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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

  

        

      逢ひたくて会へぬひとあり 会はざれば いまに会ふより 逢ひたきものを

      石垣を根は割りながら もののふの 去りし古城に さくら舞ひ舞ふ


     
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朝刊に目を通して、チラシなどを開いて眺めて。

ヤンキースへ行った田中将大投手のおじさん顔、いや真剣な投球フォームの写真の脇に書かれていた。

「挑戦」が期待されているわけではないと思う。

「活躍しないといけない」


おお。凄いと感じました。これだよ。まだ20歳代の野球選手、でも、身一つで戦っている人間の、自覚。周囲の助け云々はあるに決まっているが、マウンドに立てば、絶体の孤独のわけでしょう。特別にマー君のファンというのでもないが。

私が、東の方角のあの方たちに感じているのは、こういう感じのことです。

たまに出て来て公務復活だの。前泊で出かけてご馳走たらふく召し上がって(食べ散らした内容まで、デザートをお代わりした、まで、漏れ出て来ているのは、さすがのご夫婦。かろうじての自由階級ワタシが、手づかみでケンタのチキン貪っているのと訳が違う。ピザやラーメンのデリバリーの話題も。

5分だの10分だの、集めて並べておいた皆様に・・身元保証付きの方々のみとか・・ふざけるな・・、汚い笑顔もどき、汚い屈み方、髪もばっさばさのばさこ様と、人に会えば人に笑み。顔の表情筋緩ませることしか、幼日のしつけの成果の残骸の残っていないかの、ひつぎのみこ。何でもかんでも写真に撮らせ、それを、心行くまで修正し倒し、修正してなお、魑魅魍魎の跋扈するがのオカルト写真でも、つまり、撮らせて出せば、立派にごこーむ。アリバイ成立。

病気やのに、よう頑張ってはる。そう評価させる。映像の力ってすごい。

しょっぱなから、東大ハバドってぶち上げた破壊力もすごい。すっかり信じ込んで、イワシのアタマも信心とばかり、ありがたやありがたや、あのコータイシさんに、立派な害交姦の女性が嫁に来てくだすった、後は、産めば誰かが育ててくれる方式を取り戻そうがどうしようが、産んでくれればどーにでもなる、と、ばーちゃんたちは、あの方々の中身がどうもこうも、実は対して期待などしておらず。

大好きな映画「蒲田行進曲」で、銀ちゃんの子をお腹に、コブンの安の妻になった小夏に、安の母ちゃんが言った。

誰の子とも問わん(こわいセリフでした)けど、安を捨てんとってね、と。

息子いとしい母にさえ解っていた、ウチの息子に、普通に来たツマではないと。まして、惚れてくれたはずが無かろうと。かあちゃん言ったもんね。

「女は、安みたいなオトコ、イヤとよ」

ぎゃああ。お母さん。それを言いますか。清川虹子さんでしたが。あまりにもリアルなセリフでした、脱線してます、いいえ大丈夫、戻ります、戻れます。

ウチの息子に、きてくれるヒトはいないのかしら。

雲上人も大地に根を張って生きる人も、母ちゃんの思いに変わりあるまい(とも言い切れないのが人の世の一筋縄では行かないとこ・・・デモデモマサカ、コータイシが、振られ続けてしまうなんてね)。まだ、チャタレイ夫人の恋人なんてあーゆー存在が無いだけ、話は絡まない、それだけはメデタシ。おーの? オーノー、それは多分、無し。逃げたです、おおの医師も。

そういう嘘やっつけ下賤ごまかし恥知らずええかげんにせえよ卑小どたわけ付ける薬なしのてーのーむのー友納引退ぜーきんどろぼー的振る舞い、積み重ねては淵となり、そのあたり流るる水さえ汚濁にまみれ陽の照れば淀みの水より悪臭立ちあがり漂い出づるなり水の総裁ばか言っちゃいかん判断力お持ちになりませねば公的活動総て停止したまひて、蟄居お申し付け承りたく願い申し候。

結婚して20年経って、マー君流にいえば「挑戦」し続けるキサキに理解を。お見守りを。

それは無いわ、無さ過ぎやわ、挑戦期間とっくに切れてるわ、まあ普通言って、石の上に3年。それ越して7年。おおまけにまけて、苦節10年。そんなもんや。それ以上は、無理とちゃいますか。適応障害では無い、適応不全。黙って去るが道であらう。

20年、そこにいれば、求められるは、成果。道半ばなら半ばなりの、成果ではないかしら。望むも虚しいがあえて言えば、らしさ、とか。

それが、マー君のいわくの

「活躍しないといけない」そういうことでしょう。

もう、挑戦はいいから。虚しいから。聞いてるの、舐められてる感ハンパなくて、虫歯に詰めた苦い何かが滲み出し続けてる「イヤさ」。だから。



・・・きょう28日、天皇皇后両陛下は、伊勢から東京への途次に就かれました。

珍しく、名古屋にしか住んだことの無い三つ年上の従妹が電話して来て、

近鉄の駅でお二人を見た。少し待って見た。なぜだか、うるうる来て、夫にからかわれたが、夫も真面目に直立して見送っていた、とか。

最後に、このところ拘っている、愛子さんに関する東宮家の嘘、捏造の作文群について。

ルーツとも言える、母方の祖母、曾祖母の、そういうモノに対する感覚をうかがい知ることのいささか出来るあたりを「ドス子の事件簿」さんで、見つけました。

1993年婚約(内定)時期と思われる、小和田優美子が愛知県半田市商工会議所宛で半田青年会議所理事長である竹内啓二氏に送った、新見南吉童話集についての葉書礼状。句点を「.」にする癖や、平成5年41円年賀切手(お年玉付き年賀状当選切手)を用いている点に注目

前略御免下さいませ
新見南吉童話集
お送りくださりありがとうござ
いました. 私も子供達が
幼い頃、「お休み」の前のお話に
良く読んで聞かせました.
特に「ごんぎつね」は雅子の大
好きなお話. 私も最後は
いつも涙声になっていたことなど
再び読み返し懐かしく昔
を思い出しました.御礼まで。
  
1993年 雅子との思い出を語る母方祖母・江頭寿々子(元チッソ社長・江頭豊の妻)、寿々子自身の毛筆署名あり。雅子の書道好きはこの祖母の影響を受けているとのこと。しかし

「雅子とは口には言い表せないほどの深い心の交流があって、一つ一つを挙げたら本が二冊ぐらい書けるような気がする」

「(自転車当選といい皇太子妃になることといい)彼女には“運”がついている」と微妙且つ皇室への敬意が感じられない言い回しである。


お家なりとして、神経の粗雑さ、味噌も〇も一緒くた、が、ほの見えて、興味深いワタクスなのでございました。

「ごんぎつね」は私の、とっておきの一冊でもある。

この時期この礼状に、年賀はがきで当選した切手を用いる豪傑さん。褒めてないよ。

自転車当選と皇太子妃になることが、並列で「運の良さ」と語られるこの、荒唐無稽。思慮分別人並みにあろうかの、お年頃の、おばあ様の言い捨て。

すごいわ~。

エガシラ三代、おまけにも一人。
愛子さまの作文。

   犬や猫と暮らす楽しみ

                   敬宮愛子

 私は、飼っている犬や猫と過ごす時が、一日の中で心が和
む楽しい時間です。犬や猫は、人間と同じように、一頭一頭
顔も性格も違います。この違いが、犬や猫などの動物の魅力
でもあり、一緒にいることの楽しみでもあります。
 今、私の家には、犬が一頭と猫が二頭います。犬の由莉は、
私が二年生の春に保護され、生後二か月半位で私の家に来ま
した。来て数日で家にも慣れ、元気よく走り回っていたこと
を覚えています。成犬となった今も、子犬の時と同じように、
家族が帰って来ると、しっぽを振りながらおもちゃをくわえ
て走り回り、喜びを表現しようとしています。
 猫たちは、私が三年生の春に、家の庭で生まれた子猫とそ
の母猫です。元は野猫だったので、慣れるのに時間がかかり
増したが、今ではすっかり慣れ、甘えて啼いたり、なでると
目を細めてごろごろ言ったりしています。
 犬も猫も、誉めながら教えるとよくしつけができます。特
に由莉は、出された指示に従う時には、得意そうに目を輝か
せてこちらを見て、とても可愛いです。猫のミーも、「おす
わり」や「お手」ができます。私は、こんな由莉や猫たちが
大好きです。そして、由莉や猫たちがいるおかげで、家族の
中の楽しい会話がいっそう増えるように感じます。


3月18日の初等科卒業に際して、卒業記念文集『桜愛集』に書かれた愛子さんの作文を、宮内庁が公開した、その一つです。

先日公開されて論議を呼んだ(?)沼津の遠泳に関する創作文の他に2作あったといううちの一つ。

女性セブン誌によれば、そこには

「母・雅子さまが愛子さまに、幼いころから伝えてこられた‘教え‘が詰まっていたーー。

のだそうです。

私自身の子どもの頃のことを思い出します。

母と二人の暮らし、母は時に夜遅く帰宅していたし、小学校から帰っても一人でした。

昭和30年代のその頃、道端には、犬や猫がよく、落ちていました。捨てられていました。

捨て猫や捨て犬の姿を見るのは自分には辛いことで、登校時に見かければ授業中にも、お腹が空いてしんでしまわないか、いじめられていないか、と気になり、帰る道にいなくなっていれば、拾われたのかどこかへ放られたのかと、不安で可哀そうで、歩きながら涙がボタボタこぼれた。世の中には、子ども心に悲しいことも沢山ありました。動物にひどいことをする人間の姿も、何度も幾つも見ました。


