今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

ティアラの不思議。




皇太子の成婚パレードでまさこさんの頭上に納まっていたのが、

「皇太子妃の第一ティアラ」です。



11年前から・・・12年になろうとしているのか・・・表へいっさい出て来ていない、豪華な首飾りとセットになったこのティアラ、そして、去年、オランダ国王ご夫妻の歓迎晩さん会に久しぶりに出て来た、ババシャツ姿、ハミ毛ばっちりアップ、の惨憺たる姿で現れたまさこの、頭上にあった第二ティアラ・・・これは、検証されて、ネット国民の一部では確信的に偽物認定されていますが、あちらの側はそんなこと、言いはしません。スルーです。




まさこもまた、あれ以来現れなくなったので、がんがん云われないでいる、あれが本物なら、

皇太子妃の第二ティアラ。ということになる。

まさこは、極上のティアラを二点、皇后さまから受け継いだのですが、その二点とも、無い。と考えざるを得ません。

・・・・・・

日本で初めてのティアラは、1885年(明治18年)にベルリンで作られて納品された。

昭憲皇太后のために制作されたそれが、

皇后第一ティアラ。星飾りは着脱が可能だそうです。

皇后第二ティアラは、1917年(大正6年)の制作。それ以前の4年に、初めての

皇室公式用胸飾りがミキモトによって調整され、6年に

皇室第二公式用ティアラ

が御木本真珠店により調整され、これは、貞明皇后さま用、日本で作られた初めてのティアラ、ということになる。

貞明さまは、皇后ティアラを最低でも二点お持ちだったと考えられます。

香淳皇后さまは1924年(大正13年)ご成婚、

皇太子妃第一ティアラが調整されました。

香淳さまは、皇后第一と皇后第二、を、貞明皇后から譲り受けられた。

皇太子妃第一ティアラもお持ちだったという流れになる。


美智子さまは、昭和34年にご成婚。

香淳さまから皇后第一、第二を譲り受けた。

ミキモトがリフォームしたティアラを譲り受けたのだった。

昭和35年、成婚翌年の皇太子夫妻(現・今上夫妻)の「日米就航00年」訪米に当たり、

第二公式用のティアラ、兼用帯留、胸飾りをミキモトが調整。

この、新調されたティアラが

皇太子妃第二ティアラとなる。

ナルさんの結婚相手、まさこさんに、皇太子妃の第一、第二ティアラを譲り渡した。

美智子さまのティアラは、よって、香淳さまから譲り受けた皇后の第一と第二、ということになる(はず)。

・・・・・

昭和天皇には三人の弟殿下がおられた。

お子をなされたのは、三笠宮殿下のみ。

秩父宮、高松宮にはお子さまはおられず、妃殿下方のティアラがどうなったかは、つまびらかにはされていない。

秩父宮妃殿下か高松宮妃殿下が(ここではいずれか特定しない=私自身にまだ解り切っていません)、

二つあるティアラを、

「皇太子妃殿下と秋篠宮妃殿下に使って欲しい」

と言い残された話が、伝わっている。が。この真偽も、未だはっきりとしていないので、断言は避けた方がいいと考える。

高松宮妃殿下の遺品の中に、貞明皇后から贈られたティアラが含まれていたのは確かなようで、これは宮内庁に寄贈されているようだ。

ほか、女性皇族の間で、装身具や着物などが、譲られたり贈られたりのケースは多々あるようで、何の問題も無いと思われる。


・・・・・秩父宮妃殿下は秋篠宮家に、ご自分の宮邸を使われるよう、生前に言い残されたようで、実際、職員用住宅で新婚生活を始められたご夫妻は、旧・秩父宮邸で、ようやく、ある程度の広さを確保された。家族だけで住まわれるお立場でない両殿下が、ようやく、という感じだったか。


で。

皇后・美智子さまが、ご自分用のでないティアラをお召しになっておられる写真を、見ることができる。

あるサイトで、この春の皇室関連の本に、その写真があると出ていたので、ぜひ、見てみたいと願ったが、見つけられなかった。

ある方のご厚意で、見せていただくことができた。

おそらく、もともとの美智子さまのものではなかろう。あれこれ写真を見比べて感じたこともあるが。

美智子さんは、宮家のどなたかのティアラを、若い方に下げないで自分で使ってるのだわ。

など。断言する勇気を持てないでいる。・・・断言しましたが。

紀子妃殿下は、あさましく「欲しがった」りななさらないお方なので、気にしてはおられないだろうが、紀子さまのティアラは一点のみ、と確信されます。

立場として同じと思われる・・・でも紀子妃殿下は、いずれの天皇陛下の母君・・・華子さまは、二点、お持ちのようです。



美智子さまのティアラは、本来なら、香淳さまから譲り受けられた皇后用のそれ、二点と思われるのだが、第三のティアラもお持ち?など、思われる。

頚腕の痛みが持病で、公式の席にも・・・皇居での正装で臨むべき席にも、晩餐会にも・・・ティアラ無しでお出ましの美智子さま、皇后陛下用となれば、3000万円とかの品で済むはずもない、新調はなさっていないはず。


