KUONのブログへようこそ。

ブログタイトル変えました。中身は変わらずKUONです。

歌会果てて

こんばんは。今夜もとても冷たい夜です。寒い、でなく冷たい。

温かい室内で、好きなうたについてなど書ける時間は、幸せなものと思います。去年の秋のころから、夜が更けて来ると、遠くの方から夜泣きそばのあのメロディが響いてくることがあります。ラーメンの軽トラックですね。

この界隈のどなたがあのラーメン屋さんを呼びとめるのかわからない。高齢の方の多い住宅ばかりの町なのです。
ラーメン、よく売れるのでしょうか。

夜が冷たいので、すこし気になります。

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歌会始の儀のおうた、あれこれ。一般の入選者の方々に敬意を表しつつ、ここ学びどころ、と思われる点、感想など、おうたを拝借して読ませていただこうと思います。

  長崎県 中島由優樹さんの一首。

・文法の尊敬丁寧謙譲語僕にはみんな同じに見える

・・素直な一首。周囲もお喜びでしょう。ここから歌への道が始まるかどうか。いつかどこかでまた、この少年のうたに、出会えることがあるのかどうか。まっすぐに伸びて下さいね、と。
  
  新潟県 南雲翔さんの一首。

・通学の越後線でも二ヶ国語車内放送流れる鉄橋

・・この方も学生さん。

  神奈川県  浜口直樹さんの一首。

・多国語の問診票を試作して聴くことの意味自らに問ふ

・・介護職の男性。いろんな国の出身の高齢者に向け、いろんな言語での問診票を作ろうとされていた。その時に、言葉自体よりも、身振り手振りを交えてでも、気持ちを込めて語りかけたらどうか、と云われたとのこと。
「聴くことの意味自らに問ふ」この部分がうたのポイントかと。

  神奈川県  三玉一郎さんの一首。

・語らひに時々まじる雨の音ランプの宿のランプが消えて

・・ああ、風情のあるいいうただな、と感じました。ランプの宿、のレトロな感じが生きているな、それが「消えて」後の空気感。

  東京都 川島由紀子さんの一首。

・耳もとに一語一語を置きながら父との会話またはづみゆく

・・お母さまの亡き後、仕事もなさりながら(?)お父さまの介護をされている。
「一語一語を置きながら」ここに、娘さんの愛情と、介護のきめ細やかなことが見えると感じました。

  長崎県  増田あや子

・いつからか男は泣くなと言はれたり男よく泣く伊勢物語

・・聞きながら思わず笑った一首。
「男よく泣く伊勢物語」まことその通りで。声に出して読んでみると、「おとこよくなくいせものがたり」リズムがとてもいい、心地いい。こういった、あまりにもリズムのいい詠みぶりは、一歩間違うと軽薄になってしまいがちですが、この一首は成功しておられ・・とか、エラソーなのは、個人のブログ上のことなので、お許しねがうことにします。

  福井県  川田邦子さんの一首。

・突風に語尾攫(さら)はれてそれっきりあなたは何を言ひたかったの

・・はじめ、遠い、はるかな日の、恋のうたかと思いました。
実は、いまの世にしては若くして亡くなられた夫君との、最後に近い思い出のうた。
入院される玄関先で、「会社をたのむ、じいちゃんばあちゃんを頼む、お前も」とつづいた声は、風にさらわれて耳に届くことなかった。
その時の、最後の「お前も」のあとの言葉、聞こえなかった言葉を、今も、さがしておられる。
恋うておられる。若い日の恋のうたではなかった、でも、永遠の相聞歌、想夫恋になったのですね。