住んでいるのは「自分の家」でなかったので、欲しければ飼う、ということも、なかなかできなかった。が、いっときだけ、黒と白のブチの、耳の垂れた犬を、庭で飼うことを許されたことがありました。「ジロー」と呼んでいたその犬は、痒いところの沢山ある犬でした。独特の匂いも持っていた。でも私は、よその人は多分欲しがらない病気持ちのジローが、可愛くて可愛くて、家にいる時はいつも一緒だったし、抱いて、撫でて、掻いてやって、効くのかどうか不明の軟膏を塗ってやり、耳の内側に鼻を突っ込んでフンフンやってくすぐったくさせたり、大きな生暖かい舌で、べろんべろんと顔を舐められて、ジローの鼻息を感じて、黒い目で見つめられて、食べ物も、当時はペットフードなんてシロモノは無く、味噌汁の出しを取ったあとの煮干しや、残り物の魚の煮汁や、思えば塩分の強い(とは今の感覚)あれこれを、残り物のご飯にぶっかけて、食べさせていた。ジローは喜んで、縁の欠けた瀬戸物の(今でもその模様を鮮やかに覚えています)器を、洗わなくても済むくらいきれいに、食べつくしていました。

ジローとの別れのことは・・・今は書きません。

他に、ミーという名の三毛猫も飼っていたことがあります。斜め前の家の猫で、目のぱっちりした鼻の短い、可愛い顔をした子でした。夜になると来て、私が横向きになると、腕の上にアタマを乗せて来る。向き合って、布団の中のあったかさを分け合って、寝ていました。のどの鳴る音が心地よく、ミーと一緒に寝ていて私は、幸せでした。

ふと、そんなことを、思い出したりしました。

愛子さんはさすが、内親王さまでいらっしゃって、犬や猫にかじりついて匂いを肺の中まで吸い込んだり、なんだか心淋しい時に、お腹の毛の中に顔を突っ込んであったかさ、柔らかさになだめてもらったり、してやりたいのにしてやれないこと(もっと食べ物をあげたいのにダメな時とか)がある時の、犬や猫の目に目を合わせ続けていられない痛さ・・・なんて、生臭いお付き合いは、なさらないのねえ、と。

よそのどんな犬より、自分の、ただいっぴきの犬。そういう鬼子母神的な思い=愛?=エゴ?、でも切実、みたいな、めんどくさい思いにも、遠くていらっしゃるのね、とか。

大変冷静で、論理的に動物愛について記述されておる。

しっぽ振っておもちゃをくわえて走り回っている「私の犬」に対しては、

「喜びを表現しようとしている」

と。ふむ。傍観者の鋭い観察眼、ですか。東宮アゲの人が喜びそうなこと、書いてしまいました。犬にも、さしたる関心をお持ちでないように私は感じています。


で。私の(きっと多くの方々の)記憶違いでしょうか。

一時、愛子さんの「家」の猫の名が「 ニンゲン 」である、と。報じられていたように記憶します。

不覚ながら私は、その時も愛子さんという少女を「詩人だ」と、感じたりもしたのです。

シュールな感覚だわ。でも、そんな感覚の女の子が、ある意味「タテマエ」業でもあろう「皇室」で「内親王」として生きて行くのって、しんどいのと違うかしら、ひとごとながら大変だわ、と、まあ、当時は基本的に、東宮家のことなど「人ごと」であったので、ちらりと感じたのみでした。

愛子さんの目つきの、ドキッとなるような暗い悪さや、なんでこの子は人をにらんでいるの、なんでこんなに行儀が悪いの、なんで皇太子の子なのに、躾けられてる感じが皆無なの、と。

ここの子がこんな態度って、信じられんじゃん。マジ? とか。

感じたことは多々あっても、何せひとごとなので、???マークが飛び交うことはあってもすぐに忘れていた、あの頃。

今、作文で知れば、愛子さんの猫ちゃんの名は、ニンゲンでなく、ミー。ミーちゃん。猫が二頭いると書かれていますが、ミーちゃんの他の子が、ニンゲンちゃんなのかしら。

気になります。 猫の運命が。

「犬も猫も、誉めながら教えるとよくしつけができます」


んん・・・。人だって、そうだと、よく、聞きますよ。しつけとは、し続けることだとか、どこかの講演会で、聞いた覚えも。退屈な講演会でしたが。

雅子さまの、愛子さまが幼いころから伝えてこられた‘教え‘の、詰まっているというこの作文。

愛子さんのお母様は、しつけ、という言葉、そして行動を、きっと、実家のおばあ様から受け継がれなくて、だから、お子さまにも、伝えることがお出来にならなかったのでしょう。

・・・数あるご一家の写真において、東宮家のお犬さまの由莉ちゃんとやらが、飼い主一家になついて、愛情を抱いている様子に見えたことの無い私は、みずからの感受性の枯渇に怯える思いで、よくまとまっておられる東宮家の娘さんの作文を、読ませていただきました。

まったく、体温を感じさせない文字の羅列であることは、このご一家の創作文の特徴。 形だけ作れば足りるとする、すでにそれは小和田流派の、テツガク? 。通じないとは思い及ばぬのかな、ハリボテテツガク。

テツガクと名付けて差し上げれば、もしや、お喜びいただけてしまうかしら。そういうの好きですよね。中身無いから。


もう一作、あります。

タイトルは「動物たちの大切な命」です。

保険所などで殺処分される動物たちの「現実」を知り、

「動物たちにも命があるのに、なぜ殺されなければいけないのかかわいそうに思いました」

全く、なるほど、ごもっともの、小学生の少女の感想でしょう。

この方がしゃらっと、作文をこう、書かれていることに、何とも言えない思いを抱く方々は、おられるでしょう。

雅子さんとやらが、この記述を読んで、心の片隅にでも何かの痛みを覚えるなどは、無いと確信しつつ。

このこともあって、あえて小和田雅子さんを人目に立つ東宮妃に立てるなどと言うことを、昭和天皇は危惧され。いや、そんな生易しい感覚でなく、絶対にダメだ、と、断じられた。なのに。・・・なんて、手遅れの手遅れ、手遅れに加えて、未だに放置状態。

「動物たちにも命があるのに、なぜ殺されなければいけないのかかわいそうに思いました」

愛子さんの親御さんは、ほんとに、これら作文に、目を通された? 。

雅子サンはまだ、

お祖父さまが悪く言われたことを許していない? 昭和帝を、許していない? 水俣病の企業犯罪人の孫娘だから結婚を反対されたと、そんな私怨で? 。

思えば私怨のみのお方のようです。その場に、一番ふさわしくないキサキです。






今日はPoさんに会いに(今は名を秘す)神戸へ出向いたのですが、乗り込む前に週刊J・セブン誌を購入。

そのうち席が空いて来たので座って開いたら、グラビア・トップに、あの一家の写真が。

「やまのこ山」、やまのこさんのブログで、縦に伸ばされている、ほっそり見える細工がしてある、と検証された写真。なぜ解るかそれは。

長野駅の大階段のタイルは正方形(10×10㎝)。それが、一家の背景となっているここでは、びよ~~んと、長方形になっているのです。・・・そういう写真です。雅子氏を中心に、ナル氏と愛子さんは両脇に。

セブン誌は、こう、タイトルをつけております。

「お揃いのタートルネックで皇太子ご一家が恒例スキー旅行

両陛下の想いをよそに」。

写真説明では

見事にご一緒のタートルネックセーターをお召しになっていた皇太子ご一家。愛子さま(12)が学習院初等科を卒業され、恒例となったスキーをご家族揃って楽しみにされているワクワク感あふれる装い(3月24日、JR長野駅)。

だが、このショットの裏には、全く同じ時期(3月25~28日)に天皇皇后両陛下が私的とはいえ、式年遷宮を昨年終えた伊勢神宮(三重県)に参拝されるという事実がある。

皇祖神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮。天皇ご一家はたびたび参拝されているが、皇太子妃雅子さま(50)はご結婚報告以来、参拝されたことがない。

この現実に対して、一部では‘外国育ちの雅子さまは神道を正しく理解されておらず、両陛下はこれを危惧されている‘という声もある」。


・・・つい、キャプションをすべて引いてしまいました。

皮肉のわからない人は、気が軽くて楽だろうなあ、と、思ふ。

イヤミぶっつけられても、てのひらパーにして笑う父ちゃん、ジャケットの前はだけて、父ちゃんより高くなってしまうヒールの靴をやっぱり履いてにかにか、の、母ちゃん。私にセンスが無いのか、コーディネイト無茶だよなあ、と思わしむる、なんでこの組み合わせ?ってお姿の、内申ノーさん。

右足出して、お手手を上げて、ヘロヘロ振って、まあよくできた、一人は残念、揃ってないわ、みたいな、お三方です。


私がこのキャプで笑ったのは、以下のくだり。

「天皇ご一家はたびたび参拝されているが、

皇太子妃雅子さま(50)はご結婚報告以来、

参拝されたことがない」


・・・単に。表現か言葉の「あや」だとは思いますが。この文脈で、雅子さま(50)って、どんな位置?

