KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

体調が急に整った。って。・・追加あります。



                  申し訳ないことですが、文字がすぐに小さくなってしまいます。
                  お手数おかけしますが、パソコン画面右上の、お気に入りの星の右隣の
                  歯車マークを押して、拡大を押して文字を大きくして、ご覧下さいませ・・・。



小学生のころ。王室の話が大好きでした。王室中の最高の王室が「英王室」であったことは言うまでもありません。

チャールズ王子とレディ・ダイアナが結婚した時は、王室熱は冷めていたものの、やはりテレビは見ました。ドレスのベールの長さ、二人が乗った馬車の素敵なこと・・・やはり特別な、おとぎ話の世界がそこにはありました。ダイアナさんの目は、どうも王家の人の感じでないな、と、ひそかに感じていました。上目遣いは高貴な女性に似合わない。

私には「白馬の王子さま」を待つ女の子だった時期は残念ながら無いのですが。でも、ベールや馬車は素敵でした、馬車の走るロンドンの街並みも素敵でした。

あの結婚式には、日本の現・両陛下も列席しておられました。皇太子両殿下として。

美智子さまは、白いドレスをお召しでした。知ってから今まで黙っていましたが、帽子も、ヨーロッパのあの社会の習いであるツバの大きなものでなく、例の、と評するしかない、小さなお皿帽子です。

少し前、ベルギー元・王妃の葬儀にも、マントドレスに小皿帽でいらした。30数年前からそうでいらした。

ゴテゴテ言うのは控えましょう、ただ、紀宮清子さまのご結婚の当日、シルクの白いドレス(=後日のオランダ・ドレス)で現れた=(一般的にはNG)雅子さん以前に、白い衣装でよその結婚式に出てしまっていた皇室の人がいた、それが、誰ならぬ美智子さまであった、という事実に、笑う以外に無いですよね。

月日は流れ。

女王陛下のお孫さん、ウィリアム王子が初めて来日されました。

見たことのある貧相な(ごめんねネズちゃん)男が、興奮した様子で王子をエスコートし、茶席にまで同席していました。王子は、ビジネスマンの才能をお持ちなのが見て取れる態度でした。とってもソフトなケンブリッジ公、でした。

思ったのですが。

なぜ、大宗匠のお点前なのかな、と。

「家元」は既に、次代に移っています。イギリスの王位継承順位2位ですが、今回は国賓でないらしい。

こういう時に家元さんに任せて行けばいいのに、いい機会じゃんと。大きなお世話、事情がおありとしても何も知らないし知る気も無い私は、シンプルに、そう感じたのでした。

次代さん、影、薄いです。大宗匠、大変喜ばしいことですが、90歳過ぎておられます。

そして今日27日、王子は招かれて両陛下と昼食を共にされた、と。

和やかに時を過ごされた、と。

王子は東宮御所をも訪れられ、御所の玄関へ皇太子が出迎え、報道陣の求めに応じて隣に立って写真を撮らせ、それから、雅子さんも交えて歓談した。らしい。

雅ドンもそこにいる写真は、今の時点で発表されていません。されなくてもいけど。

雅子のことはどうでもいいです。どうでもいい人です、まさこさん。


・・・もしかして、お父上を飛び越して王位に就いてしまうかも・・・などとも囁かれる、英王子。

ウィリアム王子のアジアへの旅の目的の大きなモノは、中国訪問だと私は思います。

日本の次は、3月1日から中国へ行く。

野性動物の保護。そちら方面に王子は、強い関心をお持ちです。

本気で取りくんでおられるそうです。で、それにからんで中国は、王子がかねてより「止めるべきだ」の意を表している「象牙」の輸出をどうやらこうやら、と。浅い知識なのでやめますが。


王子は、ご自分のライフワークである野生動物保護のことで、動き続けて行かれるのだと思う。

で、勝手な想像ですが日本へも寄らないとね、やっぱり、一応。そういう感じでおいでになり、他の観光や鑑賞などはしないで、震災被災の地へ足を運ばれる。

四日間の滞在中に、福島、宮城方面へも行ってくださるとか。

日本人の一人としてその点、王子さま、ありがとうございますと感謝を申し上げます。日本の皇太子夫婦は行きたがらないところです。

そして。

きっと英国の王孫殿下は、あれこれいろいろすべて、伝わっているであろう、日本という国の内廷皇族がたに、象牙の一本ほどの関心も興味もお持ちでないのだろうな、

とか、冷めて固まって美味しくなくなったお善哉の中の半分残ったおモチみたいな自虐的な感想を抱いてしまったのでした。

世界で特別に尊重されているのが

英国の王。日本の天皇。バチカンの法王。

である話は、実際にはその三分の一、か三分の二、のパーツしか、本当でない。それはもう過去の幻想だと思っています。

ああいった生まれ育ちの方だから、間違っても表情には出されなかったでしょうが。ウィル。

はあん、これが、それか。

そんなこと、お思いに、ならなかったでしょうか、あのお方を目前にして。皇室にいるあのヒトは、恥ずかしいのですが。

国民は、悔しがることさえ許されていません。

とはいえ、ご本人が、わびさび日本の文化などには無関心そうでもおありなので、そんなに自虐的に縮こまらなくても、よさそうですけどね。(笑)。


2015年2月27日 18時16分
共同通信


 皇太子ご夫妻は27日午後、来日した英国のウィリアム王子を東京・元赤坂にある住まいの東宮御所に招いて、約40分間にわたって懇談された。ご夫妻が王子と会うのは初めて。

 出迎えた皇太子さまは「お会いできてうれしいです」と英語で歓迎して握手。宮内庁によると、皇室と英王室の交流や王子の活動が話題となり、最後はご夫妻が一緒に玄関先で見送った。

 雅子さまは療養中だが、体調が整ったため、懇談に参加皇太子ご夫妻は、2011年4月の王子とキャサリン妃の結婚式に招かれたが、東日本大震災の発生直後だったことなどから出席を見合わせていた。

イギリスの王子が来て急に体調がととのった、ってか?。






英国皇太子の結婚式(=よそ様の結婚式)に、純白のおようふくと、チュールのレース付きの皿帽子。




ご多忙の秋篠宮両殿下はいっさいカヤの外。

次代はナルちゃんよ、アピール?。

ご次男さま両殿下には「しっかりお仕事してなさいよ」。ですかぁ?。当たり前なのでお気にもかけられない?。


ここまであざといと、くおん、わらっちゃう。誰を、って。(笑)。嗤い。






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へー、そうだったんだ。



皇太子さま 8年ぶり「皇居ラン」

2月25日 17時09分  NHK

皇太子さまは25日、8年ぶりに皇居の周りで、ジョギングを楽しまれました。

皇太子さまは25日午後、白い帽子にスポーツウエア姿で皇居を訪れ、宮内庁の職員や皇宮警察の護衛官らと共に皇居の周りを走られました。
皇太子さまは、ふだんから健康維持のため、お住まいのある赤坂御用地の中を走っていますが、皇居の周りでジョギングされるのは平成19年以来、8年ぶりだということです。
1周5キロの皇居の周りを走ることは「皇居ラン」と呼ばれ、市民ランナーの間で人気のランニングコースになっていて、皇太子さまは通りがかった人たちに笑顔で手を振って応えながら軽やかに走られていました。
近くを通りがかった主婦は「すごく軽やかに走ってらっしゃいました。貴重な場面を見られて、幸せな気持ちです。私も運動しようと思いました」と話していました。宮内庁によりますと、皇太子さまは、およそ30分で皇居の周りを1周されたということです。
皇太子さまは走り終えたあと、「寒くもなくて暑くもなくて、本当に気持ちよく皇居を1周することができました」と話されていました。


サンケイニュース

皇太子さま、8年ぶりに皇居外周をジョギング


皇太子さまは25日、皇居の外周でのジョギングを楽しまれた。皇太子さまは日頃から東宮御所がある赤坂御用地(東京都港区)でジョギングをしているが、皇居外周を走られたのは平成19年2月以来8年ぶり。

