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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

週刊文春3月6日号から。

タイトルは・・皇太子54歳誕生日会見 前代未聞の「ご発言改ざん」騒動。

いろんな思想信条の方に読んで買って頂かなければならない週刊誌。今週は、国民の方へ傾いている風の、記事のつくりでした。

皇太子の写真についてるキャプション。

「雅子と共に」をくり返された。と書かれてる。他の写真では「趣味の登山を楽しまれる」とか。何か底意地・・・いや、そんなはずは無い、いやしくも東宮殿下に向かって

年始の皇居バルコニーの挨拶に帽子ぎゅうぎゅう頭におしつけて出た妃殿下の、視点不明瞭のお写真には

ご体調は停滞期に。

とあって。去年、5分10分「被災地訪問」して完全復活とまで書かれたヒデンカ、あれでつまり、今年の皇太子の「雅子と共にこうしたああした」アリバイできたんやった。

以上は既に書いたことですが何度でも書きます。ジャムの件もまだ未解決ですし

今日の本分は以下です。                    

「確かにおっしゃるように,雅子の状況も少しずつ良い方向には向いてきていると思います。それから愛子もこの4月からは中学に進むように,だんだん大きくなってきております。やはり雅子にとっても外国訪問が治療上も良いのであれば,そしてまた,愛子にとっても視野を広めるという意味で外国の地を見ておくことが良いのであれば,様々なことを考えて,今後ともどのような外国訪問ができるかということをいろいろ考えていく必要があると思います。実際,私たちもそのようなことをいろいろ考えているところではあります。

会見の締めくくりであったこの部分についてです。

・・・随分具体的であり、多くの記者が、両殿下はスイスご訪問に前向きなのだと考えたはずです。と、あります。

体調停滞期になってる雅子さま、今年の見通しも立っていない状態、それを占う意味でも、海外訪問は重要なイベントだと言える、と。ほお。

・現時点での最有力候補は、5月頭のジュネーブ行き、なんだそうだ。

・一切報じられていないが、実はスイス大使から招待状として、正式な外交文書である「口上書」が、既に送られている、そうなのだ。

↑2つの「・」は「外務省関係者が内内に明かしたこと」であり、同時に「外務省報道課はそのような事実はない、と回答している」ことであるのだ。外務省は、東宮職医師団のように「実は一人」ではないのだ。そうなのだ。そうか? 。

足して引いて、どっちがホントだ? 記事を追います。

スイスは「国連一家」とも言われるご実家、オワダ家にとっても縁の深い国、とある。国連一家って。聞けばすごいわ。はんにちいっか、って読むの? 

宮内庁関係者は、昨年のオランダ事件で返事さえせず伸ばしていたことで、政府関係者からも「在り得ないことと」批判された、その轍を踏まないように、スイスの件の公表の時期を、慎重かつ秘密裡に勧めようとしている、と。


・・・行かせるつもりか宮内庁。誰なんだ関係者。なんで秘密裡。ご皇族がただしくご公務に赴かれるに、なんで秘密裡。あれらが実は遊びに行くからか。そこでも「事件」になるからか。

被災地慰問より先に外国訪問検討というのがニュースになるのでは見場が悪いですから・・・宮内庁関係者。

だって。ストレートや、ここ。見場が悪い、だと。被災地の方、怒って下さい。

・・・引用します。

例年通り、誕生日会見の質問は、記者会が事前に宮内庁とやり取りするかたちで決められた。準備されていた5つの質問について、皇太子は用意されたペーパーを見ながら淀みなくお答えになった。

その後、関連質問として代表の記者から2つ質問し、アドリブでお答え頂いたのです。殿下は一言一句、言葉を選んで慎重にお答えになっていましたが、最後の最後で<実際、私たちもそのようなことをいろいろ考えている>と仰った。お心がそのまま出てしまったように見えました。やはり、殿下の中で、雅子さまと一緒に外国訪問をしたい、という思いが大きなウェイトを占めているのでしょう。


アドリブにはナルさんは、危うくなってしまったのですね。こうならせないための「前もって準備」だったのに

パリ訪問の可能性を考えた記者もいるらしい。去年の夏に雅子さまが参加された「DESD」。ナルの頭上に何やら不可解な角のような物体が付き出ていると、画像が一部で話題になったあのプロジェクト。参加された若い方々に対して含むところは無いし利用されたのが解って見ても辛いので、逃げた言い方をしますが、そのプレゼンテーションが今年8月下旬

「DECD本部のあるフランス。パリで開催されるのです」

って訳で。

ジュネーブか、パリか。皇太子ご夫妻のまなざしはヨーロッパに向けられている。それが、多くの宮内記者が抱いた感想だった、とのこと。

中のお一人くらいに、

そしてそのうち、いよいよ2人で「テハニーですか」と、突っ込んで頂きたかった。(KUON註:日本の皇太子殿下はお若き日、お妃さまはどのような方が、との質問に、ニューヨークのテハニー(もしかしてティファニー)であれこれ買うような方・・・が好きです、ではなく、そーゆー方はちょっと、と、質実を求める発言をしてしまっておられました。結果、今でもこうして揶揄られておられます)。

ここからです。文春記事のここからを書きたかった。太い字にします。



だが、会見後に事態は急転直下。東宮職は宮内記者会に対し、‘発言の追加‘を申し出たのだ。

「皆が千代田の宮内クラブに戻って来た後、東宮職から幹事社を通じて連絡があったのです。

「[関連質問 問2の会見録には、‘一般論として‘と付け加えて欲しい。記事を掲載する際にはその真意を汲んで書いてほしい」」という。つまり、発言は特定の国を想定した上のことではない、というのです。皇太子が発言を修正するなんて前代未聞。記者会では‘ご発言の改ざんになってしまう! という声も上がりました。けっきょく、全社一致で受け入れられない、と突き返したのです。


やった、いつもは知らんがこれはえらいぞ宮内記者会。kuonは何様エラソー発言。でもなんか、嬉しいから、ハクシュしてしまう。。いや、実は虚しいですよね、こんな小さなシアワセに、涙がにじんでしまうなんて(嘘)。

でも、よくぞ突き返して下さった。ありがと、と、小さくつぶやきます私。

やっぱりナルちゃん、アドリブでは、言うたらあかんことを言うた。やっぱり東宮職は、前代未聞になっても、事実隠ぺいをはかってしまうのね。

言うたらあかんこと=まさこさまに、これ言ってよ、と、ドスられたこと。お心がそのまま出た、とか記事にありますが、それは、雅子サマの心が、出てるの。ナルさまは、正しく腹話術の人形、ってオチですか。

腹話術の人形が、韓国行きますよ、中にもちかづきますよ~。

公なる人が前代未聞のマイナス方面の発言をすると、多くの場合、叩かれたり足引っ張られたり、発言撤回したりアタマ下げたりどげざなんてやらかしたり、さいごは「辞任に追い込まれ」たりなさってる。

ヤバい発言なさって、辞任、これ、いいじゃん。ひゃっほー、だわ。

もっと、前代未聞、なさって下さいませ、お願いします、皇太子殿下。いけてる展開。


号外。

愛子内親王様が、夜更かししてオリンピックをご鑑賞された。フィギュアの羽入選手をいたくお気に召され、クラスで、写真を手に入れるにはどうしたらいいか・・・など、言っておられたと。

夜更かししてテレビ見るも、朝、ちゃんと起きて学校へ行けば、たまのことならいいんじゃないかと思います。

12歳の少女が、まことスケートの王子様、羽生選手にときめかれるのも、あることと思います。私だって羽生君にはみとれました。

が、あられもない、という言葉はこういう時に思い浮かぶ。

公人である御身で、ときめくことは停められないでも、名を上げて「写真が欲しい」云々は、週刊誌に書かれてはなりません。お立場上、そんなことを機に接近を企む輩もいる、ことも、いずれ世間に出るお嬢さんには、お教えになられるがいいのではないか、と。

昭和天皇は大好きな相撲をご覧になっても、贔屓の力士の名は口からお出しになられなかった。公平をはかられたのことだったそうです。ご贔屓の無かったハズも無いと、不遜ながら思いますが。

皇后さまは時に、そうでもなかったようですが、それでも、あられなくは感じさせなかった。おつとめ第一でおられたので。(多分)。

誰かが愛子さんに、特別にサイン入りの写真などはからったり。ショーの前列の席を計らったりしたら、と考えると、自ら憚られることの乏しいお方とお見受けするので、・・・なんとも。

そういうあからさまなことをお控えになる不自由は、他で得ておられる多くの特権と、引換のものではないかと考えます。

愛子さんが誰かのファンでも、それはそれ。だーだかだーと、垂れ流されない方がいい情報と考えます。

羽生選手頑張って下さい、カナダでしっかり、練習励んで下さい! 。

愛子さんの親は、おとーさんがしたごとく、アイドルに特権的接遇をしたりしないよう、慎んで下さい。


とか、思ってしまいました。



リンクさせてもらっている「やまのこ」さんのブログに、小和田恒が中央で東宮御所の主であり、東宮はそばで、ツマに遠慮しつつ座ってる、という写真があります。ご覧になっていただきたく。
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小学校の3年生の時に腎臓の病気になり、学校を休んで一人で寝ていた。

医者が言ったほどには長くかからず、やがて復学できたが、妊娠するたび蛋白の反応が強く出るのは不安だったし、今も無理するとムクむ。顔がまん丸い成分は「肉」のみならず、浮腫のせいもある。と、しておきたい気分もある。

毎日、朝は目玉焼きとごはん、昼は近くの公設市場の煮物屋さんで買って来るポテトサラダをはさんだサンドイッチ、夜には焼き海苔に醤油をつけないで、ごはんと一緒に食べていた。飽きもせず同じものを食べていた。母は、夜、遅くなることがよくあった。

頼まれれば人の世話をしに行っていた。病人の付添をしていることもあった。無報酬である。たまにはいくらか頂いていたかも知れないが・・タダで人に何かしてもらうの、イヤな人もあるでしょう。そうして得たお金も、宗教の方へ「供え」ていた。

午前中に大通りの向こうの医院まで歩いて行き、静脈注射を打ってもらっていた。大柄な、色の白い女医さんは、いつも私の母のことを怒っていた。子どもを放っておいて何をやっとるだ、と、名古屋弁で怒っていた。

「たあけらしい、人のこともでゃあじ(大事)だけんど、自分とこの子、ほったらきゃあて(放ったらかして)やっとる、いうのは、たあけ(ばか)だわ」

毎度必ず「たあけ」と言われ、時に「ど」が付いて「どたあけ」になる。女医さんはストレートに口に出していたが、それは近所の住人の思いでもあっただろう。医院からの帰途、ぽくぽく歩いていて、お母ちゃんは何やっとるの、と、声をかけられたことも何度もあった。笑ってやり過ごすすべを覚えた。

私は、どうでもよかった。一人でもよかった。淋しいと感じない子どもになっていたのだと思う。

一人の方がよかった。本を読んでいた、ずっと。

母は、私が5歳の時に夫(私の父)、父親(祖父)長兄(伯父)を、半年の間に亡くし、その前から入信していた宗教に一気にのめり込んだ。

現在の「カルト」のいずれかではない。新規の信者を獲得する意欲も失せているような、当初の形式に縛られているのかしがみついているのか、建物だけは聳えつつ、内面から静かに確実に滅びていっているような新興宗教である。
熱を帯びることから遠く離れて、腐敗臭すら発し得ない教団と化しているその宗教団体から、今も誘いが来る。

