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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。



いただいて参りました。NHK。

梅雨時なのに晴れ渡って青く澄んだ今朝の美しい空の色、風は清しく両殿下は素晴らしい。

秋篠宮ご夫妻 「結婚25年にあたって」全文




6月29日 7時06分

秋篠宮ご夫妻 「結婚25年にあたって」全文


秋篠宮ご夫妻は結婚から25年の「銀婚」を迎えるにあたって、対談形式の文書で感想を表されました。その全文です。


出会い

秋篠宮さま
 今年は結婚をしてから25年が経つようです。時間は常に経過していますので、取り立てて25年に意味づけをするものではないと思いますが、少し振り返ってみるのも記憶と記録を整理する上でよい機会かもしれませんね。

紀子さま
 はい。私たちの今までを整理する方法のひとつとして、対談の形もあるのではないかとのお話になりました。このような形に慣れておりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

秋篠宮さま
 もっとも、結婚する前にしばらく付き合っていた時期があるので、そのあたりから始めましょうか。いつのことか覚えていますか?

紀子さま
 30年位前になりますでしょうか。私が大学1年生の春、本を探しに大学内の書店に立ち寄りましたとき、初めてご挨拶をさせていただきました。

秋篠宮さま
 私の記憶に間違いがなければ、1985年の5月のことです。ちょうどそのころ、各地の文化や自然を楽しむことを目的としたインター・カレッジのサークルを作ったので、そこに誘ったところ喜んで入ってくれました。白川郷の合掌集落などずいぶんあちらこちらに出かけましたね。

紀子さま
 はい。いろいろなところを旅行して、地域の豊かな文化や多様な自然にふれることができました。

秋篠宮さま
 そして1986年、ある集いがあった後、あなたを送っていく途中に・・・。

紀子さま
 二人で信号を待っておりましたとき、突然、将来のことについてのお話があって、びっくりいたしました。大学卒業後は、海外の大学院に行くことを考えていましたので、どのようにお返事をしたらよろしいかと迷い、考えさせてくださいとお話しさせていただいて。 .

結婚にむけた準備

秋篠宮さま
 少し時計の針を進めましょう。私が大学を卒業したのが1988年ですが、その年の夏から暫くの間英国に滞在しました。この間、昭和天皇のご不例と崩御があったことから、しばしば日本に帰ることになりました。日本にいる間は、諸行事に参列するためだったのですが、そのおりに、将来のことについていろいろと話す機会にもなりました。そして、1989年の9月に公表するに至りました。これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく、皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが、1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で、しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると、私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので、手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。
 そして、私たちの結婚の時期についてです。秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で、昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。その間は2ヶ月もなく、大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。そのようなことから、私たちのときには、結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までにある程度の時間があったほうがよいとのことで、私が帰国した直後に式がおこなわれることになりました。

紀子さま
 とてもありがたい思し召しを賜り、感謝申し上げております。

秋篠宮さま
 話が少し前後しますが、昭和天皇の一周年の行事が終わり、私は1990年の1月から6月にかけては英国に滞在していたわけですが、その間、新たに住む家については、あなたに任せきりでした。もっとも、改築の平面図を見てもイメージすることができない私より、多少は空間認知に優れているあなたが見る方がよかったのは明らかでしたが。
 今のは自分にとって都合のよい言い訳なのですが、実際のところ帰国したのが6月21日で、6月29日の結婚式までは約1週間しかなかったことを考えれば、新居での生活の準備は完全にあなたへ依存していたわけで、このことについては申し訳なかったとしか言いようがありません。

紀子さま
 いいえ。むしろ、英国よりのご帰国を待っていたのかのように、式までの約1週間、宮中行事の習礼をはじめ、関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが、時差がある中、大変ではありませんでしたか。

秋篠宮さま
 幸いなことに、私は一般的に言われていることとは逆で、若いころは東へ向かうほうが時差の影響が少なかったため、それで大変ということはなかったと思います。

紀子さま
 新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで、新居について、相談をしたいと思いましても、当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて、電話やファクシミリで、英国との時差もあり、すぐには連絡がとれない状況でした。式までに考えるべきこと、決めるべきことがたくさんあり、大学院の講義も受けていましたので、時間が経つのが早く、準備を終えられるか心配でした。
 そのような中、宮内庁の職員が、改築や内装をはじめ、よく考え、提案してくれました。そばにいらしてくださったら、どんなに心強いかしら、と思うことはありましたが、いろいろな人の助けを借り、用意をある程度進めることができました。
 帰国されたときは、本当にうれしく、それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。


結婚の日と新居

秋篠宮さま
 さて、1990年6月29日の結婚の日は、結婚の儀にはじまり朝見の儀、その他の諸行事が朝からたくさんあり、夜の10時頃でしょうか、一息ついたときにようやく結婚したことを実感した記憶があります。もっとも、その翌日からもいろいろと行事があったので、何となく慌ただしかったですけれどね。

紀子さま
 はい。このよき日の行事を滞りなく終えたときは、安堵いたしました。
 大学院生としての日々から、公的な仕事をする生活となったことは、大きな変化でした。そうした中で、折にふれて、両陛下が導いてくださり、あたたかくお見守りくださいました。各宮妃殿下方にも、行事の所作や服装などを丁寧に教えていただきました。さまざまな形で多くの人から支えられましたことを、ありがたく思っております。

秋篠宮さま
 少しばかり新居となった家のことを話しましょうか。というのは、私にとって10年ほど過ごしたこの家には、けっこう思い出があるからです。
 当初、宮内庁は新婚の我々のために、仮住まいではあるけれど同じ場所に新たな家を建てることを考えていました。しかし、いずれ何処かに居を構えるのに、仮住まいのために立て直すその計画は無駄が多いように思い、現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが、こぢんまりとしていたぶん、非常に落ち着く場所でもありました。玄関を入って少し大きな声で呼べば、どこにいても大抵聞こえたのではないでしょうか?
 結婚後の生活をあの家でできたことはよかったと思っています。

紀子さま
 約60年の木造家屋を、二人で過ごせるように直して、新しい生活がはじまりました。そして、娘たちの誕生にあわせて部屋を増やしました。その中で、娘たちは成長していき、子どもたちの元気な声が響き、ギターやピアノの音もよく聞こえる、温もりの感じられる家でした。
  
秋篠宮さま
 今の家からは近くにあるので、この前行ってみたのですが、子供たちが小さい頃に遊び回っていたことを想い起こし懐かしく感じました。彼女たちも気に入っていましたよね。

紀子さま
 はい。今の家に移りましてから、またあちらの家で住みたい、と娘たちが話していたこともありましたね。


日本国内・海外の訪問などに関連して

秋篠宮さま
 ところで、結婚後には公的私的は別にして、日本の各地や海外を訪問する機会がたびたびありました。また各種の行事にも出席をしてきました。訪問場所や行事そのものというより、それらに関連して何か印象に残っていることはありますか?

紀子さま
 この25年の間に、日本国内、国外でいくつもの場所を訪問し、行事に出席いたしました。そして、さまざまな出会いがあり、多様な分野の人のお話を伺ったり、取り組まれている活動を見せていただいたりするなど、貴重な経験をいたしました。

秋篠宮さま
 そうですね。各地で温かく迎えてくださる方たちがいることは、うれしいしありがたいことです。

紀子さま
 また、健康作り、子育て支援や食育など、幼児から一人暮らしの高齢者まで地域の人々の暮らしを見守っている方々にも多くお会いしてきました。心強い活動と感じています。

秋篠宮さま
 私の場合には、たとえば学術や環境関係の授賞式等でご縁のあった人や団体が、その後さらに発展した形で社会への貢献をしたときなどは、とてもうれしく感じます。
 公的ということに関連して、あなたもよく知っているように、皇族には国事行為の臨時代行以外に公務は存在しません。あくまで公的な行為もしくは活動であり、言葉としてきちんと区別するべきものと考えます。そのような公的な仕事は、公務と異なりある程度自分の裁量で取捨選択ができてしまう。そのようなことから、声をかけていただき、それらが適当と判断されたものについては、できるだけ応えるように心がけてはいます。
 
紀子さま
 私もそのように努めてまいりました。そして、公的な活動でも、生活の中でも、宮家に関わる宮内庁や皇宮警察の職員をはじめ、さまざまな形で支えてくれる人たちがいることを大切に思っています。