白の帽子に白と紺などのランニングウエア姿の皇太子さまは午後3時半ごろ、皇宮警察の護衛官ら約10人とともに東京駅側の桔梗(ききょう)門付近からご出発。反時計回りで走りながら、沿道の人々に笑顔で手を振られた。

 1周約5キロを27分20秒で走り終え、「とても気持ちよく1周することができました」と汗をぬぐわれた。


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ひとことコメント


「ままさことああいこと スキー静養が待ってるもん!」。




誰にしても土下座の姿は見たくないし。




少しだけ書かせてもらいます。

私は政治に疎く経済関係も疎く、誰の言うこともわからんし、誰のいうこともそうか、と思っていた時代が長かったです。判断する能力に欠けておりました。別に困りもしなかった。

政治家の人も評論の人もみんな、もっともらしい顔してぜんぜん逆のことを言うので、どっちがどうかわからんこと多かったのでした。


2008年のことです。

この年の8月、当時の韓国大統領イ ミョンパク=李明博=が、日本のものである「竹島」に上陸した、と聞いて、奇妙な感覚に襲われました。初めて? 今までは、できなかったこと? ダメだったこと、だめなこと? 。勝手に、よそんチへ?。あかんやろ、それ。

あかんことをした明博・・・かつて日本では「あきひろ」、韓国の大統領になって「みょんぱく」。は、よそんチへ文字通り土足で踏み込んでそしてこんなことまで言うた。

うまく言えないので、ウィキペディアを頼ります。以下。原文のまま。

8月14日
李明博韓国大統領は日王(天皇)について「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」[3]「(日王が)『痛惜の念』などという良く分からない単語を持ってくるだけなら、来る必要はない。韓国に来たいのであれば、独立運動家を回って跪(ひざまづ)いて謝るべきだ」と謝罪を要求する発言を行った[8][9][10]。

「痛惜の念」とは、今上天皇が1990年5月24日に訪日した盧泰愚大統領を迎える宮中晩餐でのおことばにある表現である。

「このような朝鮮半島と我が国との長く豊かな交流の歴史を振り返るとき,昭和天皇が「今世紀の一時期において,両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり,再び繰り返されてはならない」と述べられたことを思い起こします。我が国によってもたらされたこの不幸な時期に,貴国の人々が味わわれた苦しみを思い,私は痛惜の念を禁じえません。

— 今上天皇、国賓 大韓民国大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐 平成2年5月24日(木)[11]



同日付の『ソウル新聞』は、以下のように報じた[12](日本語訳は西村幸祐による[10]。西村は『やまと新聞』のインタビューで、李大統領が「足をしばって、ひざまづいて謝罪するなら」と発言したことを伝えた[13])。


李大統領は現場で日王が「ひざまずいて」謝らなければならないという表現を使ったことが分かったが、その後、大統領府が公開した発言録からは抜けていたことが確認された。李大統領は日本の植民地問題については容赦できるが、忘れることはできず、追求すべきことは追求すべきだと声を高めた。「静かな外交」と言われた対日外交政策が強硬モードに変わったことが示唆される[10]。

「跪いて謝罪する」について西村は、「儒教の因習が色濃く残る韓国では、罪人が謝罪するときに跪かせるのが一般的で、足を縛って跪かせ、土下座させる刑罰も朝鮮半島にあった。つまり、李明博大統領の発言は「日王」が足を縛って跪いて謝罪する姿までを連想させてしまうのである」と述べている[10]。その後、『ソウル新聞』はWEBサイトの記事から「跪いて謝罪」という言葉を削除した。西村は、「面白いことに、日本人に最初に天皇謝罪発言の真実を伝えてくれたソウル新聞はその後、WEBサイトの記事を改竄(かいざん)してしまう。現在、当該ページ(『ソウル新聞』2012年8月15日)を読むと、見出しをも含め、「跪いて謝罪」という言葉は一切、なくなっている」と述べている[14]。一方、インターネット・アーカイブ・サイトには以下のように最初の記事が残されている[15]。

李明博は、2008年の韓国大統領就任以前から日本には「謝罪や反省は求めない」と発言しており[3]、大統領就任後の2008年4月に訪日すると、天皇、皇后との会見時に韓国訪問を招請した[3]。

私のへたれ部屋にしては固そうなコトバが並んでしまいました。

よお言うてくれたなあ。温厚な(と見えるらしい)私が、腹を立てた。煮えくり返りました。

あの時に私はほのかに覚醒した・・・と言えば、かっこよすぎますか。この前後にも、なんだか大事な文書をどうこうしたとか、読めば「なんじゃこりゃあ」なことがさまざまあって、ワールドカップの件「地震お祝ます」の件。

で、現在に至るのですが。



なぜ。今、こんなことを言っているかと申せば。おそらく、昨日の皇太子の腹話術ショーに於ける・・・三流以下のショーではありました・・・中の。

 ――関連質問1

 4月に、韓国大邱(テグ)市で、世界水フォーラムが開催されます。国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁でいらっしゃる殿下は、これまでに京都、メキシコ、トルコでの会議に出席されました。今回の出欠に関しては政府が対応しているとのことですが、韓国で開かれる大会について、殿下御自身のお気持ちをお聞かせいただけるでしょうか。

ご回答

 私も、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁をやっておりますので、今回の世界水フォーラムが、水問題を考える上で良い大会となることを心より願っております。

私の出席については、これは政府の方で検討されることですので、私からはコメントは控えたいと思います。


この部分。実際には皇太子の訪韓は無くなったと、憶測でなく現実のこととして読み、やはり「やったね」「ざまあみろ」の気分が濃厚だった、のでした。

水のフォーラムだの名誉総裁だの。身位に対してくっついた立場名称であるとはいえ、茶番に過ぎること。

こういうことは三か月前には「決定していること」と聞き及びます、今の時点でのこの返答では、確実に「無くなった」ことですね。行ったって何ができるわけではない。

何もしなくて、スイスの時のように誰かについてもらって遠足して来るくらいのことなら、恥ずかしくはあっても大した実害は無い(のか?
 まあ、そうしておきましょう)、が、韓国へ行ってちやほやされたら、何がどうなるかわかりません。

外へは出せない、出してはならないお方です、皇太子・なるひと氏。ツマに付き合ってずっと受けていない健康診断でも、その時期にはお受けになればよろしいのでは・・・大きなお世話です、これも。大爆笑。つい、バカにしてしまいました。

皇太子ナルちゃんは、とにかく4月の訪韓は無くなった、と、思われる。慶祝。

で。

この2008年という年は、8月に上記のことがあって、今から書くこともあって。

・・・何を書くか。

上記、韓国のイが、とことん日本をいたぶって来た後に、わが両陛下がお取り遊ばされた態度および、発せられたと記憶される「おことば」について、です。

2012年9月19日 7時0分
女性自身

「(天皇が)韓国を訪問したいなら、独立運動をして亡くなった方たちを訪ねて、心から謝罪すればいい」

8月14日、韓国の李明博大統領が発したこの暴言により、日本国民の反韓国感情は一気に高まり、その余波は1カ月たったいまでも両国で続いている。日韓関係が冷え込むなか、そのことをいちばん憂慮されていたのが天皇陛下と美智子さまだった。


↑ これは、女性誌が報じたこと。・・・「天皇陛下と美智子さま」って・・・(笑)。



・9月4日、両陛下は御所で、外務省の鶴岡公二総合外交政策局長からご進講を受けられた。局長からのご進講は両陛下が定期的に受けられているもの。

・「テーマは中国との尖閣諸島問題、韓国との竹島問題などについて。

・局長は、日本政府の対応についてご説明し、両陛下からもいろいろご質問があった。

・鶴岡局長を驚かせたのは、天皇陛下の

「いつ私たちが、かの地を訪れることができるようになればよいのですが。これからも日本と韓国が友好な関係を保てるよう願っています……」。


再び、自身誌より。


「天皇皇后両陛下は、かねて”日韓の友好のためなら”と、韓国ご訪問の希望を持たれていました。しかし外務省としては、現状の日韓関係で両陛下の訪韓が実現するという想定はしていませんでした。さらに先日の李大統領の発言もあり、省内には”訪韓は10年どころか100年は遠のいた”という職員もいます。それにもかかわらず、ほかならぬ陛下が訪韓を諦めてはいらっしゃらなかったのです。あくまでも国際平和を願われる陛下のお気持ちに心を打たれました……」