誰が読むんだこれを、という、50年前の文章をそのままに、届く。

ようやくそれを、痛みを覚えず捨て去ることができるようになった。

こんな風に斜めから視てはいけないのだと、長く自分を責めていた。若い頃は特に、疑問が湧くたび膨れるたびに、自分を責めていた。信じ切れない自分が悪いと思っていた。罰はあると怯えた。



ともあれ。

遠い日母は、苦しかったのだろう。一人では立っていられなかったのだろう。

田舎の薬屋の末っ子に生まれて可愛がられて育って負けん気で生きて。村で初めて女でそこを目指したと自慢だった学校を出て、顔も知らずに気のいいお人よしと呼ばれた夫(父)と結婚して、かかあ天下を取った。夫をやりこめる妻であった過去は、母にとっては誇らしい事実だったようだ。私の2人の姉は今も、早死にした父親をばかり恋うている。母が逝って10年にもなる、今も。

頑張り屋の母だった。

30代の初めに3人目の子である長男を生後3日で亡くし。その子を育てるに費やすはずだった時間をくれと夫に談判して、洋裁学校へ通い始めた、やがて教え始めた。姑(祖母)とは仲が悪かったと聞いている。祖母は、私を見ないで死んでいるが、のったりと昔のままの名古屋の言葉を使う、足の小さな、小さな足で生きて行けるような生涯を送った人だったという。

母は。古い家の跡取りの妻であったのが、周囲の猛烈な反対を押し切り住んでいた家も、空襲で焼け残っていた貸し家も(焼かれた家もあったらしい、その跡地は終戦後、うやむやに住み着かれてそのままになったとか)手放し、売却代金も含めた現金も父の遺したサイケンとやらも何もかも、その宗教のセンセイに託し、3人の娘の末っ子である私だけを手元に残して「教会」に住み込んでしまった。そこの主が大きな役を任されて、留守を母に任せて引き上げてしまった後に。

歳の離れた長姉は、父の死んだ時すでに高校の寮に入っていたのだが、次姉は小学校の6年生。亡父の妹(叔母)が、兄さまが遺した姪(次姉)を、わけのわからない人の出入りの多い教会なんかに行かせるに忍びないと、有無をいわさず引き取った、で、私は、母と2人の母子家庭になった。環境は激変した。

母の実家は、母のしたことを苦く思いつつも、目を瞑って援助を続けたらしい。教会に住んで、家賃は不要だったが、必要経費や母子の生活費を出す者はいない。幾らもらって住み込み女中になったかと訊ねられれば、母は、1円ももらっとりません、と、きっぱり答えていた。

田舎の伯父ちゃんがいろいろ、運んでくれるもんなあ、と、私は傍で聞いていた。それと母には、父の年金がおりていた。

私は3畳の部屋をもらっており、そこへ潜って生きていた。母が私に目を停めることはほとんど無かった。人のことをしていれば、自分の子は良い子に育つ。それが母の信念だったようだ。私は、良い子かどうかなど考えず、放置状態の子として、勝手に生きていた。

自分としては悪くない日々だった。食べることも自分で簡単なものを作って出来たし、母はお小遣いは欠かさず置いて出ていた。お金があればなんとかなる、との考えだったか。

腎臓の病気になるまで、治ったあと、買い食い三昧な私ではあった。

市場が近くにあったので。10円硬貨があれば子どもの望みはけっこう叶えられた。私は、オヤツとも呼べないおやつを買い込んで、貸本屋から借りて来た本を、汚さないようには注意しながら(貸本屋のオバサンは、本を汚すことには厳しい目を向けていた)、もさもさと食べ物を貪った。

そのままに記すが、イカのゲソの天ぷら、コロッケ、アンコを丸めて半透明の葛をかけたもの、揚げたねじり菓子。やはり市場内のお好み焼き屋の、常連客でもあった。

ソースの焦げる匂い、鉄板の上で跳ねるちょっとだけの量のイカ、今の豚肉より何十倍も美味しかった気のする、メリケン粉に乗せられる前の豚肉の焼ける、じゅうううっという音。店主は、ぽっちゃりとした若そうな「おねえさん」で、私にとても優しい人だった。時々、年取った男の人が、何も食べずに店の隅っこの丸椅子に座っていて、その人は「お姉さん」の「ナニ」だとか、大人たちの話から、何となく知って行った。

豪勢に(!)買い食いしている私に、お母さんはなんでお金を持っているの、と聞かれたことがあり、そのオバサンは、母が教会のお金をチョロまかして、子どもに贅沢をさせている、と感じているのだろうな。など、私には、わかったのだ。

どう言いようも無く黙っていたが、同じ分団で集団登校をする誰もが、よその大人に、そういうことを問われていることは無い、とも、私は、わかっていた気がする。

お父さんがいなくて、教会に住んでいて、お母さんはしゃきしゃきと出歩いている、ので。だから、聞かれてしまうのだろうと。

私にはどうすることも出来ないことだった。

本ばかり読んでいた。腎臓の病気以後、体も弱くなっていた。


困ったのは、近所に住む同じ宗教を信じる「オバサン」が、夜、酔っ払っては訪れて来るようになったことだ。

酔っ払って来る、あるいは来て、飲んで、酔っ払う。そして母を相手に、ぐだぐだと文句を言い始め、時に暴れ出し、時に母を殴って肋骨を折って入院させ、耳も殴って長く通院させ、私の(自分の息子より「5」の多い)通知表を引き破って練炭火鉢にかざして燃やし、そして教科書を持ち去って返さなかった。

オバサンの夫は、長く肺結核で入院していた。オバサンは女の身で、夫の代わりに建具屋を切りまわさなければならなかった。住み込みの「若い衆」が4人おり、私より幾つか年上の息子が2人いた。

オバサンは、仕事が済むとご飯を作って食べさせなければならなかった。くったくたに疲れた(のだろう)、で、ビールを飲む。飲んで酔って来る。アタマの中はさまざまな悩みで満タンだ。入院費用のこと、給料のこと、成績の悪い子どものこと。金策がうまく行かない時もあったらしい。手形決済とかって、大変だったらしい。

母が、泣きつかれてお金を融通した、何度も貸してあげた。返すときにオバサンは、なぜか、腹が立ったらしい。返したくないこともあったらしい。返さないまま次を頼む時、ココロが傷ついたらしい。オバサンは斜め向かいに住む信者であった、だから、教会へは行く権利があると断じ、怒りやなんやで膨れ上がった体を、運んで来るようになった。

来れば、母は、悩みの無い顔して、娘(私)の服など、しゃーっとミシンで縫っている。自分の苦労なんか、こいつには解っておらん。

オバサンは暴れた。飲酒中にも微かに残っていた「理性」が、オバサンに知らせていたのだろう、若い衆の前で醜態をさらしてはならぬ、わが子の目に酔っぱらいの姿を見せてはならぬ。

・・・母は、人あしらいのうまくない人でした。

父がいた間にも、正しい人でした、許さない人でした。おそらくそうだったのでしょう、オバサンに対しても、そうでした。

ごちゃぐちゃぶつぶつ言いたがる、初めは聞いて欲しい、から始まる、飲んだオバサンの言うことに、背中をまっすぐに立てて伸ばして、反論していました。時に説教を。オバサンが求めていたのは「正しさ」でなく、共感、だったでしょう。

解って、だったでしょう。ハラハラと私は、オバサンと母の、噛み合わない場面の、その場に、黙って同席しておりました。

突然オバサンは雄叫びを挙げ、コップを投げる。母を叩く・・・母はとりあえず逃げる、私にも声をかける

「○○子、逃げやあ~~~」

絶叫である日もありました。オバサンは私を、なじることはあっても、していたドリルをぶん投げることはあっても、殴りはしませんでした。私はオバサンに水を汲んで来て、差し出します。

黙って飲む日もあれば、ぷいっと顔をそむける時もあれば、いきなり笑顔を向けて。

「すまんな」

と言った日もありました。オバサンを、好きとは思えなかった。

爆発しないタイプのグチグチグチ・・・が、果てしなく続く夜もあり、癇性に目を据えて黙りこくっている母の前で、どうじゃこうじゃと弱気にごちゃ言うてるオバサン。出て行ってろと言われて、建物と板塀の間に身をひそめて、ぼ~~っと、している時もあった。

板塀は、互い違いに板の組まれたタイプで、隙間から外がよく見えます。

よその家では、平和に灯りが灯っていて、一緒に学校へ行っているレイコちゃんが、きゃはは、と笑っている声なども届きます。私は一人で、そこにいました。

感情は、動いていたのか、どうだったか。

母はもっと、ひとの気持ちがわかればいいのに、と、はっきり考えていた記憶はあります。

オバサンなんか、どうかなればいいのに、とも、思った。思いながら、自分は、オバサンの性格の方だな、とも考えは跳び。

寒かった。冬は寒かったし、夏は暑く、蚊にさされてぽこぽこになった。

刀、の思い出を書いて、今日は止めることにします。

わが家には日本刀がありました。届けてあったかどうか、昭和30年代の記憶です。

本物の日本刀があった。絶対に触ってはいけないと言われていて、隠してありました。一対と言うかどういうか、長いのと短いのがありました。

それをある日、全身、酔いと憤怒で真っ赤になったオバサンが、出せ、と迫った。

日本刀どこだ、知っているなら出せ、と。母はあの日は、逃げて行っていた気がします。

知らない、と、私は答えた。知っていたけど、そう言いました。

オバサンの顔が、赤く膨れ上がって、ダッと足は畳を蹴って、中庭に向いた硝子戸の内側にいつも置いてあるミシンのあたりから、掴んで来た。裁ちばさみを。

私の肩を後ろからがしっと抱え込んでオバサンは言いました。ころすぞ、と。

おばさんの右手にある、刃先が開いてそれが私の右の首筋をはさむ形になっている、裁ちばさみが、よく切れる方だ、と私は、思いました。2つある長い方が、切れる方。短い方はナマクラ。

やってみやあ。名古屋弁で私は、考えた気がするのです。6年生でした。

やってみやええがね。そしたら、あんただって、ひとごろしだ。かわいいこどもにだってあえんわ。

やってみやあ。

オバサンが、やってみやあせんかったので(おやりにならなかったので)私は、こうして、昔のことを思い出して、書いたりしています。、


・・・読み返してみると、途中から文体が「・・・だ、・・・た」調から「です、ます」調に、変わってしまっています。

なんとなく、書きたくなって書きました、このままとしておきます。

初めは「アンネの日記」について書くつもり、前振りとして子ども時代に踏み込んだのでしたが。

「アンネの日記」は、小学校を卒業した私が、母と離れて養父のところへ行く、と定まった時に、持って行く本ナンバーワンとして、以後、帰ることの無かった母との住まいから持ち出した本です。




気になっていながら触れられなかった、やまのこ さんから頂いていたコメントより。

引用させていただきます。

「日本国に天皇は御一人、皇太子も御一人、共に苗字を必要とせぬご身体です。

映像頭の私に見える昭和天皇は、まさに現人神です。

ご自分のお立場はない、全てが周囲の人々からはじまり、国民へと繋がる。

国民の家長だった陛下が日本家を守るのは当たり前の事だったのではと思います。

マッカーサーに会うのに少し遠回り?していますが、マッカーサーも飛行機から
降りる時にパイプをくわえ・・・皆、人間です。

陛下の丸腰は本当です。でも厚木に降りたマッカーサーも丸腰でした。

命乞いをせず全責任を負った陛下と通じるところがあると思いませんか。

終戦時45歳の天皇と、現在のナルさん54歳。並べて比べたくもない。

異例中の異例として「母」からでも良いと思っています。今上天皇が発すれば
決定打になりますが、オランダ行きの返事の遅れに苦言された美智子様なら
前例アリとして、ナルさん自ら退位する。

「辞めなさい」ではなく「辞めます」ならまだ歴史上面子が保たれる、とか?

