今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

東宮夫婦は出て来られず。

S新聞の皇室ウィークリーに.。

いくらか言葉遣いを丁寧にして、内容を引かせていただきます。

高円家の典子女王殿下が婚約内定の報告をされた際に

皇太子殿下と雅子ヒは出て来られず。

宮内庁東宮職による と、東宮御所では加地正人・東宮侍従長を通じ、 皇太子ご夫妻からのご祝意が伝えられたということです。


個人的な思いは、マイナス方向にあったのでしょうか。

顔を合わせて祝意を述べる程度のことさえ、しない、できない、しない、東宮夫婦。

面白くなかったのか。ふふん。ふ~ん。

スポンサーサイト

利用性の互換性。

卵に紅しょうがを刻んで入れて、しょうがが沈んでしまうので始終ぐるぐる混ぜながら、三人分のお弁当の卵焼きを作った。弁当をつかうのは66歳のぢいさんと37歳の娘婿と12歳の孫息子。年齢幅がひろいので、おかずの内容を考えるのがなかなか・・・って。

違う。こんなことを書くために朝から座っているんじゃない。

卵をくるくる巻きながら私の胸にふと浮かんだ、泡沫のような疑問、疑惑。

大変げひんとは承知。しかし浮かんでしまったので書いてしまいます。

千家さんのおたくと、高円家の皆様の「お付き合い」が始まったのは、平成13年から、だそうです。

今から13年前。高円宮さんはご存命で、典子さんは当時12歳。

宮内庁によると、高円宮ご夫妻と典子さま、三女の絢子(あやこ)さまが平成13年9月、出雲大社で出土した「心御柱(しんのみはしら)」を見学して以来、千家家とは家族ぐるみのおつきあいをされてきたという。

ここには、ご夫妻と次女さん、三女さんが出雲へ行かれて、それ以来、とう感じで書かれています。宮内庁の発表です、何が省かれていても不思議ではない。現在の話題の主の典子さんが12歳なら、なぜかここに名のあがっていない長女の承子さんはお幾つくらい? 15歳くらい?。

そしてこの翌年。平成14年11月、高円宮さまは急逝なさった。47歳。承子sんは学習院高等科、茶髪でミニスカートで、と、ご葬儀の時の姿が衆目を集めました。実は制服も襞が整っていなくて、しわくちゃ感もありました。

典子さんは中等科でしたか。

で。それから承子さんは英国エディンバラ大学へ留学、犯罪心理学を学ぶ傍ら、私生活の充実にめっちゃ、つとめられた。

皇族のお嬢さんのくくりでなくても、ご自身のブログの内容は強烈でした、一言で言えば奔放(過ぎる)お嬢さん。過ぎたことです、詳しくは述べません。が、記録も記憶も残っています。ご本人が否定していないので、慌てた怒った宮内庁にも抑えようが無かった。

内容をスクープしたのは週刊文春、

「承子さまが作成なさったことを、確認しております」

承子さま作成のウェブサイトを発掘したのは、週刊文春(2007年2月8日号)。記事の内容は、同誌が承子さまのものと見られるミクシィのページを発見、そこには別のウェブサイトのURLが書かれており、そこは赤裸々な内容の自己紹介や日記が掲載されている、というものだ。さらに、同誌ではJ-CASTニュースに対して(略)


承子さん自身は2006年に成年皇族となり、2008年にはエディンバラ大学を中退(学習院大学も中退している)、帰国後、早稲田大学へ一年生から入り直して、ここは卒業して、知られているように去年から、日本ユニセフ協会へ常勤者として勤め始めています。

典子さんも成年皇族として、新年の一般参賀や園遊会にも出ておられた。

大学卒業後は、しばらく公務をしっかりつとめたいとのことだったと言います、確かに、地味ながらお出ましでした。公務・・・。

千家氏とは、趣味のバードウォッチング云々と、このところ出ています。

(典子さんの)お相手は、皇室と関係の深い出雲大社(島根県出雲市)の禰宜(ねぎ)、千家(せんげ)国麿(くにまろ)氏(40)。平成13年から家族ぐるみの付き合いが始まり、さらにバードウオッチングという共通の趣味がお二人の仲を育んだ。ご婚約内定で、出雲の地と皇室は、さらに深い絆で結ばれる。

とにかく。ご縁談自体は素晴らしい、お二人のお幸せを祝う気持ちに嘘はありません。

・・・なら。私は何に拘ってしまったか。

・家族ぐるみで知り合った。

・翌年、宮家の当主はお若くして亡くなってしまった。

・不慮の急死であるなら、久子妃の嘆きも悲しみも深く、共に抱いていたあれやこれやの計画の中座は、まことに無念だったと想像される。

・計画って何。どこまで。んん。長い間、親交のあった高級官僚、小和田恒氏の夫人・優美子さんが育てた(回りくどいわね)雅子さんが、入内されるにあたって尽力されたといわれたけど、「どうも、雅子さんって、使えないヒトみたいよ、とか。どうもぜえんぜん、なっちゃいないわね~、とか。夫婦で話し合ったりなさることもあったか・・・な。何事にも失敗例はある、おそろしい話ですが。

・これから生きて行く目途を立てねば。食べるにお困りというレベルでない、久子さんはそんな、植物的な生き方に留まるを肯える人では無かろう。これは妄想ですが。多分そう。その後の猛活躍がかの方を物語る。

19年4月に初めて出会った典子さまと千家さん。その後のお二人の結びつきを強くしたのが、バードウオッチング

今回、テレビでも何度も流れた、この「初対面」。これは宮内庁の発表とは趣を異にします。7年前なら典子さんは18歳。国麿さんは33歳。一般的には「う~ん、ギリギリ」で納得、のラインでしょうか。

この部分は、妄想ばっかりしているKUONの妄想です。

久子さんは、はじめ、他の娘さんを、この家柄財産申し分ない、性格的にもイケている方に、と、考えはしなかっただろうか。

年齢的にはその方が、いくらかでも差は少ない。久子さんがそう、考えたとしても、無理ではないと思うのです。

しかし残念なことに、文春が。帰国して成年に達して、これからあちこちへ「こなかけて」(ま。ものすっごく下品な言葉を使って みました しまいました、行くべき長女さんの、あらまほしき乱行を、暴いてしまった。それまでは、ママは知ってても、外国でのことだし知らんぷりで・・・ってことだったかも知れないことを、ぶちまけてしまいました。子どもって親の言うこと、聞かない次期もあります。

