今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

その三




けれど美智子さまが、大変な中へ入って行かれたことは、事実だったと。

感じ入らないわけには行きません。

橋本氏が書かれている限り、昭和の皇太子は、ご自分の「理想の女性」ともして、正田美智子さんを迎えることに懸命でいらした。

エピソード豊富ですし、美智子さまは、自分はその任を果たすにふさわしくない、と、苦しみ悩まれたとも、ここにはあらわされています。今どんどん言われているGHQがどうのとは、この本には書かれていません。そこのところは、ただいまはとりあえず横に置いておくこととして。

大きな問題であった美智子さんの「洗礼」については、

>皇太子の意を十分に受けた宇佐美長官は11月27日午前10時、皇居で開かれた皇室会議に臨んだ。冒頭、議長席から岸信介首相は宇佐美長官に質問を向けた。
「正田美智子さんとキリスト教との関係であるが、洗礼を受けているのではないのか」
鋭く説明を求める内容だった。
長官は居ずまいをただし、静かな口調で申し述べた。
「聖心女子大学を卒業された正田美智子さんは、洗礼を受けておりません」


首相はそれ以上発言しなかった、とあります。他の議員も皇族議員も特に意見を開陳する動きは見せなかった。会議は

「日清製粉会社代表取締社長正田英三郎長女美智子を皇太子妃に迎える」との議案を満場一致で承認した。皇室との整合性は「受洗せず」との一言で整った感じだった。報告を受けた明仁親王はハードルを越えたとの確かな実感を覚えた。

翌34年2月10日、国会の衆院内閣委員会に岸首相、赤城宗徳官房長官が出席し、東宮妃選考過程についての経過説明会が行われた。それに先立つ6日の内閣委員会で宇佐美長官は委員から激しく突っ込まれていた。とあります。

「テニスコートで見染めて、自分がいいと言うたならば、ここにいる代議士さんの子どもたちと変わらんではないか。これが果たして民族の象徴と言い得るかどうか」

長官はこれを否定し、

「宮内庁が責任をもって選んだのでありまして、軽井沢で恋愛が始まった事実はない。テニスを一、二度なさttのは事実ですが、それ以上の交際があったわけではもちろんございません」

「宮内庁が正田美智子さんを選んだほうが、皇太子が美智子さんに愛情を抱くようになったのより早かったのです」


皇室民主化もいいが、一般家庭のムスコが好いた女性と結婚するのと全く同じ行動を皇太子がとって、皇室の尊厳というものが保てるのかと吹きかけられ、ことさらに「見合い説」を強調した形で。と、書かれています。

恋愛は軽薄あるいは「ふしだら」という捉え方で、決して異なる人格が寄り添うための媒体とは考えない。これに対する宮内庁側答弁も委員質問に媚び同調した形であった。と、書いてあります。

「皇太子殿下の慎重なお考えと当局の客観的な調査とが完全に一致し、かつ両陛下のお許しを得て成立することが必要だが、事実その通りに進行した。正田家の内諾を得たのは11月13日だった」   

赤城官房長官もそう答弁している。


「いったい真実はどちらなのだろう」

とまどう国民を前に4月8日、東宮自らの発言を基にしたインタビュー記事が共同通信加盟社の誌面を飾った。

「東宮さまのご結婚は憲法規定にある通り両性の合意による「もので、愛情を基礎にしたもの」

という趣旨が貫かれていた。


執筆したのは私である。と、著者・橋本明は書いている。
                                      p.59~62。

「同級生でありながら通信社記者という微妙な立場に立っていた私は」

と橋本氏は書いている。

「東宮との間に結んでいた公私厳守の紳士協定を一方的に破棄し」

「国民に真実を知らせる方を優先させた結果だ」

と。

インタビュー記事が出た2日前、クラス会で会った氏に、皇太子は率直な気持ちを述べたのだった、と、書いてあります。

>宮内庁に配慮しながらも、自身を語ったことについ「国民によく知ってほしい」と願うようだった。帰り道、私は懸命に考え、東宮を裏切る決意を固めた。

   お喜びの日まぢかに 皇太子、ご心境を語る

   はにかんで‘恋愛です‘結婚生活は公私はっきり


ということだったそうです。

これで著者は、皇太子殿下に怒鳴られ、突き飛ばされ、廊下に放り出され「バタンとドアを閉じたのも皇太子自身だった」

と。

p・65

「明仁天皇のあんなに激しい姿は後にも先にも見たことがない」

「元・馬術部主将の明石元紹は後年になって繰りかえし言う」

と、記されています.
                                      p.66

・・・・ 明仁天皇、と、表記されるのですね。(今回のKUONの感想)。 

・・・・・祖父母の代からカトリック信者、それも筋金入りと目されるおうちの、長女でいらして、ずっとその方面の学校を経ておられて。

洗礼を受けていないと聞けば、普通に「なぜ?」と疑問がわきます。

よほど強い拒絶の思いがおありだったか。しかし、マリアの扮装をなさったり、結婚式の前にヴェールを戴いた写真を撮らせたり。不思議なお方だなあとは、感じます。

幼時洗礼を受けておられると聞く方が、腑におちる状況です。

ただ、いずれ触れるでしょうが、胞状奇胎の手術の後、ずいぶんおやつれになり、ずいぶん儚げで美しい、と思われるお姿で、「伝献」をなさった折に、

「・・・するには勇気が無かったのです。村井さん、わかってください」

                                                 p.25

と、うめきに似て口にされた。

その「・・・・・」が、俗物のKUONが初めに思った〇〇でなく。

その、洗礼のことであったようなことを、この本の中のどこかで、読んだような。気が、しているのですが。

どちらにしても、答えは、二つの内の、一つ。大きなひとつでしょう。

クリスチャンは嘘をついてはいけないそうな。

まさか嘘ではございますまい。

俗物は、このようにも、考えてしまいます。











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眞子さま。





 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまがイギリスでの留学生活を終え、29日午後、帰国されました。

