた」「感謝しておられる」「安堵された」

と言葉は踊る。うへへ。

あのスーツは、「秋らしい色のものが良いのではないか」と、まさこと女官が選んだ。とあります。

「御所二階のクローゼットから」

女官が何着か出して並べて、云々と書いている友納さんが、御所の様子を存じなのか、どなたに詳しいことを聞いての記事なのか。

常に疑問の湧くあたりですが、もうこれも、どうでもよく。

おわだ夫人は、ご健勝でいらっしゃいますのかな?。

「今回は洋装と決まっていたので」

二十年以上も日本の皇室でヒデンカやっているのに、和服を着られないまさこに配慮して、皇后さんが「洋装」と決めてフレを出した、とは、既に報道されていることです。

この秋は洋装だった。今度の春は、そしたら、和装ですか。

楽しみに待つことにします。



この「洋装」あたりまで書き進んでいた時に、BBさんの最新記事を読ませていただきまして。

皇后美智子さんのプロトコルが、国辱ものだったと知りました。

ひごろ、あの方の服装の奇矯な事には呆れておりました、が、そんな生易しいことではなかったようで。

新しいスレッドを、ぜひ、立てたくなりました。

次の記事に、このまま移ります。



お見苦しいです。




美智子さまに関する本が、矢継ぎ早に世に出されている気がする。

美智子さんなるひとは、何かの集団の「教祖様」であって、ひとびとは、そのお方のお言葉が欲しくて飢えて、つぎつぎに際限なく、その

「真実のおコトバ」

「感動エピソード」

が頭上から降って来るのを、歓喜、随喜のナミダにまみれて待ちわび、受け止め、神棚に据えて日々、おろがみたてまつったり、しておられるのだろうか。

もろびと こぞりて みちこさんをたてまつっているのか。

そうなのか?。

出版不況のこの時代、いっぱんてきには、売れなさそうな本は、内容に関わらず世に出にくい。もっと言えば出されない。本は単なる「商品」、そういう世界でもある。

誰が出すのか、売れる算段は当然あってのことだな、印税は10パーセント確保か、それ以下か、その印税は、どこ宛に振り込ませるのか、皇后さんの通帳があるのか。(笑)。・・・ここは、笑いたかっただけで、この記事の主意ではありません。CDだってDVDだって、いっぱい、出しておられますことですし。

そんなには望まれなくても「ワタクシの真実」やら「名言」やらを、振りまいて、称賛されたくてたまらない人の、なさることと思われる。そうとしか思えない。

自分を憐れむ貴人。毀誉褒貶、一方しか受けたくない公人。

短歌を読んでみた。今も読んでいる。

この人は多重人格なのか、と感じたりしている。うたの話は今後に回そう。

2015年12月19日発行のムックを、昨日、11月19日に買った。一か月後の「発行日」には、まだ変化なく今のままの皇室でいられる、という、今のままに決まっている、という、確固たる信念がおありなのだな。

と、思った。楽観主義なのだな。現実主義か。刹那主義? (笑)。

名言の散りばめられたムック「美智子さま81年の歩み」より。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「子どもを育てるのは

人間の心が中心になるので、

なによりもまず本人の幸せを望みたい。

一番大切なのは、両親が子どもの

個性や発達の型を見極めて、

深い愛情と忍耐で子どもの心を

大事にそだてることだと思います。

          昭和35年(1960)記者会見で


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この時、美智子さんは、25歳。皇太子妃として第一子男児・・親王・・をあげた高揚のとき。

乳母(めのと)を廃止し、おん自らでの子育てを開始された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「この子は将来天皇にもなる方です。日本国民、神からお預かりした宝です。自分の子ではいけないのです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とも発言しておられる。

上記 ↑ の「名言」を解説したページには、

そのような中での美智子さまの子育ては、それまでの「帝王学」的教育ではなく、「心の教育」を第一に置いたものだった。美智子さまは「幸せな子ども」ではなく「幸せになれる子ども」を目指されたのである.<

と、あります。

若き皇太子妃、若き皇孫の母、である美智子さんの、肩パッド不要なほどの肩のつっぱらかしように、驚くと言うか、並でないものを感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「もし、わたくしたちの育児や

