今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

ご皇族。



ご皇族。

爽やかで初々しい新成年皇族、佳子さま。

微笑のなかにもはっきりと、お母さまにひどかった週刊誌のバッシングに触れたり。

ご自身が大学を変わられるについての報道の過りも糺されたり。

これから活躍なさる若い皇族が、こうした姿勢をお見せになるのはいいなあと、私は、新鮮な驚きを感じつつ頬が緩んでゆるんで。

お若いながら、今までご家族ぐるみで、言うに言えない態度に出せない苦い思いを経て来られて、こんなにもしっかりなさったかと、頼もしく感じましたし、ひどいことを陰で操って来たヤカラに、新たな怒りを覚えました。

が。

大丈夫。だいじょうぶ。

きちゃないやらしいげせんなうそだらけのみせかけばかりの、くさってふしゅうをはなつみたくないようなつまり「にせもの」は。

思い通りになどできはしない。残念でした。そういう風にも、感じていました。

ティアラ、清らかに華やかに誇らかに輝いていました。

本物。







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誇りと感謝と。佳子さま二十歳。












佳子さま  会見全文 

              20歳の誕生日を前に

毎日新聞 12月29日(月)5時1分配信

(問い1)ご成年を迎えるにあたってのお気持ちをお聞かせください。成年皇族としてご公務に臨む機会も増えますが、特に関心を持っている分野とともに今後の抱負をお聞かせください。

【写真特集】佳子さまの歩みを振り返る

佳子さま 高校生の頃は、成年というと随分大人のイメージがございましたが、いざ自分が成年を迎えるとなると、まだ未熟なところが多くあると感じております。また、成年を迎えるまでに関わってくださった方々に感謝の気持ちを持っております。

 公的な活動に関する関心事ですが、これからさまざまな活動に参加する中で、自分の関心を持っている分野について考えていきたいと思っております。また、基本的には、自分が関心を持っているかどうかというよりも、頂いた仕事を一つ一つ大切にしながら取り組んでいくべきだと考えております。

(問い2)佳子さまご自身についてお伺いします。ご自身の性格、長所・短所についてどのようにお考えですか。具体的なエピソードを交えてお聞かせください。日々の生活の中で興味のあること、趣味や将来の夢などについても具体的にお聞かせください。

佳子さま 私の性格についてですが、長所は自分ではあまり思いつきません。短所は、父と同じように導火線が短いところがありまして、家の中ではささいなことで口論になってしまうこともございます。

 日々の生活の中での関心や趣味についてですが、趣味というほどではございませんが、幼い頃から絵を描いたり、物を作ったり、体を動かしたりすることが好きで、今でも続けております。

 また、将来の夢につきましては、あくまでも夢ですので、自分の中で温めておきたいと思っております。

(問い3)ご家族についてお伺いします。ご両親と眞子さま、悠仁さまはそれぞれどのような性格で、佳子さまにとってはどのような存在ですか。普段お話しになっていることや、印象に残っている出来事など具体的なエピソードを交えてお聞かせください。祖父母としての両陛下についても併せてお聞かせください。

佳子さま 家族それぞれの性格を一言で表すのは難しいので、私にとって印象に残っていることについてお話しさせていただきます。

 父は、自分にはない考え方や発想を持っていて、話していると考えさせられることがよくあります。幼い頃から質問をするとすぐに答えてくれ、さまざまなことを知っているという印象を持っております。家の中に出てきた虫を捕まえてくれるなど、頼りになる面もございます。

 母は、週刊誌などではさまざまな取り上げ方をされているようですが、娘の私から見ると、非常に優しく前向きで明るい人だと感じることが多くございます。幼い頃は手紙にスマイルの絵を描いてくれたことが、よく印象に残っております。

 姉は、何でも話すことのできる頼りになる存在です。姉と過ごす時間は非常に楽しいので、よく姉の部屋で過ごしております。今は海外にいるのであまり会うことができず、寂しく感じることもありますが、時々連絡を取っております。

 弟につきましては、私は幼い頃から弟か妹が欲しいと思っておりましたので、弟が生まれたときは非常にうれしかったことをよく覚えております。年は離れておりますが、けんかをしたり一緒に遊んだりしております。最近は姉が海外にいて、また、両親も仕事で家にいないことが多かったため、2人で折り紙をしたり本を読んだりして過ごす時間もございました。

 最後に祖父母としての両陛下についてですが、お若かった頃のご自身の経験などをよくお話ししてくださいます。日本をはじめ海外についての歴史や自然・文化などについてお話ししてくださることもあり、学ぶことが多いと感じております。

(問い4)来年4月から国際基督教大学(ICU)に進学されることになりました。新たな学びの場としてICUを選ばれた理由と、サークル活動などを含め学生生活への抱負をお聞かせください。学習院大学中退を決めた理由と、進路についてご両親、眞子さまとお話しになったことも併せてお聞かせください。

佳子さま 国際基督教大学、ICUと呼ばせていただきますが、ICUを受験した理由は、ICUの教育が魅力的であると感じたからです。私は昨年の春に大学生になってから、公的な活動に参加させていただく機会が増えました。このような中で、英語でコミュニケーションを取れることや、幅広くさまざまなことを知っていることが大切であると感じるようになりました。このような点で、充実した英語教育や専攻を決めずに幅広く学ぶことのできるリベラルアーツ教育を実施しているICUで学びたいと考えるようになりました。