  広島県  山本敏子さんの一首。

・広島のあの日を語る語り部はその日を知らぬ子らの瞳(め)のなか

・・作者は70代の始めの女性。広島に住んでおられ、このうたの情景を、またかたわらで見ておられる。

  長野県  塩沢信子さんの一首。

・片言の日本語はなす娘らは坂多き町の工場を支ふ

・・「おはよう」と声をかけると、片言の日本語で返してくれる、異国から働きに来ている若い女性たち。
「坂多き町の」が生きていると思います。

  米  カリフォルニア州 鈴木敦子さんの一首。

・母国語の異なる子らよ母われに時にのみ込む言葉もあるを

・・最年長の82歳とか。和服を固く着付けて、椅子の上で身じろぎもせず、故国の宮中歌会に招かれていることを受け止めておられるように見えました。
母われに「時にのみ込む言葉もあるを」。
日本人を母として生まれてわが子らは、育っている国の言葉で話し、考え、生きている。「時にのみ込む言葉もあるを」は、切ないフレーズです。言葉だけでは無い、思考そのものに、通じ合えないものを感じて・・年齢的なものもとうぜんあるし、誰のせいでもないとは十分にわかっていて・・
この「を」は、「~であるものを」「~のに」と、言うに言えない思いをぎゅっと押し込めている一語。

  選者のうた(当日の歌会始の順番のまま)

  内藤明氏

・語り了へ過ぎにし時間かへり来ぬ春の雨降る巻末の歌

・・大学で万葉集の講義を続けて来られて。膨大な量のうたの群の最後が大伴家持の一首で、そこに至っての感慨と追憶と。なのでしょうか。一首中の時間の経過の深さを感じました。  

  召人のうた

  黒井千次氏

・語るべきことの数々溢れきて生きし昭和を書き泥(なづ)みゐる

・・若かったころ、作家時代のこのお方に、何度かお会いしました。覚えているのは当方だけです、もちろん(笑)。御年80幾歳。おうたそのまま、いろんなことをさまざま、超えて来られてのこの感慨なのだとか云々、書いても、当人ならねばuすっぺらにしかならず。

  絢子女王(皇族を代表して)

・気の置けぬ竹馬の友と語り合ふ理想の未来叶ふときあれ

・・講師に紹介されている間、ゆらゆらせずしっかりと口を結んでおられ、とてもお行儀のよかった、高円宮家の三女さん。・・皇室メンバーに対して、このようにハードルの低い感心をしてしまうとは。
うたは、もちろんまとめられていました。が。20代はじめの女性が「竹馬の友」とは、なんとお気の毒な、と。聞いたこと無い言葉ではなかろうかと。せめてフツーに「幼なじみ」くらいの言葉にしておいてさしあげれば、とか、お節介なことを感じていました。
「理想の未来叶ふときあれ」の「理想の未来は、せめてご自分のことばかりでないことを願います、ご皇族の一員なのですから、と、詮無いことを、後で少し、考えたりもしました。

  雅子(さま)(体調を考慮して欠席)

・あたらしき住まいに入りて閖上(ゆりあげ)の人ら語れる希望のうれし

・・何を言ってあげる理由も無い。「希望のうれし」って何やねん、あたらしき住まいに入られたのは、本来の住まいを無くされたからであって…あ、悔しい、まともな人間に向かって言うようなこと、つい、言ってしまいました。

  皇太子(さま)

・復興の 住宅に移りし人々の語るを聞きつつ幸を祈れり

・・無言。なんだかもったいぶったヨユーを振りまいていたナルたんでした。 

  皇后(さま)

・語るなく重きを負(お)ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ

・・言いたいことも腹の立つこともおありだろうに、陛下は何をも口に出されず、重き荷を負うて坂道をのぼるがごとく(徳川家康いわく)苦難の道をお歩みである、その方に、嗚呼早春の日差しが静かに降り注いで・・・とか、言いたかったのですね、女帝は。
自己陶酔体質、生涯治癒せず。
へーかは何でも、言うたらあかんことも堂々と仰いまして、退位するのナルを即位させるの、韓国行って土下座して来んならんだの、沖縄また行くだの。言いたい放題したい放題、妻のパペットであることの恍惚のなかにおられます。
美智子(さん)には、昨日そこそこ申しました、ひとこと追加。
そんな、重たいモンしょって歩くの大変なごしゅじんさんの肘、なんでぐわしっと掴んではりますのん?。フツーに歩きにくいですや、、、あんなんしたら。思い遣りも優しさも無いお方やねんなぁ。
もっと言いたい、言いたい、でも、うたに戻れば、過去の美智子さまマンセイ、あれいずこ、いずこ行きしか。

