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  1. ゆれ・ふら・とーく
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あのビール

いろんな方といろんなところで、主に昼食を共にしている。仕事の延長のこともあり、私的なお付き合いの場合もある。

さいきん行ってよかったのは、神戸の居留地のオリエンタルホテルと、最寄りの駅の近くの居酒屋のランチ・タイムだった。

オリエンタルホテルには予約なしで行って、メイン・ダイニングは無理だが、予約フリーの方なら、と受けてくれて、実際、狭かったが、友人と二人、席に就けた。この友人はものすごい方向音痴で、私は、自分よりすごい方向音痴が存在するなどと、、何度会っても理解できず。その日は、スマホで探しておいてくれたグリルに、なんとか二人たどり着いたものの、あまりに思うところと「違う」ということで、中へ入らず逃げたのだった。予約はまだだったので、ご迷惑はかけておりません、念のため。

友人いわく、その店は口コミというものが「よかった」そうなのだが、友人、尚いわく、自分で書いている口コミもあるのよ、と。へえ、知りませんでした。ブログにもそれは、当てはまるらしい。ふええ。

そのオリエンタル・ホテルは、日本最古のホテル、なのだそうだ。もう一つの方は港のそばにあり、長女がそこで、結婚時のすてきな写真を撮っていた。正確には、撮ってもらった。

タイのオリエンタルは、世界一の、との評価なそうで(今もそうなのか?)随分むかしに、品数豊富のランチを何度か食べた。白人のウェイターが、とても丁寧な態度だった。待たせていた現地人の運転手のことは、目に入らない態度だった。ヒトと思っていないのね。私は日本生まれ、日本育ちのふつうの日本人なので、だからなのか、あちらでは普通のそういうことが、身に添わない。あまりにも落差のある態度の前では、居心地が悪いのです。ついに馴染めないうちに、東南アジアの国々へ旅する日々は、終わってしまった。

この友人とは、ずいぶん以前から神戸のお洒落なホテルやレストランあちこち、フラフラと歴訪して来た仲。お互いここのホテルは初めて。道路からの眺めさすが重厚、一歩足を踏み入れれば好みのほの暗さで、スタッフのどの一人も躾がいい感じ(わたしに躾のことなど言えない自覚はあるので、さらりと書いておく)、ごく普通のランチのメニューの一つを頼んだ。

ふかふかのパンが最初に出て来て、溶かしバターたっぷり、私は、日ごろ控えているが、美味しいバターが大好き、嬉しくてムフフと、いただきました。前菜ちょっぴりでも綺麗、サラダの生ハムが美味しかった。パスタは二種類とって、分け分けしていただいた。たぶん私の方が沢山、食べた。

デザート、コーヒーと出て、二千円に満たないお支払。どこで食べようか、迷った時には、ホテルはいいと改めて思った。

水をサーブされるグラスが、濃紺の足付きのもので。このデザインは、舅が誘われて乗ったタイの合弁企業・・いっときは800人ほどの人が吹きガラスで大量のガラス製品をつくっていた頃の、もの。・・と、酷似している。よく見かけはする。あちらの経営陣は華僑で、もの知らずのお人よしの日本人などうまいことやられてしまった(こちら側からの印象です)、あの頃の。夫がずっと、タイに張り付いて技術提供していた頃の・・・今は知らない、おそらく今は、ベトナムあたりで作っているか・・100円ショップで同じようなものが売られるようになって、いろんな齟齬があらわれて、なんとか出資金引き揚げて撤退したのだった・・・などと、思いを投げてしまう、グラスなのであった。違うかもしれない。ここでこれを言うのは筋違いだが、大きな時代の渦がそうさせたのでもあっただろうが、本物のガラス吹き職人さんの生きる場所が、どんどん、無くなっていった時代を、見た。

二階建ての倉庫いっぱいに溢れていた、素晴らしい吹きガラス製品の山を、埃まみれになって探させてくれたUのおっちゃん。もう今は、亡くなっているのだろうな。

話がどんどん流れてとめどの無い、KUONのへたれブログ。

海鮮丼、味噌汁付きで580円。上海鮮丼が980円。生きのいいネタが山盛り。美味しいもの大好きで、よく知っている食いしん坊の若い友人と一緒に行って、「ワタシここへ通いますわ!」と言わしめた、身近にある居酒屋の昼営業のごっそう。

