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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。



今夜は、完全にわたしの私生活、わたくしごとです、皇室方面にはいっさい、触れておりませんので、それを、お含みおきいただきたく存じます。


はぁ~、よっこらしょ、どっこいしょ、っと。(笑)。

ご訪問、コメント、ありがとうございます。

もうすぐ9月です。学校が始まります。それと。

いまどきケッカク、それも、しっかり菌が出ていましたよ、のケッカクを発症して即時入院、隔離生活に入った義弟。

一緒に暮らす義弟のおくさん、そして、義弟の母、つまりわがお姑さん、おかあさま。

感染している疑い濃く、結果が出るまでは仕事に行くのを控えて下さい、徘徊のはじまっているおかあさんを見ていてあげて下さい、と言い渡された義弟ツマは、そんなの無理。とばかり、お金持って失踪しました。少し帰って来て、銀行のカード持ち出して再びどこかへ行った、やがて帰って来ましたが、いつものアルカイックスマイルですべてを済まそうの態度、ワタシは大人だから大人の彼女にどやこや聞いたり致しません。

ただ。

息子が突然病院へ入ってしまい、面会かなわずの状態で混乱してしまったおかあさま。身の周りの世話をしてくれていた(本人的にはさせてやっていた=ワタシの年金みんな、使わせてあげてんねんから)次男のヨメがいなくなって、大変な大混乱。

わたしずっと、おかあさまの傍にいました。仕方がありません。今まではずっと

「ワタシがお願いすることだけしていただきます、中途半端なことをされると困るから。おかあさんはおねえさんをヒイキだから、後がやりにくいから」

と仰せのままに来ていたので、何もわからん。台所も触らないでと厳命されて守っていたので、どうしようかしら、状態。

息子だけを持っている高齢の女性が、いつも傍にいない方のヨメに、いいかっこしたいのは、おそらく本能的なものであって、姑が私をヒイキしている、というのはあたっていません。たまに会えばなんぼでも優しくも甘くもなれるものです。

姑は義弟夫婦と生活のリズムがあっていて、国内国外あらゆる場所へ旅行したのも、子どもがいなくて自由のきく義弟夫婦と一緒でした。お金の請求は、真面目に働き健康なからだを持つ長男=わが夫でした。いつもいつもいつも、そうでした。私は、黙って従うのが長男のツマのつとめですと、考えるようにして来ました。
もめるのは面倒くさくてイヤ。用意可能な金額なら、渡して、機嫌よくして下さっていればいいわと思うようにつとめて来ました。

大学院を出て以後、父親の会社に数年いていられなくなって止めた以外に、まともなつとめをしたことの無い義弟と、自分で収入の道を持つ「私は芸術家なの、繊細なの」と自称するツマ、書家、歌人として局地的な文化人を自認していた姑は、

「精神を高めるため」

旅行しまくり、他にもいろいろ「魂の望むままに」あれこれなさって、ついにすっからかんのすってんてんになってしまわれました。

愛人さんのところへ行ったきりだった舅にもお金が無くなりました。私の義父母と義弟夫婦は、会社も家族皆の家も所有していた土地も宅地も、ここ10年足らずの間に、ねこそぎ、失ってしまわれたのでした。

私たちももちろん、失くしました。でも私たちは、遊び暮らしていたのではなかったから。なんとかよいしょっと起き上がれました。

沢山の皆さまの、信じられないご厚意を受け、引きたてていただき、お世話になって、いま、なんとか暮らせています。

お日様の下を、堂々とあるけることは、本当にありがたいことです。

自分のことはともかく。

私がこの家を回して行きますから。と。

そう言いきっていた義弟のツマが、それこそ姑の500円硬貨貯金まで持って家を空けてしまったことは、私と言えども、はは~、やってくれましたか~、程度の呆れ加減ではやり過ごせなかったです。

一生そばで、私が看させていただきます、の、義妹のあのお言葉はどうなのか。

お粥やインスタントラーメンの買い置きが、恐ろしいくらい大量に存在する、現在の夫の実家。

とかブツクサ言っていてもどうしようもない、婚家で過ごしていました。

台所も触りたくなかったので、姑を連れ出して、ここぞとばかり色んな店へ一緒に行っていただきました。

内科の医師に、糖尿病はインシュリンと服薬できっちりコントロールできているので、それより体力が落ちないように何でも食べさせてあげて下さい。そう、仰っていただいていました。

確かに、血液検査の数値は、糖尿、肝臓、腎臓、すべて、私などより遥かに良好。病気だからあまり食べてもらえない、と聞いていたあのオコトバ、幻だったのかと。

姑は、嬉しそうについて来て下さり・・・私は、一軒の家の中に暮らしていても、ほとんど接触も会話も無い姑には、義弟のケッカクは移っていないと確信していました。脳神経内科、一般内科、整形外科にも眼科にもかかり続けている姑が、罹患しているとしたら、膨大に受けている検査のどこかに、今までに引っかかっているはず、と。

他人様に移す恐れはないと思えば、検査の結果待ちの今はデイサービスにも通えないでいる姑を、昼間歩きで疲れさせて、夜中に起きだして徘徊する流れにのせないようにしなければ。私は姑のそばにいることに、ここ10余年、慣れていないので、そう、考えました。

