今日も元気でいましょうね^^

返事の中までKUONです。

見ていただきたい動画があります。

これは昨日の記事ですが、後ろに続きがあります。読んで下さると嬉しいです。

続きの続きがあrます、読んで下さい、お願いします。

今夜は寝させていただきます。コメントも沢山いただき(ワタシが下さいとお願いしたのです~)本当にありがたいです。児玉先生の動画、ご覧になって下さい、生きる力が湧いて来ます。なんて言いながら「寝る」を断行する。

明日も、元気でいましょうね!





胸が震えています。

胸が熱いです。いっぱいです。

ご存知かも知れません、ご存知でなければ、ご覧になって下さい。

東京大学アイソトープ研究所センター長であられ、内科医でもあられる児玉龍彦氏が、証人として語っておられます。

広島の原爆の、何についてはどれだけ倍であり、癌はこのように発生する、と、シリアスな内容ですが、時に思いが溢れて絶句されるような「人としての真実」「生身の人の熱さ」が胸に迫り、勇気が湧きました、心が強くいられると思いました。

ご自身が、今、子供達を守るためにされていることを「法律違反」だと仰っている。法律と現状が合わないので、違反してる、と。
胸が詰まりました。
こんな風に、言っておられる方を、他に知らない。

このようなことが無かった時代の法律に、現状、縛られていて、思いはあっても動けないでいる方々への、優しい気持ちも透けて見える。

YOUTUBE♯at=16
2011.07.27
衆議院厚生労働委員会
満身の怒り・児玉龍彦

こういう方の、こういう話をお聞きしたかった。

怒りに、共感して、どうしょうもないです。

いま(7・31・0.50分)訪問したら、やさいさんのブログ(右側のリンク欄の「頭の中のベヨンジュン」)で、児玉龍彦教授の動画が見られるようにして下さっていました。
感謝です。
どうぞ、そちらでご覧になって下さい。
お父上がヒロシマで被爆しておられるやさいさん。今回は、コメントは受けられないと仰りつつ、紹介して下さっています。
もし、コメントいただくなら、よろしければ、これについては、KUONに書いていただければ、と、思います。
見てくださるだけで十分です、ご覧になって下さい。

ディランさん、お返事、明日、いっぱい書かせてもらいますね。

7月31日。

この場所に児玉先生の動画を貼り付けさせていただき、安堵し、また見たくなってスタートマークの三角押したら、画面は黒くなり、見られません。
<この動画はYOUTUBEの利用規約に反していたので削除されました>
と出ます。
自分が、いけないことをしたのか、申し訳ない。そう思いました。
やさいさんちへ行ったら、やさいさんのして下さった動画も、同じことでした。
今、これを書きつつ、もう一台、横の机にあるパソで、先生の声とお姿を確かめています。
そこへ行けば見られるのですから、何度も行って見させてもらいます。
ここで、ついに、見ていただけなかったことを、お詫び申し上げます。

YOUTUBE♯at=16です。
ご覧になって下さい。


31日夜

消されてしまった児玉先生の動画を、やさいさんが再び、見られるようにして下さっています。

粘り腰のやさいさん、お気持ち嬉しいです、ありがとうございます。

皆様、ご覧になって下さい。

後でまた、お会いしたいです、よろしくです。









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セミにはやはり鳴いていて欲しい。夏。



どうしようかと惑っていましたが、書いちゃいます。
知っている人は知っていることです。
ほとんどの人は、多分知らない。

自然力エネルギーという言葉は、いま、輝かしいことば。時流に乗っていることば。

太陽光発電というものについては、ちょっと書き控えます。
風力発電は、多分、今のわが国には難しい。
すでに備えられている、あのプロペラみたいのは、動かし難いし、半分くらいは折れてしまっている、ということです。そんなに「風は吹いてくれないし、周囲に、何か大きな影響を与えてしまうとか。。

水力発電・・数年前、脱ダム、なんてことばが脚光を浴びていたな。
日本のダムの周辺、砒素、ダイオキシンにまみれているところが一箇所、二箇所でない。
(これ、こっそり、言ってしまったこと、そう、今、ここで。この問題には門前の小僧で詳しいんです。ずうっと、心配で、アタマの隅からのいてくれません。うちのぢいさん、水の専門家で、クスリ方面では砒素のプロフェッショナルなんです。ずっとダムの周辺が危ないといい続けているが、これも、聞いてもらえないの。)。

火力発電。二酸化炭素が出る、大気を汚すと、原発を売り込みたかった勢力にわーわー言われて、イキオイを失っていたが、いま、にわかに期待をかけられていますね。

私は、原発推進派でも、反・脱原発でもない。今の時点で、そんなに簡単に、マークシートで答を決めるようにはものを言えない、と考えるものです。
今のままの原発は、困る。当然困る。そうは、申し上げられます。

火力発電でも、ゴミは出ますよ。
フライアッシュと言うんです。
どんなものか。
あって嬉しいものではない。ゴミです。

火力発電とは、石炭を燃やして行う発電ですから、燃えカスには、砒素、鉛、クロムなどの重金属が当然、含まれています。
おおらかというか、あまり気にしていなかった時代には、あまり気にせずに、その燃えカス・・フライアッシュを、コンクリートに混ぜて、建築資材にも用いていました。

このたび、コンクリートに混ぜるには放射線量が高すぎる、と言われ(事実)、使えないのが現状なのは、そういうことでもあります。
でも、知らないうちに、と言うか、知られないうちに、やっちゃったとこもあるようで。

