今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

虚空に向いた小エビの目。




むかしむかしでない、いまの話。

あるところの、お話。


弔いごとがありました。本家の大長老が、90歳で亡くなりました。

巨大な組織の長でもあった故人の跡を、甥が襲いました。とりあえずの定めにのっとったことであり、また、大きな利権の絡む組織のことではあって、長老の死、即、後継者決定の事態になった訳です。

付き合いも広いです。さまざまな人々が弔問に訪れました。

遠方からも、シュリンプと呼称される者が来ました。ツマは伴わず、一人で来ました。シュリンプは古い家柄の家の跡取りで、ツマは、クレイジーと呼称される一人をしか、持っていません。

亡き長老は、生涯に大量のツマを有しました。最後の時にも、最も幼い年齢では6歳、のツマを擁していた。国家が許容する最少年齢が、6歳なのです。

1人でも2人でも、好きなだけ、女を持ち帰ればいいと、かつて新婚のシュリンプが夫婦で来た時に、この国の男たちは、勧めてもやった。

が。シュリンプは「のー」と、申し出を断りました。ツマの耳にそんな話が届かなかったか気にして、おろおろ、きょろきょろと怯えて周囲を憚って、断ったのでした。

彼の目は欲しがっていたよ、シュリンプは臆病で嘘つきだと、後に、皆で大笑いしたものです。

あの時はシュリンプのツマが、純血種の優良馬を、褒めました。つい、見せてしまったのです。自慢の馬だった。

誉められれば提供するのが、この国のやり方です。馬は与えました。

惜しくは無かったが。海を越えて初めて来て、のうのうと馬を欲しがった女の顔は、贈り物をしたい、どれだけでも喜ばせてやりたい気分を、掻きたてる存在には、ほど遠かったのでした。

・・・そして幾星霜。

シュリンプは、葬儀に間に合わない来訪の仕方をしました。

仲が悪いとされている、シュリンプの隣国の弔問にも後れを取って、一人で来た。

頭髪をむき出しに暮らしている国から来た男は、かつらを用いている様子であったが。それは大した問題では無いのであるが。

何の冗談のつもりか、自毛と被り物が、くっきりと色分けされていて。

少なくとも「紳士」の見かけとは呼び難いモノだった。

・・・見なければいいのだ。

・・・気にせずいる。

そういうことだ、おそらく。

遠くから来た客である。帰るまでは客である。

客は。

前述のごとく、葬儀が終わってから、来た。葬儀の後は「休日」となる。

亡き長老の後嗣は定まったとはいえ。その次代についてなど、不特定要素がたんまり山積みされ、多くいる親族たちは、それぞれの腹に抱えたもの思いの整理を自らに課している時期である。

それだけではない。周辺状況もあれこれ。

呑気にヘラヘラ笑っているシュリンプの相手をしていたい者はいないのだった。

そうだ。シュリンプは、微笑みながらやってきた。弔問に。

あれは・・・東洋人の、微笑、というシロモノなのか。

とにかく、顔中が緩み切っているのである。

ぼにゃんぼにゃんにたるんだ顔面筋肉。薄い眉毛。頬の色つやも完全に失せている。その頬を、いっそうたるませて、あの男は来たのだ。

・・・長老に対する弔意は、示されなかった。

後継者に対しては「おめでとう」と持ち上げて見せた。

葬儀に間に合わず来て、悔やみの言葉よりまず「おめでとう」を口にする客が、存在するのだ。

単純な男である。本心が漏れ出ただけのこと・・・おそらく。

まあいい。言わせておく。

そして客は・・・シュリンプは、己のツマについて口にのぼらせた。

「以前、ツマと来たおりには、お世話になりました」

・・・・・また、呼んで欲しいということか。

馬を褒められれば馬を差し出す、そういう国だ。そこへ来て、ツマの話をそう出すか。

・・・シュリンプの周囲の実態は、知らぬ。知っていたところで、関係が無い。

ただ。

この男が再び、ツマを伴ってここを訪れることは無いだろう。

このたびのように一人で来ることも、無いであろう。

シュリンプ自身が気づいているかどうか。

傍からみればよく解る。一目瞭然、と、シュリンプの国では表現するか、この状態を。

はだかのおうさまであると揶揄されているというシュリンプ、貧相な憐れな威厳は皆無のこの男。

シュリンプ…小エビの、首と、胴体は。そのあわいのところで、ちぎれかけて。

ちぎれかけている。脆いものである、小エビの「クビ」部分などは。

辛うじてつながっているだけ、おそらく、虚空に向けられているだけの目には、見えまいこと。

この国の空の青さも、うつってはいないだろう、小エビの目には。







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カッコだけですが、何か。って。



3学期に入って、今では「遅刻」「欠席」の情報でなく、まれな登校自体がニュースになりそうな愛子さん。

本人のあずかり知らぬところで「ご優秀伝説」の盛り上げられた時期が、長くありました。つい最近まであった。今も、ひょいと、出て来そうなものではあります。酷い話だと私は考えています。

お母さんの雅子さんにも「優秀伝説」が盛り上げられていました。結婚報道当時、ものすごい才媛であるとのふれ込みでした。

皇太子の妃となる女性。賢くしっかりして、ごゆっくりさんの皇子さまを支えて頂きたい・・・と、皇后陛下ならずとも、お望みになったことは難くない。

皇太子妃の候補者は、たくさん挙がりましたがどんどんと消えて行かれ・・・ここにも、雅子さんの実父であるオワダ氏の力が働いていて・・・雅子さん入内は、大きなプロジェクトであって・・・それでも、ご自身のご決意も固くお残りになられた方も、おられた。今も惜しんで語られる、Kさん。元華族の出の、地道で優秀な方。現在はお医者様です、その方を、ずいぶん(30歳直前まで)、お待たせしたまま、結果は雅子さんに風は向いた。

「あちらの方が、おできになるから」

皇后さまが、そう仰ったからかどうか、昭和天皇は反対なさった相手、オワダさん、いったんは浩宮に「あの方はダメ」と言い渡されたオワダ雅子さんを、昭和帝のご崩御間もなく「オワダサンではだめですか」と。