陛下と韓国問題についてお話しした、ある国会議員がこう打ち明ける。

「陛下は”政府が望むなら、もちろん訪韓したい”とおっしゃっていました。さらに”私は両国の友好のためなら現地で謝罪を述べることも、やぶさかではない”とまでおっしゃられていたのです」

“ご自身への反感を露わにする韓国での謝罪も辞さず”、陛下はそんな悲壮な覚悟も決めていらした。両陛下の願いとはうらはらに、はるかに遠い国になってしまった韓国。天皇陛下と美智子さまの日韓友好を願う魂の叫びを韓国国民には知ってもらいたい。


いや。三年たった今、これを読んで素直な感情は

「「天皇陛下と美智子さまの日韓友好を願う魂の叫びを韓国国民には知ってもらいたい。」」

いやいやいやいや、そうは思えませ~ん。なのですが。

どこの国のどなたの話なのか。よくわからない。

話題にのぼっても、土下座の話は私は好きでない、あの姿を見たくない。

なんだか、とてつもなく奇妙な感覚にフラフラします(うそ)。

殿下はともかく陛下について書くと、びっくりするような反感を買ってしまうようですが。奇妙な感じがします~と、思っているのは本当のことですし。陛下は土下座しろ、と恩知らずの国の大統領に言い放たれて、私の胸にも傷がつきました。

私は、普通の日本人だからだと思います。

さんざん、さんざん、謝らされてお金のタネにされて嘘つかれて、まだ謝罪しろと言い募る国にを、訪問して謝るにやぶさかではないと、読んで私は肯えません。

何を仰るかとギクリとします。自分の国を、まだ、貶められますか。おそらくお気持ちは変わっておられないと思えば、いわゆる「日本は悪い国」「謝らなければならない国」が、ご自覚の核なのでしょうか。そういう考えを「自虐史観」というのではないかと考えます。

何もかも集約して、おかしいのではないですか。


2008年、この年、直後の秋には「ヤフオク事件」が起こり、懸命の火消しがなされました。景気がどんどん悪化していった時期でもありますね。



・・・当分、コメントのお返事は控えさせていただいています、裏コメもメールもすべて、読ませて頂いております。

今日もご訪問、この箇所までのお付き合い、どうも本当にありがとうございます!。









ツルツル。



おはようございます。全文が出ておりましたので、アップさせていただきます。


身の引き締まる思い…皇太子さまが55歳に

読売新聞 2月23日(月)5時0分配信





誕生日を前に記者会見される皇太子さま(20日、東京・元赤坂の東宮御所で)

皇太子さまは23日、55歳の誕生日を迎え、これに先立ち東京・元赤坂の東宮御所で記者会見された。

概略= 天皇陛下が即位されたのと同じ年齢になったことに「身の引き締まる思いとともに感慨もひとしおです」と思いを語り、「象徴の望ましい在り方を求め続けてこられた天皇陛下と、そばで支える皇后陛下のお姿に学びながら、努力していきたい」と決意を新たにされた。

 昨年9月に公表された「昭和天皇実録」に関し、昭和天皇の思い出にも触れられた。ともに生物学者の昭和天皇と天皇陛下が、御所の書庫で分厚い本を広げて真剣に話し合っていた幼少時代の思い出を披露し、「真理を探究する大切さ」を感じ取られたという。

 戦後70年について、「戦争を知らない世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と述べ、自身も両陛下から聞いた戦争の話を長女、愛子さま(13)に伝えられているという。

 昨年は、ご一家で伊勢神宮を参拝し、全国高校総体の競技も観戦。中学生になった愛子さまを「新しい環境で中学校生活にも慣れてきた」と見守り、「雅子も私も勉強を見ることがありますが、内容の難しさに驚くこともしばしばです」と父親らしい感想を披露された。=概略。


皇太子さま誕生日記者会見(全文)

 ――問1

 この1年を振り返り、印象に残った公務や、社会や皇室の出来事をお聞かせください。天皇陛下が即位された55歳となられたご感想はいかがでしょうか。今後のご自身の活動のあり方についてもお聞かせください。

ご回答

 この1年も自然災害が様々な地域に大きな被害をもたらし、多数の方々が亡くなられたことはとても残念なことでした。8月の広島県を中心とする豪雨や9月の御嶽山の噴火により亡くなられた多くの方々に深く哀悼の意を表し、御遺族と被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。また、降雪による被害も心配しております。

 今年1月に阪神・淡路大震災から20年を迎え、3月には東日本大震災より4年となります。被災された方々の悲しみや御苦労に思いを寄せ、厳しい環境の中で暮らしておられる方々の幸せと御健康をお祈りいたします。

 厳しい経験の中から、震災を乗り越え、未来を創造するための取り組みも多く生まれてきているように思います。昨年11月に訪れた兵庫県では、震災の記憶を風化させず、震災の経験を地域や世代を超えて伝えようとする取り組みがなされていました。東日本大震災からの復興の取り組みとして、昨年8月にパリで行われた「東北復幸祭」に参加した「OECD東北スクール」の高校生と先日お会いしましたが、被災地の生徒の皆さんが、自ら主体的に企画し、行った催しが大きな成功を収めたことをとてもうれしく思いました。また、昨年訪れた徳島県松茂町の防災センターでは、将来、起こり得る南海トラフ地震への備えとして、小学生の子供たちが、自宅や学校のある地域で地震が起きた場合に、どのようにして安全な場所に、そして、安全に避難をすることができるかを一生懸命話し合っていた姿が印象に残っています。防災には、日頃の心構えや訓練などの備えがとても大切なのではないかと思います。

 今年、1月に出席した「防災・減災に関する国際研究のための東京会議」では、我が国を含め、災害を受けた各国の経験が共有されましたが、来月仙台で開催される第3回国連防災世界会議を通じ、将来の災害に備えるために、国際的な協力が進むことを期待しております。これからも被災地の復興に心を寄せるとともに、防災に関して、関心を持ちつつ、私ができることをやっていきたいと考えています。

 また、この1年、訪れた各地で農林水産業の活性化、地方色豊かな文化振興、先端技術や伝統産業を融合した新製品の開発など各地域の活力を感じました。これからも、国内の訪問する各地でそれぞれの地域の特性をいかした新たな取り組みについて見聞を広められたらと思っています。

 昨年12月に青色発光ダイオードの開発で赤崎氏、天野氏、中村氏がノーベル物理学賞を受賞されたことを喜ばしく思います。今回の3氏の受賞は、地道な研究の積み重ねと大学、民間企業を始め多くの方々の支援と協力から生まれたものと思います。今後とも我が国で先端技術の開発や基礎研究が更に進むことを期待しております。

 このように技術革新により新たな経済活動が生まれる一方で、世界経済は、先進国、開発途上国の双方が、所得格差や若年者の失業などの課題を抱え、通貨や石油価格の変動などの問題に直面しています。国際情勢に目を向ければ、この1年も中東などで武力紛争が続きました。特に我が国国民を含め市民を巻き込むテロの事件が様々な場所で発生したことに深く心を痛めています。昨年11月にお会いしたグテーレス国連難民高等弁務官から子供を含め難民を取り巻く環境は深刻であるとのお話を伺いました。また、10月に私が名誉総裁を務める、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の第23回会合の水循環・水と災害特別セッションやオマーン王室のイニシアチブに基づく第3回スルタン・カブース学術講座での「持続的発展に向けた水資源の管理」に関するシンポジウムが東京で開催され、出席しましたが、環境保全や水の問題の解決などを通じ持続可能な社会をいかに実現するかは喫緊の課題です。このように世界の平和と繁栄をいかに将来にわたり実現していくかが今改めて問われているように思います。

