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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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KUONの久遠

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・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

歌舞伎役者の市川団十郎さんの本葬で、息子の海老蔵さんが辞世の句を披露されていました。

色は空 空は色との 時なき世へ

いろはそら そらはいろとの ときなきよへ

とよまれていました。

多くの方とおそらく同じく「色即是空」が下敷きにある辞世なんだろうな、と感じ、いろ、と、そら、ではないんじゃないか、など、失礼なことを考えたのですけど。

解釈はひとそれぞれ。その通りなのでしょう。

父は空や宇宙が好きだった、と語る息子さんの思いの中では、いろ、であり、そら、だったんだと得心しました。

海老蔵さんがとっても頭の柔らかい、頭のいい人なんだな、と感心したのは、みの氏のクイズ、ミリオネア、に出演された時のことでした。博識ぶりが並ではなかった。勉強されてるんだな、と感じました。

色即是空、という言葉も概念も、当然、知っておられて、あえていろ、そら、とよまれたのかなあ、と。

お父さんは、空や宇宙が好きだった、のですから。

そういうお父さんを、とても愛した息子さんだったのでしょう。


国文学者の久保田淳氏は(今まで存じ上げなかった方です・・・のに、勝手に引用)

<般若心経の「色即是空、空即是色」を踏まえて詠んだのではないか。すべての煩悩を超越して、私の魂は永遠に変わらない世界へ行く、という意味が込められている。この世に未練を残していない、大変に穏やかな状態。>
だと仰っているそうです。

68歳はまだ若く、ついこの前の勘三郎さんも同様、幼いころから研鑽を重ねて積み上げた芸の、これからが本当に円熟の域に入って行く、という頃の、惜しい死です。

自分の死期を見定めながら、家族や周囲に真底感謝しながら、ひとりの時のこころの中に、ふっと、なんとも言えない気持ちが宿った、とも、ふと、思います。


先日の

人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり>や、なにわのことも夢のまた夢>とに通う、すべては夢にてありにし候・・・の、思いが。

新装なった歌舞伎座の前を、霊きゅう車で通りますかとの案に、海老蔵さんは「父は(魂になって、もう既に)見に行っているだろうから」、と、答えたとか。

こういう話の通じる日本人はいいな、と、思いました。

そして。

・・・今年になって訃を聞いた中で、きっとずっと忘れない「最後の言葉」。

波乱万丈のひとよを、明るく生き抜かれたその方の、最後の言葉が「もう 逝くわ」だったとか。

何の変哲も無いようで・・・なんとも言い難い思いを感じ・・・私の心の中に住みついた、忘れがたく愛おしい言葉になりました。


ご冥福を、お祈り申し上げます。


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40年もナースを続けているかつての同級生が、奈良に来たからと連絡をくれていたので、懐かしく昼ご飯を共にしました。

一緒にいたのは2時間ほどでした。彼女は、流産が増えている傾向だ、もっと増えると思う、と言っていました。現在は、関東の方で、産婦人科病院の婦長(師長)をつとめている人です。

妊娠初期の胎児は、自分に具合のわるいものに影響を受けてしまうと、流れ易い。

放射能や今いうPM2,5などに、強い影響を受けると言っても、生まれて来るまでに流れてしまう子が沢山いる、それも自然の摂理。

私にも流産の経験があります、自分には平気なものではなかった。

次の子は、生まれて来たが、心臓に問題を抱えていて。

胎児の性別も、秘めている疾患も知り得なかった頃のことでした。自分を責めるしかない若い母親でした。

そのような頃より、倍くらいの数の自然流産が今はあると、同級生は、あくまで淡々と話すのでしたが、中絶も多い、と言った。そして別れるまで彼女が話し続けたのは、出生前診断の最新の在り方や起こって来る問題について、でした。

複雑な思いで私は、話に耳を傾けていたのですが、実際に現場にいて、さまざまな母と子の在り方、加えて、力を持つ祖父や祖母の思惑が入り乱れて、お腹に授かった子を、ただ楽しみに待つ、という自然のことまでが、現実的に中断されたりしている、そんな話に、口をはさむことは出来がたいのでした。

男の子なら産みたい、あるいは女の子しか産みたくない。そういう選択を、夫婦で普通にする時代であると。

産み分けはまだ出来にくいので、つまり、胎内で性別が判れば、必要とそうでない、の選択を、という話なのだそうでした。身震いしました、わたし。


やさいさん。

<同じ感覚の方がいて、良かった・・です!>

そのお言葉は、私の方が言わせてもらいたいことですよ!。

・・・暗いことや、おどろおどろしいことばっかり書いているなあ、わたし・・・と、自分のことをうなだれていて・・・。コメント嬉しかったです。

と言いながら、日に三人の死刑執行、について。

仰る通り、ハンコ押したくないから、先送りして来た。それは事実でしょう。嬉しいことであるはずがない。が、その職についた以上・・・。なんて書くと、ひどい、とか、言われるのかな。

ひどいこと、というのは、別の方向にあるはずなのですが。

政権がくるくる変わる現状、いや、今までの状態ですと、大臣でいる間は知らん顔していよう、と考える方が・・おられないとは信じたいが・・あるいは、さて大臣になった、嬉しいなランララン、仕事は何をするんだ、えええええ。もう、交代するの?ボク、みたいな・・・これも「ひどいこと」の一つではないのでしょうか、どんなことでも、最低3年、頑張らないと何も出来ないとは、普通に考えられる範囲だと思うのですが・・・逃げていたい法務大臣のおかげ・・・せい?で、死刑は、なかなか執行されずに来た、という面があるのは、現実のようです。

記憶が間違っているかも知れませんが、いつ、どういう順序で死刑を執行する、についての、決まり事って、とっても少ないようで。

死刑廃止を言う人によっては、刑を実行する公務員の精神的苦痛を考えろ、なる意見もあるんです。

何人もの人間が、同時に同じ動作をすることで、具体的に、実行されたのは誰の動きによって、とは判らない仕組みだそうです。だから執行人の苦痛は無い、と断言はできませんけど。大変なお仕事と思いますけど。なんか、変、そのリクツ、わたしには。

そういう理屈が、へきえきだと、思うんです、私。

人権派と自称するひとびとのこねくり回す変な理屈。被害者は、そのことでまた、傷つけられる。



衝動買いしました。

八歳の孫娘に、うす桃色のくちもとのビスクドールを。

可愛い綺麗な顔、夜明け近い空の色のビロードのドレス、お揃いの帽子。白いレースのサッシュベルト。背中にネジが付いていて、小さな透明な響きで、オルゴールが鳴ります。

んん、と気合入れて、買ってしまいました。

娘が、やはり八つの時にプレゼントしたお人形を、今も大切にしていて。

この孫娘も、そうしてくれるだろうと、私にしては思い切った、誕生日の、ちょっと遅れたプレゼント。

美しいものを買って、私の心も満たされた気がします。

いいお友達になってくれますように。

わたしは元気でおりますが、今日は、明るかったり爽やかだったりのブログにならない気がします。

いろいろ思うとそうなりそうです。書きたいことを、書かせていただきます。

・・・やや、見かけなくなりましたが、超人気の若い女の子のグループの一人の、坊主頭の写真を見た時は、ウッとなりました。ふけんこうな感じに。

ナチスに関連する映画を観ると、よく、若い女性が、衆人環視の中で、街角で、あるいはジープの荷台の上で、怒れる人々に、ぐっさぐさに髪を刈られているシーンが出て来ます。