では。

あの、見慣れないティアラは、どこから現れた品なのだろう。

川の流れのように。皇室に於いては、公的なそのような品は、身位の順に、川の流れのそのごとく、一定方向に、移りゆくものと、考えていた。

まさこが戴いて出て来ない、皇室由来の皇太子の妃の宝は冠は、どこへ消えたのか。との疑念も蒸し返されるわが脳内です。

そしてまた、新たには作っていないと考えるしかない宝冠が、美智子さまに於いて「増えて」いるのは、どういったことか。

宮内庁に問うてみたら、以前に得た答えとは違う答えをして下さった。

つまり、ティアラの管理の責任元は、何か所か、答えがあって、何か所もあると言うことは、この国に於いては、きっちりと掴んでいるところは「無い」アンド。

宮内庁で、電話の応対をするごとき方々にも、本当に解っていない、魑魅魍魎の藪の中。なのかな。と。

考えてしまったワタクシでした。

いや。はは。考えることもないし、違ってたらゴメン、やけど。

いつの間にかこの国に復活していた特権階級、特権意識を異様に増殖させているあの方々は。

ネットの無かった時代。マスメディアが人々の関心をどちらへでも動かせていた時代。

したい放題に思うがままに、生きて来られた、ということだと思います。

ティアラだけでは無い。目もくらむような大粒ダイヤの三連の首飾り。その他あれこれ。

どこへ行ったのでしょうか。


お返事は、明日、ゆっくりとさせていただきたいです、よろしく!。



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よくあることさ。





・・・・・・ティアラについて、することほっぽらかして朝から書いていて、ほぼ書き終えて、はあぁやれやれと。

え。

一瞬にして、消えた・・・ぜんぶ、消えてしもた・・・があぁああああん。

初めてのことと違う。また、書いたらええんや。

ぽじてぃぶに自分を慰め、そうねそうよ、そうですとも。

銀行回りから帰ったら、また、こちこち、書こう・・・皇后陛下の第三ティアラ、について・・・

ちょっと元気出て来ました。(笑)。




ことばたち。

  
 米寿なる小宴はてて姑が礼を言ひ呉るる初めての言

                        (ありがとう)



 われよりも深き声音にわれの子を呼ばす傍へにありがたく坐す

                        (ここにいるよ)



 ぜいたくもそれなりにして来ましたが いま数行の文字を抱きしむ

                        (そのままで)

                                         

影子ちゃん。




「宮内庁東宮職は24日、皇太子家の長女・愛子さまがスキーを楽しむ様子の写真と動画を公開した。皇太子ご一家は3月23~27日、長野・奥志賀高原で静養した。東宮職によると、ご一家は連日スキーを楽しみ、様々なコースで滑ったという。愛子さまはスキー教室のインストラクターの指導を受け、難易度の高いオリンピックコースに初めて挑戦した。」

ご一家お揃いでスキーをお楽しみ。

まことにお幸せそうで。皇族は、幸せな姿を、民に見せてあげないとね・・・ん

まさこさまも体調の波は、このスキー静養に合わせてドンピシャっと制御あそばし、「ぐっど」であらせられたご様子。

さすがプロの静養家。優先順位一位のことがらに最高ピークを持って行かれる。もしも静養オリンピック、などがあろうものなら、ダントツ、一等賞でございましょ。

インドネシアからのお客様をお迎えするゴコームを、とにかく「ナルたん出てます写真」撮らせて、写真撮れたからもうよろしくてよ、家族が待ってるのだからお行きなさい。

優しいお声に励まされたか・・どうか、実際、アトヨロでお抜けになられて、事前に知らせておいた新幹線乗車時間、お待ちした国民もおられましたのに、そっちはキャンセルして、新しい車でもって、早く早く、コームなんかしてたから遅れちゃったじゃないの、とばかり、おでこに、ヒデンカは、後部座席に押し込めたご亭主・・・実は日の本の皇太子だったりする・・・にネチコチ言いながら。あるいは完全無視の精神的虐待の方を、この日はチョイスされたか。

で、行ったんですよ、この人たち、スキーに。ホテル借り切って、そこへ妹や妹の子どもやその他「いっぱんのヒト」も入れ込んで、もちろん、ご招待ですから、支払いは招いたモノが持つ・・・

その時の、画像やら動画やら。

宮内庁が出して来た動画です。

2点、貼らせていただきました。






愛子さんは、水色のウェアと赤いのと、少なくとも上着を二回変えて、お滑りになられたのですね。

初めの動画では、水色と赤のと、交互に写っている。編集バッチリですね。滑っている最中に着替えは、どれだけご優秀でも無理。

で。不思議に感じたのですが。

髪の長さまで違うではありませんか。長い黒髪なびかせて、お滑りになる内親王。かっこいい。

でも長い髪が写っていない場面もあります。途中で髪を上衣に入れちゃったか、何度もお滑りになったものを、細かく編集されたか。

髪なんかも、まあ、いいのです(何をエラソーなKUON・笑)。

写真を拝見して。どう見てもこう測ってみても。

身長も肉付きも。

実際の、今、中学二年生の、愛子さんより、小柄。ほっそり。筋肉強そう。

去年のスキー動画でも、

愛子さんぢゃない!