如何でしょうか!」


・・・わたし流の感想を述べさせていただくならば。

「英雄は英雄を知る」

「男心に男が惚れて」

叱られるかも知れませんが、人間同士の心の響き合いという物は確かに存在するものであって。

どんなところにそれが存在しうるか、と言えば、無心なところ。無私なところ。一途なところ。ではないか、と、考えます。

自分のためにだけ動く人間のためには、それは発動しないリクツではないか。


先日記事にしかけて半ばになっていた、やはりやまのこ さんのコメントの中から。

「数年前にもれた話で、雅子の承諾が得られず脚本家?に対して

「あんた(アンタですよ)馬鹿じゃないの!」が洩れた・・・

脚本家→妻→妻の実家(母)→娘(妻の姉)→娘(姉の子)→学校→世間!

ふと愚痴った言葉が世間に流れた。今や驚きもしませんが当時はスクープ
だったと読みました。

「雅子」の文字を入れる事で、まるで同時に行動してるかのごとく見せる。」


これは、いつのことかは置いて、実際にあの夫婦の会見用の原稿について、なのですね、

ゴーストライターが存在することは、今更どうこういう問題では無い。皇太子の結婚前は、妹君の紀宮様が労をとられたとも聞き及ぶ、ナルさんの、折々の発表用の原稿。

乱暴な言い方をしてしまえば、紀宮様のそれなら、いいじゃないかという、気が、します。きちんと、それらしい(皇室にはこの「らしさ」が重要な要素であろうと思うので)形に整い、風格気品を保っていたなら、いいじゃんと思う。

問題なく来ていたのだし。これは、がさつな私の考えです。

しかし、小和田家が入り込んで来て、どんどん惨状は広がって行って、今年の先日のナル、正気とは思えない。

ナルもそうですが、雅子妃とやらの、増幅して行く邪悪さ。

新年の歌会始の歌でさえ雅子さんは、誰かが造り上げた(したがって、断じてうた=訴え)ではない)うたのごときものを、ババ抜きトランプみたいに一枚取って、それが妃殿下の「おうた」である。今は皇太子妃であるが、このまま行けば「皇后陛下の御歌(みうた)」という、特別なものになる、このまま行けば目に見えている。

続いて引用します。

「コレに対して猛反撃に出た東宮擁護派の板ネタが~~

紀子様が「あなた自己中ね!言った事はちゃんとやってよね!」だそうです。

雅子に関しては本ネタ(本当の話)で紀子様のはギャグ!!^^ 」


ご存じない方も多数おられるでしょう、上記の「東宮擁護派の板ネタ」なるモノが存在しまして、秋篠宮ご一家の誹謗中傷、のみならず、両陛下、特に皇后さまについてのそれが、たとえようのない酷さ。これに関しては他日にまた触れたいですが、週刊誌などを抱え込んで、紀子さまについての無いこと無いこと、書かせている何やらがいるようです。

程度の低さは大したものです。

私は、ぎんぎんに紀子さまが大好き! という熱情より、紀子妃殿下こそが、次代の皇后陛下にふさわしい方であろう、と、それに間違いは無い、と、冷静に考えるものであって。

・・・とか、澄まして書いているより。現実が物語る。

「あんた馬鹿じゃないの! 」

周囲の者に対してのこの態度は、ふつううううに、考えて、人の上に立つ者の態度では無い。

子どもの頃に聞かされた言葉、

「お手伝いさんにしっかり仕事してもらうには、主婦がまず、そのレベルまでの仕事をお願いしますよ、というところまで、仕事が出来なければ、お手伝いさんは仕事しない。主人をバカにする、舐められる。」。

というのがあって。仕事とは家事のみに限定されることでなく、日々の在りよう(きゃ~、こんなこと書いちゃって~ワタシったら~)を含むこと。今、思い出して考えるに、あの女主人をいただく東宮御所では、そのへん、ぐちゃぐちゃと思われる。

公私の別も無いのだから、清廉な風が吹くことも無かろう。オランダの例の恥さらし公務の際に、王侯貴族皇族、大統領クラスの人々の進むカーペット。そこを、ニタニタ笑いの日本国皇太子と、(己を鑑みればあまり言いたくないんだけど)、変な服着てニヘニヘ笑いながらお歩きの妃。それはまあ恥の概念の問題としよう。

その後を、雅子妃とやらのお付きか何か、水色のドレスの女官(?)が、歩いていた。

あそこは、あの人が歩くところではない、と、誰も言わなかった(私が知らないだけか)、今でも拘っています。

それは、例えば今年の学習院の運動会の時の画像、映像の違和感につながります。

朝から障害者スポーツ大会の開会式に、どた出して。愛子さんがムカデ競争に負けて大泣きした場面をご覧になれなかったと言う、涙の逸話の代わりに「雅子とそこへ出席した」という、アリバイはできちゃった訳でめでたい(のか?)・・・その日の、ご夫妻のテントの中に。同席って感じで、何人かの女性たちがおられた。御所におつとめの方…でしょう、と、思います。

あれも、考えられないこと。おつきの方なら、それらしく立つなり、して、そこにいるべき。一緒に掛けて、笑いながら、町内のおばちゃんたちみたいに、写ってた。

差別でない、区別が、全く出来ていない。

だから、と話は巡るのですが、御所内では、いろんなことが乱れているんでしょ。

立場ごとに、互いに尊重しながら、仕事をする。区別はあって当然です。それが無くて、言われているように、小和田家の方々が平気で、御所に車で乗り付けて、勝手に何やら、していると。

あり得ないでしょ、でも、そうなの。

私は、先日宣言した(オーバーや)ごとく、悪い人であり、想像力だけはふんだんなものであるから、考える。

現在の東宮御所でなら、どんなことだってできるよね、と、考える。どんなこと、の中身は、各人で御想像ください。

そこにいるべきでない浅ましい、常識以前の、隙だらけのひとびとが、何でやら許され続けて、いるんですから。

何もかも腐る、腐敗する、蕩けだす、大切なものは煤ける、威厳や品格や、ぜ~んぶ、蝿がたかって・・・。

はっきり見えています。

で、やっと結論に近づいておりますが。

畏れ多い申しようですが・・・と、一応、ことばを置かせていただいて。

皇后陛下に、ばしっとやって頂くより、もう、無いのではないか、と。

可愛いの可哀そうの辛いの。それは個人の感情。

明日また、書きたいけど、今年のナルさんの会見、文書、放置できるれべるでないでしょ。

脳みそ、白蟻に食い尽くされてしまわれたか・・・。

[異例中の異例として「母」からでも良いと思っています。今上天皇が発すれば決定打になりますが、オランダ行きの返事の遅れに苦言された美智子さまなら
前例アリとして、ナルさん自ら退位する。

「辞めなさい」ではなく「辞めます」ならまだ歴史上面子が保たれる、とか?。

如何でしょうか!」


「異例中の異例として「母」からでも良いと思っています。今上天皇が発すれば
決定打になりますが、オランダ行きの返事の遅れに苦言された美智子様なら
前例アリとして、ナルさん自ら退位する。

「辞めなさい」ではなく「辞めます」ならまだ歴史上面子が保たれる、とか?

如何でしょうか! 」


やまのこ さんに、全面的に賛同します。

お辛いでしょう、可愛いでしょう、お可哀そうですか・・・それは、個人の気持ち。

畏れながら皇后陛下にお願い申し上げます。

日本の国母様にあらせられます。

強い日本の母に。

伏してお願い申し上げます。














・・・ワタクシKUONが、めったに無いすてきな時間を頂いた、話です。よかったぜい、の、ご報告です。


時は2月某日、立春を過ぎてから降り積もった雪が、町のそこここ、陽のあたらないあたりでまだ、ひっそりと溶け残っている頃。

場所は。築後およそ数100年・・1200年前の柱を用いた部屋の現存するという・・・仰々しくはうたっておられないのですが、豪華立派な宿泊場所なら数ある奈良の中での。

由緒来歴あまたあるものをそのまま旅館にされたという建物。通りから隠れるみたいに一歩奥まってひっそりしていて、そこにそんな建造物が在るなど、行き交う人は知らないであろう、みたいな。看板以外は見えるもの何も無い、という。

関心の無ければ「崩れそう」でもある門を入ると、前庭の小砂利に綺麗に箒目が立てられ、左手に見える、中庭に通じるとおぼしき冠木門、これが、ちらりと聞いていた、徳川家由来とかの門かしら。巨大な礎石(石棺とあった・・)が、中央に。

玄関に入ると、和装の女性が迎えて下さる。柔らかい声で電話を取って下さった方ね、きっと。靴はここへどうぞ、と、優しそうな男性が声をかけて下さる。普段着。作務衣とか(笑)着てない。

ま、下足の専門の方もおられるのね、と、精いっぱい澄まし(たつもり)で、一歩、天平の宿へ入れていただきました。

当たり前に「古い」ので、通されたあたりの軸も襖絵も額の絵も文字も、なんだかわからないけど、どれもとっても、すごいんだろうな~、と。ぽか~んと見回すのみ。私、古いモノ、やたらに好きなのですが。本物過ぎて目がくらみそう。

一刀彫の、これ、どれくらい前のホトケさま?。天井は高い、格天井。

心おきなくキョロキョロして、ささ、こちらへ、とばかり、赤いびろうどの絨毯を敷き詰めた廊下を案内されながら進み(そんなに広くは無いのですが)、引き戸を開けて欄干付きの渡り廊下を、渡って下さい、と。

渡り廊下。

・・・完全に和風の旅館を探して下さいと、ブログで知り合った方に依頼されて、宿を探しました。

畳の上で寝たい、日本の風呂に入りたい。そーゆーご要望でした。

地元だからかえって、何も解らないに等しいのでした。地元で泊まることって、あまり、無い。 

探している間に、ネットで、この渡り廊下の写真をみつけた。

板が横張。正しい呼び名は知らない。ぞうきん掛けする時、両手を雑巾に預けてお尻を立てて、つううっと走って行ける、縦に板が並んでいる廊下でなく。横に張ってあると、つうっとは走れない。腰を落として、しっかりと右左に手を動かして、少しずつ進みながら拭かなくちゃならない。

ワタシが途中から育ててもらった養父の家の廊下が、これでした。

朝、田の字の形にある和室の周りをぐるっと拭いて行って、中庭をはさんだ、隠居部屋である離れへ続く渡り廊下を拭いて。

それだけしないと中学校へ行かせてもらえなかった。冬の朝などすっごく厭だったのに、写真を見たとたん、懐かしさが、わっと襲い掛かって来たのです。養父の家は、市の要望で立ちのきが決まった時、三重県のどっかへ移築したい話が出たそうで。移築されたその家へは、一度も行ったことがありません。記憶の中にだけ残っている家。

しかしそれは、私の感覚。依頼され人(わたし)としては、冷静に、依頼人の要望を満たせるよう探さねば・・・これ、初めて経験しましたが、いま、和風旅館に一人で宿泊するって、けっこう難しいものなんですわ~。

旅行会社は「無い」と言う。和室はお二人からです、と。それっておかしくないか。一人で泊まりたい人だっているでしょうに、その方々の人権は・・・って、文句が雅子ざばじみて来たりして。