・・・上流の社会には上流なりの事の納め方、知らない振り、触れないマナー、が、おありのようで。

いろいろ窮屈な中でお暮らしなのですから。多少のやんちゃは老若男女、見ないふり聞かない振りで行く。そんなエティケットも、ございます。

とはいえ、承チャンのは、派手でした。パパのいなくなっているお家だから、微妙に軽んじられる空気もある。世間ってそーゆーもんです。

久子さん自身にも、ちらほら、何やらの「ねぇご存じ?」なことがあり、だから
「小ママ」などの尊称も受け(尊称か?)でもあの方は、自分のことも娘のことも、な~んにもありませんわ、しりませんわ、何の事かしら?、おほほほほ、の、インプラントな笑顔で通りぬいて来た。

これはある意味、好悪の感情はともかく、大変ご立派な態度と、感心していたりもします、ワタシ。負けてられるかい、邪魔するやつはどけい。

お嬢様あがりでも妃でも、これ無くて、未亡人稼業(古語。死語でもないのよ)張っていられるかいってもんよ。

キライだけど女傑だわ。

女傑はいいけど。

久子さん。


何枚もの、高円家と千家家との集合写真を拝見しました。

典子さん国麿さんはもちろん。

13年、初対面時には不在だった長女の承子さんも、見た限りの写真には同席。

派手なお姉ちゃんも、くるみこんでお迎えの、精神的にゆとりのある、偏見無きお家なのか、千家家の皆さま。さすがだなあという話なのでしょう。

とにかく「結論としては、超旧家同士のご縁談が、めでたく整われた。両陛下からも祝福のお言葉があったよし。

文句も何も無い。

お二人の、ご両家の、ご両家に関わる多くの方々のお平らなることを、お祈り申し上げるのみです。

最後に、ものすっごい普通の疑問です。

ご婚約の成るにあたって、こういうケースでは、宗教の向きについてのお調べって、あるのでしょうか無いのかな。

例のあの「宗教みたいな扱われ方のカルト」だって、久子さんや、ついでに言えばとーぐー家の「ヒ」だって、本気でまともに「信じ」たり祈ったりするとは、ちっとも考えておりません。

利用性の互換性。

が。念には念を。久子さんのお嬢さんは、出雲なる大社のご長男の奥様として、身は潔白でおいでなのでしょうか。

嫁がせるとはいえ切れてしまうでは無い実家のお母さまは、その点、いかがなのか。

どうしても、あのお家に「娘」さんを入れたかったと思われる高円宮妃。そこだけ知りたい、他はいい、大丈夫なのでしょうか。

信仰チェックはお済みなの?。

出雲のお話。神話じゃないの、続いているの。ね。

わはあ。

いろいろ教えて頂けました~。ありがたいです。

高円家の次女さんの婚約が内定したことに舞いあがっている気はなく(そんな純情では無いの、悲しいけど)、私の関心はただ一点。

ご皇室にとって、どうなのか。私の願いである、東宮夫婦の終わり、のことに、何か関係して来るのか。そこです。

なんか・・・ますますお二人、しょぼく、みっともなさが増幅して来るようで、何ともかとも。

本題に進みます。出雲大社。

もちろん、さまざまな説や話やあると思いますが、こよりさんが送って下さったのは、以下。私もわからんながら、なるほどフウム、と、大変興深いことを、ありがとうございました。そのままご紹介させていただきます。

「逆説の日本史」シリーズ、井沢元彦.著  より。。

今までとは違った 角度からの歴史の捉え方を学ぶ事が出来、「日本人とは果たして
如何なる民族であるか?」を深く考えさせられたシリーズです。

その、第一巻「古代黎明編.封印された『倭』の謎」の中に、出雲大社について分析された箇所があります。
まず、
出雲大社の本殿内部は、「奇妙な配置」になっており、祀られる 大国主様は参拝者に
向かって “そっぽを向いている”形になっている。
これは 「事実」であり、解説書などにも「オオクニヌシの神座は 西向きになっていて、
参拝者は 神様の横顔を拝んでいる事になる。」
参拝者の正面に向かうのは、「古事記」の冒頭に出てくる 宇宙創生の 五柱の神、
別天つ神(コトアマツカミ)で、お参りする一般人は 実は、この「客神」達に拝礼している
のも同じ事だ。
第82代、千家尊宗氏は その著書「出雲大社」(学生社刊)で、オオクニヌシが横を向いている 理由について、
「この 霊魂 の故郷としての常世の国に相対せられているのだと いってよいのでは
あるまいか」...と述べている。
【国譲り】とは、「古事記」「日本書紀」に書かれているような、きれいごとの
「話し合いによる、納得した死」ではあるまい。
おそらく、オオクニヌシはタケノミナカタのように、抗戦し 力及ばずして降伏し、
「戦犯裁判」によって処刑されたか、あるいは敵の手が及ばぬ内に コトシロヌシの様に
海中に身を投じたのではないか。

現代ですら、総選挙を争うだけで「怨念が残る」といって(負のエネルギーを)忌み嫌うのである。
まして 古代では こんな「死に方」をした人間の祟りへの恐れは、想像を絶するほど
大きかったに違いない。

その「たたり神」に「日本一大きな神殿」を与えて お慰めする場所が 「出雲大社」です。
「負」のエネルギーを「正」に変えていく神事は 庶民には「想像を絶する」事です。


こう、始まりまして。次は、あの、信じがたいほどぶっとい、巨大な注連縄に話は続きます。

日本人の根底にある「怨霊信仰」

「逆説の日本史」より

出雲大社は「死の宮殿」であるからこそ、注連縄は「この世の神社と正反対」
なのである。

『出雲大社』(千家尊宗.著)

大社参拝者の眼に異様にうつるものは........シメ縄の張り方が、世の神社とは
正反対であるという事実である。
一般の神社では、社殿自体から見て左方、すなわち向かって右を上位とし、
注連縄は綯始(ないはじめ)を左、つまり 向かって右にし、末の方
すなわち綯終(ないおわり)を右 、向かって左にする。(中略)
...こうした一般神社とは 全く正反対の方法が行われているのが
出雲大社である。

