KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

悲しい、に似た感情。

月末なので銀行の用事をあれこれ済ませ、この日は自分のための日としてゆっくりすることにしています。

好きな店へ行ってとても美味しいコーヒーを、ゆっくり。そんなに味がわかるのでも無い、ただ、店の感じや、さりげない接客ぶりが、わたしには好もしいのです。顔なじみになってはいても常連ぽい扱いを受けたくないというのが、望みなんです。

ケーキなんぞも選んで、ぱく、といただいちゃったり・・・唐突ながら少し前、やさいさんが「ケーキを食べたよ」ってな記事を書いておられた時に、ケーキについては発展途上のこの身が「プリンケーキみたいな」と、写真を見て書いちまったあれは、もしや、いま話題の(これも遅れてる?)ブリュレ、なるものではあるまいか。

そんな思いが脳内スパーク、飛んで帰って、すみません、じゃないな、でへへへ~、私、間違いましたね~とか、この際いささかの媚び媚び笑いは致し方あるまい、とか・・・考え始めると思いはどこへさまよって行くか、思いの持ち主である己にも不明。

いろんな「思い」がね。牛の反芻みたいに、アタマの中に、もにゅもにゅ、います。


私にとって美味なるものは、塩味のゆるい卵焼き。辛みの勝った大根おろし、皮を焦がした塩ジャケに京の西利のお漬物。お味噌は名古屋の赤味噌で 豆腐にお揚げ時に里芋、ぐらぐら沸かしたものが好き。

ごくごく普通の御馳走に 欠かせぬものは白いご飯。

今日のお昼ご飯は、そういう、普通であってさいこー、なものを、頂きました。メインのおかずはホッケ。
ばぁばと呼ばれるようになったあたりから、食事のメインに焼き魚を選ぶようになりました。

書店へも立ち寄ります。週刊誌のコーナーへは寄らず、熟考の果てに二冊。思わず皇室関係のムックみたいな一冊も、買いそうになりました。

お正月のご皇室の集合写真の変遷を、眺めてしまいました。

お若い両陛下、お若い浩宮様、文宮様。紀宮様。紀子さんが加わられ、眞子さんが、佳子さんが加わられ。

雅子さんも、すっきりしたお顔で微笑しておられます。

愛子さんが加わられ、悠仁さまが加わって来られ。

このお家だけは、日本人の家庭の幸せの象徴、のように、長く見られて来たのに。


そうであっていただきたかった、というのは、おそらく勝手な言い分でもあろう、不遜でもあろう。

国民のために生きる、などということを、引き受けて守って行く、実践して行くという、生き方。在り方。


皇太子殿下に妃殿下に、あれこれ思ってどうなろう、とも、考えます。

考えてせんないことを、しかし、考え止めよう、とは思えない。

東宮ご夫婦のことを思うのは、悲しい、に似た感情であると、書いてもいいですか。

そこにおられてはならないお方がた。静かなお暮しを、としか、それ以外の望みを今は抱き得ない方々。

今日買った一冊は、初めて手にした、安部龍太郎の本。日本史を題材の短編が集まっています。あれこれ、知りたくなりました。


やさいさん。コメントありがとうございました。

私の周りにも「天ちゃん」という感じは濃くありましたよ。現在の陛下の妹君は「おスタちゃん」とか。親しみを感じての呼び方だったと、私も思います。浩宮さまはナルちゃんだったしね。戦後、ぐぐっと身近になった皇室に、大人は、はしゃいでいたと思います。

お父様は、15歳で被曝されてひどいことだったのに、天ちゃんを労り、ねぎらう気持ちをお持ちだった。解っておられた。先日書いた私の母もそうでした。胎内被曝して生まれて三日で死んだ息子を忘れられないまま、天皇さん、とか、嬉しそうに、テレビを眺めていましたね。皇室を、理屈無しに好きでした。

・・・奈良においでになった両陛下を、駅前で、何と言いますか「見た」ことがあります。

もうすぐ車が来られま~す。とか、のんびりした警備の方の声。もっときりきりしたものかと思っていたら。

おばちゃまたちが写真撮ってもいいかと尋ね、警備(警護?)の方は、いいですよ~、でも考えてして下さいね~、とか、リラックスモードで。

黒い車がゆっくり、近づいて来て、私はどきどきしました。

皇后さまが、窓の向こうから、手を振っておられました。私も一生懸命に手を振りました。すっごく純情に、手を振りました。3メートルくらい先に、おられました。

美智子さまは、座って手を振っておられるのに、3Dな感じでした。浮き上がって見えると言うか。そして、うちらの塊は三十人くらいだったのですが、とにかく塊に向かって「ありがとう」「御元気で」「幸せにいて下さいね」のような、祈りというか、願いと言うか、本気でそう、思って下さっているんだなあ、と、感じないではいられないパワー。お力、を、ぐいぐいと感じたんです。必死で全身で、そう、願っていて下さる、みたいな。

みちこさま~、とか、こうごうさま~、とか、声を出しているおばちゃまの中に、泣いている人がいた。私も、黙って、涙垂れておりました。なんでか、涙が、出たの。

こういう話を、へええ、とか、はあああ、とか、聞いていた頃もありました・・・。

その後、近所の某所に皇太子さまが来られる、お通りになるので、町内で行ける人は道の傍に立って欲しいと、自治会から知らせが回ったこともあり。

班長だったし、行きました。

皇太子さまも窓を開けて、笑顔で手を振って通られました。それだけでした。


<<<はじめて昭和天皇の列車をみた日の思い出は断片的です。
けれど、原爆で酷い目にあった父ですが、それらの一切が昭和天皇には責任のないことを知っていたんだなあと、今になって思います。いや、もしかしたら、責任があったかなかったとか関係なく、昭和天皇を尊敬していたんかな?

私が小さいころ祝日には日の丸を玄関に掲げ、天皇陛下バンザイ!と言う大人が周りにたくさんいた。
「戦争を知らない子供たち」にも、それがフツーの風景でした。
昭和から平成に替わった日も、半旗の日の丸を掲げました。てっぺんの金色の球の部分を黒い布で覆って。
そういうの、右翼と言われるなら、そうです、私は「右巻き」ね(^^)v>>>

わったしっらっわったっしっらみんな~、ちゃんちゃん、右巻きや~。

それと。う○ことかしっ○とか。言うだけでなく、よく投げますね。

ペットボトル爆弾にして、投げておられます。そーゆー、それを原料にしたお酒のこと、現実にあることを詳しく知った後は、しばらく、ちょっと、ウグエエ、でした。幼い子どもの発達過程に、そんな時期があるとは承知ですが、大人が主に、言いますね、かの国では。

人間がそれをするのは、当たり前のこと。出なきゃ病気になります。出るのはありがたいことです。それを「えらそーに」に繋げるのは、やはり、何が何でも嫌い、憎い、だからでしょうか。

そういった人の次代、次次代が、この国で育っています。それこそ、エラソー、な人もいる。笑。

ここで言いたいセリフもあるが、今夜は自主規制、としておきます。




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空っぽの手であり、無私である。

いつもこのへろへろブログをお読み下さり、ありがとうございます。

今日は、リンクさせていただいているやさいさんのブログに、常に変わらぬことをわめき書きさせていただいて来ました。

そこで紹介されていた文章を読んで、涙腺が決壊して大泣きいたしました。

今夜は食べ過ぎて苦しい、なんぞというはしたない(けどホントなんだ! )言い訳を持ちまして、今夜はここでわめき書きすることを休ませていただき、大泣きの元の聖(ひじり)なる世界を、ここにも紹介させていただきます。

昭和天皇は、戦後、現人神から「人間宣言」された存在となられました。

人間となられて、それが、このように性(さが)美しい形であられたこと。

わたくしごときが何を申すまでもないことです。

<<<マッカーサーを感動させた昭和天皇の言葉


「…(終戦時において)陛下に対する占領軍としての料理の仕方は、四つありました。

一つは東京裁判に引き出し、これを絞首刑にする。
一つは共産党をおだてあげ、人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。
三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。そうでなければ、二〇個師団の兵力に相当するかと怯えた彼らです。
また第四番目は、闇から闇へ、一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。


いずれにしても、陛下は殺される運命にあったのです。
天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大なる聖者か、いつでもつかまえられる。
かつては一万八〇〇〇人の近衛師団に守られたかもしれないが、今や全くの護衛を持たずして、二重橋の向こうにいる。…


陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。
貞明(皇太后)様は、(侍従に、)陛下から目を離さんように命じました。
じつに一番悩まれたのは、陛下でありましたでしょう。


九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、マッカーサーの前に立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。
ついに天皇をつかまえるべき時が来た。
マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。
マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえて、ソファーから立とうともしなかった。

陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』

――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか

――しかし陛下は続けました。

『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』


天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても…と淡々として申された。
このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であったのです。
陛下は我々を裏切らなかった。

マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、今度は陛下を抱くようにして座らせました。
そして部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と。

マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、
「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」
と。

陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」
と。

そののちマッカーサーは、陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。


皆様方、日本は八〇〇〇万人と言いました。
どう計算しても八〇〇〇万はおらなかったでしょう。
いかがです?
一億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、すべてを差し引いて、どうして八千万でしょうか。
じつは六六〇〇万人しかいなかったのです。
それをあえて、マッカーサーは、八〇〇〇万として食糧をごまかして取ってくれました。
つまりマッカーサーは、いわゆる、陛下のご人徳にふれたのです。
米国大統領からは、日本に一〇〇〇万の餓死者を出すべしと、マッカーサーに命令が来ておったのです。

ただ一言、マッカーサーは、
『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』
と言いました。

彼は陛下のために、食糧放出を八〇〇〇万人の計算で出してくれました。
それが後で、ばれてしまいます。
彼が解任された最大の理由はそれであったというのが、事の真相です。>>>



<<<貞明皇太后の前で泣いた昭和天皇

また、さらにご立派であったのは、貞明皇太后でした。

母君の貞明様は、亡くなるまで防空壕の中で生涯を送り、雨漏りのする、そして皆様方、貞明様は法華経の信者でしたから、戦死者のお名前を一〇人ずつ書きながら、法華経をあげて生涯を送られたのです。

その貞明様が、皇霊殿に陛下をお招きになりました。
皇霊殿は高いので、東京の市中が見えるのであります。
焼けただれ、一日千秋の思いでわが子の復員を待つ年寄りたちの姿も、見えるのであります。

貞明様は陛下にそれをお見せになり、
「陛下、国民は陛下のご不徳によって、このように苦しんでおります。この国を一日も早う復興しようと召されず、お腹をおめしになろう(切腹しよう)などとはご卑怯ではありませんか。退位は絶対になりません!」

陛下は、母君の前で頭を垂れて泣かれたそうです。
どうしたらいいのかと。

陛下の万歳を叫んで死んでいった護国の英霊の労苦を労いなさい、遺族の労苦を労いなさい、産業戦士の労苦を労いなさい――これが、後の陛下の行幸(外出)になったのでした。

最初の地は広島でした。
原爆の地、広島でした。
共産党の腕利きが、今こそ「戦争の元凶である裕仁に対して恨みを報いようではないか」とビラをまき、宣伝カーで叫んでいました。
しかし、陛下は一兵の護衛をも持たず、ツギのあたった背広をお召しになり、中折れ帽をかぶって、広島の駅頭に立たれたことは、われらの記憶に新しいところであります。
むしろ陛下がおいたわしかった。
「万歳、万歳」の歓呼をもって迎えられました。

言えばやはり記録に残りましょうから、その県名と市名はもうしませんが、北陸のある所(福井市)においては共産党が、「朕はたらふく飯を食う。汝臣民飢えて死ね」とプラカードを仕立て、二〇〇〇名のデモ行進をやっていました。
「陛下、お逃げなさい」
しかし陛下は、「私に面会を申し込んでいる限り、私が会いましょう」 と言って、皆の前に頭を下げられました。
「皆様方が私を打擲することによって心が癒えるならば、ごずいにめされたがいい。でも日本の国を一日も早う復興し、次の子孫へこの国を送り得てこそ、はじめて護国の英霊に対し、我々が報いる道ではなかろうか」
と陛下は申されたのでした――はっきり言ったほうが良かったのかも知れませんが、場所を。

陛下に向かっての発砲もありました。
八二歳のある老婆が犠牲になったことも、中国地方の一角でありました(広島で、陛下をねらった弾がはずれて老婆に当たった事件)。
陛下の行幸は、そういう中に続いたのであります。…」>>>