やっと見つければ、お一人でもけっこうですおおきに、畳の部屋です、浴槽はヒノキです、窓から塔や池が見えます。わお、これがいいじゃん。

けど。現代の流れのようでもありますが、畳の上に、底上げするように・・・低い台を置いて、そこにお布団敷かせてもらいます・・・和風ベッド? んん、コチの希望は、楽でなくていいから、起き上がりにくくていいから、ふつーに、畳の敷いてある部屋なんだよなあ。それに、タバコはだめ、が多くて。団体さん入るっていうし。お部屋ご飯、その日は無理って言うし。それ、あかん、やなあ・・・。

で。ままよ、と、チェックしておいたがそれは夢よね、という旅館に、直接電話して見ました。どうぞ、お越しください、と云われて、へ? と拍子抜け。一応JTBにも行ったんだよ。他にも相談してみました。経済性よりここは一つ、先方様の好み優先ってことで、そういうの無いですか、と、聞いたのに、無い、とか、言うたよ、窓口のおねーさん。全く無い、無理、って感じで。なのに、私には敷居の高かった写真の、そこ、なめらか~に、どうぞお、って。

予約が取れてバンザイ、で、胸がすうっとして「よかったア」感に満ちて、自分の暮らしを続けておりました。そして、当日だったのです。

その前にもういっこ、話がありますのです。

電話で一度だけ、声をお聞きしていたその方・・・Oさんから、焦った電話が。

「聞きたいことあって電話したら、どうしても出ない。どうなってるんだろう、って」

え。ワタシだって焦りました。きちんと予約してある、直前に場所も、も一度確かめてあった、電話出ない、旅館が、なんで、どうして?????。

結論。お休みだったのです。そういえば私にも得心できる、かつて、奈良の目ぬき通りと云われるあたりで、旅館の一部を借りて小店を営んでいた頃、そこの大家さん・・・修学旅行生や一見さんも迎え入れておられた旅館さんも、時々、電気真っ暗にして戸を閉め切って、休み、とってはったなあ。

個人で営む小さな旅館。そういうことも、ある、かも、ある、と思う。予約だけ受けて、全く予約の無い日は。お休み。

・・・と、かも、と、多分、とで返事をしつつ。

「予約はしてある、KUON嘘つかない、おそらく休みだ(相手は、旅館が休み?と、絶句状態であられましたわ。ワタシも後に掛けたけど、留守電ですらないのですもの。Oさん、ものすごくあちこち、旅行しておられる方のようです、その方が絶句してた。これが奈良の方式だ~~・・そうなのか?)いんや、しかし。Oさん。心配ない、大丈夫だワタシが付いてる、いざとなったら何とでもする。ホテルだったらなんぼでもあるが、いいや妥協はしませんわ。必ず和式の旅館にお泊りいただきます(実は奈良 ホテルも押さえてあった・・・あまり気が進まないながら・・理由は述べません)、大船に乗ったつもりでいらっしゃいませ。どんと来い(とまで、言ったかどうかはわれながら不明。)ものすごい躁状態で、おいでおいで、とにかく来てねわかったか~」

と。後で、アタマくらくら来たくらい、ドンとお引き受けしちゃった。

翌朝℡して。はあああい、と、明るいお声を聞いた時の嬉しさ。安堵・トロワって、踊りだしたいほどでした~。

「あのあの、今日行かれますのでよろしく、そしてあのう・・・昨日は、お休みでしたのですよね?」

相手さん、へ? 。

「いいいいえ、あのあの、お休みされてたのなら判りました、でわよろしく」

電話切って、はあああ、よかったあ。いい経験しました、旅館のお休み問題ではビクともしないKUONに変身した朝でした。

・・・と。本題までたどり着くのがなかなかです。冷めたお茶を、こっくん、と。



・・・これが、あの、渡り廊下。

歩いてみるとギシギシ感もあり。本体、当然お古うございますし、私の体重もなかなか、なもんで。すみませんでしたねえ、廊下さん(ここはアニメ「ちびまる子ちゃん」の中の言い方の「すみませんねえ」で、お読み下さい)。

そこの近所で生まれ育った古い(今日の記事のキーワード)友が、お勧めくれたお宿。



初対面のその方は、先に来て待っておられました。私は、ブログの写真で、その方のお顔を存じ上げておりました。おりました感じより、うんと若くてスリムで、そして、めっちゃくちゃ、上等のモノを身に着けている方でした。第一印象は、それ。

私は、ばざござま~を、こきおろす身でありつつ、実態は身なりに無頓着、ショッピングも面倒で通販使ったり、気にいった何軒かがあって、そこでぱっと見てぱっと決めちゃう生活してるヒト。何着ててもいいとは、考えていませんけれど。

こんないいモノ身に着けている方、周囲に、いまのところ、いてはらしません。いいモノ、くらいはわかります、ええ。

とってもお洒落さん。ブランド名は知りまっせん、しかし、時計もジャケットも、きっと、ぴか一だわ。

なんでこんなこと、先に書いてるかと言うと、多分、ええ、きっぱりと今、照れております。

考えてもみて下さい。

古い由緒のある旅館に、夕方入って行って、それだけでも今のわが身には非日常。兼業主婦がわが立場。

そこに、妙齢の(少しだけ年上)、お洒落さんな男性が、ほんわか~な笑顔をたたへて、待っておられたのですぞ、他でも無い、こ、こ、このワタクシを。じゃじゃ馬KUONたんを。

知りませんがな、今まで、こんなシチュエーション。ワタシの日常、粋でない。互いにブログ読んでへんかったら、もしかして、何かのサギに・・・と、これはもちろん、相手の方が考えちまうかも、のケース。初めて会うんだって。だからぁ。

会いたいと、言うて来て下さったんですよ。

はじめ、公開の文面で、私のブログが好きと書いて下さっていて。う。
うれしいですやんか、それって。

会いに行きま~すとも書かれていて。

はあ、そうっすか~、はいど~も~、とか、本気で聞いとらんかったのワタシ。すっごく遠くにお住いの方なんです。


でも、ほんとに、KUONに会いに来られたの。いろいろ用をまとめて、私に(も)会いに来てくれた、というのが正確な話ですね。それでも、国内としても遠くから。ありがとお。初めての経験ですわ、ホンマ。って、うきうきしたのです私は。

そのブログ、毎日のぞくファンでもあり。自分と違う生き物の(おかしな表現ですが)、迫力ある、時にへたれてる、酔っ払って無茶言うてる、とても美意識のはっきりした、ルールを守ればとっても優しい人、と、感じていました。

その方とね。

ワタシ、脚が悪くて正座できませんと事前報告していたので、遠慮なく座卓の下に両脚、放り投げましてね。

本格的な会席料理をいただきました。

私は基本、ワリカンのヒト。

なんでそんなにカタクナなの~と、女友達に泣いて責められても、カタクナを貫いてるアホ。仕事上で男性たちと食べる時は、がしっと伝票つかんじゃうヒト。

でも、そのお食事は、ご馳走していただきました。なんやかや、笑いながら食べた。初めて会ったがよく喋りました。お相手は、よく呑んでいらした。ショーチュー、ビール。私は、赤膚焼のお湯のみにお茶いただきながら、絶妙のタイミングで出て来る小鉢、お皿、何もかも、ブルドーザーのごとく口の中へ。

一人で手酌で、呑んでおられました。正座とか出来ていたら、自在に前のめりになってお酌くらい、出来たかも。無理しなかったです私。ただ食べて喋ってた。下戸なので、つまらない思いをおさせしたかも・・・いいえ、そんなこと無かったと思う。楽しんでいたよね、Oさんも。

話題はあちこち飛び。話させ上手なOさん。私は、なんでも、なんぼでも喋りましたわ、昔の恋の話なんかも、つい、思い出して。がっはっはと、のけぞって笑いながら。実はOさん私を、ブログのみ読んで下さっている間。

京都~大原、三千院~

の歌みたいな、ちっとは憂いのある、もしかしたら「たおやか」だったりする、ヒトであると、予想して下さっていた疑惑も無いわけで無く・・・ごめんなさい、はかない夢をぶち壊して、がははのヒトで。破られるのが夢、なのよ、ご存知でしたわね・・・がはは。泣く。

ワタシだって、はかなげな、おとこのひとの庇護本能を直撃する、ぎゅううってしたら折れてしまいそうな、夢二の描くところのお葉さんみたいな・・・オンナノヒトだったら、運命だって変っていたわね、きっと。・・・なんて。思った昔もありました。

遠い日の、幻ですわ、真夏の田舎道を、白いパラソル斜めにかたげて、着なれて着崩れた一重をまとった姿で、愛しいひとに会いに行く、わたし・・・そういう妄想も、これからバリバリと、フィクションしてみようと。想像力盛り上がりまくった「出会い」でした。

そうなのよ。

その方はワタシを、褒めて下さって。書いて書いて書きまくられたら、と。

書け、書くんだ、KUON!! 。

笑いつつ飲みつつ食べつつ、Oさんは丹下の親父さん、そうですよ私は、明日のジョーだぁあ。わけわかんないけど、そうなんだぁ! 。

白い灰になるまで(そんなに遠い話でないわね、これは)、それまで、燃え尽きるまで。

書くんだ書くんだ書くんだジョー、じゃない、KUON。

・・・・・なんとありがたい。ありがたいです。

・・・知らない話も教えて下さいました。いろんなこと、よおく知っておられて。私、人にものごと教わる時は、そんな時は素直になれる性分なんですね。知るって、楽しいではありませんか。

もちろん、皇室の話なんかも、出ました。その方向で知り合って(この言い方はタダシイです)思うところ通じるものあって、遠距離をぐいと手繰り寄せていただいて、旅館で会食をしちゃったりすることになったのでありまして。

楽しくて、愉しくて、美味しゅうございました。やがて時は至りて。

サービス業のプロやわあ、と、これも学ばせていただいた仲居さん。「あや」さんって、優しく、うちらには縁起ののいいお名前(あやって、いいでしょう? ナルさん、ではあかんわ)の、何とも行き届いて細やかでさりげない接客のありように、ぽおっと見惚れた、その仲居さんに、たのんであった時間に声をかけていただいて。

タクシーに乗って帰りました。時間は、猛スピードで流れていたのですね。

後で知ったところ、はじめ、玄関で、靴はここへ、と声をかけて下さった中年の男性は、旅館のご主人。社長さんであられたそうで。ひやああ。

それ、いいなあ、と、そんなんにも感じ入ったKUONでした。

オシャレで、豪快で、シャイでオトナで率直で物知りでのんべえで可愛かったOさん。

カナダで生きてます、って、わがまま親父ってブログで名乗って、とても繊細なのが見え隠れしてしまっておられました。素敵な男性でした。

トシとって、こんなことも出来る。いいなあ、とも、思いました。

ネットってすごいなあ、とも。

カナダは遠いです。が、縁があるならまた、お会いしたいです。もうちょっとおとなしげに・・・いんにゃ、やっぱり、楽しくて、ディスポーザーのように(願わくば下品に堕ちることなく)ぱかぱか美味しい食べ物を楽しみながら、がはははっと、笑いながら。

