今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

ご静養の夏。(?)。

皇后さま、心筋虚血の疑い=来月冠動脈CT検査―宮内庁

時事通信 7月29日(水)16時35分配信

 宮内庁は29日、皇后さまに心筋虚血の疑いがあるため、8月9日に東大病院で冠動脈のコンピューター断層撮影(CT)検査を受けられると発表した。
 
 名川弘一皇室医務主管によると、皇后さまは6月末ごろから胸に痛みがあり、徐々に頻度が増してきた。7月24日に24時間心電図検査を受けたところ、心筋虚血を疑わせる所見が得られた。7月上旬に宮内庁病院で受けた定例の健康診断では、異常は見つからなかったという。
 このため、テニスなど心臓に負担の掛かるような活動は控えるが、現時点で公務を取りやめる予定はない。皇后さまには名川医務主管らが29日、検査について説明し、了解を得たという。
 


ご存じですか、症状のない狭心症?

 狭心症や心筋梗塞は、心臓の筋肉(心筋)に栄養と酸素を送る冠動脈が動脈硬化などで狭くなる、あるいは完全に詰まることにより心筋に虚血を引き起こす疾患です。狭心症の症状には胸痛のほか下顎や左腕の痛み、喉が詰まるなど、さまざまなものがあり、痛みは5分以内に消失するのが特徴です。また心筋梗塞の場合は、胸痛が30分以上続き、生命に関わる場合もあります。
 しかし、症状のない心筋虚血(無症候性心筋虚血)もあるということが、最近わかってきました。それは、24時間継続的に測定できる心電図(ホルター心電図)や冠動脈造影法などの検査法の進歩により、症状がなくても病状が進行している場合があることが明らかになったのです。


○無症候性心筋虚血の3つのタイプ
心筋シンチグラフィ ○無症候性心筋虚血の3つのタイプ

無症候性心筋虚血には3つのタイプがあります。
 1)狭心症、心筋梗塞と今までに診断されたことのない人、自分では健康と思っている人の中にみられる無症状の心筋虚血
 2)心筋梗塞発症後に現れる胸痛を伴わない心筋虚血
 3)明らかに狭心症があり、同時に併存する症状のない心筋虚血
 2)3)の場合は、明らかな虚血性心疾患が認められているため、無症候性心筋虚血は比較的見つかりやすいわけですが、1)のタイプは早期発見が困難です。
 こうした無症候性心筋虚血を発見する方法としては、ホルター心電図や運動しながら測る心電図(負荷心電図)、さらに心電図で変化が現れない場合もあることから、疑わしいときは負荷心エコー(超音波検査)、負荷心筋シンチグラム(放射性同位元素を用いて心筋虚血部位を描出する方法)などの検査法があります。

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このようなニュースが夕方、流れました。

来月8日にCT検査。入院されるのでもなく、自覚的な症状はほぼ、おありでなかったようです。

<テニスなど心臓に負担の掛かるような活動は控えるが、現時点で公務を取りやめる予定はない。>

お医者さんの所見が、これですから。

とうぜん、テニスなどはお止めになって。

酷暑の時期ではありますし、おからだ、おいといなされますよう、と、勝手に願います。

若い世代にあれこれお任せになって、広くて静かで空調の効いた内も外も理想通りの景観。

56億円のご自宅、御所で、まことのご静養をと、思います。

ご高齢をおして、正装めいた衣装であちこち、今上陛下を杖として、お出かけになられるのが、美智子さまの主なるお仕事とも思えません。這ってでも、の気迫はもう、お捨てになられては、と。

「這ってでも」どこかへ行かれなくても。

「わたくし」が、あれやこれや、それや、そんなものも、「守って」差し上げなくても。

「戦争の芽をお摘みあそばされ」なくても。

どこの誰が、皇后陛下に、そのようなことどもを、期待したでしょうか。

本当に、私的なお出かけが多かったこと、再び顕れて来ています。

公平に人と接するには。特に親しい人を作らないこと。親しいことは、さりげなくひそやかにしておかれること。

皇后さまに於かれましては、この鉄則はまったく、無きがごとくだった長い歳月。

望み得るものなら、静かなお暮らしのまにまに、唯一無二のご存在、最高神官の奥方として、神さまに額ずくがごとき静謐で敬虔な日々を、お送りいただけたら、と、感じた次第です。

陛下が、心細くおられるでしょうか。

鴛鴦の絆、ご心配ではいらせられましょうが。

ご公務はともかく、いろんな場所へのお出かけも、少なくなれば、お体にも障ることなく。肘に妃をぶら下げて歩く苦行を強いられることも無く。

陛下にも、いささかはご静養の時が、とも、期待してしまいました。






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ほうほう顔



最近、ミスが多くて、ちょっとわれながら呆然、の感があります。

暑さのせいにはできないうっかりぽん、です。

既に出てしまった記事のことも、あれこれ知らないことを追っていて、あら、と思って、いったんメモしておくつもりで。

のものでした。

けれど、既にお読み下さったお方もおられますし、このまま進めようと思います。

皇室画像掲示板より。


Name 名無し 15/07/28(火)20:27 ID:R4Db9.z. No.1390020
>最近目にした事例では、昨年(平成四年)十二月二十四日の産経新聞朝刊に、重大な事例が報ぜられている。

