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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

ざつこちゃん話は後の・・・・・・・・・・・・・・・の下に現れる予定です。

人間は多面体。ざつこちゃんにもさまざまな面がある、それを、その日書きたいように書かせてもらっておりますが、なんと申しましょうか、事実はフィクションよりコワイ、と申しましょうか。

やまのこ さんがBBさんのところのコメから借りて来られたものを、私がお借りして参りました。

冬の怪談。ほんま、コワイです。

これ、このままでいいのだろうかとも、考えます。

天皇皇后両陛下の健康診断の結果が発表されていて、おおむね健康、とのことで、それは心強く嬉しいことですが。若い(比べれば)方は、どうなんだえ。


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勤労奉仕で体験したこと (匿名)
2013-10-13 20:46:15
何年か前の事です。
社会勉強で勤労奉仕団に入りました。
さて、赤坂離宮で皆からちょっと離れた場所で作業している私の前に、
狐のような顔の犬を散歩させている、汚い身なりの女性が来ました。
「おばさん こんにちは」
「無言)……」
離宮の中の厨房のおばさんか、清掃のおばさんかな?
「おばさん 犬触ってもいいですか」
その女性は一瞬、じろっと私を睨みつけるとクルッと来た道を引換し、最後は逃げてゆきました。
脂と納豆の腐ったような強烈なにおいを残し。

警備の人が凍り付いて
「俺たちなんにも見なかったよ!女の人?幻でも見たんじゃないの」
というのです。
でも、若い女の子は私と同じく
「何日もお風呂に入ってないような、大きな汚い帽子をかぶった女の人、いましたよ」
というから、幻の訳ありません。

あの女の人はもしかして、雅子妃殿下では?
狐の顔の犬を確か、車に乗せていたはず。
となると、当時は心の病で風呂に入れなかったのかなあと。
(BBさま、コメより)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ザツコちゃんはかんじない     シリーズⅥ

        イメージ短歌   「一日中指を噛んでる日もあった わたしはシアワセそれとも不幸」



マジメさんがマスゴミに捕まっている。喋らされている。きっと、うまく振りきれないだろう。

寄って行って私は、マジメさんの腕を取った。組んだ。マジメさんはびっくりして棒立ちになっている。カホちゃんも棒立ちになっている。マスゴミの男が私の勢いに気圧されて…気圧されるようなやり方をしてやったのだ・・・見ている。

「車来ますから。ご一緒しましょ」

カマタが体の前、ジャストの位置にすうっと車を着けた。マジメさんとカホちゃんを後部に押し込む。

私は前に乗る。出してと言う。


マジメさん・・・マジマさんと私には、同じ学校の同学年に子どもがいる以外の接点は無い。とても几帳面そうで、嘘の無さそうなマジメさんは、私と付き合いたいとも考えていないだろう。仕事を持っているそうで、病棟主任と言う立場だそうだ。彼女の愛娘は本物の優等生。掃除もクラスの中のこまごましたことにも、気を遣うことのできる賢い子。

お茶を共にしたことも無いしランチもしたことが無い。山や海へ呼びあうことも無くて。

触れ合いを言うなら、あのザツコとの方が、多くあった。最近は私は、できるだけ離れているのだ。

オシボリで掌だけをさっと撫で、指先拭かずにがしっとサンドゥイッチをつまむヒトなんか、イヤ。

ザツコとは、祖父と父親同士が見知りだ。私の祖父の方が、頭を下げられる側。年はそんなに違わない。何が違っても違わなくても、あの父上は、下げるべきと自己判断する相手にはためらわず頭を下げる。若い頃から全く評判のいい娘でなかった私にだって、最大限の笑顔を大盤振る舞いする。そして、私が無視しても、平気。

・・・マジメさんのことは、自宅に近いというスーパーマーケットの駐車場で降ろして差し上げた。そうして欲しいと言うので。

親子三人で、カホちゃんの合格を祝うのだそうだ。その、買い物をして帰るのだそうだ。

どうもありがとうございました。マジメさん・・・マジマさんは、車を降りて丁寧に、礼を言った。カホちゃんも礼を言った。

「慣れていないので、応えていいのかどうかわからない質問をされて、いやにつんけんするだけで、きちんと断れなかったのです」

助かりましたと微笑するマジメさんは、間近に見ると、肌のきれいな人。野菜など、たくさん食べているのかしらと思う。

「押しかけて来て何やかや言いかけるのですもの、きちんとなんか断らなくてもいいのよ」

決めつけてしまった。ひやりとする。

「そうでしょうか」

「あの。いいのだと、思います私」

「今度はそうしますね」

笑いながらマジマさんは、運転手にも、わたし越しに礼を言った。

どういたしまして、お役に立ててようございました。カマタも帽子を浮かせて応えた。昔からこのドライバーは、言葉の丁寧な女を珍重する。

これって。まるで。

マジマさんって、よそのヒトが描いている、娘たちの学校の関係者のイメージ、そのものみたいだわ。



なぜマジマさんが気になっていたのか。

ローエングリンを聴いて、涙を流している彼女を、見たからだ。何年も前のこと。

演奏会で、その日は私は、ザツコや他のヒトたちと離れて、席を取った。

ザツコの例の亭主も混じってのいわば仲間内の演奏会だし、さして期待もしていなかったが。

ワーグナーが好きなのだ。

子どもの頃から、一人で聴いていた。何とも言えない。

ドイツへ2年間行っていたが、つまりはワーグナーの国だから、だった。理由はそれでよかった。他にしたいことは無かった。いい席でも学生用のとんでもない席でも、たくさん、いっぱい、ワーグナーを聴いた。

ザツコには音楽の趣味は無い。好きな画家もいない。よく読む作家もおらず、何度でも見たかった映画も無いそうだ。

人のことは言えない。私も料理はほとんどしない。娘の誕生日のケーキなど、プロが焼いたものの方が美味しいに決まっている。贔屓の店で買って来たものを、子どもは喜ぶ。2か月も前から予約しておいたのよと私は、美術品のようなケーキを切り分ける。

そんな些末なことでなく。

ごしょごしゅといつものごとく。なんだかんだ喋り続けているザツコの姿は遠くに見えた、ワーグナーも何も、あの女には、どんな音の聴き分けもできはしない。例の、とかくの噂のあったフルートだって。

亭主のデコを・・・止めておこう。ザツコはともかく、あのご夫君とは、つながっている。そのことは忘れるなと言い渡されている・・・。

笑うわ。

手作りの布カバンの刺繍、なんてシロモノが、ある時期にだけ囃された。ザツコの手作りだって。一点ものだからカブることは無い、けど、あれを見て、手作りだなどお人よしに思いこんだ人間が、いる、ということで。

みなさまおやさしいということかしら。とか、口歪めて言いたくなる、愚か者だわわたし。

彼女については口を閉ざす。それは、ルールだし。個人的には、あの女のことはどうでもいいし。

・・・マジメさんは。

「ローエングリン」の、さあ、というあたりへさしかかると、マジメそうないつも静かな両目から、静かな大量の、まっすぐ頬を落ちて行く涙を、流していた。

ずっと涙は流れていた。驚いて私は、息をすることも忘れてしまった。

そんな人の存在することを、忘れてしまっていた。

カホちゃんが、母親の珍しい涙について作文を書いていたそうで、うちの娘が言っていた。

「マジマさんのお母さまは、コンサート行かないんですって」

真底不思議なように言っていて。

娘は、自分には何の興味も無い「ワーグナー」とかいうヒトの作品を、マジメに聴いていたばかりか、感動して涙が止まらなかったのだという、よその母親が、奇特に感じられたのだろう。

私の子は、すでにジュニア用のB/バッグなど持たされている、あの家の子の方に、近いと思われる。

高校生くらいになって目覚める子もいるし変化もするだろうから、そんなこともあるから、子のことはいいのだ。



密かに気にしているとマジマさんは、以降も、機会があると、音楽に浸りに、席に身を沈めに来ていた。

ワーグナーや。ドヴォルザークや。演奏を聴いては心地よげにうっとりし、時にハンカチを目に当て。

ご自分が音楽がお好きなことを、知らないで、来られたのかも知れない。



・・・わたしは、マジマさんのようなお友達が欲しかったのかもしれない。




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   ざつこちゃんむしされる    シリーズⅤ

    イメージ短歌 「豊かにも育ちたるもの有るべしを 思ひ無くてか無為の20年」

             ざつこちゃん話は・・・・・・の下からです。

Japanese Princess Writes Poem About Traditional Slovenian Lace

秋篠宮殿下、紀子妃殿下が昨夏、東欧のスロヴェニアへ訪問された際。少女たちが伝統のレースを編むところをご覧になった。

  いくつものボビンを子らは繰(く)りながら静かにイドリアレースを編めり

歌会始で御歌として発表されたことが、現地でもニュースになり、冒頭のごとく「スロヴェニア・タイムス」で発表されたと読みました。

スロヴェニアの皆さんも誇らしく喜んで下さったのだと、自国ではマスコミすべてが無視するかのごとくだった両殿下の親善の旅に、思いを馳せたのでした。この旅ではまた、

「イドリア市は,水銀の採掘を行っていた地域ですが,そのために起こった身体的・心身的な障害には重いものがあったと聞きました。日本の水俣市においても,水銀が起因する水俣病は深刻な問題であり,そのようなこともあってこの両市は交流を深めてきました。近いうちに,水俣市の高校生がイドリア市を訪ねるとの話も聞きました。このように,若い世代の人たちの交流も両国の関係にとって大切なことであると思います。」

秋篠宮殿下は、このように語られました。これも、報道はほぼ、なされませんでした。

現在ペルーに滞在され、君主に向けるがの大歓迎をお受けになり、画像を見ればご夫妻のご立派なご様子に、胸の熱くなる数日です。紀子妃殿下は着物姿で、刺繍の有名な国への敬意を表されるように、美しい刺繍を施したお着物を召してもおられました。

日本のプリンス、プリンセス。まさにご皇族のお姿。

また、動画が貼れればご紹介して、共に感動させて頂きたいと考えています。

↑今日の「嬉しい話」でした。

今日の「残念な話」は、以下↓です。

「従兄がナルさんと幼稚園から大学卒業まで同級生だったけれど
当時の彼は、自分が人より3倍物事の習得に時間がかかると自覚していて
だからアッキーの黒ちゃんずのようなご学友は特に定めず、
ひとりマイペースで真剣誠実に努力する方だったって。
ご学友の足を引っ張るわけにはいかないと。

結婚後、やはり変わってしまったみたい。
同窓会のボディチェックが毎回二重三重に増えたり、
ナルさん自身の目つき顔つきも好ましくない方へ変貌して
とても残念だと言っていました。
結婚相手が間違いだったみたいね。」

・・・皇室全般画像で読みました。私も皇太子さまは、そういう真面目さはお持ちの方だったと思います。なぜに今の惨状、と、改めては触れませんが、残念であることは事実ではないでしょうか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

終わった、ちゃんと全部書けた、多分ぜんぶ合ってる。とカホは、息真っ白に走り寄って来て、潤む両目で私を見上げた。

私の胸も熱いもので満たされ、うまく褒め言葉も出してやれないで、ただ抱き寄せてやるばかりだった。

大丈夫だとは思っていた。外からの受験では無い。しかし気を抜かないで、マジメに受験しよう。スローガンのように言い合って、そして、結果は見なければわからないが、とにかくやった。中学受験が終わった。

外で、ちょっと豪勢な食事でも、というお家もおありだろうが、わが家にはそれは無い。

夫にも朝、伝えてある。今夜はカホの、受験全う記念日。腕を振るうから、できれば早く帰ってね・・・うんわかった、と、夫は頷いてくれた。カホ、頑張って来い。そう言って頭を撫でようとした・・・が、カホは、潔癖シーズンに入ったばかりの女の子。大好きだった父親の掌さえ受入れがたいのか、本能的にか逃れ、そして。

置き場を失って宙に浮いている父親の手を、両手で包んで、静かに振った。

「お父さんありがとう、勉強したこと全部、答案用紙にぶつけられるように、頑張って来るね」



夫はボーナスの無い仕事に就いている。体を使ってする仕事である。下っ端の頃から頑張り抜いて、今は「しゅにん」とか呼ばれているが、余分の報酬に縁の無い仕事であることに変わりはない。高校は、ワルかったから中退してしまったそうだ。詳しくは聞かない、私だって雑草みたいなものだ。10代の終わりに知り合って、付き合い始めて、3年後には結婚した。親を頼らないで二人で働いて、バブルが弾けたとかいう、なぜか一気に値の下がった物件をキャッチして・・・ずっと、賃貸でない家を欲しかったのだ、働いて払って行って、体がきつくなる前にはローンの無い身になって、と、私たちなりの目標があった。

計算したら、子どもの一人くらいは持てそうだった。ナースである私は、託児施設の充実した病院へ転職し、黙ってしばらく仕事に打ち込んで、身ごもった。夜勤のある病棟から外来へ回してもらい、生まれるギリギリまで働いて職員の特別枠で出産して、赤ん坊のカホを抱いて出勤してカホを預けて、なぜだか優遇を受けることが出来て・・・ずっとそこで働く、との確約書を提出していたせいもあるだろう・・・夕方は早く上がらせてもらって、夫が帰るまでには、主婦としてすべきことのおおよそを、しておくことが出来た。

夫も同列に並んで、家事育児に精いっぱい励んでくれた。

そんなにガンバらなくても、そこそこの生活はできたと思う。

しかし、夫の憧れが、なんというか、あの学校だった。

崩さないで制服を着ている学生たち。足もどんどんサイズが代わるだろうに、と、これは夫の言葉だったが、いつも皮の靴をぱりっと履いている。それなのに、どこだったか、夫がよく見かけたらしいのだが、冬には並んで鯛焼きを買って、嬉しそうに手袋のままの手にはさんで、はしゃいで・・・

