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KUONの久遠

Author:KUONの久遠
・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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・・・・・

やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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中央の写真。白いコートを着て、静養先の駅頭で、出迎えの・・・内親王に向かって

「愛子ちゃ~~ん」「かわい~~~い」「待ってました~」

などと声をかける(信じがたい)方々に、手を振る愛子さん。

誕生日の日の(実際は11月20日頃)猫を膝に乗せている写真。

今年お正月、両親にはさまれて皇居へ入る(という設定だった)愛子さん。

これらが掲載されていたとのことです。

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フランスの雑誌。表紙には、英王室のヘンリー王子の顔と名前もみられます。

どの「愛子さん」が、東宮家の内親王さんか。

ただ、ここでは、この三人の愛子さんが愛子内親王として紹介されています。それは事実。

この写真をお借りすることを快諾して下さったのは、ずっと、KUONのへたれブログの読者でいて下さる方。

>書かれていることは日本のとほぼ同じ。 

>曰く、女帝になるかもしれないし将来が不安定でうんたらなんたら。

・・・と書いておられます。そして、

 いやいや、愛子さん、あなたは将来民間に下るのですよ。 何の心配もありません。

それにしてもこんなに病的に痩せてしまっている娘の横でニタニタお手ふりしている親ってどうなんですかね.。


とも。

思うことは同じやわ。その通りですよね。(〇子さん、ありがとうございました)。


・・・コトが明るみに出たら、かの国では、どんな風に書かれるのかしら。

恥をかいてもいい、日本の評判(の一部)が、どかーんと墜落してもいい、どのみち、メディアがあちら側にくっついてしまっていて、本当のことを伝えていないこの国より、他の国の方でシビアに知られていることは多いはず。

たとえシンプルに好奇心によってでも。


いっとき、皇室(の一部)が泥にまみれようと醜聞が噴出しようと。

びくともしない、日本人の根っこがある。

と、信じます。

・・・とか言うと、政治も経済もひっくり返るよ、世間知らずだなあ、と、言われるのかも。そうなんですか?

今のままがいいと?

今は、おかしい。どんどん、おかしい。

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皇統は、りっぱに繋がります。



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葉山での二人。

前日に発熱していた夫君。

微熱のため、午前中の宮中祭祀「孝明天皇例祭」は欠席して、予定通りの御用邸行きは決行された。

と。今日の夕方もまだ、テレビ画面の下、文字が横に流れていました。

葉山でそばに寄って来られた方々に、なにか言い訳めいたことを仰せになっていた、とも。

教えて下さる方がいらして。

君子は言い訳はせぬもの、ですぞ。君子でなければ、それはまあ、ね。

天皇の代わりに「代拝」されたのは、掌典次長、という役職の方なのだそうで。以下、BBさんのブログに教えていただきました。

*掌典次長は、日本の皇室における掌典職のひとつ。勅任官とされ、掌典長をたすけ、掌典長に事故があるときはその職務を代理する役割を担う。

掌典長に何か事故があったんですか?

聞きませんが?

何か全てがいい加減になってないでしょうか。

そもそも掌典長が、なんで祭祀が出来るのでしょうね。外務省から来た
お役人ですよ? 外務省系統って小和田恒系統ではないんですか?

>皇室の祭祀をつかさどる掌典職の手塚英臣掌典長(79)が退任し、後任に楠本祐一掌典次長(66)を充てる人事が3日、発令された。

>楠本氏は外務省国連局科学課長を経て、元年7月から侍従、24年9月から掌典次長を務めている。

ほら、国連・・・・臭うでしょ。・・・・って、なんでこんな男が祭祀が出来るかっての! つい4年前まで、単なる高級役人だった人ですよ?
しかも、ロシアスクールの出。小和田臭。


(ここに写真があります。勝手ながら省略。)

↑ 楠本祐一氏 霊性の「れ」の字も感じず、俗臭芬々。

第一、祭祀はこのたび 次長 にまかせてる。

掌典長が、神道におけるキャリアわずか4年間ならそこらへんの
神社の巫女のバイトと同じレベル。まして次長の代行w

祭祀、どーーーーでもよくなってるんじゃないですか?