天皇ご一家でない? いや、その通りで。何事の不思議はありませんけど、ね。


恒例のスキー遊びだけは、絶対に体調万全。何があっても行きますわよ。だから、東宮御所は留守・・・では無い、アタマ銀色のでっかいネズミが、ちょろちょろしている。何匹いようが、皇族はいないのよね、現在のとーぐー御所には。

両陛下は、伊勢にご滞在であられますので、皇居もお留守。

そこにはしかし。

秋篠宮殿下が、ご名代で、詰めておられます。

天皇の、ご名代。すっきりした話です。

タートルネック三人組は、帰京せんでもよろしいよね。

帰らずにどこにいるべきかなんぞ知らんが、当分、ご公務の予定もお招きも無さそうです。

地方へのお出かけは、呼ばれて初めて成り立つもので、とーぐー夫婦を呼びたいところは激減、今はもう、無しに等しい。


今日、大学をご卒業になられた秋篠宮眞子内親王殿下が、怜悧、真摯、賢明なメッセージをお出しになられて、胸の震える思いでした。

中の、ご公務についてのお考えの部分を。


 「今後、さまざまな公的な活動をおこなっていくことになると思います。今までもそのようなお仕事を受けさせていただくことがありましたが、基本的な気持ちは変わらず、声をかけて下さる方々に少しでも良かったと思って頂けるよう、可能な限り力を尽くすことが出来ればと思っております。大学では様々な分野を学ぶ機会に恵まれましたが、どのような分野に携わることになりましても、誠意を持って務めていきたいと思います。又、自分の興味のある分野に関しましては、今後も何かしらの形で探究していくことが出来れば幸いです。

 父からは、公的活動というものは、自分のしたいことをするのではなく、あくまで頂いた仕事に対して誠実に向き合うという意識を持ちつつお受けするべきであると前々から言われております。母よりは、公的活動のひとつひとつを丁寧に、そして心をこめて務める姿勢の大切さを、折にふれ、聞かされております。このようなアドバイスを念頭に置きつつ、これからもお務めをして参りたいと思います。」


私個人は、誰かと比較される苦痛を、いくらかは知っている気があります。ので、ここであからさまな比べようをしません・・・が。

が。
秋篠宮家の眞子内親王殿下は、今日 3月26日、国際基督教大学をご卒業なさいました。

それに際しての質問にお答えをくださっておられる内容を、以下に引用させていただきます。

 


 問1 大学卒業を迎えての感想をお聞かせ下さい。国際基督教大学で学ばれたことや英国エディンバラ大学への短期留学などについて、最も印象深かった出来事やエピソードを交えてお聞かせ下さい。


 (ご回答)

 大学生活が過ぎるのは本当にあっという間でございました。国際基督教大学では様々な分野の科目を履修しつつ、最終的にどの分野を専攻するかを決めることが可能です。そのシステムのお蔭で今まであまり触れることがなかった学問も楽しむことが出来、その上で自分が最も興味を持つ分野を決めることが出来ました。このように学際的な環境に身を置いて学習出来たことは、非常に恵まれたことであったと感謝しております。

 第3学年の折には、英国のエディンバラ大学へ短期留学する機会も頂きました。国際基督教大学とはまた違った環境で、英語で生活し英語で学習する経験が出来、又、普段の環境を離れることで自分の考え方を見直す良い機会にもなったと思っております。留学先で色々な方と知り合い、交流を深めることが出来たのも嬉しいことでした。

 大学生活4年間を振り返って見ますと、勉学のみでなく、友人や先生方をはじめ、人間関係に恵まれたことがあげられます。様々な考えを持つ方々と交流しながら学生生活を送ることが出来ましたことは大変良い経験であったのと同時に、素晴らしい思い出となりました。このことに大変感謝しております。また学習意欲の高い方が多い大学でしたが、それと同時に笑いと楽しい会話にもあふれた日々でした。

 学生生活の締めくくりといたしましては、卒業論文を執筆したことがあげられます。指導教授の方が大変熱心に指導して下さり、自分の興味のある事柄についてまとめることが出来ました。自分自身、完全に満足しているとは申し上げられませんが、その時点で出来るだけのことをしたつもりです。

 先に記しましたようにあっという間に過ぎた学生生活ではありましたが、周りの方のお蔭で楽しく充実した日々を過ごせたと思っております。何より、存分に楽しむことのできた、一生の思い出となる4年間になりました。

 

 問2 今後の進路と将来の夢をお聞かせ下さい。卒業後は公務に臨まれる機会もますます増えると思いますが、大学での経験をどのように生かし、どういった分野に力を入れていきたいとお考えでしょうか。公務に際してご両親から受けているアドバイスがあれば合わせてお教え下さい。


 (ご回答)

 今後、さまざまな公的な活動をおこなっていくことになると思います。今までもそのようなお仕事を受けさせていただくことがありましたが、基本的な気持ちは変わらず、声をかけて下さる方々に少しでも良かったと思って頂けるよう、可能な限り力を尽くすことが出来ればと思っております。大学では様々な分野を学ぶ機会に恵まれましたが、どのような分野に携わることになりましても、誠意を持って務めていきたいと思います。又、自分の興味のある分野に関しましては、今後も何かしらの形で探究していくことが出来れば幸いです。

 父からは、公的活動というものは、自分のしたいことをするのではなく、あくまで頂いた仕事に対して誠実に向き合うという意識を持ちつつお受けするべきであると前々から言われております。母よりは、公的活動のひとつひとつを丁寧に、そして心をこめて務める姿勢の大切さを、折にふれ、聞かされております。このようなアドバイスを念頭に置きつつ、これからもお務めをして参りたいと思います。

 

 問3 ご家族についてお伺いします。ご両親、佳子さま、悠仁さまと普段はどのようにお過ごしでしょうか。ご家庭でのエピソードをお聞かせ下さい。卒業にあたってご両親に伝えたいことや、今年成人を迎えられる佳子さまへのアドバイス、この春小学2年生になられる悠仁さまへのメッセージも合わせてお聞かせ下さい。


 (ご回答)

 家族全員が揃うことは食事の時が一番多いのですが、重要な事柄を決めようとしている時、アドバイスをもらいたい時等は両親に尋ねることが多いと思います。例えば今まで大学を決める際、留学先を決める際にも、まず自分で考え、その考えを両親に報告し、意見を聞いたうえで決断しておりました。大切だと思うことはコメントする一方で、私の考えを最大限尊重してくれていることに感謝しております。私が4年間有意義な学生生活が送れましたのは様々な方々のお蔭だと思っておりますが、両親の協力も欠かせないものであったと強く感じております。

 妹とは友人のような間柄で、家族の中では一番会話をすることが多いのではないかと思います。真面目な話もいたしますが、お互い面白いことが好きですので、話していて笑いが止まらなくなることもあります。今年の末には20歳となり節目の年を迎えることとなりますが、責任感も持ちつつ充実した生活を送ることが出来ればと願っております。

 弟は、最近ますます語彙が増えたようで、会話の内容も以前より広がって来ましたし、歌を一緒に歌うこともあります。加えて、元気に身体を動かすことが多いので、一緒に遊んでいるとその元気一杯な様子に自分の幼い頃を思い出すことが多々あります。折り紙や綾取りは私より上手ですので、教えてもらうこともございます。これからどんどん成長していくと思いますが、色々なことを吸収しながら育ってくれればと願っております。

 

 問4 秋篠宮さまは昨年11月のお誕生日にあたっての記者会見で、眞子さま、佳子さまの結婚について、「余り遅くなく結婚してくれたら良いなと思います」と述べられました。結婚の時期や理想の男性像についてどのようにお考えでしょうか。そうしたお相手はいらっしゃいますか。


 (ご回答)

 結婚の時期に関しましては、遅すぎず早すぎず出来れば良いと思っておりますが、理想の男性像というものは以前も申し上げましたように、特にございません。理想の男性像というと本人の中で普遍性のあるものでなくてはいけないと思いますが、自分の中にそのようなものがありませんので、お答えすることが出来ません。

 

 問5 女性宮家創設をめぐる議論は眞子さまはじめ女性皇族にとっては結婚にもかかわる問題です。現行制度のままでは結婚後は皇室を出られることになりますが、そのことに関してのお考えと、民間で生活することについて何か心構えなどで準備されていることはありますでしょうか。


 (ご回答)

 女性宮家についての私自身の考えに関しましては、父の考えとほぼ同じですが、制度についてのことですので、私からの答えは控えさせていただきます。ただし、将来どのような人生を送ることがあったとしても、それまでに学んだこと、与えて頂いた貴重な経験と共に、歩んで参りたいと考えております。

 結婚に限らず言えることですが、生活力を高めていきたいとは思っております。

(2014年3月26日10時55分 読売新聞)


ありがとうございました。

        今年の歌会始の儀の 眞子さまのおうた。

       新雪の降りし英国の朝の道静けさ響くごとくありけり

瑞々しく、溌剌として、コンサバティブ。と、読ませていただきました。


両陛下、伊勢へご出発 20年ぶりに「剣璽ご動座」    


天皇、皇后両陛下は25日午前、20年に1度、社殿を造り替え、ご神体を移す式年遷宮「遷御(せんぎょ)の儀」を昨年終えた伊勢神宮を参拝するため、三重県伊勢市に向けて新幹線の臨時専用列車でJR東京駅を出発された。両陛下の神宮ご参拝は平成13年11月以来。