 昨年11月に愛知県で開催された「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」に出席した際には、未来の地球を支えるために自ら考え、取り組む子供たちを心強く思いました。そして若い世代が、積極的に海外を訪れ、海外の青年と交流し、各国の社会や文化を正しく理解するなど、国民の一人一人が各国との友好を深めていくことを望んでおります。先月、学習院女子大学で、私のイギリス留学中の体験を中心とした講義をいたしましたが、学生の皆さんの目が海外に向いている様子をうれしく思いました。私自身、昨年6月に、国交樹立150周年を迎えたスイスを訪問しましたが、これからも、各国との友好親善の増進に少しでもお役に立てればと思っております。そして、内外の若い人たちとの交流も大切にしていきたいと思っています。

 今年我が国は、戦後70年を迎えます。この機会に改めて戦争で亡くなられた多くの方々に深く思いを致し、平和を心から願い、世界各国との友好を確かなものとしていくことが大切であると考えています。

 一昨年天皇陛下が、昨年皇后陛下が傘寿をお健やかにお迎えになられたことをお喜び申し上げております。天皇陛下が即位されて今年で27年目となりますが、天皇、皇后両陛下には、長きにわたり、国民の幸せを願い、国民と苦楽を共にされながら、御公務を行っておられます。このような両陛下のお気持ちを体して、これからも心を込めて務めを果たしていきたいと思います。私は、今年で55歳になりますが、天皇陛下が即位されたのと同じ年になったと思うと、身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしおです。私は、常々、過去の天皇が歩んでこられた道と、天皇は日本国、そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致すよう心掛けております。そして、これまで、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けてこられた天皇陛下と陛下をおそばでお支えになっておられる皇后陛下のお姿に学びながら、これからも努力していきたいと思っています。

 両陛下がこれまでなさってきた、こどもの日及び敬老の日にちなんでの施設訪問については、今年から秋篠宮と共に受け継がせていただくことになります。今年は、こどもの日にちなんだ施設訪問を行う予定です。私は、沖縄や北海道の豆記者やボーイスカウトのメンバー、全国高等学校総合体育大会の参加選手や大会ボランティアの生徒を始め、意欲に満ちて、生き生きとした子供たちと出会う機会が多くあります。一方で、いじめや子供の虐待など心の痛む問題もあり、青少年や子供たちを取り巻く環境が少しでも良くなるように社会全体で取り組むことが大切です。また、次の世代を担う子供たちが健やかに育っていくこととあわせて、若い世代が社会の問題に関心を持ち、高齢者や障害者など弱い立場にある人たちを大切にし、思いやりのある寛容な社会を築いていくことも重要だと思います。これからも、このような社会をつくっていくために努力されている多くの方々のお話を伺いながらいろいろと考えていかれたらと思っています。

 ――問2

 今年は戦後70年の節目の年です。戦争と平和への殿下のお考えをお聞かせください。先の大戦や戦没者慰霊については天皇、皇后両陛下からどのようにお聞きになり、愛子さまにはどう伝えられていますでしょうか。

ご回答

 先の大戦において日本を含む世界の各国で多くの尊い人命が失われ、多くの方々が苦しい、また、大変悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。広島や長崎での原爆投下、東京を始め各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで多くの方々が亡くなりました。亡くなられた方々のことを決して忘れず、多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み、戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。そしてより良い日本をつくる努力を続け、それを次の世代に引き継いでいくことが重要であると感じています。

 両陛下には、これまで様々な機会に、戦争によって亡くなられた人々を慰霊し、平和を祈念されており、今年は、戦後70年に当たり、4月にパラオ国を御訪問になります。戦後60年にはサイパン島を御訪問になりましたが、お心を込めて慰霊されるお姿に心を打たれました。また、両陛下には、今年戦後70年を迎えることから、昨年には広島、長崎、沖縄で戦没者を慰霊なさいました。私は、子供の頃から、沖縄慰霊の日、広島や長崎への原爆投下の日、そして、終戦記念日には両陛下と御一緒に黙とうをしており、その折に、原爆や戦争の痛ましさについてのお話を伺ってきました。また、毎年、沖縄の豆記者や本土から沖縄に派遣される豆記者の人たちと会う際に、沖縄の文化と共に、沖縄での地上戦の激しさについても伺ったことを記憶しています。

 私自身もこれまで広島、長崎、沖縄を訪れ、多くの方々の苦難を心に刻んでまいりました。また、平成19年にモンゴルを訪問した際に、モンゴルで抑留中に亡くなられた方々の慰霊碑にお参りをし、シベリア抑留の辛苦に思いをはせました。

 私自身、戦後生まれであり、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。両陛下からは、愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし、私も両陛下から伺ったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております。

 我が国は、戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています。

 ――問3

 雅子さまは11年ぶりに宮中晩さん会に出席されるなど、少しずつ活動の幅を広げられています。現在のご体調と今後の見通しについてお聞かせください。昨年中学生になられた愛子さまの学校やご家庭でのご様子はいかがでしょうか。伊勢神宮参拝やご両親の公務への同行などを通じて、愛子さまは皇族としてのご自身のお立場をどのように感じられているでしょうか。

ご回答

 雅子は、治療を続ける中で、体調をその都度整えながら、公私にわたってできる限りの活動をするための努力を続けています。そうした中で、この1年を振り返ると、昨年7月に神宮参拝のため三重県を訪問し、11月に「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」への出席のため愛知県を訪問しました。東京でも10月にオランダ国王王妃両陛下の国賓訪問に際する国賓行事出席や11月に皇居宮殿での文化勲章受章者等の茶会などの行事に出席しました。また、東宮御所内の仕事などでも、私をよく支えてくれる一方、愛子の成長にも心を配ってくれています。

 このように、雅子は、確かに快方に向かっておりますが、これですぐに活動の幅が広がるわけではないと思います。お医者様からも御助言を頂いているように、体調を整えながら、引き続き、焦らず慎重に、少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思っています。

 愛子は、昨春から学習院女子中等科に進学し、元気に通学をしております。新しい環境の中で中学校生活を始め、その環境にもかなり慣れてきたのではないかと思います。中等科生になり、勉強する内容も難しく、量も多くなっていますので、家でも頑張って課題などに取り組んでいます。雅子も私も愛子の勉強を見ることがありますが、内容の難しさに驚くこともしばしばです。同時に中等科では、外から多くの生徒が入ってきたので、新しいお友達も増え、上級生とも交流するなど、実り多い中等科生活を楽しんでいるようです。

 7月の武蔵野陵及び武蔵野東陵の参拝、さらに神宮参拝は、雅子と共に、愛子も同伴しました。愛子は、一昨年の神宮式年遷宮に際して私たちと一緒に遥拝を行い、また、初等科6年生の時に、放送委員として昼休みの放送で神宮式年遷宮について紹介するために学習していたので、実際に神宮を参拝し、更に理解を深めたのではないかと思います。その後も8月に東京で行われた全国高等学校総合体育大会の競技などにも愛子を同伴しておりますが、愛子もこうした行事への出席に少しずつ慣れてきたように見えます。これからも少しずつ経験を積み、皇族の務めについての理解を深めていってくれればと思っています。

 両陛下には、雅子の体調をお気遣いいただき、そして、愛子の成長を温かくお見守りいただいていることに心より感謝申し上げております。また、国民の皆様より私たちに温かく心を寄せていただいておりますことに心より感謝しております。

 ――問4

 昨年夏に完成した昭和天皇実録のご感想や昭和天皇との思い出についてお聞かせください。天皇のあり方について昭和天皇のお姿から感じられたことについても、あわせてご紹介ください。

ご回答

 昨年8月に昭和天皇実録が天皇、皇后両陛下に奉呈されました。実録が、長い時間をかけて多くの人々の努力により今回完成したことをうれしく思いますとともに、編さんに関係した方々の御苦労もいかばかりであったかと思います。実録は、昭和天皇御一代の御事績を客観的資料に基づき記したものであり、実録の内容の公表を通じ、多くの人が昭和天皇の御事績に関心を持ち、併せて昭和という時代への理解を深めることになればと思います。