ナチスに協力した、誰かの情報を売った、ナチの将校の女になって、自分だけぜいたくをしていた、などの理由により、終戦直後に、そんな目に遭った女たちがいた。

ナチスもまた、それ以前にユダヤ人、ポーランド人などを強制収容所へ連行して、女性たちの髪を刈り取りました。

家畜のように。

その髪で、毛布を織ったりしました。かつて大阪のデパートで催された戦争展で、大きなリボンで三つ編みにまとめられた髪が、艶を失い、リボンは色褪せていたけれど、乱れない姿のまま海を越えて運ばれて来て展示されているのを見たことがあり、それはどんな言葉より、胸に、きつかった。

この髪を持っていた少女の失った、あまりにも多くのものが想像されて。

自らの意志で髪を落として、尼さんになる。そういう選択は、あると思います。

すこし、かなり(?)前の映画「春の雪」では、妻夫木聡くんともう会ってはいけないことになった竹内結子さんが、じゃきじゃきに髪にハサミを入れ、結論的には尼になった。そういうのは、ありと思う。思うが、無残な映像でした。

・・・でなくて、何かの罰(を自分に課したのだとか。加虐趣味を大いに満足させられたボーイズもいただろう)で髪を・・・ということでしょう、あの、若い女の子の件は。

痩せた真っ白な顔が、hinsouな坊主頭で正面向いていた。

あくしゅみの限りだと、私は感じました。大変ふゆかいでした。

見たくない顔でした。あれを「お詫び」と言うのも・・・。

じゃ、見なきゃいい、訳ですが。もちろん、好んでは見なかったので、消えかかった話題でホッとしています。しかし、小学生の子どもたちも見ていました。私はあえて、こういうのは自分は嫌いであると、きちんとアピールしました。笑ってもイヤ、ふざけてマネされてもイヤ。


加虐趣味といえば。

先日触れさせてもらった、小林薫の死刑執行の件について。

男と女では、どうしてもどうしても、こういった件についての熱が違うな、と考えます。

慰安婦についての問題も、そうではないかと思えます。言い始めるとキリが無いので後日に。違うんだろう、と言いたいことがあるんです。

いい、悪い、ではない。ほんの少し前まで、女性が、そうして生きるしか無い時代があったのです。日本にもあったし、人間がいる場所には、必ず、あった。仲介人などシステム化されてもいた。

戦争で、軍が動けば、水輪の周りの枯葉のように、軍に沿って立ち回ってふところを肥やす人間が必ず出て来るのです。国では現金など持たせてもらえない立場だった兵たちも、とりあえず給与と言う名の現金を与えられていて、それを、国へ送りたくても術も無い。いつ死ぬか(死ぬつもりで戦地へ来ていても)わからない。お金を使う場所があり、そこで自分の相手をしてくれる(殺伐とした関係であっても)女性に、惜しまず金を使ったと、若い頃に、実際その経験をしたと言う数人かに聞いた。どっち向いてか不明でも、ある種、美化された記憶にもなっているようでもあって。

そこへ、職業として、また、あらゆる理由はありましょうが、お金を稼ぎに行く女性たちも存在するのです。存在した。戦時中だから、現地の方々には、実際に不運な目に遭った人々もいるでしょう。それとは、とりあえず別の話で。意志があって「売った」人々の話です。仲介をする人間とは、互いに利用し合って、需要と供給の関係が結ばれた。言い始めると、もちろん私の話ですから、長くなっても大した内容の話でもないですが、とにかく長くなるので、またの機会に。

現在の、保護されたり庇護を受けたりしている女性の感覚では、このことは考えられないと思っています。




逆方向へ飛躍するようですが、むかし、江戸に、吉原という男のための遊び場があり、そこへ入る唯一の門を大門と呼び、柳の大樹の揺れるそこは、男には極楽への門、その中で仕事をする女には、地獄の門、であったそうな。借金を返し終えて、あるいは見受けされて出て行く女は、ほんの一握りでしかなかった。

彼女たちの平均寿命が22歳か23歳、当然、死んでも引き取り手はほぼ無くて、投げ込み寺へ投げ込んでもらえばまだ、マシな方だったとか。

そういう場所についても、女と男の感覚は異なる。

性に関して、性犯罪に関して、の、女と男の意識の違いには、絶対的なものがあります。



・・・小林薫、について、

その男の「不幸な成育歴」から「もっと普通の大きくなり方をしていれば、こんなことはしなかったかも」という論調で書いてあるサイトの記事を読むと、ふざけるなーっと、言いたくなる。

そりゃ、そうかも知れない。とは言いたくないけど言うとしよう。

不幸に育ったから、こんな人間になった。

不幸に育たなくても、こういうことをする人間はいるし、逆もある、沢山あると思います。

ごちゃごちゃ言うけどさ、では、そういう人間に、遭遇してしまって、消されてしまう命については、どうなんだと思う。

自分もよく使ってしまう言葉ですが「理不尽」は人の世の常、とか、言われたら、自分なら(矛盾するようですが)怒り狂うと思ってしまいます。

それは、ずいぶん苦しんだ後、自分自身が到達するかも知れない一つの境地であって、他人が、軽く口にすることではないでしょう。

親の苦しみ、悲しみ。当人には、ドライに言えばもう、意識も無いのだけど、逆縁を見ることになってしまった親の気持ちは、と、こだわらざるを得ないです。

先日書いた最後の方の「わざところしたんじゃない」

という話。

どういうことかと言えば。。。

裁判では「こういう方法で、女の子を死に至らしめた」という話が通っていたという。めんどくさいから自分も、それでいいと思っていたのだと。

それが、最後の方に小林自身が「いや、そうでなくて」と、「本当のこと」を、手記に書いたそうだ。

ソフトに記します。

「・・・こういう風に、騒がれたのでころした、ということにされてしまったが、そうではない、湯の中で、後で・・しようと思って、睡眠薬を飲ませた。いったん浴室を出て、煙草を一本吸って・・・なことをしようと戻ったら、溺死してしまっていた。だから、誤って死んだのであって、自分がころしたのではない」

そう語り、やけになって、遺体を損壊した、その写真を母親に送り付けた。

それが、手記とやらの部分で、わざとではない、という部分なのだそうです。七つの子に、ハ ルシオンのませて。


・・・三人の死刑囚が一日に、ということで、韓国はもちろん、フランスやドイツや、他の国からも、死刑を廃止するべきだとの声が届いているという。放っておいてくれ、と言いたい。

ずいぶん、加害者を丁重に扱って人権を尊重させていただいて、長い時間(と税金)をかけて、気にいらなければ弁護士も変えてさしあげ、法の裁きによって決定させること。日本人は、惨いことをする人間にさえ、丁寧で繊細なのです。被害者側の人権は、無視されるようなことの多い、そこのところは奇妙な国。

・・・私は、小林が、もともと死にたい気分を持っている人間で、その人間が死刑処分を受けたのなら、望み通りにしてやったわけで、それってどうなんだろうと、思うところは、ありました。