それは警察当局が平成五年から、天皇皇后両陛下の都内の私的外出に限って、
その警備体制を大幅に縮小する方針を固めたというのである。

さらに記事は次のように述べる。
「警察当局がこうした方針を決めたのは、両陛下の私的外出が急増したのが主な理由。

昭和天皇の晩年でのお出かけが年間二十~四十回だったのに対し、即位後は四百回前後に。
今年、一月~九月での三百回のお出かけのうち、二百五十回は赤坂御所から皇居への御通勤のほか、
テニス、スケートや知人との懇談などの私的外出だった。

多数の要員を配置する皇室警備が一日に数回に及ぶこともあり、
これに伴う警察の市民サービスの低下への懸念や人員難の問題が浮上し、今回の措置に踏み切った」。


… 無題 Name 名無し 15/07/28(火)20:32 ID:R4Db9.z. No.1390024
>古来天皇皇后の外出は、行幸・行啓と称して重大視した。
江戸時代までの天皇は、殆ど外出されることはなかった。
現代においてそのようなことが可能なわけがない。

しかし外出に抑制的なられることは、皇室の貴い伝統と言えるのではないか。



お借りしました、ありがとうございました。

初めは、このところの秋篠宮家の皆さまの、怒涛の(とは言い方がおかしいですか)ご公務の様子に、気が引かれて。

両殿下で。殿下と佳子さまの御父子で。

あちらへこちらへお出ましになっておられ、どこに於いても大歓迎ぶりが、写真の中からも沸き立って来るようなお姿です。

両殿下をお迎えされる女性の神職の方の、美しい、また、心の入ったお辞儀。

本気で打ち振られる日の丸の旗。

笑みを絶やされないながら、清涼なオーラで輪郭を囲まれておられるような貴賓の気品をまとっておられる両殿下。

お父さまとご同行の佳子内親王の清らな感じ、美しくて清浄でまっとうな存在に、ひとの気持ちって本当に安らぐんだ、と、うっとりと拝見します。




・・・みたいなことを、感じながら、記事をたぐっていて。

一番上のことを、見つけたのでした。

両陛下は、酷暑の中、愛知県へおなりだったとか。



パラオの時のごとく、陛下は白い長そでの開襟シャツ。

美智子さんは、フル・アクセサリーに、スーツに、共のお帽子。

ご夫妻のお着けになられているものの釣り合いが取れていないと、そちら方面に疎い私もじりじりします。

陛下のスタイルは、日曜日のお父さんの家庭内のスタイルくらい。奥さまのは、公の場所へ(公なんですが・笑)出て行く時の決められよう。美智子さんの方が、いつも、いつも、いつも、綺麗でしゅっとしていて、新しかったり「お洒落」風であったり。バランス悪いのです・・・と、また、感じていて。

まさこは言うに及ばず、いまの皇室って、まともな意見を発する人がいないかもしくは、聞かないだけか。

普通、市井の夫婦でも、夫はノータイでノージャケットで。妻はブローチつけてネクレスして、スーツ着けて、共布で誂えている帽子かぶって。

一緒に、人前に、出るって。どうなんでしょう。親戚の集まりに出るのなら、お帽子かぶってる妻は、ボコボコにされると思うな。

と。

服装の事ばかり言っているのも品の無いことかも知れません、品なんか無くてもいいから、やっぱり書きますけど。

目撃した方のおっしゃるには(正確には書いて知らせて下さったによれば)、美智子さんは、陛下の肘をずううっと頼っておられて。

陛下は、歩き辛そうで、なかなか歩を進めることが、おできにならないご様子だったと。

陛下が暑さに弱くていらっしゃるので(という言い分もありました)ジャケットなどは省いてさしあげて、とか、優しげなことを言い散らしておいて。

歩行に差し支えるくらい、杖代わりにしている。

杖をお使いください、美智子さん。

肘をあなたにお与えになっておられるのは、あなたの、単に従順なる夫であるのでない。

天皇陛下でおわします。


リフレインで、エンドレスで、言い続けたい・・・聞く耳持たなきゃ何でも無駄。


で。

ナルヒト氏を、今日、テレビで、うっかり見てしまう羽目になりました。

一人でどこかへ行っていて、手を振っておられました。

一人で、あちこち、お出かけみたいです。

もう、ヨーロッパの王室には呼んでもらえない人たち認定なのですね。

BBさんのブログで読ませていただきました。

国内でも同じですよ。本人たちが最もわかっていない。

先日の週刊誌の記事内にあった「夏休みに入ったら東宮家がする予定」と書かれていたこと。

「昭和20年企画展」でしたか。

行かれたようです、三人で。

わきまえた人間なら、色を控えた服装を選ぶであろうその場所へ、まさこは白いスーツで。愛子さんは淡いピンクっぽいワンピースを選ばれて着せられておられた、ナルさんは・・印象に無いです、普通に普通のスーツだった、かな・・。

いつもの

「ほう、なるほど」

「昭和という時代があったのですね」

「昭和はどんな方がおられたのでしょうか」

みたいな「ほうほう顔」で、見つめ(るフリをし)たり、うなずい(てみ)たり、猿芝居もそれなりに堂にいった顔つきを披露しているナル氏の横で、まさこは、にったりにたり、笑っておって。