疑惑が散見されました。疑惑は、散見でなくかなり「噴出」した気がしますが、どうなる訳でも無く。

宮内庁は、やっぱり、このごとき写真や動画を出して来た。

愛子さんではないと、私は、考えます。現在の宮内庁だか東宮職だか東宮家だかは、こういうことを、するところですから。

そうなのです。ずっと以前から、平気でこういうことをして来ました。

少しだけ、過去を振り返ってみます。


2004年の「愛子さんの動画」です。



この年は、愛子さんを連れてまさこさんが軽井沢に当時あった(今は差し押さえられている・・・云々)実家の別荘に籠られた年でした。[異例の転地療養」と呼ばれました。一週間の予定は一か月となり、訪ねて行ったオットさんは会えなかった。

・0:52秒あたりがその場面です。まだこの頃は、まさこさんに同情するひとも多かったようです。蛇足ながら、皇室では、皇太子妃が夫を置いて、実家とはいえ一般の家に籠ったりすることは「ふつう」のことではなかったとのことです。

そんなこと言っても、今に振りかえれば、今上の皇后さまも、ずいぶん・・。先へ進みます。

・1:13秒のあたり。

軽井沢から帰ったまさこさんと、一緒に帰った愛子さんを「日常の場」で撮ったという、これも[異例」っぽい動画のようです。さすがのお住まいです。

愛子さんはゴキゲンで、プロのハープ奏者の前で、遠慮なく楽器にふれておられます。この時のまさこさんの様子は、直立状態・・確かに、病んでおられるのに、笑顔を作っておられる感じはあります。

母子二人のダンスは、何か、見てはいけないものを、見せられている感があります。

この時の愛子さんのワンピース。白地に金魚の模様の可愛らしい上等なワンピースは、この動画には出ていませんが、違う時に、皇太子が、沖縄子ども記者の皆さんの前へ、手を引いて現れた時の同じワンピースと、言われていました。

が。その「初めての愛子さまの公務」と銘打たれた、その愛子さんは「本人では無い」と細かい検証がなされました。

ほっそりしている。髪型も同じようで異なる。何より、記者さんたちの感想で「よく喋っていた」

詳しく見た方の言では、よく似たワンピースだが、金魚の模様の位置が違う。そして。

似ているようだが愛子さんとは違うお子のようだ。

「影子ちゃん」

そんな名のお子さんが、いるのではない。影武者という存在があったように、東宮家の内親王には、影子ちゃんがいる。

そう、言われ始めて。

・動画の1:50秒から。

おかっぱ頭の可愛らしい幼女が、さかさまに持った絵本を、ぺらぺらと読んでいる。

「うずらちゃん動画」

とか呼ばれる。

これを、父親である皇太子さんが撮影したと、出して来られたのです。

この女の子は、愛子さんのようであるが、愛子さんの顔ではない、と、見ます。私は。もちろん多くの方が。

皇太子は中で「ぱぱ」と呼ばれ(実際、おもうさんでなく、近代の皇族であるナルさんは、パパと呼ばせた。呼びやすいです、確かに。唇が、発音する時に心地よい音でもあるそうで)。

このお口のよくまわる幼女は「うずらちゃん」の話を読んでいます。

「ぱぱ」は。「モリゾー」なんとかと、この絵本の中にはいない、違う本の中のキャラクターの名を呼んでいる。

大変不思議なものを感じさせます。この子のいる背景も。どこのお家なの? と。御所ではないような。

で。まとめに入ります。

この、小さいのにしっかり絵本を読んで、丸暗記するくらいで、滑舌もとてもよろしいこの幼女が、

去年、入学式で、「愛子さんが初めて喋った」と取り上げられた、このお嬢ちゃんに変化した、と、考え難い私でした。

愛子さんは、

「ありがとうございます」

と仰り、予定に無かった質問を受けて、一瞬詰まってお母さんに助けを求めて教えられて

「たのしみにしています」

と、笑った。

これなら、このままで、愛子さんは、よかったのに。



今年もまた、本人では無いとしか考えられないスキー写真を出して来た宮内庁東宮職。東宮家。

いいかげんにしろ。



あのことこのこと、日が暮れる。





非公式訪問ながら美しい皇室の「親睦」のご様子。タイシルクも素晴らしい。もちろん皆さまの笑顔が、何より。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