今回のご訪問では、皇位とともに伝わる「三種の神器」のうち、「剣璽(けんじ)」(剣と勾玉=まがたま)を携行する「剣璽ご動座(どうざ)」も行われ、両陛下に随行する侍従が黒いケースに入れられた剣璽を携えた。剣璽が皇居から持ち出されるのは、前回の式年遷宮後に伊勢神宮を参拝された平成6年以来、20年ぶり。

両陛下は26日午前に衣食住の神、豊受大神(とようけのおおみかみ)を祭る伊勢神宮の外宮をご参拝。午後には外宮から約4キロ離れ、皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る内宮を参拝される。内宮の正宮(しょうぐう)には神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」がご神体として収められている。27日は式年遷宮の資料を展示した「せんぐう館」などを視察し、28日に帰京される。
   
産経


天皇、皇后両陛下が25~28日、20年ごとに社殿を一新する式年遷宮があった伊勢神宮参拝のため、三重県伊勢市を私的に訪れる。これに伴い、皇位のしるしとされる「三種の神器」の剣と璽(じ、まが玉)を持参する「剣璽(けんじ)動座」が行われることになった。剣璽が皇居外に持ち出されるのは20年ぶり。

三種の神器は皇位継承の象徴とされ、歴代天皇に引き継がれてきた。剣は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」、まが玉は「八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」、鏡は「八咫鏡(やたのかがみ)」。

ただ、皇居に安置されているのはまが玉のみ。剣は熱田神宮(名古屋市)、鏡は伊勢神宮に置かれ、いずれも分身としての複製品が両陛下の住まいである皇居・御所内の「剣璽の間」に収められている。側近によると、布のようなものに包まれ、中を見ることは許されていないという。
   
朝日


両陛下伊勢神宮参拝:「剣璽」を20年ぶりに携行


今回の両陛下の伊勢神宮参拝では、皇位の印として伝わる「剣璽(けんじ)」を20年ぶりに携行した。剣と璽(勾玉=まがたま)は鏡とともに三種の神器と呼ばれ、戦前は宿泊を伴う地方公務の際には侍従らが携行する「剣璽ご動座(どうざ)」が行われていた。

宮内庁によると剣と璽は2人の侍従がケースに入れてそれぞれ携行し、車で移動する際は専用車が用意される。両陛下の伊勢滞在中は宿泊する内宮の行在所(あんざいしょ)に安置される。

三種の神器は、鏡が内宮、剣が熱田神宮(名古屋市熱田区)に納められているが、代器として同様の鏡と剣が宮中に置かれ、源平合戦時や南北朝時代には所持が争われた。近代以降、天皇が地方を巡る機会が増えた後、とりわけ天皇の身近に置くべきであるとされる剣と璽の携行が慣例化した。

警備上の理由から終戦直後の1946年に中止したが、伝統を守りたいとの神道関係者らの要望で、74年の昭和天皇の伊勢参拝時に復活。その後、即位後初と遷宮後初の伊勢参拝時に行われている。
   
毎日


今日、東京を発たれた天皇皇后両陛下の、伊勢ご親拝についての幾つかの新聞の書きようを拾ってみました。

この期間に遊びに行ってる東宮家を甘ったるい言葉で書いている新聞も、何かぶん投げるみたいな感じで、と感じたのは私だけでしょうか。



私自身、いま消えて欲しいのはオバマとナルだぁ~っと吠えておられた「わがまま親父」さんのところで、つい、信州の純白の雪が溶けて云々、やがて降ってすべて(うふふ)を包みこ・・・んで欲しいもんだぜっと、本音を吐いてしまいましたが、この望みの同志の多いことにも驚愕。

いや、単にどなたも正直であられ、国を憂い愛しておられるだけではあるのですが。

どんな顔して春スキー。ほんっとに、胃酸過多になるくらい、イライラ。

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新たに、愛子内親王の超・優秀伝説を証明する! みたいな記事がどこやらに湧いている様子ですが。

正気か。マジか。それをそうやって言い続けて、結末はどうなる、現実に見えて来る「ほんとうの明日」を、どうする。

中学生になる女の子愛子さん。今までの、ある種隔離状態、なあなあ、まあまあ、を、力づくで押し通して来たやり方で、これからも行けると、なぜ思える。

普通の家から普通に通って来る女子のみ、140名だか150名だか、増える。持ちあがりの人数の2倍にも3倍にもなる。力関係ですでに、幼稚園小学校とは違って来る、批判精神が育ち、不正への目も厳しくなってくる年齢。女子中学生はシビアだわよ~。特別なお方だという愛子さんには、まず、自分がそれを「認めてやれる相手」かどうかの、審判が下される。容赦のない探究眼。

なんて書くのも虚しい話。愛子ちゃん、これから大変だと思うよ、優秀だと、何も知らないでいる親から聞いている「特別な子」の実態を、いまどきの女の子たち、どう、対処して行くか。

ご立派なお家のことだから、庶民KUONがはらはらする必要は無い。はい、そうなんですが、ぼっこぼこにされるさまが目に浮かんで。ゲンコで、ではないですよ、ゲンコなんかよりもっと痛い目に遭わせることが可能な武器を、頬の産毛も可愛らしいティーンエイジャー、少女たちは、持っている。

。。。藤原道長。なんでその人に関心を持ったか。

もう、どうでもよくなって来た。

あの、目の焦点もうつろ、唇を閉じることも忘れ果てているさまのお顔を、見ると、もうええやんか、という気になります。

道長なんて、名前すら、彼女の中には無いだろう。そうなんです、そう決めた。

ケリをつけるためにだけ書かせて頂くと。

「皇太子ご夫妻は、愛子さまの‘皇族教育‘にはそれほそ積極的ではないのでは、といわれてきました。

皇族教育も何も、ありがとうもごめんなさいも無いだろう、お辞儀をしたり毎朝起きたり歯を磨いたり顔を洗ったりも出来ていないだろう。愛子さんの、垣間見える歯は、しっかりブラッシングされた健康的な若い歯並びに見えない。歯の表面に、こすり落とされていない何かが造り上げた、甘い物で形成された膜のごときが見えている、きっと、奥歯には虫歯も沢山あるのではないか。

皇族教育とやらに積極的でないって。意味がわかりません。どんな教育にも熱心でない、放ってあるだけだった、物質だけは山盛りに与えた、一番手っ取り早くて簡単で、人の目につかせてそれらしく見せられるから。

髪の手入れもしていない。ねたっとしている。中学生になったら、それだけでハブにされてしまう要素ではないかしら。

道長じゃないって。そんな場合ではないんだって。誰と、手をからめて、腕だか胸だか触ってたって。

もう、うっすら、汚れた感があるではないですか。

簡単に汚れる女の子に、世間の目は、ものすごく冷たいと、私は、思っています。親が、その点を放し飼いにしているのだから、どうなってもいいじゃん認定、されてしまいますよ。うー。腹立つ。

続けます。

「しかし、実際には愛子さまは、ご自身の置かれた環境や、皇族としての役割について深く考えられるようになられています。

もし、このレポートを美智子さまが読まれたら感動されることでしょう。


どうなのかな・・・あまり、関わっておられないようですし。気にしておられるのでしょうか、国民の一部が、ぐらぐら、はらわた煮えたぎらせてるなんて、もちろん、ご存じ・・・わかりませ~ん。

感動されますかね。

で。

このレポートは、次のような一文で締めくくられている、と。

道長の人生は本当に幸せだったのだろうか。

・・・ううむ。

愛子さま、そう、お思いになられたのですか?。

幸せってなんですか?。

人生ってなんですか?。

愛子さまの、お幸せって、どんなことですか?。

藤原の道長の血は、ある時期以降の天皇のどなたにも流れている、とされる。

不妊治療の一つの方法をもって、この世に生を受けることになられたという話が、本当のことだとしても、その方法自体に問題は無いと私は考えるし・・それで救われている夫婦も多い、反対のケースについては今は述べません・・父親が皇太子であり、母親がその妃であることには、おそらく、間違いは無い。

となれば、愛子さんの中にも、遠い昔のその人の血が、流れている。

もっと遡れば人類は、アフリカ大陸のある地点に発生した一人の女性を、みなが、祖先とするわけです、そこまでは今は遡らないとします。

愛子さんの中の、父方の、藤原道長の血。もう一方の血は・・・。

きっとご先祖は苦笑しているね。時代、下り下って、よくもまあ、ここまで出来の悪い・・・出来の悪いのは仕方ない。ここまで品下った・・・下賤に堕ちた・・・それにつまり、俺は、

幸せだったのだろうか、と、問いかけられているわけだ、俺の人生が、幸せだったか、と。

放っておいてくれ、と、きっと、言いたいだろう。枯れ果てても貴族だった道長は。


虫のいどころのせいでなく、私の中のマイナー部分が今日は作用して、口汚いブログになってしまいました。

言うにことかいて

「道長の人生は本当に幸せだったのだろうか」だと。

お前にそんなこと言われたくない。誰の代筆にしろ捏造にしろ、そんなこと言われて同情されたくないんだよ、俺様は。

そう、道長氏は、言いたいんじゃないかな、って。ナルに流れた血は迷惑だろう、もちろん、防ぎようなどないのだけれど、ね。



口汚くてすみません。



東宮ご一家は予定通り、春のスキー旅行にいい日旅立ち

この暖かな日に、3人が3人ともタートルネックをお召しで、暑苦しくむさくるしく。暑苦しいのはボクたち仲良し家族の勝手だよ、かもしれないけど、全身を緊張に固めておられる駅長氏その他の、最大限の(と見られる)お見送りの、礼も敬礼もどこ吹く風、完全なる無視のおんありさま。動かざるごと山のごとし、常のべちゃくちゃ喋り、会釈さえせずの傍若無人。