なぜ「正反対」なのか?
井沢さんのご意見です。
『それは死者の着物を「左前」にするのと同じことである。
死者の持ち物は、現世の人間の持ち物と 向きを逆にする...これは 日本に限らず 古代では広く見られた習慣だ。
日本では左前の白衣を着せることがそうだし、北枕、死者の枕元に立てる
屏風を上下逆さまにすることもそうだ。』

古代史においての 領土(国、という概念がどこまであったかは さて置き)
をめぐる争いの中で、オオクニヌシは「倭の国の古代種の王」であったのでしょう。
その魂の「鎮魂」のために、オオクニヌシを「幽事(かくりごと)の支配者」とし、その住まいにアマテラスの子孫より大きな大神殿を建て、(←伝説上...という事です。)おまけに
アマテラスは自分の次男をその神官にしてオオクニヌシを祀らせた。
どこよりも巨大な 注連縄でつくられた「結界」の中で。

天皇陛下の最も重要なおつとめである「祭祀」は、その内容について庶民の知り得る所は ほんのわずかです。
どちらに書いてあったのか 忘れてしまったのですが、「聖徳太子の像」に
天皇しか許されない お衣装を陛下が着せて差し上げる儀式...というのも
あるそうです。
「聖徳太子は怨霊である」という説を最初にとなえたのは、哲学者、
梅原 猛さんですが、(『隠された十字架』 新潮文庫)
いかに「怨霊鎮魂」が日本の祭祀の中で重要な位置を占めるかの証拠であろうかと思います。

慰め、封じ、清め...「科学の時代に?」と笑われても、守らねばならぬ伝統は
揺るがなく存在するのでしょう。
穢れた半島人種に 「破られ」「ブチまけられ」てはならないのです.。


ありがとうございました。

まだ、感想を述べられるほど解っていないので、ご紹介するにとどめます。

ああ、ちいとも知りませんでした。面白いです・・・。

で。これに関して、全く違う方から、異なる方面の「出雲大社」の話を知らせていただきました。

ヒミツで頂いておりますので、おそらく許して下さるであろうあたりを、引かせていただきます。

伊勢神宮は、20年に1度本殿ごと建て替えをしますが、 出雲大社は60年に一度の遷宮に合わせて大改修工事が行われます。
出雲大社本殿は改修工事の為、
工事中は、御神体を別の場所に移動し工事が行われます。

御神体は何かを公表していません。去年放送されたNHKの遷宮特集を見た限り、大人数名が御輿に御神体を乗せ移動していましたが、かなり重そうでした。
白い布で覆われ勿論見られません。
テレビで本殿入口からの映像を見る事ができました。天井には8つの雲の絵。

この改修工事にともない、2008年に一般向けに御開帳がありました。
知人がご夫婦で御開帳に行った際の不思議な話しです。

本殿の中央に、しんのみはしらと言われる柱に、寝ている龍がいたそうです。
ご夫婦でとても霊感が強いので見えたと言っていました。
それを聞いた2008年に
半信半疑の私は、出雲大社に電話をしました。ご開帳に行った人から、まん中の柱に龍がいたと聞いたのですが絵が書いてありますか?という質問をしました。
電話口に出た女性はビックリした様子で、電話を男性に代わりました。その方は落ち着いた様子で、ゆっくりと話しをして下さいました。

まん中の柱は、しんのみはしらと言って、本殿でもとても重要な柱だと言うこと。柱には絵は書いていない事。

見える見えないについては、
とても素敵な表現でお話しして下さいました。

このようなお話しをその男性とした印象では、霊感のある方には見える人もいて、一般のご開帳に当たっては60年に1度なので、出雲大社にお勤めの方でもしんのみはしらを見ても、感じる人と感じない人がいて、勿論個人差がある。

女性のビックリした感じからすると、出雲大社では、言い伝え的な感じで、本殿には龍が眠ると言い伝えられていたのを電話で問い合わせを受けてビックリして、別の人に電話を代わってもらったと思います。

また、NHK遷宮のテレビの話しに戻りますが、そのテレビの映像を写真で撮って見た所。
私にも、しんのみはしらに龍らしき物が見えました。

霊的な話しなので、非公開で失礼します。


これに関しても、頂いたそのまま、ご紹介させていただきました。

お寄せ下さった方、ありがとうございました。

うさのうさみみ さんの宇佐神社のことも、なんだか大変な異様な事態になっているようで、私の頭の中が少し整理できましたら、仰って下さっていることに「!」もありますので、お借りしますね、その節はよろしくお願い申し上げます。ヤなことは、わがままに「ヤ」と言うてますので、すっきり。着信拒否なんかしませんよ。笑。

今夜はここまでとさせていただきます。

自転車の車輪の中にも、海が。

ひとつ解ったことがある。

私は未だに、十分、お花畑だ~。

何も知らん。肝心なことを知らん。

当たり前のことなのですが。では今まで、何を知っていたと言うのか、なのですが。気づくと恥ずかしいものですね。ほへへ

少し考えたいので、しばらく逃げます。朝も早うから逃亡宣言。

ばっと。アイシャルリターン。己がいますこし、恥ずかしいだけです。



行きたかった場所がある。

見たかった海があります。

去年、やっと、訪れることのできた場所。

丹後半島の東の端っこに、そこはありました。

伊根。伊根の舟屋。

海のきわギリギリに木造の漁師たちの家が建ち並び、家の裏口がつまり、舟のもやいどころ。舟のガレージ。

狭い昔のままの道を、ゆるゆると歩んで行くと、玄関を開け放った、あるいは洞のような車庫の・・・向こうに、海が見える。

笑いたくなるくらいすぐそこに、海がある。

額縁に収められたかのように、長四角の海が、見えました。

家の中も車庫もほの暗いので、向こうにある海が、のんきに、無表情に、たんたんと、明るいのでした。

携帯電話のカメラで、夢中で撮った写真が残っています。

写真というものを、ほとんど撮らないで、見えただけのものやことを、自分が見たものとしているのだけれど。

あの時は撮りました。あれもこれも撮りまくった。

ふなや 喜左エ門    の看板。

緩やかなカーブを描いて続く石の階段、そこを上って行ったら、真っ赤な椿が真っ赤な大きな花を、ぼたぼたと落としていそうな。ある日越して行って、それきり会えないみっちゃんのつんつるてんの浴衣姿の無表情が待っていそうな。