園遊会の記事に、ここへは初めて下さった、アイリスさんのコメント。

どの部分にどうお返事させていただこうかと考えておりました。

よろしければ皆さまもお読み下さって、と、申し上げることにしました。

胸のうちにわだかまっていること全般に関わることだからです。

横から入って来て下さっている「ちりぬるを」さんのご意見も然り、です。

で。読んで内容を知っていただいたことを前提に、私の気持ちを書かせてもらいます。ことがらは順不同ですが、最終的に陛下の「秋篠宮はわかっている」とのお言葉にたどり着く予定です。


1・イギリスのウィリアム王孫殿下の来日時に、立場同士の揃う(カウンター・パートナー)悠仁親王殿下に、お会いになれずにいらした、の件。

王室秘書官のM・ヘッド氏が、デューク・ウィリアムは悠仁さまに会うつもりだった、が、会えなかった、という内容の事を表へ出していた。という。この英文は、一番最後に貼るつもりです。

当日、秋篠宮殿下は、なにか中途半端な感じの「公務」を設定されておられ、皇后陛下の親戚筋の倉敷の美術館においでになっていた。佳子さまが同道されていた。

東京では、ナルさんが、単独でウィル殿下に会い、単独同士なのはこちらが気を遣われた、とか、〇カ丸出しのキャプがついたりしていた。

雅ドンは、大好きなイギリス、大好きな金髪碧眼の王子さまにも、会いに出て来なかった。出て来なくていいのだが。出るべき立場の人です。身だしなみを整えて、敬意をこめて他国の王族を迎える。それが、おおまけにまけて言えば、雅子さんとやらの仕事の一つであって。たまにイタリアン行ったって、その部分だけであれこれ言われることは無い・・・はず。

この春だけでも、愚愚夫婦の個人的な都合で、二国の王族に???を灯した。普通に、お相手されればよかっただけのこと。それが出来ない。

親の気持ちでは、外国に向かって、次代はナルです、このナルたんです、何がどうでも、この子が次のてんのうですからね~、と、イメージをはっきりさせたかったのですが。

残念、、、うっすら、くらいならいい、正目に見れば「あれれれ」ですやんか。


2・パラオへの大騒ぎ慰霊の見送りにも雅ドンは空港におらず。でもいかにも見送った風に、車の中から喪服で手を振る写真だけは撮らせていた。

慰霊に行かなくちゃならんので、直前の祭祀を、陛下は、大事をとって取りやめになさっていた。

パラオ慰霊は大茶番劇でした。確信する。政府が止めても「強いご意志」で「すべての人々に謝罪しに」強行されたのです、今まで、天皇と言えども、強いご意志があろうとも、

ならぬことはならぬ

として、廃太子のことも「無理」「不可能」の匂いを嗅がされてきました。

後出しリーチのつもりは無いけど書きます、そ~んなバカな話があるモノか。どんなことにだって「まあ、むにゃ」はある。あの東宮夫婦がたとえば即位することが、この国にとって、どんなことかと真面目に考えれば、本気で天皇が、律よりも法よりも、国のため民のため、と願って、叶わんことのある訳がない。

と、考えて来ました。遠慮しいしい書きもしました。

慰霊自体を貶める気持ちは無い。100パーセントあろうはずが無い。と、あえてここで断って書きますが、ではその先になさるべきことが、と、考えたは当然とご理解いただきたい。ちょっと硬いタイドになっていますね。(笑)。

国のために大切な人々のために(結果的にでも)命を失って下さった方々に報いるには、真の慰霊を、と、思うだけです。天皇としての、天皇らしい慰霊を続けて下さることと、

亡くなった方々が喜んで受け入れられるわけがない、としか考えられない現況の、腐臭ふんぷんたるナルヒト・マサコ夫婦を、断つこと。親の思いなどと、そこで言うべきでは無い。沈黙されていても、断行なさればご胸中は、解る者には解る、その時点でうろちょろされていないで。

長男夫婦では無い。親の立場などでは無い、ふさわしからぬ皇太子夫婦を、追う。それが先決だと。

それがそこにいては、ならぬ。そういった者を廃さなければならぬことがある。上に立つ者の義務であります。継続させる者の権利でもある。余人に可能でないことなら。よりよい形の継続のために。そんなん言うてもあかんね、きっと。