 午後3時すぎ、羽田空港に到着した眞子さまは、報道陣からの呼びかけに笑顔で会釈されました。

 現在23歳の眞子さまは、去年3月、ICU=国際基督教大学を卒業。その後、去年9月からイギリスのレスター大学の大学院に入学し、博物館学を学ばれていました。

 現地では寮生活を送り、今年7月からは2か月間にわたりコヴェントリー市にある博物館で展示品の調査などの実習に取り組まれたということです。

 帰国に先立ち公開された映像では、教員と語らいながら資料の保存方法について学ばれるご様子も。修士論文は「博物館における展示品の解釈の可能性」をテーマに執筆されました。

 「眞子さまはとても知的で、とてもとても一生懸命勉学に取り組んでいました」(シーラ・ワトソン博士)

 眞子さまは、休みの日にはイギリス各地をめぐり、イギリス王室との交流も持たれたということです。

 秋篠宮ご夫妻は今年6月、結婚25周年の銀婚式を迎えられました。その際、感想文で留学中の眞子さまから父の日と母の日にカードが送られてきた時の喜びを明かされていました。眞子さまは帰国に際して、「得ることの多い一年となりました。大学院で学んだことを今後、生かして行くことが出来ればと考えております」と感想を寄せられました。

 眞子さまは、12月には初めての外国への公式訪問として、ホンジュラスとエルサルバドルを訪問される予定です。(29日16:21)

                                                           TBS
.

その二




順不同で、と初めに書かせていただいたので気が楽です。

今日は、p・217~からの部分を書きうつします。

昭和35年1月。ご成婚の翌年、第一子(浩宮)をご懐妊中の美智子さんの書かれたこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「本当に私はさしあたって赤ちゃんのことが心がかりでなりません。手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さまのお時代と違う形をとることになってしまいますし、それから乳母(めのと)の問題もーー。
東宮さまは二人で皆に話せば大丈夫と固く仰せくださいましたが、その実現もまだ心がかりでございます。
そしてそれと同じくらい、それによって起こる波紋を私はとても心配しております。
 別に誰にも言わずに、黙って私がお乳をあげて育ててしまうなどということは出来ないのでしょうか。そういたしましたら誰もそれをとりたてて言う人もおりませんし、黙って目立たずにすれば、ずいぶん波立ちが違いましょう。それからこれは大切な、東宮さまからも時々ご注意いただきたいことでございますが、私はいつも心の中で、皇后さまがお許されにならなかったことをさせていただくことへの感謝を忘れないようにいたします。
 本当にどんなに静かにしたところで、お傷つきになられますでしょう。それが申し訳ないことと身に染みて思います。両陛下さえ誰が育てたなどとお考えにならないうちに、赤ちゃんが五つくらいに育っていたら・・・・・そして、それが夢のようなことならば、せめて新聞の方たちだけにでも伏せておけないことでございましょうか。
 それでも東宮さま、私たちはどうしても‘家庭‘を持たなくてはいけないと思います。そしてその家庭は、家族が愛しあうということにおいてだけは、きっとどんなに幸福であってもいけなくはないのです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20代半ばの美智子さんの思い。

美智子さんは、夫である東宮さまを信じ、その東宮さまの言って下さる言葉を信じた。

「二人で皆に話せば必ず大丈夫」

これを。

現実には、ご夫君が愛妻のために、頑張られたのだと考えてしまうのですが。

美智子さんには皇后陛下がコワかった。何でコワいのかわからないまま、こわかった。おそらく。

困ったもんだ。

読んでKUONが感じたこと。

初めてのお子を授かってあれこれ、想うことが多々おありだったのは、理解できます。が。

自分のもうすぐ産む子は、自分と、まい・だーりんである夫君にとっての「可愛いベイビー」というだけの存在ではない、そこの、根本的に根っこのところが、わかっちゃいなかったのだなあ、ということです。

書いてある内容、何言ってるんだ、お妃さま。

で。

この方が、この数か月後に、あのうたを詠まれた。

  あづかれる宝にも似てあるときは吾子(あこ)ながらかひな畏れつつ抱く


手元で育てたい思いは、叶ったわけでした。

思い通りになったのでした。

・・・世に知られている、この赤ちゃんが「いずれの天皇」であることへの畏れ、という解釈とは、わたしの中で違って来ます。違ってくるというより、初めから、そうでないかという感はありました。

初めての子を得た若い母親の、気持ち。触れたら汚してしまうのではないか、この足の裏が、いずれは汚れてしまうのか。

惜しい、もったいない。そんな感覚をもつ母親はなんぼでもいる。

ヤンキーなお母ちゃんでも、わが子を「宝物」と感じる、しっかりしなくちゃ、とも決意したりする。

世界中のお母さんの、気持ち。つまるところ、普遍的なそれ。

うたの先生は、そこのところをとても意識して、元のおうたを、この形につくりあげられたのではないか。.

日本で一、二とうたわれる歌人が、美智子さまのうたの先生でいらしたのです。

うたは、なおされて世に出ることが多いのは必要に応じての、常識。なんらの問題は無い、ナッシングです。

美智子さんの御歌は、本当に素晴らしいものが多いのですが、最近では私は、ご本人より御歌が遥かに、上、行っている気がしてならないので、こんな失礼なことも書いております。本当に、怒られそうなこと、書いてしまいました。でも、

前記の一首も、世の人びとは、最上級の受け取り方で受け取ってくれました。ので。めでたし。(か?)