無人の駐車場の真ん中に停められた、自転車の、車輪の中にも海が見えました。

真昼の、やる気のなさそうな、呑気で優しい海でした。

・・・そこを舞台の一つに、小さな物語を書きたい。

黙って、時々薄く笑って、働いて来た女の話になりますかね。

昔、遅めの恋をして。とても濃くて存分で短かったその恋が残した息子を、一人で育てて。

独り立ちさせたその息子が、ある夜帰って来て。

カノジョの話をして。女が作った普通のご飯をもりもり食べて、眠くなったと、二階への階段を上って行く。

その、裸足の息子の脚の、くるぶしの形が、あの男に似ている。

・・・そんな、それだけの話を書いてみたい。

伊根の海はどう関わって来るのか、どんな長さになる話か、何より、本当に書き始めるのか仕上がるのか。

すべて不明なれど。

そっちの世界で、ぼわあんと、しております、しばらくの間。


こよりさん。恐れ入りますがお願いの儀のございます。

叶うならば。出雲のことについて。

教えて下さいませ。(がばっと両手を付く。)よろしくお願いします。コメント欄で失礼ですが、お教え下さい。


ぶっちゃけ申して・・・。

高円宮家の次女の典子さんと、出雲大社の権禰宜・千家国麿氏のご婚約。

おめでとうございます。

いかにも皇室(らしい、と私が感じる)縁談という感じ、正直、はじめに正装?の・・・男雛姿の千家氏の正面写真を拝見した時は、え・・・という思いがありました。40歳に見えない、とっちゃん坊や?と、ふと、あの例の内廷皇族のお姿がマナ裏をよぎりました。ナルちゃんに関するトラウマ。。。ナルトラ、けっこうきついのかも。

外へ出る?ダメだ、出してはダメだ、の、このナルトラの理不尽さ(わたしに、皆さんに、とっての)。

どうも失礼な感想で、申し訳ありません。

今朝がた、出かける前にかなりゆっくり、千家氏の日ごろのご様子の映像とか、評判とかをテレビを通して見せて頂き、大変気取らないさばっとした感じの方であられるのを実感し、ユーモア、気持ち的なゆとりも発散させておられた。矢を射る表情の引き締まっておられること、笑顔の感じもよくて。何より、典子さんを大切に思ってらっしゃる感じを隠さないでおられて。

典子さんも、上品とかそれより、はきはきとしてしっかり者、フィアンセが仰るように気遣いの細やかなところも垣間見えて、いい奥様になられるだろうと感じました。

ご降嫁といえども、並のお家ではない。でも気取っていてはやって行けないお家。

生まれつきの皇族・・・女王であられて、つまり、特に気を遣って「お上品」である必要もないのですね、この方は。

思えば戦前の皇族の女性方は、けっこう、こんな感じだったのでは、と思います。

…ご清潔で…ご立派で、とは、現・皇后陛下の、針のむしろに座りに行かれるにあたっての、精いっぱいのなさりようだったのではないか、とも。

香淳皇太后なども、随分さばっとものを仰ったようで・・・ほんまもんのお姫様で。古い写真を見ても、皇族の女性も、だらんと和服をきつけておられたり、着物姿で足を開いて立っておられたり。

現在の、現代の皇室では、紀子妃殿下のかっちりとした純正統派を思わせるなさりよう、内親王方への伝えられようが、望まれる在り方なのでしょう。紀子妃殿下は本当に真摯に学ばれ、かくあるべしの形に、身を添わせて行かれた驚異的な方だと思います。真似できない、他の方が真似をするべくもない、次代のトップを担われる妃殿下として唯一無二のお方と思う。

時代や実際の露出の在り方や、この今の皇室に、ぴしゃりとはまられるお方と思います。

ぶっちゃけ申してすみませんが。

典子女王さんには、美しいとか気品に満ちたとか初々しいとか。そういった感覚は、あまり持ちませんでした。でも。

いかにも、結婚して皇籍を離れて、婚家先に大ウェルカムで迎えられて、率直に素直に「家」の仕事を学ぶ馴染む姿勢で励まれて。溶け込んで行かれて、お子さんにも恵まれて、夫さまを上手に頼っていささかは敷いて・・・ぱきぱき、やって行かれるんだろうなあ、と、とってもすんなりと感じて、すごいなあ、と。感嘆もしました。

皇室と出雲の大社の結びつき。奇跡だの歴史的などうだかだの、難しい話も飛び交っているようですし、私にはそれはよく解らず。ただ、こういう婚姻もやはり、あるのだなあ、と。

高円宮家の久子さん・・・典子さんのお母さま・・・この方について、さまざまな面からのさまざまなことが取りざたされたりして、今も、いるのですが。

典子さんはお母さんを「いつも明るくて元気で大好き」と言っておられる。そうなのなら、幸せなお母さんで、頑張って来られたのでしょう。

出雲大社の跡継ぎさんに娘を嫁がせる親として、そーか関わりの部分はどうなのか、気になるところですが。

そっちとは離れる。そうですかね、やはり。それでないと困るところが出来て来そうです。

オワ方面とも、ごめんあそばせ、ごきげんよう、で、お別れか。

・・・そこ、よくわからないので何とも。それでないとあかんやろなあ、やっぱり。

出雲の80何代目か氏は、どこかの長男みたいに、ヨメの親の方に引っ張られる人でもなさそう、絶体に無い感じです。それが何とも頼もしくありがたく。、

・・・やっぱり、くおんのナルさんトラウマ・・・ナルトラ、思っているよりきつそうです。

いちばん、あり得ない、あってはならん方向へ、まっしぐらなんですからなあ。ナルさん。20年かけて成熟せず。いけない方へ発酵してしもうた。泡、噴き上がって来たら。くさい。くさいじゃ済まん。

・・・久子さんの、お嬢さんへのコメント。

「二人で温かく幸せな家庭を築いてくれることを祈っています」

「常に感謝の気持ちと奉仕の心を忘れず、日々の務めを果たしてほしいと思います。
出雲は歴史と伝統のある地ですので、よく勉強をして、早く新しい生活に馴染んでくれればと願っています」