しかし。

福島の事故後に、御用学者と呼ばれるような方々が、自然界にも放射能はある、自然にも浴びているんですよ、と、それだけ聞けば、なるほど本当な(でも自然界で、なんて言ってる場合でない時のコメントでしたから、イケナかったわけです)話で、それと同様に、普通に使われているくらいでは、問題ないということであった。
それを、だんだん、あまりおおっぴらには出してはおられないが(事実の話を、ですね、こういう)、ロシアへ。

広大な土地を有するロシアへ、言ってみれば、一トンにつき、幾らお支払いしますので引き取って、とばかり、送っりつけて来ていたのです。
船で。

そして結局は、日本の中の某県や某県、名前は忘れた、覚えていないの、ごめんね、あまりというか、まるで人口密度の高くない広い土地を、買って、そこに埋めようと。
そういうことで、ものすごく広い、どうしようもないゴミを埋めて、目の前から消してしまうための土地が、あるのです。

当分は埋めるのに間にあうような広さだとのこと。
その土地に、砒素も鉛もクロムも集まって行くのは、そういうことですね。集まりますけど。

今、放射性物質に汚染されているつまり汚泥。
この量がすごくて、処理に困っている、と、書かれるようになって来ています。

書いてる人が知ってるかどうか、上の人は知ってるはず、マスコミは、政府や東電の側です。

このところ、岡林信康の歌をちょっと追っていまして。

こんな ↓ マジメなおまわりさんをヤユ・ヒボーする歌も歌っていた。

(略)ちょうちょやトンボは待ってましたとつかまえられるけど、と、交通違反の取り締まりについて歌っていて・・とんびやたか、など大きな鳥は見逃している、とおちょくり、
   <そりゃあそうだろ、犬が飼い主に噛み付きゃえらいこった>、と。

まあ、それはいいのですが、ここから本題。
・・本題、なんてタイソーなものではないが・・・。

埋める場所は、まだたっぷりあるのに、処理場に困っている、と書き立てる意味を、わたしは、考える。

暑さと孫どもの大声攻勢に、完全にやられている、スの入りまくったスイカ頭で考えるに。

答えは一つ。オンリーワン。
このオンリーワンは、いやですわ、でもさ。

税金を、使うより無いよ、国中汚泥だらけになるよ、それ困るでしょう、イヤでしょう、見ればギョッとするでしょう、だから税金を使わせてね、足りなくなるから払ってね、ということですか。
そうじゃないかな~、と、悲しんでいます。
時代は変わっても、お代官様、わしら、ゴマの油とおんなじですだ~。

私は、もう一つ、すみません私事ですが申し述べさせてもらっておきますが、政治的には、右でも左でも、赤でも青でもござらん。

こーゆーことを申し述べて、今宵は、ペンを置く・・とは言いませんね、ええと。
ええと?。

sarahさん。動物の目は、きれいですね。

動物じゃないけど、今日、あれ、セミが沢山鳴いてる、と、この夏はじめての感じで思いました。
東北地方のセミ達も、じんじん、わんわん、鳴いているでしょうか

鳴いていて欲しいです、いま、土の中でじっとしている、来年、再来年のセミ達も。

としとったせいか、他の理由もあってか、今までで一番、いのち、というものについて考える夏です。

気になっていること

牛から、かなりの量のセシウムが検出されたと、はじめて聞いた時。
原因は水か、何かと調べられて、つまりは飼料にした稲わらが危なかったと報道されていた。
牧草についてはそれまでに調査され、お達しが出ていたようだが、稲ワラはノー・チェックだったと。
そんなことあるのか、と、私は、びっくりした。
牛が、牧草以外食べないなら解るけど、いい肉にするために、稲わらを与えていたのは、わかりきっていたことらしいのに。


福島の牛は、宮城県の業者が出した稲わらを食べてセシウムを帯びてしまった、という風に、書いてあった。
どんどん頭数が増え、今のところは二千頭超えたとか。もっと沢山いるだろう。
その牛たちは、月に一度、ごほうびに甘いものをもらう感じでワラを食べたのではないだろう。
それだけの量の稲わらって、どこに存在していたのだろう。
初めの業者から出たもの、という報道は、初めの頃だけのことだった。
今、出荷を停められている牛、どれくらいいるのだろう。

全頭検査というが、数が多すぎてイメージしにくい。
事故後、心ならずも飼い主の方に置いて行かれて、野良になっていた牛を、夜陰に乗じて集めに来てトラックに乗せて去ったひとたちがいるらしい。
ペットにしているわけが無い。
牛達は、もう、いないだろう。どこにも。
どこへ行ったのか。

汚染水をキレイにして循環させて炉の中を冷却して、再びの爆発をさせないようにする。

それは何より大切なことで、フランスの会社、アメリカの会社、日本の大きな・・東電と仲良しの・・東芝、日立、とかいう社名だそうです、が、一緒になって取り組み始められたのが、かなり前。
フランスは、総てをセットで売り込みされたということですが、一社独占って、世間の手前、し難いことでしょうね。で、三つの国が。力を合わせて。もしくは、船頭多くて、いやいや。

作ったことの無い機械を作って(見た人によると、大変、高価そうな、すごい機械らしいです)予行無しで、厳しいことを成功させなければならないのだから、本当に大変と思いますが、この話も当然、取り上げ方がどんどん小さくなってて、最近では、またストップした、またトラぶった、など、さらりと書かれ、なんとか率が60パーセントだの70未満だの、実態は触れられていません。そおっと、そおっと。
11万トン溜まってしまっていて、梅雨に入ったら溢れ出すおそれが、と、言われて、私なぞが、小さなココロを痛めていたあの頃のようには、敷地に溢れた、こぼれた、しみこんでいる汚染水、海へじゃんじゃん流れ込んでいる汚染水のこと、お口チャックです。
地下へ潜る汚染水の対策も、立てられたようですが、遅い。遅い。遅いです。