あんな女学生、いいなあ。そう、ため息をつくのだった。そして何より、夫の希望の星は、秋篠宮の紀子さまだった。

完全に崇め奉っていた。今もそうだ。

職員宿舎から出て来られた時の、ピンクの帽子とドレスが、すばらしくお似合いだった紀子さま。上品だ、美しい、イヤミが全く無い、いつも微笑を浮かべて、ダンナさんとも親とも仲良くして、可愛い子どもを生んで・・・夫の「紀子さま好き」は、尋常なものでなかった。

私は、女の多い職場で、なんだか嘘臭いいろんなイヤな紀子さまのウワサを、耳にして・・・させられて・・・いたのだけれど、自分としては信じる気にならなかった。

人は、見てわかることが沢山あると思う。一番初めに、紺色だったかがベースの、地味なワンピースで、礼宮さんのお相手として現れた日の、かわしまきこさん。

こんな人がいたのか。こんな人が、本当の、お嬢様。

自然にそう感じた。夫婦仲が本当によさそうなのも、いいなと感じていた。お子さんが学習院へ通っているのをもちろん知っていたし、見かけたこともある。お母さんと同じ、崩れたところの一切無い、お姫様、なんて、今のこの時代にはいないのだけど、さすがだなあ、と気持ちのいいお子さんで。

夫が、ある日、うちのカホは、と言い出した時は、びっくりした。はあ?。返事ができなかった。

俺、聞いたんだけどさ。夫は、遠い昔にプロポーズしてくれた時のような、風邪をひいて熱のある時のような目をして、語ったのだった。

俺らの子でも、絶体ダメ、ではないらしい。競争率は高くて、一年間の学費や初めの費用や、は、そりゃ大変だけど、無理な金額でも無い。寄付だとかも聞いてみた、10万円で、3口だってな。強制では無いってけど、それくらい払うよ。カホに恥はかかせない。俺は煙草もやめる、酒も減らす、そこまでしなくても夫婦で収入はあるけど、俺は、娘が、あの制服を着て、きちっとお辞儀が出来て、って、そういう風になるんなら、何だって出来るよ。

既に夢のもたらす熱にうかされている夫は、止めようの無いブレーキの無い車みたいな存在になっていた。

・・・それだけでは済まない。

私の中の冷静な声が、浮き上がっているような夫を、疎ましく感じさせた。

学費が払えさえすれば。たかだか30万円の寄付を、することができれば。それで済む問題では無い。この人にはわかっていない・・・。

私だって、さまざま、聞いていた。お友達を招くことの可能な広さの家に住んでいるか。別荘はどこにあるか、車の種類は何か、何台を所有か。

祖父母に力があって、両親を凌駕するような待遇を孫に提供できるか。参観日には必ず出席して・・・身なりを整えて、そして、母親同士で、コーヒーとケーキのセットで・・・くらいするような店へ、しばしば行って、喋って、ご一緒にいかが、の旅行の誘いがヨーロッパだとか。

お金の問題だけでは無い。それだけなら、何とかなりそう・・・広い家には移れないが、別荘までは持てないが・・・それであると、カホは、とても惨めな思いをしなければならないのか?。

夫の夢。とてもシンプルな、お嬢さんとして育つ女の子の、いわば清らかさ。おそらく自然な世間知の無さ…それも、可愛らしさのうちかも・・・。

私はいつでも、夫が好きだった。夫以外の男と比べたことも無い。と言っていい。しかし、時々、無性にイヤになる、腹が立つ、鬱陶しくなる。私と言う女の、範囲を超えた思いを、どこかに設定してしまって、うなされたようになる時に。いつでもずっと家にいて、ケーキまでを子に焼いてやる母親。子どもの友達を集めて、紅茶を淹れて楽しませる母親。

私でない、形。

ふ、と憧れるのだろう。私が不機嫌になって・・不機嫌になる自分を抑えないで・・・放っておくと、ぱちっと目覚める。そんなパターン。多分自分にもわかっているのだ、見果てぬ夢だと理解するのだ、そう考えると、夫が、憐れになって来る。たまらなく可哀そうになって、背中をパンパン叩いて、あなたが悪いんじゃない、夢くらい見たらいい、と、言ってやりたくなる。


結局カホは、夫の望む学校を小学校から受験して、合格した。夫婦二人で、マンションの下の階から初めて注意を受けたくらい、有頂天になって、踊りくるって、叫びまくって。カホが驚いてじっと固まってしまったくらい、私たちは、喜んだ。

私たちが大学を出てなくても。祖父母や親類の中、ただの一人もそこの卒業生でなくても。

夫は、私と揃っての面接に、着慣れないスーツを着て、かちんかちんかと思いきや、柔らかいかすかな笑顔を浮かべて、娘をこの学校で教育してやっていただきたいとの熱意を、情熱を抑えながら語った。見直してしまった出来だった。

だから私も落ち着いて、話すことができた。

ここの方針に魅かれます、きちんとした女の子に育ててやりたいのです。

それでよかったのかどうか。

受験させると、電話でちらりとだけ告げた時に、郷里の母が放った

「カホでもそこの学校へ行けるのか。大それた夢は見るものじゃないよ」

の言葉。今は、平民、なんて書く欄さえ無いのよ。言うと、ほおおおおお、と、長い溜息をついた。

私の祖父。母の父親は、戦争に行ってそのまま、どこかへ消えてしまった人だ。母はだから、、何も持たないで世間を生きたそのままの感覚で、世の隅っこで生き抜いて来た。今、年金などという定期収入を得る身になって、やっと安心立命の境地・・・。

カホは6年間、一度も欠席しなかった。遅刻も早退もしなかった。自分の靴下は自分で洗った。3LDKの住まいである自宅に、仲のいい友人を招いて、きゃっきゃ言いながらクッキーを焼いていたり。

友人の夏の別荘に招かれて、花火を楽しみベランダのペンキ塗りを手伝って褒めていただき、充実した子ども時代だったと思う。夫だって、夏バテしながら付き合いのお酒に肝臓をへこたれさせながら、まっすぐに仕事を頑張ってくれていた。

夫と娘が健康で真面目で、私も仕事に集中できた、役職にも今は付いて、新しく入って来るナースたちと、新しい知識や技術の取得に励んでいる・・・つもり。

時折の休みには、昔はしなかった昼寝、なども、自分に許してやる。夫が約束を破って休日の午後遅くまで惰眠を貪っても、一人で、あるいはカホと二人で、甘いものを食べにでかける気持ちの余裕も。

できている自分が、少し嬉しい。

は?。

雑子さま?。

何のことですか、それ。私に何か、関係ありました?。

ああ。そういえば、そういう人もいるのかしら、同学年のお子さんの、お母さまでしたかしら。

関心も興味もありません、から、何を申し上げることも、無いです。

いない人と同じです。いると思えば・・・一言だけいいましょうか。

いると思えば、生きていることへの感覚が総て代わってしまう迷惑な人。そんな人が、はあ、いた・・いるようですね。

進学も同じ? そうなんですか。

私はとにかく、どうとも感じておりませんよ。

たいいを望むか、ですか?。

たいい? ああ、退位ですか。

お答えしません。答えは無い。私の目には見えない、聞かない人です。

いない人。そういうことです。

はい。おかげさまで、うちのは合格しました。え、あちら様?。

知りませんよ。

あちら、合格かって、合格も何も・・・。

いいかげんになさって下さいね、どこの新聞の方ですか?。


雑子さま?。何ですか、それ。


      ざつこちゃんのおもひで  ヨウコ    シリーズⅣ

          イメージ短歌    おとうさまが嫁けと言うから来てあげた私がそんなに敬愛できない?」

   (ザツコちゃん話は↓の・・・・・・以降から始まります。その前に、リアル雅子ざま話を少し)。

雑誌AERA。2月3日号。

「天皇皇后の熱き改革」なる文字が表紙に踊っており、進む皇室財産の解放、とか。陵墓の縮小とか。国民負担を考慮、お金のかからぬように、とか。

「自分の体は国民のためでもある」治療内容も公表のご決断。とか。

家計簿のごときをオープンにされる。治療内容を公表される。と言うことは、当然、両陛下と共に「内廷皇族」である東宮ご一家も、同じくされるということ。

その5人のお方のみが「内廷皇族」であるので、筆頭宮家、である秋篠宮さまご一家とは大きく区別され、あらゆることで破格の特権が設けられており、東宮家では日々、特権の方はじゃぶじゃぶと行使されているのですから。

両陛下がご決断になった、お金の使い道のオープン化(と申していいでしょう)、ご病気ならばそれに対する説明をくきやかにされる、と。

当然のようでなされて来なかったことを、東宮夫婦も、共になさると。いやあ、めでたい。日本晴れ。言い過ぎ。いや、ほんま

愛子さん一人の「お小遣い」に相当する額(およそ年間6000万円)でもって、否、それ以下で。

ご公務多忙、人望希望厚くお集めの秋篠宮さまご一家は人件費(10名ほどとか)光熱費生活費、ご公務の際の旅費に加えて(もちろん被服費も)、一昨年からは将来の天皇陛下であらせられる悠仁親王殿下の学費までをご支出。他のすべてをまかなっておられる秋篠宮家思えば、ぜひ、愚愚夫婦は両陛下のご決断の御実行を、と、願うものであります。

脂肪でみっしみし、フォアグラ肝臓の(はずの)ナルさん、公人として毎年、検診受けてるか、とか。体調の波、なんて言葉が、いまや10年越しのギャグになり果てているヒデンカの、そのご体調の波の秘密も。10年超しのギャグって。芸人さんなら欲しいですよねえ、それ。

東宮家には、ご立派な医師団が専属でお付きになられ、ひたすら東宮夫婦の方をのみお向きになって、献身的にお仕え(のはず)なのでございますゆえ。

ここ10年のカルト・・いや、カルテの開示だっておちゃのこさいさい、いつだってお申し付けくださ~い状態の明るさであると信じる。すべて、質問にも答えられると信じる。

カルテ見せてね、おーの先生。それも10年分(端数は略しました、結婚してから半分以上)今年で終わりなので、最後のご奉公して下さい、オーノせんせい。

今年で終わり、の部分は、ブログ主の独断、専横を通しているので、良い子のゲストさま方は、そこんとこ、激しく突っ込んできたりはなさらぬよう、期待します。くすくす。


肥は肥殿下のひ~、卑~は卑でんかのひ~。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「週刊誌を数冊そそくさと買ってヨウコは小走りになり、ラスト近くに飛行機に乗り込んだ。

靴を脱いで足を解放し、用意しておいたコットンで化粧を落とす。何回前かの日本で、眉のアートメイクをしておいた。あれは便利だ。肌には保湿だけをしておく。機内では水だけを口にする。席に就いたらなるべく立ちたくない。機内へはメールも届かないし、電話もかからない。ゆっくりできる貴重な時間。帰れば友人たちが、日本の週刊誌を読みたがるから、それは熱心に求めるから・・・入手できないのではないのだが・・・多く買い求めるけれど、ほとんどヨウコは読まない、眠気が来るまでパラパラするくらい。

飛行機に乗ったら、眠る。そう決めている。帰ればすぐに、オフィスへ直行だ。

・・・なのではあるが。

今日は、いささか眠りに入り難い。朝からばたばたして食べ物をうまく摂り損ねた。空腹感がある。機内食でも胃袋に収めておかないと、快適な眠りの確保ができにくいこともある。

経験上、食事がこのシートのあたりへ運ばれて来るまで、1時間近く。

仕方が無い、眠りを急ぐのはやめよう。

ヨウコは、シートを倒そうとして、後ろを振り向いてチラ、と笑顔を作ってみせた。後部は小柄な白人の老女である。

パルドン。声をかけて、笑みが返るのを待って、リクライニングのレバーを引いた。


姉。相変わらず姉は、ガンバっていた。

気難しい年頃になっている一人娘の、話のわかる「ママ」。

修習生を終えて父親の事務所に入ったまま動こうとしない、小口規模専門弁護士と自称して照れない義兄の、母親もどきの混入している「妻」。

「ヒロユキさん」の賢母=姑の「実の娘と思っていますわ、それ以上ですわトウコさんは~」など背筋にゾゾンの気配の走る甘言を受け止めて、うつむいて微笑んでいるオヨメサン。

妻の実家に妻子を預けたまま、職業運動家なんて胡散臭い存在として生きた、最後まで子供じみていた父の、最後の妻だった女とだって、未だに年賀状なんかの交換を続けて。退き時がわからないのだ。それが、姉、という人なのだけれど。

それで・・思い出してヨウコは笑みを漏らす。

ごきげんよう、の世界へ入りたかったのだった、姉は。

言ってみれば古いだけの家、ともかく昔からの家。つまりはそれだけ。そこで、半ば「でもどりの娘の子」として育って。

姉は。ヨウコは思い出す。テーブルマナーを身に着けたくて。いずれ、怖気ないでフォークを操る女になりたくて。あの、真面目な姉は。

ジャガイモのコロッケを、つつしんだ風に皿の上に横たえて。ニンジンやインゲンを添えて・・・野菜などはいくらもあったから・・・フォークとナイフを用いて、口に運んでいた。はじめの頃はご飯をフォークの背中に乗っけて押し付けて、食べていた。それが「正式」と信じ込んでいた頃の姉は。

・・・すでに飛行機は海の上、わあ海だ、と、初めての搭乗なのだろうか、甲高い子どもの声が前方から聞こえてくる。

子どもの時は。いつか飛行機で、外国へ行ける日が来るなど、想像したことも無かった。

・・・それでザツコを、初めから、憎んだのかもしれない。

・・・あんな子が、そんなことになるなんて。と。

姉は、そういった目ではザツコを見ていなかったように思う。姉の方が素直な人間だったと思う。幼い頃から。


よく気の付く子。控えめだが気働きのある子ども。姉の立ち位置はそれだった。

Nの、伯父の家の敷地内にある家に、母と姉とヨウコは暮らしていて。もの心着いたらあの、小屋とも呼べる小さな家にいた。

世話になってと言えば言えるが、母は、あの家には都合のいい働き手だった。現在のヨウコはそう、感じている。

そういうことに敏感だったのが、時々東京から来たあの家の、目つきの悪い損得にはしこい(とヨウコはみていた)Uオバだった。あのオバが、自分の祖父母のものであったN家と、どんなつながりがあったのか、正直今でも、ヨウコにはわかりきっていない。

