今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

きっぱり。

何年か前、高円宮家の長女の承子さんがイギリスへ留学され、ゆえに学習院の方は中退、異国で「たのしそう」な学生生活を送っておられたことが、あれこれの噂になっておりました。

当時の私は、自分の娘の躾もまともにし得なかった母親である自覚を持っていました。娘の一人が学生結婚して子どもを産み、あっという間に離婚したこともあって。平気では無かったのです。よそ様の若い人が、日本では窮屈なおひめさんが、多少ハメを外したところで、ぎゃあぎゃあ騒ぐこともあるまい、みたいに感じておりました。

その承子さんが、エディンバラ大学も中退して帰国され、早稲田に入られ、このたびご卒業なさったと。

このごろ毎号目を通している週刊誌の一つに、27歳のその方の写真が出ていました。

就職も決まっていて、その就職先は「日本ユニセフ協会」であると。

・・私は、この方面にも、著しい「世間おんち」でもあるようで、つい2~3年前までは「日本ユニセフ協会」なる組織と、トットちゃんが長く関わっておられる方の「ユニセフ」が、全く違うものだと、知りませんでした。

多分、自分が知らなかった故の、違う方の募金の求めにも、何度か応じて来ていると思います。封書が何度も来て。
震災の後に、日本ユニセフ協会への寄付金は被災者の方に届きにくいようなことも聞き、でも、その時には、全く別の支援金の送らせていただき方を覚えていたので、ユニセフとは縁遠くなっていたから大して気にしてませんでした。

さて。

「いろいろありましたが、早大を無事ご卒業」と、承子さんの、髪をひっつめてアップにした、スーツ姿の写真を掲載している同じ週刊誌に、秋篠宮家の次女、佳子さまの記事も掲載されています。

「膝上15cmのミニスカにイヤリング、巻髪、細眉、Kポップでダンス!」というコピー、「美人すぎる皇族の奔放な学園生活」とある。

ああそうなの、という内容でした。センセーショナルに見せようとしたのでしょうが、ちょっと活発な今時のJKなのね、という感じ。これくらいならこの年頃、抑えない方が、と、ご両親はお考えなのでしょう、という感じ。

もっと言えば、部活のダンス部の舞台の上と、制服姿で清楚な姿で伊勢神宮へ参られるお姿と、きちんと分けられているし、と、感じた。

これが「奔放」なのなら、とネットを辿ったら。

・・・わたしは、基本的には、意味なく何かをあばいちゃえ、という行動は、好まないと断っておきたい、できるだけアラソワないで生きていたい、と、激しい日々もあった過ぎ越し方だった故に、還暦を過ぎた身では、望むのですが・・・と、書いて(逃げて)おいて。

ずるずるっと、もしかしてご当人は忘れたい捨てたい過去なのかも知れんことを、ぜひ、このささやかなブログに、ひいてみたい。

07年1月には、初めて一般参賀にお出ましにもなっているので、その年に「成年皇族」になっておられる「女王」さまのことを、です。内容については、

「(ミクシィのページや、ホームページの日記やプロフィールが『「承子さまご自身が作成なさった』ことを、編集部として)確認しております。根拠につきましては、誌面に書いてあるとおりです」と、文春は書いています。ご本人が、自ら書かれたもの。その、一部です。


「昨日はねー、アジアン(ってか日本人と中国人)でめっちゃ騒いだ。王様ゲームやったけどエロ系一切なし(カップルがいた為。)でつまんなかった」(05年10月24日の日記)

「好きな人がゲイ…。終わってる」(06年1月20日の日記)

「私も親さえ良いなら胸にヤモリの刺青入れたいんだけどなぁ~…間違いなく縁切られますからね(笑)」(06年8月1日の日記)

「タイプ→カッコ可愛い年下」(ケータイ版プロフィール)

「彼氏→三角関係(むしろ四角関係)のすえ泥沼化して終わった。ビバ波乱万丈(嘘)」(ケータイ版プロフィール)

「【ここだけの話】 年下(男ね。)に飽きてきました・・・」(PC版)

「【休日の過ごし方】 毎日が休日です(勘違い。)」(PC版)

「彼氏→タバコ嫌いな彼氏ができた!禁煙してるよ、マジで☆」(ケータイ版)



「【尊敬する人】両親。それからAちゃん(編注: ウェブサイトにはニックネームで記載)(地元の友達。バレエ時代の先輩)いなきゃ生きてけない親友&相方。忘れちゃいけないダンスの師匠方・・・。ってか、みんな尊敬してます。だから付き合ってるんです」

「現段階(2月1日夕)で宮内庁から掲載記事に関して、申し入れを含む抗議はございません」

という、記事でした。

エディンバラ大学では「犯罪心理学」を専攻されたこの方は、ある種の若い人の「偽悪」「露悪」のような感じに、魅力を感じたのかも知れない。実際より「いけない自分」を演出することに、快感があったのかも知れない。とは、庶民のワタクシが、おこがましくも思うこと。もう少し「あららら」なことを、読んだ気が、するようなしないような。

本名→承子(つぐこ)。偽名→しょうこ。あだ名→つぐ、つぐちゃん、インド、ツーズ、ツギー。あ、ラティを忘れた笑!!家→港区生まれの港区育ち。年→1986年3月8日生まれ、18才。星座→うお座。血液型→B型。性格→典型的B型・・。趣味→ダンス、携帯、プリクラ、読書(ホントだってば笑!)密入国→してない。(ピーーーー嘘発見器。)今→イギリスに留学中。集めてるもの→オオカミグッズ、ポストカード、CD。好きな場所→暗くて青い空間。水族館とかパーフェクト!フリーク→沖縄。たまに沖縄弁になります。スポーツ→バレーボールが得意。でもテニス習ってて卓球部だった笑。兄弟→妹2人。ダンス歴→バレエ6年、ジャズ半年、ヒップ3年。バイト→昔年ごまかして面接行ったけどバックレたのでしたことない。チーム→つっつき、ぱわふりぃ。でも今後は本業はつっつき一本。相方→ダンスがなかったとしても仲良しで私のこと知り尽くしてる相手。タイプ→カッコ可愛い年下。彼氏→タバコ嫌いな彼氏ができた!禁煙してるよ、マジで☆願い→帰るまでみんなに覚えててもらうこと(切実)。というわけでこれからもかまってくだちゃい☆★☆

・・・・・・過ぎ去った過去は過去、これからが大事、今からが大事。そうだよ!。

と、考えるものです。判って下さるかもしれませんが、この数行の私の意見は、かなりの「きれいごと」ではあります。

・・・と。ここでは終わらないんです。

この個性的な「女王」さまが、四月からお勤めされるのは「日本ユニセフ協会」。

2010年末までの会長、役員、評議員に、赤松良子(前副会長、会長代行、文京学院大学顧問、元文部大臣、元駐ウルグアイ大使)氏だの朝比奈豊毎日新聞社代表取締役社長だの、秋山耿太郎(朝日新聞社社長)等のマスコミ関係者、麻生渡(全国知事会会長)等の政治家、五十嵐敬一(白洋舎相談役)等の財界人、壷内明(全日本中学校長会会長)等の教育関係者、小和田優美子(皇太子妃雅子母)等の著名人等から構成されている。

小和田優美子さんは、現在も、日本ユニセフ協会に。

私はこのたび、浩宮様と雅子さんとの縁を取り持たれたのが、高円宮家の(主に)久子氏だったことを、改めて知りました。

高円宮さまは早逝されてしまいましたが、久子氏は、何かとひそやかに囁かれながらも、ご公務、布教にも熱心で、お元気。小和田優美子さんとも当然ながら御懇意である。矛盾はありません。同じ宗教を信ずる皇族の一員が、自らの娘を、東宮妃の実母のところへ送り出す。解りやすいとさえ言える話だと思います。

大変にきなくさいものを、感じないでいられない私です。小和田家は、熱心な学会員として隠然たる力をお持ちです。

何度も申しますが、個人の信仰を取りざたする意図も権利も、全くありません。

神道の最高のお立場にある皇室、一般人とは「自由」に関して無制限ではあられない皇族方が、それ以外の宗教に、何らかの強い意味を持たせようとすることは、許容の範囲でないと、それだけは思います。

雅子さんのお父様も、外務省の内部にある特定宗教団体信者から成るという「大鳳会」なる団体の、重鎮であられるとか。

それがどうした、という問題では、すでに、無い、との危機感が、広がっていると考えるし、もっと広がらないと、とも、浅学の身は、憂うる次第です。


やまねさん。

やっぱり~同感、ありがとうございます!。

他のことはね。まあ、どうでもいいとは思わないし、どうでもいいのなら、鼻息荒くして書かないけんど。。。

誰のためにも、その方がいい、と、考えるのです。

ま~だ、遊びにだけは忠実なのですか、という目で、見られているのに、手を振ってる。

皇太子を端っこに、娘さんを真ん中に・・・そういう構図も気にされないで、手を振っている、娘を肘でこずいている、お父さんは、ただ、あははは、と、笑っている。

なんとも言えないです、気の毒な気配さえ。

楽になって下さいよ。そんなこと、言うてあげたいくらい。

国民の声が高まってどうこうなる、と言うより、陛下が、きっぱり、ばっさり、断じて差し上げて下されば・・・という、悲鳴のような声も聞く、この頃です。

わたしも、そんな風に、思います。




スポンサーサイト

・・・

こういう話は疲れます。

自分ではない他人のことを、ああ、こう、と。

放っておいても日々の暮らしに何の障りも無い・・・ずっとそうだったのだし。

皇室のことなど、由緒正しい、まことの、純性庶民の一人である私に、わかることでもなし。

このところ毎日、いろんなものを見ていて、愛子さんの笑顔を見れば、こんな幼いお子についてちくちく考えて、とか。にたま~と、中途半端な笑顔のお妃さんを見ては、もしかして、ほんとに無気力でしかいられない体調なのかも、と考え、それなのに・・・と、自分を責める。ま、スキーや買い物や好きな人との会合には、しゃきしゃき出向かれるのですが。