秋篠宮さま
 いっぽう、これは私的なことになりますが、国内外であなたとは一緒でなく訪れている場所もけっこうあります。なかには、一緒に行ってみたい場所もありますので、近い将来の楽しみとして考えることにしましょうか。
 ちなみに、この時は眞子と一緒だったのですが、かなりの悪路ではあるものの、マダガスカルのチュレアールからムルンベへ行く途中に3種類のバオバブやパキポディウムを見ることができ、コーデックス好きにとっては素晴らしい12時間半のドライブを楽しみました。もちろん、ほぼ同じ時間をかけて帰ってきたのですが、ムルンベのバオバブの景観は本当に素晴らしいですよ。

紀子さま
 いつか見てみたいですね。


子どもたちのこと

紀子さま
 子どもたちが小さいときは動物園や博物館にでかけ、また、一緒に旅行もしました。その他にも、子どもたちとはたくさんの思い出がありますね。

秋篠宮さま
 先日、英国にいる眞子から父の日のカードが送られてきました。普段は必要最小限の連絡事項をメールでしているだけなので、妙にうれしい気分になりました。久しぶりだったからかな。

紀子さま
 すてきですね。私も眞子より母の日に羊の親子のカードを受け取りましたときは、胸が熱くなりました。

秋篠宮さま
 佳子とは比較的最近のことですが、珍しく一緒に買い物に出かけたことがありました。父親にたいしてつっけんどんな態度のことが多いのですが、意外と優しいところもあり、私が自由に選んだものについて、代わりに会計をしてくれました。もっとも、帰りに彼女にそのまま荷物を持たせていたら注意されましたけれどね。

紀子さま
 ほほえましいですね。佳子が小さかったとき、誕生日によく手作りのものを贈ってくれました。幼稚園のときだったでしょうか。私の誕生日に2つの贈り物を考えていたのですが、先に作った貝殻の贈り物を私に見せたくて、早めに渡してくれました。そのあと、誕生日にもうひとつの贈り物をもらい、お祝いを2回してくれた、かわいらしい思い出もあります。

秋篠宮さま
 悠仁もしばしば折り紙などの作品を届けてくれます。上の子どもたちと同様、もらったものには年月日を付して、飾ったり、保存したりしています。最近は、絵も上手になってきましたね。自分が絵を描くことが下手なので言うわけではありませんが、何かを観察してそれを絵として表現できると旅をしたときの記録として意味が出てきますので、どんどん描いてほしいものです。

紀子さま
 絵を描いたりするほかにも、切り紙をしたり、厚紙で入れものをつくったりしながら、いろいろなものを創り出すことを、悠仁は楽しんでいますね。
 私たちの手許には、子どもたちの小さいときからの作品がいくつもあります。どれも大事な宝物。普段なにげなく描いた絵から、本に登場する主人公や生き物などを描いたものが廊下の壁にかかり、折り紙やペーパークラフトが部屋に飾られています。


結婚したころと今と

紀子さま
 ここで、結婚したころと、それから25年たった今のお気持ちを伺ってもよろしいでしょうか?

秋篠宮さま
 このような機会がないと考えることもないですからね。
 1990年というのは、ついこの間のことのように思えますが、やはり相応に時間がたっているということを感じることはあります。仕事や研究などでいろいろな事柄を解釈・判断するときに、若いころでは思い至らなかったことが多々あると感じます。そのことで、ずいぶんと周りに迷惑をかけたことがあるように思います。
 もちろん、いまだに不十分で、反省と後悔すること多々ありです。精神年齢が未だ20代から進化していないのでしょう。

紀子さま
 私も結婚をしたころは、慣れないことや戸惑うことがあり、考えすぎることや力を入れすぎて、ご迷惑をおかけしたことがいろいろあったのではないでしょうか。今は遅ればせながら、力を抜くこつが少しずつわかってきたように感じていますが。
 このようなことにも「進化」という見方があるのですね。今でも、20代のときのような探究心や若々しい感性や創造性をおもちになっているのではないでしょうか。例えば、研究会に参加されているときには、そのように強く感じることがあります。

秋篠宮さま
 たしかに研究会等への出席は、今まで自分がもっていなかった知識を得る機会にもなり、有意義に感じることが多くあります。まだまだ好奇心は残っているなと。出かける前と帰ってきた後とでは、テンションが違うと感じることがあるでしょう?

紀子さま
 はい。お話しくださる様子から、心がはずむ時間を過ごされたのではないかと感じることがあります。

秋篠宮さま
 いっぽう、フィジカルな面は劣化していますね。走り回ることについては、佳子が小学生の時にリタイアしてしまいましたが、最近不便に感じているのが老眼。もともと遠視があったので遠からずそうなるだろうと予想はしていましたが、眼鏡が放せなくなってしまいました。まあ、いたしかたないことではありますが。

紀子さま
 私も小さい字が急に見えにくくなりました。また、疲れたとき、回復する時間が以前に比べてかかるようになりました。
 毎朝のように散策をされたり、休みの日には庭仕事をされたり、よく身体を動かされていますね。週末は、散策に私も誘ってくださいますので、四季の移り変わりを感じながら歩くこの時間は、健康のためにも、楽しみのためにもありがたいです。

秋篠宮さま
 25年というと、親・兄妹と過ごした年月より長く一緒にいたことになります。それだけの期間をともに過ごしていれば、共有することができた貴重な経験は数多くあります。また、誰かの言葉を借りれば導火線が短い私ですので、口論も多々あるのはごく普通のことでしょう。そのようななかで、ほとんど言葉に出さないので不満かもしれませんが、感謝の気持ちもきちんともっていますよ。

紀子さま
 それはうれしいです。

秋篠宮さま
 さまざまな書類、私の所に届くまでに不明な点などを整理しておいてくれますね。これは非常に助かっています。

紀子さま
 まだまだ至らないところもあると思いますが、そういう面でもお役にたっておりますなら、幸せです。

秋篠宮さま
 また、昔から何故か階段を踏み外しやすいことから、階段のあるところでは、滑り落ちないようにさりげなく支えてくれていますね。周囲から見ると、私があなたを支えているように見えているかもしれないけれども。

紀子さま
 こちらこそ、いつもこまやかにお教えくださり、また健康面も気遣ってくださり、深く感謝しております。
 また、一緒に生活をするようになってからわかったことですが、食べ物の好き嫌いがほとんどありませんね。私は、いくつか苦手なものがありますが・・・。食材を自由に選ぶことができて、助かっています。旅先でもいろいろな郷土料理を一緒に楽しむことができ、食文化に親しむ機会が増えたように思います。
 ほかにも、用事が立て込んでいましても、余裕をもって時間を守られていることには敬服しております。私は自分の時計の針を早く進めても、遅れ気味になってしまいます。もっとも、行事の前に私のところにいらして、あと何分と言われると、プレッシャーを感じますが・・・。
 お互いの気づきや発見がいろいろあり、自分と違う考え方だなと感じるいっぽうで、共有できる見方もありました。また、理解するのが難しかったこともあれば、言葉を交わさずとも心が通じ合うようになり、助けられたことも多々ありました。
  
秋篠宮さま
 そうですね。結婚するまでまったく異なるところで暮らしてきたわけですから、考え方などで共有できるところとそうでないところがあるのは当然のことでしょう。その上で、我が家の場合に限って言えば、経験を共有することと趣味を共有しないことがよかったと思います。経験は共有することで将来的に発展しますが、趣味、たとえば、あなたが瓢箪に興味をもってそれを共有したとすると競ってしまいますので、良好な関係でなくなる可能性大です。趣味はそれぞれ楽しみましょう。

紀子さま
 それぞれの趣味もありますが、一緒に音楽を聴いたり、自然に親しんだり、旅行にでかけたりという時間も楽しいですね。


夫、妻、親として

秋篠宮さま
 さて、ときどき夫もしくは親としてどのように認識されているのか気になることがあります。あなたも同様でしょう。最後に評価でもしてみませんか?