こんな手合いが国学院で、神職を目指す学生たちに「宮中祭祀の意義」を語る、
おこがましい茶番劇。

http://www.kokugakuin.ac.jp/shinto/shin03_h27.1202_00111.html

ここまでBBさんです。ありがとうございました。

わたし、半年くらい前まで、天皇の為される「祭祀」とは、

もの凄く厳かで、ものすごく限定的なものだと、固く思い込んでいました。

一子相伝(言葉は違うかも)、文字でなく、天皇から次代へ、ひそかにみっしりと、口伝によって、とか、もう、普通でなく特別なこと、と、思い込んでいました。


エイ、ボカスカ。(自分で自分のおつむを殴ったりしている音)。

なんじゃこれは。

そーゆーもんなのか。

だからあの、うすらでもいいぼんくらでもいい、コーシツで育ったらしい、そーゆーヒトらしいココロなんてものを、それだけせめて備えておれば・・・のかすかな期待さえ。

陽だまりの芝に触れては消える春の雪、ほどの淡ささえ持ち合わせない〇○、やたらニタニタだけしやがって。

一人娘さんどうしたんだ、と、胸倉つかんで揺すぶってやりたい、最後どーんと押してやりたい、そんなんしたって絶対、コタえへんに決まっているナル平に、早く渡そうなんて、お手軽な野望を驀進邁進してしまうのか。

天皇ってつまり、あのひとたちには、他に代えがたい超・特権、そんだけでしかないのか。

・・・そんだけでしかないの?


熱が出た出たと、ニュースにまでして。八十路のジサマ、コートも着せないで海べりで。

心臓の手術をお受けになったことがあるのに。

ジャケットの下は、セーター無しのシャツです。


わたしがもう少し若くて元気な頃なら、

脳内沸騰したかも知れませんなあ。

もう沸騰もしない。

逆に、醒めて冷めて褪めて行く気が、ちょいと、いたしますわい、なああ。

これ思ったらあかん、と、勝手に己を叱咤する。




年が明けました。静かに明けました。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

新年らしいうたを一首。

ぜんぶで20巻ある万葉集の、いちばん最後におかれている一首です。4500余首の中の、おしまいのうた。

大伴家持の、1300年か1400年くらいむかしのうたです。


   新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重(し)け吉事(よごと)

      あたらしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと
                                                     


元旦、今日降る雪のように、今年いいことが重なりますように、たくさんありますように、といううたです。

私の住むあたりには雪は降っておりません。雪は降っていませんが、いまゆったりとした心地で雪のこと、その清浄をおもっております。


今年、いいことがたくさん、ありますように。

私の知っているすべての皆さまに、この一首を。

足跡に汚されていない、まっさらな雪の原を行く思いで、捧げたいと思います。

わたしを知って下さっている、方々にも。


今年も元気でいましょうね。

どうぞよろしくお願い申し上げます。


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天皇陛下
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年頭所感を取りやめ 高齢に伴い負担軽減 

毎日新聞2016年12月26日 21時38分(最終更新 12月26日 21時38分)



 宮内庁は26日、天皇陛下が毎年元日に公表してこられた、新年にあたっての「ご感想」(年頭所感)を取りやめると発表した。83歳と高齢になった陛下の負担軽減が目的という。


 年頭所感は、前年を振り返り、人々の幸せを祈ることば。元日に公表することが1990年から公務として続いていた。だが、年末年始は祝賀行事や宮中祭祀(さいし)などで多忙になるため、この時期の公務の軽減が検討課題だった。

 陛下は例年、12月23日の誕生日にあわせて記者会見を行い、その年にあった出来事の感想などを語る。また1月2日の新年一般参賀でも、おことばを述べる。年頭所感はこれらと日程が近接し、内容が類似する。このため宮内庁は、年頭所感の取りやめは比較的影響が小さいと判断した。