でも、収監されているうちに、生への執着が生まれて来ていたのなら(そうらしいのです)、死刑執行は、犠牲になった女の子のために、当然のことだったと考えています。

子どもの頃、住んでいた町で、似た事件があったのを覚えています。

その時の犠牲者は、記憶はぼんやりしていますが、親の手のほとんどかかっていない、淋しい子だった。一人でいることの多い子だった。

犯人は、そういう状況を知っていて狙ったのだった。

親に、愛されている子もいない子も。そんな目に遭っていい子は一人もいないと思う。


韓国にいよいよ女性の大統領が誕生したことや、うちが取っている新聞は、なぜ、月に一度であっても、スーチー女史の(自分で書いている読者への手紙だと言う)を、掲載し続けている意味がわからん、とか、ぼやきたいようなことは他にもありますが、今日はここまでとさせていただきます。

日本国のマスコミ(と大雑把にくくります)って、自分のいる場所がどっち向いていて、何を伝えて訴えて行くのか、わかっておられるのかしら、と、還暦を過ぎてようやくのごとく少しずつものを考えるようになったわたくしは、よ~お、わからんなあ、と、思うのであります。














冷蔵庫の中にいるように寒い日です。

いつもより早めに帰宅し、ヤカンに水をいっぱいにしてストーブにかけ、、お米を洗ってお釜の底をしっかり拭いて、ちょっと座って夕刊を開いたら、その第一面に。

小林死刑囚の刑執行、と出ていました。小林薫。

この男は、私の住む町のほん近くで、下校中のたった七つの女の子を誘拐し、口にするもおぞましい酷いことをして殺害し、その写真を、必死で探していたお母さんの携帯に送り付け、命のなくなった小さな体を、道路端の側溝に捨てた男です。

お母さんが、画像を見てへたりこまれたという公園をよく知っているし、私の夫の母が「その男、家へ新聞の勧誘に来たことあるわ」と、女児を悲しんで涙していました。断ったら、怖い顔でドアをたたきつけて帰ったから覚えていると。

捕まったその男が、うちらの方の警察署へ移送されるという日は、忘れもしません、紀宮さまのご成婚の日でした。

慎ましい花嫁姿に気品の匂いたつばかりだった、本物の「おひめさま」だった紀宮様に、ぼーっとなっていたのが、頭上にけたたましいヘリコプターの音、凄まじいボリュームのパトカーのサイレンの音、それを追いかける(だったと思う)何台もの車の音。ただならぬ気配のひとときでした。

当時住んでいた家の、数メートル離れた道路を、鬼畜を運ぶべく、そのような大騒ぎがあったのでした。

連日、警察署の前を通ると、いろんなメディアの車が停められていました。

この男は最初から、自分がやったと認めていたし、犯罪者としてどこかへ連行される写真を撮られても、妙にニタニタして隠れたいそぶりも無く、公判で「死刑にしてほしい」と、ずっと発言していました。

死刑の判決が出た後、弁護団が控訴したのですが、小林自身がその控訴を取り下げ、刑は確定しました。

なのに、弁護人が、小林の控訴取り下げは「無効」だとして控訴審を開くよう(・・・この辺は実は、間違えないように、書いてあることを見ながら写しています)求めたが、その訴えは退けられた。

つまり、酷過ぎることをした本人が、自分がやった、死刑にしてくれと言っているのに、弁護するひとたちが、いや違う、と、頑張っていた・・・これって、大変おかしな話だと、私は思います。

多くの冤罪事件はともかくとして。誰のための、何のための裁判かわからないことが、いま、沢山ある。

私は、人の命を奪う死刑制度に反対、など、とてもよう言いません。

生ぬるいくらいと考えています。

恐怖や絶望の中で理不尽に人生を奪われた被害者、その人を失った家族や友人の気持ちを思えば、やった側の人権などあるはずも無いと思う。

昔みたいに、市中引き回し、公開処刑でいいと思う。せめて、被害者側の関係者に、石を投げつけさせるとか、言いたい放題言わせてあげるとか、一ミリでも少しでも気の済むように、罰すればいい。

実際、身動きできない(ということにしておくとして)人間に向かって、人は、石をぶつけたり、しづらいでしょう。相手が生身と思えば、石を持つ手がひるむかも。やられた方のおそらくほとんどの人々は「普通」の人であるから。

しかし、相手、犯人は、もっともっとひどいことを、した人間なのです。

またそこに、人としての苦しみが生まれてしまうのか知れませんが・・・私は、自分の家族や友人、大切な人たちに、誰かが、後戻りできないようなことをしたなら、許せません。

許しません。

どうして、ある種の弁護士は、話を違う方向へ持って行こうとするのか・・・。ある種の弁護士のツラの皮は(お下品で失礼)輪ゴムでパチン、してもどっちゅことない、くらい、分厚いのか。

風呂嫌いの安田・自称人権・某。ついでに書くと、今度の選挙で、もし・・・なら、私が・・・とか言うてる、福島・へらへら笑い・某。

わけのわからん弁護士だ。

・・・この事件の後、私たちの町ではずっと、リタイヤされた方、朝だけならでられるから、という方や、交代でなら立てる、という、多くの方々が、朝、夕、登校・下校の道に、立って下さっているんです。幼い子を、理不尽に失うのはイヤだ、辛過ぎると。ずっと、続けて下さっています。Kちゃんの犠牲の上に、と言えるかもしれません。

たった七つの子の命を「もう死にたいと思っていたから」みたいに、後先無いでたらめな生き方の果てに奪った、その男が法により送られても、当然ながら、Kちゃんは帰って来ない。

この死刑囚は「少しでも自分の名を知らしめることができて満足だ」と言っていた。

少女を死にいたらしめることで名をあげて、満足だ、と。

ずっと「死刑にして」と言い続けたこの死刑囚は、半年ほど前の福島瑞穂氏のとったアンケートには「現行の死刑制度に反対だ」と、答えた。死刑囚に「死刑についてどう考えるか」というアンケートをとることの意味が、いったいどこにあるのか、と、私は、ものすごく苦い思いを禁じ得ません。

死刑囚が著したいろんな本を、かなりの数読んでいると、私は思うが、それでも、そう思う。

思うことはいっぱいありますが、今は、ごはんの用意をするため、いったん席を離れなければなりません。

こうふんしたところは、お詫びします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

続きを書かせていただきます。

今日の執行について、死刑に反対する方々が何か言っておられるようですが、私にはその方たちのことは解らないし、そこには触れられません。

ただ、<超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」の副会長を務める社民党の福島党首は「死刑を廃止すべきという海外からの声は強い。政府は制度を考え直すべきだ」と述べた>そうですが、ここでもイライラするのは「海外からの声は強い」とか言っていることです。

死刑制度を廃止している国が増えているとは知っています。いろんな考えがあるので、そこにも私は触れられません。

ただ。なんで「海外からの声が強い」ので、どうたら、という言い方になるのでしょうか。

どっかの国の言うことを、聞かなあかんのか。

現実的に、全く無視することのできない国があるとして、その国では、州ごとに法律が異なり、死刑の執行方法についても、さまざまな方法があると聞く。被害者の遺族に、刑死する過程を見せている映像を観たこともあります。それがいいとは言ってません。