月の初めの墓参を一緒にする。もう一度くらい、どこかで食事に付き合ってもらう。その程度で来ていた10余年でした。

私に、経済的な余裕もありませんでした。本当にすっってんてんになっていたし。

7年前に、奇跡のような成り行きで小さな会社を興して、今は、こんな場合に、姑のためにいくばくかのお金を遣うことができるようになっています。

ジャストタイミングとも言えましょう。


で。

本格的に戻ってきた(と思う)義弟のツマも、姑も、ケッカクに感染していないことが、わかりました。

おかあさまもまた、デイサービスに通われるようになれます。

「ワタシがいてへんと、みんなのまとまりが無うなるよってに、早うまた来て下さいや、いうて、デイの人がハガキくれてはんねん。」

だから、早う行って、デイの係の人を助けてやらなあかんねん、と、張り切っておられます、おかあさん。

デイの係の方、褒めてもらえるためなら、地べた這いずってでも頑張ってしまわれる、わが愛しのおかあさまを、よくぞ把握して下さって。感謝します、よろしくお願いします。

おかあさんは、一緒に暮らす〇ちゃんのことを、あんまり、言いたい放題、ぼろっくそに、罵らないでおられるほうが、ご自分の値打ちを下げないでおられますことよ。きっと。

もう、むっちゃクチャに言われるから。

「私は姑に苦労させられたから、息子のヨメは真のムスメと思うて、ひどいことなんか絶対に言わへんねん。」

そう、言うてはりましたやんか。

「私ほど腹と口とが同じ正直で正しい人間はめったにいてへん、そのワタシを、わるく思うモンは、そっちのココロがひねくれてるのや。」

はい、はい、そうです、おかあさまは正しい。日本共産党のスローガンのように正しいです。

でもね。

わたし。頼りにならん長男のヨメ、の私は、このたび、驚きました。

いったん消えて戻った私の義妹さんに頼まれて、あの病院へおかあさまのお供した時。

しゃきっとしたブラウスにシャキッとしたズボンは、生涯、お洒落にいいモノを着て来られたおかあさまのお姿。

靴は、決まった店でお買い上げ。私みたいに履ける靴ならどこででも買って、の非セレブではない。

それだけでなく。

診察室に付いて入って、聴診器を当てていtだくために、ブラウスをたくし上げて驚きました。

88歳。米寿のおかあさまが、ぴたりと体に添ったブラをしておられました。

新しい品だと当然わかりました。

おかあさまが選んだ訳は無い。10余年前までは、ぶらをなさる方では無かったのです。それが、義妹とのみ、行動を共にするようになっての歳月に、フィット感ぴたりの下着を着けられるようになっておられた。

義妹の〇ちゃんのおかげです。すごいと思いました。

姑は、ワルクチしか言わないけれど。私は胸の内で、感謝しています。

でも、義弟夫婦、蓄えと言うことを、いっさい無視して来られた超ド級のキリギリスさん。

どうされるのでしょう。

義弟は、見舞った私に、ケッカクは公費でどうたら言って、そちらにメイワクはかからないと思いますよ、とかシャラッと言ってたが。

当方にご迷惑かかった過去があるから気にするのであって。

入院費の清算しないで勝手に退院してしまったので、義弟とわが家の関係を知っていた病院の事務員さんに聞いた、と、代理清算を乞いに来られたことがあったし。びっくりした~。恥ずかしゅうございました

外国へ行くと、皇族みたいにお澄ましして歩いている夫婦なんです。10円で傘を借りてくれと追って来る少年に、100円やって、びっくりしていたよなあ、と喜ぶくそったれ。

枕の下に置くチップ、札を小さく小さく折って折って、幾らの紙幣かわからないくらい小さく折って、びっくりするかなあ、と、顔を見合わせて笑いあう最低の日本人なんです。大嫌いなセンス。それなのに、

年金の受給さえ不可能なような生き方して来て、つまり掛けて来ていないのですが、小さな商売やって、儲けた時期はあっても、税金なんかは払う気いっさい無し、支払いの仕方が汚いので信用されない、続かない。それが、

病気になったら公費で云々とうそぶく。お前に公費使われたくない。無性に腹が立ちつつ。お大事に~、とかおざなりに言って辞して来ましたが。

糖尿もあって肝臓の病気も、そして腎臓もいたんでいて、おまけに、知らない内に脳幹に血栓詰まったとかで、左手足麻痺してはります。私が顔面麻痺していた頃、梗塞が起きたとか。そんな人を悪く言う私は、鬼のよう。

鬼でもいいです、随分やられて来たんです。いい顔しようと思いません、あれには。姑にそっと渡すお小遣いも、本当にすべて、取り上げている。

おかあさんはボケていて、お金をトイレに流してしまうから、と。

札は、そんなに簡単に流れたりしないと思うが。黙っているしか無い。

数年前、私たちとほぼ同じころに、家を競売で追い出されて、三人で住むのに部屋が六つもある家借りて、それは、何匹いるか知らない猫さんたちのためだとか、その家賃も、大変な額ですのに・・・とか、考え始めると、わがやのお金が消えるセオリーが成立しております。

知らない、知らない、この件は、ワタシが考えなくていいことに、初めて、なりました。

義弟の兄であるわが夫が、立ち向かってくれるそうです。

どう立ち向かうかはわかりませんが、初めて、ワタシを、現場から除けてくれる、と言ってくれた夫が、とっても嬉しかったのでした。

もう。ほんまに、知りませんからね。


ということで、自分の家での暮らしが戻りました。

どうも、ありがとうございました。









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おはようございます。

自分でも「ああそうだったんだあ」と不可思議な「本家の長男のヨメ」の日々を過ごしておりました。

おります。現在進行形、持続中。やるだけやるんだわさ。明けない夜は無いんだもん。ね、こうちゃん。(笑)。



その中にあって、予約していた海行き。わがちっこい会社の社員旅行で、淡路島へ行ってきました。これは堂々と行きました。私の「公務」であります。(笑)。

出発したのは25日、火曜日。台風15号に向かって行く形で、奈良から兵庫県へ走った。

明石海峡大橋、封鎖されているんとちゃうか、の声もあった中、んなことない、行け、走れ、須磨、明石方面は私のろまんちっく街道。源氏の君が流されておられた地にてごじゃいまする、一年に一回はそっち向いて行く。

激しい風が吹いていて、大橋はごくんごくんと揺れておりました。大きい車で行ったからよかったけれど、そうでなければ大変だった感じもします。しかし、橋の上は貸切状態でも無く。揺られながらひたすら前進する、ハンドル握りしめるオトーサンがたは、頑張っていると思いました。