 ICUでの学生生活ですが、学業に励みながら楽しく充実した学生生活を送りたいと思っております。

 次は退学した理由でしたか。

記者 そうです。

佳子さま 学習院大学を退学した理由ですが、私は幼稚園から高校まで学習院に通っており、限られた一つの環境しか経験できていないと感じることが多くございました。そのため、中学の頃から別の大学に行きたいと考えるようになり、受験いたしましたが不合格となったため、内部進学で学習院に進学いたしました。入学したからにはきちんと卒業すべきだという考えもございましたが、学生生活を送る中でやはり別の環境で学びたいという思いがあったことと、先ほどお話しいたしましたように、ICUで学びたいという思いがあり、退学いたしました。

 私が学習院を退学したことについてさまざまな臆測があると聞いておりますが、私個人の問題であって学習院大学が悪いということではございません。長い間お世話になった学習院の方々に深く感謝しております。

 進路につきましては、ある程度自分の中で考えてから、両親と姉に報告いたしました。3人とも賛成してくれ、「頑張るように」と言われました。

 この質問に関連して申し上げたいことがございます。私がICUに合格する前から、ICUを受験するという内容の報道がされていました。この報道を宮内庁が発表したものと勘違いされている方が多いようですが、宮内庁から私がICUを受験するという内容の発表はしておりません。合格するかどうか分からない中でこのような報道があったことでさまざまな誤解があったと思いますし、ICUの方々にもご迷惑をかけたのではないかと思い、申し訳なく思っております。

(問い5)ご両親は学生時代に出会い、結婚されました。ご自身のご結婚についてのお考えと、理想とする男性像についてお聞かせください。また、ご結婚で皇籍を離れる女性皇族の役割についての議論が続いています。こうしたことの受け止めも併せてお聞かせください。

佳子さま 結婚につきましては、将来的にはしたいと思っておりますが、来年の春から、また再び大学生になりますし、現在は考えておりません。

 理想の男性像は、一緒にいて落ち着ける方がいいと思っております。

 結婚で皇籍を離れる女性皇族の役割について議論がされていることは聞いておりますが、先ほど結婚については考えていないとお話ししましたように、まだ私にとって実感として捉えることのできる段階のものではございません。

関連質問1 問い2でご自身のご性格について、ささいなことで口論になるような、導火線が短いということをおっしゃっておりましたけども、11月の秋篠宮さまのお誕生日の会見の時に佳子さまのことをお聞きしたところ、かつてかなり激しい口論とか応酬になったことがあるというふうにおっしゃっていまして、また一方、非常に参考になるですかね、的を射た指摘をしてくれることが多いともおっしゃっておりました。具体的な、こちらでご紹介いただけるようなエピソードがございましたら、ご紹介いただけますでしょうか。

佳子さま そうですね、結構日常的によく口論になってしまいますし、私がさまざまなことを指摘してしまうこともよくございますので、これといって具体的な例はございません。

記者 会話の中で何かちょっと秋篠宮さまが佳子さまから見ておかしいとか、何か変だなと思うことをちょっと指摘されるということがあるのでしょうか。

佳子さま そういうことです。

記者 ありがとうございます。

関連質問2 先ほどご趣味のお話の中で、体を動かすことがお好きだというような話で、今も続けていらっしゃるというようなお話があったんですけれども、これまで体を動かされたもの、やってこられたことと、今続けていらっしゃることとはそれぞれどういうものなのかというのを教えていただけますでしょうか。

佳子さま これまでは、高校の終わりまでフィギュアスケートを続けておりました。今では、これといって特にはございませんが、家の中で体を動かしたり、弟と家の中や外で遊んだりしております。

記者 悠仁さまとはどういう形で体を動かして遊ばれたりされているのでしょうか。

佳子さま 鬼ごっことか、縄跳びとかです。

関連質問3 ちょっとお答えになりづらいことなのかもしれませんが、学習院の質問の中で限られた一つの環境だと感じることがあったということをおっしゃっていましたが、これはもうちょっとどういうことかお話しいただければありがたいのですが。

佳子さま 私は幼稚園から高校までずっと学習院におりましたので。

記者 どういう時にそう感じる場面があったんでしょうか。

佳子さま そうですね。(と、少しお考えになる。)

 例えば、私と同じように幼稚園から大学までずっと学習院に通っている方もいらっしゃいますし、そうするとなかなか新しい方と出会う機会もありません。そういうことも含め、同じ学校にいると、やはり限られた環境だなと感じることがございます。



関連質問4 私は長く担当しているもので、ご一家のですね、お出掛けの際の取材などで、佳子さまがご両親の後ろに恥ずかしそうに隠れているというそんなお姿を見ていて、今の会見を拝見していて、そのお姿からちょっと想像つかないと言いますか、感動したのですけれども、皇族としてですね、ご自身が他の方とは違う、同じ学習院の環境の中におられて、ちょっと私は違う立場にいるんだ、ということをご自覚になったのはいつごろからでございましょうか。

佳子さま これといったきっかけはなかったように思いますが、小学生の頃からだったと思います。

記者 何年? 高学年?