福島氏の言う「海外」とは、どこのことなのか。

私のこの国が、海外の、どの国のやり方に、学んだり、準じたりしなければならないのか。

冷静に思う、お聞きしてみたい、と。

わが国は、わが国のやり方で、いろんなことをしている。と思う。

先日の、韓国の今のところまだ大統領である李・某(呼び捨て!)が、<日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)に昨年8月に上陸したのは、 日本の右傾化に「誰かがブレーキをかけねばならないと考えた」ためだったと述べた。
韓国紙、東亜日報が15日、大統領との会見内容として報じた>・・・やさいさんのブログより拝借・・・この記事に、はらわた煮えくり返る思いをしたのは「おたくが何を、どう考えようと勝手だけど。親切ごかしの恩着せがましい言い方で、的の外れきった言い訳を、するな~~!」という感情でした。

似た感情として。

なぜ、日本の国の国会議員である(ことに偽りはない)人間が、海外からの声をふりかざして、なんやかんや、言い立てるのか。

自分の国だけが、絶対、いい。そんな狭量な感覚は、私は、自信ないけど、そんなには持っていないと思う。ただ、なんか、どう言えばわかんないのだが、いい加減にしてくれ~、と。

誰の国を、どっち向いて、どうして行こうとしているんだ。と。

・・・・・難しいことはともかく。

ある日突然、大切なものを奪われる。

その事実の前に、こてこてした理屈は、意味ないんじゃないか。

「わざと殺したんじゃない」

小林薫は、後の方ではそういうことをも言い出して、それが認められないのが不服だったようにも聞きます。

でも、Kちゃんは、たった七つで命を奪われてしまった。

わざとも、何も。












信長が最期に舞ったという「敦盛」。

歴史上の根拠は無いのだそうですが(誰も見ていないので)、私は、信長公は舞いおさめてから、凛然と死出の旅についたと思いたく、思っておりまする。

「人間(じんかん)五十年 化天(げてん)のうちを比ぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり」

「向日葵や信長の首切り落とす」

血なまぐさい俳句で申し訳ないです。この一句は、角川春樹さんの句です。言い方は悪いかも知れませんが、織田信長と言うひとは、想像力をたくましくさせる人物ですね。


「露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

秀吉の辞世の歌だという、これ。

最後は、誰かまわず「秀頼がこと、頼みまいらす」と言葉をかけ続けたという老太閤。自分が疑心暗鬼に陥って、身内も何もかまわず、葬りまくった人生の晩年近くだから、おのれ亡き後が、気がかりだったのでしょう。

寒百姓の倅から身を起こして、天下統一を成し遂げるに迫るまで成り上がった、豊太閤。

その愛妾と子を今に忍ばせるものとして、現在の大阪城に存在するものは。

城の北側に、一メートルほどの高さの碑があります。

普通の墓石くらいの大きさ。もっと大きい格調高い墓も、なんぼでもあると思われるくらいの、自然石と言えば言える、ひとことでいうと、何の変哲も無い石に、文字が刻まれています。

「豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地」

そんなことが刻まれています。

初めて碑に向かった時、あまりの重々しく無さに、背中をひゅうと吹き過ぎる何かを感じました。

無惨やな、と、感じました。


<難波のことも 夢のまた夢>

難波・・・大阪のことも、何(わ)のことも、と掛け言葉をして、教養を感じさせる歌。

・・・・・すべてが夢にて、御座候。

北の政所、ねね様の最後は、京都の高台院で。今も見心地満点の、ゆったりした庭園と、珍しい造りの四阿、のある場所で、静かな晩年を過ごされたとか。

それもまた、ひと時の夢、であったでしょうか。



で。家康にも辞世の歌があることは、この折ですから再確認しましたが、引用するのは止めさせていただきます。

功成り名遂げて死んだひとの、ああそうですか、な歌なのでありました。私の目には、です。


sarahさん。

<人間が欲から解放されたときの真実の想いかもしれません。
死の間際でなければ欲望から自由になることができないのが人間という生き物、とも思います。
最近、いっそう強く感じています。>

いい欲、大欲は、持ってもいいそうです。

細かい、せせこましい、己のためだけの欲は、持っても叶っても、果てが無くて、そういう欲は「無間地獄」であると。

私は仏教徒ではないと思いますが(ほかの既成宗教の信徒でも無い)、年を取るにつれ、右傾化、というより日本人としての「アイデンティティー」ってやつに自然に目覚めてゆくに似て、DNAの中の「昔からこの国の人間じゃけえね」の部分が明確になって来る、その中で(まわりくどい文章書いてるな、今)、生きる、という普通で難しいことのことなどを、考えるようになっております。

外に向かって行く欲は、あります。まだある、いっぱいあります。

欲しいもの、などは、年年歳歳少なくなって行っている気がします。

洋服なども、状況が許せば、三通りくらいを、周囲の目とか何も考えずに順番に着ていたい、毛玉などがひどくなったら、買う、くらいの感じで。実際、それに近い生活をしています。いざ、という時、何を着ようと焦るのは、叶姉妹も私も、おそらく同じよ。ふん。・・・ものすごいところに話が飛びました。失礼。

で。

起きて半畳、寝て一畳。これが理想よ~、とか、夢見ている、と言えば、おかしいでしょうかね。

秀吉に、百万石での士官を促されて断った、前田慶次郎利益・・・通称・花の慶次がよく言うことなのです。

なんだか、ぱちんこにもなっているそうですが、私はそれは知らず。ただ、分厚い漫画本が何冊もありまして、その漫画の「慶さん」に、シビレているのでございます。

実写の世界で魅せて下さる方が、ちょっと、なんで、う~む。

<何せうぞ くすんで  一期は夢よ ただ狂へ>

<一期は夢>・・・この夢、は、もしや、生きている今、そのものか・・・ただ、ただ、一心に、生きることをしていたいと、願います・・・。




やまねさん。

コメントをありがとうございます。

蚊。

そうです、蚊でもミジンコでも、現実に存在しているのは確か。

でも・・・環境省に、蚊の意見は・・・届くといいなあ、と思います、ほんとに思います。

汚染水を、というのは、東電が考えていることで。もう今は、どこが東電で、どの辺が政府、やら。

どっちも、責任を取りたくないばかりのところですね。

みごとに、どこも、自分のとこの落ち度だ、とは、考えても動いてもいない様子です。

国民は、今ではどこへ移ってもいい自由を有して(与えて)あるのだから、自分で判断して自分の居場所を決めなさい、という感じですかね。どこへ行けばいい? 。

アメリカも汚しているし、フランスも海へじゃーじゃー汚染水を流して来たし、地下や雲の上でも核実験して来たし。

福島のこと以前に、地球はすでに、かなりひどい核の汚染状況だった、なんて、あまり、言いませんものね・・・。

先日の中国からのレーダー照射。あれにも放射能の問題は含まれているはずですが、ピストル撃つぞ、と向けて来た、といったあたりのことしか言わない。

中国は、もし危険なことになっても、自分とこが日本に勝てるとは、考えていない。今みたいにちょろちょろ、鬱陶しいことをして来るくらいのことだ・・・と、えらく確信持ってぢいさんが言うので、なんでよ?と聞いた。答えは、以下です。