バカ息子は、追わねばならぬ。廃さねばならぬ。皇室の長い歴史の中に、実際、何度も何人も、排された皇太子は存在しました。

平成の世の皇太子とは、意味が違うかもしれませんが。それが為されて、ここまで続いて来たとは、言える。

戦後の皇室で、皇族として存在して行くのは、それこそ余人に計り知れることではないと思います。大変なお立場だ。

が。現実に、皇室って、あるし。必要と、(私は)思っていますし。

大きくはしょって、今日の、今の結論に向かうとして、思うことは。

ナルさんを、どうしても、次代にしたい。ナルでなくてはならない。

天皇陛下にも美智子さんにも、それはそれなりの苦しみだの葛藤だの・・・しかし。

それがなんですか。

あまりにも。あまりにも、個人の次元の、みみっちい欲ですね、それは。

公たる立場、存在の意味を忘れたか捨てたか呆けたか。実は元からご存じなかったか・・・ブルブル・・・大事なことをすっ飛ばして、盲愛に憑りつかれた、一番堕ちてはならないあたりに、本性あらわれてしまって、もがきまわっている姿では無いですか、美智子さん。

あなたが、ご長男を、どれだけ可愛いか。そんなこと、こちらには既に無関係。うんざりです、はっきり言えば。だからどうした、の世界。誰だって子どもは可愛い。国母さまなら民が可愛かろう、うんうん、ん?。

付き合うお相手も偏向いちじるしい。持ち上げられることと、わざと雑にあしらわれることが、同じくらい、お好き。

でも賢い公人は、「そこ」へ堕ちたりしないものだと、それくらいは解っておられると、信じていた方が、お・ば・か・さ・ん。なのかなあ。そうでしたね。馬脚が、現れました。


まさこを庇いだてしたい余りの、今年に入ってから殊に顕著な紀子妃殿下の隅っこ押しやり行動。異様なまでに、いいえ、紀子さまにはずっと、そうだった。笑顔の時の歯の見せ方にまで厳しくされた。東宮に遠慮しなさいとばかり、筆頭宮家の妃殿下に対して、お子さまをまで、制止された。

恥をしらぬか忘れたか呆けたか、初めから、そんなものは、お持ちになっておられぬか。

えらそうに言います、仕方ないから言います、間違っておられます、皇后さま。見ている者の目を、そこまで見くびっておられるか。そんなに国民は愚かですか。

「後のことは気にしないで行ってらっしゃい」

「雑音は気にしないで」

マサコにものを言う時。国民の声は「雑音」でした。

・・・陛下にまでは、こと触れてはならぬと自制がかかります。

が。この度、ぱーんと、井戸の前のヘレン・ケラーのごとく。

ものの実態と言葉が、私の中で結び付いた。

「秋篠宮はわかっている」

王者のひとことゆえ、偽りの無い一言とお受けし。陛下も、わかっていらっしゃるのだと。

縋る思いと言って大げさでは無い、いつか、ご聖断はくだるものと・・・今からでもくだるのかもしれない、下して下さるのかもしれない、単に、家庭の温かさを教えてくれた愛しいツマの、杖の代わりとなり果てておられるのみの陛下でないことを・・・今も信じたいのですし(・・・)希望なんてものを、胸の隅っこに宿していたりもするのですが・・・/span>

数年前に「秋篠宮は分かっている」とおっしゃられたとか。

真意は「兄より前へ出るな、目立つな。何かあったら目立たぬよう尻拭いしろ、それが皇族としての弟の立場」と幼少の頃から礼宮に教育してきたから本人は自覚しているという事でしょか。悠久親王ご誕生の時のご発言「お許しが出た」。筆頭宮家に誰が許しを与えられるのか、天皇しかいません。


アイリスさんの、ここ。

ワタシもそう思う。思った。でも思いたくない、、思わない方がいい。ココロはちぢに乱れます。

・・・この解釈が。まこと、私の思いにドンピシャ、な、これが。つまり「本当のところ」

なら。

こんな風にこんなことが、通ってしまうって、どう考えたらいいんだべ。

紀子さまは、ご自分から「求める」ことなどなさらないお方。であるから、余計に。なんなんだよ、それ~、と。

他に言いたいことはいっぱいありますが。今日はここまでとなりそうです。

みんな、いっしょけんめい、その場その時を生きているんであります。おそらく。

廃太子、廃妃を。とりあえず、これかな。

某所で読みました。

ヤフオク事件は「出品は取り下げられたので、問題は無い」

と、宮内庁だかの某氏が、怒りの民に向かって答えたとか。

全国の万引き予備軍たちよ。

咎められたら、返すからいいじゃん、問題ない、と言いたくな・・・っても、いいんだろうか。そーゆー理屈ですよね、この回答。

私も、同じこと、お聞きして見よう。

雅ドンのブリキティアラどころじゃない、皇后さまの幾つめかのティアラについても、もっと調べたいし。

時間、足りませんが。ヨタヨタしながらでも、追いかけて行っちゃうです、私。



お返事は後でまた、書かせていただきます。


>テレグラフの記事によると、あちらではこのような↓認識だったようですが
>結局、悠仁様はウイリアム王子に会えたのでしょうか?


