今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

フーズ ハー?。はあ?。追記あります。



・・・・・・・オワダマサコさんの釣り書き。成婚時の雑誌より。・・・・・


・健康状態・・・異常ありません

・身長164cm、体重51㎏

・好物・・・ミルクティー、果物、サラダ、帆立て貝

・得意料理・・・鶏のポルト酒風味、ラザニア、ふろふき大根、ヨーグルト・ムース

・座右の銘・・・「実るほど頭の下がる稲穂かな」

      「徳においては純真に、義務においては堅実に (フタバ学園の校訓)

・尊敬する人・・・皇太子殿下、何人かの外務省の先輩および親しい友人、祖父母、両親

・感動したこと・・・皇太子殿下の思いやりの深さ

     私に対する真摯なお気持ちを知ったこと

     友人、妹たちや職場の上司らによる私への心遣い

・性格・・・おおらかだが、恥ずかしがり屋。慎重で優柔不断なところもあります。

・社会的活動…心身障碍児の運動指導(ハーバード大学時代にボランティア)

・職業選択の理由・・・私の生い立ち、経験を生かし、

     日本および国際社会に貢献できるような仕事をしたいと考えたためです

・仕事以外の興味関心・・・貧困、飢餓等の問題、エイズ、環境問題

     一般に、恵まれない人々、社会の中で弱い立場にある人びとのために

     何ができるのか考えていきたいと思います。



以上です。

皆さま、上記の「オワダマサコさん」を、ご存じの方はおられるのでしょうか。

私は、こんな人、知らない気がするのですが。

う~む。




オワダマサコさんが「尊敬する人」の一人に挙げている「母方のお祖父さま」が、↓ 動画の後半に出ておられます。

過去の私の記事から。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雅子さんが、ご自分には優しかったのであろう「おじい様」を、悪く言われて傷ついた、というのは、あながちウソではないとは思います。嘘でもないだろうが、だからといって。

動画の1分20秒あたりから、雅子さんの祖父、江頭豊が映っています。

頭頂部の後退した、メガネをかけたスーツの男性です。

1970年11月28日チッソ株式総会(於:厚生年金会館中ホール)にて江頭豊が、両の手に位牌を掴んだ被害者家族女性に詰め寄られる場面あり:





「わかりますか、私の心がわかるか、何言うたかおれたちが何て言うたかが、(聞き取れず)頭の下げ方忘れたんか、(聞き取れず)忘れてしまったではすまさん、笑うか、おら笑うことなんか言うとらんぞ」

江頭豊には当時、1963年生まれ、7歳の、おそらく目に入れても痛くないほど愛おしい孫が、あった。心身ともに健やかな(おそらく当時は)孫の、名前は、雅子。後の東宮妃。

水俣病被害者に対し「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな」「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる。伝染るから近づくな」(株主総会で一株株主の患者達に)「庶民が何を言うか!」「黙れ貧乏人が!」と恫喝。



江頭豊は、まさこの結婚式にも夫婦で招かれていた。

晩年は東宮御所の広大な庭を散歩するのが江頭のたのしみであり、よろこびであり。

皇太子ナルヒトは、ツマの、この祖父のために、御所の玄関辺りをバリアフリーに工事させた。

とうぜん、金は、江頭家からも小和田家からも出ていない。

巨大な吸血ヒルが、憑りついていた。



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「宮内庁不要論」。




宮内庁不要論 その罪深き所業


私が宮内庁を悪し様に言う理由とは・・

まず第一に皇室を支える者たちが

無信教と公言する愚かさである

バチカンを陰で支える者たちが無信教

だったり、異教徒であるだろうか?

宮内庁はGHQや反日の思惑で皇室の監視

無力化の指示を受けたものの巣窟である


これが許される背景には、政府の中に多数いる

「反日思想」「国家神道の否定」を画策する

人間に対しても、国民は声を上げないことに

よって理解できるのである

皇族に対する怨嗟の声は聞こえても、その陰で

暗躍する「宮内庁幹部」に言及する言葉が無い

のだから、悲しくなってしまう・・・。


皇室の過去と未来(一)

皇室の過去と未来(二)

にその一部が書いてあります



その次に、「古墳(天皇陵)」の問題

宮内庁は「社稷を守る役目を担う者として、

先祖の墓を暴かれるのは善しとしない」

というようなことを言っているとか・・・

血の通った日本人なら、先祖が眠る墓が

朽ちてゆくのを傍観することなどあるはずがない

庶民は機会があれば「改修したい」「改修するべき」

と思っているのである


私は若いころ「石工」の修業をしたことがあり

墓の改修に携わり、墓を掘り返したこともある

感謝されることはあっても、墓を暴いたなどという

発想は日本人的発想ではない

「お墓の引っ越し」や「お墓の改修工事」などは

先祖に対する冒涜であるはずがないのだ

見て見ぬふり、朽ちるがままに任せるほうが

よっぽど「先祖に対する冒涜」ではないか?


そうすると・・・明治天皇から昭和天皇まで

三代前まできちんと整っているから、その前は

どうでもよいという発想なのか?


明治天皇以前は・・・他人だから?

そんな不敬な考えすら浮かんでしまう


しかし・・・事実は誰が埋葬されているか不明な

御陵に皇族が足を運ぶのも問題があり

比定(ひてい)されていること自体、眉唾なのを

皇室が認知しているから無視している

そう考えたほうが自然かもしれない


開かれた皇室は何も開いては居ない


天皇陵のとんでもない事実の一部を

書けばこういうことになる ↓


現在の【神武天皇陵】は、「ジブタ(神武田)」という

小さな古墳を「修復」と称して、丘と石垣を作り

神武天皇陵として1863年に決められたもの

その際、候補地が幾つかあり、残った候補地の

古墳の一つ(塚山)を「綏靖天皇陵」と決めた


というか・・・欠史八代といわれる架空の天皇に

御陵が在ることこそいい加減なのである


第八代孝元天皇の御陵はちいさな古墳三つを

一つに囲って御陵としている


第21代雄略天皇の御陵は別々の円墳と方墳を

つなぎ合わせて、前方後円墳として捏造したもの

なのである

実際の話、現在「天皇陵として比定」されているものは

明治時代に整えられたもので、年代的な裏付けもなく

言葉は悪いが「テキトーに決めた」「いい加減な代物」

なのである


それでも、宮内庁は天皇家の私的墓地として

立ち入りを許可していないものがほとんど

税金の無駄使いの最たるものが「宮内庁」という

政府機関なのだ


宮内庁病院があっても、「個別医師団」が認め

られるのも、宮内庁が機能していない(仕事しない)

組織だという証明なのだ

私から見れば、宮内庁とは天皇家の対外国関係

を円滑にする組織であって、皇室の伝統や儀礼に

いっさい関心がないばかりか、その伝統を破壊

する役目を担っている「反国家機関」だと思っている


その現状は「隠蔽体質」であり、「閉ざされたもの」

をさらに閉ざし封印する大事な役目を担っている


車輪はどちらかが反対の動きをすれば進んで

行かない

現在も両輪が同じ方向に進もうとしているから

さまざまなことが、下賤の者の思いとは乖離して

進んでいるのかもしれない

宮内庁と皇室が円滑に機能しているならば、今

の状況などは、双方の思惑による結果では
ないだろうか・・・・。


                  ブログ 長屋の爺 「不必要な善意」より。




あのひとたちの結婚。






すでに30歳を超えていた日本の皇太子の妃が、ようやく、内定までたどり着いていた頃のことだった。

その年の1月11日。

アメリカの日刊紙シカゴ・サン・タイムズが、皇太子妃に内定したオワダ・マサコの元・ボーイ・フレンドが(撮った?)持っていたマサコのトップレス写真の存在について書いた。

日本のメディアはこれを黙殺、同誌は4日の後にこの記事を取り消した。

デマだったと。

シカゴ誌は、ゴシップ満載の三流紙の認定はされていない媒体。

そして、この「元・BF」がD・カオという名の中国系アメリカ人で、まさことはハーバード時代に(まさこは実際はラドクリフ女子大)少なくとも2回、パーティーで会っている。

若くして死んでいて、その死因が不審視されている(消されたとも)ことも、今では知られている。

他に、白人男性と付き合っていた話。

別の白人男性とは半同棲状態だった。

年頃の女性が男性と交際するのは普通の事ではあるだろうが、まさこの場合、知りあって、互いによく知りあって、そして、という、一般的な話が(何が一般的かはしりませんが)成り立ち辛かった気配がある。