なにせお刺身が絶品、あんどチープ。絶対イケる、喜んでくれはる、と、お誘いしたのが大外れ、その人は、ゆっくりとお酒を飲みたい方向のお方。ザワザワの居酒屋はお気に召さなんだ、なんてことも、ありまして。

私は下戸。酒のことはわからん、どっちでもいい人種なのだ、と、改めて思ったり。

なんだかわけがわからない記事になった感じ。でも、飲めるといいだろうな、楽しいだろうな、と、感じることもあります。

熊本へ人を訪ねていった時、円卓を囲んで食べた時に、グラス半分ほどもらって、のんでみたビール。エビスの、黒ビール、なるものだったと記憶する。小さな黒っぽい瓶だった?。

美味しかった。あれ。。探したりもしたが、再会できないでいる。本気で探せばあるのでせうか。

もう一度、あのビール、飲んでみたいなどと、思うなり。


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抱かれながら思った

母の日だそうです。

海の中には母がある。苺の中にも母がいる。母は、「毒」の中にもおりますな~


森茉莉の息子 山田亨

「「鴎外が茉莉を愛し、茉莉が父鴎外を愛したように、
僕は父山田珠樹に愛されて育ち、そして今でも父を愛している。
父が僕を可愛がった理由の一つは、僕の容貌が茉莉と似ていたためだと思う。
その反面茉莉と似ているためか、僕は継母からひどく嫌われた。
父はフランス文学者だったが、茉莉が指摘したごとく本質的には明治の男だったようだ。
自己の再婚に際し、親戚・知人の全員に
「亨の母親が森茉莉だということを絶対口にしないように」と頼んだという。
したがって僕は、母茉莉のことを父の死まで知らなかった。
父の葬式の後、「亨、僕たち二人の母親は、森鴎外の長女である森茉莉という人だ」
と兄から言われたが、突然のことで実感がわかなかった。
茉莉は当時まだ作家として世に出ていなかったので、
僕は叔母である小堀杏奴の著書や雑誌を書店で購入するようになった。
そして杏奴と文通するようになり、終戦後のある日叔母から
「亨ちゃん、御馳走するからうちにいらしゃい」という手紙をもらった。
当日玄関で叔母が「亨ちゃんには知らせなかったけれど、茉莉を呼んであるの」と言った。
部屋に入ると僕によく似た女性がいて、「亨」と言って僕を抱きしめて激しく泣いた。
母親というのは子供を抱きしめるんだなと、抱かれながら思った。
僕は継母から一度も抱かれた記憶がなかったからだ。
父に抱かれた記憶は何度もあるのに。

茉莉の死後、兄から茉莉の形見分けを任された。
僕が著作権継承者代表であったため、手元に置いて考えた。
これらの物は僕に所属する物ではなく、母のファンに所属すべき物だろうと。
そこで、鴎外の遺品すべてを文京区立鴎外記念本郷図書館に寄付した。
僕の死後は、伯父森於菟にならい茉莉のすべての遺品を、本郷図書館と
津和野の森鴎外記念館とベルリンのフンボルト大学所属鴎外記念館に寄付することにした。
そして、それぞれの担当者に僕の意思を伝えた。
最後に、母の作品を愛して下さった方々に深い感謝を捧げたい。」

この「山田亨(とおる)」氏は、森茉莉が婚家に置いて出奔したとき、まだ幼かった次男である。上記のように実母について知らされず育った。母に似ている自分を、父は愛し、継母はその故にこの少年を嫌ったという。

文中の「叔母・小堀杏奴(あんぬ)」は。茉莉の妹。鴎外の個性的な子どもたちのうち、もっとも「普通」に近いと評された。何冊か本を出している。

文中、最後に近く「伯父・森於菟(おっと・おと)とあるのは、鴎外の初めの妻との間に生まれた長男。茉莉たち三人の子の母である二度目の妻は、この子を邪険に扱った。鴎外の母親がこの子を守って育てた。この長男は突拍子もない人ではなかった、その伯父にならって山田亨は、遺品などを寄付するにいたった、ということだ。



