KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

欲が出て来てしまいました。

今朝は霜がおりていました。

毎月半ばに「みんなのうた」として皆さまにうた、一緒にしましょ~、とお呼びかけをして参りました。真摯にお寄せいただけること、とても嬉しいです。

急いて先に行く必要も無し。

今まではおうたをいただいて、ただご紹介させてもらって来ましたが、読んでいるうちに欲が出て来ました。この言葉を過去形または現在形にするとこうなるが、とか。

内容はとてもわかる、とてもお上手、いけなくはない、が、余分な言葉を(失礼)のぞいて定型に近づけると、うたがもっと締まるのではないか、とか。エラソーに申しますと。

感じたことを少し、今月のおうたに、付け加えちゃって、いいですかぁ~~~~。明日。おいやなら強いてはいたしません。意思表示は、ことがことではあり、ヒミツのコメントで下さっても、と、考えます。

少しだけ沢山教えてもらって来たというだけの立場です、専門的な系統だった勉強は、学校ではしておりません、このことは、先に申告させてもらっておきますね。


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もっとコワいことも。

気温5度、という朝があったりして、奈良公園の紅葉も色の鮮やかさを一気に増したようです

10数年前に私の舅は会社を倒産させてしまいました。それ以前から夫が必死になってももうどうにもならず、ジワジワと大変だったのですが猛烈な大変さになり、何もかも失いました。が、わたしは、お金のことでエラい目にも遭い酷い扱いも受けましたけど、実は結果的には気は楽になったのでした。いろんなお付き合いが無くなった。しなくてよくなった。実際は、出来なくなったということだったのですが。私たち自身にはまだ、もう一度立ち上がる力は、何とか残っておりましたし。

それでも切れない「お付き合い」はいくらかはあり、3日にはその、行きたくないが年に一度は寡黙なヒトとなって参加する、主に女性たちの集いに、行って来たのでした。姑の代行で。

昼餉の会でした。和食です。座敷に敷物を敷いて(秋色の絨毯でした)、椅子に掛けられる形での会食、助かりました。わたしは静かにあれこれを少しずつ、口に運んでおりました。その気になれば10分かからずに終えられる食事内容ですが、その気を出してはいけないのであります。苦手ですが仕方ありません。

今まで何度も耳にした話が、今日も蒸し返されていました。いま食事をしているこの辺り一帯は、かつては、〇大寺に勝るとも劣らない大伽藍の跡なのだと。

大きな寺があった、徐々に廃れて、今は何もかもさっぱり残ってはいない、このへんぜんぶ、お寺やったんやで。

そんな話も、そうなのですか、なるほど、へええ、と、うなずいてうつむいている私の表情は、どんなものなのでしょう。としより狸か。今日の第一目標は、要らんこと言わない、しない、波風立てない、それでした。

奈良の歴史は古い、私なんぞの知らない話は山ほどある、いや、知らない話の方が、圧倒的に多いのです。

退屈ではありますが、この会合で教わったことは、過去、たくさんありました。

昔は、貧しい親は、男の子を稲のほんの小さなひとたばで売ったとか。女の子も、年齢によるが、同じような売られ方をしていた、そういう記録が残っている、とか。

口減らしに出されてどこより酷い扱いを受けたのは、お寺だったとか。有名な寺院でも、過酷な下働きをさせ、食べ物もろくに与えずに土間のようなところへ、寝具どころか敷き藁さえ無いまま寝させていたとか。それも資料にあるなど。

聞けばさまざまな思いも湧いて調べたりもし、耳学問とはこんなことか。

今日、アレマ、と聞いていた話は、以下のごとし。

隆盛を誇った寺も、何かの都合や理由で、力を失ってゆくことがある。そんな時は、食い詰めた者や、食い詰め者相手に小さな商いをして糊口をしのぐ者など、いろんな意味で(いろんな意味で)一般の社会からはぐれた人々が、寺の境内に入り込み、掘っ立て小屋を建てて住みつき、ただでさえ勢いを失いつつあった寺の側は、それをどうすることもできず(食べ物を分け与えられたりすれば)、どんどん浸食されて行った。