あまりトラブルが起きるので、東芝製の機械が入っているのですね、今。
吹けば飛ぶような、と自称する、某とーしば社員が、泣いていました、マジで。
その内容は、明かせません、ごめんなさい、でも、どうして今頃、どうしてここまで来てから、どうして初めから、みたいなことだったような気がする。はっきり覚えてないな~。

先に書きましたが、海や水に関わる汚染の問題。触れば出て来そうなところ、触らないようにしている。
牛のことは騒ぐが、他のものについては、一切触れていない。
作業員さんたちの「仕事」のことも、作業員さんの側からの言葉は、表に漏れて来ない。
何も無ければ、こんなこと気にしないでいいわけだ。


テレビのアナログ放送が終わった日、問い合わせが10万件を越し、内容が「アナログ対応のテレビしか無いが、どうすればいいのか」というものがほとんどと聞いて,暗然となりました。
えらそうな言い方、と思われても仕方ないです。
それ、何、と思ったのは事実だから。

放射能は、他の何とも全く違う、本当に恐ろしいものですよ、と、たとえばメディアが、今のように腰、引きまくった態度でなく、本来の意味のマス・コミニュケーションの先鋒の誇りを持って(と願ってしまうの、今でも。悪女の深情けのごとく)手を替え言葉を尽くして言い続けたとしても、届かない方たちは、ものすごく沢山おられるんだ、と言うことです、違うかな。
馬鹿にしているんじゃない、私も、携帯電話で会話する、メールを授受する、までは出来るけど、新しいメルアドなるものを、入れることも、できないままでいる。わからなーい、と済ましてる。それで困らないから。
パソコンでも、こうして文字を入力は出来るけど、ちょっと何かがどうにかなると、お手上げ。
デジタルに切り替わった日に「お問い合わせ」された方の中には、でも、単に無関心で、という方も、相当量おありだと考える。

そして人に聞く。
間違ったこと、言い換えられていること、隠してるがちょっとだけ、見せてあげてもらっていること。

真正面から、にこやかに言われたら、判別できないだろう。信じるのか。

そういう風に、報道されている気がする。
これくらいは書いておく、後は、知ろうとしなくていい、と。

何が「いい」のか。
知らないで、ずっと行って、どうなるのか。

魚たち、無傷なのだろうか。
野菜もお茶も。
じわじわわかって来て、想像すること、想像チャックにしている、こわくて辛くて。
知らせていれb避けられたこともあるはずなのに、何も言わない。

言いながら、心の底で、どんと大きい塊で、人間は強い、計算できないくらいの力を持っている、人間は強い、という気持ちがあります。


yuutaさん。風ちゃんは今日も眠り猫さん?。
見ているだけで、命ってせつないですね。
眠り顔見てると、涙が出る時あります。
猫も。幼い子も。
あまりにも小さく弱く、いとおしい、わが家のハムスターも。
これでも生きているんだ、と、思う。
たまらないです。
小さいものに、害のありませんように。

stainless stealさん。
そうです。「マミオ」は、向田邦子さんの愛猫の名をもらいましたのです。
あちらは男の子さんですが。
当時、向田邦子さんの作品を、よく読んでいました。今ではそうでもないが、おもしろかった。
向田マミオ君は、最愛のご主人の飛行機事故を、わかっていたそうですね。
何匹も猫を飼いましたが(猫と暮らしましたが)どの子にも忘れがたい思い出があります。最後に家にいたのは、左右の目が金色とブルー、いわゆるオッド・アイの、純白の子でした。
よく慣れて可愛い子でしたが・・・。
もう、最後まで一緒にいられるかわからないので、猫さんは断念。孫息子と一緒に、ハムスターを飼っています。
初めは・・・でしたが、私の手の上で仰向けにキャベツ食べるし、胸の間で眠ります。
小さくて、あったかくて、柔らかい。






夏の朝のコーヒーと猫と

その喫茶店に、三十年以上、通っている。
毎日は行けない、名古屋の叔母のようには(叔母ちゃん、毎朝、元気です、のお知らせ代わりに、お友達との「喫茶店行こまい」習慣つづけてね)。

バス停近くの小さな商店数軒の集まりの中の、一軒。
名前、平凡。
昔のままのカウベルをちりりん、と鳴らして店内に入る、馥郁たる珈琲の薫り、と言いたいが、今の私に、薫りは無縁。
失くした腕が、神経のいたずらで痛むのを「幻覚痛」とか「幻視痛」とかいったと記憶するが、記憶はおぼろ、言いたいのはともかく、失くした嗅覚が、この店のコーヒーの香りを鼻の奥に呼び戻す、ということ
壁は、歳月と煙草の煙と、コーヒーの湯気にいぶされてセピア色。
ルノアールの少女。ミレーの田園。セザンヌのパリ近郊の風景の絵も、昔のまま。
本物みたいに落ち着いて掛けられている。

ウェイトレスは、代々、ご近所の主婦さんたちが、申し送りで勤めている模様。
練れた笑顔と丁寧な接客態度も代々の申し送りか。

切断面のきっちり立った、いささか焦げ目の強いトースト。
パンもバターも、言ってみれば業務用だろう。そういう値段。
でも、どこの、どんなトーストより、ここの、焼いた食パンが美味しい。