血縁では無かったようだ。戦争の話がからむ。昔の戦争だ。何代も以前の、Nの家と、あのひとたちの何代前かの誰かのカンケイ。

上官だとか命を救われたとか、恩だか義理だか。台所で囁かれていた話は、人によって少しずつ異なっていて。ただ、ヨウコの中の結論は。

「Uオバの家の誰かがむかし、Nの家の先祖の誰かをたすけて、恩を感じて今も続けて、Uオバの家をユウグウしている。Nの伯父は、跡をとっている者として、伝わることを守って、Uオバたちに「よく」し続けている。

他にあるかもしれないが、ヨウコとしては、そのあたりが、自分自身にとって、収まりのいい話になるのだった。血縁に無いところが、いい。

・・・Uオバは利害に敏い人だった。一番弱い人間と一番力のある人間とを、瞬時に見分けた。

ヨウコたちの母親。田舎の嬢ちゃんで育って、夫に、しばらく実家にいろと命ぜられるままに、バカみたいに素直に、従っていたそんな女にUオバは、どう扱ってもいい、の烙印を押したのだ。そうだろう。

大家族に嫁いで来て、外へ出た子の子、イトコハトコや孫までを、年に1度でなく2度でなく、引き受けて、ものすごい量の飲食を提供し続けて、農産物を持たせて帰して。自分は、宴の後の片付けのようやく終わった台所の隅で、もさもさと残り物を食べていた伯母。

ヨウコの母も、そうだった。伯母とヨウコの母は仲がよかった。それが救いではあった。

Uのオバ。ある時、とんでもない立場として浮上した、あの抜け目のない女が、利用しながらバカにしていた伯母、そしてヨウコたちの母親。気取ってふるまっていたが、盆正月に遊びに来られる家は、他に無かったか。

後に知ってヨウコは、身震いしながら得心した事実もあって。


ザツコ。Uオバの娘。どでんとした腹を突きだして、庭の柿の木の下で、夕陽を見ていた。

Nの家の男の子たちが川で釣って来た魚を、じいっと見下ろしていた。

バケツの中の魚が、残らず、水面に口を必死で突き上げてぱくぱくしていた、あの時、ザツコは、あの菓子を食べていた。2~3センチくらいで、くるりと捩じられた、よこづな、と呼ばれていた、食べ始めると止まらなかった揚げ菓子を。

塩と油にまみれて、食べ過ぎると後で気分が悪くなった。あの菓子をザツコは、一袋、おそらく食べてしまっていて、口元も指も塩と油にまみれ、そうして、バケツの中の魚が。あれからすぐに、総て、死んでいた。バケツが脂だらけだと、川へ行った男の子たちが後で叱られていた。

ザツコは、知らない顔をして、いつまでも、スイカをかぶり続けていた。

よくザツコは、ただ眺めていた。いろいろなものを。無表情に。

幼い妹が転んでも、抱き起そうともせず。じっと、転んだままの妹を眺めていた。

飛んで来て抱き起したのはいつも、姉、トウコだった。土ぼこりを払ってやり、頭を撫でてやっていた。ヨウコは、ザツコを嫌いだったし、妹の方も嫌いだった。だから触らなかった。体中がネタネタの子だった。

あまり代えてもらえないで、ずくずくになって垂れ下がったようなオムツのお尻を振って、ザツコの妹は歩き回り、いつもNの家じゅうで一番新しい畳が敷いてある仏壇の間でも、握りしめたオカキの粉をこぼしこぼし歩き回っていた。庭で飴を落として、それを拾ってそのまま口に戻していた。そんな様子を、Uオバもザツコも、じいっと眺めていて・・・お尻に接着剤が付いてるみたいに、と、Nの叔父は苦い顔で笑っていたが、そんな態度で、ただ眺めているのだった。

口の中が砂でざらざらするとか、汚いとか。そんなことは考えないようだった。お腹は丈夫だったようだ。耐性をつけませんとね、と、Uオバが言っていたと、台所でくすくすと潜めた笑いの起きていたこともあった…覚えている。

外国へ参りますと、日本とは衛生状態の違うこともあります、だとか。ダイドコロのオバサンたちは、口真似をして笑っていた。ヨウコは、笑う方にも笑われる方にも、なりたくない、と、考えた。


ザツコは、服の左の袖がなぜかいつも長くて。口の周りが何かで汚れると、左の袖をびろ~んと伸ばして、拭いて、その部分を折り返して、汚れが外に出る工夫はしているようだった。

勉強はとても出来ると、Uオバは言っていた。私立へ行かせているのが、自慢のようだった。

Nの家に集まるオジサンたちは、そういう話を聞かされると、ほお、ほお、ほおおお、と、杯を運ぶ手を休めて、ザツコの母親の東京言葉を聞いていた。

ヨウコは、自分は、何かしゃべって、ああして、ほう、ほう、ほおおお、なんて頷き方をされたら、死んだ方がマシ、のように、感じていた。

やはり子どもの時に。

人前でものを言わないようにしていた。自分たち親子は、好き放題なウンドウなんかをして、家族を放り出しているオトコの家族で・・・そんな態度はあからさまにせず、オジサンたちもオバサンたちも、よくしてくれていたけれど・・・普通に両親がいて、両親と一緒に集まっている子どもとは、何かが違っていた。

お父さんがいないと駄目なんだ。ヨウコにはわかっていた。どこか、人の扱いも違うし、自分自体が、大声あげて泣き叫んだり何でも欲しがって転がったりと、子どもになりきることはできないのだと、自覚があった。

ザツコの父親は不思議な人で。

相当おかしいことをしていて。ザツコの母親、ツマが、台所のオバサンたちが皆、ひそかに突っつきあって下向いて笑っているようなことをしていても・・・床の間を背負っている伯父が、一番先に箸をつけるべきのものを・・皆が、その順序だけは当然に守っていることを、へいちゃらで気にしないで、とことこと取りに来て、ごそっと皿に盛って平気な顔してザツコの父親のいるところへ戻る、ようなことを、していても。

Uオバを叱ったり、気を兼ねて辞めさせるようなことは、いっさい、しない人だった。ザツコのことも、やりたい放題、皆が宴会している縁側で、いきなりザツコの妹がオムツから抜けておしっこを始めても、そんな時だって、にほにほ笑って、

あの子のお尻をなんとかしてあげなさいよ。

みたいに、笑っていた。

「してあげなさいよ」の言葉は、特定の誰か・・・妻、に向いていたのでもない。
だUオバはすぐに動かず、天ぷらのエビの尻尾をどれだけ残したらいいかと、本気で考えている様子のような風で、ヨウコの母かNの伯母か、時には、小学生であったヨウコの姉、トウコが、ザツコの妹を抱えに行ったり、するのだった。

自分は絶対、あんなことしない。

内心に誓ってヨウコは大きくなった。ザツコたちは、ほどなく来なくなった。いないと、来ないと、せいせいした。



ザツコが、人の云う「シンデレラ」になると知ってヨウコは、何とも言えない気持ちになった。

それだけは、そんなことだけは無い。ゴシップになっているのは知っていて確信していたことが。そうなると知って。

日本にいなくて良かった。初めの思いはそうだった。

当時のヨウコは、後に夫になるエドワードと共に暮らして、キャリアのアップを願い狙う毎日だった。

よく勉強したし、仕事もした。日本のあの最古と言われる家の長男の結婚に、エドワードはそれなりの関心を抱いていて

「ダイアナみたいに何も知らないで若くて結婚しても、難しいのにね」。

どんな意図なのか測りがたい明るい顔でそんな風に言って来る。

「ヨウコの国のあの家の結婚としては、とっても不思議なバランスだよね、彼女って」

ずっとザツコを嫌いだったし、成り立つべくもないシンデレラストーリーへの違和感にくらくらしつつ。異国人である夫に、ヤユめいた感想を向けられると、なぜかイラ立つものがあった。

婚約を知って、本当に結婚した姿を見て、流産しただの女の子を生んだだの。ヨウコのまわりの日本人たちも、あれこれ、ザツコを中心のゴシップめいた話題に興じたりするなか、ヨウコは、まさかその、なかなか環境に馴染めないで大変だと言われるお方、を、自分はかなり知っている、年は幾つも下ではあるが、昔、田舎の夏休みに、いわば自分はホームの強み、ひそかに意地悪をしてやった過去も持つ、ことなど、口の端にも出しはしなかった。

ザツコと関わりのあることを、名誉に感じなかった。全く嫌だった。

ある時。

久々に日本へ帰って戻っていた知人に、お茶に誘われて。

断り得る回数は超過していたので、お菓子を持参して訪ねて行った。

一部屋広い部屋に移ったばかりだった知人は、ティ・ポットもカップも新しくしていて、こんど伊万里で揃えちゃったの、と嬉しそうにあれこれ、東京の新しい話題を披露した。

それでね、と、知人は、日本にいたなら絶対にしないであろう仕草・・・扇子を広げて顔をあおぐ・・・をしながら、意味も無く(と、その時ヨウコは感じたのだ)声を低くした。

「・・・あの、あの方の実家のお父さまがね。」

そう聞いてヨウコは、口に入れたスコーンの味が、いきなり砂の味に変化する気がした。

いけない。今日は、今から、聞きたくない類の話になる。直感した。ザツコの話題は、それなりにそういった場面では出やすいモノではあったが、それでも。

ザツコの父親の「おかしさぶり」は、英国にいる日本人たちの間に、じんわりと範囲を広くしつつ、伝わって行っていたのだ。

「歌舞伎を、ご覧になりに、途中から入って来られて・・・ご家族で」。

ああ・・その話は知っている。姉が。姉に聞いていた。ヨウコには情景の見える話だった。

汗が噴き出て来た。ハンカチを取り出して汗を拭いた。

おろしたての綺麗なハンカチを、幸運にも持っていた。

「・・・詳しくは忘れたけれど、ね。オトウサマ、自分の席から、立ちあがってね、ずずいと周囲を・・・上の桟敷まで見回してね」

ええ、なあに、教えて。

午後の紅茶に心のほぐれた、日本語で聞く面白そうな話に、あの場の人々はあの時、皆、解放されて楽しんでいた。

異邦人の中で日々を送る彼女たちに、日本語で聞く、同胞たちのゴシップ話は、けっこう上等の快楽であり。

「自分がまるで、どこかの王様で、皆にこうして挨拶をして差し上げるのですよ、って思い入れで。

 中村屋や高麗屋が、見えを切る場所で、ずずいとまわりを見渡して~」

みたいに。

きゃはは、と、曇りの無い笑い声が、その男の無様な勘違いの様子を活写していた。

 ワタクシガ。このワタクシガ。あの。あの、

ザツコのお父上でございますぞ~~~。

と、やったのだ、あの、Uオバの夫が。ザツコの父親が。

「もう得意満面で自分アッピールしたから、うちのオバ、そこにいて、あまりにびっくりして、バカなんで、多分、他の方たちもね、静まり返ってしまって・・・」



・・・食事を配るカートの音が近づく。ヨウコは目をあけて、自分の前に食事を置くスペースを作る。

食欲が無い。あったのに無くなった。おかしげなことを思いだした。昨日、姉に会って、ザツコのあれこれなど、聞いてしまったせいなのか。

姉は今回、まともな選択をした。一人娘を、あの学校の一番上まで通わせようとしていたのに・・・それまでの努力も並のものでなかったのに・・・。

エスカレーターを、途中で降りると言う。

ザツコには、とことん、関わらないでおこうの決断だ。自宅にまで訳の分からない記者(なのかどうか)が訪って来るとは・・・昨日は姉を、思いきり、称えてやった。

楽しい、姉妹でのひとときだった。

私もザツコごときにとらわれるまい。

エドと、ジェイムスが待っている。私が得た、私の家族が。

食べて、眠って、自分の生活に帰ろう。帰る。

ヨウコは、機内食のトレイに向かって、いただきます、と手を合わせた。


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     ざつこちゃんのしゅうぶん(一) シリーズⅢ

         イメージ短歌  「外交官ってフレコミでした実態はコピー番長と称ばれたアタクシ」

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ええ。

確かに、聞いておりました限りでは遠縁の子ども同士として、幼い頃には、そうでございますね曾祖母のおりました頃は、お正月や夏休みを共に過ごしたこともありました。

あちらの方はそのうち、お父様のお仕事のご都合で、もちろんご存じですわね、外国のお暮らしになられましたし・・曾祖母も亡くなりましたから、子ども時代に数回会った程度の記憶よりございませんの。

嫁ぎ先が、たまたま私も都内だったこともありまして・・・かどうか、子どもの学校も偶然同じ・・・私どもの娘が幾つか、学年は上ですけれど。

え。娘はいま中学生か高校生かって? それは、お答え申し上げなくてよろしい、ですわ、ね。

そう。特にあちらと仲のよかった記憶はございません。

大学受験で上京するまで、のどかな地方で育った私どもとは異なりまして。あちらさまは、海外経験も豊富でいらして、あのような特別なご結婚をなさったことですもの。

私のような平凡な市井の者が、いま、あちら様とどうこうということが、あろうはずがございません。

そうでございましょう?。

申し上げることと言えば、こんなあたりで・・・ええ、あちらのお嬢様の初等科のご卒業、お慶び申し上げております。

これでよろしいですかしら?。もうご容赦いただけます?。少し用で出ていたばかりですから・・・夫が家の中から見ているようですわよ。カーテンの向こうで覗いておりますよ。

ほほ。

いいですね、では失礼します、御機嫌よう。」                    
                                      昼間。門前にて。



「・・・うん。どこでどう調べたかわかんないんだけどね。門を入ろうとしたら、いきなり声をかけられてね。ご親戚ですってね、とか、こちらのお嬢様はあちらの先輩に当たられるとか、って、すっごい造り笑顔で。怖かったの。当たり障りのないこと言いいながらポケットに持ってた携帯こっそり鳴らしたら、ウチのが気を効かせて出て来て、黙って相手を撮ってくれたからね、記者、びっくりして帰ったわ。