ということが、あったのだと。

力のあるうちにはお寺は、そういう人々の救済の場でもあったのでしたが。


・・・わたしのブログを、皇室関連のブログとして楽しみに読んでいましたのに、と、残念がって下さるコメントを、幾つかいただいています。

申し訳ないのですがお返事させてもらわないまま、ヒミツのコメントはヒミツのまま、読ませてもらうにとどめていました。

眞子内親王の婚約のことなども、もっと突っ込んで書いて欲しい、なぜ沈黙されているのか、とも、書いて下さっていました。

眞子さまは大変なことをなさったと、今も考えています。確信しています。とても胸が重いです。

突っ込んで書いて行くと、とても重い話になるので、たぶん、今後も書かないと思います。書きようが無いのです。書けば、「絶体に許されないこと」なのだという差別につながる話にしかならない。それでも、と書いても、どこにも救いは無いと、私は考えています。

奥歯にもののはさまりまくったことを書いています。わかっています。今日、かつての大伽藍が今は失せ果てた話を書いたのは、ものすごく遠回りした気分で、どう思いを巡らしても、この婚約(内定? 予定?)は、されるべきでなかったとしか、その思いしかありません。

父親が無いとか職業が定まらないとか、顔がでか過ぎるとか女の扱いがうまいだけのチャラ男だとか口だけ男だとか。そんなどころの話では無い。

ごきょうだいにも及ぶ話(こうしか書けません)なのを、わかっておられるのか。単なる「ごきょうだい」ではありません。ご存じないのは仕方ないのかもしれませんが・・そうは思えない、無責任だと考えています、今度のことは・・・世間の普通のひとびとの中にある、確固とした思いよう。それを、簡単に、民の雑音だとしか捉えないで進んで行かれるなら・・・恐ろしい事なのに、と、考えています。

こんな風に書いている自体が「さべつ」になるのかどうか。お寺の境内に住んで一間の家で足に履くものを作っていたやら商っていたやら、というのが、あのK氏の母親の里のことだとも、大きな声では出ていないが、黙っていて済ませられることなのか。本人同士が決めた事なら、などと、仰っておられましたが。女性宮家などとんでもない話、と考えている私は、眞子さまは、降嫁されて、どんな風に生きて行かれるのだろう。と。つい。考えてしまいます。

世間の冷たい目など、想像もつかないでいらっしゃるでしょうに。

あんたがそんなこと悩まなくても、なんとかうまいことやって行かはるんだよ、あの人たちは。夫はそう言いますが、もっとコワいことも、口にしています。

気分のいい話ではありませんので、こういう記事は、なかなか書かないと思います。勝手なようですが、わたしの思いですので、ヒミツのコメントを下さった何人かの皆さまへのお返事にも代えさせて下さいね。






きょう半夏生

なにゆえかこころ急いて、身のまわりの整理をしています。あまりにも散らかり過ぎていることに気付いただけなのですが。すごいよ~。

7月8日にはおそらく、どちらにしても自分の今までの気持ちの方向が決まり直すように思われます、今よりもっと好きなようにやるだろうと思っています、それもあって、その準備もしておきたいのだと思います(ひとごと(笑))。

紙くずの山を築きつつの整理整頓、メモも資料も捨ててしまおうとバッサバッサとやっている、高校生の頃の日記帳なんぞもブチ捨てています、なのに。

これ、ちょっと一度、書いておいてから処分しようかと。

未練の風が吹きました。

昭和42年、17歳の私の「遺書」です。

ホンマの遺書ではない。

こういうこと、書きたかったんだよな~、と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小鳥の声に目覚めて

冷たい 泡だった牛乳をのむ

白いシャツに着替えて

庭の草むしり

サンダルの下で  土が  踏みにじられた匂いをはなつ


ゆうびん屋さんがきて

みずいろのふうとうを渡してくれる

角ぶうとうに

青い 太い インクの文字


夕食は  オムレツとサラダ

厚いガラスの器のなかで

トマトの赤がきらきらしてる

スタンドの下

お気に入りのペンで

あなたに  お返事を書く


遠いところで鳴っていた  テレビの音が止むころ

のりで  ごわごわしてるシーツに

ひとり  くるまって眠る


こんな夏の日が

これから先

いちにちだけでも約束されているなら

わたし

その日まで

いっしょうけんめい  生きてゆくのに


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この頃のわたしのたからものは、太字のパーカーの万年筆でした。インクもパーカーのブルーブラックを使っていました。