佳子さま 低学年だと思います。


・・・何を申し上げることもございません。理想の男性像を

「一緒にいて楽しい方」

でなく

「落ち着ける方」

との一言に、胸を衝かれました。ぶっちゃけ言うと、さすが~って感じです。

お母さまへのお言葉に、愛と思いやりと。素敵な家庭でお育ちになった内親王殿下。



お健やかに。

お幸せに。

ありがとうございます。

秋篠宮ご一家の弥栄を。




ありがとう。

フィギュアスケート全日本選手権大会。男子。

小塚崇彦選手のフリー演技が終わった瞬間、涙が溢れました。

あの小塚の、あのガッツポーズ。

三位。本当に、おめでとうございます。


引退表明の町田樹選手。

ありがとうございました。何だかいつもこてこて言ってるピュアなあなたが好きでした。

素敵な学者さんになられるでしょう。

あなたの最後の演技まで、観ることができて幸せでした。

ありがとう。





汚BAKA.



海外でアップされた動画。

天皇陛下ご誕生日をお祝いする、宮殿バルコニーの画像です。

善き人々が、冬空に美しく映える日の丸の小旗を、一心に振っておられる。

陛下がお言葉を述べておられる。

その横であやつらは、もにょもにょ、くっちゃべっておるのでございます。

弁えの無いにもほどがある。

その夫婦の醜状を、異国の方はとらえて、アップして下さった。

若き姫宮は凛として清浄。


汚BAKA=某読者さん命名。

二人組。

いつにてもいずこにても、果てしなくぐちゃぐちゃ喋らずにおられぬキサキモドキと、その意を受けて首を差し出しツマへの敬意を常に最大限に表し、仰せに対しては媚びてひたすらうなづくを何よりの優先順位と定める、もしかして次代だったりする(させないよ)、

老けた落っこち鳥、ナルたん。

親の七光・・・いや七不思議? 売れない二人です。

売れようのない二人です。

さあ、笑ってあげましょう、指さして。指さして笑われるに足る、二人組です。

 ・・・国民としては本当は、恥ずかしくて悲しむべきことなのですよね・・・。   

アップしてしまいます。



その存在を知ってはいました。

あまりにもアホらしくて、と言うより、えええ、マジですかぁ、の思いが強く、本気で気分が悪くなるから。近寄らないようにしていました。以下↓を、人づてに知って、何ともかとも。おそらく今後は話題にしないと思いますが。

『予想があたった今年も着回し。自分達だけ新調して雅子様には
同じ服 やっぱり平成皇室は異常』


とかブログ主が書いた・・のでしたか。それについたコメントが以下。

コメント→「災害や不景気で国民が苦しんでいるのにきらびやかに
着飾ることができないという優しい雅子様のご意志かもね」


はぁはぁ、そうなんですか。ちょっと一回だけ、触れてしまいましたが、「しかいし」が来るのでしょうかブルウル、こわいわこわいわ。もういいわ。

モノも言いよう。バカにつける薬はないとか。ほんまやわ。パイします。パイッ。

次です。これはニュースでした。

赤坂御用地 何者かが侵入し捜査
12月24日 23時00分

「24日夜、東京の赤坂御用地に何者かがフェンスを越えて一時、侵入する騒ぎがあり、警視庁は侵入した人物の行方を捜査しています。

24日午後7時半ごろ、東京・元赤坂の赤坂御用地で敷地の中に侵入した人がいたことを示すセンサーが作動しました。
警視庁によりますと、皇宮警察が防犯カメラの映像を調べたところ、何者かがバイクで赤坂御用地に乗りつけたあと、石垣を登ってフェンスを乗り越える姿が映っていました。
その後、敷地内にしばらくとどまりましたが、再びフェンスを越えて敷地の外に戻り、乗りつけたバイクで逃走したということです。
これまでの調べで侵入したのは男とみられ、ジャンパーやズボンを身に着けていたほか、ヘルメットをかぶっていたということです。
現場は赤坂御用地の東宮御所に近いところで、警視庁は建造物侵入の疑いで逃げた人物の行方を捜査しています。」


サントニクラウスが、何か持ち込んだのかしら。危険なモノはダメです、大切な方々だって、もう少し離れたあたりにですが、お住まいでいらっしゃいます。

私(たち)が望むのは、テロでは無く、雷神さまです。雷神様。

雷神様なら、イヴの夜だけでなく、いつでも結構です。巻き込まれる方々のおられませんように・・・どの範囲までなら、巻き込まれオーケーか、など、尋ねられると困惑するしかない私です。

あまり露骨に願望を、ねえ。わたしにだって世間体ってもんがございます。

ワタクシの奥ゆかしい性格が、こんな時、重とうございますわ。じゃない、ですかしら・・・。

で。このニュースに絡まって、以下のごときことを思い出された方がおいでになって。

某サイトから引用させて頂きます、お書きになられた方、失礼をお許しくださいね。

「御所東宮近くの場所から不審者

騒ぎを起こして宮内庁警察がかかりきりの隙に何かを運び出した(皇室宝)か持ち込んだか(薬物)
東宮には前科があるからね
両陛下が列席した山形国体開会式中に発煙筒騒ぎが起こり、宮内庁が対応に追われている同時期に
徳仁さんを拉致して鴨場で雅子へプロポーズさせた(洗脳&強要?)
愛子さんの誕生日にも御堀から死体とか東宮は同日シリーズは得意ですもんね 」


ありがとうございました。

思えばナルさん、車の中でカバーかけられ隠されて、隠密行動に胸騒ぎ、極秘のうちに脱出し、いずこへ行くは人任せ。あの人が待っているとて聞かされて狭い車内もなんのその、夜陰に乗じて鴨場へと運ばれました過去がある、思い返せばあの年の、ヒミツの儚いひとときが、それこそが皇子ナルさまの、恋に恋した東宮の、