この前に「親のところにいた期間よりこれからの方が長い」という文言もあった気がします。

母親の気持ちとして、これはまことにその通り、と思います。ここで、自分はそれ、のうのうと云えていいよね、とか,
言うたらあかんですよね。やっぱりね。



高円宮夫婦が、皇室に、雅子さんを押し入れた一つの力だった、というのが、もし本当なら。なんと無責任なことを、と、今この時にも、ふつふつするモノが胸中にある。

なんてことをしたんだ、と。してくれたんだ、と。

時は巻き戻せない。犯した罪は取り戻せない。でも。

現在でも高円の長女さんは、反日の巣窟ともいわれる一つ、日本ユニセフ協会につとめている。小和田優美子さんもそこの理事の一人です。

これらを考えると、典子さんは、母親や姉の現況がどうあれ、もう一切を、降嫁して嫁ぐと言う一点に集中されて、ぜひ、ぜひ、あのどっしりと純朴そうなご夫君(になられる方)と、温かい家庭を築き、出雲大社という大切なそこを、お守りされることに力を注いで、大きくゆったりとしたお幸せを築かれますように、と、僭越ながら、お祈り申し上げたい次第です。

とりあえず。

ひとさまの結婚には、祝意をもって臨みたい、こう、いつも、思っています。結婚の時にあれこれ言われるのは、辛い。忘れがたい傷になることが多いと思うので。

久子さんは、ともかく、他のことはどうでも。やり手のメリーウィドウ、あちらとは、きっぱり、手を切られたんですよね。さすが賢明なお方ですよ、と、棒読みにしても、称賛の声。

棒読みの、称賛。お子さんのためにも、いきなりですが日本の隅っこの隅っこのミジンコであるワタクシの、精神の安定と、お嬢様のご結婚への、心からのおめでとうございますの気持ちの、純であらせていただきたいために。そんな勝手なことであっても。


ともかく、なんだかわからないが「めでたい」と迎えられている、女王様のご婚約。その映像を、拝見するにつけ。

本家のご長男ご一家の、どこからどう見てもの惨憺たる現状。惨状。醜状。

これを、なんとかしていただきませんと。

小和田さんとの御縁は、切れておられますのですよね?。その点、この疑問、やはり書き記さねばいられない自分が、ちょっと、疎ましい。

おめでとうございます、典子さん、国麿さん。心からお祝い申し上げます。




BBさんの「ありがとう」。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑で拝礼式
5月26日 14時35分
第2次世界大戦中、海外の戦地などで亡くなった人たちの霊を慰める拝礼式が東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われ、政府の調査団などが持ち帰った1800人余りの遺骨が新たに納められました。

拝礼式には秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまが出席されたほか、安倍総理大臣や遺族の代表などおよそ600人が参列しました。
式では佐藤厚生労働副大臣が「戦後69年を迎えようとする今日、なお多くの戦没者が各地に眠っており、今後も遺骨収集に力を尽くしていきたい」と述べました。
このあと政府の調査団がモンゴルやインドネシア、それに硫黄島などから持ち帰った身元の分からない戦没者1843人の遺骨が新たに納められ、参列者が菊の花をささげました。
墓苑に納められた遺骨はこれで36万96人となりました。
戦没者の遺骨の収集を巡っては、政府は激戦地だった硫黄島での収集を本格的に進めるため、現在ある自衛隊の滑走路を移設し、当時の地下ごうなどを掘削する計画を進めています.。


この春まで学生であられた内親王さまが、すがやかなお姿で公務をおつとめです。ご自身のお立場への自覚と決意に満ちた、匂いたつがごときお姿。薫りは…不遜ながら勝手に申し上げますと、単に甘い花のそれでなく。

若々しいながら凛とした気配を感じさせる、色彩に例えれば、淡やかなグリーン。後で和の色の辞典、調べてみましょう。

(追記:日本の和色大辞典、なるサイトを覗いてみたら、なんと、伝統色として465の「色」があるといいます。

うっとりするような色と、色をあらわす言葉たち。さっき、淡やかなグリーン、と書きましたし、そんな美しい色も眞子さまにふさう気がしますが・・・。

天色。あめいろ、とか、あまいろ、とか読むこの、淡い水色が、いいなあ、と感じました。)


この日は、画像で見て頂けないのが申しわけないのですが、グレイのお召し物に(ワンピースの上にジャケット?)黒いお帽子、黒い靴、拝礼式ですので白い手袋。アクセサリーもシンプルで爽やかな品をお付けです。

「 王侯貴族の衣装は保守を以てよしとする。 」

このセオリーそのまま、そして、既にいくらかは慣れられたやにも思いますが、大勢の人々の注視の中を、お若いみそらで、粛々と姿勢ただしく歩まれる、背筋すがしく席に就いておられる。

みじんも、不安や疑問を周囲の者に与えない、みずみずしい中に、さすが秋篠宮両殿下の薫陶を受けられたご長女と、心強さを感じさせる。大丈夫だ、日本の皇室にはこんな方がいらして下さる。そう、胸に迫ります。

皇室のお嬢様の。内親王殿下の。このようなお姿を、拝見したいのだな~うちらは、と。つくづく、感じ入りました。

眞子さま。ありがとうございます。

先日の、悠仁さまの運動会のこと。

子どもらしく伸びやかに。愛情と躾をきっちりとお受けになって、受け止めて身につけてお育ちになっておられるのが、拝見するだけでわかりました。

あの年頃の子どもの、歯抜けの笑顔の可愛らしいこと。たまりません。不遜ながらここにも、わが体験の中のうた一首を。

     いま抜けてしみじみ小さき子の前歯 虫食い穴のひとつ開きゐる

この「前歯」はもっと遡って、

     生えそめし吾子の前歯がこちこちとグラスに鳴りし音を忘れず

こんな「歯」でもありました。・・・思い出します。

秋篠宮家でも、悠仁さまの小さい歯を巡って、なごやかな話題や笑顔がひろまっておられたのでしょうね。

家にいるのが一番好き、と仰ったという、秋篠宮さま。そのお言葉は、紀子妃殿下への花束でもありますね。

で。いま現在の悠仁さまは、お若い頃の今上・・・もっと言えば、ハイカラな皇女であられた時代の清宮貴子さま。後の島津貴子さんに、そっくりと感じたのは、私だけかしらん。

・・・・・と。ここまでは、今朝の私の思い。以下も、そうといえばそうなのですが。

BBさんの、最新の渾身の記事の終わり近くの部分に、打たれました。

引用させていただきます。

実のところ、膨大に上げてきた東宮とその妃への批判記事が、いかほど廃太子廃妃に役立つとも思ってはいません。一言で言えば「許せない」んですね。それは韓国のやり口を許せないとか、そういうレベルのことでもあります。

この方たちが天皇皇后へと即位したとしたら、後拙ブログ主はどうするのか判りません。
もう諦め果てるのか、秋篠宮文仁殿下、悠仁親王殿下という希望の星に、まだ託し続ける希望を棄てずに頑張り続けるのか? 