相手が変わりやすかったという言い方ができる。

すぐについて行くおんなだったのだとKUONは見ている。

まったく尊重されないタイプだとは、キサキになってからの態度でもゆうに「読める」。

個人的な感想を書く。

しょせん男は、という言い方があり、それもまことに「そだよね~」な一面の事実ではあろうが、そんなオトコだって、オンナを「リスペクト」することだってある。

どの男もが、女を都合よく扱うわけでもないだろう。

まさこは、大切にしたくならないおんなだったのだと思う。

彼女を憎くもなんともない。ただ、バカにしているのだと思う。私は。


まさこが・・・と、その名がはじめに浮上した時期(87年)に、アメリカから怪文書が寄せられ、それゆえかどうかは不明であるが、

宮内庁は88年に、オワダマサコの名をいったん、候補から外している。

まさこの外祖父が世界的な公害企業、チッソの社長だったから、という事実が、理由としてあげられたが、それは判り切っていたことで、そのことが問題視されるなら、初めからまさこはリストに入らなかった。

語られている以外にもナルヒト氏とまさこの接点はあちこち、あったのだ。

・・当時の宮内庁長官、富田朝彦は、さまざまなパイプを駆使して、まさこのハーバード時代の主に異性との交友関係・・・女性の友人はいない女性だった・・・を、徹底的に洗い直したとされる。

他にも。

外務省の研修生当時、公費で留学したオックスフォード時代(結局、行っただけで2年間に何の成果もあげていない)には、イギリス人の男性と噂があった。

アメリカではアメリカ人と。イギリスではイギリス人と。

91年春から92年初めにかけては、事務員としてつとめた外務省内で、上司と不倫した。

北米二課の・・・この先は控える。

仕事上でコンビを組み、二人での出張も複数回あった。

仕事で共に出張しただけで、誰もが不倫を疑われるとは限らない。

まさこは、そういうことを言われやすいタイプというより、そういうことをし易い女性だったのだろう。

北米二課長とも噂された。


本命は、また別にあった。

有名な話で、相手はそれなりに有名な方で、現職の政治家でもあって。

結婚を前提に付き合ってくれた男性は、まさこにとって、初めてだったのではないか。

将来を誓い合ったとも云われる。

が。稔らなかった話。スルーします。


まさこの父親、オワダヒサシは、入内の話を始めから喜んだわけでもなかった、初めは反対ですらあった。

気持ちが転回した中には、今上夫妻の訪中のことが絡んでいたのは事実。

これに触れればまた、膨大な分量になる、ので、今は書きません(難しくて書けない・・・)。


で。

またこたんとの縁談が、ともかく成った、のは。

昭和天皇の反対を押し切ってでもまたこたんが、と成ったのは。

皇太子の一途な思い。

ということにされてしまって。ナルさんはうまく言えないし。

メディアと宮内庁がタッグを組んでの(裏はあるに決まっている)、完全な嘘だった。

ナルさんには、違うよ~とも言えなかった。周囲のせいだけでなく、本人の資質で。

歌手だの女優だのに薔薇を捧げたり特権で会わせてもらったり、平和な御代の御曹司(違いますね・・)ライフを満喫していたくらいは、ご愛嬌だった。おそらく。

多くの「お妃候補」が、候補のまま、それ以上寄って来てはくれなかった。

オワダが妨害していた話もあるが、そればかりでないだろう、とっととみなさま、退いて行かれた。

上つ方の縁談では、本人のみでない、親御さんの存在が大きい。ものすごく、大きい。

あのお母さまでは、と、思う人は思っていた。

ナルさんは、美智子さまが手塩にかけて育て上げられた作品でいらしたが、客観的な目には、どうだったのか。


まさこと「会った」後も皇太子は、某所の秘書としてつとめていらしたH嬢の職場へ足しげく通ったり。

お父上の学友の娘さんA嬢と見合いをしたり。

婚活に励んだ事実がある。

「イエス」と答えないための方便は、いくらもある。

方便を駆使された皆さまには「イエス」と言ってもらえなかった。

で。

このごとき、過去の話、人の古傷を抉るような話を、書いている午後、私は特別うれしがっているのでもない。

今日は、風はあるが、いささか湿度の高い日ではある。さわやか~とは言い難い日だが、静かだし一人だし、そういう意味では言うこと無い、今日。

で。

現・東宮夫婦、ナルヒトさんとまさこさんの結婚は。

二人ともが、ある意味「追い詰められた」あげくの結婚でありました。

なんてことを、書いてみたりしました。その結果が、

とんでもなく迷惑なことになってしまっているので、書いてみました。

愛なんか。あるはず無いし。

初め無かったものを、それならばと、一歩ずつ育てられる人間でも、なかった。








頭上の虹




こういう言い方は不遜なのかもしれませんが、実感しています。

秋篠宮殿下同妃殿下は、そのお立場の方として最強のタッグを組んでおられる。最高のパートナーシップでもって、日々、おつとめ下さっている、と。

盤石の安定感です。

5月の20日から21日は、和歌山県におなり。

高野山の

「開創1200年記念大法会結願法会」

に、ご臨席でした。メディアは相変わらず、100年に一度のこの行事に、両殿下がおでましになったなどもまともに報じませんでしたが。

「殿下は非常によくご存じでした」

高僧のこのお言葉、それはそうでしょうと、ミジンコKUONが「ドヤ顔」になってしまう。





22日には、日本のおちこちに「環水平アーク」

が見られました。

濃い美しい虹。

吉兆だといいです。


25日には

第二次世界大戦中に亡くなった戦没者を慰霊する拝礼式が、東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われ、

「今日の我が国の平和と繁栄の礎となられた戦没者の方々に深く思いを致し、謹んで哀悼の誠をささげます」

と、塩崎恭久厚労相が挨拶された。

式典には秋篠宮ご夫妻が出席されたほか、安倍総理などが献花を行い、戦没者の霊を慰めました。

また、先月天皇皇后両陛下が慰霊のために訪問されたパラオなどの戦地から新たに収容した身元のわからない2498人の遺骨が納められました。これで千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められた遺骨はあわせて36万2570人になりました。


と、報じられています。

両陛下はこの日、

ウィーン少年合唱団.特別公演、天使の歌声をご鑑賞に、サントリーホールへ。

そして東宮夫婦も同日、鑑賞公務にお出かけ。

両陛下はともかく、皇太子とその妻が、この日はルーブルの名画だったらしいですが、それを二人して見に行くのが「公務」って。

それ、どうなのかな~と、いや、文句は言いませんミジンコですもの(イヤミですよ!)、けど、とても不思議です。

言うてはならん気もするが、書き始めてしまったので行きますが、どんな名画を見ても、解らないでしょ、あのひとたちは。

「すばらしいですね」

「どうやって書かれたのでしょう」

くらいしか、感想ないのに。

ルーブルの名画を見に行くのを、小さくても新聞紙上で写真付きで

「1月の山種美術館での鑑賞公務以来のまたこたま」

と紹介するのなら。

他に公務の以来いっさい、まったく無い東宮夫婦の、以下のこともきちんと、書いて差し上げたらどうなのかしら、と、思いをいたしてしまったKUONでした。

5月の19日にも、この夫婦、絵画の鑑賞に行っていますよ。

「インドNGO主催 細密画」

の鑑賞に。これは、

「国連大学」

で催されたものです。まさこの大好きな国連大学。一時は専用部屋のあった国連大学。頻繁にお通いになった日々はいずこ、両陛下が、不審に思召されて・・・かどうか、ともかく、お二人で現地を「見に」行かれたこともある、まさこのだ~いすきな国連大学で、あったことなのに。

反日の巣窟とか云われている、あそこです。

そういうこともしっかり書いて下さいよ、と、含み笑うKUONなのでございます。くふふ。



お返事おくれていて申し訳ないです、も少しお待ちになって下さい。


皇族らしい?




公的な場に於かれては、身なりお振る舞い気品あるチャーミングな微笑、あたりまえに備えておられる内親王のお一人が、どこやら私的な場所で撮られた写真をもとに、ああだこうだと。

まず、何が自由といっても、学生としてお仲間がたとおられる場所での、いささかカジュアルに過ぎる・・・と、思う人はいるかもしれない、私は全く何も思わない、プロポーションが抜群でいらして、チープな学生が着られるお値段であろうシャツを、気持ちよく着こなしておられる、と感じるのみ・・・服装での内緒撮りの写真を、さらすことを、恥と思え。

何でも撮る、誰もがパパラッチともなる現代、 こういったことも予想される。予想されたが、やっていいことかどうか。

もしも行き過ぎた「若さの発露」なら、ご両親が話し合われるだろう。そういった親子関係を築いておられるのはよく見える。二十歳の若いお嬢さんである。少しくらいは「聞けない」部分もあるかもしれない。いつまでも「解らない」ままではおられない。

待てばいいのだ。ガタガタ騒ぐな。と、私は感じた。

それを、何?