コーヒーは、薄い肌のカップに、たっぷりと注がれて来る。
熱い。
おいしい。
そうとしか言えない。おいしいコーヒー。

卵、わらえるくらい大きい。

以前、旅の途中のある朝、どうしてもコーヒーとトースト、と思いつめて、早朝ホテルを抜け出して探し当てた店に、若い、一生懸命に自分の店を守っています、な態度が全身から吹き零れている店主がいた。
コーヒーに、モーニング・サービスを頼んだ。
コーヒーは、おいしかった。
飲みたさが頂点に達していた時でもあり、そういうコーヒーだった。
パンは、どこから探して来た、と聞きたいほど小柄だった。
パンはいい。
卵が、とてもとても小さかった。鶉の卵より少し大きめ、な感じだった。
パンと卵は、文字通り「サービス」なのであり、文句のつけようもない。
が、経費を、きりきり、ぎりぎり、必死の上に必死できりつめようとしての、パンと卵の大きさか、と、なんとも言えない感じで、いただいて、支払いをした。
何を見てもアタマの中に「ものがたり」を作り出してしまう自分が、そういう時、疎ましい。

元の喫茶店の話。
と言うわけで、大好きな店である。
数年前、やっとローンの終わっていた家が競売にかけられることになって、出なければならなくなって、どうせなら、今までより大きな家にゆっくり住もう、と呑気に探して、今の家を借りて移った。
失くした家の倍くらい広い。
庭も広い、部屋数も多い。
当然、家賃もそれなりの提示だったが、会社が倒産してお金が無くて、でも今からやり直すのです、と、値引き交渉をしてみたら、こちらの言うがままの家賃にして下さった。大家さんありがとう。

かつてのわが家より、バスで四つ分、駅から離れたところに、今、住んでいる。

かつてわが家だった家は、今、新しい持ち主に大切にされているようだ。バスから見える。

時々、好きな店に言って、好きな味のコーヒーを楽しむ。

今朝も行って来た。

モーニング・サービスのセットはどれもステキで、店主は私と同じくらい、年を重ねていっている。

今朝は、猫の話をしていた。

帰って、洗濯機を回す操作を終えて、座ってパソを開いたら、yuutaさんが猫のことを書いておられた。



一番長く一緒に暮らしたのは、シャム猫のマミオだった。十四年、いっしょにいたな。

優しい、母性的な猫だった。

どうしろって言うのよ~。理不尽な要求に疲れて、座卓に突っ伏していると、傍に気配を感じる。
見ると、マミオが、両手をきちんとお利口に揃えて、じっと黙っている。
見上げていて涙の溢れてくる頬を、ざらざらの舌でなめてくれた。

マミオの舌は、年々、ざらざら度が少なくなって行っていたな。

晩年は、髭まで落としていた。
畳の上に、見慣れないものを見つけ、じっと見ても正体不明。
銀色の、長くて固くて、釣り針ではないし・・・猫のひげだた。

思い出は、いっぱい、いっぱい、ある。

死ぬ三日前、二メートルくらい離れたところから、黙って、じいっと、私を見上げていた。
どうしたの、と声をかけても、黙っていた。

次の日。玄関を出たすぐのところで、やはり私を見つめていた。

痩せて,背中の骨がごつごつと浮いて体の艶も失せて、私を魅了し続けた青い目の、青さも、うっすらとした淡いものになっていた。
何かの予感があった。
認めたくない予感だった。
うつむいて私は仕事にでかけた。

その次の日だ。
マミオは、玄関から車置きに出る階段の、一番下にいて、ドアを押して出る私を待っていた。
待っていた。じっと見上げて、無言だった。
涙が溢れ出て、停まらなくなった。
うぐぐ、と、声を抑えることも出来なかった。
しかし仕事に行かねばならない。

マミオの、もう、なんだかスカスカになっている体をすくい上げて、泣きながら家の中へ戻して、化粧は乱れてぐちゃぐちゃの顔のまま、奈良までのバスに乗った。

いつもの散歩コースの帰り道、家に近い電柱の陰に、ぱたりと倒れてマミオはこときれていた。
隣人の知らせに、裸足で階段を駆け下りて、抱き上げると、まだ、ぬるかった。
苦痛は無かったようで、眠っている時の表情だった。

横向きの姿のまま、箱に収めた。日曜日の朝だった。娘たちが、泣きながら花でマミオを埋めた。
私だけではない、幼い娘達に「愛する」という気持ちを教えてくれた猫だった。

まだ若い猫だった頃、花が揺れればその花にじゃれついて遊んだ、都忘れの群れるあたりに埋めてやった。

最後に見たマミオの横顔は清らかだった。

清らかだった。

yuutaさん、風ちゃんの心配しておられる時に、ごめんなさいね。
でも、思い出しちゃったの。
思い出すと停まらなくなって、もう、キーボードの上に鼻水垂れそうだから、自粛します。
風ちゃんは、幸せ猫だと思いますよ。
名前がいいね。覚えたから、もうずっと、私の中にもいますね、風ちゃん。