 新年にあわせた天皇、皇后両陛下の歌や、天皇ご一家の写真や映像は、これまで通り元日に公表される予定。一般参賀や歌会始も例年通り行われる。

 宮内庁の西村泰彦次長は26日の定例記者会見で「ご年齢を考えた結果。ご理解をお願いしたい」と話した。【山田奈緒、高島博之】

天皇陛下の公務の削減、段階的に

 宮内庁は、天皇陛下が70歳を過ぎたころから年齢や健康状態を踏まえた負担の軽減を図ってきた。恒例だった各界功労者らとの面会や、式典でのおことばを廃止するなど、公務の削減を段階的に進めている。

 前立腺がんの手術を受けた翌年の2004年、陛下は面会5件を取りやめ、2件を皇太子ご夫妻に譲った。胃腸炎などを患った翌年の09年には国体開会式などの式典で述べる「おことば」を原則廃止した。今年も面会8件を取りやめ、4件を皇太子ご夫妻に譲っている。

 ただ陛下は「象徴としての地位と活動は一体不離」との考えがあり、退位の意向がにじむおことばを公表した後も、公務に対する考えに変わりはないという。宮内庁幹部は「公務の大幅削減は検討していない」と繰り返し述べており、今回の年頭所感の取りやめも「陛下の考えの枠内の調整」との位置づけだ。 陛下は12年の誕生日にあわせた記者会見で「負担の軽減は、公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません。今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています」と語った。翌年も「今のところしばらくはこのままで」と述べている。【山田奈緒、高島博之】



時事通信 12/26(月) 14:38配信

宮内庁の西村泰彦次長は26日の定例記者会見で、23日に83歳の誕生日を迎えられた天皇陛下の負担軽減のため、新年に当たっての感想の発表を、来年から取りやめると発表した。

 陛下は即位以降毎年、年頭に当たっての感想を宮内庁を通じて文書で発表していた。西村次長によると、年末年始は天皇誕生日や新年の祝賀など恒例の行事が多く、新年の感想以外に記者会見や一般参賀のあいさつの原稿なども準備する必要があるため、高齢の陛下には負担が大きいと判断。陛下の了解を得た上で取りやめを決めたという。

 天皇、皇后両陛下が昨年詠んだ和歌の発表や、1月2日の一般参賀など恒例の行事は例年通り行う。西村次長は「宮内庁としては陛下のご年齢に応じた公務のあり方を常に検討しており、今回もその一環」としている。 

>陛下の了解を得た上で取りやめを決めたという。

時事通信には ↑ の一行がありました。


陛下が口を封じられたか。

ミテコさんのペンが封じられたか。

宮内庁は、押し寄せる非難・批判メールや電話にアタマ抱えて、要らんこと言い(関西弁でのものの言い方。しょーもないこと言い、とも言います。黙ってやんなあきません、というヒトに向けるコトバです)の陛下を、

高齢によるナンタラ。つまり老害認定してしまおう、の「苦慮熟慮の末の判断」か。

政府が、なんとか少しくらいは、なんとかあれを、そうしてそうした、のか(日本語・遠まわし言語法)


ご高齢を配慮するなら、鑑賞、私的旅行の方面を、と、誰しも考えることでしょう。

少しくらいなら目をそらしている、静かに目立たずお遊びになれば、民の方でも「外野はうるさい」なんて、皇后に言われたくなどない。のですから「鑑賞は公務では無い!」なんて、書きません。