再び皇太子が言いだして(ハニートラップがすんなり効いて)、両陛下は「皇太子の望むようにしてやって欲しい」と、

なったそうなのでした。

オワダさんを反対した当時の後藤田官房長官は、

「御所にムシロ旗が立つ」

と発言。雅子さんの身元調査を進めていて、父方の3代前の「金吉」とやら以前がわからないままいた宮内庁に、

「身元調査は人権侵害である」

と。部落解放同盟の突き上げがあり。結局、オワダ家の3代前は不明のまま。

皇族の結婚に際しての・・・次代をもうけるのが、妃なれば最大の「つとめ」なので・・・女性が受ける調査も雅子さんは、プライバシーの侵害として拒み。

お妃教育の「神道」は英語のテキストで、と望んだ雅子さん。

英語は、達者だからよしと、受けることさえ省略された。

茶華道は「意味がわからない」と、指導者の呆れかえる中、席を蹴るように中断、そのまま放擲。

和歌も当然、途中で放擲したが、これは代作の効く世界ではある。


雅子様優秀伝説

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目に編入。

高校生の時、両親は、長女の雅子さんだけを伴ってアメリカへ。双子の妹は「学校があるから」日本へ残された。雅子さんにも、学校は、あったのですが。

あったのは素行上の問題。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。

当時ハーバードで客員教授をしていた父のコネで女子部のラドクリフに入学。これが「ハバド出身」の根拠。同じラドクリフ卒のケネディ大使には会おうともしない。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。彼は5歳上だった。宮内庁も握っていた=握りつぶした、トップレス写真を撮られる。 このカオ氏は後に殺害されている。

卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達= 一学部生の卒業論文に普通関わらないような財界人(糠澤和夫・真野輝彦・榊原英資)が卒論作成の手助けをしている。
 http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070404115228.jpg

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。

1986年4月~1987年3月中退:東大法学部(22~23歳)

→3年次編入のため、共通一次試験も通常の二次学科試験も受けていない。

小和田恒は *東京大学の非常勤講師として25年間にわたり* 国際法、国際機構論を教える。(1963-1988年東大非常勤講師) 現在ではなくなっている「コネ」入学。当時それがあったのなら、その恩恵を受けた者もいたのだろう。

 ソース=http://www.nyulawglobal.org/events/dfls/DGFOwadaBio.htm

授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退。これが「東大卒業」の実態。

父親の力の及ぶ外務省に、これもコネで入省。

=2000年度まで行われていた外務公務員I種試験は、
 通常の国家公務員I種試験と異なり、強力なコネ枠と言われる。

外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。

仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
周囲を気にしない傲慢な態度だった。

しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。 コピー番長と囁かれていた。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。

オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。 1300万円ほどの国費の投入されたヒトではあった。=「オクスフォード卒」と、これでも言う。

米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。中の一人・O氏は後に、イラクで殺害されている。

皇室に入内後は父親の影響が及ばず、すぐに引籠もる。

普通の会話が、日本語でも堪能とされた外国語でも続けられずパーティーでは壁の花。 =婚約時は英語フランス語ロシア語に堪能とふれ込まれた。韓国語も含まれていたか?。

人にものを頼むときに「May I・・・」や「Would you・・・」を使うという初歩の初歩ができない、と、きっぱり指摘されています。


上記は、日本のメディアが触れなかった「おわだまさこ」さんの独身時代、に関してです。

皇太子妃としての役割を果たして下さっていれば、過去の経歴や学歴はどうでもいいようなものです。

当人及び擁護する有象無象が、役割を果たせない言い訳としてありもしないことを言いたてて来たので、こうして何度も持ち出すのです。

雅子さんは、単に「勉強があまりできないひと」なだけでなく、入内前から精神的な何らかの問題があったと思わざるを得ないのですが、ごり押しで皇室に入り込んでしまった。

皇太子との初めての出会いも、追いかけて行って既成事実を作って見せた「コルマールの夜」も、皇太子をワゴン車に押し込んで鴨場に連れ出し、そこでプロポーズ・・・のことも、うさんくさいこと限りない話は山盛りあるのですが、つまり、父親主導のことではあった。ナルさんは、ただ、自分だって恋をしている、と、夢見ごこちでいただけかも知れません。

以下の動画は過去、何度も貼ったものですが。

動作、目つき、腰のあたりの感じ。未婚の、きちんとした暮らしをしてきた女性にはとても見えません。

最後の方で「誉めて」おられるお友達だと言う女性も、父親関連での「限定期間つき・友達」。

見るたび、やられた~~感がこみ上げる雅子さまでいらっしゃいます。




・・・婚約なって、オワダ両親と雅子さんが「墓参り」をした、その、有名な「墓」の話。

「小和田匡利」とフルネーム(?)の彫られた、右へ傾いた古そうな墓石の、下。台だけが新品で、据えられているのがどう見ても、よその墓と墓との通路、隙間っぽい。赤い蝋燭が三本立てられmいわゆる「墓花」らしくない背の高い洋花が一対、突っ立ててある。

その墓の前で、サングラスをした有髪のお坊さんが読経をし(多分)、雅子さんも両手をおへその前で合わせているが、手は、大地と平行の形の合掌で。

お念珠が無い。

生まれて初めて墓参りしたような、小和田家。

小和田匡利が何者であるかは新潟県村上市の小和田本家も分からないということで(結婚の時に、うちとは関係ないとご当主が明言されている・普通なら名誉なことと思われるのだが)、恒の父方家系は全く辿れないのが現実である。

毅夫の父親は、現在に至るまでその人物像に不明な点が余りに多すぎる小和田金吉である。毅夫がごく幼い時期に金吉は亡くなっていて、その生活に大きな苦労があったことは容易に察せられる。しかしその苦労がトラウマとなったのか、自らが学校長となったときの振る舞いに疑問が投げかけられている。

時代が下り、毅夫の孫娘である雅子が学歴ロンダリングで箔をつけ、ついには皇太子妃にまでなってしまったその原点は、恒を育てた毅夫に見ることができると言っても過言ではないだろう。

小和田毅夫氏は雅子夫人の父方祖父であり、小和田恒の父親である人物。

教職に携わっていた人物で、息子恒らが通う高校の学校長を務めていたこともある。小和田恒については新潟県立高田高校百年史にも記録が残る「13票」の逸話が知られるが=生徒会長に立候補しての得票が13票だった=、そこまで人望のない恒が卒業式で総代となったのには当時学校長であった父毅夫のバックがあったからという見方が有力である。

県立高校の校長として、優秀な学生に支給される県からの奨学金に自分の高校の生徒を推薦、
それが た ま た ま 自分の子女 全 員 だった。安月給だけをやりくりして入れたわけではない。

小和田恒含む6人の兄弟も、結局は人の金を貰いながら大学進学。父親の推薦で。

小和田毅夫の広島師範学校は新潟県村上市の士族出身が受け取る鮭の養殖講の奨学金で。

(毅夫は2才で父親と生別、その後すぐ父・金吉は死亡、母・毅夫・妹は村上市以外の実家に身をよせて
住所も村上外だったのに、申請して支給されている)