   すこしづつ覚悟うながし その果てに 逝きたり
   われを 愛しくれしか




明日の朝は。

こんばんは。

明日の朝は、トーストと茹で卵と熱いコーヒーと。
庭で採れるキュウリを、甘酢にごま油垂らしたドレッシングで食べよう。
大好きな白いお皿に載せて食べよう。

しっかり歯を磨こう、きちきちっと音がするくらい。

枕カバーもシーツも潔くはがして、洗濯機に洗ってもらおう。干そう。

掃除機も四角くかけよう。

お昼寝しよう、雑誌を読みながら、眠くなるまで待って、すとーんと眠ろう。

明日は私のお休みで(自分で決めているだけ)、孫どもは、孫のぱぱが見る。決定してる。

自分のために、時間を使おうと思う。

でも。

映画にも行きたくない。

靴が必要だけど、買い物にでかけたくない。

自分の部屋にいたい。


鬱から脱出しつつある娘が言う。

ままはきっと鬱ではないよ。

ただ、とても悲しんでいるだけ。

だから何にもできないの、きっと。

何もしなくていいじゃん。

そう言った。

わたしがいつか、お医者の帰りにあの子に言ってやったと同じように。

そうね。

何もしなくていいのね。

何もしないでおこう。

明日は、洗濯も掃除もおさんどんも、一切しません私。

そう決める。

きっとするけど。はは。


朝ごはんは、あの店の、モーニング・サービスがいい。

なんの変哲も無い、普通の、町の、喫茶店。

コーヒーとトーストがおいしい。

とても美味しい。

そこへ行く、これだけはぜったい、しようと、思う。

おやすみなさい、また明日。


・・・少し眠くて・きょうは暑かったし、ばんごはんが遅くなって、今まだお腹ガスイカちゃんで、、、なんて時、このごとき寝言未満をつらつら、してしまいがちなんですね。わたし。

こういう、ハムスターのよだれみたいなこと書いてるの、けっこう気持ちいいんです。

もう消さないで、ハム・よだ、このままにさせておいて頂きますが、どうぞ、ご心配とか、なさらないで下さいませね。
え。
心配なんかしない?
やー、ありがとうございます、それでは、ほんたうに、おやすみなさい!。





国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥心驚
烽火連三月
家書抵萬金
白頭掻更短
渾欲不勝簪

読み方(現代仮名遣いで)
くにやぶれてさんがあり
しろはるにしてそうもくふかし
ときにかんじてははなにもなみだをそそぎ
わかれをうらんではとりにもこころをおどろかす
ほうかみつきにつらなり
かしょばんきんにあたる
はくとうかけばさらにみじかく
すべてしんにたえざらんとほっす

意味
国は滅亡してしまったけれど、山や川は元の姿のまま存在している。
(戦争で壊れてしまった)町には春が来て、草木が青々と茂っている。
戦争の絶えない時代を感じては、花にさえも涙を流し
(家族との)別れを悲しんでは、鳥にさえも心を乱される。
戦争は3ヶ月の間絶え間なく続き
家族からの手紙はお金に代えられない大きな価値を持つ。
白髪だらけの頭を掻けば髪の毛はさらに短くなり
もうかんざしを挿すのも無理になりそうだ。


こんばんは

えらいことカクチョウ高く始めてしまいました。とほほ。(あたま)こりこり。

中国の、杜甫(とほ)さんの詩だそうです。

国やぶれて山河あり。

それならいいじゃん、という思いが、こもって、つい長々と引いてしまいました。
山河があるならいいじゃん。
立ち直れるじゃん。

鳥インフルエンザの騒ぎの時、白い大きい袋に、ばっさばっさ投げ入れられて行く鶏たちの画像を見ていて、なんともいえませんでした。
そうするしか無いのだと解っていつつ、こんなこと、あっていいのだろうかと思った。
沢山、育てていて、何かあったら、沢山処分する。
袋に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていた鶏たちは、あの時まだ生きていました。
ぎゅうぎゅうで苦しかっただろうと思う。
あの鶏たちも、処理、処分されたんだ。

sarahさんや、やさいさんの、タブーのスイッチ、ほれほれ、と入れるつもりは無いです。
私も泣きますもん。

鍵っ子だった自分。
いろんな生き物を友達にしていました。
犬。猫。これはフリーで腹ぺこだった子専門。
鳩。十姉妹。ひよこ。おたまじゃくし、ざりがに、コウモリ(これは手に負えずすぐに手放した)、蟻、おけら、亀。
みんな、最後には死んでしまったけれど、みんな、普通に、自然に、この世を去った。
処分された動物は、いません。
子供の頃、田舎で、鶏をしめて食べるから見てろと言われて、そんな、かわいそうな~と言ったら、伯父は怒らないで、かわいそうなら食べるな。言って、本当に私に、食べさせてくれませんでした。
急に、突然、変な感じにこわくなるヒト、と、当時の私は感じていたな~。

何が言いたいのか、不明なんですが。
命が、軽い気がしてなりません。
川原の灼けた石に魚を並べて、たくさん並んだな~うしし、と眺めていたひと(わたし)に、言う権利は無いかも知れんが。

管首相が、事故の後、東電本店に乗り込む直前に側近の方につぶやかれたという言葉を、読みました。
「俺は60歳を過ぎた。がんになってもいい年だ。いざとなったら俺が先頭に立って福島で陣頭指揮をとればいい」
そう、おっしゃったとか。
嘘ではない気がする。
管さんて、いい人なのね、と思います。
でも、最初から、首相として、間違っていたのね、と思います。
自分で動いてどうする、と、思い切り、思いました。
首相官邸、空っぽか。

今はそういう時代ではないですが、もしどっかの国が、今だ、日本いただき~と攻めて来たら、あっという間にやられちゃったんだな。
そんな気がします。

地デジ。
やさいさんが仰るように、
どしゃぶりの雨の中~で、は、テレビ映らないとしたら。
それ、なんじゃい、と思いますね。

ディランさん、地震お見舞いありがとうございました。
お姉さまはあの時起きていて、たまたま戻ってきていた長女と、だらだら話をしていたんです。
ん?揺れた?揺れたよね、という感じでした。
わが部屋のテレビは昨日を機に、でかい図体のたんなる黒い箱、という存在になっていて、もちろん見えない。
娘はすぐに情報を集めて、震源地は三重。奈良の宇陀で震度4、と教えてくれました。