紀子さま
 気にしているかどうかわかりませんが、面白そうですね。

秋篠宮さま
 本来であれば、第三者、まったくの第三者というわけにもいかないので、私以外の家族に委ねなくてはいけないのでしょうが、それをするにはまず自らを振り返ることが必要です。とはいうものの、あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは、今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので、今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう。
 きちんとした項目立てをして、優・良・可・不可で客観的に点検および評価をしたわけではありませんが、漠然としたメルクマールからすると、私の場合には限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか。

紀子さま
 私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということでいかがでしょうか。

秋篠宮さま
 おたがい、改善点が多いということですね。「良」や「優」は、今後の努力目標とすることにしましょう。

紀子さま
 はい。これからも、可能性を大事にしつつ、努力目標にむけて一緒に年を重ねていくことができれば幸せに思います。

秋篠宮さま
 それでは、このあたりで終わることにしましょうか。

紀子さま
 そうですね。ありがとうございました。 


  

朝日新聞デジタル様より転載開始。

http://www.asahi.com/articles/ASH6K5G9DH6KUTIL032.html


秋篠宮ご夫妻、心配りの25年 人とのつながり重視

島康彦、伊藤和也 斎藤智子2015年6月27日05時04分

 秋篠宮さま(49)、紀子さま(48)ご夫妻が29日、ご結婚から25周年を迎える。筆頭宮家として天皇、皇后両陛下を支え、長女・眞子さま(23)、次女・佳子さま(20)は成年皇族として活動を重ねる。長男・悠仁(ひさひと)さま(8)も健やかに成長している。ご夫妻の25年の歩みを振り返った。



■豊富な人脈生かし震災支援

 公的な活動を通じて国民の期待にこたえ、天皇陛下をお助けする――。秋篠宮さまは会見などで皇族としての役割をそう語ってきた。数多くの団体の役職を務めるなど、活動量は皇族方の中で群を抜く。

 象徴的だったのが、東日本大震災での慰問活動だ。天皇、皇后両陛下の思いを受け継ぐように発生直後から頻繁に被災地を訪れた。

 2011年5月には、紀子さまと岩手県大槌町に足を運んだ。東京から新幹線と車を乗り継いで約6時間。変わり果てた街並みを悲痛な面持ちで見守った。

 淡水魚の保存活動を通じてたびたび町を訪れていた秋篠宮さま。震災直後の4月、親交のある町の男性に「ご迷惑のかからない時期に、町にお見舞いに伺いたい」と伝え、翌月の訪問につながった。

 ご夫妻は友人を訪ねるように住民一人一人に声をかけ、安否を気遣った。がれきの撤去作業をする自衛隊員をねぎらい、地元の文化保存会の活動拠点にも足を運んだ。

 大槌町在住の男性は「ご一家の存在が住民の励みになっている」と話す。眞子さま、佳子さまも、ご夫妻の思いを受け継ぎ、ボランティア活動に参加した。

 震災支援に限らず、秋篠宮ご夫妻はこれまで培ったネットワークをもとに、活動の幅を広げている。

 「自分は多様な人々を結び、調整するコーディネーターでありたい」。秋篠宮さまは自身がかかわるさまざまな研究分野について、20年来の親交がある国立科学博物館の林良博館長にそう吐露している。

 秋篠宮さまは総裁などとして、多くの団体に関わっている。共通するのが、そこに集う人たちのつながりを重視している点だ。秋篠宮さまの提唱で03年に創設された「生き物文化誌学会」には、研究者を始め全国各地の企業家や地域の文化人、高校の先生など多種多様な人材が集まっている。秋篠宮さまは毎回、会員と肩を並べて前列に座り、自ら質問に立ち、懇親会では酒を手に語り合う。

 3代目会長で、秋篠宮さまが小学生のころから親交を重ねてきた湯浅浩史・進化生物学研究所理事長は、「長い年月をかけて築いた市井の人脈が、秋篠宮家ひいては皇室を支えているのでしょう」と話す。(島康彦、伊藤和也)

■ご一家で支え合い

 秋篠宮さまと紀子さまの出会いは学習院大学在学中だった。周囲も公認の仲だったにもかかわらず、記者が紀子さまに交際について尋ねても、いつも笑顔でけむに巻かれていた。

 だが、1度だけ、記者の前で紀子さまが涙ぐんだことがある。秋篠宮さまが大学卒業後、英国に留学中の時のことだ。当時は携帯電話やメールは一般的ではなく、海外との連絡は時差を超えての国際電話だった。学習院のキャンパスを散策しながら、記者が「英国にいらっしゃる殿下から連絡はありましたか」と尋ねたところ、紀子さまは弱気な表情を見せ、涙顔になった。お二人の今後を案じた様子には、秋篠宮さまへの思いがあふれていた。

 秋篠宮さまが英国留学から戻った1990年に、お二人は結婚式をあげた。それから25年。3人のお子さまに恵まれ、秋篠宮家は皇室最多の5人で構成される。ただ、秋篠宮さま、悠仁さまと2人の皇位継承者を擁するものの、決して支援態勢は十分ではない。

 皇太子ご夫妻と愛子さまがいる直系の皇太子家には宮内庁の一部局「東宮職」が置かれ、専従の侍医を含む約50人のスタッフを抱える。一方、秋篠宮家の職員数は約20人で、侍医もいない。限られた環境をご一家全員で支え合ってきた。

 宮内庁関係者によると、秋篠宮ご夫妻は地方を訪れる際、公務に支障がない限り、日帰りを希望するという。小学生の悠仁さまと少しでも一緒に過ごしたいという親心からだ。悠仁さまが幼少時、ご夫妻が家を空けた際には、眞子さまや佳子さまが自主的に離乳食を作ったこともある。海外訪問から帰国するなり、幼い悠仁さまを抱いて歩く紀子さまの姿を見たことも。

 紀子さまは「妃殿下」として秋篠宮さまの国内外での活動に同行するほか、宮邸内では「妻」として日常を取り仕切るなど「何役も果たさなくてはならないお立場」(宮内庁幹部)だ。しかし、紀子さまと親しい関係者はこう明かす。「常に前向きで、何事にも努力を惜しまない。すごく我慢強い。私たちにも何も言わないんですよ」(斎藤智子)

■秋篠宮ご夫妻の歩み

1965・11・30 秋篠宮さま誕生

  66・9・11 紀子さま誕生

  84・4   秋篠宮さま学習院大学法学部政治学科に入学

  85・4   紀子さま同大文学部心理学科に入学

  90・6   結婚の儀。秋篠宮家を創設

  91・10・23 長女眞子さま誕生

  94・12・29 次女佳子さま誕生

2006・9・6 長男悠仁さま誕生

■秋篠宮さまの主な役職

 皇室会議予備議員▼山階鳥類研究所総裁▼日本動物園水族館協会総裁▼御寺泉涌寺を護る会総裁▼恩賜財団済生会総裁▼大日本農会総裁▼大日本山林会総裁▼世界自然保護基金ジャパン名誉総裁▼日本テニス協会名誉総裁▼日蘭協会名誉総裁▼全日本愛瓢会名誉総裁▼日本水大賞委員会名誉総裁▼日本ワックスマン財団名誉総裁▼サイアム・ソサエティ名誉副総裁▼東京大学総合研究博物館特招研究員▼東京農業大学客員教授▼生き物文化誌学会常任理事

ありがとうございました。


日テレ

 29日に「銀婚式」を迎えた秋篠宮ご夫妻が、これまでにない形式で25年の歩みについて感想を寄せられた。

 秋篠宮ご夫妻は29日、結婚25年目の「銀婚式」を迎え、文書で感想を寄せられた。異例の対談形式をとっていて、両殿下は相談しながら一緒にパソコンでつづられたという。結婚生活について秋篠宮さまが、「ほとんど言葉に出さないので不満かもしれませんが、感謝の気持ちもきちんと持っていますよ」と率直に気持ちを述べられると、紀子さまも「それはうれしいです」と応じている。

 お子さまについても書かれ、秋篠宮さまはイギリス留学中の眞子さまから父の日にカードを受けとったことに、「妙にうれしい気分になりました。久しぶりだったからかな」と父親心をのぞかせた。また最近、佳子さまと買い物に出掛けたことを、「父親にたいしてつっけんどんな態度のことが多いのですが、意外と優しいところもあり、私が自由に選んだものについて代わりに会計をしてくれました。もっとも帰りに彼女にそのまま荷物を持たせていたら注意されましたけどね」とユーモラスに語られている。

 最後に家庭人としての自己評価を行ったご夫妻は、「優・良・可・不可」のうち、可能性を秘めた「可」だとして優や良を努力目標としたい、と締めくくられた。


「努力目標にむけて」

紀子さま。




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あらま。

KUONのミスです。メモしておいて後で書こうと思った記事を、さらしてしまっていました。

掲示板にあった記事です。どうもすいません。

かなり読んで頂いているようですので、今はこのままにさせていただいて、後で加えたいと思います。

どうも失礼いたしました。

       慌て者のKUON拝。


無題 Name 名無し 15/06/27(土)18:38 ID:E0avwnnQ No.1369520
>私は,今も終戦後のある日,ラジオを通し,A級戦犯に対する
>判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。