<<<マッカーサーおよび侍従長の証言

以上が、三上教授の講演の言葉である。
この講演にも出てきた一九四五年九月二七日の天皇とマッカーサーの会見については、辻井圭三氏(キリスト伝道会「活水の群」副理事長)も、こう書いている。
「この件については、第二回目の通訳をされた、内閣情報局総裁であり戦後外務次官も務められた奥村勝蔵氏を通じて、私は詳しく伺いました」
そして、三上教授の言っている通りであると述べている。
実際マッカーサー自身が、のちに回顧録の中で次のように書いたのである。

「天皇の話はこうだった。
 『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』
――大きな感動が私をゆさぶった。
死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」
(マッカーサー回顧録一九六三年)

天皇とマッカーサーの会見は、はじめ一五分の予定だった。
しかし、マッカーサーは天皇の態度に深い感銘を受け、会見は三五分にも及んだのである。
会見がなされると、その会見の要旨は後ほど通訳の手で文書にまとめられ、侍従長に渡される習慣になっていた。
会見の翌日、藤田侍従長は、会見における天皇の発言の要旨を文書にまとめたものを、通訳から受け取った。
藤田氏は、いつものようにそれに目を通したうえで、天皇のもとに提出した。
藤田氏はこのとき、メモをとらなかった。

しかし彼はのちに、その内容について二つの点をはっきり憶えていると言って、次のように著書の中に書いている。

「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。
私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』
一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。
『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい』」
とマッカーサーは言った(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和三六年)>>>。


わたしを、右翼と呼んでくるかたがおられます。自分が右翼だかなんだか、自分にはわかりません。

今、思うことは、

武器を持たぬ空手で。

無私である。

そのことの、強さです。

言いたいこと今日は半分くらいです。

<<<バカ皇太子夫妻は廃嫡するべきではないだろうか。そして秋篠宮が継いだ方が世のため人のためではないか?仕事もせず、運命から逃げるような役立たずはどこかに追い出してしまえ。それこそ、いきたければ半島でもシナでもどこにでも行くがよい。南北朝分裂のようになるのかもしれないが、この体たらくのまま、万が一にも天皇を継ぐということになれば、迷惑するのは国民である。

 雅子など「タダのダルイ病の不倫バァサン」である。まったく、そういうものは廃嫡しないといけないだろう。皇室だって、たまには邪気や卑なるものが出るが、きちんとその度に排除してきたからこれだけ続いているのである。たとえ血がつながっていても、たまに卑しいモノが出る。それを「なかったこと」にするのも、天皇たる神官の義務なのである。

 と、御料牧場の牛乳を飲みながら考えたのだが・・・

より個人的には離縁の上、蟄居ですね。そして皇位継承権の優先順位を秋篠宮殿下・悠仁親王に委譲し、葉山辺りで残りの日々を安らかに過ごされるのが宜しいかと。

理由
①事情は何であれ、東宮は今上天皇陛下のご子息であり、廃嫡はあまりにも無慈悲な措置であること。
②東宮ご乱心の核が雅子であることは明白であること。
③雅子は邪教を信仰していること(せんべいではないと思います。もっと厄介)
④秋篠宮殿下は現状東宮教育を受けておらず、ご年齢を考えると早急に陛下から宮中祭祀等についての教育を受ける必要があること。
⑤昨今の東京都内での外国人の蛮行を考えると、悠仁親王の警護を迅速に強化する必要があること
以上です>>>

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↑ この小気味のおよろしい記事は「二階堂ドットコム」さんからいただいてまいりました。

次の件も。勝手に略している部分のある(写真とか)失礼は、この場より、伏してお詫び申し上げます。ごめんなさ~い。



<<<題名: 東宮はどこにも寄進していません

伏見稲荷の皇族方の御下賜の写真は何度か拝見しましたが、東宮夫妻はどこにも寄進したと言う事を聞いたことがありません。

例えば、出雲大社

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1369582167821.jpg

(この写真は、今年5月6日に島根県の出雲大社(遷宮で一部を新しくしています)で撮影したものです。

皇太子がどこかに寄進したと言う立て札や情報は全く聞きません。

また、記事を見つけ出せませんでしたが、数年前、靖国神社が発表した会報?のようなもので皇族方の御下賜の明細を発表していましたが、やはり東宮夫妻の名前はありませんでした。(二階堂さんなら靖国神社で調べられるかと思います)陛下が終戦記念日に追悼なさるその日にわざわざテニスをして夜は花火パーティーするバカ夫婦ですから。

数日前、三重の熊野古道をハイキングした皇太子。でも伊勢神宮には寄らず・・・・本当に神道の教えを捨てています。>>>

KUONも書きたい・・・皇太子殿下は、2008年以降、全く伊勢の神宮に、ご参拝どころかお立ち寄りさえしておられない。妃殿下については言うに及ばず。絶対に行かない、とのご決意、ご行動でしょう。香山リカみたいな反日が、堂々と、いけしゃあしゃあと、合理的でない祭祀など「好きでないのだろう」とか、庇ってくれるし。

<<<靖国神社に関しての補足です

「・・・また、従来通り秋篠宮家・常陸宮家・三笠宮家・寛仁親王家・桂宮家・高円宮家より御玉串料の御献進を賜りますと共に、本日午後には寛仁親王殿下、明日には三笠宮同妃両殿下が親しく御参拝下さる由仰せ出されております。・・・」(『靖國』第647号より抜粋)

また、2009年ですが、石清水八幡宮にも東宮夫妻のみ寄進していません。写真はないですが、

天皇陛下 御下賜

神饌料  金壹封 秋篠宮

神饌料  金壹封 常陸宮

神饌料  金壹封 三笠宮

神饌料  金壹封 寛仁親王

神饌料  金壹封 桂宮

神饌料  金壹封 高円宮



神饌料  金壹封 竹田家

神饌料  金壹封 北白川家

神饌料  金壹封 東久邇家

神饌料  金壹封 久邇家

神饌料  金壹封 伏見家

神饌料  金壹封 朝香家>>>


・・・何度も言うのもトホホ、ですが言うけど。

みごとにハズレてる夫婦です。

確信犯です。

順序が違うというのは恐ろしいことです。

天と地とは、入れ替わってはならないもの。

するべきこと→したいこと。ふつう(何が普通かはおくとして)順序はこうでしょ。少なくとも、そうだ、とは、知っているでしょ。私の場合、こそっと逆転していることも多いが・・・全力でとにかく、ツジツマだけは合わせようとする。結果オーライにしとかんとアカン、と焦る。気持上の順番と形の上での順番が違うこともありますし。伝票まとめるより先に、ネット徘徊してしまうとか・・・。

あの夫婦は、そんな知恵も無いのか、なめてはんのか。全然、気が無い、ってやつでしょうね。


<<<「内廷費」は天皇家と東宮家の私的費用で5.2%の3億2400万円。残りの4.7%、2億9100万円は秋篠宮、常陸宮、三笠宮、桂宮、高円宮の私的費用「皇族費」だ。宮家当主が3050万円で妃殿下はその半額等、皇室費を定めた皇室経済法によって家族の人数と構成で決まる。ちなみに秋篠宮家は、悠仁親王誕生後5490万円である。

「宮廷費」と「内廷費」は年4回、「皇族費」は年2回に分けて振り込まれるという>>>

もちろん、公の御用についての費用は別です。東宮夫婦は公務ほとんど無し、なので、その別口の宮廷費に関してはお使いにならず・・・なわけでなくてね。

ねずみランドは過去のこととしても、先日の学習院幼稚園50年の記念行事への「親としての参加」も、テレビでは「公務」との報道で。

・・・もしも間違って「寄進」されても、自分たちのお金でなく、公費、経費、で、落とすんだろうな。。

あああ、気分悪い話ですわ。って、そんな話をだらだら書いて、申し訳ございません・・・。

したいこと→する。するべきこと→しない。

それじゃあ、お天道さまだってソッポ向くよと、ふーてんの寅さんなら言うかも。

年は「ばば」になったって、お引きずりになっちゃあ、おしめえよ、とも、言うかなあ・・・。



やさいさん。

お返事遅れましてすみません。

坂本龍一は、村上春樹と同じ匂いがします。うまく言えませんが、含羞、といったものに対しての感性が、私の好みでないの。見ていて「ハズカシー」、なの。私の好みなんぞどーでもいいか。

あの大震災、原発事故の後、私は、ほんまにいっぱい、知らずにいたし知ろうともしていなかったことを、見聞きしました。原発は・・・今までの原発は・・・今までの、周囲のヤカラの既得権益のためだけの原発は・・・ダメだ。と、溢れんばかりの思いで、あれこれ書いた。しかし、やっぱりそうなって来た、という具合に、この問題は進行するようになって。

したり顔で発言する人間が多くなって、実際に放射性物質の降り注ぐ町で村で、子育てしながら、必死に懸命に「反対」を叫び続けるお母さんたちの集会に、運動家とか活動家とかのヒトビトが介入し、仕切り、自分たちのペースで誘導するような感じが強くなって。…私の、強烈な感じ方です・・・。

「キョージュ」坂本龍一氏が、満を持して登場、みたいなことになって。

「たかが電気の為に、美しい日本と日本の未来の子供達の命を危険にさらしてはいけない。金より命です。子供を守りましょう。国土を守りましょう。福島の後に沈黙している事は、野蛮だ」

なるほどごもっとも、これ以上あり得ないくらいの立派な正論を述べられました。

正論に対して、はむかうことは難しいです。正しい論、なのだから。

ニューヨーク在住なのに、美しい祖国日本の惨状を憂いて、ひとびとの前に降臨なさった。

正論の人には太刀打ち不能です。。嫌いだ、でも嫌いなんだ、と、弱弱しくつぶやくくらい。


自然エネルギー財団 会長・設立者: 孫正義 / 評議員: 坂本龍一

二大巨頭、の図ですか。

<<< 日本は中途半端に大きいから、経済活動も鎖国的にやってこられたけど、その日本仕様できたガラパゴス的な弊害がいま出てきている。
これからは、韓国に学んで韓国的にやっていかないとダメじゃないかな?
http://openers.jp/culture/sakamoto_uekara/uekara014.html?top >>>

韓国が大好きで、娘さんの夫さんも韓国の方だと言う、坂本龍一キョージュのお言葉です。韓国がお好きなのは勝手ですが、「韓国に学んで韓国的にやっていかないとダメじゃないかな? 」との仰せには、乗れません。

言わんといて。

<<<★さようなら原発1000万人アクション」HPを下までスクロールすると住所とファックス番号は反原発・反核兵器運動を大義名分にして半島慰安婦・平壌宣言・朝鮮高校無償化などの 関連活動ばかりしている平和フォーラムと同一、電話番号は下一桁が一字違いであることがわかります。

★電気がなくなって日本経済が世界3位から10位、20位に転落しようと全然かまわない」と主張する坂本氏と、韓国ハンファによるソーラーパネルのダンピング攻勢+ソーラー発電電力の20年間高値押し売りで日本のメーカー・電力会社もろとも潰そうとしている半島工作員・孫社長の利害は見事に一致しています。>>>

↑ やさいさんのコメントより。

それと。奈良にも来て、500人の人が話を聞いたと言う、元・従軍ばいしゅんふの二人のおばあさん。

金さんの方、福童とかの名前の方。

現在87歳。日本の終戦は1945年だから、68年前で、金さんはその時、二十歳過ぎ。21?。

14歳で連れて行かれたとか、言っておられる。あちこち、転々としたとか、で、そんな中、途中で強制的に連れて行かれて、そんな目に遭ったのか・・・。よく判らないんですけど、福島瑞穂が政界デビューを果たす花束役みたいに連れて来て、証言とやらをさせた三人のばあちゃんも、年齢とか、言ってることとか、矛盾が甚だしかった気がします。

ご高齢の故と、苦しい過去を思い出させられる辛さで、記憶が混乱することもある、とか、書いてあった。

辺見庸が、この婆さんたち変なの~みたいに書いていて,そうよね、変よね、と、過去のおばあさんたちについては、感じて終わっていたのでしたが。









誰がザルなの?