テレグラフ。

>Miguel Head, the Duke’s private secretary, said:
“It will be the Duke’s first visit to both countries
and he is looking forward to starting a personal relationship with the two.
Both countries are of strategic importance for business, security, culture and education.”

Also on the Duke’s agenda is a meeting with his counterpart in the Japanese royal family, Prince Hisahito.



なんで、こんなこと。



もう全く、どうでもいい話ではありますが。

前回も今年も、仕事の都合でやっと春スキーに行けた日程が、あの、やんごとなく公務予定も無い夫婦グループとかち合ってしまった、T氏の話です。

ぜんぜん大した話では無いのです、ええ。でも一応(しつこいKUON)。

あの夫婦に来られてしまう時は、周辺の宿泊施設は、泊り予定客の名簿を提出させられる。

チェックが入るとのことで。

T氏の定宿も例に違わず、今までそうしていた。

が。ふと、宿主は考えた。なんで、こんなこと、させられなあかんのやろ。(関西のヒトではないのですが)。

で。宿泊者名簿の提出を、しなかった。出せと言われて拒否した。

もしも何か言われたら、宿主は

「うちは、うちのお客様のプライバシーと人権と当・宿への心象の方が、あんな家族より大事です。」

と皮肉のひとつも言うてやろうと心に期していた。T氏も、主と心やすいことから、何か言われたら

「仕事もろくにせんヤツらが何をエラそうに遊びに来とるんじゃ、ぼけ」

と言うてやれとけしかけていたそうです。自分も、機会があれば「言うたる」つもりであった。

が。

提出拒否に対しては、いっさいお咎めなし。黙認だったそうですよ。

あ、そーすかーって感じで。わっかりました~、ってノリで。

こわがることも気にすることも、アタマ下げることも、聞いてやらんならんことも、

無し。ナッシング。考えてみればそうなのですよね。

当たり前のこと、わざわざこうして書いていますKUON。あほみたい、アホでもいいわ。(笑)。

でT氏は、前回のように、警備姿で滑って来た「あっち側」の人間が、ここで滑るなとか遠慮しろとか言って来たら、してやろう言おうと真剣に考えていた一事があった。のに。

残念ながらその計画はスベってしまった。

ここ除け、とは、今年、言われなかったので。


愛子さんを、直接見てはいないが、男子4人と一緒だったのは本当のようでした。

いとこ二人。〇仁クンと〇仁クン。

のびたくん。

あと、誰や。T氏もKUONも、そんなことは知らん。でも、のび太クン、って・・・。


雅ドンが、スキー滑れるような足腰かどうかは疑問ですが、基本的に、スキーに行く、のではないみたいですしね。

そしてホテルでは、ものすごい声が響き渡っていた。と。


火の病? 雪の高原に。



春の園遊会 不動のおサボリ妃。




春の園遊会が今日21日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれました。

7日付で宮内庁が発表した招待者名簿では、

青色LEDの発明でノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇さん、東日本大震災の被災から全線復旧した三陸鉄道の望月正彦社長、天皇、皇后両陛下が心を寄せるハンセン病の国立療養所「星塚敬愛園」の有川勲元園長ら約2200人が招待された。

とのことでした。




天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会が21日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、両陛下と皇族方が出席者に声を掛けて回られた。両陛下の年齢を踏まえ、時間短縮のため昨年秋に続いて歩くコースが変更になった。

招かれたのは青色発光ダイオード(LED)の開発で昨年ノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇名城大教授ら3氏や、東日本大震災後に全面復旧した三陸鉄道の望月正彦社長ら。

 皇族方では皇太子さま、秋篠宮ご夫妻らが出席。秋篠宮ご夫妻の次女佳子さまは国際基督教大在学中のため欠席した。 
[時事通信社]


福島県川俣町の町長さん、「はやぶさ」のマネージャーさんなども招かれておられたようです。

5~6社の動画を見ました。

皇后さまはじめ女性皇族は、和服姿でいらっしゃいました。招待された方や夫人にも、着物姿が多かった気がします。

陛下は、あれこれお調べになって、一言ずつに誠実な態度が現れておいででした(KUONの実感)皇后さまはにこやかにうなずきながら、

ずううううううううううううううううううっと、天皇陛下の左肘をつかみ続けておられました。

両陛下にすぐ続いてナルさんがいて、まあ、笑顔でした。

秋篠宮殿下は、どの映像にも、ナルさんと距離が開いていて、=ほとんど、テレビ画面に写りこんでいらっしゃらない。当然、紀子妃殿下も映らない。映らないのか、例のごとく映さないのか。

