KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

G  の日。

ごぶさたしました。

Mさんへの篤いお心にも感謝です、もうどこにもあのお洒落さんな姿はおられませんが、すべてみな、わかっていて下さると、どしんと感じております。ありがとうございます。

今朝は秋篠宮殿下と紀子妃殿下の、睦まじげにお並びの、ゆったりとして風格のあるお姿を拝し、大丈夫だ、との思いを強くしました。

お言葉の中にも希望のようなものを感じました。数日の間に淋しい涙嬉しい涙、いっぱい流れたので、涙腺の、一足早い大掃除になったでしょうか。

天皇皇后両陛下のお発ちになられたのも今日です。



一気に冷え込んで来た国から、暑い大陸インドへ。

両陛下の、12月6日の無事のご帰国を、と書きかけて、さっき読んだ今日の空港での様子が。

・・・葬りもあり月末ですので仕事上のバタバタもあり、数十時間、コウタイシ様やらマサコ様のご尊顔に拝することなくおりました。

ふうどっこいしょ、とパソの前に座り、よっこらしょ、と、自分の開けたい場所を開けて。

ほう、とか、なるほど、の事柄を、パソコンに覚えていてもらっているのですが、そしてその中身が整理されていないので、欲しい時に欲しい情報が無いというアホなことを繰り返しているのですが・・・前置き長いですね、つまり、とーぐーご夫妻のお顔を、数十時間ぶりに見て、新鮮な・・・

げんなり。がっかり。げっそり。

から始まる感情の幾つかを、まとめて味わうハメに陥りました。わかってはいたのですが。これらについてはまた、がりがりと書かせていただこうと思います。

皇太子ご夫妻も、今日は、遠く暑い国インドをご訪問なさる両陛下を、見送りに、おいででした。

秋篠宮同妃両殿下はもちろん、眞子内親王殿下、常陸宮同妃両殿下、三笠の宮家の彬子さま、高円の久子さん、長女さんと三女の絢子さま。安倍首相の奥さんも来てはった。

雅子さんは白っぽいスーツで、後ろから見ると、ぞろんと長い髪の先端を切りそろえて、いささか普通ぽくなっておられました。

教えて下さった方によると、天皇陛下は搭乗機の方へお進みになる中、皇太子さまには「頼みますよ」という感じ、雅子さんには別に~という感じで、その人個人的な感覚で言えばあんたなに?みたいな風に、行かれたそうで。

うはは。そうでいらしたのですか~。

昔のだまされてない時の私なら、まあ。お気の毒。とか、むざむざ、感じてしまうところだったかも知れません。

で、雅子さんも手を振ってる、お見送りしている、の場面は、しっかり写真に残っております。

しかし残念なやはりというか、のナゾの事実が。

屋外で飛行機の前で、には「いた」雅子さん。

その前段階の、安倍首相に挨拶を受けたりしておられる室内の場には、雅子さんは、おられなかったのでした。

その「いない」画像も映像も、現時点では露わになっていませんので、~ということであった、としか、今は言えません。

が。

あまりにも雅子さん、やっぱりあの人のやることだなあ、感がたっぷり。

ここでもげんなり~、のG。

秋篠宮ご夫妻は「グッド」「ものすごくグッド」のG。

皇太子妃であることを放棄するがの(でもしがみついてる)雅子サンを、ふつーにスルーされたという陛下は、おそれながら「グッジョブ」の「G」。

日々いや増す「げんなり」感搭載中のマサコサンには、申し上げたい、ごーあぅぇー。これも「G」にてございますわね。

今夜もこれから用があってでかけます、元気です、更新もできていないのに毎日おいで下さる皆様、本当にありがとうございます。

明日はもっと元気で、ばりばり再開です。きっぱり。わが家のトイプードル「ぎん」も、骨切りの手術の傷跡のホチキスも除いてもらえて(痛~)かえって来てくれる予定です。

   仰向きて飲めばまっすぐに落つる水結論を出すは明日にしやうか

    あふむきて のめばまっすぐに おつるみず けつろんをだすは あすにしやうか 


     昔のうたですが自分でも好きなうたです。

     白燁(はくよう はくやう)という美しい名で、うたを、詠んでいた日々が蘇り。

     いまちょっと、恥ずかしがっています。






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どんな思いを

歌友、とお呼びして来たMさんがこれらのうたを詠まれたのは、いまの私の年頃だったと思います。昭和が終わり、平成が始まったあの日。。      (すみません、なお一まわりほど、三十年ほどお歳は上でした)


   地に低く弔旗垂れたり七草粥を祝ふべき日に天皇(きみ)逝きませり (昭和天皇)

     ちにひくく ちょうきたれたり ななくさを いわふべきひに きみゆきませり

   昭和より平成に移る一日の空白の中にわれらたたずむ

     しょうわより へいせいにうつる いちにちの くうはくのなかに われらたたずむ

   大欠伸 破顔一笑うつしゑに遺せる天皇(きみ)が人間の姿

     おおあくび はがんいっしゃう うつしえに のこせるきみが にんげんのかお

   武蔵野の杉の木立に降る氷雨うす昏がりを轜車のゆくなり

     むさしのの すぎのこだちに ふるひさめ うすくらがりを じしゃのゆくなり

   老いふたり雨の大地にぬかづきて轜車過ぎゆくをひたと拝めり

     おいふたり あめのだいちに ぬかづきて じしゃすぎゆくを ひたとおがめり

   束帯に威儀を正せる天皇の微塵ゆるぎのなき御姿よ (今上天皇)

     そくたいに いぎをただせる てんのうの みじんゆるぎの なきみすがたよ

   憲法を遵守なさむと天皇の即位の宣言 穏しきみ声に

     けんぱうを じゅんしゅなさむと てんのうの そくいのせんげん おだしきみこえに

   前髪を飾るティアラのごとくにも皇后の笑顔光りています

     まえがみを かざるティアラの ごとくにも こうごうのえがお ひかりています


・・・Mさんは少女の頃から何十年も詠み続けて、一冊の歌集を編まれることも無かった。

うたは自分のよけいごと、詠み続けられればそれでいい、うたに向かって吐き出した人に見せない本性を、子にも誰にも残したくないと言っておられた。

今日は、それを知りつつ、幾首かをご紹介させていただきました。お許し下さると思います。

・・・いま読み返して、湧き上がる思い。

不敬ながら「その日」は必ず訪れる。

その時、その日、うたびとたちは、自分の国の天皇陛下に対するこういった思いを、抱くことが出来るでしょうか。

陛下への敬愛、敬慕、敬意。それは当然として、現在の東宮殿下に、その妃殿下に、どんな思いを向けようがあるのでしょうか。



今夜はまだ、思うこと多すぎて、お返事を書けません。わがままですが、わがままさせていただきます。

いただいたお気持ち、ありがたくあたたかく、感謝しております。

生まれ変わっても。

こんばんは。

先ほど戻って着替えをし、もうすぐ車が来たらお通夜に出向きます。

恵まれた少女時代を経て結婚、ご夫君と共に大陸に渡り、職業軍人であられたご夫君の生死もわからないまま命からがら引き揚げ。

引き揚げ前後のことは、いっさい、口に出されませんでした。

敗戦後、廃人のようになってお酒に溺れて働きもできない夫君と、息子さん三人と一人娘さん。

柔らかい手もかたく節張る仕事にも就き、必死に生活を守る中で、娘さんを十七歳で亡くされ、乞われるままに息子さんの一人を養子に出された。

長男さん次男さんは親孝行な人に育ち、ご夫君を見送られてからは、髪をモダンにカットして口紅は赤、息子がお小遣いくれるの、と喜ばれて、精いっぱいのおしゃれを楽しんでおられた。小柄でしたが、つばの広い思い切ったデザインの帽子もお似合いでした。素敵な靴を、丁寧にはいておられました。

寝付かれて、気も弱くなられて、かけるべき言葉を探すのに辛かった頃。

養子に出された息子さんが病院へ訪ねて来て、お母さんの耳元に口を寄せて、囁かれたそうです。

「生まれ変わってもお母ちゃんの子どもになりたい」

「今度生まれたら、ずっと、お母ちゃんのそばを離れない」

・・・もう、口をきくこともなくなっておられたのに、その言葉に反応して、おお、おお、と、頭を上げようとされ、涙をこぼされた。

息子さんはお母さんを抱きしめ、やはり涙を流し、そして、私のかつての歌友は亡くなりました。

私は若い頃、とんでもなく生意気だったのですが、それがええのや、それでええよ、あなたは、と、豊かに笑って受け入れて下さった。

市井の、名も無き、しかし立派な「日本の女」だった。ナマな愚痴や泣き言、苦労話を、みっともない、と、笑って流しておられました。

心して、お別れの思いを、向けて来ようと思います。


・・・お返事も、明日、ゆっくりとさせていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。



     終の日の御手にもつれし髪梳けばただ幻と思ふ戦は

     つひのひの みてにもつれし かみすけば ただまぼろしと おもふいくさは

・・・その方のお好きだったうたです。出征前夜の若い夫婦の姿、記憶だけ残して還らなかった夫。夫亡きあとを一人で生き抜いた妻の、うたです。




疑惑じゃないですね。

小和田恒氏は、皇太子妃(とりあえず今は)雅子氏のお父さんです。

小和田恆(おわだ ひさし、1932年(昭和7年)9月18日 - )
日本の元外交官。外務事務次官、国連大使、財団法人日本国際問題研究所理事長等を歴任し、
2012年2月現在、国際司法裁判所判事。元国際司法裁判所所長(第22代)。
皇太子徳仁親王妃雅子の実父。