     





その一



いろいろなことが書かれている。

感じたことを、順不同、アットランダムに記して行きたいと思う。

                     橋本明 著 (美智子さまの恋文」より。

今さら過去のことをほじくりかえしても仕方が無い、現存の方をしいて貶める気も無い。

ただ。

喧伝された「優秀な」女性は、まず何よりも神という存在に対しての畏れに遥か遠い、理屈の勝って自信に溢れた、用いる言葉は謙虚そうに見えても。

引いて考えて己を振り返る、という賢さに無縁とすら思われる、そんな女性だったように、KUONは考えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結婚前の皇太子(現。今上陛下)について       p.40~

[五摂家とか大大名とか、大きなところは嫌だということを皇太子は終始一貫して言っていた。自分の力で暮らしている家の人でないと困る。能力が無い人はだめなんだと一般論として言っていた」

                                        大久保忠恒

「いま実力をもっている家柄の人でないと困るという実利論者だったね」

                                        井口道生

「高等科から大学一年にかけて明仁親王は若々しく意欲的、知識欲に燃え、宗教論を弁じ、スポーツに熱中し、恋愛、女の子を論じたレジスタンスの時代だった。結婚については元皇族は絶対にもらわない、旧華族でも公家華族や大大名の家からももらわないと宣言した。ぼくのところに来る人は世間一般をよく知った人でなければいけない、と言っていた。世間知らずのお姫さまが来たって何の進歩も無い。一般的な人、それでいて将来新しい皇室をつくりあげられる個人的能力を備えた人が理想だ。そういう気持ちだった」

                              徳川義宣・旧名・堀田正祥)


中学生で敗戦を経験し、天皇である父親がアメリカに殺されるのではないかと怯え、自らの誕生日に「A級戦犯」の名を帯びて「デス・バイ・ハンギング・・・絞首刑」が執行された皇太子は、上記のような方でいらしたと。

初めてはっきり知りました。ちなみに、各氏の言葉は昭和33年暮れの「学友座談会」でのもの。翌34年四月には皇太子と正田美智子との結婚が発表されていた時期です。

どこからもコピーできず時間がかかります、少しずつ行こうと考えています。



「さま」は要らない。




 26日から開催される国民体育大会などに出席のため、和歌山県入りした天皇・皇后両陛下が、紀伊半島大水害の被災者と懇談されました。

 25日午後、和歌山県入りした両陛下は、田辺市で紀伊半島大水害の被災者6人と懇談されました。

 2011年9月に和歌山・三重・奈良の3県を襲ったこの大水害で、和歌山県では61人の死者・行方不明者が出ました。両陛下はかねてから被災者へのお見舞いを希望していて、皇后さまは当時88歳の母を亡くした女性(71)を「お寂しくいらっしゃったんでしょうね」「くれぐれもお大事にね」といたわられました。また、天皇陛下は、懇談の最後に「いろいろ大変だとお察ししますけど、元気に過ごされるように切に願っています」と被災者をねぎらわれました。

これは、2011年、4年前の、紀伊半島豪雨で被災された方への「お見舞」なのだそうです。

羽田から「特別機」でいらしたようです。

政府専用機でなかったのは、もしかして、安倍首相がお使いだから? と、詳しくわからないながら、感じました。タラップを登られる時には、陛下がお支えになり、転倒されないか何人かが見守り、傘をさしかける方がおられ。

使用機がどーだとか、そのようなことより。

両陛下が、その折りの被災者の方々とお会いになったと、けっこう大きく報じられたのですが。

田辺市に於いて、待っておられた(待たされていた)合計6人の方に、椅子も卓も無い部屋で、歩み寄って立ち話をされた。

数分か、もう少し。

皇后さまはおそらく仕立て下ろしのお洋服にお帽子。僭越ながら、帽子の黒いゴムひもは、いかがなものかと。

なんで白い手袋を?とか。

まことちゃんやしんちゃんではおありにならないのですから。(註・ふたりは園児です)。

あ。すぐに余計なことに思いが飛んでしまいます。

美智子さまの恋文なる本の中の、その、恋文と呼ばれるらしき中に。

>「そしてそのように家庭がお欲しかったということを」

との表現を、たまたま見つけてしまって、まあ、と、感じてしまった私は、とっても意地悪なにんげんだと、思います。

でも、「お欲しい」なんて「おかしい」

脱線。

お着きになられた時は陛下の肘つかみスタイル。

その後はお一人で歩いていらっしゃいました。

下に、動画を。わたし意地悪ですかしら。そうなんですよ。

あからさまな偽善を見ると、イライラするんです。






 両陛下は、10月1日には、関東・東北を襲った豪雨で大きな被害を受けた茨城県常総市を訪問される予定です。(25日20:06)

鬼怒川の堤防決壊による常総市の大規模水害で、宮内庁は24日、天皇、皇后両陛下が10月1日、同市を訪問されると発表した。被災現場などを視察される予定。一方、県災害対策本部は、同3日をめどに被災住民の公営住宅への入居を始める方針を示した。また国土交通省は同市三坂町の仮設堤防の工事が9月24日夜に完了したと発表。休校が続いていた同市の小中6校が同日、授業を再開した。宮内庁によると、天皇、皇后両陛下は、橋本昌知事や同市の高杉徹市長から大雨や浸水による被災状況を聴取された後、被災現場を視察される。避難生活を送る被災者をお見舞いされ、災害対策に従事する関係者をねぎらわれる予定。日程は同庁が後日発表する。今回の災害で、両陛下は11日、被害についてのお見舞いの気持ちと災害対策に当たっている関係者に対するねぎらいを、侍従長を通じて橋本知事に伝えられた。両陛下の災害時に本県視察は、東日本大震災から1カ月後の2011年4月に津波被害を受けた北茨城市を訪問されて以来となる。http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14431040683062

もうひとくみ。

題 Name 名無し 15/09/26(土)03:45 ID:lci61O0U No.1426234
皇太子ご夫妻は25日、東京都千代田区のホテルであった国際青年交流会議の会場を訪れ、出席した青年らと懇談された。
同会議は皇太子さまと雅子さまの結婚を記念し、政府が1994年から始めた。
日本の青年を海外に派遣し、海外からも招いて討論している。

 ご夫妻は環境、教育、文化の分野で議論を交わしたカンボジアやドミニカ共和国などの青年の意見に聴き入った。
皇太子さまは「各国の皆さんが集まって議論するのは非常にいい機会であり、よい経験になったと思います」などとあいさつした。

引用元:http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150926k0000m040126000c.html