今回の新潮45を読んでとても驚いたのですが
<A級戦犯>という言葉は、当時の「デスバイハンギング」と
宣告が流れたラジオでも、翌日の朝日新聞でも、
小林正樹のドキュメンタリー映画でも無かったそうです。

美智子さんのA級戦犯発言は、残念でしたが
子供の頃の事実を並べたのだとばかり思っていました。
しかし、当時そんな言葉はなく、あとから出てきた言葉を
わざわざ当てはめて使った、本当に驚いたのと、
あまりにも国民を愚弄していると思いました。


… 無題 Name 名無し 15/06/27(土)23:14 ID:mEM5SADo No.1369595
美智子さん、
「ケンカを売っている」レベルではない、
「戦いを挑んできている」のですね、日本国民に。

「日本の歴史」「日本の宗教」「日本人の誇り」
「日本の文化」「日本の風習」...全てを破壊せんがための
入内でした。
可憐ないじめられ役、というベールに身を隠しながら..。


… 無題 Name 名無し 15/06/28(日)09:49 ID:Z.gRCVPA No.1369708
日本人としての心がないのでしょう


… 無題 Name 名無し 15/06/28(日)09:50 ID:QfgtqgtA No.1369709
↑ナルマサにも言えよ
xxxx



皇后さまの傘寿を祝う洋楽演奏会が26日、皇居・東御苑の桃華楽堂で開かれ、
天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻をはじめ皇族方が鑑賞された。

皇后さまは時折、旋律に合わせて体を揺らしたり、曲が終わるごとに笑顔で盛んに拍手を送ったりして、
奉祝の演奏を満喫されていた。桃華楽堂は、昭和41年に香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂。




え。また、お祝いされてる。傘寿を。え?。

とか、思ってしまいました。

何回目なのかと振り返ってみましたが、数字には弱い、わかりません。陛下と合わせても、せいぜい6~8回くらいだとか。

DVDや写真集は出たけれど、美智子さまお一人のお祝いは、まだ、たった数回程度の少なさ。

傘寿は確かにめでたい、お健やかな傘寿はもっとおめでたいでしょう。精力的にお出かけを重ねられる皇后さま、慶して祝されるのは当然のこと。

56億円だか実はおまけがあったから66億円だったとか、お住まいの建築費が、たかが10億円くらい違っていたってどうってことない気がする、つまりは大金持ちの奥さまです、美智子さまは。お家にいてなさることが無いのでもないでしょうが、このごろグレイのおズボン姿で、あちことお出かけ。うちの88歳の姑の方が、お洒落。内緒ね、こんなホントのことは。

皇族って・・・・・・・・王族だったのですね。

貴族ですね。今日はテイゲキ、明日はミツコシ、でしたっけ。これは単なる奥さまか。

お気に入りの芸術家さんに力を入れて応援してアゲル。メディチ家?。


長いお付き合いのバイオリニストのコンサートにお出かけされたり、鳥をテーマの展覧会に足を運ばれたり。

さくらんぼ摘みを体験されたり、ご夫婦であちこち行っておられます。

しゃきしゃき歩いておられたり、陛下の肘をつかんで歩かれたりは、風任せ日任せ、気分任せのおもむきと拝見いたします。

ついふら~っと歩き出してしまわれる奥さまを、天皇陛下が、さりげなく引き戻しておられるご様子も散見いたします。

お顔のおたるみも、多い日も、少なくて皺も見えなくて艶やかな日も。お顔のマッサージ一回10万円。あ。これは、私の脳内にいま、なぜか、浮かんで溢れだしたコトバ、なぜかしらこんな時に。

一回10万円の美顔マッサージ、あら、また出た、質素を旨とされ自然を愛される美智子さまが、そんなこと、なさるはずが無いと・・・半年くらい前までは、思いこんでおりましたワタクシ。

オグシを染めることもなさらず、皇室は自然のままで、と、常に変わらずお洒落な華子妃殿下を牽制された・・・今ではそうだったとわかります。

お肌もあんよのご都合も、ご機嫌も。日替わりが多い気がします、何事も、ワタシの目はずううっと、そんなに変わらず並行で眺めていると思うのですが。


美智子さま、じっと拝見していると、音楽家方面に向けて顕著に。

ごひいき、お気に入り、が、多く感じられます。よく、〇〇さんのコンサートへお出ましでした、〇十年来の親交が、とか、紹介されております。

音楽家の方ではどうお思いかはわかりませんが、皇后さまの覚えめでたいことを、是とされる方、ゲ、とされる方(そんなひねくれたKUONみたいなヒトはいませんか)、あれこれおいでになりそうですが。数日前は前橋汀子さん。

昨日の皇居での演奏会に、バイオリンを弾いておられたのは、確か、少し前にも訪問されていた氏では無かったか。

有名で才能ある立派なバイオリニストです。生まれつきお目の不自由でいらっしゃることなどを、ごひいきの言い訳になさるなどは、あのプロフェッショナルに対して随分、失礼なこと。



お相撲が大好きでいらっしゃった昭和天皇は、当然、応援しておられる力士もおいででしたでしょう、会えれば無邪気に嬉しい力士だっておいでだったでしょう、に、どの相撲取りが好き、とか。

親交が深い、とか。

お葬式に駆け付けた、とか、お花を贈らせた、とか。

いっさい、そんな話はありません。

個人の名をあげれば、それ以外の人に対して申し訳がない、公人として、公正を期す態度を貫かれたのだと。

聞き及びます。

ご自身の好みを、口から出されることは無かったのです。昭和帝は。

寡聞にして、今上陛下がどんな分野のどなたかの「ファン」「ごひいき」「コンサートに行かれた」話は、存じません。今上は、ツマを愛しておられて、常に

「あちらはどう言っているの」

の態度でおわしますそうですから。

全ては、みったん、みぃ、様のご意志の下に、ことは立ち上がり、実行されるのだと思います。

そしてそれは

「陛下の意向」

となって。

内閣の意向も制止もなんのその。

行きたければ、どうしてでも、慰霊にもナニにも、行っておしまいになる、おしまい近いような、平成の皇室のお姿であって。

つらつら書きならべて来れば。

子は親をまねたのか、どうなのか。

おんなじじゃ~~ん、みちこさまもまさこも。

私の脳内で、そう、悲しく(あほらしく)協奏曲は鳴り響くのでございました。


昨日の洋楽演奏会です。

秋篠宮紀子妃殿下と、佳子内親王殿下が、おでましになったと、雑誌で言えば表紙の真ん中。

ネットを開けばすぐそこに。

麗しくおしとやかなお二人の様子を、伝えてくれていました。、

皇太子夫婦も行ったよ、と、少し後に解る仕組みでした。

皇太子の無礼、でない、慰霊のためのビオラコンサートの頃から、陛下の横にはまさこは座らせられていないです。

順序は無視されて、陛下と雅子の間には皇太子がはさまっていて、今ぞ、ここぞとばかり、長男ズラ(どんなズラ?(笑))して親しげに、強引に傲岸に、ぱぱ・陛下に話しかけている。

昨日もそうでした。

美智子さんが、楽しそうに演奏を聞いていたとは、この記事の一番はじめの部分に引用させていただいています。

>皇后さまは時折、旋律に合わせて体を揺らしたり、曲が終わるごとに笑顔で盛んに拍手を送ったりして<

・・・なんか。幼稚園児が楽しんでいる匂いがして。

この書き方、失礼なのか?。

本当だからこう書いたのか?