週刊現代の今週号の表紙に「雅子妃でよかったのかなー結婚して20年、いま国民が思うこと」とある。

一読、そ~んな言い方って無いやろ~、と、思いました。

毎日毎日、退けだの去れだの書き散らしているKUONが何を言うか! と驚かれるかもしれません。

実際、今も思いはぶれておりません。

皇太子ご夫婦(わざと「ご夫妻」と書かないんです、変なこだわりでしょうか)には、その公的な立場から降りて頂きたいです。

本当に、その日が現実に来るまで。パソ打つ手がよれよれ、へにゃへにゃになっても(イヤみなやっちゃな)願い続ける所存です。

それと、雅子妃でよかったのかな、という物言いとは別問題です。この言い方は失礼だ。

20年昔に戻れるわけじゃない。

それに雅子さんは、昭和天皇が反対の意を強く示されたに関わらず、当時、後藤田氏が「皇居前にムシロ旗が立つ」と明言されるようなことがあっても、皇太子・ナルちゃんが、どうしてもこうしても、わが妻に、と望まれた女性。

わが妻=未来の日本国皇后であると、わかっておられたかどうかは・・・。

それで、あのこともこのこともむにゃむにゃのままにご成婚へ。

そのむにゃむにゃ部分が、やはり大切なことだったようで、徐々に、ツケが、回って来て。

結婚期間の半分以上が「ご療養中の東宮妃」の図式になっております。

私は週刊現代を買いました。その記事を熟読。

例の香山リカが言うてる。

<<<普通の女性であれば、皇室と言う形式や伝統を重んじる世界に順応していかざるを得ません。ところが、意志が強く実質的な役割を皇室で担いたいと考えて嫁いだ雅子妃は、どうしても順応できなかた。恐らく、いまだに一歩も妥協できていないと思います。その表れの一つが、宮中祭祀への不参加。雅子妃にとって、祭祀は皇室の形式主義の最たるものに映り、好きではないのでしょう。「私がそれをやる意味はあるのか」と、物事を合理的に考えてしまうタイプですからね。男女機械均等法の第一世代として(KUON註・この精神科医は、この言葉だけは言わずにいられないヒトです)キャリアを積み、「皇室外交を担ってほしい」という皇太子のプロポーズを信じて、「私にしかできないことをやろう」と皇室に嫁いだ雅子妃にとって、この「結婚はミスマッチだったのです」

とか。「普通の女性であれば」って・・・。血中民族度の違いかどうか、粗雑な物言いが目に余るひとですね。

雅子さんが皇室に順応できないでいるのは、誰の目にも明らかなこと。
いまだに一歩も妥協できていない、と書く香山リカさまの勢いにはびっくりしますが、
雅子さまにとって、祭祀は皇室の形式主義の最たるものに映り、好きではないのでしょう
と書かれるに至っては、ちょろい反論意志など煩悶のもと、疲労を呼ぶだけ。


同誌上では、元・最高裁判事であられるという園部逸夫氏なる方が、

<<<皇室典範には、皇后や皇太子妃の公務については一言も書かれていない。>>>

<<<体調が悪くて公務ができなかった皇太子妃は、これまでにもたくさんいたでしょう>>>

と書かれ、雅子妃個人をことさら糾弾することに、違和感を覚える、としておられる。反論権を持たない皇族、その雅子妃に一方的に批判を浴びせるのは、まるで弱い者イジメのようだ、と。

これまで、体調が悪くて公務が出来なかった皇太子妃がたくさんおられたかどうかは、何とかして調べたいものだと思います。そんなにおられた? 

いや、園部さん、私はむしろ、雅子妃が、ここまで来たら、反論されればいいと考えるものです。

自分は、こう、考えていると。ご自分の言葉で語られればいいのではないかと考えます。

このたびのオランダ行きの前にも、記者会見の設定はあったのに。頑張って参りたいです、と仰れば、ひねくれ者の私でも、頑張って下さい、と、思ったかどうかは、想像範囲では言えませんが。

弱い者イジメ・・・この方も、国民のせいで雅子様は傷ついて・・・なのか。

<<<皇室典範には、皇后や皇太子妃の公務については一言も書かれていない。>>>にしても。

デパートやスケート場やねずみランドを借り切ってお遊びになられても、見て見ぬふりをするべき、とも、書いていない気がします。これは言い過ぎかもしれません。


週刊現代の記事は、あちこちの方々の意見をちりばめてあって、読者は、取りたいところを取るように、とのご意図なのかと感じますが、取りたいところを私がとるなら、この方の、このご意見を。


<<<雅子妃は優秀な方なので、本来は国際的な場で活躍できるはずの能力を((すみません、ここら、略させていただきます)でも、私はこういうことができる、こういう能力があるという自分を前に出す思い自体が、皇室の「無私の精神」とは反対のものなのです。
自分の能力にこだわるのは一般の国民であって、皇室はそれを「超越した存在です。「自分」のためではなく「国民」や「国」のためという無私の精神が、皇室を皇室たらしめている。

宮中祭祀はまさにそれで、国民に幸せが訪れるようにと祈るものです。一般人は神社に行くと自分たちのことを祈るけれど、皇室は国民や国のために祈っている。

それによって無私の精神が生まれてくる。だからこそ。雅子妃にもぜひ宮中祭祀に取り組んでいただきたいのです。
今のままだと、雅子妃はただのセレブという印象です。皇室はそれを遥かに超えた、世界の王室の中でもトップに立つ存在。

雅子妃には、皇室の存在理由やお務めについてご理解いただくことを切望します>>>。

・・・なんとねんごろな、お優しいお言葉でしょう。高崎経済大学教授の、八木秀次さんという方の言いです。

一つだけ、雅子さんはただのセレブという印象、この部分だけには、アタマ傾げます。

セレブには見えません。セレブって、お召し物はともかくとして、肌や髪への気配り手入れのすごい人、というのが、ナマイキわたしの、セレブ感・・・。意地悪いこと蒸し返します、オランダでのドレス姿、あのお姿は、耳の裏側まで米糠の袋でこすりまくって清潔感ぴかぴかの、昔のしゃきっと婆ちゃんが言ってた「お引きずり」。

それだ~、っと、納得。

しようと思えばできるのに、起きてすぐ髪もまとめないで、ぞんぞろぞおおっと、裾を引きずってあるくみたいな、だらしない女性に向ける、しゃっきり庶民のあざけりの言葉なのだそう。

不敬罪のある時代なら私、確実に、このひとことでやられてるか・・・。

言いつつ、ね。

雅子さんでよかったか、なんて、今、言われてもねえ、だと、思う。

雅子さん、だったんですよ、実際、20年前は。林真理子があの日のご成婚パレードにについて「雅子妃の勝利」なんて書いていたのを覚えています。あの日のテレビ画面には、あの宗教の三色旗、なんてものも、あらわれていなかったし。

当時の皇后陛下へのご挨拶に、全く似合わないピンクのスーツを着ておられたのも、おいたわしい感じでした。

おっかけを自称する子連れの女性がマスコミに取り上げられたりして、まあ大変なこと、でした。

でも、言っちゃいます、結論として「違うかった」。

なら。それなら、今の時点から考える、ということで。

学会の方は、今はどうだか知りませんが、鳥居をくぐるのもNG、だとか。それで皇太子殿下も、どこやらの鳥居を、くぐられるのを回避された、とか。不穏な話が増殖しつつあります。

神道の祭祀など、務まられるべくもない。

そしてここは大切、皇室の「おつとめ」は、やる気の無い者が、務めきられるようなものでもなかろう。

∴ 。

故に、「でよかったのかな」、とかでなく、真摯にま向かわれるお方のみに、そのことは、と考えて、どこに間違いのございましょう。

「で、よくはなかった」のです。それがわかった。

過ちはただす。これ、ダメ?。

いとやんごとなききわにはあらねど、すぐれてときめきたもうありけり。とは、ならなかった平成。

判明している。これ以上間違えの無いように、されるわけには行かないのかなあ、と、惑う次第にございます。

無理なものは無理。いかに清らかな水も、ザルに溜めることはできません。


よおおおく、お考えを。

腎臓を悪くして長く学校を休んでいた小学生の頃、大人たちは「美智子さん」の話題でもちきりでした。

隣の家の板塀の、色が剥げかけていたのを塗りなおして「しおだみちこ」さんの、着物を着た、まん丸いお顔の写真が張り出されていました。

しおだ、でなく「しょうだ」みちこさんであり、正田、と書くのだ、そういう読み方を重箱読みというのだと、その時しりました。

母やその他の大人が言うほど、きれいな人ではないな、と、見ていた。私は当時、姉が休暇で残して行った雑誌で見たBB。ブリジット・バルドオが、世界で一番かっこいい女の人だと思っていたので。

テニスコートだのミンクのショールだの、大人が、嬉しそうに喋っていたのを覚えています。前記のごとき子ども用でない雑誌に、美智子さんも戦争中は、サツマイモを刻んでメリケン粉でまとめて蒸した…鬼まんじゅうとか呼んでいたあれを、召し上がったとあって、自分はその食べ物が好きでなかったので、へええ、と、妙に感心した覚えがあります。戦時中、群馬県へ疎開されたのでしたね。

美智子さま、でなく、美智子さん、と、呼ばれておいででした。みんかんしゅっしん、ということで(当時は意味を知りませんでした)大人たちは、とても親近感を抱いている様子でした。

現在の皇太子さまが生まれ、その方は「ナルちゃん」と呼ばれ、ナルちゃん憲法なんてものも、あった。

海外へ仕事で出かけられる美智子さんが「時々ぎゅっと抱きしめてあげて下さい」とか、残るナルちゃんのために書き置いて行かれたものがそれ、「さすが美智子さんだ、行き届いてりゃあすわ」など、嬉々として語る母親を「何だの、私のことは放っとるくせに」と、冷たい目で見ていた、可愛げの無い子どもでした、わたし。名古屋出身です、はい。

私が生まれる5年前、広島に原爆が落とされた日、わざわざのように市内にいた母は、そのことを、末っ子の私以外には隠し通して弱い体での生涯を終えた、名も無い国民の一人でした。以前も書きましたが、三人の娘のうち、母が被曝して後に生まれたのは、私だけなんです。終戦の翌年に生まれた私の兄にあたる赤ん坊は、真っ白な顔で、指が多く生えている子で、父母の初めての男の子だったのに、生まれて3日目に、しゃぼん玉のように消えてしまった。

母は終生、3日で亡くした息子のただ一枚の写真を秘め続け、そして皇室のことを好きでした。理屈も理由も無く、ただただ、皇室が好きなようでした。母の兄である伯父は、アカと呼ばれる、労働したことの一度も無い人でした。天皇を嫌って、ぼろくそに言っていて酒飲みで、山を田んぼを少しずつ失って行く「でくのぼう」で、私には優しい人でした。

私は、周囲の大人を、ただ、眺めていました。

母の皇室びいきは変わらず続き、紀子さんをテレビで見て喜び、眞子さんをお父さんにそっくりだと喜び(ちなみに秋篠宮さまは、ご幼少の頃の美智子様にそっくりです)、皇太子さまのお嫁さんはまだかと、延々、心配していた。雅子さんに決まった時は、ハイカラな人を選びゃあたなあ、と、少し首を傾げておりました。

お子さんの遅いことも、母は心配していました。あんまり頭のええ人は、かえって大変だにゃあかなあ、と、言うので、おばあちゃんが心配することではないよ、と、答えました、何度も。時にはイライラと。私はその頃、自分がしんどい時だったので。

愛子さんの誕生を、母は知って後、旅立ちました。ええお養子さんが来て下さるとええのになあ、と、言っていました。

本当に、歴史の中の微小な塵のような存在の母でした。

そんな人が沢山いたし、今も、おられるだろうと思います。


昨日書いたことの続きのようになりますが。


<<<その犯人は「皇位継承者たる男子を産む」事を絶対使命として

 要求する皇室の制度そのものである。

 そして、それに何の違和感も持たず、男子を期待するプレッシャーを与え続けた国民は共犯だ。

 「男系男子」を伝統とする皇室制度そのものが雅子妃にとって堪え難い屈辱である。

 そんな事もわからないで「お世継ぎを」と期待した国民は犯罪者だ。

 雅子妃が傷ついたのはこのような国民のせいなのだ。>>>

・・・ここに書かれていることって、何だろうと思う。荒々しさは何だろうと思う。

「国民」はいつから、皇太子妃を傷つける犯罪者、というものになったのだろう。

国民が犯した「犯罪」って何だろう。


・・・男の子が無い雅子さんを、強烈なプレッシャーで苦しめ、傷つけたというけれど。

そのことだけを言い募って、国民を犯罪者、と言い切って済むものか、どうか。

祭祀を司る家へ嫁いで来る方が、神道を学ばれるに、どんな理由でか、英語版でのそれを要求された。

いちばん初めから、一からのスタートとして、祭祀について考える姿勢を持っていなかったと言われても仕方が無い。私は、そう、感じます。

一流の人は謙虚である、とか、すぐに、自分にとっての「あらまほしい姿」を夢想してしまう。

当時、皆が信じていたように、雅子さんという人が、まことに頭脳明晰な優れた女性なのなら、全く異なる分野に踏み込む前提として知って行くことに対して、謙虚な、新しいものに向かう姿勢を、持たれるものではないか。・・・とか、思ってしまうのですね。