愛子さんは、説明役の方の方を横目でうかがう顔の写真が、公開されていました。

行って、「ほうほうの顔」を撮らせて、世の中へアリバイ写真として出す。これが、あの、ええと、あのあたりの、やり方であり、日常です。

こなしました。



ぱちぱち拍手(なんかしませんよ!)。

まさこさんは空腹だったでしょうね。

夏のご静養前の、来てやった鑑賞こーむ。無事終わった、の図。
じこくは18時15分。時計は東宮夫婦よりよほど、正直で正確です。鉄板です。

写真撮らせたから、即刻引きあげて、ばんごはん食べ、に、行かれた模様です。

わかりやす過ぎて。

愛子さんの、学校からの「遠泳」時の話題に関しては、まだ、未知の部分が多く。

なぜか、水着写真が撮られて(撮らせて)おいでで。その水着が、例のあの、チェックの。

ばーばりーのようだ、と。

あの親は、ばかか。だ・・・・・。


今夜はこれにて失礼します。


コメントを頂いていてそのままで、失礼をいたしております。

明日も朝から家にいる予定です、もう一度読み直させてただきたいと願っています。

ありがとうございます。

お休みなさい、いい夢をご覧になって下さいね!。



ひとつ  と  ひとつ





広がっている

どこまでも平らにひろがっている

大地 とよぶのだろうか そこを

大地のうえは 宙か    そら

大地の上を風がわたり

陽光は降って  降り注いで

大地は白く乾いた

そらから雨がおちて

ざんざと落ちて

大地は湿った

また風が吹き

乾き

湿り

明るくなり    闇に覆われ

ある時 そのなかの どこかが

すこし 膨らんで

ふくらんだ形がやがてゆっくり起き上がって

うごきはじめた

もう一つは  彼方から来た

遠いところから 少しずつあらわれた

二つのものは向き合って

飛びすさって  離れて

近づいた

また離れて

一つが一つのまわりをぐるぐる回り

一つは一つに触れようとして

手をひっこめて  離れた  離れて暫し  戻らなかった

太陽のいないときの大地は

暗くて みしみしと冷えて  一つは屈みこんだ

一つは打ち伏せていた

ずっと ずっと  そうだった


片方の そらが  明るんで来て

二つは もう一つのそれが  うごきはじめたと知った

一つが近づいて行った

一つはじっとしていた

一つは一つに触れた  震えたひとつが  後ずさった

後ずさった一つを 一つは追いかけて

伸ばした先に一つが触れた

二つは飛びあがり  二つは後ずさって  灼きつける大地に 

どう と倒れた

陽光ではない

風ではない

雨でもなく

虹でもない

触れたことがそれを教えた

もう一つは  同じものだ

同じものだ


同じものか?

近づいて  離れて  もう少し深く近づいて 

くりかえし

くりかえした 

大地は闇になり

灼熱の地となり

風はやわらかく吹き  激しく吹き

ひとつとひとつは  もう一つずつの温度を知った

指に触れる鼓動を知った

見れば見返してくる目 というものを知った



むかし昔  太古のことか

生き物たちが生きることを止めてしまった後の  

すべてが消え去ってしまった後の

どこかの星の未来のことか



おとこともおんなとも   

それさえ分たぬ 一つと一つ

確かな一つ 確かなもう一つ

肉体ではない魂のお話


そこにいて  ここにいた

ここにいる

ひとつとひとつの物語を

見た




    2015年7月26日 神戸・COPARATIN

          第5回PDN(ポールダンスナイト)ラストステージに於ける

    舞踊派詩人マーベラス と柚月恵 の ダンス・コラボレーションに寄せて

                      





花火。



空の青い風の乾いて心地よい夏の一日が始まっています。

テレビでは高校生の野球の地方大会の模様が流れています。

わたしの地方の準決勝の第一試合の、今、佳境です。ボールを追ってかーっと走って行って、キャッチ。嬉しそうに投げ返しているティーンエイジャー(古い?・笑)の、笑顔が、可愛い。完全なばあちゃん目線の自分が、楽しいです。

夕べは用があって夜に外出。

車窓の正面に花火が上がりました。

あ。

花火。

自分は助手席ですので、左窓であがる花火、ふたたび正面にいる花火。と、ずっと追っていて。

豊かな気分になりました。


     胸にひらく海の花火を見て帰り独りの鍵を音たてて鎖す


と詠んだのは、寺山修司。(もしかして引用の文字がちがうかもしれません、後で正しくしたいです)。

わかり過ぎるくらいにこたえる一首でしたが、昨夜は、ただ、綺麗だわ、いいわ、と、うっとりと眺めていました。

しあわせなのか、鈍くなったのか。どっちでもいいし、どちらでもあるかも知れません。


もうすぐ、出かけて、帰るのは明日になります。








真の皇族であらせられる秋篠宮両殿下のおつとめくださっている様子の、なかなか報道されない、おかしな国ですが、見つけましたものを、貼らせていただきます。

動画を撮って下さったお方に、お礼を申し上げます。

三つめは、佳子さまの動画です。

もうすぐご帰国の眞子さまが、ホンジュラスへ公的においでになられるとも聞き及んでいます。


 天皇、皇后両陛下は23日、皇居・御所で、初来日したホンジュラスのエルナンデス大統領夫妻と会見された。今年はホンジュラスなど中米5カ国と日本との外交関係樹立80周年にあたり、大統領から秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまを同国に招待したいという話があり、天皇陛下は「お気持ちをうれしく思います」と応じられたという。

 眞子さまは昨年9月から1年間の予定で、英レスター大大学院に留学されている。宮内庁によると、他の中米諸国からも招待があり、早ければ今冬にもホンジュラスや周辺の国を訪問されることを検討しているいう。実現すれば、眞子さまにとっては初めて単独で外国を公式訪問されることになる。