人のことは勝手に撮っても、自分が撮られるとびびるんだな~って、面白かったわ。


ザツコちゃんの思い出って言われてもねぇ。私たち、呆れて皆で腹を立ててすぐ、大爆笑することくらいよね。あちらのオトウサマっていつも、オヨウシさんみたいにUおばさまにぴったりくっついて、ウチの親戚ですって顔で、ひいお祖母さんの古希の写真とかに、端っこで写ってたんじゃない。いつも、やたら丁寧な喋り方で、でもウッホン、みたいな気取り屋だって、陰口叩かれてたのも知らないんじゃない。出世頭とか囃されて、冗談わからずに、口に手あてて、オッホッ、ホ、とか笑ってたし。

ザツコちゃんがあそこへ入ってから、自分たち身内も準なんとかだって名乗ってるって聞いて、また、笑ったけどね。ザツコパパらしいわ~ってさ。恥ずかしいわ~。

ウチのなんか、その感性は信じがたいって、あまりおかしかったから彼に言ったのね、そしたら初め、私を疑ってたのよ、そんな下らない嘘をつくのって。こちらが信じられないわ。で、言うことに、そのご親類なら、キミの夫であるボクだって、
やんごとないご身分で、アタマに「準」つけたら、通るのか~うっは~、だって。

ヒマワリじゃなくてきくのバッジつけようかって。ばっかみたいに。

調子乗りなのよ。変わらないわ、あれは。

ザツコさんのご夫君とか比べないけど・・・たとえば、比較するとしたら、京、の単位であなたがマシだわって言ったら、喜んで、連れて行ってくれたわよ、あの店へ。ザツコは「お忍びで行った」っていう、あそこね。ロ〇ジェ。うちのは、ウサギ食いたいなんて神経わからんなんて、呑んでばかりいたけど。

そうよ、何でも私と逆のこと言いたいの。言わせておけば機嫌いいのよ、夫なんて。ねえ。

(笑)。

ねえヨウコ。

うちの親戚関係だって言いたがっていたくせにさ。私、あの頃アメリカ言ってたから詳しく知らないんだけど、ザツパパ、お釣書に、私たちどころかNのお祖母ちゃんも伯父様も聞いたことも無い、名前も全然知らないどっかのお家の、親戚だって書いてたんですってね。

苗字だけ、そこのお家と同じだったんですってね。

その、ご本家って言われたお家が、きっとものすごくびっくりされたのね、するわよね、いきなり親戚が顕れちゃって。しかもそれが、ですものね。

「今度ご成婚あそばすお方は、わが家とは全く関係無いです」

って、意思表示をされたんだったよね、それは知ってるの。知った時は、違うびっくりで、抱いてたアカネ、落としそうになったもの。

ザツコも親も一緒に、お墓へ参ってた写真見た時は・・・びっくり、なんてものじゃなかった。全身が、なんというか・・・ぞぞ~って、嫌悪感なんてまとまりのいい感覚じゃない・・・あ、イヤだ、私これ受け入れられないって・・・本当に血の気が引いた・・・座り込んでしまった、覚えてるの。

お数珠も無いの。なんか、お腹の前で地面と水平に手を合わせて・・・お坊さんは何人もいて、色のついたメガネをかけてる人もいてさ・・・墓石が継ぎ接ぎで、傾いているの。赤い蝋燭三本立ってて、洋花が・・・丈の高いまま、挿してあるの・・・ヨウコ、知らないでしょう。あなたがイギリス人になっている間に、いろんなことがあったのよ。ザツコのことなど、特に話したいことでも無いから、たまに会っても話題にならなかったけど・・・

いい話しばかりじゃなかったから。私にはぜ~んぶ、さもありなん、だったけどさ。

さもありなん、って、よく、Nの伯父さんが言ってたじゃない。ザツコの家は、何日もいて結局、墓へ参らずに帰った、とか。誰かにぼしょぼしょ言われて、さもありなん、って、ね。

あの、あの家、変わったお墓に参っててね・・・お数珠も無しに・・・ワタシ、誰が何と言おうと、Uオバサンとは、多少どこかでつながりがあるとしても。自分には全く関係の無い家だとしか、思えないの。あの墓参の写真の違和感。うん、今度会った時に、今はけっこう有名になってる写真よ、プリントアウトしておいて見せてあげ・・・

え。見たい・・・見たことある? え? ウチへ来る? 今から? どしたのヨウコ、えええ? ヨウコ、本当に??? じゃ、待ってる。私ちょっと走って行って、メルシの「パリ・ブレスト」買って来ておくわ、久しぶりに二人で食べよう、だから何も持たずに、そのまま来てね、話したいことたくさんあるの。

帰国前なのにいいの? うんわかった、ではね!。」
                                     午後。電話椅子の前。



「・・・ごめんなさいねえ、ヒロユキさん。

急に外ゴハンさせてしまって。ヨウコが、今回はもうそのまま発つって言ってたんだけど、急に・・・ごめんねホントに。

まあ、アカネも「パパと二人ごはん」で喜んでたし。あなたが連れて行った中華、アカネ好きな店だし。機嫌よかったじゃない。おめでとう。

え? そうよ、あのコ、反抗期の顔してるけど、実は本心では、ものすっごくパパのこと、大好きなの。わからない? そんなの感じられない? まあ、不幸な父親なのねあなたって。

娘や、ついでに妻の深いココロの理解できない男なのね。ふうううん。カワイソ。

もう一杯、お飲みになる?。


それはともかくとして。

ヨウコがあんな情報通だなんて驚いた。ネットであれこれ、見ているみたい。

ヨウコの周辺の人たちは、ヨウコがザツコちゃんと昔、田舎家の離れで一緒に寝かされたこともあるなんて、夢にも思わない人たちばかりだものね。クレージーな女性だって、夕刊紙に出ることがあったりすると、つい、読んでしまってたんだって。

あちらでは本当に、クレイジー、が定着しているみたいね。見ればわかるのにね、誰にだって。

うん、私も少し、呑もうかな。チーズ切って来るわね。


・・・ううん。

思い出すことはけっこうあるわね・・・他のどことも違ってる一家だったから。

まず、Uオバサンは、Nへ着くと、どかっとお土産広げるのね。さあさあさああって、お仏壇の前にだ~んと広げるから。

到来物ばっかりよね、今思えば。Nの伯母さんたちは、ありがとうってきちんと言ってた。油でもハムでもクッキーでも、いいところのものばかりだったんでしょう。貰い物だもの。Uオバサンはいつも、自慢そうに笑っててね。でも気前がいいというのでもない・・・余っているモノを、土産にして、あとは上げ膳据え膳、絶対に動いたりしない人だったもの。

あのへんの田舎では、あの家だけだったかも知れないけど、女の人たちは、男の人たちが呑んだり食べたりしている間、台所にいたの。用があっても無くても、割烹着を来て、赤い手をして、空瓶をさげに行ったり、お銚子を1本か2本だけ替えに行ったり、皿を下げて来て一枚だけ水をじゃあじゃあ流して洗ったり・・・まとめて洗うより、水や洗剤を沢山使っても、何か、していることが大切だったのね、あの家では。空っぽのヤカンをあっちへ運んだりこちらへ戻したりしている、若いオヨメさんもいたわ。食べきれないくらいお寿司を巻いたり、ぎゃんぎゃん泣く赤ちゃんの口に、かんぴょうの端っこをくわえさせたりしていた。誰が食べるのっていうくらい大量に、フルーツ寒天を作ってたこともあった。天ぷらだって、何時間も揚げ続けていたわ。

ザツコのおかあさんは、台所の人たちに混じらなかった。ザツコのお父さんと一緒に、座敷の端っこの、小皿や小鉢の予備を置くために出したちゃぶ台の前にどっくり座り込んでね。

自分の夫に、お酒をついでいた。夫だけにお酌していた。時々立ってね。新しい刺身の大皿を台所から誰かが運んで行くと、ひょいと立って行って、ちょいちょいとつまんで、ハイ、ハイ、とかワケの解らないことを言いながら、戻って、だんなさんに食べさせて、自分も食べてた。お酒を呑んでいたかジュースと呼んでたオレンジ色の飲み物を呑んでいたかは、覚えていない。でも、いつも自分と夫のためにだけ、飲み物や食べ物をとって来ていた。揚げ物も、揚げたてが来ると取って来ていた。

平気でね、ざくっと、よさそうなあたりを取って行くの。男の人たちがそれを、何か言っているのを、聞いたことが無い・・・あとで、誰か、何か言っていたのかなあ・・・知らないわ・・・目くばせってのは、あった気もする・・・子どもたちは、曾祖母が使っていた離れの「隠居部屋」に集められていたし・・・そこには、ご馳走や山盛りの巻き寿司やお稲荷さんや、甘酒やお菓子が、沢山持って来てくれてあったの。ミカンもどっさりあった。オトナが宴会している部屋が、中庭をはさんで、よく見えたの・・・季節がごっちゃになっているわね・・・ふすまも障子も全部開け放たれていたのは。あれは、夏休みだったのかなあ。お盆ね。

ザツコちゃんは、子どもの部屋にいても、皆とトランプや坊主捲りをしなかったわ。トランプくらいは一緒にしたのかなあ。坊主捲りが始めると、さっと離れてた記憶がある・・・。あれはお正月だったかしら・・・。

百人一首のカードを使って、あなたは、小さい時にしなかった?。

天皇の札が一番えらいの。お坊様の札を引くと、それまで持っていた札を全部、場に戻さなきゃいけないんだけど、天皇が出ると、それを全部もらえるの。最後の時点で持ち札の多い人が勝ち。

持統天皇なんて、お姫様なのに天皇でもあるわけで。初めに覚えたなあ、あの札のうたも。蝉丸って名前の札が、頭巾をかぶっている人なので、坊主かどうか揉めたりして。ザツコちゃんは、英語が喋るって言っていて、アウオ、とか、アオライ、とか言ってて。おお、とか、オーライだったのね、きっと。でも、こんにちはもありがとうも、言わなかったわよ。

ずくんと、突っ立ってるの。そのイメージは強いわね、今も。お皿を下げたりのお手伝いもしなかったしね。

ザツコちゃんは、ぼうずめくりしないで、男の子の雑誌を見てたわ。オカキをぼりぼり、いつまでも食べていた。お茶をガブガブ飲みながら、右手でオカキつまみながら、ぼりばり、ばりばり。あの音イヤだったわ。思う存分、バリバリしてた。頬っぺたがつやつやでパンパンしてたわ。

Nの家の伯母さんは、盆正月に皆が集まって来て大変なのに、いつも、ゆったりしている人だったわ。にこにこしてね。

その伯母さんが、一度だけ、うちの母にこぼしたことがあるって。

かなり後、祖父母も伯父も亡くなった後・・・ぜんぜん会わなくなっていたザツコちゃんが、イギリスだかアメリカだかの大学に行ってるって聞いてた頃かな。東京見物をしたいって上京して来て、父が、車で、案内してさしあげたんだわ。長い間、皆でお世話になっていた田舎の伯母でしたもの。私も半日、ご一緒したっけ。

伯母は、九段へお参りしたいって言ったの。靖国よね。それを父は、渋ったみたい。詳しくは今は言わないけど、父には父の、当時は、思いって言うか、リクツがあったのね、きっと。ごめんねヒロユキさん、私は父が、今でも好きで・・・。

伯母は、なにごとにも無理強いしない人だから。何につけても。ああ、そうか、それだけだったみたい。ふわんと笑ってね。父は断ったのに胸が痛んで、前を通って、煙草をゆっくり一服したいから、ちょっと伯母さんは出て来られますかって、声をかけたって。私がご一緒だった日では無いの、この話は。

伯母は、さっとドアを開けて・・・ごめんなさい、なんだか涙が・・・Nの伯母は、本当に優しい人だったのよ、私は好きだった・・・泊りなのに、大人数が集まる時なのに、寝間着も持って来ていないザツコの家族に・・・寝間着を用意しておいてあげるような人だった。ザツコたちは、それを、洗いもしないで、洗濯機の横へ放り出して帰ってたけど・・私見たもの。知ってるのよ、それは。

お客用の布団に、ザツコちゃんの妹がお漏らししてね。言えばすぐに何とか、できるのに、畳んで押し入れに入れて帰ったから、しばらく気がつかなくて、少し手が空いてお布団干そうとしたら、そのままだったから・・・それは、私の母が言っていた。

母が、ザツコちゃんの結婚が決まった時に、奇妙な笑い方していたのは、いろんなことを知っていたからよ。

あなたも覚えてるのね? やはりね。

キミのお母さん、なんだか不可思議な笑い方してたね、って。あの頃あなた、言ってた。私、当時は、知っていることが山盛りあっても、ああいう結婚した人のことは、言ってはいけないことと思い込んでいたの。

あなたも、司法試験通ったばかりだったし、あなたの邪魔になってはいけないって力んでて・・・不要なことを言ったりしたらどちらにも都合がよくないんじゃないか、もっと言うと、警察に捕まるんじゃないか、私たちが知っていること、口に出したりしたら。そんな風に、感じていたわ。

不敬罪なんて、無いのですってね。今は。

それはそうよね。

不敬っていうのは・・敬するべき対象に向けるコトバで。

私に言わせれば、ザツコちゃんの家族の、誰一人にだって、敬、なんて文字を、当てはめる気持ちになどならないわ。

なれない。

あの方のお家は自分の所とは関係ない、無関係です、と言い切られた、本家だとか言われてしまったお家だって、きっと、そうだったのでしょうね。

だって・・・あ、酔っ払って来たわ。

だって、普通なら、ザツコの家の、本家にあたると自分の家を云われたら・・・なんか、名誉な感じにこそなれ・・・きっぱりと断言して否定する、なんて・・・でも、よほどイヤだったとか、正直だとか・・・母は、逆に、それでこそだわ、知らないけどご立派なお家だわって褒めてた・・・。