自分が知らないことへの、畏敬の気持ち。それがまず大切なことで、殊に皇太子妃になられるについての学びは、おろそかにされるものではないような。

夢想ですか。爆・夢想、妄想、でしたか。


以下、赤っぽい文字での引用部分は「雅子様の母親では無い」と、断り書きをしている方の、「こころない」周囲に向かっての、言い分であられます。いささか旧聞に・・・ええと、旧聞に、の後は、どんな言葉が続くのか、いま、わかりませんが・・。

お妃教育で神道を学ぶのに英語の本「ザ・ワールド・オブ・シントー」を使ったこと
2009/07/28 Tue 06:00

情報源がわからないので誰が伝えたことなのか不明です
これの何が問題なのか…日本の神道を学ぶのに英語の本を使うのがおかしいってことなのでしょうかね
もしそうなのだとして…ですが、留学経験のある私の意見を言わせてもらうと、日本語で書かれたものよりも英語で書かれたもののほうがわかりやすいってことはよくあると思います
有名な話では、たとえば「源氏物語」で帝か光源氏か忘れちゃったけど、「殿おほとのごもりて」を英訳すると「He slept」になる…といった具合です
もちろん微妙な日本語のニュアンスとか、響きとか、そういうものは伝わらないですけど、意味はわかりやすいですよね
英語では表現し切れないものもあると思います
神道について深く理解するには、日本語で、日本語のニュアンスなども理解しつつ学ぶ必要があるのかも知れませんが、それは皇室に入ってから実際に体験しながら学んでいけばいいことだし、婚約中は「神道入門」程度でしょうから、英語で学んだっていいんじゃないかと私は思います


だそうです。

この方の思想に文句を言える立場ではないですが、私は、お妃教育の一環として「神道」を学び始めると言うことは、うまく言えないながら、頭で処理して行くと言うことでない気がしたのでした。

日本人の両親から生まれて、海外生活も長かったとはいえ、日本のお嬢さんである雅子さんが、余の人とは全く異なる立場につくことを受け入れられて、という前提で始まった御進講、の話ですしね。

その後「実際に体験しながら学んでいけばいい」とはならず、拒否、拒絶のまま終わっている・・・言い方が悪いですかね、中断し続けている「学び」についての一項にすぎませんが。

この「雅子さまへの非難、批判に黙っていられず」と仰る方の言い分を、次々ひらいて行って、私が感じる大なるものは、強烈な違和感。それでは生ぬるい、嫌悪感です。

自分はこのブログを、何のために続けているか分析することの出来ないまま続けています。書きたいだけだな、きっと。

皇太子殿下は、6月の16日までスペインへお出掛けになり、18日は、雅子妃殿下と宮城県への「被災地訪問」に行かれるご予定とか。

それまで雅子さまの動向は表へ出て来ないであろうとの推測のもとに、自分にとって違和感のある「擁護」「言い訳」エトセテラについて、己のブログでぶちぶち言ってみたいなあ、と。

引用は、長くなりますが基本的には全文にしたいと考えます。私が「ここだ」と感じるあたりから、色つきの文字にさせてもらいます。本当に、せこいことするなあと自分を嗤いますが、なんでこれを、と感じて下さると、ありがたいです。



<<<愛子さまのための外国製おもちゃを外務省経由で手に入れたこと
2010/12/10 Fri 05:30

これも情報源がなく、「類似の国産品を探してきても気に入らず愛ちゃんの外国製知育玩具を外務省経由で手に入れる事件」という事件名だけが記載されていました
これは雅子さまが気に入らなかったという意味なんでしょうね…雅子さまの「事件簿」なのですから…
情報源がないのでは具体的にどういうことなのかよくわかりません
どういった知育玩具だったんでしょうか
今はいろいろあって、私もいろいろ子供のために買ったりもらったりしましたが、たくさんありすぎてどれがいいのかわからないことは多いです
内容からして女性週刊誌の記事になったっぽいですが、どうなんでしょうか
これが事実だったとして…国産品と外国製との違いはあると言えばあるんでしょうけど、何のおもちゃかにもよりますよね
国産のもののほうがいいものだってあるし、外国製のほうがいいものもあるのだと思います
ここで批判派が言いたいのは「類似の国産品で満足しなかったこと」「外務省経由で外国製のものを手に入れたこと」の2点だと思うのですが、どのようなおもちゃかわからないのでなぜ国産品ではだめだったのかを語るのはむずかしいです
外務省経由で手に入れたという件については語れそうです
今はネットショッピングという手があって、外国のものも簡単に手に入りやすくはなっているものの、日本国内に商社のような役割をする会社がないと海外の製品というのは買えないのだと思います
雅子さまが買った外国製知育玩具はそういった製品だったのでしょうか
外務省を通じて手に入れた、というのは、その知育玩具を扱っている国にある日本大使館にお願いして、購入してもらって、日本に運んでもらった…ということなのかと私は思うのですが、どうなんでしょうか
私も海外にいたことがあるので、日本では手に入らないものや日本で買うと高いものをおみやげに買って行ったり、「買って来て~!」と頼まれたりもしたのですが、それと同じようなかんじ…と言ってしまってはダメなのでしょうか
私としては…何と言っても皇太子夫妻のお子様ですから、それくらい国がやってもよいのではないかなあ…とは思ってしまうんですけどね…
一般の人たちが手に入らないものを特別ルートで手に入れたことがずるいのだと言いたいのかも知れませんが、皇族って特別扱いされる存在なわけで、これをずるいと言うなら皇室そのもの・皇族そのものが特別扱いされること自体がずるいということになり、そうなると皇室廃止論につながっていきそうで、私としてはそこまで熱くなるエネルギーはありません
皇族であるという特権を利用して外務省に動いてもらった…ということはあまり大々的にすべきではないと思うのですが、思うに、雅子さまがこっそり「お願いしたいんですけど…」と言ったことがこんなふうに事件となって知らされてしまったからこそ、まるで雅子さまが特権を乱用しているかのような印象を与えかねないのではないかと思います
ここでちょろっと言わせてもらえば、秋篠宮さまはいろいろと珍獣を飼っているとも聞きますが、外務省を通じて取り寄せた珍獣もいるんじゃないでしょうか
そちらはOKなのか、と秋篠宮擁護で東宮批判をしている人たちに聞きたいですね
私としては、どちらも皇族という特別な立場にいる人ですから、多少こういうことがあってもかまわないんじゃないかと思います

これが日常的に「あれもこれも手に入れたーい!」とわがままになっていたら問題になるとは思います>>>

・・・この方に、文句つけることは出来ないです、わたしには。違和感と嫌悪感があるだけです。

特別、という言葉の解釈がまず違うし。

・・・こうでないとダメだ、など、他人様に言えないけど、自分の気持ちをここには書ける。

私見です。皇后陛下は、できるだけ、日本製のものを身に着けられる。バッグも日本のものを。それは、強制、規制、といった類のことでないと考えるんです。外国製がダメ、なのではない。

日本の皇后さまとして、自分が使う物は日本のものを、ということだと思う。

外国製の良さをも認めつつ、です。

唐突な例えですが、茶道の裏千家の長男の奥様は、もと三笠宮家の容子さんです。舅さまと一緒にマラソンを走ったりされています。

正座が嫌いだとか、辛いからお茶席には出ない、とか。そんなことはされないでしょ。紅茶(コーヒーでも可)の方が好きだから、お作法はしないで済ませたい、とかも無いでしょ。お茶会のあるたび、体調不良にもなられないでしょ。

表千家、武者小路千家、おそらく、心を籠めてお付き合いをされているでしょ。

うまく言えないでもやもやします、この色の文字のお方の「味噌も○そもいっしょ、の、粗雑な神経がイヤでなりません。

個人的な感情ではあります。イヤだけど、当分、引っ張り出して来ようと考えております。


最新、5月10日過ぎのブログの、これは後半部分のみです。

今回の公式訪問は雅子さまにとって大きな一歩となることは周知だったはず
だとすればそれを成功させることが第一になります
マスコミの取材に応じることなんてどうだっていいんじゃないかと思うのですが、そうは行かないのでしょうかね
結果的にマスコミに取材させることがいい方向に行くと言いたいのでしょうけど、なぜにマスコミペースなのか…それがよくわかりません

小町大夫が「ひとつできるからといって、みんなできると思われては困る」と述べているのは本当に救いのように感じますが、マスコミも宮内庁も皇室も本当の意味で雅子さまの回復を願って思いやりを持った行動をすることができていないのだと感じます

さまざまな考え方・さまざまな捉え方があるとは思いますが、もう少しどうにかならないものか…と思うのですよね
訪問決定前の宮内庁長官の発言もあったし、雅子さまの環境がよいとは言えないのだろうなとは思います>>>


ということです。基本的に「公務」の意味がわかっていない。皇族が海外公務に行かれる時には、これとこれをして行く、という決まりごとがある。

今回は、そのほとんどを無視、無視し続けのまま日々が流れて行っているだけ。

何度も言いたい。

雅子さん個人を云々ではない。

皇太子妃としての立場が優先順位のラストであるがごときなされ方を、傘寿に近い両陛下に近いところにありながら(心はサハラ砂漠までより遠いだろうが)容認しがたい人間が一人、ここにもいて、皇室の危機を痛感し、今のままなのなら、病気を見直して治療に向かうことさえなさらないなら、よおく、よおおおく、お考えになって、お退き下さいと、退いて下さいと、願っているだけです。

皇室にいることが苦痛なら、心の安らぐご実家というところで、5年でも10年でもご静養なさって、文句は出ないでしょう。でも、それをするについては、踏むべき手順があるでしょう、個人の都合ばっかりごちゃごちゃ言うでない、見苦しい。

と、すこ~しだけ、述べて見ました。






カンダタ??

「鳴門真彦」さんという人の書いたものについて、何か言ってみようと思うのですが。

どうも何とも言いようが無いというのが実感で。

新潮45は、大きな出版社である新潮社が出している月刊誌です。寡聞にしてお名前を存じ上げない鳴門某氏とやらが、失礼な申しようながら、そのランクの雑誌に書けることは大チャンス、もの書き志望者がひしめく無名地獄の中から、一筋の蜘蛛の糸を得て、必死にすがって、その場からの脱出を試みたあの、芥川龍之介の物語の「カンダタ」みたいなもの・・・と、感じたのです。

カンダタは、せっかくのチャンスを生かし切れなくて、元の、無名地獄の闇の中へ落ちてしまった。

鳴門氏は、おみごと署名記事をものし、変わったペンネームであってもそれが使いようのあるものなら、その名で書き続けるなら、一つの小さなスペースを得ることが出来続け・・・るのでしょうか。

男性名と思われるが、文章の組み立て方が、ネットで苦笑しながら読んだ、某・何がなんでも雅子さん擁護するわ、の、そこのものに酷似しております。文体は異なるといえども、ねちゃこく自分の側でない方向を攻撃する根拠の希薄さ、びっくりするような事実でない論理の飛躍、Mサイズのスーツに、LLボディを押し込める態の無茶苦茶な収めよう。擁護するべき(はっきり、そのご用向きです)雅子さんという人への、愛、も無い。お気の毒。

私が苦笑しつつ読んだサイトの内容は、以下のごとく。一部ですがここは飛ばして下さっても。・・・・・・・・・・に挟まれている部分は、読み飛ばして下さっても。けっこうおもしろいけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