淡路島を突き抜けて、鳴門大橋まで走ってしまって、こんな日の渦潮を見てみたい。と願望しましたが、あっさり却下されました。てへぺろ。

鳴門大橋は通れなくなっていたようで、携帯電話をぶち壊しそうに吼えまくっている方も数人見かけました。お仕事なら、暴風もいいわ、なんぞとは言っていられません。

ホテルへ着けば私は、一人で、海を眺めているだけです。

それでいいのです。それがいい。

眼の下が海です。洲本の海にしては荒れていました。

時折、風がざあっと吹いて、海面が巻き上げられて真っ白く波立ちます。

ちょっと抜け出して、タクシー頼んで、台風に近い海を見に行ったりもしました。創作も試み。


    海暗く 雲重く風すさぶ須磨 この荒寥を見たくて来たり

    同情は不要理解も不必要わが内側に踏み込まざれな

    理不尽を言い立てているうちはまし 極まれば淡々とこなしゆくのみ
    

皆が何やかや、声をかけに来てくれますが、放っておいて欲しいのがわたしの望み。若い人たちは、何をしてでも、楽しんでいてくれればいいのです。

海を眺めて。風を眺めて。刻々と暮れて行く空を眺めて。

出て来たお料理はご飯以外(ごめんなさいご飯)のすべてをいただき、貸切状態の温泉・大浴場でまた、ぼおっと窓の外を眺め。星も月も見えない漆黒の空です。

テレビで世界陸上のまぶしい人たちを眺め。

波の音を聞きながら眠りにつきました。

波の音に目覚めた朝の海は、穏やかに凪いで、キラキラと光っていました。

会社の留守番と称して残った夫は、実は社交苦手の変人、一人で実験しているのが一番好きなヒト。(笑)。おはよお、今日も会社よろしく~っと、寝ぼけた挨拶がらみの電話をして。

早々に朝ごはんいただいて、皆は来ない喫茶ルームでコーヒーゆっくりいただいて。朝食バイキングにコーヒーもありますし。

社員さんのお子たちと、今日はお付き合いさせていただくつもりで、気合入れてメイクしました。眉、しっかり描いて。

台風の去った一般道は、のったりまったり。ふつうの、むかしからある、むかしのままの家並みに、気持ちが落ち着く・・・とか、言ってもいいのでしょうか。

ゆっくりとできた社員旅行でした。

自分用のお土産は、大量の玉ねぎです。玉ねぎ大好きです。


帰宅してまたばたばたしていて。

今朝、5時半くらいからついていたテレビで、ご静養中の美智子さんのお姿に遭遇。

天皇の肘をしっかとつかんで灰色のお洋服で、どこかへ顕れて、ピアノを演奏されていました。外国の女性がかたわらで歌を唄っておられました。

なんで、皇后が、ピアノを弾いているのでしょうか。誰かが望むのか。なんで、こうごうさんが、一般の方々のための会で、ピアノなんか弾くのか。

私のアタマの中も台風の風が吹き過ぎた後なのですっきりしているきがするのですが、

なんで、皇后さんが、人前でピアノなんか弾いて、それがニュースになる?。

変。

ほんっとうに、わたしを見て、見て、の方なのか。そのようです。みて子さん、とか。

変。

今は皇太子一家も東京にいない。着いてからは写真を撮らせていたけれど、行く時はおそらく、人目を避けてヒミツの通路を使って東京を脱出。何しているんだか。

年中無休の静養中のお疲れのための静養とヤユされていましたが、あたま冷やして考えて、あのひとたちの存在理由ってなんでしょう。

レーゾンデートルってやつ。(笑)。

要りませんでしょう、あの三人。

天皇も東宮も不在の東京。皇室が本当に、神道の長の家なら、朝のおつとめや夕のおつとめって、無いのかな。

どこかへ行っていても、遥拝、黙祷、それでいいのかな。

新たに、再び、あの皆さまのお仕事やお立場や、存在の意味や理由を、少し、考えてしまいました。

ご当人がたは、考えているかどうか、わかんないことですが。

敬虔な感じの無い皇族って。




メガネをはずして手に持ったまま拍手されておられます。

行儀悪~っと、感じたけど、いかがざんしょ。トンガでまさこも、何か手に持ったまま拍手しておりました。

御くびも順調なご様子とお見かけします、およろしゅうございます。皮肉です。

私が出て来て何かしてさしあげれば、皆が喜ぶ。

力づけられる。ってお考えでしょうか。

神官の奥の方らしく、お慎みを、と願う私は「わかってない」のか。

このお方が、まことかどうか、紀子さまに対して、

佳子さまが目立ち過ぎると注意されたか文句たれたかと知って、ものすっごく立腹してしまいました。

誰が、どなた様に向かって、権威ぶってモノ言うてはりますのんや(もの言うとるんじゃ~っと書きたかったけど。表現をやわらかげに逃げて見ました。

どこまでどんなんや、こうごうさま。

一言も百言もあってしかるべきh、秋篠宮さまご一家のどなたかにでなく。

とりあえず東に位置するあの一家に対してでしょうが。あそこに何も仰らないおひとが、何を言う。何も言うな。














マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

寺山修司独特の斜め向いた視線で詠まれた一首であろう。

と、こっちも斜め向いて読んだりしてしまうのですが。

いいうたと思います。

身を捨てても本望だという、そんな、祖国は、ありや、と。

この国は、そんな祖国か、と。寺山は、皇室を茶化していましたが、実は彼なりに、と考えます。父は戦争に往って帰らなかったが。母は幼い寺山を預けて働いていたが。

寺山修司は、日本人であったので。



おはようございます。

目覚めたあたりから気温が低く乾いた風が開け放した窓から吹き入って来て、気持ちのいい朝です。

すでに秋は立っているのですものね。

あっさり言えばここ十日ほど、もう少し言えばふた月ほど、思い切って言ってしまえば数十年もの間、抜けようのない見えない棘のようなものを、とりあえず今は痛まなければいい、新しい血がにじみ出て来なければよし、みたいな感じで、やり過ごして来たのでした。