あの国は、海軍が強い。陸軍も、そうかもしれない。人口は十倍いる。

しかし、国民が違う。勝てない。

どう違うか、は、お口チャックにさせてもらいますが、納得しました。

今も現実に、ちょろちょろして来ていますね。

とりあえず、ああしているしか(あちら側から言うと)しかたがない、らしいです。

こちらは、様子見らしいですが、一線越えたら許さん、と、睨み付けていましょう、これも、皆で。

蚊も、ミジンコも。そう思います。

文字色

<ビキニ事件>

1954年3月1日未明、米国は施政権下にあったマーシャル諸島ビキニ環礁で、広島に投下された原爆の約1000倍の威力の水爆「ブラボー」を使った実験を実施。

公海上にいた静岡県焼津市の遠洋マグロはえ縄漁船「第五福竜丸」の乗組員や島民らが「死の灰」と言われる放射性物質を強く帯びた砂を浴びた。

その後も実験は続き、54年末時点で太平洋で操業中だった日本漁船が少なくとも856隻被ばく、全国で水揚げされた魚が破棄された。

このことについて書くのは、別の機会にさせていただきたいですが、かなり以前、図書館で借りた本で読んで、たまらず書き写しておいた「手記」が、ネットで読むことが出来ましたので、引用させていただきます。

(福竜丸で被曝された)久保山愛吉さんの長女・みや子(当時小学校3年)さんの手記


死の灰にまけてならない、一しょうけんめいにこの灰とたたたかって、かならずよくなるといいつづけていたお父ちゃん。

家へかえられるようになったら、私たちをどうぶつえんにつれていってあげるよとやくそくして下さったおとうちゃんなのに、いまは私がおとうちゃん、みやこ子よ、と耳元でよんでもなんとも返事をしてくれません。

きのうも今日も重体のままです、ほんとうにかなしくておとうちゃんのまくらもとで泣いてしまいました。

小さい安子やさよ子は上京していませんが、遠くはなれている家できっと泣きながら小さい手を合わせてかみさまにお祈りしていることでしょう。

毎日私はおかあさんといっしょうけんめいかんびょうしています。おかあさんは泣かないでと言いますが、そのおかあさんもなみだをいっぱいためているのです。みや子はなおかなしくて泣きます。

大ぜいの先生がたやかんごふさんがよるもねないで、おとうちゃんのちりょうに一しょうけんめいにつくしてくださっています。先生おとうちゃんをたすけてください。

私たちがめんかいにいくと、にこにこしながら、みんなごくろうさん、よくきてくれたね、とよろこんで私たち三人のあたまをなぜてくれたり、一ばん小さいさよ子をだいたりしてくれたのに、こんな事になるとは、みんなあのすいばくじっけんの ためなのです。あのじっけんさえなかったら、こんな事にならなかったのに、こんなおそろしいすいばくはもう使わないことにきめてください。

・・・久保山愛吉さんは「原爆許すまじ」の歌声に送られて、旅立たれたとのことです。



「原爆を許すまじ」
浅田石二作詞・木下航二作曲


ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焼土(やけつち)に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
われらの街に

ふるさとの海荒れて
黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの海に

ふるさとの空重く
黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの空に

はらからのたえまなき
労働にきずきあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
世界の上に


追記

安倍首相が、前・野田首相の,原発事故収束「宣言」を撤回されたのは、嬉しいと言ってはナンですが、あまりにひどい「宣言」だったので・・・頑張って下さい、安倍首相。
<ちょっと前には
「日本人はヨウドが過剰だからチェルノブイリとは違う」と説明していた鈴木眞一氏。

3万8000人の検査で10人の癌または疑いが出た今回は、
鈴木眞一氏も山下俊一氏も「潜在癌」という言葉を出してきた。>

ということらしいです。「みんな楽しくhappyがいい」というブログに、詳しく出ています。

鈴木氏と山下氏は、子どもを含めた福島の方々の健康に関する責任を取る立場にある方々ですが、どういうおつもりなのか、もしや、この人たちも先送り、逃げ切り、を、ひたすら目指しているのでしょうか。この頃、よく考えます。誰も、自分たちが逃げ切って終わった後の、子どもたちのことなんか、知らないって言うんだろうな~、と。自分自身がそうでないと、言いきれません。

そこにはただ風が吹いているだけ~、という歌があったけど。

どうしたらいいのかわからないまま、青い空の下を風が、ただ、吹いているさまを、描いたりしています。

していることが、あります。




<東京電力がですね、福島第一原発の高濃度、高く汚染されている汚染水のですね、
処理をした大量の水を海に放出する事を検討し始めたという大きなニュースがですね、
最近ありましたけれども、
先ずこの事について小出さんはどのように考えていらっしゃいますか?

小出:
えー、実際問題としてはせざるを得ないと思います。
どんどん今敷地の中に汚染した水が増えてきてしまっていて、
何時までも持ちこたえられる道理がありませんので、
いつの時点かで何がしかの方策をとって、海に捨てる以外にありません。

吉岡:
あぁ……、
それはでも、なかなか大変な事ですよね。

小出:
そうです。
漁民からみればとんでもない事だと思われるでしょうけれども、
でももう、大変な事故が進行中なのであって、「どうにもならない」と私は思います。

石井:
小出さんにまず一つお聞きしたいのは、
高濃度の汚染水をそこから放射能を除去する事は、
完全にとは言いませんが、ある程度でも除去する事というのは可能なんでございましょうか?

小出:
可能です。
ただし猛烈な汚染水ですので、作業をするために多数の労働者がまた被ばくをするだろうと思います。
ただし汚染水の中から、汚染水というのは水を放射能が汚しているわけですが、
水の中から放射能を取り分けるという事は、えー、“できる”のです、やる気になれば。

石井:やる気になれば「出来る」けれども、やるためには沢山の人達が被曝をせざるを得ないと、

小出:そうです。

石井:
で、そういった大変なリスクがありながらも、
もう現実に「これ以上保管が出来ない」という状況なんでしょうか?
それとも、どこか別の場所で保管をすることは可能なんでしょうか?