 ホンジュラスには平成15年に結婚前の黒田清子さんが訪問している

来日中のホンジュラスの大統領は23日午後、皇居で行われた天皇皇后両陛下との面会の中で、眞子さまを招待する意向を示し、陛下は「そういうお気持ちをうれしく思います」と述べられたという。


私は嬉しいです。

はらはらしないで、はらはらどころか、どなたにどこで見て頂いても不安の要素まったく無し。どや、どや、うちらの眞子さま。って。

日本の、雅な、凛々しい、背筋のぴしっと伸びている、まことの内親王さまを、海外の方に知っていただける。

大自慢の気持ち。

嬉しいです。

花火。

ばあ~~~~~~~~~~~~ん。


花火。

わかい頃のわたし、「火花」の作家さんの「目」に、ふらふら~っと、寄っていってしまったかもな、とか、ヨコシマなことを先日、考えていました。ともだちが、引きとめようとして服の裾、必死で引っ張ってくれているのを、気づかないで。気付いていても、けっとばして。

いや。

眺めていたいだけなのですけどね。


(笑)。行ってまいります。







本当だから仕方がない。



久しぶりに週刊誌を買った。 女性自身。

表紙に

「安保法案強行採決 日本が壊れてく!!」

とある。日本語も壊れてく!!。

「寂聴(93)安倍首相は日本の恥です!」

とある。あなた様の恥度が高いです、おそらく。

んで。

美智子さま(80)悠仁さま(8)世代の命守りたい―――玉音放送原盤公開に込めた‘平和への祈り‘

「私は‘戦争の芽‘摘み続ける!」


ですと。

表紙だけでこれだけあります。

中に進めばグラビアページに、

相合傘 by 美智子さま 

相合傘 by 陛下

‘愛‘こそがすべてを乗り越える原動力です

いつもの仲むつまじさ

雨の日もラブラブ両陛下



ただ1ページのグラビアの中に、これだけてんこ盛り。

なんだかな。

尊敬されているとは、思えないんですね、わたし。

で、次の両陛下のお写真は、本文の中にあります。

和服の美智子さま。お隣の陛下は、またお隣におられる安倍首相を、横目で、見ておられる。

この陛下のお顔が、とても正直に

「こいつキライ」

な表情でいらして。

ああ、やっぱり、美智子さまのお嫌いな安倍首相を、陛下はお嫌いなんだな。と、納得を誘う一枚が選んでありました。

現在店頭に並んでいる最新号の内容を、あまりぶちまけるのもナンかと思いますが。

少し書いてあることに、触れてみます。


7月17日、秋篠宮さまと紀子さま、次女の佳子さまが東京・青山で『はがきで綴る戦争の記憶ー千の証言展』をご覧になりました。

展示品の中には「『生きて帰ったら叱って下さい』と書いてある17歳の特攻隊員の‘遺書‘もありました。



皇太子さまと雅子さま、愛子さまは、夏休みに入るとすぐに千代田区の「昭和館」を訪問される予定だ。昭和20年の終戦に関連した展示物の中でも、特に愛子さまは「玉音放送を聴いた小学生の作文」に興味を持たれるだろう。

こう、書いてあるのですが、東宮家のそれはあくまで「予定」であり、愛子さんが作文に興味を持たれるだろう、の記述は、これを書いている汽車の想像であるわけで、現実には東宮家の三人はどこへも姿を現していないし、愛子さんが作文に、云々の想像は、過去に、うんと世代の違う人間がなりすまして書いたと思われる・・・そうとしか思えない「作文」が、幾つか、愛子さんのものとして、出されていた「実績」によるものと考える。

イマドキのお子の愛子さんが「氷砂糖の甘さ」がどうとか。

御堂関白記に関心を持って、どうとか。

まあ。

記事中にはあれこれ、他にも、ありますけれど。


「私は‘戦争の芽‘摘み続ける!」

表紙にこう、デカデカとやられちゃっている「元」は。

昨年10月、傘寿のお誕生日に際してのお言葉に、ある。

あの際の発言では「A級戦犯が」の激震フレーズが、先に、取り上げられて来ていたのでしたが。

「今、平和の恩恵に与っている私たち皆が(略)争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を(略)」

ここであったと、記事にあります。これが、!!がついてしまう形で、書かれてしまうわけです。

こういった発言は、非常に危険だと思います。

政治的ですらあります。違反です。

皇后と言う立場の方が、口から流れ出るままに垂れ流していい言葉とは考えられません。

実際に。

驚くほど「アベが悪い」カラーに染まり切った、この週刊誌の、この号の、寂聴だか他の誰だかが、自分たちだけが平和を望む者、自分たちだけが正しい者、の位置で、好き放題なことを言っているこの号の、トップ記事に、。

玉音放送原盤公開{KUON註:8月1日であるとか)に込めた‘平和への祈り‘と。


サブコピーに使われてしまっている。

悠仁さま世代の命を守るために天皇ご一家が‘総出の闘い‘を!