Nの伯母が。母に、言った、こと。

暮れに来た時のお土産が、到来物のお余りだった・・・それはいつものことだけど、御のしが「お中元」だったって・・・。

笑う? 一度や二度ではなかったみたいよ。使えないようなものは、伯母は黙って始末していたんですって。

それが、母に愚痴ったのはね。ああ、眠くなってきた・・・ヨウコに聞いた話もあるのに・・・

お歳暮の時期過ぎにUオバサンがよこした「御中元」が、スモークドサーモンでね。さすがに首ひねってた伯母に、当の、そういうモノ持って、親子5人、滞在中だったUオバサンが・・・ザツコのお母様がね。わが子のよだれかけまで自分で洗わない、コッカコウムインの奥様がね。

「そんなの大丈夫です。燻製ですから生でないですから。ロシアでは鮭の生は食べませんからね。スモークサーモンは、焼いて食べれば大丈夫、お気になさらないで」って・・・

ふう。

                                     夜・リビングにて。


                                        続く。・・・きっと。


唐突ですが以下は、現こーたいしひ・まさこさまのおかあさまであらせられるお方の書かれたものです。

退くことをしらず。美文風ではありつつ、押す、押す、とにかく己の意志のままに突進することに長けたご気性がうかがわれます。

お嬢様方の「よだれ」が「つらら」になっていても、構わず遊んで、と記されるあたり、日本人離れしたなみなみならぬ個性の発露とお感じ申し上げました次第です。

「赤ちゃま」などと、不思議なお言葉をお使いになられたことなども、思い出しましたりして・・・。


『私が初めての任地モスクワに赴任したのは、1965年8月末のこと、夏を思わせる
美しい青空の下の空気はすでにキリリと冷たく、白樺林は黄金色に輝き始め、日に日に
秋の深まり行く頃でした。9月には初雪も降って、長く厳しい冬の訪れが目の前に
迫っておりました。
(略)
お正月にはお節料理の真似ごとでもと真先に取出した缶詰類は、極寒のシベリアを
旅する間にきっとカチンカチンに凍ってしまったのでしょう、缶は真ん丸に膨れ、
中には輪ゴムのような白滝、期しゴムのようなこんにゃく、スポンジのような竹の子や
蕗の水煮.....どんなにがっかりした事でしょう。
(略)
時には零下30度近くなる冬の日々、西日を受けて空中に輝くダイアモンドダスト、
風に煽られ地表を舞うように飛ぶ粉雪、カチカチに凍ったモスクワ河の上を走り回る
オートバイの爆音、しいーんと静まりかえる森の中を黙々と進むクロスカントリースキーの
楽しさ、つららになったよだれをものともせず橇遊びに熱中していた幼かった娘たち。
 そんな寒い日に家族で囲む食卓には、暖かいボルシチの甘酸っぱい香りが漂います。』


「ドス子の事件簿」より。1999年出版の機関誌に出ていたものらしいです。

お清め!!!。

   ざつこちゃんのはんもん 「その朝」のザツコちゃん

         イメージ短歌  「シモジモよ黙し働き納税しわが静養を見守りなさい」

               しもじもよ もだし はたらき のうぜいし わがせいようを みまもりなさい

・・・・・・・・・・


・・・けさもおきられなかった。

あついカーテンをおろしたへやの、ダブルサイズでよういされた、しかしずっとひとりでつかっているベッドの上で、ざつこちゃんはめざめました。

おきられなかったんじゃない。ざつこちゃんは、口の端の裂けそうな巨大なあくびをしながら、みぎてをのばして、サイドテーブルの上にあるはずのタバコのはこをもとめました。ゆびのかるくふれたそれは、あっけなくくうをまってゆかにおちて、カサリというおともたてませんでした。

からだったのか。したうちしたいかんじょうがわきあがってきます。

めざめのタバコのはこが、からっぽだなんて。こんなにきぶんのわるいことはありません。

すでにざつこちゃんの、きょうの「ふきげん」は、ちゃっかてんにたっしはじめているようです。
    

(作者・註・・・この回のこの部分以降は漢字交じり文に移行します。ついでに文体も変わるかも知れません、ザツコの基地外度は変化なしです。)

掛け布団を跳ね除けて雑子は床に下りた。昨夜の服装のままだ。布団に籠っていた雑子の体臭がもわあっと立ちのぼる。顔をそむけてやり過ごす。この部屋は広い、そして臭いなんかはすぐに慣れる。あいつのではないし。

夜更けまでネットあさりを止められない。ものすごい言葉で罵られ笑われている、この国の跡継ぎの妃殿下が、自分のことだとは受け取っていない。なぜなら、すべて何もかもが、嘘で捏造で言いがかりだからだ。そうなのだ。ワタシハアンナオンナジャナイ、読んで腹が立っても、自分のこと、では、ない、か、ら。勝手に言っていればいい。

身の程知らずの愚民どもが騒いでいるのだ、妬んで羨んでいるのだ、私のすべてに。私は、気取ったシャナシャナ声でもの言ったり、機嫌が悪いとドスをきかせて何時間でも相手の神経をひっかき続ける、あの自分大好き女。不平や不満ばっかりのくせに格好つけていい人ぶるから、ストレスの固まりになって買い物依存にはまっている、あの。同じ靴を100足も持って、まだ欲しがっているもっと欲求がひどくなっている、あの、夫の母親の、平べったくて巨大なおしりに、ぺったんこに敷かれてしまっている義父より、エラい。あの義父より私は上にいる。あの夫婦の大事な長男を、私は、蹴ってやることもできる、ドアにぶっつけてタンコブ作ってやった、無視したおして不安にさせて、泣かせてもやった。親なんてちょろいもの。こんな私の力を。

やっかんでいるのだネット民は。

ふん下らない。

毎晩同じような想念の中で雑子は、いらいらとタバコを吸い続け、口中が粘ったりイガイガして来ると、不快感を消したくて炭酸水を飲む。

炭酸が口の中をシュワシュワしてのどの方へ落ちて行く感覚に、ひととき、すっきりする。部屋の中の冷蔵庫には、必ず毎日ぎっちりと、好みのドリンク類を用意させておく。満タンのドリンク缶を眺める時、

「身分が高いってこういうことだわ、きっと」

そんな高揚感ににんまりすることもある。

しかしタバコが無い。。

・・・あ、そうだ。ティテーブルに視線を飛ばすと、あった、まだ半分ほどの残量を示す厚みを保っている愛用の煙草の箱が。

ホッとしてソファに体を預け、一本、火をつける。雑子は煙草を手放せない。初めての一本は、初めての男が教えた。顔が好みだと思った、何もかもにまだ、慣れていなかった。隠れて、タバコやあんなことを、ぎごちなくする、それだけで大事件のように思えた、でもすぐに失敗だったと思い知らされ、離されてしまった、あの時には親たちは、雑子のことだけを考えてくれた気がする。

転居した街には、いろんなタイプの男たちがいた。みな、にこにこと寄って来て、煙草やお酒やベッドのことを楽しみ、当初は控えめにもしていた雑子が、馴染んで親しんだ頃に、つれなく離れて行った。

・・・朝、ぼんやりと覚醒しきっていない頭の中で、過去のことをあれこれたぐっていると、自らの現在をフッと忘れていることがある。

起きられないのではない。起きたくないのだ。起き出してみたって何の変化があるわけでもない。

退屈な日常があるだけ。延々と続くだけ。

単に退屈なのではない。どこかでいつも追い立てられているような、自分を横目で監視する冷たい視線にさらされているような、どすんと重苦しい退屈。

静かにゆっくり「退屈」させてくれるような、あたたかい退屈では無い。

胃が、キリキリするような不快な退屈。

・・男たちといる時間は良かった。いつだって、始まって数か月ほどは、ひと月くらいは、いわば蜜月。濃い時間が自分を覆ってくれたものだった。

最後は薄情に去って行ったとしても、思い出は、悪いものばかりではない。楽しいこともあった、あの男も、そして、次に夢中になったあの男も・・・目の焦点を、無理に合わせようとしないで、薄暗い室内にたゆとう煙を感じている、こんな時間が、嫌いなばかりではない。

確かに目覚めていて、確かに現実ではあるが、この部屋に一人でいる限り、自分を脅かすものたちは、近づいて来ない。

みんなみんな、大嫌いなものが多すぎる。ドアの向こうのすべてが耐え難い日が、雑子にはある。

2本の煙草を吸い終えて、コーヒーが欲しいと思った、人を呼ぶリンに触れようとした、その時。

ドアに、遠慮がちなノックの音が響いた。

バイコだ。バイコのノックだ。

どうしてバイコがこの時間、家にいるのだろう。雑子は、アタマと目玉を、同時にぐるぐるさせた。

日曜日なのか・・・。

日曜日にはあの子は、家にいる。一人でいる。時には半日、ノートに文字を書き写している。何十枚も習字を重ねていることもある。そういう風にしている時は手がかからなくていいのだが、飽きてしまって、こんな風に自分の部屋をノックして来たりすると・・・

イラつく気持ちのままに雑子は、目の前のテーブルを、ライターの角で叩いた。強くたたいて、入ってもいいと、音によって許可を与えたつもりだ。

やはりバイコだった。目を伏せて入って来る。からだを横にユラユラさせながら。この子は、母親である自分の前に出ると、体の硬直感や揺れ感が増す。雑子にはそれも、忌まわしい気がする。

アカンボウノコロカラジブンヲミナイコダッタ。

しかしその子は今朝、先日買い求めたばかりのワンピースを着け、髪をきれいに束ねられて、小奇麗な身なりである。

昨日は美容師が来ていたのか。知らなかった。命じておいた形にカットされている。バイコの美容師には人を通して言いつけて、流行を取り入れてやっている。

主に前髪の問題なのだが、夫はしばしば、もう少し短めにしてあげたら、などと、わかりもしない癖に口を出す。目に入るんじゃないの、とか。

バイコが、父親のそんな態度に、うつむいて嬉しげにうなずいたりするのが視界の隅に入ったりすると、雑子は無性に腹が立つ。

お前に、何がわかるというのだ。夫をなじってやりたい衝動に駆られる。

バイコのことが。バイコの髪型や服装やアクセサリーや靴やバッグのことが、いったい、お前に、何がわかると言うのだ。

何をしてもどうしても、すべて、私が悪いとされるのに、そんなことが本当にはわかってもいないのに。

いちいちこれがあれがとは言わない、が、すべて悪いのは私。そうされてしまう。バイコのママ友が教えてくれるように、妹がアドバイスしてくれるように、バイコを思うあまりにしてやることの、総てを、自分は、拒否されている。その苛立たしさを、どうすることもできない。

怒鳴りつければ夫は黙る。懲りないでまた、口を出して来る。

なにもわかっちゃいない癖に。腹の立つことばかりが、目覚めたとたん自分に降りかかって来る。そう、雑子は感じ続けている。理不尽だ。

中でも最悪なのが、バイコが、普通の子どもよりゆっくりしているという、そのこと。


何もかも「こんなはずではなかった」ことばかりの結婚。詐欺にあったような結婚。何一つ自由にならず、何をしても言っても笑われた。けなされた。祖父の、仕事上のことも私のせいのように言われた。父は、私の結婚のおかげで立身の道が立ったように嫉妬されたが、とんでもない、最も望んだ地位には就けなかった。なぜか。公平を保つべき旧家の外戚に、その地位はふさわしくない、だと。

バカみたい。旧家だとか立派な家とか言うけど、内情は辛気臭い、うっとうしい、白いご飯も食べないのは驚きだった。雑穀を混ぜて食べる人間を、初めて見た。それが、夫の両親だとは。それだけではない。

外食をしない、美味しいものを運ばせることもしない。

実家では、寿司や鰻を頻繁にとった。母は父の補佐として多忙だったし、いったん台所を汚すと長い間不快だ。それに、自分も妹たちも、味の定まった名店の味を好んだ。大好きなピザだって、自宅では作ることは不可能だ。合理的でない。

結婚当時、夫のためにどんな料理をするかと問われて答えられなかった。

私が、料理を、するかって? 。

冗談ではない。

そういうことを、しなくてもいい結婚を、わたしは、したのだ。


形を守ることがつとめだとか、全く理解できない。こんなに面倒くさいなんて知らなかった。

夫。あの男に、私は、騙されたようなものだわ。

特性を生かせますよ。あなたにしか出来ない社交があります。私をたすけて下さい。

いけしゃあしゃあと、言いたい放題言ってくれたものだわ。

私の値打ちを知っての言葉だったはずじゃない、あれって。

私の出た(出てないけど、細かいことはいいじゃない。日本では大学は、出たことより入ったことが重要視されるはずよね)学校の特別性。とにかくブランド名。それが大事。

私がいた職場の特別性。省から派遣されて行ってあげたオックス大が、尊大過ぎて、ワタシの有能性を認めようとしなかったせいで、がいこうかんにはなれなかったけど。

トレンチコートにブリーフケース、ばっちりバリキャリ・ルックで省へ通っていたのよ、同じようなものよ。「官」でも「員」でも。一般ピープルには見分けなんかつきはしないわ。どこだって私のこと外交「官」と書いていたじゃないの。

みんな、世の中のヒトって、夢を見たがるものなのよ。私を、実際以上に「いいもの」に見せてあげたてことって、精神的にホドコシてあげたみたいなものよ。やっぱりね~、さすがね~、って、喜んでいたじゃない、あの頃は。

・・・今は・・・今だって私のネウチには変化なし。オトウサマもあの頃よりえらくなっていらっしゃるし。

夏の避暑地で、どんだけ何年、同じ麦わら帽かぶってらっしゃるんだかわからないような、せこいっていうか・・・う~ん、アノカタのことはいいわ。とにかく、うちの、実家の、わたしの方の父は、いつもいいモノ着てるし。それ大事なことよね。何より見かけが大事、ブランド品でなければ人前に出るカチ無いわ。うちはそういう家風。しみったれたことは嫌い。