今日も「かけだし」さんの所から、頂いて来ています。

文中、怒ったり激怒、に発展したりしておられるのも「かけだし」さんです。言いつつ私も同様に怒ったりアッタマ来たり、以前も今も、しております。以下。

「皆様は,小和田恒という人物をご存知だろう。雅子皇太子妃殿下の実父である。
愛子内親王殿下の外祖父でもある。皇太子殿下の義父である。
この小和田恒がどのような人物かご存知な方は意外に少ないのではないだろうか? 
皇太子妃殿下の実父だからさぞ日本を思う心に溢れている、と思っている方も少なくないのではないか?
「雅子さま」で思考停止してしまう人が保守派にも少なくないのが実情だし・・・。
とんでもない!
小和田恒とは保守派にとっては到底許しがたい反日・売国官僚である.
福田康夫,山崎拓,加藤紘一らと同類なのだ。以下にそれを列記したい。

1.A級戦犯を戦争犯罪人と“断罪”女系天皇実現にも関与の疑い.

昭和60年11月8日(火)第103回国会 衆議院外務委員会での
小和田恒の発言に「平和に対する罪」という言が再三・・・
(かけだし注:この発言は次の引用に詳細が)
*小和田恒は土井たか子とともに「A級戦犯」を「断罪」した超一級の売国奴*

2.「日本ハンディキャップ論」
これは,日本は昔悪いことをしたのだから自己主張をしてはいけない・
「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁

3.福田康夫との蜜月
ご参考「特亜を斬る」様 福田「総理」でおこる女帝論争
http://killkorea.iza.ne.jp/blog/entry/301254
女系天皇容認派の「有識者」を集めて、都合の良い答申を出させたのが福田官房長官であった
小和田恒が外務大臣だった福田赳夫の秘書をしていた時からの繋がり・・・
子供の頃から雅子さんを皇室へと言っていた福田赳夫・・・
福田キャンペーンの後押しで皇室入り(その実体はマスゴミ発表とは全く違う)

4.第8回日韓フォーラムへの参加者に小和田恒の氏名がしっかり出ていました.
http://www.jcie.or.jp/japan/gt/n00/8thkjf.html
売国奴・加藤紘一や朝日新聞の極左コラムニスト・若宮の名も

5.創価学会が小和田恒に送った「池田大作特別待遇要請書」
この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

創価学会の事務総長原田稔さんから当時の外務省官房長の小和田恒さんあてに
「本年一月末より二月中旬にかけて、創価学会インタナショナル一SGI会長・池田大作
(創価学会名誉会長)一行が教育・文化交流のため、香港並びにアセアン三ケ国を訪問する予定です。
何卒宜しくお願い申しあげます」ということで、池田大作会長・創価学会名誉会長、池田同夫人、
池田同子息、創価学会副青年部長。これは、家族ぐるみで訪問をするから、外務省の官房長に
よろしく頼むと言っているんですね。これに対してどう対応なさったか。
通常の言葉でいわば便宜供与の依頼だと思うんですけれども、どんな便宜をお与えになったのか、
ちょっとその対応ぶりについてお教えをいただきたいと思います。

○国務大臣(河野洋平君) 
何分古いものでございますから正確にはお答えができませんが、一般的なことを申し上げれば、
外務省の出先機関は旅館の手配をするとか送り迎えのためにそうした人員が
配置してあるわけではないということだけは申し上げていいと思います。
○関根則之君 
一般的にそのために置いているんではないということだけれども、
実際やっている場合があるんです、外務省は。我々もお世話になることはあるんです。
しかし、これは大体公務ですから一向に差し支えないと思います。
実際どうだったかというのは行っている人はわかっているんですから。
実は重大なのは、憲法二十条第三項、これは国の方から宗教的活動をしてはならないという規定。
その裏腹の問題として、憲法八十九条に
「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため
これを支出し、又はその利用に供してはならない」こういう条文があります。
在外公館の財産、お金を出したということはないかもしれませんけれども、
財産なり自動車という動産が使われたとなりますと、これは直接憲法問題にもかかわるんですよ。
政教分離という物の考え方のもとに、公金は宗教団体のために使っちゃいけない、
公の財産を使ってもだめよということがきちっと書いてある、我々の憲法に。
その憲法にも抵触する可能性があるわけですので、参考人としてお話を伺いたい

6.竹島に関連して
「自国の領土ならわざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はないでしょう」
小和田恒氏は竹島問題でも韓国の肩を持っているらしいですね.

上記のことと小和田恒氏のことが無関係と言えるでしょうか?いや,それだけではないのかも…

小和田恒は保守派のそして日本国の敵です。何故そんな家から次期皇后が…
仮にチッソの孫でなかったとしても,こんな売国官僚の家から伴侶をと望んだ皇太子殿下の罪は重大である

=====

…ものすごいS価贔屓、そして自虐史で日本の国益を貶めてらっしゃる方じゃございませんか(激怒)
そして下朝鮮とも相思相愛のご様子。雅子妃の父親じゃなかったとしても、
かけだしがこのブログで「小和田恒」氏を売国奴としてエントリしてもまったく可笑しくない!
そんな方じゃございませんか!

上記の転載の
「1.A級戦犯を戦争犯罪人と“断罪” 」の件を
日本政府の自虐謝罪史に当てはめると、ほんとーに、とんでもないことだった!

↓ コレが一番トサカに来た件っ(激怒) ↓

「日本世論の会 愛知県支部」さまより抜粋転載
「村山談話が発端ではない」


戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは
村山談話や不戦決議が初めてのことではない。その顕著な例は昭和六十年十一月八日、
衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁である。

これは社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた
「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)
第十一条の解釈を問われた小和田局長は次のように答弁している。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、
国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。
その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、
その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に
違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、
そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

小和田局長の見解とは日本国はポツダム宣言を受諾する際に「一切の戦争犯罪人を処罰すること」に同意した。

前後関係が逆になるが、ポツダム宣言を具体的に実施するために平和に対する罪が決められた。
平和に対する罪とは「中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということ」
と定義された。そして、この平和に対する罪という訴因で裁かれることになった経緯からその結果に至る一切を
講和条約十一条で受諾した?というのである。

こうした見解はそれ以前から存在したのか。
否である。

小和田恆がこのような解釈をとるまで日本政府はまったく逆の見解でいたのである。
昭和二十六年、講和条約を批准する国会審議の経過を見れば分かる。当時の議事録を見よう。
衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が
次のように答弁している。
「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、
平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、
裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。
従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、
第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を
承諾いたすということになつております」と極めて明確である。
また、十一月十四日の衆院法務委員会では、佐瀬昌三議員の
「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、
なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、
打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、
大橋武夫法務総裁(現在の法務大臣)は
「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、
こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、
関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、
戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は
「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、
その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、
その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」
と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では
平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、
今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。
また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、
その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

それから三十四年後、小和田恆氏はそれまでの政府見解を弊履の如くうち捨てて、
日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという
裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更したのである。この国会答弁を機にして、
政治家、マスコミ、知識人たちは錦の御旗を得たとばかりに自虐史観を募らせることになる。

小和田解釈の翌年八月十五日に中曽根首相(当時)は中国の胡耀邦総書記に書簡を送ることになる。

「戦後四十年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなお、アジア近隣諸国民の心中深く残されており、
侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、
貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは、避けなければならないと考え、
今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました。
二四六万に及ぶ一般の戦死者の遺族は、極少数の特定の侵略戦争の指導者、責任者が、
死者に罪なしという日本人独自の生死観により神社の独自の判断により祀られたが故に、
日本の内閣総理大臣の公式参拝が否定される事には、深刻な悲しみと不満を持っているものであります」

一国の首相が他国の最高指導者に宛てて斯くも卑屈な態度を呈するというのは、
どのように解釈しても国民の常識を超えている。当然この書簡に書かれたことは更に二十年後、
中国によって持ち出されることになる。王毅駐日大使が
首相、外相、官房長官は靖国神社に参拝しないとの「紳士協定」が中曽根内閣時代にできたと公言する。

当の中曽根氏は「事実に全く反する。大使の記憶違いじゃないか」と否定、中国大使館に
「事実無根だ」と抗議したというが、中国からみれば、紳士協定ができたとの認識は当然であろう。
一国のトップが一国のトップに書簡を送り、公式参拝を行わない高度の政治決断をしたと明言したのだから。
生粋の日本人である筆者であっても、そう解釈をせざるを得ないのだ。
さて、わが国に自虐的で卑屈な風潮が蔓延る原因は村山談話や不戦決議などではなく、
昭和六十年の小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁にすべてが発しているのである。
元々火のないところに火を付けたのが小和田氏であり、そこに油を注いだのが中曽根氏なのである。

私たち日本人はこのことを永久に記憶に留めて置かなければならないのだ。
小和田氏も中曽根氏も自己の属する国家に唾を吐きかけ、先輩に唾を吐きかけることで国の内外に高い名声を誇っている。
小和田氏は国際司法裁判所所長であり、中曽根氏は大勲位である。かたや田母神氏のように
「日本人は誇りを!」と述べた人間は有無を言わせずに、名誉を剥奪され、公職を追われる破目になる。嗚呼。
2009-04-10

=====

>小和田恆がこのような解釈をとるまで日本政府はまったく逆の見解でいたのである。

をいをいをいをい(激怒であたまクラクラ~)
小和田恆の見解が自虐史大好きな左巻きのココロを捉え、靖国参拝問題で支那を喜ばせ、
やがて河野談話にも繋がって行った!