小出:
えっと、私はですね、事故が起きた直後から、
巨大タンカーを福島の海に連れて行ってですね、タンカーの中に汚染水を移して、
「それを柏崎刈羽原子力発電所廃液処理装置にもっていって処理をする」という案を提案していたのですが、
今までもう、ほとんど2年近く経ちましたが、国も東京電力もそれをやろうとせずに、
とにかく福島第一原子力発電所の敷地の中にタンクをつくって、そこで受けるという事をやってきたのです。
それをやる限りはいずれにしても敷地は限りがありますので、いつの時点かで必ず破たんします。
それでもうかなり満杯になっていますので、遠からず別の事を考えるしかなくなると思います。


吉岡:
結局それをいま東京電力が「海へ流しましょう」という事を、
ま、可能性を探っているというところだと思うんですけれど、
渡し、実は2~3日前まで、宮城県の牡鹿半島の方に行っていまして、
漁師さん達といろんな話をしてました。
ぼちぼち漁業は少しずつ復興してきているんですが、
とはいえ「福島から流れてくる水」ですね、

小出:そうです。

吉岡:これを一番心配しているんですよ。

小出:そうでしょうね。

吉岡:
で、今漁師さん達は大きな声でそれがいえないんですよ。
何故か?と言うと「宮城県もか」というふうに言われるからですよ。

小出:なるほど。

吉岡:
漁師さん達も言えない、漁協も言えない。県も言えない。
っていうか、誰も反対をしない。
しかし一番心配をしている彼らという、こういう構図があるんですよ、今。

小出:そうですね、はい。

吉岡:どうすればいいんですか?これ。

小出:
えぇ・・・、私が言うのは本当に申し訳ないけれども、
どうしようもないのです。
もう、人類が経験した事がないひどい事故というのが、今現在進行中なのです。
で…、相手は放射能な訳で、
人間がどんな風に手を加えても消すことができませんので、
何とか漏れを防ぐという事は唯一出来る事なのですけれども、
次々と水を入れ続けるしかない状況では、それがまたあふれてきてしまう。
いつかやはりどこかに捨てるしかないというところに、追い込まれてしまっている訳です。

石井:あの、小出さん、沢山、

吉岡:
もうひとついい?もうひとつ、
ぼくね、2~3日前に牡鹿半島に行ったんですよ。
そしたら女川の原子力発電所がありますよね。
そしたらですね、今まで僕は20回ぐらいあそこに行っているんですが、
初めて見ましたけれどもPRセンターが開いていました。

小出:笑)・・そうなんですか。

吉岡:
あれでしょう、ずばらしい我々のエネルギーがないこの時代に
原子力発電所が必要ですというPRをやっていましてですね、いやちょっとビックリしましたね。

小出:そうですね、この期に及んで「まだかなぁ」という思いを私も禁じえないです。

石井:小出さんありがとうございました。また来週もよろしくおねがいいたします。>


小出先生のお話も、久々にお借りして来ました。

他のニュースに隠れて、こんなことが報じられていた??。

中国からのPM2,5とか言う物質が、大騒ぎされてたけど、マダニがどうとか、もあったけど、今日はあるところで、いや、PM2,5、今年も例年並みの量だよ、とか出ていた。事の真偽はともかく、黄砂がやばいとはずっと言われていた、そして、今年はそのヤバさが具体的になり・・・の影で、放射性汚染水を、海へ放出と言う最悪の犯罪の、ニュースが、大きなニュースが、最近あったと、ご存知でしたか??と、言いたい。

話が出て来る時には、決まっているし、もうしています。

顔向けできない国になってしまいました。



1936年2月26日。東京は雪。白い早暁。

陸軍の青年将校たちがクーデターを起こした。

多くの将校が刑死した。

蜂起を企んでいた青年たちを、知っていて止めようとせず連座したとして、禁固5年の刑を受けた陸軍少将 斎藤瀏は、自ら歌人であり、昭和を代表する歌人の一人であった斎藤史の、父親だった。

父に愛され、たっぷりと豊かに育った史の人生は変わった。変わったのであろう。幼なじみも、何人も、刑死した。



・白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう (『魚歌』)

・岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた (『魚歌』)

・たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも悪事やさしく身に華やぎぬ (『魚歌』)

・濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ (『魚歌』)

・暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた (『魚歌』)

・白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り (『うたのゆくへ』)

・人も馬も渡らぬときの橋の景まこと純粋に橋かかり居る (『密閉部落』)

・ぬばたまの黒羽蜻蛉(あきつ)は水の上母に見えねば告ぐることなし (『風に燃す』)

・死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生(せい)ならずやも 
                              (『ひたくれなゐ』)

・恋よりもあくがれふかくありにしと告ぐべき 吟(さまよ)へる風の一族 (『ひたくれなゐ』)

・ 遠い春湖(うみ)に沈みしみづからに祭りの笛を吹いて逢ひにゆく (『魚歌』)

・ おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は (『ひたくれなゐ』)

・ 疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ 八十年生きれば そりやぁあなた (『秋天瑠璃』)

・ 思ひやる汨羅の淵は遠けれどそれを歌ひし人々ありき (『風翩翻以後』)

・たふれたるけものの骨の朽ちる夜も呼吸(いき)づまるばかり花散りつづく


斎藤史は、10年ばかり前に没している。私の短歌の師が、誰より好きと言い言いした歌人。

226事件の折りには激しい怒りを示されたという昭和天皇。

1997年、史の死の5年ほど前。

宮中歌会始の召人としてあがった史に、今上天皇は話しかけられたという。

「お父上は瀏さん、でしたね」

と。

陛下はあの、優しい眼差しでいられただろう。斎藤史は(明治の女性だがほとんど和服を着なかった)、微笑んで、さようでございます、とか、答えただろうか。

私も、斎藤史の激しいうたは、好きだ。

いろんな歌人の、いろんなうたが好きだ。

ずっと、ずっと、ことば、というものに酔っ払って夜のひとときを楽しむ、こんな日々が続いて欲しいと願う。

果ての無い楽しみだ。私には。

連休の一日。

映画に行きました。「レ ミゼラブル」

今から10数年くらい前の、リーアム・ニーソンがジャン・バルジャンを演じた映画も観ていますが、今回の「ミュージカル」仕立てだと言う作品についての知識も、いつものように、あえてほとんど仕入れないまま、客席の人となりました。

ファースト・シーンから圧倒されました。囚人というより「奴隷」そのものみたいな人々が、過酷な作業に就いている。歌も歌いながら。違和感は無かったです。

画面の中にすっと吸い込まれて、感じていたのは、作り方がうまい、すごい、ということでした。

セリフの一つで、その人間を、説明でなくして判らせる。すごいな~と、引きこまれていた。

長い原作を、すっきり処理して、テンポは速く、感情表現は、歌で、たっぷり聞かせる。

普通に喋るセリフでならあり得ないようなストレートな内容のことを、歌だから、朗々と、ピン・ポイントで、シリアスに謳いあげられる。俳優たちが、自分で歌を、現場現場で唄って行っていると、それは聞いていたので、俳優という職業の人々の秘める可能性の厚みにも、すごいな~、と。

ラッセル・クロウが唄っているなんて。「グラディエーター」が自分には良かったので、あの人がこんなに歌うなんて・・という感慨があった。ジャンを演ずるヒュー・ジャックマンが、体型から表情までを凄まじく変化させるのと対照的に、傲慢で無表情な「法の番人」ジャベール刑事は、最後まで、職業人であり続けて。

その、ヒュー・ジャックマン。痩せこけて目のぎらぎらした元・囚人から、時系列で、印象をまるで変化させながら、その時々の「ジャン」を演じていた。

強欲な悪役に設定される宿屋の主のテナルディエ夫婦は、この作品では、悪役と言うより、呆れたトンデモ人種で、コミカルにさえ感じられた。そう作られているのでしょう。必要な役回りでありました。

この、良心などというものに100億光年も隔たっているかのような夫婦も、度し難く愚かであるが、救われるべき「レ ミゼラブル」の一人です、とでも、言いたいがごとく。レ ミゼラブルって、惨めなる人々、という意味なのだそうですね。