もちろん、まさこは、この写真を撮らせて後のレセプションは欠席しています。

今日は素直に自身の意地悪を認めているKUONは、調子に乗って、こんなことまで↓書いてしまいましょ。

くすくす。

日テレさんがなさったことです。

故意なのか事故なのか。一介の民KUONにわかるはずもございませんが、

「皇太子さまと雅子」

と。まさこに、敬称・・どころか、さん、もさま、も無しで、報じてしまったようでした。

ここ見てごらん、とご紹介のあったところへ飛んだら、すでに無かったです。

でも私は、見たのですね。

故意なのか事故なのか。単に、事実が事実として電波によって伝播されただけだと思うのですが。

あのお方に「さま」は要らないです。


最後に、きっと関東大震災の折のことと思われますが、ご皇族のとられた態度のことなども、読ませていただいたので、ここに。

ありがとうございました。


題 Name 名無し 15/09/26(土)03:45 ID:lci61O0U No.1426234


電気節約パフォーマンスとは違う大正~昭和の皇室 Name 名無し 15/09/25(金)21:41 ID:mY1b6wl6 No.1426011
>▽7 御内帑金一千万円を下賜
震災当日、父帝のお見舞いのため日光に滞在されていた秩父宮親王は直ちに帰京され、
第一師団の戒厳勤務となり、都内を巡視、皇族の総代として被災者を慰問されました。

▽12 御結婚予算を罹災社会事業奨励下賜金に流用
また先述したように、御内帑金1千万円が下賜されたほか、
皇太子の御成婚予算の大部分が罹災社会事業の奨励下賜金に流用されました。

救恤金は閣議を経て、内外人を問わず、死亡者・行方不明者は1人16円、
全焼住宅は1世帯12円というように、各被災者・罹災世帯に配分されました。

▽14 「自分らは一汁一菜でも凌ぐから」
一方、日光で天皇のおそばにある皇后は、罹災地の食糧が欠乏していることを知ると、
毎日の供御の数を減らすよう、担当の大膳職に指示されました。




誇りに思いたい。



英留学から帰る「眞子さま」のキラリと輝く研究対象

 何かと佳子さまに注目が集まる秋篠宮家だが、久々に長女・眞子さまのご動静が聞こえてきた。
 1年間の英国留学を終え、9月29日に帰国されることが発表されたのである。
「イギリス中部のレスター大学大学院で博物館学を専攻された眞子さまは、コベントリーの博物館で研修生として展示品の調査も行いました。7月には修士論文を提出し、結果は年内に発表されます」(皇室担当記者)
 論文のタイトルは、「博物館におけるオブジェクトの解釈の可能性」。19世紀のチェコのガラス工芸家・ブラシュカ父子が作った海洋生物の模型「ブラシュカグラス」を題材に、博物館における展示方法について執筆されたという。あまり聞き慣れないモチーフだが、どのようなモノなのだろう。
 美術史家でガラス工芸作家としても活動している由水常雄氏の解説。
「植物や生物を学術的に保存することが難しかった時代は、博物館お抱えの画家が細密図で記録していましたが、それを改めてガラス工芸として着色し忠実に再現したものです。日本のガラス作家でも、知る人はごく僅かだと思います」
 あまりに特殊な技法のため、ブラシュカ父子が亡くなって以降は技術を継承する者がおらず、世界へ広がることがなかったという。
「アメリカのボストンで実物を見る機会がありましたが、とても微細な形状で埃を払う際などちょっとしたことで破損しやすく博物館でも取扱いが難しい。植物は葉の産毛まで、生物であれば細胞の様子まで再現されているほどです」(同)
 形は異なれど、海洋生物学者の顔を持つ曾祖父の昭和天皇、祖父の今上陛下からの伝統をしっかりと継承されていたのである。
「眞子さまは、研究継続を希望していますが、大学時代に学芸員の資格を取得済みなので、博物館への奉職も可能です。年末には、日本と外交樹立80周年を迎えた中米のホンジュラスへ初となる海外単独公務も控えていますから、多忙な日々が続きます」(先の記者)
 10月23日で24歳となられる眞子さまにとっては、実り多き秋となりそうだ。

                            週刊新潮10月1日号より

すっきりした記事と読ませていただきました。

・・・読み始めた本は、秋篠宮両殿下に悠仁親王殿下が誕生されたところから「まえがき」として始まっています。

ご誕生当日はご公務で北海道に滞在されていた両陛下が、帰京なさり、「41年ぶりに皇室にもたらされた男系男子皇族と対面された」こと。

「(新宮は)元気です。どうもありがとう」

>報道陣の質問に答えた天皇の言葉が万感の思いを伝えて、余韻を残した。

とあります。

皇太子一家はそのころ、両国国技館で大相撲を観戦していた。

8月中旬から二週間に及んだオランダ王宮離宮避暑生活(原文のママ)から戻って初めての「顔見世」である、と。

・・・ここまで読んで昨夜は、やすみました。

今朝、なんとか洗濯物は乾きそうな空、干して、パソコンを立ち上げたら、先日に眞子さまの留学中のご様子を知らせて下さった方から続報をいただいていました。

その一部。

お一人でニヤついて読んで下さいと書いて下さってますが、そーゆーことのできにくいタイプでして、紹介させていただいてしまいます。

少しアレンジはさせていただきました。

"報道では、レスター大学の、総長兼副学長(実質大学トップの方)、学科長(学部長)と指導教官がコメントを寄せています(光栄である旨と、褒め称えているコメントです)。

眞子さまは

幅広い課題に取り組み、理性的アプローチと、実務的スキルを身につけられたこと。「収蔵品の管理」の実践トレーニングを受け、博物館・美術館の社会的立場および責任について学ばれたこと。他の海外留学生と一緒に展示をつくりあげ、来館者と芸術との関わりについて新しいアプローチ法を模索されたこと、との詳述です。

眞子様の実習先のコベントリーの博物館は、多分、Herbert Museum and Art Galleryです 。後で、博物館名が伏せられました(大宣伝できますが、伏せている) 。
博物館名を出していた、前記事によると(http://www.coventrytelegraph.net/news/coventry-news/japanese-princess-secretly-worked-coventrys-10100239 )、博物館スタッフの殆どが身分を知らないまま、眞子様は学芸員チームで働き、日本のコレクションを含む展示を行ったそうで、一緒に作業したCulture Coventry(博物館管理団体)のマーケティング責任者も、眞子様ベタ褒めです。