07-03:お妃候補時代のこと
07-03-01:ウインナー炒めの写真のこと
07-03-02:1986年10月17日号の「FOCUS」に皇太子さまの記事と雅子さまの記事が掲載され、その発売日の翌週に開かれたスペイン・エレナ王女レセプションパーティーで2人が出会ったこと
07-03-03:「浩宮さまってそんなにお偉いの?」と発言したこと
07-03-04:最初にお妃候補として名前が挙がったとき、「彼(皇太子)に興味をもたれるのはイライラする」と友人に漏らしたこと
07-03-05:執拗な取材をするマスコミに指を指したこと
07-03-08:駅の反対ホームから記者にカメラを向けられ、そのホームに行き、その記者に「フィルムを出してください!!」と言ったこと
07-03-09:記者に向かって「チッ、バカヤロー」と言ったこと
07-03-10:「マスコミって蛆虫みたい」と同僚にこぼしたこと
07-03-11:皇太子妃候補と報じられ、「あんな家には行かない」と言ったこと
07-03-12:家に遊びに来た妹の友達に皇太子さまのことを「本当は大っ嫌いなのよっ」と言ったこと
07-03-13:皇太子妃候補で騒がれ始めたころ、チッソが取り上げられ「おじいちゃまのことが悪く言われるの」と言ったこと
07-03-14:横断歩道で取材を試みるレポーターを妹と一緒にクスクス笑ったこと
07-03-15:六本木でブイブイ言わせていて婚約発表の前には泣き崩れていたこと
07-03-16:よく自宅近くのコンビニで女性週刊誌を立ち読みしていたこと
07-03-17:デートに同席した皇太子さまの学友・賀陽正憲さんから、もう少し周囲の雰囲気を考えることを勉強なさった方がよいと思うと言われたこと
07-03-18:一時期服がピチピチになるほどだったのに、婚約した時期にはすらっとした体型になったこと

07-04:外務省に勤めていたときのこと
07-04-01:まわりに誰がいても父親の話をすること
07-04-02:外務省研修所での研修に遅刻し、小走りで駆け込んだこと
07-04-03:カラオケの十八番は、実は「いい日旅立ち」じゃなくてテレサテンの「愛人」だということ
07-04-04:オックスフォード国費留学前の送迎会、大勢の見送りの友人たちの前にて「フンドシを締め直して勉強しなくちゃ」と言ったこと
07-04-05:オックスフォフォード国費留学で同期研修留学の中でただ一人修士号取得できなかったこと
07-04-06:外務省時代、後輩や部下に「こんなこともできないの!」「翻訳が遅い」などと言っていたこと
07-04-07:自家用車での通勤が禁止されている外務省に父親がもらった駐車許可証を使って車通勤していたこと
07-04-08:外務省時代、雅子さまの動作がすべてにおいてゆっくりで、30分おきにトイレでの化粧直しにいくのでまわりはいらいらしていたこと
07-04-09:何を考えているか解らないので“ブラックボックス”というあだ名がついていたこと
07-04-10:ある新聞記者の談話「雅子妃は仕事はできるし、官僚としての事務処理能力は確かに優れていたが、外交官として大切な人脈作りは得意ではなかった。友人が少なく内向的な性格でマジメで融通が利かず原則論に固執する癖がある」のこと
07-04-11:別の省庁官僚と仕事をしたとき関係ない英文資料を渡し、「これくらいで驚いちゃ困ります」と言ったこと
07-04-12:別の省庁の官僚が外務省に会議に来て資料が足りずコピーを取ってたら「よその省庁の方が勝手にここのコピー機を使用しないでください」と言ったこと
07-04-13:「高慢ちきな鼻持ちならない女」と外務省担当記者の評判のこと
07-04-14:営業時間外に外務省内の食堂に来て「コーヒーぐらい出せるでしょう」と言ったこと

07-05:婚約記者会見のこと
07-05-01:旧友の別荘で撮影したビデオのこと
07-05-02:オーダーメイドした靴のこと
07-05-03:婚約会見で自分を「雅子さん」呼ばわりしたこと
07-05-04:皇太子さまから言われた言葉「…雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから…」を述べたこと
07-05-05:婚約会見で皇太子さまよりも長く話した事件
07-05-06:婚約会見で皇太子さまの言葉に対し、「一言付け加えさせていただく」と言ったこと
07-05-07:婚約会見で「いい人生だったと振り返れるようにしたい」とら抜き言葉を使ったこと
07-05-08:婚約会見で、「殿下にお幸せになっていただきたい」と言ったこと
07-05-09:婚約会見で「人間ができた方」と言ったこと
07-05-10:婚約会見で子どもの数について「オーケストラが作れるような子どもの数」とはおっしゃらないでほしいと述べたこと
07-05-11:婚約会見で「仕事をやめることに悔いはございません」と言ったこと

07-06:婚約発表後のこと
07-06-01:皇室で外交をしていこうと思っていたこと
07-06-02:お妃教育で神道を学ぶのに英語の本「ザ・ワールド・オブ・シントー」を使ったこと
07-06-03:納采の儀のとき、扇子を帯の中央部に挿していたこと
07-06-04:三方の持ち方のこと
07-06-05:金箔箪笥のこと
07-06-06:贈呈された真珠ネックレスを返却したこと
07-06-07:プロフィールのこと

07-07:結婚後から愛子さまが生まれるまでのこと
07-07-01:結婚式の日、皇太子さまと立ち位置が逆だったこと
07-07-02:宮中饗宴の儀初日、乾杯のお酒を飲み干したこと
07-07-03:森村桂さんの作ってくれたケーキのこと
07-07-04:皇室内でわからないことを実母に聞いたこと
07-07-05:嫁入り早々宮内庁職員をあごで使ったこと
07-07-06:公務で居眠りしたこと
07-07-07:ショコラとキスしたこと
07-07-08:初出席の園遊会のこと
07-07-09:御料牧場の牛乳は口に合わないと自分用を買いに行かせたこと
07-07-10   略

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・雅子さんの、子ども時代の作文のことから友達との小さな祖語、長ずるに従ってのあれこれ、お妃候補と呼ばれるようになって以後の「ちょっと、あんた! 」みたいな猛烈な態度やエトセテラ、一つ一つについて、説明、時に釈明をし、これはこうだったのだ、とか、そんなの誰でもそうでしょう、とか。

とにかく、み~んな、すべて、違うのよ、と否定している。

いったい誰が、その長い成長期間の「ほんとう」や「まこと」「真実」を知っていて、かつ、断言して行けるのかが、大層、不思議なのですが。

これを笑うのは、大変失礼であると承知しつつ笑うのですが、ここにはそして

「(これを書いている)自分は雅子妃の母親では無い。妹ではない」

と、明記されているのでございます。

元に戻ります。鳴門氏のこの、ここ。


<<< 雅子妃が人格を否定されたと感じているなら、

 その犯人は「皇位継承者たる男子を産む」事を絶対使命として

 要求する皇室の制度そのものである。

 そして、それに何の違和感も持たず、男子を期待するプレッシャーを与え続けた国民は共犯だ。

 「男系男子」を伝統とする皇室制度そのものが雅子妃にとって堪え難い屈辱である。

     そんな事もわからないで「お世継ぎを」と期待した国民は犯罪者だ。

     雅子妃が傷ついたのはこのような国民のせいなのだ。>>>


そうなんでございますか、どーもすみませんねえ。←ここ、ちびまるこちゃんの声で、どうぞ。顔には縦線ね。

<<<雅子妃が人格を否定されたと感じているなら>>>って。

ではやはり鳴門さん、あの、皇太子殿下が鼻息お荒く「雅子のキャリアが人格で否定でどうとか」と発言された、あの元に、雅子さんご自身のそのお言葉があった、と。そういうわけですね。

私の人格を否定して、きーってな修羅場が、演じられたのかしら。皇太子さん、怖かったのでしょうね。あんなに必死に、言うてはったもの。ばらしてどーするのよって、性格極悪のわたしは、思うよ。

あくまで「噂」と前置きして申しますが、東宮医師団の「雅子妃の見解発表」の文章、中身、ライト・バイ・雅子、との説も根強く。自作自演。

・・・確かに、長男の妻の立場で男の子を期待され、なかなかそのようにならない、というのは、辛い面があると思います。

しっかり庶民のわたしでさえ、そのプレッシャーはありました。イヤミも当てこすりも、そうですね、ありました、正直。

それは、判らなくはない。でも、仕方ないじゃん。

秋篠宮家に悠仁さまがお生まれになった時、私、本当に、雅子さんも気が軽くなりはったやろうな、と、思いましたもん。どこでニュースを聞いたかさえ覚えている。皇室のことに、特別に関心があったのでなくても。日本人の血がざわめいた。少し大げさ?。

良かったなあ、めでたし、やん、と、思った。嬉しかった、皇室安泰、なんて、それまで無かった感覚さえ芽生えました。

まさか東宮家が、何がどうでも自分たちがトップになりたい人たちだとは感じていなかったし。

バックに、天皇家を乗っ取るとか転覆とかを諮っている力が粘りついているなど、想像したことも無く。

・・・自分のことはいいです。

鳴門真彦さん。この人は、国民を犯罪者だと断じている。

雅子さんを傷つけたのは国民だと言うておる。

皇位継承者たる男児を産むことは、天皇家の皇太子に嫁ぐ女性への、当然の期待でしょう。ふつう、そうでしょう。

しかし、願っても叶わないことがあることくらい、生身の女性たちは知っている。

昭和天皇の弟君であられた秩父宮さま、高松宮さま、お世継ぎが無くて、すでにその宮家は存在していません。そういうことだってある、なんぼ皇室やと言うても、叶わないこともある。そんなの、誰だってわかる。言う人は、どっち向いてだってどんな風にだって言うんだし、人の口に戸はたてられない。上手に無視するしかないことだってある。。

男の子を産めない雅子さんを、非難する思いは、少なくとも自分には無かったし(お辛かろうと、不遜にもお感じ申し上げたことはあります)他のどなたにも、そう。仕方ないではないですか。

皇室制度そのものが雅子妃にとって堪え難い屈辱である。

ああ、まあ、そうなんですか。

どうして欲しいんですか?。

何が言いたくての攻撃? 。

・・・故・高松宮妃が、愛子さんご誕生の際に「一姫二太郎でおよろしいじゃ」と仰ったことさえ、雅子さんへのプレッシャーだった、とか言ってるし。それ、世の中ではよく言う言葉で、初めは女の子が育てやすい、育ちやすい、の意味です。それを悪く取って悪く書いている。高松の妃殿下は、余計なこと、わざわざイヤなことを口にされるお方では、全く、なかったです。

やっぱり違う、と言われてもしかたのない差ですか。

その他いろいろ。

何をしたくて書いたやら。

・・・もしかして、ええ!、まさかまさか。私のごとき性格悪い人間に、以下のごとき言葉を、吐かせるためですか?。

<<<皇室制度そのものが雅子妃にとって堪え難い屈辱である>>>

ならば、耐え難い屈辱の場から、お去り下さい、と。

こーゆー流れになりませんか?。

以前にも書きましたが、皇太子夫妻の離婚は、しかるべき手続きを踏めば可能、です。

天皇、皇后のお立場におなりあそばしてからは、無理、できない、不可能、との決まり。

私は、離婚を人に勧めるなど酷いことは、到底思い及びません。

愛子さんが宙に浮きます。

お父さんのもとに残っても。お母さんに引き取られても。今より幸せに、とは考えられない。私には。

とにかく、落ち着いた静かな暮らしを、ご両親がなされる(かどうか、そんなこと知らんよ!)。とにかく屈辱、なとこから離れる手立てだってあるのよ。

そう、なさって下さい、と、言わせたかったの? 。鳴門真彦氏。違うの? 。

違うなら、なんで? 変なの。私、買ったから(シッ)お客だから(せこ)感想を述べてもいいですよね(小心者)。

皇室に対する知識もあいまいな男のおばちゃんが書いた風な、時々ぶお~んと掃除機の排気口からみたいな、芳香の真逆のにおいを、ぷんぷん感じさせる、記事でした。

雅子さん擁護、と、素直にとっても・・・とったら、逆効果だったとは、思います。

そしてこれは、小和田夫婦にもさっぱりお分かりになっていないことでしょうが。

雅子さんは、皇太子殿下とのご成婚なって、国民みなの持つ「戸籍」というものを離れ、皇統譜という独自のものに入られた。小和田夫婦が雅子さんを「自分の娘」扱いを止めないのは間違いだし、東宮様を・・クンと呼ぶのは言語道断のこと。そして、皇太子殿下にも妃殿下にも、いわゆる「人権」というものは「無い」のです。