ありがとう、わがまま親父さん。忘れません。


後で、もう少し詳しく調べたら、その日の旅荘、以下のごときところでした。。


古代建築随一と謳われます当荘の歴史は古く、元東大寺頭塔・惣持院でございました。明治11年、それまで4ヶ所あった寺子屋を統合して鼓阪小学校と改称されることになります。大正11年、奈良市立第三尋常高等小学校にするにあたり、旧惣持院の建物を払い下げられました。それを当時の古美術商でありました玉井大閑堂さんが買取り、現在地に移築致しました。その後、玉井大閑堂さんの別荘として利用され、日本のそうそうたる実業家の方々がよく来訪されておりました。昭和20年8月、終戦を迎えアメリカ陸軍の将高軍人の公食として5年間使用されておりました。昭和29年10月、現在の観鹿荘として旅荘をはじめる事となります。

歴史について

当荘は元東大寺の一院の旧構でありまして、1200年前の旧柱を用いた「天平の間」をはじめ、各室は建築・装飾に古代美術の粋を凝した純日本式旅荘でございます。前に東大寺大仏殿・名勝奈良公園、若草山を後ろに興福寺五重塔を望む景勝の中心に在り、古美術品を配した優雅な庭園をめぐらし、居ながらにして事の雰囲気に浸れます。真に塵外の理想郷で別名「吸霞荘」とも云われております。古都を愛し史跡を訪れる文人をはじめ、ご家族連れ、国外からのお客様に奈良を味わい、旅情を楽しまれるお時間をここ観鹿荘で過ごされる事を願っております。皆様のお越しをお待ち申し上げます。

                                              

おいとまする時、中庭の踏み石に固まって残っていた名残りの雪が、夜目にも白く。



   別れ告げ外へ出で来てマフラーをぐるぐる家へ帰らむとする

   溶け残る雪の白さよ生き物はみな黙々と家路をたどる


   
・・・追記させていただきます。

旅館探しは私は「したくて」「面白がって」したことで~す。はじめは京都あたりでお会いして、お話しして、が、親父さんのプランだった。はず。それを、自分のホームである奈良へ「来て来てどうしても来てコール」したのは、ワタクシ。

旅館探しはとても楽しかったです。プチ旅行の楽しさをいただきました。あの旅荘、見てない{すっごい」が、いっぱいありそうで、ご飯食べにだけでも個人的にまた、行ってみたいです。親父さんには「古」すぎたかな。ワタシは自分の趣味で浮かれたけど。う~む。お許しくださいね、Oちゃんさん。はい、ありがとうございます。がはは。

御飯食べにだけでもって、さらっと書いてはみたけど・・・お高かったと思ひます。本当に、ご馳走様でした。


食事も、娘も誘って下さったのでした、はじめ喜んで、運転するよ、わーいわーいと万歳してたとメールで言うたら、そんな優しいオコトバをかけて下さって。

が。持病の鬱の波がざぱ~んと来た、引きこもりモードに入った、のと、考えてみれば、ワタシが外でウキウキ御飯ですと、家の中にはおかーさんがおらねば、が、現実でございます。

一人で出かけて、娘は邪魔だから置いて来た、など、言い放つワタクシは、なんじゃこれ無頼、のばーちゃん、でしたでせう。

本気でもありましたけど、ね。付いて来るって言うたら、シッシッ、してたと、これは、本音ですわ。







ええと。もっと膨らみのある記事になるんです。

思わず、上げてしまいました、書き足して再び、読んで頂きたいです。

よろしく!。

やまのこさんに教わった話。つい、知って頂きたく、原石のままで。

「数年前にもれた話で、雅子の承諾が得られず脚本家?に対して
「あんた(アンタですよ)馬鹿じゃないの!」が洩れた・・・
脚本家→妻→妻の実家(母)→娘(妻の姉)→娘(姉の子)→学校→世間!
ふと愚痴った言葉が世間に流れた。今や驚きもしませんが当時はスクープ
だったと読みました。
「雅子」の文字を入れる事で、まるで同時に行動してるかのごとく見せる。」
   今日の一首 「 なんとはや むなしき一面 しろありめが きづきあげたる ことばのむくろ 」   


大きなイベントが終わりました。知らないうちに薄い煙をまとっていたらしい感覚の表面が、しゅたっと鋭いナイフで切り拓かれて、かつての新鮮な気持ち、なんてものを取り戻すことができたような。

目の前には青葉の季節。

目の前にあってしまう「なんか解らんけど清やかでない、全く無い、とことん無い言葉の群」。

一部に、ちこっと、突っ込んでみよう。書きたいことは他にもあるけど。

青い文字がKUONです。

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問1 この1年間,2020年のオリンピック・パラリンピックの東京開催が決まるなど明るいニュースがありました。一方で,伊豆大島の台風被害など自然災害が各地で相次ぎました。殿下は,東日本大震災の被災3県を見舞われ,オランダ,スペインを訪問されるなど,国内外で多忙な日々を送られました。この1年を振り返り,印象に残ったことについてお聞かせください。


皇太子殿下


この1年を振り返りますと,夏から秋にかけて,これまで経験のない大雨が各地で記録され,また,台風が伊豆大島に痛ましい被害をもたらすなど,多くの自然災害が発生したことは,大変心の痛むことでした。度重なる台風及び豪雨により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに,ご遺族と被災された方々にお見舞いを申し上げます。被害からのできる限り早い復興をお祈りしております。また,このところの大雪によって,地域が孤立したり,各地で被害が出ていることも心配しております。(心痛んだり哀悼の意を表したりお見舞いを申したりお祈りしたり心配したり。まあお忙しゅうございまして。こう言うのが一年間のすべてのお仕事なんですね、え、違うの?)

昨年後半には,宮城県,福島県,岩手県を雅子と共に訪問しましたが(3県合わせて、トータル1時間弱、被災地の皆様とお会いになった。5分とか10分とか、合理的にコトが進むように、出て行けとかサボリとか仮病とか、イヂワルなんかしない人ばかり集めてね、並ばせてね、妃デンカのビョウキのこととか、お嬢タンのホントの偏差値とか(この部分はKUONの思い違い、この時のモンダイではないものな、だは、失礼。おでんかのカツラのメーカーとか訊ねたりしないよーに口を封じてね。それはともかく、トータル30分前後、並ばせられたヒトビトの前で、には~と笑ったりジャケットの背中の皺を撮られたりしたんだったね、うん、うん),東日本大震災の被災者の方々が,まだまだ大変なことが多い(無礼者。まだまだとは何事。先、ずっと。ずっと、大変です)中でも,支援を受けながら,これらの困難に立ち向かい,前向きに生活や生産の場の再建に取り組んでこられている様子を心強く思いました(ナルに思ってもらいたくない、と、被災者と呼ばれてる多くの知人に、直に聞いてるけど)。東北の方々は,今年も,雪の多い厳しい冬を迎えています。厳しい環境の中ではありますが,これからも関係者の努力により(愚内庁のカンケー者も日々、努力ですね、あなた様方へのメールやなんやら、めんどくさいモンの処理に。舌打ちの音が、雪国の浅い春の、つららの溶ける音みたいにすごいんですってね),1日も早く(安易にこの言葉を使うな、それを一番願うのは、いつもどこでも当事者ではないんですか)復興が進み,多くの被災者の方々の生活が改善され,安心して暮らすことができるよう(せめて精神的にそうあることがお出来になるよう、ご退位をお願い申し上げます),被災された方一人一人の幸せとご健康を祈りながら(そこ退いて、それ大きいですよ),雅子と共に(ぐえ。そんなこと言う皇太子、あなた様が初めてです、マサコがそう言えと言うと、いっぺん告ってみ。みんなの前でそうしてみられたら。御所の灰皿、隠しておいてもらってさ)文字色,被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います(あーそーですか、はいはい。

心ってどこにあるか、ご存じ? 心は「物質」ではないので・・・脳科学の最先端でそうなってるらしいのよ)、故に…弁証法ね・・・簡単に「寄せる」なんてこと、でけへんのよ、寄せたり、上げたり、他のことでは出来・・・オクサマは、いかがかしら。くすくす。)


・・・と、始めてみたものの、極めて困難なことであるとの自覚に至りました。

ホワイ。

くどいんだけど中身が無い、なんだか高貴だとかいう、むしくはかつてそうであったお方の形はありつつ、中身の空虚さが、ここには表出しているだけなのね。


うすらと呼ばれても仕方ないと、万民を承服せしめる軽さ、配慮の無さ、それくらいなら、

無視します、きっぱり。それだけで済ませるも可能。

何とか出来るかも知れない周囲の方々(そんなに多くは無いですね)が放置している愚かな夫婦の、うずらちゃんのホントのパパではない(=うずらちゃんは皇太子の子では無い、何度もしつこいようですが、皇太子がよその子どもを内親王であるとして、わざわざ画像を作って出して、国民を謀る(たばかる)。これ、尋常なことでないです)方は、水の総裁とかここではっきり言うてる。私の小さな会社の業務の一つに、水の再生に関するものがあります、大部分が、といっていいです。皇太子が名誉総裁になってるトコは、水のことなどカンケー無く、お金にカンケイのあるトコですね。

水が、水を、と言うて、どっかにどっかり、お金が流れる。水は低きに流れるので、身分や欲ばり量の上の人は、アタマでない容器を下げておいて、受け取る理屈ですやん。すっごく簡単。ナルちゃんダマすのも、川下に網しかけて魚追い込むより簡単。だと、私は思います。戴冠式に夫婦揃って軽蔑されに行って、空気も読めず笑顔満開だったナルちゃん、あの王国は運河の国。水道ひねれば飲むことのできる水が迸り出る、それは奇跡的な国なんだって、ナルちゃんは多分知らない。なんでも、当たり前に目の前に現れる御身。

オランダは(も)水の利権(おん岳父のほか方面も)のすさまじい国やね。

恥を知らないから・・これについては下の方から・・ヨイショ、コピー、はいできた。↓。ここ。

環境破壊や自然災害を防ぎ,将来にわたって持続可能な開発を達成することが,求められているように思います。昨年11月には,ヘレン・クラークUNDP総裁にお会いし,これらの諸問題への国連の対応についてお話を伺いました。私が取り組んでいる「水」の問題は,こうした様々な課題に密接に関連し,その解決に向けて有益な視点を提供できるものと思います。これからも,「水」の問題を切り口として,世界が直面する諸課題に関心を払っていきたいと思います。

環境破壊って。。目が、点。私的な登山に妻子を伴うとて、山をがああっと削って、木製の階段を、ただ自分たち家族のために、作らせてしまう。それをする発想、できる感性、させる権力を持つ人物が、いけしゃあしゃあと述べること馬鹿 言葉か。

「私が取り組んでいる水の問題」。これ。あのキサキを、どうしても欲しがった(というストーリーに乗せられた)、おん自らの立場に無関心無頓着だった、今も無頓着無関心無責任であり続ける皇太子・徳仁が、へれへら、放ってしまう言葉でしょうか。

雅子さんは、やさしく表現して「企業大罪人」の孫娘。個人として「冷血の人で無し」の孫娘。その事実に加えて、そのことへの感情の揺れをいっさい持ち合わせない人間。

ほんの一つ、二つのフレーズでさえ、滑らかに読み進むことを困難にする文面。

もしかして、ものすごい悪意に満ちた人物のしかけた罠か。とさえ勘ぐってしまう。オセロゲームの白い盤面が、一気に黒に変化するような。

そうぢゃない、これ、まんま。

「近年,外国から日本を訪れる観光客は増えていますが」

・・・ナルちゃん、ロンドンオリンピックの時、日本の選手団が一部、他の国と異なる扱いを受けて・・・よその国と近づかないような方へ誘導されていた、なんてこと、知らないのね。汚染されると、それが理由でしたのよ。何のって? それ聞く? そうよね、あの日の一か月後に、自分ちの広い庭でお楽しみ会開いてたヒトデナシだものね。