今回はそのことで、自分でどうしようもないくらい、大してもともと清浄でもウツクシくもない私のココロが、とんでもなく濁って。何か書けば愚痴や怨嗟やしか出て来ない状態になっていて、それはそれで、書きたければ書いてすっきりするやり方もあるとわかりつつ、ちょっとそれは、イヤよね。みたいな自制心が、そんなところでだけ働いて。(笑)。

黙っとこ。

で、黙っていました。

今朝の風と、私にとっては最悪の事態は脱したことを知らせて来た電話によって、久しぶりに、肺胞をいっぱいに膨らませて、快い風を、吸い込みました。


かのやんごとなき方々のあれこれを知ったり聞いたりすることは、これ、何という。

女性誌のある媒体は、はっきり、安倍首相を皇后陛下のストレスの元、と書いています。単なるヨタ記事で済むものか?とのコメントも頂いておりますが、ほんま、いいのか、これ。

いい?。

第4条(天皇の権能の限界、国事行為の委任)
1.天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。
2.天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。


日本国憲法の第4条。言ってみれば美智子さんは天皇の妻であって、天皇ではない。が、週刊誌の記事とは言え、この(今回の参考はセブン誌です)内容は、あまりにも感情的に過ぎていて、引用する気にもなれないのですが、つまり、美智子さんが緊張だの悩み苦しまれている、だのへの心配より(笑)、安倍首相へのマイナスイメージを掻き立てる材料に使われているとしか考えようが無い。

これまた、利用されておいでになる。

陛下が、式典開始直後、国歌斉唱前に着席されそうになられたこと。黙祷の前に用意の原稿を始めかけてしまわれたフライングの事実などは、他のメディアでは見なかった気もするのですが、この誌上にはしるされている。

いつだって全方位に気を配って「ホケンをかけて」書かれているのが、この手の記事。仕方ないとは思います。でも、美智子さんは、転がされて利用されておられる感が強いです。肝心ことでは守ってもらえない気がするのは、そういう周囲でしかなくなっているのかな、と妄想します。

宮内庁はもう、終わっているところと考えますし。

国民の方をなど見ているはずがないのは当然として、皇室の方も見てはいない。にしても。

>美智子さま、緊迫の攻防!。

>強いストレスと安倍晋三」

何ごとやねん。

久しぶりのせいにして、あちこちへ飛ぶままに書かせていただきます。

美智子さまは、少し前の宮内庁の発表(笑)から読み取れば、胸の痛みはつまりストレスであった、ストレス軽減のために音楽や絵画のご鑑賞の機会を増やして。

という風に読み取ったそのまま、検査の直後からはじまって、あちこちへお出かけ。いちいち記憶していないのが残念ですが、この鑑賞も「公務」となされている。

じっとしていることが、お出来になれないのでしょうか。豪壮な御所にお住まいですのに。

今年はもう、今までのように、秋篠宮家との触れ合いのことなども、書かれていません。触れ合っておられないご様子です。今までもきっと、お会いになられても、皆が想像しているような{おばば様と賢く可愛いお孫さんがた」の、それでもなかったと、うがった見方をしております、私。

秋篠宮殿下は親孝行でいらして、そして紀子妃殿下は、細やかな気遣いで、お子さま方に、両陛下を敬うことや、おばあ様には丁寧に接する態度を、身を持って教えられたと考えています。

おばば様がどうあらせられようと、お母さまが、大切に対しておられるのを見ておられれば、お子さま方は自然、そう、なさるでしょう。

相手がどうでも、秋篠宮家のお子さま方は、ご自身のなさりようを崩さず、覚えて行っておられると思います。

美智子さまが可愛い・・・というより、執着されているのは、ただ一人、ナルヒト氏だけ。

あとは、ご自身とナルヒト氏を引き立たせる、役に立たせる、コマになるだけの存在。そうとしか、わたしには見えておりません。

猛愛。盲愛。惑愛。理屈でなく、ナルヒトさんしか、美智子さんの気持ちの中には無いのだと思う。

ご夫君。

ご夫君は、ご長男の次、でしょう。いてくれないと困りますが、長男の次でしょう。あまりここには突っ込めない。(笑)。

優しいご夫君ですよ。声を荒げられたことも、言うまでも無く手を挙げられたことも無い。何でも聞いてくれる。というより、反論は受け付けません。妻が法律です、あのお家にしても。ツルカメツルカメ。

全世界の「〇○」より、ツマの勘気がオソロシイ夫は、お隣のイトウさんチだけではないってことでしょう。

イトウさんチは、既にリタイアされて静かに平和にお暮らしで、それ以上のものをネットの住人、目覚めた国民のどなたからも要求されたり望まれたり糾弾されたりもされないで済む、善良なる日本国民の一、でいらっしゃいますが。

長男の、あの子だけが可愛い。気になる。あの子のことしか考えられない。あの子のためなら何でもする、だって当たり前でしょう、私は「母」なのですからね。

愛も母も、おそろしい。どこかが間違うとおそろしい。

そして、あのやんごとないお母さまの、今の時点でのわが愛しい子への思いは、片思いです。

一方通行の思いは辛いもの。お辛いものでしょう。

あの子を産んでからずっと。ずううううっと、あの子のことだけを考えて、あの子によかれ、とだけ、思って来たのに。

なぜだか決まらなかった縁談も。何とかしてやりたかった。他の誰よりあの子は、どんなにでも、なったはずなのに、決まらなかった、イライラした、腹も立った、待たせておいたあのお嬢さんでは、母である私がイヤだった、わたしの立場が無くなるではないの。