宮内庁の苦言だの。

困ったことだとの声が宮内庁内部に、だの。

ほおおおおおおおおおおおお。

皇族らしいお振る舞いを、ですか?。

皇族らしいお身だしなみを、ですか?。

今は別に私自身はイライラしている時期でも無いが。

ばかばかしい、何を言うてはりますのん宮内庁?

皇族らしくしていただきたい? どなたに? あの内親王様に?

充分、皇族らしいではないですか。

正直、いまの皇室、拝見していて安心できる「皇族」って。

あのご一家しか存在していない。断言できる・・・三笠宮家のお二人の女王さまも、きちんとお勤めなさっておられると、私は思います。

あのお二人を除けば・・・そのお母さま妃殿下も除いて・・・あのご一家しか、おられません。

皇族らしい、ですと。お腹抱えて笑います。おへそが茶を沸かす、とかも言いたいけど、私のお腹にはオヤカン、おとなしく乗っかっていてくれないから、お茶は別口で沸かす。

そして、嘲笑っちゃいましょう。

内廷皇族が五人おられます。

いささか思いも残りますが、今上陛下は、この話から省かせていただいて。

残り四人。

皇族らしい方など、一人もおられません。

皇族の「お顔つき」の方。無し。

女性が三代にわたっておいでです、その、とりあえずトップにおわす方。

後でまた書き足します。

真ん中の方。

このひとが「皇族らしかった」ことなど、ただの一秒もありません。

私服の際の内親王の服装にいちゃもんつけるなら、あの厚かましい妃の、公式の場での惨状、醜状、一つ一つあげるまでも無い、出てきた場面全てが「皇族のもの」ではないです。

宮内庁が「苦言を呈した」話は一つも無い。皆無。ゼロ。ご病気ですと。療養ですと、静養だと。

きったない見かけ(失礼?)、きったない心(多分)。どこが妃殿下、何を以て妃殿下。

皇族らしいですか、あのかた。

未成年のお一人については、言いますまい。でも。

この春の演奏会にゴリ出しておられた時の腕時計、七万円とか。中学生が持つ物の金額とは思い難い。

そういうことは、通行遮断させてがんがん遊びに行く時の道路状況のように、スイスイ通っている。

七万円の中学生が持つ腕時計、逆に聞きたい。

皇族らしいですか?。

いま現在、ご皇族らしく見えて、かつ、実際にお動きになっておられるのは、秋篠宮殿下のご一家だけ。

佳子内親王も、さすが皇族のお嬢さま、拝見していて心地よい、安心させていただける、安定感がおありになる。

そう、考えています。

美智子さまのことも・・・書こう。



ご結婚を決意された際の、あのお言葉。

今日、改めて読んでいて、アタマがくらくらしました。



「美智子さまは学生時代、将来の選択肢のひとつとして、“教師になりたい”、“得意の英語力を生かした仕事に就きたい”という夢を持たれていたそうです。当時は女性が社会に進出するといっても、まだ職業は限られていましたが、美智子さまは教師として社会の役に立ちたいという強い思いを抱かれていたみたいなんです」(ベテラン皇室記者)

 しかし、1957年8月18日、美智子さまは当時・皇太子だった陛下と運命の出会いを果たされる。

「当時はまだ、将来、天皇となられるかたの妃に、民間出身の女性は到底考えられなかった時代で、美智子さまは陛下の求愛に苦悩されたこともあったそうです。しかし、乳母に育てられ、ご両親と離れて暮らされていた時代も長く、家庭を知らず育たれた陛下の“家庭をもつまでは、絶対死んではいけないと思った”というお言葉に、美智子さまは夢を諦めてでも、すべての力を注いで、あたたかい家庭を作ろうと決心されたようです」(前出・ベテラン皇室記者)


・・・・なんか。ごっぱなご決意、みたいに、思わなきゃいけないのかなあ、という感じが濃かったと思うのですが。

これ、表に出て来ること、コトバだったのかどうか。と、今、思う。


ご両親の立場、いっさい無視だと思ふ。

昭和天皇は、さまざまなこと絡みでいらしたとして。

香淳皇后さまは、びっくり仰天、そんなこと言いますか、あれまあ、何なのそれ、で・・・とか、思うのは、私自身が「しゅうとめ年齢」になっているせいでせうか。

それはないよねえ、自分、いい子になってさあ。

あちこち飛びました。

夢を諦めてでも、頑張ったお方は。

いま。

這ってでもどこやらへ、と。






明日は元気でいられます。



早くに起きて野球の試合に行く中学生を送り出し、レタスと、ゆでたまごとトマトとハムとキュウリをそれなりの大きさに切って、バゲットを斜めに切って食卓に出し、セルフサンドどうぞ。

お昼は炊き込みご飯を炊いて、今朝、ぢいさんと10歳の女の子がヨイショと掘ったジャガイモのお味噌汁、カブの簡単漬けくらいを出して、どうぞ。

晩ごはんには久しぶりに分厚いトンカツを沢山揚げ、小松菜と薄あげをだしと醤油だけで煮いたもの、残っていたジャガイモとニンジンをオリーブ油でジワーッとして、ピンクの岩塩ぱっぱして、豆腐とネギとわかめのお澄まし、千切りキャベツどさっと盛り上げて、ささ、どうぞ。

おかずが足りなければ皆、それぞれ冷蔵庫内を発掘して食べて、食洗機へ食器入れて、それぞれします。

今日、したことはそれくらいのことだけで、あとは、日がな一日、正式にお布団敷かないでゴロンして、寝て、寝て、寝くたれておりました。

一年に何度か、こんな日があります。

眠りたいだけ眠れるなんて、なんと素敵なことでしょう。

と。感謝して。

今、夜の10時半、これからまた、寝ます。

アタマの芯もカラダのいろんなかちんこちんになったところも、溶けて、ほどけて、明日は元気に起きられるでしょうか。

(笑)。




佳子さまのこと 




秋篠宮殿下と紀子妃殿下に、第二子である佳子内親王殿下が誕生されたのは、平成6年。1994年のことでした。

この時の女性皇族の年齢は

雅子さん31歳。

紀子さま28歳。

信子さま38歳。

久子さん41歳。

でした。

妃殿下となられた女性の何よりのつとめは「お子をなすこと」です。

マタハラだの産まない権利だのは、皇族に列せられる身である限り、のたまって通ることではありません。

何人お産みになってもかまわない。養育や教育に関わる心配も不安もありません。ただ一つ、かくあるべしと望まれるのは、

「皇族のお子さまらしいお子さまに」

お育てになること、でしょう。


佳子さまがお生まれになった時、皇太子家には、お子さまはおられませんでした。

成婚時29歳だった雅子さんは、数年は子どもをつくらない意志を公言していました。

皇太子妃は、天皇陛下に会う時、子どもが宿っているかまだか、なども、報告する習わしがあるそうです。前述のごとく、妃殿下というものは、お子をなすのが最優先事項。陛下にとっても、東宮妃の懐妊に関しては強いご希望とご期待をお持ちでいらした。と思われます。

で。それを

「みんな、楽しみにしているからね」

と。おそらく笑みを浮かべながら、お尋ねになられたことでしょう。

ここでまさこの、あの有名な啖呵が切られた。と、伝わります。

「私の周囲にはそんなことを言う人はいません」

初めにこの話を聞く時、多くの人は「まさか」との感想を持つと思われます。

皇太子のツマが、天皇陛下に口答えした。

それだけでもびっくりするし、内容が、皇統に関わるお子さんのことで尋ねられた天皇への

「うっせえ、だまっとけ」

なのですから。もし本当に、まさこの周囲に、早くお子をなすことを望む人がいなかったのなら、それも「おかしい」

ホントはイヤイヤ入内してやった、のポーズをとって入り込んで来たにせよ。皇太子の子を産めばすべて、まさこの周囲の野望は達せられるのですから。

皇統を、まさこの子が継承する。皇室を乗っ取る。そのプランは完成、やったぜベィビィ、とにかく早く早く生みなさい、何でもいいから生みなさいと。せっつかれたと考えるのが妥当。

ナルさんもお子が欲しかったに違いない。とにもかくにもそうなれば、一件は落着。自分は次代で自分の子は次々代。

私個人は実は、ナルさんには当初、そんなにも強い「何が何でも天皇に」の思いは、ガチガチに強くも無かった気がしています。

と言うか。

そんなことまで考えも及んでいなかった。そのうちなるようになるものと、のんびりした気分もあったのではないかと・・当時は弟の家庭を羨ましくは感じても、自分だってそれが欲しい気はあっても、弟の妻にも優しい気持ちは抱いており、弟の子ども・・・眞子さま・・・のことも、可愛いと感じていたのでは、という気が、します。ナルさんって、そういう風では無かったか、と、思う。