レスターでは、New Walk博物館でも研究されたとか。


先日もそうでした、私は、日本の内親王が英国留学中であることが、当の英国で秘められていたのだと改めて知って、いいなあ、と、とても強く感じていたのです。知っている人は知っている、程度で過ごされたことが。

帰国直前になって、もうわかってもよし、とされたということが。

今日の記事も、

博物館名が伏せられました(大宣伝できますが、伏せている) 。
博物館名を出していた、前記事によると(http://www.coventrytelegraph.net/news/coventry-news/japanese-princess-secretly-worked-coventrys-10100239 )、博物館スタッフの殆どが身分を知らないまま、眞子様は学芸員チームで働き、日本のコレクションを含む展示を行ったそうで、一緒に作業したCulture Coventry(博物館管理団体)のマーケティング責任者も、眞子様ベタ褒めです。


私は「べた誉め」はさせていただけませんが(ニヤけては読みました)、勉強をするために外国へ行っておられる眞子さまを、こうして扱って下さったあちら様も、普通に寮生活をなさった眞子さまも、とってもいいなあ、と、感じたのでした。

誇りに思いたいではないですか、自国のプリンセスを。

で。

29日にお帰りの眞子さまのお留守中、若いみそらで懸命におつとめ下さっておられる佳子さまの話題も。と思い、

佳子さまが手話の話題ならお母さまの紀子妃殿下のも、と、欲張って貼らせていただきました。

順序が違う?のは、お許しを。(笑)。












届きました。




「美智子さまの恋文」

届きました。著者は、今上陛下のご学友として知られる、橋本明氏です。

まだ内容に触れるに至っておりませんが。

表紙に、新婚のみぎりに伊勢の神宮に参拝されたおりの、ふっくら丸いお顔の美智子さまの写真が使われています。

本の帯に、

私が愛し

信用して

いただける日が

来ますように。


と、あります。

どうも、20代半ばの美智子さまの「思い」のようです。

人生は長く、なかなかに思い通りには行かず、大変なものだと感じました。

どうしても「私」が先に立つ方なのだと。

ため息の出る思いです。

平成19年の出版の本です、さらっとめくった限りでは、ううん、けっこう手厳しい匂いがいたします。

できるだけ無心に、通読して見ます。






肌と髪とは



まさこは、昨日の皇居での秋季皇霊祭の儀、には、出ておりません。

安定、不動のおサボリです。

言うまでもないことでしたか。

あのモノは、皇室にいて、神さまなんか信じても恐れても畏れてもおりません。




もう一週間前のことになります。

以下はTBSニュースです。


「 皇太子ご夫妻、東京都の下水処理施設など視察

 長年、水の問題の研究に取り組む皇太子さまが、雅子さまとともに、東京・港区の下水処理施設などを視察されました。

 皇太子ご夫妻は17日午後、港区にある都の下水処理施設などを視察されました。施設の上に建つ大型複合ビルでは、下水と気温の温度差を利用した空調システムなど、環境に配慮したさまざまなエネルギー利用を行っていて、ご夫妻は熱心に説明を聞かれていました。

 また、老朽化した下水道管の補修を下水が流れている状態で掘削などもせずにできる最新技術について説明を受けると、雅子さまは「下水管の中に入っての作業は大変ですね」と話されていました。

 これに先立ち、ご夫妻は目黒区の東京大学生産技術研究所を訪れ、地球環境にまつわる膨大なデータを蓄積し環境問題の解決などに応用する最新の取り組みについて、説明を受けられました。」(17日20:30)



以下は、ただいま発売中のではない、前号のセブン誌の記事です。

ちなみに、最新号のこの週刊誌の表紙には、とびっきり大きな文字で

嫁姑の決断

皇后美智子さま(80) 深慮の末に!

秋篠宮妃紀子さま(49)との間に

「置かれた距離」


とか、踊っております。不遜ながら(と一応書いておく自己保身だって知っているKUON。(笑)。

だあはは~と、笑ってしまいました。なんじゃこりゃ。

確かに息子さんのおよめさんではありますが、紀子妃殿下のいま現在のお立場って、あのお義母さまにどうとかこうとか、言える次元ではなくなっておられる気がします(と、再びボヤかし口調で自己保身・笑)。

嫁だの姑だの。いつまでもあふぉみたいな言い方を。購入層に合わせてのことかな。あ。地雷踏みましたかな。私は、読みたくてうずうずですが、買わないと決めています。買うより高くつくけど、美容院へシャンプーだけしに行って(せこい・笑)、読んでこようっと。


本題です。その、先週号の中身です。

笑えます。記者さんが、のびのびとちくちくと、ほめころし作法を遣っておられるのがよくわかって面白い。

私は、突っ込みながら、ネット上で読ませていただきました。

どこ突っ込んだか、文字の色を変えてみようと、今、思いました。それはKUONの勝手にすることで、そのことへのお詫びが必要なら、先に、させておいていただきます。

笑わせて下さってありがとう。あ。お詫びでなく、お礼になってしまいました。


 大粒の雨が降りしきる9月17日、皇太子ご夫妻は、都内目黒区と港区にある水災害軽減のためのデータを収集、解析する研究所や下水処理施設を視察された。

①屋外の設備もあり足元が悪い中での見学となりましたが、それでも雅子さまは時折笑顔を浮かべながら、興味深そうに見て回られていました。また、②“下水道管の中での作業は大変ですね”と、作業員を③労うようなご感想も述べられました」(皇室記者)

 当初、この視察は皇太子さまおひとりでの予定だったが、④お出ましの数時間前になって急きょ雅子さまも同行されることが決まったという。

「宮内庁からは⑥“妃殿下は地球環境にご関心が高い”との説明がありました。これまで雅子さまが、予定されていた公務を直前になって欠席されることはありましたが、⑦最近は突然お出ましとなることが増えてきたようです。それだけ、⑧体調が安定され、公務に前向きになられているということなのでしょう」(前出・皇室記者)