イヤな自分ね、と、思います。

なに、ほんとはどーでもえーのよ。どうでもいいんだけど、どうでもよくないんです。

両陛下がご高齢で。東宮家が〇〇で。このまま、まあええやんか、と進んで行ったら大変だ~。どう大変か、言いつくせないけど大変だ~。

皇室なんかどうなっても関係ない、無くなればいい、との考えもあるようですが、わたしは、そう、思えないので。

日ごろはほとんど意識しないでいて、何かの折に、ふと、あって下さっていることに安心する、程度が、理想な気はする。そんな対象であっていただきたい、ような。皇室は。

・・・そうでなくなって来ている・・・写真見ても。

雅子さんと愛子さんが車の普通の席に並んで乗り、日本の皇太子は後ろに、荷物みたいに乗っている。

こんなササイなことが。普通の社会でなら、あそこ、ヨメさんのしりにしかれとる~、で済むことが(多分ね)、あの立場の家のことですと、よそから見ては笑い者。

このたびアメリカでも、皇太子が水の講演をされたというが、あからさまに軽く扱われていた記事があり、どうも事実らしくてクヤシイ。

・・・今夜は、これくらいでやめます。



源氏物語が書かれた頃にも皇族はおられ、たくさんおられ、まあ、ヒマだから、いろこい沙汰にしか時を費やす術が無かった。

言葉遊びに興じられ、顔を見たこともない女性に「恋しくて死にそうだ」とか文を書き、もらった方も、機知に富んだ返事をすればそれが「よいな~」となって。生活のご苦労などいっさい無い中で、遊んでおられた。

そんな中から、日本独自の文学が生まれ、今に至っている。私にはそれは、とても重要。

時代時代によって、ひどい目に遭われた・・・着るものさえ無くて、蚊帳をまとっておられるような天皇もおられた・・・が、うたは詠んでおられた。

皇后様はたくさん、うたを詠んでおられます。ことに思いの深そうなうたを、読み直していたんです。

僭越ながら、少し、感想と共に、好きなうたを。


子に告げぬ哀しみもあらむ柞葉-ははそは-の母清-すが-やかに老い給ひけり
  めったに実家に帰られなかったなか、お母さまを読まれた一首。子に告げぬ哀しみもあるだろうに、とは、自分が  原因でのお母さまの悲しみを思いやる、深いお気持ちでしょう。とても控えておられた方だから。

言-こと-の葉となりて我よりいでざりしあまたの思ひいまいとほしむ
  胸には宿ったけれど言葉にはしなかった、出さなかった、たくさんの「思い」、それを、いまいとほしむ…言わな  くてよかった、よかったのだ、と。


み空より今ぞ見給へ欲-ほ-りましし日本列島に桜咲き継ぐ
  現皇太子の和歌の師への挽歌という。わが子の師に、先生、見たがっておられた桜が咲き盛っていますよ、と心の中  で語りかけ、み空より、と言葉を置き、日本列島に、と言葉を選んで、スケールの大きさと共に、桜さくこの国へ  の愛情に溢れている。

岬みな海照らさむと点-とも-るとき弓なして明-あか-るこの国ならむ
 
白鳥も雁がねもまた旅立ちておほやしまぐに春とはなれり

新嘗-しんじゃう-のみ祭果てて還ります君のみ衣夜気冷えびえし
  おっと君である天皇陛下の、冷える夜の祭祀の果ての衣装の冷えに託して、いたわりと愛敬の情を。

春草のはつはつ出づる土手のさま見むと春泥の道あゆみゆく

柊―ひひらぎーの老いし一木は刺―とげーのなき全縁の葉となりたるあはれ
  どんな屈託を抱えられてのおうたかと、僭越ながら思います。

秋彼岸やうやく近く白雲の一つ浮かべる山の静けさ

この月は吾子―わこーの生-あーれ月夜―づきよーもすがら聞きし木枯の音忘れず
  愛おしんで育てたわが子。この月はその一人(おそらくは浩宮)の誕生月である、と思い出しつつ、耳から去らな  いのは 木枯らしの音だと

この国に住むうれしさよゆたかなる冬の日向―ひなたーに立ちて思へば
  
短夜-みじかよ-を覚めつつ憩ふ癒えましてみ息安けき君がかたへに
  昭和天皇の御病の後のうた、と。病癒えて寝息の安らかなかたわらに、眠らず添いつつ、憩う、と詠んでおられ   る。その厳しかった人のそばで。

子らすでに育ちてあれど五月なる空に矢車の音なつかしむ
 育児時代への思いと鯉のぼり。

窓にさす夕映え赤く外の面なる野に冬枯れの強き風ふく
 改めて読むと、冬のうたも多いです。

白梅の花ほころべどこの春の日ざしに君の笑まし給はず
 亡き高松の妃殿下のお印は梅。日本語の奥深さを感じます。

神まつる昔の手ぶり守らむと旬祭-しゅんさい-に発たす君をかしこむ
  <古きを守り親を親しむ事により常に魂が新しくなる、だから皇室は二千年続いた>。

音さやに懸緒-かけを-截-き-られし子の立てばはろけく遠しかの如月は
皇太子としての儀式に望まれる現皇太子加冠の儀、この子を産んだあの(なんやかやと寒かった)二月は はろばろと 遠い日である・・・。耐えること多かったと推察されるお心の感慨が、短く簡潔に深く。

木犀の花咲きにけりこの年の東京の空さやかに澄みて

ともどもに平--たひーらけき代を築かむと諸人のことば国うちに充つ
  平成の代がわり。

いつの日か森とはなりて陵を守らむ木木かこの武蔵野に

かの家に幼子-おさなご-ありて健やかに育ちてあらむ鯉のぼり見ゆ
  愛しまれたのはわが子のみでない。よその家の鯉のぼりに、健やかに育っているのだなあ、と、親の心で喜びを共有 しておられる。

とつくにの旅いまし果て夕映ゆるふるさとの空に向ひてかへる
 外国より、夕焼けの日本に帰って来られて。

日本列島田ごとの早苗そよぐらむ今日わが君も御田にいでます
 日本は瑞穂の国。天皇家も田植え、稲刈りをされる。 このようなお姿は他の国には見られないと聞きます。


短歌は、たかだか三十一文字の中に、大きくも小さくもさまざまなものを込めることができます。

私は短歌が大好きです。

皇后陛下がお子さまを詠まれたうたも好きです。

愛情が、したたるように籠っていながら、きちんと客観的な目をもって詠んでおられ、何がどうでも自分の子だけが可愛い、いい、といった、みっともよくないさが感じられません。

紀宮様が、ご成婚の日に、ご自分の 帯を締めて前に立たれた時、一瞬(より少し長く)生な母親としての表情となり、隠されなかった。強く印象に残っています。

客観性。それが、皇后様には備わっておられると思います。えらそーな書き方だな。許していただきましょう。私は、べたべたの皇室フリークでない(つもり)、そのことも。



・・・やまねさん。

黙っていようとも思ったのですが・・・ごめんなさい、私が東宮一家に「私生活も楽しめるように、お幸せに」と書いたココロは、優しいやまねさんの気持ちと真逆、違うみたいです。

私は、ああいうお立場の方が、自分たちの楽しいことにしか言行が及ばないのを、はっきり「おかしい」と感じていて、それなのならお退き下さい、と、言っているのです。

天皇家の長男として生まれたお方として成り立ってゆくような処遇は、もちろんどなたかがお考えになることでしょうが・・・このままいて頂きたくないのです。だから、どっか、チクチク、痛みながら、書いています。