いきがってナマイキな女の子だったな。


今日、半夏生。

タコめし炊きます。



飛天

きのう6月16日(金)は香淳皇后さまが平成12年6月16日に亡くなられた日でした。

霊祭の儀が皇居皇霊殿で行われ、眞子さまがご参列、他には高円宮久子さま、承子さま、絢子さまが参列されました。常陸宮家、三笠宮家は参列せず。

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同日、同時に秋篠宮両殿下は八王子武蔵野東陵をご参拝。

皇太子はいま、単身でデンマークに行っています。一応カップルとして存在するのに、カップルで行動できない現状です。

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かの地でのナルさん。

まさこさんは何もかも欠席です。相撲見物に出て来て以来、どこにも現れていません。



以下 の二人は、その16日、二時間のテニスをお楽しみでした。

夫君の方は、公務にはノージャケットでも、思い出の地でのテニスには、上着をお召し。

暑いやろうに。

夫人の方は、八十歳過ぎてテニス2時間の体力気力。




奈良県の知事が、退位後は奈良に離宮をつくってごゆっくり・・・とか、意味不明のことを口走っておられましたが。

まこと意味不明。来ないでいtだきたい。道路の渋滞もひどいので、来ないで欲しいのが、奈良県民の一、KUONの断固たる拒否の気持ちです。

あそび倒すつもりですかしら。

不動産売買は、最後の契約のハンコを実際につくまでは、安心できないといいます、や~めた、となれば、それで、パー。

あの夫人も、いまどんな気持ちかどうか、ほんとにその時が来なければ一転、奈落かもしれませんね。

天皇と皇后は、皇族の霊祭には参加しないとはいえ。

昭和天皇の皇后様の命日に、テニスはせんやろ、ふつーは。

フツーでないヒトですし、その日だからこそ、今ではいちばんの権力者であるワタクシは、遊んであげるのよ、ざまー、ごらんあそばせ、の気持ちなのかしらん。

おそろしいこと。もう、何もこわいものはない? いや。そこからですよきっと。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

15日に西ノ京の薬師寺に行啓なさった秋篠宮殿下と妃殿下。

仰々しい警備も無く、ひとびとの背後からそっと、法話をお聞きになられて。

来合わせた修学旅行のお子さんたちと、にこやかにお話して下さいました。

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秋篠宮ご夫妻は、奈良市の薬師寺を訪れ、先月完成した「食堂」と呼ばれる建物などを参拝されました。
薬師寺の「食堂」は、奈良時代に、僧侶の食事や仏教儀礼に使われた建物で、中世の戦火などで失われていましたが、当時の伽藍を復興させようと、およそ500年ぶりに先月、再建されました。
15日午後、薬師寺を訪れた秋篠宮さまと紀子さまは、村上太胤管主らの案内で「食堂」を参拝されました。
「食堂」の中には、日本画家の田渕俊夫さんが描いた6メートル四方の「阿弥陀三尊浄土図」が本尊として据えられ、周囲の壁にも仏教伝来などをテーマにした壁画が描かれています。
秋篠宮さまと紀子さまは、「食堂」の完成を祝う落慶法要の写真を見たり、説明を受けたりしながら、仏画をじっくりとご覧になっていました。
秋篠宮ご夫妻は、およそ110年ぶりとなる解体修理が進められている東塔の現場なども視察されたということで、村上管主は、「薬師寺の姿を通して日本の歴史や文化の礎を体感していただくことができたと心から喜んでいます」とコメントしています。


天平2年(730)に建立されたと伝えられる国宝の薬師寺東塔は、約110年ぶりの解体修理が平成21年から進められているのです。解体修理では、瓦、木部、基壇などを全て解体し、地下の発掘調査を実施した後に、傷んだ部分の修繕を行いながら再び組み上げ、平成31年の春に修理が完了する予定。