利用できるものは利用する、合理的思考が小和田の血に流れているのでしょう。


以上、ある意味、頑張り屋。立志伝中の人物として描かれてもいい、ような、祖先をお持ちのようですが。

そうはならなかったのが、小和田家。

利用できるものは利用する、合理的思考が小和田の血に流れているのでしょう。

頑張った祖先を持ち、子孫の中から皇太子妃までを輩出している。そのオワダさんチが、全員優秀であの時代にすべて、大学を出た。その小和田家の、お墓が、いま、どんな風になっているか、取りざたされない。

雅子さんが「出世」しているのに、ご親戚方面の話も無い、母方の江頭家の祖父母とは親身な様子でもあったが、父方の祖父母は、晩年を老人の施設にいて、孫娘が「あの」雅子さんだとは、結婚の前後にも、施設の職員も知らないままだったと言う不思議な話。

小和田家の墓は前述のごとく「存在」したようですが、江頭家の墓に触れられたことは無い。水俣方面の恨みをおそれて、と、かすかに聞いたことはある。それだから隠すなど、水俣の患者さんを貶める噂だとは、感じました。

あの有名な飼い犬のショコラちゃんでさえ、留守になる家に残して放置、ショコラちゃんは餓えて、渇いて、の最後だった。不要になったものは捨てる。それが平気でできる家なのね、と、私は考えるが。それも「合理的」なのかどうか。

天皇陛下には口答えをし、両陛下を訪問する夫・・皇太子に腹を立てて、のりこんで行って連れて帰った、と。なかなかに勇ましいおキサキさん。新年のバルコニーには出て来る。陛下の誕生日にも、車の中から参内する様子を撮らせる。それ以外はほとんど、何もしない、どこへも出てこない。静養はする。年に何度も静養する。妹家族や自分たちで選んだ友人(とりまき)も伴って、支払いのすべては持つ。東宮家が。いや、国民が、です。

・・・去年、愛子さんが武蔵野御陵を参拝されたと、大騒ぎして報じていました。玉串の奉奠がおできにならなくて、ちぃっと困った動画が、流れてしまっていました。初めての、曾祖父天皇のお墓参りでした。

東宮家のお子さんが、中学生になるまで、お墓参りをしておられなかった。

いまの皇太子家は、そういう家。鳥居をくぐれないと長く云われて来て。去年は、何に追い詰められての事か、伊勢の神宮で鳥居も親子三人、くぐっていました。

潔斎無しの参拝だった。

潔斎無しに、参拝されたそうです。

そんな東宮家の参拝に、大宮司は、お付きになられませんでした。

参拝にあらず。との、ご判断でしたか。大騒ぎして行ったのでしたけど。

貪られたとかの伊勢海老カレーなどが、取りざたされて。暑苦しい夫婦。

そういうモノが、東宮御所で、殿下妃殿下と呼ばれています。

何を言いたいかはっきりしませんが。気持ちの悪い話なんです。

今日は、今は、ここまでとさせていただきます。記事の参考にさせていただいた各氏にはお礼を申し上げます。


しかし、今回の皇太子のサウジ行の際に、見送り出迎えの無いあの方の[雅子さま」の「ま」の字も、出なかった。

皇太子さんは、一人であることが「当たり前」のようでは、ありました。








・・・の。



今日はハゲしく仕事をしていまして。集中と弛緩、が、テーマです。

合間に何度も、この動画を拝見しておりました。

このままに執り行って欲しい。省略だめ、です。

つい、軽く書かないでいられないくらい、胸にこたえる…今上陛下ご即位の礼の一部です。







モノが、消える。



先週末、1月24日。土曜日。

皇太子さんは、一人で鎌倉・鶴岡八幡宮を訪れた。

後に動画も紹介させていただきますが、ものすごい警備の数。バイクがどれだけ台? 車の数だけで20台以上。

これに関して知らせて下さった方がおられます。ご迷惑のかからないよう、引用をさせていただきます。


「昨日、あの方が鎌倉訪問をなさいました。

(略)数日前から来訪の事は聞いておりました。

理由は神事としか聞いておりません。

「土曜の午後という観光客で混む時間帯に、山に囲まれた狭い道路を規制して、何を考えているんじゃ」「仕事もしないくせに」という声が、道路わきで待たされた方々や、観光客の中からも聞こえた。

後で知って驚いたのと同時に、皆さん分かって来たんだなあと思いました

もちろん、道路も塞がれたし、八幡宮には弓道や剣道、柔道、合気道の道場があるのですが、

その道場は全部使用禁止だったそうでしたよ。

土曜しかお稽古に来られない方々にはお気の毒だったとの声も聞かれました。

私はなんとない形で耳にしただけでしたが。

お天気も予報では晴れでしたが、どんより曇。前日も変なお天気で気持ち悪い風が吹きました。清浄な鎌倉の空気が汚された様です。



・・・教えて下さり、ありがとうございました。

皇太子さんは、ノートパソコンだかカバン(!)を、お持ちだったそうです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


鎌倉三代将軍・源実朝に対して、関心を抱き続けています。

実朝の「うた」が好きなのです。

あまりにも有名なうたに

     箱根路を わがこえくれば 伊豆の海や おきの小島に 波のよる見ゆ

     大海の いそもとどろに よする波 われてくだけて さけて散るかも


上記2首があげられますが。

     ときにより  すぐれば民の  なげきなり 八大竜王   雨やめたまえ

このようなうたも詠んでいる。

私が最も好きな一首は

     もの言はぬ 四方のけだもの すらだにも あはれなるかなや 親の子を思ふ

このうたです。実朝の母は、北条政子。

北条政子のような女性を母として生まれて、12歳で征夷大将軍につけられ、28歳で暗殺された、青年・実朝。

好きと言ってもなかなかきちんとした学びにつけず、時にうたを読んで、ほおっとしているばかり。

おそらく自らの夭折は自分で知っていたであろう実朝にいわくの深い、鶴岡八幡宮の大銀杏・・・などと想えば、何年か前に倒れた姿は衝撃的でありました。

一度、行ってみたい。そんな場所はあちこちあって、本気で腰をあげることもしていないのですが・・・


カバンを下げてどこかへ出かければ即ち、疑いの目の向けられる。皇太子の立場の方がカバンを自分で持つ必要は無く、お持ちだったことも、かつては無かった。

何を持ち出す、どこへ持ち出す、持ち出してどう処分する。

げんざいの、実際の東宮殿下が、国の宝物を多数、売り払った話は、悪意を基とする「疑惑」ではありません。

「ヤフオク事件」として、動画にしっかり残されており、オークションにかけられた経緯や引き下げられた時期やも明確なものですし、一点一点の写真も、あきらかに存在する、残されている。