私の家では、4、という感じではなかったです。
こういう時テレビが無いと、ちょっとは不便かな、とは感じました。
もっと大きな地震なら、もっと大きく考えたでしょう。
無理に、強いてテレビの変更を考えていrわけではないので、少ししたら、新しいの買うと思います。

でもさ。

はっきり見える、世界の趨勢はいまデジタルだ、アメリカではこうだ、余裕の出て来る電波を、携帯の方へ回せる・・・らしいけど、さ。

なんか、原子の火、を、お勧めしまくっておられた文脈と、あまりにも通う気が、してしまいます。

いっせいに、これがいい、これにしましょう、みーんなで、しましょう。

先に書いたように、あえてどうこうではない。テレビも、たまには見たい。今日の、北島康介の泳ぎだって、できたら見たかった。

から、買うと思うけど。

レコード、丸いので聴いていた頃、丁寧に扱っていた。
音楽を聴くのは楽しみだった。
流しっぱなしでは聴かなかった。
がが、とか傷の音も、あって。

だいたい、携帯、みんな、使いすぎ。
携帯中毒。まともに顔あげて電車に乗ったり友達とマック食べたりしている子、ほんとに少ない。

そっちに電波、まわすためって、うーん、むむむ、と思う私は、昭和の遺物ですかしら。

えまさん。
画面のいろ、いいでしょ。
いつも、やさしい気持ちで私のことを感じてくださってありがとう!

















国が命ずる

私の部屋のテレビは地デジ対応とやらしていなかったのです。

今日正午に番組が見られなくなると、五月蝿く煩く言っておられて、じゃあ、その瞬間を見てみたいものだと(ヤジ馬だ~)。
お昼ごはんを早めに頂き、心の中でカウントダウン(ヒマや~)。

昔なつかし、テレビ画面の砂嵐を見られる、と思いきや、またまた、地デジナンとかセンターに電話しろ云々、煩い、けど、音を消して、砂嵐を待っております。
松野、いや、待つのには慣れていますからな~。

テレビが私に与えてくれた大きなもの。
長い間。本当にありがとう。

話変わって。

たとえばタイランドのチャイニーズの店などで食事をすると、巨大なテーブルを囲んで、二十人もいようか、もしかしてもっといるかも、の大人数のファミリーが、賑やかに食べ、喋り、しているのを見かけます。
赤ちゃんから、九十歳を越えているようなご老人まで、老若男女とりどり、その九十歳越えと見えるお方が最長老のようで、ひ孫を抱きながら演説している、誰かを叱ったりしている。
腕にも指にも、ハンパでない重さであろう金の時計、指輪、が特徴。
タイは王国でありますが、国を牛耳っているのは軍。タイの王家、王族は、単に「王」として崇拝されているだけでなく、一大財閥を形成している。清貧、などという思想は、まこと日本だけのものであるなあと、何度も私は感じました、これまで。

東南アジアのどこも、強いのは軍です。
軍に対して力を持てなければ何も出来ないので、華僑たちは、当然、軍の、あれやこれやの人々と関係を持つ。
タイでお金を持っているのは中国系のタイ人です。社会の上部のほとんどは華僑です。
華僑の人々は、自分のファミリーと金、しか、信じない。
国家も、現在流通している貨幣も信じない。
金、ゴールドは、自分達を裏切らないと考えておられるようです。
国家も貨幣も、一夜にして転覆するものだと、身にしみておられるのでしょうか。

ユダヤの方がたもそうだったようで(今は知らない)、とにかく、宝石を身に着けていた。
アウシュビッツへ運ばれる家畜用の貨車の中から、一杯の水のために、外にいる普通の人びとに、貨車の壁の隙間から、ダイヤやルビーやの宝石を差し出した。水を得られた人もいたようだったし、指輪のついた指ごと切り取られただけの人もいたようです。

このたび、今まで見られていたテレビが見られなくなる、テレビを買い換えたり、どこかへ連絡して何かしてもらわないと見られなくなる、ということでした。
テレビジョンの受像機は、私が買った、いわば(ボロですが)私の財産です。
それが、使えなくしますとお達しが来て、実際、準備期間を経て、本当に番組をみることができなくなった。

仕方のないことですね。

テレビは、見られなくても、困ることは無い。無くてもいける。
他のことではどうだろう。

戦争を始めたのは、当時の国。
お金の価値を、一気に、問答無用に変えたのも国。

六十六年間平和が続いて、日本は今。

原発が次々に作られて言ったころ、原子力発電は、明るく無敵なイメージで飾られていたのでしたかしら。

子供の頃は、何かというと停電していました。
停電は無くなった。

日本の国が思いあがっていた時代(自分だってそうだったと思う)の、はっきり覚えていないが、CM,こんなのがありませんでしたか。
いつものうろ覚え(陳謝)。
溢れているか溢れそうな、とにかく、そのまま身を沈めたら、ざざーっとばかりムダになりそうなお湯を、洗面器で汲んで、まずそれで体を洗って流して、できるだけざざーーっとの量をを減らそうとしているオトウサン。
お父さんにかぶせて、コピーまるごとの記憶は無いが、
「もう、そんなケチくさいことしないで、ざざーっと溢れさせましょうよ、ね」
みたいな意味の、したり声のCMでした。