そうだったのかも、恋が純粋に恋であった、ただ一度。

おいたわしや。絡め取られてその後は、こずかれ突かれ無視されて。いきなり笑いかけられて、どうすりゃいいのか解らない。解らぬままにどんどんと、深みに落ちて行きました、

蟻地獄。

実は少しだけ、呑めないお酒を飲みました。淡いピンクの、小さな気泡が夢のような,綺麗な甘いおさけ。

なんだかふんわりしていて、これで何か書いたらどんな感じ、など、実験的な気分で以て。

週刊誌なんかも買って来たし。

書いてありました。

愛子さんの遅刻、欠席、学校休んだ夜に陛下のもとへ行った、手を振っていた、何やねんそれ、とか。違和感あるとか。

12月の17日には(試験は休んだが試験休みには休んでいて)「お忍びで」ドームに隣接する遊園地に行った、友達4人と、昼過ぎから夕方までアトラクションを楽しんだと。

居合わせた客の言うには「寒さを吹き飛ばすほど元気に」満喫されていたと。

お化け屋敷にも。お気に入りなのですね。

・・・続きは明日にさせていただきます。

なんか、すごいボウロ的な自分になる予感がします。

なので。

あ。愛子たんはラインをされていて、時には夜中までやっているので、友ママの中には

「愛子さまは遅刻しても大丈夫だけど、うちの子は遅刻できないから夜中までラインをさせられない。でも、愛子さんのラインはスルーできないし なんて悩んでる人たちもいるそうです」

とか、誰でも「そうだよなあ」であろうこととか書かれちゃってて。

誰が書いてもこうなりますねきっと。

同級生たちを憂うつにさせる、愛子さまのマイペースぶり。

なのですとか。

大変です。当人たちは大変では無いですね。きっとそうですよね。

クリスマスの頃は世界が美しくて、音楽たちも美しくて、思い出すことは沢山あって、それで、きれいだったり悲しかったり、毎年、新鮮に悲しいのはなんでしょう。

今夜は一人でこれから、スラバの「アヴェ・マリア」を、多分20回くらい聴くのだと思います。


けれど。


わが家のクリスマス風行事は、ママが家にいる明日の夜だそうで。

静かなイヴです。

皇后陛下の、お蚕さんを詠まれた幾首、読ませていただいていたら、なんとも言えない気持ちになりました。


            秋 蚕(あきご)


  真夜(まよ)こめて秋蚕(あきご)は繭をつくるらしただかすかなる音のきこゆる


  時折(ときをり)に糸吐かずをり薄き繭の中なる蚕(かひこ)疲れしならむ


  籠(こも)る蚕(こ)のなほも光に焦(こ)がるるごと終(つひ)の糸かけぬたたずまひあり


  音ややにかすかになりて繭の中のしじまは深く闇にまさらむ


  夏の日に音たて桑を食(は)みゐし蚕(こ)ら繭ごもり季節しづかに移る


昭和41年の御歌です。

浩宮さまはこの時期、幼稚園児かいちねんせいか。

最近、ネットで沢山の写真を拝見していて美智子さまは、うつむいた顔や憂い顔の多い方だなあと改めて感じました。

陛下に大切に思われ、国民の人気は高い、その中で。放心の表情を、よく、撮られておられます。

ナルさんのこと。ナルさんのこと?。

・・・ときどき、糸を吐かないでいるこの蚕。

短歌は基本、三十一文字の定型の文芸。その約束に添う意図ももちろんおありでしょうが、

蚕を「こ」とお呼びになる、聞こえざれどお声の優しさ。

子、と呼ばれた刹那からあの虫は、こころを持った存在になる。

ときどき、糸を吐かないでいるこの子は。じっと休んでいるようなこの子は、薄い繭の中で・・・自分の手の届かないそこで、疲れているのだろうか。

疲れたのだろう。

このようなお気持ちの方が、あのような息子のツマを受け入れて、どんな日々でいらしたか。

そう思います。

けれど、どうあってもナルマサ夫婦では、なりませぬのでは、皇后陛下・・・。


あげさせていただいた3首目の

「なほも光に焦がるるごと」

にも。

4首目の

「繭の中のしじまは深く闇にまさらむ」

にも、深読みの心は揺れます。

光の中にいることが当然であれば、光に焦がれたりしない。

繭の中のしじまの孤独さを経験したことがなければ、しじま・・・静寂を、闇より深いものと、感じて言葉に出さないだろうと。

私の感じで書かせていただきました。

繭はつまり、閉塞の象徴、とも。私感です。











雅子さんの「目」。



雅子さんは昨日の皇居バルコニーでのお手振り行事にも、濃紺一色の長い服を着ていました。

14年前のものとか某所で読みました。実際、10年は経っているでしょう、何度も来て現れています。

一説にはメーテルドレスといわれ・・・「銀河鉄道9〇9」の謎めいた美女・メーテルがいつも身に着けていた・・・

そこから発展して「メートルドレス」ともいうのだとか。

メートルって、腰回りだとか諸説あるようではあります。

ビロードのような材質(すみません、私の見た感じ)です。私はビロード好きなのに。ぷん。とか、言う場所では今はここは無いですね。

光の加減で、濃紺は黒に見えます。彼女の心象風景ややってることやタバコのヤニに染められた歯の裏の色にはぴたりとふさわしい色と言えなくもない・・・でも。

天皇陛下のお誕生日に、あの色。何度も何度も着ている服。ドレスなんぞと呼ぶ気はない、あの人モドキが体を押し込んでいるあれを。   私KUONはおでぶです。人様の事いえない体型の持ち主です。私は一般人です。先にこれだけ申し上げておいて。