このことがずっと放置されている事実があるから、皇太子が京都へ行った、鎌倉へ行った、となると、知る人は皆、耳目をそばだてることになります。

冷静に考えてみると、異様だの異常だの、そんな生易しいことでない。と思いつつ。

時は流れ続けているのでございます。

憧れの鎌倉。

ナルさん、何をしに行ったのかな。銀杏が倒れた? それ何ですか? ぼくたん、そんなこと、知ったことではありませんよ。復活し始めている? ふうん。ボクは苦労をしているのに、いい気な銀杏、って。感じぃ?。

なるほど。

空気を汚しに行ったのね。

こぎつねは手袋を買いに、ナルさんは鎌倉を穢しに。


この↓動画も、ご覧になっていただきたいです。



ラスト部分。カメラを構えている姿が、撮影対象品に移りこんでいる、この人物。

カメラの構え方、前髪のデザインが、あるお方に酷似している・・・控えめに言ってみました・・・こともあって。

ナルさまは、皇太子の御身でありながら、どろぼー。などと、呼ばれてもおいでなのでございます。

雅子ヒのテイアラも、揃いの首飾りも皇太子妃に託される品だと言う大粒のルビーの指輪も。動画内に存在していた、昭憲皇太后より雅子さんに渡った「扇」。これも、公式の場にはずっと、出て来ていない。

東宮御所では、モノが消えるのです。

小さめのブラックホールが備わっているのかも。

お浄めが要りそうです。






廃太子・廃妃を。

皇太子さまが、23日に亡くなったアブドラ国王の弔問のため、サウジアラビアに出発されました。

皇太子さまは、25日午前8時すぎにお住まいの東宮御所をお一人で出発し、町村衆議院議長らに見送られ、羽田空港から政府専用機に乗り込まれました。皇太子さまは、結婚後に雅子さまとの初めての外国訪問として1994年にサウジアラビアを訪れた際、当時、皇太子のアブドラ国王が空港で出迎えています。また、当時のファハド国王との懇談にも同席するなど、その後も親交が続いていました。アブドラ国王は23日未明に90歳で亡くなり、新しい国王には異母弟のサルマン皇太子が即位しています。皇太子さまは26日に帰国される予定です。


ごく普通のダークスーツ姿で、常のごとく ニヘラニヘラ にこやかなる皇太子さまスマイルを顔面に装着なさって、お出かけにおなりあそばされました。

日曜日の朝、8時。夫人もお嬢さんもお見送りに出られず。自室ドアのそとには「ドント・デスターブ」のプレートが?。

否。そのごときものは必要とされない、安定した「朝は起きません」状態が、この朝も淡々と訪れていた、だけのことでしょう。

海外へ出張の父親を、専業主婦のツマも一人娘も、見送りに出ない。それだけ大切に遇されていない「ぱぱ」であることの、珍しくも無い露呈の朝。

時代遅れなことを不図。思いつきました、こんなこと。

その昔は、お伊勢さん詣でをするにも、水盃を・・・。

言うを憚る事実ではございますが、この、皇太子さんの御出立に際しては、さまざまなサイトで、さまざまな「行ってらっしゃいメッセージ」が。

空の旅。何が起きるやわかりません。・・・など、不図。いて当たり前、ではないですよ、ATM夫は。


・・・・・ともあれ。かつて、さんざん恥をさらした国へ、このたびは単独でお出掛け。

「シュリンプ」殿下の妃は「クレイジー」との評価の定まったる現在。

独りで、とことこと、大男に混じって「何かして来る」彼を、どのような[温かい]視線が、包んで下さいますのか。

カップルが基本の公の場で、ツマはいるのに一人のナルたん。

あのう。

ナルさんが恥ずかしいのは、それはもちろん「イヤ」ですが。

日本の国の、あのお方が、あらゆる意味の「すたんだーど」だとは、思われたくない。あのごとき男性ばかりでは、ございませんのよ。決して見かけだけのことを申してはおりません。

せめて「日本の皇太子」の存在の香りを。

最低限、見栄を張りたいKUONです。

で。同行するのが、福田・元総理。何かあるのか何も無いのか、とても不穏な胸騒ぎ。

国と国とのお付き合いに、二人揃って出向けない公人カップルは、不要、迷惑と。

また、好きでないタイプの言葉を置いてしまう羽目になる。

KUONが悪いんぢゃない。

アレラが悪いの。だからKUONのココロが汚れるの。

そうだったらそうなの!    

・・・と、良い子(誰?)も他×主義に…他罰主義に巻き込まれる(この言い方もどうかと思いますが・恥)あの、どうでもいい、を乗り越えて、国益に絶対的に反する存在に成り下がった皇太子夫婦を、廃していただきたい。





引き取りに行ってあげる。


    捜索は打ち切られたり この世にて会ひししあわせをその妻の云ふ


世界で初めてマッキンリーへの冬季単独登頂を果たした後に連絡が取れなくなって。

冒険家・植村直己さんの命日は、登頂成功の翌日・1984年2月13日頃。となっています。

2度行われた捜索活動が打ち切られたことも、テレビで知りました。

男の偉業も気になるが、そのうしろにいる女の気持ちも私は気になります。

植村さんの奥さまは、幾つか年上の方で、自宅で書道を教えながら、夫を待っておられた。お子さんはありませんでした。

地味で小柄な、柔らかい微笑の女性だったと記憶します。

捜索がもう終わり、となった時だったと思いますが、奥さまは、お世話をかけた皆様に感謝します、との挨拶と共に、

「この世で、あの人に会えて幸せでした。」

のようなことを仰ったのでした。

果てしない氷の大地を一人で走破して。生肉をかじって、凍傷だらけになって。

激しい日々の中から帰国して、奥さまのところへ帰って植村さんは、大きな図体して、

「公ちゃん、公ちゃん」

と、甘えておられたそうです。公ちゃん=キミちゃん。公子さんというお名前でいらした。

二人にしか解らない「しあわせ」がおありだったのでしょう。・・・つい、うたに詠んだのが冒頭の一首です。

思い出したので掲げてみました。


もうお一人、ここ数日に思い出していた女性のこと。

2004年5月、イラクで、誤射だったと言われますが日本人ジャーナリストが、同行の甥御さんもろとも銃撃を受けて亡くなった。

橋田信介さん。62歳でした。

ちょうどその頃、橋田さんの著書を何冊も、読んでいた時期でした。

「戦場の黄色いタンポポ」「戦場特派員」エトセテラ。

大好きな漫画家・西原理恵子の、戦場カメラマンだった夫=途中で元・夫に降格(笑)=との迫力共著「アジアパー伝」シリーズにも、橋田さんがちょくちょく現れる。いわく「民青あがりのおっちゃん」「回転寿司屋でにこにこ、資本主義的気遣いで、お会計は沢山カセギのある当方で、と申し出るのに、共産主義的対応でハシダさん、ああそうですかと即答。にこにこ」、こんな感じ。一番稼げていた分のおカネは日本〇〇ニュース社にダマサレて巻き上げられて、と、酔うたびに泣く・・・とか。面白かった。