その代わりといってはなんですが、特別の存在としての特権あれこれも、お持ちなのです。

人権、人権と。東宮妃にはもっともそぐわないお言葉。




むなしい時間、実感。

<<<宮内庁は、天皇皇后両陛下がともに80歳になる来年を最後に公務の一部を皇太子ご夫妻らへ譲られると発表しました。

 両陛下は1992年から毎年、「こどもの日」と「敬老の日」にちなんで、保育所や高齢者福祉施設などの関連施設を訪問し、利用者や施設の関係者を励ましてこられました。宮内庁の山本信一郎次長は20日の定例会見で、両陛下は再来年から2つの祝日にちなんだ公務を皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻へ譲られると発表しました。陛下は今年12月に、皇后さまは来年10月に、それぞれ80歳を迎えますが、宮内庁によりますと、両陛下は、子どもと触れ合うことや高齢者を励ます公務は「若い世代が適切」と再来年から譲る意向を示されたということです。一方、両陛下が毎年、12月の障害者週間に合わせて関連施設を訪問している公務については、年齢に関係ないとして今後も続けられるということです。>>>

・・・他に、ぜひ、移譲していただきたいことがらがあります。そして皇太子ご夫妻らの「ら」の部分への期待、大です。

とは言え。再来年からって。それまで、延々、今の状態のまま、ですかぁ


雅子のキャリアだの人格だの否定だの。覚えたての単語を一途に場違いに駆使して、噛みつくがごとき発言をされ、奥さまを庇われた、天皇家のご長男。リアルタイムで聞いた時には、何のこと? 程度の関心しかありませんでした、私。それが、ボディ・ブロゥのように、今更、???????????なのが実態であります。

皇太子と言う立場の人間が口走り、結果は空気の中に溶けてしまった、あの妻思いの熱いみ心は、ご高齢の、持病をお持ちのご両親様には、一切、向かわないのですね。

(国民?え、それ、何のこと、ボクに関係あることなの?)by/naru.

ゆっくり見守って欲しいと、今年のお誕生日にも語られた、雅子さんのことを。

長い間、公的な見解を発表することもなく、皇太子妃がどんな治療を受け、現在どんな状態なのかも明かされない、公人として無責任極まる「ご療養状態」、セカンドオピニオンについて問いかける記者に、それは不要であると断じた皇太子。ゆっくり見守れ、とだけ言われても、そんなバカげたことはし兼ねます。

結局、オランダ行きの前にあるはずだった武蔵野陵への参拝も三殿挨拶も、記者会見もせず。

天皇陛下ご夫妻にだけは挨拶したと。暖かいお言葉を賜ったと。

誰かが言っていて、とても納得した話。

伊勢の神宮。宮中三殿。武蔵野陵。

雅子さんは絶対行こうとしない。そのことだけで、東宮妃は無理と言えるのだが。

その理由を、こう言った人がいて。

「それら聖地の、聖なる結界のその中に、邪悪な者は踏み込むことができないのじゃ? 」

ふうむなるほど、と感じ入りました。行かない、でなく、行けない。

行くはよいよい、入るはこわい、ですか。

そうかもなあ。ほんとに、納得できてしまったのですわ。


小和田家の婿養子のごとしと見えてしまう皇太子さまが「君」づけで呼ばれている、しょっちゅう、妻の父親の電話であれこれ指示され叱責を受けていると、信じがたかったこともいまは昔、すべて、そうなんだろうなあ、と、納得できてしまう昨今。

これって、悲しいのでしょうか、おかしいのか、辛いか、あほらしいか、どうでもいいことなのか。

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べべこさんのブログで、ご本人が

<<<海外記事をベースに書いたら、かなり不遜な記事になったかも。
最新記事としてアップせず、旧記事の合間にさりげなく、忍ばせておくことにします。>>>

とされているものを、はいすみません、お借りしちゃったです。

どうしようかと迷いましたが

<<<この記事(ナルマサ関連・KUON註)に対するコメントを2つ読者の方がピックアップしてくださったので、
やはり粗っぽい、拙ブログ主訳ですが、載せておきます>>>。

とある通り、英文も同時に、ここへ。私はもちろん、訳して下さっているとこしか判りません。

日本語になっている文章のみ、読ませていただきました。

<<< This woman is so selfish or stupid, I think. So she graduated summa cum laude in economics from Harvard and studied international relations at Oxford. Why could she learn about Japanese Imperial family better??? Her side always uses excuses or blame "imperial householdimperial household said", "Media Said" or "Empress said" blah blah blah.....They started blame Japanese citizen also. Who want wife or friend just like her?? Thing is she is not wife or friend, she is crown princess. Think about it, your country's Queen, Princess or First lady don't wanna do any duties. But, I can go to ski trip and eat dinner with her parents at very expencive restrant. Do you still feel "Poor well educated smart woman"?



思うに、この女性はとても利己的でもあれば愚かでもある。彼女は、ハーバード大学の経済を首席で卒業し、オックスフォードで国際関係を学んだ。
(高学歴なのに)なぜ彼女は、皇室の一員としてあらまほしき姿は、学ぼうとしなかったのだろう??
彼女の側には常に自らの至らなさへの言い訳と他者への非難があり、いわく、 宮内庁がいけないからよ、マスコミが悪口を書くからよ、皇后陛下が文句をつけてくるからよ、なんたらかんたら。
誰がこんな女性を妻や友人にしたいと思うだろうか。(そして厄介なことに)彼女は妻や友人である前に何と皇太子妃なのである。
あなたの国の女王や、ファーストレディーがいっさいの公務を行わない状態を想像してみて欲しい。
(公務は怠るのに)スキー旅行に行け、彼女の両親と一緒に高価なレストランで食事する。
こんな女性を誰が、教育もあり知的なのに、なんてお可哀想な、と思うだろうか。

What would you think if a princess of a European county always refuses to go to church?  and refuses to see her own people? Because that's what Masako is doing in Japan.
For the past 15 years ,she has skipped visits to shinto shrines,and religious ceremonies to pray for the welfare of the Japanese people , which happens to be the main duty of the imperial house. She claims she is "ill" and does not appear at annual garden parties , or any other official events.But on the very same day, she is healthy enough to go to restaurants and parties and concerts.
She shows up when royals from Europe come to the palace, but never when the guests are from Asia or Africa.(quite a racist, you should say) When there was a palace dinner for the President of Indonesia , she was not only absent, but was enjoying herself at a party at an Embassy of a certain European country.
Even after the terrible earthquake and tsunami in 2011, she was very reluctant to visit the area , and when she did, months later, she stayed only an hour.and that once only ( while the Emperor , Empress, and Prince and Princess Akishino, and even royals from abroad have repeatedly visited the area and tried to comfort the victims)
She and her husband (the crown prince) spend weeks skiing and months at imperial villas, shutting out the public and blocking traffic wherever they go, requiring to be guarded by thousands of policemen, which does not happen even with the Emperor himself ,who very casually enjoys speaking with commoners.

仮にヨーロッパの王女が教会に行くことを拒否したら、国民はどう思うだろう?
それがまさしく雅子の行なっていることなのである。
過去15年間、彼女は国民の弥栄を祈るための神社参拝、宮中祭祀をさぼって来た。彼女は「病気」を口実に、園遊会他の公式行事を怠ける。
ところが、まさしくその公務のある日に、彼女はいたってお元気にレストランや私的集まり、コンサートにはお出ましなのだ。
白人圏ヨーロッパからの王族が訪れるときは姿を見せるくせに、アジアやアフリカ圏からの賓客は見向きもせず、とびきりの人種差別主義者だと言われても仕方がないだろう。
インドネシア大統領を迎えて宮中晩さん会のおり、彼女は欠席したのに、しかしあるヨーロッパ圏の大使館パーテイには出て、楽しんでいた。
2011年の大地震と津波の惨状の時でさえ、被災地訪問には行きたがらず、被災からやっと数カ月後に、しぶしぶ出掛け、たった1時間の滞在で、しかもたった1回の訪問であった。(天皇皇后両陛下、秋篠宮両殿下、海外からの王族でさえ複数回慰問に訪れているというのに)
彼女と夫である皇太子は、天皇陛下でさえお使いにならない数の護衛警官を要求、長期にわたってスキーを楽しみ、御用邸で静養、そのつど国民との交流も、交通も遮断される。天皇陛下おん自らは親しく国民にお声がけなさっているというのに。

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ほぼ事実の羅列なのに、強烈に感じるのは、日本ではそれでもソフトフォーカスでものが言われているからではないでしょうか。

公務をさぼって、お遊びにお出かけになることは日本国内ではあまり知られてないかもしれませんね?

一例を上げれば、インドネシア大統領、ブータン国王ら国賓の歓迎式典や晩餐会は欠席しながら、同じ日に乗馬を楽しみ愛子内親王に付き添い登校、とか。
歓迎式典と晩餐会を欠席して、乗馬が楽しめる病気とは一体、何なのか。
それいぜんに、海外からの賓客のイベントを欠礼したからには、乗馬や
付き添い登校は遠慮しないと、賓客方に非常に失礼です。

ちなみに、ルクセンブルグのギョーム皇太子のご成婚式に参列なさった時の皇太子殿下への海外評価は・・・・

Shame...Japanese Prince Naruhito does not know how to behave in such occasion and honor the seniority..... It's an important protocol everyone must observe...

【恥を知れ・・・日本の皇太子徳仁はこういう序列が明確な、栄えの式典でいかに振る舞うのかも心得ていない。全員が従わねばならぬ大事な儀典の決め事なのに・・・】



(動画はKUONが貼りました。4分50秒くらいから・・・服装もむむむ、違うし・・・淋しい日本の皇太子に、誰かなんとかを見つけてやれ、と、ヤユされて・・・)

・・・・本来なら日本人としていきり立つところなのに、事実なのでうなだれてしまいます。一度記事で紹介しました。現地の画像を見ると、言われても正直なところ仕方がないな、という肝をつぶすレベルでした。知識以前の常識レベルがお出来にならない。
この方に皇室外交は無理です。宮内庁は気づいていても、指導・・・・助言も出来ない立場なのでしょうか。

まぁ、そんなこんなもあって、秋篠宮様へのご移譲を強く願っているわけですが。
海外記事を紹介したら、結構不遜の度合いが強い記事になったようですね。

さて、オランダ紙に現れた雅子妃のファッションチェックです。

http://nickverrreos.blogspot.jp/2013/05/royal-coutureinvestiture-of-willem.html


Crown Princes Masako and Crown Prince Naruhito of Japan: Masako made a rare public appearance in the Netherlands on Tuesday wearing this off-white very covered up gown. Not only was it completely covered up, she had long sleeves, a turtleneck band and release-pleat detail at the skirt section: The entire ensemble--with that pillbox hat--was so 1950's/1960's and from another era. Princess Masako looked like a Couture Nun! Please Masako, I want to see some skin, some youthful exuberance...you're not a 70 year-old woman!