ミジンコの遠吠え、と、よく言っていましたが、これも同じ。

きっと、同感して下さるやまねさんのお気持ちとは、違う、と思うのです。

きつくてごめんなさいね、しかし、そうなのです、と、書かざるを得ませんのです。





おカネのこと、とか。

今年3月半ばまでの、天皇皇后両陛下と、皇太子殿下と、秋篠宮両殿下のご公務の表が出ていました。お借りします。


両陛下

3月1日・・・天皇陛下 → 三の丸尚蔵館展覧会見学

                 ベナン大統領夫妻と会見

                 通常業務

3月4日・・・両陛下 → 復興大臣から説明を受ける

               人事異動者に会う

               皇太子殿下より出発の挨拶を受ける

       天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

                警察庁長官表彰の警察官に会う

                退職認証官とお茶

3月5日・・・両陛下 → 新任外国大使夫妻らとお茶

       天皇陛下 → 認証官任命式

                通常業務

3月6日・・・両陛下 → 法務大臣及び在団法人矯正協会会長会長表彰の法務省矯正職員に会う

                国際緊急援助隊に会う

3月7日・・・天皇陛下 → スベロニア大統領と会見

     両陛下 → 式部職部課長らと昼食

日本芸術院部課長らとお茶             

3月8日・・・両陛下 → 前復興推進委員会長らと昼食

                勤労奉仕団に会釈

                琉球舞踊を見る

       天皇陛下 → 通常業務

3月9日・・・両陛下 → 皇太子殿下から帰国の挨拶を受ける

               復興チャリティコンサートを見る

3月11日・・・両陛下 → 東日本大震災追悼式典に出席

                 宮内庁総務課長から説明を受ける

3月12日・・・両陛下 → 在スリランカ大使から説明を受ける

                 式部職部課長と昼食

                勤労奉仕団に会釈

       天皇陛下 → 警察大学校警部任用科第36期学生に会う

                通常業務

       皇后陛下 → 被災地の訪問看護について説明を受ける

3月13日・・・両陛下 → 日本学士院第一部部長始め学士院第一部会員とお茶

3月14日・・・両陛下 → スリランカ大統領夫妻と会見及び昼食

                 厚生大臣表彰者に会う

                 勤労奉仕団に会釈

                 秋篠宮両殿下・悠仁親王殿下から挨拶を受ける

       皇后陛下 → フレディ・ロドリゲス展「予測不能」鑑賞



皇太子殿下

3月3日・・・今井信子ヴィオラコンサート鑑賞

3月4日・・・IOC関係者らと会う

       アメリカ出発の為両陛下に挨拶

       宮中三殿参拝

3月5日ー8日・・・アメリカ旅行

3月9日・・・両陛下に帰国の挨拶

       宮中三殿参拝

3月11日・・・両殿下 → 黙とう

3月12日・・・青年海外協力隊に会う

3月13日・・・勤労奉仕団に会釈

3月14日・・・スリランカ大統領夫妻昼食会に陪席

        勤労奉仕団に会釈



秋篠宮両殿下

3月1日・・・紀子妃殿下 → ろうあ連盟より進講を受ける

3月4日・・・両殿下 → 第3回日本学術振興会育志賞授賞式・レセプション

               帰朝カンボジア大使夫妻と会う

3月5日・・・両殿下 → 新任オランダ大使夫妻と会う

      秋篠宮殿下 → 研究会出席

3月8日・・・秋篠宮殿下 → 三の丸尚蔵館見学

3月9日・・・紀子妃殿下・佳子内親王 → 琉球舞踊鑑賞

3月10日・・・両殿下 → 都内戦災・関東大震災慰霊祭出席

3月11日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所会議

        両殿下・佳子内親王・悠仁殿下 → 黙とう

3月12日・・・紀子妃殿下 → 結核予防全国大会について説明を受ける

3月14日・・・両殿下・悠仁親王殿下・・・・御茶ノ水幼稚園卒園式

                          両陛下にあいさつ


とある女性週刊誌に「歴代皇后は仕事をする義務がない。夫婦一対で行動するのは平成になってから」

と書かせた力があります。しかし風岡長官から「昭和の時代も一対で行動されていた。香淳皇后に大変失礼」と否定されました。

以前にも同じような事があったにも関わらず、どうしても「皇后に公務の義務はない」としたい東宮家

の思惑がそこに見えて来たなあと。

 同じことの繰り返しになりますが、近代皇室において皇后の立場は、単に世継ぎを産むというだけではなく、赤十字などの活動になくてはならない存在です。昭憲皇太后が「妃」という立場に甘んじることなく、養蚕をはじめ、赤十字に寄与し女子教育に貢献され、貞明皇后様もまたそれを受け継ぎ、さらに灯台守を慰問するというご活動をされていました。香淳(昭和)皇后は8回にも及ぶ出産を繰り返されましたが、戦時中も戦後も率先して陛下の公務に同行されましたし、養蚕も赤十字もきっちりとされておいででした。

養蚕は現・皇后にも引き継がれ、佳子様もおばあ様と一緒に手を染めておられるそうです。

今上陛下の「二人で一対」が目立つのは、皇太子時代が長かったことと、さらに独自の公務を開拓されたから。

・・・現皇太子が天皇になった時には皇后は仕事をしなくていい、一年中「静養」してていいのかという話になると、それは違うと思います。病気である・・・という前提の皇后に、もし、なられたら。なられたら??。


〇以下は、この3月の後半の御三家の動向を引かせてもらいました。


24日、三重県入りした秋篠宮両殿下・佳子内親王・悠仁親王。当日は外宮にある「せんぐう館」を視察。

25日、ご一家は正装で内宮を参拝。

秋篠宮殿下は4年ぶり。悠仁親王ははじめて。

紀子さまはローブ・モンタント、佳子様はセーラー服にポニーテール。そして悠仁殿下はスーツでした。

幼稚園を卒業されたばかりの悠仁さまは、どなたかと手をつなぐこともなく、あの砂利道など、時に転びそうになりながらもしゃっきりと歩かれたとか。


両陛下、須崎でご静養 

両陛下は25日から28日まで須崎の御用邸で静養。

近辺を歩かれて談笑されるとか、みかん農家をお尋ねになるとか。


東宮家は27日から春スキーで「ご静養」。

グリーン車一両貸切。

正否はいま詳しくないですが、東京駅あたりで「税金泥棒」と声をあげた男が、事情聴取されたとか出ています。

ついでに、と言っては何ですが、ぜいきんどろぼう、のシビアな(身のすくむ)言葉からの連想で、こんなことも。数年前のものだそうですが。


〇皇室の費用/東宮家と秋篠宮家の経済/皇族の方々にしか出来ないご公務/勝ち組と言われる民間人よりも、質素な生活を送っておられます。

お住まい


東宮家

5,460m2
私有部分870m2
部屋数17

秋篠宮家ご自宅

1,417m2
私有部分472m2
部屋数8


内廷費として
3億2,400万円支給される
(天皇家・東宮家含め5人)

皇族費として
5,490万円支給される
(秋篠宮家5人)


光熱費など
私的生活費
実費の有無

東宮家

無料。内廷費から支払われる

秋篠宮家

有料で実費
(皇族費から支払う)


私的雇用
職員

東宮家  51人

秋篠宮家  9人

私的雇用
職員人件費
実費の有無

東宮家  無料(内廷費から支払われる)

有料で実費
(皇族費から支払う)


御用邸 の利用

東宮家  自由に利用可能。

秋篠宮家   単独利用は不可
(天皇家・東宮家の 招待があれば可))

御料牧場
牧場製品

東宮家  無料 内廷費から支払われる

秋篠宮家   有料で実費
(皇族費から支払う)

交通規制の有無

天皇・東宮家  白バイ先導あり
  信号規制無し

秋篠宮家  白バイ先導無し
  信号規制有り


皇室警察護衛2課による
専属警護

皇室警察護衛3課が
全ての宮家を警護


鉄道利用

天皇・東宮家  グリーン車の貸切

秋篠宮家   グリーン車に 一般の乗客と共に乗車

出産

雅子様の場合、無料
(宮廷費から支出され国民
と違って10割全額負担)

紀子様の場合有料で実費
(皇族費から支出され国民
と違って10割全額負担)



 内定費、宮廷費は公費と考えられる。
 皇族費とは、民間で言えば給与の様なもので、各宮家に支給され、生活費として使われている。
 なお、皇族費は天皇家、東宮家には支給されない。


皇室費

 すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経る必要があります(憲法第88条)。
予算に計上する皇室の費用には、内廷費・宮廷費・皇族費があります(皇室経済法第3条)。



内廷費
天皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもので、法律により定額が定められ、平成18年度は,3億2,400万円です。



宮廷費

儀式、国賓・公賓等の接遇、行幸啓、外国ご訪問など皇室の公的ご活動等に必要な経費、皇室用財産の管理に必要な経費、皇居等の施設の整備に必要な経費などで、平成18年度は、62億5,399万円です。



皇族費

皇族としての品位保持の資に充てるためのもので、各宮家の皇族に対し年額により支出されます。
皇族費の基礎となる定額は法律により定められ、平成18年度の皇族費の総額は、2億7,359万円です。
なお、皇族費には、皇族が初めて独立の生計を営む際に一時金として支出されるものと、皇族がその身分を離れる際に一時金として支出されるものもあります。


宮内庁ホームページより

皇族の方々がお使いになられるお金と言うのは、皇族の方々にしか出来ないご公務に使用され、「日本の皇室は、世界で一番質素な王室」と、世界の国々では言われています。

また、皇族の方々しか出来ない(民間人には不可能な仕事)ご公務をされており、そのために、皇室費(内廷費・宮廷費・皇族費)は支給されています。

ちなみに、平成18年度の皇室費(内廷費・宮廷費・皇族費)は68億5,158万円となり、単純に日本の人口約1億2,700万人で計算すると、国民1人当たりの負担は、年間わずか約54円ほどです。


以下、略。



やまねさん。

お返事遅くなり申し訳ありません。

書いて下さったこと、ネットに出てること、わたしには、とりあえず清潔度、安心度その他に勝ると、自分には思われる自国でなく、なんでよその国へ行ってお産されるか、わかりかねるんです。

清潔、という言葉の意味は、うんと深いものだと思うんですよね。

やまねさんのお怒りは、NHKのその番組を見ていないのでピンと来ないのですが、つまり、やまねさんも「いい」とは思えないそういう場所を、某NHKが「いい」みたいに取り上げていたから、なのだな、と見当つきました。

私も、日本で産めばいいと考えますよ。

話は違うらしいけど、小雪さんは、罵りのようなことを言われ他にも何かあったそうなんですね。

日本にも、ひそやかに産める場所はある、と、考えますが・・・。


わがまま、親父様。

遠い空の下からありがとうございます。

ブログも読ませていただいています。

お申し越しの件ですが・・・ほほほ。

やさいさんも私も、お酒はいけない、クチ、下戸です。

東京からも遠く暮らしております。

教えて下さった方のブログも、きちんと読ませていただきますね。

そちらでは、桜はいかがな感じなのでしょうか???。

「お幸せ」に、どうぞ。

大昔に大陸や半島と行き来があり、女性が妃になったり婢になったり、男性の方も、身近な女性と縁を結んで子を成して、ということは、普通にあったことと考えます。やさいさんが書いて下さったのはその通りで、何代も遡ったらそういうことだ、みたいな関係では、もう混じりこんでいるし問題にさえならない。そもそも純・日本人とは、など始めてしまうと収集付かないし。