  天皇陛下

・語りつつあしたの苑(その)を歩み行けば林の中にきんらんの咲く

・・きんらんとは、珍しい花だそうですね。絶滅危惧種に指定されている花とか。
皇居にはそれがあった、ということか。絶滅危惧種。
天皇のうたは、例年、こういった感じです。夫人のごときアクは無いです。

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放映されなかった皇族方のおうた。


  秋篠宮さま

・村人が語る話の端々(はしばし)に生業(なりはひ)の知恵豊かなるを知る

・・昔は言えなかったが言ってしまいます。ヒキョウだといわれるでしょうか。
殿下の両手の指先は、常に力のぬけた状態で。だらんと体の脇に垂れておいでです。
おうたも、そういう感じだと、感じてしまいました。

   秋篠宮妃紀子さま

・人びとの暮らしに寄りそふ保健師らの語る言葉にわれ学びけり

・・紀子さまは、おうたはずっとこういう感じ、きちんとまとめられたおうたで、華やかでも突出しているのでもなく。情緒というものには無縁。
それでいいのではないか、大変なおつとめをしっかりとつとめられているのだし。と。長い間、感じていました。
人生って、自信持って努力もして、がっちり頑張って生きていたつもりでも、油断していたところに、予期しなかったことがぐさっと来たりする。厳しいものだなあ、とか、思ってしまいます。

   秋篠宮家長女眞子さま

・パラグアイにて出会ひし日系のひとびとの語りし思ひ心に残る

・・かつて若き内親王として北原白秋を思わせる瑞々しいうたを詠まれた方の、この気の無い凡々のうた。

   常陸宮妃華子さま

・遠き日を語り給へる君の面(おも)いつしか和(なご)みほほゑみいます

・・今年は常陸宮殿下はおうたも出されず。
殿下は、あの柔和なお顔で、「あの頃はね」など、昔語りをなさって来られたのか。戦争もあったし、兄との扱いの違いもあった、けれど、親王として過ごして来られた日々、それなりに穏やかで。父君を信じたまい、母君に心寄り添わせたまい、妃殿下と睦まれて。
・・そのような常陸宮両殿下を、この一首に思い描き、描けばこの一首は、はからずも現皇室への批判、否定の念を内包しているようでもあり。
華子さまは貴賓の名にふさわしい方。あからさまな皮肉やあてこすりを洩らし、出されるお方では無い、だから、余計に、感じてしまったわたしなのでした。

   寛仁親王妃信子さま

・我が君と夢で語りてなつかしきそのおもひでにほほぬれし我

・・上手いおうたではない。でも、素直な心を感じさせるおうたと読ませてもらいました。
亡きご夫君との間には、いろんなことがあった、らしい。晩年の殿下の、壮絶な入退院の繰り返しに、信子さまは、懸命につき従っておられました。新聞に、小さく何度も報じられ、妃殿下もご一緒なのだと私は読んでいました。
素直な方だから、ご自分が潰れてしまわれたのでしょう。殿下はプライド異様に高く、難しい男ではあったでしょうが、きちんとわかっていて正確的に端正な面もあったのではないか。夫婦のことは夫婦にしかわからない、この一首を、信子妃の言い訳のうたのように語ったものも読みましたが、私は、うたはうたとしてそのまま読みたい。
 この一首と、次の長女さんのうたと、読み合わせました。