超一級、否、特級の(←かけだし認定)BKDじゃんよ(激怒)

日本を売るの、大好きなのね!日本売るついでに、ご皇室ゆかりの品物も売っちゃえ売っちゃえ!

とばかりに、小和田家がご皇室ゆかりの品物をヤフオク出品した疑惑(呆&激怒)」


引用はここまでです。ありがとうございました。

私などより先にご存じだったお方も多くいらっしゃると考えますが、読み返してみると、雅子ぱぱっていったい何なの??の疑問が噴出。

とにかく頑張って。優秀な頭脳は小和田氏への神様のたまものだったのでしょうか・・・それにしては、博士論文書いたのに失くした、とか言って、結局取得していないのですが…失くしたって…小学生のやんちゃ坊主の新学期時点での夏休みの歯磨きカレンダーか・・・己の才のみを頼りに、要領だけを恃んで、ブランド大学を出、国家公務員になって、悪名は高いが共に「自分たちだけ良ければいい、自分たちだけ大事、しょみんなんか人の数には入らない、強きにすり寄り弱きを踏みつけ、お前らド庶民、文句言うなどちゃんちゃらおかしい、そこのけそこのけ俺様が通る」の価値観を一にするチッソの終生名誉会長・江頭豊氏の娘さんと結婚、更なる立身出世を果たすべく人を蹴散らし、利用し、岳父は力があるから親として同居、自分の親は施設には入れたがその方々の孫娘が「お妃」だとは、施設の職員たちもしらないままだったという扱い。会いに行かなかったのですね。

蓄財に励み(公金をいかに華麗に私的に流用するか)地位に執着し、ついには長女を東宮の妃の位置にまで押し込んだ。

雅子氏が妃となった夜、氏は「これで日本で最高の地位に上り詰めた」と上機嫌で盃を干したとか。

アホか!。

ご皇室はそういうものではない!。日本人なら知っていること!。

夫がこうだから妻もそうであって、小和田夫人(ブインと読んで下さっても)は、婚約なった長女の洋服を、キミジマブティックなどにじゃんじゃん注文し「娘は皇室に入る、皇室に入ればどうにでもなりますから」とうそぶいておった。

請求書を出した店主に「え、なんのこと、私どもからお金をお取りになるおつもり?うちの娘は妃になるのよ、名誉だとお思いになりませんこと? 皇太子妃の実家ですよ、請求書? それ何のことですの?ワタクシ、外務省であれこれ、なにやら、どうとかああとか、して参りましたけど、お金なんか要求して来るお方、存じ上げませんわそんな、常識はずれのことなさるの??。守銭奴のようではございませんか。私どもからお金を払わせようとなさるなんて。そちら様から、これはどうぞお使い下さいませ、当店の誉れにございます、これ以後もどうぞ、お引き立てを、とか、仰るのが、人としての筋と思いますのに。常識おありにならないのね。お金のことばかりお考えで動いておられますと、人品の卑しさはお顔に顕れると申しましてよ。せっかく、皇室に入る娘のスーツやらコートやら、こちらで誂えて差し上げようと、ワタクシの思いやりですのに、人の誠意が通じないとは。あきれますわ。ここでお洋服作ってると知れれば、それだけで格が上がるってものでしょ、それだけで有り難い、となさらなければと思ってしまいましてよ。下手からお願いって、出てあげたので思いあがってしまわれたのね。まあいいわ、人を許すことも器の大きさですわ、許して差し上げましょう、ワタクシも準皇族、心は広くおおらかに、ですわ。おほほ。準皇族。準のつくのもいつまでかしら、うふふ、おほほ、どひゃひゃ。

それだけじゃありませんわ、妹の、ほらこの娘のスーツも、たのんであげましょう。二人分ね。双子ですから体格は同じ。2着同時に作れば、お宅様の経費も安く済むのではありませんか??。え?引き受けたくないって?


・・・とか、面白がっているとキリがないです。こんな↑言葉遣いかどうかは不明、おそらく違うと思うけど、くどいのと厚かましいのは、けっこう迫っているとKUON、自画自賛。

こんな人たちが「外交官」だった。想像すると、ざーっと血の気の引く思い。くれくれこじきのこの根性、人のものも何もかもすべて、私が欲しいモノは私のもの、そこらに置いておく方が悪い、ホコリ被ってる古い物なんかどうしたってどっちゅこと無いでしょ。

まあ物好きに、砂糖入れなんか欲しがる人もいるのよ、誰がこんな物使うのかしら。

お砂糖なんか、昔のミス○の景品のあの分厚いマグ、あそこに入れておいたら便利よ、コーヒーにも紅茶にも、砂糖すくって入れて、かき混ぜて、こびりついちゃったら今度のコーヒーに突っ込んで回したら溶けるじゃないの。

ボンボニエールだとか、気取っちゃって。売ってしまえばいいのよ、だって、だって私たち、毎月の利息がとってもきついんだからね。

むしだのむよくだのじあいだの気取ったこと言うなら、お金に困ってる親戚、助けてくれたっていいでしょ。

それこそ、人の上に立つ人間の度量だって言うのよ。ったく。

・・・どうしましょう、止まらなくなってしまいますよ。

一応、事実らしいことを妄想してのフィクション、と、お断り申し上げておきます。

まこと、みなうちそろうて、下品下劣の極み、です。

とりあえず許されたのだから。

11月23日、24日。

天皇陛下と秋篠宮殿下のご予定が、両日とも、神嘉殿における新嘗祭の儀、と発表されていました。

皇太子殿下はその日の予定、空白なんです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


とりあえず皇太子妃として入内を許されたのだから、身内も身を慎み、
本人も謙虚な気持ちでまわりに教えを請うていればここまでいろいろ暴かれることもなかった。
あの一族全員がやることなすこと下品。


「かけだし」さんという方が「日本が好きなだけなんだよ」さんのところから引用されたものを、引用させてもらいました。
冒頭青色部分は記事のラスト部分であり、私が東宮家について知りたくてあちこちを巡りはじめた頃、深く納得して読んだ文章でした。本当にそうだ、と思いました。その後、そんな甘いもんじゃな~い、このお家はどこまでもとんでもないお家であると知識が増えるに従って「まさか」「そこまで」「大変だ」「看過できない」「今すぐにでもなんとか」の気分は上昇の一途を辿りました。

日本の国が、みすみす毀損されるのはイヤです。

とうにご存じの方もおいでとは思いますが、もう一度掲げさせていただきたいです。その前に。

今朝、あるサイトで読んだこと。

1994年のオウムの雑誌に、アサハラ某の言葉として「日本を破壊し、
世界を征服するために働いている力」として紹介された・・・中の3人。

・傀儡皇帝 徳仁親王(皇太子)

・亡国后妃 小和田雅子(皇太子妃)

・地獄大使 小和田 恒(雅子妃の父)


あのカルトの教祖らしい大袈裟な表現。でもこれに関しては「当たっている」。

入内前の「ご発言」だったそうで、小和田氏は「激怒」した、と。ご存じだったのね。どういう経緯で知ったのでしょう。


以下は引用です。


内側から次々と皇室を破壊してくれる雅子さんは皇室を否定する人々にとって重宝な存在だと思われる。
紀子様の名誉を守るためにも皇室のためにも日本のためにも雅子さんの出自をはっきりとさせるべきだと思う。
「富田メモ」で「真偽を確認する為に全文公開せよ」との声に
「皇太子妃の入室について書かれている部分があるから公開出来ない」という回答
反対の理由は、チッソ(雅子さん祖父)、男性関係の他に血筋も関係しているのではと言われている。
当時のお妃候補の中で家系図の無い家は小和田家のみ。
宮内庁は皇太子の結婚にあたって小和田家の家系を公表し興信所に身元調査を依頼した。
そのとき、部落開放同盟は差別であるという申し入れを行っていた(ニュースにもなった)
そのため、身元調査は打ち切りになった。雅子妃の家系調査への抗議を認めた記事