その頃と今とは比較できない、何もかもが違う、ということを、私はきちんと書くべきだったと思います。

残念ながら、きちんと書くだけのものを、自分はまだ持っていないのに、危機感だけで走ってしまった。

そこで思うのは、自分は「感想」しか書けないが、自分のブログに、感想なりと記そうと。。


「みょん いん」という言葉・・表記に、ものすごく感情が波だったんです。

私が子供のころ、リヤカー引いて何かを集めに町内へやって来るオジサンが、ボクさん、でした。

野球を少し見る頃になって、金、の名のつく人もいると知り、キンさんだったり。

パクさんやキムさんではなかった。

相手方が呼ぶ時の音に近く表記する、呼ぶようになった、という話だった気がします。あちら側にとって「正しく」なったのでしょうかね。こうなった背景も、あるようですがそれはまた。

韓流を知って、あ、イさんは李さんか、チョンさんは、とか、パズルみたいに無邪気に知って行った。

・・・とにかく、呼び捨てで「みょん いん」。ショックを感じた。こんな失礼な扱われ方って、通っていいのか?と、びっくりしたのが実感。

みょん いん と表記されて、目のところに細い線を入れられて・・・このことの意味も考えたけど、これも突っ込んで行くと膨大に書かねば・・・とにかく、その方は、私にとっては平成天皇、明仁天皇陛下であって「みょん いん」ではない。

そう感じた、すべてはそれだけだったと思うのです。

現代日本に「不敬」罪はありませんが、そういう感じは、自分自身の中にあることでないか、と思う。やめて頂きたい。

ショックを受けた、とこうして書くことさえ、差別だ、と言う人もいるようですが。

思い起こせば二十年ほど前。

顎をくいっとしゃくって、横目で記者を見て「私は(お妃問題に)いっさい関係ございませんから、と言い放っていた、あの、エリート然とした女性が、結局、東宮妃になるのか、と。

雅子さんがお嫁入り道具にするはずだったのに、叶わなかったという純金張の箪笥の件を、リアルタイムで知ったのを、このたび思い出し、趣味、悪~というのが第一番の実感だったのも思いだし、それと、皇后様なら絶対されないことだと思った。

そんなに皇室に関心のあるわけでも無い自分でしたが、美智子様の存在は、皇室にある思いを抱かせました。

今までの、昔の皇室は知らなくても、今の美智子様は立派な方と。

慎んで暮らしておられることや、自分は後で人のことが先、ということや。徹底しておられるようにお見受けされます。

だから、趣味の問題でなく、金の箪笥は望まれないだろうと。

こういう思いが、新しく入られる方にプレッシャーになるであろうとは、わかる。わかるけど、馴染んで行かれるしかないと。

その箪笥、特注したのに引き取らず、代金、支払われなかったとか。

上の立場の人間は、文句言えないひとを、泣かせてはいけないのにな~。鉄則だろうに。

これは私の単なる感想です。

思えばはじめから、違うやろ~って感じはあったのだったか。

皇室からお金は出るから、という買い物、皇室の、他のどなたがされるかと思います。無礼を承知で書けば、それは税金です。

生活保護費も、税金です。

・・・結構なお歳になってから、社会へ出て自由な風も知ってから、特殊な世界へ入られたのは大変だろう、ご苦労だろう、ワタシは庶民でよかった・・・と、そんな感じで。知人が「雅子さんなんてすごくいいわよ、一生守るなんて言ってもらえて」とか言うのを聞いて「苦労もあるやろうになあ」と、お人よしのボンクラでした私。

中でだんだん、感じていたのは。

両陛下を敬っている雰囲気が感じられないし・・・それは実家の方も同じく。全く敬意を逸した感じなのは、どうしても、と、押し切られての結婚だったからかしら、とか。

流産された時は私の胸も痛みました、ほんとうに。すぐに懐妊されて、よかったなあ、と。

その辺はフツーくらいの人でした、私。

アタマの中はあれこれいっぱいです。

雅子さんのみならず、皇太子様が、ずいぶん偏向した集いに出て行っておられるのは本当のこと。ブラジルでSGIの記念大会に出られ、写真に写っている。コンサートや講演に出られるのも、ずいぶんと偏向されているのを、知ってしまいました。無礼を承知で書けば、引っ張られて行っておられる。そのお立場で考えられないようなことを、されている。雅子さんの、大新聞はこういうことは書かない行状の数々は、知れば、目を覆わんばかり。恥知らずの極み。と、私は思う。

   小さいことではありましょうが。
今日からご一家で、静養のため、春スキーにおでかけらしいが、どう考えても私的なそれに、長野県が警備に要するお金が一億円に達するとか。異常です。私はそう思う。

お泊りのホテルの経営者その他、まったく日本人の名がありません。



妻はわかっていない、実家の親のみに心は添い(それ自体が悪いのではない、中身が問題)、夫はそれをどうすることも出来ない。どうすることも出来ないどころか。

こういう状況を、一般庶民の言葉で端的にいえば、・・・ああ悔しい、二文字のそれを、書けない自分が悔しいです。

シロアリは、日本の国の皇室の内部にまで広がっている。

秋篠宮家が、ご長男の学校にかかる経費を、公に求めず、ご自分がたの私的に使う用のお金の中から出す、と。決めて実行されることが、ネットの記事には出ていました。

小学校の学費。金額的には微々たるものでありましょう。

私は、これも、兄上夫婦への無言の抗議だと、今は、考えざるを得ません。

両陛下はお疲れになられていると、思わずにいられません。

どうしてこんなことに。

普通の人は、そんな風に、重く慨嘆される事態・・・。



たくさん出ている関連の記事の中から、一部お借りします。「恥更級日記」さんより。失礼を承知で、青い文字で、あちこち突っ込ませていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜ、雅子様が批判されるのか

週刊文春で、林真理子さんはじめ多くの方が雅子様について寄稿、大特集をしていた。


林真理子さんの、「肉声でお話しになる時が来た」という意見には概ね同意する。


しかし文中、雅子様がなぜ批判されるのか、について、ちょっと反論したい。


「公務は欠席でも、ホームパーティには出る」というようなことが批判されて気の毒……たしかにそれはそうだ。

精神的に参っていらっしゃる方が仕事を休み、気の置けない友達や家族と楽しいときを過ごすことの、どこが悪いのか。




2006年3月、私は料理をしながら夕方のニュースに耳を傾けていた。

「皇太子妃雅子様と愛子様が、妹の池田礼子さんと東京ディズニーランドに出かけられ…」というアナウンサーの声に、私は驚いた。

雅子様といえば、心の病気療養中。せっかくお忍びで愛子様と静かなひとときを楽しまれたというのに、それをマスコミが暴き立てるとは!

怒りに震えながらテレビ画面を見て、私は唖然とした。

お忍びどころか、お手振りしておいでだった……

一瞬のことではっきりとしないのだけど、雅子様と、複数の女性が手を振っていた。え、まさか妹の池田礼子さんも、皇族きどりで手を振ってたの???


後に、このディズニーランドおでましが、お忍びどころか一般客を締め出して人気アトラクションやショップを独占するという、「皇太子妃として」の皇族特権を振りかざしたものだったと知り、また愕然。

私的なことのはずだったのが、行幸・・・行ってあげるわよ、というニュアンスになりました、もちろん、妹さん母子の分も公費によりました

子どもの頃、皇族のお子様たちは、気軽に両親と遊園地に行くこともできず、かわいそうだと思っていた。人前ではいつも上品にしていないといけないし、もちろん御用邸があって、庶民のレジャーとはまるで違う世界があるのだろうけど、俗っぽい楽しみができないのはお気の毒だと。

だから、紀宮様がお友達とお忍びでディズニーランドに行かれた、なんていう話にはちょっと救われたものだ。皇太子ご夫妻であるご両親とは無理としても、お友達と、僅かな御付を連れて、普通に列に並び、……このときばかりは内親王殿下ではなく、一人の女の子として夢の世界を楽しまれた。これに、文句を言う人はいないと思う。まこと私もそう思います。


あれほど有名なお方だし、庶民のように列に並べとは言わない。

あそこは、VIPのために並ばず入れるルートもある。
庶民が一緒に遊びながら、もしも「あっ雅子様!」と気づいたとしても、騒ぎ立てるのは野暮。それこそ温かく見守り、ともに楽しいときを過ごした、と誇りに思い、雅子様と愛子様がつかの間でも羽を伸ばされたのなら、十分美談だったと思うのだけど……

以後、雅子様の豪遊はしばしば話題に上る。

一応、皇族方だって外食を楽しまれることもあるし、レジャーだって楽しまれる。私的な活動だって、されている。

だけど、それには一定のルールがあるのだ。
雅子様の「私的なご活動」は、たしかに目に余る。公私の区別がついておらず、また目立たないように遊ぶということもおできでない。

「皇太子妃として」ものものしい警備に守られ、交通規制が行われ、豪華なホテルは貸切。

ご静養のたびにいちいち駅前で手を振るし、渋滞が起きたの、住民にいろいろ注文がされたのと、話題になってしまう。

一方で、「公務への復帰」を目指し、活動をされる雅子様。

私が次に驚いた報道は、チャールズ皇太子夫妻が来日したとき、突然顔を出されたときだ。


雅子様の英国王室への執着は凄まじく、「アタック」に等しかった。
ウイリアム王子の結婚式にも、並々ならぬ情熱で出席を希望されたことも、よく報道された。


一方、他の国への関心は薄い。

日本国民への関心はもっと薄いが(ここが問題)、「皇室外交」を目指したという方なのに、特定の国には執着し、そうでないと顔も出さないというあからさまな態度が出てくるというのは「皇太子妃として」いかがなものか。

私は、特にこの件を問題視している。

http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/h22/gonittei-2-2010-1.html

平成22年2月18日、雅子様は久しぶりにマスコミの前に出た、

ノーベル平和賞受賞者で、日本でも「MOTTAINAI」で知られるケニアのマータイさんに接見なさり、大変にお元気そうな笑顔を振りまかれたのだ。

マータイさんは、そんな雅子様に「エネルギッシュ」と称賛の言葉を発している。

が、よく見て欲しい。
その前日、ケニアの首相夫妻との御接見には、雅子様は欠席しておいでなのだ。

もちろん、「ご病気」なのだから、それは仕方ない。だけど、翌日に、同じケニアの元副大臣の肩書きを持つ人には嬉々として会っている……

これでは、ケニア首相夫妻を軽視した、と見られても仕方ないではないか?