背後から撮った写真では、胴回りはきつきつのぱっつんぱつんで、腰の肉が盛り上がって服のそのあたりを持ち上げている。背中といえばクシャミしたら弾けて・・・着用者は一気に呼吸が楽になるかも…宮殿バルコニーにて。

くしゃみ、なさればおよろしかったのに、ひでんか。

で。何かの反射かどうか。

雅ドンの後ろ姿の濃紺の服の肩に、猫がいっぴき、写っていました。

肩のあたりに猫。あまり信じないタチと私は自分を思っていますが、猫がいた。猫が見えた。何なんだろうあれ。

顔色はくすんで艶なく冴えていなかった。

とりあえず、バルコニーでは手をひらひらしていた。

「まあ、雅子さま、この頃はよく出ていらっしゃる。」テレビが主な情報源である多くの方々への演出のために。

知っている人はもちろん知っていて、アホかぁ、と嗤っている。嗤われても平気な人モドキ。

で。

三時からの「茶会」の場に、ヒデンカはいなかった。

女性皇族の皆さまがずらりとお並びで、ドレスや帽子の色彩はお祝いごとの席に相応しく澄んで明るく華やかな、お並びの全体として調和のとれた、美しい場。そこに、

雅ドンいなかった。メシの場にはいて、チャの場にはいない。というか、女性皇族らしい女性皇族がたと並ぶような場には、出ない。

誰も望んでいないし今更何を、ですし、どうってことない話です。

アノヒトハソウイウヒト。それ認定。八分にしているわけではない、勝手に、出たくないところへは出ないのです。

その生き方をお嬢ちゃんが踏襲している。

・・茶会には出なかったが、夜には、オットと自分とで、むくんでしまったようなお顔の娘さんをぎゅうぎゅうにはさんで「三人でお祝いに」の写真を撮らせていました。

朝はささくれた生気の無い表情でした(朝だから?)のに、さすがの夜型マサコサマ、夕方6時半の車中でのお手振りの際には、お目ん玉ぎんぎん。お顔の艶さえ蘇って。おクスリばっちし決めて、クスリ効いてる「雅子的標準仕様」のご様子。

見慣れてしまったから感覚も鈍っているようで・・・あの方、危ないですよ、あの様子。

・・・とか、ここでどんだけ言っても、ミジンコのつぶやき。ははは。←自嘲。

あの人モドキが、危なかろうがどうだろうが、個人的にはどーーーーーーーーーーでもいいのです。

どうでもいいが、雅子さんたちが「使っていいです」とされているお金は、今更な繰り返しではある、

「品位を保つため、日本国民や海外の賓客にも恥ずかしくない装い」

で、人前に出て来るためのお金でもあります。

そのはずなのです。それが、

ものすごく恥ずかしいです、マサコサンて人(もどき)。

品位。何それ、どのあたりに落ちてるもの、あそうか、あの大きなお家の、庭の隅っこのもっと隅っこに、風に吹き寄せられて埋もれかかって・・・一部はすでに化石化している・・・ナルヒトさんの「品位21年物」。無用のヴィンテージ。

ナルさんは、21年前に、それを吹き飛ばされたってことですね。品位。お独りの時代には泣き泣きでも保ってはいらしたのを、ね。

ナルヒト氏のツマの「品位」など。

無い物ねだりはつまらない、虚しいだけの夜半の風。雅ドンの品位を探すなど、ええと、何にたとえようかと暫し考えてみましたが、疲れたので止めます。

無い。初めから一滴も無し。あ。アホ句ができた。

  劫初より無くて無敵の品位かな

つまんないですが、残しておいてしまいます。

東宮家にまわるお金は、いずこへ回る。

誰も知らずに年の暮れ。

もうすぐ訪れる新しい年。

年末29日に成年となられる秋篠宮佳子さまも、バルコニーにお出になる。

光り輝くようなご一家のお出ましのバルコニーに、雅ドン、何着て現れる。

今年は水色の膨張色の樽ドレスでした。



昨日来て出たと同じ濃紺服で、横目で天皇陛下を睨みつけながら、皇太子の背を押して、なにやら不遜な言葉を吐いていたがごとき動画は、あれは、何年前の映像か。

ぞっとするような目つきが現存します、あとで貼らせていただきます。動画の、ほんの終わりの頃の「目」凄まじいこと。

「雅ドンのメーテルドレス」

メーテルさんに申し訳のないネーミングです。

メーテルが常に、まとっているあのデザインのドレスは。喪服なのです。

長い長い旅の途次。志を同じくしながら志半ばに倒れて行った、仲間たちへの、メーテルの思い。喪の思い。

喪服なのです、本当のメーテルのドレスは。



2011年の天皇誕生日の雅ドンです。東北の大惨事のあった年のものです。




天皇陛下 お誕生日会見 追記しました。



 天皇陛下きょう81歳のお誕生日   
.