教育がうまくいかなかったら、

「これまでのしきたりを無視したからだ」と

言われるのではないでしょうか。

そう言われないためにも、

一所懸命やらなくては・・・・・。」

                  乳母制度廃止について後に。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

誰も止めなかったのね。

聞かなかったのですね。聞かないよ、この人は。忠告は「イジメ」になるパターンですね。

そして誰もいなくなった、と。



皇室からの使者を迎えて

「縁談というものにはストラッグル(闘争)がつきものですからね」

と言い放った実母に、似ておられる。それはそうです。母上に対しては、強い喪失感をもってうたっておられます。

毎月、実家へ帰ってね。中華料理をふるまわれて、お子たちは先に御所へ返して、お風呂まで済ませて実家を後になさってた。

実家とは遠く隔てられておられた、というのは、大嘘です。

母上はご夫君より強く天皇を敬ってまど育てなかったと公言した方。その長女である美智子さまは、つぶさに母を眺めて生い立って。


戦闘的。相手に対して「今に見てろよ」的な態度のあらわな妃殿下だったんです。

まあ。

こうしてお育てになられた御子さまの「なう・現状」は、日本国民皆の、羞恥、ではない、周知のこととなっております。

日本の皇太子は、どうでもいいスピーチにヤンヤノの喝采を受け、そばにはツマもいないからごっきげんの笑顔(・・)振りまき。

NYで、ゴキゲンナルたん。御酒もお進みになられたでしょう。

壇上の潘基文に向かって、いつもふんぞり返っているアレが、深々と礼をしていました。



言葉少なに述べますれば

「帝王学」要ったよねえ、あの、特に長男には。

と、思います。

人は過ちを犯すもの、と、まるで美智子さんの仰るような(仰るだけで実際にそう考える頭がおありかどうかは、この頃不明)性善説みたいなもの言いをすれば。

ナルがあんなんになっちゃっているのは、ホントの事なので、ことここに至れば最低限の措置として、あれらを廃して。

ご自分も、言い訳や服の際限ない新調や(これはついでに書いていること)徘徊について、正統なる殿下妃殿下の扱いについて、誠なる忠なる意見をなさる方(が未だ身辺におられるとして)の言に添って、皇室に、明るい光を再び招き入れること。

くらいのことをなされば、まだギリギリ、なんとかなるのかも。

見苦しいです、美智子さま。

国母などであられるものですか。

我執。盲愛。妄愛。

いく房もの尻尾は、ご自身の目にはうつりませんか、ささくれ、荒み、地を掃いておられますよ。



そうだったんですか。





 ニューヨークを訪問中の皇太子さまは、国連本部で「水と災害に関する特別会合」に出席し、基調講演を行われました。

 日本時間の18日夜、ニューヨークの国連本部に到着した皇太子さまは、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長と懇談されました。

 その後、皇太子さまは、「水と災害に関する特別会合」に出席されました。この特別会合は、水と災害について国際的な共通理解を深め、防災への協力を進めようと開催されたものです。皇太子さまは、この特別会合で、2年前の前回に続いて、基調講演を行われました。

 「水や防災の分野において、急速に進歩する科学技術の恩恵が世界の特に貧困に苦しむ人々に隅々まで行き渡るよう国際社会の一層の連携協働を期待します」

 皇太子さまは、国連の「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁を務めており、講演の後、水の問題について、各国などが報告するパネル・ディベートも聞かれました。(19日05:45)


この訪問に国も政府も関係ありません。行った先で何が起ころうと、政府・首相が責を云々されることはありません。

責任は、東宮職と宮内庁にあります。

とはいえ、そうはきっぱりと隔てさせてくれないことが往々にしてあるとは、ある程度の年齢を重ねた(54歳のこうたいしの年齢をこの例にして支障はありません、54歳ともなれば、かなりのことは判っている、分別のごときも育っている。はず。ではないかと、考えるのですが。

ナルたんは無理か。

行ってしもたナルたんはやはり、日本の何かの代表と、見られてしまうのです。

皇太子の「名誉総裁」の名には、意味はありません。名誉職でいいから人気(じんき)の無い「息子」に与えてやりたい親にとっては、このような名誉総裁の位置も、値打ちがあるのかも知れません。

それは、ナル氏を表に出すことで国が蒙る不名誉な感じと天秤に掛けられるようなものではない。迷惑。

国連本部での講演と大見得を切っておりますが、聴衆は100名にも満たない惨憺たるありさま。もちろん他国の要人など来てはいないし、100人どころか半数、と、書いているところもあります。


ややこしい勢力は、ナル一人のために、国連の、だの。水のシンポ、だの。皇太子のキ調講演だの。

きらきらしい舞台を用意したといって過言でないと思います。

それなのに。・・・・・英語でスピーチできたナルヒト氏が、誇らしいですか。もしかしてそうなのか。(笑)。

jかなしい話です。

私がどんなかなしい虚しいアホらしい思おうと。

ハンキブンと握手している皇太子の写真が、世界中を駆け巡ってしまいました。

嬉しいですか、息子さんが立派にふるまっていて。(誰に話しかけているんだわたしは。(笑)

ハンギブンは、日王の息子、次代の天皇(とりあえず今は)、皇太子と握手する写真を、欲していたのです。それだけ。

ナルたんが好きだからでも、英語でお話できてソンケイしているからでもない。



写真など、撮らせてはいけなかったのに。などと言っても無理・・・、自覚無き者を、地に放ってはいけなかったのに、と嘆いても茶番。

「日本女性の誇り」と表紙に銘打ったムックが出ています。宝島社から。

この出版社では、みちこさんの写真満載のムックなどより、「ばう」を、沢山出してほしい。

表記の仕方を忘れてしまって焦っていますが「ばう」と発音する本を、長年にわたって宝島社は出している。わたしはほとんど読んでいます。ホントに面白い。VOWだったかなあ。BOW? ではないですね。


いや、美智子さんのこのムックも、ある意味、堪らないほど面白いですけどね。



「国の大切な折々に、

この国に皇室があって良かった、

と国民が心から安堵し喜ぶことのできる

皇室でありたいと思っています。

          平成8年(1996)62歳の誕生日を前に。

そうだったんですか、美智子さま。



むすこさん、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長と懇談されました。

反日であることを、まったく取り繕おうともしない人物なのですが。




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