(天皇家のご長男、皇太子のお相手が、なぜ見つからないのか。今ほど関心が無かったとはいえ、ごく世間並みの感覚でKUONも不思議でした。大変だろうからな、仕方がないのかな、と思いつつ、やはり、それでも東宮妃に上がるご本人、上げるご家族、それなりに「素晴らしい」ことだってあるのでしょうに、それを名誉とする世界だってあるだろうにと。当時は皇太子さまは上品に見えたし、穏やかで優しい人柄にも見えていました。持って行き方次第で、そういう方でもあり続けられたともおもっています、実際。それがなんで・・・いろいろあるでしょうが。お姑になる=下世話な言い方でも本当。と、今は普通に考えます=美智子さんの、あちらの方での評価、評判が、よろしくなさ過ぎたのも、大きな一因だったのですね。一般社会では美智子さまは最高の女性であるかのごとく、毎週のようにメディアが怒涛の賛美をし、謳い上げ、疑問の持ちようのないほどにぐっど、グッド、で通しておりましたが。実は、「ここだけの話」がてんこ盛り、何より、旧皇族華族の方々の、そういったことへの身の処し方は「さすが」でいらしたようで。バレナイようにシステム化されていた。何より、ネットの存在の無かったことが大きいでしょう。いじめられて痩せて病んで、それでも雄々しく(笑)人々の前に姿をお見せになって、あたかも慈愛のマリア様。訳の分からない、と申してはナンですね、生き方の激しく偏向した、としかみえない個性的な方々への偏愛はなはだしく、いちじるしく、好きなタイプ嫌いなタイプ明確に分かれた皇后陛下でいらした。私は、なけなしのわが自意識でもって、その言葉をあえてあまり使いたくはないのですが、左巻きと云われる方ばかりですよ、美智子さんの仲よしさん、美智子さんがお好きな方、お取立てになられる方々は。もうついでに書いてしまいますが、精神的にゆとりがあるバランスのいい方は、あのごときおかしな服装をなさいません。服と帽子にだけ拘って、バッグはいつもチェーンのグレイ、お靴は不動のツートンカラー、いつでもどこでもどんなお洋服の時でも、おんなじ、おんなじ。マツコさんのドレスがどうと言っても、草間弥生さんの水玉模様がどうと言っても、あの方々はアーティスト、自分の個性を通せるだけの仕事をなさって、自分のお金で自分のスタイルを確立されている。好きや嫌いはあっても立場的に美智子さんの珍妙な服装ほどのダメージには関わらない。画像を貼れないので悔しいのですが、海外であの方が、どんだけ~な恥ずかしいカッコを通して来られたか「雅子さま大好き」というブログで、写真はいっぱい拝見できます。
あそことの縁組はお断りしたい、と思われるような、お母さまでいらしたのでした。うわあ。


長男だけが可愛い。そいうの、ありますよ、世の中には。次男だけが可愛い、というのも。娘しか可愛くない、もあり。どこの子の孫だけが可愛い、大切、も、あります。そういうことはそして、自分は立派な母親です、と思い込んでいるお母さまに、ありがちなのも顕著であることよ。


一行だけ書きますが、私の夫の母親は、次男だけが大事な人。長男は次男の後片付け役。わが夫は長男です。一応(笑)。


美智子さんは、じっとしておられないようです。

週の内何度もお出かけしておられます。お年寄りのお楽しみに眉をひそめるのは狭量であるとは知っております。現役の皇后陛下です。あのどうしようもないご長男一家の事が、気にならないのでしょうか。私は、ものすっごく気になっていますが。わたしなんぞが気にしたって、何もどうにもならないのですが。

29日までご静養にお出かけ。あんなにいっぱいお洋服をお持ちなのに、駅頭で、陛下は最近定番の(パラオで公式な慰霊の際にさえ)タイ無しの開襟シャツ姿。美智子さまは、ウェストを紐で縛った(としか見えない)灰色のおばあさんルック。全身灰色。



今年も草津でピアノをお弾きになられると。もう弾かれたのかな。


宮内庁と県は14日、天皇、皇后両陛下が22~29日の日程で草津町と
長野県の軽井沢町に滞在されると発表した。
27日は草津町で開催中の「第36回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバル」に出席する。

両陛下は27日午前に軽井沢町から草津町へ移動する。
皇后さまは同日午後、草津音楽の森セミナーハウスⅡでワークショップに参加し、
ピアノで海外の演奏家と協演する。

その後、両陛下は草津音楽の森国際コンサートホールで
演奏会「1815年ウィーン ビーダーマイヤー時代/ワルツは踊る」を鑑賞する。

両陛下が同アカデミーに参加するのは7回目。
昨年は8月に起きた広島市の土砂災害で多くの犠牲者が出たことに配慮し、参加をとりやめていた。
本県の訪問は昨年5月以来。


らしいのですが。

また、続きも書かせていただきたいです。

東宮家は先日は須崎で静養していました。今は、那須へ、行ったのでしょうか。行くのでしょうか。9月3日の那須塩原駅、夕方の東京行きのグリーン車、予約不可と読みました。

ぎりぎりまで、義務教育を受けている年齢のお子さんを、遊ばせておくのでしょうか。

よみかえしたら支離滅裂。このままま行きます。

美智子さまを嫌い、とかでなく。皇室の事が不安でオソロシイです。まさこは論外。






買うにまで至っていませんが。買いたくない、のが本音ですが。

先日に続いて今日も、出先で見かけた女性週刊誌の表紙の文字に、違和感を越えた嫌悪感。

美智子さまの、として、

「安倍ストレス」  

ですと。

皇后陛下が、現・首相によって「ストレス」を感じていると、堂々と書かれている異常。

こう書くと「イケる」と思ってしかけるのですね。

他の方は知りません。私個人の感覚で言えば、

美智子さんがおられなくても困りもしませんが、今、是々非々を前提に置いても。

安倍首相がいて下さらないと。


婚家のことで落ち着きなく過ごしています、先日の陛下の「反省」のお言葉についても、ますます思いはくすぶっておりますが、今はまだ書けない状態です。

コメントのお返事も遅くなっていますが、ごめんして下さいませ。

動画、教えていただいたの、貼ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>秋篠宮様が昭和館に出向かれた折の画像です