   三笠宮家彬子さま

・祖母宮(おほばみや)の紡がれたまふ宮中の昔語りは珠匣(しゆかふ)のごとく

・・祖母君は、孫娘に、かつての「いい時代」だった宮中の話、宮家の話を、語られて飽きなかったのか。それは二人にとって、とても甘やかな時間だったでしょう。それはわからなくはない。
若山牧水のうたに「ほろびしものはなつかしきかな」というフレーズがあります。
三笠宮家は、滅びて行く家です、確定している。彬子さんは、それを認めたくない。彬子さんは、酒乱の父と、それでもどうでも息子大事の念に凝り固まった祖母妃殿下のもとで苦しんだ母を、許せなかった(のですよね?)。
で。祖母と自分との、現実味の薄い甘やかな世界の残渣を。残渣と知ってか知らずか、掻き抱いておられる。
母親の気持ちを忖度など、おできにならないのでしょうね。宮家の当主は自分、との自覚をかたくなに抱いて。
はたから見ておかしい。でも、あの女性には、自分の想念の世界は、おかしいものではない。のでしょうか。

   高円宮妃久子さま

・学び舎(や)に友と集ひてそれぞれに歩みし四十年(よそとせ)語るは楽し

・・この方には悩みは無いのでしょうか。なんだか、ある意味すごいという気がします。

   高円宮家長女承子さま

・友からの出張土産にひめゆりの塔の語り部をふと思ひ出づ

・・この方のうたは、出されるたびシュールなものが多い。
出張土産が何かは知らねど。「ひめゆりの塔の語り部をふと思ひ出づ」。なんと不遜な。うたを書かないといけない、何かネタを、ああそうだ、ひめゆりの塔とか語り部とか、そんな感じで書いておけばいいのよね、よしそうしよう。
いかにもな想像をしてしまいました。失礼な、無礼極まるうたです。しかも「ふと」思い出したのです。日ごろは、そんなこと何にも、考えてもいないんです。

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 【選者】

   篠弘さん

・街空に茜(あかね)は冴ゆれ語らむと席立ちあがるわが身の揺らぐ

   三枝昂之さん

・語ることは繋ぎゆくこと満蒙(まんもう)といふ蜃気楼阿智村(あちむら)に聞く

   永田和宏さん

・飲まうかと言へばすなはち始まりて語りて笑ひてあの頃のわれら

   今野寿美さん

・歌びとは心の昔に触れたくてたそがれ色の古語いとほしむ


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ここまでとさせていただきます。.




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欲が出て来てしまいました。

今朝は霜がおりていました。

毎月半ばに「みんなのうた」として皆さまにうた、一緒にしましょ~、とお呼びかけをして参りました。真摯にお寄せいただけること、とても嬉しいです。

急いて先に行く必要も無し。

今まではおうたをいただいて、ただご紹介させてもらって来ましたが、読んでいるうちに欲が出て来ました。この言葉を過去形または現在形にするとこうなるが、とか。

内容はとてもわかる、とてもお上手、いけなくはない、が、余分な言葉を(失礼)のぞいて定型に近づけると、うたがもっと締まるのではないか、とか。エラソーに申しますと。

感じたことを少し、今月のおうたに、付け加えちゃって、いいですかぁ~~~~。明日。おいやなら強いてはいたしません。意思表示は、ことがことではあり、ヒミツのコメントで下さっても、と、考えます。

少しだけ沢山教えてもらって来たというだけの立場です、専門的な系統だった勉強は、学校ではしておりません、このことは、先に申告させてもらっておきますね。


もっとコワいことも。

気温5度、という朝があったりして、奈良公園の紅葉も色の鮮やかさを一気に増したようです

10数年前に私の舅は会社を倒産させてしまいました。それ以前から夫が必死になってももうどうにもならず、ジワジワと大変だったのですが猛烈な大変さになり、何もかも失いました。が、わたしは、お金のことでエラい目にも遭い酷い扱いも受けましたけど、実は結果的には気は楽になったのでした。いろんなお付き合いが無くなった。しなくてよくなった。実際は、出来なくなったということだったのですが。私たち自身にはまだ、もう一度立ち上がる力は、何とか残っておりましたし。