弟が先に結婚し、可愛い女の子に恵まれ、自分もようやく結婚した。

美しいし優秀だし婚約時代はそれなりに淑やか感も貼りつけており、ときどき??なことはあっても、もう後戻りはできないしきっとする必要も無いだろう。

人前でやたら話しかけて来る癖は、きっと不安だからだろう、自分はわかってあげなくちゃならないんだよね、きっと。ナルさんはそう思っていた(かどうかは知らん・笑)。おもうさんはともかく、おたたさんは、喜んでいる。おたたが良しと言えばいいんだよね・・まさこは、おたたさんを避けたがっているみたいだが・・・結婚してしまえば何とかなるよね。

でも人前で喋りかけるって、子ども時代なら叱られたんだけどね…仕方ないな、まあいいか。

成婚のパレード中にも新居へ着いた時にも喋りかけ癖の続行したまさこと結婚したナルさん。

初めからまさこさんには、優しくなんかしてもらえませんでした。断言。続く。

で。

まさこは、結婚してすぐに昼夜逆転の生活に入ってしまった。ナルさんにはまだ、規則正しく生活する習慣が残っていた。なかなか子どもはできそうになく、そのうち、弟のところに、次の子どもが生まれるという話が。

ナルさんはこの時、怒ったのだといいます。

ナルさんが怒った。

まさこは、紀子さまの懐妊を知らされて泣き明かしました、と、見え見えに腫れあがった(ひどい)顔で、その時は人前に出て来たのでした。

あの当時、紀子さまは、何か大きな抑圧感を感じていらしたのでしょうか。そういうお顔の感じでずっと、おられた気がします。

そして、佳子さまはお生まれになった。


佳子さまが生まれて以後、紀子さまのご懐妊は無かった。

さまざまな話がありました。

睦まじく健康な若いご夫妻に、懐妊を許さない空気のあったことなど。



2001年(平成13年)には、皇室の産婦人科担当医を四十年務めた坂本正一御用掛が退任されました。

同年二月のお別れの挨拶の折り、御所において両陛下と長時間語り合った坂本医師は、

別れ際に、

「紀子様もそろそろ(限界が)来られている、お考えになった方がよい」

と、思い切ったともいえる言葉を発された。

両陛下は深く頷かれた。とのことです。


平成15年(2003年)12月3日

宮内庁は

「皇太子妃は帯状疱疹から公務を控え2~3週間治療」

と発表しました。

病院へ向かうまさこさんと、お付きのナルヒト氏の車上写真が発表されました

この平成15年(2003年)12月11日(まさこは入院中?)

湯浅長官は

「皇室の繁栄を考えた場合、東宮に第2子を、秋篠宮家の繁栄を考えた場合、秋篠宮家に3人目のお子さまを強く希望したい」

と、異例の発言。

東宮家はもとより、秋篠宮家にも、筆頭宮家として後継ぎとなる親王殿下のご誕生の可能性を求めるのは当然のことでした。

女性には出産の年齢限界があるから期待できるのは雅子妃か紀子妃。紀子さまはこの時、37歳になっておられました。

湯浅長官が発言したのは、よほど東宮家が懐妊に関しての意志が無かったのではないかと言われました。

同衾が無い以上、懐妊は無理。と、踏み込んだ噂も。

愛子さんが人力を借りての懐妊・出産であったし、その前段階として、まさこさんが不妊関連の治療を異常に嫌がったとも信憑性を持って伝わることです。

帯状疱疹の病名で公務の長期休止を発表されたまさこさんは、

2004年(平成16年)、愛子さんを御所から連れ出して、一般人である両親の軽井沢の別荘に籠ってしまいました。

連れ出して、と強い表現をするのは、愛子さんは、東宮家の内親王なので。勝手に長期にわたって連れて出るには問題がある・・・など言っても、もっと他で問題だらけなのですが。

一週間の予定が一か月に延びて,雅子さんは戻った。軽井沢では

「離婚したい」

と叫ぶ雅子さんに、

「それでは愛子はもらえない」

っと説得する声があったとか、父親のオワダ某氏は

「皇室の中に自分の居場所を作れ」

と説いたとか。見てきたような話が伝わります。誰も見てはいなかっただろうが、聞いた耳はあり。

雅子さんの悲鳴だか絶叫だかが響き渡っていた、とか。

悲鳴、絶叫は、スキー場でのホテルでも東宮御所ででも「聞こえた」らしくはあります。

そんなに「子どもを産め」が苦痛だったのか。

皇太子は離婚が可能です。まさこさんの人権を守るためにも、離婚させてあげればよろしかったのに。

愛子さんがナルさんの初めてのお子なのは間違いのないこと、たまに会うことだって可能、それが「新しい何か」につながったのかも知れないのに。まあ、本気でここは言っていませんが。イヤなものを、どうしてでも御所に戻したのは、これだけは申し上げたいが、国民の側の都合でも望みでもありません。

どこか誰かの都合だったにすぎません。

この間、つまり、まさこさんの治療だのキャリアにもとづく何とかの侵害だの、あほらしい話題が先走っていて、皇室もムサクルシイ場所となって行った時期でしたか。

2003年の暮れに湯浅長官の「もっとお子さまを」の発言があったとはいえ、事態は動かず。

高松宮妃殿下は紀子さまに

「気になさらないでたくさんお産みになったらよろしいのよ」

など仰ったようでしたが(結婚初期に)、宮妃がそのようなことを口に出される雰囲気もあったと、考えるのは邪推でも無い気がします。

美智子さまは、皇統を、とにかくナルヒト氏につなぎたい一心。

その根拠はわたしなどにわかるはうも無いですが、その一心は事実のようで。

巷間伝わる

「佳子の時にも気を遣ったのに、今度またでは紀子ちゃんが可哀そう」

なるお言葉。真意不明。

紀子さまは確かに、お気を遣われつつ、佳子さまをお産みになった。これ自体が「おかしい」。

紀子さまが気を遣う相手は、まさこ?。

産みたくないまさこ?。

なんでそれに気を遣う?

なんで、それと知りつつ、可哀そう、なんて言っていないで、それとこれとは話が別、と、励ましてさしあげない?

以下の部分は、ハーバーなすこさんのブログから、リンクフリーのお言葉に甘えてお借りして来たものです。

面白くて確信ついていて。

>>聖心女子大出身 カトリック信者の緒方貞子サン

「かわいい後輩の美智子ちゃん、いい手があるわ
男子が生まれようと、愛子ちゃんを天皇にすればいいのよ
北欧では、すでに男女関係なく長子が皇位継承でしょう?
愛子ちゃんを天皇にすれば雅子様もお怒りにならないわ?
そうすればマスコミはあなたを叩かないわよ」

「貞子さん、ああステキ♡
そうよね、男児しか皇統を継げないなんて
時代錯誤も甚だしい♡ 男女同権ばんじゃい♡
」<<

拍手ぱちぱち、実際、こんな空気を、皇后さまは・・・ナス子さんありがとうございました。。

で、つまり、秋篠宮両殿下に対して、長い間、お控えなさい、子は産みなさいますな、の
プレッシャーを、かけつづけて来られたのだ、と。

一般の夫婦でも、10年そこそこの間を空けての出産が、無いわけでは無い。

けれど、秋篠宮さまは、はっきり、ご自身の口から仰っておられました。


「(ようやく)お許しが出ましたので」

と。悠仁さまお誕生の前の時点です。私はこれは、記憶しています。何も知らない身にも違和感がありました。

よくぞ、万感の思いを、簡潔に清潔に、お出しになられたと思います。

その間にも殿下は、眞子さま佳子さまが

「小さい子の世話をしたく思っているようです」

など、発言なさっておいででした。

ご夫妻でもっと多くのお子を望まれ、環境的に問題なく(一部ややこしいのは除いて)健康で、おねえちゃまがたもお望みで。

どうして、お子さまが増えて行かれなかったか。

抑えられていたのですね、それしか考えられない。

筆頭宮家に産児制限をかける。それは、どなたに為し得ることでしょうかと考えます。


まさこせいようちゅうのまま、紀宮様の結婚が決まって。

2004年(H16年)12月26日

「皇室典範に関する有識者会議」が開催されました。

皇太子の第一子である愛子様を天皇に、と目論む動きの表れで、紀宮婚約=降嫁発表後わずか1ヶ月ばかり経過した時期のこと。もちろん、秋篠宮家に三人目のお子さまはないまま。