なんか。どこか、なにか、引っかかるKUONなのでごぜます。

平成3年  多摩全生園を訪ふ

>めしひつつ住む人多きこの園に風運びこよ木の香(か)花の香

・・全生園はハンセン病患者の療養所です。末梢神経が冒されるため、盲目の患者が多い。そういう人たちのため、風よ、木や花の香りを運んできてくれ、と、美智子さまはおうたいになった。感覚の鋭いうた。

このうたも、他のうたとコラボで演奏されたとかどこかで読みました。

自愛の強い方にはたまらない演奏会だったのではないでしょうか。



・・・・・皆様の、直接のお言葉、みえていないけれどしんしんと思いの伝わる優しさ、感じておりますが、滲みておりますが、いましばらく、お返事はお待ちください。

感謝しています。

めっちゃ、ハナミズ垂れるくらい(!、嬉しいです。






事業の破たんで家を失ったり、人様に迷惑をかけたくないと意地を張ったりで、なかなか落ち着けませんでしたが。

今年のお盆のために、姑のところに、お盆提灯を買おうと思いました。

新聞のチラシに、涼やかな美しい行燈の写真がたくさん、のっていて。見ているうちに、幼い頃の田舎の家での情景が目に蘇りました。

蚊遣りの匂いがして。仏様の前に、大人用の大きな布団を敷いてもらって。

次の間との境の襖は開け放ってくれていて、白い琺瑯の電気の笠の下、分厚くて巨大なちゃぶ台を囲んで、伯父や伯母や祖母が、お経の日に来てもらう親戚の話などをぼそぼそ話し合っている声を耳にしながら、うとうとと眠りに入って行った。

水色の、花や弦の模様の大きな行燈が、くるくると夢のように回っていました。

私の家には行燈が無く、綺麗だからうちにもあるといいのになあ、など、思い、思い、寝息に代わって行ったのだと思います。


夫と結婚して初めてのお盆が、あまりにもすることが多くて驚いて、暑い時期におはぎを山もり作るのも、おナスをたいたりものすごい量の天ぷらを揚げたり若い親戚のために、ハンパでない数のケンタのチキンを買い込んで来て、安堵顔の姑に、

これは、冷めたらあまり、喜ばれないかも、

などと提言して、イヤな顔をされたり・・・それはビンゴであって、親戚の若い人たちは、買い置きのチキンは召し上がらず、何もかもが残ったなか、晩ごはんはこれやでと、何ピースも脂ぎったチキンを頬張り・・・けっこう、美味しく頂きました、若かったから。(笑)。

ソウメンは延びたものを、おはぎはしっかり匂いを確かめて、お盆、お正月と言えば、残り食べ物物整理班。

姑は、戦争中にお腹の空く年代だったせいか。とにかく。なんでも、どっさり、たっぷり、余るくらいに用意しなければ気の済まない人でした。今は、台所から退いておられます。今でも煮物は絶品と思いますが。次男夫婦とずっと、お暮らしで。

お寿司をとるのも大量にとる。お坊様にお出しして(ほとんど)余った握り寿司を、色などを確かめながらおそるおそる食べた夏の記憶も、いま、蘇りました。(笑)。

人寄りの多い家で、どなたにも思いきり沢山食べていただく姑でした(今も健在)、お料理も上手でした。

婚家のお盆は、食べ物整理の記憶。思えば、おかあさん、よく、しやはったなあ、と、感じ入るのは、私がトシをとったせい?。

私が太ったのは、そういう家の長男のヨメだったからです。

そういうことにしておきたい。しておきます。(笑)。


大内行燈。


夫の実家も私たちも同時期の引っ越しの折に、同居の夫婦に、そんなものは捨てて行けと言われたと、悲しそうに姑が訴えた時。

私は、行燈どころでなかった。姑の淋しさに触れてあげられませんでした。


今は、単に新しいだけのそれであっても、買って差し上げられます。

明日、土曜日、一緒に見に行こうと決めました。

蚊取り線香の煙の立ちのぼり、たゆたう中、夕暮れてくれば行燈を灯して。

姑は、生涯仲よくなれなかった舅を、キュウリの馬だかおナスの牛に迎えて。

姑の今年のお盆は、どんなものになるでしょうか。

もう、あの世もこの世も境なんかあらへんのと違うか。

先日会った時には、そんなことを言って笑ってはりました。八十八歳。

「行燈買うてくれるの、嬉しい」。

と。よく聞こえないはずの電話の向こうで、声を弾ませてくれてはった。今はもう、幼い子のように、なんでも「ありがとう」のおかあさんになってはります。

ええの選んでな、おかあさん。一番きれいと思うのを。どんなんでも、買うたげるよ、と。

エエカッコできますかしら。(笑)。



・・・・・・あれこれあれこれご心配をおかけして。呑気なこと書いております。

本当にありがとうございます。

私は気が強いです、申し訳ないくらい。

ありがとう。









フランネルさんからの最後のコメントをご紹介します。

2015.06.25 (木) 14:22

「ご意見ありがとうございます
お騒がせして申し訳ありません。
私が指摘したかったのは「史実と違う」という一点です。
ここを誤認すると不要な憶測や思い込みが生じますので。
 
祭祀の簡略化は昭和時代にもありました。
昭和天皇が69歳の時から四方拝が簡略化されましたが、
今上陛下は即位後に元に戻しています。
これは市販の書籍に書かれています。

「病気は不浄」についてですが、咳・痰・鼻水などの排泄物を指すのだと思います。これは私の推測である事をお断りしておきます。
女性は宮中祭祀が義務ではないのは、生理(血液)が不浄だからです。
香淳皇后は、生理の時は陛下とは別の部屋に隔離されたそうです。その慣習がいつまであったのか、今もあるのかは分かりません。
大正天皇も病弱でしたが、病気でご静養になる前までは祭祀をされていました。 

私の情報ソースはすべて一般に誰でも入手可能なものです。
(但し、大正時代の書籍など入手困難なものもあるにはありますが)。
また、私は宮内庁関係者でもありません。
 
そして私を信じて頂かなくても結構です。
「安易に信じるな」、むしろそれが私の言いたいことです。
各々が、自分ででリサーチし検証しないと、
ガセネタが独り歩きをしてさらに尾鰭が付きます。
そこを東宮擁護派の方に付け込まれたら弁明のしようもありません。
私はそれを懸念しているだけです。
知識の披露でもなく価値観の押し付けでもなく、史実と違うという情報を提示したまでです。

東宮批判者にとって当たり前の批判の種が、
事実無根だったり情報の歪曲や無知からくるものであることが散見されます。
それは東宮批判全体の信用度を下げることになるのではないでしょうか」


以上。

大変ご立派と思います。私に反論の余地はありません。

冷静で知的でいらして、理路整然と突っ込みどころが無い。

めんどくさいから「史実と違う」でいいと、腹の中モヤモヤしながら、情けない白旗あげたKUONとは、レベルが違う方と。

イヤミでも皮肉でも無く、本気でそう思うのです。

悲しいな~、ぐうの音も出ないよ、かっこ悪いかな~。(笑)。

大人げないことを、今からまた言うと思うと、われながら自分が嫌にな・・・りません、やることはやっとかないと、晩ごはんの支度にさえ、取りかかれません。一時的に恐怖症っぽい症状を感じています。

フランネルさん。

まこと仰る通り、東宮擁護のヤカラにああだこうだ言われないように、どうこうと。しっかりとしゃっきりと。

それは、そうなんですね、きっと。反論しようが無いので、しません、できません。


以下、情けない、理論的にほど遠い感情感覚人間のKUONの(自虐でないです、わたしは今の自分はけっこう、好き))、

肉声として書きます。


私は、立派で破たんの無いフランネルさんが、苦手で仕方ないのです。

理屈でない、わたしの生理です。

あなた様が私のこの、ヘタレブログにいらっしゃっていると、全身がぎゅわっと緊張して、これはおそらく私の多方面にわたる深い深いコンプレックスのなせる技とは考えますが、とにかく。

あなた様がいらっしゃると思うと、ギュッと胸が詰まり、文字を追うのもつらくて、回れ右して、自分のブログから遠ざかって離れてしまいたくなる。

ひどいこと書いておりますが、わたくしの事実です。

どう思われても、ものすごく、そうなのです。

自分の部屋に近寄りたくない。

私の基本が「不良」だからかも知れません。しかし、ここでもって、

そんな分析で自分を貶めるのはやめたいと思います。

フランネルさんは、ちっとも悪くない。

仰っておられることに間違いは(多分)おありにならない。

でも。

もう、どんな意味でも来ないで頂けると、私の感情の震えが、納まると思われます。

本当の本音です。素朴な願いです。

これで終わりにして下さい、お願いします。







先日の私の記事「祈る地位」に対して

さまざまコメントをいただいた中に「精査を願います」とのお申し付けをたまわりました。

記事の内容が、その方のお考えと違う・・・もっと言えば、その方にとっての事実と違う、ということのようでした。

私がはじめの時点でとっさに反省したのは(反省だってするんです私)