 19日、宮殿・石橋の間でのご会見全文。


 --この1年を振り返り、印象に残った出来事をお聞かせください。来年は戦後70年の節目を迎え、両陛下のパラオご訪問が検討されています。改めて先の戦争や平和に対するお考えをお聞かせください。

 「この1年を振り返り、印象深い出来事としては、最近スウェーデンで行われたノーベル物理学賞の授賞式で赤崎、天野、中村3博士が受賞されたことです。赤崎、天野両博士が青色発光ダイオードを作り、さらに同じ頃独自にもその研究を果たしていた中村博士によりその実用化が進められました。照明器具として消費電力が少なく、発光による熱し方も少ないことから、社会の様々な分野で利用されていくことと思います。成果を上げられた3博士の業績を誇りとし、深く敬意を表します。

 痛ましい災害もありました。8月には大雨が広島市を襲い、土砂災害によって74人が亡くなりました。先日被災地を訪問しましたが、暗闇の中で木がなぎ倒され、大きな石が土砂と共に落下してくる状況は想像するだに恐ろしく、人々の恐怖はいかばかりであったかと思います。

 また9月には、御嶽山の噴火により、死者、行方不明者が63人となりました。紅葉を楽しもうと登った人々であったことを思い、心が痛みます。

 長野県北部でも11月に震度6弱の地震が発生しましたが、幸いにも地域の人々の日頃の訓練と消防職員の協力によって死者を出すことはありませんでした。建物の被害は大きく、冬に向かっての生活の苦労が深く察せられますが、死者がなかったことはうれしいことでした。

 新聞に大きく取り上げられるような災害ではありませんが、常々心に掛かっていることとして多雪地帯での雪害による事故死があります。日本全体で昨冬の間に雪で亡くなった人の数が95人に達しています。この数値は広島市の大雨による災害や御嶽山の噴火による災害の死者数を上回っています。私自身高齢になって転びやすくなっていることを感じているものですから、高齢者の屋根の雪下ろしはいつも心配しています。高齢者の屋根の上での作業などに配慮が行き届き、高齢者が雪の多い地域でも安全に住めるような道が開けることを願ってやみません。

 家族のことについては秋篠宮家の佳子が国際基督教大学で勉強することになりました。先輩の眞子から大学のことを十分に聞いた上で決めたことですから、きっと良い大学生活を送ることになると期待しています。

 私には叔父に当たる三笠宮が元気に白寿を迎えられたことは私どもの大きな喜びでした。それと共に6月の桂宮薨去(こうきょ)という悲しい出来事もあり、三笠宮、三笠宮妃のお寂しさを深くお察ししています。

 先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、後に来る時代への責任であると思います。そして、これからの日本のつつがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、切に願っています」

 --宮内庁が24年あまりをかけて編纂(へんさん)し、この夏に両陛下へ奉呈された「昭和天皇実録」に関してのご感想と、昭和天皇についての思い出や天皇としてのお姿から学び生かされていることをお聞かせください。

 「昭和天皇実録は宮内庁書陵部が中心となって多くの資料に基づき編纂したもので、完成までの苦労には計り知れないものがあったと察しています。携わった関係者の努力に深く感謝しています。これから折にふれ、手にとり、御事蹟(ごじせき)に触れていくことになると思います。このことは大変に困難な時代を歩まれた昭和天皇を、改めておしのびするよすがになろうと思っています。

 昭和天皇との思い出については様々なことがありますが、夏の那須の附属邸に滞在していて、御用邸に滞在していらっしゃる昭和天皇、香淳皇后をお訪ねしたり、植物を御覧になるため、その植物の自生地にいらっしゃるのにお供をしたりしたことが懐かしく思い起こされます。実録にも私の結婚の翌年の夏の記述に『皇后及び皇太子妃と御同車にて御用邸敷地外の広谷地(ひろやじ)に向かわれ、同所にてお揃(そろ)いで湿地のサギソウ等を御覧になる』と記されてい
 この時私は那須を離れ、地方で行われる行事に出ていたのですが、昭和天皇は生まれたばかりの浩宮を守って留守をしている美智子が寂しくないよう、香淳皇后と共に散策にお誘いくださったのではないかと思います。少し後になりますが、皇后と私とで、廻谷(めぐりや)であったかと思いますが、お供した時には、皇后に水辺の白い花で、野生のスイレンであるヒツジグサの花をお教えくださいました。この2度の大切な思い出のため、皇后にとりサギソウとヒツジグサはそれ以後ずっと特別な花となっていたようで、それから大分後になって私どもが女の子に恵まれ、清子(さやこ)と名付けたその同じ日に、私どもは清子のお印にヒツジグサを選びました。昭和天皇が『大変よい』とお喜びくださったことが、うれしく思い出されます。

 昭和天皇から学んだことは多いと思います。結婚前には葉山の御用邸に昭和天皇、香淳皇后と一緒に泊めていただくこともありましたから、そのような時に昭和天皇から学んだことが多くありました。人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たるということは、昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・陛下はこの会見を

“国民に直接語りかける貴重な機会”

であると捉えておいでになった。

・例年、陛下の誕生日会見は事前に宮内記者会が問の質問事項と関連質問を提出して、それに陛下が答えるスタイルを取ってきた。

・どのお言葉もご本人がじっくり時間をかけて用意されている。記者会見での当意即妙のお答えに舌を巻くこともある。

・質問事項を受け取られてから、お部屋にひとりこもられ、寝る間も惜しんで、1週間ほどかけて回答原稿案


■今年は、宮内庁が記者会見の質問数を問に制限したという・・・理由は高齢ゆえの天皇陛下のお体の負担

・11月中旬、突然、宮内庁が宮内記者会に対して「ご高齢のため質問を1問に減らしたい。」と通告

・これは宮内庁としての最終的な結論で、 「協議の余地はない」 という旨を一方的に通告してきたという。

・・・この「一方的な通告」には、でなければ写真を使わせない、などの文言も存在したと、以前から話題になっていましたが、今はここまで。

帰宅してから続きを書かせていただきたいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

陛下の、今日のお言葉から。


先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、後に来る時代への責任であると思います。そして、これからの日本のつつがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、切に願っています」