小泉内閣での開催でした。

テレビで、あの、小泉首相がメモを渡されて驚いた顔を、見ました。はっきりと何かが逆転した瞬間を、リアルタイムで。

翌年2006年、9月6日。

悠仁親王殿下が誕生されたのでした。


弥栄。

佳子さまに就いて書きたかったのが、パソ打つ指が滑っていってしまいました。

この項はこのままとさせていただきます。

追記です。


★ごく大雑把な時系列★

1993年6月9日徳仁雅子結婚
  ↓
結婚当初から二人は食卓も共にせず、「二年間は子どもをつくりません」
  ↓
1995年今上陛下が雅子に対してかけたお言葉「(子供が授かることを)国民みんなが待っているからね」に対し、雅子「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」
  ↓
1997年東宮妃懐妊プロジェクトチーム結成、東宮侍医長が雅子に基礎体温の提出を求めるも激しい拒絶に遭い、東宮侍医長辞職へ
  ↓
1998年秋、不妊検査で異常がなかった雅子が両陛下に向かって「検査の苦しさよりも私が子供を産める身体だと、両陛下にご理解をいただいてほっと致しました」

                                     dosuko wiki

・・・この、普通でない、まともな生活も出来ないそれ以上を望むべくもない「東宮のツマ」に、

配慮させられ(なさり)、遠慮させられ(なさり)、ことごとしく何を仰るでなく、一途におつとめ下さった紀子さま。

言うて詮無いことですが。

正常に推移していれば、いま幾人の親王、内親王殿下が、いて下さったでしょうに。




カンヌよりの便り・超・地味目ですが(笑)。




柚月恵を愛して応援して下さっている方が教えて下さいました。

映画

[兄弟~kyodai]

監督  Zak Baney


2015年 カンヌ国際映画祭   Marche de filmにて上映されました  とのことです。

昨夜 夜 8時に。

教えて下さりありがとうございました。

メルシ ボ クゥ!。

御霊神社。



本業で遠方の方々をお迎えしたり、個人的なお付き合いの方を案内したりで、めずらしく奈良市内あちこちを巡る機会があって。

調べ物をすることの多い中旬でした。

奈良に「ならまち」と呼ばれる古い一角があります。

ならまちの魅力を書くと長くなります。

今ここで何を申し上げようとしているかというと。


調べていると、天皇さんといっても、ほんとうに数奇な運命の天皇が沢山おられたのだ、ということに驚き。

無実の罪をかぶせられたり意味もわからず殺められたり、血縁同士が血で血を洗う大騒動を起こしたり。

で。

憤死した皇族や天皇そのお方が、怨霊となられる。

怨霊を鎮める方便があれこれ、とられる。

天変地異や疫病の流行などが、怨霊のせいだと考えられた。

疫病は、まず、水の処理がうまくなくて、不潔が積み重なって、とか、現代の知恵で考えますが、そうとばかりも言えないのだと思います。

ならまち界隈に沢山ある・・・大雑把に過ぎる言い方ですが・・・寺社に就いて、ざっと流し読みをしたのみでも。

奈良町-井上神社 ー井上町。

・祭神--井上皇后(イガミコウゴウ)・他戸親王(オサベシンノウ)

「ならまち」南端を東西に走る道路に面した井上町集会所に沿った狭い参道の奥に鎮座する。

奈良市史によれば、

かつて御霊神社が当地にあったが、宝徳の大火での伽藍焼失の後、元興寺観音堂近くに遷ったため、旧社地である当地
に2神のみを祀った」

とあり、当社も御霊社のひとつである。

祭神の井上皇后は聖武天皇{KUON:註=東大寺の大仏・廬舎那仏を作った天皇=の皇女で、天智天皇の皇孫・白壁王に嫁し、王が光仁天皇として即位するにより皇后となったが(770)、難波内親王を呪詛したとの疑いをかけられ、その子で皇太子であった他戸皇子とともに廃位され、幽閉の地で皇子とともに変死したという(773)。

その後、落雷・風水害・地震・日食などの異変が続き、これらを井上皇后母子の祟りと畏れられ、両者を神として祀ることで鎮魂が図られたとされる。

わが身は皇后、子は皇太子という母子に難波内親王を呪詛する理由はなく、帝位をねらう山辺親王(後の桓武天皇)と、それを担ぐ藤原一門の陰謀に陥れられた事件という。



奈良町-崇道天皇社  崇道天皇(スドウテンノウ)社--西紀寺町

祭神--早良親王(サワラシンノウ、追号:崇道天皇)

井上神社前の道路を南へ渡った東寄りに位置し、朱塗りの鳥居をくぐった参道奥に鎮座する。由緒書には、

「当社は第51代平城天皇の大同元年(806)の創立にして、50代桓武天皇の皇弟・サワラ太子の霊を鎮め祀る」
とある。

サワラ親王は光仁天皇の第2子で、兄・山部親王(ヤマベシンノウ)の即位(桓武天皇)によって皇太子に立てられたが、長岡京造営長官・藤原種継の暗殺事件(785)の首謀者として乙訓寺に幽閉され、淡路へ流される途中に淀川べりで憤死し、淡路へ葬られた悲劇の親王。

その後、桓武天皇の皇子・安殿親王(アテシンノウ、後の平城天皇)の病や天変地異の続発などがサワラ親王の祟りとされ、その鎮魂のために「崇道天皇」が追号され(800)、その後怨霊をを祀る神社が建てられたが、当社もそのひとつ。

サワラ親王の死は、わが子へ譲位したいという桓武天皇の執念と、藤原氏内部の勢力争いがもたらした悲劇とされる。

 などなど。

こういう話、里中満智子も描いてくれないかなあ、など、呑気に考えたりしまして。

里中さんの漫画によって、天智・天武の兄弟を知りそめ、その周辺のロマンスや失脚の話など、ドキドキして読みふけった世代です。

今の私が読んだら、どんな感じなのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と。なんで急にこのようなことを記しているかと申しますと。

皇室関係の他のサイトを読ませていただいても、私自身のこのヘタレブログにおいで下さってコメント頂く方の中にも、


平成の御世に天変地異が多いのは、今上の・・・とかいう論調のものが、けっこうありました。

初めは、己の無知がさらけ出されることがこわくて、その話題に近づかないように卑怯者を決め込んでおりましたKUON。

今だって、何も知らぬに等しいでございます。

ただ。

平成の御世に自然災害が多い、というご指摘に、そうなのかしらとココロが動いた結果、なるほど多いわ。

と納得。

納得して、

もちろん他に天皇として天皇のなさるべきことをなさって下さりつつ、ではございましょうが、とにかく、当該地の責任者に対して、おねぎらいのお言葉を賜ったり。

金一封を賜ったり。

の、今上の御世の、これまでの大きな災害だけではありますが、
ずらっと並んでいる記事を、前回は、ご紹介した次第です。








取り急ぎ貼って出かけます。



災害等へのお見舞い(平成元年~平成27年)

前置き風に記します(まだ家にいたのかい、って突っ込まないでね・笑)。

内廷皇族がお使いになるお金は、両陛下、ナル、まさ、愛子さん、その五人の方でまとまっている。ここでその「まとまっている」メリットが発揮されると書くと、うずうずするほど「げひん」で素敵だと思いますが。(笑)。

内容がいっさい明かされていない両陛下の「金一封」。常に陛下の名でお出しです。皇太子の名で出ていた件は皆無です。

各寺社へのお供えや何とかのお金も、他の宮家の名ではあっても、皇太子のところからは無しです。木札に名があったためしも無く。

それと。細かい話ですが、皇后さまは4年前のあの折りに、本を20冊、被災の地のお子さんがたにと、贈られました。

ご自宅で読んでおられた本の20冊。人によっては「ありがたく」「もったいない」とも言えるのでしょうか。

人によっては、単に古い本20冊。どうやって分けてやるべいか、ふ~む。ってな。

ご慈愛の20冊のお下げ渡し本。いま、どこにあるのかしら。

それと、脱線話で、とっても信じたくない絶対にそんなことあり得ないし、あの、皇族の、ヒデンカの、あんなご立派なお立場のエピとして信じがたい・・・小さい声で云いたいくらいの話ですが。

2011年。東北地方を大災害が襲ったあの年の、夏。

またこたまは、ご実家のおわだたまと、バリの旅をお楽しみだった。



災害等へのお見舞い



大雪等による被害についてのお見舞い

平成27年3月30日(月)

天皇皇后両陛下は,今冬期の大雪等により甚大な被害を受けた北海道,青森県,秋田県,山形県,新潟県及び長野県に対し,金一封を賜りました。



長野県神城断層地震による災害についてのお見舞い

平成26年11月25日(火)

天皇皇后両陛下には,今般の長野県神城断層地震について,余震が続き,寒さがつのる中で,互いに助け合って懸命に災害への対応を行っている被災地の人々に対するお見舞いとお励ましのお気持ちと,早速現地に赴いて救援活動に従事している人々へのお労いを,本日,侍従長を通じ,阿部守一(あべ・しゅいち)長野県知事にお伝えになりました。