以下のごときツイートも見つけました。

ところで、ご一家が訪れた長野駅東口。ここで報道のためのカメラ取材があったのですが、警備のためか、近くの自販機は写真のような状況。「調整中」との紙が張られ使えません。こうした光景は、地方訪問の際の同行取材でもしばしば目にします。

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いきなり話題は転ずると見えて、転じないのです。藤原道長です。


  「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
    
     この世の全てはつまり俺様のものだよな。
         俺様のココロは欠けたところのない満月のように満足しているよ、うっはっは

・・・あまりにも有名な一首。これによって藤原道長は、身のほど知らぬドタアケ(by・名古屋弁)のごとく語られることも多いようです。

娘たちを次々に天皇の妻として送り込み、このうたを詠んだのは52歳、権力盛りの年頃。4番目の娘を入内させた直後だったといわれます。

自身は5男坊で、若い頃は出世に遠いあたりにいた。兄たちが次々に没し、タイミングも合って、当人も予想しなかった地位まで上り詰めた。高揚した気分で、どーんと打ち上げた花火みたいな一首、なのでしょうか。

満月が満月のままでいるはずが無いと知っていてもつい、やっちまったのか、自分だけは(自分という月だけは)他とは違うんだぜえ、と、思い上がりのてっぺんで錯覚したのか。けっこう正直な人物で、そして、あまり賢くないようにも見せた気もします。

お腹の中にすべて納めて深謀遠慮、計算精緻な冷たい月のごとき面も勿論、あったでしょう。

並の権勢ではなかった。

この道長の長女の彰子。一条帝の妻となった彰子に仕えた女性たちが、そうそうたるメンバーで、興味深いのです。

紫式部、赤染衛門、伊勢大輔、そしてわが愛する歌人・和泉式部。それで、道長という人物にも関心がありました。

小学生の頃には関心など無かった。大人になり、更に大人の年齢になって、関心が湧いたのでした。一般的な小学生って。それも、女の子って。

スケートの王子様にときめくことはあっても、道長に向くって、考えにくい気がする・・・あくまで私見です。

学習院初等科の文集「小ざくら」なる冊子に掲載のレポート。


現在の東宮家の一人娘である愛子さんが、この藤原道長に関心を持たれ、夏休みに書かれた歴史研究レポート、4ページにわたるというその、タイトルが「藤原道長」。

<授業で藤原道長について学習している時に「、御堂関白記(みどうかんぱくき)」に少し触れ、また、学習する前にも新聞で「御堂関白記」がユネスコの記憶遺産に登録されたという記事を見たので、一度実物を見てみたいと思った。それで、夏休みに、東京国立博物館で開催された特別展「和洋の書(わようのしょ)に行き、「御堂関白記」を見て、これほど古い日記がよく残っているものだと驚いた。そこで、この日記を書いた藤原道長について詳しく知りたいと思い、調べることにした>

このように、もう先週号になろうとしている「女性自身」誌にあります。

え~~っと私は驚いた。

こんなこと、出てたことが無い。

そんな頃に愛子さんについて書かれていたことは、例の沼津の遠泳、あれに、ご療養中のお母さまである東宮妃がぺったりと付き添われて、年齢的に遥かに若い保護者らが次々と日陰に退出する中、パラソルにサングラスのお姿で、仁王立ちにわが子を 監視 見守り続けた2時間。どんだけ凄い体力や~、とか。

学習院伝統の赤フン姿の男児に、愛子さまは「さかられた」って・・・これ、どういう意味か、私にはさっぱり解らんのですが(けけ)、そーゆーこともおありだった、とか。英語の何とかに通っておられて、そこで「マイ・サン」と、太陽だか息子だか存じませんが「マイ・サン」なる流ちょうな英語を操られたとか。実はヴァイ サンだったとかとも、書かれた。

ここ数年、ご静養先にも同行の仲良しお友達の中でも、親御さんが認めるお相手とやらの「○びた」君なる男児と、頬を寄せてお話してたとか、男児の腕や胸を撫で撫でしておられたとか、正常な親なら黙視しかねるローティーンの夏、であるとか。

そういう話題は週刊誌で読んでおりました、オムツしながらも(そう書いてあった、よく書いてある、どうなんざましょ、これって)手にお持ちの愚痴のバッグの値段やら、小学生にふさわしくないやら。私も、もっと可愛いバッグ持たせてあげればいいのにと、お節介、感じました。グっチは似合わないよ、勝谷誠彦さんが言うように「お里が知れる」愚かなことでした。

そーんな話題ばかりで。国立博物館へお出かけとか、和洋の書をご覧になったとか。どこにも1ミリも報じられておりませなんだ。

ご優秀伝説を流布したいあのご家族にとっては、赤フンにどうとやら、なんてことより、絶体、博物館へ行った記事を撒きたかったはず。

もう、撮影禁止の場であろうが、内親王様のお成りである頭が高い控えおろう、何枚でも撮って下さいませ、ささ、ささ、ここの前で、ほら、チーズ、ぱしゃ。さすが知的でいらっしゃる、偏差値ならぬ IQが 72。え。

大威張りでその写真、世界中に配信させたはず。


おとーさまの皇太子は、ごこーむとしてそこへ行ってました。そういう動きがあったのは事実です。写真も見ました。ニヘニヘ、笑っておられました、わかんないことでも笑顔で拝聴される躾は未だ、御身に残っておられる模様。

自身誌に戻れば、この方も超・ビミョーな皇室ジャーナリストの松崎氏が。

内容は非常に論理的、文章もしっかり。超優秀ぶりが報じられていたが、このレポートはそれを裏付けると。

おとー様の皇太子さまは、ご自分のルーツを知りたいと、史学科で学ばれた。そう書いてあります。学習院大の文学部史学科に在籍し、出してもらわれたことは、これも事実です。

レポートには皇太子氏の指導もあっただろう、参考文献や資料の出典もきちんと書かれていた、専門書やウィキより、なんて記載もあり、じつに「几帳面」なのだそうだ。

日本の歴史を学ぶことは天皇家の歴史を学ぶことでもある、と。そんな面は、ありますね実際。

愛子さんはレポートで。

<藤原氏は、自分の娘を天皇の后として、外戚(がいせき)関係を築くことにより、勢力を伸ばして行った。その中でも、藤原道長は4人の娘を天皇と結婚させ、摂政や内覧の座に就いて権力を手中におさめていったことがわかった>

と、書いている。

特に印象的だったのは<藤原氏が政治を行っていた時に、天皇とはどのように役割を分担していたのだろうか。藤原氏に権力が集中していても、天皇には仕事はあったのだと思う>というくだりです。

・・・言うまでもなく愛子さんは内親王。あちこちに沢山いる立場の人ではない。

祖父は天皇。天皇が祖父。愛子さんにとって、天皇である祖父は、どんな風に見えているのだろうか。ほとんど交流の無いと言うその「祖父」が、天皇と言う言葉と、どう、重なっているか。

レポートの文章を追う限り、ここに書かれている「天皇」という文字と、自身の、あまり会わないが実際には祖父である人とは、全く重なり合っていないように思われる。イコールではないように思われる。

外戚関係などと書かれているが、もう一人の祖父である小和田氏が、それに当たる存在だとは、愛子さんには理解されていないのではないか。

本当なのかどうか、愛子さんを前にすると「舌打ちする」と言い言いされる母親の父は、慕わしい人の位置にはいないのではないか。

運動会にも発表会にも、祖父や祖母が来たことの無い園児時代、小学生時代。母親の過干渉と、ふやふにゃと甘いだけの父親の傍で、ある意味やりたい放題に育てられてきて。

「藤原道長は4人の娘を天皇と結婚させ」

この、無味乾燥な文章、6年生の女の子は書くまい。そう、私は思う。

結婚とは、まだ未知のものではあるが、いつか、すてきな、好きな人とするもの。そんな風に結婚を考えるのが、普通に思われる。その前に「恋」がある。〇びた君がこの先どんな運命をたどるか、知ったことでは無いが(両親が、二人が睦まじくくっついているのを、温かく見守っているのである。余人の入り込む隙間は無い、という意味で)、とりあえず手近にいた〇びた君、でも、テレビ見てたら、もっと素敵な王子様みたいなヒトがいて。

感覚としては、そうではないだろうか。

娘の意思を無視して、天皇だか誰だか知らないが(愛子さんには天皇と言う存在の本来の意味が伝えられていない)きさきにして・・・きさき、というのが、自分の母親をも指して言う言葉だとの理解も,なされているだろうか、否、ではないか。・・・権力を手中に、など、絶体、イヤ。そんなのは酷い人。そう断じるのが、普通の女の子の心(愛子さんは内親王としての自覚などの教育を受けていない)ではないか。

ここまで感じた限りでは、愛子さんが藤原道長の何に、どんな部分に興味、関心を抱いたか、まったく、私には、わからない。

今日は、記事のおよそ半分のここまでにしようと思うのですが。

実際は「関白」になったことのない道長。それはそうとして、この「御堂関白記」。少しだけ旧仮名遣いについて学んだ気のする私、読めません。自分で勝手に学んだつもりなので、そのせいかも。