「マンデラ元大統領の自伝である『自由への長い道』には,「あらゆる人間の心の奥底には,慈悲と寛容がある。肌の色や育ちや信仰の違う他人を,憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。そして,憎むことが学べるのなら,愛することだって学べるだろう。愛は憎しみよりも,もっと自然に人の心に根づくはずだ。・・・人の善良さという炎は,見えなくなることはあっても,消えることはない。」というくだりがありますが,心を打つ言葉だと思います。」


・・・愛よりはそうでない感情の方の重きが増します。そっちの方が今、強く根付いていて、それは、私には嬉しいことではない。あなたなんかを憎んでココロを汚したくない。私はちいさいミジンコであるが、私のココロはあなたの「心」より、本気の時には少しくらい重いと思う。

あなたの「善良さ」は、ある時期にはあなたの「良さ」であったでしょう。今は・・・違うモノのタネになり果てた気がします。

「日本国憲法には「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。」と規定されております。今日の日本は,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,現在,我が国は,平和と繁栄を享受しております。今後とも,憲法を遵守する立場に立って,必要な助言を得ながら,事に当たっていくことが大切だと考えております。」

「公務についての考えにつきましては,以前にも申しましたけれども,過去の天皇が歩んでこられた道と,天皇は日本国,そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して,国民の幸せを願い,国民と苦楽を共にしながら,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。同時に,これまで行われてきている公務を踏まえつつ,将来にわたり生じる日本社会の変化に応じて,公務に対する社会の要請に応えていくことが,重要であると考えております。」


天皇になるつもりなのですね。なれるつもりなんだよ、このヒトは。

日本人、どうしましょう。日本人かわいそう。


・・・まだまだ続いていますが。ラストはこうです。


「確かにおっしゃるように,雅子の状況も少しずつ良い方向には向いてきていると思います。それから愛子もこの4月からは中学に進むように,だんだん大きくなってきております。やはり雅子にとっても外国訪問が治療上も良いのであれば,そしてまた,愛子にとっても視野を広めるという意味で外国の地を見ておくことが良いのであれば,様々なことを考えて,今後ともどのような外国訪問ができるかということをいろいろ考えていく必要があると思います。実際,私たちもそのようなことをいろいろ考えているところではあります。



ご退位下さい。




「BBの覚醒記録」さまより。

2015年 「水フォーラム」が韓国で開催されます。

そして、

なぜか、

2012年、皇太子の「水フォーラム」名誉総裁任期が2015年末まで延期される

世界水フォーラム、2015年開催地韓国決定!← 今ここ



ここで、韓 昇洙韓国元首相などが目論む「謝罪」などされたら、皇室版村山談話・河野談話となってしまいます。来年無事しのいだとしても、潘基文や韓 昇洙らの包囲網に取り囲まれている間は、天皇陛下に即位なさってからのご発言と動きが、大変に懸念されるところではあります。

雅子妃のご病状が回復される保証はない上、仮に回復されたとしても基本的マナーやプロトコルの遵守もままならないお方であることは、もはや明らか。皇后陛下としてのお振る舞いは無理。
喫緊では、世界100カ国以上から賓客をお招きしての一大国事でもあれば、新天皇陛下皇后陛下にとっては生涯で最大の神事である「即位の礼」が待ち構えています。
入念なリハーサルを含めて、おすべらかしに十二単での神事に引き続き、パレード、祝賀会と世界の王室大統領クラスを巻き込んでの一大イベントが数日間続きます。
雅子妃には不可能ではないでしょうか。3時間の園遊会すらこの10年間ままならず、和服を召すさえ忌避される方が、おすべらかしに十二単での長時間大掛かりな神事が可能でしょうか。

式典をご存じの方はお解りでしょうが、一妃の身体上のご都合で変更できるほど、イージーな式典ではありません。大変重厚なそれゆえ、世界がその伝統の厚みにひれ伏すほどの、日本国家の存在を示す大事な儀式なのです。

宮内庁にこの件について電話差し上げてみたら、実は何も対策がないので我々も困っています、と困惑した口ぶりでした。一日延ばしにしていても、問題が片付くわけではなく、その日は切迫して近づきつつあります。(宮内庁への電話は、対応する職員により、肌合いが異なるようです)

国民から働きかけ、政府に動いてもらうしかありません。
廃太子廃妃の上、秋篠宮殿下へご移譲を。

かたわら愛子天皇論もありますが、男系が途絶える上、現実愛子様がそのような
重責に耐え得るお子であるかどうか、国民はもう言わず語らずお察し申し上げています。
仮に無理矢理天皇としても、結婚する相手が大変に懸念される状況が予想され、
つまりは中韓や創価の男を出自ロンダリングした上で愛子様を娶(めあわ)せ、実質
反日毀日勢力が皇室を牛耳るシナリオも想定されるわけです。
宮内庁にどういう人間が送り込まれつつあるか、それは外務省内他各界各所、
あらゆるところに、はびこりつつある創価・帰化勢力を思えば絵空事ではありません。

新都知事となった舛添要一氏は「男女同権」を言いながら、愛子天皇肯定派として
皇室典範の改正に携わっていた人です。

ちなみに旧皇室典範第52条は、特権の剥奪等も含めた皇族に関する懲戒をめており、廃太子も法的に可能でしたが、現行皇室典範では皇太子の皇籍離脱は認められておらず、 皇位継承権の辞退もできない。これは陰謀や奸計などによる「自発的な」廃太子を防止する趣旨によります。ただ、皇室典範第3条は、「皇嗣に精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、皇位継承の順序を変えることができる」と定められています。

結局秋篠宮殿下への移譲が、次には悠仁親王殿下へと皇統が素直に続き、また紀子様は決めてご健康、諸事心得られ海外でのご公務も申し分なく、お子様ともども海外に出して恥ずかしくない見目麗しさ、健康で、公務に神事にと励まれ実質、皇室を新たに回していらっしゃるのは秋篠宮殿下のご一家です。

廃太子廃妃願いはこちらへ。

宮内庁

◎E-mail: information@kunaicho.go.jp.

◎住所: 〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1.

◎電話: 03-3213-1111 (代表)

自民党

https://www.jimin.jp/voice/

首相官邸

https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

内閣官房 (雅子妃の懈怠ぶりに、公に懸念を示した飯島勲氏がいる)

https://www.kantei.go.jp/jp/forms/cas_








皇太子殿下54歳の誕生日に際して。


宮内庁ホームページにあったものを、ここへ頂こうと考えたのでしたが。

私には全文読み通す勇気と気力と根性と忍耐力が不足。読み気減退。でも、一読はしました、知らないのに批判はでけへんでしょ。倒したくば知れ、ですわ。で。動画も添えて。


皆さまと共に、ぐへぐへと笑いたい・・・じゃなく、笑ってやりたい、今年もこんなんや~、あはは、うちら、ここまで舐められてるのやわ~あはははは、・・・自虐やかて、しとうおすわ(いきなり京女)

ここまで舐められて平気でいてるて、うちら、ほんに、おつむ、おかしおすのや。気ィつかへんうちに、いろんなとこ、乗っ取られてんの、わからへんのやなあ、て、三色花や(みつはなや・超有名なお茶屋さん=出まかせの嘘どっせ)。の雛菊姐さん、言うてやったわ・・・こんなん書いてたらキリおへんなあ。

・・・読みたくないいうても放置することできひん。パーやもん。

保険証書のあの方式で行たら、どないですやろか。

こんま~い字ィで、書いたぁるもん、お渡ししといて、な。そのうち、受け取らはった方が、ですえ。あんなん聞いてへん、サギや、とか騒ぎ出しはったら。

何をお言いですの。ちゃあんと、文字のもんが、残されてるやおへんか。・・・黙ります。

結論。

重要な記載事項の多くがそうであるように(。。な気がする)、ともかく小さな「読めへんようなこんまい字ィで」。下記、行ってみまっす。

細かくくどくど言うのは、明日のこととさせていただきます。

ひとこと。

よぉ、言わはるわ。かなんわあ、これ。


問1 この1年間,2020年のオリンピック・パラリンピックの東京開催が決まるなど明るいニュースがありました。一方で,伊豆大島の台風被害など自然災害が各地で相次ぎました。殿下は,東日本大震災の被災3県を見舞われ,オランダ,スペインを訪問されるなど,国内外で多忙な日々を送られました。この1年を振り返り,印象に残ったことについてお聞かせください。
皇太子殿下


この1年を振り返りますと,夏から秋にかけて,これまで経験のない大雨が各地で記録され,また,台風が伊豆大島に痛ましい被害をもたらすなど,多くの自然災害が発生したことは,大変心の痛むことでした。度重なる台風及び豪雨により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに,ご遺族と被災された方々にお見舞いを申し上げます。被害からのできる限り早い復興をお祈りしております。また,このところの大雪によって,地域が孤立したり,各地で被害が出ていることも心配しております。

昨年後半には,宮城県,福島県,岩手県を雅子と共に訪問しましたが,東日本大震災の被災者の方々が,まだまだ大変なことが多い中でも,支援を受けながら,これらの困難に立ち向かい,前向きに生活や生産の場の再建に取り組んでこられている様子を心強く思いました。東北の方々は,今年も,雪の多い厳しい冬を迎えています。厳しい環境の中ではありますが,これからも関係者の努力により,1日も早く復興が進み,多くの被災者の方々の生活が改善され,安心して暮らすことができるよう,被災された方一人一人の幸せとご健康を祈りながら,雅子と共に,被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います。

現在,日本社会は,様々な意味で転機を迎えています。この1年,国内で訪れた各地で,諸課題を克服するために,社会の中から前向きな取組が生まれていることを実感しました。

例えば,東北の被災地において,地域ぐるみで,高齢者や子育て層などを支援している仮設住宅を訪れ,人々の優しい心の触れ合いを感じることができました。また,全国障害者スポーツ大会では,大会参加者を支えるボランティアの方々の献身的な仕事ぶりに心を動かされました。さらに,山間地域の皆さんが協力して,里山の景観や伝統的な農法を保存し,継承しながら,努力されるなど地域活性化のために各地で様々な取組が行われていました。

若い方々との交流でも印象深いことがありました。昨年8月には,震災を乗り越え,自らの力で復興プロジェクトを企画・実行し,未来を創造しようと取り組んでいる「OECD東北スクール」の中高校生にお会いし,その熱意に強い印象を受けました。また,昨年来約850名の青年海外協力隊員とお会いしましたが,開発途上国での草の根協力のために派遣される,若者たちの志気の高さを実感し,若い人たちの将来に向けた前向きで積極的な気持ちを感じることができ勇気付けられました。同時に,途上国の現場に入り,現地の人々を指導し,自立できるようにするという協力隊の在り方は,日本の海外への技術協力の良い例であると思います。

これらは,ほんの一部にすぎませんが,各地で,将来に目を向け,社会の絆きずなを大切にした,多くの取組が地域に根付いてきております。これからも,若者,女性,高齢者,障害者を始め全ての人々が積極的に社会に参加し,しっかりと手を携えて,他者に対していたわりの気持ちを持ち,助け合いながら,活力のある社会を構築していっていただければと思います。

今月の初めからロシアのソチで冬季オリンピックが行われており,連日のように放映される世界最高レベルの競技に魅了されつつ,選手一人一人のこれまでの努力と苦労に思いをはせております。日本の選手もよく頑張っており,これまでの健闘をたたえたいと思います。