西原・元・夫の鴨ちゃんは、橋田氏の弟子だったのでした。弟子だった当時に鴨ちゃん、ポルポト軍に拘束されたりしていた。

前置きが長くなりましたが、とにかく橋田さん銃撃死はショックでした。

夫人の幸子さんがカメラの前に出て来られて

「覚悟していたから」

遺体を引き取りに行く、と毅然と言い放たれたのは、鮮烈でした。

ぱきっと美しい女性で、泣きもわめきもせず、笑顔ですらあって、夫を引き取りに行く、と。

「あなたはそうしたいのだから、戦場へでもどこへでも行けばいい。

わたしは、あなたが死んだら、どこへでも引き取りに行ってあげるから」


夫君とはそんな約束をしていたのだと、実際に行かれたし、頭部を撃ち抜かれて亡くなった橋田さんの血痕の残る帽子が遺されていたのを、示して、可愛いでしょ。つぶやいていた。

日本人はおそらく(私の感覚ですが)こういったタイプの女性に慣れておらず、どう扱っていいか戸惑いがあった様子で、やはり、

「夫が死んだのに笑顔だ、誇らしそうでもある、全く悲しんだ様子ではない」方面の叩き方も試みていた覚えがあります。

夫人はその後、橋田さんが約束していた、戦傷で失明しかかっていた男の子を意志を継いで日本へ招き、手術は成功した・・・のだったと思います。

詳しいことや、その後の夫人についてはともかく。

橋田さんは、手元に残った自分の著書の、表紙をめくってすぐの白紙の部分に「遺書」を書き残しておられた。

当時、その全文を読んだのですが、今は資料も無く記憶も朧になっています。

覚えているのは、妻・幸子といて、自分の人生は幸せであった、と記されていたこと。

はじめてのきすのこと(いいオッサンの年齢になっていてのこと・彼には再婚で得た奥様でした)や、妻が息子を産んでくれてその子が、カーテンの揺らぎの下ですやすやと眠り・・・のごとき、優しい静かな情景の描写のあったこと。

「あなたはしたいことをすればいい、どこで死んでも、私が、引き取りに行ってあげる」

・・・そう言ってくれる妻に、どんな深い思いを抱いておられたかなあ、と。


「共白髪」は叶わなくても。どちらのカップルも十分・・・、と、考えていました。



・・・今の段階では、凶暴な集団にとらわれていると言う日本人のお二人がどうなったか、わかってはおりません。

わたしはお二人に、初めから共感、共鳴の思いを抱けないでいるのですが、耳に入るどんな話も、なんだかなあ。

植村さんや橋田さんを、むやみに崇め奉る気も、無いのですが。








はばかりのない、ばかで。



1月某日。

東京・某所。日本画の専門美術館として名高い某美術館を、一組の夫婦が訪れた。

夫婦も、言ってみれば知らない者はまあ、無いであろうという二人。であっても、余人に知られ、常に見られていることが、いかなる意味のサムシングをも生み出していない。行き遭った人をして「ああ、これが、あれ」、程度の感慨以上の揺れを抱かせない辺りにいささかの、ヒトの世的寂量感がある、と・・・書いて欲しいヒトが、いるかもしれない、見てもつまんない、こんなの・感の尋常でない二人連れである。

訪問の予約はなされていなかった。いつだってそうなのだ。どれだけ言ってもわからない、類の二人連れなのである。

・・・見てもつまんない・感のみ横溢の夫婦を、一応は恭しく対すべき相手と認めて迎えに出たは、美術館の館長なる女性。

この美術館の創設者は、実業家であった祖父。父親から、専門の知識も無い者に継がせるわけには行かん。と明言されてそれはそうだと得心、もう一度アタマが捩れるくらい勉強をし直して、というエピソードを持つ知的な風貌。和風の美貌の持ち主でもある。美貌以上に、内面に秀逸なものを秘めいること誰の目にも明らか(と、書かれるよう)な女性である。

館長は、夫婦を、開催中の展示会の目玉とされる巨大な作品の間へ案内する。

没後15年を数える大家の作品の前である。

館長が一歩引いたあたりから、何やら説明を試みる。優雅な身のこなし。

ツマとオットは、耳を館長に貸すそぶりは、互いに不自然でない合わせようながら。

夫は頑なに絵画の方へ視線を向けたまま。小刻みにうなずくことで、

ぼくたん、それは知っているんだよ。言いたければ、もう少しなら、聞いてあげてもいいよ。

寛容って大切なことって、子どもの時に、ええと、誰かオジサンから聞いて、それを覚えてるのさ。

ぼくたんえらいの。人々はひれ伏して当たり前なのに、ひれ伏さないよね、だけど許してあげてるんだよ、あー、なんてエラいぼくたん。

の、サインとしている。

このオットはかかる場面に置かれること多い人物であり、目を二つ、作品の方に向けて時間を費やす術には、それなりに長けている。

ツマはもっと正直である。感情の露出のあけすけな模様は、あどけないと言っていい。いや、いけない。あどけないとは、もっと本当に対象があどけない場合にのみ、使用の許されるべき言葉だ。

かつて高村光太郎が妻・智恵子に贈った詩の、一節の中にあるように。

・・・(3行上↑に、不用意に用いた「あどけない」は、「あどけないさん」に謝罪の上、無かったコトにします。
  してね。お願いしますよ。)

このツマを評するにふさわしい言葉・・・。う~む。わかった、あられない。これで行く。

あられない態度。これであった、妻の視線は。

館長の存在が気になって、なってなって、なってしまって。胸中に噴き上げる、なんなのよこれ、アタシ聞いてないし~。。

以下、この色の文字は、あくまでブログ主の想像内の、ツマの思いの表白です。創作と言って過言でない。どれだけ壮大な創作をしたところで、このツマの「履歴書」一通の内容を超えることなどは、不可能。