国のえこひいきも問題だが、ケニアにとっては、日本の皇太子妃が、大変に政治的に影響を及ぼす行動をとった、ということになる。

これがただの人なら、誰に会おうが会うまいが、勝手だ。
あの球団のファンだ、あの力士を応援している…そんなことも勝手に言える。

昭和天皇が、それを決して公言なさらなかったことは知られている。
それは、ご自身が高い地位にあり、ほんのちょっとした一言が大きな影響を及ぼすからこそ、お言葉を慎まれるのだ。
昭和天皇は、国民感情の上からも、チッソの終生名誉会長であった人の孫娘との結婚を反対された、公人に徹して。

今の皇太子ご一家はそういうことをほいほい出されて、完全にステマ御一家になられているのもなさけない……

いやとにかく。

皇太子妃 というお立場はまさに公平無私。自分の感情など押し殺し、ひたすら国のため皇室のため、伴侶である殿下のため、そして皇統を継ぐ方のために働くお立場。それがどれだけ大変なのか、どれだけ高い精神性を必要とされるのか……


で、小和田雅子さんは、それができない、ということなのだ。

「皇太子妃として」皇統を守るということは、自分が親王を生むことだけではなく、秋篠宮家にもおおいに親王を生んでもらうことでもいい。
それでも親王が生まれなければ、側室はどうか、旧宮家の復帰はできないのか、と働きかけるのが、「皇太子妃」だと思う。
こういう積極性、客観性を、望むのは難しいか。

ずっと人に見られるのが辛い、息抜きをしたい……
そんな時には「皇太子妃として」ではなくお忍びで、ただの雅子さんとして僅かな護衛と一緒に動けばいいのだ。
そういう方法もある!

海外の要人に会うのは、特に慎重に……公平に会うことができないのなら、少なくとも「皇太子妃として」一切出てこない方がいい。
例えばヒラリー・クリントンが、皇后陛下に会いたい、と言ってきたときには、「米国国務長官としてではなくあくまでも元大統領夫人として」ということで実現した。皇后陛下にとっては、友情を深めるのにもいろいろ難しいことがあるのだ。

政治に関わることは許されず、公平無私でなくてはいけないお立場なのだから。

会いたいから会う、やりたいからやるなんて、それは民間でもどこでも通用しない。


まして、皇太子妃の立場なら。





林真理子さん、雅子様が批判されているのは、「公務をしないのに遊んでいる」ことではないんですよ。


立場を使い分けることができず、「皇太子妃として」公私にわたり、「皇太子妃がやっちゃいけないこと」を延々やり続けて20年。

まったく自省もなく、これからも「皇太子妃として」やっていく、と高らかに宣言なさったことなんです。

これには同感!。林真理子は、ほとんど作品を読んでいる作家の一人だが、いい人なのか文士〇カなのか、ちょろっとやられるとこがあるのですね。

庶民である自分でさえ、ブランド品が欲しく、買うこともある。雅子様のお立場で、たまに買うのが、なんで悪いか、という論調ですが。

公務をされない方が、どこへ、何をしに行く時に、新しいバッグが沢山必要なのか。意地悪く言えばそういうことです。林真理子さんが、自分で働いて(書いて)税金をどっさり納めて、それで、グチでも美トンでも買って、誰も何も言いませんよ。

でも雅子様は最近、新しいお洋服はあまり買われていない・・・とか、こういうことは、ほんとにツマラナイ話ですね。


どうも、失礼しました。

この恥更級日記さんも、林真理子も、東宮家にまつわる反日勢力だの、逆・皇室としか捉えられない大宗教の存在だの、知っていて触れておられないのか、どうなのか、それは不明です。


内容がまとまらずばらばらになっていますが、自分は、こう感じている、ということです。

・・・天皇陛下が「自分たちは公務以外で外国へ行ったことは無い」と仰ったこと。

御静養名目で、オランダへ一家で行かれた頃のご発言でした。

深い思いがあったのだな、と、今にして感じます。

そのオランダでは(公費で行き、滞在されていた)、親しい身内の方々との何度もの食事などで、妃のお心は癒されたとか。

思い出せば、なるほど!のことばかり。

ご一家で、こんなこと言われずに済むように、私生活を十分に楽しめるよう、お幸せに暮らしていただきたいです。



絶句

このところ自分の心を占めていることについて、ネットを転々としていて、これを見つけました。

・・・・・


<<明(みょん) 仁(いん)

@myong_in


桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。          

※画像はイメージです>>



これには、微笑まれるお写真(画像)が添えられていました。

桓武天皇のご生母云々に関しては歴史的事実です。ご自身も、海を隔てた地から渡来された、いにしえ人たちとの混血について発言しておられます。自然なことでもありました。その発言の、その部分を、国営放送は無礼にも無断でカットしてしまいましたが。それも事実です。

みんなの知らないところで起こっていることを、知りはじめると、どうなるんだろうという気持ちになります。

過去のことでない、現在、未来のことをです。


ビビり半解

自分はこう考える、ということを書きます。

たとえ。一般庶民のものでない婚姻、と前提を置きます・・・に関わるさまざまな決まりごとに於いて。

実家の家系図が「偽り」に満ちたものであろうとも。恣意に家系図を借りられてしまった家が、違いますよあそことは関係ないですと断言していようとも、それで通してしまったとしても。すごいことやるなあ、と、びっくりはしても。

父方の三代前から先の先祖の存在(すら)不明であろうとも。

母方の祖父が、役職上に於いてでも、膨大な数の無辜の人々の苦しみや恨みを向けられる立場の人であったとしても・・・それは、それだけは、初めから晒されていたことで。本人に責任のどうの、と言えることでは決して無い。それはそう思う。心情的に思うことはあっても。かなりなことをされたトップだったので。

学歴や成績関係に水増し、虚偽が明らかであろうとも、留学時代の品行にいささかの疑問があったとしても。

初めて生んだ子を、初めて抱き上げた「祖母」が、わきまえの無い、実家の自分の母親であるようなことを通していたとしても。・・・いまどきの、ふつーの家では、あるようなことではありますが。

・・・誰だって自分の子は可愛い、誰だって自分の子を庇う、庇いたい、子のためにはモンスターにだってな・・・らないよねえ・・・。まともな神経の親なら。

様、とか。敬称をつけて呼ばれる人は、自分の子のことだけを考えていてはいけない。自分の家庭のことだけを考えていてはいけないのです。

例えるのは、それこそ不敬、かも知れないが。

大阪などの商家では、長男は跡取り息子として、他のきょうだいとは差をつけた育て方をしますが。

その子が店を継いだらエラいことになってしまう、と見定めのつく事態になったら、きっぱり、考えを変えるのでした。

店が存続して行けるように。働く者たちが路頭に迷わないように、先祖が築き上げた、個を捨てて尽くしたそれが、立ち行くように。顧客に、望むものを提供し続けられるように。

娘に、出来のいい男性をつけて、アタマを変更させたのです。

自分たちのことしか考えられない狭い料簡では、やって行けないと。

・・・ウチの子がいじめられた、クラスに乱暴な子がいる。だから学校へ行けなくなっている。それを、あの立場の人は、言ってはいけない。私はそう思っています。自分の子は大切だが、相手も大切である。そういう風に、特殊な立場のわが子に教えなければならない。でも、相手の子は結局転校したし、その後も、そんなことをさせたことに胸が痛まないのか、お付添い、とか続けられていた。

特別な立場の人は、まともな人なら極力、特別扱いを避けるように慎まれるのでは・・・とも、私は考えている。

本人がわからなければ、夫さんがたしなめ・・・教えてあげるとか。



<<ノブレスオブリージュ(noblesse oblige)

という言葉と概念があります。「高貴なる者に伴う義務」の意。

フランス語だが、本来の読みはノブレッソブリージュに近い。ノブレスオブリージュは日本語読みであって他の国では通用しないので注意。だそうです。

概要

「特権的な地位には相応の義務が伴う」という倫理の一つであり、階級制度や貴族社会を正当化し、あるいは擁護する際にも援用される言葉。

王侯貴族など特権的な地位にあるものは、相応の義務(経済的な支出、役務の提供、戦争への志願など)を自発的に果たすことが慣習的に求められる。だからといって「そう かんけいないね」と言ったりすると貴族といえど周囲から白い目で見られることは想像に難くない。