未婚のまま子を産んで(今とは違う時代に)凄惨な人生を歩む女、フォンティーヌ。美しい女優ががりがりに身を絞って演じて、ゴールデン・グローブでしたか、賞をもらっている・・・アカデミー賞にもノミネートのアン・ハサウェイ。良かったと言う人の多いのも納得の熱演でした。。

フォンティーヌが生んで、ジャンに託し、ジャンが一身を賭けて愛を注いで育てた少女、コゼット。

成長したコゼットを演じる女優を見た時、私は、自分的にはこの人は「違う」と感じてしまいました。

金色の髪、水色の瞳。泰西名画の春の女神のような・・・と、言えば言えなくはない、と、う~ん、むにゃむにゃ。初めは、う~ん、だったのでした。コゼットのおでこに、シワがあっていいものかどうか。

ラストに向かって、なぜ彼女がヒロインなのかコゼットなのか、だんだん、しみこんで来ました。歌が素晴らしい。声も、歌も、すばらしい。だからなのね、と、納得した次第です。

マリウスもそう。初めて見て、うっ、こ、これは、マリウスじゃな~い!と、お腹の中で叫んでしもうた。

革命を共に企てるお仲間の方に「この人がマリウスならいいのに」と感じた一人がいて・・・壮絶な最後を迎えたのでした・・・彼は。

これも、観ているうちに、ふむふむ、この感じがつまり、この人がマリウスなのね、と、得心していった。

純真な、堅物だった、若い、上流階級の出であることを仲間たちに恥じつつ、白いシャツをまとって暮らす若者。

革命を語り、突然の恋に落ちればその思いでいっぱいになり、バリケードを築く準備を進める仲間たちに恋の思いを吐露せずにいられない(いわゆる純情KY君)、手近にいる「彼の恋の」対象になり得ない若い娘(隣室の貧しい娘エポニーヌ)の、いちずな思いにまったく気づかぬ朴念仁で(仕方のないことではあります)橋渡しなど頼んでしまい、しかしやっぱり、友と。仲間と共に、祖国を思う気持ちの方へ戻って行く。

もう、死ねなくなりました。恋をして。

とか、どんどん書いておりますが。

アカデミー賞にノミネートの「フォンティーヌ」の歌も、歌唱力を優先でキャスティングされたかも知れない「コゼット」も、共に、素晴らしい歌を聴かせてくれましたのは事実ですが。

私の胸に一番響いたのは。届いたのは。

強欲な両親を持つ、みすぼらしい娘、ひそかに強くマリウスを想いつづける娘、エポニーヌの、歌でした。

容貌も、体型も、美人さん、ではない。サマンサ・バークスという名の女優で、舞台の「レ ミゼラブル」で、この、同じエポニーヌの役をやった、と、見終えて帰ってから知りました。

素晴らしい歌で、私は、両目の涙腺あたりをハンカチでしっかり受け止めて(メイクが崩れると退場の時、恥ずかしいですから・・)、ううううう、と声を殺しながら、歌声に打たれていたのでした。

片思いでも命がけで愛した男の腕の中で、彼女の魂は、天国へ旅立ったでしょう、と、きっぱり思えたのが、救い。

・・・このエポニーヌが、成長した後、初めてコゼットを見かけて。

「コゼットだわ。子供のころ、ひと時、一緒に暮らした」

みたいなことをつぶやきます。

それが今では、あちらはご令嬢、比べて自分は・・・と。

自分が幼い頃は、暖かい服を着せられ、温かい靴をはき、綺麗な帽子を被せてもらって、ろくでなしだが娘には甘い両親に、抱きしめられたりしていた。その頃コゼットは、母親が必死で仕送りをしているにかかわらず、髪は汚れてもつれ、雑巾で作った人形を抱き、夜の森へ水汲みに行かされる時も、裸足だったのです。

そんなコゼットを、エポニーヌは、気にかけていなかったに違いない。

そういうことは、忘れるものなのでしょう。それも、人間と言う存在の、愚かさであるのか。

レ ミゼラブル・・・みじめなる人々、の、一人なのか。

マリウスとコゼットは、死の間際のジャン・バルジャンを、父と再び呼んで、最後の喜びを与えて。

常に「WHO AM I」と自らに問いかけ続けて、己の一生を生き尽くして、善き人となったジャンは、召された。

ハッピー・エンドです。きっと。

子どもの頃、赤い表紙のとても分厚い子ども版「ああ無情」を読んだ。コゼットが、初めて会ったジャンに、憧れの人形をもらう場面でどきどきしました。

そんな頃も、二十歳前後にもう一度、読んだ時にも、思わなかったこと、を、今回、映画で観て、思いました。

革命を志して、マリウスの仲間の多くは死んだ。

悲惨な運命の子どもだったが、神の化身のようなジャン・バルジャンに大切に育てられ、純粋な若者に恋されて結婚する、清純(でしかあり得ない)なコゼット。

二人は、この先、どんな人生を歩むのかしら。

マリウスのお祖父さんの豪壮な屋敷で、仲良く、いつまでも幸せに、暮らす、のかしら・・・。

原作者はビクトル・ユゴー。小説家は、ただ、書いて、読者の前にそれを置くだけ。なんだなあ、と、考え込んだ次第です。



やさいさん。

お言葉を下さってありがとうございました。

「是非に及ばず」

なんとなく知っていたが、深くは知らなかった言葉で、あちこち調べました。

織田信長の、最後の言葉というのですね。

京都の本能寺で。小姓の森蘭丸が、明智光秀が謀反を・・・と、告げた。

信長は「是非に及ばず」と、言った・・・。

どんな心持で、それを言ったのか。少し想像して見ましたが、判るわけが無い。

ただ。無常、というものを、おそらく知り尽くしていた人の言葉として、光秀に対しては、怒り、ではなかった気がしました。

どうしようもない、って。

それで、あの舞をひとさし、舞って。

・・・・・・・・・・・・・・・・

幸若舞(こうわかまい)「敦盛」。

「人間(じんかん)五十年 化天(げてん)のうちを比ぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり」。



思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露
水に宿る月よりなほあやし

金谷に花を詠じ
榮花は先立つて無常の風に誘はるる

南楼の月を弄ぶ輩も 
月に先立つて有為の雲にかくれり

人間(じんかん)五十年
化天(げてん)のうちを比ぶれば
夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり

一度生を享け
滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは
口惜しかりき次第ぞ


信長はともかく、エラそーに大物めいたことを書いた私に、やさいさんが下さったこの「是非に及ばず」は、とても温かいものを下さいました。本当に、ありがとっさん。


sarahさん。

こんばんは!。

ベアテ・シロタ・ゴードンさんについても、知りたくて調べました。

昨年暮れに、89歳で亡くなったと。

おっしゃる通り、戦後日本憲法を作る際にその一人になられたと。

「女性が幸せにならなければ平和は訪れないと思いました」

私は全くくわしくないけど、24条という部分に、関わられた。

「婚姻における両性の合意」云々。

それが、昨今の憲法改正の草案から削除される、とか、されないで空白になっている、とかも、このたび、知りました。

・・・なんてことはおいて。

「かの女たちが起草した平和憲法というものも、
ふだんは空気のように意識されないことが理想像なのかもしれない。
そしてまた、あるいはそれは空気のように無意識に吸いつづけることさえ許されない、
繊細な、不断の勇気の下でしか生きつづけられない、
という逆説も同時によぎる。」