皇族中のご皇族、秋篠宮両殿下が超越しておられることも、俗人中の俗人KUONは、気にしてしまいます。

三笠宮家の信子さまの、さぞや豪奢なすてきなお着物、ことに帯、なども、全く、眼にとどかないような扱い。

そーです。

それは、つまり、雅子さんが出て来ていないから。

雅子の不在をできるだけ感じさせないように(もうバレています、鉄板です)そういうことをするのですね。

12年くらい連続、春も秋もサボっています、雅子さん。外食には行っておられること伝わっています。

繰りかえします。


今年の春の園遊会も。

皇太子妃・雅子は、おサボリ決めはりました~。









大地に。



19日、日曜日は、娘のポールダンスのPDN・イベントに行った。

生徒さんのお一人一人に

「どんな風にしたい? どんな自分になりたい?」

と訊ねて、話し合いを重ねて曲を選び振付をしたのだと弾んで挨拶をしていた。その言葉通り、どの方も、精いっぱいに自分のステージに立ち向かっておられた。その方らしい個性が、現れていたと感じた。会場は満員の盛況、熱気がむんむんしていた。

10代、20代から60代まで、生徒さんがいて下さる。

30代、40代、50代の女性たちが。それぞれ、言ってみればもう、若くて可愛いだけの、笑っていれば許される甘い「自分」ではなくなっていて。

山あり谷ありの半生を、懸命に来られて。

働きながら、子も育てながら、笑ったり泣いたり絶望したりでも、必死で、前を向こうと願ったり。

いろんなこととタタカイながら、練習を積み上げて、数分間のショーにご自分のぜんぶを、注ごうとしておられるのが、見えて、感動して私は、泣きました。

あまり多くは、今も胸がいっぱいで、語れません。

ラストに、ゲストでおいで下さったトランぺッター・行本氏が、娘のために書いて吹いて下さった曲に、即興で娘が舞った。

大地にしっかりと根付いた生命力を、ダンサー・柚月に感じて、の曲だったみたい。

女は、大地だ。そんなことを、娘がそばにいて「私の子ども」だった時代に、何度か話した記憶はある。

広くて深くて、太陽を吸い込み、水を抱きしめてさまざまな命を芽生えさせる。

いろんなもの、汚いモノも吹き寄せられたあれやこれやも、しっかりと抱きこんで。汚れた水は透明にして川に海に戻し、ちり芥も土壌の滋養に変えて豊かになって、芽生えたいのち、小さな双葉から、堂々たる大樹になるまでを、育む。

そんな女に、娘は、なってくれたのだろうか。なっているのか。生徒さん方に、とても愛されているのが伝わり、私は嬉しかった。

決して決して、したいことだけを好きなようにやっていれば済む、そんな今日まででは無かった。娘の過ぎ越しも。

人間は、美しいところもそうでないところも、いろんなものが渦巻くカオス。性善説だの性悪説だの、簡単に言い切れるようなもんじゃない。と、私は考えている。

19日のショーは。出演者、観客の方々、裏方の仕事をおつとめ下さった沢山の皆さま、次女も出ておりまして、これも頑張ってくれていた、ありがとう、どの方々も、ご自分の中の、いっちばん「いいところ」が、あの時間、あのスペースに溢れ出ていた場であったと感じています。

次回は7月の末。神戸にて。見て、感じるパワーを、貯めておきたい。(笑)。

       わたくしごとを、記させていただきました。








遺された言葉。。

  







国のため、大切な人のため、国と大切なひとびとの未来のために、散って行かれた方々がおられます。

さまざまな地で、若い命が散ってゆかれました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

特攻隊の遺書【Japanism】  


18歳の回天特攻隊員の遺書


お母さん私はあと3時間で祖国の為に散っていきます。

胸は日本晴れ。

本当ですよお母さん。

少しも怖くない。

しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死する通知が届く。

お父さんは男だからわかっていただけると思います。

お母さんは女だから、優しいから涙が出るのではありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。お母さん。

こんなことを考えていましたら、私も人の子。

やはり寂しい。

しかしお母さん。考えてみてください。

今日私が特攻隊で行かなければ、どうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。母さん。

今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで銃を取るようになりますよ。

だからね。お母さん。

今日私が戦死したからといって、どうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。

母さんは優しい人だったから。

お母さん、私はどんな敵だって怖くありません。

私が一番怖いのは母さんの涙です。



【特攻隊員の遺書】

 戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
 父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。
 私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。
 抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。既に今日あるは覚悟の上でしょう。私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
 この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
 故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。
 しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。
 お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
 いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。
 平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。

     神風特別攻撃隊 大和隊員   一飛曹 塩田 寛 18才
              昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死