遊んでばっかりに見えるから。それで「疲れる」って何の冗談よ、と、なるだけのこと。

ツマがねちゃくちゃ書いたモン読まされていないで。

天皇は、

「世界の平和と国家の安泰と国民の幸せを願います」

と。それのみを、仰って下されば十分と。

今朝の思いでした。


新年の皇室ご一家の画像が楽しみです。

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こーゆーの、撮られるのも、とりやめて下せえまし。



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追記を冒頭に書かせていただきます。

天皇誕生日。今日。

戦争が負けて終わって。裁判と言うには一方的に過ぎた、東京裁判なるものがあって。

戦犯と。戦勝国の裁断を受けたご英霊がたが、この日、絞首刑に処されたのでした。

わざわざに、敗戦国の皇太子の、誕生日を期して。待って、であったのでしょうか。

12月23日。この日に。一人ずつ。

皇太子は震えあがったでしょう。英霊方のことでなく、身の不安に震えられたでしょう。

中学生でいらっしゃいました。家庭教師につけられたのは、ヴァイニング夫人。クェーカー教徒の厳格な女性でいらした。

娶らされたのは正田美智子さん。

クリスチャンの家庭に育ち、洗礼は受けていない、をはじめ、さまざまの疑惑はをり抜け、以来五十余年。

日本の皇室はガッタガタになりました。

悲しいことですが、今日、私のなかに祝意はありません。

夫人に肘をつかまれて、あちらへこちらへ慰霊という名のパフォーマンスを続けておられましょうとも。

どなたかを宮中晩さん会にお招きになり、

「先の大戦の折に貴国の・・」

と、謝り放題の言葉を紡がれようとも。

今朝のテレビが流していた、あの島で、またあの島で、政府専用機で異国へ渡り・・・大勢の撮影部隊を引き連れて・・・花を捧げ頭を垂れて「慰霊」に励む天皇夫婦の姿を。

・・・あの年の今日、絞首台に命を散らされた方々を、皇后はお呼びになられます「戦犯」と。

ただ一度の沙汰ではない。再度、その過ちを犯しておられます。

自国の英霊様方に対して、痛みも悼みも感じておられないようにしか見えない天皇を、なんで、誕生日を、お祝い出来得るか。

健やかにお迎えの八十三歳、おめでたく存じますと。

日ごろの天皇に対し、得心行っているなら、お祝い申し上げてもよろしかろうと。不遜な思いを抱えております。

夫人に対して強い態度にお出になれない陛下であるとは、みな、わかっていて。わかっていても、陛下がそれでは、鼻白んで済むということでないのが、公人でいらっしゃるお方の、何と申しますか。

しめしがつかないのという言葉は、こういう感じの際に使うのです。

三軒隣の、いつもにこにこしておられるオジサン、ではいらっしゃらないのです。


いま現在の天皇のおんありさま。

今日発表のお言葉の中にも、嘘、偽りがあります。

あのお言葉を出されたのは、内閣と相談して、或いは、承認されて、の含みをも、もたせたい思惑がおありだったのかどうか。

違います、陛下。

宮内庁さえ知らなかった。内閣が知っていたわけはなかった。知らないものを、相談も何も無いはず。

NHKが、突然、ばん、と出したのでした。

姑息です。

これで済むと、お思いなのでしょうか、今日、これを発表させたあたりは。

天皇の嘘。天皇の逃げ。

見えてしまいました。


あってはならないことが、さまざまに存在している。

あれだけ大騒ぎされた八月の「お言葉」。その、

結果は結局、いかがなものなのですか。

うまいこと行ったら、やっちゃえ。だったのか。

陛下。ものぐるおしいほどに、情けないものに、なり果てておられるのですね。

陛下を、天皇として、ゆるやかに、拝していたかったのは、過ぎた願いでしたか。

おそらく陛下は、ご自身では何も、しておられない。

企んだり何かを潰したり。

しかし、だからいい、というものではありません。

陛下は、天皇にてあらせられるのですから。



天皇陛下は八十三歳の誕生日を迎えられました。

初めに目についた記事から順次。

下の方に全文(記者会見)あります。

写真まではまだ手が届いていません。



天皇陛下:83歳 退位「親身に考えてくれ、深く感謝」

毎日新聞     2 時間前

 天皇陛下は23日、83歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち皇居・宮殿で記者会見し、8月8日に公表した退位の意向がにじむおことばに関して「内閣とも相談しながら表明」したと述べたうえで、「多くの人々が耳を傾け、親身に考えてくれていることに、深く感謝しています」と語った。陛下がおことばについて公の場で言及するのは公表後、初めて。