 実録自体は大部のものであり、全体を読むのには時間が掛かりますし、個別の内容について申し上げることは控えたいと思いますが、昭和という激動の時代にあって60年を超える長きにわたり、国民を思われ、真摯(しんし)に御公務に当たられた昭和天皇のお姿がしのばれます。昭和天皇の御事績と昭和の時代の変遷を、政治、社会、文化、外交などの総合的な視点から理解するためにも、更に実録を読み進めていきたいと思います。昭和天皇には、幼い頃から、御所に上がらせていただいた折に、優しくお声を掛けていただいたことを懐かしく思い出します。そして、天皇のお仕事の大切さやお仕事が大変なこともお話の節々に感じたように思います。小さい頃の思い出ですが、御所に上がった折に、生物学者でいらっしゃった昭和天皇が、何かをお調べになるのに書庫に入って行かれたことがありました。今の陛下も一緒に行かれて、私も興味があったのか、後をついて行ったように思います。書庫の中で分厚い本を昭和天皇が広げられ、今の陛下と何か楽しそうに、それでいて真剣な感じで話し合われていたのをよく記憶しています。その時、私は、何かあったら調べることの大切さ、そして、お二人の研究者としてのまなざしを肌で感じ、研究をするというのはすばらしいことだなと、子供心に思ったことを覚えています。

 現在の私は、昭和天皇とも現在の天皇陛下とも研究分野は異なりますが、お二人から、真理を探究していくことの大切さや、その楽しみについても、いろいろと教えていただいてきていることに対して大変感謝をしております。

 ――関連質問1

 4月に、韓国大邱(テグ)市で、世界水フォーラムが開催されます。国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁でいらっしゃる殿下は、これまでに京都、メキシコ、トルコでの会議に出席されました。今回の出欠に関しては政府が対応しているとのことですが、韓国で開かれる大会について、殿下御自身のお気持ちをお聞かせいただけるでしょうか。

ご回答

 私も、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁をやっておりますので、今回の世界水フォーラムが、水問題を考える上で良い大会となることを心より願っております。

@私の出席については、これは政府の方で検討されることですので、私からはコメントは控えたいと思います。@

 ――関連質問2

 先ほど昭和天皇との思い出の中で、御研究者としての姿勢を学ばれたとお話がありましたけれども、天皇陛下の御公務について、昭和天皇から何か学ばれたことがございますでしょうか。

ご回答

 昭和天皇とは本当に小さい時から御所に上がるたびに非常にいろいろと良くしていただいていたわけですけれども、昭和天皇から直接公務について何か教えていただいたということよりは、やはり昭和天皇とお話をしながら、御様子を拝見しながら、昭和天皇が御公務に真剣に取り組んでいらっしゃるということを非常に肌で感じ、そのことが私にとっても大変大きな教えになったように思います。

 ――関連質問3

 先ほども戦争については、両陛下から子供の頃からいろいろとお話を伺い、黙とうの際など折に触れ、原爆の悲惨さであるとか、いろんなことを伺ったというふうに伺いました。もし、そういった両陛下からお聞きになられた話の中で特にお心に残っていることがございましたら、お教え願いますでしょうか。

ご回答

 個々のことについてお話しするのは差し控えたいと思いますが、両陛下からのお話の中で、やはり本当に戦争がいかに悲惨なものであるか、こういったことを本当に二度と繰り返してはいけないものだということが、お話の節々で感じ取られ、本当に両陛下の平和を尊ぶお気持ち、それから諸外国との友好関係を大切になさるお気持ち、そういうものが私にも非常にひしひしと伝わってきて、そういったことが私にとっても非常に強く印象に残っております。
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最終更新:2月23日(月)5時0分

読売新聞


ひとことコメント。

のーみそツルツル。ことばもツルツル。














乾いていて切ないはなしを。





胸がずきんずきんするような自分に、自分自身がなれて来て、悲しいというか苦しい「はなし」を、ウエットにならないで紡ぎたいと望んでいまして。

悲しくて乾いている、というのが、ものを書くについて最上の状態です、自分としては。

それが叶って来ていると言うか、自分の時間に自分の机に座れば「そういう自分」への切り替えができる・・・ような感じになっている・・・

わけわかめなKUONですが。

皆さまへのお返事を書こうと思う「平常モード」の自分になると、自分が散らばってしまいます、持ち時間も少ないですし。

はなはだ勝手、失礼、傲慢ないいようながら、そうなのです、頂いたコメントはありがたく、幸せに読ませてもらっていつつ。

更新は少なくなると思います、お返事はなかなかさせてもらえないと思います、大変わがままながら、そういう自分でいることを、許していてやりたく存じます。








たゆたひ





汚れっちまった悲しみに
                                 中原中也

 
           汚れっちまった悲しみに
           今日も小雪の降りかかる
           汚れっちまった悲しみに
           今日も風さえ吹きすぎる

           汚れっちまった悲しみは
           たとえば狐の革裘(かわごろも)
           汚れっちまった悲しみは
           小雪のかかってちぢこまる


           汚れっちまった悲しみは
           なにのぞむなくねがうなく
           汚れっちまった悲しみは
           倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

           汚れっちまった悲しみに
           いたいたしくも怖気(おじけ)づき
           汚れっちまった悲しみに
           なすところもなく日は暮れる




               また来ん春
                                         中原中也

 
                また来(こ)ん春と人は云(い)う
                しかし私は辛いのだ
                春が来たって何になろ
                あの子が返って来るじゃない


                おもえば今年の五月には
                おまえを抱いて動物園
                象を見せても猫(にゃあ)といい
                鳥を見せても猫だった

                最後に見せた鹿だけは
                角によっぽど惹かれてか
                何とも云わず 眺めてた

                ほんにおまえもあの時は
                此(こ)の世の光のただ中に
                立って眺めていたっけが……








今の思い。



コメントを沢山お寄せ下さり、ありがとうございます。

ここでお返事をさせて頂きます。私が感じることであって、これが「正しい」でないことは、言うまでも無いです。


@プリンさん。

時代が要求したということも、あるのでしょうね。パッショナブル。新しい皇室。爆笑。戦後生まれの私には、当時の空気に対する感覚は違うし、一概には言えません・・・が。そして、

あの頃には皇室が神道の長の家、である現実が、ものすごく軽くされていたのだと考えます。ずっとそうだったのかも知れません。醒めて思えばそうとも。

>あの時代の
>高貴な方のお言葉とは思えません。

美智子さんは、新興ブルジョワジーの娘ではあっても、裕福な家のお子さんでも、高貴な方では、無かった。少し遡っては、下らない言い方と当然知って言えば、士農工商、の最下段のランクの家です。私自身のランク付けでは無いですが、世間的にはそういうことでした。

入内後の素晴らしいお気の配りようも何も、高貴な女性のものではない。なかったはず。

高貴な女性って、立っていて、必要なら頭を美しく下げて、そういうことしかしないものです。表に見え見えに見える気遣いなんかしないよ、高貴な女性は。目の動きでさせるんです。とか、やけに拘っておりますが。

人前で殿下にしなだれかかったり、よその男性のタバコの火なんか、つけません。よその男性の胸に花だかボタンだか、付けてあげる姿を撮らせたり。しません。する時は、わかっていてするか、隠れた部分でしていたのです。

でも、美智子皇后の国民との接し方は、時代が望んだものではあっただろうし、奮励努力の妃殿下だったとは思います。ご立派だったと思います。が・・・人は悲しいことに、どちら方面へも行き過ぎる。そんな気もします。行き過ぎた果てに、生まれついて持った何かが、だだ漏れに現れて来たり・・・。

そうだ、私の中では、高貴な女性は、奮励努力の姿を見せたりなんか、しないの。爆笑。

・・・そういう「階層」「階級」こそが、戦後、喪われたものです。いいとか悪いとかの話ではありません。

今や皇室が「税金泥棒」と呼ばれるのだし・・・。



@美絵里さん。続きで読んで下さるとありがたいです。

>生まれたての、って、
>何だか自分が産んだ感じがしませんね。第三者目線な気がします。
>産みたての卵
>とか言いますが、

雅子「語録」の一つですね。(笑)。俗な話を振りますが・・・子どもを「卵で産みたい」と発言した女優さんの(私はコレ、わかるわ~っと思いました・笑)、その時生まれた息子さんは、亡くなってしまったとか。逆縁の話は辛いだけですね。