御嶽山の噴火による被害についてのお見舞い

平成26年10月6日(月)

天皇皇后両陛下には,この度の御嶽山の噴火による被害についてのお見舞いを,また,困難な状況の中で捜索救助活動に引き続き努力している警察,消防,自衛隊ほか関係者に対するおねぎらいのお気持ちを,本日,侍従長を通じ,阿部守一(あべ・しゅいち)長野県知事及び古田肇(ふるた・はじめ)岐阜県知事にお伝えになりました。



広島県の大雨等による災害についてのお見舞い

平成26年8月21日(木)

天皇皇后両陛下には,この度の広島県の大雨等による災害発生に当たり,多数の人々が犠牲となり,また,依然として多くの人々の安否が不明であることに心を痛めておられ,犠牲者に対するお悼みと被害を被った人々に対するお見舞いのお気持ちを,また,災害対策のために,引き続き努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ,湯﨑英彦(ゆざき・ひでひこ)広島県知事にお伝えになりました。

平成26年11月19日(水)

天皇皇后両陛下は,本年8月の大雨等により甚大な被害を受けた広島県に対し,金一封を賜りました。



大雪等による被害についてのお見舞い

平成26年4月10日(木)

天皇皇后両陛下は,今冬期の大雪等により甚大な被害を受けた北海道,青森県,岩手県,秋田県,群馬県,山梨県及び長野県に対し,金一封を賜りました。



台風第26号による災害についてのお見舞い

平成25年10月21日(月)

天皇皇后両陛下には,「台風第26号による大雨」により,伊豆大島などにおいて多数の人々が犠牲となり,また,依然として多くの人々の安否が不明であることに心を痛めておられ,犠牲者に対するお悼みと被害を被った人々に対するお見舞いの気持ちを,また,災害対策のために,引き続き努力している関係者に対するおねぎらいの思し召しを,本日,侍従長を通じ,猪瀬直樹(いのせ・なおき)東京都知事にお伝えになった。

平成25年12月19日(木)

天皇皇后両陛下は,この度の台風第26号による大雨等により甚大な被害を受けた東京都に対し,金一封を賜りました。



大雪等による被害についてのお見舞い

平成25年3月29日(金)

天皇皇后両陛下は,今冬期の大雪等により甚大な被害を受けた北海道,青森県,秋田県,山形県及び新潟県に対し,金一封を賜りました。



九州地方を中心とする梅雨前線に伴う大雨(平成24年7月九州北部豪雨)による被害についてのお見舞い

平成24年7月13日(金)

天皇皇后両陛下には,この度の大雨による災害発生に当たり,死亡者に対するお悼みと被害を被った人々に対するお見舞いのお気持ちを,また,災害復旧のために努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ,蒲島郁夫(かばしま・いくお)熊本県知事にお伝えになった。

平成24年7月20日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成24年7月九州北部豪雨」により甚大な被害を受けた福岡県,熊本県及び大分県に対し,金一封を賜りました。



「平成24年5月6日に発生した竜巻」による災害についてのお見舞い

平成24年5月16日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成24年5月6日に発生した竜巻」により甚大な被害を受けた茨城県に対し,金一封を賜りました。




「平成23年11月からの大雪等」による災害についてのお見舞い

平成24年3月28日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成23年11月からの大雪等」により甚大な被害を受けた北海道,青森県,秋田県,山形県,新潟県及び長野県に対し,金一封を賜りました。




台風第12号による災害についてのお見舞い

平成23年9月5日(月)

天皇皇后両陛下には,この度の「台風第12号による大雨」による災害発生に当たり,死亡者に対するお悼みと被害を被った人々に対するお見舞いのお気持ちを,また,災害復旧のために努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,宮内庁長官を通じ,仁坂吉伸(にさか・よしのぶ)和歌山県知事及び荒井正吾(あらい・しょうご)奈良県知事にお伝えになった。

平成23年9月6日(火)

天皇皇后両陛下は,この度の台風第12号による大雨により甚大な被害を受けた奈良県及び和歌山県に対し,金一封を賜りました。



「平成23年7月新潟・福島豪雨」による災害についてのお見舞い

平成23年8月1日(月)

天皇皇后両陛下には,この度の「平成23年7月新潟・福島豪雨」により被害を受けた人々に対するお見舞いのお気持ちを,また,災害復旧のために努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,宮内庁長官を通じ,泉田裕彦(いずみだ・ひろひこ)新潟県知事及び佐藤雄平(さとう・ゆうへい)福島県知事にお伝えになった。



「平成22年11月からの大雪等」による災害についてのお見舞い

平成23年3月30日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成22年11月からの大雪等」により甚大な被害を受けた北海道,秋田県,山形県,新潟県,富山県及び福井県に対し,金一封を賜りました。



平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による災害についてのお見舞い

平成23年3月12日(土)

天皇皇后両陛下には,この度の東北地方太平洋沖地震により,広範な地域にわたって甚大な被害が生じており,時間の経過と共に,報じられる被害状況が刻々と悪化し,拡大していることに深く心を痛めておられ,犠牲者へのお悔やみ,負傷者及び被災者へのお見舞いと共に,災害対策に全力を尽くしている関係者一同の努力を深く多とするお気持ちを,菅総理大臣に対し宮内庁長官を通じてお伝えになりました。

平成23年3月16日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」により甚大な被害を受けた岩手県,宮城県,福島県,茨城県及び千葉県に対し,金一封を賜りました。

平成23年4月27日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の東日本大震災により甚大な被害を受けた宮城県に対し,避難者支援のため,金一封を賜りました。

平成23年5月6日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の東日本大震災により甚大な被害を受けた岩手県に対し,避難者支援のため,金一封を賜りました。

平成23年5月11日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の東日本大震災により甚大な被害を受けた福島県に対し,避難者支援のため,金一封を賜りました。



台風第9号による災害についてのお見舞い

平成21年8月11日(火)

天皇皇后両陛下には,この度の兵庫県の台風第9号による災害発生に当たり,死亡者に対するお悼みと被害を被った人々に対するお見舞いのお気持ちを,また,災害復旧のために努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ, 井戸敏三(いど・としぞう)兵庫県知事へお伝えになるとともに,兵庫県に対し,金一封を賜りました。



「平成21年7月中国・九州北部豪雨」による災害についてのお見舞い

平成21年7月23日(木)

天皇皇后両陛下は,この度の7月21日からの大雨により甚大な被害を受けた山口県に対し,金一封を賜りました。

平成21年7月27日(月)

天皇皇后両陛下は,この度の7月24日からの大雨により甚大な被害を受けた福岡県に対し,金一封を賜りました。

平成21年7月28日(火)

天皇皇后両陛下には,この度の「平成21年7月中国・九州北部豪雨」による災害発生に当たり,死亡者に対するお悼みと被害を被った人々に対するお見舞いのお気持ちを,また,災害復旧のために努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ,二井関成(にい・せきなり)山口県知事,麻生渡(あそう・わたる)福岡県知事へお伝えになった。



「平成20年8月末豪雨」による災害についてのお見舞い

平成20年9月5日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成20年8月末豪雨」により甚大な被害を受けた愛知県に対し,金一封を賜りました。



「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」による災害についてのお見舞い

平成20年6月15日(日)

天皇皇后両陛下には,この度の「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」についてのお見舞いを,侍従長を通じ,達増拓也岩手県知事,村井嘉浩宮城県知事,佐藤雄平福島県知事にお伝えになった。

平成20年6月16日(月)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」により甚大な被害を受けた岩手県及び宮城県に対し,金一封を賜りました。



新潟県中越沖地震による災害についてのお見舞い

平成19年7月18日(水)

天皇皇后両陛下には,この度の新潟県中越沖地震についてのお見舞いを,侍従長を通じ,泉田裕彦新潟県知事にお伝えになった。

両陛下は,3年前の新潟県中越地震や集中豪雨,更には昨年の豪雪等,これまで度重なる被害を受けてきた新潟県において,この度更なる災害があったことへの深い同情の念を示され,相次ぐ災害に苦しむ県民に対し,死亡者へのお悔やみ,被災者へのお見舞いを伝えるとともに,災害への対処に尽力している関係者へのお励ましのお気持ちを伝えるよう希望された。

平成19年7月18日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成19年(2007年)新潟県中越沖地震」により甚大な被害を受けた新潟県に対し,金一封を賜りました。

平成19年8月8日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成19年(2007年)新潟県中越沖地震」により甚大な被害を受けた新潟県に対し,被災された高齢者のため,金一封を賜りました。



「平成19年(2007年)能登半島地震」による災害についてのお見舞い

平成19年3月27日(火)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成19年(2007年)能登半島地震」により甚大な被害を受けた石川県に対し,金一封を賜りました。