んもおお。説明なんかどーでもいい。絵もどーでもいい。だって、この絵描きの書いた、同じみたいな色遣って描いた絵、ウチの家にもあるもん。

別に珍しくもない、舅や姑の家にもあるわ、こーゆーの。だから別に、見なくていいし。

見たくも無かったんだけど。

アタシ。

知らなかった、ここの館長、この若作りのオンナ(創作で~す)何なの。なんで、女なのに館長なんかやってるの。どんな手を使ったかわかりゃしないわね、おっさん転がし上手そうだし。男は着物の似合う女が好き。ばっかみたいだけどそれ本当。この女、似合いそう。あんな合理的でない物、よく着るわ。アタシも押しつけられて持たされたけど、もう無い。要らない物。着ないわよあんなもの。

チラ。チララララ。(ツマがかつて、自分のオットのキサキ候補の第一号だったという館長を、上から下まで見倒している、目の、目玉の動き回る音。

なになのよ。なになのよ、何なのよ。どうして黙ってたのよ、今まで皆、このアタシに。この〇ビだってさ、シルクハット持って歩く姿勢が素晴らしいとか、わけわかんないことばっか褒められてね。他になああああああんにも、無いからね実際。当たり前なハナシ万年独身でさ、誰にも見向かれなかったコレの、ツマになってやったアタシに。何か隠していることとか? い~や、それは無いわね、このオンナ(創作です!)、何をどこで誰とやってたって(創作。ヒトは自分を定規にモノゴトを測るモノ。愚かなれば愚かなほどに)。

美人? そうなのかしら。だってアタシみたいに気苦労も無いだろうし。干渉される苦労も無いわね。

ふううん。なんか、いろんなこと知ってるのね、ひけらかして喋って来てるわ。

コレはどうなのかしら。昔はちっとでも、気持ちが動いた? そんなの生意気だわね。コレ、でもどうして、絶体に彼女を見るもんかって態度ね。

意識してるの? アタシに叱られるかって、予防線張ってるの。ふん、バカだわ。

アタシが、こんなオンナ、気にするはずが無いじゃない。聞いたから気になって、見に来ただけよ。それだけのこと、別に、どうしても、でもなかったんだけど・・・。

パッとでも目が合って、ニコッとでもしたら、家へ帰って尋問してやろうかな、だったけど。

絶体、見ないし。背中がっちがち、固まってるじゃない。これで平静なつもりよ、ほんとに〇カ。ほんとに、コレにアタシはもったいないって話よ。背中固い、フン。何年ぶりに会ったのかしら、どうでもいいけど。

このヒト。

ガチガチに固くなってるのは、肝臓だけで十分。生意気なんだわとにかく。

ちらり。じろじろじろ。いい化粧品使ってるわ。別にカンケーないわねアタシに。

ま、昔の、周囲がしたことなんか気にするアタシではないわ、寛容よ、許してやるわよ。だって。

アタシを誰だと思ってるの。

アタシは、皇太子妃殿下よ。(創作ですから)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皇太子ご夫妻、東山魁夷展を鑑賞 山種美術館で特別展

皇太子ご夫妻は19日午後、東京都渋谷区の山種美術館を訪れ、日本画家・東山魁夷氏の没後15年を記念した特別展「東山魁夷と日本の四季」を鑑賞された。

 東山氏は日本各地の自然と風景を詩情豊かに描き、皇居・宮殿「波の間」の壁画「朝明けの潮」や、皇太子ご一家の住まいの東宮御所「日月の間」の壁画「日月四季図」を手掛けた。特別展には「春を呼ぶ丘」や「北山初雪」などの代表作が出品された。

 ご夫妻は担当者の説明を聞きながら見て回った。「満ち来る潮」を前に皇太子さまは「きれいな絵ですね」と感心し、雅子さまも「作るのにどのぐらいかかったのですか」などと尋ねた。



いま、読みなおして笑ったのですが。担当者って。

気、使われたのですね、周囲の皆さま。

実力のある美術館長として評価の定まった、この方が説明されての絵画の会など、盛況とお聞きします。和服もお似合い。父方、母方、共に立派なお家のお嬢さん。浩宮殿下のお妃候補に早くから名のあがった方だったのは事実とのことです。

聖心に通う中学生の頃に名があがったとか。高校は慶応へ。一時期はアメリカへ、と、忌避をお続けで、慶応と東京芸大をそして、ご卒業。

ご縁が無かったのか他の何かも無かったか、東宮妃にはあがられませんでした。よかった、とか、言っても、いいのですよね、きっと。

雅子さんは、まったく愛情が無くても嫉妬だけは出来る、という。そういった女性の顔を、あからさまに動画に撮られていて。まったく憚りなく「ばか」なのだなあ、と、そんな感慨を持ちました。ナルさんは、彼女を、一顧だにしないという苦行を遂げられましたが。

どちらにしても、奥さんに、ネチコチ、やられた気がします。ヒマ、たっぷりあるし。清涼な気はみごとに感じられないご夫妻です。







みずから滅びゆく者よ。

「皇太子妃をやめなくてはなりませんね」

かく仰せにおなりあそばせられらのは、だれあろう、現皇太子徳仁殿下の御妃。

雅子妃殿下にてあらせられまする。

誰がそんなこと聞いたんだよ。言う訳ないじゃん。

言う訳ないじゃんって言ってもね。

雅子さまがそお言ったって。雅子さま本人より「雅子さまの真実」を知ってる人が、言ってるんだから。

そのライターのヒトが、雅子さまの真実のスベテを、請け負っちゃってるんですから、一般のフツーのヒトなんかが疑義を呈したってどうにもならないんだから、べぇえってとこで、あのあたりの話は成り立っているの。

成り立っているんだから認めなさいよ、認めるためには買いなさいよ、って本が、出る。そーゆーことなのでござります。そうなんです。

タイトルは・・・あら、タイトルを控えたメモが・・・どこかへ消えました。ビロウな話ではありましてもワタシのリアルな現在の真実。尽きることなきはなみず処理したテイシュの山に埋もれているのか、パン屋のレシートの裏に記した・・ごめんねパン屋・・・・・ゴミ箱さんが食べた? 自分自身が生み出した使用済みティシュの中には手を入れられても、それが、あのライターの本のタイトルを記したメモを探すため、というのでは。

せっかく下がった熱もぶり返すというもの、そんなこと、イヤだ。

奇跡のように効いたインフルの特効薬。私のは、イナビル吸入粉末剤でした。それと、常用しているクマザサだのニンジンだのの濃縮液を、多い目にカラダに入れてやった。そうしてインフル問題の早期解決を願い。

まだ実は解決済みではないが(頭は痛い重い鈍いの三重苦)どうしてもこれ、書きたい。

・・・雅ドンの真実を、ずっと隣の部屋の監視カメラからリアルに見続けたように描写し続けた続けた女湯盗撮ライター(この文言、ここには書けますがコメント欄に書いたりするとスパム認定されたりしてしまいます)