ここに、悠仁さまの名を挙げるられる必然性は無いと思われるし、何より、この類の媒体であるとしても

「闘い」とは穏やかでない。

天皇ご一家が、総出の闘いを、と、これ違うんじゃないか。

どこに対して、何の闘いか。皇族って闘うものか(正田夫人は縁談とはストラグルー闘いの面があると、皇室に対して言い切った方でしたが)。

それに。

天皇ご一家、など、どこにその実質が存在するか。

秋篠宮家は、その混沌の中に巻き込まないで欲しいと民は願うし。

巻き込まれようのないご存在であるだろう。違い過ぎれば寄り添えない。

混じり合えない。

闘い、だと。

既に利用されておられるのですよ、美智子さま。

こんな文字が踊っていますよ。見出しの一つ。

そのまま写します。


戦後70年という節目の年に、日本の‘平和

を揺すぶる‘法案が成立しようとしている。

天皇皇后両陛下はこの異常事態をどのよう

なお気持ちでご覧になっているのだろうか


語るに落ちるとは、このこと。

この赤い文字で引用した文言の中で、天皇皇后は、どんな風に扱われておられるか、と、感じませんか。


利用されておられるではないですか。ばっちり。この法案が成立することを「異常事態」とする側に、勝手に組み込まれているのです。


どっちかに利用されるようなことは、口から出されないのが皇族と思っていました。全円のようなものと。

何をどう仰っても、うっすらとでも色がついていれば、どんな風にも話は向いて行く。

黙っておられるのが道。



天皇とは、祭祀を行う方。祭祀王。

唯一無二のそのお立場は、ひたすら、天皇として生きられること、に、意義があると、思っていました。

天皇のお立場は、

国の繁栄、国民の幸福、世界の平和、に対して、祈って下さること。

ではなかったのでしょうか。

他の誰にもできないおつとめを、続けて下さること。

皇后陛下とは、そんな天皇陛下を、お支えするお方。ではなかったか。

ウロウロと、何をなさり、何を垂れ流しておられるのか。

申し上げたい。老害とは、こういうことです。

週刊誌の記事をもとにして、美智子さまに対して何を、と、思われる方がおありでしょう。

この雑誌は、長きにわたって美智子さまばんざい、を、押し通して来た経過があります。

美智子さまへの批判はほぼ無かった。許されていなかったのですね。

私も長い間、けっこう、目を通して来た感があります。

最近感じること多いのは、本当に好き勝手に、無礼千万に、扱っているな、ということ。

何を。

どなたを。

美智子さまを、です。

雅子さんを、です。

たしかこのお二人は、皇室の方だったと記憶するのですが。

雨に破れかけた街角のポスター、みたいです。























なんとなく書いてみました。[全文」追加。



年に何度もタイへ行っていた時期があった。

ほとんどバンコクにいて、夜はタイ式のマッサージを受けたり、ごっちゃごちゃに物も人間も混じりあった極彩色の夜市、パッポンを、ビーチサンダルで歩き回ったりしていた。若い(主に)アメリカ人の男たちがひしめいている店頭の、チラリと見える内部では、何も身に付けていない若いと言うより稚い女の子たちが、台の上で、もの凄い音量の音楽には関係なく、にょろにょろと身を揺らしていた。

何か強く勧められて肘をとられて「ん?」と見ると、小柄なその男は私に「おとこいらんか」と、訴えているのだった。丸い真剣な眼だった。要らない。

みゃあ。と、断る。みゃあ。猫みたいなその一言の意味が「ノー」なのだ。

昼間に会う男たちは、金の指輪を幾つもして時計も金無垢、メルセデスに乗っているような人種だった。

嘘ばかりの人間と私は見ていたが、あちらにとってはぜんぜん嘘では無かったのだとも、思う。

オフィスで出してくれる(最高級の)日本製のインスタントコーヒーは、いつも、激しく濃いものだった。

歓待されている証だったと思う。

四重帳簿を使いこなす華僑たちにふるまわれたあのコーヒー、いっぱい幾らについたことだろう。と。ずいぶん後になって言い合って笑ったりできたのだから、幾らかは幸運だったのだろう。多分。

タイでは、オリエンタルホテルの朝食も、屋台の細い麺も美味しく食べた。


パタヤという島へ渡った。

舟を着ける場所は無く、海辺の浅いところへ突っ込んだ小舟から、直接、海へ下りて、じゃぶじゃぶ歩いて浜へ上がる。

すぐに何人かに引っ張られて、ビーチ・チェアに押しつけられて、右足、左足、左手と一人ずつ女性がとりついて、マッサージのようなことを始める。自由な残された右手には、ストローを差したヤシの実を受け取るのである。

マッサージもどきをしながら、手足の女性たちは、自分たちの言葉で自分たちの話をしている。タイの女性たちは、呑んで昼寝してバクチなどもしているご亭主を、こきおろしながら養っているケースがほとんどだ。