 陛下は会見で、おことばについて「天皇としての自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました」と述べた。


 憲法は、天皇は国政に関する権能を有しないと規定している。一方、現行制度は退位を想定しておらず、実現には法的措置が必要となる。陛下はおことばの中で憲法を尊重する姿勢を示し、制度変更を促す表現は避けた。今回の会見でも、内閣と相談したことに言及し、憲法尊重の立場を改めて示した。

 そのうえで陛下は、「多くの人々が耳を傾け、各々(おのおの)の立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています」と述べた。

 8月の陛下のおことばは、用意した原稿を読み上げる姿を収録したビデオメッセージの形で公表された。高齢になるのに伴い、象徴として取り組んできた公務を「全身全霊」で果たすことが難しくなるとの懸念を示すなど、退位の意向がにじむ内容。各メディアで報じられ、世論調査では退位に賛成する意見が高い割合を占めた。政府は安倍晋三首相の私的諮問機関として有識者会議を設置。専門家のヒアリングを経て論点整理をするなど退位の実現に向けた議論を進めている。

 会見での「深く感謝しています」との発言は、こうしたことへの思いを表したものとみられる。【高島博之、山田奈緒】

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 天皇陛下の誕生日会見 時代映し高まる関心 年齢考慮、質問減らす

毎日新聞2016年12月23日 東京朝刊

天皇陛下「生前退位」

83歳の誕生日にあわせて記者会見をされる天皇陛下=皇居・宮殿で(代表撮影)


 天皇陛下が23日、83歳の誕生日を迎えられた。1989年に即位した陛下は、ほぼ毎年、誕生日にあわせて記者会見を行っている。その年の出来事を振り返り、悲しみや喜びの思いを語ることが恒例だ。会見での陛下の言葉は、国民に寄り添い、苦楽を共にするという象徴の在り方を映し出している。


 天皇陛下の記者会見は、原則として誕生日にあわせて行われ、その内容が当日の12月23日に公表される。宮内記者会に所属する報道機関が事前に質問内容をまとめ、宮内庁を通じて陛下に伝達する。記者会見では、これに答える形で陛下が発言する。

 陛下は会見の発言を吟味し、読み上げるメモを推敲(すいこう)している。会見にはお一人で臨んでいるが、誕生日会見としては初めてだった90年は宮内記者会の要望に応え皇后さまが同席された。

 以前は25分程度が会見時間の目安だったが、2005年からは約20分に短縮された。10問近くの質問に応じたこともあったが、徐々に質問数が減らされ14年には2問、15年には1問に制限された。時間が余った時の「関連質問」も14年からなくなっている。高齢になるにつれ、回答内容を考える負担が重くなったことが理由だ。

 ただ、一つの質問の中には複数のテーマが盛り込まれ、それぞれについて陛下が答えるという形式が定着している。このため、質問数は少なくなっても、陛下はさまざまな事柄に言及している。15年の会見では、一つの質問に答える形で、豪雨などの自然災害▽日本人のノーベル賞受賞▽国産ジェット旅客機の完成▽戦後70年に際しての感想--

 70歳の節目を迎えた03年の会見では、半生を振り返り、「最も悲しい出来事」として「300万人以上の日本人の命が失われた先の大戦」を挙げた。戦後、度重なる自然災害で多くの人々が犠牲になったことにも触れ、「誠に悲しいことです」と述べた。

 誕生日会見がなかった年は、8月に即位にあたっての会見が行われた1989年のほか5回ある。「即位10年」「20年」の節目の年には別の時期に会見が行われ、誕生日では文書が公表された。おばの高松宮妃喜久子さまが亡くなって喪に服していた04年や、不整脈などで体調を崩した08年も会見は行われなかった。

 ◆子育てについて(1999年)

「恵まれた機会持てた」


 私と皇后は、子供を手元で育てるという、前の時代には考えられなかった恵まれた機会を持つことができました。(1999年、66歳)