昨年9月には,2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まりました。日本におけるオリンピック・パラリンピックの開催は,子どもたちに夢を与え,日本の社会が将来に向けて活力を得ていくきっかけになればと思います。私自身は,前回の東京オリンピックの時は4歳でしたが,馬術競技などを観戦に行ったり,閉会式に出席した思い出がありますし,世界各国から集う選手を見て,子どもなりに,世界との出会いを感じたことを記憶しております。6年後の東京オリンピックを目指して,我が国を含む世界各国の選手が,研鑽けんさんを積む機会となるとともに,世界の人々から喜ばれる大会となることを心から願っております。

また,昨年6月には,富士山が世界文化遺産に登録され,12月には,和食が,日本人の伝統的な食文化として,ユネスコ無形文化遺産に登録されるなど,日本の自然,伝統や文化は,国際的にも認められてきております。近年,外国から日本を訪れる観光客は増えていますが,特に東京オリンピックが開催される2020年には,外国からも多くの観光客をお迎えすることになります。多くの外国のお客様に,我が国の文化や風土に親しんでいただけるよう,国民の皆さんが力を合わせていかれることを願っております。

昨年3月には,ニューヨークの国連本部で開催された「水と災害に関する特別会合」において,国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁として基調講演を行い,我が国の災害の歴史を振り返りつつ,災害の歴史を伝えていくことの重要性とそこから導かれる教訓についてお話しいたしました。その後も,フィリピンの台風を始め各地で災害が続く中,昨年11月,国連大学で行われた「生態系を基盤とした防災・減災」と題する国際シンポジウムを聴講し,防災や減災を念頭において自然環境を守り,自然と共生していくことが大切であることを改めて認識いたしました。

世界においては,地球温暖化や生物の多様性の減少,自然災害,貧困や食糧不足などが現実の問題として進行するとともに,一部の国や地域では武力紛争が継続し,子どもを含む多数の犠牲者や難民が発生しております。こうした中で,紛争を予防し,貧困を克服していくとともに,環境破壊や自然災害を防ぎ,将来にわたって持続可能な開発を達成することが,求められているように思います。昨年11月には,ヘレン・クラークUNDP総裁にお会いし,これらの諸問題への国連の対応についてお話を伺いました。私が取り組んでいる「水」の問題は,こうした様々な課題に密接に関連し,その解決に向けて有益な視点を提供できるものと思います。これからも,「水」の問題を切り口として,世界が直面する諸課題に関心を払っていきたいと思います。

また昨年4月には,オランダ王室からご招待を頂き,オランダのウィレム・アレキサンダー国王陛下の即位式に雅子と一緒に参列いたしました。6月には,日本スペイン交流400周年の名誉総裁としてスペインを訪問し,スペイン王室及び政府の関係者から心のこもったおもてなしを頂いたのみならず,支倉常長一行の子孫といわれるハポン姓の人が多い,コリア・デル・リオ市では,炎天下にもかかわらず多くの市民の皆さんに温かく迎えていただくとともに,地元の小学生から東日本大震災からの復興の願いを込めた日本の歌の合唱をプレゼントしていただくなど,人との温かい交流を通じ,心に残る訪問となりました。

12月には,融和の精神をもとに,長きにわたる困難な活動を経て,平和裡りにアパルトヘイト廃止を果たしたネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の追悼式に出席しました。この訪問を通じ,民主主義や人権の尊重など普遍的な価値を体現したマンデラ元大統領への尊敬の念を深めるとともに,アフリカを始めとした各国の大統領,首相,首脳経験者,王室の方々など多くの方にお会いすることができました。

マンデラ元大統領の自伝である『自由への長い道』には,「あらゆる人間の心の奥底には,慈悲と寛容がある。肌の色や育ちや信仰の違う他人を,憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。そして,憎むことが学べるのなら,愛することだって学べるだろう。愛は憎しみよりも,もっと自然に人の心に根づくはずだ。・・・人の善良さという炎は,見えなくなることはあっても,消えることはない。」というくだりがありますが,心を打つ言葉だと思います。

また,本年は,日本とスイスとの国交樹立150周年に当たり,名誉総裁としてスイスとの交流にも携わることになります。今年も各国との親善関係が深まるよう,国の内外で多くの方々と交流することを楽しみにしております。

最後になりますが,昨年6月には,結婚20周年を迎え,20年前の結婚の儀を始めとする諸行事を感謝の気持ちのうちに懐かしく思い出すなど,この1年も大変感慨深い年となりました。この20年,国民の皆様に私たちを温かく見守っていただいていることに改めて心より感謝いたします。
問2 雅子さまは療養生活に入られて10年になりますが,昨年は11年ぶりの外国公式訪問となるオランダ訪問に加え,被災3県を訪問されるなど,活動の幅を広げられました。殿下のお気持ちと最近の雅子さまの体調や今後の見通しについてお聞かせください。愛子さまは4月には中学校に進まれます。愛子さまの小学校生活を振り返ってのご感想と,今後の教育方針についてどのような考えをお持ちでしょうか。
皇太子殿下


この10年を振り返ると,雅子は,病気の治療を続ける中で,体調をその都度整えながら,公私にわたってできる限りの活動をするための努力を続けてきました。そうした中で,昨年4月末に行われたオランダのウィレム・アレキサンダー国王陛下の即位式への参列のため,二人そろってオランダを訪問できたこと,また,昨年後半には,宮城県,福島県,岩手県の被災地を一緒に訪問できたことを大変嬉うれしく思っております。

雅子は,訪問と現地での行事出席の実現に向けて,体調の調整にとても気を遣ったと思います。しかし,本人の努力も実り,無事に訪問を終えることができました。以前にもお話ししましたが,オランダ王室からのご配慮も頂き,こうした訪問を実現できたことは,雅子にとっても一つの自信になったように思います。このほか,昨年は,東京で行われた障害者スポーツ大会の開会式や皇居宮殿での文化勲章のお茶会などにも二人そろって出席することができました。

このように,雅子は,確かに快方に向かっておりますが,これですぐに活動の幅が広がるわけではないと思います。お医者様からもご助言を頂いているように,体調を整えながら,まずは,できることから少しずつ時間を掛けてやっていってほしいと考えております。国民の皆様より私たちに対して温かいお気持ちを寄せていただいておりますことに改めて心より感謝の気持ちをお伝えいたします。

また,愛子が,もうすぐ初等科の卒業式を迎えるのかと思うと,大変感慨深いものがあります。6年前,一緒に入学式に出席したことが,昨日のことのように思い出されます。愛子は,この6年間,多くのことを学びました。また,勉強だけでなく,友達にも恵まれ,クラブ活動など課外活動を通じ,幅広い経験と多くの仲間を得ることができたと思います。昨年夏の沼津海浜教育の際には,500メートルの距離泳を完泳するなど,随分たくましくなりました。昨秋の運動会では,6年生が,初等科生活の集大成として全員で行った組体操に参加し,見事なピラミッドを創り上げるなど,友達と協力して演技をやり遂げたことは,本人にとっても良い思い出となったと思いますし,初等科を卒業してもこのような心に残る思い出を大切にしてほしいと思います。

愛子は,この春から学習院女子中等科に進学することとなりますが,これから,より多くのことを勉強し,社会と接する機会も多くなると思います。愛子には,知識を吸収し,さらにそれを社会で実践していくために,自分で考え,行動できるようになるとともに,周囲への感謝の気持ちや配慮を大切にしながら,健やかに育ってほしいと思います。

両陛下には,雅子の体調をお気遣いいただき,そして,愛子の成長を温かくお見守りいただいていることに心より感謝申し上げております。また,国民の皆様に温かく心を寄せていただいておりますこと,多くの方に愛子の成長を支えていただいておりますことに心より感謝しております。
問3 天皇陛下は昨年傘寿を迎えられ,皇后さまも今年80歳を迎えられます。両陛下が始められた「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問は,来年から皇太子ご夫妻,秋篠宮ご夫妻に引き継がれることになりました。公務については,殿下は過去の記者会見で「時代に即した公務を考えていく必要がある」と述べられました。両陛下の公務を引き継がれるにあたってのお気持ちと,新しい公務に対するお考えをお聞かせください。
皇太子殿下


公務についての考えにつきましては,以前にも申しましたけれども,過去の天皇が歩んでこられた道と,天皇は日本国,そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して,国民の幸せを願い,国民と苦楽を共にしながら,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。同時に,これまで行われてきている公務を踏まえつつ,将来にわたり生じる日本社会の変化に応じて,公務に対する社会の要請に応えていくことが,重要であると考えております。

天皇皇后両陛下には,これまで,毎年,こどもの日,敬老の日及び障害者週間の前後には,関連施設をご訪問になり,入所者に心を寄せられ,また,多くの関係者をねぎらってこられました。このような両陛下のお気持ちを体して,私たちも心を込めて,この施設訪問を受け継がせていただきたいと考えております。

我が国社会は,少子高齢化,地方の活性化,環境・エネルギー問題や防災対策を始め様々な課題に直面しています。私としては,高齢者や障害者の方々,子どもたちを取り巻く環境や日本が直面してきた災害の歴史やそれに対する対応などを始めとして日本社会が抱える諸課題やそれに応じた社会の変化を知り,国民の皆さんが日々どのような苦労をし,また,それらを克服するためにどのように取り組んでいるかを学ぶように心掛けております。その際,そうした多くの方々の苦労を心に留とどめるとともに,課題を抱えながらも前向きに努力されている方々を少しでも励ますことができればと思っております。

また,同時に,世界各国との相互理解を深めていくことが大切だと思いますので,文化交流や国際親善の面でもお役に立てればと思っております。

今後とも,常に学ぶ姿勢を忘れずに,世の中のためにできることを心掛けてやっていきたいと思います。
問4 昨年は,皇室の活動と政治の関わりについての論議が多く見られました。天皇陛下は記者会見で,「問題によっては,国政に関与するのかどうか,判断の難しい場合もあります」と述べられました。殿下は,皇室の活動と政治の関わりについてどのようにお考えになっているのか,また心がけていることがあればお聞かせください。
皇太子殿下


日本国憲法には「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。」と規定されております。今日の日本は,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,現在,我が国は,平和と繁栄を享受しております。今後とも,憲法を遵守する立場に立って,必要な助言を得ながら,事に当たっていくことが大切だと考えております。
問5 宮内庁は昨年11月,天皇,皇后両陛下のご意向を受け,陵を従来よりも縮小し,400年ぶりに火葬を導入すると発表しました。殿下も了承されているとのことですが,この見直しについての殿下のお考えをお聞かせください。また,両陛下,秋篠宮さまとは,どのようなお話をされたのでしょうか。
皇太子殿下


天皇陛下には,皇室の歴史の中に,御陵の造営や葬儀に関し,人々に過重な負担を課することを望まないとの考え方が古くよりあったことに思いを致され,御陵や御葬送全体についても,極力国民生活への影響の少ないものとすることが望ましいとのお気持ちをお持ちであり,同時に,これまで長きにわたる従来の皇室のしきたりはできるだけ変えずに,その中で今という時代の要請も取り入れていくことを心掛けていらっしゃいます。

火葬の導入や御陵の縮小についてもこうしたお考えを踏まえたものであり,このような両陛下のお気持ちについては,以前より伺っており,私も秋篠宮も両陛下のお気持ちを尊重しておりますし,また,私も両陛下と同じように考えております。
<関連質問>問1 この度はおめでとうございます。先ほどの殿下のご回答の中で国内外の様々な人と交流をしていきたいというお話がありました。それで今年1年を振り返ったお話の中でも若い方々との交流を始めとした殿下の交流の話がありましたが,殿下におかれましては,日々の公務において,何か人と接する時に心掛けていらっしゃることがあれば教えていただこうかと思うのですが,いかがでしょうか。
皇太子殿下