最小限言えることは廃太子になろうとなるまいと、真実を伝えたいということです。
お二方のような心得違いの、人として心根の非常に低い方々がたとえ天皇陛下
皇后陛下におなりだとて、真実は見据えていたい、伝えたいということなのかもしれません。

東宮問題は単独にあるのではなく、日本の国体を汚し弱めるすべての事象と結びついてそこにあります。
それに気が付かない頭の悪さ、感性の低さが東宮擁護派の特徴です。
いちいちあげつらうのは、個として悪口を言いたいからではなく、真実へ至る
踏み石として、小さな石まで置き連ねています。

そして雅子妃と東宮は日本の伝統と、日本人の心ばえの美しさの破壊者です。
この方たちの代わりに秋篠宮様をお立てすることが日本の美しさを守ることだと
信じています。

東宮問題を広めようとして挫折、心折れる経験をした人も多いでしょう。
それもでも広めましょう。日本のためです。ただ、世の中には悪事に直接
加担はしなくても、妙に悪人の肩を持ちたがる手合いはいます。
おそらく魂の領域でしょう。これらはいくら言っても無益で、働きかける側の
エネルギーを吸い取るエネルギー・バンパイヤでもあります。
関わらないほうがいいです。
こちらにも批判者やら殴りこみがありますが、全て東宮批判を続けるエネルギーに
なっています。拙ブログを叩いても逆効果です。奮い立ちます。ありがとう。


この、最後の「ありがとう」に落涙しました。


風の噂に見てみれば。今夜限定です。

Mrs Oakley Fisher の台所から

皇太子ご一家応援サイト「頑張れ東宮職」

♠ お知らせ

2014/05/26 (Mon) 未選択


母親が緊急入院することになりました。

老親二人、勝手にやっててくれるので呑気にしておりましたが、二人で0.7人程度だったので(特に父の方は一人になると0.1を割りますね)今、大慌てです。

時間が取れないので、ここは閉めて行きます。

突然で申し訳ありません。

      1/3管理人


いやあ。特にこれと言う意図も無く。

ときどき見に行ったりしていた、なんだか一人で何役もしておられる感のある(自分で書いて自分で突っ込んで、娘や孫を地球が終わるくらいの凄さでもって褒めて、している、すごい方)のような気のする・・・。台所ばば、さんて、もしや、この方?。

まさかそんなはずはない、。根拠なく一応、書いておきます、この方が、あのO家の夫人や双子の娘さんに関係あるなんて、たとえ確信的で根強い噂に聞いてはいても「そうなんですってよ」とは、わたくしには書けませんわ。KUON世間知らずだし~。うふ。

嘘や捏造はキライなんですもの。このお方が、読む限り知る限り嘘と捏造ばかりの方? とはいえ、人道的境地からも、断言などできません。この方のご夫君、おえらいのよ。

ま、まあああ、大変ですわね、って、そーゆー気持ちで取り上げましたのみ。

この方のブログの内容に比肩するくらい、つまらない記事になってしまいましたかしら。

何がおありだったのかしら。本人が入院?  んん?。何かあった?。

あすは違うことを、いつものわたくしで書かせていただきまっす。


ご連絡。

先日参加して下さり、まだご住所を教えて下さっておられない方。
お心当たりがおありなら、写真をお望みなら、お知らせください。もれなく面白い物体の写真がついて来ます。

逢魔が時。

たそがれ。という言葉があります。

陽が落ちたあと、西の空に夕焼けの名残りの赤さが残るころ。

この赤みが失われていって、群青の空が天を覆ってゆくと、

「逢魔時」

と呼ばれる時間となります。

おうまがとき。


日が暮れればどんな明かりも無かったころ、向こうから来る相手の顔も見えなかったころ。

誰そ彼。たそがれ? と当時の人々は感じた。あなたは誰? どなた? と、呼びかけたのかもしれません。

これが、夕暮れ時でなく、朝の薄明、うっすらと明るくなって行くそんなころを、日本人は

彼は誰・・・かは(わ)たれ、と表現しました。


かつて、こんなうたを詠みました。

   たそかれと問ふまでもなし誰も彼も他人ばかりの街のゆふぐれ

一人で東京に出て行った19歳の自分を思い出して詠んだのでした。

   地下街の花屋に見つけし青き麦を腕いっぱいに抱きて帰る

   地下鉄の階段のぼりて見し空はトマトジュースの色の残照

   ドア押せばたちまち夜の雨の街 摩天楼の灯りなべて滲める



そして逢魔時。おうまがとき。

逢魔が時、逢う魔が時とも書きます。

日が暮れて、まったく灯りの無い、漆黒の闇の夜が訪れる時間帯を意味する言葉。

「大禍時」と表記する場合もあるようです。

魑魅魍魎に出会う禍々しい時とされる。

人々は魔を恐れて早々と屋根の下へ戻り、粗末でもしっかりと戸を閉ざして、明日の朝の太陽を待った。



一度めざめて夜の更けに、ふたたびの寝に入れず・・・そういうことは珍しいことではないのですが・・・ぼんやりと、気まぐれな睡魔を待っていました。

パソコンのネット上で見たあれこれの画像がまぶたの裏をちらちらして。

・・・ここで、なんだかおどろおどろしい言葉をまき散らしている今朝のブログ上で、秋篠宮悠仁親王殿下のお可愛らしい「運動会でのご様子」を語ることは慎みましょう・・・悠仁さま・・・ありがとうございます・・・。