>私たちと変わらない、庶民的な御車でのお出ましです。










今年のお盆休みは、四日間くらいの職場もけっこうあったようです。その四日間の中に、お墓参りや実家への帰省があり、家族での「夏の思い出つくり」は必須であり、戦争終結の記念日があり、メディアは、祈り鎮魂平和希求をうたいあげる。

その日が済めば、みそぎを済ませたかのようにそれらの文字は仕舞い込まれてしまうようでもある、この国。

しっかり、何が何でもお盆休みには休みをとる皇太子一家も、東京へ帰って来ました。

8月17日、午後のことでした。

月曜日。

数日ぶりに仕事に出た、常よりお疲れであろう勤め人の皆さまが、やっと自分の用をするべく外出した皆さまが、再び駅を利用し始めたその日。

あの一家は、駅を利用する人々の動きを規制して、にったらこったら、神経なんか全身のどこを探しても一本も通っていなさそうな図太い醜い笑顔もどきを顔面の表面にぺたんと貼り付けて。

手を振って、歩いておりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京におられる天皇皇后両陛下は、戦没者を慰霊されるための行事にお出ましでした。

陛下は、実は「黙祷」の前に「お言葉」を始めかけられたというハプニングがありました・・・何人かの方がご指摘くださったように、マスメディアはいっさい触れずでしたが・・・それは、まあ、と。

いま、ワタクシゴトでバタバタしているのですが、自分のペースはなるべく乱したくない、ネットもしっかり目を通しています、それができているので、自分的には「おーけー」なのですが。

ふと見かけた動画、両陛下の武道館へお向かいになる際の車列を映しているのですが。

ここまでされるとうといお二人なのだなあ、と。

おエライんだものなあ、と。

熱中症にも、なりたくてもなれないごみぶんなんだものなあ、と。



で。

そのご夫妻の、過去のお姿の一つ。

今は既に亡い「ヨークの薔薇」ダイアナ元妃の結婚式での、美智子さんのファッション。

以前も貼らせていただいたのでしたが。何度でも、見たい、見てほしい。

帽子の後ろに白いヴェールのごときをはためかせて。



周囲の驚愕の視線の中で、にたにたとにこやかに。

「よく目立った」

とお褒めをいただいたという、帽子のデザイナー氏の言葉が、何とも。

よその国の王家の結婚式に招かれて、人と違った装いをして、「よく目立ってよかった」とは。

まさこがどうのと言って来ましたが、プロトコル構わずの脳内花畑は美智子さんから。

下品だと思います。若いパンクな女優では無い。

妃殿下です。

目立って嬉しかったんですか。

へえ。


動画の中の美智子さんは、ホントに、みごとに、気品も何も、それらしい何ものも、まとうてあらっしゃりません。





検査のあともこの車列。








秋篠宮ご一家、沖縄戦追悼の集いに=東京


 秋篠宮ご夫妻と長男悠仁さま(8)、次女佳子さま(20)は17日午前、東京都新宿区で、戦後70年に当たって企画された「沖縄戦終結70年・鎮魂と平和への祈り『地上戦と子どもたち』追悼の集い」に出席された。

 ご一家は会場の最前列で、沖縄の小中学生による「エイサー」などの琉球舞踊を鑑賞。沖縄戦犠牲者に黙とうをささげ、旧満州から沖縄に引き揚げた名城郁子さん(82)の体験談に続き、沖縄戦で生き残った玉木利枝子さん(81)の話に耳を傾けた。
 続いて沖縄出身の全盲のテノール歌手、新垣勉さんが沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」を熱唱。最後にご一家を含め、出席者全員でこの歌を合唱した。(2015/08/17-12:13)



終戦の日:天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式

2015年8月15日

天皇陛下おことば全文

 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。



陛下。

出征して、どこでと解らないまま死んだと知らされて、小石がひとつ、木切れがひとひら、そんな「英霊」では、ありませんでした。

私の祖父も父も。しかし

家は焼かれました、家作もすべて焼けました、よめいり直前の叔母のささやかに整えられた婚礼道具は、焼夷弾の直撃を受けて霧散しました。私の母は、戦争の終った翌年、血が少なくて全身が真っ白で手の指のいっぽんずつ多い子を、初めての男の子として生んで、三日目に亡くしました。母と仲良く私に優しかった広島の伯母は、腕から胸にかけてケロイドのひどい引き攣れがありました。戦後に生んだ子が、お乳を呑もうとして力を入れて引っ張ると、引き攣れが痛かったと。中学生の私に教えてくれました。一緒に銭湯に行って、聞こえよがしに「ピカだ、あれ」と、あれは移るもんだ、控えてほしいわ。と。侮蔑的な言葉を投げつけられたのが、戦後に生を受けた私の、初めてのリアルな体験だった気もします。

戦争に行っている間に、空襲で、父を失い姉は片足を飛ばされ、家を焼かれ婚約者は亡くなっており、復員後にそれらを知った舅は、嘆くより泣くより、母親ときょうだいしまいを食べさせ、学校へ行かせるために、がむしゃらに働いた。がむしゃらに働くと同時に、暮らしが落ち着いてからは無茶な遊び方もされました。

気持ちのどこかが壊れたままだったのだと思います。多くの方が仰るように、自分は、たまたま、生き残ったのだ、の思いが、貼りついておられたのでしょう。ビルマのジャングルをさまよった兵隊、食料の近くにいる兵隊だったらしいので、舅だけは食べられたものがあったのかも知れません。