 昭和天皇の時代までは、しきたりとして天皇と皇后が子を直接養育することはなかった。陛下は3歳のころに親元を離れられ、側近たちと過ごした。戦後に疎開先から帰京した後も東京都小金井市や渋谷区の専用の住まいで、ご両親とは離れて暮らした。

 陛下は結婚までを振り返り「私は家庭生活をしてこなかった」と述べたことがある。皇室の伝統と異なる手元での子育てを実践したのは、家族の気持ちを理解することで、国民の気持ちも理解できるとの考えがあったためだ。背景に、家族のあり方を含めた社会の変化もあった。お子さまの入学式に出席したり、ご一家での登山を楽しんだりした。

 皇后さまは94年の誕生日の文書回答で「三人の子供たちが育った日々のことは、私の大切な思い出となっています。公務のなかで子供を育てることも、人々の協力なしには出来ないことでした」とつづられている。

 ◆障害者スポーツについて(2000年)

「理解深まりうれしい」

 この度のパラリンピックに対して多くの日本の人々が深い関心を示し、障害者に対して理解を深めたことをうれしく思っています。かつて、身体障害者のスポーツは、リハビリテーションの一環として考えられていたことを考えると、この度のパラリンピックを見る人がスポーツとして見ていることに深い感慨を覚えます。(2000年、67歳) この年開かれたシドニー・パラリンピックの感想。1964年11月、皇太子だった陛下は、東京五輪の後に開かれたパラリンピック東京大会の名誉総裁を務められた。障害者スポーツへの関心が現在ほど高くなかった時代。陛下は連日のように競技を観戦し、選手らと交流した。

 感銘を受けた陛下は「このような大会を国内で毎年行うことができないか」と提案。翌65年に岐阜で第1回全国身体障害者スポーツ大会が開かれた。陛下は開会式に出席。大会は毎年開かれるようになり、開会式への参加を定例の公務とした。90年から皇太子ご夫妻に引き継いだが、車椅子バスケットボールの試合観戦など関わりを持ち続けている。

 ◆隣国との信頼について(2001年)

「正確に知ること大切」

 ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。(2001年、68歳)

 翌02年に日韓共催で開かれるサッカー・ワールドカップ(W杯)に言及した。会見で陛下は、朝鮮半島と日本の交流が日本書紀に記されているという友好の歴史に触れ、「(韓国とは)このような交流ばかりではありませんでした」と発言。戦中戦後の厳しい2国間の歴史をふまえ、隣国との信頼が深まる期待を示した。

 陛下は1994年、韓国の金泳三(キムヨンサム)大統領を招いた宮中晩さん会で「我が国が朝鮮半島の人々に多大の苦難を与えた一時期がありました」と、深い反省とともに信頼づくりに努めてきたことを振り返っている。03年、盧武鉉(ノムヒョン)大統領を招いた宮中晩さん会では友好関係に資する共催となったことへの喜びを表明した。


  ◆今年の記者会見全文

 天皇陛下の83歳の誕生日にあわせて行われた記者会見での質問と発言は次の通り。

 <質問>

 今年は五輪・パラリンピックが開催され、天皇陛下にはフィリピンや東日本大震災、熊本地震の被災地などを訪問される一方、三笠宮さまやタイのプミポン国王とのお別れもあり、8月には「象徴としての務め」についてお気持ちを表明されました。この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。

 <回答>

 今年1年を振り返ると、まず挙げられるのが、1月末、国交正常化60周年に当たり、皇后と共にフィリピンを訪問したことです。アキノ大統領の心のこもった接遇を受け、また、訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。私が昭和天皇の名代として、初めてフィリピンを訪問してから、54年近くの歳月が経(た)っていました。この前回の訪問の折には、まだ、対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが、空港に到着した私どもを、タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが、懐かしく思い出されました。

 今回の滞在中に、近年訪日したフィリピン人留学生や研修生と会う機会を持ち、また、やがて日本で看護師・介護福祉士になることを目指して、日本語研修に取り組んでいるフィリピンの人たちの様子に触れながら、この54年の間に、両国関係が大きく進展してきたことを、うれしく感じました。