 今年7月、2年ぶりの海外公務でトンガを訪問された際も、⑨予定になかった在留邦人との懇談に出席された雅子さま。帰国後も、ご一家で戦争関連の資料が展示されている昭和館(千代田区)を見学され、その後の須崎御用邸(静岡県)や那須御用邸(栃木県)でのご静養の際も沿道に集まった人々に⑩満面の笑みで応えられるなど、着実なご快復ぶりが感じられる。

 そんなご様子から、公務への完全復帰の期待も高まるが、その一方で、関係者の間では一抹の不安が囁かれていた。

「ここ数年、雅子さまは7~8月の夏はお出ましになる機会が多くなり、快復に向かわれているといわれるのですが、秋になるとまた元に戻られ、ほとんどお姿をお見せになられない状況が繰り返されていたのです。夏にお出ましが増える理由は夏休みにお取りになる長期ご静養に対して、“公務は休まれるのに、私的なご静養を取るのはいかがなものか?”という⑪批判の声を、公務に出られることで少しでもやわらげるためとされ、雅子さまの公務の⑫“夏の方程式”とも捉えられていました」(別の皇室記者)

 そのため、秋に入って再び公務を控えられるのではないかと不安視されていた。しかし、今年は大きく様子が違う。9月に入ってからも雅子さまは冒頭のように予定外のお出ましをされるなど、積極的に公務に臨まれている。

 雅子さまのご体調とお気持ちに大きな変化をもたらした理由の1つは、長女・愛子さまのご成長にあるだろう。

「不規則登校を繰り返し、定期テストを欠席されることもあった昨年に比べると、愛子さまの状況は大幅に改善されました。学業にも前向きに取り組まれ、充実した学校生活を送られてます。加えて、最近の愛子さまからは、皇族としてのご自覚が確実に芽生えていることが感じられます。例えば昭和館や日比谷図書館で開かれていた戦争関連の展示を訪問されては、真剣なまなざしで資料を食い入るように見つめ、積極的に質問もされていました。“子育て”が一段落したことが、雅子さまに大きな安堵をもたらしたのでしょう」(宮内庁関係者)

 2つ目の理由は、4年半にもわたって空席のままだった雅子さまのお世話係のトップである東宮女官長に、元中国大使夫人の西宮幸子さん(58才)が就任したことだろう。

「雅子さまは西宮さんと良好な関係を築かれているようで、ご静養で那須どうぶつ王国を訪れた際には、笑顔で談笑するお姿もお見せになりました。ご体調が一進一退を続ける雅子さまは、公務の最中に不調に襲われたら、という不安を抱えられていたと思います。それが、女官長就任でサポート体制が整ったことで、安心して公務に邁進できる環境ができあがったのです」(前出・宮内庁関係者)

はは・・・。

番号をうったひとつずつ、突っ込んだ理由を記そうと意気込んだのではございますが。

どた出さえ、このごとく、もてはやされる・・・実は、ばかにされている、まさこさま。


批判の声をやわらげるため、とか言っていないで、普通に、自然におられれば、それでいいこと。

まさこと侍従さんのことはもう、疲れるのでいい、と思いつつ、また、取り上げてしまいました。

何でもいいから引っ込んで下さい。

何でもいいから、ひっこめて下さい。

嫌がらせとしたら、国民蔑視が過ぎる。とか、思ったりして(と、最後も自己保身風に。(笑)。

ナルヒト氏とまさこ氏を、引っ込めて下さい。

三食オヤツ付きでけっこう、あ、書き忘れました。

知人の某氏が、この日の某所で、某立場でこの夫婦を見ていたと。

皇室の方って、ええとこの人、そのものなんだから、ともかく、肌と髪の手入れはできているもんだと思っていたので、もう、もう、びっくりした。

と。

本気で驚いて、何度も同じことを言うてはりました。

思い出してよかったです。(笑)。





1円で購入します。



こんばんは。

本の処分をサボっていると大変なことになります。今日は衣類と本の整理をしました。

一度読めば気の済む本もあり、ぼろぼろになってもずっと、身近にいて欲しい本もあります。

今日、どうするか迷った何冊の中に

「雅子さまと愛子さまはどうなるのか?」  佐藤あさ子・著

がありました。

どうなるのかって。(笑)。

雅子さんはこうたいしひなのですから、必ずや、こうごうへいかになられる。

愛子さんは東宮家の内親王、あらゆる方面にご優秀らしいですし、おすこやかに成長あそばして、いずれは、愛子さんの夫君になってもいいと決断されるお方のもとへご降嫁。

めでたし、めでたし。なのではないのでしょうか。

などと、本のタイトル眺めながら、考えていたワタクシでした。

まことに、ぐろうばるに、すたんだあどに、自然にそんな風になって行って下されれば、安心でしょうに。

そんな訳にはゆかない、行けない、行ってもらったら困るよね。断固として

だめ

理由は? 理由は、目に見えているすべてのことが、語り尽くしております。

私は、本来の値段が1600円プラス税、であるこの本を、某あまぞんにて購入しました。

送料が本体を上回る金額の買い物でした。

昨日は、夜中に、また本を買うために指先を使っておりました。

「美智子さまの恋文」

という本も、買ったと思います。他にもいろいろ、押したので。

この本は、お値段が「1円」です。送料が200幾らです。明日くらいには届くのでしょうか、あさってかな。

以前から関心を持ってはおりました。

なんで、恋文が、表へ出てくるんかの?

こうーごーへいかの、らぶれたーが?

それって、普通のことで、必要なことなんかいな?