それでも切れない「お付き合い」はいくらかはあり、3日にはその、行きたくないが年に一度は寡黙なヒトとなって参加する、主に女性たちの集いに、行って来たのでした。姑の代行で。

昼餉の会でした。和食です。座敷に敷物を敷いて(秋色の絨毯でした)、椅子に掛けられる形での会食、助かりました。わたしは静かにあれこれを少しずつ、口に運んでおりました。その気になれば10分かからずに終えられる食事内容ですが、その気を出してはいけないのであります。苦手ですが仕方ありません。

今まで何度も耳にした話が、今日も蒸し返されていました。いま食事をしているこの辺り一帯は、かつては、〇大寺に勝るとも劣らない大伽藍の跡なのだと。

大きな寺があった、徐々に廃れて、今は何もかもさっぱり残ってはいない、このへんぜんぶ、お寺やったんやで。

そんな話も、そうなのですか、なるほど、へええ、と、うなずいてうつむいている私の表情は、どんなものなのでしょう。としより狸か。今日の第一目標は、要らんこと言わない、しない、波風立てない、それでした。

奈良の歴史は古い、私なんぞの知らない話は山ほどある、いや、知らない話の方が、圧倒的に多いのです。

退屈ではありますが、この会合で教わったことは、過去、たくさんありました。

昔は、貧しい親は、男の子を稲のほんの小さなひとたばで売ったとか。女の子も、年齢によるが、同じような売られ方をしていた、そういう記録が残っている、とか。

口減らしに出されてどこより酷い扱いを受けたのは、お寺だったとか。有名な寺院でも、過酷な下働きをさせ、食べ物もろくに与えずに土間のようなところへ、寝具どころか敷き藁さえ無いまま寝させていたとか。それも資料にあるなど。

聞けばさまざまな思いも湧いて調べたりもし、耳学問とはこんなことか。

今日、アレマ、と聞いていた話は、以下のごとし。

隆盛を誇った寺も、何かの都合や理由で、力を失ってゆくことがある。そんな時は、食い詰めた者や、食い詰め者相手に小さな商いをして糊口をしのぐ者など、いろんな意味で(いろんな意味で)一般の社会からはぐれた人々が、寺の境内に入り込み、掘っ立て小屋を建てて住みつき、ただでさえ勢いを失いつつあった寺の側は、それをどうすることもできず(食べ物を分け与えられたりすれば)、どんどん浸食されて行った。

ということが、あったのだと。

力のあるうちにはお寺は、そういう人々の救済の場でもあったのでしたが。


・・・わたしのブログを、皇室関連のブログとして楽しみに読んでいましたのに、と、残念がって下さるコメントを、幾つかいただいています。

申し訳ないのですがお返事させてもらわないまま、ヒミツのコメントはヒミツのまま、読ませてもらうにとどめていました。

眞子内親王の婚約のことなども、もっと突っ込んで書いて欲しい、なぜ沈黙されているのか、とも、書いて下さっていました。

眞子さまは大変なことをなさったと、今も考えています。確信しています。とても胸が重いです。

突っ込んで書いて行くと、とても重い話になるので、たぶん、今後も書かないと思います。書きようが無いのです。書けば、「絶体に許されないこと」なのだという差別につながる話にしかならない。それでも、と書いても、どこにも救いは無いと、私は考えています。

奥歯にもののはさまりまくったことを書いています。わかっています。今日、かつての大伽藍が今は失せ果てた話を書いたのは、ものすごく遠回りした気分で、どう思いを巡らしても、この婚約(内定? 予定?)は、されるべきでなかったとしか、その思いしかありません。