「熊井明子が森茉莉をモデルにした短編小説、タイトルは「薔薇が香るとき」。

「今もあるかしら、団子坂に菊見煎餅の店。わたし、新婚のころ、谷中の清水町に住んでいたから、お客が来ると女中に買いにやらせたの。大正の初めごろのことよ」
物語はそんな樹里のお喋りで始まる。

この中で、息子との再会と別れについての樹里の印象深い言葉がある。
「わたしは、自分を押し通すために子どもを捨てた、親きょうだいも傷つけた。本音で生きるために。だから、これから先、何をするにしても自分を偽ることだけはすまい、とね。そういうものは、子どもと一緒に婚家に置いてきたのだから」
あるいはまた、こんな言葉。
「絶対に母性なんてもののためには生きられないエゴイスト。だったら、誤解されようが何だろうが、わたしにとって価値のある綺麗なもの、興味の持てるもの、好きなものについて書こう、と思ったの。わたしは善悪なんてどうでもいいし、道徳なんて知らないから、とても妹みたいに悟りすました顔はできない」


何ものにも捕らわれない童女のような老作家」と称えられる森茉莉の、「その」部分に迫る描写。ただし言葉そのものは、茉莉本人のものではない。この著者が描いた「森茉莉のことば」である。

である。が、が、実際これは森茉莉の「本当」の中の一部であり、他者が何を言うことでもない。

この茉莉が、成人して会うことになった次男坊を、抱いて、泣いた。それも茉莉の本当だろう。

息子は、

部屋に入ると僕によく似た女性がいて、「亨」と言って僕を抱きしめて激しく泣いた。
母親というのは子供を抱きしめるんだなと、抱かれながら思った。
僕は継母から一度も抱かれた記憶がなかったからだ。
父に抱かれた記憶は何度もあるのに。


こう書いている。この部分を読むたび、言い知れない辛さに満たされる。こんなに冷静に息子は、自分を抱いて激しく泣く母親を、見つめている。

森茉莉の涙、これも、本当だろう。

鴎外の末っ子、森茉莉の弟である類(るい)は、家族の中の裏話もあからさまに書いてしまった人、その書いた中に、

ここに引用はできないが、内容をつまめば

長男のジャク(本当は漢字・爵)が、電球を取り換えてくれた、立ったままつけられるようにしてくれた、と、訪れた弟に、喜んで語ったと。

この世で一番好きな長男、ジャクに。

次男の亨は・・・?。

蛇足ながら晩年の茉莉は、息子、二人ともに、それなりに世話になっていた。最後の棲み処も探してもらっていた。

「毒」の中にも「母」はある。


・・・・・ 森茉莉のあれこれに関しては「直球感想文」さんからお借りしたり学ばせてもらったりしました。ありがとうございました。






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青のさみしさ

今日の夕刊に出ていました。竹久夢二の学生時代の挿絵入りの冊子が発見されたと。

夢二。

わたしがかつて、十年ほどの間、営んだ小さな店の名を「ゆめじ」といいました。

漢字で書いた名前ですけれど。いまは「ゆめじ」と記させていただきます。

母の里から運び入れた階段箪笥(箱箪笥)を店の奥に据え、レジスターは置かないで旧い小箪笥をお金入れに使い、と、自分なりに使えるもので、人さまの仰る「大正浪漫」「れとろ」な店舗つくりができました。

その前から竹久夢二は好きでした。好き、というより、憧れていました。本もたくさん買いました。店の中に、夢二の絵の小額を幾つか置きました。額は、少しくらいガタガタしていても歳月を経たものを、探しては手に入れていました。グラビアや雑誌の切り抜きであっても、額がすてきですと、夢二の憂いを含んだ女性のうりざね顔が映えました。それを欲しいとおっしゃるお客さんが何人もおられましたが、それは売り物でなく。

どうしてもと日参して下さった方に、差し上げました。お金はもらえません。そのお客さんは、商品をたくさん買って下さいました。額を抱いて帰られました。

消しゴムで幾つか、知人にそれらしい判を作ってもらい、無地の袋に一枚ずつ捺して品物をお渡しすると、お客さん方は、とても喜んでくださいました。

いろいろな思い出があります。

夢二の何に惹かれたか。絵はもちろんでしたが。

夢二のうた、一首に、胸をつかまれていたのでした。


   さだめなく鳥やゆくらむ青山の青のさみしさかぎりなければ


私の気持ちのなかの、青が好き、透明なものが好き、という部分に、もう長い間張り付いていて、離れない一首です。うたの師は、わかるけど感傷的に過ぎるなあ、と笑っておられた。