アタマの方へ回って私の「頭皮をマッサージする」ことにしたらしい女性は、片言の日本語で、あれこれ話しかけて来る。

おくしゃま、おくしゃま、と、呼びかけて来る。甲高い声の「おくしゃま」は、可愛らしい感じ。あちらにとっては懸命のビジネス。

これら、当然、ようこそパタヤへ、のサービスなどであろうはずがなく、お金は払うのである。不要と思えば断らなければならない。

黙っていれば「イエス」なのだ。

マニキュアもしましょう、足の裏もおくしゃま、押しますですよね~。

うんうんと聞いていながら、お任せにしながら私は、

「わたしは、おくしゃまなんかじゃ、ないのよ~」

と、心で応えていた。

「宝くじを買った=三億円当たった。」

「商談が少し進んだ=ものすごい利益が明日にも手に出来る。」

このごとき思考回路の人間どもが、私たちの周辺に生息する「身内」だった。



パタヤで、銃を撃った。

重そうな鍵を使っていろんな銃を保管してあるケースを開けて、初心者にいいだろうと渡してくれた焦げ茶色の銃は、けっこうズシリと来るものだった。

ここへ肘をついて、と、教わって、位置について、目の先の「的」を狙った。実弾である。

引き金を引いた途端、跳ね飛ばされたように首がのけぞって、びっくりした。

弾一つを撃つのに、これくらい衝撃があるのだと実感した。

気持ちを引き締めて、もっと撃った。

もうワンコース追加して、何発も撃った。

日本では出来ない経験だった。それ以来していないし、この先も、銃を撃つことはないだろう。


私の撃った銃の的は人間の形をしていた。

人型を、撃ったのだ。何回も。何発も。

狙った部分は、心臓のある左胸だった。頭部でもあった。

私は、それが許された状況を手に入れて、人の、心臓や頭を狙って、撃った。

初めて銃を手にして、誰に命じられたのでなく、自然に、そうしたのだった。

うまく当たったかどうか。そういうことではない、うまく当たらなかったのがほとんどだった。

しかし、狙ったのは、心臓だった。頭部だった。

こういうものなのか、と、経験しなければ考えなかったことを、考えた。

古い話ではある。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どこかで、読み違えかパロディか、それすらうまく判断できないでいるのだが。

<ころすよりころされたい>、とか、読んだ気がする。最近のこと。

どんなに世の中が残酷になっても、みたいなことも、書かれていた。

自分は、そうしたくない、だったのかな? 何をされても甘んじるのかよ、と、奇妙な気分で読んだ。

ガンジーまで行けるなら、すごいことだろう。

私は、自分の腕にとまって自分の血を吸っている最中の蚊は、叩きます。


万年野党の例の党のポスターに、海外で戦争をする国にさせない、とか、もうずっと、書かれて貼られたままだ。

それはまあ、そうなんだろう。

そうなのかあ? 頭の中、熱湯が沸いているな。

自分の身は、自分で守る。アジアの国々へ行く時、いつもそれを実感した。守りながら、歩き回った、危険なところへは一人で行かなかった。足の具合が当時からよくなく、何かの折に、身軽く走って逃げられない。

ハンディのあるわが身は、運転手を一人、ガイドを一人、連れて、格闘技を見に行った。当時で一日5000円くらいの出費。

会場には警察官もいっぱいいたが、警察官たち自体が、男同士のタタカイに血道をあげていて、ヘタしたら暴動だって起きて、警官を職とする男が主導する暴動なのかも知れず、警官が外国人をスマートに守ってくれる保障なんか絶対にない、ところで。

自分で雇ったガードマンを、とりあえず、恃む。それだって日本人の職業意識を基本には考えられない、でも。

自分の身は自分で守る。

自分たちの国は自分たちで守る。どこの国だってそうなの。そうでないと、どうしたら思える?。

もちろん、わざわざ喧嘩しに行く気持ちは無い。無いが、日本みたいじゃないどこかが、来るかもしれない。

当たり前の話ではないかと思うが。

ころすよりころされた方がまし。そう、考えるのは、おそらく、たぶん、きっと、自由なんだろう。便利な言葉だ、自由。

自由。平和。権利。大変だ、本当に守って行くのは。行使して行くのは。

ころすよりころされたほうがまし?。

私は、そうは、思わない。

ころすのも、ころされるのも、イヤ。これが本当、わたしには。

ころしに行くことを選択しないことは、出来る。でも。

ころしにくるようなやつを、見分けにくいし。実際。


幼い孫を連れて電車やバスに乗る時は、コロンの小さなスプレーか、口臭防止用のやはり小さなスプレーを、バッグにひそめていた。

私は、孫を、守りたい。守らねばならない。もしも予期せぬ、招かざる誰かが、走っている電車の中で何か思いついて、よからぬ考えの下、近づいて来たりしたら。

私は、孫を自分の腹に押しつけて、危惧を与えようとする人間の目に向かって、スプレーを発射しよう。

相手がひるめば、とりあえず、その場はなんとかなる。

私は孫と共に逃げる、他の車両へ移ろうとするだろう、私の行動に気づいた周囲は、もしかして同じく逃げるか。

気付いても逃げないでいて、いささか態勢を立て直して怒り狂った(かも知れない)相手に、もしかして殴られてしまったり。

いろんなケースがあるだろう。

私は、危険が近づいて来たら、守りたい者を、守る。

私が、どんなに平和を愛して望んで願っていて、誰かを傷つけたりなど絶対にしたくない人間でも、訳のわからない「何か」は、不意に、理由なく、訪れて来るかも知れない。

今でもだから、小さなスプレーはバッグに常備しています。

前に坐っている誰かに、突然、誰かが襲い掛かったりしたら。勇気を振り絞って、しゅーっとしてやろう。

その場でできることを。シュミレーション、アタマの中でしています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

見つけました、安全保障関係の法改正に反対するチラシに、全文。

殺すぐらいなら殺されよう

「どんなに世界が残酷で
日本に危機が及んでも
攻撃や侵略をされても
私たちは戦わないと
日本国憲法に誓った。
守ったり戦ったりするより
私たちの心にある
永久に平和を大切にしよう!」