父親が無いとか職業が定まらないとか、顔がでか過ぎるとか女の扱いがうまいだけのチャラ男だとか口だけ男だとか。そんなどころの話では無い。

ごきょうだいにも及ぶ話(こうしか書けません)なのを、わかっておられるのか。単なる「ごきょうだい」ではありません。ご存じないのは仕方ないのかもしれませんが・・そうは思えない、無責任だと考えています、今度のことは・・・世間の普通のひとびとの中にある、確固とした思いよう。それを、簡単に、民の雑音だとしか捉えないで進んで行かれるなら・・・恐ろしい事なのに、と、考えています。

こんな風に書いている自体が「さべつ」になるのかどうか。お寺の境内に住んで一間の家で足に履くものを作っていたやら商っていたやら、というのが、あのK氏の母親の里のことだとも、大きな声では出ていないが、黙っていて済ませられることなのか。本人同士が決めた事なら、などと、仰っておられましたが。女性宮家などとんでもない話、と考えている私は、眞子さまは、降嫁されて、どんな風に生きて行かれるのだろう。と。つい。考えてしまいます。

世間の冷たい目など、想像もつかないでいらっしゃるでしょうに。

あんたがそんなこと悩まなくても、なんとかうまいことやって行かはるんだよ、あの人たちは。夫はそう言いますが、もっとコワいことも、口にしています。

気分のいい話ではありませんので、こういう記事は、なかなか書かないと思います。勝手なようですが、わたしの思いですので、ヒミツのコメントを下さった何人かの皆さまへのお返事にも代えさせて下さいね。






きょう半夏生

なにゆえかこころ急いて、身のまわりの整理をしています。あまりにも散らかり過ぎていることに気付いただけなのですが。すごいよ~。

7月8日にはおそらく、どちらにしても自分の今までの気持ちの方向が決まり直すように思われます、今よりもっと好きなようにやるだろうと思っています、それもあって、その準備もしておきたいのだと思います(ひとごと(笑))。

紙くずの山を築きつつの整理整頓、メモも資料も捨ててしまおうとバッサバッサとやっている、高校生の頃の日記帳なんぞもブチ捨てています、なのに。

これ、ちょっと一度、書いておいてから処分しようかと。

未練の風が吹きました。

昭和42年、17歳の私の「遺書」です。

ホンマの遺書ではない。

こういうこと、書きたかったんだよな~、と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小鳥の声に目覚めて

冷たい 泡だった牛乳をのむ

白いシャツに着替えて

庭の草むしり

サンダルの下で  土が  踏みにじられた匂いをはなつ


ゆうびん屋さんがきて

みずいろのふうとうを渡してくれる

角ぶうとうに

青い 太い インクの文字


夕食は  オムレツとサラダ

厚いガラスの器のなかで

トマトの赤がきらきらしてる

スタンドの下

お気に入りのペンで

あなたに  お返事を書く


遠いところで鳴っていた  テレビの音が止むころ

のりで  ごわごわしてるシーツに

ひとり  くるまって眠る


こんな夏の日が

これから先

いちにちだけでも約束されているなら

わたし

その日まで

いっしょうけんめい  生きてゆくのに


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この頃のわたしのたからものは、太字のパーカーの万年筆でした。インクもパーカーのブルーブラックを使っていました。