いつもは誤解や抜けの無いように、引用には気を配ってブログ「不必要な善意」からいただく時には、全文を。その記事丸ごとを、引かせていただくようNIして来たのが、この回には、自分の言いたいこと、思うことが溢れていたせいもあり、部分的な引用になってしまった。

もちろん、内容には手を触れず曲げず、お伝えしたつもりですが、省略した部分もありました。

そして、これはおそらく、心がけるべきことではあるのですが。

自分が書きたい内容に、ブログ主・爺様の記事を、引っ張って行きたかった気持ちが、結果的に「あった」なあ、という実感は、あります。

これに関しては、やったよなあ、自分。と認めます。が、

そのこと以外には、内容的に、どなたにも何か言っていただくことは、無い。

と。

時間を置いて、感じるに至りました。

他のゲストさん方にも、お詫びすることはいっさい、ありません。私は信じて書いたし、それは変わっていません。

豊富な知識がある訳でもない自分が、自由にできる時間の範囲で書いているのは、現在の皇室への「怒り」、突き詰めれば、それです。

何をしておられるのだろう。

これでいいのだろうか。

という、初歩的であり根源的な怒り、嘆き、あるいは悲しみ。

そこから、必然のように、長く長く続いて来ていると言う、皇室の「形」にも、ふらふらと近づいて行ったり。

祭祀のことは「よく解らない」のが本当で、ヒンシュクを買うのを承知で書きます、そんなことよりどんなことより、あの皇太子夫婦を何とかしていただきたい。それが思いの中心で、祭祀のことなどを、真剣マジメに考えておられる方には、私のブログは「正統派でない」だと思います。

開きなおりでない、ホントの事。ナルヒトに何ができるものか、というのが、私の思いの真ん中ですし。

私が未熟なのは本当のことなので、そこで突っ込まれることは、仕方の無いこと。

しかしある意味、ものすごく「大切なこと」と畏れ入っていた神さまの事や「祭祀」とやらが。省略されたりお休みが多かったりするなら。

祭祀とやらを行わない天皇や、それを継ぐはずの東宮なんかが、あの体たらくでは。何もどうにもならないだろうが。

そういった退廃じみた感覚もある。

順徳天皇が何を仰ったにせよ、子孫はこのザマだよ、の、不遜な思いもあります。



書いた記事に突っ込まれて腹を立てたのではない。と、思います。

ただ、時と共に。なんだか不明ながら、納得しきれない思いが湧き起って来て、平静でいられません。

これを払拭するためには、少なくとも、私にいただいたコメントの内容について、もう少し知る努力をしないと、と、思います。

コメント主様の仰せに、私が間違っておりました~、と「お詫び」するためではない気がします。

コメント主様は、ご自分の考えを、真摯に書いて下さったのでしょう。丁寧に書いて下さったことは、頭の下がる態度でいらしたと思います。

長屋の爺さまには、私に対して、申し訳のないお詫びをいただきました。

自分が「まちがっていて」ご迷惑をかけて、ということではないです。それは100パーセント無い。そうではない。

自分に言って来られるべきことを、KUONさんに言って行かれた、そのことについての、誠実なお言葉を下さったのでした。

お詫びするべきは私の方で、と、申し上げました。もしかして中途半端なご紹介をしてしまって、イコールご迷惑をおかけした気持ちは、明確にありますから。

私は、爺さまがずっと書いて来られた皇室に関しての記事を、読ませていただいて来て、今までの「論」や「考」とはことなっているのかどうか(そんなことすら解らない自分ながら)知らないけど、この方の考え方が、私には「〇」と。

確信している、そして今回も、引用をさせていただきました。

諸説はある。

当然です。爺さまも必ず、そう、書いておられる。


残念ながら今の私には、細かくご指摘くださったコメント主様に、正面から「ものを言う」力がありません。

残念ながら、それが私の実態。

で。せめて書いて来られたあたりくらいのことは、知ろう。

そういう感じで。

少し時間をかけようと思います。

ブログはしばらく、お休みになると思います。


ひとつだけ、心の底にくすぶっている思いを言葉にするとするなら。


>このような内容のことは、どうか慎重を期して頂きたく思います。

こういうことは言われたくないな~。それですね。逆切れとも何とも思っていただいて結構ですが、

ものすごく、腹が立ったのは事実でした。逆切れなんて、恥ずかしいことですね、でも、

逆切れ、にもなるんですね、これ、たぶん。(笑)。






八月十五日を待たず沖縄死にきその六月二十三日より蘇るなく


短歌結社「地中海」に属しておられた桃原邑子さんの歌集「沖縄」から

「良太の死」をご紹介します。


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  制服のちぎれの血の染む名札標・中二・O型・桃原良太


  O型の血潮のすべてを地は吸へりこのばらばらはわが生みし子や


  顔裂かれ子は死にたれば眼の下にありし黒子も見むに術なし


  足のみは完けくありし子を納るる棺には破れしズックの靴も


  今朝をわが切りてやりたる指の爪見れば紛れなき吾子のばらばら


  わが分けし生命はわれに還さむと子のししむらを衣に整へぬ


  縫ひつけし名札の子の名の文字除け上衣にしぶきし血糊見るかな


  身を裂かれ死ねるを焼きし子の骨を拾ふちりぢり時過ぎにけり


  子の通夜を誰か歌へる「海ゆかば」「君が代」「はやぶさ」の歌かすれゆく


  一瞬に爆ぜたるからだ見おろしてをりしか子の魂うろたへながら


  死にし子のポケットにある黒砂糖けふの三時のおやつなりしを


  十死零生の特攻兵君が殺めしはわが子良太ぞ互みに哀し


  還り来し夫のおだしきひげづらを見つつ子の死を告げやらめやも


  肉裂けし子ともろともに燃え尽きよわがうつせみの母といふ名の


  なつかしむ如くしばしばも名を呼べり子を殺めたる特攻兵の


  子のうへに突込みて来しかの兵の住むてふ北国は地図にとぼしも


  流線の機首美しき三式戦のわが子の良太を切つ裂きにたり


  靴ぬぎてひとり歩めり子の血潮吸ひて三十年軽し土のうへ


  声あぐる間なく死にたる子の声か島をめぐりてきこゆ海鳴り


  子を殺めし三式戦といふ特攻機の日の丸のマーク顕ついまもなほ


  血のおどろ紡ぎて胎にかへす術あれよからだをうしなひし子の


  戦争に死にし子のこと語るわが物語めく唇をかなしむ


  血の染みし帽子とシャツと子に関はるもの始末せむわが生ける日に


  子を殺めし特攻兵にわが見せし笑顔の嘘をとはに悲しめ


  いくさにて裂かれしからだ後生(ぐしやう)にて必ず直してあげるから子よ


  フォーギブ・バット・ノット・フォーゲット・めぐる子の忌よ四月一日


  闇よりも深き黒なれ子の通夜の灯火管制の灯のこぼつ光


  往きのみのシャトルもあれなばらばらに裂かれて飛びし子の魂が乗る


  洗骨せし子の骨今も匂ふなりわがふりかけし涙と泡盛


  子の血糊固きずぼんとシャツ濯ぐ裂かれしからだのままに破れし


  死にし子の全身包帯巻かれつつどこかの画室の石膏の像


  中学の二年になりし日昭和二十年四月一日子は死ににける


  その朝ともに韮汁啜りたる子はその夕べ裂かれ死ににき


  わが良太の四十年忌よ好みゐし西瓜店頭に血のいろ抱け


  湯気だてる白飯ユウナの葉に盛りてわが呼ぶ良太・良次・良三


  逝きし子のけふ五十歳の誕生日背広に替へやらむ学生服を



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


中学二年生になったその日。息子・良太さんは、自国の特攻機によって、誤って五体を裂かれて即死されたのでした。







    