ヒデンカに戻ります。待ちに待った子を「生まれたての子を」見て、だか抱いて、だか、

「うまれてきてありがとう」と涙して、そばで皇太子が優しくなだめた・・・一見ウツクシイ光景に見えましたが、私はアホか、と、横目で見てた。嬉しいだろう。胸も迫るだろう。だけど、そこで泣くな。それが実感でした。

皇室に対しての幻想や思い込みの、ものすごく強いワタシだったのかな、とさえ、思います。単なる・・・ああいう人たちでしか、なかったのに。

うまれたての子。自分は関わりなかったけど、場に出れば感動的で泣けちゃった、それでも何でも、授かったお子を、本当に大切に育まれれば。心尽くして育てられれば・・・誰も邪魔も止めもしない助けの手もふんだんにある、ものすごく恵まれた中で・・・お子さんに接していられれば、今日の日は無かったと。

思って虚しいことを思うのは、失くした子のトシを数えるようなもの。雅子さんは(本当にいたことと前提して)生まれて来なかった子のことを、考えたことなど、あったのかなとも感じます。それっきりで、思ってやることもしない、空漠の「はは」だったのかな、そうだろうな、と。



@ぶんこ さん。

内面とはマッチしない。なるほど。究極のぶったぎり論ですね。

言葉遣いが上品で、内面のマッチしない方は、言葉と内面がマッチしている方より、いざとなると「ああそうなんや~」感はきつい、かも・・・。

もし本当に仰ったなら、なんでわざわざ、こうやって後世で叩かれるようなことを言うかね~っと。

あの時代もさんざん、言われておいででしたのに、妃殿下。



@アイリスさん。

>水仙の花束
>合歓の木の子守唄、
>手話の頑張って。
>英語の児童文学論、
>陛下とのダンス、
>頼まれて弾くピアノ。

>みーんな 感動して見てた私のばか!

・・・胸にぐっさーと突き刺さって。ものすごく痛かったです、しかしアイリスさん、あなた様だけがバカ、ではない、ワタシも同じ。

美智子さまは、本気でなさっていたとは思うのです。思おうと思いたい、といいますか。

一つ一つは、美智子さまには「ほんとう」。それはそう、思います・・・たぶん。

いいとこの奥様に納まって、慈善活動などに熱心に取り組む奥様、とかでいらしたら、よかったのか?。

私になど、そんなこと、わかりませ~ん。でも「慈善」って、人によっては癖になるくらい、気持ちいいものだとか。

同バカ集団。(笑)。

ご自分を責めないで下さい、胸やけがする時は、シュパーっと、みどりいろのクリームソーダを。



@ヒミツのHさん。

ごめんなさいと言ってくれなくていいですよ、KUONに。

解らなくてもいいのです、きっと。

皮肉が多いですから、私の記事には。よく言う「毒」がいっぱい。

わかっていて、汚い言葉を使わずに言いたいことを言おうと思うと、毒まみれになるのだと思います。

Hちゃんは、まっすぐで裏表がない、それは、人として、とても大切で、すてきなこと。

だから、毒はいいの、わからなくて。(笑)。

これは真剣にあなたに向いて書いています。

わからなければ、何よこれ、でもいいんだよ、それでも、読んで下さっていれば、皮肉だけではない私の、本心も、たまには出て来るかも。

HちゃんはHちゃんのままでいて下さい、素直でまっすぐなことは、とっても素晴らしいことです。

KUONは当分、毒吐きばあちゃんでいるのかなあ。どうなるのかなあ。(笑)。

わからないって、書いて来て下さって、ありがとうさんでしたね。またね。ね。



@はる さん。

ご苦労なさって来られたのですね。

私は、舅は9人きょうだい(わかっていただけの人数)の長男、姑は5人きょうだいの長女。親戚付き合いの多い家で、私は、そこの長男のヨメ。無視も八分扱いも自分なりに経験しました、台所でヤカンを置くのを、聞くべき人に聞かないで違う人に聞いて置いた、ということで、お怒りをかってえらい目に遭ったり。(笑)。どちらも「古い」が自慢の家で、ことあるたびににぎやかなことでした。優しいオバさんもオジさんもいましたが、表面でワタシ(若いヨメさん)を庇うこと出来ないのはわかるから。

学んだのは、余計なことは口から出さない、親戚の中で目立たない、ということだったです。引いて引いてクイッククイック。(笑)。本当に信用できる人にしか、本心は明かさない。生きる術の基本でした。

それこそ私のごとき者でも、自分が傷つかないよう、周囲に波風立てないよう、私を思ってくれる人に要らざる思いをさせないよう、と、心していたのでした。

なんで美智子さんは、周囲の女性方が柳眉を逆立てる=腹が立つ=嫉妬やいろいろ=ような言葉を、つるっとお出しになるのか。態度に出されるのか。

これは、思いました。でも、皮肉でもイヤミでも無く(はるさんに対してね)美智子さまのなさりようや「熱情」に、羨ましいような感情を抱かれる方もあるのだな、と、この度、感じました。これは本当です。憧れ、ってありますよね。時間やお金にも自由がききにくかったりの中では。それはそうよね、と、何かを思い出しました。

ただ、と、あえて申しますが。美智子さまは、公の立場のお方です。雅子さんも同じ。雅ドンと美智子さんは比較になりませんが、公のお方は、何をなさるのも何をおっしゃるのも、一般人に比べられない気遣いが、当たり前に必要ではないかと、これは確信しているし。

いじめられたの批判されるのということになっていましたが、あまりにも無造作、無防備に過ぎるのではないか、とは、今も考えています。自分がいじめられる方の「いい子であると、相手の方は「悪く」なる。美智子さまは一貫して、いい子でおられた気がします。周囲の方々がお年をめされて行く間に。

何を「恥ずかしい」と感じるかは、人それぞれで、私には、恥ずかしかったです。やっぱり恥ずかしい。身がよじれるくらい、恥ずかしい。人前でおっしゃりめさるなよ~、という感じ。夫婦で何をされていても、見えなければ、誰も何も言わないし、言えません。

それと、美智子さまには決定的に、公私の区別・・・とくに夫さまのお立場に関して・・・が、欠けておられた、よくされたけど、それは、皇室の長の妻の立場では無かった、とは、考えています。

単に男と女、単に夫と妻、という、お立場では無いと。今上両陛下、現・東宮両殿下に対して、同じ思いでいます。

個人のシアワセ云々と。おっしゃいますね。妃殿下がたが。人としては解りますが。そういう立場では無いでしょう、あの方々は。外へ向かって発する言葉とは、私には、思えないのです。人々のシアワセを、と、仰るが「建前」の立場です。

・・・幸いにも私は、婚家が財産全て失くしたどころか莫大な借金を抱えたことで、親戚の多くはあちらから去って下さいましたし、皆さまの高齢化と言う現実もあって、お集まりの機会は皆無に近くなり、私自身はとっても、想像できなかったくらい、今は、気軽な立場になることができました。

人それぞれ、さまざまなものを抱えて生きていると思いますが、はるさんも東宮妃を反面教師として頑張って来られたとのこと、よくお励みになられましたね、ご立派でしたねと、まことにえらそうで申し訳ないですが、ヒトでもないような「ヨメ」の対場を経て来た者として、遠くから(近いのかな?)思いを送らせていただきたい気持ちです。

自分の時代も来ます・・・きっと。

どうぞ、お体に留意されて、ご自身の場をしっかり、お守り下さいね。大切なことだと思います。



@ブリンさん。

・・・このセリフ。現実に、人前で言われたら、聞かされてしまったら(読まされちゃったら)「私は」引く。

恥ずかしい。と、思っただけなんですよ~。(笑)。

女優さんなら、平気でこれくらいのセリフは、イケます。女優は、何でもする、必要な演技なら。

それはそうだと思います。

わたし、意地悪なんだと思います。てへぺろ。



@アビさん。

>下世話な言い方で申し訳ないのですが・・・
>惚れた弱み! に 惚れられた強み!
>美智子さんの強さが平成になってから特に・・・。

(笑)。いやあ・・・私も思いっきり下世話、まことにそうかも。陛下は、大好きな「みぃ」さんと一緒にいられて、こうなさいませと指示もアドバイスも命令もお受けになられて、お幸せなのだとは思います。