いまは「覆屋」に覆われて、いっさい見ることのできない東塔。

そのてっぺん、水煙、と呼ばれる部分には、飛天のお姿があるのです。

飛天。飛ぶ、天女。

平成31年の春に修理は完成の予定。となれば、私はもう、薬師寺の水煙の飛天を拝することはできません。んにゃ、まだガッツリ、生きているかなぁ、わかりませんねそれは。

拝せなくなる前に、見せてもらいに行った、行っておいてよかった、と、今も思っています。


凍れる音楽、と、フェノロサの形容した、東塔の水煙。飛天。

でも。

薬師寺での紀子さまの微笑は天女のようだな、と、思います。


気になる写真

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何年か前に見た時も、不思議な感じを受けた一枚でした。

手作りのお弁当って、箱に入っているのがそれなのか。中身がおむすびという感じはしなくて、サンドイッチなのか。

八月の真ん中にサンドイッチ作って外へ出て、ここ、軽井沢? 何か暗い感じ、峰の茶屋さんとはどんなところなのか庶民KUON、存じませんが、写真に見えるモノとキャプションが結び付きにくく、、よく判らないですね~が感想。

白い夏のバッグが、じかに地面に置かれていて、あまりそういうことは気にされないのか、とか。このバッグをまた、膝に置いたりするのでしょうに。

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湿った砂の上にべったり、じか座りしてしまうオモニですもの、こんなもんか。

さーやさまとお子ちゃんと犬は可愛い。


 このたび、あの掲示板で見せてもらっていただいて来た写真なのですが、

小指立てて(笑)何か注いでおられるが、この流した足、この脚では液体を注ぎにくいのでは、と書かれてあって、そうよね~と納得しました。

こういう足のポーズはこの方、定番ですね。ボトル(?)持つにも小指立てて。げらげら。

今上さんは写真いっぱい見ているとわかる、ほんまに「お公家さん」、ひとが想像する、ある典型のひとなんですね。違う方面に想像するお公家さんにはまた、素敵なイメージだってかぶさるのですが。

ヌボーっとしていらっしゃる。自分のツマばっかり見ていて。ツマは、見られているご自分を、しっかり意識中。

夫婦は自分たちの世界を作っていて(これも定型(笑))、子どもさんは、その夫婦・フレームからちょいとはみ出した感じで、ボーっとしたはる。この頃のナルちゃんさん、けっこう可愛かった記憶があります。


そんなことより。

美智子さん、この三か月少し後に、第二子をお産みになったのでした。

礼宮さまおお誕生日は、11月30日。

手作りのお弁当とやらに隠れていて、お腹のあたりは見えない写真。

でも。一般的にはもう、腹帯している時期です。

いまはいろんなコンパクトな便利な製品もありますが、50年以上前ですと、晒の白い腹帯巻いていたのではないかな~。

奈良の帯解寺。美智子さんもそこの腹帯授かったと、今も明記してあります。夏だから腹帯無しってことは、ないっしょ。

夏こそお腹を冷やしてはいけないと、周囲の皆さまがうるさく仰ったのではないかと拝察。

ヒールのある靴もはいたらあかん、だったと、これも拝察。

美智子さんはその前に、胞状奇胎による流産を経験しておられる。浩宮の後。

ぶどう子になってしまったのは、美智子さんのせいではない、これは本当。でも、ものすっごく言われたんでした、あの時、殿下のお子を流すようなことを仕出かして、などと。

ずっと、皇室の別荘に引き込もって傷心を癒された、と、伝わっています。

そこから出て来た時には、オリジナルの美智子さんではなかった、という話も、色濃く伝承されています。

その後の、おそらく待望の懐妊。よほど慎重になり、大切にお腹を守られたのでは、と、想像されます。

でも、

この写真、ごくフツー。ワンピース着てハイヒールはいて、妊娠中によくある「浮腫み」なんぞ、何のことやらとばかり、すっきりした美智子さん。

・・・やはり今見ても、不思議な一枚です。



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としどしに わがかなしみは ふかくして 

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やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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