いきがってナマイキな女の子だったな。


今日、半夏生。

タコめし炊きます。



飛天

きのう6月16日(金)は香淳皇后さまが平成12年6月16日に亡くなられた日でした。

霊祭の儀が皇居皇霊殿で行われ、眞子さまがご参列、他には高円宮久子さま、承子さま、絢子さまが参列されました。常陸宮家、三笠宮家は参列せず。

c3874020.jpg


同日、同時に秋篠宮両殿下は八王子武蔵野東陵をご参拝。

皇太子はいま、単身でデンマークに行っています。一応カップルとして存在するのに、カップルで行動できない現状です。

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かの地でのナルさん。

まさこさんは何もかも欠席です。相撲見物に出て来て以来、どこにも現れていません。



以下 の二人は、その16日、二時間のテニスをお楽しみでした。

夫君の方は、公務にはノージャケットでも、思い出の地でのテニスには、上着をお召し。

暑いやろうに。

夫人の方は、八十歳過ぎてテニス2時間の体力気力。




奈良県の知事が、退位後は奈良に離宮をつくってごゆっくり・・・とか、意味不明のことを口走っておられましたが。

まこと意味不明。来ないでいtだきたい。道路の渋滞もひどいので、来ないで欲しいのが、奈良県民の一、KUONの断固たる拒否の気持ちです。

あそび倒すつもりですかしら。

不動産売買は、最後の契約のハンコを実際につくまでは、安心できないといいます、や~めた、となれば、それで、パー。

あの夫人も、いまどんな気持ちかどうか、ほんとにその時が来なければ一転、奈落かもしれませんね。

天皇と皇后は、皇族の霊祭には参加しないとはいえ。

昭和天皇の皇后様の命日に、テニスはせんやろ、ふつーは。

フツーでないヒトですし、その日だからこそ、今ではいちばんの権力者であるワタクシは、遊んであげるのよ、ざまー、ごらんあそばせ、の気持ちなのかしらん。

おそろしいこと。もう、何もこわいものはない? いや。そこからですよきっと。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

15日に西ノ京の薬師寺に行啓なさった秋篠宮殿下と妃殿下。

仰々しい警備も無く、ひとびとの背後からそっと、法話をお聞きになられて。

来合わせた修学旅行のお子さんたちと、にこやかにお話して下さいました。

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秋篠宮ご夫妻は、奈良市の薬師寺を訪れ、先月完成した「食堂」と呼ばれる建物などを参拝されました。
薬師寺の「食堂」は、奈良時代に、僧侶の食事や仏教儀礼に使われた建物で、中世の戦火などで失われていましたが、当時の伽藍を復興させようと、およそ500年ぶりに先月、再建されました。
15日午後、薬師寺を訪れた秋篠宮さまと紀子さまは、村上太胤管主らの案内で「食堂」を参拝されました。
「食堂」の中には、日本画家の田渕俊夫さんが描いた6メートル四方の「阿弥陀三尊浄土図」が本尊として据えられ、周囲の壁にも仏教伝来などをテーマにした壁画が描かれています。
秋篠宮さまと紀子さまは、「食堂」の完成を祝う落慶法要の写真を見たり、説明を受けたりしながら、仏画をじっくりとご覧になっていました。
秋篠宮ご夫妻は、およそ110年ぶりとなる解体修理が進められている東塔の現場なども視察されたということで、村上管主は、「薬師寺の姿を通して日本の歴史や文化の礎を体感していただくことができたと心から喜んでいます」とコメントしています。


天平2年(730)に建立されたと伝えられる国宝の薬師寺東塔は、約110年ぶりの解体修理が平成21年から進められているのです。解体修理では、瓦、木部、基壇などを全て解体し、地下の発掘調査を実施した後に、傷んだ部分の修繕を行いながら再び組み上げ、平成31年の春に修理が完了する予定。

いまは「覆屋」に覆われて、いっさい見ることのできない東塔。

そのてっぺん、水煙、と呼ばれる部分には、飛天のお姿があるのです。

飛天。飛ぶ、天女。

平成31年の春に修理は完成の予定。となれば、私はもう、薬師寺の水煙の飛天を拝することはできません。んにゃ、まだガッツリ、生きているかなぁ、わかりませんねそれは。

拝せなくなる前に、見せてもらいに行った、行っておいてよかった、と、今も思っています。


凍れる音楽、と、フェノロサの形容した、東塔の水煙。飛天。

でも。

薬師寺での紀子さまの微笑は天女のようだな、と、思います。


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としどしに わがかなしみは ふかくして 

いよよはなやぐ いのちなりけり


      岡本かの子

             


・・・・・・・・・・・・・・・


やはり赤い口紅が好き。


ものすごく唐突ですが、私、口紅(だけ)はシャネルよ。(笑)。

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