待ちに待った晴れの出陣を、明日に控えました。
 突然でいささかあわてましたが、大いに張り切っておりますので、何とぞご安心下さい。
 生を享けて、ここに二十二年になります。何の恩返しも出来ず誠に申し訳ありません。何とぞお許し下さい。
 国家のために散って征くことを、最大の孝行としてお受け下さい。
 私が戦死したと聞きましたら、赤飯を炊き、黒い着物など着ず、万歳と叫んで喜んで遺骨を迎えてください。
 多分骨はないものと思いますから、体操シャツを一枚送ります。
 これは昭和十七年七月十一日土浦航空隊に天皇陛下が行幸されたときに使用した記念すべき品です。私と思って大切にしてください。
 今となっては別に言い残すことはありません。
 とにかく、命のあるうちは徹底的に頑張り抜く覚悟でおります。必ずや、敵空母の一隻や二隻は沈めてみせるつもりです。
 取り急ぎ乱筆になりました。感無量で何もかけません。これでペンを置きます。
 ずいぶんとお元気で、いつまでも暮らしてください。 小父さん、小母さんたちによろしく。ではご機嫌よう。さようなら。

 母上様

    神風特別攻撃隊 第二御盾隊  
海軍上等飛行兵曹 小松 武 (高知県)
         昭和20年2月21日 硫黄島周辺の艦船攻撃中戦死

何も書く事はありません。 只御両親様及び久美子の健在を祈るのみ、勲は決して人におくれはとりません。潔よく散るのみです。目標は正規空母です。十日位したら徳島海軍航空隊第14分隊5班、上野功君に便りして下さい。 写真は受けとったと泣かずにほめて下さい。幸多かれと祈るなり、親戚の皆様に宜敷く。孝養を頼むぞ久美子、安よ頑張れ。
 宮崎航空基地にて

御両親様          
神風特別攻撃隊第六菊水隊
            昭和20年5月10日 午后5時48分
               海軍一等飛行兵曹 伊東 勲 享年20才
                  大分県九重町町者原出身 乙飛18期
 


 攻撃直前記す。
 御姉上様、合掌、最後に当たり何も言うことはありません。僕が常夏の国南米伯国より日本の国へ帰って、何も知らない僕を、よく教え導いてくださったことは、心から感謝しております。
 身を海軍に投じて以来未知の生活、日本の兵隊生活は最後の魂の道場でした。海軍に入営してより、日夜の訓練によって心身共に磨き清めて来ました。今、国のために散って行く私です。
 日本に帰るときに母様より呉々も言われた事、頼まれたことを果さずに散ってゆくのは心が残ります。
最後に年老いた両親に迷惑かけたことを、深く悔やんでおります。
 今私は澄んだ気持ちです。白紙の心です。皆々様もお元気に。
では私は只今より攻撃に行きます。再合掌。

姉上様

    昭和20年8月9日
          一飛曹 高須孝四郎 23才
        神風特別攻撃隊第七御盾隊第二次流星隊員として、
本州東南洋上にて戦死


 謹啓 御両親様には、相変わらず御壮健にて御暮しのことと拝察致します。小生もいらい至極元気にて軍務に精励いたしております。
 今までの御無沙汰致したことをお詫び致します。本日をもって私もふたたび特攻隊員に編成され出撃致します。出撃の寸前の暇をみて一筆走らせています。
 この世に生をうけていらい十有余年の間の御礼を申し上げます。
 沖縄の敵空母にみごと体当りし、君恩に報ずる覚悟であります。男子の本懐これにすぎるものが他にありましょうか。護国の花と立派に散華致します。私は二十歳をもって君子身命をささげます。
 お父さん、お母さん泣かないで、決して泣いてはいやです。ほめてやって下さい。
 家内そろって何時までもいつまでも御幸福に暮して下さい。生前の御礼を申上げます。
 私の小使いが少しありますから他人に頼んで御送り致します。何かの足しにでもして下さい。近所の人々、親族、知人に、小学校時代の先生によろしく、妹にも......。
 後はお願い致します。では靖国へまいります。

     四月六日午前十一時記す
         神風特別攻撃隊第二御盾隊銀河隊

            昭和20年4月7日
               海軍一等飛行兵曹 松尾 巧 享年20才
                      佐賀県出身 乙飛17期



 今度攻撃命令を拝して、出撃することになりました。日本男子の本懐これに過ぐることなく、喜びに耐えません。父上様方も聞かれましたら、さぞかしご満足されることでしょう。
 今更言う事はありませんが、一寸の孝行もせず、ただただ二十年の人生を育てて下された父上様、母上様、祖母様方に何とお詫び申し上げてよいか判りません。
 まだ戦争に行ったことがないので不安な点もありますが、弾が命中したら、必ずや敵の空母を撃沈します。
 突然でさぞかし驚かれると思いますが、立派に男子の本懐を全うします。
 出発まで時間がありません。一言、最後の言葉を。


     昭和20年4月7日
          二飛曹 清水雅春 18才
             神風特別攻撃隊第三御盾隊として、
沖縄海域にて特攻戦死


すべて原文のまま。「予科練資料館」より。

勝手ですが、この記事へのコメント、いただきましても、お返事は無しということにさせていただきます。



泣いてしまいました。







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