平和な世で、その記憶は痛かったかもしれません。

口に出さないままだった思いや言葉が、沢山あったと思います。

顔もしらずに舅と結婚した姑は、沖縄で、兄と慕ったという従兄を失いました。ほのかな思いを抱いた人も、召集されて帰って来なかったと。そんな話を、息子の嫁である私に、何度も話さないではいられなかった姑も、心のどこかが欠けてしまった人だったのだと思います。

トラウマなんて便利な言葉もカウンセラーなんて存在も、当然無かった時代の人びと。

その他にも、いろいろな方にお会いし、さまざまな体験を聞かせてもらって来ました。

職業軍人であったご夫君が、敗戦によって廃人のようになって、家族中が無茶苦茶になったMさん。

青島から引き揚げて来られて、やはり人生が無茶苦茶になられた短歌の師。

お茶の先生は新婚半年で出征されたご夫君のご両親を見送り、未婚のままだった義妹さんと何十年を暮らされた。義妹さんは、先生の一人子をお守りしていて、落して、亡き子にされた。それでも、お墓を守る人として、一緒に暮らしておられた。

私が交わって来た方々はほんの僅かですが、晩年はそれなりにお暮らしでしたがしかし、その時代を生きた方々は皆、それぞれ形は異なっても、痛みを抱えて、その痛みを大声でわめき立てないで、生きておられました。