っと、感じておったのでした。

そう、お考えになられませんか。

恋文くらい個人的なものって無いような気がするのですが。

まあ。ものを書く人間、作家と呼ばれる人々のものなら、別の意味もあると思う。

これ書き出すと長くなりますので、この件はここで。


「家庭を持つまでは絶対に死んではいけないと思った」とお話くださったとき、私は今までの自分の見聞の中にも、読みました小説の中にも、こんな寂しい言葉はなかっと思いました。そして、その中を25年間も健気にお歩きになっていらした東宮さまのために、乏しい力の全部をあげて、あたたかいホームを作ろうと決心いたしました。

これは、正田美智子さんが、当時の皇太子殿下と自分をからめて書かれたか仰ったか、ともかく、ご本人のお言葉。

なんと「どあらけない」=(名古屋人の表現。どえらいこっちゃ、という感じに近い)ご発言。と、初めて読んで時、驚愕して。

産まれてすぐに親を亡くしてか、捨てられてか、人様のごはんを遠慮しいしい、給食費を持って行けるのもいつもクラスで最後だった、みたいな、風に育ったか。

の方に対してのものなら、それはそれ。

皇太子は、つい、美智子さんに甘えるというか、訴えるというか、思い切って書けば、おもねたというか。ぼく、淋しかったんだよ~、ずっと、ずっと。

と。うんにゃ、と。気持ちをあらわにされてしまったのかもしれません。わからないでは無い。ふつうの男性なら。

でもしかし、東宮さま。皇太子殿下。淋しかったよお、まあ可哀そうに、これからはアタシが。とか、互いの中に通った気持ちではあっても、これ、表に出したらあかんやろ、NGやで、というのが、私の感想であります。

高貴なお方が「孤独」なのは、いわば当然の理。当然でも、出したらあかんのや。

とは言っても、これ、うつくしい話のように、取り上げられていたのですね。

昭和の両陛下は、これ、どんなお心もちでお聞きになったかと思います。

親の立場はどこにある。完全否定ではありませんか。

今更言うても仕方が無いし、ではあります。


「美智子さまの恋文」が届いたら、なんか、辟易しそうな予感はあるのですが、読んではみようと思います。

で。ぐひぇひぇ、かんべんして下さいませ~、ってなったら、ここへ書いちゃお、そうしよう。

と、いま、決めました。


皇室で初めて乳母制度を廃して、あたたかいご両親のもとで、親王がたは、お育ちになられることになった。

浜尾実氏は、浩宮さま、礼宮さまのご養育の係に任じられた方でした、曾祖父も祖父も男爵、父親は子爵。皇室に近いお方でしたか。

言ってみれば、長幼の序を重んじられたというか、浩宮の方に多く心も手も寄せておられた印象はぬぐえません。

もしかして、今に考えるに、ナルさんはともかく手がかかり、アーヤさまはのびのびとおおらかに、行けた?

浜尾さんのおかげは絶対あったと思わざるを得ません、独身時代のナル様には、品がおありでした。

隠しようのない気品を感じさせて下さっておられました。

きりっとしておられた。

どうせわたし(たち)を騙すなら騙し続けて欲しかった(笑)。

その浜尾氏を、職を解かれて後、喋り過ぎだと評する声もおおいにありました。

本当のところはよく、私には、わかりません。

わからんけど、以下の話などは、そうそう、うんうん、と。

頸椎ゆがんじゃうくらい、うんうんしながら、うなずいてしまう自分。というものが、存在します。

浜尾実氏の云いです。

憧れの家庭で、お子さま方に囲まれ、よき父、よき夫として
幸せを噛みしめられていることは、まことに結構だと思います。

しかし、お子さま方を育て上げられ、名実ともに平成の天皇に即位されたいま、
家庭第一主義にこだわり続ける時代は終わったと、私は申し上げたいのです。

一朝事あるときは、妻子を忘れて国民と痛みを分かちあう、
凛々しいお姿を拝見したいと、私は心から願うものであります。


KUON、同感です。

同氏の「恐れながら、美智子皇后に申し上げます」 よりは。

この命令は侍従にとって、いわば絶対です。もし、そのまま侍従が放っておいたら、
2~3日後に再び皇后さまから問われてしまいます。
「あの雑誌を呼びましたか?」と、おっしゃるのです。
そんなことが繰り返されるため、皇室記事は当たり障りのないものになってしまうのです。
こうして、皇室の姿はますます神秘のベールに包まれたり、歪められたりしてしまうことにもなります。
それに気がついている侍従も中にはいます。私にも時折、

「まいったよ、浜尾さん」
という電話が入ることがあります。それでも、彼らは皇后さまには、直接は何も言えません。
意向に従うしかないのです。

あえて申し上げれば、皇后さまはクレバーなのですが、ワイスにもなっていただきたい。


ご自分についての週刊誌他の記事はすべてチェックされていると、長い間、ささやかれ続けてきた美智子さま。

ん??これ何???の、本意でない記事が、出てしまった時の、美智子さんのなさり方について、が、上記です。

1時間ぶっ続けでお叱りをたまわることもあると。

まあ、さまざまなことが、噴き出して来ている訳ですが。

皇太子の「人格否定発言」をテレビで見ながら、表情の変化して行かれた浜尾さん。

「地味なネクタイをしておられる」

などの感想は、まあ、ですが。

まさこのキャリアと、それにかかわるだったか絡まるだったか(知っていましたがどっちでもいい・笑)人格を、否定する動きがあったのは事実です。

ナルたん、お尻たたかれて出て来て、ぱしっと決めた・・・つもりだったが。

お父君陛下に「もっとわかるように説明を」と云われて、いやそのあのう、と、結局はしりすぼみにうやむやになった、あの会見。

「キャリア」の意味をわかっておられたかな。皇太子妃の「じんかく」って。


ご覧になっていた浜尾氏が、

「こんな個人的なことを」

と、たいそう心配なお顔になっておられた。

やはり浜尾氏は、浩宮を、皇族、もっと言えば、将来の天皇の位置にふさわしい、超・個的な存在にお育てになられたつもりだったのだな、と、考えるものです。

それがまあ、あんなことになっちゃって。

まさこ入内には反対された。反対というより、問題外という感じでした。

ナルさんは、ご自身の家庭、お子さま方より、皇孫の養育に心血を注がれた、この恩人のお葬儀に花をのみ送って、それでよしとされたのでした。

本が来るのが楽しみです。







もうすぐお揃い。



タイトル:英国で、眞子様ご留学の報道が解禁

週末に、”内親王お忍び英国留学”が公けに。


ゲストさんが、秋篠宮家の眞子さまについて教えて下さいました。

留学先では、眞子様は絶賛され、どなたも内親王を迎えて、誇らしげにされております。教授らのコメントや動画から、決してお世辞ではありません。

眞子様のご様子をご覧になってほしいので、報道内容を詳しく羅列します。こなれてない訳のままですが。


[主な報道]
http://www.inquisitr.com/2431548/princess-mako-japans-equivalent-of-kate-middleton-has-been-secretly-studying-in-the-uk/
(独自ニュースの配信のサイト。大学広報と撮影者のツイッター引用、教官インタビューの動画-YouTubeあり)

http://www.leicestermercury.co.uk/Japanese-princess-s-secret-year-Leicester/story-27824507-detail/story.html
(レスターの地元紙。大学構内での会見の様子の動画あり)