友納尚子

の本が出ます。価格は1500円プラス税金。2015年1月28日発行ですと。

今は完璧に東宮寄りであると認定されている、長官が例のカルトのヒトである宮内庁。その宮内庁でさえが、あまりなことであるとクレームを出した(出さざるを得なかった)陛下への悪意に満ちた捏造記事、週刊文春誌の、かの誌ではラストステージになった(と思われた)友納尚子のプリンセス雅子の掲載記事をまとめた一冊。

文春誌の,クレームへの対応は「しっかりした取材の上での記事である」のみ。取材して書いたのはトモノーナオコ、自分のところのモノではない。週刊誌はある意味、場所貸し業。ページ相応のお金をもらって、記事や広告を掲載する。文春は商業誌です、売れることが、イコール、是であります。

そうでないところも、探したり見つけたりするのですが。先日買った号のハヤシマリコの扱いは酷かったです。

林真理子でどれだけ売らせてもらって、あの扱い。私は初期から中期の初期以降のハヤシマリコ、好きではないが。面白く楽しく読んだ時期もありました。ブンカジンになると、ヒトは変わるのですね。育ててやったつもりの誰かがのし上がると、叩いてもいいと勘違いするヤカラもいます。

と。どんどん脱線しております。

友納氏のこの本に付いて思うことは山ほどあるが、未読であるし、読んでもいない本のワルクチなんて、そうそうは書けません。

発行元は売りたいので、一部、出して来ている。

目次でいうと最初の、幸せの黄色い・・・ここで既に、腹が立ったわたし。

なんか汚された気分。ワタシの気分なんかはともかく。


平成5年の1月、オワダ家で、ピンクとイエローの2着のドレスを前にデザイナー女史、母親、妹の一人と雅ドンが、幸せそうに会話を弾ませ、云々。そこへもう一人の妹S子さんが来た,微笑みながらそっと、通り過ぎた、と描写されておる。そこに、父親も帰って来て混ざって、となるのですが。

壁に、書家の小川東洲の手になる「優雅礼節」の4文字が、と。

すっごいセンスやなあ。恆のジマンはこれ、このツマとムスメたちなの・・・優美子雅子礼子節子。名前負け? いや、そんなことは・・・・とにかくまず度肝を抜かれます。そこから始まる・・・のかな?。

好奇心をそそられても、買いたくないな。あの、見ていないから嘘つける、気持ち悪い言い訳劇場、力づくでの捩じりこみ抑え型どすこい劇場。文字を読む快楽にもっとも遠いタイプの文章なんです。