『部落解放』1993年6月号「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」の記事

小和田家
一代目 小和田金吉(生年月日、生地、両親不詳)→ 二代目 小和田毅夫 → 三代目 小和田恒

*金吉の前は不明

金吉の父は道蔵匡利のはずだが、雅子さんの曽祖父金吉が道蔵匡利とはつながらない。
宮内庁が公表した家系図は、金吉で終わっていて匡利の名前はない。この事実だけで、
金吉は匡利の子供とは断定できない。あるいは金吉の両親(もしくは父)は不明か、
表に出せないということがわかる。地方では割合先祖のことを調べることは容易である。
新潟で3代前までしかわからないということは非常に不自然。
雅子さんの皇室入りが決まったとき3代前の小和田金吉の父親がわからなくて宮内庁が困り、
小和田家が無理矢理でっちあげた家系図の元になったのが同じ地域出身の小和田本家の家系図。
小和田本家では雅子さんの曽祖父金吉のことを「知らない」と言っている。
匡利の次男に、確かに金吉(A)なる人物はいる。
その本物の金吉(A)と、雅子の曽祖父の金吉(B)が同一人物なのかは不明。
お妃内定のときも結婚の時も本家筋の方は誰一人出てこなかった。
本籍地の村上市から新潟へお墓を移すときも金吉しか動かしていない。
村上市ですら、よくわからないと言っている。
「小和田新六から曽祖父金吉までは不明の点が多く、調査が待たれる」

村上市の西真寺と新潟市の泉性寺の言うことにも食い違いがある
1 村上市西真寺住職、本荘長弘師の証言(現在は兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻とその子供だけの墓がある寺)
「小和田家の墓について毅夫氏(明治31年生)が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の泉性寺に移した」
「なぜ祖父の妻と子及び曽祖父夫妻の墓を残していったのか。普通移すときはそっくりもっていくものなんですがねえ」
昭和61年(1986年or1987年)11月 恒、毅夫の両夫妻が村上に来たがここに墓参していない

2 新潟市泉性寺住職、広沢誠師の証言
「小和田家の墓は明治7年よりうちにあるが金吉と兵五郎の墓はない 匡利(道蔵)の墓だけがあります…
30年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということはまったく知りません」

泉性寺の檀家談
お墓は奥の方に非常にみすぼらしいのが建っていました。それが、皇太子のところに嫁ぐのが決まったら、
場所もいいところに移動して、大変立派なのが俄かに建てられました。

3 ご成婚前の小和田家の墓参り
両親と娘が拝んだ墓は新潟市泉性寺にある「匡利(道蔵)の墓」であり「小和田家の墓」ではない
(昭和55年(1980)に小和田毅夫(恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調した結果異様なツギハギの墓)

4 金吉と妻竹野(旧姓熊倉)は毅夫の幼い頃別居し金吉死亡後、竹野のお墓は所在不明
5 専門家の意見
「一説に小和田金吉は小和田道蔵匡利の三男と伝えるも年代齟齬して審かならず、
仮に小和田兵五郎の三男の系に継ぐ。おそらくは別流ならん歟」
金吉が匡利の子なら匡利12~13歳の時に生まれた三男となり有り得ない 
一言でいえば「この小和田家ではない」と言っている

6 新潟県村上市小和田本家の証言
TVでのインタビューにて老当主が
「あちらの小和田家とウチが親戚とは初耳 こちらでもいろいろ調べてみたがわからない」と答えた
以上より
・「金吉の墓」または「小和田家の墓」の所在地が不明なのはなぜ?
(再婚してない場合毅夫母の竹野の墓の所在も不明)
・毅夫は西真寺から泉性寺に父金吉の墓を移すと寺に言いながら泉性寺にお墓を作っていないのはなぜ?
・泉性寺の小和田家の墓が「金吉の墓」又は「小和田家の墓」ではなく「匡利(道蔵)の墓」なのはなぜ?
・仮に金吉が小和田兵五郎の三男なら西真寺に兵五郎の墓を残したままで恒、
毅夫が当地に来ても墓参りしないのはなぜ?
・毅夫氏自身はどの小和田のお墓に入ったのだろうか?
江戸時代、犯罪者予備軍の無宿者は新潟の佐渡ヶ島の金山に送り人足として使役、
明治維新で解放されたこの人らの戸籍や墓は?(ご先祖流れ者説)
戸籍を誰かから入手した?戸籍売買?(ご先祖は日本人ではない説)
金吉は認知されていない子だった?(私生児説)→母方から先祖はたどれるはず
同じ姓の墓をどこからか入手した?(捨て墓置き場から…説)(墓が個人名でツギハギな点と欠けている点がポイント)
先祖の墓参りをしない家なら先祖を敬うしつけや教育を受けていないので
祭祀を無意味としか思えない雅子妃の態度にも合点がいく

▼小和田金吉
・人物像は不明、名前の読みも不明(きんきち?かねきち?かねよし?すら不明)
・どの読みでも「下級武士」の出とは考えられない。(小和田家主張=武士)
・墓がない(それほど昔の人ではない。恒氏の祖父である)曽祖父の墓はあるのに? 
▼つぎはぎの墓
墓石つぎはぎの理由→昭和55年(1980)に小和田毅夫氏(=小和田恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調
墓石には「小和田匡利墓」とある(個人名)→小和田家ではない。
墓石側面には「明治七甲戌年 七月二十八日 永代経金一圓」
小和田匡利→新潟県村上市の小和田本家「分からない」回答

金吉の墓はどこの寺にあるのかわかっていない。村上市の西真寺には小和田金吉の墓はない。
移したはずの泉性寺にも小和田金吉の墓はない。あるのは匡利の墓のみ)
皇室入りのため、急遽作られた家系図によると金吉は道蔵の次男(1867頃出生)
そうなると道蔵が14歳のときの子ということになる。しかも三男。14歳でもう2人(以上)の子??
明治時代に生きていた金吉以前の戸籍が存在しないというのは不可解。
私生児もしくは捨子とも考えられるが戸籍が存在しない出自とも考えられる。
部落民と言う話もあるし、犯罪者、あるいは半島から新潟へ流れ着いて戸籍を買った、
または奪ってなりすましたという話も出てくる。
(成りすまし…元々戸籍を持たない人が、小和田家の金吉と言う人になりすましたということ)
だから現実として年齢が合わないなどのボロが出る。
後継ぎが居なかった小和田金吉の家系を利用してなりすます、
このやり方で日本人になりすます朝鮮人は大勢居る。小和田金吉は村上の小和田家とはなんの関係もない。
村上の士族小和田家が村上をはなれて戊辰戦争に負けてちりぢりになったのは明治の初年。
士族小和田家は明治初年以前も調べがつく

問題は小和田金吉が1867~1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは明治以後。
だから宮内庁は小和田家が1868年以前は何をやっていた人なのかわからないといったのは事実隠蔽のためで
本当に士族なら村上を調べたらわかるのである。
佐藤朝泰の「閨閥」という本に小和田金吉の代からしか載っていない。(川嶋家は高祖父の代までのっている)

朝鮮から密航してきたX=金吉。
明治17年の村上鮭産育養所の漁業権者名簿(736戸)に金吉氏の名前が初出となる。
もちろんこの金吉は小和田道蔵の息子で雅子の曽祖父の金吉とは別人。
X=金吉は新潟の吏員になるために(戸籍のない密航者だから)
村上士族小和田匡利の息子金吉から家系図を購入し、士族に成りすまして
朝鮮参加の男が小和田金吉に成りすました。その証拠に小和田家の世代の年齢があわない

婚約時代の墓前報告の写真によると、にわか作りの墓石の土台の上に苔むした古くて小さな墓石が
ちょこんと乗っかっている。先祖の供養もしていないことがありありとわかる写真だった。

母方江頭
江頭という苗字だけでピンとくる人はいるかもしれない。
エガシラ→エタガシラ *全ての江頭さんがそうだというわけではない。
江頭家は村上水軍につながる(と成婚時に発表)ので、さらに部落民に遡る可能性は高い
以前、雅子さんの母優美子さんのいとこで作家の江藤淳(本名江頭淳夫)が
自分のルーツ探しに九州へ行った。そこで知った現実に相当のショックを受けたという。
そこそこの家なら、わざわざルーツを探さなくても先祖のことなら代々受け継がれて聞いているはず。
なおタレントの江頭2:50も親戚(2:50の方が本家筋)
優美子さん父は豊(チッソ)、豊の父は安太郎。この安太郎が母親から青山の墓地に埋葬しています。
それ以前の墓地は不明とあります。(結婚記念誌に記載)
江頭家の出身は九州ですが、不思議に父親のお骨は東京へは引き取っていないのです。
彼は九州の自分の出自を恥じてひた隠しにしていた。
また安太郎の妻米子が古賀家から嫁いで居ますが、
この古賀家も佐賀の阿弥陀寺にながい間無縁仏として放置されていた。
近年になってそれらの無縁仏を一箇所に集めて合祀されている。
雅子さん祖父・嘉蔵は明治維新までは鍋島家の家臣だったとされるが
明治初年の佐賀藩侍着到(出勤簿)にその名はない。
番太部落出身で「いわれなき差別を受け」小学校の小使いの職にしか就けなかった江頭嘉蔵。
息子の安太郎は、その出自を生涯ひた隠しに隠し、佐賀には一度も帰ることはなかった。
江藤淳は今上陛下を雑誌で批判(1999年7月21日自殺)
「何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない…」
その叔父も自殺。遠縁の江頭2:50も精神を一時患った。
正田家は数百年遡れる名家、公家の血筋も入っている。
川嶋家も会津藩士(藩士録にちゃんと載ってる家)&紀州の名士
小和田は不明