「人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たるということは、昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています」


・・・陛下のお言葉に対して、もの申し上げることを許されるなら。

両陛下が常にお心を寄せられている「先の戦争」での膨大な数の犠牲者。兵として亡くなった方々ばかりでなく、あの時代の国民のほとんどすべてが、無傷ではありませんでした。無傷のわけが無かった。

戦死戦傷であれば戦時下、ある意味当然の事。しかし無謀なごり押しによっての「餓死」輸送途中の事故で亡くなった兵士が多かったと聞きます。

本当に、父であり息子であり優しい兄であり婚約者を国に残して急きたてられた男性たちは「天皇陛下ばんざい」と斃れて行かれたかどうか。

しかしそう教え込まれていたし、そうであらねばならないと、信じて苦しんで散った方々は多いはず。多かった。

今上陛下に対して、その思いをぶつけることを、現代の多くの方々はされない。過去のことは、今は。

でも。

亡くなった方々、今も思いを受け継いでいる方々は。

現・皇太子夫婦。皇室の次代とされるあの夫婦が、いまのままで在ることを、喜んでおられるだろうか。

安心しておられるだろうか。

そのことを、今日は、考えていました。過去の事は。過去はともかく。

・・・かつて陛下は、皇太子である不肖の息子に対して、

「自分のしたことは自分の口から言いなさい」

のごときことを仰ったはず。

しごくまっとうなお言葉と思われますが、私たちはそれを、

聞かせてもらっていない。

そんなことも、考えていました。


小さきわれの墓標たまはれ



身のまわり大したモノは無いのですが。

コピーやメモ類の紙屑、読み捨てて放り出してある沢山の本。整理すべき紙関係が異常に多いのは今に変わらず。

整理しようとしていてつい、読みふけってしまった、かつての歌友さん方の作品たち。

ちっとも片付かない中で、今は亡い懐かしい方々の「うた」・・・うたは、訴え。

厳しく優しかった先輩がたの遺された思いを、あらためて文字にしてみたくなりました。


   抽選にて夫(つま)の引きあてしデコ・ケーキ老いの二人のイブの灯ともす

   病む多く子を為さず来て五十年 夫(つま)の手いまだもわれに優しき

   涙垂りてくれずともよしその胸に小さきわれの墓標たまはれ


長く脊椎カリエスを病まれ、小さな小さなお体でした。美貌の方で、歌会について来て下さる夫君にエラそうに(ご本人いわく・笑)ものを仰り、でも頼りにし切ったひたすらなまなざしで夫君を見上げる方でした。

   もやもやと夜明けの床にただよへる夫(つま)のたばこのけむり目に追ふ

この一首など、「えらい雰囲気あるやん、これホンマに「夫」さんのうたかぁ?」 などからかわれて、楽しそうに笑っておられた。

夫さんより先に、静かな死を迎えられました。


   生まれきて三日を保たず逝きし子の足の小指のわれに似てゐし

   うなぎ定食に一本つけむ街に来て古稀なる妻の生誕を賀す

   眼を疾みておぼろの光散り乱る春は明るく無限に白き

   雪はげし大和は昏し古塚の貴人起きませ歩まむは今



美術の教師でいらしたSさん、お子さんを失くされて奥さまと慎ましい睦まじいお暮らしでした。

晩年はほとんど失明状態でしたが、杖をつかず一人で、歌会にも来ておられた。

「私は目が見えませんが、〇子さんは、想像するに絶世の美女でいらっしゃいますね。」

生真面目一途のSさんにそう言っていただいた「○子さん」は、私(・・・)。会の中で一番の若輩者で、小さくなっていた時期(そんな昔もありました)だったので、とても嬉しかった。やはり真実がお見えになるのね~、と。(笑)。