ダマサレたわ・・・。やられたわ・・・。

言ってみればあそこでは、省では、相手など、よりどりみどりだったはず(あくまで・はず。まあいいわそんなの)。今の夫は、自分が地味だからよね、華やかな派手な顔立ちが好きだって聞いてたわ、当時、私以外にそんな女、いなかったし。夫のタイプに合う女なら、着物なんか似合うわけがないじゃないの。お雛さんみたいなオンナには飽き飽きだったんでしょ。それなのに、それで私は、責められているんだわ。不条理よ。人権迫害、人権無視の極みだわ。だから私は、国連大学へ通い始めたの。いずれ告発してやる時のために。でもそれも、邪魔されたのだわ。私の自由も人権も、根こそぎ、許さない勢力が存在します。

それだけじゃない。

子ども。ともかく一番大切なことは、子を生むことだって。目の前真っ白になったわ。この、現代の先進国で、私のような(いうのは控えますが言いたいことはお判りよね?)人間の最大の仕事が「子産み」だって。訴えてやりたかったわ。侮辱だわ、女性の人権の侵害だわ。

それなのに、このことでは、実家の父も母も。もっともだって言った・・・その通りだと。そのために結婚させる作戦を立て、実行したのだと。

孤独だったわ私。誰もわかってくれない。夫はへらへらしているし。子ども、いいですね~とか、人の気も知らないで。おんぶして山へ連れて行きたい、なんて。絶望した。

他の女でない、私だけに課せられた、惨い酷い義務。何よりも子を生めと。そんなものがあった・・・。

3年間は子どもを産むつもりは無かった。夫の約束通り、あちこち外交してまわるつもりだった。それを、とんでもないと断言された。

義理の父が私に、待っていますよ、と言った時には逆上するしかなかった。舅にそんなプライベートなこと、言われる筋合いは無い。主治医は私に、基礎体温表をつけて渡せと、信じがたいことを要求して来た。断ったわ。診察を拒否して辞めさせてやった。当然よ。

   
・・・実家の親も、私を理解しようとしなかったわ。さんざんお膳立てして、悪いようにはしないからって、あっちこっちで夫と顔を合わせるように機会を作って。私のためだって。私の幸せのためだって。結婚を勧めて、次は、世界を回ってもいないのに、子を生めだと。

父も母も、このことだけは妥協しなかった。悔しかった。

約束の、予算を度外視してのショッピングさえ、まともに自由にできなかったのに、そんなことだけ押し付けられて。

私の意思や意志や人権はどうなるの。外へ出れば、頭の痛いときでも眠い時でも、わんわん名前を呼ばれて、手を振ったり笑ったりの義務がびっしり要求されるし。

踏んだり蹴ったりだった。でも仕方ない、産もうか、と、やっと思っても今度は、ちっともそうならなかった。

最後は意地になった。子どもさえ生めば、後は、したい放題のごほうびがあるって、囁く人もいたし。救いだったわその言葉が。

生みさえすれば、育てるのはしなくていい、おむつも変えたりしなくていいって。それならって、頑張って。

きっと、世の中の女で一番、頑張って私は、子どもを生んだと思うわ。

その子が、バイコ。

今、私を見ようともしないで、モジモジと立ち尽くしている、この子。




この子は私の何なのだろう。

雑子は、このところいっそう背丈の増したわが子を、再び煙を吐き出しながら眺めた。

夫は、バイコがいるところでは、と、凝りもせず言う。

バイコの前では煙草を吸わないでやってくれないか、と。

何を言う。と、雑子は思う。いらいらと思う。

この部屋は私の部屋。そこへ、バイコが入って来た。それだけのことじゃないの。

「どうしたの、バイちゃん」

それでも雑子は、火をつけたばかりの煙草をもみ消す心遣いを見せて、一人娘に向き直った。

「あの」

バイコは、もごもごと何か言おうとする。横目で自分を見る。この癖が治らない。

「何なの」

雑子は覆い被せるように言葉を放つ。

あの。あの。バイコが懸命に何かを伝える言葉を放とうとする。

「きちんと言わないとわからないじゃないの」

大声が出た。バイコの肩がぴくっと震える。ああ、うん。

結局、何かを伝えることもしないまま、バイコは部屋を出て行った。

疲れた。雑子は思った。

凄まじい疲労感が全身を包む。

顔を洗うはずだったのに。服を着替えるつもりだったのに。

何もしたくなくなった。

立ちあがって雑子は、ベッドまで歩いた。ど~~んと倒れてみた。

夫は何をしているのだろう。今日はどこへ行ったのか。あれは、決められたことは、しているようだ。私には関係ない。

もう少し寝ようか。午後3時。

・・・お腹が空いた。空腹であることに気付いた。気付いてしまうと。どうしようもないほどに、飢餓感を払拭したい思いに駆られた。

何か食べよう。雑子は胸を躍らせた。

いま、ここで、このタイミングで、何か食べたら、気が晴れるかも知れない。そうだわそうしよう。何かを、お腹いっぱい食べよう。

久しぶりに生きている実感に巡り合える心地になって、雑子は微笑んだ。

何を食べよう。

雑子の、今日の煩悶が始まった。

                                      続く・・・たぶん。

少しですが皇太子さんのご公務の話題です。


皇太子さまは23日、東京都新宿区の学習院女子大学で、

「中世史料への誘(いざな)い~学習院大学史料館にある西園寺家文書を読む~」と題した講義を行われた。

学習院女子大での講義は今回が10回目で、国際文化交流学部の学生や大学院生ら約160人が聴講した。

同史料館の客員研究員である皇太子さまは、貴族の「西園寺家」に伝わる文書について説明された。

冒頭には、講義内容を選んだ理由について、

昨春、学習院初等科に通われている長女愛子さまの社会科の授業参観をした際、

「教科書や本などの記述のもとになっている歴史の史料を題材にしてお話ししてみてはどうだろうかという考えが頭をよぎりました」と話された。


そうです。さすが、お子さまの参観に出向かれても、ご自身のお仕事(学習院大学資料館の客員研究員)を意識しておられるのですね。ほお。ご立派。

ワタクシなぞはつい、西園寺家に伝わる文書って・・・まさか、それを欲しがったりするヒトがいたりして、そのために西園寺家だかの貴重だと思われる文書が、宙を舞ってどこかへ紛れたりなど、するわけないよね。

なんぞ。チジに心が乱れたりなんぞ、してしまう訳ですわ。シモジモの、カナシキ条件反射。け。








 


 「ざつこちゃんのけっしん。そのⅠ」

           イメージ短歌  「御所で取るデリバリーピザ弱点はやはりチーズが冷めてることね」

                                     作・何茶手くおん

ざつこちゃんのお口は、たべるためにあります。いま50さいですが、5さいのころからそうでした。

ざつこちゃんのかこを、あさ~く、ふりかえってみましょう。


おかあさんは、あまり、おりょうりをしません。ようちえんへ行くようになっておどろいたのですが、おともだちのおかあさんは、あさごはんもばんのごはんも、じぶんでおつくりになるそうなのです。ごはんやおみおつけや、おにくやさかな、おやさいとか、いろいろ、おりょうりして、おさらや小ばちによそって、かぞくがみなで、せきにおつきになります。そう、言っているこがいて、びっくりしました。

そして、いただきます、とか言って、いっしょにおしょくじということをするそうなのです。

ほんとうにおどろきました。ざつこちゃんのおうちでは、おかあさんはおかずをつくりません。マーケットへいって、コロッケややいたサケや、じゃがいものサラダなどをかってこられて、しょくたくにならべます。それで、おなかのすいた人はたべます。おとうさんがぐずぐずしていたら、あとでたべたいということです。おかあさんはそう言って、ほうっておいてさっさとかじをなさいます。

かじって、たいへんなのだそうです。

いえには、かじばかりするやくめの人がいたのですが、なんにんもいたのですが、すぐに出ていってしまいます。がまんがたりないのだと、ざつこちゃんはおもいます。やとってあげたのに、おんしらずだとおもいます。おばあちゃんが、そう、おっしゃっていました。

しょみんなんて、おんしらずばっかり。ちょっときにしてやったらすぐ、つけあがってくる。もんく言うしかしらないんだよ。おじいちゃんがそれで、おしごとで、どんなくるしいおもいをなさったか、と、おばあちゃんは、しょみんがみんな、だいきらいなのだそうです。あつかましくてかんしゃをしらない。人のこういはあたりまえで、もっともっととせびりにくるんですって。

いやなもののきがするわ、しょみんって。ざつこちゃんはおもいました。

「ねえ、ざつこは、しょみんじゃないの?」

ある日、ざつこちゃんはおばあちゃんに、たずねてみました。そうですとも、と、おばあちゃんはおっしゃいました。

「あなたのおとうさんは、きっと、もっと、しゅっせする。えらくなります。それをみこんで、ほんとはとうだいでてるだけでは足りないものだらけだったんだけど、大ばくちするきでね。

かんぺきにしつけもきょういくもほどこして、だれにみせてもはずかしくないむすめにそだてた、ざつこのおかあさんと、けっこんさせたのですもの。ざつこはいつか、よそのだれよりりっぱなおかねもちとけっこんするの。なみのもんじゃないわ。おひめさまかおうじょさまみたいなけっこんをするのよ。だからね」

おとうさんのおっしゃることを、いつでもきいて、おかあさんがこれがいい、ということを、そのままきいて、なにもかんがえないことよ。よけいなちえがまわると、よくないことになります。がっこうもおしごともけっこんも、おやのいうこときいてたらまちがいはない。」

そのときおばあちゃんは、ばかでもたりなくても、そうしていたらウマくゆく、とか、ざつこちゃんにはわからないことを、もごもごとおっしゃったのでしたが、ふりむいてもどったら、すぐにわすれてしまいました。

あ。そうでした。しょくじのはなしでした。

ざつこちゃんにはふたごのいもうとがいるんです。いもうとたちは、いすにすわらせてほうっておくと、いすからころげたりして、おとうさまがそういう、おちるような子を拾ってあげるのがじぶんにはふさわしくないざつようなので、おきらいなので、ゆかの上でたべさせます。しんぶんしをしいて、そこでたべます。

ゆかにおいて、たべものをまえにおいてやると、手でつまんでたべます。

だらだらこぼれたりしますが、あとで、しんぶんしのはしっこで口をふいて、そのままこぼれたものもあつめて、すててしまいます。ごうりてきなやりかた、なのだそうです。

おとうさんは、おさしみをめしあがるときに、かってきたおさしみの入っている竹でつくったおさらにおしょうゆをおかけになるので、テーブルにおしょうゆがしみ出てきたりすると、おかあさんは、チッとしたをならして、てのひらでザッとふいて、手をあらってきて、もうこぼさないで、とかおっしゃいます。おとうさんは「ん」と言います。

たべものを、おさらや小ばちに入れるなんて、あとで、おさらをあらわなくてはならないではありませんか。

ざつこちゃんは、そんなの、ふごうりだし、よそのおうちはおかしいことをするのね、と、おもいました。

ざつこちゃんのおとうさんは、だれよりえらいので、おちゅうげんやおせいぼも、たくさんとどきました。

そういうものは、ごはんのおかずになりました。ハムをぶあつく切って、がぶんがぶんとかぶりつくと、ほかのものなんかたべなくても、おなかがふくれました。ざつこちゃんは、おしたしやおいものたいたのなんか、きらいでした。おとうさんだけはそういうものを、おかあさんがかってきておいておくと、うれしそうにたべていました。おかあさんは、じぶんもかってきた天ぷらやカツがすきなのでたべながら、おとうさんはとかいのヒトじゃないから、と、ふふん、と言っていました。

ざつこちゃんはほんとうは、おかあさんよりおとうさんが、すこしだけたくさんすきなきがしていたのですが、おいもをたべているおとうさんは、すいてあげるわけには行かないわ、と、おもっていました。わたしは、おおきくなったらおうじょさまで、おうじょさまは、ロースハムを丸かじりしてもかっこつくとおもうけど、おいもはね、と、そういうかんがえでした。

いただきもので、いらないものは、がいしょう、とかいうおとこの人や、いつもおさけをはこんでくるおにいさんなどが、もっていったりおかねをはらったりしていました。ざつこちゃんは、いらないものは、だれかに言えば、おかねにかえてくれるのね、と、ひとつ、まなんだきになっていたりしました。

がいこくでもくらしました。がいこくでは、がいこくのかじをするヒトをやとって、くらしていました。

おうちへおきゃくさんが来られることもありました。

その時は、メイドがたくさんつくったりょうりを、おとうさんは、じまんしてわらっていました。

「かないはなにもできないが、はたらいたこともない、おきがるおくさんだが、りょうりだけはましなものをくわせるんだよ、はっはっはっ」

ざつこちゃんは、きげんのいいおとうさんと、まあそんな、とか言って、うっしっしとわらっているおかあさんを、みて、ヒトがいるときにはこうして、なかよしみたいにするのね、と、おぼえて行きました。おかあさんは、人がいるときだけ、おとうさんと、とってもなかよしにしていたのでした。

ざつこちゃんは、いらないことをしなくていいと言われていたので、だれかにあっても、こんにちは、とかこんばんは、とか、言わないでいました。じつはみんな、おとうさまの「ぶか」だとしっていたので、おじぎもしませんでした。

ぶかにおじぎをするのは、むだなことで、ごうりてきでなくかしこくっもないと、すでにわかりかけていました。

おとながわははと笑っているまに、たべたいものはつまんでたべていました。

ふたごのいもうとたちも、よろよろあるきながら、つまさきで立ったりして、てーぶるにあるものに手をのばしていました。さわったものをつかんで、いもうとたちはたべていました。

おきゃくさんたちは、あまり、おたべになりませんでした。

かえったあとで、りょうしんが、めずらしくいっしょに、たべたりのんだりしているのをみて、ざつこちゃんは、けっしんしていました。

わたしも、おとうさんやおかあさんのように、なんだかよくわからないけど、こうやってくらすヒトになろう。

そう、けっしんしていたのでした。

                                          続く。・・・のか?