海外誌
日本では今日、江戸の最下層民と皇室が縁組をするという異常事態、
しかもその最下層令嬢が、実家の親とつるんで皇室を我が物にしようとする異常事態。
許しがたいのは、その下賤な血のなせる業か、マスコミを使って皇室を攻撃する。国民を騙す。
1993年街道の集会で沖浦和光が「小和田雅子さんの先祖は部落民」だと発言。
その後、なぜか川嶋家同和説が広まった(何者かによって意図的に広められた)
川嶋辰彦氏は同和問題の研究もしていたので、いかにも信憑性をもって悪意のある噂が広められた。
そもそもは家柄ではなく、雅子さん本人と実家の行状が問題。雅子さんの先祖がたとえ部落出身でも、
3代前から不明でも、公害企業の社長でも、父親が機密費横領でも雅子さん本人がきちんとしていれば、
両親、先祖のことであれこれ言われることはなかったはず。
生まれが卑しい…という言い方をするべきではないが他の皇族方の出自を捏造して貶めるのだから
(このやり方、どこかの国に似ている)事実をはっきりさせたくなる。
家系を乗っ取るということをなんとも思わない一族。だから皇統も乗っ取ろうとした。
女系、雑系にして、小和田墓のように、ツギハギにしようとした。恐ろしい。
どんなに卑しい素性でも、とりあえず皇太子妃として入内を許されたのだから、身内も身を慎み、
本人も謙虚な気持ちでまわりに教えを請うていればここまでいろいろ暴かれることもなかった。
あの一族全員がやることなすこと下品。

出自なんて、本人の努力でなんら関係ないという見方もあるが、
出自が悪いと育ちも悪いというのは否定できない。


あまりにも何もかもに対して不実であり過ぎたし、今現在もそうです。

リンクさせてもらっている「やまのこ山」さんのヤフオクに関する検証、すばらしいです。

一人でも多くの方に知って頂きたいですし、なんとか、と、勝手にリキむ思いのワタシです。


ご存知でしたか新嘗祭。

前記事で触れた時点では私にもよく判っていなかった(と白状します)内閣官房参与(ないかくかんぼうさんよ)とは、日本の内閣官房の役職の一つで、内閣総理大臣(首相)の“相談役”的な立場の非常勤の国家公務員である。ということです。

内閣が対応すべき各種分野において優れた識見を有する人材を首相が任命し、任じられた当人は首相に対して直接意見を言い、また情報提供や助言を行う。別名“ブレーン”、“側近”。人数制限はなく、通常は複数人いる。守秘義務が課される。全員に、所属する内閣府や総理大臣官邸で一つずつ執務室が与えられる。・・・ということも、今回知りました。

飯島勲氏は、現在の第2次安倍内閣において、11人が任命されている中の「特命」参与さんなのだそうです。どうも頼りないな私。

「わがまま親父」さんが教えて下さいました。

さて記事にありました飯島勲氏、私も記事の中で氏に触れましたが、飯島氏、現在は政財界でフィクサー的な役割を務め、安倍首相の懐刀的な役割を担っています。

彼の出自は在日系でその為、朝鮮系団体、朝鮮系企業、朝鮮系ヤクザと幅広いコネクションを持ち、更には韓国政府、北朝鮮政府要人とも太いパイプが有ります、小泉政権下では首相の特別秘書官でした、彼の働きで北朝鮮訪問が実現したのは事実です。
ある意味きれ者であり、敵に回すと怖い存在として内外で知られています。そういう人物なので彼の発言には力、重みがあります。更に彼はインテリジエンス、情報関係でも国内外にパイプがあり、あらゆる情報が彼の元に集まります。
その意味では陣笠代議士の国会議員など足元にも及びません、日本のマスコミもそのような彼をよく知っていますので彼には触れません。


ありがとうございました。

・・・この飯島氏、当日の園遊会にも列席されていた。間近にご覧になっての両陛下の体力的なご負担を心配しておられる。宮内庁に対して、前例踏襲だけじゃ話にならんと、方式の改めなどに言及・・・。

10年も春秋の園遊会をブッチされている雅子さまに関して、

「精神科の専門医からも色々な話を聞く機会が多いんだけどさ」(略)「次代の皇后陛下になられるお方だからね。象徴天皇制と我が国の明日に思いをはせると心配でたまらないぜ」(略)「主治医が付いて10年経ってもなかなか目に見える回復の手応えも出ていないみたいだろ。ここは一日も早く主治医を交代させ、医療チームを改変する時期が来たということじゃないかな」

「この目に焼き付いた両陛下のあのお姿を思い出すにつけ、ご苦労、ご心痛の大本にあるものは何だろうと諸々考えてみるんだよな」

「その中に皇位継承の将来に渡っての安定もあるのは間違いない。皇室典範改正は小泉内閣の最後に取り組もうとしてさたやみになった経緯があるけど、政治が忘れちゃならない課題だよ」

・・・ってとこで、この回はおしまい、でした。

飯島勲さま。今後ももっと、今すぐにでもごんごん、行って頂きとうございます。お願いします。

その彼が雅子に言及した、影響は大きいと思います。安倍首相がやろうとしている宮内庁改革に良い影響があるのでは、密かに期待しています。

親父さんと同様、私も、多分皆様も、きっと絶対、期待していると確信しております。

周囲から、じわじわと。確実に。期待したいです。




それと・・・。

わこ さんが教えて下さった、チッソのやり方のドタバタ劇。

すべてご紹介したいが長くなるのでわかっていただける範囲を。11月20日付の

「腐った魚を食って病気になった貧乏人が何を言うか」→当時の社長、江頭豊(皇太子妃・雅子氏の母方の祖父)が、水俣病の患者さん方に放った言葉。

以来、根っこは変わっていないな~と感じさせる↓。

熊本日日新聞 11月20日付

「チッソが補償拒否」  水俣病認定患者 下田さんに通告

水俣病の原因企業チッソは19日、公害健康被害補償法(公健法)に基づき
患者認定された水俣市の下田良雄さんに対し、一時金や年金などを
支払う補償協定の締結を拒否する方針を伝えた。


この続きは、このブログに下さった「わこ」さんのコメントで全文お読みいただけます。

この↑内容が、22日(今朝)の同紙では、ひっくり返っております。

「チッソ 補償拒否を撤回 水俣病認定 下田さんと協定締結へ」(下線:KUON)

水俣病の原因企業チッソは21日、公害健康被害補償法(公健法)に基づき
患者認定された水俣市の下田良雄さんとの補償協定締結を拒否する方針を撤回し、
近く補償に向けた手続きに入る意向を明らかにした。

下田さんの代理人らによると同日夕、チッソ側から補償協定を結びたいとの申し出があった。
方針転換の理由として「急なことで社内が混乱した。補償協定の締結拒否は間違いで、
下田さんの訴訟取り下げにも応じたい」と説明した。

下田さんは「ようやく認めてくれた。にわかには信じ難いが、少し安心しました」とコメント。
代理人の山口紀洋弁護士は「全く話にならない対応。(希望する認定患者に適用するとした)補償協定の
中身を忘れ、自分たちの都合を優先した結果だろう。水俣病問題を解決するという思想が感じられない」
と批判した。

チッソ総務部は「当初は社内に判決の結果を見たいをいう声があったが、引き続き総合的に
検討した結果、補償協定を締結させていただくとの判断になった。下田さんには
不快な想いをさせてしまい、申し訳ない」
と話している。
下田さんは県の棄却処分後、感覚障害だけで水俣病と認めた国の不服審査会の裁決を
受けて1日、蒲島郁夫知事から患者認定された。
チッソは19日、下田さんと損害賠償請求訴訟で係争中であることを理由に
「裁判で補償問題を決着させたい。訴訟の取り下げにも応じられない」などとして協定締結を
拒否していた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これについて書きはじめると、また違う方向へ飛んでしまいますので、ご紹介にとどめさせて頂きます。が。

華道で使う剣山。あの、とげとげの、パンクスのお兄ちゃんが拳に巻きつけて気持ちの柔らかさを隠すハリネズミ風ベルト、みたいな、あれ。あれで、人間の神経を、ぎいいいいいいっと、やるんですよ、逆撫でなんてもんじゃない、ああいう所は。自分は痛くないから。

自分の暮らしに直接、関係ないから。

今年後半になってどたどた出かけた、台本付き、対象者厳選の「被災地訪問」。

ずうっと心にとめておられたなら、自分のお尻、じゃない尻尾に火がつくまでにお出かけになったのではないかな。

阪神大震災の3日後に中東へ飛んで、ラクダレースに大笑いしていたのは、日本の東宮夫婦でした。

その旅中、紅白の衣装(ホントに赤と白だった)でお出ましで、あちらの方々というより、日本人の度肝を抜いたのは、東宮妃でした。

あちらの方の気遣いによるお勧めで、しぶしぶ夫婦は帰国。

地震のせいで死海へ行けなかった、と、後に残念そうに語ったのは、東宮。

東北の大震災が起きても、他の皇族方は静かに行動され、訪問され、でも、いつものペース以上で家庭第一を貫いていた東宮家。お楽しみ会、花火大会、エトセテラ。そこへ行けないなら、せめて神様に祈りを捧げる、ということもしなかった、いっさい、しなかった。