解らないでは無いです、庶民の家では、だんだん歳月と共に、奥さんが中心になってる方が、家の回りがうまく行くケースが多い。

庶民と比較してはイケマセンかね。(笑)。

写真を沢山みますが、美智子さんが中心、ものすごく多い。陛下にフォーカスかかってたり。画面の端っこなんてザラ。皇太子が車の後部席のはずだと納得。

そういう、リベラルなおうちがら、なのですね、内廷皇族のみなさま。

美智子さんが先に立って歩き、陛下が書面を読み上げられている時は、美智子さんの「しっかりなさいませ」視線がびしばし。

普通の家ならそれでもいいんでしょうね。

普通の家ではないのでね。

ここが忘れられてしまうと、何かが違ってきます。私も、批判ばっかりすると批判されます。

「美智子さま」がどうの、でなく。

「皇后陛下が」ということ。

雅ドンが、でなく(あのひとはどうでもいいのです、ほんまに、どーでもいいわ)「皇太子の妃殿下」が、なのですが。

こんなこと、言うことも無いのかなあ、という気もしますね。最近では。皇室がどちらを向いていても、どうでもいいわそんなの、に、なってしまうとするなら。



@琵琶さん。

初めまして。お越し下さりありがとうございます。

>御簾を揚げた最初の皇室のお姿を見せてくれたのは、今上陛下のご成婚を機に、
>我が家にやってきたTVメディアです。
>それから数十年を経て、最近、我が身に繰り返し問うている事は、
>私達庶民に伝えられてきた現皇室(昭和時代も含めて)の有り様とはメディアの取材・編集を経た
>作り手側が意図した《あらまほしき姿》と、
>はたまた庶民が《かくあれかし》と願う麗しき虚像、
>そして戦後メディア界で、圧倒的勢力と権力を持つ朝日・岩波(もしかしたらクリスチャンも
>入るのかも)といった左翼的文化人の言説、抗し難いリベラルという正義。
>戦わない平和という神輿。
>それに寄り副い、体現することによって支持を得てきた、民間から最初の入内を果たした妃の
>《庶民の虚栄》が三つ巴となって、醸成された架空の皇室物語だった、のではないかという
>ことです。
>私達はそれを唯々諾々と許してしまった。《庶民の虚栄》が、
>皇室にその居場所を得てしまった。
>この違和感と危うさを、先からを身近で感じておられたのが
>礼宮殿下であり紀宮内親王殿下ではなかったかとも思っています。
>平成皇室は我々国民が作り上げてしまった。それを肝に銘じたい。

>真っ当な皇室と国体の弥栄を祈ります。

>その身位には、孤独ともお感じになられるという天皇陛下(これはメディアが伝える
>陛下ご自身のお言葉です)と、加齢故か過剰な慈愛にお疲れなのか、
>お労しい佇まいとさえ拝します皇后陛下。

>恐れながら、両陛下には、ご退位宣言と秋篠宮殿下への譲位というご英断を
>伏してお願い申し上げます。

>そのご英断を、お聞きします時には、必ず両陛下のお目を見とうございます♥︎
>(文書回答は嫌よ!)

いただいたコメント、後半部分のすべてを貼らせて頂きました。そうだそうなんだ。って。

楽したかったのぢゃないのよ。(笑)。

ラスト2行に花束を。

ありがとうございました。



@名無し さん。

アイリスさん、そうですよ、名無しさんも。

みんなみんな、バカだった~。いっしょうけんめいでバカだった~。

だけど。涙が出ちゃう。女の子だもん。(おわかりですか?アタック№ワン)。



@主婦さん。

私は、そんなに頑張っていなかったのですよ。頑張って下さってた(すごいのです、他にあそこまで追いかけておられるの私は知りません!)やまのこさんに、ふれ~ふれ~していただけなの。

よろしければ、やまのこさんのブログ、他のところも読まれると、一途な真摯な思いに、打たれます。

私も、今読ませてもらうと、ここまでの思いは自分に無かったなあ、と、自省します。申し訳なく感じます。











お目を見とうございました。って・・・。



美智子さまは、

避暑地・軽井沢で出会い、東宮殿下とテニスをなさり(勝たれました)、夏の終わりのダンスパーティ、そしてなんだかわからないけど「蛍の光」にまつわる、極上おハイソな『ひと夏の思い出』を経験されたそうでした。(絶賛記事満載の過去の某誌・特別号より)。

昭和32年。敗戦から12年後。

翌年33年には、舞鶴港に最後の引き揚げ船が接岸しました。岸壁の母などと呼ばれた一人の母親が、息子は必ず帰って来ると通い続けた、という頃だったのですね。いま改めて知りました。一般庶民の世界の話ですし。

避暑地のできごとの一年後。宮内庁から正田家へ、正式な縁談の申し入れがあった。

民間の娘が畏れ多い、として正田さんは、間接的な辞退の意志の表明。美智子さんを外国へ旅出された。約2か月の旅。

行く先々に皇太子さま(今上)の強いご意向が伝えられた。

これ以上お断りを続けるのは無礼になる。あとは美智子自身の決断に任せる。・・・とは、正田家のご両親の国際電話だった由。

「私にお返事なさいと言うの」

美智子さまは絶句、涙声になられた・・・と、書いてあります。

宮中でもとまどいは隠せなかったと、これも書いてあります。

入江相政・当時の侍従長の日記には。

平民から東宮妃はけしからぬ、と、皇太后さまが秩父宮妃、高松宮妃を呼んでお訴えになった由、の記述が残る。

常磐会会長の松平信子さんは、正式発表の3日前までこれを知らず、

将来どんな問題が生じても、私はいっさい知りませんよ。と、激怒なさった。

信子さんの姉・梨本伊都子さんは、婚約決定の日(昭和33年11月27日)の日記に、

「憤慨したり、なさけなく思ったり、色々。日本ももうだめだと考えた」とお書きになっている。

大変なイバラの道。そう思えます。しかし美智子さんはお強い。

ご両親への手紙。

「ここで分かっていることは、美智子がこの結婚を少しでも自分を犠牲にするという見方でいる限り、これはお受けしてはいけないということです。

(中略)

自分もこの結婚で十分しあわせになれるという確信がなければいけないと思います。

そうでなければ結局、殿下ご自身をおしあわせにすることもできないのではないかと思っております」


美智子さんが帰国した10月26日。その次の夜に東宮殿下は早くも「結婚」という言葉で、正田家に申し入れた。

返事は「ご辞退」だった。

殿下の学友の証言、というものが「ある」のですが(後日、今上ご自身はこれについていささか違うよ、と発言しておられます)、ひどく落ち込んでおられる東宮さんに、友人の一人が見かねて、

「こういう場合われわれの世界では‘柳行李ひとつで来てくれ‘と直接ぶつかるしかないのだとお教えしたのです」

だったそうです。素直に殿下は従われて、4晩にわたったプロポーズの電話、結果。

殿下は、紅潮したお顔で、うまくいったよと仰った。

東宮殿下の愛の強さに感動なさったのか、美智子さまは電話の向こうで目を真っ赤に泣き腫らしておられた。と、どなたかが見ていて、どなたかに話したのですね。

後に美智子さまは・・・以下、そのまま書き写します。

「私は真剣に考えました。自分のことも、今後のことも。そして最後に残るものは、そして最も重要なものは愛情だけだと信じて、すべてにうちかつことができました。

 ただ、お受けするときには、殿下のお目を見とうございました」。


「ただ、お受けするときには、殿下のお目を見とうございました」

・・・・・。

言葉にこだわりご自身のお言葉に酔われるお方とは、感じ続けて参りました。

・・・これ、恥ずかしい。私には読むも恥ずかしい。

恥ずかしくない方が、お使いになり得るお言葉かと・・・以下のおひとことも。

「一人の男に深く愛されると、女って強くなるものよ」。

                                 ご婚約発表後、親友に。


とのことでした。殿下は男で、妃殿下は女。それはその通り、間違ってはおりません。

お間違いなど、おありになろうはずがございません。

平伏。



皇室の「椅子」の話。

皇室ヤフオク(3)椅子と笙の価格は?