漢字、かな交じりの当然、旧仮名遣いの散らし書き。紙の貴重な時代のものとて、白い紙を存分に使って、とは、参らなかった模様。

これほど古い日記がよく残っていた、と、内親王は驚かれたようだが、その驚きようも違うんじゃないか、愛子ちゃん、と、思ってしまいます。

第一印象は、本当に「見た」としたら、うわあ、なんなのこれ~。素直に見られて、そうだと、考えます。

誰がこんなことして。道長って??。小和田恒が、自分をなぞらえた??道長の最盛期は、あのうたを詠んだあたりまでなんですけど。

最期は悲惨だったのです。

   驕れるものも久しからず ただ春の夜の夢のごとし

平家物語の、これ。

続きも書かせてもらうつもりです。



3月25~28日。

天皇皇后両陛下、伊勢の神宮ご参拝。20年ぶりの剣璽御同座(けんじごどうざ)。


3月24~29日。

東宮一家、奥志賀へスキー旅行。



皇太子一家は今年も、春スキーに出かけます。

3月24日から29日まで5泊6日。

長野県奥志賀高原。宿泊先は今年も「ホテルグランフェニックス奥志賀」。

雅子さんの双子の妹の一人、池田礼子という人。その夫。二人の息子も一緒なのは、いつものことですか。

週刊文春3月27日号ではこのことを記事にしており、

[愛子さまとご年齢の近い息子さんがいますから、いとこ同士の交流も楽しみにされているのでしょう」

と、春めいて皮肉も生暖かい。この、自称は準皇族でもフツーに一般国民である妹一家の東宮家との同伴、滞在費が、お姉さま一家と同じく「税金から」という事態、いとこ同士の交流などという呑気な話でないような。

以下は、BFさんのサイトから、去年の東宮一家の豪遊遊行記録です。

皇太子一家のスキー静養2013in奥志賀グランフェニックス

JR利用料金【 2,123,940円 】
東京長野グリーン7号車10,460円×52席×2回=1,087,840円
東京長野指定席8号車7970円×65席×2回=1,036,100円

2013年3月23日(土)から4月6日(土)満室確認
【ルームチャージ料金のみ 23,190,000円】
スタンダード・ツイン21室×38,000円×15日=11,970,000円
デラックス・ツイン6室×43,000円×15日=3,870,000円
ジュニア・スイート2室×59,000円×15日=1,770,000円
デラックス・スイート3室×64,000円×15日=2,880,000円
ロイヤル・スイート1室×120,000円×15日=1,800,000円
和室2室×30,000円×15日=900,000円
キャンセル料1ヶ月前20% 2週間前30% 前日60% 当日100%
警備費用長野県負担【1億円】


代表取締役も取締役2名も監査役も、すべて中国人であるホテルです。全館貸切です。

わたしけいさん苦手ですが、ぜんぶでお幾ら、お支払いになりますか、裏方へのキャッシュバックは今年もうまく運びますか。

天皇皇后両陛下に東宮一家3人は皇族のなかの「内廷皇族」ということで、新幹線は車両を貸切。ご公務の多いご多忙な秋篠宮同妃両殿下は、貸切列車をお使いになりません。グリーン車もお使いになれません。

公務をせず(というレベルでは既に無い)ちょろっと出て来てはアリバイ写真を撮らせ。

先日の愛子さん卒業式の前日のベトナムよりの賓客をお迎えしての晩餐会に、雅子氏は出ていないが、その前に、夫・皇太子と共に、ベトナムのなんちゃらについての知識を得る、という「進講」は受けている。

受けている、と、ありがたそうにアピールされている。なんでそれがそんな、大したことかと私は鼻で笑うわ。

白人優位主義者のキサキは、ベトナム人には興味ないんです。それ以前に、一堂に会して共に食事、なんて、できないんです。なぜでしょう。

あぐらかいてお寿司つまんで育って来たから? 皇太子妃となってからの身で、どこやら外国へ行って(ベルギーです)、向き合って食事する夫・皇太子に自分の皿を(大きい皿)を渡して、シェアして食べるようなこと平気でして来たから? そのレストランでは、その行状の故かどうか、雅子さんは妃認定されていなくて、

「日本の皇太子とその妻がここへ来たよ」

と、プレートに記されている。箒で掃き出してやりたい客だったってことでしょう。

フォークやナイフを美しく扱えないとか、お箸持てないとか、考えられますが。とにかく、正餐の場に出られない女性。ティアラも無いし。

・・・ついでにいろいろ、引っ張り出しました。失礼しました。

数億円の費用をかけて、遊びます。

一泊12万円のロイヤルスイートを、去年は、×15。

どなた様までが、ロイヤルスイートに、お泊りなのでしょうか。愛子さんはジュニアスイート。

ゲレンデも当然、警備の人間がいっぱい。何年か前、知人が、ようやく休みをとってでかけたスキー場で、ここはダメだあちらへ行けと指図され、俺は税金払ってる側だ、あっちをどかせ、ばかやろう、と、怒鳴ってしまったと聞いております。

警備の人は黙り込んだだけで、知人が「不敬罪」でタイホされるなんてことは、無かった。

去年のスキー豪遊旅行の際の東京駅で、一家に向かって

「仮病怠けの税金泥棒、皇室を出て行け」

と声を出して、雅子氏を過呼吸にしたという男性だって。

「取り押さえ」られたりは全くなく、一応、氏名や住所などを「ソフト」に訊ねられただけ。

国民は「シモベ=僕」ではない。私が天皇家に対して畏敬の念を抱き、両陛下や、誠実におつとめを下さっておられる秋篠宮両殿下を、自然に仰ぐ心を持っているとしても、だから、東宮だからと言う理由だけで、あの夫婦をどうこう考えなければならない理屈は、もうすでに、失われております。

不要なだけではない。有害な夫婦、その背景。初めから入り込んではならない人間でした、小和田雅子なる人物は。

きっと行くでしょう。駅頭で、にへらにへらと手を振ってみせるでしょう。

キャンセルは無い。何があっても行くでしょう。行かなければ、おとーさまへのキャッシュバックも不可能になる。


あの夫婦の下の部分に書かせて頂くのも畏れ多いですが、天皇皇后両陛下は、3月25日から28日まで、伊勢の神宮にご参拝になられます。

去年10月、式年遷宮を終えた伊勢に、参拝される。

宗教学者の(この方は本当の宗教学者)山折哲雄氏は

「古き神死せり、新しき神誕生せり。ご神体やご神宝が旧正宮からすべて移されたとき、浄闇(じょうあん)の中で、これは死と再生の儀式だということを痛感しました。天照大神という女神が新しくなったのだから、氏子としての天皇はお参りにいかないといけないわけです」

今回のご参拝がいかに格別か。それは3種の神器のうち、剣と璽(じ=まがたま)を伴う「剣璽御同座(けんじごどうざ)」が行われることからも分かる。

剣と璽が皇居から同座するのは、前回・平成6年以来、20年ぶりだとのこと。

もう一つの神器である鏡は伊勢神宮の内宮にご神体として/祀られている・・・。

天孫降臨の際に天照大神がニニギノミコトに授けられたという3種の神器は、歴代天皇がこれを継承することでその皇位に就いて来られた。3種の神器を受け継ぐことこそが皇位継承であり、神器そのものが皇位の証といえる。


・・・週刊文春の上記の記事を読んで、私の中でもようやくきちんと整理がついて理解できたのですが。

両陛下が、そのような重要な参拝をなさるに時を重ねて、皇位継承順第一位の皇太子は、妻や子と共に、スキー旅行している、と。

「千代田関係者」という、常に甚だ「どなた?」な方ではある方の言として。
(皇太子ご一家は伊勢神宮が皇室にとっていかに大切か、理解されていないのでしょうか。この大事な時に『東宮ご一家からは何らバックアップがない』と

側近たちも嘆いています、のだそうです。

式年遷宮にあたっては、皇族の身分を離れた黒田清子さまが臨時祭主として立派におつとめを果たされた。

ご神体を新正殿に移す『遷御の儀』では秋篠宮殿下が皇族代表としてご参加。

幼い悠仁親王殿下は昨年3月、新社殿造営をご視察、スーツ姿の正装で玉串を捧げられ、拝礼をされた。

秋篠宮殿下は、平成に入ってから、11回も参拝なさっておられます。


皇太子一家には、参拝の予定すら無い。

皇太子とその妻は昨年、結婚20年を迎えた。

結婚後早い時期に夫婦は伊勢に参拝した。雅子妃は車を降り、片方の靴が脱げそうになった様子で、ぶらんぶらんさせて、夫・・日本の皇太子に、こんなんなっちゃってぇ、のごとき態度をとられたそうでありました。

文春には、こんな暴露(?)話も出ています。

ある外務省関係者
小和田恒氏の外務事務次官時代の話が忘れられない。

「海外広報課では両陛下が海外訪問されるときは両陛下のプロフィールや
訪問国との関係を先方に紹介する。外国語で書かれた冊子を毎回作る。
その前段に、日本の皇室や伊勢神宮、出雲大社や八百万の神について解説を入れることになった。
担当者が『伊勢神宮と出雲大社をどう書くべきでしょうか』と聞いた所
小和田氏は『そういうことには興味がない』と冷たく言い放った。」