やっと出かけて行った被災地で、家も船も失った漁師さんの「陸に上がった河童です」の言葉に、大きな口を開けて笑った東宮妃。

何がおかしかった?。河童が?。幼児ですか? あなたは、行くだけで人を傷つける。

そう思うのは、私がひねくれていて「美談」仕立ての話が徹底的に嫌いだからかと、自分を責めていたけど違うんですね、よくわかりましたよ。

他の人々もそう思ってた、でも、外へ思いを出さないで来た。

あなたが「皇族」だから。

皇族は、当たり前に立派で、庶民とは違うものだ、と、思い決めていて。

不思議な事を聞いても、よくわからないながら、でも、皇族に向かって何か失礼なことを云ったりしてはいけないんだと、思っていた。

不敬だとか。不敬は、いけないことだと。

でも今は、わかっている。非難なんかじゃない。不敬なんて、オソロシイこと、してはいけないこと、だけど。

だけどだけど、一番、誰よりも、不敬なのは。徳仁皇太子、雅子妃殿下。あなたたちです。

両陛下にも、私もその一人である「国民」に対しても。

やまとの国の、神様に、一番。

そこにいてはいけない人ですよ。

退いて下さい。神にも祈らず感謝せず、俗物根性の拝金主義者の、ものの値打ちが判らないから名前だけに縋るにせもののブランド志向。物を粗末に扱い皺くちゃの衣服での公務まがい、ものを大切にしないばかりではない、何より粗末にだだくさにあなたが向かっているのは、人、です。

どれだけ言っても言い足りない、日本人なら、押し付けられなくてもぼんやりと感じている「皇室」と言う対象に対する、さまざまな思い。

その思いの、ひたすらに邪魔なだけの存在だとはっきりわかる、でも、憎いとかそういうのでない。

無関心でいたい、感じないでいたいだけのように思います。それで精いっぱいです。

お退き下さい、去って下さい消えて下さい、おん身にふさう、おん身に添うお暮らしぶりがあるはず、それくらいは用意されるはず。

明日は新嘗祭。

新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は宮中祭祀のひとつ。大祭。また、祝祭日の一つ。

収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる[1]。

日本では、古くから五穀の収穫を祝う風習があった。その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられている。

一時中断されたが、元禄時代の東山天皇の在位中に復活した。1873年(明治6年)の太陽暦採用以前は旧暦の11月の2回目の卯の日に行われていた[1]。1908年(明治41年)9月19日制定の「皇室祭祀令」では大祭に指定。同法は1947年(昭和22年)5月2日に廃止されたが、以降も宮中では従来通りの新嘗祭が行われ、最も重要な祭祀としている。神嘗祭と同様に神宮(伊勢神宮)には勅使が遣わされる


それが新嘗祭だそうです。

私が、このことを詳しく知らなかったとしても。多分許される。物知らずを笑われることはあっても。

雅子さま。

皇太子妃雅子さま、東宮妃の雅子さま。

ご存知でしたか、ご存じですか新嘗祭。伊勢の神宮にも、勅使の使わされる「大祭」、でも雅子さん、結婚直後に一度、伊勢へは詣でて、それきり以後は無し。

まさかとは存じますが、どた出は無理だと思います。跳ね返されます、おそらく。

20年間、人はともかく、神様は待って下さった・・・とか、私ごときが申すことではありません。

雅子ごときが、神域へ進み出得ることはもう、無いのではないか。不遜を承知で、これくらいは、申し上げたい。


交差点、信号の色は?

女性セブンの最新号。

愛子さんが驚異の英会話力で、それは雅子さん=母の、夢をかなえること、なんだとか。

愛子さんは英語セミナーに三年連続で参加している、 内容は授業中にトイレに行きたくなった時どう言うか、など。今年は入国審査時の会話で、お母さん役の愛子さんは息子役の生徒を指して「マイ サン」と話した。

皇室の方々は皇太子の時代から海外でホームステイを経験しているが(原文のまま)、

愛子さんは中学生になった来年の夏、小和田夫妻のいるオランダにホームステイをさせる計画。
一層の英語力アップに繋がるのではないか。


・・・雅子さんは、語学力を生かして世界中を飛び回るという 自分ができなかったことを愛子さんに実現させてほしいと願っているそうなのです。

んんん。語学力を生かすもどうも、日本語で日本人と会話するさえ難しい人なのではないですか。

それを、愛子さんに実現させて欲しい???。

そういう個人的な「願い」を、妃の立場で、一番の優先順位で仰るのはやめて下さいね。

何を生かしてどうするも、挨拶まともにできなそうな娘さんに願いを託すも、十分に存分になさって下さい、個人の立場でして下さい。好きなように生きて下さい。

母の、夢、だと。夢、持ってて下さいはいどーぞ。

そんなことを描いていただくために「妃」とか呼んでいるのではない。そういう妃は要らんのです、一日も早く出て行って、親である自分(たち)の力で、お嬢ちゃんにいいようにしてさしあげて下さい。

被害者意識ばっかり強くて、自分がしなかったことを出来なかったと人のせいにして、時間もお金も自分磨きに使うことも出来た、むしろそれをこそ望まれていたのに、自堕落な生活で薄ら汚れてコテコテとこびりついた汚れが皮膚にも雰囲気にもウロコのようになって。

私は思う。どんな名画、どんな名曲をも、最もいい席で鑑賞することも出来る立場。でもすべてに真珠。素直でない固くごりごりになった心にはきっと、染み透って行くことは無い。もったいない。

何もかもが無駄、どんな深い思いやりも届かない驕り高ぶった精神、その妻を娶ったことを責任と感じて不器用に傍にい続ける夫(ちょっと美化)、ただ一人の娘。さえ、本当に「見る」ことはできないで、自己の都合に合わせることしか考えられない狭さ、浅さ、冷たさ。

などと書き連ねて、しかし、結局はこういうこと。

「自分の暮らしに直接関係ない」

とはいえ、今のままでは言い得ない。雅子さま、あなたが皇太子妃でなくなって下されば、心おきなく、こう言えます。あなたが、東宮妃である雅子さんが、もう地方へは行きたくないと言い放った言葉と同じ。

自分の暮らしに直接関係ない。

セブン誌の記事で「おっ」と思ったのは、

愛子さんは15歳になれば皇室典範だかに乗っ取り、会議の結果がそう出れば、皇室を離脱することがお出来になるということ。

吉報だわ、とも一瞬考えたが、それまで待てない自分に気づきました。



もう一つ。

文春に、飯島勲さん、という方のコラム欄があって。

「今こそ園遊会の在り方を考えるべき」とありまして。

・宮内庁は園遊会のやりかたを見直すべきではないか、両陛下の体力的な負担はいかばかりか。あんなに延々と歩かせてはいけないのではないか。

・驚いたのは雅子妃の欠席。十年ほど適応障害という病名で 、体調不良を理由に春も秋も園遊会を欠席している。

・病名はともかく「あれは甘えではないのか」という批判があるのもうなづけないことではない。

・次の皇后陛下になられると思うと心配でたまらない。

・皇后陛下のお苦しみもそうした精神的負担があるのでは。

・主治医を一日も早く交代させ,医療チームを改変すべき時ではないか。

・両陛下の園遊会でのお姿を思い出すにつけ,ご苦労,ご心痛の大本にあるのはなんだろうと諸々考えている。


と、わかりやすいことを記しておられました。

検索して見ると

「現況
第2次安倍内閣 内閣官房参与

職業
国会議員秘書

著名な実績
内閣総理大臣秘書官」

こんな方のようです。

「永田町の情報交差点」とか呼ばれ(笑)人脈は硬軟どちらへも広いお方のようです。細かいことはさておいて(と強引なワタシ)、この交差点氏の「思い」がどこかへつながり、伸びて行くと、いいなあ、と、かなり強く念じております。

その「血」・・・。

買って来たての「週刊文春」11月28日号。一部分のみ原文のまま。

(略)そのチッソのトップだったのが、雅子さまの母方の祖父、故江頭豊氏です。70年、大阪で開かれた株主総会には、水俣病患者や家族らが出席したのですが、続く説明会で加害責任について江頭氏が発した『誠にお気の毒に』という一言が患者や家族らの気持ちを逆撫でした。壇上の江頭氏は患者らに取り囲まれ糾弾されるという事件が起きたのです。

この経緯は雅子さまがお妃候補になられた際、宮内庁でも問題視された。婚約後の記者会見で、皇太子は、「チッソの問題もあって、それで宮内庁の方でも慎重論が出ておりまして」と発言されている。

当時の様子を知る千代田関係者が振り返る。
「昭和天皇も反対されていたとも言われています。両陛下もずいぶんお悩みだったとも聞きますが、雅子さまを選ばれた皇太子殿下のご決断を尊重された。ただ、現地の方々の感情を考えるとまだまだ難しい部分もあるでしょう。」

秋篠宮ご夫妻は99年に水俣を訪れ患者たちと懇談されている。雅子さまが彼の地を訪問される日は来るのだろうか。


これだけです。しかし、やっとここまで、でもあります。

昨日のわがへたれブログの内容の一部に似て。地方へ出かけた先で面白くなかったか、もう行かないと。理由を「自分の暮らしに直接関係が無い」と言い放った東宮妃。
自分が責任者である場で「誠にお気の毒」と他人事発言を怖じず恥じず放った企業大罪人。