そういうことがあって、今、こういうことになっています。

ある日、国が、何かを言い出す。

豚は大丈夫です、ブタには胃袋が四つも無くて反芻しないから、稲わらは与えない、だから、豚は、稲ワラでは汚染していません。

鶏もそうです。

犬も猫も稲ワラは食べません。

なんか、自分が、ものすごく意地悪な人間なような気に、この頃、しきりになるのです。
ものを見る目が意地悪なのは、今に始まったことではないですが。









スケープ・ビーフ、ですと。

私も初めて知ったのです。
牛に食べさせる餌、牧草や稲わらや、もう少し精のつきそうなトウモロコシとか他にもある餌の、中の、特に稲わら。
牛を飼っているところと、米を作っているところが、物々交換して融通するとか、仕入れるものとして仕入れて食べさせているとか。色々なこと何も知らずに、ただ、焼肉もすき焼きも肉じゃがもハンバーグも、おいしいな~と食べて来ていました。
今回の、セシウムを含んだ餌をもらって食べて「セシウム牛」などと胸えぐられる呼び方をされてしまっている牛の多くは、ご近所の稲わらでなく、稲わらを売るのを仕事にしておられる所のそれを、食べていた場合が多い、と。

どこの稲わらでも、即、すべて汚染されているのではないよ、と、いう意味に捉えて欲しいのでしょうか。情報を流す側は。

稲のわらを食べさせるのは、肉に「さし」を入れるため。日本人の好きな霜降り肉にするためと、それもこの度知りました。
わが家は、霜降り肉を日常的に食べている家ではない、普段は、高級な牛には無縁です。

奈良で、話題の肉が売られていたという店名が、新聞に明らかになっていたので、行って来ました。
売り場をうろうろしている店の係の方(多分)の肩に、強い力が入っている感じがして、こちらの気も重く、でも、買いたいと思っていたカレー用の肉を、買いました。きれいな色の肉です。
売り上げは、想像するのも気の毒かもしれません。
かつて販売したことがある、として、名前の出た店です。私は圧力鍋の信者なので、オージービーフでカレーを作ることもある、実際に、近所の激安ショップでは、肉の売り場に何の変調も無い。よく見ると、オージービーフとアメリカンビーフのオンパレードです。でした。昨日、ね。とっても堂々とした感じでした。

降って湧いた災難。
そんな言葉が浮かびます。
今日行ったスーパーだけではもちろん無い、今、災いを受けている総ての方が、そうと思う。
原発の事故があって。
いろんなことが、大きく変わってしまって。
今日行ったスーパーの精肉部の方、うかつにものも言えない感じに見えました。

事故があって、放射性物質が大量に放出されて。

農産物も動物達も、浴びた、沢山浴びた。
現実に浴びているものを、疑問視する、警告を発する人々を「風評被害」という言葉でもって排除しようとした。あおるなと言った。
風評ではない、現実なのに、手を打たないで、放っておいて、大丈夫といい続けた。

そして。

牛を、すべて買い取ると言う。
買い取って、燃やすんだと。
どこで燃やして、燃やした灰をどうするんだろう。

わたしには、難しいことはわかりません。
人間が、手をかけ時間をかけて育てる牛。
むかし「ドナドナ」という歌がありました。

  ある晴れた昼下がり市場へ続く道
  
と始まって、ドナドナドナ、ドーナ、と、ジョーン・バエズでしたか、透明な声で歌っていた。市場へ売られて行く牛を、かわいそうにと見送る歌でした。
私は、牛肉を食べる人であるので、可哀想に、とは歌えない。ありがとう、と思って、食べて来ました、あえて言えば。
美味しく感じ、残さぬように。肉を食べるのに、私には、これ以外の感傷は無い(ことにしておきたい)。

売れるまでに大きくした牛を、汚染されていると言われ、大丈夫です、普通に出しておられた値段で買い取ります。
そう言われると、どんなお気持ちなのでしょう。
畜産は、生計を支える仕事なので、そういう経済的な意味では安心かも知れない。
でも、大きくした牛を、誰かのお腹に届ける、でなく、汚染されたものとして処理、処分する、として燃やす、焼く、ということ。

それ、どうでしょう。
私は、甘いかも知れないが、あまりにも、あまりにも、罪深いことのように感じられます。
美味しい肉を食べてもらいたいと(もちろん美味しい肉は利益ももたらすだろうが)、丹念に育てた牛が、肉が、処理されてしまう。
ものすごく業の深いことのような気がします。

牛だけで済むのだろうか。
問題が出て来たら、こうして、目の前からとりあえず消す方向で、ものごとを行って行くのだろうか。

牛は消えてもセシウムは残ります。
灰だのなんだののことを考えると、自分のアタマではパンクしそうになる、今はとにかく、生きて育ってきたものに対して、本来の役目を全う出来ず処分されるということに対して、理由も理屈もない、ごめんね、の気持ち。

私は人間で、ずっと、便利であることにさして疑問も持たず暮らして来て。

買い取られて処分されるという牛さんたちに、とにかく、ごめんね、という気が、してしまうんです。
大甘の、甘甘かな・・・。








友よ!