台風第13号による災害についてのお見舞い

平成18年9月22日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の台風第13号により甚大な被害を受けた佐賀県及び宮崎県に対し,金一封を賜りました。



梅雨前線の大雨による災害についてのお見舞い

平成18年7月28日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の梅雨前線による大雨により甚大な被害を受けた長野県,島根県及び鹿児島県に対し,金一封を賜りました。



「平成18年豪雪」による災害についてのお見舞い

平成18年3月9日(木)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成18年豪雪」により甚大な被害を受けた北海道,青森県,秋田県,山形県,新潟県,福井県及び長野県に対し,金一封を賜りました。



台風第14号による災害についてのお見舞い

平成17年9月9日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の台風第14号により甚大な被害を受けた宮崎県及び鹿児島県に対し,金一封を賜りました。



福岡県西方沖の地震による災害についてのお見舞い

平成17年3月22日(火)

天皇皇后両陛下は,この度の福岡県西方沖を震源とする地震により甚大な被害を受けた福岡県に対し,金一封を賜りました。



新潟県中越地震による災害についてのお見舞い

平成16年10月25日(月)

天皇皇后両陛下には,この度の新潟県中越地震によって,死傷者が多数に達し,物的な被害も大きく,また,余震の続く中,大勢の人々が不安な日夜を過ごしていることに深くお心を痛められ,犠牲者へのお悔やみ,被災者へのお見舞いとともに,災害に対処している関係者へのお励ましのお気持ちを,侍従長を通じ,泉田裕彦(いずみだ・ひろひこ)新潟県知事にお伝えになった。

平成16年10月26日(火)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成16年(2004年)新潟県中越地震」により甚大な被害を受けた新潟県に対し,金一封を賜りました。

平成16年11月6日(土)

天皇皇后両陛下は,この度の「平成16年(2004年)新潟県中越地震」により甚大な被害を受けた新潟県に対し,被災された高齢者のため,金一封を賜りました。



台風第23号による災害についてのお見舞い

平成16年10月22日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の台風第23号により甚大な被害を受けた兵庫県,岡山県,香川県,愛媛県,高知県,京都府及び岐阜県に対し,金一封を賜りました。



静岡県始めの台風第22号による災害についてのお見舞い

平成16年10月12日(火)

天皇皇后両陛下には,この度の静岡県の台風第22号による災害発生に当たり,死亡者に対するお悼みと被害を被った人々に対するお見舞いのお気持ちを,また,災害復旧のために努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ,石川嘉延(いしかわ・よしのぶ)静岡県知事へお伝えになった。

平成16年10月13日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の台風第22号により甚大な被害を受けた静岡県に対し,金一封を賜りました。



台風第21号による災害についてのお見舞い

平成16年10月1日(金)

天皇皇后両陛下には,この度の台風第21号により甚大な被害を受けた三重県及び愛媛県に対し,金一封を賜りました。



台風第18号による災害についてのお見舞い

平成16年9月10日(金)

天皇皇后両陛下には,この度の台風第18号により甚大な被害を受けた広島県,山口県及び北海道に対し,金一封を賜りました。



台風第16号による災害についてのお見舞い

平成16年9月2日(木)

天皇皇后両陛下には,この度の台風第16号により甚大な被害を受けた香川県及び岡山県に対し,金一封を賜りました。



福井県の豪雨による災害についてのお見舞い

平成16年7月21日(水)

天皇皇后両陛下には,この度の豪雨により甚大な被害を受けた福井県に対し,金一封を賜りました。



新潟県の大雨による災害についてのお見舞い

平成16年7月15日(木)

天皇皇后両陛下には,この度の新潟県の大雨による災害発生に当たり,死亡者に対するお悼みと床上・床下浸水などの被害を被った人々に対するお見舞いのお気持ちを,また,災害救助や復旧のために努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ,平山征夫(ひらやま・いくお)新潟県知事にお伝えになった。

平成16年7月16日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の大雨により甚大な被害を受けた新潟県に対し,金一封を賜りました。



釧路沖地震による災害についてのお見舞い

平成15年9月26日(金)

天皇皇后両陛下には,この度の釧路沖を震源とする地震において被害を受けた人々に対するお見舞いのお気持ちを,同日,侍従長を通じ,高橋はるみ北海道知事にお伝えになった。



宮城県北部の地震による災害についてのお見舞い

平成15年7月28日(月)

天皇皇后両陛下には,この度の宮城県北部の地震により甚大な被害を受けた宮城県に対し,金一封を賜りました。



九州地方の大雨による災害についてのお見舞い

平成15年7月23日(水)

天皇皇后両陛下には,この度の九州地方の大雨により甚大な被害を受けた福岡県及び熊本県に対し,金一封を賜りました。



鳥取県西部地震による災害についてのお見舞い

平成12年10月10日(火)

天皇皇后両陛下には,この度の鳥取県西部地震において被害を受けた人々に対するお見舞いのお気持ちと,災害の復旧のために努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ,片山善博(かたやま・よしひろ)鳥取県知事にお伝えになった。



愛知県の大雨による災害についてのお見舞い

平成12年9月14日(木)

天皇皇后両陛下には,この度の愛知県の大雨による災害発生に当たり,死亡者に対するお悼みと床上・床下浸水等の被害を被った人々に対するお見舞いのお気持ちを,また,災害救助や復旧のために努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ,神田真秋(かんだ・まさあき)愛知県知事にお伝えになった。

平成12年9月14日(木)

天皇皇后両陛下は,この度の秋雨前線と台風第14号に伴う大雨により甚大な被害を受けた愛知県に対し,金一封を賜りました。



三宅島からの島民の避難についてのお見舞い

平成12年9月5日(火)

天皇皇后両陛下には,この度の三宅島からの島民の避難について,侍従長を通じ,次のおことばを石原慎太郎東京都知事にお伝えになった。

「島民の避難が無事終了したことに対し,噴火以来,日夜島民のために尽力してきた関係者の労を深くねぎらいたく思います。

指示により避難した島の人々にも,これまでの疲れに加え,異なる環境の中での生活は心労の多いことと察していますが,どうか十分体に気をつけ,復帰後の生活に備えるよう願っています。

噴火の続く島に残る人々の安全と健康が心にかかりますが,皆が相協力し,互いに気をつけあい,大切な任務を果たされるよう切に希望します。」



北海道有珠山の噴火による災害についてのお見舞い

平成12年4月1日(土)

天皇皇后両陛下には,この度の北海道有珠山の噴火について,関係者の日頃の努力によって,正確な予知や的確な避難指示が出され,これまで人的,物的被害が出ていないことには安堵されつつ,事態の長期化のおそれ,避難している多数の人々の苦労などを御心にかけられて,被災者と第一線で対策に当たっている人々に対するお見舞いとおねぎらいの思召しを,侍従長を通じ,堀達也(ほり・たつや)北海道知事にお伝えになった。



台風第18号による災害についてのお見舞い

平成11年10月4日(月)

天皇皇后両陛下は,この度の台風18号により甚大な被害を受けた熊本県,山口県,愛知県,福岡県及び広島県に対し,金一封を賜りました。

平成11年10月22日(金)

天皇皇后両陛下は,台風第18号のによる災害について,お見舞いのお気持ちを,福島譲二(ふくしま・じょうじ)熊本県知事にお伝えになった。



広島県の大雨による災害についてのお見舞い

平成11年7月1日(木)

天皇皇后両陛下には,この度の広島県の大雨による災害発生に当たり,多数の死亡者に対するお悼みのお気持ちを,また,災害復旧のため努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,侍従長を通じ,藤田雄山(ふじた・ゆうざん)広島県知事にお伝えになった。

平成11年7月7日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の大雨により甚大な被害を受けた広島県に対し,金一封を賜りました。



台風10号による災害についてのお見舞い

平成10年10月30日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の台風10号により甚大な被害を受けた岡山県に対し,金一封を賜りました。



福島県・栃木県集中豪雨による災害についてのお見舞い

平成10年8月29日(土)

天皇皇后両陛下には,この度の福島県及び栃木県の大雨による災害発生に当たり,多数の死亡者に対するお悼みのお気持ちを,また,災害復旧のため努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ,佐藤栄佐久(さとう・えいさく)福島県知事及び渡辺文雄(わたなべ・ふみお)栃木県知事にお伝えになった。

平成10年9月4日(金)

天皇皇后両陛下には,この度の集中豪雨により甚大な被害を受けた福島県及び栃木県に対し,金一封を賜りました。



鹿児島県集中豪雨による災害についてのお見舞い

平成9年7月11日(金)