また、階級的な特権層だけでなく経済的な富裕層に奉仕や慈善活動が求められることもある>>


つまり、英国の王子様がたは、兵士として戦地にも行くし。王子、と呼ばれるからには、呼ぶ人々を守るために、自ら矢面に立つこともある、それでこそ「王子」なのであると。

きっと夫さんは、その母君から、そのごとき躾を受けて育って来られたと思います。

特権を与えられた者は、多くの義務をも持つのです。

まあ、国中で一番、あんなことしてる、こんな風だ、と見られているお立場、大変なことでおありとは思う。

・・・・・・・・・今日、今まで書いたこと全部、どっちでもいいこととします。


しかし。

その特別な立場に就かれていて「これ」をしない、というのは、話が違う。

去年、2012年の一年間で、あの方がされたことは、ひげの殿下の葬儀への参加。それのみだとか。

天皇家と言う特別な特殊な家のご長男の奥さんとして、皇太子妃として。

しなければならないことは、あるんです。

皇室には「祭祀」という行事があり、それを「つとめる」ことは、大きく重要なこと。

詳しくは存じませんが、禊をして取り組まれることなのだそうです。

年間にかなりの件数あるとか。

それに、全く、雅子妃は参加しておられない。

親子で遊んだり、お身内と食事をされている、ご病状が安定しておられそうな時期にも、されていない。

御病気ならば仕方がない・・・かも。

でも、その理由でないのならば。

・・・宗教の自由は、日本人に認められている権利の一つです。実家や本人が、どんな宗教、信仰を持っていようと、一般的には、糾弾されるべきではないと考える。

でも。国民の幸せや国の産物の豊穣を、特別な家である皇室が、皇室だけが出来ることとして祈念する、そういうことを、忌避するがごとく参加しないというのでは、それは、違っていないか。それを、真摯に行っていってこそ、様、と呼ばれるにふさわしいひと、なのでないか。

過去のことなどどうでもいい。

・・・常々、あまりに立場の理解できていなそうな行動をとられる時、実家のお母さんは、叱ったり教えたりされないのかと不思議だったけど。

娘がみすみす、恥をかくのに。

自分を「準皇族」と称しているとかいうひとに、望むのは無理ですね。

そんな呼称、無いわ。人にそう呼ばれても、恐れ入ってそんな呼び方をしないように頼むようなこと。


・・・皇室の長い歴史には、長いだけに、ほんとにさまざまなことがあったようです。

今の平和な世では考えられないことどもも。

長男だけが絶対、第一番目の継承者、などということも、無かったです。

山折哲二氏が「新潮」に書かれた「ご退位なさいませ」に「関して、さら~と調べると、それを読んでいないが失礼だ、という論調のものもあり(読まずに、見ずに、ああだこうだ言う人の気が知れない)、ただ感じるのは、きちんと正面から新鮮に考えているのではないものが多い気がします。

「ご学友」とやらが「殿下の祈りは本物だ」とか。私だって、そう思います。きっと、そう生きておられるでしょう。論点が、すぐに、すり替わる。

殿下個人が云々(私はプリンス・ヒロの控え目なファンでしたよ)、という話ではない。

多分、ものすごく大切な、ものすごく根幹的な、ものすごく壊れてはならないようなものが、危機なんだと思います。

法律だか憲法だか。そんな、人間の作ったものを、振りかざして、何をどう言ったところで。

戦争が終わった時にも、憲法は変わったではありませんか。

いま、日本は大変な時ではないでしょうか。

老・両陛下のお体は、申すのも失礼ながら、がたがたでしょう。ご心配も尽きず。

一生かけて妻を守るのは素晴らしいことではありましょうが、それなら、そのように、生き通されればと思います。

再びたとえに出しますが、英国のウインザー公とシンプソン夫人。

王冠を弟に渡して、高貴なる市井の人として暮らされた。

最近はまた、オランダの女王様も、王子に譲位されて、少しは楽になられたのでしょう。

不可能なことではないと考えます。

デパートを借り切って娘さんと買い物するとか、いじめの問題で相手の方をどかすとか、そういう特権は、失われるとしても、宗教上の理念に沿わないことを「しない」ことで、あれこれ言われることは無くなるはずだし、何より、自分たちのことだけ考えて生きていられるなら、とても幸せになられるのでは、と、そちら方面でも「いい」のでないかと、考える次第で。


やまねさん。

ムズカシイことに触れてしまったのにコメント下さってありがとう、嬉しかったです。

小雪さんが二人目の出産をされたという、ああゆう産院のことですか?。

詳しくないので、調べてみますね。また返事の続き書きますね。ありがとう。


やさいさん。

日本が好きなんです。ほんとほんと。

この国に実際にいて、当たり前のことなのに、声に出して言わなくては、みたいな気分になります。

すっごいメールくれた人がいてね。返事しないけど。

お聞きしたこと、あまりにドンピシャだったので、勝手に書いてしまいました。

「日本が好きなだけなんだよ」のブログのご紹介、ありがとうございました。

また返事の続き書きます!。









ゆらふれゆれゆれ


ビビりのわたしは、気になって仕方のないこのことを、ストレートに記すことが恐ろしく。

しかし書かないでいられず。

主語や固有名詞をぼやかすという、大変に姑息な手段を用いて、一度吐き出してしまおうと企てたのです。


・・・あの尊敬すべき老・ご夫妻は、全身に使命を帯びられて、限界に至るまで、とお見受けされる姿で、ご自身の責務を全うしようとしておられる。生涯現役。バチ カンの主でさえ、生存中の任務交代をされたのに。

どなたにも、一言の愚痴も泣き言も言えないで。

やはり尊称で呼ばれている長男君(ぎみ)は、自らの家庭の幸せに埋没しているご様子に見受けられる。

それはそれで「いい」のかも知れん、わたしには判らん、やっぱり「いくない」気は激しくするが・・・それでは通らん世界が、あるのですよ。何と言っても、在るのですものね。

純粋培養って、言葉は失礼ですが・・・。

考えてもせんないことと、横目のうす目で見つつ通り過ぎて来ていた。

御病気ならやむを得ない・・・か。

言うのが酷い。ご本人が一番つらいはず、なんぞと、お人よしの日本人の、おそらく端っこの一人とカウントされるであろう私は、そう、思っていました。

御病気であるかないか、それこそハタからは解りようのないこと、疑うは不敬でもあろう、普通に失礼、でもあろう。


しかし。このたび知った衝撃の事実。

読んで下さっている方には、さっぱりわからん意味不明ブログでしょう、今日は。

でも続ける。私の中のどっか、何か、が、自分でびっくりするくらい、傷ついている。

それは。そういうことは、無い話でしょう。と、アタマの中を、どうしよう、どうなるんだ、感がぐるぐるしている。

信じがたいことである。

と、思おうとしても、それは自分への偽り。

知ってみれば、あれもこれもこういうこともそういうことも、

あー、そうだったのか。と。

納得。

そうなのか、そうなのか、ご実家のご両親の、あの疑問な態度も、ご本人の、立場がわかっておられるとは到底考え難いズレた言動も。

そうなのか、そうなのか、そうだったのか。

まさかそこだけはあるまい、と。

疑うこともしなかった、威張るのに慣れたお家のヒトだから、と、勝手に解釈していた、でも、決して、いい感じを抱いていなかった。

今もなお、考え込んではう~む、となり、これどうなるのだろう、この国に、そんな問題まで抱え込んでいるとは、と、あたまジンジンします。


さっぱりわからない方は、KUON、ついに・・・と笑ってやって下さい。

ちょこっと、ん?と感じられ、何をKUONはわめいておるのだ、と感じて下さった方は、なんぼでも出ているから、カメラの前に現れるのに犬を抱いて出て来る、それだけでも???な、あのご実家の名で検索をされると、私が何を憂いているのか(勝手に憂いておるのよ)、いささか合点が行く思いをされると思います。

KUONのよだれ話に付き合っておれんわ、とお感じの方はもちろん、読み捨てて頂いても、ここまで読んで下さっただけでも、十分感謝、幸せです。いつもありがとうございます。


やさいさん。

お返事遅くなりました。

そうですね、今度は、自分で丼抱えて天ぷら選んで、どっか空いてるとこへ座ってうどんをすすりこむ、讃岐の午後、なんて、とってもすてきですね!。

天ぷらはでも、かき揚げにしようかオーソドックスにエビか、いや、絶対チクワか。玉ねぎの天ぷらもごぼうも、好きなんです私。今ならシラスの混じったかき揚げも、んまそうで。

生姜どっさり、ネギたっぷり。

あははははは。またまたまたすぐにでも讃岐うどん、いただきとうございます~。

おつゆが美味しいのね。全部飲み干しますよね!。

・・・わたしは、何が気になるといって、お仕事がおできになるのか、そこのところが気になる。

私人でもあられるがやはり、公の部分の比類なく大きなお立場であられるので。

他のことはまあ・・・どうこう言えない、ただ「お退きになられたら」という、最近の、学者であり俳人である山 折氏のお勧めには、全面的に、うなずくものであります。

徹頭徹尾、ビビリのまま書き終えました。

正面から「不敬のヒト」になる勇気の無いわたくしです。





わたしの小さな世界

何も忘れていません。

せえのう、ハイッと「黙祷」できない自分がイヤでもある。

「復興」という言葉に関して、口に出せない思いがあります。

悲しい気持ちや「反対」とかいう行動や、いろんなことが、それは仕方がないのだろうけど、整理のようなことをされ、分類のようにされ、どんどんシステマティックになって行くのを、不器用で偏屈な自分は、やっぱり隅っこの偏屈席、みたいなところで、じまっと黙って見ているだけ、のようにも感じます。

本当の意味に近い「じょせん」は、うっすらと確実に広がって行っている気がします。



私は本を読むのが好きですが、系統立った読書というものでなく、手当たり次第に何でも読みます、再読しないと判ずればすぐ、リサイクルに出す。

手放せない本もいくらかあります。

林芙美子の「放浪記」はその一冊です。

広島へ向かう途中下車して、尾道へ行きました。駅前からタクシーに乗って、千光寺なるお寺へ行ってもらいました。

坂の町、尾道の中でも、そこは小高いあたりにあって、眼下に海が見下ろせると言う。

芙美子の焦がれた尾道という町へ行って、高いあたりから光る海を見てみたい。

ただそれだけのことを、したかった。

親切な運転手さんが待ってくれたので、心行くまで・・・でもない、ほんとは3時間はぼおっとしていたかった・・・けど、海を、町を、見下ろして。

あっちに霞んでいるのが四国の・・山ですよ。教わって遥かに眺め、大切な景色を胸に抱くように、駅へ戻りました。

尾道は、車窓から見るどこもどこも、懐かしい感じのする町でした。

昔のNHKの朝のドラマ(うず潮だったか?)の「芙美子」も、記録を打ち立てたという、先ごろ亡くなった女優さんの「芙美子」も、わたしは、好きでないのです。林芙美子の「放浪記」が好き。