「繊細な、不断の勇気の下でしか生きつづけられない」もの・・・。
あれもこれもそうだったと、失って初めてわかるものですね。

書いて下さったこれらのことに、うなずくばかりです。

失ってみないとわからない、沢山のもの。

帰らないもの。

悲しいことに、そういうことが、ものすご~くいっぱい、あって。

・・・頑丈な私の胃袋。食べ過ぎて具合が悪くならないと、いつも黙って頑張ってくれていることに思いが及ばない。そういうことに似て・・・いません!。ふざけてすみません。

今、夜です。雨です。

私の机は窓に向いていて、雨戸に当たる雨の音が、けっこう激しいです。

よしりん(ご存知ですか?小林よしのり、漫画家)の本を買ってしまったので、少し読んでお布団に入ります。

過激な、と評されることも多いですが、これくらいはっきりものを言う、言い続けている人は少ないです。そうだそうだ、と、そりゃ違うよ、と、逆方向にも突っ込みながら読む楽しみを与えてくれます。

おやすみなさい、また。








お日さまはぽかぽか、部屋の中から見る空は、早春の趣です。

一歩出ると、寒い、冷たい。

細かい雪まではらはら舞っております。

昨日は所用で大阪へ出向きました。

近鉄電車の窓から見える大阪の空は、霞んでぼやけて、大陸からの微粒子が来ちゃってるんだなあ、と、実感させる。PM2、5って。PM2なら好きだぞ。ぜんぜん違うじゃないですか。って、そんな呑気なことじゃないじゃないですか。

春の霞の、などという風雅なものでなく、邪悪な気配の、それとは見えないゆえに恐ろしい、大気汚染の空が、昨日の(たぶん今日も)大阪の空なのでした。

どんなマスクも、たいして役に立たないそう。たとえば十分ごとに取り換えるとかなら、意味もあるだろうけんど、と、常々感じていました。

関係薄いとは思われますが、わが家の一番年少の者が、ゆうべから咳が止まらず。

今までなら、熱が無いなら学校へ行け、と厳しかった父親が、家でじっとしていろと態度を軟化させているのを見るにつれ、地球は一つ、空も海もつながっている、との思いが増します。

従来いわれていたとは反対の意味で、その言葉を思う。

避けようがないんだ、という、そういう思いです。



午前中は、歯科医へ行きました。ずっとかかっている歯科医です。

遠くなったけれど、通っています。

二年ほど前に「〇山歯科医院」であったそこが「〇山歯科クリニック」と名を変えました。

老先生の他に、娘婿さんかと思われる、推定四十代後半の、どっしりと安心感を漂わせる副院長が来られた。

週に数日の診療の副院長さんに、はじめ見てもらったけれど、今ではまた老先生にお世話になっています。なんだかそういう具合になって、副先生も立派な医師と思うが老先生が好きなので、安心してかかっています。

かなりのご高齢で、看護師さんなのか助手さんなのか不明ながら、長く勤めておられて、何もかもわかっているごとくの数人の女性方に、時には叱咤されながら。

ひそかに「オタク先生」と私が呼んでいる老先生、歯科医師道をまっしぐら、とお見受けします。

人の歯を、どうこうするのが、楽しくてやりがいあって仕方ない、という感じです。

レーザー治療の際も、しっかり、たっぷり、レーザーを当ててくれる。レーザーを当てると、ゆるんでしょぼくなっている歯肉に根性が入って、しゃき~~んと引き締まる感がありあり、月に一度してもらう。老先生に作ってもらう歯は、出来上がってつけてもらった瞬間から、全く違和感ない。

今回は、下の歯の一本が痛くなって行ったら、反対側のもう一本も虫歯になっているということでした。

副院長さんに勧められたインプラントを、持病のせいにして断っているのが気になっていたのが、抜けたまま放置してある下の奥歯数本「入れ歯にしましょ」と言われるのに、大口あけたまま、うん、うん、とうなずいておりました。

神経から治しています。

私の口を覗き込んでは、にこにこと、楽しそうに、

「あなたはきっと、入れ歯に耐えられないでしょう。入れるのを止めて放り出してしまうような歯を作っても仕方がない。きちんと、入れてしっかりはめていられる入れ歯を、作ってあげますからね」

そう、おっしゃる。

「右はバネでね、左はボタン(磁石らしい)にしましょ、ちゃんと、いろいろ計画しているからね」

ともおっしゃった。わが身ながら見えない口の中、細かいことはわからない、が、本当に私の・・・ワタシの歯を、ちゃんとしてあげよう、の思いの、びんびん伝わってくる率直さ、優しさなんです。

受付の女性が、先日、こんなことを言っておられました。予約をするのに、

「できたら昼間、来て頂けるとありがたい」

はいそれでは、昼間伺います。頭の中でタイムスケジュールをぐるぐるさせながら答えた。受付さん、こう言われた。

「昼間はまだ元気ですけどね、夜になると疲れて来られるから」

「。。。」

「ほら、もう、ずいぶんお歳ですのでね」

とっても、老先生への濃い思いに満ちた言葉で、わたし、感動しましたのです。

けっこう荒っぽい言葉で先生を追及したり(先生はほんとは何が欲しいんですか)。追い立てたり(先生、先に一番の部屋ですよ、ほら一番ですって)。いくら頂くんですか、○円ね、そしたら、このメモ、カルテに貼っておいて下さい、自分で言って忘れちゃうんだから、とかとも、言われている。歯のこと以外、さっぱりわかっておられないのに、拍車がかかって来ている様子。保険の効かない部分に自費診療の金額を示すのに、すごく申し訳なさそうで、それも、勝手にご自分でダンピングされてしまう。

よんまんごせんえん・・・よんまんえんね、そうしましょ。

とか。安くなっちゃうんです。

副院長先生は、内心・・・だろうな、とか、感じてしまう・・・。

と、そういう歯医者さんに、お世話になっております。

今日は、早く行き過ぎたんです。他人の歯、以外の、おそらく唯一の「趣味」であろう、タイガース球団に関する新聞が置いてあるので、それでも読みながら待てばいい。・・・しかし。

既に待っておられた方、私のすぐ後に来られた方。お年寄りばかり。

私の番が終わって待合室に戻っても、お一人、ご夫婦、どなたも、かなりのご高齢の方ばかり。

受付の女性は、はっきりと大きな声で説明をし、にこやかに何度も繰り返し、老先生はうろうろと出て来て「奥さんにもたまには来て、て言うて下さいや」と声をかけている。

もしかして八十代?の歯医者さん。

「四十年ここにかかってますのや、とうとう、歯が、脆うなって、フランスパンにやられました」。

隣に座った方が、教えて下さる。

特に広くもきれいでもない、普通の歯医者さん。普通に見える歯医者さん。

老先生の、職人道というか、歯科医師ひとすじ、と言うか、言葉はどんなでもいいと思う、きっと自由診療の患者さんは多くないだろう、と思われる(失礼な話ですが)、この、歯のオタク・老先生の、ところで、可能な限り、お世話になろうと考えています。


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