この者の娘が雅子妃なる者。彼女は、結果的に途中で放り出した「御きさき教育」のうち、神道については理解が進まず、英語のテキストを要求した。神道にくわしいというジャーナリスト山村明義氏の話として

このテキストは、西洋の一神教的表現に無理に合わせて訳した、古い表現で書かれている。(略)目に見える神、名前のついた神しか意味しておらず、日本の目に見えない‘神さま‘が含まれないのです」

この部分、すっごく大きいと私は読みました。

そうなのなら、「神官の家」であるご皇室の、後継者の妻としての雅子サンは、今更言うまでもないが、

全く違うじゃん、という、その。


・・・ひとこと付け加えさせていただきますと。

同誌の人気連載(「ざぷりんせすまさこひものがたり」にては、友納某子なるノンプライドライターが、こう書いてます。

上記にもある、昨10月2日と5日の遷宮の折りに。

「東京・元赤坂の東宮御所でも両日には、

「皇太子殿下はモーニングコート、雅子妃殿下はロングドレスの御長服をお召しになって、おそろいで神宮の方を向いてご遥拝になった。雅子妃が、前回、 式年遷宮の祭祀に臨まれたのは 、ご成婚さらた1993年のことだった。以来、20年。両殿下にとって感慨深い祈りだったことだろう。

・・・とものー女史。「祈り」なんて書いてるわ。祈り。ふうううん。へえええ。ほおおおおおおおおおお。

雅子サンが、人の目もカメラも無いところで、祭祀とか。ロングドレスとか。遥拝とか祈りとか。

信じないから。


けびょう、さぼりのぜいきんどろぼう、こうしつからでてゆけ。

へいかははたらいておられるぞ。

おとうとでんかもはたらいておられるぞ。

でてゆけ。でてゆけ。
週刊新潮3月27日号より。

「学習院初等科」卒業式に「宮内庁記者」と激しい冷戦
     「愛子さま」お言葉の機会を断固拒否した「雅子妃」


やはは。私おもしろいです。激しい冷戦。断固拒否。そして鍵かっこ付き「雅子妃」

これは既に、皇族の一人、それも内廷皇族の一人であるどなたかを語る語調でなくて。

もっとやってくれ~。

内容を引用の形にすると膨大な量になりますので、文意を損なわないよう留意して、部分的には箇条書きにします。新潮さん、失礼をば、いたします。

東京都新宿区若葉。迎賓館と道を挟んで建つ学習院初等科。その校門前では、異様な光景が展開されて来た・・・前振り部分です。

皇室ウォッチャーたちが愛子さまの登下校の姿を確認すべく、連日、出待ち入り待ちをしていた、と。


確かに異様な光景。今日もまた雅子妃は付添をなさるかと、様子を見届けるためといった方が正確かも、と、あります。

このウォッチャーさん方って「まさこさま~」「あいこさま~」と、声をかけるヒトビトのこと?ですかね?。

その一人が、印象深い思い出を振り返ったそうで。

引用・・・初等科の校門付近を警備しているお巡りさんが、ある時、私たちに近寄ってきて、こう吐き捨てたんです。

「モンペっているもんだよね」って。

モンペ、すなわちモンスター・ペアレント。この言葉が誰に向けられたものだったのか、ウォッチャーたちの中で理解できないものはいなかったーー。


ってことは。まさこさま~、あいこさま~、の声の中に、誰がモンペさんか、わかんないヒトはいなかったってことですか。

何が何でもとーぐーようご。でも、無い?

では、さま~、さま~のお声も、懐疑に満ちた中で発せられたってゆーか。何が何でも「さま~」「さま~」でも、ないのね、ぢゃ。何のために「さま~」「さま~」してるのかな。当番制ってホントでしょうか。

ナルマサ=モンペ。この等式、成り立っている?。

・初等科の卒業式に出席された愛子さん。

・卒業とは次なる舞台への旅立ち、人生がそこで終わるわけではない。

・愛子さんは中学生になるが、過去の「軛(くびき)」を断ち切り、新たな人生を歩み出すことができるのだろうか。


・・・ほんとに、こう、書いてある。

皇太子殿下一家にとって心安らかなものだったとは言い難い、この6年間だった。そう、ある。そうですね、コクミンにとってもね。そして図らずも、愛子さんの卒業式に際し、改めて現在の一家の状況を物語る「トラブル」が起きた、と。

卒業式前の14日に行われた小町恭士・東宮大夫の定例記者会見でのこと。

・報道陣が、卒業式会場で愛子さまおよび両殿下の様子を取材したい、愛子さま本人のご感想をお聞きしたい旨、要望。

・小町さんは「無理でございます」と拒否。

・入学式時は学校の敷地内でも撮影が許可されていたので報道陣は食い下がった。

・「保護者の問題もありますから」と(小町氏は)断固拒絶の姿勢。

・記者たちは「国民も納得しないとなおも詰め寄ったが、小町さん口ごもるばかり。

・彼(小町ん)の口癖「承る」を逆手に取られて。記者たちから(我々の意見を承らないんですか?」と揶揄される始末。

・結局、校門前での一家一緒の写真撮影が許可されたのみ。この6年間で東宮一家と国民の距離は縮まるどころか開いてしまった。


・(別の記者が)せめて皇太子殿下にコメントを出してもらいたいと要請しても、小町ん。2月23日の誕生日会見で殿下は随分仰っているので、それを参考にしてね、と。

・晴れの門出に際しても、頑ななまでに東宮一家と国民を遠ざけようとした小町大夫。


これに関してらしいこと。小町さんは、オフレコだった話を・・・ナルさんがささいな怪我をして、予定していた趣味の登山を延期したって内容のこと。これが何故「漏れた」かと 憤ってみせた とか。

報道陣の姿勢を改めるのが先だ、と強気に出たのです、だと。

一理とも言いそうになりますが、相手が相手ですから、この一理は通りません。次に。

・皇室の無い内情は常にメディアを賑わせており

これは、もっと本当のことがもっと出るべきだと思います

・今回初めて「漏れた」わけでは無い。取ってつけたような理由だとしか言いようがないのである。

ここは拍手。次、太字にさせていただきます。

引用・・・かねてメディアに不信感を持たれ、時に過保護なのではないかと思わせるほど愛子さまを「溺愛」してきた雅子さまの意向が、強く働いているんだろうと思わざるを得ませんでした。

元宮内庁職員で「皇室手帳」の発行人も務めた山下晋司氏も同様の見解。

引用・・・「雅子妃殿下には、愛子さまの露出を控えたいとのお気持ちがあるのではないでしょうか。

成婚前から取材に晒されて来て、大のマスコミ嫌いのマサコサマ。であると。

雅子さんも、この山下さんなる方も、大きく心得違いをしていると私は考えます。

雅子サンも愛子さんも、どんな意味にせよ、普通のヒトではないのです。

税金の中から、年間、億の単位のお金を受け取る立場。それが権利なら当然、義務がある。簡単に言ってもそうなりませんか。

愛子さまの露出を控えたいって・・・世間一般のお子さんの親御さんなら通る話。わかる話。何を言うてはるんですか、それもこれもコミでの平成のご皇族、誰にも何も言わせずの静養三昧のお姿ではないですか。

子をマスコミに晒したくないなら、出て行かれればよろしいのでは。引き止めませんし。街角でパシャッとやられてしまったなら、バッグを振りかぶって抗戦なさるがよろしいかと。カメラマンに向かって、かつて恫喝なさったように、フィルム全部出しなさいよ、と、お睨みになられればよろしいかと。

マスコミの男の胸倉つかんで、一市民として、自分でも子でも、お守りになられるがよろしい。

メデューサの髪、逆立てて。街角で、大暴れなさるがよろしいかと。

記事に戻ります。

雅子さんの愛娘に対する「愛情」と。その発露とされる「干渉」には尋常ならざるものがあった。

愛子さんが4年生の時の2011年(震災の年)9月に起きた、世に名高き(と書いてあります)「校外学習事件」。

雅子サンはその全行程を「追尾」したのだった。

引用・・・当時の担当者が未だに信じ難いといった様子で回顧する。

「愛子さまたち児童が乗ったバスを、雅子さまはトヨタのアルファードで追い掛け(略)こっそり見守るつもりだった雅子さまと愛子さまが遭遇してしまい、「あら、偶然ね」と雅子さまが取り繕う一幕もありました」


。。。愛子さんが普通のお子さんなら。たられば、の話は無いのですが。母親は「うざい」「KY」エトセテラなヒトとして、娘に、早々に切り捨てられていた気がします。娘は、多くの場合、母親を、シリアスな目で見ている。べったべたな「友達おやこ」なんてのも、いるようですが。