 両国の今日の友好関係は、先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人、日本人の犠牲の上に、長い年月を経て築かれてきました。この度の訪問において、こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね、冥福を祈る機会を得たことは、有り難いことでした。また、戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも、私どもにとり非常に感慨深いことでした。

 今後とも両国の友好関係が更に深まることを祈っています。

 東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には、福島県、宮城県の被災地、そして9月には岩手県の被災地を訪問し、復興へ向けた努力の歩みとともに、未(いま)だ困難な状況が残されている実情を見ました。その中で岩手県大槌町では、19年前に滞在した宿に泊まりましたが、当時、はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が、地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り、自然の力の大きさ、怖さをしみじみと思いました。

 この5年間、皆が協力して復興の努力を積み重ね、多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に、今なお多くの人が困難をしのんでおり、この人々が、1日も早く日常を取り戻せるよう、国民皆が寄り添い、協力していくことが必要と感じます。

 4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で、多くの被害が出ましたが、16日未明に本震が発生し、更に大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き、人々の不安はいかばかりであったかと思います。

 5月に現地を訪れましたが、被害の大きさに胸を痛めるとともに、皆が協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に、心を打たれました。

 今年はさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い、その中で高齢者グループホームの人たちを含め、多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。

 このような災害に当たり、近年、個人や様々な団体と共に、各地の県や市町村などの自治体が、被災地への支援の手を差し伸べ、さらにそれを契機として、全国で様々な地域間の交流が行われるようになってきていることを、うれしく思っています。

 8月には、天皇としての自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け、各々(おのおの)の立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています。

 8月から9月にかけて、リオデジャネイロでオリンピックとパラリンピックが開催されました。時差があったこともあり、毎朝テレビで、日本人選手の活躍する姿が見られたことは、楽しいことでした。オリンピックと同様に、パラリンピックにも多くの人々の関心が寄せられていることをうれしく思いました。

 10月中旬にタイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり、その翌年に、昭和天皇の名代として、皇后と共にタイを訪問し、国王王妃両陛下に温かく迎えていただき、チェンマイなど、タイの地方にも御案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことを始め、親しく交流を重ねてきた日々のことが、懐かしく思い出されます。

 10月下旬には、三笠宮崇仁親王が薨去(こうきょ)になりました。今年の一般参賀の時には、手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり、そのお話を伺えたことは意義深いことでした。

 11月中旬には、私的旅行として長野県阿智村に行き、満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では、旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き、満蒙開拓に携わった人々の、厳しい経験への理解を深めることができました。

 また、その際訪れた飯田市では、昭和22年の大火で、市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興に当たり、延焼を防ぐよう区画整理をし、広い防火帯道路を造り、その道路には復興のシンボルとして、当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に、災害復興を機に、前より更に良いものを作るという、近年で言う「ビルド・バック・ベター」が既に実行されていたことを知りました。

 12月には、長年にわたるオートファジーの研究で、大隅博士がノーベル賞を受賞されました。冬のスウェーデンで、忙しい1週間を過ごされた博士が、今は十分な休養をとられ、再び自らが望まれているような、静かな研究生活に戻ることができることを願っています。

 年の瀬が近づき、この1年を振り返るとともに、来年が人々にとって良い年となるよう願っています。


 (この特集は山田奈緒、高島博之が担当しました)


>8月8日に公表した退位の意向がにじむおことばに関して「内閣とも相談しながら表明」したと述べたうえで 、「多くの人々が耳を傾け・・・・・・・.

・・・え? そうでしたっけ?   

今はひとつだけ「?」。


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悠仁さまを和舟にお乗せになって、お手ずからお漕ぎになられた日の陛下。

悠仁親王殿下は、男系男子でつながる皇室に於いて。

ただしく日嗣の皇子でいらっしゃいます。

なにごとに依らず蔭なるお子さまのごときあしらい、お扱い。


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そして陛下。

愛子内親王の、この。

小学生の御身にくわえられた、この無惨。

むろんこれのみにはとどまりません。継続しておられます。



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