・・・他にもある中に、表の表紙も裏表紙も反り返ってしまっている、何度読んだかわからない一冊が「苦海浄土ーわが水俣病」です。著者・石牟礼道子は、この本を書いたゆえに「公害の悲惨の代弁者」だとか「怨念の書」であるとか、言われてしまったようですが、それはそうであり、そうでないとも思う。それだけのものでは決して無い。




「ゆき女きき書」   引用(渡辺京二氏に拠る)。



坂上ゆき 大正三年十二月一日生 
入院時所見
三十年五月十日発病、手、口唇、口囲の痺れ感、震顛、言語障碍(中略)
歩行障碍、狂躁状態。(中略)絶えず(中略)(舞踏病)運動を繰り返し、
視野の狭窄があり、(中略)知覚障碍として触覚、痛覚の鈍麻がある。
                             (石牟礼2004:140)

「所見」はこれに「生来頑健にして著患を知らない。」とつけ加える。
ゆき女はこう語る。



──うちは、こげん体になってしもうてから、いっそうじいちゃん(夫のこと)がもぞか(いとしい)とばい。(中略)うちゃ、今のじいちゃんの後入れに嫁にきたとばい、天草から。嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。(中略)うちはひとりじゃ前もあわせきらん。(中略)それでじいちゃんが、仕様ンなかおなごになったわいちゅうて、着物の前を合わせてくれらす。(中略)うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい。親さまに、働いて食えといただいた体じゃもね。病むちゅうこたなかった。うちゃ、まえは手も足も、どこもかしこも、ぎんぎんしとったよ。海の上はよかった。ほんに海の上はよかった。うちゃ、どうしてもこうしても、もういっぺん元の体にかえしてもろて、自分で舟漕いで働こうごたる。いまは、うちゃほんに情なか。月のもんも自分で始末しきれん女ごになったもね……。(中略)心ぼそか。世の中から一人引き離されてゆきよるごたる。うちゃ寂しゅうして、どげん寂しかか、あんたにゃわかるみゃ。ただただじいちゃんが恋しゅうしてこの人ひとりが頼みの綱ばい。働こうごたるなあ自分の手と足ばつこうて。海の上はほんによかった。じいちゃんが艫櫓(ともろ)ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで。
                             (石牟礼2004:150-152)

もうひとつ。

六歳で発病し十七歳に達した娘、ゆりを育てている夫婦の会話。「とかげの子のごたる手つき」と「目あけて首のだらりとする」 (石牟礼2004:265) 死んだ鳥のような植物状態の娘のおしめを替えてやりながら、妻は夫にいう。



「あんたとうちゃん、ゆりが魂はもう、ゆりが体から放れとると思うかな」
「神さんにきくごたるようなことばきくな」(中略)
「木にも草にも、魂はあるとうちは思うとに。魚にもめめずにも魂はあると思うとに。
うちげのゆりにはそれがなかとはどういうことな」(中略)
「あんまり考ゆるな、さと」(中略)大学の先生方もそげんいうて、あきらめたほうがよかといいなはる。親ちゅうもんはなあ、あきらめられんよなあ。(中略)ゆりが魂の無かはずはなか。(中略)木や草と同じになって生きとるならば、その木や草にあるほどの魂ならば、ゆりにも宿っておりそうなもんじゃ、なあとうちゃん」
「いうな、さと」
「いうみゃいうみゃ。
──魂のなかごつなった子なれば、ゆりはなんしに、この世に生まれてきた子じゃいよ」
「(中略)目も全然みえん、耳もきこえん。(中略)えらか先生方に何十人も手がけてもろても治らんもんを、もうもうたいがいあきらめた方がよか」
「あきらめとる、あきらめとる。大学の先生方にも病院にもあきらめとる。まいっちょ、自分の心にきけば、自分の心があきらめきらん。あんたなあ、ゆりに精根が無かならば、そんならうちは、いったいなんの親じゃろか。(中略)」
「妙なことをいうな、さと」(中略)
「(中略)うちはなあとうちゃん、(中略)
ゆりが草木ならば、うちは草木の親じゃ。ゆりがとかげの子ならばとかげの親、鳥の子ならば鳥の親、めめずの子ならばめめずの親──」
「やめんかい、さと」(中略)
「ゆりからみれば、この世もあの世も闇にちがいなか。ゆりには往って定まる所がなか。
うちは死んであの世に往たても、あの子に逢われんがな。
とうちゃん、どこに在ると?ゆりが魂は」
「もうあきらめろあきらめろ、頭に悪かぞ」
「あきらみゅうあきらみゅう。ありゃなんの涙じゃろか、ゆりが涙は。
心はなあんも思いよらんちゅうが、なんの涙じゃろか、ゆりがこぼす涙は、
とうちゃん──」
                              (石牟礼2004:267-273)


・・・わたしは、自分が「可哀そうな話」が読みたいわけではないと、思うのです。

この透明な文体が、など、白々しくは申せません。

ただ、また読みたくなって、手に取ることを、繰り返して来ました。

・・・新日窒水俣肥料工場が、いのちの海に垂れ流した有機水銀の害が、水俣病をもたらした世界で初めての奇病だという。

ある頃までは、不知火海の近くに住む主婦であった著者は。上記の言葉たちを「聞き書き」したのではないと言う。

この人の気持ちはこうだろう、と、書かれた言葉たちであり、実にまことそのままの気持ちの言葉だったと。









arigatou,desita。

金丸座へ、行ってみたかったのです。

きんきんきらきらの世界は苦手、たとへば宝塚なるものは、全く縁なし。ファンの方には申し訳ないが、あの芸名を目にするたび、ダメになるワタクシなのです。恥ずかしくて、恥ずかしくて。だから真逆の格闘技に走った!なぞ、ほざいても、理解してはいただけますまい。

歌舞伎は、多分、きんきんきらきら要素の強いもの、なんだけど。違うの。

歌舞伎を、いっつも見ているという立場ではない。たまあに行っても、安い席で、声の通り方や、役者さんの放つ、その人なりのニオイみたいなものを、かろうじて感じて、うっとりするくらい。

玉三郎さんはすごかったです。美し過ぎておそろしかった。ほっそりと背の高い生きている人形が、空を仰いで哄笑するシーンがあった、刹那、のど仏が鮮やかに私の目を射た、全身に鳥肌が立った。

不思議な瞬間だった、です。虚構の極みにあって、女形ののど仏に出会った。それが、拒絶感でも無く、ああ、玉三郎はすごい、美しい・・・と。それだけが、じんじんと来ました。

このたび、行きたいから連れて行ってよお、とねだって。

日本最古の、現存する歌舞伎小屋。そこを、訪れることができて、仰ぎ見ることが出来ました。

途中、昭和40年代後半に、火事が起きた時の類焼を避けるためも理由の一つに移転されたというそこは、ゆるやかに小高い地にあって、眼下に琴平の町が広がっていました。(内緒でばらしますがやさいさんは、自称でも謙遜でも無く、疑いの無い、正真正銘の方向音痴です。私は面白かったですもん)。

空は、春になりたての、うす青い空でした。空を遮る何も無かった。空ばっかりだった。

幟が何本もはためいていました。昔の名代に混じって、玉三郎丈の名もありました。

やさいさんに連れて行ってもらったのです。やさいさんは何度目か。こっちこっち、と、優しく招かれて、中へ入って。ほの暗い。いま、電気がついていてもこの暗さだから、昔はさぞや、と、外からもれ入る陽の明るさを感じながら、思いを馳せた。

なんと、ボランティアの男性がいらして、外からくぐって中へ入る「ねずみ戸」の説明からして下さった。身を屈めて一人ずつ、なのは、わあっと入ると、木戸銭払わない人もいるから、と笑わせておられましたが、それもあるけど、気の逸っている客の事故を防ぐ意味もあったのでしょう。

身を屈めて中へ入ればそこは、ひとときの夢の世界。外の世界のあれこれを忘れて、舞台の上の絢爛に心を委ねる・・・。楽しみの少なかった時代に。

中のことを細かく書いて行くとキリが無いのです。場内は撮影禁止でなく、時間の制限も無い。来場者本位の気持ちの徹った運営のされように、歌舞伎の世界に通じるものを感じました。

表から見える舞台のみでなく、裏へ回って、床山さんの控室だったところや、着替え室も自由に見られる。舞台の中央の廻り舞台にだって乗れたし(トン、と踏んでみた。笑)、ユーレイがひゅーどろどろと出て来る井戸の、桟敷から見えるところだけでなく、その下の方の、カラクリ部分まで、見せていただけた。

舞台も好きだが、楽屋裏が好きなのは昔からですね。

裏や底部分の精密さ、やさいさんの「プロ」の目からは如何に、と尋ねたら、これはすごいわね~、との答で、私は、自分のものでもないのに、どんなもんだい、と、鼻の穴が自慢感で膨らむ心地でありました。なんだろう、この「いいな、さすが」感は。前々生は、自前の小屋を抱える興行主ででもあったか。あり得ないわ、その話は。私の前生はイタリアのお姫様(なんという胡散臭さだ・・)。

・・・やや前傾している桟敷席は、正座でないと辛そうな広さ、それは確か。私は、正座はいっさい無理、それは確か。相撲中継を見ていても、マス席は無理だと思うのです。相撲をマスで見る日は、まあ来ないでしょうが。