(おとうさん、とかおとうさま、とか、敬語的表現の混乱及び混在は、表現の真実性を具現せんとの目論見が・・・つまり、わざとです)。でへ。



(動画はあくまでイメージです)。・・・・今日の記事はこれだけです、すみません。用で明日まで留守します。


以下は去年、2013年の春休みの、東宮一家のご静養スキーに費やされた税金です。

皇太子一家のスキー静養2013in奥志賀グランフェニックス

JR利用料金【 2,123,940円 】二百万一千・・・以下略

東京長野グリーン7号車10,460円×52席×2回=1,087,840円  百八万・・・   

東京長野指定席8号車7970円×65席×2回=1,036,100円  百三万・・・ 

2013年3月23日(土)から4月6日(土)満室確認

【ルームチャージ料金のみ 23,190,000円】二千三百万・・・

スタンダード・ツイン21室×38,000円×15日=11,970,000円  千百九十万・・・

デラックス・ツイン6室×43,000円×15日=3,870,000円  三百八十七万・・・

ジュニア・スイート2室×59,000円×15日=1,770,000円  百七十七万・・・

デラックス・スイート3室×64,000円×15日=2,880,000円  二百八十八万・・・

ロイヤル・スイート1室×120,000円×15日=1,800,000円  百八十万・・・

和室2室×30,000円×15日=900,000円  九十万・・・

キャンセル料1ヶ月前20% 2週間前30% 前日60% 当日100%

警備費用長野県負担   100000000円。  【1億円】



今年も3月20日から、同じホテルがすべて貸切にされているとか。

・・・何を言う気力もありません・・・ってか。

これ、いいんでしょうか。去年もワーワー、一部で怒り吼え、していました。でもあの人たち平気だったし。

どこからも「メッ」されなかったみたいですし。んで、今年も、静養に、行くわよ~。滑るわよ~。

女性週刊誌などが「公務復活」とか、お尻に火がついてイヤイヤ出て来るようになっているのを、持ち上げまくっていたけど、

・・・とか、あちこち調べていて、質の最悪な豚肉の脂身を、望まないのにぐっちゃり食べてしまった不快感。

絶望感。胸焼け。ぐええ。ごめんあそばせ。

秋篠宮ご一家の、職員さんがたへのお給料、ご公務の際の旅費いっさい、光熱費も生活に必要なお金も、去年からは未来の天皇陛下、悠仁親王殿下の小学校のかかりを、秋篠宮家はご自分たちでお出しになると言明、実行されておいでです。公務に召されるお洋服の費用も髪にのお手入れに要る費用もすべて、込みで、6千万円ほどだとか。

東宮家では公務にかかる費用その他も交通費も愛子さんの「育つためのお金」も、ぜ~んぶ、別口。愛子さんの、必要な経費以外のいわばお小遣いみたいな分が、5000万とか6千万とか。秋篠宮家のすべての一年間に。スワロフスキーとかグッチとか、ミキモトペンダントとか、罰当たりなブランド品、そら、買えますね。

で、3人がスキーに行って遊ぶためのお金が、上記です。

気の毒なことに、来られてしまった都道府県では、東宮の3ばかを警護するための費用を、その県が負担しなければならない。

その費用が、去年は、100000000円。一億円だったそうです。

もうほんとに、何とも言えません。何が「被災地にこころを寄せている」だ。

神罰が下って、そんな虚しいことも言えないようになればいい。

などとすら、思うのみでない、書いてしまう。

なんであれら、平気なのか。なんで許されているのか。このホテルしかも、いわく因縁つきのホテルです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で。気を取り直すためにも、わはっと笑える消化剤、いいぞいいぞ~っとヤンヤヤンヤ、できるものが必要な、うちら舐められ放しのコクミンたち。

Sさんの、そりゃあナイスな ↓ ご紹介させていただきます。

ナイスです。まこと。


「想像してみました」


「あ、せんせ? ワタクシ雅子です。

妃殿下、お久しぶりでございます。

今年もヨロシク~。

え? 今年も、ですか?

ええ、そうよ。

でも・・・。

ネットチェックをしていると、祭祀をしろとか被災地に行けとか、ほんとうにウザいの。

はあ・・・。

だから、おとーさんは祭祀のこと、ワタクシは被災地訪問を詠むことにしたわ。

はあ・・・。

長い時間居たわけじゃないからよく覚えていないんだけど、釜石とかいう海が見える所に行ったの。

そうですか。

シモジモの国民にも、ワタクシが被災地に慰問に行った!ということがわかるようにお願いね。

でも・・・。

幾つかつくってちょうだい、あとはワタクシがテキトーに選びますから。

はあ・・・。

あ、もうピザが届く時間だわ、それじゃ。

あの。

え?

いつまでこのような・・・。

だいじょうぶよ、ワタクシが皇后になったら歌会始なんてやめるから。

そんな!」

以上は、限りなく事実に近いと思われる、まったくの想像です~。


拍手、ぱちぱち~。ほんと腹の立つ厚顔妃。ヒトモドキ。居座りザツコ。


そして。



「心臓を捧げよ田母神俊雄、東京そして日本の未来のために。」

「たとえわが身亡びるとも、国の亡び許さじ」


細かいことは私には解らない。絶対に一直線に間違いの無いものなんて、赤ちゃんの笑顔くらいしか思い浮かばない。

是々非々という言葉を思う。BBさんも書いておられるが、ベストは無い。多分。残念だが。では、ベターを目指す。目指すしかない。

日本が好きです。大切です。皇室を認めないものどもに、何のシンパシーを抱けましょうか。

都民でないから何も言えない。そんなこと言わないで下さい。政治音痴な私にも解る、感じる。

田母神俊雄さんという方の、国を守らん気概のお言葉に嘘の無いことを。

「戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。」

そうとも仰っている。どうやって戦えるか。何の力も持たない身。しかし、こうして書くこと書き続けることが(リキンでいてほんとうに恥ずかしくはあるのですが)、わたしにできる闘いであると、信じたい。

信じます。

・・・コメントありがとうございます、お返事は夜、ゆっくりと・・・。






雅子氏のうたは、誰かさんがそれらしく作ったものを、何首かの中から、これ、と、つまみ上げたもの。

あまり上手でないようにプロの手で仕上げられて。

高円家の長女さんの一首は、例えに出して申し訳ないですが、ご本人が元の部分を首ひねりながらでも「作ってみた」感があります。あのシュールさは、本人でないと出せない感がある。これは私感ですが。



雅子氏の歌会始の儀のうたは、そうですらない。

それだけの「努力」すらしない、ということ。

晴れているような黒い雲の被さって来るような。きーんと空気の冷たい冬のお天気です。

19年前のあの日の今朝早く、大地が激しく揺れました。奈良では震度4だったと聞いていますが、そうとは思えないとにかく長い揺れでした。布団の中で天井に向いて目を見開いたまま動きだせず、まだ揺れてる、まだ揺れてる、と、なすすべの無い自分でした。当時営んでいた、小さな綺麗な壊れやすいモノばかりの小店。かつて都びとたちも行き交ったあたりの、1000年以上も道筋の変化の無い強固な地盤の上に建つ建物はさすが強靭なものであって、店の内部の直接の被害はほとんどありませんでしたが、それまでのように、儚い割れやすいモノを手に取って愛でる雰囲気は、地震以来霧消した気がします。互いに出入りしていた古代オリエントのロマンを伝える貴重な骨董物たちの店もほどなく閉じられました。店主の、芦屋にあった自宅と蔵が壊滅的な状態となり、異国の店主は、傷心を抱いて故国へ帰られたのでした。それでも奈良人私は、地震の被害には遥かに遠かった。周囲のさまざまな辛い話は抱いたままでいるけれど、なにということは無い。地震の後に、何度も何度も大好きな神戸へ行きました。まだあちこちと歩き回れる頑丈な脚が、当時は、動いてくれていた。・・・好きだった小道、白いペンキを塗り重ねたフランス窓、何もかも捨ててこんな小さなアパートで暮らしてみたいと、ふいと本気で夢想した、古い赤レンガの、ドアの厚い二階建ての壁にからまっていた、蔦の、あの、それらのなにもかもが失われていた。

そこで暮らしていた人々。体が、いのちが、思いが、しあわせや明日や、写真たちも。たくさん失われた。

どこにその町が、建物があったのか、さっぱりわからなくなっていました。


誰にとっても心の締め付けられるような冬でした。親友の息子は、それまでのやんちゃ仲間とタッグを組んでオンボロのバンを手に入れて、手に入る物なんでも、タオルでも紙おむつでも飲料でも時には寸胴鍋いっぱいの関東炊きでも。頭を下げて集め回って、遠回りしながら何度でも何か月も、運んでいた。届けていた。行かない日にはバイトに励んで、回せるお金を作ろうとしていた。焼き芋を一本1000円で売るヤツがいるんだと、腹が立つけどケンカはできないからと、悔し泣きをしていた。娘たちも、載せてもらってぎゅうぎゅう詰めで(車の数を抑えて)物資を運んで、おまわりさんに停められて叱られて、でも、頑張ってと言ってくれたと、帰って来てからまた、何でもいいからとお届けする物資を、あの頃は携帯もメールもスマホも無かったけど、頼み続けていた。お金より物が要った、あの、すぐの時には。皆がそれぞれ、心を向けたかった冬だったと思います。

あの震災の直後に、新婚だった皇太子夫婦は、中東訪問を強行しました。

ナルさんには、ためらいがおありだったそうです。しかし「外務省の強い依頼」があったとのことで。「石油が大事なので」とかで、行った。石油は勿論大事でしょうが、ものごとにはケース・バイ・ケースがある。はず。雅子さんは行きたかったのですね。中東にお詳しいそうだし。

夫婦はかの国で、ラクダレースに興じられ・・・普通に表現すると、大笑いしながら楽しんだ・・・そして雅子妃殿下は、真っ赤なドレスに純白のショール。まさにめでたい紅白の衣装で、公の席に出ておられた。あれを着こなせる日本女性は珍しい。よく御存じだったのでしょう。お似合いでした。不謹慎でした。

お国が大変そうです、やっぱりお帰りになったら、とか、あちらのお勧めで帰国して、結局中東へは、その後もう一度、行ったのでしたか。ナルさんは、震災のせいで死海が見られなくて残念、だったらしいし。

帰国する雅子氏は、露骨に不機嫌な顔を晒していました。

雅どんは、あちらで馬を褒めてしまって、あちらの国のマナーに従って、その馬を贈られてしまった。

馬の名に・・・記憶はあいまいですが、確か「豊」という文字を使っていたみたい

で。お祖父さまが、それを大層お喜びになられたとか。江頭豊が、です。「豊」さんは、孫がお妃になったおかげで、東宮御所をバリアフリーにしてもらったり。お幸せな晩年だったようです。

・・・・・などということを、今朝からぼんやり考えていました。

19年たっても、実際に被害に遭った方々には忘れられないことでしょう。どんなことも、2年や3年でどうかなることは無い。

岩手や宮城や福島や・・・茨城県の知人たちも、まだ当然、抜けてはおられません。底の方では。

私などが想像もつかないような言葉や風景にも、痛く反応してしまわれるのを見ると、いいかげんな言動はなあ、と、つくづく、感じます。

・・・・・そういう思いを、同じくされる方々だと思います、最近いただいたコメントから、一緒や、そうやああ、と、同調のオタケビを上げてしまった言葉たちを、もう一度読み直させていただきました。読ませてもらってのKUONのつぶやきを、青い文字で、入れさせてもらいました。KUONを「さま」と呼んで下さっている部分は、恥ずかしいので取りました。お許しを。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり   雅子「妃」歌会始のうた


「ぱっと見はミスもないのですが、やはりマサゴンの人間性を思うにつけ、「偽善者」ぶってるような、嘘臭さを感じてしまいます。
まあ…とにかくおっしゃる通り、マサゴンがあの長時間きりりと座ってられるはずがないですね。東宮御所であぐらかきながら、「くだらない~。ナルったらよくもまーあんなしゃちほこばってられるもんだわね。なぁーんであんなにゆっくりゆっくり吟じるのかしらー。このスピード時代に能率が悪いわー。わたくしには理解できないわっっ。さっさとやれば30分で終わることなのにもったいつけちゃってさ。30分ならあたくしだって出席するのにやぶさかぢゃなくってよ。あたくしがコーゴー様になった暁にはこんな意味不明のイベントなんてなくしちゃって、東宮御所でニューイヤーパーティーしちゃうんだから♪なんて言ってるに違いない(笑)。伝統というものも含蓄というものも理解しようとしないマサゴンは皇室にはそぐわない。いてはならない。
想像でものを言ってはいけないのは重々承知してます。でも、そーゆー想像が成り立ってしまうのは、やはりマサゴンの日頃の振る舞いゆえ。
何か1つでもいい。皇室に居座るのなら(全力拒否だけど)、せめて何かひとつ、国民に、自分を信頼させ得る誠意、努力、姿を示して欲しいです。
愛子のしつけでもいい、ダイエットでもいい、公共の場での私語を控えることでもいい、日本語の勉強でもいい、節約でもいい、何かひとつ…。(うー…自分で書いてて情けなくなってきた)」by・Eさん。

全力で同感でございますわ!。

「ほんとですよね。なんて勿体無いんでしょう。
最上のお席が用意されていて、そこへ向かって研鑽出来る機会が与えられている、その素晴らしさに気が付かないなんて。」by・Mさん。

この方は歌会始を、威儀を正す感じでご覧になっておられる・・・今年のみでなく・・・方のようです。平安の昔から継承される、日本独自の行事。その場に出て来やがらない(文責・KUON)宝の持ち腐れ妃。に真珠。豚さんごめんなさい。ザツコに皇室。ほんとに、ザツ子のその貴重な席、空けておくのは勿体ない。消えて。お願いします。と、願う。

「長男嫁の歌は(自作でなければさらに)あざとい、それだけです。」by・Sさん。

ただ一行ですが、どんぴしゃ、それです。あざとい。でもまあ、うたのセンセを擁護する気も無いですが、元がもう、どうしようもなかったのでは、と。だって、

「海は静かに水たたへたり」って。・・・海は。水をたたえておるものです。その海が荒れ狂ったのです。いろんなものを破壊し、浚って行った。  今日見る海が、嘘のように静かだとしても、それなら「水たたえをり」と、通常なら、そんな形に収めると思う。でもザツコ氏は、人にまともな提案をされると速攻ツムジが曲がりくねるクセがおありのようでいいえ。あたくし、たたへたり、と申しておりますのよ・・・でなく・・・「たたへたり」しかないじゃん、あんたあたしになにさからうつもり??とか、なる、のではないか、と・・・あくまで妄想ですが・・・とにかく、結果的にあざとい。ほんと、生理的にイヤ。イヤ!。で。


「厚顔夫人の「作品」ですけど、薄ら寒い思いです。

悲しみだと?
そんなことをお前が言うな!
悲しみ、絶望、苦しみ…
まさに生き地獄の最中、わずか1ヶ月後にあんたら何してた?
よりによって【お楽しみ】会してただろうがっ!