親は、どんなに親しくても「トモダチ」ではないと、私は思っています。きしょく悪いわ。

母親が娘に取り繕っていたって。雅どん、どんだけアホやねん。

でも、皇太子パパも、かなりなもので。

引用・・・なお、この校外学習事件には余談があり

・雅子さんが愛子さんをおいかける一方、皇太子さまは初等科から出発する愛子さんが乗ったバスを、その姿が見えなくなるまで手を振り、見送られていました。

・親の行動としては分からなくもないが

・次の天皇陛下になられるお方が、一般のお母さん方に混じって我が子に延々と手を振り続ける姿には

・違和感を覚えざるを得ませんでしたね。

・関係者の間では密かに「逆一般参賀事件とも呼ばれて


いたのですって。

笑われてたんだ、ナルちゃん。笑われていたんだ、今もだよ。


このほかに

・月曜日事件

・かまぼこ事件

・ブランドバッグ事件

・皇太子一人が行啓、マサアイはスケートに興じていた

・娘さんに付き添うための「園遊会欠席した」公務軽視


そりゃ、雅ドンの「はああ?」な事柄は、海の魚の数にも匹敵すると言われて(はいませんが)、あれこれいっぱい、ある。

引用・・・さらに年々、初等科の運動会に参加する関係者に制約が増えるなど、愛子さまを社会から「隔離」する傾向はその度を増していったのだった。

「一人授業参観」については、こう書かれています。

今になってみれば・・・と、学習院関係者は首を捻る。

・雅子さんは給食の時間も愛子さんに突きっ切りで、他の児童と離れた貴賓室で食事をとらせていた

・授業は皆と一緒に受けるのに、給食だけはダメ、は筋が通らない

・愛子さんは食事をゆっくりされる方ですが

・学習院には総て食べきらないと昼休みに遊べないルールがある。

・要は早く遊びに出させるべく、食べ残しても咎められないで済むように考え出された

・「抜け道だった」のではないかと勘繰りたくなります。

 給食の他にも

・付添は車で、が多かった

・雅子さんが傍にいるのだから、イジメから守るためだったら徒歩でも何の問題も無い

・初等科では車での送迎が禁止されている

・イジメを理由にして、単に雅子さんの我が儘で、可愛い我が子の特別扱いを通していたに過ぎない気もします。

「とどのつまり、この6年間の「事件」の数々は、イジメだけに由来するものでなく、雅子妃による「愛情過多」が招いたものと見られているわけだ」


・・・ここまでで約半分です。残りは次にさせていただきます。

貴賓室の母子。肘ついてくっちゃくっちゃと音立ててお召し上がりの宮さま。お箸がお使いになれず、時代に逆行、箸は不可、スプーンに、と、実行もされ。

へらら~と、いつまでも子にお手を振る皇太子。

これが通されているって、やっぱり、ものすっごく、変。ではないですか? 。


コメント、ようさん頂いてほんに嬉しゅおすけど、なかなかお返事でけしません。お許しやして、お待ちいただきとう、お願い申し上げますう。・・・今夜は京風で、よろしゅうおたの、申しますぅ。

ぢょし会にはあい、って手をおあげくださっておられるお方、ほら、あなたさま、連絡遅れてまして恐れ入ります、必ずご連絡します、ちょい、お待ちくださいね!











子供が小学校を卒業する。喜ばしいことで、どのお子たちにも明るい未来を、と願う心に偽りは無い。私はすぐに涙がずずっと出る祖母ちゃんでもあります。

誰にもみんな、明るい未来が待っている。なんて実は、本当でないことだって、大人たちは知っているが、この季節、やさしい気持ちになっていたい思いはあります。

で、現・東宮家の内親王さまのことです。

昨日が卒業式でした。インフルエンザにもかからずお腹をこわされることも無く。卒業証書授与式にお出かけになり、親子3人、3人分の影の有ると見えない(影が道路に見えていないのですよ、細~いのが少しだけある)不思議な写真でもって、睦まじく娘さんの学校へ向かわれた様子に見せる、と。

校門の前で親子3人「卒業式」の看板に並んで写真を写される。

詳しく見つめられた方が「ナルさんの影と、看板をはさんだ雅さん愛さんの影の向きが違う」と、記しておられます。これは=コラージュ、貼りあわせた写真と違うか? という意味です。同じ場所に同時にいる影と異なるようだ、ということです。

校門の内部の、奥の、校舎なのでしょうか建物が、ずずっと前方に移動したみたいに大きく間近に迫っているのは、望遠レンズでこの写真を撮らせ→人物像を大きく見せるために操作して→そうすると、背景の建物との距離感が変わって→建物が不必要に大きく見える。そういうことなのらしいです。

では、なぜ、望遠レンズ? 

愛子さんの声を、拾わせないため。

はじめ愛子さんは「おめでとうございます」との記者たちからの声に「会釈された」と報じられました。

会釈には見えなくても、あれが愛子さんの会釈だったのかも・・と、東宮家ウォッチャー(誰?)たちが 笑って 不思議がっていた数時間後に、愛子さんは「楽しかった」とお答えになった、との報が流されました。

声は無かったようですよ。今週号の週刊新潮には、愛子さんの「発語」についての記事があります。さっき買って来て、まだ読んでおりません。

「学習院初等科」卒業式に「宮内庁記者」と激しい冷戦

   「愛子さま」お言葉の機会を断固拒否した「雅子妃」


です。興味深く思います。ライバル誌の文春の方は

天皇皇后「伊勢ご参拝」の最中 雅子さま 奥滋賀スキー旅行

です。ついでにもう一冊、女性自身誌は、

超秀才! 愛子さま‘卒業レポで綴られた「天皇の役割‘「宮中の結婚」肉声

ですと。

アゲか、皮肉か。どっちなのかは未読にて不明、なれど、ここのところ、そのへん肉薄して来ております。

明日は退屈しないで済みそう・・・明日はちょこっと忙しそうなんだけど・・・せっかく買って来ましたので。

・・・昨日の東宮家もやはり、嘘っこばかりのアリバイ写真集、という結果でしょうか。

雅子さんは、また、愛子さんを背後からどついた。右足の位置が変わるくらい。背中が反り返ったくらい。

母は、思い通りにならないわが子の背を、いらだって、押した。

父親は、あれこれガードしたにも関わらず、隙をついて発された記者からの質問に、動揺した証拠に、いつもの、ポケットあたりでの両手パタパタ。これって、茶番ってやつですか?

白昼、伝統ある学校の門前で、東宮という位置においでのご一家の、猿芝居。愛子さんに、今のところの罪は無い、と、思う。

けれど、親が、あまりにもの惨状なので。

口、開けっ放し。

唇の両側にヨダレガたまって・・・と、私も書いていますね。

思えば辛いことと、お思いのあたりが、おられるように、これは、邪推? 。


もう一つ。



宮内庁は18日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(12)の学習院初等科卒業式に合わせ、愛子さまが初等科の卒業記念文集「桜愛集」に寄せられた作文を公表した。活字化されたもので、昨年7月に学習院沼津游泳(ゆうえい)場(静岡県沼津市)で行われた6年生の水泳行事「沼津海浜教育」に参加した際の思い出がつづられている。

全文は次の通り(表記は原文通り)。

大きな力を与えてくれた沼津の海 敬宮愛子

 不安な気持ちを抱きつつも、きっと楽しい思い出が作れると言われて出かけた沼津でしたが、初日から練習は厳しく、海に入りたくないと思う時も少なくありませんでした。ただ楽しかったのは、友達との生活と食事、お風呂でした。
 しかし、足の着かない海で泳いで、初めて気持ち良いと感じる日が来ました。三日目に行ったプレ距離泳の時でした。プレの日は、波もなく、太陽が照りつける中での距離泳となりました。海に入るまでは、五百メートルも泳げる訳がないと諦めていましたが、泳いでいるうちに、体の力が抜け、楽しく泳げるようになりました。五百メートルを泳ぎ切ると、海が好きになり、海に入るのが楽しみになっていました。
 迎えた本番の五日目は、潮の流れが少しあり、泳ぎにくいと感じましたが、前日に一キロ泳や二キロ泳を終えた人たちの「頑張れー」という応援の声が聞こえる度に、不思議と力が湧いてきました。無事に泳ぎ切り、みんなと喜びながら頂いた氷砂糖の甘い味は格別でした。
 沼津での生活は、私に諦めないことの大切さを教えてくれ、大きな自信を与えてくれました。沼津の海は、私にとって忘れられない記念の海。六年間の中で、私がいちばん成長できたと感じられる素晴らしい思い出になっています。


これ・・・。

不思議な作文。

以前の、大縄跳びの作文だか詩だったかの中に「達成感があった」という部分があって。

暗然たる思いを抱いた、あの時と同じ感覚。

本人が書いた、本人の「感想」ではない。

と、私は断じることだってできるけど、ここでは「私はそう感じた」と、記しておくことにしよう。

ここまでやるか~。やってるんだよね。

かつて、愛子さんは、学校でのプールの授業をすべて、休んでおられた。見学だった。

その頃の理由は「水のきらめきが怖い」だったか「揺らめきがこわい」だったかでした。

内心、愛子さんは詩人か、と、感じたわたし。

プールなんか休んでも、どっちにせよ進級も進学もできるお方。その詩心をお伸ばしになって、とか、今に思えばお人よしなことを勝手に考えておりました。

何がどれが本当なのか、さっぱり理解しがたいご一家です。はっきりわかっていることは、嘘を重ねていると、にっちもさっちも行かなくなるよね、ってこと。

私も大嘘つきです。だから多少はわかる気がする、でも、あの家の嘘は、せこくて、場当たり的で、アホみたいに未熟な、人をバカにしている嘘。嘘のオトシマエを、自分で引き受ける覚悟の無い嘘。

どこまで行くのかしら、どこまで行けるつもりなのかしら。

...この作文、書かれたのは「敬宮愛子」さん。その後に「内親王」がついていない。

同じ条件の秋篠宮家の眞子さまの時には

「秋篠宮眞子内親王」

と、表記されているのです。





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