日本の皇太子と皇太子妃:

マサコは火曜日、オランダで体を隠しまくるオフホワイトのガウンをまとい、普段は見せない姿を現してくれた。長い袖に、タートルネック、ゆるやかなプリーツスカートで完璧に体を隠すスタイルだった。縁なし帽をかぶったその姿と来たら、一昔前1950年代か1960年代のセンス。プリンセスマサコはまるで尼さんみたい!マサコ、若さにあふれ生き生きした、あなたの肌を見せたらいかが。あなたは70歳の婆さんじゃないんでしょ。

・・・・以上

肌が若さにあふれてないし、いきいきしてないんだってば・・・・。

「何と美しい!」とオランダで評されたとの日本での報道にビックリ、探しましたが
そんなの全然見つかりません。探すたびに、出てくるのは芳しくない評判ばかり。

海外記事をベースに書いたら、かなり不遜な記事になったかも。
最新記事としてアップせず、旧記事の合間にされいげなく、忍ばせておくことにします。>>>

べべこさんのところからは以上です。ありがとうございました。


sarahさん。

久爾晃子さんが、精神科のお医者さんになっておられるとは知りませんでした。

長い間、浩宮妃に、と、名のあがっていたお方でしたね。旧皇族で、皇太子さまとはまたいとこ。

元東宮侍従―浜尾実さんのこんな談話が残っています。


<<<天皇陛下を中心としたご親族の集まりに菊栄親睦会があります。年に一回か二回、午餐会があるのですが、そういうときに旧皇族の久邇晃子さんとか伏見朗子さん、北白川尚子さんなどは、皇太子さまと複数でお会いになってらっしゃいます。でも、単独で赤坂御所にあがった方はいません。
 一人で赤坂御所に伺ったお嬢さんは小和田雅子さんだけだと思います。最初のお出会いは日英協会のパーティーだったと思いますが、それから三、四回は赤坂御所におみえになっています。彼女は名簿に載ってはいなかったでしょうが、最初は、確率が非常に高かったと思います。
 浩宮さまも好意を持っていらしたと思います。彼女を結婚のお相手として考えていた時期があったことは確かです。藤森長官の前の富田長官が一、二年ほど前、
「結婚が遅れているのは、浩宮さまがいまだに小和田さんにこだわっているからだと思います」
 と、驚くべき発言をしているのですから。
でも、雅子さんにとってはお気の毒なことですけれど、お祖父さまが水俣病の「チッソ」の会長さんだったことが、ひっかかるんですね。お妃を選ぶときは三代前まで遡るわけですから。とくに天皇陛下は環境問題に非常に関心を持っていらっしゃる方ですから、お許しにはならないのではないかという気がします。
 皇太子さまの場合、「好きだからいいじゃないか」では困る。将来の皇后さまにふさわしい方だと、大多数の国民に祝福を受けるお相手であって欲しいわけです。私的な行為であると同時に、公的な行為なのです。>>>

と。

久爾さんともし、結婚しておられれば、少なくとも今のような騒動は無かったのでは、と考えます。いかにも皇族の家庭らしい家庭(そんなのがあるや否やは菊の向こう)が人々の目に・・・そうかなあ。

皇太子さんは、大柄で華やか(と言うよりは派手)で、自分に敬意を示すのでも無い、生意気で、がははは、な女性を「いい」と思ったのでしょう。わくわくしたのでしょう。

現在が、どうかは、知るすべもないですが、妻の実家に引きずり回されるのも、気に入った生活ぶりなのかもしれませんよ。人間の性向は、わからないから。

ご自分の立場が分かっていなくて。

そんなに本性の違う同士が一緒にいられるとは考え難いので、なんやかんや言うても、似たものを持ったカップルなのでは。

上品な感じは、残念ながら皇太子さまからは消えてしまった、とは、私の感じるところです。初めに「あった」のが、幻想だったとしても。奥さんの並でなさが雅子さん級でなければ、幻想は幻想で、なんとか通ったかも。

そして、これははっきり、きっぱり、思います。

久爾晃子さんは、ナルさんと結婚しなくても、いま、ご自身の確固たる生活を営まれていて、ご充実なのではないか、と。

わたし、雅子さんのこの10年・・・20年、と言ってもいいくらい・・・って、申し訳ない言い方ですが、むなしかないかなあ、と、感じるのです。

しようと思えば、20年あったら、何かできているよ。途上であっても、かなり進んでいるでしょう。

一生懸命その場所で励めば、自分の居場所になれるだろうに。周囲は、けっこう甘いですよ。

追記です。この↑の部分4行は、いま私が言いたいこととは少し違う、雅子さんに個人的に失礼な思いような気がして来ました。変えようかと考えましたが、この時は、とても虚しいお暮しだなあと正直に感じたので、残します。チャンスはあったのに、もったいないと感じたのです。雑多な用に追われて、したいことをがああっと追及できないでいる方も、ある、ので。人を比べるのはいけないことですが、紀子さまは、うたも、文字も、絵も手話も、結婚なさってから学ばれて、お上手です、とても。雅子さん、比べたこと申し訳ないです、お詫びしても届かないけど。

あの方、何してるのかなあ、何して来たかなあ、これからどうするんでしょう。

<<<皇太子さまの場合、「好きだからいいじゃないか」では困る。将来の皇后さまにふさわしい方だと、大多数の国民に祝福を受けるお相手であって欲しいわけです。私的な行為であると同時に、公的な行為なのです。>>>

そうだったのですがね・・・。

結論。

皇太子ご夫婦は、現在のお立場をお離れ下さい。と、強く願っております。

見ちゃいられません。

退いて下さい。退いて下さい。

新潮45という月刊誌があります。この「45」は、ほぼそれくらいの年代の読者を想定して、の誌名だと、読んだ記憶があります。

この新潮45の6月号に、

<<【御成婚二十年】
雅子妃「適応障害」の核心 鳴門真彦>>

なる記事があります。5月18日発売のこの雑誌は既に売り切れ。すごいなあ。これも、まとめ買いした人がいたのでしょうか。

鳴門雅彦。これもすごい名前。なるとまさひこ。(追記です。雅彦は私の誤りで、真彦氏、です。どうもすみません)。

ナルとまさこ。

この人は、雅子さんを擁護することで、悪いのは日本国民。そう断じております。どう考えるのも、個々人の勝手。自由にものを言う、書く権利を、日本国民は有している、とされております。それもウソなんだけどね。表向き、そう。そうであっても、と思わしめる内容です。またここでもご紹介します。

おとこ版・友納尚子あらわる、か。


現在毎週、文春に「雅子様物語」を書いているのが、友納尚子というひと。元・風俗ライターである、と糾弾されてもいます。私は、元が何であろうが、いま、まともなら、過去はまあ、と思うようにしています

そこらに無駄に囚われて、批判したい本当のところを間違えるのはイヤです。

私が友納に感じるのは、ただただ、恥知らずだ、ということ。見て来たようなことをどんどん書いている。こじつけている。

<<<「寒いところに行くと“子供を産まねばならない”というプレッシャーがフラッシュバックする雅子様。それを克服するためにあえてスキー旅行に行かれるのだ」>>>

なんて、書く方も、書かれる方も恥ずかしいわ。私はそう思う。

少しタイミングがずれてしまいましたが、数日前の毎日朝刊の香山リカの言っていることも、粗雑に過ぎて驚愕しました。「回復へ一歩ずつ」というタイトルです。

一部だけ引くのは、ある意味フェアでないでしょうが、いいことにします。

<<<よく知られているように、雅子さまは「適応障害」というストレス性の不調を抱え、長い間療養生活を送っている。その中でも長女の愛子さまの登校に付き添ったり、東日本大震災の後は被災地を訪問するなど「自分でなければできないこと」を中心に、いろいろな活動に取り組んでいる。>>>

確かに愛子さんには付き添って、異常な姿を一年余りもさらし続けた。

上に立つ者が、わが子可愛い情に溺れてはいけないのは鉄則。もしも、雅子さんでなければならない事情が、愛子さんの立場から「ある」、のなら、それは、周囲の納得を呼ぶものでなければならない。私はそう思う。

適応障害で苦しむ。雅子さんはそうなのだ、と、人は、当たり前に言っているけど。

何に適応できないか、と考えを巡らすまでもなく。皇室という環境に適応できなくてお苦しみ、なのか。そうですよね。

皇室に適応できずに苦しんでいると、10年ほども、言い続けているのです。

適応できにくい環境を与えていることになる、周囲の方々の心に、傷がついていないと、いうことですか?。

天皇ご夫妻が、傷ついておられたと、読んだ記憶があるし、当然そうであろうと、私は、考えました。

・・・これは別にまた、書かせてもらうとして。

「被災地を訪問するなど」

これには、特大の疑問符を投じたい。

はああ ? 

一回しか、行ってませんよ。一回だけ。

こういう雑な「精神科医」兼「占い師」。敬語の使い方も知らないやからが、いわゆる大新聞と称される紙面に、堂々と。しゃあしゃあと。ぬけぬけと。

ここに置きたい一言を、ラストに置かせてもらおうと思います、以下は「ふぶきの部屋」さんから持ってこさせてもろうた、2010年(震災の前年)年末からマサコサンのしてたことです。


<<<
「ご体調の波がおありになりながらも」

「ご病気に苦しまれながらも」

「できるだけの事をしたいと誠意を持って懸命に頑張って」

のフレーズを念頭に置き、去年の雅子妃の誕生日から1年の間に彼女が

起こした問題の数々を列挙してみたいと思います。

 2010年12月7日・・・内親王の社会科見学に同行。

                  当日朝になって出席か否か決まらず皇宮警察が混乱

                  雅子妃と内親王は(KUON註・白バイ先導で)別の車でお昼に現場へ。帰                  りも別。

 2010年12月9日・・・誕生日。参内のため、内親王に学校を休ませる。

 2011年1月・・・小山女官&木幡女官が辞職。

 2011年1月31日・・・ウイリアム王子結婚式に皇太子夫妻が出席へ(KUON註・未遂)