あちらこちらで物資が不足し、様々なイベントが自粛され、節電に従い、国民総自粛をしていたその頃に、あんたら互いにカメラ持って御所で【お楽しみ】会してはしゃいでいたんだろ?
被災者が絶望に打ち拉がれている最中、あんたら【お楽しみ】会して笑っていたんだろ?

それが今さら何?
恥ずかしい程の前宣伝で東北一泊したからって何?
両陛下だって秋篠宮さまだって粛々と慰問を重ねてるよ?
いつ洗ったんだかわからないキッタネー髪を振り乱して味噌屋に味噌つけて、疲弊仕切った被災者の方々にワッペンつけて、そんで「あたくしココロよせてマス」だと?

その輝かしい公務の成果を歌にも残さなきゃ♪って発想に反吐が出る。

炎天下の浜辺に2時間突っ立っている体力あるくせに、オランダまで渡航出来る体力あるくせに、公務となると体力温存。
ふざけるのも大概にしろっ!

伊勢神宮に参拝しろとか祭祀しろとか怒りの声があちこちから出ているけど
一切しなくて結構!
汚らわしい!

歌会始に歌だけ出したり
誕生日に文書だけ出したり、そんなポーズもいらないし。

さっさと出ていけ。
ただそれだけ。

歯茎トカゲと一緒に準皇族を気取って余生を過ごせばいい。

20年も皇室に身を置きながら何一つ成果なく、もはや金と時間の無駄。

何の価値もないあの女ひとりのために日本の伝統を壊されるのはもうたくさんです。」
by・Aさん。

付け足すことなど何も無く、あえて言えばそうだそうだの大合唱となるしかない、この、日本国民としての人間としての絶唱、悲唱には、Eさんのかかるコメもついております。

「コメントを繰り返し拝読し、全くその通りだと思いました。本当に被災地の惨状に痛めるのなら、お楽しみ会なんて開けないはずです。何も体調不良(かどうかは?ですが)を圧してまで被災地に出向かなくていいんです。でも、あの時、日本中が悲しみに暮れ、何かできないだろうかともどかしい思いをしていた時期に、お楽しみ会を開くなんて、頭がおかしいとしか言えません。悪びれることすらなく、平然としていられる無神経さを全国民にさらしておいて、どの面下げて「悲しい」だの「いつも被災地に心を寄せております」だの言えるのか。
マザコンに直接この思いをぶつけてみたいです。言い訳なんてできないはずですよね。
なんかもーほんとにいてもたってもいられない気持ちです。時間は確実に流れています。間違ってもあのバカップルが即位することなどないようにする方法が知りたいです。」by・Eさん。

決定的な思い。あれらには、心なんか、無い。無い。


「それにしても浩宮と雅子さんのうたは何故不快なのか。その内容にご自分たちの経験や感じられたことが反映されてないから。上っ面だけだと感じられるからでしょう。」by・Hさん。

上っ面だけ、だからです。きっとそうだから。だから、唯一「心を寄せて」いそうなお子さんの、実際の姿も見ようとしない、見ない、見えない。自分の都合のいい妄想だけをわが子に被せて。慈しむことは無い。私にはそう見えます、誰があのお子さんに、本当に優しい柔らかい指で触れているだろうかと。
それもうたも、根っこは同じ。悲しいくらい空虚。実の無い空っぽの果実(もどき)。学歴捏造も継ぎ接ぎだらけの「拾い墓」に、手首突っ立てて念珠も持たず拝するフリの墓参も、すべて根は同じ。上っ面をセメントで固めて良しとする、不可思議な(でも実を知れば納得の)在り方。

皇室にも普通の日本人の社会にもそぐわない。そぐわないから多分、見ているさえ今は苦痛・・・ではないでしょうか。


「宮中の神事儀式とそら聞けば体調の波静かに来たる」by・Pさん。

けけけ。おもしろ~い。楽しい。すてきですよ。

添削なんておこがましいこと出来ません、必要も無いです。リズムも整っていて、まこと、知らん顔していてユーモラスで。「来たる」って、超・高学歴の妃殿下ざま~より、文法も正確でございますわ。読んで笑って、いままた笑ってます。ええや~ん、って。とぼけた感じでね。また見せて下さい。


・・・きょうはこれにておしまいとさせて頂きます。皆さま、いつも本当にありがとうございます。

NHKのトンデモについて秘密コメントを下さっている方、何かきちんと考えますね!。少しお待ち願いますね。BBさんは早速、記事にして下さったのですね。




歌会始の儀、当日の昨日は、言いたいことを抑える良い子のわたくしでした(自分で言うか)。

一般の部で選ばれた方々にとっては、何回目の方もおられましたけれど、、慶びの日、生涯忘れ得ぬ幸せの日、ハレの日であられたでしょう。うたを心の支えにしている方は多いのです。

雅子とかいう存在への腹立ちも抑えようと。少ない自制心を昨日はかき集めていたのでした。


歌会始にさきがけて陛下が発表された水俣のおうたに触れたいです。

  水俣を訪れて

   患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし

この御製です。

「患ひの元 知れずして」と、陛下はお詠みになられました。知らずして、ではない。知れずして。

今では「水俣病」と一口に言い、呼び、どうしてそれが起こったか何が原因だったか、など明らかにされています。少しずつ力になってくれる人々が現れ、一人ぼっちではないと感じることも、おできになったことでしょう。

でも当初は。

まず、猫が踊るようになった。海辺の村の猫は、人間をあてにしないでもふんだんに浜に落ちている魚を食べて暮らしていた。成猫の体重は、3キロとかせいぜい5~6キロとか、そんなものでしょう。その体の小さな猫を、チッソの会社が海へ垂れ流す有機水銀が襲った。人々ははじめ、疑うより、おかしいものを見る気持ちで、笑っていたと言います。

そのうち、人間の体に、さまざまな症状が出て来た。人々は不安になりましたが、原因をチッソに当てはめることはしなかった。漁民もいれば、チッソの会社で禄を食む者もいた。

水俣の猫が「踊り」始めてから、若い主婦や少年や漁師や、さまざまな人々がそれまでに無かった恐ろしい症状に苦しむまで。そして「生まれた日が発病の日」と云われる胎児性の患者が増えてゆくまで、どれだけの歳月があったか。

原因が特定されても、認められなかった歳月も。

「貧乏人が腐った魚を食べて病気になった」

「ど庶民が何を言うか」

途中からチッソのトップとして来た江頭豊が、そういった暴言を吐くようになるまで、どれだけの苦しい歳月があったか。江頭に縋りついて、亡くした身内について訴えることができるまでに、どれだけの歳月を要したか。

・・・ともかく。

歩けなくなったり目が見えなくなったり。そんな症状が出始めても、どうすることも出来なかった。なぜ、こんな風になるか、初めは誰にもわからなかったし、胎児のうちに水銀に冒されて、藁ぼうぼうの畳の上に転がされているしかなかった幼い患者たちを、どうしてやることも出来なかった。

・・・陛下が「患ひの元知れずして」と詠まれた、この「れ」の持つ意味。

苦しかったのは体の異変だけではない。わからない原因、理解されない思い、バタバタと倒れる者を見送るしかない絶望。吐き出せないぶつけられない怒り。その全部。すべて。

そういうことへの「れ」。

陛下のこの「れ」がお正月から心に引っかかっていて、

皇室の新年の行事を締める「歌会始の儀」に、出て来もしない雅子「妃」とやらの、

「悲しみも包みこむごと」

なんぞと、きいた風な薄っぺらンの言葉を置いたうたを、テレビで見て聞いて、何とも言えない巨大な怒りで、本当に、自分を抑えきれない感覚をどうしようかと、頭の血管がぶち切れるかと思った。

あんなうた出さんがマシ。十一年前、でいい、今年は、十二年前~と、詠んでおけばよかったんだ、あの、あれは。誰も期待していないから。どうでもいいから、もう。


すみません、一晩ねかされた怒りは、カレーのようには熟成、みたいな効果を示してくれません。

雅子とやらに対する思いが沸騰しております。きっとあれは、そんなん知っても(知らせようも無いが)、に~たに~た。人、皆をバカにして舐めまくって、地獄の底へ今すぐまっすぐ突き落してやりたくなる感情を、わざと煽るかのごとく。

ツラにニヘラ~を貼りつけて。

来年は無いからね、ヒデンカ。おまへのためならうしの刻にまいってもいいとさえ、おもふ。

ミジンコの遠吠え。虚しい・・・くううう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

他の皇族方のおうたを、短く。
 

 〈秋篠宮さま〉

 数多なる人ら集ひし遷御の儀静けさの中御列(ぎよれつ)は進む

・・・あの厳かな夜、凛と歩まれていた殿下。全身から次代を継がれる気配を発しておられました。

皇后陛下の御歌と、妹君の清子様の実質のおつとめと。響き合うおうたと思います。素直な皇族らしい一首で押し付けがましさを感じません、兄ちゃんのあのアピール歌のごとくには。安心感があります。

 〈秋篠宮妃紀子さま〉

 いくつものボビンを子らは繰(く)りながら静かにイドリアレースを編めり

去年、両殿下が訪れられた東欧の国。

イドリアレース、という言葉の異国性・・・エキゾティシズムが快く、そして殿下はこの旅で、同じく水銀のもたらす災厄に苦しまれるに触れて・・・水俣、の名を、お出しになられた。

陛下と殿下のおうたは、歌会始の場で大きくつながっておられました。この一首には、紀子妃殿下の静かな、本物の慈愛の視線がくっきりと感じられます。

 〈秋篠宮家長女眞子さま〉

 新雪の降りし英国の朝の道静けさ響くごとくありけり

この一首です。私は魅かれました。

一読、清冽な雪の音を聞いた気がしました。

「静けさ響くごとくありけり」

新雪の降った朝の、道。静かさが響くようであったと。聞こえない音を聞かれていた、それは響くようであった。

抒情豊かな若々しい感性。って言うと、手垢で汚しそうで申し訳ない。日本人の、清澄なものに対する感性が豊かな方と思い、嬉しかったです。イギリス、でなく、英国、というのもいいな。同じ意味でも言葉の選び方は大きい。

私の好きな白秋の「君送る朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ」に通うものを感じました。

眞子さまのこれからのおうたが、とても楽しみです。


 〈常陸宮妃華子さま〉

 秋祭(あきまつり)君の挨拶を聞かむとし子供神輿の子らは静まる

宮妃として、変わらず常陸宮殿下を立てつづけてこられた華子妃。そのお姿そのままのおうたで、でも、いったん事あれば、先日の、彬子女王が倒れられた時のように、真っ先に行動される宮妃の、華子さま。いつも温かいおうたです。


 〈三笠宮妃百合子さま〉

 思ひきや白寿の君と共にありてかくも静けき日々送るとは

百合子さまの去年の気迫の籠ったおうた・・・

今年は、思ひきや、とは、思いもしなかった、という意味でしょう。
若い頃に経験されたあれこれ、み子の逆縁に二度も遭っておられるご老境。

かくも静けき・・・こんなにも静かな、とお詠みなのが、読む者に安心を与えて下さいます。

 〈寛仁親王妃信子さま〉

 わが君と過ごせし日々を想ひつつ静かにながるるときありがたき

これは信子さまの性格の良さが(失礼な申しようですが)如実に顕れた一首と思います。 それだけでなく、思いやりも感じます。やはりお育ちは大切、とか、思った私。

 〈寛仁親王長女彬子さま〉

 夏の夜に子らと集ひし大社(おほやしろ)静寂(しじま)の中に鈴の音聞きぬ

昨日触れさせてもたいましたが。抒情というより、理論的な方なのでは、と感じました。でも繊細な。

 〈高円宮妃久子さま〉

 灯籠のあかりともれる回廊を心静かに我すすみゆく

このお妃さんが実務に長けたお方であることが、よくわかります。

 〈高円宮家長女承子さま〉

 静けさをやぶる神社の鳥の声日の落ちてよりいづる三日月

承子さん。こういう歌を好む方もおありと思います。チャレンジ精神をたっぷりお持ちの感はあります。絵画的な一首ではあって、絵具は鮮やかな今風のもの。私は面白いと思いました 。重厚とか気品とか、そういったところでは息苦しいだろうな、この方は、と考えます。ひとことで言えば、皇族でないよね、感性は。

 〈高円宮家次女典子さま〉

 かすみゆく草原(くさはら)に立ち眺むればいとど身に沁む静けさのあり

次女さん。「いとど」なんていう言葉は、うたのセンセイが使っているのでしょうが。淋しいのが当たり前に育った女の子のうた、みたいな茫漠とした感あり。要らんこと申しますが、気の合う方と結ばれることがおありなら、普通の社会で、この方なりのシアワセを掴まれる気がします。そんなことを思わせしむる、典子女王のおうたでした。

どうぞ、お幸せになられますように。


(誤りを優しく教えて下さった方、ありがとうございました。ここではお礼のみを!)。

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