友よ~~
夜明け前の 闇の中で~~
友よ~~
戦いの炎を燃やせ~~

夜明けは近い 夜明けは近い

友よ 
この闇の向こうには

友よ
輝く明日があ~~る~~~

友よ
君の涙 君の汗が

友よ~~
報われる その日がくる

友よ 
この闇の向こうには

友よ
輝く明日があ~~る~~~

友よ~~
昇りくる朝日の中で~~

友よ~
喜びを分かち合おう

友よ 
この闇の向こうには

友よ
輝く明日があ~~る~~~

           

やさいさんありがとう、今夜も岡林信康がらみのようです(爆)。

今日、YOUTUBEで、この「友よ」を聴いていて。
すごい歌やな~と、感じました。昔より素直に。

夜明けは近い。
シンプルで、すごい力を持った言葉です。

私、今、何を見ても聞いても、放射能(と簡単に呼びます)のことがアタマから離れなくて、ううう、どうするんだよ~~、どうしてくれるんだよ~~、なんて、呪文ぶつぶつばあちゃんと化しており、いかんな~、と、水に濡れた後の犬みたいに頭、ぶるぶるしてみる。

この「友よ」を、歌っていたあの頃の人の心の中には、明確な自分に足りないもの、のイメージがあったと思うのです。
解りやすい「足りないもの」の姿があった。

まだ、あれば嬉しいものが沢山あった。
もう一本ジーパンがあれば、もう一足靴があれば、デートの時にもう少し気前よくできれば。
もう少し給料があれば。親にプレゼントできる、風呂のあるアパートに入れる、そんな、ささやかで切実で、実際、がんばって手に入れて行った人は多い、そういったものたち・・・。
そちらへ向かって行けるのは喜びだった希望であった、なかなか大変だから、皆で、歌った、友よ、と。

岡林が、学園祭のステージがちゃちだと、帰ってしまったとお聞きして、まさか、でなく、らしいな、と、感じるのですが(肯定しているのではありません、あくまで、らしいな、です)、あのお人は、ギター一本で出て来て、あっという間に「フォークの神様」「教祖様」になってしまって、自由が利かなくなってて、多分、待っていたはずの学生さんたちを放り出して消えちゃったのは、農業をやりたい(出た!)と隠遁する、前くらいのことだと思う。

マジメなおまわりさんをからかったり、プロの、売れてる作詞家を愚弄したりする歌がけっこうあって、おもしろがって歌っている者もいたが、ちょっと、どっちへ行くのかしら、という感じの時もありました。

・・・なんてことは、ま、いいのです。

ええと、書きたかったことは。

YOUTUBE、あの時代の歌がこんなに聴けるなんて「昭和は遠くなりにけり」不思議な感じです。

「私たちの望むものは」も、今日、改めて見て(聴いて)みました。

yuutaさん。

宮古の人は、とても元気で、と、聞かせてくださってありがとうございます。

そうだよね~。生きて、生きて、生きていなければね~。

特別、岡林氏に、ここまでこだわるつもりも無かったが、作品の中に、今には無いいいものも、確かにある。

この歌の、このフレーズは、気持ちにぴったり来ます。

アイウォンチューなんとか、なんて、言葉の亡霊みたいな歌でない、生きてる言葉がありました。

「私たちの望むものは」の、一部です。

  いまある~不幸せに~とどまっては~ならない~
  まだ見ぬ~幸せに~
  いま~飛び立つ~のだ~









ふう。

こんばんは~。
二日ぶりです(大げさ?)。

海江田万里さんって、名前だけ、字面のみですと、ちょっとすてきです。
ご本人がステキでないとは、言ってませんよ。
手のひらに書かれた「忍」の文字を見て、大変だな~タフだな~厚顔だな~と。

まったくそんなこと意識してませんでしたが、先日ちら、と書いた岡林信康氏、明日お誕生日で、六十五歳になられる由。ほおお。

お家が教会で、同志社の神学部中退で、フォークの神様、なんて呼ばれてしまった人で、売れてない頃の「はっぴいえんど(坂本龍一キョウジュや、細野氏や)」をバックバンドに従えていた人で、美空ひばりさんと意気投合した人で、吉田日出子さんと「けっこん」していたこともある人。
・・・のようですが、私には「愛するひとへ」を歌ったひとであるな。
いい歌でした。

  知らないうちに
  僕は君を
  思いのままにしようとしていたんだね
  僕が人から
  されたくないことを
  僕は君にしようとしていたんだね

こんな歌詞でしたか。
もうね、ダメですよ、私に、こーゆーことを語らせると。
キリが無いですよ~。
他に「私たちの望むものは」「ラブ・ジェネレーション」「自由への長い旅」などが好きです。私は。
いわゆる放送禁止になったといわれる(実は自主規制)「手紙」「チューリップのアップリケ」などメッセージ性の強い歌(それが、あの「時代」、だったのですが)より、自分勝手な男が「ごめんね」って言ってるような、正直な歌が好きでした・・・・・・・・・・・・なんて調子にのっとるが、わたし、もしかして、単独暴走列車か???。

実物を、至近距離から拝見したこともあります、細くて痩せていて蒼白で、長髪で髭で、いささか垂れ目で、破滅型のオトコに魅かれて行くタイプのおんなのひとには、もう堪りません、な感じはありましたね。
けっこう明るい人だったらしいですが。
って、なんでダラダラ書いているかと言うと、当時。。だったおのこが、岡林のファンで、夢中で教えてくれたからですね。多分。

ぶっちぎれて別れて、ダメになると立ち直りの早いたちで、すっかり忘れていましたが、なぜか思い出したのですね。
ずっと、振られたばかりだったワタシ、と思い込んでいましたが、違うかも。
私が、きっと、ひどかったのね。
気が強くて。待てなくて。
いつもいつも。

そんな気がする、秋の夜です・・・間違い、夏の夜です。
蒸し暑うございます。
ふう。


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・・・・・


三好達治『乳母車』

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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