ティアラが。

どこへ行ったのどこにあるのと。

私もあれこれ書いて来ました。

雅子さんが皇后さまから譲り受けられた(これは確実・多くの写真が証明しています)第一ティアラ、第二ティアラ。

さっぱり表へ出てこないが何処に在りや?とかまびすしい、その、第二の方を、まさこがオランダ国王ご夫妻の晩餐会につけて出てきた、と思いきや。

あれは真っ赤な。真っ白な、というべきか、偽物。イミテーション、本物と似ても似つかない、嘘っこティアラ。

輝きも曲線も宝冠らしい美しさも気品も皆無の、惨憺たるやっつけティアラでした。それを、ニタニタと載せて出てきた偽物妃。

オランダ国王も各国のさまざまな宴席に馴染んだ方、王室は沢山の宝石も所持しておられる、まさこが何をやらかしてるか、一瞬で見抜かれただろう。

とかなんとか、あれこれ書いていたら。

皇后・美智子さまのティアラにも疑問符が飛び交うこととなってまいりました。

譲り受けておられるはずなのにどこへ行った、かの宮妃のご遺品が、なんで美智子さんのアタマの上に。

疑惑は膨れ、ひろがるばかり。腹が立てば声を失われ、ティアラが失せれば頚腕症候群の病名が、錦の御旗のごとく掲げられ。そういったなさりようのパターンも解析されてしまいました。足のお痛みも都合によりの日替わりのよう。

・・・・・・・わが国でのティアラの歴史は、以前も書かせていただきました、たかだか、明治に始まったに過ぎない。考えてみればアタリマエの話、徳川の御世300年は、この国は鎖国をしていた、異国のものはおいそれとは入り込んで来なかった。

天皇家だって、維新の前は、あのざぱーっとした宮廷衣だのなんだのをお召しになって(?)、一般の目に触れることも無いに等しい遠い世界の住人であらしゃりました。


明治です。

ティアラも鹿鳴館も。皇族方の洋装も。ハイヒールも羽根飾りのついた高々としたお帽子も。明治になってのもの。

美智子さんの入内に火を噴くさまに怒られたと伝わる梨本(宮)伊都子さんの日記、その中に散りばめられた、旧皇族のおひいさまの、豪華なお洋服をまとわれた写真の数々を眺めますと。

貴族も素敵だなあ、と、ごく素朴にうっとりするKUONです。

お洋服も靴も、びろうど張りのソファもシャンデリアも。

眺めるに素晴らしい世界。

お顔つきも、そう思ってみる故か、いかにも、なお顔でいらっしゃいます。

・・・それも、あの戦争が始まる前のこと、鹿鳴館もダンスもレースのドレスも、フランスやイギリスから届けさせたと言う、本場の子供服も。



他に、明治の御代に始まったものは沢山あるとのことで。

今では、昔むかしからあったと考えがちな「神さまの形」だって、その頃にさだめられたのだと知りました。


<長屋の爺>さんの「不必要な善意」の記事によると。以下、です。

(略)

皇祖・天照大神を祀る【賢所】

歴代天皇と皇族の霊を祀る【皇霊殿】

皇家の守護神・宮中八神と天神地祇を祀る【神殿】

この三殿で行われる祭祀を称して「宮中祭祀」と呼ぶ


歴代の天皇は三殿における祭祀を欠かさず行ってきた

・・・と言うのは正しくはない

明治以降はおそらく三殿における宮中祭祀を行って

きたのは事実だろう・・・


では、明治以前はどうだったのか?

天皇家は明治になるまでは「仏教徒」であったことは

世間では知られていることだが

皇居内に「皇霊殿」「神殿」などの宮中三殿というものは

明治まで存在すらしていなかった

だから天皇が自ら行う「親祭」などやりたくても

できなかったはずである


そこ(宮中)に在ったのは【黒戸(くろど)】と呼ばれる

仏式の祭場であった


今のような三殿の形になったのは明治22年であり

古代から続く宮中三殿における祭祀というのは単なる

イメージであり、明治になってから仏式を改めて作られた、

まだ新しい歴史の祭祀なのである

だからと言って天皇は祈ってなかったかと言うと

祈っては居ただろうが、神式か仏式かの違いがあるだけ

かもしれない

おそらく平安以降の歴代天皇は仏に対し「祈る」ことで

「祭祀王」の面目を保ってきたのかもしれない


特に【皇霊殿】は明治生まれの施設で、天皇のほかに

皇族が合祀されているが、明治10年に歴代皇后、皇妃

、皇親が、明治18年に岡宮御宇(おかのみやぎょう)天皇

つまり草壁皇子と祟道天皇など追尊された天皇が合祀

されている


宮中祭祀と聞けば古代から続く伝統のように思ってしまうが

正式に言うと明治41年に定められた【皇室祭祀令】からという

のが事実である


古代では天皇みずから祭祀を執り行うことは無く、神祇官が

天神地祇の祭りを執り行っていた

それが復活したのが明治時代なのである

(略)。


2拝 2柏  1拝 の拝の仕方も、明治時代にそうされたのだとか。

そうだったのか、と、皇室について考えることの新参者KUONは、正直に書きます、びっくりします。

そうだったんや~、と。

で。で、と続けるには無理がありますが、私の中では繋がっていること。再び爺さまのブログよりお借り。


(略)

それでも天皇を尊ぶのはなぜだろう?


確かに藤原不比等の天皇・天孫説の果たした役割は

大きい、さらに明治政府が天皇を神格化したことも

大きな要因である

果たして、それだけなのか?


一番の要因は「祈る地位」であるからだと

私は感じている


天皇は祭祀王であると同時に「祈る天皇」でもある

自分のために祈る者は掃いて捨てるほどいるが

自分や家族は後回しにし、国民のために祈る


滅私の祈りをするからこそ「尊ばれ」「崇められる」


天皇とは「こういうもの」という定義が有るとすれば

その定義を外れない限り「尊崇」の対象になる


そういう意味からいえば、近代の天皇は自分や家族の

事より国民(赤子)のために祈る姿を見せてきた

平安の天皇より民のことを気遣い、民のために祈る

天皇の姿が見えてくる


滅私とは「己に厳しく」なければならない・・・

心の弱い天皇は滅私の姿を見せられない


昭和天皇の魅力とは「自分はどうなっても構わない」

国民が幸せになるならばとの「願い」に起因する


人それぞれ異論はあるだろうが・・・

祈る天皇の基準があるならば、昭和天皇が物差し

(基準)になるのではないかと考えている



ここもやはり、そうなんや~、と。無知なる身の楽しみ、さまざま、知って行く喜びがあります。

どうもありがとうございます。

明治から始まったようなことがあれこれ、ある。そうなんだ~。

昭和から始まったことも。

皇太子夫妻が手をつないで歩いたり、時に妃殿下が皇太子の前を歩いたり。

戦後すぐには、皇室の財産は没収されて、内親王でいらした方が配給の列に並ばれたり、庭を芋畑に開墾したりもされた。

美智子さまの時代は「もはや戦後ではない」とうたわれた、どんがどんがと国民が、頑張れば明日は今日よりいい日なんだと確信した時代、それは美智子さんだって、お洋服いっぱい作ったり「ワタクシ」「わたくし」と連呼されたり常に流行のメイクも取り入れたり、なさっても、行け行けドンドン、神官様の奥様ってイメージなんか無くてもかまわん、そんな気持ち無かったのと違いますか、世界の王室と張り合っちゃったって、お綺麗だからもっとなさって~・・・だったかどうかは存じませんが。。脱線していますね。

ともかく、私は、皇室が、天皇が、祭祀ばかりをずうううううううううううううっとなさって来たのでもない、と。諸説はあるのかもしれませんが、爺さんに学び。自分の心に得心が行くので信じます。

そんな。

伝統ってたって。

もっと変わらずに古いものが、この国には沢山あるんだなあ。ありますよ、やり方変えずに継承されているお家だって。

と、思いつつ。やはり、骨身に滲みて、わが身には、皇室は、天皇は、特別な存在。

今まで思って来たように、国の安寧と国民の幸せと世界の平和を、祈って下さるのが、天皇陛下で。

それであらば、安らかに、ときどき目をあげて、いて下さることを確かめ、仰ぎみてその存在に感謝し(いま、秋篠宮両殿下にしているごとく)、国の一人として、自分のするべきことを、自分なりに懸命に果たそうとする。そういう世界が胸の中に定まる。