血は争えません。この血を皇室のお方のご行動に見なければならぬ一庶民のわが身の適応障害。重いです。

重い。

自分の暮らしと直接関係がない。ですって。

皇太子殿下は11月17日、埼玉県へ育樹祭ご出席のご公務でした。

お一人でした。皇太子さまはこういったご公務は、ずっと、こなされていらっしゃいます。こなす、というのはおかしな言い方ですが、とにかく律儀に出ておられます。

水泳の金メダリストに「鼻に水が入りませんか」

きのこの選別を業とする人に「キノコの選別は難しいですか」

などのお声をかけられ、でも従来ならば誰も、それを、笑いはしないでしょう。皇太子さんとはそういったものだ、との、共通認識、総合理解がそこには存在して。来て下さったことは、嬉しいとか有り難いとか、そういうことで。奥様がほかのお方なら、それでなんとか。なったのではないでせうか。

翌日18日は、上野の東京文化会館で、オランダの「ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団」の演奏会に、お出ましになったのでした。昨日はお妃も来ました。

お写真を拝見すると、先日の、皇太子さんは「ノー・ネクタイのラフな服装なので皆はそれに合わせて」と当地の「上」の方から命令指示のあった、被災地訪問の折り(ラフな殿下に合わせたと考えられる)と同程度、ジャケットに色違いのパンツというスタイル。

ジャケの袖はいつものごとく雑に折り返され、前ボタンは留めず、衿は何だかねじくれているし、私はよく存じ上げないが、恐らく世界でも最高ランクのこの楽団の演奏会にお出になるには・・・あまりにも・・・と思われる、ネックレスでないペンダント、インナーは多分、ご自宅にいらしたままのもの、そして、何か月か前に皇后さまにアポ無しお見舞いを強行しようとして、事前に未遂に終わった日の、黒い真珠のイヤリングを、なさっているように、私の目には見えます。

お顔は、やっぱり私の目には、コンが憑りついたように見えてしまいます・・・目が吊り上って、お化粧が乗っていなくて。この時のご様子について、

>>題 Name 名無し 13/11/19(火)09:51 ID:IjdDKb0s No.922236
コンセルトヘボウは、ロイヤルがつくだけあって、皇太子ご夫妻が席に着かれる時は全員起立してお出迎え。
終演後、ヤンソンス様も拍手でお見送りの体勢。なのにご夫妻が立たれないので戸惑っていた様子。日本の皇室は、オケがはけるまで聴衆と共に拍手をされることを、主催者は伝えてなかったのかにゃ。
- 11時間前<<<

と書いておられる方がいました。

1888年の創立直後から、コンセルトヘボウ管弦楽団はヨーロッパ最高のオーケストラに名を連ねるようになった。リヒャルト・シュトラウスは1897年に「実に素晴らしい。若々しい活力と熱意に満ちている」と表現した。
 1988年にはロイヤル(王立)の称号を与えられている。
 これまでに1100を超えるLP、CD、DVDなどを製作し、世界中で最も権威あるオーケストラのひとつと評価されている。歴代の首席指揮者の数は限られたものであり、そのことがこのオーケストラの発展の上で重要な役割を果たした。


黒い真珠のイヤリング。光沢があるので茶色っぽくも見える。わたしの間違いでしょうか。

隣でご夫君殿下は、とまどっておられる表情でもあります。でも、このナリで出て来るツマを、どうすることもできなかったのですね。

画像無しで、わかっていただきにくいのですが、これを、皇太子妃として見ていなければならないって。

雅子さんご自身、このような姿を、さらしに、出て来るって。本人の意志なのでしょうか。


・・・前回に続いて、雅子さんに関わるお医者さん方の話を、もう少し。重なる部分もありますが。

現在の一人「東宮医師団」と云われる大野裕医師。

•慶應義塾大学保健管理センター教授。(慶応大HP)
•専門は、精神神経科。認知療法。(慶応大HP)
•現在の雅子妃の主治医。
•東宮医師団の1人。
•雅子さんの実妹、池田礼子さんの夫君のご友人。紹介されて主治医に。仲間内。決して表面に出て来ない東宮妃担当医。
•東宮侍医ではなく、東宮が、個人的に、依頼。
•ボランティア主治医として雅子妃を治療しているので無報酬。経費は公費から支出。
•過去に北朝鮮NGO詐欺疑惑で警視庁に事情聴取された。

・少し前までは、皇室医務主管という肩書の、皇室医療の責任者、金澤一郎氏がおられました。

なるべく短めな引用をさせていただきます。過去記事にも同じ引用をしましたが。


(2012年)7月3日午前11時から御所で、明治天皇の業績についてのご進講があり、天皇陛下と美智子さまが聴講された。雅子さまも、その場に同席されたのだ。当日はご進講の後、両陛下と皇太子ご夫妻、そして皇居に野鳥観察に来ていた黒田清子さんの5人で、昼食を召し上がる予定だったという。だが皇太子ご夫妻は、ご進講終了後に、東宮御所に帰られた。

「雅子さまのご体調がすぐれなかったからだと伺っています」(宮内庁関係者)

そして、昼食会のキャンセルから1週間後の7月10日、雅子さまのご病状にも言及されたインタビューが『文藝春秋』8月号に掲載された。

《両陛下も、雅子妃殿下のご病気に対して言葉に表せないほどのご心労がおありになるようなんです》

そう語っているのは、6月1日付で退任したばかりの前皇室医務主管・金澤一郎氏。このインタビューで金澤氏は、現在の雅子さまの治療方針を問題視している。金澤氏の不満は、1つは雅子さまのご病状がきちんと国民に説明されていないこと。そしてもう1つは、雅子さまの適応障害の治療にあたっている、精神科医の大野裕医師が、皇室の医療の責任者ともいえる金澤氏にも、雅子さまの治療情報を報告していなかったことのようだ。

大野医師の主治医就任は‘04年6月。それから雅子さまのご病気の性質もあり、金澤氏には情報がほとんど入ってこなくなったという。7年にも及ぶ情報遮断もあり、天皇家の主治医でありながら、金澤氏は雅子さまへも批判的になっていった。

金澤氏は、マスコミによく登場する、ある皇室コメンテーターに、こう言ったという。「雅子妃に関しては、もっと厳しい意見を言ってください!」とても、天皇ご一家を守る立場にいる人物とは思えない発言だ。

『文藝春秋』の記事では、「(雅子さまの)ご病状の深刻さはかえって深まっている印象を受けます」というインタビュアーの問いに対して、金澤氏は、あっさり「そうですね」と肯定し、さらに、「(ご病状に関して)今後の見通しが明らかになっていないことが、天皇陛下のご心労になっている」とさえ語っている。


そしてこれについて

皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは嘆息する。
「皇室の医療を統括していた金澤氏が、雅子さまの治療体制の深刻な現状を暴露してしまった形ですね。雅子さまのこうした現状に、“もう手立てなし”とは、皇室の医療のトップにいた人物にしては、あまりにも非情で無責任すぎると思います」


いや、松崎さん。私は(多分多くの日本人は)、金澤先生の仰ることに、大きくうなずきこそすれ、非情で無責任、とか、感じません。

[光差さぬ状況のなかで、雅子さまはご病気との孤独な闘いを続けられている――。]

↑。どこからの引用か、失礼ながら失念しておりますが。

こういう甘ったるい訳の分からない持ち上げで、長い間、雅子さんを甘やかし続けて。

しかし、大野医師と万全ではないのです。

昔、ロシアに、ラスプーチンという怪僧がおったとか。日本なら弓削の道鏡。道鏡はちと、意味合いが異なりますね。ラスプーチン、それですか。

単純に、大野氏を、それなのか、と、届かないのは判りつつ、キっときつい目で(だったと思う)睨み付けていたのです。

2004年、愛子さん出産時の恩人、堤医師が辞めたとほぼ同じき時期から、雅子妃の主治医になった。

宮内庁病院と折り合いが悪かった雅子さん(身内以外の誰とも折り合いは悪い)にとって、大野医師は精神的支えになった。妹の紹介出し、拝む対象は同じだし。独身でもある。長い長い電話の相手にもなってくれる。

携帯電話で雅子さんと直接会話をする事が、大野医師の治療のやり方だった。

本来の正式な東宮侍医らは、妃殿下に関するどんなことも大野氏の指示を仰がなくてはならなかった。雅子さんは、大野医師以外は完全無視状態でもあった。

皇太子妃・雅子さんの公務の出欠可否も大野先生の裁量に委ねられていた。

「認知療法」なる治療法を行う大野医師は、主治医でありながら一度も会見を開いた事がないほど、情報遮断を貫いた。雅子さんには強い味方と思えたでしょう。絶対的な自分の味方。他の人々のように、ああしろとかこれはダメとか言わない。