全く理解できない。いろんな感情が噴き上がります。




少年期。







秋篠宮ご夫妻と長男・悠仁さまは18日、山形県を訪問された。伝統芸能にふれ、和太鼓にも挑戦された。
悠仁さまは、秋篠宮ご夫妻と午後2時すぎ、山形・遊佐町(ゆざまち)の神社を訪れ、国の重要無形文化財に指定されている「杉沢比山(すぎさわひやま)の舞」を鑑賞された。
和太鼓にも挑戦し、悠仁さまは、秋篠宮さま顔負けの見事なバチさばきを披露された。
その後、鳥海山(ちょうかいさん)からの清流、牛渡川(うしわたりがわ)で、「梅花藻(ばいかも)」という水草を観察された。
悠仁さまは、これまでにも、各地の風景や文化にふれる旅行を重ねられている。


数日前のことになりますが、貼らせていただきました。

のびのびと子供らしいご様子で好奇心もたっぷりで、かつ、しっかりと躾けられたお子さまと見える頼もしさ。

なんとも素敵な「少年ぶり」。

何度も動画を見なおしました。

三番叟を舞ったのは、小学校の三年生さんとか。

舞いも素敵、その後、皇族を目の当たりにして、直立しているこの少年も、素晴らしいと思いました。

暑い日だったと思われますが、涼風がそこには吹いているような。

大きな存在感のお父さまでいらっしゃるだろう殿下と、控えた位置で本当に優しい嬉しそうな笑顔で見守っておられる妃殿下。

ひゃくぶんはいっけんにしかず。

拝見すれば

「何聞かいでもぜぇんぶ、わかる」。

すべてが顕れて見えるとは、このこと、と、ニヤニヤしてしまいました。




引き続き、ご一家は牛渡川に移動し、湧水生態学を研究する森誠一岐阜経済大教授の案内で水中に群生するバイカモ、カジカなどを観察された。川の水に触れた悠仁さまが「夏なのにどうしてこんなに冷たいのですか」と尋ね、森教授は「地下から湧いているので水温が13度ほどです」と答えたという。


「夏なのにどうしてこんなに冷たいのですか」


                   





望んだものは・・・画像あります・・・



昨日は神戸で「兄弟」という映画の試写会がありました。

五月のカンヌ映画祭に出品、上映された映画です。いってみれば「地味」な映画で、スターさんが出ているでもない、華やかな話題にのぼったでも無い一本でした。

監督さんなりの拘りの強い作品のようで、商業的なお気持ちは希薄なご様子で。

けれど、長女が、ポールダンサー柚月恵本人として、また、娼婦・ローズとして出演している(ちょっとおとぼけ風味のなかなかの味わいでした)ので、親としては、そのことだけででも、見てみたい作品でした。

日本での上映は、この試写会が初めてになるとのこと。行ければいいなと案じていましたが、先月末にしんどくなって初めてのお出かけ、車だったし行けました。よかったです。

写真も何も、今日の状態ではご紹介できない・・・いずれ、できれば、ということで。

シリアスな内容の画面の中で、やがてポールダンスのシーンになって。

舞台用のメイク、衣装、ライトの中で、ぐっと視線を決めて現れた「柚月」は、全きプロのダンサーの顔でした。

数分間の演技は、激しく。切なく。美しかった。強烈なインパクトを与えました。

現在30代後半の彼女が、30数年間、ただ「踊る自分」でありたいと踊り続けて、己の体と気持ち・・・本当は、魂と呼びたい・・・に、積み上げてきた、余分なものは削って削って、欲しいものだけを残したいと戦って来た、目指して来た「ピュア」が、そこにあると、感じました。

自分の娘だろうが、よくないことをいいと言いたくはない。書きたくない。照れないで、映画の中の彼女は素晴らしかったと。

今は言いたいです。

まだまだ一般的には認められにくい、ポールダンスというジャンル。何年か前、それを始める、後に続く子たちのためにひろめたい、と言われた時は、私にはためらいがありました。正直なところ。でもあちこち打ち身でアザだらけになりながら突進して来て。