様々な場面で,様々な方と,小さいお子さんから年配の方まで年齢も様々で,またそれぞれやっていらっしゃることも異なる皆さんとお会いする機会が私もありますけれども,やはり皆さんがどのような活動をされているか,そしてその活動に対してどういうふうな思いを持っておられるか,そういうことをできるだけ克明に伺うことができればといつも思っておりまして,そのような観点からできるだけ多くのことが伺えればと,常に思ってそのことを心掛けてはおります。ともかく,皆さんお会いする方々は,お会いする時間もまちまちですけれども,その限られた時間の中で,できるだけ多くのことを一人一人の方から引き出していくことができれば,それは最終的には私自身にとっても大変大きな糧となると思っております。
問2 私的な外国訪問についてお尋ねいたします。平成22年2月に公表された東宮職医師団の見解では,負担が少なく,期間も長くない私的な海外訪問は,妃殿下の治療の面から効果的との指摘がありました。ご一家の海外ご訪問は平成18年以降ありませんが,雅子さまのご活動が増え,愛子さまも中学校へ進まれる中,ご一家での外国訪問についてどのようにお考えでしょうか。
皇太子殿下


確かにおっしゃるように,雅子の状況も少しずつ良い方向には向いてきていると思います。それから愛子もこの4月からは中学に進むように,だんだん大きくなってきております。やはり雅子にとっても外国訪問が治療上も良いのであれば,そしてまた,愛子にとっても視野を広めるという意味で外国の地を見ておくことが良いのであれば,様々なことを考えて,今後ともどのような外国訪問ができるかということをいろいろ考えていく必要があると思います。実際,私たちもそのようなことをいろいろ考えているところではあります。


雅子ひでんかは「 粋な黒塀見こしの松に婀娜(あだ)な姿の洗い髪」(古い。ちなみに「お富さん」という戦後の歌謡曲です)

この、洗い髪かな、ちょいとお前さん。ひでんか。

タートルネックにカーディガン。でんかもやっぱりカーディガン。犬はやっぱりあっちの方、見てる。けけけ。

寄せ集め家族。続きは(多分)明日。

おやすみなさい。


今朝のリンクで。

愛されたのは、真央。おめでとう、ありがとう、崇高な姿をありがとう! 。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


昨年、水俣をご訪問された折りの天皇陛下のお言葉全文。

予定に無かった水俣病患者さん方との、膝を交える距離での話の中で。


「どうもありがとうございます。本当にお気持ち、察するに余りあると思っています。

 やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました。

 本当にさまざまな思いを込めて、この年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。

 みながその方に向かって進んでいけることを願っています。」



事前に「お言葉」が用意された行事以外で、天皇陛下がこのように時間をかけて思いを口にされるのは異例、とのことです。

「異例」だってあるんだ、あっていいんだ、と、思います。


深夜、浅田真央さんのフィギュアを見ていて涙が止まらなくなって、すぐには眠りに就けず、↑ の陛下のお言葉が、胸にぐるぐるしました。



あさって23日は皇太子殿下のお誕生日です。

わたしは、東宮殿下の、真実のみ心よりのお言葉を願っております。


コメント、ぐぐっとなったりして・・・ゆっくり後でおへんじ書かせてもらいま~す(少し、軽みも交えてみました)。


思いを抱く人は、初等科を卒業される愛子さんが、挨拶をなさるか、おじぎをお出来になるか、など、心配に似た気持ちを秘めています。

東宮家の内親王のけじめの時の姿を、拝見したいと。

そんな時のお姿は、なんとなく微笑ましく温かい感情を呼び起こしてくれるものだった、と、考えます。

皇室の子どもが元気に育つ姿を見てもらいたい、と、昭和の時代には仰せになって下さっていた。

今年は、

やはり「インフルエンザ」「発熱」で、式は欠席かと囁く声もあります。そういう動きがあるのは事実です。

なかで、雅子さんは、謝恩会だか何だか、お楽しみの行事のことでウキウキ状態とか。

3月半ばの卒業式が済めば、早くから予約済みの例のホテルを全館貸切でのスキー静養旅行。

ベルサイユ宮殿へ押しかけたパリの主婦たちは偉かったなあ、と、思う。

     今日の一首   「 つるつるの善き人となりて何をせむ煩悩はわが内に留まれ 」


来たよ、あれ。来るかも~とか言ってたのが、マジ、来た。夜中に。黒い服の人たちがぐるっと囲んでね、隠されて来た。顔? うつむいてたからよく見えなかった、でもスッピン。トシ聞いてビックリ、うちのおかーさんの方が、ちょっと年上だけどかなりマシ。うちのおかーさん、あんな髪してないし。パートの帰りにヨガ行ってるし。

なまはげみたいだった、とか、言っちゃって~わたしったら~。ひどい人ね~。とか。

自分ちにはまだ帰れないみたいで。ここ、あのヒトの、知り合いの家? ダンナさん同士がイトコだかハトコだか、まあ、いいお家で親戚カンケイ多いのね。ここのダンナサンは、もう、亡くなってていないんだけどね。オンナの家で急死したとか聞いたけど。これ内緒よ。

私当直だったの。で、来たとこ見たの。ウエの人たち、夜は寝たがるのね、体にこたえるみたいで、私は、当直明けは休みと同じ、頼まれたら謹んでお受けするのさ。

こうやって、イッコとケーキバイキング行く約束できるし~。美味しいねケーキって。あそこのケーキほんと美味なり、だわ幸せ。10時半のバスで直に行くね、今日は5個以上は制覇しよう。あ、門まで来たから出るね、後でね! 。


ふふ~、美味しい。

うちのオジョー様もここのケーキ好きみたい。うん、オーエルやってる人。楽なとこみたい、何せオジョー様だから。けばくてカレシ変わり易いけど、威張ってはいないの長女は。黒過去があるみたいよ、むかし、留学中の。今は、変わってる人だけど、威張ってはいないな。自分のおカネでケーキ食べるイメージではないよ、ふふ。自分の財布出して食べるのは、労働者だけ。おとーさんいつも言ってる。自分の金でうまいもん食えって。どんだけゼータクしたってそれならいいって。

でも、親にも説明できないけど、あの人たちの感覚は違うわね。オクサマなんか特に違うと思う。あのヒトも、ウチの会社倒産したらすぐ、パートやるってすぐに出てったおかーさんの方が、私は、好きだなあ・・・親だから好きで当たり前? 。

こういう話、しちゃいけないんだけどさ、そう言われてるんだけど、考えたの。みんな、友達だって他の人、職場の話、カレシや友達や、おかーさんとかに言ってるよね。イヤなこともあるし、聞いて欲しいことも面白いことも、あるじゃん。イッコがさっきブチってたみたいに、医療職には医療職の闇って話があるじゃん。イッコが私に、キモのストーカー医者の話したって、私が黙ってれば別に、済むことでしょ。

あのヒトのこととかは、いけないようね。

のっぽんって、自由って言っても、遠慮しなくちゃいけない話題があるってね。

今のとこに就職決まって嬉しかったの。学校が決めてくれたとこ、3か月で力尽きちゃってたし。おとーさん、まだ、倒産のダメージ抜けきっていないし、家に食費入れる気は無くしてなかったし。

待遇はそんな、普通と思う。イッコみたいに看護大学出た人とは違うよ、まず根性が違ってた、初めから、イッコは自慢の友ってのよ、私の。ホント。

一般募集かけてお手伝い雇うって斬新だって、おとーさんも面白がってた。こういう時代になってるのか、って。

おかーさんは、女が何人もいて全員大人で、なんで何人もお手伝いさんが要るのよって、あざ笑いっぽかった、うちのおかーさん、確信的保守の人だから。自分でそう言ってる。今のとーぐー家とか嫌い、ひどい、異常過ぎる、反対って人。動物園に収容するとしたら「ナマケモノ科・ヒトモドキ・ロイヤル亜種、だったかな、そんな名前で、おもしろかったから覚えてるの、一日一回エサだけはやる、オヤツは週一、とか言ってた、そしたらおばーちゃんが怒ってね、ウチはけっこう嫁姑モンダイは大丈夫風の家庭なんだけど。おばーちゃんは、ごこーしつのことは何でも、ありがたいばっかり。ザズゴさんのことだって、能力発揮できないでオキノドクって、おかーさんの正反対。ここへ務めさせてもらえって強力プッシュしたのはおばーちゃんだった、私も、そーゆー家の内部に興味はあったよ、私、ほんとは、何か書く人になりたかったんだ・・・。

コーヒーもう一杯欲しいね。頼もうか。ドリンクバーじゃなくて、一杯立てのだから美味しい。少しお金はかかっても、美味しいケーキには、美味しいコーヒーが欲しいな、私。

あのザズゴさん。イッコ、黙っててね。やばいらしいの。

いや、アタマ的には、きちんと病気みたい、それはそうみたい、なんで入院とかさせないのか、わかんないけど・・・そういうのって、いいのかなって、思うけど。

夜中に、自宅へ戻るつもりが、戻れなくなって、私の職場のあの家に来たでしょう。

一昨日よ。

それから、夫さんが来たの、こっそり、家、近いの、もう一軒の親戚経由で、来られるの、で、来たの。すぐに、あの人がいる部屋へ行った、それは私は、先輩の人に聞いたの。先輩言ってたわ、すごく怒鳴られていたって。

あまり全部は言わなかった。先輩は、子どもさんを留学させたくてずっと働いていて、仕事ミスしたくない人。だからと思う。

いい人よ先輩は。

で、あの人の旦那さんが・・・こーたいしよ、のっぽんの。誰も本気にしないわね、その人が、真夜中に怒鳴られて、なんかさ。

私が、不自由な生活させられてた時に、原稿書いてたってね、どういうつもりなの、それ、心配する気は無かったの、とか、大きい声で詰っていたって。で、こーたいしは、いえ、いえ、って抗戦してたって。

原稿は、近々、会見をしなくちゃならないので、それ用に、とかだったみたい。毎年会見あるのよね、見たことあるし。

え。イッコ知ってるの? 。ネットやってるものね、イッコ。

ふううん。

その会見用の、喋ることを、書いてたんだって。

「その時できることを精いっぱい、する」とか、言ってたらしい。それで、あの人が怒ったって。

そんなことは誰かにさせればいい、いつも自分でなんか書かないクセに、今年はワタシのいない間に、一人で勝手に何を喋るつもりよ、って。わけわかんないこと言ってイライラさせないで、だって。


・・・・そうなの?、イッコ。

知らなかった私。職場にパソコンは置いていないの。それが不自然だわね、そもそも・・・。

え?。

記者会見は行われる。各社の記者たちが質問して、答えを求める。ふうん、そうなるでしょうね、会見だもの。

で。

え。

今まで締め出されていたところが、今年は会見場に入るの? 認められたの? そこが、何か言う?

ともかく。

解っている一つは、え? 。

カメラにも写っている、立て替えて支払われた金額と、ないしんのうがバッグに詰め込んだと想定されるジャムの、瓶の、個数を、調査して欲しい、ええ、どういうこと、イッコ。

スギヤの地下から、食品売り場から、ジャムを、少なくとも2個、もしかして3個、正しくない方法で持ち出された件? 

そんなことで、もしかすると、あのひとたちが。

はああ。

告発、される可能性が??????。

イッコ。お水欲しい、お願い! 。



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