「したいことだけしなさい。開き直って、したいことだけを。」

東宮侍医団や金沢医務主管の耳にも、雅子さんの病状は届かなかった。

金沢医師いわく

「妃殿下は自分の情報が外部に漏れる事を極端に嫌う。特に両陛下の耳に

入ることが嫌だ。ゆえに大野医師も自分を避ける。自分を両陛下の手先と考え

ている」


皇太子の人格否定発言後、詳しい説明を求めた宮内庁に対して雅子妃は説明を拒否。林田東宮大夫に「それなら皇太子妃をやめます」と発言。

実はこのとき、隣には皇太子がいて雅子妃は

「はっきり申し上げておきました」と笑って言った。(KUON註:これは、電話を通してだと言われています。)


大野医師は、このように雅子妃の(感情の波)を受け入れる事には成功したが、それはきっと、治療法の成功への道筋になるべきことだったのだろうけれど、

「好きなことだけやればいい」とアドバイスして、雅子妃に以後、用事があるたびに雅子妃から呼び出され、診療プランが立てられず。のしかかる重さも並でないお方なのですねM子さま。

やがて医師と患者の蜜月はうす~いものと変わり行き。

雅子妃と大野医師の関係悪化の原因は2009年の「医師団見解」だったとされます。

この時これを具体的な病状に踏み込んだものにしようとした大野医師(くおん突っ込みたい:保身とかでないですよね?医師としての良心・・・みたいなモンですよね? お医者さんと言う存在を、信じたいです)に雅子妃が激怒


それからは「ご機嫌うかがい」の主客転倒状態に。医師と患者の関係としては不毛、しかし雅子さんという人は、普通に周囲との人間関係をつむぐということが、不可能なのか。

さまざま、エピソードに事欠かないお妃さまですが。

・懐妊数年前、地方公務での「県政事情聴取」・・産業や過疎化に関する話を聞き、食事を共にする公務があったが、妃は

「ああいう集まりはもう二度と出席したいと思いません」と発言。

理由は「自分の暮らしと直接関係がないから」

愛子さんの「学習院いじめ」のことも、詳しく調べてみれば、自分は絶対に間違っていない、悪いのは徹底的に相手の方、簡単にいえばそう、ディスチミア症候群。これについてはまた書かせていただきたいですが、普通まともに通り得ない話、権力者の愚行、暴挙でありました。

現在に至るまで雅子さんは「両陛下に会う事がストレス」。

それで、いつまで通すつもり。

両陛下は単純に、うっとうしくてイヤ、な、お尻に敷いてやってるわよ、の夫さまの、両親。そんなものではありません。

あなたの頭上に、雷でも怪鳥でも降ればいい。

神罰というものが、もしも本当にあるなら、そしてそんなことを願っていいなら。私が、神様に許していただけるなら。

あなたにこそ、下ればいい。

人(人ですよね?)に向かってこんなこと言う自分は、やっぱりあんまり気分良くないから、もうここまで来たなら、静かに、どこかへ納まっていらしてください。

出ておいでになるのも、見ているのも、限界、ってものではないですか?。

治療など、受けておられないでしょ?。


・・・・・心のこもったコメントをありがとうございます。

明日は朝から家にいます、ゆっくりお返事させていただきたいです。

鍵コメさん、、親孝行のあなたさまにも。

(リンクさせてもろてる「やまのこ山」さんのブログに、新しい切り口での「ヤフオク」事件が。少しずつ書いて行かれるようですが、このヤフオクは流しちゃってはいかん、と、思いつづけます)。span>  


浮かび上がって来るかたち。

現・皇太子夫婦が結婚されたのは、20年前の6月9日のことでした。1993年。

ご結婚によって東宮侍従は3人から4人に増員。この時点の東宮侍医長は小山昭二氏・・・とか言っても、存じ上げない世界ですし、私も正直、あまり興味を抱けないです。

1993年以後の侍従さん、女官さん、侍医さん方のリストを手元に、私が個人的に「へえ」と感じたことを少し、アップさせていただきます。

これに先立ってまず、以下のことを。

4月27日、千代田区内某ホテルで宮内庁幹部6人が、雅子妃実現に向け秘密会議。だったそうです。

・宮内庁長官  藤森 昭一氏。
・宮内庁次長  宮尾  盤氏。
・東宮大夫   菅野 弘夫氏
・東宮侍従長  山下 和夫氏
・宮内庁参与  団藤 重光氏
・宮内庁参与 須之部 量三氏

秘密会議、なんてものがあったのですね。

侍従さんについてはわからない上にわからない世界ですので割愛、この色で女官さん関係この色でお医者さん(侍医さん)関係を。年齢は当時のものです。

1992年 ・高木みどり氏(61)、東宮女官長就任。

・木幡清子氏(49)東宮女官就任。

(木幡氏の夫君は小和田恒氏の友人で、外務省での親交が厚かった)



1993年。6月、ご成婚。

川口政行氏(宮内庁病院の副院長)、東宮侍医就任。

・6月23日(?) 中町芙佐子氏、東宮女官就任(臨床心理士(セラピストのキャリア有り)元・家裁調査官。

1996年。

・栗山基朗氏、東宮侍医就任(東大卒・漢方と免疫アレルギー専門)

1997年。


3月 川口政行氏(93~)東宮侍医解任。

3月 小山昭二氏(93~)東宮侍医長退任。

4月 川口政行氏、東宮侍医長就任。

4月 新啓一郎氏、東宮侍医就任(高血圧、循環器科専門)。


1998年。

・中町芙佐子氏(93~)東宮女官、退任。

・6月 安東博子氏、東宮女官就任。


99年の雅子さん懐妊のときは坂元教授をリーダーとして計5人の医師団を結成。女医2人は雅子さんの強い希望によるもの。

2001年。

・3月1日 堤治氏(東大教授)東宮御用掛就任。

・雅子さま出産の医師団は堤氏を中心に専門医7人が加わり、川口東宮侍医長ら約10人の規模に。


10月半ば 中町芙佐子氏、森幸男氏、東宮職御係に就任(着帯の儀式、皇太子夫妻の代理をつとめるため)。

12月1日 敬宮愛子内親王誕生。

・愛子さん誕生後に看護師4人が公費で置かれ、その後看護師2人が増員。

2002年。

・東宮職では侍医が2人から3人、看護師が4人に増員された(2008年までは4人のまま)。

・(就任時期不明にて中村嘉宏氏(小児循環器専門が加わった)。

・7月 川口侍医長辞職。

・小西富夫氏、東宮侍医長に就任。

堤教授は「雅子さまは妊娠中もタバコを止めなかったんだ」と周囲に漏らしていた。(=テーミス)。

2003年。

7月、高木みどり氏、東宮女官長を退任。木幡清子氏が就任。

6月 堤治氏 宮内庁御用掛を辞職。

6月以降、大野裕・慶応大保健管理センター教授が雅子様の治療を担当(雅子さんの妹・礼子氏の夫・池田祐久氏の紹介。

=2009年4月21日の第171回国会・決算行政監視委員会で現・宮内庁長官・風岡氏が

大野医師は、皇太子妃の担当医師として、東宮側が委託をするという形で、東宮職の他の医師とともに治療にあたっている。特に公的な肩書を持ってということではない。必要な経費については公費をもって負担をしていると発言。


2005年。

オランダ(私的静養)旅行同行者。

・ファーストクラス利用

  東宮侍従長   末綱  隆氏
  東宮侍従    野本  勲氏
  東宮侍医    中村 嘉弘氏
  東宮女官    箱島 明美氏
  出仕      福迫美樹子氏
・ビジネスクラス利用

  内閣府事務官  川上 泰男氏
  東宮内舎人   平山  学氏
  東宮女嬬   小山内さち子氏
  看護師     中川 直美氏

・(?)

  医師      大野  裕氏
  ヘアドレッサー 水尻 美雪氏

2010年

4月1日 小山久子氏 愛子さんの養育専門の東宮女官として就任(同年4月1日付学習院幼稚園長を定年退職)。

・7月以前(?)中川直美氏解任(愛子さん担当看護師)。

・12月27日 小山久子氏、体調不良を理由に東宮女官依願免職。

・小山氏の退職に伴い養育専任東宮女官のポストを廃止。

・木幡清子氏(92年~)(67)本人の希望により東宮女官長を退任。


2011年。

1月 木本彰子氏、東宮女官就任。

(夫・故人)は広中和歌子氏の実弟)


でした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・既にご成婚前から、小和田恒氏の関連の方が東宮女官につかれていたり。

医師団の変遷についてはもっと詳しい資料もあるのですが、大野医師の存在を、現・風岡長官(宗教同じ)が公の場でこのように説明していたり。

・明らかな説明になっていない気もしますが。

・愛子さんご出産の立役者とも言える(当時は大きな扱いでした)堤医師が、妊娠中の雅子さんの喫煙習慣を明らかにしたり・・・これは、よほどのことだったと私は思います、医者の守秘義務だなんて、このクラスの方に言うも愚かでしょうし。

・セラピストとして入った中町芙佐子さんの存在が、常に見え隠れしていますし。

・鳴り物入りで愛子さん専任に就かれた、学習院の元・園長の小山久子さんの、体調不良の休職の果ての依願免職。

・超・高名な広中ご夫妻の実弟、どなたも熱心な学会員であられるそこからの、2011年の女官就任。

…事実をほんの僅か、並べてみても、浮かびあがって来るある形ってものが、あるのだなあと、しみじみ思う、ストーブの傍。






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としどしに わがかなしみは ふかくして 

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