ナルさんのことです。

一人で一泊の公務の旅の途上の、写真。

周囲に人はたくさんいるのに、奇妙にその貴賓だけ影が薄い。

ナルさんだけ、10回くらいコピーして輪郭がぼやけたみたいな印象に写っておられる。あ。つい、敬語を使ってしまいました。

その、皇太子のお姿に、ふと描いてしまった言葉が、この。

逢魔が時。だったのです。

申し訳ないのかわからないけど・・・そうだったのです。




デンジャラス。

皇太子さんは6月の中旬にスイスへ行かれる、ごこーむで。

雅子さんも招待を受けていたが、何か理由は書かれていましたね体調がどうとか移動がああとか。

とにかく、キサキのスイス行きは無し、と。

今日、徳島でのナルさん、確かに左手に、白い包帯様のものが見えました。

私、冗談でなく恐ろしいのですが。

デコにコブが出来てる顔で人前に出て来て、いつものごとくぺちゃくちゃやって、にたこら笑っていた夫婦。

今回、突き指という大けが! をなさっている皇太子の、奥さんは、全く顔を出していない。

デコ・コブの時より、き〇がい度は、飛躍的にアップしているはず。今までは、ダンナはATMなので、そんなひどいことはするまいと。

まるで。あたかも。雅子さんというヒトに、その程度の理性があるかのごとく。考えられていたのですが。

どんな噂を流そうと、どんな写真を流そうと(意図も意味も不明・何かやらかしたがっているなと、逆におかしな気持ちを喚起するだけ。もう、何をどうしてもだめですよ、きっと)こぼれた水は隠せない、お盆にもグラスにも戻れない。

ナルさんが危ないと思います。

高校生の頃に夢中で読んだ「ジェイン・エア」。ジェインの大切に想った相手には、結婚前から気のくるっていた、血の中にその要素を持っていた、妻がいたのでした。貴族の邸内の奥深くに隠されていた妻。

夫に結婚の幸せを与えることの無かった妻でしたが、くるってはいても、何かを感じた。

ロチェスタ氏の妻は、そういうことには狡猾で、屋敷に火を放った。そのような妻でも身を挺して助けようとしたロチェスタ氏は、両の目の視力を失い・・・って、ろまんちっくに思い出している場合では無い、くるった妻から連想した話、それだけなんですが・・・。

何をするかわからない。そう思います。徐々にあちらが追い詰められているのは事実として。

とんでもない野望も潰えるのが目に見えてきた。

大きな大きなことです、小和田がからんだこのことは。

でも雅子さん自身は、多分、そんなには解っていない。いろんなこと、解ることが出来ない人。解れないけど、自分の周囲が「うまくない」くらいは解る。本能だけは有している。なんでよ、と腹が立つ。シンプルですね、あのヒトは。自省と言うことはいっさい無いので。

腹が立ったら怒鳴ります。気に入らなければ無視する。本当にそうなんです、信じがたいことですが。もっと腹が立ったらどうするんでしょう。

愛子さんが、もう少し成長して、本気で母親を苛立たせるようなことをし始めたらその時は・・・と、考えていたけれど。

今はそうでなく、雅子さんにとっては「使えない」気分になって来ている存在の、ナルさん。もしかして、自分と遠く、なんだか違う扱いにされてしまいそうな、そして、そうなれば自分のことなど構わなさそうな薄情な・・・雅子さん側からは・・・腹の立つ皇太子、自分だけは公務をする、公務として旅にも出る。そういう、生意気な・・・雅子さん的には・・・ナルさんに、攻撃的な気分はいや増すのではないかと。

恫喝すればへらへらと、自分の機嫌を取っていた夫。睨んでも殴っても思い切りバカにしてやっても、、耐えることは知っていた。で、耐えて、笑っていた夫、バカみたいな・・・雅子の側から見れば・・・無視してやれば媚びる。ちょっと笑いかけてやればいい気になる、自分の意を迎えようと、どんな風にでも応じようとした・・・だから腹が立ったし、だからまあ、許してやって来た…雅子的には・・・夫が、なんだか、えらそうに、抜け駆けしそうな、自分だけ良い子になりそうな・・・雅子的には・・・様子、皇太子でなければ利用しようも無い、めんどくさいだけの・・・うっとおしいだけの・・・雅子的には・・・そんな男のくせに、なによこの頃の態度は・・・と、なって来れば。

あのヒトは、何をするやらわかりません。

体が大きい。たっぷりと蓄えられた体力がある。理性は無い。遠慮も無い。あるのは他罰的な感情、自己愛、歪んだプライド、どうしようもなく蓄積された(雅子さん的には)ストレス。

ストレス! 彼女的には、あるのですね、そんないっちょまえな。何も、な~~~~~~~~~~~~~~んにも、まともにしていない、出来ていない、どんぞこレベルのプリンセス・オブ・ダメ。それがさ。

あたしばっかり苦しい思いさせられて~~~って。なぜか、こうなるのですが、腕、振り回して。脚、振り回して。

何をするかわからない。

と、本気で私は、考えております。普通でないのです、雅子さんというひとは。

ブログ「やまのこ山」さんで触れ初めておられることに、今日は私は、突っ込んで行けませんでした。

こわいのです。

わかろうなんて、それこそ不遜?。

皇后さまがお忍び出席 帽子デザイナー・平田さん送る会
                                         
 国際的な帽子デザイナーで、3月に89歳で死去した平田暁夫さんを送る会が19日、東京都千代田区のホテルで開かれた。自らの帽子作りを依頼していた皇后さまもお忍びで出席し、献花した。

 平田さんは1966年から皇后さまの帽子を作製。皇太子妃雅子さまや皇族方の帽子も手がけた。平田さんは生前、「公務内容や訪問先にどんな帽子がふさわしいか。毎回、皇后さまとご相談しながら作り上げました」と話していた。