 2011年2月23日・・・皇太子の誕生日行事を欠席。

                  小和田家を含んでの祝宴は出席

 この頃は愛子内親王はまだ1時間目から出席せず。「かまぼこ工場」見学の

  騒ぎを東宮大夫が否定。

  「付添いは愛子内親王が望んだこと」と言い訳。

 イギリスは招待状をどこに送っていいかわからず両陛下へ。東宮職は

  「東宮家へ送りなおし」を依頼。夫妻は出席に意欲。しかし、雅子妃は公式行事

  に出席せず内々に静養を目的に行くのではないかといわれる。

 3月16日・・・仕方なくイギリス行きを断念。

 4月11日・・・午前11時ー午後7時まで東宮御所で「お楽しみ会」

          学習院の子供達を招いてのパーティの合間に黙祷。(KUON註・大震災から一か月目)。

 5月4日・・・宮城訪問。決定したのは2日前。

          この頃「愛子内親王の付添いが中心の為、平日は被災地にいかない」

          事が問題に。

 5月7日・・・三郷訪問。

            「助けられなかった人のことは心に傷が残るようで大変ですね」

           と発言。

           また「陸に上がった河童の気分」猟師の発言に爆笑。

 6月13日・・・デンマーク・フレデリック皇太子が東宮御所訪問。雅子妃出ず。

 6月14日・・・フレデリック皇太子、被災地訪問。

            雅子妃は愛子内親王の「芸術鑑賞会」に同伴。本来1-3年までしか

            付き添いが認められないのに「特別待遇」

            帰りは「思いつき」で電車で帰宅。マスコミを集めて撮影させたのは

            いいが、JRから苦情。

 6月14日・・・皇太子、武蔵野陵・武蔵野東陵参拝に同行せず。

             夕方5時過ぎに一家で参内し乗馬を楽しむが、両陛下には

             来た事を知らせずに会わずに帰る。

 8月13日ー9月3日・・・那須ご用邸滞在。

                 ・ 二期倶楽部貸切

                 ・ 遊覧船を貸切で花火鑑賞

                 ・ 民間のプールを貸切

                 ・ 連日23時まで遊ぶ

                 ・ ご用邸にきた秋篠宮殿下と眞子様には会わず。

 9月・・・学習院初等科貴賓室占拠。毎日9時間滞在し、内親王と昼食をとる。

 9月14-17一・・・愛子内親王・山中湖校外学習に同行。

                 ・ 児童が訪問する場所全てについていき、規制線を張る

                 ・ マウント富士インペリアルスイート貸切で特別料理。

                 ・ 総額3000万かかる。

 10月・・・愛子内親王の運動会の席取りに侍従を並ばせる。

          双眼鏡で父兄を監視。父兄は見回りに刈りだされる。

 10月20日・・・皇后誕生日。参内するも祝宴は欠席。身内の食事会も途中退席。

 10月23日・・・眞子内親王成年の儀の挨拶に出ず。無視。

 11月1日ー5日・・・愛子内親王を東大病院貴賓質に入院させる。

                1フロアを貸切、一度も東宮御所に帰らず。

                精養軒から出前をとって食べる日々。

 11月3日・・・悠仁親王着袴の儀を無視。そもそも葉山に静養する予定だった

            事が発覚。

 11月10日・・・皇太子が東大病院訪問。「風邪」の為同行せず。

 11月14日・・・愛子内親王に社会科見学を欠席させる。

 11月15日ー18日・・・ブータン国王夫妻来日。

                 ・ 歓迎行事に出席せず。

 11月18日・・・ブータン国王の見送りに出ず、学習院への付添い再開。

             夜、皇太子が東大病院へいくも同行せず。

 11月30日・・・秋篠宮殿下誕生日の食事会を愛子内親王と欠席。

 12月1日・・・愛子内親王の誕生日。身内だけですごす。



時系列でみると大震災以後変な行動が目立つのですが、イギリス行きが

なくなった事、スキー静養がダメになったことが「心の傷」になった模様。

(皇太子夫妻イギリス訪問はネット上では大問題で「雅子妃がイギリスへ行ったら

日本の皇室の名前を汚す」とまで言われて抗議のチラシ配布が始まった頃に

大震災発生・・・。>>>

検索して行くと、果てしなく出てくる「雅子さん話」。

腐っている。腐ってるよ、やってることが。性根が。私はそう考えます。断じてまともではない。


末尾になり、申し訳ないことですが。

天皇・皇后両陛下は、今年11月、インドをご訪問されると読みました。

インドまで飛行機で、デリーまで8時間半、ムンバイまでなら9時間半。

いくら居心地のいい飛行機を用いられるといっても、長時間のフライト。直行便でその時間です。

時差は3時間半とか。

11月は日本では寒くなっている頃。その気候に馴染んだお体で、インドへ降り立たれる。

あの夫婦は、心配でないのだろうか。あの二人がまともなら、名代で動かれて不思議は無い、皆、もろともに賛成、の思いを抱くでしょう。

天皇陛下は12月に80歳になられる。皇后陛下は、首や肩に持病をお持ちです。飛行機の中での長時間が、ご負担でないはずが無いと、思わせていただきます。

退いていただきたい。三人で、ごちゃごちゃ言われず、人に迷惑かけない静かな暮らしをなさって下さいと、毎日毎日、願っております。

香山リカ。

天皇家は、祭祀をする家。

天皇家は、国家の安寧と国民の繁栄を、無私無欲に祈り続けて下さるためにある家。

そこのところをすっ飛ばして、利いた風な口をきかないで欲しい。迷惑です。






明日も目覚めて

5月14日発行の「女性自身」。 書店の店頭で表紙を見た。多色刷り、色、ごっちゃごちゃのいつものそこに、雅子さま、涙の(あら、涙の、というフレーズ、今回は無かったかな・・・)「ご決意」を美智子様に、とか、書いてあった。

美智子さまに、何を言うんだ? 。

「雅子さま 東北新幹線で被災地・宮城県へ 」そーゆーことですね。皇太子さまもご一緒のはずですのに、その見出し。

皇太子夫妻が、去年は行っていないので2年ぶりになる東日本大震災の被災地訪問を、検討。なのだそうだ。
場所は宮城県。
東北新幹線を利用しての日帰りで、現地ご滞在時間は6時間の予定。途中、お食事時間はたっぷり取って。喫煙タイムも必要です。
元々は5月28日前後で検討されていたが、オランダ疲れのため延期。現在は6月18日前後で再調整中。

なのだそうです。

5月28日とかいうのは、他の方のサイトで読んでいたが、日にちの延期は存じませなんだ。

オランダ疲れってか。ちょっとエコーをかけてみましょう。

オランダ疲れ

オランダ疲れ

オランダ疲れ・・・・・・・。ふう。

皇太子さんは、娘さんと一緒に、どこやらを借り切ってスケートを楽しまれたみたいです、雅子さんお疲れのこの期間に。

宮城県にも、新幹線を貸切で、お出かけなのですね。東宮家だから。滞在、6時間。コスパ、とかいう、近頃はやりの言葉、全く好きでないけど、思わず、○千万円、6時間、とか、電卓はじきそうに・・・はなりません。

小和田家の雅子ぱぱが、娘さんに、スペインへも行って欲しいらしいので、そのための国内ご公務。

したいことをする時に、その前ちょっと、それらしいことをするのは、常套手段。しかし、う~む。スペインって、6月の中旬という話だった気がします。

・・・

かつて、私的なご静養で遊蘭あそばした折りに持ち出したスーツケースは100個。2週間のご滞在。

今回のご公務で持ち出したそれは60個。6日間。

60個のうちには、あの「寿司職人さん帽」の箱も入っていた、皺くちゃスーツも入っていた。持って行ったスーツケースはその一つだけ、とか、書いたのも、読んだ気がするが。それは無い話でしょ。

税関フリーパスの皇族特権でもって、極秘裏に持ち出さねばならん品もきっと、あったよね。

ね。・・・私、誰に向かって「ね」とか、念、押しているのかしら。

あの「ロオブ・モンタント」の皺は、女官のせい。アイロンをきちんとかけなかったせいだとか、女官さんのせいにされている記事も、ありました。

愛子さんの不登校児時、実は雅子さんだけでなく、ずっと付添登校をしておられた女官Oさんが、はじめ、雅子さんについてオランダへ行く予定だった。が、直前になって人が変わった。この女官Oさんは、一見、感じのいい方です。私の感じ、ね。

あの日、即位式の日。

ドス子ドレス姿の妃殿下のすぐ後ろに、雅子さんのコートだか何だかを携えて、水色の衣装で付き添って目立っていた(あの方には、少なくとも清潔感があった、顔もまいにち洗っているであろうお顔だった)女官さんが、急きょ、ついて行かれたのです。で、決まっていた方Oさんは、愛子さんのそばに残られた。

水色女官さんは、雅子さんの段ボールドレスに、アイロンかけなかった、それは日本の恥であって=女官ワルモノ、のごとき、無茶な論法まで登場。やってられんわ、と、他人事ながら思う。

男雑誌だったからかしら。

あのロオブ何とやらはそもそも、アイロンかけて着るようなもんじゃない。

絹地。西陣織。

下手にそんなことしたら、焼けて、もっとひどい状態になっていたと、私は確信。女官悪くない。用意できなかった悪い。それに、雅子さん、あれ着ける時、眠りの森の姫、状態で、眠っていてわけのわからんまま、あの姿になった訳ではないでしょ。

何でも人のせいにする。げすだわ。あ、言っちゃったわ。

東宮夫婦が学習院に対して、愛子内親王専用のトイレを作るよう申し入れて、学習院側では、愛子さんを特別扱いできないと拒んだ、という話は、既出のことでした。

愛子さんは女の子なので、他の生徒と同じ便座に、おいどを付けるのは「いい」くない、と、ご両親のお考えだったとか。

拒まれた雅子さんが

「それならおむつにさせます」

と、仰ったのが、まことか否か。この身の知るの及ぶはずもないことにてございます。

が。

名も無き田舎の老婆であった私の祖母ちゃんなら、こう言っただろう。

思い上がるもいい加減にしろ、と。

ごく普通に検索するだけで、どんじゃか、出るわ、出るわ、中原中也のあの詩




     あゝ十二時のサイレンだサイレンだサイレンだ
     ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ出てくるわ
     月給取の午休み、ぶらりぶらりと手を振って
     あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
     大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入り口
     空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃も少々立ってゐる
     ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても・・・・
     なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
     あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
     ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
     大きいビルの真ッ黒い小ッちやな小ッちやな出入口
     空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

                                    中原中也 『在りし日の歌』

     ああ日の本のお妃の
     ぞわぞわぞわぞわ出て来るわ、出て来るわ出てくるわ出てくるわ
     東の御所の奥処から、でろりでろりと出てくるわ
     あとからあとから出てくるわ、出てくるわ むさい話が
     目には見えねど真っ黒い、ちっちゃなちっちゃなおん魂
     空はそれでも薄曇り、薄曇り、埃もばんばん立ってゐる
     ギロリの目つきでにらんでも、目を落としても・・・
     なんの妃が偽物(サクラ)かな、サクラかなサクラかな

ううう。中也を穢してしまいました。ざんげせねば。


忘れておりました。

今日、宮城県の方と電話した折りに。

雅子さん(皇太子も)そちらへ「行ってあげるわ」らしいですね、と、話を向けると、そうですか、とあり、次いで、

「来てくれなくていい」

と。

勿体つけて手を振りに、税金どっさり使って来なくていい、行ってやる、と思って来るなら、交通止めとかになるし、旗振りに駆り出されるし、面倒だから来なくていいです、と、言うてはりました。

雅子さま。

せっかく「ご決意」されて被災地訪問、してやろうじゃん、となられたのでしょうが、現地の現状は、きゃあ、お綺麗、とか言って、雅子さま~、とか言ってくれる人ばっかりでもないようです。

なんと不敬な人間でしょう、宮城県k市の、有限会社Kの社長の娘であり事務員でもある、Tさん。

電話ばかりでお顔も知りませんが、とってもオトコマエで。胸が震えました。ありがとう。

・・・大切なことご指摘くださったお方さま。

わたくしからも「感謝」を。今後も、どうぞよろしくお願い申し上げます。



sarahさん。

無知は罪。決めつけられて。

そんなこと言ったってぇ。そんな風に、くちびるとんがらせた昔もありました。

若いころ、永山則夫(執行された死刑囚)の「無知の涙」という、獄中で書かれた本を読み。

わからないではないが、殺人を重ねさせたのが「無知」の犯した罪、というのなら、いきなり殺された被害者の気持ちはどうなるんだ、とか。スイカ頭を絞って、考え込んだことがあります。永山も、光母子殺人事件の犯人と共通した、不幸な生い立ちの子どもだった過去を持っていて。

それでも、がっしり生きて行く人間の方が多いやんか、と、今も考える。

もう、ありとあらゆることが、すっぱ~んとは割り切れないことばかりだ、ううう、と、ぼーぜんとなる、今日この頃でもあります。

生来が呑気なせいでしょうか、知らぬ間に、逃げているのでしょうか。

最悪の事態には至らない、と、根拠なく考えています。

最悪の事態、というものに対する想像力に、限界のある気もします。でへら~、と、シーツかぶって寝てしまえ~とか、もうね、支離滅裂、なのに。

神風が吹く、とか言い言いしていた時代の日本人を、嗤えないと感じている、日ごろです。そんな都合よく行くわけがない、という、シリアスな自分もいますしね。

何を言ってるかわかりませんね。四十にして惑わず、どころか。

六十過ぎてますます多惑。

・・・風が、網戸にしている窓からそよそよと、来てくれましてね。今。この家、風通しがいいんです。ビンゴ、でした。

風さえ吹いていてくれれば、と。

まなこを閉じて、美しい人の横顔の、顎のラインなど、思い描いては。

明日も目覚めて、空の青さを見上げたいと、願う。


週末なので・・・ジュリー! 。


浜尾さんは紳士西尾さんも紳士

「オランダでのご公務を立派に果たされた」雅子さんを伝えるテレビで「この成功体験が後によい影響を及ぼす」ので、者どもは見守れ、みたいにしゃあしゃあと語っていた香山リカ。

皇室を貶める意見を発してた(雅子サン擁護)、安倍さんのことも解った風にうそぶいてた、社民党の党首と、仲良くどっかに出ていた。何より、なんでそんなに自信たっぷりにおかしいのか、よう分からんかった。私には。

香山リカ。(金梨花・通名:中塚尚子)。こいつを信じてはなりません。・・・信じる方がおられるとして。

精神科医であり、占い師、であるそうです。笑う。私。

・・・例えば「金」さんのすべてをキライ、なのではないです。

大阪府八尾市出身の、私の好きな俳優の一人がかつて、自身について書いた文章がある。

<<<民族教育を受ける事もなく、日本の学校で日本人の子供達とともに育った。
家の中に点在していた韓国人であることのキーワード達、キムチ、チョゴリ、チャンゴ
といったアイテム。ハラボジ、ハルモニ、アボジ、オモニ、という言葉。視覚と聴覚を
掠めるキーワードは、他の子供達とは違うのだという認識を、私にもたらすまでには
至らなかった。
二十歳を過ぎて、初めて日本を離れた時、私は当然のごとく韓国のパスポートを渡され、
訪れた彼の地で韓国人として扱われた。笑い話かもしれないが、日本を離れることで
はじめて私は「在日」である自分と向き合ったのである。>>>

在日三世であるという豊川悦司の文章です。サラサラしていて、気持ちいいと思った。


今日は、動画を幾つか、貼らせていただきます。

雅子妃が、どんな目で天皇陛下を見たか。よ~くわかるもの。



皇太子殿下に、体を張ったご提案をされた西尾幹二氏のインタビューの一部。



幼い頃から皇太子・浩宮さまに付き添って養育に携わられた、元・東宮侍従の浜尾実氏の、ご心配そうな表情も、貼らせていただきます。



ヤフオクに出品されていた(実際残っている映像、本物)皇室ゆかりの品々の動画も。

びっくりしました。

あ、これ・・・って感じの人物の姿も・・・。

ご覧になっていただきたいです。





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