感傷的な、美しい、この一首が、とても好きなのです。




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たあいないタオルの話

タオルが好きだ。

どんなタオル、と問われて、こんな、と、具体的にあげられはしないけれど。

書きやすいあたりから書くと、トイレの中には、ぽわぽわと柔らかいオリーブ色の無地のタオルと、同じく柔らかい淡い薔薇色のそれともう一枚、トイプードルみたいな濃い茶色の厚手の無地のものを、日替わりに掛けている。その日がどのタオルでも、見るたび嬉しいお気に入りのものを使っている。

風呂場のバスタオル掛けには、白地に青い鳥の模様の大判のそれを掛けている。実はこれは実用でなく、つまりは飾り。ドアを開けた時にぱっと目に付く位置に、絵画のようなデザインのそのバスタオルを、隅っこをぴしりとつまんで揃えて掛けていて、ふろ上がりには使わない・・・実際には、洗われて干されてを繰り返して、たたむ時には固く真四角にたたまれてくれるけれど・・真四角にはならず、一部がどよ~んと伸びてしまっている物もある・・濡れた肩に置くと瞬時に、水滴を引き受けてくれる、親しい友のようなバスタオルを使っている。

枕カバーはかけているけれど、その上をまた、ものすごく大きなタオルでくるんでいる。言うまでもなく、寝入るときにタオルを必要とする年齢ではない、が、頭を置くあたりが好きなタオルで覆われていると、安心なのだ。

他にも、まだ使っていない「大好きなタオル」がある。自分で買ったものもあるし、友人が、大切に集めていたタオルを、バタバタと引っ越しした私にと、送ってくれたものもある。その方が多い。タオルとひとくちに言っても奥の深いもので、一目で魅かれても手の出しにくいスゴい品もある。友人が送ってくれたタオルは、私の好きなものばかりだった。届けられた段ボール箱を、収納庫のある板張りの玄関先でさっそく開けて、出て来た美しいタオルたちを見て、私は、どんなに嬉しく、ときめいたことだったか。

台所では、ごく普通の、何かの挨拶で配られたり銀行でもらったりする、白地のタオルを使うことが多い。惜しげなく使えるのがいい。友人は、掃除にでも使ってと、そういったタオルをも潜ませてくれていた。すぐに台所で使わせてもらった。

で。お風呂の中で使うのは、私は、ぺらっぺらの、旅行に行って気軽な宿で入浴用に一人あて一枚、用意してくれているような、使い捨て扱いされてしまっているようなタオルが使いやすい。上等な、みっしり目のつまったタオルは使いにくい。それを、使用後、ぎゅううっと絞って部屋に干しておいて、持ち帰って、お風呂用にする。

ひとさまの家のことを書くのはマナー違反と思うが、私が、これはどうかなぁと感じたことを、書いてしまう。

ある方の家にお招きいただいて、最近近くなっているので、トイレをお借りした。トイレを使うたび、この頃は、なんだか感謝したいみたいな気分になる。その時も感謝して、手を洗って・・手には、自分のハンカチを使うのだが・・・中に掛けてあるタオルを見て、あ、と、思った。

こんなことを書く自分はイヤな女だな、と思うが、イヤな女であっても書きたい。
そのタオルは、知る人ぞ知る有名ブランドのタオルで、厚手で、そして、タオルの中央あたりが、くろづんでいた。

何度洗っても元の色には戻れないタオルなのだった。・・でも、ブランド(笑)。

・・その家の主は、トイレのタオルに似つかわしい女性だった。こう書いて、どんな女性を想像されるか、私にはわからない。

やはりタオルが好きで、大切に集めていたのであろう素敵なタオルたちを、どんな風にも使ってねと、どーんと送ってきてくれた人とは、まるで違うタイプのひとでは、ある。・・・・・性格悪いですね、わたし(笑)。