 関係者によると、皇后さまは平田さんの闘病中、体調を常に気にかけ、「元気になってほしい」と特製のコンソメスープを平田さんのもとに届けたという

                                    ・・・朝日新聞の島記者が書いています。


 天皇、皇后両陛下は21日、私的旅行で本県入りされた。国際的に重要な湿地としてラムサール条約に登録された栃木市の渡良瀬遊水地や佐野市郷土博物館を視察。足尾銅山の鉱毒被害対策などのために造られた同遊水地の豊かな自然のほか、田中正造が足尾鉱毒事件の解決に向け、明治天皇に渡そうとした直訴状などを鑑賞された。

 同遊水地には午後1時すぎに訪問。雨が降りしきる中、30分間にわたり展望台で遊水地を見渡したり散策したりした。遊水地の建設で強制的に廃村となった谷中村や、生息する植物などの説明も受けた。

 皇后さまは前日に持病の頸椎症性神経根症による肩や腕の痛みを訴えており、陛下は散策の間、傘を差し掛けて「入る?大丈夫?」と気遣った。

 案内を務めた国土交通省利根川上流河川事務所の須見徹太郎所長によると、天皇陛下はクワなど植物に関する質問をされ「自然環境を残していきたいですね」と話したという。須見所長は案内後、報道陣の取材に「両陛下とも自然に関心が高いようなので、晴れた日にまた来てほしい」と述べた。

 旅行は1泊2日の日程。日光市の日光金谷ホテルに宿泊し、22日は鉱毒被害を受けた松木渓谷(日光市)の植樹の様子などを見た後、わたらせ渓谷のトロッコ列車に初めて乗車し、新緑を楽しむ。両陛下が同ホテルに宿泊するのは1996年以来、18年ぶりという。

                                                   新聞より。

以上2点。

皇后陛下の私的なお出かけの記事をあげさせていただきました。

帽子デザイナー氏を送る会へのお忍びのご出席では、真っ赤なドレスの黒柳徹子さんと同卓に就いておられるお姿も拝見しました。

こういったご出席は「異例」のことだそうです。私は、なんだか不思議な場面を見た気になりました。

お届け(させ)になったというスープは「命のスープ」とか、週刊誌では命名されています。それをいただくことのできる、選ばれた方にとっては、さぞ、光栄なことだったでしょう。


「私的旅行」という、これも私の中では座りの悪いネーミングのご旅行の折りは、雨。

ふたたび痛み始めておられるという肩や首、雨ではさぞ、痛んでお辛かったのではないかと、思いました。

 両陛下は午前9時50分ごろ、東京駅を出発。ホームでは市民らが見送り、左肩の痛みから前日の公務を欠席した皇后さまも左手で手を振って応えていた。

 昨年から始まり、今回が3回目となる私的な旅行で、森林の再生に関心を寄せてきた天皇陛下の意向を踏まえて実現した。22日に帰京する


手を振ることもお出来になられたようで、一安心、という感じでしょうか。

私などが心配申し上げることでもない気もしますけれど。

ご皇族にももちろん行きたいところも会いたい人もおありなのでしょうから。それを、お示しなのですね、もしかして。



今日は外へ用に出たので、お昼ご飯の後、ちょっと本屋へ寄って立ち読みもしました。

皇太子さんが「ひた隠す」突き指のこと、という記事が気になったのです。

さらりと出ていました。

やはり2か月の突き指で。骨折はしていない、固定はされている。ごこーむはご会釈、ご進講程度なので、支障は無い。言うまでもない。そりゃそうです。

会見でも大夫はその理由に触れない。けがの原因は不明だが、とかあって。・・・立ち読みですので、こんな程度の記憶です。ごめんなさい本屋さん、新書は一冊買ったからね。

あと。記憶違いでなければ。

東宮の誰かの話として(誰やねん)、以下のごときことがあったような・・・書いてありました。

 「何か重いものを持ち上げようとされて何かにぶつけられた・・・」

はて面妖な。

箸より重いものを持ったりなさることなきがごとき、貴賓の。御手に。ほおおおお。

・・・ご高齢の御身を(勝手に)はらはらと慮る、何よりなさっていただきたいことへの期待と失望に胸中(勝手に)膨れ上がっておる(ド庶民)国民たちの思惑…それが、何なの。ってな、皇后陛下のご慈愛のご行動。

わかろうなんて、それこそ、不遜ってものなのかなあ。

いちいち、ごちゃごちゃ、思わなくていいんだな、きっと。と、とても思った今日のわたくしでした。

あ。思い出しました。こんなことも今日、知りました。

皇太子さんのスイスへのご公務。

始めはたしか、8月、という話だったように感じていたのですが。だから、妻子も一緒に、という成りゆきを目指したっぽかったのですが。それはナルさんご自身が言ってしまっていましたものね、

 「雅子の病気のためにもなるし、愛子もそういった体験をすることが」 

大切だよね、と.自分たちも海外旅行を話し合っている、って、妻から言わされたことを、記者会に突っ込まれてバラしておられた。

それなのに、6月では、愛子さん行けないでないの。雅ドンも当然、足止め。

6月を決めたのが、宮内庁と両陛下だったということで。

何よ話が違うじゃないの、きーーーーっと、なったなんて、それでギシーっと腱がむにゃったなんて、荒唐無稽過ぎて、シラフでは言えない話ですね。

私は年中シラフの人間なんですが。



 | HOME |  古い記事へ »

文字サイズの変更

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

悲しいこと (67)
福島事故 (37)
未分類 (361)
ことばのたのしみ (64)
ゆれ・ふら・とーく (136)
怒っていること (33)
嬉しいこと (42)
ノンタイトル (62)
今の思い (240)
呆然となること (51)
旅のこと、とか (5)
おそれながら、なことこと (3)
あほらしいこと (89)
残念なこと (33)
虚しいこと (52)
おそれながら、なこと (70)
わははなこと (39)
茶番じゃ。なこと。 (28)
実録 (15)
美しいこと (30)
厚かましい話 (57)
おそろしいこと。 (55)
「美智子さまの恋文」より (6)
たのしいこと。 (1)
うた日記 (17)
実は実話?。 (0)
実話ぢゃないのよ実は。 (1)
戯文 (1)
戯文 ジャムのかなしみ (2)
こういうこと。 (35)
御製 (9)
ミテ子さま・考 一 (1)
ミテコさま・考 (11)
みんなのうた (10)

ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・


三好達治『乳母車』

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・


三好達治『乳母車』

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

FC2Ad

Template by たけやん