クラシックバレエから始まって、ひたすら踊り続けて来た柚月恵の、空気を圧する存在感、世界感に、圧倒された「ママ」でした。

そうです、今でも「ママ」と呼ばれています。恥ずかしくないです。

ぎゅううっと強く、時にだだ甘く、身内にさえ揶揄されるようなイエスマンならぬイエスママ。言い切ります、私は、わが子を愛しました。

今よりもっとずっと、激しく(笑)未熟で愚かな人間でしたが、子を愛しました。

子も、愛してくれました。20幾つになった時、家を出て行った、その日まで。

今も。互いに、たぶん。

ほとんど会うことも無くなっている、電話もめったにしない、メールもしないし、来ない。

娘は娘の道をみつけて、支えて下さる方々、応援して下さる方々の中で、自分の世界で、もっともっとを目指しています

母は母で(わたしのことですが~笑)、自分がいる場所で、不器用に生きております。

・・・上映の後、サイン会でも撮影会でも、私と娘は、特に寄り添いもせず。写真の一枚ほどは、人さまのご厚意で、一緒に写りました。

「柚月」が、愛されている現場で、すみっこにいるのは幸せでした。

帰り際も、じゃあね、と、手を振って、それでおしまい、昨日は、おしまい。

今日は、生な感情をむき出した文章を書いています。

こういうのもいいじゃないか、たまには、と、自分を許します・・・恥じながら。


二十歳になる彼女に。かつて贈ったうたがあります。見つけました。他にもありました。

     二十歳を迎へむとする娘(こ)に望むただ一つ「ピュア」余は余にてあれ

     純白の汝にあれかし妬みそねみ痛み苦しみを塗りこめてなほ

     がむしゃらに一事に賭けて苦しみも自ら浄化さするかと見る

     先行きの保障の有らぬ道に賭け娘が舞台にて全身に笑む

     照明の光芒の中に飛び散りて刹那きらめき消ゆる子の汗

舞台の上で飛び散って消える汗のように。

その日のステージはその日、その場、その時だけのもの。

でもこれも。

記憶する者の中に、くきやかに、残る。鮮やかに残ってくれます。



     血の中に堕つるなと告ぐる声のあり時にしばしばわれを支ふる


月末、26日には、神戸・三宮で、夏のPDNがあります。ポール・ダンス・ナイト。

今回は最多人数であるというダンサーさんが、神戸の夜を熱く舞う。

その夜もまた、わたし、幸せを感じる一人でいるでしょう。




・・・昨日の試写会に際して、協力を下さり、温かいお気持ちを下さった、N・Sさん、T・Sさん。

ブログを介して知己を得たのでしたが、本当にありがたいことと感謝しております。K・Tさんにも。

ありがとうございました。今後もダンサー柚月をお見守り下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。

全くの私事である(わはは)記事にお付き合いくださった皆さまにも、ありがとうございますと、申し上げます。


ここから先は人様のお手にすがりました。

客席はこの後、つまって行きました(笑)、台風の影響で来ていただけなかった方もおありでした。


PCでご覧におなりの方は写真が大きく表示されると思いますが、取り敢えずupさせて頂きます。






客席はこの後、埋まって行きました(笑)、(喜)。






その群青の



皇太子さまご出席予定の「献血運動推進全国大会」中止に .

 大阪を訪問中の皇太子さまは17日、午前に茨木市の日本赤十字社近畿ブロック血液センターを訪れた後、午後から大阪市での献血運動推進全国大会に出席される予定だったが、いずれも台風11号の影響で中止となった。ご帰京は予定通り17日夕となる。



だということを、コメントで教えていただいて知りました。

昨日の時点の記事だと思われます。

ってことは、昨日のうちに、おうちへ帰ることも出来た・・・大阪―東京って、どんだけの距離。ふつう、日帰り出張の距離でしょう。

いろんな事情、空港での小旗振ってのお見送りなど、どうあっても一泊する必要があったのかな、お家だって、家族が待ちわびてくれる、マイスイートホーム、ではないようですし。

むかし。

家は家庭ではない、とかいうタイトルの映画がありました。英語でした、もちろん。ホームとハウスは違うよ~、って、そういう。

ナルさんのご自宅なんて、あんな広壮なハウスに住んでいる日本人は、少ないと思います。

それが「ホーム」ではないのですものね。


今朝のニュースでは、祇園さんの山鉾巡行は、行われるとか。



     求め来し手吹きグラスのひとつ泡 閉ぢこめられし永遠と視(み)る

     絵を購(か)ひぬ水辺の家の夕まぐれ優しく灯りのひとつ点るを

     キャットフードと海苔の味よりしらざりき十か月ほどこの世に生きて
                           ((オッドアイだった三代目のマミ)

     ぽたぽたと水の滴の落つるさま飽かず見てゐし仔猫とわれと

     聴こえざる猫に付けやりし金の鈴あのりんりんが今もふと鳴る

     抜け出でて撥ねられて刹那わが家へ駈けむともがき 死にしと マミよ

     若さゆゑ惑ふ苦しむわが子らよ母は人生の取捨を覚えぬ

     はばからぬ桜島こそ羨しけれ吾 が内側に火山冷えゆく

     ツィゴイネルワイゼン低く流しつつ香炉の灰の湿れるを掻く

     贈られしイヤリングなり海底に咲くひまはりの深き青(ブルゥ)の

     夕空はしだいに昏むひそやかにその群青のいろ深めつつ

     水満つるプールに投げしギヤマンのグラスゆらゆら沈みて割れず

     潮騒の聞こゆるごとし一休寺の白砂の庭を見飽かずをれば

     歪むなく癒えたる口と確かめて久々のルージュ深ぶかと引く


雨の音を聞いていたら、やたらセンチメンタルなわたしになっていました。

結婚してから猫は三匹飼いました。

初めの子は、長生きしてくれた、シャムの、とても母性的だったマミオ。

二代目は、やんちゃだった手足の太かった雑種のマミ太。ある日、消えて、それっきりになりました。毎晩待っていましたが帰って来てくれませんでした。

最後のいっぴき、純白の、金色とブルーの目をした、まったく耳の聞こえなかった、マミ。

出さないようにしていたのに、隙をついて外へ出て。

世の中を知らないし耳は聞こえないし、当時の家の隣は駐車場でした、うろうろとさまよい出て、ぱん、と、撥ねられたようです。

すっ飛んで着地して、ものすごい勢いで、自宅・・・私たちとマミとが暮らしていた家・・・の方へたたっと駆け出して、パタッと倒れてそのままだったと。

必死で探していた私に、見ていた方が教えて下さいました。

もっと一緒に、いたかった。外へ出してしまってごめんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の、猫たち。

今も、その名を書くだけで、涙が溢れます。忘れられません。

再び新しい子を迎え入れるには、自分の余命に自信がありません。

残して行かなければならないと思えば、猫のいない日々も、このままでいいよね、と。





     

     

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

  けふまでの日はけふ捨てて初桜

            千代女



やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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