   の「やまのこさんの記事中。『椅子』に関してだけ、少し・・・。

以下 ↓の動画は、今年の歌会始の儀の模様です。両陛下の椅子は違いますが、紀子妃殿下を筆頭に、今年初めての佳子さまがいて下さる画像・・・お座りの「画」もある、その、お座りになっておられると同じき 「椅子」 の話です。



この椅子は
国家の公式行事を執り行う表御殿は洋風建築で、
明治天皇、昭憲皇太后のお住まいになる私的な奥御殿は
和風建築で造られておりました。本品は、まさにその表御殿で
使用されていた「御紋付梨地椅子」でございます
木部:総梨地、金高蒔絵の菊花御紋章の数55個、
座面:西陣織の裂地(八弁宝花のビロード)今では幻となった
明治宮殿の壮麗さを残す遺物の一つがこの椅子かと思われます

東京・明治神宮にある「聖徳記念絵画館」にこの椅子と同じ型のものが
描かれております(参照「グラント将軍と御対面の図」「歌御会始の図」
「対露宣戦御前会議の図」「侍講の御進講の図」など)。
なお、明治宮殿では、通常、「黒漆」を使用していましたが、本品は
                   ↓ そうなの?
「梨地」であることから、皇后・皇太后が大礼服(マント・ド・クール)
をお召しの時にお座りになったものと存じます。
(とぷかぷ・ヤフオク説明文より)

・メール質問に対するトプカプの返信・
「実家がこういう品と関係していて処分している 
業者や収集家から商売として仕入れてない」


・・・と、言ってる。
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こちらの方が 豪華に見えますが お値段の差があり過ぎ。

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  歌会初めの写真とは「模様」は違うけど、
  古い物は・・・そっと売りに出る。  
  
  ヤフオクで公にしてしまうのは血筋か
  ボロを出す事に躊躇いが無い
  似ている・・・

およそ19万円と、265万円。


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とぷかぷ きくえい 共に(同一人物・ド素人又はド庶民)
※ 実家がこういう品と関係していて にしては多々に「雑」

2ちゃんにも書いてありましたが「売ろう」が見えない
「写真撮影」「説明文」 腹が立つぐらい「汚い画像」

これだけの金額を付けたのですから「お金」は欲しかった
どこかに「やばい」があるから全て取り下げた
2ちゃんねるに残っている・・・

■ ド素人は確定。 ■ 雑な人も確定。 ■ 物(ブツ)は持っている!

また・・・
   
-------------------------------------

誤解があると申し訳ないので! 追記です。

「銀座古美術ささき様」のお店は、銀座と世田谷で営業されております。
東京都公安委員会の許可(古物取引)は勿論登録済みです。
ささき様のHPやブログをご覧になれば、お分かり頂けると思います。

専門店の価格とは? 相場の基準としてご覧頂ければ幸いです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上「やまのこ」さんよりお借りして来ました。

失礼なことをしているのかも知れません私は。

それでも・・・お借りして来ました。

7年前に、皇室のさまざまな品を、オークションにかけて売り払おうとしたものどもがいて、騒ぎになったので慌てて取り下げて、そのまま口を拭って知らん顔しています。

表に出ているものは、知れた存在かもしれません。

いろんなものが、消えているようです。菊のカーテンの向こうで。


てくせとこんじょうのよろしくないヤカラが、何かをやらかして、それが「わかって」いて。

私も今まで、ドロボーに対して、大きな声で「どろぼー」と叫んだことはありませんでした。

この秋に、10月に、とりあえず「ヤフオク事件の時効が来る」と聞いて、また、お休み中の真摯だった方のブログから、勝手に記事をお借りして来てしまったのでした。

つまり、そういうことでした。無神経なことをして、ごめんなさい。

ドロボーたちは、のうのうとして、あそこにいます。

・・・・・ついムキになって書いてしまいました。

コメントへのお返事は、きちんと書かせていただきたいので、しばらくお待ちいただきたく存じます。

また、アップさせてもらいたいことが、いっぱいあります。










いずこのお雛道具にありにしや?


前回の記事の最後にあげました、ヤフオクにじゅっぱひとからげに出されてしまっていた、「大奥・お雛様のお籠」について。

第一回目の出品物。

2回目、3回目と説明の内容が変化しています。


・1回目の時は御紋から越前鯖江4万石 「間部家」 とあるのに

・2回目は、旧大名家、明治維新後の 旧子爵家ゆかり の大名調度

・3回目は、前回の質問の影響で少し変化

>保存状態も、とても200年近くたったお品とは思えないほど
>よろしいかと存じますが、一部に細かい擦れや補修跡等も
>見受けられます。何分時代のある中古品ですので、
>ご興味のある方、ご理解のある方

   ↓

>保存状態は、漆の剥がれや、目立つような傷も見受けられませんが、
>なにぶん時代のある中古品ですので、
>(質問の影響:「補修あと」)

後は同じ。
1回目の終了日時が7月 16日 22時 50分なので、鏡に映った画像の
ショートパンツ姿に納得。東京の5月はもう夏でした。

2008年10月30日から2chで大騒ぎになり、5年の間に
IDを変え売られたか、人から人へ売られたかも。

部屋の中で撮影しているのは「店」が無いから。
代金は振り込みらしいが、送料は全て宅急便(着払い)。
面倒な計算をしなくて済むからだろう。

細々と能書きを書くのは好きだが、事務作業は苦手らしい。
自分流の物差しで「価値」を判断するが、前後の計算が出来ない。
臨機応変に対応できると自信満々なのは、単にミスに気が付かないだけ。
かな!

                ※「とぷかぷ事件改方」さんから資料をお借りしました
                                            

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やまのこ さんのところから今日もお借りしました。

ものの値打ちも由来も良さも(同じ?)いっさいわからない。

〇家だのどんな家柄だのもっともらしいこと書いて、ころっとひっくり返して、なんとか子爵家の縁だの平気で書く。

嘘が当たり前、すぐにバレることも口から出まかせ、出自だって学歴だって、本当も嘘も無いその時その場限りのことを口から吐いてそれが普通、のヤカラのすることです。

ただ、換金が可能か否かにしか興味関心が無い。

そういうことです。

あのヤカラの家では、雛祭りの夜を、ほんのり、いわったことも無かった気がします。

女の子が三人の家なのに。

・・・民事とか刑事とか、衣通媛さんが書いて下さっています。・・・どうなのか、私KUONにもさっぱりなのですが。

「こういうことを思いついてしでかしたヤカラにとっては、身近にあるものは自分たちのモノ、古いしブランドロゴも入っていないし、ああツマンネ、ガラクタじゃんこんなの、こんなもの欲しい人がいるの? へええ物好き、びっくり~、なら、売っちゃいましょ、お金に代わるならめっちゃラッキー、ほれ、写真撮りなさいよ、高いカメラ使わなきゃ、ほれ撮って、あそこのオークションに出しちゃいましょ。」

なのかな。

でも、理屈を言えば、皇室にある品々は、国民のもの。国の財産らしいです。

それを、うっちゃいましょお、ランララン、とアレラが何かどうかして。

よく聞く「お訴え」ってものを、やられた方(民、とか~?)がしなければ、罪にもなんにもならないのでは?。

法律おんちのKUONは、少なくとも、こうして書いてはおりますが、お訴えをしたことも試みたことも無い・・・そのあたり、ゆっくり、調べることが出来るかな? とか、つれづれに思ふ、春浅き日のモーニングタイム。

今日も元気だコーヒーがうまい。

・・・もう暫く、半・お休み状態を続けさせて頂きます。







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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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