とか言ってて、どぶにお金捨てるつもりで、買うのだろうか、私。

カルトに属していないから、ただで配られて回ってくる恐れはない。それは救いですな、とりあえず。



【目次】

序 章 幸せの黄色いワンピース

第1章 帰国子女の憂鬱

第2章 根無し草にはなりたくない

第3章 新人外交官の悩み、お妃候補への戸惑い

第4章 皇太子妃選定「極秘プロジェクト」

第5章 ご成婚――雅子さんのいちばん長い日

第6章 「新皇太子妃」に差す影

第7章 長官が尋ねた「お身体のこと」

第8章 愛子さまご誕生までの全舞台裏

第9章 涙が止まらない

第10章 「人格否定発言」初めて語られる真相

第11章 ようやく治療がはじまった

第12章 悠仁さまご誕生――急転する皇室の運命

第13章 愛子さまが学校に行けなくなった日

終 章 ご成婚二十年――雅子妃はお幸せだったのか



本当にバカですね。いつだって切り口新鮮、斬新なバカ。聞くたび呆れさせて下さるが、呆れさせて頂くためにあなたがそこにいる訳では無いです。

はっきりと、邪魔なのです。迷惑なだけの存在であることが際立っている。

皇族に、邪魔と言われてお怒りになられるがごとき人権は無い。

20年、何をもおわかりになられず、こと、ここに至っておられます。

「雅子妃はお幸せだったのか」。

設問自体がナンセンス。日本の皇室の皇太子妃に必要なのは、

ワタシノシアワセ

ではなくて、

みなさまのオシアワセ

への自覚、自問でした。ご実行であられるはずでした。

アタマ悪すぎて、性格も実家も悪すぎて、今になってこんなこと言ってるバカな妃殿下は。

豆腐の角にアタマ売って気づくタマでもなさそうだから、かつてヤケクソを恫喝でくるんで電話口で言い放った自らの言葉を、今こそ、表だったものとされるがいい。

「それなら皇太子妃、やめます」

やめなさい。止めないよ。とめられるって、未だに、タカくくってる?。

拍手喝采、お赤飯炊いて国旗を振って。皇居前へ馳せ参じますわ。

お待ち申し上げます、その日を、雅子さん。


追記。

それと!。

涙が止まらない、だと。

大人で公人、一国のコウタイシのキサキともあろう者が、涙がとまらない、だと。ふぬけたことを書かせるもの。

恥を知る日本人ならそんなことは、あっても無きがごとく。

・・・おそらくもっと、追記は増える・・・別の項でも書かせていただきたい・・・ご亭主の、いっちばん初めのお妃候補でいらした女性と、ご亭主を、ちらちら見る雅ドンの。

あけすけに

ホワイ フー

シーイズ ロイヤルクラウン プリンセス 

ウワッツ? ノー どははははは、なアホなお顔つきに関しても、書いてみたくてうずうず、明日になりますか・・・残念。  



ついに来た・・・。



インフルエンザでへたばっています。名前は忘れましたが特効薬だという吸入(吸引?)するクスリ、さっき、してもらって来ました。

お返事できにくいと思いますので、お見舞いコメントは遠慮させていただきます。

今週末には治りそうなので一安心です。

皆様もお気をつけ下さいませ。

ふ~~ばたん。


一緒に。



「皇太子ご夫妻は御所に於いて阪神淡路大震災で被災された方々に黙祷された」

そうですよ。

誰も見てないし。そういう風に言うことは、何日も前に決まっていて、それを、報じさせただけだし。

雅ドンは早朝、起きたのかな起きていた続きかな。

黙祷の前に口くらい漱いだのかな、顔くらい洗ったのかな。

あの二人は時々、御所で「黙祷」と報じられるが、信じられていないし。

部屋着のままでジャージのゴムの跡、痒いのをポリポリしながらするのは、東宮の黙祷、ではないし。

そのための何だか特殊な衣装を、あの東宮は用意していないままだというし。

一人っ子さんに、今日はこういう日で、だからあなたも慎んでモクトウさせていただくのですよ、なんて、教えてはいないだろうな。

ヒトでないのだから、そんなこと、思わないししないだろう。もうしなくていいですし、アレラは。

してやらなくては、と、思うな。そんなことを、チラとでも思うな、周囲に企ませるな。

被災された方々に失礼です。無礼だ。東に居座っているあの人たちは、もっとずぶずぶ、とどめようの無い所まで行けばいい、落ちて墜ちて堕ちて行くがいい。落ちろ。

人でないなら人でなしとしての存在を、いっそ、全うするのか如何でせうか。完全な人でなしになるがいいですよ。

中途半端に人間ぶらなくてよろしいのでは。


20年前の今日、大きな地震があった。私が住まう地では震度4、それでも経験したことの無い、激しい長い揺れだった。つけたテレビの画面の中で、高速道路が横転していた。

その三日後、20日から、予定通り皇太子とそのツマは中東へ出かけて行った。

ラクダレースを見物して、丸出しに愚かな大口開けて喜ぶキサキ、おもねるように、でなく、完全におもねきっている皇太子は、妻にカラダを傾け、顔色をうかがい、喜びはしゃぐツマを見て、自分も一緒に笑っていた。

アラブの王様の新調のフネで、クルージングを愉しませてもらってもいたが。

お国では大変な状態だそうです。あちらの王族に帰国を勧められてキサキは、機嫌の悪さ全オープンのふくれっ面で帰国した。

真っ赤なロングドレスに純白のショールをまとって。紅白衣装で胸を張った写真は、その時のもの。


この皇族は、人では無い。


その2年前、7月、北海道では南西沖地震が発生した。翌月夫婦は、二人で(警備員はびっしりつけて)那須登山。下品なキサキは下品にお尻を突きだして、花を摘んだか花を折ったかしていた。皇太子は二人連れでゴキゲンでした。


この春3月で発生から4年になる東北地方の大地震、あの時にも。

まるっと一か月後の4月11日。人でなし二人は、御所へムスメの友人を何人も招いて、お楽しみ会だった。

半日、広い庭を御所の内部を解放して子らをもてなし、写真を撮り、オノレラの娘をよろしく活動に熱中したのだった。


夫婦は被災地へ行くのは好きでない。楽しくないから。それはそうだろう。

かんけーないから。多分そうだろう、そうであるなら、出て行って欲しい。出て行け。

避難所を訪問しては大袈裟に目をむいて話を聞き。出て来たらそそくさと乗り込んだ車の窓を閉めさせた。

避難所には自宅のような湯量の豊富なシャワーなど無いから。匂うんです。寒い中、体育館の床にシートを敷いて、せいぜい配られた毛布を恃んで、不安な朝を迎え夜を過ごし。冷たいおにぎりやパンでいのちを繋がれている方々。

誰だって匂うようになるのです。その方々の、

体臭が、

耐え難かったのだと、コウタイシヒは。一刻も早く、臭気に満ちた場所を離れたかったのです。ヒデンカは。

またある時は。

家も船も流された漁師のひとことに。

陸に上がったカッパのようなものですとの言葉に。

破顔、爆笑のキサキだった。

面白かったのか。面白いことを言って笑わせてもらったのか。そうだったのか。

被災地へ。ちっとも行かないと突き上げられて、重い重い腰を上げてしたことは。お迎えする方々の履歴書を提出させ、名前書いたプレートを胸に付けさせ、

「こういう質問はしないように」

とお触れを出して。椅子に掛けさせて寒風にさらし、充分に凍えたあたりでニタラニタラとお出ましなさいまして、腰を屈めて5分、7分。

「被災地訪問をなさる皇太子ご夫妻」の証拠写真を撮らせたら即、撤収。

長居は無用、早く早く家へ帰ろう。

前夜はしゃぶしゃぶ(すき焼きだったか?)食べた、ステーキも出させた、デザートも美味しかったからお代わりした。

来てあげた上に、美味しいですねとほめてあげて食べてあげたのだから。

光栄でしょ、嬉しいでしょ、感謝しなさいよ。そういうことです、いつだって。供された大吟醸酒。気に入った。

ひと箱下さい。もらってあげますよ、ワタシが、ナルちゃんが、気に入ってあげたのです、ありがたく思いなさい、酒はすぐに送りなさい。

以前にも書いた。

日本には「こつじき」「乞 食」「こじ き」なるものは存在しないらしい。この国は、社会保障の行き届いた国だから、だから。

いるよ。

あの広壮な御所にいる。夫婦揃ってくれくれこじきが。

渇して盗泉の水を飲まず。こんなん書いても、読めないだろうな、二人とも、いぎりすの大学を「出て」きたとのフレコミの夫婦ですが。

細く長く、地震の後に出会いのあった女性たちとの交友が続いている。

人との交わりのうまくない私に付き合いが続いているのは、あの方々の、まこと大地のごとき、汚いモノ不要なものも包みこんで、大地の糧と変えるような、広い心のゆえと感じている。

いろんな目に遭って来られて、なお誇り高い日本のおばちゃん、ばあちゃんたちだ。

私が、このごときブログを続けているのはご存じない。だから書いてもいいと思う。

彼女たちは言う。

コータイシたちは来なくていい。嬉しくもありがたくもなんともない。

つまらん金が要るだけだよ。来て要らん、えらそうにニヤニヤして手、振って。

心なんか寄せてくれなくていい、あの奇跡だかなんだかの木だって、うちらぁはどうでもいい、あれが何でそんなにエライ木なのかね。

来てくれんでいい。こっちのモンは、こじきじゃない。

えらいひとたちに、可哀そうがって、来てもらわなくていいんだよ。


ばあちゃんAさんの言葉の翻訳は、KUONでした。(笑)。

・・・きょうは。BBさんのブログの、さまざまなお写真に、朝から号泣していました。

奇跡のビオラとやらの、あの時の騒動に違和感があり、それは、自分のココロがひねくれているからだと、自分の方に原因を求めていました。

でも、あの高貴なおん母子が、気持ち悪かった、本当に。同じ思いの方々が多いと、おいおい知って来て、あれこれ考えました、今も考えます。

年に一度の「・・・の会」など、そこへ、私は、行って、手を合わせたりの出来ない人間です。気が臆す・・・。

で。いつものように家にいて。

私も、私なりの気持ちをこめて、黙祷させていただきました。

孫どもも一緒に、黙祷しておりました。

身近なものにも、伝えて行く。

これくらいのことしか出来ない。

これくらいのことを、しっかり、続けて行きたい。



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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

  けふまでの日はけふ捨てて初桜

            千代女



やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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