天皇皇后両陛下には,この度の鹿児島県出水市の土石流による災害発生に当たり,多数の死亡者に対するお悼みのお気持ちを,また,災害復旧のため日夜努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,本日,侍従長を通じ,須賀竜郎(すが・たつろう)知事にお伝えになった。

平成9年7月18日(金)

天皇皇后両陛下には,この度の集中豪雨により甚大な被害を受けた鹿児島県に対し,金一封を賜りました。



在ペルー国日本大使公邸占拠事件解決につき関係者へのねぎらいのお気持ちと犠牲者への哀悼の念

平成9年4月23日(水)

天皇皇后両陛下には,昨年12月のペルー日本大使公邸人質事件発生以来,深く御心を痛められ,日々安否をお気づかいになってこられましたが,本日,事件の解決を受けて,政府対策本部,現地対策本部を始めとする関係者の長期間にわたっての努力と苦労を深く多とされ,長い間人質となってきた人々と家族の苦労をねぎらわれる旨のお気持ちを,総理大臣始め関係者にお伝えになりました。又,今回犠牲となった人々とその家族のことを想われ,深い哀悼の念をお示しになり,負傷者の一日も早い回復を願っておられます。

(現地)

現地対策本部長へ

天皇陛下より,今回の事件の解決にあたり,長期間にわたる現地対策本部関係者の努力を深く多とし,その労をねぎらう旨の御言葉がありました。

青木大使夫妻へ

天皇皇后両陛下より,大使夫妻が長い人質生活を通じて人質や家族の心の支えとなってきたことを深く多とし,その労をねぎらう旨のお言葉がありました。また,両陛下には,大使はじめ人質となった人々の健康をご心配になっておられます。



長野県集中豪雨による災害についてのお見舞い

平成8年12月11日(水)

天皇皇后両陛下には,この度の長野県北安曇郡小谷村の土石流による災害発生に当たり,多数の死亡者や行方不明者に対するお悼みと御心配の思召しを,また,捜索や災害復旧のため日夜努力している関係者に対するおねぎらいの思召しを,昨夜,侍従次長を通じて吉村午良(よしむら・ごろう)長野県知事にお伝えした。



北海道豊浜トンネル崩落事故災害についてのお見舞い

平成8年2月19日(月)

天皇皇后両陛下には,今回の豊浜トンネル崩落事故による犠牲者へのお悼みのお気持ちと,厳寒の候,長期にわたり危険な救出活動に従事した関係者の労苦に対するおねぎらいの思召しを侍従長を通じて加藤昭(かとう・あきら)北海道開発事務次官にお伝えした。



兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)による災害についてのお見舞い

平成7年1月17日(火)

天皇皇后両陛下には,今回の兵庫県南部地震により,大きな災害が発生していることをお聞きになり,大変お心を痛められ,犠牲者へのお悔み,負傷者及び被災者へのお見舞いと共に,知事始め災害対策に当たる関係者に対するお励ましの思召しを侍従長を通じて貝原俊民(かいはら・としたみ)兵庫県知事にお伝えした。

平成7年1月19日(木)

<天皇陛下のおことば>

この度の地震により,3千人を超す人命が失われ,多くの人々が堪え難い苦しみを味わっていることに深く心を痛めています。不幸にして亡くなった人々の遺族に対し,心から哀悼の意を表し,多数の負傷者の一日も早い回復を祈っています。

現在,国を挙げて救助,救援,復旧活動が行われていますが,未だ多くの行方不明者があり,また,厳寒のさ中,多くの人々が不自由な避難生活を続けており,その速やかな救済と復興に万全を期し,被災者の苦しみが一日も早く解消されることを切に願っています。

救援のために日夜尽している関係者の労苦を思うと共に,この不幸な時期を皆が強い連帯と協力の下に乗り越え,今後,災害に対し,より強く,安全な国としてあることに,人々の英知が寄せられていくことを衷心より願っています。

平成7年1月19日(木)

天皇皇后両陛下は,この度の兵庫県南部地震により甚大な被害を受けた兵庫県及び大阪府に対し,金一封を賜りました。

平成7年1月31日(火)

天皇皇后両陛下は,兵庫県南部地震により甚大な被害を受けた兵庫県に対し,被災者の医療のため,金一封を賜りました。



冷害による災害についてのお見舞い

平成5年12月10日(日)

天皇皇后両陛下は,この度の冷害により甚大な被害を受けた北海道,青森県,岩手県,宮城県及び福島県に対し,金一封を賜りました。



台風13号による災害についてのお見舞い

平成5年9月6日(月)

9月5日,午後7時00分,宮尾宮内庁次長より土谷鹿児島県知事に対し,電話にて次のとおりお伝えしました。(知事不在のため,須賀副知事にお伝えしました。)



「天皇皇后両陛下には日本ご出発の時より台風13号のことをご心配になっておられ,その後も逐次その情報をお聞きになっておられましたが,本日,鹿児島県においては,30名を超す死者,行方不明者が出たことをお聞きになって,天皇皇后両陛下の被災者へのお見舞いと関係者の努力に対するご激励の思召しを鹿児島県知事に伝えるよう,ご下命があり,その旨,侍従長より連絡があったので,お伝えします。」

平成5年9月8日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の台風13号により甚大な被害を受けた鹿児島県,大分県,沖縄県及び宮崎県に対し,金一封を賜りました。



豪雨及び台風7号による災害についてのお見舞い

平成5年8月7日(土)

<天皇皇后両陛下からお見舞い(要旨)>

この度の豪雨により,鹿児島市を中心に大きな被害が生じ,多くの人々が罹災されたことは誠にお気の毒に思います。

特に尊い命を失われた方々と遺族に対しては,心からお悔やみを申し上げます。

また,災害の救助,調査等に尽力している関係者の労をねぎらいたいと思います。

平成5年8月13日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の豪雨及び台風7号により甚大な被害を受けた鹿児島県,宮崎県及び山口県に対し,金一封を賜りました。



北海道南西沖地震による災害についてのお見舞い

平成5年7月13日(火)

7月13日,午後4時30分頃,山本侍従長から北海道知事不在につき鈴木副知事へ以下の趣旨を伝達しました。

天皇皇后両陛下には,このたびの北海道南西沖地震において,多大の被害があり,特に多数の死者,行方不明者がでたことをお聞きになり,知事に対し,災害見舞いを伝えるよう御下命がございましたので,お伝えいたします。

また,被災者の救援,災害の復旧についての知事始め関係者の努力に対しまして,お励ましのお言葉がございましたので併せてお伝えいたします。

平成5年7月16日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の北海道南西沖地震により甚大な被害を受けた北海道に対し,金一封を賜りました。



釧路沖地震による災害についてのお見舞い

平成5年1月22日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の釧路沖地震により甚大な被害を受けた北海道に対し,金一封を賜りました。



台風19号による災害についてのお見舞い

平成3年10月2日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の台風19号により甚大な被害を受けた秋田県,広島県,山口県,愛媛県,長崎県,青森県,島根県,福岡県及び熊本県に対し,金一封を賜りました。



台風18号による災害についてのお見舞い

平成3年9月25日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の台風18号により甚大な被害を受けた愛知県に対し,金一封を賜りました。



雲仙・普賢岳噴火による災害についてのお見舞い

平成3年6月4日(火)

天皇陛下は,このたびの雲仙岳の噴火による災害で多数の死傷者,行方不明者が出ていることをいたまれ,本日午後,侍従長を通じ,長崎県知事に対して,おくやみとお見舞い,更に適切な救済と被害の拡大防止を願っておられる旨の思召をお伝えになりました。

平成3年7月10日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の雲仙・普賢岳噴火により甚大な被害を受けた長崎県に対し,金一封を賜りました。



信楽高原鐡道列車事故による災害についてのお見舞い

平成3年6月13日(水)

天皇皇后両陛下は,去る5月14日滋賀県で発生した信楽高原鐡道列車事故による犠牲者の合同慰霊祭が,6月16日に営まれる趣につき,生花1対を賜りました。



竜巻による災害についてのお見舞い

平成2年12月19日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の竜巻により甚大な被害を受けた千葉県に対し,金一封を賜りました。



台風19号及び秋雨前線による災害についてのお見舞い

平成2年9月25日(火)

天皇皇后両陛下は,この度の台風19号及び秋雨前線により甚大な被害を受けた岡山県及び鹿児島県に対し,金一封を賜りました。



九州地方の大雨による災害についてのお見舞い

平成2年7月6日(金)

天皇皇后両陛下は,この度の大雨により甚大な被害を受けた熊本県,佐賀県,福岡県及び大分県に対し,金一封を賜りました。



台風13号による災害についてのお見舞い

平成元年8月9日(水)

天皇皇后両陛下は,この度の台風13号により甚大な被害を受けた福島県に対し,金一封を賜りました。


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母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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