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本が好き。

ゴールデンウイーク、最終日。

孫たちが一泊して行ったが、それ以外は好きなように、ゆったりと過ごした。本当にゆっくり過ごした。連休っていいものだわ~。知らなかったわ~(笑)。

夜更かしも楽しんだ、しかし若い頃のようには長い時間を眠れない。とろとろの甘美な惰眠を貪れない。

朝になれば起きだして、神様に挨拶して、だら~りと朝食。

ライ麦まじりのパンを四枚切りの半分。トーストはバターで食べたい。おかしな組み合わせなのだと思いつつ、毎朝、三杯酢のモズクと納豆を食べる。慣れているから、そんなに奇妙な感じは無い。コップに半分くらいのトマトジュースと、同じくグラス半分の牛乳。前夜の残り物も、連休中には卓にひろげてのんびりと食べていた。

あとは。何度も、ヨットハーバーに行った。ハウスの中のレストランで、紅茶を飲んだりランチを食べたり、晩ご飯を食べに夕方、海風に逆らう形で、とことこ、庭を横切って行ったりした。

海を見ていると、落ち着く。実は、ハーバーへ精勤するのにそんなに難しくないあたりに住んでいる。

街へ出て何を見よう、買おうという気も起こらず。連休の前半にまた、衣類や本を処分したりしてもいる。身の回りをスカスカにして行こうとしている。本当に気に入っているものだけ、残ってくれればいい。春らしい色の綺麗なスカーフがあるといいなあと思っていたら、あるのさえ忘れていた、うすみず色の一枚が現れてくれて、あら嬉しい、当分はこれで、と。

夫は、工場の近くへ越して来て(それが第一目的ではあった)きげんよく、休みの日にも出かけて行く。実験室で一人、あちこちから送られてくる、さまざまな物質の混じりこんだ水を、きれいな水に還すべく、ああだこうだとやっているのが何より楽しいと。自称「汚水オタク」。そうなのね楽しいならやっててね。アタシは勝手にさせてもらいますわ。うそぶく私に、はいはいどーぞと。夫はネズミ年です。

夕食は、基本、いっしょにいただいております。二人ともに酒を要しない人種、食べ終われば互いに、好きな本読んだりパソコンに向かったり。連休中の話題であるから書くが、一度、どちらかが先に死んだ後のことなど考える、といったテーマで、近隣の介護付きホームをネットで検索して、アタマ並べて眺めた。

そのうちにまた、考えようということで、このテーマは後回しにすることになった。


今日は昼頃から風が強く吹き、窓から見える海は波立っていた。波立っている海も静かな海も、眺めていると時を忘れる。

あまりに強風になって来たためか、沖の方に今日はたくさん浮かんでいたヨットが、防潮堤の内側の方に、つぎつぎに帰って来ていた。自動車の路上運転の試験(?)のように、実際に沖に出て練習(?)していたヨットたちのようだ。

四十艇以上はあった。真っ白い帆が、困ったみたいに揺れている艇もあった。半時間くらい、ぼうっと眺めていた。


注文していた森茉莉の本が二冊とどき、コーヒーをいれて、本を開いて、読み始めた。久しぶりの「貧乏サヴァラン」。

極上に美味しい本だ。森茉莉の本がこんなにも美味しい私の、この引っ越しでも大事に運んできた「愛読書」の一冊の作者は、林芙美子である。「放浪記」は手放せない。

コンビニによく売っている「思い出食堂」なるまんが雑誌の「しーちゃんのごちそう」シリーズも大好き。たかなししずえさんという漫画家の作品。昭和の時代の房総半島に暮らす、小学生しーちゃんと、お父ちゃんとお母ちゃんと近所の皆さんの日常の話。ほのぼの系はなんとなく避けてしまう斜め視線KUON、このしーちゃんの笑顔には、ずっと、ココロ奪われてしまっておるのでございます。









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プロフィール

KUONの久遠

Author:KUONの久遠
     ・・・・・・・・・・・・・・

四十年以上住み慣れた奈良の地を離れ、海の近くへ越してまいりました。

海の見ゆる高層の部屋に耳遠き
夫(つま)とふたりの暮らし始むる

明確に、残生を意識します。余分なあれこれはもう要りません。
シャネルの赤いルージュは変わらず。生意気なままの私でいたい、いようと願っております。

    ・・・・・・・・・・

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