改めて申すことではありませんが、私が「絶世の美女」だったのは、Sさんの心の中で、です。

歌会の帰り、いつもはどなたの支えも断られるのに、私には手を預けて下さって。うたの話などしながら、ゆっくりと駅まで歩きました。桜の季節には、桜の話をしました。

最後の歌会で、黒一点、乾杯の音頭をとられてそのまま、す~っと後ろに倒れられて。

救急車の中で、もう、意識が無かった。私は一緒に乗り込んで、痩せて骨ばった手を、ずっとさすっていました。

いたそうです。記憶が無い。翌日、奥さまのお見守りの中、静かに逝かれました。

   をとめらの化粧(けはひ)清しく初春の風花光る地にとどくまで

すでに全く見えていなかったというSさんの、最後の歌会・・新年歌会に出しておられた詠草です。

このうたを皆で語り合うこともないまま、数十年に及ぶ作歌も、人生も、終えられました。


   待ち待ちし皇太子妃の内定を聞きて今宵のこころゆたけし

   教養とはかかるものかも自が意志を怯まず披瀝す皇太子と妃と


Eさんは、このようなうたを詠んでおられた・・・。

敗戦で完全に精神を破壊された職業軍人だった夫君のアルコール中毒、妄想幻視暴力に苦しみながら生きつつ、皇室が大好きで昭和天皇を畏敬され、

   大欠伸 破顔一笑うつしゑに遺せる天皇(きみ)が人間のすがた   

今上の即位を

   束帯に威儀を正せる天皇の微塵ゆるぎのなき御姿よ

まっすぐな日本女性でいらした。

   駅に来てひそかに付けぬイヤリングをまた買ひしこと誰にも内緒

ようやくゆとりをお持ちになれた晩年はとてもお洒落、素敵な帽子をかぶりこなされる方だった。靴もいつも、素敵だった。私を可愛がって下さった。

   夜の更けを汽車の走りてゆくらしき大和の国の音の幻想


もう、どなたもこの世にはおられません。

初めにご紹介したMさんのうた、

「その胸に小さきわれの墓標たまはれ」

・・・思いは今も生きております。











弾劾希望。



ちょろいわよ、国民なんか。

何したって、しなくたって、ネットの隅っこで、わあぎゃあ言ってるだけで。

石ころいっこ、こっちに投げて来る者はいない。

新聞の一面にワタシタチのことが掲載されるなんて無い。

新聞の一面にはその日に文字が踊るのよ、ご即位、と。

面倒で無意味で人権無視で合理的でない行事は、亭主に言わせてすべて取りやめ。

海外からの客のリストは私が作る。

時代にそぐわないサイシなんてものはバッサリ切ってやる、文句が出るなら、そういうことがしたくて仕方が無いあの夫婦に、あなた達がなさいよ、ちっとも構わないわ、おかしな不自由な着ける気にもならないような衣装も何も、ぜんぶ、仕方ないから無料で使わせてあげるわ、昔ごっこでもして仮装ごっこして、時代遅れの国民にはやされてるがいい。

私たちの力が、上。それが真実。現実。変わらない、どうすることも出来ない。

つまりそういうことなの。

今更わたしが変わることなど何も無い。

皆、父が死んだらどうなるとか言ってるでしょ、陰で。

そんなに軟じゃないわよ。私たちに力を貸す勢力はあるの。舐めてちゃだめよ、そんな軟じゃないわ。

夫は、そばへ寄られるのも嫌な男だけど仕方ないわ、とりあえずソファに並ぶくらいは許す。アレ無しでは私と言えども出来ることの範囲が狭まる。

置いておく。

腹話術の人形みたいなものだから、やり方さえ知っていればどうにもなるの、必要悪、じゃない、必要〇カってものなの、アレは。

残っているあのあれは、奥の方の住まいに押し込んでおくつもりよ、何人か付けておけば済むはず、フラフラ出て来て自分が未だに何かである、みたいな顔されちゃたまらないからね。

身についてるから、あれは、そういうのが。

よく働いたって言われてご満悦の人だったから、もう休んでたらいいでしょ。そうしてやるつもり。私が何をしてやることもない。放っておけばウチのがちょろちょろ、出入りするでしょ。仲良しごっこ、どれだけでもどうぞ、ってものよ。

寛容なの私って。

あ~あ、楽しみ。

もうすぐクリスマスだし。ケーキはあの店のあの一押しだわ。自宅でクリスマスパーティできなのが不条理だわ。

え。

娘。

あの子は私の悩みのもと。ずっとずっとそうだった。可愛く慕って来たことなんかないもの、可愛いと感じたことがあるはずが無い。

あちらから慕って来れば、愛情だって涌いたのに。いつだって私を押し戻した。あの子の視線の向く方の人間は、片っ端から切ってやった。生意気なのよ、母親がいるのに。母親は、このワタクシなのに。

よその子はもっと、母親に対して親身なものよ、うちのあの子はそうじゃない。私はあの子に、苦労ばかりさせられた。

傷つけられた、気を遣わされた。可愛いわけないわ、特に10歳過ぎてからは。

育て甲斐のない子よ、可愛くない、迷惑かけてくれただけ。うちの父親は何か考えてたみたいだけど。正直、私は、自分の後の事なんかどうでもいいのよ。考えると頭が痛くなる。

あの子。ずっと気疲れさせられるくらいなら、どこかへ出したいと思うの。

その気になれば連れて行けるところだってあるのよ、庶民は知らないところ。誰の目も届かないところ。

付いて行くわけない。

あの子に一生捧げる気はない、私がこの国にいなければ、夫も恰好がつかないのだから。大義名分は大切よ。

大義名分は捨ててはいけないものよ。

私のような大きな立場の者はね。

そうなのよ。

ちょろいわよ、世の中の、すべては。


ちょろいわ国民。医者だって、私にならどうだって出来るのよ。

いなければ、いることにすればいいの。

あの医者、頼りにならなかったってば。

初めは「したいことだけするのが妃殿下を治癒に導くただひとすじの道」なんて解りやすい話をしたくせに。

電話だけでは投薬はできかねるとか。全身状態の検査もたまにはお受けにならなければ。とか。

面倒なこと言いだすのよ医者なんて。

どんな書類出したって、いつも同じなんだから、何の問題も無いでしょ。

・・・・・・・・・・

2004年 回復傾向にある
2005年 着実に回復している
2006年 徐々に快復に向かっている
2007年 回復が早くなってきている
2008年 着実に快復してきている
2009年 着実に快復に向かっている
2010年 引続き着実に快復してきている
2011年 着実に快復してきた
2012年 引き続き治療が継続
2013年 まだ快復の途上
2014年 ご快復は着実に進んでいる
     (2013年の医師の見解文とほぼ同じもの)。

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Author:KUONの久遠
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五月雨の露もまだひぬ奥山の真木の葉がくれ鳴くほととぎす

さみだれの つゆもまだひぬ おくやまの まきのはがくれ なくほととぎす
   
金槐和歌集 源実朝


真木は「高野槇」ともいいます


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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