で、大向こう、播磨屋!とか中村屋!とかの声がかけられる場所、舞台の真正面に座って、観たいなあ、と、夢見たが・・・難しいそうで。

空いていたから、皇太子ご夫妻が見物されたという席で、雅子様関連のことも話した。気持ち一緒で、楽しかったです。オフレコ、ピー、の話も盛り上がって。

・・・あのこじんまりした小屋を盛り立てたかった、あそこで、先祖のしたような汗の見える芝居をやりたかった、勘三郎さんの気持ちが、見える気がしました。いっぱい、したいことが、おありだっただろうなあ。惜しい、惜しい、早すぎた。

諸行は無常であります、か。

・・・天井から、竹で編まれ組まれた天井から黒子が一心に散らす花吹雪が無数に舞い、客のすぐ眼の前を、花道を、役者がわたって行く。

たん、とミエを切る。あああ。いいなあ。

小さな小屋だけに、独特の無限の世界が広がるのだろうと思いました。

たった四畳半の室内に、大きな宇宙をこしらえあげるということを「遊ぶ」、真剣に遊ぶ、茶の湯。やはり抱えられるような広さの中に世界が置かれるのだと言う盆栽。

日ごろ、すべてに無作法に暮らしてはいても、自分のDNA(これについてもやさいさんと競い合って喋った)に組み込まれている日本人の血が、こういう時に、騒ぐ気がします。

というのは、わざわざな理屈であって。

いいなあ、と、ただ、楽しんだ、楽しませていただいたってことです~。

・・・しきりに、もっと他のものも見せてあげたい、と言って下さったやさいさんでした、ありがとう。

その日は、金丸座へ行って、おしゃべりする。それ以外にしたいことは無かったのです。それだけがしたかった、望みでした。

そして、したいようにしました。

ピザとコーヒーとケーキで、バスの時間まで喋りました。目覚まし時計セットしておいて、没頭しました。

夢中で喋り、かつ、がっついていたので、この言葉を告げるのを忘れておりました。

ピザもコーヒーもケーキも、美味しかったです。

部屋から海が見えなくても、楽しかったです。

久しく、どこへも出かけていなかった。この一泊の旅は、とても充実したものでした、ありがとう。

JRなんばでバスを降り、近鉄電車に乗るべくてくてく歩いていて夜の都会で迷子になり(つくり話ではありません、ほんとうのことです)、若い女の人に尋ねたら「わからないから、あのへんのお兄さんに聞いたら」と言われ、振り向いて見た「そのへんのお兄さん」の一人は、推定体重120キログラム、ピアスの総数1ダース以上、のヒト。スキンヘッド。も一人は、やたら肌のつるぴかしてる、虹色の髪にイタリアンぽいスーツを召したのっぽさん。

聞いたら、にこにこと、そこ曲がってね、すぐですよ、気をつけて下さいね、と、とおっても丁寧で親切で優しかった。ありがとう、何かの呼び込みの(これも推定職業)の、すてきなお兄さんたち。

おかげで、無事に帰宅できました。

何もかもに、ありがとう、でした。




二日間の旅で私が口に入れたもの。

京都駅で買った「京のおばんざい」というお弁当。

途中尾道でエビアン一本。

広島駅近くでお好み焼き。ソバ入り。ジャワティ。

広島平和公園の川に沿った「フレンチ」で、もう3月だけど、牡蠣とペンネのクリームソース。バゲット一切れ。フレッシュオレンジジュース、とっても濃いコーヒー。

ホテルで煎茶。

大戸屋で鯖味噌煮定食・半分。

ほうじ茶。

水を飲んで入眠。

梅干しのおにぎり、厚揚げと大根のおでん、シラタキも。トマトジュース。爽健美茶。

焼き鴨を乗っけたさぬきの上等のうどん。

ぱりぱりタイプのピザ半分、ケーキ2種類を半分こで計一個分、コーヒー2杯。

鮭お握りいっこ。爽健美茶、エビアン。









この美しい空の下で

東日本大震災から二年たった11日の「黙祷」の時を、広島市の平和祈念資料館の佐々木禎子さんをパネル紹介されている部屋で迎えました。

頭の中には何も湧いて来ず、おかしな話ですが、自分はいま、どんな言葉でもってこの時の「祷り」にあてようとしているのだろうと、わからないまま、短い時を終えました。

その場には、アメリカ人であろう若者のグループも、かなりお年を召したご夫婦も、おしゃれな若いお嬢さんもいました。皆さん黙って黙祷しておられました。資料館で見た若い人々は、どなたも、とても真面目で真摯な態度でした。

・・・その前に「…過ちはくりかえしませんから」の石碑にも向かい、峠三吉の詩碑、原爆の子の像、いろいろなモニュメントに向き合って来、もちろん、これは初めてでは無い「原爆ドーム」を見上げてもいました。

私の胸を去来したのは、なんて静かなんだろう、いま、とても静かだ、というような感慨だったと思います。

おととい11日の広島市は、温かく空の青い、私の脚にも歩きやすい乾いた風のさやさやと吹く気持ちのいい日で、ドームのそばのベンチで私は、元安川を背に、とても心地いいひと時を過ごしたのでした。

目の前の、爆風で破壊された姿のままだという旧・産業奨励館、原爆ドームは、からりん、と乾いて春の陽を浴びていて、ボランティアの方々が指さして語っておられる対象が、その、黙然と立っている「世界で初めて原爆を落とされた国の、その象徴である建物」といった「重さ」と、どこか無縁のあっけらかんとした感じで。手入れが行き届いているのか、清潔感が漂って。

ドームの周囲は、高い建物があり路面電車が走りバスが往来し、国籍はさまざまだがいろんな人々が、カメラを向けて写真を撮っていました。

初めて、あるいは遠くから来る人々は、そうして、写真を撮る。そこに住んで暮らしている人々には、原爆ドームは、ずっとそこにある、特別なものでもない、存在なのだと思いました。

今回は、資料館を尋ねようと決めていたので、うろうろと歩きはじめ、方向音痴だから、丁寧な案内板があるにもかかわらずぼやぼや歩いて、すれ違いそうになった若い女性に、資料館へはこの方向でいいのか、と聞きました。

肌の美しい彼女は、そうですよ、と優しい声で応じ、しっかりご覧になって来て下さいね、と言いました。

その言葉に、何か打たれるものを感じたのでした。

しっかり、見て欲しがっておられるのか。

私は旅先で、多くの場合、とても親切な人と遭遇する確率が高いです。

ああ、あそこか。とてとてと近づいて中へ入ると、ガードマンの服装の男性が、手を取るように寄って来て、「あそこで50円払って下さいね」と柔らかく言う。え?と言うと、50円でいいのですよ、と。50円払って、初めの部屋へ入りました。

主に本や、ネットで見たことのある写真や物が、沢山ありました。ここにもボランティア(だと思う)の人々がいて、真剣に語り、やんちゃそうな服装の男の子たちが、真剣に聞いていたりしました。

「…そして、今、北朝鮮のジョン恩が」、と、背の高い女性は、「今」の「核」についての危機感を語っていました。

ここは、そういう危機感を、直に発信して行く場でもあるのだな。

それはそうだ。

遺跡の展示場ではない。単に過去の「悲劇」の落とし物を集めてあるのではない。67年前から今までは、一瞬の途切れも無い時の中につながっているんだもんな。





佐々木禎子さんは、折りヅルを千羽折れたら元気になれる、と信じて、折り続けて、でもやはり、放射線障害から逃れることは出来ず、なくなってしまった女の子。

無数の無名の「禎子」さんが、いた。

当時の広島市民がおよそ35万人だった、9万人から16万6千人という数の人々が、原爆投下後2~4か月で、亡くなったという。

短期間に亡くなったのがそれだけである、ということ。




「黙祷」と声をかけられて「祈り」の言葉を胸に描けなかった私は、ものすごくゆっくりと資料館の中で過ごし、出て、再び平和公園内のベンチに腰をおろし、黄昏せまる広々とした公園で、ぼんやり、考えていました。

・・・この、風化させてはいけない、と守られている場所。

もし、例えば風化してしまうようなことがあるなら、それはそれでいいかなあ。

同じような、似たような、あってはならないことが、ずっと起こらないでいられるなら。

それでいいじゃないか、でも、しかし、次の大きなことが、起きてしまったものなあ、始まったばかりだものなあ、これは、ほんとに、なんということなんだろう・・・。

祈り。できなかった。

あやまちはにどとくりかえしませんから。

誰が、誰に向けた言葉なんだろう。

また、繰り返される、かも、しれないじゃんか。

でも、止めようがないんだものなあ。原爆を、落とさないことは、選ぶことが可能だけど、原発が、どうかなることは、選択の外。

この、美しい空の下で。

 | HOME |  古い記事へ »

文字サイズの変更

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

悲しいこと (67)
福島事故 (37)
未分類 (361)
ことばのたのしみ (64)
ゆれ・ふら・とーく (136)
怒っていること (33)
嬉しいこと (42)
ノンタイトル (62)
今の思い (240)
呆然となること (51)
旅のこと、とか (5)
おそれながら、なことこと (3)
あほらしいこと (89)
残念なこと (33)
虚しいこと (52)
おそれながら、なこと (70)
わははなこと (39)
茶番じゃ。なこと。 (28)
実録 (15)
美しいこと (30)
厚かましい話 (57)
おそろしいこと。 (55)
「美智子さまの恋文」より (6)
たのしいこと。 (1)
うた日記 (17)
実は実話?。 (0)
実話ぢゃないのよ実は。 (1)
戯文 (1)
戯文 ジャムのかなしみ (2)
こういうこと。 (35)
御製 (9)
ミテ子さま・考 一 (1)
ミテコさま・考 (11)
みんなのうた (10)

ブログカウンター

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・


三好達治『乳母車』

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・


三好達治『乳母車』

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

FC2Ad

Template by たけやん