ナルヒトさんでは、どう考えても、無理なのです。

ぜったいに、。無理なのです。








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


前々回の記事にお寄せいただいたコメントの中の一部を、紹介させていただきます。

かつて陛下が、何かの節目に公式の場に於いて発言なさった、

「天皇は孤独なものであるが皇后がいてくれたので」

だか

「ささえてくれたので」

だかのお言葉の続きに、

「天皇をして来ることができました」

のようなことを仰いました。

座は和気あいあい(多分)、皇后さまも笑顔でいらした覚えがあります。

当時は素直に、いい話だなあ、みたいに聞かせてもらった私でした。

お幸せなら何より、よかったなあ、のような。

そういう方は多かったと思います。

今、私は、この時のように感じられないのです。

お幸せはいいけど、次代のことはいかがなさるのか、と。

これがアタマから離れず。無責任ではないか、とも、はっきり感じます。

天皇に、そういったことに口も手も出す権限は無いと聞けば、そうなのか。

気になっておられるのにどうしようもないとは、おいたわしい。

さぞやお心を傷めておられるであろう、

など。

甘ちゃんな私でした、まったく。

ただ、本当に「する」気があって、天皇皇后にできないことがあるものか。

という気は、常にお腹の底に沈んでおりました。

今も勿論、そう考えております。

どうしようもない、のではない。

なさるお気持ちが(事情は存じませんが)おありにならないのだ、と確信している。

事情って。何のご事情か。

で。

前置きはともかく。

いただいたコメントの一部を、引かせていただきます。コメントと言うより、叫びだと。撃たれました。


陛下には、天皇というものは孤独なものと

割りきっていただきたい。

美智子様よりも、一筋の光である

悠仁親王殿下を護ることに尽力して

いただきたいと思います。



牧水さん、ありがとうございました。

同感です。








皇太子とその妻が、7月はじめにトンガ王国へ行くという。 ツポウ6世の戴冠式にお呼ばれ。

まさこはメイン行事の戴冠式と昼食会に出席。

トンガ皇太子主催の夕食会や王女主催の別の昼食会などが予定されているが、それら メーン行事以外は皇太子のみの出席となる予定。

いちおう公式訪問である。招かれて行くのである。民間機をチャーターするという。無駄遣いだもったいないと思う。

ナル皇太子は、

06年9月のツポウ4世の国葬と

08年8月のツポウ5世の戴冠式に単身で出席している。

不謹慎な感想であるが、よく王様の代わる国だと思う。

トンガは親日国で、過去には、頑丈そうな妻が存在するのに、ツカエナイので、一人で参列のナルたんをも、ウェルカムして下さったのでした。

ありがとうトンガ、いつまでも明るい国でおられますように。でも、愚愚が行くニュースの直後、地震がありましたな。

愚なばかりでない、禍禍しいヒトモドキなんですよ、言いたくないけど、うちの国の、アレラ。

まさこは相変わらず何年ぶりだのどうの、コトバでだけチヤホヤされている。本当はものすっごく馬鹿にされてる。といっても、

彼女は(一応ヒト扱いしてみた)ギネス認定級の厚顔無恥。

客観視、なんちゅうモンからは1000億光年も遠く、ツウジョウの人びとの神経の一億万倍くらい(ワタシは負けず嫌いで消しゴム五億万個持ってるなどのホラを吹く男子小学生か!)ぶっとい神経しか無いヒトモドキだから、今更、何も感じない。

いや~もう、すごいの一言ですわ、まさこさまの厚かましさったら。って。こんなレベルでしか感心できない、とうぐうひ。どういう妃。

今回、例の一人医師団は同行しないと出ているが、すでにもう近いあたりにはおるまい、大野センセイは。解り切ってること、いちいち報告するなようっとおしい・・・と、思った通りに書いてみました。(笑)。

今まで一人で行ってたナルたん。

今度もまさこは、行かなくていい。中途半端に仕事をするな。

昼食会ならティアラは要らないと踏んだかな。・・・もう無いよね、きっと、ティアラ。

にったらにったら笑い顔もどきで、今度は行くかな、スーツケースは何個、フリーでお持ち出しかな、

いっそ、派手に華々しく、庇いだてしようのない失態を、さらして来るがいいと思うな。

もうこうなったら、それでいいぢゃん。

ね。

豚の丸焼きって、美味しいと思う。表面パリパリと焦げて、その内側の豚さん特有の甘い濃厚な脂肪、ううんウットリ、たぶん、まさこひの食い好き本能を満たすと思うわ。

トンガではそれは、めったにありつけない大ご馳走、国賓に対して、心を込めて供されるであろう、おご馳走。

いただくなら、腹据えて、丁寧にしっかり味わって下さいよ。かの国の大事なごちそうに、いいかげんな態度示したら、許さんよ。

公式訪問だからな。

行きたいから行く、んじゃないからな。

おつとめで行くのよ、そして、豚さんの丸焼きいただくのも、お役目中なんだからな。

わかんないだろうけど、言っておきたいな。

行きたいんですって、今度は。楽しみな外遊なんだって。だからあっちこっち公務を「こなす」のよ。今までもそうだった、あのおんな。あからさまなんです。



16日の「公務」は、当然、一般の知らない人々とはトイメンで接したりできないから、まさこさま。

夫のおばあ様、というだけではない。

昭和の皇后陛下、香淳皇太后さまの、例祭だった。

まさこは、香淳さまの前には、たとえ御魂となっておられても・・御魂様だからよけいに、ですかしら、出られないのだと思います。

皇太后陛下に、跳ね飛ばされる恐怖を、まさこの本能が知っている。感じ取っている。

例祭に出たくないからの、どた出、説もありますが、あの支援施設には、行く予定が有った。

予定を立てる時点で、行かない行くもんかあ固い決意があったということ。

ナルは、妻および周囲に引っ張られるだけのお人だから。

ナルはしかし、初の内孫。未来の皇統の継承者として、期待され可愛がっていただいた身で。

世間一般の言い方では「罰があたる」ぞ、不孝者。

不忠者。

シンプルに、バカ者。(笑)。

行きたくもない所だが、先に「外遊」が控えている。よっこらしょ、行ったるか。

で。

わざわざ、その場所を臨時休業させて。

臨時休業だからとうぜん、ヒトビトは来ない、来させないようにしておいて、20組ほど人間をケータリングして。

まさこが安心して向き合える20組、どこから借りて来たやら、もうそんなこともどうでもいいが。

そこまでして「ずる」するのね。

そうまでして「ズル」仕掛けて、ご夫妻は笑顔で触れ合っておられました、と、するはずであったのであったのに。

クローズアップまさこ。

大きく話題になったのは、「ご夫妻のお優しい笑顔」で無くて。

くす。

ドッカドッカとおおまたで室内に入って来る際に、

立ち止まろうともなさらずに、

何でこの場にこのバッグ?みたいな   昔、愛子さんの入園の日に、がは~~っと笑いながら、右手のクラッチバッグをおまたに。

こかんに。

ひでんかの、その場所に。ぐりっとお突っ込みあそばれていた、あの日の再来のごときバッグを、あろうことか、顎に挟む・・・とも見えてしまうお仕草で以て。

歩きながら右耳のイヤリングを直していた。バッサバサの髪を後ろでとりあえずまとめて、刺し子まがいの模様のジャケット腰回りくたくた、足にはいたスリッパパンパン、の皇太子妃がね。 静止画像で見れば、安定のお相撲さん立ち。足、閉じられない、仁王立ちで。

私は思う。

朝起きて、ばばっと顔面塗って、髪だけ人に任せて、慌てて出てきた、出る前にイヤリングひっつかんで、車の中で、あ~、だり~、でも今日は、行っとかんとな~。みたいにだら~っと、目やになんかいじったりして。

休館にさせておいたそこへ着いて、えええ、スリッパなのお、まっいいか、と足、突っ込んで、歩きだして、あ、と思い出してまず左耳、残る右耳のイヤリングを、着け始めてつけ終わったのが、あの、緊張感ゼロの場面であったと。

まさこさんて今でも、カップめんのスープ全部、飲みほしていると思う。

ピザは真ん中だけ食べて(縁にソーセージとか仕込んであるタイプは別)、端っこは紙皿の上に残したまま、部屋のゴミ箱に突っ込んでいると思う。

左肘ついてスプンやフォークで食事をし、口を拭ったナプキン、いっぱい、小鉢の中にぎゅうぎゅう詰め込むと思う。

テレビを見ながら食べながら、口の中いっぱいに食べ物詰め込んで、誰かの離婚や不倫のニュースなど見ながら、フフン、とか薄笑いすると思う、食べながらくしゃみして、その時は何かで口を押えて、済めばそのまま再開すると思う。

久しぶりに記事を書き出したら、めちゃくちゃになりました。このままアップさせていただきます。


皇室と下品とは、結び付けたくない気分です。

でも、下品です、すっごく。

帰りには、当然、レストランへ行きました。 ホテルのレストラン。

レストランの方が、本当の行き先だったとは、言うまでもありません。











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