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japanese-princess-mako-akishin-living-university-leicester-england-ma-masters-10509675.html
(英国主要紙の1つ、インディペンダント紙。報道姿勢は中道といいつつ、日本に関しては近年かなり雑な記事を報道しているが、この記事は事実関係を伝えている)

[インタビューと記事の内容]

レスター大学修士課程の終了を機に、内親王がレスター市に留学でご滞在されていた事実が公になった。

・構内では、内親王の身分を知る日本人学生も協力、落ち着いて学業に専念できる環境づくりに努めた。眞子様のご意向で、眞子様は、学生寮に入られ、他の学生となんら変わらない学生生活を送られた。

・眞子様は、非常に恭しく、熱心で、教える側としても大変好ましい、すばらしい学生だ。
(礼儀正しく、控えめ、寛大で優しく、とても活動的な、好人物。こちらが出すアイデアにしっかり向き合い、かつ、自分のアイデアや提案を示すことができる学生。)

・修士論文のテーマは、Blaschkaガラス(=博物館などの学術用展示として作られた、海洋の軟体生物のガラス模型)。
19世紀に、自然博物館での科学的展示物だったガラス模型は、現代では、デザインミュージアムやアートギャラリーで展示される芸術対象品になった。その変遷に深い関心を抱き、分野の異なる専門家の話をきくなど、活動された。

・レスター大学は、博物館分野で日本との関わりが深く、後に博物館員・学芸員の人材になった、日本人留学生を多く輩出している。眞子様が同大学の修士課程を選ばれたことは、自然であり、非常に光栄。その学業成果を誇りに思う。

・修士課程の一環として、コベントリーの博物館で、2ヶ月の実習プログラムに参加された(注:夏休み期間に実習だったようです)。

・帰国前、非公表の形で行われた報道会見には、多数の日本の報道関係者が集まった。会見の場は、その名もPrincess Road Eastにある、大学の学部内だった(注:プリンセスに相応しい通りの名ということ)。

・眞子様は、品のある、きちんとした装いで、会見に臨まれた。

・構内の2箇所で行われた撮影は、内親王に質疑をしない決まりで、再三注意があった。だが、撮影後、内親王ご退出の際、日本人の女性記者1名が唐突に質問を投げた。質問を控えるよう、広報官による制止が即入ったが、内親王は会釈し、丁寧に応じられた。

・1月、修士論文が通れば、学位授与式ご出席で、再訪英が望めるかもしれない。

*最初の撮影風景:女性の副科長と、子供用の積み木の箱を使って、包装する様子 (注:収蔵法か保存法の実演でしょうか??)
*次の撮影風景:男性の指導教官が、今世紀製作の工房品を手にして、説明する様子

[調べた]
*Blaschkaガラス :Blaschka(日本語でブラシュカ)は、ボヘミア出身のガラス工芸人、レオポルド/ルドルフのブラシュカ親子をさす。親子が製作した、無脊椎動物や植物のガラス製模型は、英国の博物館など、多くの学術施設で収蔵された。

今後が、たのしみです。


Bさん、ありがとうございました。

眞子内親王殿下は、9月29日にご帰国の予定とか。

御一家がお揃いになられますね。



A Japanese princess - described as the country’s Kate Middleton - has been secretly living in England for the past year.



Her Imperial Highness Princess Mako of Akishino, first-born granddaughter of reigning Japanese Emperor Akihito, has been studying for a Masters in Art Museum and Gallery Studies at the University of Leicester.

The 23-year-old, whose younger brother Prince Hisahito is third in line to the Chrysanthemum Throne, is rarely out of the public eye in her home country.

But she has been living the life of a normal student in the East Midlands since last September, staying in halls of residence, walking freely around the university campus and completing a two-month work experience programme at Coventry Museum.

"It was a great experience," the Leicester Mercury reported the princess as saying.

The princess with deputy head of school Dr Sheila Watson (PA) The princess with deputy head of school Dr Sheila Watson (PA) The Imperial House of Japan chose to reveal Princess Mako’s presence in England as she has finished her course and will graduate in January.

The Leicester Mercury reported her course supervisor, Professor Simon Knell, as saying: "She was just a fantastic student.

"You'd like any student to be polite and engage with the ideas you put forward and put their own ideas forward.

"It was great to have a relationship with her – a real pleasure to do that.

"She's modest and very kind and just a really nice person."

Princess Mako with course supervisor Professor Simon Knell (PA) Princess Mako with course supervisor Professor Simon Knell (PA) Princess Mako’s time at the university was barely reported in the deferential Japanese press.

Fellow Japanese students at the university would instantly recognise the royal, who became an internet idol after images of her in school uniform as a 12-year-old appeared on television, but would leave her in peace.

READ MORE:
(略)



今日も出かけていました。自分への「敬老の日」。

いろんな元気の素をいただいて来ました。

平ぺったく言えば、友人に会って、今日も美味しいものをいただいて、お茶して、だったのです。

美人で可愛くて賢くてじょうずに抜けていて(笑)いろんなことを教えてくれるひとです。

楽しいことばっかりしていて、なんか、もう。

あれこれ、頑張ること、頑張ろうと思います。

ランチは、中華の「維新號」で。美味しかったです




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  けふまでの日はけふ捨てて初桜

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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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