陛下。

その方々は、その人生を、反省しなければならなかったのでしょうか。

何を、反省?。

なぜ、反省?。

何を、反省?。

戦争に行って餓死したことや。

敵をやる前にやられてしまったことや。

自分の家を守れずに燃やしてしまったことや。

結婚のちゃんすに恵まれなかったことや。

夫が戦死したからその弟と結婚したことや(仲良しだったれいこちゃんのお母さんはそうでした)。

そういうこと、沢山たくさんあった哀しいこと辛いこと、悲しいこと、どうしようもなかったこと。

一個の小さな存在であった国民。市民。いっしょうけんめい生きようとしていた良い人たち、子どもの育つのを見守りたかったお父さん、みなさん、どの方も。

あの戦争に関して、反省しなければならない人たちだったでしょうか。

私にはわかりません、陛下。

なんで、誰が、どうして、何に対して、反省?。

昭和天皇の名で招集されて、往かれたのです。

国が戦争状態に入っていたから、何もかも焼かれても無くしても、くちびる噛みしめて耐えた、忍んだ、まことに、耐え難きを耐え、忍びがたきを忍んでいた人びとであって。

いわば総て、巻き込まれていた方々であって。

それでも皇室を「好きだった」方々。

悪しざまに天皇を言わなかった方々。

そうです、どんな目に遭っても、皇室から心を離せない日本人でいらっしゃいました。

何が「反省」ですか。

どこに向かって、何を考えてのお言葉ですか。

私にはわかりません。

そのお言葉を、つまり、勝手に、付け加えられたのです。初めに予定されていたことに、付け加えた。

天皇って、何でもお出来になるのです。うすうす感じてはいましたが、今では絶対にそうと信じています。

東宮家の事には口も手も出せない。って。

何の事やら。そんなことが、あの美智子さんに、通る訳がありません。
通らないなら通して見せよう、どうやってでも、の、実力派です、こうごうさんは。

(笑)。

天皇のお言葉の余計なひと言は。

誰も望んでいない・・・いや。誰かが、どこかが、望んだのでしたか。


無責任でどうでもいいお言葉。


もちろん、歴史の中の事は、被害者の目だけではなく、加害者であった目も、必要。それは、言わずもがなのこと。

陛下が仰るべきことではなかったと、私は考えます。

陛下は、何者でいらっしゃいますか。

反省のお言葉をお使いになるなら、違うところでお使いいただきたいと、考えます。

過去への反省、もちろん重要。

しかしそれより。

この国の、今後に関して、なんで今のごとくに無感動無理解無責任であらせられるか、と。

皇太子とその妻を、どうもなさらないまま、何を仰っておられるかと。

不思議です。

ご自身の奥方もしかり。

美智子さんに対する疑問、批判が、一気に噴出して来た感のある昨今。

胸の痛みが、と言いたてられて、「長崎の鎮魂の日」に、わざわざ、検査を受けられた。

車を降りて、すたすたとお歩きでした、美智子さん。

担当医が「テニスなどはお控えになって」

と、わざわざ言葉にされたのは、美智子さんが今もテニスを「なさる」からです。

検査の結果は「胸の痛むような所見は見当たらず」

こうでした。そうなると、胸の痛みは「ストレス」からであると。

まともに毎日を生きている人間で、なんらのストレスを抱えていない一人がいますか。

皇后陛下が、ご自身を庇うためか守るためか辻褄合わせにか、出来の悪い長男夫婦に苦しんでか、ストレスがおおきうて大変なのよ、と。

笑止千万。それを言わない言えないのが、国母という存在であると、信じていた自分の愚かさを笑います。

よくお遊びでいらっしゃる。テニスだって。頸も足も心臓も関係な~い。

ストレスを軽減するために、美智子さんは、お遊びにならねばならないのです。皮肉言うなんてとんでもないこと。(笑)。大(笑)。

・・・カメラの入っていない時間の方が、圧倒的に多い両陛下です。広大な敷地の中にお暮らしでもある。

天皇の肘につかまって歩かれる姿を

「天皇が勝手なことをしないように捕まえている」

と評する声もあります。なるほど、と思いました。

それはともかく。

戦没者慰霊の日には、弱弱しさを前面に出されてのおふるまいでした。体調は日替わり、舞台次第。

武道館ではよろよろバージョンでした。

よろよろと、しんどくても病身に鞭打って出てくる美智子さま、の、さすがの、従来通りのお姿でいらした。でも。

アイシャドーがピンクでした。きらめくタイプ、と呼んで過言でないものでした。

陛下は、国政の長である安倍首相に対して、天皇として礼を尽くす態度でおられました。

美智子さんは安倍首相に、拝をされませんでした。無礼者でした。

頸がお痛みになるから。そんな言い訳はもう、ご免です。


そして、東宮夫婦は今年も、静養の地で、この日を迎えていました。

いま、知る限りでは今年は、ご一家で黙祷された云々のでっち上げは出ておりません。

そんなものはすでに、何の意味も無い。

今年の5月の千鳥ヶ淵の慰霊の日に、あの夫婦は、何を思いついたか、ルーブル美術館展に、ぞろりと出かけておりました。

黙祷って何の意味かもしれないのでしょう。


反省という意味も、どんな風にお使いでしたやら。

陛下の中には、あえて強いて、おかしなことを口に出そうとの意志は、おありではない気が、わたしには、します。

何も解っていないくせに、そういう言葉を使って、自らを「美しい感じ」に仕立て上げたくて仕方のないどなたかが、おられます。

あの方に「反省」を乞うたりしたら、どんな顔、どんな目をなさるか。

想像すると、こわいより何より。

絶望しそうです。

すでにしかけている気もします。

もう今日は、書きたいように書きました。

反省はしません。










あの戦争には何ら関わりのない、
私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、
謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。


(2015年8月14日安倍談話)












     大いなるトンボ来たりて去り行けり かの殿下より端然として

     ともかくも夫が伴ふ形にて とーぐー一家の静養の旅

     二十余年かけて見せられぬそれなりの殿下が「アレ」に変わりゆくさま

     いっしんに鳴きゐる蝉は知らざらむ己れのいのち皇室の明日

     いのちとはまこと重きか今朝鳴きゐし蝉の骸のかくごと軽し


     皇后はストレス重くゐませると またもや民を恫喝なさる

     ストレスもあらすと思ふ さはされど皇后陛下がそれと宣らすや

     傲慢にして自愛の人と明確に認めてわれのこころ晴れたる

     今上を杖に出ませる 思ひ詰め思はせぶりの顔をさらして

     国の民ら皇族さまほど暇ぢゃない 動くもサボるもお静かに乞ふ


 宮内庁の風岡典之長官は13日の定例記者会見で、ストレス性の心筋虚血の疑いがあると診断された皇后さまについて、公務に尽くされてきたことが影響しているとの見方を示し、ストレス軽減のための対応方針を示した。

 風岡長官は、皇后さま自身は普段の活動が負担やストレスになるとは話されていないとしつつも、長年公務に心を砕かれてきたことによる「体への影響は当然あると考えている」と、事務方としての見方を述べた。

 その上で、〈1〉日程の組み方を工夫して行事の間隔を空けるなど、活動や日常生活できめ細かい配慮を行う〈2〉音楽や絵画など私的活動にあてる時間を増やす〈3〉体調を注意深く観察し、変化を早期に把握するよう努める――と対応策を説明。ただ、公的行事の数自体を減らすことについては、「直ちには考えていない」とした。


〈2〉音楽や絵画など私的活動にあてる時間を増やす

・・・・・・みちこさまの「公務」って、ほとんどこれだったはず。

こういう時に使う言葉として。

唖然。呆然。失笑。憤然。ええかげんにせんかい(あら失礼・笑)。その他いろいろありますね。恥知らずもここに極まれり。

   

     次男さまは父よりも母よりも賢ければお苦しからむ 兄は論外

     自然体にて発光するがの両殿下おわしますこの国よ 弥栄

     

     



鳩山由紀夫が、ひざまずいて土下座して「謝罪」しました。

韓国で。

神妙な、もっともらしい顔をつくって、己の中へ入り込んで。



あいつを出すな。

出たなら入れるな。

この国へ。

元・総理の肩書、剥奪して欲しい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下の説に同感、いま取り急ぎ。


鳩山氏の「土下座」 元首相の自覚なき「友愛的行為」=論説

サーチナ 8月13日(木)14時15分配信

鳩山氏の「土下座」 元首相の自覚なき「友愛的行為」=論説


 鳩山由紀夫元首相が12日、韓国のソウル市内にある西大門刑務所歴史館を訪問し、記念碑に向い正座して手を合わせ、続いて平伏した。


 鳩山由紀夫元首相が12日、韓国のソウル市内にある西大門刑務所歴史館を訪問し、記念碑に向い正座して手を合わせ、続いて平伏した。

(略)

 首相経験者から「元首相」という肩書は切り離せない。首相は一般に「日本を代表する人物」と見なされ、退任後もそれに準じる存在とされる。望んでなったからには「自ら選んだ責務」ということだ。

 現役の首相ならば、周囲には意見を具申する人が多くいる。各種情報が集約される仕組みもある。しかし首相でも国会議員でもなくなれば、そうではない。結果として「個人の思い込み」で突っ走りやすくなる。「元首相」の肩書には、そういう“あやうさ”がある。

 日本には思想、信条、表現の自由がある。だれにでも、西大門刑務所で「地に平伏」して謝罪する自由はある。しかし元首相の行為は「日本人の考えの潮流」のような印象を与えかねない。「肩書の重さ」とは、そういうことだ

 日本には「できる限りの謝罪をしていくことが責務」と考える人もいる。「謝罪を繰り返すだけではよい未来を築けない」との主張もある。そして元首相が不用意に“土下座”すれば、多彩な意見を一色に塗りつぶして見せることになりかねない。

 最大の問題は、鳩山元首相が「元日本の総理として、ひとりの日本人、人間としてここに来ました」と述べたことだ。「元日本国首相」の肩書の“微妙さ”を理解しているとは思えない。せめて「あくまでも個人としての気持ち」と述べていたなら、そうは問題にしなくてもよかったところだ。

 鳩山元首相は「友愛」を信条にしている。個人として、政治家として「友愛」を理念とするのは、すばらしいことだ。しかし、「目先の“友愛的”行為」に飛びつくだけでは、「友愛にあふれる社会」から逆に遠ざかる場合もある。「友愛」という理念の実現には十分な配慮と、時にはしたたかな計算が必要だ。(編集担当:如月隼人)
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